「要するに(ピエール・ブールの)原作は人種差別や文明の奢りを糾弾する左翼小説で、そいつを旧作では右翼(チャールトン・ヘストン)が主演してたわけだ。」
ティム・バートン版「猿の惑星」に主演した(文句なく、主演だった)ティム・ロスの発言が旧シリーズを象徴している。
1作目は自由の女神のラストシーンのみが語られるきらいがある。確かにみごとなエンディングだった。でも、日ごろペットとして愛玩していて、それはつまり“違う”存在なはずの猿が、自分たちを支配する常識の反転こそがみごとだったのだ。
その1作目は、TBSでテレビ初放映されたときの視聴率が異常に高かったのでも有名。なんと37.1%!(山形ではやってませんでした)。続編も30%以上をかせいだはず。黄色い猿である日本人はこの作品が大好きなのである。
ただ、理屈ではわかっていても、人種差別へのもっと明確なメッセージは猿の女性科学者であるジーラの
「あなた(チャールトン・ヘストン)たちの……毛のない……妙にのっぺりした身体とふれあうのは耐えられない」
というセリフの方が説得力ありあり。そうか、そうだよなあと思ったものでした。差別の根は深い。
さて新作。これまでのどのエピソードよりも猿側から描いてある。
1作目のラストで人間への絶望が語られたけれど(猿への怒りだと誤解する向きもある)、猿の進化を助けるのは人間がつくったアルツハイマー治療薬。利益追求する薬品会社の上役というティピカルな悪役を設定してはいるものの、父親を助けたいという化学者(ジェームズ・フランコ)の善なる思いから発している話なのである。
だから怒りはむしろ、猿たちを劣悪な環境においたままである動物保護局の虐待に向かう。ここ、要するに人間で言えば牢獄なのであり、サディスティックな“看守”が、ハリポタのドラコ・マルフォイなのは納得。
知能が発達したチンパンジー、シーザーが、それゆえにまわりに迫害されながら自分の道を貫くストーリーは、革命の物語であると同時に、親元を去っていく話なのでどこか物悲しい。
CGであることがわかっていても、悲劇の猿シーザーのもととなった演技は「キングコング」や「ロード・オブ・ザ・リング」でゴラムを演じたアンディ・サーキスが貢献している。いやはや名演。マジでオスカーとるんじゃないのか。まさか?いやいや猿をあなどっては……。
「猿の惑星:新世紀」につづく。