『映画ドラえもん のび太の 南極カチコチ大冒険』感想

 3月5日に、今年のドラえもん映画『映画ドラえもん のび太の 南極カチコチ大冒険』を観てきたので、今年も例年通りに感想を書いておく。例によって、思いっきり筋やネタを明かしている部分があるので、その点はご注意下さい




 と言うわけで、本題に入る。
 今年の映画は、劇場用オリジナル作品だったわけだが、全体の感想から書いてしまうと、かなりよかった。今までのオリジナル作品の中では『のび太のひみつ道具博物館』が一番よかったが、今作は『ひみつ道具博物館』に並ぶレベルの出来だったと思う。
 しかも、『ひみつ道具博物館』とは、違う方向性で勝負している点で非常に大きな意味がある。『ひみつ道具博物館』は、事件がすべて博物館という閉じた世界の中で起きる作品だったが、今作は南極という大きな世界で起きる世界の危機を描いた物語であり、スケールの大きさという点で見応えがあった。

 今作でよかった点を挙げていくと、まずは「かなり藤子・Fらしさが出ていた」と言う点がある。
 『ひみつ道具博物館』は面白かったのは確かだが、レアメタルの設定をはじめとして、従来の原作や大長編ドラでは存在しなかった新設定をたくさん取り入れており、どちらかというと「ドラえもん百科」的な面白さだった。
 それに対して、今作は物語の芯となるタイムパラドックスの手法をはじめとして、道具の使い方やゲストキャラの設定などが、かなりF作品っぽいのだ。特に、タイムパラドックスをここまで本格的に扱ったのは、映画オリジナルのドラえもん映画では初めてのことであり、大いに評価できる。正直なところ、幼児層にはわかりにくいのではないかと心配すらしてしまった。いや、それは幼児を見下しすぎなのかもしれないが。

 話はそれるが、私は幼児の頃に旧作の『のび太の恐竜』からドラえもん映画を観ているが、ストーリーが難しいと思ったことは一度もない。その理由は、映画だけでなく公開と同時に発売されたカラーコミックスの大長編原作(「映画まんがドラえもん」と表記)を何十回、いや何百回と読み返していたせいなのだろう。映画自体はテレビ放送を入れても2回観たら終わりだったから、私にとっての映画ドラえもん幼児体験は「カラーコミックスの大長編原作」であると言える。
 それに対して、仕方がないのだが今作は映画オリジナル作であり、原作がない。いくら面白い作品でも、気軽に読み返せるマンガ媒体がないと、作品世界に浸れないのではないかと、勝手に心配してしまう。考えすぎかな。

 少し脱線してしまったが、今作のいいところは他にもある。特に印象的だったのは、「ひみつ道具の楽しさ」だ。氷ざいくごてを使う時の氷の動きの面白さ、ここほれワイヤーをこすった時の反応、ピーヒョロロープを犬ぞりの犬にするという意表を突いた使い方など、観ていて「この道具を自分も使ってみたい」と思わされる場面が実に多かった。個人的には、一本で何でも出来るようになっていた氷ざいくごてが特に面白かった。ビョーンと氷が動くのが見せられるのは、アニメーションならではの面白さだろう。

 さらに、今作でよかったのは、盛り上がる場面が一つではなかったため、観ていてだれることがなかったという点もある。
 具体的にいえば、偽ドラえもんとの対決と、ブリザーガとの最終決戦と、2回クライマックスがあったと言える展開であり、両方とも一つの映画のクライマックスとして使える展開であることを考えると、実に贅沢な作りだった。
 そう言えば、あの偽ドラえもん、声を大山のぶ代がやっていればある意味でさらに盛り上がったのではと言っていた人もいたなあ。大山さんが現在やれる状態かどうかは別にして、個人的にはそれはやり過ぎだと思うが。それに、声を富田さんがとか、野沢さんがとか言い出すと『ドラえもん』の場合はきりがないからなあ。


 と、よい点の多かった今作だが、気になった点もないではなかった。そういうところについても、書いておこう。

 まずは、冒険の導入が少し弱く感じた点。「リングを持ち主に返す+幻の先住民(アトランティス人?)を探す」と言う動機付けはあるが、いきなり南極で大冒険するにしては、いささか弱いのではないかと思ってしまった。もう一つ、のび太たちの背中を押す「何か」が欲しかったところだ。

 そして、ゲストキャラの印象も若干薄い。カーラもヒャッコイ博士(作中で名前が出なかったような)も悪いキャラではないのだが、やや類型的なキャラになってしまった感はある。かと言って、あまり博士をエキセントリックにしすぎると『ひみつ道具博物館』のペプラー博士みたいになってしまうだろうから、難しいところではあるのだが。
 パオパオについては、十分可愛らしく描けていたと思う。個人的には、アニメ『ジャングル黒べえ』での水鳥鉄夫氏の演技が印象的なので、最初はおっさん声でないパオパオにはちょっと違和感があったが。
 また、今作にパオパオが登場したことで、コーヤコーヤ星とヒョーガヒョーガ星の関係とか、色々と気になる点が出来てきた。おそらく、お互い生物が行き来している星とかの裏設定がありそうだ。ともかく、パオパオが単なるゲストマスコットキャラにとどまらない活躍をした点は、オールド藤子ファンとしてもうれしいことだった。モフスケ=ユカタンについては、色が変わった理由をちゃんと用意しておいてほしかったかな。「10万年の冬眠で色が変わってしまったのだろう」だけでは、ちょっとなあ。声も変わっているし。

 気になった点を挙げると、こんな所か。まあ、私の中では「よかったところ>気になったところ」なので、作品としては全体的に楽しめたのは間違いない。オリジナル作品と言うことで敬遠している人もいるかもしれないが、『ひみつ道具博物館』を気に入った人であれば、今作は観ても損はない作品だと思うので、ここでお薦めしておく。


 ところで、ちょっと気が早いが、来年の映画ドラえもんについても触れずにはいられない。
 おまけ映像を観た人なら、百人中の百人が来年の映画は『のび太の南海大冒険』のリメイクだと思ったことだろう。もちろん、私もそう思った。そう見せかけての別の何か(オリジナル作品?)と言う展開も全くないとは言い切れないが、『海底鬼岩城』『南海大冒険』『人魚大海戦』と、海を舞台にした作品がこれだけある中で、リメイクではなくまたしても海の冒険をテーマにするとは考えにくい。それに、ドラえもんが海賊風の格好をしていたし。

 来年が『南海大冒険』のリメイクであるという前提で話をすると、「どん底からの出発」である分、ある意味やりやすいかもしれないし、またスタッフの手腕が本当の意味で問われる作品にもなりそうだ。リメイクで面白くなって当然の作品を、どこまで面白く出来るかというのは、腕の見せ所だろう。
 来年の監督はスタッフクレジットから判断して今井一暁氏か。これまでは、テレビシリーズの演出家として活動しており、もちろん映画ドラえもんは初監督だ。はたして、どのような『南海大冒険』を見せてくれるのか、ある意味では非常に楽しみだ。

 と、ここまで書いておいて、来年が『南海大冒険』のリメイクではなかったらどうしよう。その時はその時で、やはり出がらしになった感のある「海の冒険」をどうするか、という点での楽しみはある。いずれにせよ、特報の第一報を待ちますか。
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『映画ドラえもん 新・のび太の 日本誕生』感想

 遅ればせながら、今年のドラえもん映画『映画ドラえもん 新・のび太の 日本誕生』を昨日、観てきた。
 今年も、例年通りに感想を書いておきたい。いつも通り、思いっきりネタを割っている部分があるので、その点はご注意下さい


 今年の映画は『ドラえもん のび太の日本誕生』のリメイク版。なので、まずは元祖『日本誕生』について、触れておきたい。
 正直に書いてしまうと、オリジナルの『日本誕生』については、私はあまり思い入れが無い。『ドラえもん』映画10周年として、はじめて藤子・F・不二雄先生が「制作総指揮」としてクレジットされた作品であり、力が入っていることは観ていて伝わってきたのだが、内容的には特に初期の7作品(『のび太と鉄人兵団』までの作品)と比べると、冒険の動機やゲストキャラとの友情描写についてはやや弱く、結末もタイム・パトロールが助けておしまい、と言うことであっけなく、あまり印象に残らない作品だった。
 これは、別に『日本誕生』だけに言えることではなく、残念ながら私にとってはこれ以降の作品は、たとえ藤本先生の原作があったとしても、私にとっては似たり寄ったりの印象だったのだ。小学生の時にリアルタイムで映画館で観た初期7作への思い入れの強さは別格的な者であり、これらに比肩する作品は、今後も無いのだろうと思う。
 もちろん、これはあくまで私個人の思い入れであり、世間的にどうと言う評価とは全く関係が無い。私より少し下の年齢層の方々には、この作品が大好きな人も多いようで、やはりファーストインパクトによる思い入れの強さというのはあるのだなと思う。

 長々と、旧作について語ってしまったが、それでは今回の『新・日本誕生』はどうだったか。これが、なんと先ほど挙げた旧作の気になる点の多くが改善されており、非常に見ごたえのある作品になっていたのだ。
 色々と良かった点はあるが、その中でも一番よかったのは、クライマックスのトコヤミの宮でのギガゾンビとの対決が、ククルたちヒカリ族も含めた総力戦であり、単にタイムパトロールが助けて終わり、ではなくなっていた点だ。この変更により、後半の展開は非常に見ごたえが生まれた。ククルの、ある意味超人的とも言える活躍には賛否両論あるかもしれないが、原始人と言うことを考えれば、あれくらいは描いてしまってもいいのかな、と思った。さらに、原作のラストページ1枚絵(単行本化時の描き足し)についても、エンディングアニメの中で映像化されていたのはよかった。旧作の制作時には存在しなかったラストシーンなだけに、その意義は大きい。

 と、ほめるだけでは何なので、残念だった点についても書いておくか。一番残念に思ったのは、ツチダマの「怖さ」が薄れてしまった点。これについては、旧作の方が不気味さが良く描かれていて、勝っていたように思う。今回は、ツチダマの種類を増やしたのはよかった(「ハート型土偶」がモチーフの奴までいたのには笑った)が、その反面一体一体の怖さについては薄れてしまったのでは無いだろうか。
 後半戦のボリュームがアップした反面、ドラえもんたちとヒカリ族との交流場面が一部カットされたのも、心暖まるシーンだっただけに残念と言えば残念。やはり、なにかを重視すれば、その分ほかの何かを切らざるを得ないと言うことか。

 毎年、気になるのはゲスト声優だが、ククル役の白石涼子、ギガゾンビ役の大塚芳忠、ともに好演していた。そう言えば、今回はギガゾンビの本名は明かされなかったな。旧作では「山田博士」で、ずっこけたものだったが。
 本業声優でない人の起用については、毎年ある意味バクチになるものだが、今回の「ウンタカ!ドラドラ団」の面々は、荒っぽくてそれほどセリフも多くないクラヤミ族役と言うことで、棒読み気味でもまあ問題なかったと思う。エヴァを出演させなかったのは英断。出していたら、『新・宇宙開拓史』のクレムの悲劇再びだったろうな。そう言えば、ツチダマが男性の声優というのは意外だったが、旧作と比較して、面白い配役と言える。


 以上、1回観ただけでの現状で、ざっと感想を書いてみたが、この映画はまた観返したいと思える作品だったので、時間があればもう一度、二度と劇場に足を運びたい。それで、再見すれば一度の鑑賞では気がつかなかった、スタッフの「こだわり」が見つけられそうな気もする。
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『映画ドラえもん のび太の 宇宙英雄記(スペースヒーローズ)』感想

 今年のドラえもん映画を観たのは3月8日。あっという間に二週間も経ってしまった。
 この二週間の間、今回の映画の感想をどう書こうかと悩んでいた。いっその事、今回はやめておこうかとも思ったのだが、これも大事な毎年の習慣だと思い直して、一応例年通りに書くことにした。
 と、言うわけで感想を書いていく。いつも通りに思いっきりネタを割っている部分があるので、ご注意願いたい



 まず、今回の映画は私にとって面白かったのかつまらなかったのか。こう聞かれたら、「どちらでもない」と答えるしかない。それだけ、「面白さ」という点では微妙だった。部分部分の映像は決してつまらない物ではないのだが、映画全体の印象として振り返ると、「ここが面白かった」挙げたいところがこれと言って思い浮かばないのだ。
 では、本作は出来が悪かったのか。これについては、決してそんなことはなかったと言っておく。映像は力が入っていたし、ストーリーとしてもいくつかの過去のオリジナル作品で見られたような構成の破綻もなく、しっかりと作られていた。

 じゃあ、なんで私には印象が薄いのだろう。この二週間、これについて色々と考えたが、要するに私が作品のターゲットではなかったと言うことではないか。つまり、本作はいい意味で徹底的に子ども向けに作った作品なのだと思う。
 振り返れば、ハッキリと子ども向けだとわかる要素は、たくさんあった。単純明快なストーリー、わかりやすい下のギャグ(のび太のパンツが脱げる)、しつこいくらいに繰り返された伏線(のび太のあやとり技)、などなど。これらの要素は、子どもの心をつかむためのものだろう。
 思えば、これまでの映画ドラえもんは、子ども向けで有りながら、大人も楽しめる作品に仕上がっているものが多かった。藤子・F・不二雄先生の原作があった作品は当然のことだが、F先生没後のオリジナル作品についても、出来はともかくとして、「子どもも大人もたのしめる」を意識したと思われる作品が大半だった。
 しかし、今回はそうではなかった。これは、映画ドラえもんにとって非常に大きな転換点なのかもしれない。もちろん、純粋な子ども向け作品だから手を抜いていると言う事は無く、子ども向けに徹するなら徹するで、それはまた非常に難しいことだと思う。来年以降の映画ドラえもんがどうなるのかは今はまだわからない。とりあえず、来年は『のび太の日本誕生』リメイクである可能性が高いので、今年とはまた違う路線の作品になりそうだ。

 と、言うわけで本作については、あまり書くことがない。とりあえず、のび太のあやとり技については、くどかった割には大したことが無くて拍子抜けだった。もう一回観れば視点が変わって楽しめるのかも知れないが、これについては正直なところ、ちょっとどうするか迷っている。つまらなくはないんだし、あと一回くらいは観ておいてもいいかなあ。


 さて、作品全体の感想とは別に、今回のゲスト声優についても書いておこう。
 とりあえず、バーガー監督は能登の無駄遣いだったと思う。せっかくの能登さんのテレビ・映画通じて初めての『ドラえもん』出演があのキャラだったのは、本当にもったいない。今度は、普通にセリフを喋るキャラで、またいつか出演していただきたいものだ。
 井上麻里奈のアロンは好演だった。こちらも『ドラえもん』は初出演だったはず。今度は女の子役での出演を希望。
 いわゆる「芸能人ゲスト」の三人については演技を危惧していたのだが、意外にも三人とも本職の声優に混じっても遜色のない演技だった。こう言う人たちが毎年選ばれるのなら、芸能人ゲストも気にならなくなるのだがなあ。昨年のスピアナ姫はひどかった。

 あと、気になったのはゲストキャラクターのデザイン。アロンが「流れ星ゆうどうがさ」の遭難宇宙人からというのは特に気にならなかったが、ハイドが「なくな!ゆうれい」のゆうれいと言うのはやめて欲しかった。人のいいゆうれいなだけに、ハイドとはキャラのギャップを感じてしまった。


 と、言ったところで今回の感想は終わりかな。あ、一つまだあった。エンディング主題歌の「360°」が、テレビでエンディングとして流れていた「映画ドラえもん35周年スペシャルバージョン」ではなかったのは、残念。ドラえもんやのび太たちの声が入って賑やかで楽しかっただけに、映画でも期待していたのだが。その点、オープニングがキャラクターバージョンだったのはよかった。
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『映画ドラえもん 新 のび太の大魔境 ペコと5人の探検隊』感想

 当エントリは、映画のネタばらしを含みます。未見の方はご注意下さい。



 今年の映画ドラえもんは『のび太の大魔境』のリメイク。久々の原作付き、それも初期の作品と言うことで、いったいどんな映画になるのか楽しみ半分、不安半分だった。過去のリメイク作の傾向からして、何かしらのアレンジ要素があるものと思っていたからだ。しかし、実際に観てみると、「原作」に対して非常に誠実な態度で作られた作品だと感じさせられた。
 だから、今回の映画で一つキーワードを挙げるとしたら、「原作通り」を推しておきたい。とにかく、原作に忠実な部分が多いと言うことが一番印象に残った。原作は大長編の中でも初期の作品なので何十回、下手したら何百回と読んでおり、セリフ回しは大部分が頭に入っている。今回の映画では、セリフを聞いていて頭の中で「次のセリフは○○だな」と思っていると、大部分はその通りだったので、観ていて非常に心地よかった。

 もちろん、全てが原作通りというわけではない。細かいところではいくつかアニメオリジナルの場面も見受けられた。個人的に一番驚いたのは、のび太たちが「変身ドリンク」でイモ(だよな)に変身したところ。まさか、あんな使い方が出来るとは、驚くほかない。他にも、偶然の要素があったとは言え、電光丸の力なしでのび太がサベールに勝ったのも意外だった。旧作映画同様にペコに花を持たせる展開になるのではと予想していたのだ。
 特に、犬の国に入ってからはオリジナルの場面がいくつかあった。だが、それらも主に原作を補強するものであり、まるで原作と関係なく付け加えられた場面ではなかった。それ故に、全体としての感想は「原作に忠実」と言うことになるのだ。

 また、ここで特に取り上げておきたいのは、終盤の挿入歌が流れたシーンだ。旧作を観ている人には言うまでもないことだが、旧作でもやはり挿入歌「だからみんなで」が流れた名場面だ。それだけに、今回はどのような演出になるのかと楽しみにしていたのだが、ここは旧作とほぼ同じ内容だった。違いを挙げるとしたら、歌が変わっていることくらいだろうか。原作もそうだが、セリフは一切なく、歌で盛り上げるという手法が受け継がれたことになる。
 この場面、原作大長編でも「だからみんなで」の歌詞が出てくるのだが、実は初出版では歌詞は出てこない。この場面の歌は、旧作映画での挿入歌使用が、てんコミでの描き足しで原作に逆輸入されたのだ。だからこそ、今作での演出に注目していたのだが、変わらなかったのはちょっと残念だ。それだけ、この場面は旧作映画の完成度が高いのだとも言えるが。今回の挿入歌「友達」は、なかなかいい歌だった。


 このあたりで、今作について気になった点も書いておこう。
 今作の上映時間は109分だが、それだけの時間を保たせるには、いささか演出に間延びしたところがあった。はっきりと、どこがそうだとは指摘しにくいのだが、メリハリが少し足りないというか。旧作の上映時間は92分とかなり短いが、それだけ中身が締まっていたように思う。
 原作に忠実であるが故に、先の展開までわかってしまってうこととなり、そのため特に終盤では観ていて少しだれてしまった。「もう少しアレンジがあればな」と思ってしまったのは、贅沢なことだろうか。事前の予想では、「10人の外国人」「のび太対サベール」あたりは大胆に変えるのではと思っていた。

 また、最近なくなっていた、アフレコ素人の重要な役へのキャスティングが復活してしまったのは、実に残念。いうまでもなく、スピアナ姫のことだ。それに対して、小栗旬のサベールは冷酷な剣の達人を見事に演じていて、よかった。ゲスト声優では、ペコ役の小林ゆうもさすがの演技だった。


 とにかく、今回は「原作に忠実」。それが記憶に残る作品だった。わさドラ9年の歴史で、ここまで原作通りだった映画は間違いなく初めてだ。それだけに、ある意味では新鮮でもあった。
 次回作は、おまけ映像を観る限りではアニメオリジナル作品のようだ。はたして、『ひみつ道具博物館』に続く快作となってくれるのか、来年も見逃せない。
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『映画ドラえもん のび太の ひみつ道具 博物館』感想

 今年のドラえもん映画、『映画ドラえもん のび太の ひみつ道具 博物館』の公開が始まって、十日が過ぎた。
 私は、藤子ファン仲間達と一緒に初日に観に行き、さらにメンバーが替わって二週目の3月17日には2回目を観てきた。と、この事でわかると思うが、私は今回の映画は気に入った。素直に「よかった」と言える出来だったと思う。「よかった」と言っても、「大ピンチ!スネ夫の答案」ののび太のように、「十点!」のよかったではない。どちらかというと、出木杉やしずちゃんの点に近いレベルでの「よかった」だ。少なくとも、大山時代を含めた映画オリジナル作品の中では、一番の出来だったと言い切れる。もっとも、これまでの映画とは作風がかなり違うので、単純な比較は難しいのだが。

 ここからは、具体的な感想に入るが、例年通り思いっきり映画のネタばらしをしており、特に今回は推理ものとしての側面もあるので、未見の方はご注意いただきたい




 まず、今作で一番よかったのは、一つの作品としてストーリーの骨格がしっかりしていた事だ。何を当たり前のことを、と思われるのかも知れないが、わさドラになってからの映画オリジナル作品で、一番致命的だったのがストーリーの意味不明さだった。詳しくは、当ブログの過去作品の感想(緑の巨人伝人魚大海戦奇跡の島)をお読みいただければ、おわかりいただけると思う。過去作とは違って、今回はひみつ道具博物館で怪盗DXと対決して、さらには太陽製造機の危機を救うと言う流れが自然に繋がっていた。
 基礎となるストーリーがしっかりと出来ている中で、見どころがたっぷり用意されており、105分の間、飽きない映画となっていた。

 そんな今作の一番の見どころは、何と言っても数多く登場するひみつ道具だろう。子供はもちろんのこと、いい年をした大人にとっても「こんなところにあの道具が!」という楽しみ方が出来るようになっており、私も二度の鑑賞で画面を可能な限り隅から隅まで観るようにしたが、それでも見逃している道具は多数あるだろう。個人的に好きな道具である「ばくはつこしょう」と「はなバルーン」を重点的に探してみたのだが、残念ながら見つからなかった。まあ、仮にばくはつこしょうが画面の隅にでも出ていたとして、「容器に入ったくすぐりノミ」と見分けが付かないような気もするが。
 それはともかく、道具に関しては、監督が『ドラえもん ひみつ道具大事典』を読み込んだと言うだけあって、非常にマニアックな道具も多く出てきて、マニア心をくすぐられた。そもそも、ポポンの元になったのが「ナカミスイトール」と言うのもかなりマニアックだ。
 二つ目の見どころは、怪盗DXとその正体を巡る推理ものとしての要素だ。『ドラえもん』で推理ものをやると知った時にはどのようなものになるのか不安があっったのだが、比較的フェアに伏線が張られており、推理ものとして納得できる出来だ。2回目の鑑賞時には、伏線描写を重点的に観直してしまった。コピーロボットを使うのはずるいという意見もあるかも知れないが、スネ夫とジャイアンがイケメンコピーロボットを使う描写を入れることで、「コピーロボットという道具が存在すること」はちゃんと描かれているので、問題はないと思う。
 三つ目の見どころは、アクションシーンだ。中盤に怪盗DXとの対決でひみつ道具軍団のアクションがあり、さらにクライマックスでは太陽製造機の制御とドラvsガードロボの戦いが並行して描かれており、特に後者は非常によく動いて実に見応えがあった。昨年のワーワー言って走り回っているだけの最終決戦とはえらい違いだ。監督が違うとこうも変わると言ういい例だ。

 さらに、今年はゲストキャラとの空々しい「友情」が無理に描かれていないものよい点だった。
 もちろん、ゲストキャラとの友情を育む過程がしっかり描かれているのであれば問題がないが、『人魚大海戦』や『奇跡の島』などは出会って一日か二日しか経っていない相手との間で、取って付けたかのような強い友情が描かれており、非常にわざとらしく感じた。
 それが、今回はゲストキャラではなくのび太とドラえもんの友情をあらためて描くと言う方向に持っていったのは、映画ドラえもんでは新鮮であり、ごく自然に描かれていたと思う。特に、ラストシーンの「ぼくのクツの中?」というのび太のセリフは、それだけでドラえもん(及び、映画の観客)には全てが伝わるように出来ており、非常にいいセリフだった。これに限らず、今作ではしゃべりすぎや無駄な描写は少なく、これが監督やスタッフのセンスを感じる作りとなっている。
 また、作画面では、これまで気になっていた不安定な線がほぼ無くなってスッキリして、テレビシリーズの作画に近くなったのもよかった。これは、テレビ版のキャラ設定・総作画監督を務める丸山宏一氏の参加に拠るところが大なのではないかと思うが、どうだろうか。


 ここまで、この作品のいいところについて述べてきたが、突っ込みどころが無いというわけではない。それを無視してはフェアではない気がするので、ここで挙げておく。
 まず、誰しも「それは無理だろう」と思うであろう点は、クライマックスでのポポンの活躍だろう。ソースカツ丼を吸い込んだだけで煙とネジを吐いていたのに、あのような巨大なエネルギーの固まりを処理しきれるとは、到底思えない。あえて、インパクト&勢い重視で押しきったのかも知れないが、個人的にはあそこでもうワンクッションおいて、納得できるような描写をして欲しかった。
 もう一つ、シャーロック・ホームズセットの効果が原作短編と異なるのも、気になるところではある。大長編原作でも『魔界大冒険』では「石ころぼうし」の効果が違っていたり言う例もあるし、今回は別に妥当な道具があるとも思えない(「連想式推理虫メガネ」は、まわりくどい)ので、仕方のないところかなとは思う。
 他には、ドラえもんの鈴が無くなると猫化する設定や、ジャイアンとスネ夫が小さくなったのはストーリー上あまり意味がなかったように思う。前者は、怪盗ドラックスになった時のアクションシーンあたりで使いどころがあったのではないかと思うのだが。後者は、単にドアを開けるだけでは活躍としては物足りない。

 さらに言ってしまうと、今回の映画は面白かったが、藤本先生の描いた大長編原作やその映画版とは明らかにテイストが異なる。あまり好きな言葉ではないが、「同人臭がする」映画になっていると思う。言ってみれば、方倉陽二先生の『ドラえもん百科』のように、『ドラえもん』という作品を元に、新たな世界観を作りだした作品とでも言うべきか。それがつまらなければ目も当てられないが、今作はキャラクターも話も魅力的に出来ていた。
 ひみつ道具博物館やフルメタル・ぺプラーメタルの設定、それにゲストキャラの性格やノリなどは、藤本先生が描きそうにないものではあるが、第三者の創り出した新たな設定・キャラとしては面白い。これらの設定や、全編ギャグに満ちたノリを受け容れられるかどうかに、この作品を好きになれるかどうかがかかっていると思う。


 と、ここまでダラダラと書き連ねてきたが、あらためて全体のまとめとして言えるのは、この映画が『ドラえもん』でなくては成立しない話であった点が何よりよかったと言うことだ。またもや過去のオリジナル大長編を例に挙げるが、昨年の『奇跡の島』は、『ドラえもん』でなくても作ろうと思えば出来る話で、それだけに観ていてつらいものがあった。それに対して、今回はひみつ道具のオンパレードで、どこからどう見ても『ドラえもん』の映画でしかあり得ない作品であり、それが故に観ていて心地よかった。
 また、今回は主題歌がストレートに主題歌らしい曲だったのもよかった。サビの「ミュージアム」の繰り返しは、聴いていて心地よい。子供にとっても、覚えやすい曲だろうと思う。昨年までと違って、ポップで楽しくなるような曲調も、作品によく合っていたと思う。



 今回の映画ドラえもんは、巨大な敵は登場せず、舞台はほぼずっと博物館の中と、これまでの作品の定型パターンを見事に壊した。
 はたして、今後もこのような楽しい作品が生み出されるのかどうかはわからないが、少なくともドラ映画の未来に対して希望を持てるようになった。それだけでも、本作の功績は大だ。
 とりあえず、来年は『のび太の大魔境』のリメイクのようなので、オリジナル作品の真価は再来年以降に問われることになるが、はたしてどんな作品が飛び出すのか、楽しみに待っていたい。




3/21追記

 昨日、書きたいことは書き尽くしたように思っていたが、この記事を読み返して、声優について触れていないことに気が付いた。
 結論から言うと、声優は皆よく演じていてまったく問題がなかった。それ故に、本文で触れるのを忘れていたのだと思う。松平健のマスタード警部は、テレビのミニコーナーでの演技に少したどたどしさを感じたのでちょっと不安はあったのだが、映画本編ではズッコケ警部を上手く演じていた。そう言えば、テレビ版で使われていた、語尾に「マスタード」と付ける警部の口癖は、映画本編では無かった。正直言って口癖にしては無理があると思っていたので、無くなってよかった。
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映画『ドラえもん のび太の人魚大海戦』感想

 先日、ドラえもん映画の新作『ドラえもん のび太の人魚大海戦』を観てきた。
 今回は、短編原作をベースにしたオリジナル作品であり、この手法で制作された作品は、アニメドラのリニューアル後に限ると2008年の『ドラえもん のび太と緑の巨人伝』に続く2作目となる。

 最近のドラ映画は、2008年の『緑の巨人伝』は後半が意味不明の展開、昨年の『新 宇宙開拓史』は原作と登場人物がひどく改悪されていたと言った有り様だったので、オリジナルだろうとリメイクだろうと映画新作に期待してはいけないと思うようになっていた。
 だから、今年の『人魚大海戦』を観るにあたっては、期待値を低くするどころではなく、全く期待しないでおいたのだが、それでもなお「チケット代と映画を観た時間をムダにしてしまった」と、観た事を後悔せずにはいられない作品だった。


 ここから、映画の具体的な感想を書いていくが、正直言って今回はどう感想を書いていいものか困った。
 同じオリジナル作品と言う事で『緑の巨人伝』と比較してみると、『緑の巨人伝』は渡辺監督の作家性が出過ぎて、映像の「見せ方」に力を入れすぎたが故に、後半の展開が意味不明になってしまったのだと感じた。それに対して、『人魚大海戦』は監督をはじめとするスタッフが何をやりたいのか、よくわからなかった。部分部分については「こう見せたいのだろうな」と言う意図は分かるし、『緑の巨人伝』のように「今、何が起こっているのか理解できない」と言うような事はなかった。しかし、全体の話の流れは非常にチグハグで、一本の映画として何をやりたいのかが伝わってこなかった。

 結果として、作品全体としての印象は散漫で、鑑賞からまだ一週間も経っていないのに、どのように感想を書いていいかわからなくなったというわけだ。『緑の巨人伝』は、意味不明だが映像としての印象は強かった。つまり、私にとって『緑の巨人伝』は「積極的に批判したくなる失敗作」で、それに対して『人魚大海戦』は「批判する気も起こらない失敗作」と言える。
 だからと言って、これで感想を終えてしまっては、「具体的に何が悪いのかも指摘できない者に、批判する資格はない」と言われてしまうので、思いつくままに順不同で今回の映画の不満点を述べていく。

 まず、何と言っても最も残念なのは「伏線の放り投げ」だ。所在不明の伝説の剣や、その鍵となる五つの星などの重要そうな設定を仕込んでおいて、「祈ったら剣が出てきました」なのだから脱力してしまう。しかも、なぜか都合よく前線に出てきていた敵の親玉の前に剣が出てくるのだから、ご都合主義にしてもあんまりだ。
 さらに、伝説の剣は「宇宙を支配できる」ほどの巨大な力を持っており、だからこそ人魚族も怪魚族も手に入れようとしていたはずなのに、ドラえもんの出した「名刀「電光丸」」にあっさり負けてしまうのだから、開いた口がふさがらない。
 そもそも、人魚族・怪魚族を異星人としてSFっぽい設定にしている割には、物語のキモである剣に関する描写が完全にオカルトになってしまっているのはいただけない。オカルトっぽい描写があっても、きちんと(作品内の設定としては成り立つ)説明をして納得させられるのが『ドラえもん』ではなかったのか。

 また、後半で描かれた人魚族と怪魚族の戦闘は全く緊張感がなく、観ていてあくびが出そうになるほどだるい映像だった。
 こんな事になっている一番の原因は、演出の見せ方が悪いという事なのだろう。緊迫感を出すべき最終決戦の場面でドラ・ドラミの黒焦げなんてギャグを入れても逆効果だ。
 さらに、登場人物全員が非常に頭が悪く、突っ込みどころ満載のボケた行動をとっていたのもよくなかった。「女王から全権を任された」ソフィアが先頭に立って白兵戦を行うのも不自然だし、それに合わせるかのように敵のボス・ブイキンまで出張ってくるのも変だ。ブイキンにあまりにもボスとしての貫禄がないので、後ろには真の親玉が控えているのではないかと勘ぐってしまったが、そんな事もなく話が終わったので、拍子抜けだった。

 とどめに、何ら共感できない「友情」「涙」の押し売りには、完全に白けさせられた。ソフィア姫とは一緒に遊ぶ場面が描かれていたので、友情を描いても
まあ不自然でないが、のび太達とは何らいい関係にはなかったハリ坊との友情が唐突に描かれたり、ずっと厳しかった女王が前触れもなくソフィアに「愛しています」と言ったりする場面には呆れた。言葉にすればその場面に説得力が出ると言うものではないだろう。
 過去の作品を引き合いに出す事はしたくないのだが、あえてここでは触れておこう。『ドラえもん のび太の大魔境』で、ジャイアンがペコと共に敵地に乗り込もうとして、結局全員がまた一緒になるまでの場面とは、悪い意味で好対照だった。『大魔境』のこの場面では、主題歌「だからみんなで」が流れており、セリフは全くない。しかし、画面を観ていると、自然とジャイアンやのび太達の心情が伝わってくる。原作も含めて、初期大長編の中でも屈指の名シーンの一つだ。そのような場面を過去に観ているからこそ、今回の口先だけで感動させようとするシーンのオンパレードにはがっかりして、またうんざりさせられた。


 他にも、いい加減「あったかい目」はしつこくて鬱陶しいとか、ハリ坊やトラギスはいらないとか、架空水の影響の仕方が一定でないとか、怪魚族はそれほど特に「醜い」とは思えないとか、フエルミラーで何で色違いものもが出てくるんだとか、突っ込みどころはたくさんあり、挙げていったらきりがない。
 今回の作品は、残念だが子供だましの域にすら達していなかったと思う。もちろん、子供向け映画は真摯に子供に向き合って作られた作品が一番で、なおかつ大人も楽しむ事が出きれば言う事無しなのだが、それが出来ないにしてもせめて子供だましレベルにはしてほしかった。
 最後の新作予告を観る限り、来年はあの有名旧作のリメイクであるのは間違いないだろう。非常にファンが多くて名作と言われる作品なだけに、いまから不安で仕方がない。

 最後に、今回の映画で「よかった」と思えた部分も挙げておこう。芸能人の声の出演で浮いている人がおらず自然に聞けた事と、海の作画が綺麗だった事は、よかった点だ。肯定できる部分がこれだけしか無いというのも寂しい話だ。
 あ、武田鉄矢の歌を忘れていた。歌自体は悪くないのだが、流す場面に無理があって、あまり印象がよくなかった。と言うか、あの歌はわさドラの雰囲気からは浮いていた。もはや、ドラ映画は武田鉄矢の歌を流すべきものではないのだろう。
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わさドラ3代目OP感想など

 かねてより告知されていたとおり、5月11日放映分よりアニメ「ドラえもん」のOPが新曲「夢をかなえてドラえもん」に変更され、同時にOPアニメも歌に合わせた新作になった。

 新OP曲の第一印象を率直に書くと、「ドラえもん」の曲としてはいい感じなのだが、OP主題歌としては穏やかで、インパクトには少々欠けるように思った。歌詞は完全に「ドラえもん」を歌っていて、さらにドラえもんによるセリフも入っていてばっちりなのだが、どちらかと言うとED主題歌か挿入歌向けの曲のように感じてしまった。
 アニメ主題歌には落ち着いた曲調のOP主題歌も多くあるが、「ドラえもん」の場合は、26年間使われた「ドラえもんのうた」も、その後を引き継いだ「ハグしちゃお」も、元気で賑やかな曲だったので、私が勝手にそのような曲を期待していたようだ。今回の歌自体は、決して悪くないと思う。

 また、新OPアニメは、キャラクターの作画と色使いが好みに合っており、気に入った。歌詞に合わせてテンポよくキャラと場面が動いて楽しいし、後半で一人一人が飛び跳ねる場面は、原作で印象的だったポーズを取っているのも嬉しい。
 のび太達は、この新OPアニメで、OP変更と同様に告知されていた新しい服装で登場しているが、こちらも特に違和感はない。今後、毎回の放送で観続ければ、この穏やかな新OP主題歌にも馴染めると思う。


 ところで、今回の放送よりOPにクレジットされているスタッフにも一部変化があった。
 まず、OP冒頭の「総監督」「監督」「キャラ設定」「総作画監督」まではこれまで通りの面々が名前を連ねているが、その下に「構成 水野宗徳」が追加された。これまで当ブログでも、アニメドラにおける「構成」の不在問題について指摘していたので、今後水野氏の参加によってどのような変化が起きるか注目したい。
 また、OP後半に「企画協力」と表示されていた安達元一氏の名前は、今回よりなくなった。しかし、サブタイトルの煽り文句は消えず、また番組最後にはドラミによるミニコーナーも始まり、バラエティ的路線は続いている。これまで、アニメドラのバラエティ化の原因として安達氏が批判される事があったが、安達氏がいなくなっても番組は変わらないのだから、問題はもっと上層部にある事がはっきりしたのではないか。
 そして、「ディレククター 昼間達樹」「リサーチャー 藤田俊哉」と、テレビアニメとしては聞き慣れない役職が加わっている(ディレクターがアニメ本編の演出を意味する場合は別として)。この人達の参加によって、今後また「ドラえもん」の番組構成が変わっていくのだろうか。


 それにしても、OPが「主題歌」と言える曲になったのはいいが、EDはまだ付かないままで、残念だ。CD「ドラえもん ミニアルバム2」に入っている「キミの中ののび太」は、久々に堀江美都子が歌ったドラえもんソングだし、CDだけにとどめていては勿体ない。しっとりと落ち着いたいい曲で、こういう歌こそED主題歌としてテレビで流して欲しいものだ。
 それに、以前にも書いたが、「声の出演」におけるキャラ名や声優をEDで表示する事で、本編のネタばらしを防げるし、それ以外でも画面に出せるスタッフの情報量は、EDがあった方が多い。EDは、単なる番組の「締め」に留まらない存在意義があるのだ。どうしてもミニコーナーを続けたいのなら、本編を少し削ってでも、EDは付けて欲しい。
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「のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い」感想(まとめ)

 前回の続きとして、映画「ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い」の、作品全体の感想をまとめておく。



 今回の「新魔界大冒険」は上映時間が112分で、これは「ドラえもん」映画史上最長となる。
 にも関わらず、この映画を観終わった後、特に長かったとは感じなかった。パンフレットを見直して112分と書いてあるのを見つけ、それでやっと2時間近く経っていた事を知ったくらいだ。
 だから、少なくとも観ていて退屈に感じる事はなく、全編を通してじっくりと観る事が出来た。その点では、よくできた映画だった。

 また、今回は例年になく練り込まれた脚本作りがされていると感じた。
 藤本先生亡き後の映画は、昨年の「のび太の恐竜2006」を含めて、話の展開にどうしても突っ込みたくなる部分が散見され、観ていて気になったのだが、今回は小説家の真保裕一が脚本を手がけただけあって、作品全体としてまとまりがあったし、原作で気になった部分も上手くアレンジして疑問点が解消されており、「魔界大冒険」のみならず、「ドラえもん」と言う作品全体を熟知した上で書かれた脚本だと言う事が伝わってきた。

 ちなみに、「原作で気になった点の変更」とは、

・ドラミが助けに来るまでの伏線を、前半部分に追加
・魔界歴程を二つに分けて、魔王の心臓の秘密を後半まで隠した
・姿を消す道具を、石ころぼうしからモーテン星に変更
・魔王の心臓の場所を、「赤い月」に変更

などの箇所。
 特に、原作及び旧映画では「「虫のしらせアラーム」がなったから」と言う理由だけでドラミが助けに来ていて、ちょっとご都合主義が過ぎると思っていたので、今回はよい改変だったと思う。

 ただ、これらの改変によって疑問点が解消されたのはいいのだが、ドラえもんのポケットの中や、魔界歴程探しなどの場面が追加された事によって、作品が少し間延びしてしまった感もある。
 先に「観ていて長いとは感じなかった」と書いたが、それはあくまで作品全体の事であり、部分部分については、この場面はもう少し短くてもいいのではと思う箇所もあった。
 特に、前半の一つの山場にさえなっていた魔界歴程探しは、今回のオリジナル要素となるメジューサ(原作とはほぼ別人)のお披露目として、どうしても描く必要があったのだろうが、ちょっと長すぎたと思う。まあ、偽の美夜子を出したあたりは、原作を知っている人間にとっても意表を突いた展開で、面白かったのだが。


 さて、ここまでは原作の改変部分について取り上げたが、本作では、オリジナル要素が作品の重要な要素として追加されており、この点についても語っておきたい。

 最大のオリジナル要素は、美夜子の母を登場させて、満月親子にドラマチックな物語を用意した事だろう。
 原作でチョイ役だったメジューサを上手く活かしており、面白い設定だとは思ったのだが、満月親子の描写に少し力が入りすぎていて、肝心の主人公であるドラえもんやのび太たちが食われていたように感じた。
 2時間ほどの映画でこのエピソードを描くからには、美夜子やメジューサの出番を多くして、メジューサの正体がわかった時のインパクトを強くする必要があった事はわかるが、それによって本来の主役の陰が薄くなっては、本末転倒だろう。どちらかと言うと、映画よりは連続物のテレビシリーズ向きの設定だったのではないか。

 また、母娘の物語に重点が置かれた事により、美夜子のキャラクターも、お姉さんキャラという印象だった原作や旧映画とは異なり、しずかとあまり年が変わらない程度に幼くなった印象を受けた。この事自体、悪いとは思わないが、映画ドラでは初めてのお姉さんキャラであり、ドラやのび太たちならずとも思わず「美夜子さん」と、さんづけて呼びたくなるキャラだっただけに、少々寂しい。
 ただ、美夜子のイメージがやや幼めになった事で、やはりオリジナルとして加えられた、しずかとの交流は自然に描かれており、特にエピローグのシーンは綺麗にまとまっていたと思う。この二人の描写は、さすがに女性監督だけの事はあると感じた。

 大きなオリジナル設定には、もう一つ「現実世界と魔界世界のシンクロ」があったのだが、正直言ってこちらは「蛇足」に感じた。
 現実世界で起こったブラックホールによる天体異変が、「もしもボックス」で魔法世界を作った事によって、魔界星の脅威に変わり、さらに魔界星の滅亡によって現実世界の脅威も去ると言う展開は、両方の世界の危機をじっくりと描けば面白い展開になったかも知れない。
 しかし、本作では、現実世界の危機はアバンタイトルとエピローグでわずかに描かれただけであり、ほとんど満足な説明もない。それに、魔法世界にいたドラやのび太は、現実世界の危機を知らないまま話が進んでいたので、あくまで魔界星の侵攻に対して立ち向かっていただけであり、話に深みが加わったとも思えない。
 この設定によって、満月博士が魔法世界では満月牧師となったが、そもそも「現実世界では満月博士」と言う設定自体が描写不足なので、意味のない改変に感じてしまった。それに、現実と魔法世界をシンクロさせてしまうと、後半で説明される「パラレルワールド理論」との矛盾が生じてしまう。
 満月親子の話だけで十分ボリュームがあったのだから、こちらの設定は、無理に入れる必要はなかったと思う。


 以上のように、よかったと思う部分も、逆に失敗ではないかと思う部分もあるが、全体としては「魔界大冒険」の基本ストーリーは残したままで、新しい要素をたっぷり盛り込んでおり、原作や旧映画を知っている人にも新鮮に楽しめる展開の作品になったと思う。


 ただ、どうしても気になる所もあったので、触れておきたい。
 まず、個人的には原作で好きな部分である魔界星での冒険がバッサリとカットされてしまった事は残念だ。一気にデマオンとの対決を描いてスピーディーな展開を目指したのだろうが、タイトルの「大冒険」の要素が薄れてしまったと思う。
 そして、魔界星での冒険が無くなった事で、ジャイアンの歌のシーンがなくなった上に、ジャイアン最大の見せ場だった「たのむぜ名投手」の役も、のび太に取られてしまい、スネ夫共々冒険に付いてきただけの存在になってしまっている。映画は、ジャイアンの男気が発揮できる貴重な舞台なのだから、これは勿体ない。

 また、迫力のある場面の描写を優先していたためか、出木杉による魔法の解説や、魔法世界の生活についての細かい描写の多くが省かれてしまい、緻密な設定と描写の積み重ねによって作品世界に現実感を出す、藤本作品らしさが少し足りなかった感じがする。

 さらに、大魔王デマオンが、直接ドラやのび太たちの前に立ちはだかったり、自ら悪魔軍を指揮して出陣するようになってしまい、「大」魔王と呼ぶにはスケールが小さくなってしまった事も残念だ。デマオンには、あくまでどっしりと構える「大魔王」で、いてほしかった。



 ここまでは、主にストーリーについての感想を書いてきたが、作画についても触れておきたい。
 今回は、前作「のび太の恐竜2006」の小西賢一から、金子志津枝に作画監督がバトンタッチされた。金子氏は、大山ドラ後期に作画監督として参加して、特に可愛らしいしずかちゃんの絵が印象的だった人だ。
 作画監督は交代したものの、前作で試みられていた柔らかい感じの絵は継承されており、特にドラえもんが実に柔らかそうに描かれていたのが印象的だった。
 また、原画マンの個性を尊重して作監修正が少なかった前作と比べると、今回は全体としての作画の統一に力が入れられており、作画の暴走は少なかったが、その分、落ち着いて画面を観る事が出来た。

 しかし、前作でも少し気になった事なのが、絵で見せる演出としては、最近のドラ映画ではどうも「涙」の描写が過剰気味にだと思う。原作ではサラッと描かれているような場面まで、やたらボロボロと泣かれると、白けてしまう。「涙」に頼らず、それでいて、観ていて自然とジーンとくるような画面づくりを目指していただきたい。

 作画については、鑑賞時はもっと印象に残っていた場面もあったのだが、さすがに観てから3週間以上経つと、細かいところは忘れてしまう。パンフレットを観返しても、本編の迫力にはかなわないので、作画についてはこのくらいにしておく。



 思うままに書いていたら、案外長くなってしまった。前回と今回を合わせると、結局「のび太の恐竜2006」の感想よりも長いのではないだろうか。そろそろ、まとめておこう。
 結論は、前回の「感想・声優編」で書いたとおりで、声の要素を抜きにすれば、単体で観ても映画として面白く、意表を突いた展開が仕掛けられているので、原作や旧映画を知っていても、やはり楽しめる作品に仕上がっていたと思う。

 そう言う割には、ここまで割と辛口の批判が多かったと思われるかも知れない。
 結局、声がどうしても気になったせいで、どうも作品に完全には没頭して観る事が出来ず、どこか醒めて一歩引いた気持ちで観ていたために、結果として普通に観ていたら流す部分まで気になってしまったようだ。



 私にとっての本作は「ゲストに声にさえ馴染めれば、素直に楽しめたかも知れない作品」なので、心から「面白かった」と言う気にはならない。しかし、決して「つまらなかった」訳ではない。だからこそ、余計に評価に困るのだ。
 来年の映画は、仮に芸能人を使うにしても、大前提として「声の演技が出来て、キャラのイメージにあった声の持ち主」を選んで欲しい。もし、それでも声が気に入らなかったとしたら、単に好みに合わなかっただけだと諦める事が出来る。今年は、声以外の要素はよかっただけに、キャスティングが残念でならない。
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「のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い」感想(声優編)

 今更という感じはあるが、やはり映画の感想はしっかりと書いておきたい。
 と言うわけで、映画「ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い」の感想です。

 今回、映画を鑑賞してから感想を書くまでかなり間が空いてしまったのは、個人的に忙しかった事が一番の原因なのだが、それ以外にも理由がある。
 実は、今回の映画をどう評価したらいいものか、何度考えても困ってしまい、自分の中で「こうだ」とはっきり方向性を示す事が出来ず、感想を書こうにもなかなか書けなかったのだ。

 ストーリーや作画には、アレンジによってよくなったと思える部分もあれば、ここはちょっとどうかと思う部分もあるが、全体としては作り込まれていて好感が持てる。主題歌も、さわやかなイメージで本作の締めくくりとしては合っていると思う。
 ここまで挙げた点について見れば、本作は新たな「魔界大冒険」として十分に楽しめる娯楽作となっており、結構面白かった…と言いたいのだが、ただ一点、「ゲスト出演者(あえて「声優」とは書かない)の声・演技」だけはどうしても気になってしまい、そのため最後まで作品世界に入りこむ事が出来なかった。
 芸能人ゲストは、個人的に公開前から最大の不安要素だったのだが、実際に観てみると、やはり私には受け入れ難かった。つぶやきシローのようなチョイ役なら気にならないが、最重要人物の満月親子三人の声なので、どうしようもない。


 理由も書かずに否定していては、単なる罵倒になってしまう。あくまで個人の感じ方ではあるが、具体的にどんな点が気になって、私にとってはダメだったのかを、きちんと書いておこう。

 まずは、メジューサ役の久本雅美。さすがに演技力は問題ないし、メジューサ役に限って言えば、不気味な感じは合っていた。
 しかし、その反面、美夜子の母としての声には非常に無理を感じた。若くて綺麗な女性らしい声を無理に作っているせいで、変な裏声にしか聞こえない。いっその事、久本雅美はあくまでメジューサ役に限定して、美夜子の母の状態では別の声優を当てた方がよかったと思う。

 次に、満月牧師役の河本準一。この人は、少しかすれた感じの声質が、どうにも満月牧師のイメージに合わず、どのセリフも単に気が短いおっさんが、がなっているよう聞こえてしまった。確かに、原作でも満月博士が怒りっぽいと言う描写はあるが、その一方で知識と経験を積んだ頼もしい博士としての面も持っている人物のはずだ。
 今回の声と演技では、頼もしさは感じられなかった。

 最後に、美夜子役の相武紗季。ゲスト三人の中では、最も演技力に難があったと思う。滑舌が悪く、何を言っているのか聞き取りにくくてイライラさせられたし、セリフに抑揚が足りず、感情があまり伝わってこなかった。
 ドラマ等の演技は観た事がないので評価は不能だが、声の仕事に限って言えば、本作のような重大な役を任せられるレベルではない。この人より演技力があり、かつ美夜子のキャラに合った声が出せる声優は、いくらでもいるはずだ。具体的に名前を出してもいいが、私の好みに偏ってしまうので止めておく。


 結局、最後までこの三人の声に馴染む事が出来ず、それ故に作品に今ひとつ集中できなかった。
 テレビアニメでも、話題づくりのために声優経験の無い、もしくは少ない芸能人を起用する事はあるが、毎週聴いているうちに、役と声がだんだん馴染んでしまう事が期待できる。話を「ドラえもん」に限っても、千秋のドラミには既に慣れてしまってた。
 それに対して、映画は基本的に1回きりの勝負なのだから、声が合わないと感じてしまえば、それで終わりだ。

 昨年の「のび太の恐竜2006」でも、ゲストで船越英一郎と神木隆之介が出演しており、船越英一郎は概ね好評価だったが、神木隆之介については「合っていない」「棒読みだ」と言った批判が、結構見受けられた。私自身は二人とも違和感なく聴く事が出来たので、批判を目にしても「そのように感じる人もいるんだ」くらいの気持ちだったが、ようやく私も神木ピー助に違和感を持った人の気持ちが理解できた。
 逆に、今回のゲスト出演者の演技が気にならない人もいるはずで、その場合は声がどうだと意識することなく純粋に作品を楽しめたのだから、皮肉は一切抜きで、うらやましいと思う。


 今回で「新魔界大冒険」の感想は全て書いてしまう予定だったのだが、声優関係だけで思ったより長くなってしまったので、ここまでにしておこう。声優以外の感想については、次回に書かせていただく。
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3作の「未来の国からはるばると」

 21日の「新生ドラえもん 一周年記念スペシャル!!」で、「ドラえもん」連載第1回にあたる「未来の国からはるばると」が放映されたが、シンエイ版ドラでは、このエピソードは今回が3度目のアニメ化となる。
 そこで、今回はこれまでの3作を振り返る形で、感想を書いてみる。



・第1作:1980年1月2日放映(コンテ・演出/森脇真琴、作画監督/中村英一)

 「ドラえもんのびっくり全百科」中の1コーナーとして、視聴者からの「どうしてドラえもんがのび太の家に来たのか」と言う疑問に答える形で、このエピソードが紹介された。
 3作品の中では、最も原作に忠実に作られており、唯一「正月の出来事だった」点も描かれているが、15ページもある原作に対して、尺が6分50秒と短すぎるので、セリフも含めて全体的にテンポが速すぎて、むりやり話を詰め込んだような印象を受ける。
 しかし、「ドラえもんが20世紀に来て初めて食べたのはおもち」「30分後に首つり」などが、唯一原作通りにきちんと描かれている点では、貴重な作品だ。これで、10分くらい時間があれば、もっとよい出来になったのではないだろうか。



・第2作:2002年12月31日放映(脚本/久保田美智子、コンテ・演出/平井峰太郎、作画監督/富永貞義)

 「ドラえもん」では、初めて大晦日3時間スペシャル内で単独の新作として放映されたエピソード。本放送当時は「未来の国からはるばると 完全版 まもなく!」などと、番組内でやたら煽られていた印象が強い。
 大筋は原作通りだが、大山ドラ後期に作られたため、ドラえもんのキャラクターはのび太の保護者的立場が確立した大山ドラ中期以降のイメージで描かれており、そのドラが初登場時の傍若無人な振る舞いをするのは少々違和感があった。また、本作は大晦日に放映されたためか、正月ではなく単なる「休日」として描かれており、「首つり」は「ダンプカーにぶつかる」、お餅→ドラ焼きなど、いくつか原作からの変更点があった。
 アニメにおける「ドラえもん第1話」の決定版とするべく作られたようで、ドラえもんが初めてジャイアンからのび太を救う場面や、のび太がドラを両親に紹介する場面がアニメオリジナルで加えられていた。原作の補完としては、悪くないアレンジだろう。逆に、有名なセワシの「東京→大阪」理論は、ばっさりカット。わかりにくいと判断されたのだろうか。

 アニメ単体としては悪くない出来だが、映画「2112年ドラえもん誕生」の設定を無視して、ドラがのび太の所で初めてドラ焼きを食べた事になっていたり、形のない物を5分間固める道具だったはずの「カチンカチンライト」で、のび太の体を固くしていたりと、それまでの設定との整合性に欠ける部分があったのは残念だ。両方とも、脚本段階でチェックすべきだったと思う。

 なお、ドラえもんがのび太に自己紹介する場面で「こんにちは、僕ドラえもんです」と、大山さんがよく引き合いに出すセリフをわざわざ使っているあたりは、いかにも後期大山ドラらしいアレンジと言えるだろう。



・第3作:2006年4月21日放映(脚本/大野木寛、絵コンテ/善聡一郎、演出/三家本泰美、作画監督/志村隆行)

 今回放映されたのが、この作品。サブタイトルの煽り文句は続いているので、正式なタイトルは「ドラえもん登場の思い出 未来の国からはるばると」と、なる。

 本作は、アニメオリジナルのドラとのび太のケンカから始まり、ドラが怒って未来に帰ってしまい、のび太がドラえもんが来た時を回想する形で「未来の国からはるばると」の内容が描かれた。回想形式なのだから、別に正月の出来事としても問題ないはずなのだが、なぜか第2作同様に季節感は排除されている。ドラえもんは、やっぱり野比家で初めてドラ焼きを食べた事にされており、この改変は残念だ。

 わさドラは、後期大山ドラと比べると、立ち位置は基本的に「のび太の友達」なので、初登場時の奇行も違和感はない。ドラえもんやセワシの行動・言動は、第2作よりも原作寄りであり、のび太のダメっぷりはセワシによってたっぷりと語られ、「東京→大阪」理論も、原作以上に詳しく説明されている。これは、19分と言う長い尺だからこそ出来たのだろう。
 逆に、ジャイ子の扱いは、明らかに原作とは異なる。元々わさドラでは、ジャイ子は「まんが家ジャイ子」で初登場しており、これまでも初期の粗暴な面は描かれていない。「のろいのカメラ」でも、ジャイ子はガン子の姉的な立場として描かれていた。だから、本作ではジャイ子よりもジャイアンの凶悪さが強調されており、のび太はジャイ子との結婚について、ジャイアンが義兄となる事をいやがっているように改変された。「ガハハ」と笑う初期ジャイ子が見られないのは物足りないが、作品の整合性という点では、納得がいく。

 また、ドラえもんの立場についても、「つきっきりで面倒をみる」と言っている原作とは違い、あくまで未来を変えるのはのび太自身であり、ドラえもんは「ちょっとした手伝いをするだけ」と変えられている。原作でも、ドラえもんが無条件でのび太を助けるのは初期に限られており、「右か左か人生コース」などを読めば、途中から未来を変えるのはのび太自身という立場に変わっている事は、明らかだ。だから、これも原作全体でのドラえもんのスタンスを考慮した上での改変なのだろう。なお、この場面でセワシが「大けがをするはずの所を、こぶくらいで済ますとか」と、言っているのは「ドラえもんの大予言」を意識していると思われる。

 全体として「わさドラ」ならではの解釈が行われた第1話として、興味深い内容だった。できれば、このエピソードをリニューアル第1回に放送して欲しかった。



 以上、3作のアニメ版「未来の国からはるばると」を振り返ってみたが、どの作品にも長所・短所があり、どれが決定版とは簡単には言いきれない。個人的願望としては、今回放送された第3作が正月設定で描かれていれば、かなり理想に近い内容になったと思う。
 しかし、連載第1回の主人公登場エピソードが、これまで一度も「第1話」として描かれていないと言うのは、考えてみれば驚くべき事だ。シンエイ藤子アニメの中では、第1話が登場編でなかったのは「ドラえもん」だけだろう。それだけ、番組放映開始時に、すでに「ドラえもん」が子供たちの間に浸透していたのかも知れない。
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