「コードギアス」STAGE24&25スペシャルを観て

 「コードギアス 反逆のルルーシュ STAGE24&25スペシャル」視聴完了。前から書いていたように、これを観るために関西の実家に帰ったのだが、26時25分は遅いので録画しておいて、日曜の朝9時から観た。

 とりあえず、この一言だけは言っておきたい。


 「「STAGE26」の放送はいつですか?」


 わざわざ実家に帰って観てみたら、こんな結末(と言っていいものか)が待っているとは。
 この内容なら、STAGE23で中断したままにして第2期をSTAGE24から始めても、問題なかったのではないか。わざわざ「最終2話は夏に放送」と引っ張るから、シリーズ第1期としてそれなりの結末をつけると思っていたが、伏線がほとんど回収されずに、最後は完全に「次回に続く」で終わってしまっている。
 それどころか、今回のSTAGE24&25で、ナナリーを連れて行ったV.V.の思惑や、マリアンヌが警備を外した意図など、新たに謎が増えたくらいだ。

 本作は2クール×2の変則4クール構成とされているが、これほどまで「単に2クールでとりあえず中断しただけ」の展開になるとは思わなかった。
 あの終わり方で「続編制作快調! 乞うご期待!!」と言われても、肝心の放映時期が発表されていない状態では、期待しにくい。せめて、STAGE24&25予告の時のように、大体の時期だけでも出して欲しかった。


 とは言え、本編の内容は4クール作品の「中盤の山場」として観れば、盛り上がっていて面白かった。
 特に、オレンジは片言と丁寧語が混じった喋りがいい味を出しており、このままC.C.と一緒に海に沈んで終わりではないと信じたい。他にも、前述のように気になる点はたくさんあるが、それも全て続編放送までお預けだ。
 せっかく盛り上がった所に水を差しているようで、非常にもったいないと思う。4クールの作品を作るなら、しっかり体制を整えて一年間続けてやって欲しい。本作の場合、2クールで2回も総集編を入れたのだから、一年どころか半年でも相当に状況は厳しかったのだろう。


 と、色々と書いたが、わざわざ実家に帰って観て失敗したとは思っていない。
 今朝、ネットにつないでみたら、早くもブログ等で感想が山ほど書かれているし、2ちゃんねるでは全然関係のないスレッドにネタばれコピペを投下する愉快犯が出てきている。ネタばれについては、長文のものが既にあったが、こちらは一行目だけを見て回避することができた。今朝から出回っているものは、短く簡潔にまとめているため全部が一度に視界に入って全て読めてしまうので、長文よりタチが悪い。
 関東地区でネタばれを見たくない人は、明日の夜まで注意が必要だ。と言っても、関東の人はそもそもこのエントリをここまでは読みはしないだとろけど。

 ともかく、2クール×2の構成には問題があると思う。
 今後また何かの作品でこの構成が使われるのならば、後半への「引き」をどうするか、またそれ以前に4クール作品として全体をどう構成するか、よく考えて作って欲しい。



追記

 名古屋に帰宅してからビデオを観返して、一部修正・追記した。

 あと、個人的メモとして放映フォーマットを書いておく。
 アバンタイトル(STAGE23までのあらすじ)→OP→STAGE24 Aパート→STAGE24 Bパート→STAGE25 Aパート→STAGE25 Bパート→ED→続編予告、と言う構成だった。
 アバンタイトルがやたらと長かったが、これに1話分のOP・EDの時間を割いたと言う事か。また、STAGE24 Bパート終わりとSTAGE25 Aパート頭にもアイキャッチが付いており、2話連続放送と言うより1時間枠で1話の構成になっている。
 ANIMAXでは30分枠でそれぞれSTAGE24とSTAGE25を放送する予定なので、こちらでは1話ずつ本来の構成で観られるのだろう。STAGE24・25の次回予告が流れる可能性もあるので、一応STAGE23からチェックしておこう。

 そう言えば、MBSではあくまで「アニメシャワー」枠内での放送となっていて、アバンタイトルの前には「アニメシャワー」のタイトル映像も流れた。
 ちなみに、今回の「ギアス」スペシャルのために「ラブ★コン」「ななついろ☆ドロップス」が放映休止となった。「大江戸ロケット」は、時間を繰り下げて放映。一番遅れている作品を優先させたと言う事か。実家にいた頃はそれほど気にならなかったが、私が名古屋に戻ってから「アニメシャワー」枠の遅れがひどくなっているようだ。
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ゲゲゲの鬼太郎[第5作] #17「さすらいの 蒼坊主」感想

・ゲゲゲの鬼太郎 [第5作] 第17話「さすらいの 蒼坊主」
(脚本/三条 陸、演出/土田 豊、作画監督/信実節子)


 第8話以来の、ぬらりひょんによる鬼太郎抹殺作戦の回。
 本話では鬼太郎が「兄」と慕う妖怪、「蒼坊主」が登場した。


 以前に鬼太郎が、蒼坊主に命を救われた恩があると言う事だが、具体的にどんな事があったのか語られなかったし、原作や過去のアニメシリーズで馴染みがある妖怪ではないので、最初のうちは蒼坊主の存在に違和感を覚えていた。
 しかし、カラッとした気のいい性格と方向音痴ぶりが面白く、鬼太郎と一緒に火取魔と戦っている姿を見ているうちに、いつのまにか彼の存在に馴染んでしまった。それに、蒼坊主のキャラ作りについては、声をあてた古川登志夫の演技も大きく寄与していたと思う。
 また、宴会の後の朝に「フッ」と笑ってこっそり立ち去ろうとする場面は、湿っぽい事が嫌いな蒼坊主の性格を描いた場面だが、それと共に、一瞬「もしかしたら、こいつはぬらりひょんのスパイかも」と思わさせられるようにも見えて、視聴者をひっかける演出としても上手くできており、心憎い演出だった。

 今回、ぬらりひょんは「火取魔」を操って鬼太郎を倒そうとするが、力が増大した火取魔が増長して、ぬらりひょんにも制御できなくなる展開となった。戦いは火取魔と鬼太郎達との総力戦の様相を呈して、久々に集団戦闘の面白さが楽しめた。
 鬼太郎・蒼坊主の息のあった攻撃は観ていて小気味がいいし、砂かけ・かわうその消火→ねずみ男・一反木綿の「子泣きハンマー投げ」→蒼坊主の幻術攻撃と来て、最後に全員で重りになって火取魔を封印するまでの流れはテンポがよく、一気に見せられてしまった。前回のぬらりひょんとの戦いは尻つぼみになった感があったが、今回は最後まで見応えがあった。
 蒼坊主はなかなか面白いキャラクターなので、いずれ再登場させて欲しいものだ。鬼太郎との過去のエピソードも、描いて欲しい。

 それにしても、ぬらりひょんはいつの間にかアジトがショボくなったり、「もう走れん、トラックを回せ」と弱音を吐いて朱の盤と漫才のようなやりとりをしたりと、第8話での威厳がなくなっていて笑えた。今回で、ぬらりひょんは概ね第3作の性格に戻った感じだ。


 そして、次回の第18話「古城に光る黒い眼」では、とうとう西洋妖怪・バックベアードが登場する。今回から、予告の最後に妖怪の名前を出さなくなったが、それでも一目でベアードとわかってしまうところはさすがの存在感だ。
 次回は鬼太郎達が海外に出るようなので、「おばけ旅行」のような展開が待っているのだろうか。まさか、「国盗り物語」のように相撲を取る事はないだろう。

 これは次の日曜が楽しみと言いたいところだが、29日は毎年恒例の「27時間テレビ」のためお休み。次回放映は8月5日となる。
 個人的には、次の日曜は関西の実家に帰っているため、放送があったとしてもリアルタイムでは観られなかったので、むしろ放送休止はちょうどいいタイミングだ。最近は何度か日曜9時に寝過ごしてしまっているが、ベアード登場はぜひリアルタイムで見届けたい。
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「ロミオ×ジュリエット」第16話が…

 遅まきながら、CBCで先週放映された「ロミオ×ジュリエット」第16話を観た。

 今回は、ハーマイオニが一人で鉱山に向かったり、その途中で馬車を奪われたり、ジュリエットを刺そうとしたりと、色々と大変な事になっていた。
 これが、普段通りのクオリティで作られていたら、嫉妬に狂った美女・ハーマイオニが観られたのだろうが、作画があまりにも酷かったせいで、ただのヒステリー女にしか見えない。話の展開とは別の面で、観ていて彼女が可哀想になってしまった。


 前週に流れた予告の時点で、登場人物の顔が奇妙にゆがんでいたので嫌な予感はしていたのだが、ここまで酷い出来になるとは思わなかった。これまで、基本的に作画は安定していただけに、今回は落差の激しい出来だった。
 本作のキャラクターデザインは地味な顔立ちだが、地味なほうがしっかり描くのは難しいのだと、よくわかった。

 第16話は、TBSでは今週末に放映されるが、果たしてCBC版から作画修正は入るのだろうか。
 もし修正されたら、「ひだまりスケッチ」第10話の逆パターンとなるが、今回は「ひだまり」の「富士山」とは違ってネタになるような物ではなく、ただただ作画が酷いだけなので、可能な限り直すべきだと思う。
 逆に、CBCの「ひだまり」第10話が修正版だった件は、個人的には残念だった。文字だけの「富士山」や「茶色の百円玉」を楽しみにしていたので、ちゃんとした富士山の絵や普通の百円玉が流れた時にはがっかりしたものだ。まさか、TBSでの放映から8日で修正されるとは思っていなかった。

 また、本日発売の月刊テレビ誌に載っているが、8月15日は放映休止、22日は通常の放映枠で「ロミオ×ジュリエット ナビ」という特番が放映される予定だ。おそらく、これまでの総集編なのだろうが、ここで実質的に二週も週休むと言う事は、やはり制作体制がかなり切羽詰まっているのだろうと思わざるを得ない。


 正直なところ、最近の「ロミ×ジュリ」を観ていると、モンタギュー大公への革命・反乱が本筋になりそうで、序盤に期待していた悲恋の物語とは違うものになってきているように思う。それに、話の展開が強引で引っかかる点も多くて、首を傾げてしまう事もしばしばだ。第16話で言えば、ハーマイオニをあっさり帰してしまうのは、あまりに不用心すぎる。
 しかし、せっかくここまで観たのだから結末を見届けたいし、最後には主役二人の物語に決着を付けてくれる事を期待している。だからこそ、これ以上の作画崩壊は、勘弁して欲しい。終盤は、綺麗な映像をみせて欲しいものだ。


(7/26一部修正)
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アニメつれづれ(at 2007.07.22)

・映画「時をかける少女」テレビ放映

 昨日の放映を観たが、地上波アナログだと微妙にゴーストが出るし、自宅のテレビでは画面が小さい(21型)上にCMはあちこちで入って気が削がれる。おまけにEDは短縮版なので、劇場で観た後だと見劣りしてしまう。
 ここで挙げたような点は全て事前に予想できたし、DVDを持っているのだからわざわざテレビ放送を観る必要はないのだが、公開からわずか1年で、早くも地上波全国ネットで放映された事が嬉しかったので、ついつい観てしまった。公開時にはアニメファン層以外にはほとんど注目されていなかった事を思い返すと、まるで現状がウソのようだ。

 DVDは限定版を買ったので、ディスクが3枚も入っているが、本編すらなかなか観返す時間が作れないのがつらいところ。とりあえず、本編を一度コメンタリー付きで観返したいものだ。



・「ラブ★コン」の関西弁

 TBS他で放映中の「ラブ★コン」は、テレビアニメでは久しぶりに大阪を舞台にして、登場人物のほとんどが大阪弁を喋る作品なので、出演声優のほとんどは関西出身者が集められているが、なぜか主役の小泉リサは東京出身の岡村明美が演じている。
 この人の関西弁演技を聴いた事がなかった(「アベノ橋☆魔法商店街」に出演していたが、東京に憧れて標準語を喋る設定のキャラだった)ため、放映開始前は不安だったのだが、実際に聞いてみると8割方は気にならないレベルだった。たまに引っかかる部分はあるが、今の大阪の高校生だったらこんなものでもおかしくないと思える程度だ。
 もし、役が決まってから大阪弁を勉強したのなら、すごい事だ。まあ、周囲が関西人ばかりの中で、一人だけ明らかに変な大阪弁を喋るような人をキャスティングする事もないだろうから、ある程度は喋れるとわかっていての起用だろうと思うが。

 さて、前述のように「ラブ★コン」出演声優のほとんどは脇役も含めて関西出身者が占めているので、観ていると「ああ、この人も関西出身だったな」と改めて気付かされる事があって面白い。
 最近では大谷の姉役で雪野五月が出演していて、滋賀県出身だった事を思い出した。私が知る限りでは、この人の関西人役はテレビ版「それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ」くらいしか出てこない。ベテランでは中野先生役で広瀬正志が出ているが、大阪出身の割には、この人の関西人役も珍しいのではないだろうか。
 今後も、どの声優が出演するのか、楽しみな作品だ。

 しかし、このアニメがMBSでなくTBS製作で、TBSは夕方・MBSは深夜に放映しているのは不思議に思ってしまう。「じゃりン子チエ」のように、MBSが作って関西で土曜夕方に流すほうがしっくりくる。
 そう言えば、初めての名古屋ご当地テレビアニメになるはずだった「やっとかめ探偵団」は、どうなったのだろう。昨年秋から東海地方で放映されるはずだったが、全然音沙汰がない。企画が流れてしまったのなら、残念だ。


 ついでに、関西弁で気になっているのが、「らき☆すた」の黒井ななこ先生。
 原作では「エセ関西弁を喋る」設定になっているが、アニメでは兵庫県出身の前田このみが演じているため、エセではなく普通の関西弁に聞こえてしまう。
 原作の設定を無視している点は気になるが、かと言って原作に忠実にエセ関西弁を喋られたら、聞いていてイライラしてしまうであろう事は間違いない。ここは原作を尊重すべきなのかどうか、関西出身者としては悩んでしまうところだ。



・「コードギアス」STAGE24&25は広島が最速に

 「コードギアス 反逆のルルーシュ」STAGE24&25は、当初は7月28日深夜放映のMBSが地上波最速となる予定だったが、選挙特番の関係上、29日に予定されていた中国放送での放映が27日に前倒しされて、広島県が最速放映となる。
 ちょっと想定外の事態だが、一日くらいならネタバレのシャットアウトは可能だろう。やはり、予定通り28日は実家に帰省してMBSの放映を観るつもりだ。それに、中国放送よりも、21日・22日に実施されたプレミアム試写会&25日より実施されるネット試写を観た人からのネタバレの方が恐い。土曜日まで、注意しなくては。

 それにしても、どこの情報を何回観てもCBCの放映が一番遅くて、泣けてくる。CBCはレギュラー枠で深夜アニメを6本も放映しているので特番枠を確保しにくかったのかも知れないが、せめて一週間程度の遅れにして欲しかった。まあ、私はMBSで観るから、CBCは録画保存用としてしか使わないのだが。



7/26追記

 公式サイトによると、中国放送は放映日が8月10日に正式決定した模様。これで、当初の予定通りMBSが最速となった。
 広島は一週間以上遅くなってお気の毒だが、それでもまだCBCの方がもっと遅い…。
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2007年7月アニメ新番組感想

 7月の新番組も大体出揃ったので、第1話~第2話あたりを観ての簡単な感想を書いておく。


 まず、気に入った作品としては、「ケンコー全裸系水泳部 ウミショー」「ぽてまよ」「もえたん」を挙げておく。これらの作品は、いずれも放映前にはあまり期待していなかったが、観てみるとそれぞれに独自の味があって面白い。

 「ウミショー」は健康的なエロさが観ていてすがすがしいし、演出もテンポがいい。何より、この季節にぴったりの作品だ。アニメの後に原作を読んだが、1話1話が短い原作をアニメで上手く再構成していて、感心した。
 主演のあむろ役・豊崎愛生は新人で初主演だが、新鮮でまだ何色にも染まっていない感じの声があむろのキャラクターによく合っている。

 「ぽてまよ」は、人によって好みがはっきり分かれそうだが、私は合う方だった。かわいらしさと不条理のバランスが絶妙で、気を抜いて楽に観ていられる。
 個人的には、川澄綾子のブリッ子声喋りが十分に聴ける点もポイントが高い。また、喜多村英梨が少年役なのも注目している。キタエリも、今やレギュラーを何本も抱える活躍ぶりで、「ぴちぴちピッチピュア」第1話(シリーズ通算53話)の予告で初めて声を聞いた時の驚愕が、遠い昔のようだ。

 そして、「もえたん」。幼女にしか見えない17歳の魔法少女と言うあまりにあざとい設定のため、どうせネタ企画とバカにしていたのだが、実際に観てみると、そう捨てた物ではない。
 中途半端にオタクに媚びた作品は観ていていい気分ではないが、ここまでオタ向け仕様に徹底してくれると、むしろ感動すら覚える。特に、変身バンクへの力の入れ方は異常なほどだ。アクタス制作なので、「ぴちぴちピッチ」でお馴染みの方々が作画に参加しているのも、個人的には嬉しいところ。
 変身バンクと言えば、第2話の終盤で流れたすみの変身シーンがテレビ大阪で一部修正(ホワイトアウト)されたと聞いて、同じテレ東系列のテレビ愛知も危ないのではと心配だったが、本日テレビ愛知で放送された第2話を観たら無修正だったので、一安心だ。
 しかし、いくら心配とは言え、土曜の朝起きて一番に観たアニメが「もえたん」なのは、ちょっとどうかと自分でも思ってしまった。


 次に、おおむね事前に予想していた通りの内容だった作品は、「ドージンワーク」「さよなら絶望先生」など。
 「ドージンワーク」は、正直言ってBパートの方が面白く感じてしまう。アニメじゃないのに、これでいいのか。でも、やっぱり斎藤桃子のキャラは面白いし、絵心もあるので、一緒に絵を描かされるこやまきみこが気の毒で笑える。
 ところで、Bパート最後に出る「9月9日まで残り○○日」の告知は、放映日の違う局ごとに作り分けているのだろうか。埼玉・チバ・愛知は同日なのでいいとして、サンテレビとtvkがどうなっているのかが気になる。ちなみに、テレビ愛知の第3話では「残り95日」だった。

 「さよなら絶望先生」は、SHAFTで新房監督が作ったらこうなるだろうと言う予想通りの作品だった。
 前作の「ネギま!?」とは対照的に、話は原作に忠実だが、それでも小ネタがたくさん仕込まれているし、定番になってしまった黒板ネタも、やはりある。学校の教室が出てくるのだから、黒板ネタは絶対にやるだろうとは思っていたが。まあ、それはともかくとして、アニメ向けには思えないあの原作を上手く動かしていて、最適のスタッフなのだとあらためて思った。
 お馴染み、毎回豪華ゲストの描くエンドカードも当然付いている。この枠のこれまでの作品はEDフリップは付いていなかったが、今回はエンドカードのためにラスト5秒を確保したのだろう。TBSの「ひだまりスケッチ」はゲスト絵を提供画面で流さざるを得なかったようだが、その点はU局枠の方が融通が利くのか。

 あと、続編物なので当然予想通りの内容だったが、「ゼロの使い魔 双月の騎士」の第1話は作画が素晴らしかった。さすがに毎回このレベルは無理だろうが、十分に続きを観たくなる出来だ。



 ここまでで挙げた作品は、当然今後も観続けるつもり。
 7月の新番組は何本か残っているが、まだ第1話しか観ていなかったり、その第1話が微妙だったりで、ここで具体的にタイトルを挙げていない作品から、いくつか視聴を切る事になりそうだ。

 これから秋に向けて、個人的な事情でアニメの視聴時間を削らざるを得ないので、既存作品も含めて視聴タイトルをもう少し絞ろうと思っている。録画して、DVD-RAMにコピーして、そのままになる作品も出てきそうだ。いや、既に何タイトルか溜まっているのだが、今後さらに増えてしまうと言う事だ。実際、今後いつ観る時間を作れるのだろう。
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ゲゲゲの鬼太郎[第1作] 感想(3)

 随分と間があいてしまったが、鬼太郎第1作の感想も、再開する。
 今年3月までは忙しくてDVDを観る時間が取れず、感想も中断していた。その後、4月以降はぼつぼつと観ていたのだが、新たにスタートした第5作の感想に力を入れていたため、第1作については観た後に簡単なメモを取って感想の下書きをする程度で、放置してしまっていた。
 そうしていたら、20話以上の感想が溜まってしまったので、視聴順にメモを清書して、ブログで引き続き公開していく。もちろん、第5作の感想も続けます。



・第9話「見上げ入道」
(脚本/雪室俊一、演出/白根徳重、作画監督/落合道正)

 話は基本的に原作に忠実。見どころは、キャラクターの動きにある。
 小さくなって学校に潜入する見上げ入道のチョコマカしているところや、妖怪学校で素直に見上げ入道の授業を受けている豚や犬など動物たちの描写が可愛らしくて、観ていて面白かった。
 また、霊界ポスト(原作でもこの呼び名)の存在をねずみ男の解説付きでアピールしており、シリーズ初期の重要な設定紹介回と言える。「鬼太郎のたたりがある」と言う説明はどうかと思うが。



・第10話「妖怪大戦争 前編」
(脚本/雪室俊一、演出/茂野一清、作画監督/生頼昭憲)

 冒頭で、西洋妖怪達による謀議の場面が描かれており、強敵が来襲するムードが高められている。
 中でもベアードは貫禄があり、富田耕生(当時は富田耕吉)の声もよく合っていて、堂々たるボスの風格を見せている。

 本話は、アニメでは初めて「鬼太郎ファミリー」の砂かけ婆、子泣き爺、一反木綿、ぬりかべが勢揃いしたエピソード。序盤、西洋妖怪退治のメンバーを募る場面では、最初にたくさんいる妖怪達が徐々に減っていき、最終的に砂かけ達が残る場面が描かれており、選りすぐりのメンバーであることが強調されている。
 ちなみに、砂かけの声は小串容子、子泣きの声は第3作でもお馴染みの永井一郎。一反木綿は妙に甲高い声で、誰が担当しているのかわからない。ぬりかべは、ほとんどセリフがないのでやはり誰の声かわからない。

 魔女によって、早くも一反木綿がやられてしまう場面は、舞台となる夜の海の雰囲気も相まって、緊張感のある場面となっている。原作と同じとは言え、ここで出番が終わってしまうのは一反木綿に気の毒だが。



・第11話「妖怪大戦争 後編」
(脚本/雪室俊一、演出/茂野一清、作画監督/生頼昭憲)

 原作と同じく、一人、また一人と仲間たちがやられて行く。そして、洞穴に隠れている島民達にも危機が迫り、鬼太郎までベアードの手下になってしまい、全編に緊迫感があふれている。
 戦闘場面で砂かけ婆や子泣き爺の能力をしっかり紹介しているあたりは上手い。

 本話で特筆すべきは後半の展開で、原作で語られた「ブリガドーン現象」の設定は丸々カットされ、単純に鬼太郎達が西洋妖怪を倒して追い払った事になっている。前編冒頭の謀議シーンと対になる改変だが、「ブリガドーン」がわかりにくいと判断されたのだろうか。もしかしたら、当時の技術ではブリガドーン現象の場面のアニメ化に難があったのかも知れないが。

 そして、ラストシーンはハッピーエンドではない。鬼太郎は勝利して島を去るが、死んでいった仲間たちの事を思い、涙を流して「勝ったのにちっとも嬉しくない」と、寂しそうにつぶやく。ねずみ男に「死ななかっただけでもお手柄じゃ」との言葉がかけられるラストシーンと合わせて、戦争の虚しさを上手く描いている。
 まあ、これだけ鬼太郎達が悲しんでいる割には、後の話で死んだはずの仲間が原作同様に何の説明もなく再登場するが、そこは「お化けは死なない」なのだろう。



・第14話「水虎」
(脚本/高久 進、演出/村山鎭雄、作画監督/古沢日出夫)

 話が原作と全然違う。水虎の倒し方以外は、ほぼアニメオリジナルと言える内容だ。
 第1作をこれまで観てきた限りでは、ある程度のアレンジはあっても、基本的に原作を尊重した作りになっていただけに、このような回があったとは、ちょっと驚きだ。

 水虎のデザインも原作とはまるで異なり、思いっきり「虎」そのままの外見をしている。
 この水虎が、封印を解いた少女になつくので、妖怪と言うよりは野生動物に近い印象があったが、鬼太郎との戦いではしっかり喋っており、ちょっと興ざめしてしまった。いっその事、水虎には一切喋らせず「動物」としての描写を徹底した方がよかったのではないだろうか。



・第54話「妖怪ラリー」
(脚本/雪室俊一、演出/勝間田具治、作画監督/落合道正)

 「妖怪大戦争」に出てきたベアードや魔女などに加え、中国妖怪として水虎も登場。
 この水虎、第14話に登場した物とは異なり、「妖怪ラリー」の原作と同じ外見なので、てっきり名前だけ同じの別妖怪かと思ったら、鬼太郎は「そう言えば、前は凍らせて倒したんだったな」と言っており、アニメスタッフは第14話と同じ妖怪として扱っているようだ。このアバウトさは、水木作品らしい。

 本話一番の見所は、実況で喋りまくるねずみ男の名調子だと思う。原作には無いセリフも多いので、大塚周夫氏によるアドリブも結構入っているのではないだろうか。
 また、「妖怪大戦争」ではボスとして威厳を見せていたベアードの小物っぷりも楽しい。ねずみ男に「呼び捨てにするな」と偉そうにしている割には、審判の赤舌には素直に従ってレースをしているあたりは微笑ましい。

 原作では、何故レースをするのか特に説明はなかったが、アニメ版では佐渡島が優勝賞品にされてしまっており、これなら血の気の多い外国の妖怪達が、素直にレースに参加している点も納得できる。話に緊張感も生まれており、上手い改変だ。



 とりあえず、今回はここまで。

 ところで、4~5月に講談社文庫から「少年マガジン/オリジナル版 ゲゲゲの鬼太郎」全5巻が発売された。
 雑誌からの復刻も交えて、可能な限り「少年マガジン」初出時に近い状態を収録しており、これまでの単行本でカットされた扉絵や内容の重複するコマを読む事が出来るし、雑誌ならではの煽り文句もついており、当時の雰囲気を楽しめる点でも嬉しい本だ。「けむしとあそび、ミイラと語る、なぞの少年墓場の鬼太郎!」と言う文句は、妙に味がある。
 アニメ第1作を観つつ、並行して「少年マガジン/オリジナル版」で原作を読むと、放映当時にタイムスリップ出来るような感じで、いい本がいいタイミングで出てくれたものだ。



「ゲゲゲの鬼太郎」第1作感想(2)
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「ボクがもらった幸せ」読了

 おけやあきら著「ボクがもらった幸せ」(牧歌舎)を、昨日ようやく通して読んだ。
 桶谷氏の訃報を知ってからAmazonに注文して、7月4日には届いていたのだが、一気に読みたいと思いつつなかなかまとまった時間がとれず、10日以上も置いてしまった。


 全体の感想を述べると、本書は「優しさと苦しさが一緒に伝わってくる本」だと感じた。
 詩集の形を取ってはいるが、実質的に桶谷氏の自叙伝と言える内容で、誕生から少年~学生時代、脚本家としての仕事、そして末期ガンの宣告を受けての闘病生活までが、桶谷氏の心情と共に描かれている。
 特に、『宣告』以降の闘病生活を描いた部分は、桶谷氏が既に亡くなられているだけに、読んでいてつらかった。中でも『データサルベージ』や『旅立ちの準備』からは、桶谷氏自身が残された時間が少ない事を十分すぎるほど自覚している事が伝わってきて、さらに実際の残りページ数も一緒に少なくなっていくのだから、非常に胸に迫るものがあった。

 本書では、脚本家としての思い出も書かれているが、関わった作品について具体的に触れた部分は多くない。『F先生の空き地』で「エスパー魔美」、『ひとつの奇跡』で「ぶぶチャチャ」、『星力』で「Cosmic Baton Girl コメットさん☆」について書かれている程度だ。
 中でも、藤子ファンとしては『F先生の空き地』を一番興味深く読んだ。藤本先生の言葉が桶谷氏によって語られる事で、より優しく伝わってくるように感じられた。

 また、出身地の鎌倉について書かれた詩もいくつかある。
 鎌倉と言えば、「Cosmic Baton Girl コメットさん☆」の舞台にもなっている土地だ。「コメットさん☆ スター・ダイアリー」での神戸守監督との対談では、桶谷氏は「知りすぎている場所というのも逆によくないかな」と、鎌倉を舞台とするのに抵抗があった事を語っているが、やはり鎌倉で育った桶谷氏が参加していたからこそ「コメットさん☆」が魅力的な作品になったのだと、本書を読んで、あらためて思った。


 正直言って、今はあまり冷静に読む事が出来ないが、桶谷氏の手がけたアニメと同様の「優しさ」が伝わってくる本だと思う。いずれ、落ち着いてからじっくりと読み返してみたい。
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CBCの「コードギアス」STAGE24&25放送が遅すぎる

 ・「コードギアス 反逆のルルーシュ」STAGE24&25の放映日時発表

 「コードギアス 反逆のルルーシュ」レギュラー放送の最終回となったSTAGE 23で「2007年夏放送予定(一部地域を除く)」と予告されていた最終2話の放映日時が、ようやく公式サイトで発表された。
 「一部地域を除く」が気になっていたので、レギュラー放送を行った全局での放映が決まって一安心。各局の放映日時は以下の通り。


  MBS  7月28日(土)  26:25-27:25
  RCC  7月29日(日)  26:35-27:35
  TBS  7月30日(月)  28:00-29:00
  RKB  8月 1日(水)  27:05-28:05
  SBS  8月 2日(木)  26:44-27:44
  HBC  8月 4日(土)  27:10-28:10
  RSK  8月 6日(月)  26:55-27:55
  TBC  8月 7日(火)  26:30-27:30
  RKK  8月11日(土)  26:10-27:10
  CBC  8月13日(月)  26:35-27:35


 とりあえず、製作局のMBSが最速なのは当然か。「アニメシャワー」枠を潰してまで放送するのだから、MBSとしても力を入れているのだろう。
 それはいいとして、問題はCBC。8月13日ってどういう事だ。一番遅い上にMBSから半月遅れとは、あまりにもひどい。とても、レギュラー放送をMBSと同日放映した局とは思えない。

 「ギアス」への注目度の高さを考えると、2週間以上もSTAGE24&25の情報を遮断する事は不可能だろう。
 自分にそのつもりはなくても、ネットを巡回していれば、どこかでネタバレに遭遇してしまう危険性は非常に大きい。実際、STAGE 22の時には、MBS・CBC・HBCでの放送翌朝にはネット上でユーフェミア虐殺シーンのキャプ画像やAAが大量に出回っていた。うっかりTBSの放送前にあれを目にしてしまった関東の人も多かったのではないか。
 STAGE 22は、事前に展開を知っているかどうかで衝撃度が全然違っただろうから、ネタバレを知らずに済んだのは有り難かった。


 こうなると、7月28日は関西の実家に帰省してMBSの放送を観るしかない。
 もちろん、わざわざ帰省しなくても実家で録画して貰うだけで事足りるのだが、7月30日までに郵送が間に合わないと、一番人口の多いTBS視聴組に先を越されてネタバレ遭遇率が上がってしまう。やはり、自分から動くのが一番確実だ。
 しかし、単に「ギアス」を観るだけで帰省するのももったいないので、せっかくだから西宮まで足を伸ばして「涼宮ハルヒの憂鬱」舞台探訪でもして来るか。西宮は実家から近いので、その気になればいつでも行けると思ってしまい、かえってなかなか行く気にならなかったのだが、今回のような一日フリーの時はちょうどいい。


 さて、ここからは本筋とはあまり関係ない独り言。
 最近は、いわゆる「動画投稿サイト」で最新のテレビアニメも多く観る事が出来る。これについては色々と思うところがあるが、法律的な事を考えれば、明らかに問題のある存在だ。
 ここで、あえて法律を全く抜きにして、感情論だけで個人的な気持ちを述べてみると、このようなサイトを利用するにしても、「地上波・BS・CS・公式ネット配信など考え得る全ての手段を尽くしても合法的な視聴は不可能だが、どうしてもこの作品だけは観たい」とか、「毎回欠かさず観てきたが、予期せぬ時間変更でこの回だけ観逃してしまった」と言った理由であれば、少なくとも心情的には理解できる。
 しかし、「うちの地域は最速から1日遅れだけど、どうしてもすぐに観たい」などと言う理由で利用しているような人には、「それくらい我慢しろ」と言ってやりたくなる。このような事を、匿名でなく自分のブログで堂々と書くような人も少なからずおり、はっきり言って神経を疑う。

 今回、「「ギアス」の放送を実家に観に行く」だけのネタで記事を書いたのは、このような放送を待てない幼稚な人への反感を持っていたためでもある。どうしても早く観たいのなら、合法的な手段を使えと言いたい。今回の「ギアス」は単発だが、テレビシリーズにしても、隣県の最速放送を観たいのなら毎週ホテルに一泊するくらいの根性を出せばいいのだ。それができないのなら、自分の地域での放送を待ちましょう。

 それにしても、動画投稿サイトがこんな使われ方をされてしまうのは、全国放送でないアニメが多すぎる事も原因なのだろう。GONZOのように、儲からない責任を動画サイトに押しつけてしまう前に、せめて「らき☆すた」並の放映局数は確保すべきだと思う。
 それでも放映されない地域はあるだろうから、角川のU局深夜アニメなどは、もうちょっと早めにCSにも流して、最低限の視聴手段は用意して欲しい。
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初版本へのこだわりと悩み

 金曜日にボーナスが出たので、昨日は栄~大須方面で色々と買い物をしてきた。
 ある程度気が大きくなっていたせいで、普段なら買う気にならなさそうな物も含めて、結構散財してしまった。


 さて、私が本を買う時には、一つの方針(と言うほど大層ではないが)がある。「なるべく初版を探す」と言う事だ。これは、対象が漫画であろうと小説であろうと変わらない。
 この方針を守ろうとすると、新刊を発売日に買う場合には何の問題もないが、刊行から日が経って、新刊書店には増刷分しか並んでいない場合は古書店を探すしかない。

 しかし、初版を探すと言っても、見つけるまでの難易度は本によってまちまちだ。
 漫画を例にすると、大ヒット作の場合は1巻あたりの部数が多いので、ある程度古い巻でも難なく見つける事が出来る。問題は、それほど話題ではなかった作品が、アニメ化などで一気に注目を集めた場合だ。このようなパターンだと、特に第1巻は初版の部数が少なくて入手が難しい事が多い。
 現在テレビアニメが放映中の「らき☆すた」などは、まさにこの例にあたると思う。

 私は、アニメ化が発表されて、初めて「らき☆すた」を知ったクチだ。京アニが手がけると聞いてどんな作品なのかと試しに読んでみたら結構好みの4コマだったので、とりあえず当時の最新刊だった3巻を新刊で購入した。これが、今年2月の事。
 その後、アニメ放映一ヶ月前に古書店で第1巻初版を発見し、また4月発売の第4巻は発売日に買った。
 最後に第2巻が残ってしまい、これがなかなか見つからなかった。新刊書店にはすでに増刷分しか無いし、アニメ放映開始後は第2巻に限らず、古書店で「らき☆すた」を見かける事すらほとんどなくなってしまった。アニメの放映が終わってブームが収束すると一気に古書店に出回るようになるのだが、それまで待つのはつらいし、本棚に並べて2巻が抜けていると落ち着かない。
 もう諦めて素直に増刷分の新刊を買えばいいのだが、それは何となく敗北感があって躊躇していた。

 そんな訳で、早く2巻も欲しいと思っていたのだが、昨日ようやく発見した。しかも、運良く帯付きだ。私は、本体の状態が悪くなければ帯には特にこだわらないが、付いてればちょっと得した気分にはなる。
 以前に入手した1巻と、新刊で買った3・4巻も帯付きだったので、期せずして全巻帯付きで揃ってしまった。並べてみると、なかなか見栄えがいい。




「らき☆すた」初版揃い。わかる人には帯で見分けが付くと思う



 結局、「らき☆すた」全巻を初版で揃えるのに、半年近くかかってしまった。
 実際に古書で探したのは前半2冊なので、巻数の割には結構手間がかかった方だ。これに比べれば、「DEATH NOTE」全12巻を初版で揃える方がはるかに楽だ。実際にやった私が言うのだから間違いない。「DEATH NOTE」の初版発行部数は桁違いだろうから、今から古書店を回っても比較的容易に揃うと思う。


 それでも、半年かかったとは言え、「らき☆すた」は2冊見つければいいのだから、まだ楽な方だ。
 最近、一番苦労したのは角川スニーカー文庫「涼宮ハルヒ」シリーズを探した時だった。奇しくも、こちらもアニメ版は京アニ制作で、放映枠も同じ。個人的にアニメ化で原作を知ったという点も共通している。
 原作のシリーズ第1作「涼宮ハルヒの憂鬱」は2003年刊行で、アニメ放映開始の時点で既に3年も経っていたし、おそらく初版発行部数はあまり多くなかっただろう。それに、アニメ放映開始後は「らき☆すた」以上に古書店で見かける事は少なかった。
 そんな中、地道に探して昨年中に「退屈」「溜息」「陰謀」の3冊は発見したが、なかなかその後が続かない。特に第1作の「憂鬱」は絶望的と思っていたのだが、今年2月にBOOK OFFでシリーズ既刊全8冊が初版で並んでいたのを発見して、一気に揃ってしまった。おそらく、ずっと愛読していた人がファンをやめたとかの理由で売り払ったのだろう。とにかく、運がよかった。
 こちらは、本を並べて見せても初版かどうかわからないので、とりあえず「憂鬱」の奥付を見せておこう。







 長々と書いてしまったが、結局「なんでわざわざ初版で探すのか」と聞かれると、「ごく個人的なこだわり」としか答えようがない。
 「らき☆すた」3巻で初版ネタがあり、こなたが「最初からその物品を愛蔵しているとゆー“愛の証”なのだよー」と言っており、気分的にはそれに近い。もっとも、実際には「最初から」ではなく後から買っている物も多いので、正確には「最初から持っているように見せたい」と言う見栄を張る気持ちがある、と言う事になる。

 他に、わざわざ初版を探す理由としては、何でもかんでも欲しい本を次から次へと買ってしまわないように「リミッターをかける」意図もある。
 別に節約のために古書店で初版を探すわけではないので、初版にこだわらなければ新刊でいくらでも買えるのだが、おそらくそれだと次から次へと買ってしまい、際限が無くなるだろう。だから、あえて「初版」と言う条件を付ける事で、それを制限しているのだ。


 しかし、最近はちょっと悩んでいる。
 本当に好きな作家、好きな作品であれば、初版にこだわらずに新刊で買って、その作家や作品の利益に貢献したいと思う。学生時代は使える金額に制約があったので、それを節約できると考えて、ある程度割り切った上で古書店で買っていたのだが、今は無理しなくても新刊本を買える収入はあるし、せっかく苦労して初版を古書店で見つけても、全く作者の利益にならないと思うと心苦しい。
 とは言え、さすがに新刊の再版と古書店の初版の両方を買う気にはならないし、またこれまで「こだわり」として続けてきた初版探しを止めるのも寂しいので、今のところは、極力新刊で手に入るものは新刊で買う事を妥協点としている。

 この話題、さらに突っ込んで話し始めると、BOOK OFFなどの新古書店問題に本格的に触れざるを得ないのでこのあたりで止めておくが、ファンの立場としても出来る限り作家・作品の利益となるようにしたい気持ちはあるので、新古書店に反対する作家の気持ちはわかる。何とかある程度の利益が還元される方向になって欲しい。


 ちなみに、私が初版を探すようになったのは中学生の頃で、ある「きっかけ」があったのだが、それについてはいずれまた機会があれば書きたい。
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ゲゲゲの鬼太郎[第5作] #14「鬼太郎死す!? 牛鬼復活」感想

・ゲゲゲの鬼太郎 [第5作] 第14話「鬼太郎死す!? 牛鬼復活」
(脚本/長谷川圭一、演出/角銅博之、作画監督/大河内忍)


 ここの所、アニメ「鬼太郎」の感想を休んでいたが、別に第12話以降を観ていないわけでも、録画ミスをしたわけでもない。
 第12話が個人的に感想を書きにくい内容だったので少し感想を保留にしておいたら、続く第13話は寝過ごして初めてリアルタイム視聴が出来ず、何となく感想を書く気分が盛り上がらなかったのだ。

 しかし、感想を休んでいると色々と書きたい事が出てくるので、そろそろ再開したい。
 ただ、今後は特に書きたいと思った回に絞って、感想を書く事にする。無理に毎回の感想を書いて、単なるノルマになってしまっては私自身がつまらないし、放送も2クール目に入って、そろそろ本シリーズをさらに落ち着いた視点で観るために、よい機会だと思う。

 と言うわけで、今回は最新の第14話を取り上げる。
 なお、今回から記事タイトルの形式を改め、また本文最初にはサブタイトルと主要スタッフを記すようにした。



 さて、第14話は「牛鬼」が登場した。牛鬼のエピソードも今回が4回目のアニメ化となるが、これまでは、鬼太郎が牛鬼を倒す→鬼太郎が牛鬼化→迦楼羅様に祈る→迦楼羅様が牛鬼を封じる、までの原作の展開は、概ね忠実に描かれている。
 もちろん、各シリーズごとに細かいアレンジはあり、たとえば前回の第4作では、鬼太郎と目玉親父の親子の絆にスポットが当てられていた点が特徴と言えるだろう。


 今回は、これまでのアニメ版「牛鬼」と比べると、非常に大胆なアレンジだった。
 まず、牛鬼の性質が全く異なる。人間の「恐怖」を糧として、ねずみ男の記憶を利用して鬼太郎を騙す、完全な「悪の妖怪」として描かれており、単に暴れているだけだったこれまでの牛鬼とは別物と言っていい。
 原作通りだと、最初に牛鬼を倒した後は鬼太郎自身に見せ場はなくなってしまうのだが、今回が牛鬼の意志と体を乗っ取られた鬼太郎の意志が戦う展開となり、最後まで鬼太郎が主人公として描かれている。

 そして、もう一つ大きく違ったのは、迦楼羅様の扱いだ。
 これまでは、村人や目玉親父が祈ると、迦楼羅様が現れて牛鬼退治をしてくれたが、今回は迦楼羅様の登場については最後まで引っ張る事で、鬼太郎が本当に助からないのではないかという緊迫感が出ていた。
 また、その一方で原作やこれまでのアニメを知っている身としては、もし迦楼羅様抜きで鬼太郎が助かってしまったらどうしようと、別の意味でドキドキさせられる展開でもあった。
 「牛鬼」のエピソードのキモは、鬼太郎ですら倒せない牛鬼および、その牛鬼を封じ込める迦楼羅様を登場させる事で、鬼太郎が絶対的なヒーローではないと描いている点なのだから、迦楼羅様抜きでこの話は成り立たない。
 結果的には、ちゃんと迦楼羅様は登場したが、引っ張った割にはあまりに出番が少なくて、逆に驚いてしまった。


 これらのアレンジによって、本話での鬼太郎は最後まで自分の意志で戦う、主人公らしい存在となったが、牛鬼と戦う鬼太郎の意志がはっきり描かれてしまった事で、「牛鬼」のエピソード特有の絶望感は感じられなかった。
 迦楼羅様の登場を終盤まで引っ張ったのは、代わりに絶望感を出させるためなのかもしれないが、村人や目玉親父が必死で祈っても助けてくれなかったのに、「よい友を持ったな」の一言で片付けられてしまっては、もったいぶって出てこなかっただけのように感じてしまう。
 この点については、ねずみ男が「人間に愛想を尽かしてしまったんだろうな」と言っていたが、封印を解こうとした村長の孫などをもっと掘り下げて、人間の愚かさがしっかり描かれていれば、また印象が変わっただろう。


 本編前半、無人となった村の不気味さや、圧倒的な牛鬼の邪悪さは魅力的だったが、中盤以降の展開には不満が残り、ちょっと残念なエピソードだった。
 ただ、第9話の「ゆうれい電車 あの世行き」にも言える事だが、散々アニメ化され尽くした感のあるエピソードを、敢えて新たなアイディアでアレンジしようとする姿勢は評価している。今後も、これまでの「鬼太郎」を知る者・知らない者の両方を楽しませてくれるような作品に期待したい。
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