初版本へのこだわりと悩み

 金曜日にボーナスが出たので、昨日は栄~大須方面で色々と買い物をしてきた。
 ある程度気が大きくなっていたせいで、普段なら買う気にならなさそうな物も含めて、結構散財してしまった。


 さて、私が本を買う時には、一つの方針(と言うほど大層ではないが)がある。「なるべく初版を探す」と言う事だ。これは、対象が漫画であろうと小説であろうと変わらない。
 この方針を守ろうとすると、新刊を発売日に買う場合には何の問題もないが、刊行から日が経って、新刊書店には増刷分しか並んでいない場合は古書店を探すしかない。

 しかし、初版を探すと言っても、見つけるまでの難易度は本によってまちまちだ。
 漫画を例にすると、大ヒット作の場合は1巻あたりの部数が多いので、ある程度古い巻でも難なく見つける事が出来る。問題は、それほど話題ではなかった作品が、アニメ化などで一気に注目を集めた場合だ。このようなパターンだと、特に第1巻は初版の部数が少なくて入手が難しい事が多い。
 現在テレビアニメが放映中の「らき☆すた」などは、まさにこの例にあたると思う。

 私は、アニメ化が発表されて、初めて「らき☆すた」を知ったクチだ。京アニが手がけると聞いてどんな作品なのかと試しに読んでみたら結構好みの4コマだったので、とりあえず当時の最新刊だった3巻を新刊で購入した。これが、今年2月の事。
 その後、アニメ放映一ヶ月前に古書店で第1巻初版を発見し、また4月発売の第4巻は発売日に買った。
 最後に第2巻が残ってしまい、これがなかなか見つからなかった。新刊書店にはすでに増刷分しか無いし、アニメ放映開始後は第2巻に限らず、古書店で「らき☆すた」を見かける事すらほとんどなくなってしまった。アニメの放映が終わってブームが収束すると一気に古書店に出回るようになるのだが、それまで待つのはつらいし、本棚に並べて2巻が抜けていると落ち着かない。
 もう諦めて素直に増刷分の新刊を買えばいいのだが、それは何となく敗北感があって躊躇していた。

 そんな訳で、早く2巻も欲しいと思っていたのだが、昨日ようやく発見した。しかも、運良く帯付きだ。私は、本体の状態が悪くなければ帯には特にこだわらないが、付いてればちょっと得した気分にはなる。
 以前に入手した1巻と、新刊で買った3・4巻も帯付きだったので、期せずして全巻帯付きで揃ってしまった。並べてみると、なかなか見栄えがいい。




「らき☆すた」初版揃い。わかる人には帯で見分けが付くと思う



 結局、「らき☆すた」全巻を初版で揃えるのに、半年近くかかってしまった。
 実際に古書で探したのは前半2冊なので、巻数の割には結構手間がかかった方だ。これに比べれば、「DEATH NOTE」全12巻を初版で揃える方がはるかに楽だ。実際にやった私が言うのだから間違いない。「DEATH NOTE」の初版発行部数は桁違いだろうから、今から古書店を回っても比較的容易に揃うと思う。


 それでも、半年かかったとは言え、「らき☆すた」は2冊見つければいいのだから、まだ楽な方だ。
 最近、一番苦労したのは角川スニーカー文庫「涼宮ハルヒ」シリーズを探した時だった。奇しくも、こちらもアニメ版は京アニ制作で、放映枠も同じ。個人的にアニメ化で原作を知ったという点も共通している。
 原作のシリーズ第1作「涼宮ハルヒの憂鬱」は2003年刊行で、アニメ放映開始の時点で既に3年も経っていたし、おそらく初版発行部数はあまり多くなかっただろう。それに、アニメ放映開始後は「らき☆すた」以上に古書店で見かける事は少なかった。
 そんな中、地道に探して昨年中に「退屈」「溜息」「陰謀」の3冊は発見したが、なかなかその後が続かない。特に第1作の「憂鬱」は絶望的と思っていたのだが、今年2月にBOOK OFFでシリーズ既刊全8冊が初版で並んでいたのを発見して、一気に揃ってしまった。おそらく、ずっと愛読していた人がファンをやめたとかの理由で売り払ったのだろう。とにかく、運がよかった。
 こちらは、本を並べて見せても初版かどうかわからないので、とりあえず「憂鬱」の奥付を見せておこう。







 長々と書いてしまったが、結局「なんでわざわざ初版で探すのか」と聞かれると、「ごく個人的なこだわり」としか答えようがない。
 「らき☆すた」3巻で初版ネタがあり、こなたが「最初からその物品を愛蔵しているとゆー“愛の証”なのだよー」と言っており、気分的にはそれに近い。もっとも、実際には「最初から」ではなく後から買っている物も多いので、正確には「最初から持っているように見せたい」と言う見栄を張る気持ちがある、と言う事になる。

 他に、わざわざ初版を探す理由としては、何でもかんでも欲しい本を次から次へと買ってしまわないように「リミッターをかける」意図もある。
 別に節約のために古書店で初版を探すわけではないので、初版にこだわらなければ新刊でいくらでも買えるのだが、おそらくそれだと次から次へと買ってしまい、際限が無くなるだろう。だから、あえて「初版」と言う条件を付ける事で、それを制限しているのだ。


 しかし、最近はちょっと悩んでいる。
 本当に好きな作家、好きな作品であれば、初版にこだわらずに新刊で買って、その作家や作品の利益に貢献したいと思う。学生時代は使える金額に制約があったので、それを節約できると考えて、ある程度割り切った上で古書店で買っていたのだが、今は無理しなくても新刊本を買える収入はあるし、せっかく苦労して初版を古書店で見つけても、全く作者の利益にならないと思うと心苦しい。
 とは言え、さすがに新刊の再版と古書店の初版の両方を買う気にはならないし、またこれまで「こだわり」として続けてきた初版探しを止めるのも寂しいので、今のところは、極力新刊で手に入るものは新刊で買う事を妥協点としている。

 この話題、さらに突っ込んで話し始めると、BOOK OFFなどの新古書店問題に本格的に触れざるを得ないのでこのあたりで止めておくが、ファンの立場としても出来る限り作家・作品の利益となるようにしたい気持ちはあるので、新古書店に反対する作家の気持ちはわかる。何とかある程度の利益が還元される方向になって欲しい。


 ちなみに、私が初版を探すようになったのは中学生の頃で、ある「きっかけ」があったのだが、それについてはいずれまた機会があれば書きたい。
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