実家暮らしの一ヶ月間

 それが起こったのは、忘れもしない4月23日の事だった。

 その日は、日曜日。特に予定も無くだらだらと過ごしており、正午少し前に昼食の準備をしていた。
 そんな時、電話が鳴った。発信元を見ると、母からとある。何かな、と思いつつ出てみると、母ではなく叔母の声がした。「お母さんが倒れた」と言うのだ。最初は、何のことだかわからなかった。後から考えると、あのときは叔母もかなり混乱していたのだが、とにかく母が倒れてA病院に救急車で搬送されるところだと言う。いまいち要領を得ないところがあったが、緊急事態なのは確かなので、すぐにA病院に向かった。

 A病院は自宅から電車で40分ほど。病院に着くまで、なるべく事態は軽いものであってくれと祈り続けた。
 病院に到着すると、叔母がいた。母は、くも膜下出血との事。はっきり言って、想定していた中では最悪の部類に入ると言っていい。やがて医師が来て、説明を聞いた。この病気が発症すると、3分の1の人はその場で亡くなること、そして回復して歩いて家に帰ることが出来るのは10分の1ほどであること、などなど。聞いているうちに、余計に暗澹たる気持ちになっていった。
 正直なところ、この時点で心配していたのは、母の葬儀のことだ。このような説明を聞けば、誰だってそうなると思う。運良く命は助かったとしても、なんと言っても脳内の出血なのだ。どんな後遺症が残るか、わかったものではない。母がどうなろうと、これからかなり大変なことになるだろうと、覚悟したのだった。

 やがて、A病院からH病院へと移されることが決まった。医師や設備など総合的に判断しての事であり、よりよい対応が出来ると言われたので、断る理由はない。
 救急車で15分ほどかかって、H病院へと着いた。救急車への同乗という初めての体験をしたが、一刻を争う状況であり、今思い返してもあまりよく覚えていない。
 H病院で、母は手術を受けることになった。H病院の医師の説明によると、カテーテルですめば「コイル塞栓術」を行い、それではダメな場合は開頭してクリップで出血部を止める手術になるという。開頭手術なんて大変なことだぞと思ったが、運よく開頭には至らず、手術はコイル塞栓術で行われた。待つこと約3時間。その間に、名古屋から妹もやってきた。やはり、最悪の場合を覚悟していたようで、喪服も持ってきたと言っていた。

 そして、手術は無事に終了した。医師によると、手術後2週間が山だという。血管が収縮する「れん縮」が起きたり、頭に水がたまる「水頭症」になったりして、生命に危険があるのだ。
 「水頭症」については、『ブラック・ジャック』をお読みの人ならよくご存じだろう。チャンピオンコミックス版第6巻の最後に収録されているアレだ。私も、まっさきに『ブラック・ジャック』を思い出したが、まさか自分の身内が水頭症になるかもしれない事態になろうとは、全く想像だにしなかった。

 医師から説明を受けた後、母の意識が回復したというので、面会。妹を見て「娘です」と言っている。とりあえず、意識はまともらしくて一安心だ。
 これ以上付きそっていても仕方が無いとの事だったので、その日は帰る事になった。帰ると言っても、自宅ではなく実家の方だ。実家は両親の二人暮らしであり、母が倒れたら父が一人になってしまう。父は、一人ではちょっと危なっかしい状態なのだ。同じ敷地内に住む叔母もいるが、今回の事でかなり憔悴しているらしく、あまり頼れない。妹は、名古屋に住んでいるので、翌日には帰ってしまう。と、なると私が実家に泊まり込むしかない。

 そんなわけで、思わぬ形での実家暮らしが始まった。
 父の世話をしつつ、昼間は母のいるH病院に見舞いに行くという生活が、約一ヶ月間続いた。はっきり言って、非常に神経を使う毎日だった。老人との二人暮らしが、こんなに疲れるものだとは思わなかった。これが自分の親じゃなかったら、放り出していただろう。その意味で、介護などの仕事をしている人はすごいと思う。

 時は流れて5月18日。母が退院した。非常に幸運な事に、五体満足な状態で、だ。
 車椅子を使うような事にはならなかったし、頭もはっきりしている。つまり、10分の1の運のいい人の中に入る事が出来たわけだが、母がこれで一生分の運を使い果たしたのではないかと、ちょっと心配ではある。

 ともかく、4月23日より前とほぼ変わらぬ日常が戻ってきた。母はまだ、寿命ではなかったのだろう。
 今回の事で、親を看取るとはどういう事なのか、そして親の介護の大変さなど、色々と考えさせられた。いずれは、本当の親との別れがやってくるのだろうが、その時になってあわてる事のないように、今のうちに出来る事はしておかなければならないと、強く思わされた。

 この一ヶ月間、ネットは主にスマホで見ていたが、やはり身内が大変な事になると、ネットへの書き込みなど積極的な参加は精神的に無理になってしまう。
 ツイッターも一ヶ月間放置してしまったので、ご心配をおかけしたのではないかと申し訳ない気持ちだ。

 アニメは、実家で普通に観ていたが、母の発病から三日間くらいはやはり落ち着いて娯楽作品を楽しむという余裕もなかった。その頃に観た作品は、上の空だったのであまりよく覚えていない。
 録画については、数日に一回自宅に戻って設定していたので、録り逃したものはない。この点、大阪に引っ越していて本当によかった。名古屋だとこうはいかなかっただろう。時間的にも金銭的にも、負担が大きすぎる。

 長くなってしまったが、この一ヶ月間は、このような事がありました。と、言ったところで、この項を終わります。
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新春特別企画・我が家の本棚公開

 新年、あけましておめでとうございます。
 本年も、当ブログをよろしくお願いします。


 さて、新年一発目のネタを何にしようかと色々考えて、結局これになりました。
 自宅の漫画が入っている本棚を、新年と言うことで特別に公開してみようと思います。と言っても全部ではなく見せられる範囲で、ですが。






 まずは、この本棚。藤子・F・不二雄先生の作品メイン。とは言え、下の方には藤子不二雄A先生の作品もありますが。
 写真ではわかりにくいが、本を二重にして並べており、中の方にも色々と入っています。上から一段目の奥には『ドラえもん』以外のてんコミ藤子作品、二段目の奥には藤子不二雄ランド版『ドラえもん』『映画原作 大長編ドラえもん』、三段目には藤子不二雄ランド版『海の王子』『新編集 オバケのQ太郎』と言った感じ。
 基本的に、あまり珍しい本はなく、最上段のてんコミ『ドラえもん』も、一桁の巻は初版ではありません。まだ全巻揃っていない作品もあるし、色々とさらに揃える余地のある本棚と言えます。






 二つ目は、藤子不二雄A先生の作品メインの本棚。半分近くを藤子不二雄ランドが占めています。
 さらに言えば、藤子・F・不二雄大全集の第4期もこの棚。第1期~第3期は別の棚にまとめてありますが、一つの棚に一面F全集ばかりが並んでいて、面白味に欠けるので今回は省略。
 なお、少年サンデーコミックス版『プロゴルファー猿』が少ないですが、これは実は今集めている最中で、まだ半分の9冊しか手に入れていないというわけ。案外、初版を見かけないので、さすがは人気作品で、よく増刷されたと言うことなのでしょう。
 『猿』に限らず、私はまず藤子不二雄ランド版から集めていたので、それ以外の単行本は、恥ずかしながらまだ持っていないものも多いです。だから、こちらもまだまだ集める余地はあります。とりあえずは未読の作品を読みたいので、ダブっていないもの優先と言うことになるでしょうけど。はたして「藤子不二雄A大全集」が刊行される日は、来るのだろうか。






 調子に乗って、手塚治虫作品の棚も公開。と言っても、ほとんどが「手塚治虫漫画全集」なので、いまいち面白味に欠ける。
 この棚も、奥行きがあるので本を二重に並べています。上から一段目の奥には少年チャンピオンコミックス(『ブラック・ジャック』『ザ・クレーター』ほか)とサンデー・コミックスが入っております。最下段には、小学館ゴールデンコミックス版の「手塚治虫全集」が5冊だけ(『鉄腕アトム』4冊+『勇者ダン』)ありますが、これもぼちぼち集めているところ。まあ、全40巻なのでそんなに焦ることはないかと。ちなみに、『勇者ダン』は講談社版全集以降では改変されているアイヌ人差別のセリフがそのまま残っているので、一見の価値あり。


 さて、ここまではツイッターにも上げたものなので、今回はおまけにこれら以外の棚も見せようと思い、悩んだあげくSF文庫の棚をお見せすることにしました。こんな感じ(↓)です。





 上から星新一・小松左京・筒井康隆の順に並べてあります。このお三方の著書は、ほとんど文庫で集めました。
 下の方は、かんべむさし・横田順彌・梶尾真治・草上仁など。書名などはこの写真では読みにくいですが、あえてこのサイズだけにしておきます。

 と、言ったところで今回はおしまいです。
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2016年の終わりに

 もう少しで、2016年も終わり。今年も、色々なことがあった。
 例年通り、このブログでも今年一年を振り返ってみる。


 昨年末のエントリでは、今年は「個人的に、一大転換期が訪れるかもしれない」と書いたが、だいたいその通りになった。
 一番大きかったのは、長年住んだ名古屋を離れて、出身地である関西に戻ったことだ。もう合計で35年くらいは名古屋に住んでいたので、これは本当に一大転機と言えるだろう。こちらに越してきて半年あまりが経ったが、まだ完全になじんだとは言いがたい。とりあえず、東京に行くのに新幹線でこれまでより1時間近く余分の時間がかかるようになったのは痛いところだが、まあそんなにたびたび行くわけでもないので、これは我慢するしかない。
 他に、今までと大きく変わったのは、たびたび実家に帰るようになったことだ。近くに家族がいれば、案外色々と用事があるものだ。これに関しては、非常に便利になったと言える。

 あと、個人的なことだが、昨年に続いて2月に二度目の手術を受けたのも、大きな出来事だ。
 しつこいようだが、別に病気ではなく、不要不急だがいつかは受けなければならなかった手術で、それがこの時期と言うことになったのだ。昨年の一度目の手術での入院で色々と反省点があったので、今回はそれを踏まえて、手術後の時間つぶしのために本やDVD(病室にプレイヤー完備だった)など、色々なものを持ち込んだ。その中でも一番活躍していたのはレトロフリークだったかもしれない。本体が小さくて何百ものソフトをインストール済みだから、これだけ時間つぶしになるものは他にない。ニンテンドー3DSも持ち込んだが、実はその時に始めた『ドラゴンクエストVIII』を、中断したまままだクリアしていないというのは、ここだけの話だ。
 ともかく、二度目の手術は無事に完了した。これが、今後の人生にどんな意味があるかはまだわからないが、活かしていけたらいいとは思う。

 実は、まだ他にも色々とあったのだが、それはここには書けない個人的なことだ。ここまでにしておこう。


 藤子ファン的には、今年は何があったかなと振り返ってみると、肝付兼太さんの訃報があった。また、喪黒福造役・大平透さんも亡くなられた。
 なんだか、明るい話題があまりないような感じだが、むしろ『中年スーパーマン左江内氏』のドラマ化や『笑ゥせぇるすまん』の新作アニメ化が予定されている来年の方が盛り上がりそうな気もする。両方とも、一ファンとして、素直に楽しみだ。


 アニメファンとしては、ここ数年視聴テレビアニメの本数が減っていたのが久しぶりに増加に転じた年だった。
 理由は色々とあるのだが、一言で言えば「観られるうちに観ておこう」と言ったところか。また、今までアニメ録画ファイルをTS保存していたのを、夏頃からエンコードしてmp4ファイルの形に圧縮して保存するようになり、HDDの容量に非常に余裕が生まれたので、今までなら残しておかなかったようなタイトルまで、とりあえず残しておくようになり、それが結果的に視聴本数の増加にもつながったような気がする。
 また、新作だけでなく、旧作アニメも暇を見つけては観るようにした。旧作『パーマン』を一通り(DVD未収録の2話を除いて)観られたのは、特に今年の収穫と言っていいだろう。ちなみに現在はDVD-BOXで『ジャングル黒べえ』を視聴中。次回予告も含めて完全な形でこの作品を観るのは、おそらく初めてだと思う。再放送は、私が観た限りでは15分枠ばっかりだったので、予告どころかエンディングもまともに流れたことは少なかったのだ。
 他に、『宇宙戦艦ヤマト』や『無敵超人ザンボット3』なども、今年観た作品だ。「まだ観ていなかったのか」と言われそうな、いまさらなタイトルだが、観ていなかったのだから仕方がない。まだまだ、未見の名作はたくさんあるので、来年以降も機会を作っては観ていきたい。
 映画は、『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』『映画 聲の形』『シン・ゴジラ』『君の名は。』『この世界の片隅に』を観た。あと、昨年の作品だが『ガールズ&パンツァー 劇場版』も、引き続き劇場で観た。映画の鑑賞ペースは、だいたい昨年並みか。それぞれに、心に残る作品だった。


 さて、来年はどんな年になるだろう。
 おそらく、今年に引き続いて、いやもしかしたら今年以上に、一大転換期となる年になるのかもしれない。それだけ、色々なことが起こりそうな予感がある。いや、起こさねばならないといった方が正しいか。
 はたして、趣味にはどれだけ時間が割けるのかも怪しいところだ。だが、できる限りこのブログも更新していきたい。

 と、言うわけで今年一年、ありがとうございました。よいお年を。
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『はなバルーン倶楽部』20周年!!

 表題の通り、今日で私のサイト『はなバルーン倶楽部』が、20周年を迎えた。

 と、言っても、サイトを開設したのが20年前の7月23日であるというはっきりした証拠や記憶があるわけではない。
 ただ、サイト開設日については、漠然と「藤子・F・不二雄先生が亡くなる2ヶ月ほど前」だと覚えていたので、それで今回は便宜上、亡くなる2ヶ月前である7月23日を開設日とした。実際には、何日かずれている可能性が大いにある。
 また、『はなバルーン倶楽部』という大元の個人サイトについては、1996年に一度開設したものの、その後一時期消滅していた時があり、1999年に正式に再開している。ここでは、1996年を正式開設年として、20周年とした。以上の点、ご了承ください。


 そもそも、私が自分のホームページを持とうと思ったのは、大学の情報の実習で、ワークステーションを触ったことがきっかけだった。
 学生一人一人にホームページのアドレスが用意されておることを知り、せっかくだからと思って作ったのだった。だから、最初のサイトのURLは「大学名+大学の個人ID」と言う、身元がバレバレのものだった。当然、メールアドレスも、「大学の個人ID@大学名.ac.jp」であり、実にわかりやすかった。今の大学の事情は知らないが、同じようなシステムになっているんだろうか。最近は、個人情報の問題とかが面倒そうなので、身元を隠す方向に進んでいても不思議はないが。
 そんなわけで、アドレスから私が名古屋の某大学に通っていることがわかったせいか、ホームページ開設後は、何人かの東海地区在住の藤子ファンの方(中には、同じ大学の方も居た)からメールをもらい、後にオフ会で実際にお会いできたことも懐かしい思い出だ。

 残念ながら、開設当時の『はなバルーン倶楽部』のデータは残っていない。今回の記事を書くにあたって、過去のデータを探したのだが、一番古いもので1999年だった。そこで、記憶でこちらに開設当時のトップページを再現してみた。あくまで再現だが、かなり当時に近いものが出来たと思っている。ホームページ、いやコンピュータ初心者の作るホームページなんて、こんなものだろう。
 それから20年も、このサイトが続くことになろうとは、当時は全く思っていなかった。サーバーも、大学のものからリムネット、さくらインターネットと渡り歩いたが、基本的にやっていることは変わっていない。メインコンテンツとなる「ドラちゃんのおへや」(開設当時は「ドラちゃんのお部屋」)では、『ドラえもん』について、やりたいことをやりたいようにやっている。

 もちろん、20年前とは考え方に違いが生じた部分もあるので、そう言った点については逐次修正をしている。一番大きいのは、やはり個人情報に関する考え方だろう。前述したとおり、開設当時は思いっきり身元がわかるような状態だったが、徐々にそれを隠す方向に変わっていった。とは言っても、このブログの内容をはじめとして、いろいろなところに個人情報のヒントになりそうな記述はあるので、気休めのようなものかもしれないのだが。


 今後の、『はなバルーン倶楽部』がどうなるか、現時点では全くわからないが、私が「もうやだ、やめたい」と思うようになるまでは、マイペースに続けていきたいとは考えている。各コンテンツ、いつ更新するかは自分にもわからず、「気が向いた時」としか言いようがないのだが、「いつかは何かやるので、気長にお待ちください」と言っておこう。
 なお、この「はなバルーンblog」は2004年6月スタートなので、現時点で12周年。こちらも、長く続いたものだ。10周年あたりでなにかやればよかったかな。それをスルーしてしまったので、仕方がない。もしこちらも20周年になったら、何か記念企画をやろう。

 と、言うわけで、今後とも『はなバルーン倶楽部』を、よろしくお願いします。
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続・引っ越しました

 いきなりですが、5月13日に名古屋から大阪市の某区に引っ越しました。
 これはネタとかでは無く、本当のこと。詳しくは省略するが、急遽仕事の都合で大阪への引っ越しを余儀なくされたのだ。正式に引っ越しが決まったのが5月5日。準備期間がまるまる一週間しか無かった。前回、2年半前の引っ越しは丸一ヶ月以上かけてなんとか行った引っ越しなので、はたして一週間でできるものか非常に不安だったが、結論としては、なんとかなった。

 前回の引っ越しに倣って、段ボール箱の詳細を書いておくと、今回は大が30箱、小が100箱となった。前回は小が120箱なので、ある程度は物の減量に成功したと言うことになる。実際、引っ越しが正式に決まる前から本を150冊ほど(これは焼け石に水)と、大量の録画DVD-RAMを思い切って処分したのだ。DVD-RAMについては、BD-Rにコピーしたものもあるので、全てを捨てたわけではないのだが、それでも私としてはかなり思い切った。まあ、地上波アナログ末期のサイドカット放送やレターボックス放送は、今観ると画質的に非常に厳しいものがあるので、処分して当然と言う気もするが。
 もちろん、レターボックス放送でも貴重なタイトルは処分していない。たとえば、『やっとかめ探偵団』とか。おそらく、ソフト化も再放送も見込みは無いんだろうな。
 それはともかくとして、昨年から続けてきたDVD-R or RAMからBD-Rへのコピーが功を奏して、ディスク枚数はかなり減量できた。


 現在、これを書いているのが5月21日。大阪に引っ越してきてからまる一週間が経った。
 各種手続きも済ませ、昨日には新しい仕事場でもデビューした。なんとか、大阪での生活が形になってきたかな、という感じだ。今まで、長年にわたって名古屋で暮らしてきたので、出身地とは言え大阪での暮らしには正直なところ不安もあるが、もう私もいい歳なので、そろそろ今後のことも考えて覚悟を決めなければいけないかな、と思って決断した上での大阪行きでもあるのだ。なにしろ、私がいい歳と言うことは、当然ながら両親も年老いてきており、最近は色々と心配もある。そういった事も考えると、実家の近くに住んでおいた方がいいかな、とも思ったのだ。
 現在の詳細な居住地については、ここでは伏せるが、梅田・難波の両方に出るのに便利な場所とだけ書いておこう。交通アクセス的には結構いい方だと思う。

 自分で費用を出しての引っ越しというのははじめて体験したが、思った以上に金がかかった。痛かったのは、BSアンテナの設置費用だ。これまでは、自分でベランダにアンテナを付けていたのだが、今回のマンションは構造的にそれが不可能なので、大家の許可を得た上で屋上にアンテナを付けて、自分の部屋まで引っ張って来ることになったのだが、屋根に上るのはさすがに危ないので、プロに頼まざるを得なかった。この費用が結構かかったのだ。
 それでも、BS・CSは直接受信に限る。名古屋では、ちょっとした都合で短期間だけケーブルTVに入ったことがあったが、セットトップボックスを介さなければ観られない上に、CSのチャンネルは変なセットでしか契約できず、しかもAT-XがSD放送であるなど、不便きわまりないものだったので、すぐに解約した。ケーブルTVは地上波の再送信(パススルー)だけで十分だ。
 ちなみに、今のマンションは独立局はサンテレビ・KBS京都の両方が再送信されており、深夜アニメの録画には結構便利だ。KBS京都については2017年までの暫定措置であるため、今後継続して観られるかどうかはまだわからないのだが。


 思い返すと、昨年5月の入院以来、このブログでは特に触れてこなかった事も含めて、いろいろあった。
 今年2月には再度入院して二度目の手術を受けた。その入院が無事に終わったのが3月19日。それから、わずか2ヶ月で大阪に引っ越すという急展開になるとは、思ってもいなかったが、「いろいろあった」の締めくくりには、ふさわしいのかもしれない。

 大阪に引っ越したことのデメリットを挙げるとすれば、東京がまた遠くなってしまったことだろうか。何しろ、新幹線で2時間半はかかるのだから、結構これは大きい。それ以外は、今のところ特に不満は無い。深夜アニメの放映本数も、名古屋よりは多いし。ただし、テレビ愛知の『ゲゲゲの鬼太郎』の再放送は、ローカル枠なので途中で諦めざるを得なかったが。
 あとは、部屋が3DK→2DKに再び減ってしまったのも、デメリットと言えばデメリットか。大阪は家賃の相場が名古屋より高いので、致し方ない。二部屋のうち、本を置くための部屋がこれまで以上に「書庫」的になっているのは、怪我の功名とは言え、案外落ち着いて気分のいいものだ。今回の引っ越しも、やはり本が多くて苦労したが、それでも電子書籍に移行しようとは、全然思わない。本質的に私は紙の本が好きなのだと言うことが、よくわかった。本棚に並べた背表紙を眺めるのも大好きだし。
 また、三重テレビを観られなくなってしまったのは、かなり本気で残念だ。こればかりは、三重県か愛知県西部に住まないと、どうしようもないからなあ。


 これから、大阪で生きて行くにあたって、何が起こるかまだまだわからないが、とにかく今までよりもっといい生き方が出来ればと思う。
 このブログも、今年前半は更新が少なかったが、暇を見つけては色々と書いていきたい。コメントもいただいたまま放置していますが、こちらのお返事も今しばらくお待ちください。



(追記)

 今回の本文を書いたのは5月21日なのだが、ネットの開通が遅れたため、ブログ更新は6月29日になってしまった。その点は、ご了承下さい。
 名古屋からは離れることになったが、今年は7月16日から「藤子・F・不二雄展」もあるし、まだまだ名古屋に行く機会はありそうだ。新幹線を使えば、新大阪から51分で行けるのだし。
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2015年を振り返って

 2015年もあと四日。実家に帰るとブログの更新が出来なくなってしまうので、少々早いが年末最後の更新をしておく。


 この一年を振り返ると、本当に色々とあった。
 中でも自分にとって一番大きな出来事だったのは、やはり5月~6月に一ヶ月も入院したことだ。何しろ下手をしたら命に関わるところだったのだから、これ以上のことは無い。
 この入院を通して、改めて健康の大切を思い知らされた。なお、この入院は一回で終わるものでは無く、来年二回目があるのだが、詳細についてはとりあえず伏せておく。二回目で終わりになるはずなので、これで色々と前に進むことが出来る。無事に終わればの話だが。
 とりあえず、次の入院時は持って行くものをちゃんと考えないと。読めもしないのに本ばかり持って行っても仕方がない。前回の入院で、病室にDVDプレイヤーがあることがわかったので、積んでいるDVD-BOXを持って行くのもいいだろう。もっとも、入院中にあまりヘビーなのを観る気はないので、軽めのものにするつもりだが。

 マンガ・アニメ関係では、年末になって水木しげる先生のご逝去という大きな出来事があった。他にも、藤子不二雄A先生のご入院など心配事はあったが、やはり水木先生の死が一番インパクトが大きい。
 人の死で特にショックだったと言えば、声優の松来未祐さんの38歳での早すぎる死にも大きな衝撃を受けた。4月期の『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』までは普通にレギュラー仕事を持っていたところでの急な死であったし、何より自分より若い人が亡くなるのはつらいものだ。松来さんには、『ひだまりスケッチ』シリーズの吉野屋先生をはじめ、いろいろな作品で楽しませていただいた。あらためて、ご冥福をお祈りします。

 アニメは今年も色々と観たが、そんな中で個人的ナンバー1は、昨年からの継続作品ではあるが『SHIROBAKO』を挙げたい。
 テレビアニメの制作現場を題材にして、これだけドラマチックで笑いあり涙ありの見ごたえ十分の作品が出来るとは思わなかった。正直、開始時点ではきわものとして終わるのでは無いか、と思っていたくらいだ。
 『SHIROBAKO』と言えば水島努監督、水島監督と言えば『ガールズ&パンツァー 劇場版』を忘れるわけにはいかない。2015年夏公開という予定を大幅に超過して、11月にようやく公開されたが、待たされただけのことはある映画だった。ストーリーは「テレビ版のちゃぶ台返し」であり突っ込みどころは多いのだが、戦車戦の迫力でそれが気にならなくなってしまう。特に、後半は観ていてトリップしてしまうかのような見どころの連続で、119分もあるとは感じさせられない面白さだ。結局、年内に3回観に行ってしまった。来年も、まだやっていたらまた観に行くかもしれない。
 ちなみに、他に今年観た劇場用作品は『映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記』『DRAGON BALL Z 復活の「F」』『ラブライブ! The School Idol Movie』『バケモノの子』『心が叫びたがってるんだ。』の5本。ガルパンを加えれば、2ヶ月に一本は観た計算ですな。私にしてはよく映画館に行った方だと思う。ドラえもんを入れて3本くらいしか観ない年もあるからな。


 さて、来年はどんな年になるか。
 個人的に、一大転換期が訪れるかもしれない。大げさな話では無く、色々と思うところがあるのだ。だが、まずは無事に手術を終えて退院することだ。まだ入院もしていないが。

 と、言うわけで当ブログの今年の更新はおしまい。今年一年、ありがとうございました。来年も、よろしくお願いします。
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はじめてのプロ野球観戦

 9月5日夕方、地下鉄の某駅を降りて私が向かった先は…。





 さて、ここはどこでしょう。





 「前進、あるのみ」、この後ろ姿は…。





 と、言うわけで、やってきたのはナゴヤドーム。中日×阪神のプロ野球ナイトゲームを観に来たのだった。

 私にとって、プロ野球観戦は人生初。それどころか、プロスポーツ観戦自体、これが初めてのことだ。
 なぜ、今このタイミングでプロ野球を観に来たのか。特に理由はない。強いて言えば、「観たくなったから」だ。

 そもそも、昔の私はプロ野球にはほとんど興味がなかった。
 しかし、3年ほど前だっただろうか、野球中継の延長で深夜アニメの録画に影響するときがあって、いつ中継が終了するのか、何とはなしにつけていたプロ野球中継が滅法面白かったのだ。たしか、6点差くらいあった試合を、最後の1,2イニングで逆転してそのまま勝利を決めるという劇的な試合だった。いい意味で野球漫画や野球アニメにありそうな展開で、こんな面白い試合があるなら、プロ野球も捨てたものではないなと思うようになったのだ。

 それからは、機会があればプロ野球中継を観るようになった。私は名古屋暮らしが長いので、応援する球団は、当然中日ドラゴンズだ。これは、昔から中日ファンだった母の影響でもある。母は現在、関西で暮らしているが、中日の試合が観たくてスカパー!のプロ野球パックを契約しているほどなのだ。

 そんなわけで、漠然と「いつかは球場に行って試合を観てみたいな」とは思っていたのだが、それが昨日になったのは、先ほども書いたが特に理由はない。
 ちょっとした臨時収入があって、ここのところ特に遊びに行くことがなくて鬱憤がたまっていたので、半ば発作的にチケットを購入していたのだ。席は内野A席で、お値段は消費税込み4,900円(&発券手数料)。何しろ初めてなので、この金額が高い物かどうかもよくわからない。
 とにかく、人生40年近く生きてきて、初めてのプロ野球観戦に訪れたのだった。





 これが私の席からの眺め。テレビ中継と違って、固定された場所からしか観られないのは少々不便さを感じるところもあったが、なんと言っても球場の臨場感はすごかった。中でも、特にすごかったのは阪神の応援団だ。
 もちろん、中日にも応援団はいたが、迫力と賑やかさでは阪神にはかなわないなという感じだった。とにかく音が大きくて「やかましい」の一言。普段はテレビ中継でしか観ていなかったので、球場があそこまでやかましい場所だとは思わなかった。
 反対側の阪神の応援だけでなく、周囲から聞こえる会話なども色々とあったが、これは人それぞれの野球観などがにじみ出る感じで、聞いているとなかなか面白かった。

 肝心の試合は、3回に阪神が大量7点をとる展開で、序盤に勝負が決まったような雰囲気になってしまい、今ひとつ盛り上がりに欠ける感じだった。それでも、8回には中日もツーアウト満塁というチャンスを作ったのだが、結局得点はならず、勝負は阪神8-2中日で決したのだった。やはり、攻撃のチャンスがないと、なかなか盛り上がらない。せめてあと2,3回は8回裏のような山場が欲しかった。
 そんなわけで、鬱憤晴らしという点ではいまいちだった初プロ野球観戦だったが、現場の雰囲気は十分に味わえた。テレビ中継ではCMタイムになっていて観られないドアラのバック転チャレンジやチアガールの応援、燃えよドラゴンズなど攻守交代の時間にも色々と観る物があって、面白かった。また、いずれ観戦に来ようとは思ったが、願わくばそのときには、中日に勝って欲しいものだ。今日は中日が勝ったんだよなあ。これを、昨日も観たかった。
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入院で「うつつまくら」体験など

 5月11日から6月14日まで、北海道の某病院に入院して、手術を受けてきた。
 と言っても、別に何か厄介な病気にかかったとかではない。どちらかというと不要不急の部類に入る手術なのだが、私にとってはいつかは受けなくてはならないもので、それがたまたまこの時期になったと言う事なのだ。
 入院期間は約一ヶ月、その間には色々な事があった。ツイッターでも断片的にはつぶやいていたが、それではわかりにくいし、また自分としても今回のことは文章にまとめておきたいと思ったので、このようにブログ記事にしたというわけだ。

 不要不急なので、手術内容も本来は命に別状はないはずだったのだが、ここに私・病院の双方にとっての誤算があった。麻酔の影響で意識が混濁して、麻酔から覚めたら私が暴れ回り(比喩ではなく、本当にベッド上で激しく動いたらしい)、さらには肺に血栓まで出来て、このままでは命に関わるというので、強制的に手術後一週間ほど眠らされたのだ。このあたり、私は全く記憶になく、後から話として聞いたにすぎない。
 その間、私の意識はどうなっていたか。全く意識が途切れていた方が楽だったのだろうが、はっきり言うと悪夢を見ていた。

 よく、人の夢の話を聞いてもつまらないと言われるので、夢の内容については簡単に済ませるが、一言で言うと『ドラえもん』の「うつつまくら」の世界を再現したような夢だった。と言っても、「うつつまくら」の話をそのまま夢に見たというのではなく、世界が現実(と信じていたが、当然これも夢)と夢とで何度も入れ替わり、次第にどれが夢でどれが現実かわからなくなる(くどいようだが、実際には全て夢)というところが、「うつつまくら」の話にそっくりだったのだ。
 夢の内容もあまり気分のいいものではなく、私が今回の手術のあと一週間ではなく6年間も眠っていたと言う設定で、色々なことが起こったのだった。たった6年とは思えないほど世の中は進歩していて、大いに戸惑ったものだ。いま思えば、どう考えても夢としか思えないテクノロジーばかりで、「これは夢だ」と気づかないのがおかしいのだが、そこで気づかないのが夢なんだろうな。
 例を挙げると、車は完全に音声で操縦できるようになっていたし、本は触れるだけで中身の情報が頭の中に伝達されるようになっていた。こんなの、あと6年で出来るわけがない。しかし、私は夢の中で、ただただ感心していたのだ。
 ちなみに、6年後には今やっている『キン肉マン』の連載は終わっていて、ちょうどゆでたまご先生が次回作の連載を始めたところだった。さらに、『キン肉マン』は初代アニメのキャストでアニメ化されていたりと、このあたりは私の願望が夢に反映されたと思われる。ちゃんとスプリングマンを田中秀幸氏が、スニゲーターを二又一成氏があてていて、感動した。なぜか『キン肉マンII世』からセイウチンもゲスト出演していました(声は当然、山崎たくみ氏。山崎氏はジェロニモ役も兼任)。仮に本当に今の『キン肉マン』がアニメ化されても、あそこまでの初代キャスト再現(故人になっている場合は当然代役だが)は、不可能だろうな。その点では、あのまま6年後の世界(夢だが)にいてもよかったかもしれない。
 他にも、6年後の世界では、いったん退院が決まってからなかなか病院を出られなかったり、そうこうしているうちになぜか半モグリの医者(ライセンスはあるようだが、なぜか隠れて開業している)に再入院することになったりと色々あったのだが、結局のところは私の夢なので、この辺にしておく。今思い返すと支離滅裂な世界だが、当時の私はあれを現実だと信じていたのだ。しかも、一週間も。怖いなあ。
 以上、「簡単に済ませる」と言っておきながら、夢の話が長くなってしまった。それほど、インパクトの強い夢だったのだ。

 夢から覚めた私がどうなっていたかというと、集中治療室におりました。それほど危険な状態だったのだ。幸い、夢から覚めてからは三日ほどで通常の病室に戻れたが、一時は本当に命に危険があったのだ。
 なお、病室に戻ってしばらく経つまで、私はまだ6年後の世界が続いていると信じ切っており、付き添いの家族との会話にずれが生じていた。『キン肉マン』は完結したと信じ込んで51巻以降のコミックスを買ってきてくれと頼むくらいだから、本気で信じていたのだ。その後、携帯を見るとまだ手術から10日しか経っておらず、来ているメールも当然10日分。ツイッターのTLをたどっても、手術前と大して違わない話題しかなくて、どうやらまだ10日しか経っていないぞと気づいた次第。気がついた時は恥ずかしかったなあ。『キン肉マン』のコミックスの件も事情を話して断らなければならなかったし。

 そんなこんなで、気がついたら入院から二週間が経っていた。その後、たくさん付いていた点滴が少しずつ外れていって、栄養が点滴から通常の食事に戻ったり、二週間寝たきりだった分のリハビリを行ったりと色々とあったのだが、基本的には入院患者なので退屈な毎日だった。深夜アニメも観られないし。アニメで楽しみだったのはテレビ北海道で平日17時30分から再放送していた『ゲゲゲの鬼太郎』[第5作]くらいのものかな。新作アニメで観ていたのはドラえもんとプリキュアくらいのもんだ。『ドラゴンボール改』は新作と言うには微妙だし。
 あとは、時間をつぶすには本を読むしかなかったが、最初の予定に相違して寝たきりの期間が長かったので、あまり多くは読めなかった。せいぜい、文庫本で10冊程度だ。最初のうちは10ページくらいで疲れてしまうほど体が衰弱していて、たいそうしんどかった。もっと読めると思って30冊くらい持ってきていたので、最後は宅急便で送り返す羽目になってしまった。

 しかし、回復の方は病室に戻ってからは順調で、前述の通り6月14日には退院できた。思わぬ事から一ヶ月あまりが経ってしまったが、幸いなことにメインの手術に関しては首尾よく成功した。まあ、これが失敗していたら目も当てられないが。あとは、8kgほどやせたのも収穫だったかな。以前は標準体重をかなりオーバーしていたから。
 そんなわけで無事に(?)社会復帰して、明日からは仕事にも復帰だ。まだフルタイムで働けるほどには回復していないので、時間を短縮して貰えるように頼んではいるのだが、どうなることやら。
 これで、今回の入院の記録を終わります。世の中、本当に何が起こるかわかったものじゃない。
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2014年を振り返って

 いよいよ、あと少しで2014年も終わりになる。そこで、今のうちに一年を振り返っておきたい。

 思い返すと、今年はアニメイベントで結構いろいろと出かけたのがよく印象に残っている。と言っても、実際に挙げてみると、映画舞台挨拶が『たまこラブストーリー』『ロボットガールズZ』『ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦です!』の3本、ライブイベントが『ゆるゆり』の「七森中☆さみっと」、トークイベントが『さばげぶっ』の「放送完結ありがとう!ゲスかわ☆イベント」、以上これくらいか。実際には参加イベントはそれほど多くはない。
 ただ、アニメイベントのほかにも、藤子不二雄A先生のサイン会やネオ・ユートピアの上映会、そして夏と冬のコミケにも参加しており、上京する機会は間違いなく、昨年までより多かった。正直なところ、少々交通費が厳しかったのは確かだが、それぞれ楽しいイベントで、参加して良かったと思っている。
 また、これだけのイベントに参加できたのは、先行販売チケットの抽選にことごとく当選したのが大きい。『さばげぶっ!』のイベントなど、会場のキャパが400人しかなかったのだ。これは、我ながらよく当たったなあと思わざるを得ない。
 残念だったのは、今年のアニメイベントの最後を締めることになると勝手に思っていた『ゆるゆり なちゅやちゅみ!』の舞台挨拶に落選してしまったことだ。今年の終わりかけになって、ついていた運も去ってしまったのだろうか。
 来年がどうなるかはわからないが、今年ほどには遠征することはないのではないかと自分では思っている。とは言え、すでに2月の『さばげぶっ!』イベントはチケットを確保済みなのだが。

 アニメイベント以外で、今年記憶しておくべきこととしては、約5年にわたって刊行された『藤子・F・不二雄大全集』が、4期の特別追加巻『名犬ラッシー』を持って、全115巻が完結したことが挙げられる。
 1期~4期を通じて、スタッフのみなさんの苦労は並々ならぬものだったのではないかと推察される。特に、4期は作品が古くて原稿がないものが大半だったから、復刻が大変だったのではないだろうか。
 『名犬ラッシー』のあとも別巻が2冊出たので、明確に「これで終わり」と言うことを意識することがなかったのだが、ここ最近は新たな別巻の話も聞かず、どうやら本当に終わったのだなと、最近になって実感がわいてきた。
 『藤子・F・不二雄大全集』はすばらしい全集ではあるが、一つだけ難点をあげるとすれば、「藤子不二雄」合作作品で含まれていないものが多いことであろう。以前から単行本の出ていた『オバケのQ太郎』や『海の王子』、それに『仙べえ』や『チンタラ神ちゃん』などは刊行されたが、それ以外の未単行本化作品は刊行されないままに終わってしまった。
 未収録作品にもいろいろと興味深いものは多く、たとえば『まんが道』作中作として有名な『四万年漂流』の最終回は、『まんが道』バージョンではラスト1ページが描き変えられていて、本来のものが読めない。私は、初出誌を入手した人に見せてもらったが、「これはひどい」としか言いようのない、藤子作品史上一番の打ち切り最終回だった。これが読めないのは藤子不二雄の歴史を語る上で大きな損失だと思うので、何とか単行本化されないかと願わずにはいられない。
 このように問題点もないではないが、とにかくF全集の完結は大きな偉業だと思う。あとは、じっくりと全集を読ませていただこう。

 あとは、今年特に気に入ったテレビアニメを挙げておこう。
 『ウイッチクラフトワークス』『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』『さばげぶっ!』、それにまだ放映中だが『SHIROBAKO』も面白い。
 この中では特に『さばげぶっ!』は、久々に半年間のBDマラソンを決意させるに足る作品だった。上でも書いたが、イベントにも参加している。太田雅彦監督人脈のスタッフによる作品は、相当私に合っているらしい。
 テレビアニメを観る本数は、ピークの時期(週20本)と比べるとかなり減ってしまったが、だからこそ、一作一作を大切に観て楽しみたいと思う。


 今年は、だいたいこのような年だった。
 来年がどうなるか、まだわからない。しかし、また大晦日に「いい一年だった」といえるような年にしたいと思う。
 それでは皆さん、よいお年を。
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知らないうちに消えていた「秋田犬」

 最近、非常に驚いたニュースが一つあった。それは、「2円切手が復活」だ。
 何にそんなに驚いたかというと、「二円切手を十一年半ぶりに復活させた」の下りだ。私が知らないうちに、十年以上も前に2円切手が発売停止になっていたのだから、驚かずにはいられない。今はもう無期限休止状態だが、昔は切手収集(特に通常切手)を趣味にしていたというのに、あの親しんでいた「秋田犬」2円切手が引退していたのを知らなかったとは、実にお恥ずかしい。
 しかし、「さくら日本切手カタログ」の2012年版を見てみたら(切手収集を現在やっていないのに、なぜカタログを持っているのかは自分にも謎)、「秋田犬」2円切手にはしっかり価格が載っていた(現行切手の価格は載らない)ので、これで気がつくべきだった。

 ところで、「秋田犬」2円切手は、おおざっぱに言って2種類存在する。一つ目は1953年に発売されたもので、これは「NIPPON」の国名表示がないが、二つ目の1989年に発売された方は、「NIPPON」の国名表示がある他に額面のフォントが変わり、刷色も微妙に変更されている。とは言え、図案は両方とも同じ「秋田犬」であり、長年にわたって親しまれていたと言える。
 個人的にも、切手収集を始めた小学生の頃は、使える資金も限られていたので、少額で買える(あたりまえだ)低額切手は非常に身近な存在で、いろいろと遊んだものだった。低額切手ばかりをたくさん貼りまくった郵便物(封書やはがき)などを自分宛に何度も出していたが、残念なことに今探しても出てこない。見つかったらここに載せようかと思ったのだが。

 ちなみに、先ほども書いたが、2円切手が前回リニューアルされたのは1989年。つまり、消費税導入の時だ。あの時は、封書の料金が60円→62円へと値上げされたため、機械で検知させるために2円切手に微妙な改良が施されたのだった。
 そして、今回の2円切手復活も、消費税率引き上げに伴う郵便料金値上げが原因だ。つくづく、消費税に振り回される額面だ。
 値上げ対応と言えば、葉書が41円→50円に値上げされたときは、加貼用の「9円切手」が発売されたが、これがあっという間に消えたのは覚えている。旧額面の葉書がなくなったら、もう用なしで他への応用が利かない額面だったからなあ。かわいそうなシオカラトンボだった。

 それにしても、なぜ自分は切手収集を自然消滅的にやめてしまったのだろう。実に不思議だ。なんと言っても、小学生から大学生くらいまではやっていた趣味だったのだ。大学3年生以降、大学の情報処理センターに入り浸るようになったせいか。いや、それだけではないだろう。ネットにはまって、さらには本格的に藤子作品に再度熱中しだして、切手収集をやる暇がなくなったせいか。まあ、こんなところだろうな。
 それでも、たまには昔集めた切手を並べたアルバムや、ストックブックを眺めることもある。これらは、昔に戻ることの出来るタイムマシンのようなものだ。そして、中途半端に集められた切手を見ると、シリーズ完揃いにしてやりたくなってしまう。実に危険な誘惑だと言えよう。気をつけなくては、今これ以上趣味を増やす時間と金銭の余裕はないのだ。切手収集は、せいぜい新2円切手を買うくらいにしておこう。
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