極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

場当たりトランプ・リスク

2016年12月03日 | 政策論

 

  

                                
           定年の必要は実際のところ、年老いたということではない。
           おもな理由は、若者たちに道をあけなければならないということにある。


                                                                                       ピーター・ドラッガー
                                
                    

                             Peter Ferdinand Drucker
                                          Nov. 19, 1909 - Nov. 11, 2005
 

 

 【北陸新幹線延伸問題:米原ルート毎時1本乗り入れ可】

北陸新幹線敦賀以西ルートの小浜-京都案が有力視される中、今月5日に米原案を主張する
県が、東海道新幹線の米原駅「乗り入れ」の検討を与党に提案し、巻き返しを図ろうとして
いる。「乗り入れ可能」とする有識者も少なくないものの、年内のルート決定へ残り時間は
少なく、JRや国も困難との見方を変えていない。米原乗り入れは、JR西日本とJR東海
が東海道新幹線の過密なダイヤのほか、運行システムと会社間での脱線防止装置の違いを理
由に「困難」と表明。国土交通省は「米原乗り換え」を前提に試算を出していたとという(
米原ルート「毎時1本乗り入れ可」 北陸新幹線で有識者、中日新聞 2016.12.03)。

 波床正敏大産大教授

それによると、試算では米原案の建設費が最も安く投資効果は最高だったが、15分間の乗
り換
え時間が見込まれ、速達性や利便性では小浜-京都案より劣っているとされていた。こ
れに対し、
県は、()リニア中央新幹線の大阪開業の最大8年前倒しにより「のぞみ」の
運行本数が減り過密ダイヤ解消を見通せること、()システムなどの違いも「乗り越えら
れる」とするという見解を示している。三日月大造知事は2日の県議会11月定例会議の代
表質問で、5日の与党検討委員会で提案する考えを示している。()また、大阪産業大の
波床正敏教授(交通計画)はリニア開業を待たずとも乗り入れはできるとみており、東海道
新幹線には毎時片道20本の運行能力があるはずだが、営業運行はピーク時でも15本程度。
遅れのための余裕分を差し引いても毎時一本程度なら乗り入れ可能ではとの見方を掲載して
いるが、波床正敏教授によれば、脱線防止装置については技術開発が必要な場合もあるが、
ハードルは高くなく、システム統合も費用は建設費に比べれば安いと指摘し、別の専門家も
システム統合を数千億円でできるとみる。

だが、JR西の来島達夫社長は「リニアの工程をどうこう言う立場ではない」、JR東海の
柘植康英社長も
「(リニア開業は)かなり先の話で、その時の状況は全く分からない」と言
葉を濁す国交省も及び腰だという(同上)。これに対し、
波床教授は、JRは経営的判断で乗
り入れを不利と
みているのだろう。公費の節約になり、少なくとも国は検討すべきだ話していると
報じている。

 Dce. 3, 2016

仮に、上の記事に従い、脱線防止装置(ハード面)+システム統合(ソフト面)が仮に4千
億円嵩上げになっ
たとし、米原ルートは県試算の4千億にまるまる加算しても8千億円とな
り、京都ルートと比べ5千億円安く、工期は8年短縮し、その経済効果は最も大きく、早く
実現でき "アベノミクス" の強力な?プロモーターとなることは、東京-金沢間の北陸新幹
線の実績をみれば誰が考えてもわかることで、名目上浮かせた投資金額はそのまま、下関-
敦賀間の山陰・北陸新幹線延伸早期着工に資することになり、さらには、金沢-岐阜-名古
屋の太平洋=日本海の結びつきもより強固になるものとわたし(たち)は期待している。
 Oct. 14, 2013


【音楽環境改造計画:BOSEのワイヤレス音楽スピーカー&イヤホン

ソニーだけではないが、邦国メーカ一辺倒からチェンジしようと頭を切り換える(実は切り
替えたくはないのだが)。音楽機器はワイヤレスで統一しよう考え BOSE@製に随時買いそ
ろえていこう計画。その準備初日は、ネット検索作業にはいる。写真のようにうら若き女性
はなく爺がファッショナブルなスタイル?で、マイ・オフィス兼作業場とトレッキングなど
の野外シーンをそれで楽しむという算段である。

  

   

【我が家の焚書顛末記 28:中国思想 管子    

   小 称   ―― 「君主の心得」と桓公の最期 ――

  桓公は春秋五覇の一であり、かれを覇者に育てあげたのがほかならぬ管仲であるこの
 篇は、前2章が、管仲の説いた「君主の心得」であり、後2章は、かれの死後、その忠
 言をいれずに非業の最期を遂げた桓公の物諮である。

 ことば --------------------------------------------------------------------

 「
身の不善をこれ患えよ。人のおのれを知るなきを患うるなかれ」
 「われに過為あり、而して民に過命なし」
 「善く身を罪する者は、民罪するを得ざるなり」
 「為(ぎ)を務むるは久しからず、虚を蓋うは長からず」

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  人民の目は公平である

  人に理解されないからといって案ずるよりも、自分の至らなさを似め。
  丹青は奥深い山にあり、美しい珠は水中深く沈んでいる。それでも人々はそのありか
 を探り当てる。
  それと同しように.君主が過ちを犯せぱ、人民はそれを見逃さない。人民の目はふし
 穴ではない。
  人目のつかぬところで遊ぷをはたらいても、隠しおおせるものではない。君主が善政
 をしけば人民はすぐさまそれ賞賛するし、過ちを犯せばただちにそれを避難する。人民
 の言行や非難は、君主が側近にたしかめてみるまでもなく、当を得ている。だからこそ、
 昔の明君は人民を恐れたのだ。
  人民から賞賛され慕われる者は必ず栄える。反対に、人民から非難され嫌われる者は
 必ず滅びる。
  天子や諸侯にしても同じことで、評判をおとして人民の支持を失えば、領土を失う破
 目におちいる。だからこそ、昔の君主は人民を恐れたのだ。

  独裁者の虚勢 チャップリンの映画『独裁者』にヒットラーの背伸びを淵刺するシー
 ンがある。ムッソリーニが握手をしようとすると、背の低いヒットラーは踏み台をもっ
 てこさせる。二人がバーのカウンターに坐ると、ヒットラーは回転椅子を回して大男の
 ムッソリと一を見下ろそうとする。ムッソリ一ニも負けまいとして椅子を高くする。か
 くして両人とも天井にまで届く。カウンターははるか下のほうにあり.グラスをとろう
 としてもとれない……。
 "君主"というものは、自己を実力以上に気せたがる性質をもつ。しかし、その本当の姿
 をじっと見るているものがいるのだ。

 The Great Dictator

 ------------------------------------------------------------------------------

 管子曰:身不善之患,毋患人莫己知。丹青在山,民知而取之;美珠在淵,民知而取之。
 是以我有過為,而民毋過命。民之觀也察矣,不可遁逃。以為不善。故我有善,則立譽我;
 我有過,則立毀我。當民之毀譽也,則莫歸問於家矣。故先王畏民。操名從人,無不強也。
 操名去人,無不弱也。有天子諸侯,民皆操名而去之,則捐其地而走矣。故先王畏民。


  ------------------------------------------------------------------------------

  過失は自己に、功績は臣下に

  自分で罪をかぶろうとする君主には、人民は罪をかふせない。人民に罪をかふせよう
 とする君主には、人民は罪をかぶせる。
  自分の行なった悪政を認める君主は人気のある君主である。善政につとめる君主は賢
 明な君主である。そして、罪を人になすりつけない君主は情深い君主である。君主は、
 悪政の責任は自分がとり、善政のてがらは人民のものにする。悪政の責任を自分がとれ
 ぱ、わが身の戒めとなる。善政のてがらを人民のものにすれば、人民は喜ふ。わが身を
 戒め、人民を喜ばす、これこそ君主が人民の支持を得るゆえんである。

  ところが、暴君の梁王や桀王はそうではなかった。かれらは善政のてがらはひとり占
 めにし、悪政の責任は人民に転嫁した。責任を人民に転嫁すれば、人民の怒りを買う。
 善政のてがらをひとり占めにすれば、自分は傲慢になるばかりだ。人民の怒りを買い、
 自分はますます傲慢になる。これこそ暴君が身を滅ぼすゆえんである。
  明君ともなれば、人民の声に耳を傾け、人民の表情に目を向けるものだ。これでこそ
 天下を保つことができるのである。為政者たる者は、この点に心すべきであろう。

  たとえば、大工は道具を手足のように使う。だから寸分の狂いもなくしごとを仕上げ
 る。弓の名人羿は、弓矢を手足のように使った。だからねらいをはずすことがなかった。
 名御者の造父はたづなを手足のように使った。だから獣よりも遠く駆り、どんなに遠く
 へでも行くことができた。
  為政者にとって、道具や弓矢やたづなにあたるのが、人民の戸と衷情である。天下は
 治まるときもあるし、乱れるときもある。明君が位につけぱ治まるが、暴君が位につけ
 ば乱れる。明君が天下を治めるのは、人民の声に耳を傾け、人民の表情に目を向けるか
 らである。

 ------------------------------------------------------------------------------

 管子曰:善罪身者,民不得罪也。不能罪身者,民罪之。故稱身之過者強也。治身之節者
 惠也。不以不善歸人者,仁也。故明王有過,則反之於身。有善,則歸之於民。有過而反
 之於身,則身懼。有善而歸之於民,則民喜。往喜民,來懼身。此明王之所以治民也。今
 夫桀紂則不然,有善則反之於身,有過則歸之於民;有過而歸之於民,則民怒;有善而反
 之於身,則身驕。往怒民,來驕身,此其所以失身也。故明王懼聲以感耳,懼氣以感目,
 以此二者,有天下矣,可毋慎乎?匠人有以感斤欘,故繩可得斷也。羿有以感弓矢,故殼
 可得中也。造父有以感轡筴,故遫獸可及,遠道可致。天下者無常亂,無常治,不善人在
 則亂,善人在則治,在於既善所以感之也。


  ------------------------------------------------------------------------------

以上をもって管子を終わる。古代封建制時代の「富国強兵」「覇権君主制」を実現する「統
治政策」が説かれている。そこには「重農主義」「大規模灌漑技術」を基礎とした「清貧精
神」(=農本主義)が脈々と流れ、毛沢東主義や現代中国の(=開発独裁制)へと合流して
いる。今後、現代中国が欧米化をどのように換骨堕胎し、どのように覇を競い、覇権統治し
ようとするのか(すでに「帝國のとロンマーチ」などで考察しているが)興味深いところで
ある。さて、次のシリーズは本来悪である人間を礼と義を中心とする訓練による徳化を説く
『荀子』
に移る。

 



Donald Trump’s Greatest Self-Contradictions - POLITICO Magazine

【場当たりトランプ・リスク】

● 爆上げ トランプ相場

 11月16日、米国の通信社のブルームバーグは、世界中の中央銀行が夢でしか実現できな
かったインフレ予想の高まりを、政治や経済の素人
であるドナルド・トランプ次期大統領が、
減税や大規模インフラ投資を公約するだけで、大統領就任前に達成したと報じている。トラ
ンプこの発言を受け、米ゴールドマン・サックスや英スタンダード・チャータード銀行のエ
コノミストが、FRBがより積極的になり、利上げの回数を増やすと予想しているが、当の
トランプは『民主党の選挙勝利のため利上げを遅らせている』とFRBのイエレン議長を攻
撃していていたのだから、ここにきて両者は同盟関係にあると伝えているという(「論壇・
論調 トランプ氏とFRBの衝突不可避」岩田太郎、週刊エコノミスト 2016.12.06号)。



しかし、FRBが利上げをしても、トランプはその結果を気に入らないだろう。金利が上昇
すればドルが強くなり、ドルに引かれてより多くの移民が米国を目指す。滞在資格をもらえ
なければ、不法滞在するし、ドル高は、米国製品の価格を上昇させて輸出を冷え込ませる一
方で、輸入を増やす。そうなれば、トランプに投票した労働者層が職を失い、仕事が海外に
流出する現実はそうはいかない。そこで、人事権を使ってFRBにハト派を送り込み、イン
フレに目をつぶる金融政策をとらせれば、物価上昇期待が高まり、労働者は賃上げを要求す
る。企業は製品価格を上げ、経済活動が停滞するなかでインフレが襲った1970年代のス
タグフレーションが再来すると、米外交問題評議会の金融専門家、セバスティアン・マラビ
ーは予測(ワシントンポスト、2016.11.15)すると、週刊エコノミストで在米ジャーナリス
トの岩田太郎は伝えている。つまり悲観的観測であるが、その逆に、ドルが堅調に推移すれ
ば、景気回復とともに、生産性が向上し(競争力も強化され)、所得も増える良循環の明る
い道筋も考えられるが、それが実現できるかどうかはトランプの手腕次第というわけだが、
それが未知数で、場当たり的行動を繰り返せば大混乱を招くことは想像に難くない。

 Nov. 29, 2016

● 自国利益優先主義の素人外交

ここ連日、トランプ次期米大統領が外国首脳らと連日行っている電話会談が、内外で波紋を
呼んでいる。オバマ大統領が深入りを避けてきたパキスタンやフィリピンの首脳らに往来を
打診したほか、2日には国交のない台湾の蔡英文総統と電話で会談。オバマ政権高官は「国
務省の専門家の助言に耳を傾けるべきだ」と懸念を示しているという(「トランプ流外交、
内外に波紋=オバマ政権の助言聞かず」時事通信、2016.12.03)。
それによると、政権移行
チームがトランプと蔡総統の電話会談を発表したの2日夕方(日本時間で3日朝)。発表文
に「世界の4首脳と話した」と記されてあり、米主要メディアは至急報で伝えた。ただ、ト
ランプによる米台関係の変更の意図の有無ついては、「不透明」との分析が多という。外交
専門家の
指摘によると、トランプが外国首脳と接触する際に現政権から過去の経緯や助言な
どを聞いていないという。米メディアによると、オバマ政権はトランプと蔡総統の電話会談
を発表まで知らなかった。また、11月17日に行われたトランプ次期大統領と安倍晋三首
相の会談の前も、トランプ側からの連絡は一切なかったという。加えて、事前調整なしに長
女イバンカ夫妻が会談に同席したことは日本側を戸惑わせている。

特に、トランプ氏は同日、自身のツイッターで、米国が台湾へ巨額の武器を売却しているの
に「(蔡氏から)私が祝福の電話を受けるべきでないというのは興味深い」と反発。台湾の
首脳と公に直接やりとりしないという35年以上続いた「ルールを破った」(米メディア)こ
とを意に介していないようだったと伝えているものの、、中国外務省は3日、トランプ側に
抗議したことを明らかにした。王毅外相も「(台湾は中国の一部であるという)『一つの中
国』原則は、中米関係の健全な発展の礎だ」と述べ、同原則の厳守を求めた。中国にとって、
政権発足前から関係悪化を招くことは得策でなく、習近平政権はトランプ氏の「戦略」を見
極める必要に迫られているという(「中国、トランプ氏側に抗議=台湾問題で「戦略」見極
め」時事通信、2013.12.03)。

 Nov.14. 2016

中国メディアによると、王外相はトランプ氏と蔡総統の電話について「米政府が長年堅持し
てきた『一つの中国』原則を変えることはできない。この(米中の)政治的基礎が干渉を受
けたり損なわれたりすることを望まない」とけん制。また、外務省の耿爽・副報道局長は「
慎重、適切に台湾問題を処理し、中米関係の大局が不必要な干渉を受けない」よう求めてい
る。この背景には、習国家主席は11月にトランプ氏と電話会談し、協力の強化で一致。「
衝突、対抗せず」「相互の尊重」を原則とし、共通の利益を前面に打ち出した「新型大国関
係」構築を目指す一方で、台湾問題は国家主権や領土といった中国の「核心的利益」に関わ
り、米中間の「最も重要で敏感な問題」(中国外務省)とおいている。台湾では近年、自ら
を「台湾人」と認識する若年層の拡大など「脱中国化」が進み、独立志向の民進党の蔡政権
発足に中国は危機感を強めているという(同上)。 

以上のよう、猫の目のように変わる発言は、「トランプの外交方針がまったくわからないか
らだ」(ニューズウィーク日本版「トランプの外交政策は孤立主義か拡張主義か」エマ・ア
シュフォード、2016.11.14)と指摘するするように、彼の語録背景から、①長期視点の有無、
②「公約」の真意の不明さ、③外交上の原理・原則の欠如、④勝負師堅気、⑤取引の原理・
原則の欠如を感じ取れるからである。このようなトランプ現象が世界中で起きているのは、
グローバリズム(コンピュータ仕掛けの英米流金融資本主義=エセ・グローバリズム)に
よる富収奪の経路依存、すなわち経済格差逓増による大衆の苛立ち、虚無感(ニヒリズム)
の蔓延にあるとわたし(たち)はそのように看ている。それにより、極端な排外主義、偏狭
な国家主義、虚無革命(=ナチズム・目的なき破壊運動)に拡大しないことを祈り、共生と
連帯を求める運動を模索しなければならないだろうと考えている。

                                   


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デタッチと道灌と天こ盛り

2016年11月02日 | 近江歴史回廊

 

                                           我庵は松原つづき海近く 富士の高嶺を軒端にぞ見る


                                                             太田 道灌

                             

           

 

  Nov. 2, 2016

気象衛星「ひまわり9号」を搭載したH2Aロケット31号機打ち上げ成功!

 

   Oct. 14, 2016

【日本/アメリカ 新時代:デタッチとは何か】

なにげなくというか、昨夜ネット検索していると、「デタッチ( detach )」という言葉に漂着する。意味は、分離する、
切り離す、取り外す、派遣する、などの意味を持つ英単語。対義語は「アタッチ」(attach)。特に、ソフトウェア開発
で、デバッガなどが監視・制御の対象としていた(アタッチしていた)実行中のプログラム(プロセス)を監視下から
外すことを「デタッチする」という。データベース管理システムなどで、管理しているデータベースファイルをシステ
ムの管理下から切り離すことをデタッチという。特定の形式のデータベースをファイルの形でコピー・配布したい
場合などに用いる。ファイルの形で手に入れたデータベースをシステムの管理下に置く操作はアタッチという。ア
タッチの対義語は映画やTVでお馴染みの「アンタッチブル」。

 一言で言えば、村上文学はノーベル賞を受けてもいい、機は熟した、そのように思うのです。今回
 はダメでしたが、受賞にはかなり近づいているのではないかと思います。そこには、2つ理由があ
 ります。

 1つ目は、この世界に距離を置く「デタッチメント」という生き方の意味です。村上文学が日本で
 読まれ始めた1980年代から、人気が世界に拡大した2010年代までというのは、経済成長の結果とし
 て生まれた「豊かな世代」が、経済成長に「コミット」して上の世代が作ってきた世界への違和感
 を持ちはじめた時代でした。

 その違和感が、村上文学の持つ「この世界への違和感」とシンクロする中で、世界的に爆発的な人
 気を獲得してきたのだと思います。ですが、そうした読まれ方は悪く言えば「豊かさの帰結」とし
 ての貴族性であり、一歩間違えば高等遊民の思想に近いものとなる危険をはらんでいました。

              『ボブ・ディラン受賞の驚きと、村上春樹の機が熟した2つの理由』
              冷泉彰彦、ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト、2016.10.14


このコラムの執筆者の冷泉彰彦(れいぜい あきひこ 1959.06.22 - )は、アメリカ合衆国の教員、作
家、翻訳家、鉄道評論家。東京大学文学部卒業。コロンビア大学修士課程修了。プリンストン日本語学
校高等部主任で本名、前田文夫である。その彼はこのコラムで、日本のある時代においては「就活」の
中で、「村上春樹のファン」を自称する学生は「評価しない」という会社があったそうですが、その良
し悪しは別として、経済成長へのコミットという生き方とは、村上文学の持つ「デタッチメント」とい
うのは、相性は悪かったわけです。村上文学の本質がそうかという点は別として、そのような読まれ方
がされた時代だったのでした。と書いた上で村上のを次のよう評価する。


 ですが、現代は違います。日米欧をはじめとした先進国では、その経済は新しい段階、すなわち知
 的な創造力が求められる時代になってきています。企業共同体などの集団に「コミット」するよう
 な前世紀的な思想ではなく、一人ひとりが世界の現状と変化に距離を置きつつ冷静な見通しを持っ
 ていく、そのような生き方が実現されなくては、全体の成長も不可能という時代に突入しているの
 です。部分的には中国の社会もその段階に入りつつあります。

 それは村上文学が保守本流になり、時代に追いつかれたということではありません。村上文学は、
 さらにその先へと走り続けています。ですが、村上文学の持っている「デタッチメント」すなわち、
 この世界に距離を置くことから生まれる、個人の自立した姿、無自覚な依存を拒否する生き方とい
 うのが、現代はますます重要な考え方になっている、そのことは間違いないと思うのです。

 第2の理由は、紛争とその解決という問題です。2009年にイスラエルで行われたエルサレム賞の受
 賞式で、村上春樹氏は「卵と壁」というスピーチを行いました。また、2011年の福島第一原発事故
 以降は、村上氏は原子力の平和利用への反対という立場を明確にしています。

              『ボブ・ディラン受賞の驚きと、村上春樹の機が熟した2つの理由』
              冷泉彰彦、ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト、2016.10.14


このように述べ、あらゆる対象に「デタッチメント」を貫いてきた村上が、パレスチナや反原発運動に
連帯するという、単純な「コミットメント」の立場ではなく、イスラエルの「壁」は、これは万里の長
城や、ベルリンの壁、あるいはトランプの夢想する「メキシコ国境の壁」とは根本的に違い、イスラエ
ルのそれは、複雑な「入れ子構造となっている」その入植地をテロから守ると称して作られた複雑な壁
であり、その撤去を行うには西岸地区における両民族の共存を可能にする厳格な法体系と、共生のルー
がなくては成立しないとし、また「卵」というのも単純な話ではなく、パレスチナ人が卵や石を投げ
る平和的な抗議とではなく、火炎瓶や自爆テロも伴い、イスラエル側の行動も実弾射撃から戦車隊の投
入へとエスカレートし、そのような複雑な紛争を解決に導くには、「一方が善で他方が悪」だというよ
うな原理主義的な思想ではなく、粘り強いリアリズムを前提としている(はず)だ。あるいは、エネル
ギー政策も同様で、原発に対して最初から否定する態度も、また依存を前提に行動する態度もどちらも
合意形成能力には乏しく、目に見えない放射線に対して人間が本能的に抱く危機回避行動を甘く見ない
一方で、絶望的に資源のない国家が、温室効果ガスの排出抑制という地球規模の使命を果たすためには、
どんなエネルギーの「ミックス」が適正なのかは、極めて複雑な議論を要求するとと援用し、現代の社
会的課題、国際的な紛争、「複雑系」として存在するがゆえ、「一方の立場にコミット」してしまう態
度では、もう問題解決が不可能で、世界に対して距離を置くデタッチメント」の思想というのは、別
の意味での重要な価値が出てきていると結ぶ。ここで、その思想が、「デコンストラクション」(脱構
)や「ポストモダン」の思想とどこが異なるのか?あるいは、「絶望的に資源のない国家」という先
入観で思考停止せず「再生可能エネルギー技術」で突破を試みるわたし(たち)の考え方と
 どのよう
に違うのか違わないのか明確でないという疑問を払拭させるには不十分である。ともあれ「デタッチメ
ント」が「アドホックなキルケゴール」の思想と相似していると認めるならこの蟠りは消失するであろ
う。

                              
  冷泉彰彦 

   マンガだけじゃない! 日本の子どもの読書量は多い

 

 Oct. 30, 2016

【RE100倶楽部】

● テスラ「発電する屋根」を開発

いよいよ、電気自動車ベンチャーのテスラが、16年10月28日(現地時間)、住宅用の屋根タイル
と一体化した太陽光パネル「Solar Roof」を発表。同社が買収手続きを進める米国の太陽光パネルメーカ
ーソーラーシティと共同開発した製品で、17年夏から米国で生産を開始する。最も、瓦型ソーラーパ
ネルは旧三洋電機(現在、パナソニック)が世界で初めて開発しているが、テスラの説明では下図の価
格別商品シリーズを準備――
Solar Roofの最大の特徴は太陽光パネルに見えないという点。主に強化ガラ
ス、ルーバーフィルム、高効率太陽電池セルの3
層で構成されており、屋根に設置しても遠目からだと
一般的な屋根タイルのように見える。現時点では4種類のデザインを公開(下図)。尚、変換効率は、
22%と高性能。

テスラはSolar Roofとともに、新型の定置型蓄電池を発表した。家庭用の蓄電池「Tesla Powerwall」、業
務用蓄電池システム「Tesla Powerpack」のそれぞれについて新型モデルを用意。
新型の「Tesla Powerwall
2
」は容量14kWh(キロワット時)のリチウムイオンバッテリーパックを搭載。従来モデルの容量は 6.4
kWh 
で、容量は2倍以上に増加した。さらに温度管理システム、統合型インバーターなども統合、価格
5500米ドル、日本円で617000円。同年8月にソーラーシティとの合併の合意に関する声明の中でも
この戦略を強調している。今回発表したSolar Roof
と新型蓄電池が住宅向け市場を開拓していく上での主
力製
品となっていく。さらに既存事業の電気自動車を組み合わせ、「太陽光パネル・蓄電池・電気自動
車」の3つをセットにした、統合的なエネルギーソリューションの提供を武器に市場開拓を進める狙い
をもつ。
 

 Oct. 28, 2016

こうしたテスラの戦略の中で、重要なパートナー企業となっているのがパナソニック。両社はリチウム
イオン電池の生産について既に提携を進めているが、さらに16年10月18日には、テスラがソーラ
ーシティを通して傘下に置くバッファロー工場での太陽電池セル・モジュールの生産についても協業の
検討を開始すると発表。
パナソニックは結晶シリコン基板とアモルファスシリコン膜を組み合わせた独
自のヘテロ接合型の高効率太陽電池「HIT」シリーズを強みとして持つ。こうした技術がSolar Roofに直
接適用されるかは不明だが、パナソニックの技術力とテスラの販売力を組み合わせたシナジーによる市
場開拓に向け、着実に提携領域は拡大するとみられる。

ただし、この太陽電池生産における提携については、テスラによるソーラーシティの買収が完了するこ
とが条件となり、テスラはソーラシティ買収で製品販売におけるコストを最初の1年間で1億5000万ドル
削減できると見込むる。今後の事業収支や販売ネットワークの強化などにも影響するものであり、テス
ラとしては早期にこの買収を完了したい考え。買収が遅れれば、製品開発や生産計画に影響が出る可能
性もある
一方、この買収については株主から疑問視する声も挙がっている。今回の新製品の発表は、ソ
ーラーシティの株主に両社のシナジーをアピールし、買収手続きを前進させる狙いもある。この買収に
関する投票を行うソーラーシティの株主総会は、16年11月17日(現地時間)に予定している。

 Oct. 20, 2016

● 東芝 光で二酸化炭素をエチレングリコールに変換

東芝は、光で二酸化炭素をエチレングリコールに変換する光電気化学システムを開発し、エネルギー変
換効率0
.48%を達成。電気化学的に二酸化炭素をエチレングリコールに還元する分子触媒の開発
進め、今回、光起電力素子としてシリコン系太陽電池を用い、光で二酸化炭素をエチレングリコール
に変換する光電
気化学システム。

分子触媒は金属表面上にイミダゾリウム塩誘導体を高密度に吸着させたものです。金属表面に吸着した
イミダゾリウム塩誘導体が分子上で二酸化炭素分子と相互作用をすることで、従来実現できなかった反
応を可能にしました。これは、分子触媒が、二酸化炭素の反応を促進するとともに、2電子還元反応よ
りも複雑な多電子還元反応の反応場としての役割を果たしているからと考えている。得られたエチレン
グリコールは、PETボトルやポリエステル繊維・樹脂の原料にも使用できる汎用性の高い工業原料。分子
触媒の吸着方法を見直して二酸化炭素還元の性能を向上させた電極を利用し、触媒が最も効率的に作用
するように光電気化学システムを制御した事により、光によるエチレングリコール生成が可能となる
(特許出願中)。

  道灌物語

【琵琶湖ワイナリーへGO!:道灌物語を紐解く】

葡萄栽培に最適な土壌づくりを目指して、滋賀県栗東市浅柄野の広大な荒蕪地を開墾し、表土と底地を
取り替える天地返しの大工事を成し遂げた結果、見事完成した理想的な葡萄園が当、琵琶湖ワイナ
リー。
昼夜の温度差が激しく日照の良いブドウ畑で、除草剤をいっさい使わずに徹底した有機農法によリ丹精
こめた栽培している。琵琶湖ワイナリーとして数多くのワインを現在までに世に送り出している。ここ
で生み出されるワインは一流ホテルをはじめ、各方面から高い評価を受けているという。

永源寺のヒトミワイナリーにつづき、今度は琵琶湖ワイナリーを訪れよう彼女が提案。即決で明日現地
に出かける予定に。

 
ところで、ここの経営太田酒造で大田道灌(1432-1487)――室町時代中期の武将。資清の子。幼名は鶴
千代麿。源六郎と称し、持資、のち資長と改名。左衛門大夫,備中守,正五位下に任じ,入道して春苑
道灌と号した。父資清は武蔵国都築郡太田郷に住み,扇谷上杉氏に仕えた―――の末裔が営むというか
ら面白いではないか。


● 米原ルート4000億円で最安 北陸新幹線


● 木曽駒ヶ岳残照記 

ホテル千畳敷まで下山し、喫煙にデッキへでて、富士を眺望しながら、ケントメントールを吸っていた
時、年
格好が60歳を超え五郎丸歩並み大柄の男性と今日の体験や計画のいきさつをわたしの方から話
しかけ、これで冥土への良い土産ができましたと結んだ。暫くするその方の奥様が来られたが、そのバ
ックパックがあまりにもベストヒットしている様を見て、よくお似合いですね、自分にぴったりしたバ
ックパックは疲労を感じさせないといいますが、よくお似合いですねと話かけると、彼女はでもここが
(背中とバックパックの間)空いているのよ。こうすることで汗を外部発散させているのようねと説明
してくれた。最近のスポーツ用品はハイクオリティーだと感心しホテル内に戻り、ロープウェイとバス
を乗り継ぎ下山し、管の台バスセンターに戻り、駐車場から出ようとすると、先ほどの男性が、窓越し
に、それ
は優しく微笑みかけ、別れの会釈を交わし駐車場を後にした。話はそれだけで終わらない。翌
朝、眼をさますと
その男性の「優し微笑み」が心臓から五臓六腑に染み渡るかのように感じられ、目頭
が熱くなる。山を愛するひとたちはかくも優しく素敵なのかと初めての体験に感嘆し涙する。

                                            

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ようこそRE100倶楽部へ

2016年09月26日 | 地球温暖化

 


             
       (リーダーが持つべき3つのポイント「理念、ビジョン、戦略」)
        この3つを持って
いないリーダーにはついていくべきでない。
        これが僕が日本の学生諸君だとか、
サラリーマンの人たちに言い
        たいことです。もちろん政治家でも、経営者でも同
じです。

                                               孫 正義
 

                                              
                                                             Aug. 11, 1957 - 




● 米原ルート4000億円で最安 北陸新幹線

北陸新幹線の福井県敦賀市以西への延伸について、滋賀県は23日、政府与党が検討
している3ルートのうち同県を通る米原ルートが建設費が最も安く、工期が短く、利
用者数も多いとする独自試算結果を発表した。試算結果によると、米原ルートの建設
費は4041億円で、小浜・京都ルートは1兆3606億円、舞鶴ルートは1兆73
75億円。環境アセスなどの事前準備を除いた工期では、米原は他のルートの半分以
下の5年間で、利用者数でも米原は1120万人で最多だったとしている(毎日新聞、
2016.09.24)。当然の結果であるが、海外からの観光客がこれで福井を含め、岐阜、
滋賀への経済波及効果が早くなる。まずは、着実な一歩を踏み出そう。

 



※ 私案の「三都物語」では、経費削減分(県案では9千億円)は、山陰新幹線の早期
  着工に回すことを提案している


 Sep. 12, 2016

 【RE100倶楽部:全再エネ双胴船 世界一周の処女航海へ】

今年7月、世界で初めてスイスのソーラー・インパルスが地球一周飛行を達成。今月
12日、フランスの原子力・代替エネルギー庁(CEA-Liten)と海軍の共同設計した
再生可能エネルギー百パーセントで航行する双胴船エネルギーオブザーバーは、
来年
2月に世界一周すると発表。これは10~12年にかけソーラーパネルで世界一
周を
達成したMSプラネットソーラー双胴船「トレイナー」――艇身31メートル
ソーラ
ーパネル537平方メートル、出力93キロワットを双胴船体にリチウムイオン電池
8.5トンに接続、最大毎時26キロで航行、
(下図参照)――に続く航行となる。
総工費4.2百万ユーロ、航行エネルギーは太陽光(130平方メートルパネル面積)
と風力(2つの垂直軸風力タービン)で発電した後、水電解し水素吸蔵蓄電(蓄電池
方式の200倍の蓄電能力)。挺身30メートル×挺幅12.8メートル、航海は
6年をかけ、50箇所に停泊し模擬航行やクリーンエネルギー研究の展示公開を行う。
 

なにやら、加山雄三設計の「RE100ボート」より早く処女航海することになる。
また、このブログ『縄捨てまじ』で掲載した「ナノセルロースファイバーのスリーデ
ィプリンタ建造によるメガフロート型空港構想」より先行することになり、残念!

 Jun. 18, 2013

  Energy Observer

  Sep. 12, 2016

「海のソーラー・インパルス」の建造風景(於:フランス、サン・マロ造船場)

 

Sep. 20, 2016

【待機電力ゼロのトランジスタ実現へ道を拓く】

● 世界最高性能の半導体系トンネル磁気抵抗素子
 
20日、産業技術総合研究所(産総研)は、同機関で開発した単結晶酸化ガリウム(
Ga2O3)の成膜プロセスを用いて、Ga2O3をトンネル障壁層とした単結晶トンネル磁
気抵抗(TMR)素子を開発したと発表。メモリー機能の性能指数である磁気抵抗変化
率(MR比)が室温で92%と極めて大きく、メモリー機能を持つ縦型のスピン電界効
果型トランジスタ(縦型スピンFET)の基本構造となると期待されるもので、待機電力
ゼロのノーマリー・オフ・コンピューターへの貢献が期待される。92%というMR
は半導体系TMR素子として室温における世界最高性能である。また1つ日本は半導体部
門で世界をリードした。


【技術背景】

コンピューターなどのIT機器の抜本的な省電力化には、待機電力の削減が必要不可欠
である。しかし、現在のコンピューターの主要メモリーや論理回路に利用されるトラ
ンジスタは、電源を切ると情報が失われてしまう「揮発性」素子であるため待機電力
の大幅な削減は難しい。そのため、待機電力を大幅に低減できる、電源を切っても情
報が失われない「不揮発性」のFETが求められている。

スピンFETは、電子スピンを利用することにより不揮発性のメモリー機能を得ることが
できるため、世界的に研究が行われている。しかし、メモリー機能の性能指数である
MRは、実用的には、数10~100%以上が必要とされているが、これまでのスピ
FET研究においては、現行のFETと同じ横型素子が用いられており、MR比は室温で
は0.1%程度であった。

【実施例】

酸化物半導体であるGa2O3 は、結晶構造が複雑であるため、鉄(Fe)などの一般的な
強磁性電極と組み合わせた単結晶TMR素子作製は困難と考えられていたため、これ
までTMR素子のトンネル障壁層としてはほとんど注目されていなかったが、独自の成膜
プロセスを開発し、Fe  強磁性電極とGa2O3トンネル障壁層から成る全単結晶TMR素子
を作製。下図に開発した成膜プロセスの成膜には蒸着の一種である分子線エピタキシー
を用い、まず、下部電極である単結晶Fe上に非常に薄い(厚さ0.4~0.7ナノメー
トル)単結晶酸化マグネシウム(MgO)層を成長させる。この上にアモルファスGa2O3
膜(厚さ1.5~3.0ナノメートル)を室温付近で製膜し、その後、適量の酸素を膜
に吹き付けながら500 ℃程度までの熱処理を行うと、極めて高品位の単結晶Ga2O3
が得られる。この単結晶Ga2O3膜上には、単結晶Fe上部電極を直接成長させることが
できる。なお、得られた単結晶Ga2O3膜を詳細に分析したところ、スピネル型という単
純な結晶系の構造であった。





 

 

 

     

 ● 又吉直樹 著 『火花』19 

    *

  僕達が出演していた漫才番組が一年で終わった。この番組で得たものは大きい。
 深
夜番組に呼ばれることもあったし、他のネタ番組にも幾つか出演した。この年
 の学園祭は都内だけではなく地方の学校にも沢山呼ばれた。ほとんど若者に限っ
 た一時的な人気であることは、番組に出ている全ての芸人が理解していたと思う。
 僕達は勘違いをするには、あまりにも歳を取り過ぎていた。勘違いしたふりをし
 て顰蹙(ひんしゅく)を買うことさえも仕事だと思える程に歳を取り過ぎていた。
 スタンドマイクを目指して走って行く時の歓声を僕は信じられない気持ちで聞い
 ていた。

  僕は高円寺の家賃二万五千円の風呂なしアパートから下北沢の家賃十一万のマ
 ンションに引っ越した。浮かれているように見えたかもしれないが、僕は妙に落
 ち着いていて、経験として人生に一度くらいマンションというものに住んでみる
 時期があっていいと思ったのだ。相方には恋人が出来て恵比寿で同棲を始め、結
 婚するのだと息巻いていた。神谷さんとは、あれ以来、会っていなかった。あほ
 んだらの噂も耳にしなくなった。

  僕達の世代が多く出演した漫才番組に、あほんだらが呼ばれることは最後まで
 なかった。その番組に出たコンビと出ていないコンピでは生活に大きな差が出た。
 だが、そんな生活も長くは綺かなかった。それも、もちろんわかっていた。そう
 ならなければいいなという期待は瞭かにあったけれど。

  その中の何組かはゴールデンの時間帯で少しずつ見かけるようになったし、別
 の数組は解散してしまった。ピン芸人として新たに活動を始める者もいた。構成
 作家に転職する者もいた。実家に帰って別の仕事に就く者もいた。僕は芸人にな
 ってからの多くの時間を神谷さんと共に過ごしたし、ここ数年は同じ事務所の後
 輩と過ごすことが多かった。

   社交性の乏しい僕は多くの芸人と深く関わったわけではない。

  しかし、僕は個人的な関係がなかったとしても、同じ時代に同じ劇場で共に戦
 った全ての芸人達を誇らしく思う。汚れたコンバースで楽屋に入ると、同じよう
 に貧相な格好をした連中が沢山いた。彼等は、束の間、自分が世間から置き去り
 にされ、所詮芸人と馬鹿にされていることを忘れさせてくれた。それは駄目な竜
 宮城みたいなものだったかもしれないけれど。一言も話したことなどなくとも、
 もし彼らがいなかったら、こんな狂った生活を十年も続けることは出来なかった
 だろう。

  そして、薄々気づいてはいたが、僕達の仕事も徐々に減っていた。かつて僕を
 恐れさせ、成長させてくれた後輩連も新たな人生を歩み出していた。僕達の永遠
 とも思えるほどの救い様のない日々は決して、ただの馬鹿騒ぎなんかではなかっ
 たと断言できる。僕達はきちんと恐怖を感じていた。親が年を重ねることを、恋
 人が年を重ねることを、全てが間に合わなくなることを、心底恐れていた。自ら
 の意思で夢を終わらせることを、本気で恐れていた。全員が他人のように感じる
 夜が何度もあった。月末に僅かなお金を持ち寄って酒を呑み、不安を和らげ、純
 粋な気持ちで一切の苦難を忘却の彼方に押しやるネタをそれぞれが考え練り実行
 した。これで世界が変わるんじやな いかと、自分を鼓舞し無理やり興奮してい
 た。いつか自分の本当の出番が来ると誰もが信じてきた。

  ある平日の午後。僕は突然相方に呼び出された。用件は聞かず、何度もネタ合
 わせで利用した喫茶店に僕は向かった。店のドアを開けて、いつもと同じ座席に
 座る相方の顔を見た時、もう何を言われるのかをほとんど理解していた。相方は
 同接している彼女と籍を入れたのだと言った。そして、奥さんのお腹の中には双
 子の赤ちやんがいるのだということも。

 「生まれてくる子供のためにと言ったら言い訳になるかもしれへん。でも、生ま
 れ てくる子供達が背中を押してくれたんは確かやと思うねん」と相方は言った。
 実に 清々しくいい顔をしていた。こいつはけつを捲るわけではなく、ここに留
 まるので はなく、新しい挑戦をするのだなと思った。

 「おめでとう。ほんなら、急いで三人と双子とで住む家探さなあかんな」と僕が
 言 うと、相方はすかさず、「お前は一緒に住まんでええねん!」と言った。あ
 まりに も、はっきりとコンビの役割が明確に発揮されたことが僕は妙に恥ずか
 しかったが、相方は「向こうの親に何て説明すんねん」などと話を繋ぎ、まだ僕
 にボケさせようとしていた。この薄汚れた壁の喫茶店は若者が好んで来るような
 店ではないが、いつ来ても席が空いていて、僕達を排除する雰囲気が微塵もなく
 、居心地がよかった。こいつと、ここに来ることももうないのだと思うと、見飽
 きたはずの珈琲カップさえも愛しく思えた。

  今声を出すと、頼りなく震えるだろう。二度聞きされることを恐れ、「十年間、
 ありがとう」という言葉は呑み込んだ。

  僕達は事務所に解散することを伝えた。事情を説明すると誰もとめたりはしな
 かった。スパークスとして既にスケジュールに入っている、幾つかの仕事を終え
 て正式に解散となる運びとなった。僕達が出演する最後の事務所ライブには噂を
 耳にして、普段よりも多くのお客さんが駆けつけてくれた。誰かには届いていた
 のだ。少なくとも誰かにとって、僕達は漫才師だったのだ。

  出囃子が鳴り響き、僕は袖からスタンドマイクに向かって一礼する。相方は僕
 を追い越し舞台に飛び出して行く。僕も相方の後を追い照明を浴びる。大きな柏
 手が聞こえる。僕達はスタンドマイクに向かって走る。成人式の時に漫才用とし
 て買ったお揃いのタイトな黒のスーツに何度抽を通してきただろうか。大人にな
 った僕達は綺麗な靴を履くことを覚えた。スタンドマイクを挟んで立つ。相方が
 スタンドマイクに少しだけ触れて、「どうも、スパークスです]と挨拶すると大
 きな拍手が狭い劇場に鳴り響いた。

  僕が口上として、

 「世界の常識を覆すような漫才をやるために、この道に入り ました。僕達が覆 
 せたのは、努力は必ず報われる、という素敵な言葉だけです」と言うと、

 「あかんがな!」と相方が全力で突っ込み、笑いが起こった。

 「感傷に流され過ぎて、思ってることを上手く伝えられへん時ってあるやん?」

 「おう」

 「だから、あえてな反対のことを言うと宣言した上で、思っていることと逆のこ
 とを全力で言うと、明確に想いが伝わるんちやうかなと思うねん」

 「お前は、最後まで、何をややこしいこと言うとんねん」

 「まあ、やったらわかるわ。行くぞ」

 「おう」

 「おい、相方!」

 「なんや?」

 「お前は、ほんまに漫才が上手いな!」

 「おう。いや喜びかけたけど、これ思ってることと反対のこと言うてんねんな」

 「一切噛まへんし、顔も声もいいし、実家も金持ちやし、最高やな!」

 
「腹立つわこいつ」 

 「天才! 天才!」

 「ど突き回したろか!」

  山下が大声を張り上げると、一際大きな笑い声が劇場に響いた。この小さな劇
 場で
は毎日のように、お笑いライブが開催されてきた。劇場の歴史分の笑い声が
 この薄
汚れた壁には吸収されていて、お客さんが笑うと、壁も一緒になって笑う
 のだ。

 「だけどな、相方! そんな天才のお前にも幾つか大きな欠点があるぞ!」

 「なんや!」

 「まず、部屋が汚い」

 「しょぼいねん!薩かに部屋は綺麗にしてる方やけど、もっとあるやろ!」

 「小食の遅食い」

 「僕ね、大食いの早食いなんです。おい、俺アホみたいやんけ!」

  山下と一緒に食事をとると食べ終わるのが早過ぎて、いつも焦らされた。

 「彼女がブス」

 「いや、嬉しいけど、それ俺のことと違うやん!」

  品があって、優しくて最高の彼女だった。

 「相方が素晴らしい才能の持ち主!」

 「はあ?」

 「そんな、素晴らしい才能の天才的な相方に、この十年間、文句ばっかり言うて、
 全
然ついてきてくれへんかったよな!」

  僕は、天才になりたかった。人を笑わせたかった。

 「なに言うてんねん」

  僕を嫌いな人達、笑わせてあげられなくて、ごめんなさい。

 「そんな、お前とやから、この十年間、ほんまに楽しくなかったわ!世界で俺が
 一
盾不幸やわ!」

  相方が僕を漫才師にしてくれた。

 「ほんで、客! お前等ほんまに賢いな! こんな売れてて将来性のある芸人の
 ライ
ブに、一切金も払わんと連日通いやがって!」

  そして、お客さんが、僕を漫才師にしてくれた。

 「お前等、ほんまに賢いわ。おかげで、毎日苦痛やったぞ。ボケー!」

 「おい、目悪いな」

  相方の顔はもうボロボロだった,

 「俺の夢は子供の頃から漫才師じゃなかったんです。絶対に漫才師になんて、な
 らん
とこうと思ってたんです。それがね、中学時代にこの相方と出会ってしまっ
 たせい
で、漫才師になってもうたんですよ。最悪ですよ! そのせいで、僕は死
 んだんで
す。こいつが、僕を殺したようなもんですよ。よっ! 人殺し!」

  客席が揺れて見えなくなってきた。 

 「たまにね、僕達のこと凄い褒めてくれる人がいるんですよ。それが、凄く嬉し
 くてね。人生を肯定してくれるような喜びを得られるわけですよ。でもね、それ
 に水を差すような奴等がいてね、それが、お前等!」

  そう言って僕は客席を睨んだ。

 「お前等は、スパークスは最低だ! 見たくもねえ! とか言って、僕の人生を
 否定するわけですよ,ほんまに大嫌い!」

  客席から啜り泣く声が聞こえてきた。皆、笑いながら泣いている。神谷さんが
 いた。客席の一番後ろで一番泣いている。

 「僕達、スパークスは今日が漫才をする最後ではありません,これからも、毎日
 皆さんとお会い出来ると思うと嬉しいです。僕は、この十年を糧に生きません。
 だからどうか皆様も適当に死ね!」

  いつか、こんな風に唾を撒き散らして大声で叫ぶ漫才がやってみたかったのだ。

 「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」

  今、僕は漫才をしている。相方と漫才をしている。僕は相方に向かって叫んだ。

 「死ね! お前も家族と別々で死ね!」

 「やかましいわ!」

  もっと漫才をやりたい,ずっと漫才を続けたい,こいつの声は本当によく通る。
 俺のことを信用してついてきてくれたのに、悔しい思いとか、辛い思いとか一杯
 したやろう。ほんま、ごめん。

 「お前な、暴言吐きまくって、お客さんと相方泣かせて、これのどこが漫才やね
 ん!漫才というのは、お客さんを笑わさなあかんねん!」と相方が言った。

 「ほんなら、最後の最後に常識覆す漫才出来たってことやな」

 「やかましいわ!」

  終わりたくないと思っていた。

 「お前も、この漫才の最後に言うことないんか?」

 「相方! お客さん! 僕は皆さんに全然感謝してません!」

  敢えて、一瞬の間を置こう。

 「お前、最低な奴やな」

 「いや、俺も反対のこと言うたんや。わかるやろ!」

  客席から、ようやく純粋な笑い声が聞こえた。

 「お前はほんまに漫才が上手いなあ」

 「もうええわ!」

  僕達は深々と頭を下げた。いつまでも拍手は鳴りやまなかった。
 


こうして、徹底して予定調和を破壊する漫才スタイルを貫徹してコンビを解消する。
「こんな狂った生活を十年も続けることは出来なかった」「僕達の永遠とも思えるほ
どの救い様のない日々は決して、ただの馬鹿騒ぎなんかではなかったと断言できる」
毎日をくぐり抜け立つ境地を描写する。第三の山場を終えようとしている。このまま
天平時代から脈々として綿々と綴られてきた話芸文化との決別を意味するのか?いよ
いよクライマックスを向かえるが如何に?


                                               この項つづく

著者略歴

又吉直樹(またよし・なおき)

1980年大阪府寝屋川市生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の
お笑い芸人
。コンピ「ピース」として活動中。著書に『第2図書係補佐」『東京百景
』、せきしろとの共著に『
カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来る
とは』、田中象雨との共著に『新・四字
熟語」がある。

初出

「文學界」2015年2月号
この電子書籍は2015年3月15日刊行の単行本を底本。


 

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トランプ旋風とは何か

2016年03月18日 | 時事書評

 

 

 

 

 

         仁者の天下のために度るや、その目の美とするところ、耳の楽しむところ、口の甘しとする
      ところ、身体の安しとするところのためにあらず。


                                        墨子 『非楽』

                                                               

      ※  ここにいう音楽は、現代の音楽とは、かなり趣の異なるものである。君主にとっては政治
        に直結する大きな行事であり、知識人には不可欠の教養であった。今日のゴルフの比では
        ない。儒家は、社会秩序を保つ手段として、礼と並んで楽を重んじた。
        墨子は、これに真向から反対する。どこからみても、天下万民のためにはならないという
        のだ。唐突な感じがしないが当時の生産力・経済構造を考えれば、支配者の浪費紊乱は庶
        民への抑圧に直結したのに違いない。


      非楽 - 音楽の害悪

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 

  公輸――墨子と戦争技術者
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな
  非攻――非戦論
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話

《解説》儒家と墨家とでは、ものの見方が根本的にくいちがっている。「孔席煖むるに暇あらず、墨突黔(く
ろ)ひに暇あらず」(『淮南子』)ということばがあるように、両者とも、時代の弊を救うために活動した点
では、確かに共通しているが、自分の行為に対して下した判断は同じではなかった。儒家は、「君子の仕うる
や、その義を行なうなり、道の行なわれざるは、すでにこれを知る」(『論語』)という、いわば道義的な立
場から政治に参与しようとしたから、結果には無関心であったが、墨子は国家を利し人民を利さない行為は、
すべて有害であると考えた。「非楽編」には、墨子の実利を重んじた態度が典型的に表われている。

一方、儒家は音楽をどのようにみなしたか。『礼記』の楽記編には次のようにいわれている。「楽は天地の和
(調和)な
り、礼は天地の序(秩序)なり。和なる故に百物化(感化)し、序なる故に群物皆別あり。楽は天
に由りて作り、礼は地をもって制す。過ちて制すれば乱れ、過ちて
作れば暴う。天地に明らかにして然る後に
よく礼楽を興すなり」。
 儒家にとっては、音楽は人情の自然であり、人を調和させるものであって、社会秩
序をととの
える重要な手段であるとみなされたのである・・・・・・のちに荀子は、墨子の反文化主義を指し
て、「墨子は実用性を重視するあまり、装飾性を忘れた」と批判したが、儒家の装飾性こそ、当時の社会では
人民を苦しめるガンである、と墨子は考えたのである。

                                                           


 

 【トランプ旋風とは何か】

この御仁父親がニューヨーク市の不動産開発会社の(エリダベス・トランプ・アンド・ソンの御曹司で71年
には譲り受けた社名をトランプ・オーガネイションに変更。移民に反対するポピュリズムで保守反動な主張は、
共和党方針相反、労働者階層有権者の支持を得る。わたしの見立てでは、米国の「住宅資本主義×英米流金融
主義
」の潮流の尻馬に乗りのし上がった独り善がりな傲慢な成金として映る。このような人物が大統領候補と

して話題になるのはある意味時代の寵児、鬼子―喩えとしてのイスラム過激派とメダルの裏表――なのかもし
れない(『傲慢な未体験物体?』2016.02.24)。とコメントしたことがあるが、そもこのような人物を輩出する
米国の選挙制度とはいかなるものかと、普段からまともに考えてこなかっが、図書館へ借りた本を返却したと
きに、渡辺將人著『現代アメリカ選挙の変貌』(名古屋大学出版会)と半田正夫著『著作権法概説』(法学書
院)と併せて借りてくる。

米国政治は選挙で動く。コンサルタント主導のメディア戦略では手の届かなかった多様な人々をいかにして摑
んでいくか。オンライン技術とともに新たな潮流が展開する選挙民対策の現場から、デモクラシーの進展と分
裂の可能性をともに孕んだアメリカ選挙の現在を浮彫りにするとあるように、現代アメリカの選挙における「
アウトリーチ」という選挙民対策と集票戦略の現場の詳細を事例研究によって明らかにするとともに、選挙に
おける政党のあり方と、そこにおけるアウトリーチ戦略の位置づけをマクロ的に把握し、デモクラシーの進展
と分裂の契機をともにはらんだこの戦略の意義を検討するものである。アウトリーチ戦略に注目することで、
アメリカのデモクラシーの姿を立体的に描く試みである。その手がかりとして(1)議員と政党の関係、(2)
投票と政治参加から分析を行う同著「はじめに」より。

● 外部の影響に無防備な米国政党

米国連邦議員の議会事務所の一週間は月曜早朝の会議で始まる。オフィスマネージャー(スケジューラー)
議員の「今週のスケジュール」(月曜早朝に配付されるスケジュールは議員の動きを分刻みで詳細にまとめ

もの)を全スタッフに配付。前週末までの時点で議員の予定は出尽くしており、これ以後のアポイントメン

は原則受けつけず――金曜夕方から月曜昼まで選挙区活動で地元に戻っている議員本人は、月曜朝の会議に

席しない――首席補佐官がスタッフ一人のスケジュール提案に反論を試みる形式で会議は進め、「なぜその

聴会に議員を出席させる必要があるのか」「なぜその新聞社のインタビューを受ける必要があるのか」と。

要なのはプライオリティ(優先順位)の再確認で、その判断基準となるのは選挙区の利益である。


選挙と議会活動は一体化しており、立法もその他の活動もすべて選挙から逆算される。事務所は定期的に選挙
区向けのアンケート調査を行う。その項目は経済から外交まで多岐にわたる。とくに興味のある政策争点とし
て印が付けられていれば、その項目のより詳しい立法状況を別途送付するサービスを行っている事務所もある。
また、選挙民の意見書への返事書きも、ジュニアレベルのスタッフが選挙区の関心争点を学ぶ上で大切な作業
である。

これを看て日本や欧州の政党像を米国の政党にあてはめるのは、大きな誤解を生むからだ。実際には現代民主・
共和の二大政党は、日本や欧州の政党の多くと比べてはるかに脆弱な存在なのである。米国の政党に党首や党
本部が存在せず、党議拘束もなく、規律もきわめて弱いことにもそれは表れる。大統領領や政党の全国委員会
は長は党首ではないし、全国委員会は大統領選挙のための支援組織であって党本部ではない。なにより日本の
政党との最も大きな違いは、候補者の指名機能を持っていないことだ。政党の執行部が公認候補者から比例名
簿の順位まで決める日本の慣習からすると、とても信じられないかもしれないいう。現代の米国では政党の候
補者を予備選挙によって有権者が直接決め、このことの意味の大きさは想像を超えるのだ。つまり、有権者の
支持さえあれば、政党の執行部の方針に反発する候補が当選することがある。

それほどまで、米国の政党は、選挙を通じ外部の影響・浸透に無防備なことにある。議会研究で知られるD・
メイヒュー(?)が唱えるように、政治家の最大の目的が再選であるとすれば、候補者を誰が公認するか、選
挙資源
を誰が用意してくれるかは、議員の行動を大きく影響する。選挙区に背いてまで党に忠誠を示し続ける
ことの意味は少ない。大統領が推進する法案に
賛成しても、それが選挙区の多数が好まない法案であれば、再
選は危うくなるが、他方で選挙区の意向を代弁すれ
ば、それがそのまま再選活動になる。

この議員の行動が日本にも比較的分かりやすい事例として通商問題――環太平洋経済連携協定(TPP)の交
渉に関与していた日本政府の関係者が「与党の大統領が推進する協定に、同じ政党の連
邦議員が反対をしてい
るのはなぜか」「日本や韓国の政府ならば実質国内総生産(GDP)の成長率予測で国民を
説得するが、米国
議員は国民の説得でGDPを持ち出さず、雇用ばかりアピールするのはなぜか」。
端的にいえば、有権者にと
っての通商問題の関心事が雇用の増減に収斂していることに、議員が敏感に反応し
、自分の党の大統領よりも
有権者が大切なであり、そこには国の生い立ち(歴史)――議員の忠誠対象の選挙区は州という単位に収斂さ
れるのは13植民地が同時に独立し、連邦政府は後発的であり、死刑から麻薬についてまで、州境を一歩また
げば法規が異なり、州が個別に軍隊まで持つ連邦議会の議場は、議員は政党名や会派ではなく出身州の代弁者
であり大統領選挙では、ほぼすべての州で採用する勝者総取りのルールでまず州の勝敗者を決めてから、各州
割当の選挙人数の合計を競うが、そこには州の総意をまず決めるという意志が働く。

もうひとつ、米国人にとっての政治参加の概念のいかんである。つまり、米国市民にとっての投票は、数多く
の政治参加の手段の一つに過ぎず唯一ではない。投票行動研究者のJ・ウォンらの研究によれば、主として、
(1)投票、(2)政治献金、(3)政府公職者への接触、(4)コミユニティ活動、(5)抗議活動の5つ
形態があり、これらが合衆国憲法修正第一条で保証された思想信条の表明の手段――企業や富豪の大口献金規
制の困難さ、膨れ上がるコンサルタント産業と選挙資金、感情的な反知性主義の浸透などの温床ではあるが、
聞かれた予備選挙と長期間の選挙キャンペーンは、米国の草の根デモクラシーのダイナミズムの源――なので
ある。下院選挙のように選挙
サイクルが早いことは効果的で、議会活動そのものがキャンペーンになり、有権
者の議会監視と議員への恒常的なアクセスを活発化させる効果があり、日本のような社会の姿勢とは対照的で
ある。



米国で選挙陣営の幹部スタッフが、そのままホワイトハウスや議員事務所で顧問や上級補佐官になれるのは当

選前から自らに賭けて支えてくれた人物であれば安心して相談ができるためだが、より本質的な実務能力に依
存の現れで、有権者同行に精通する選挙プロにこそ、政務の最終判断を任せることにある。これは内政に限ら
ず外交でも、政治的争点になる政策を政策エリートだけで動かすことが困難であり、かなりの程度、内政と

わけ選挙と有権者の影響を受ける。選挙と有権者をめぐる政治過程の研究は、米国外交政策を分析し予測
する
上でも必須の作業だと指摘している。この分析に照らせば”トランプフィーバー”が単なるブームではなく米
国民の選挙モーメントの”正体”であり、その結果として、しばしば、致命的な瑕疵をも生み出してきたのだ
と腑に落とせる。そして、マルチカルチュラリズム――民族・宗教・性差等を巡り多様な価値観が渦巻く現代
世界で、安定したアイデンティティ形成(合意形成)を実現すべく、米国的共和・民主の二大政党制がネット
ワークという新しい媒体とビックデーター解析を加え、現地で獲得した「体験知」とアカデミアな「分析知」
を融合稼働させ、政治的参加を掘り起こす「アウトリーチ戦略」なるパワーが求められていると。今夜のは、
概略このようにまとめることができるであ
ろう。
  
                                            この項了

 

  

 

北陸新幹線の敦賀以西ルートの「米原ルート」実現を目指し、彦根市は10日、市役所正面に懸垂幕を設置。
敦賀から大阪への延伸ルートについては米原ルートのほか、小浜ルート、小浜・京都ルートなどがあがってお
り、与党の検討委員会が5月末までに絞り込む予定。JR西日本が1月26日に小浜・京都ルートを提示し有
力候補になったため、米原ルートを推す滋賀県や県内自治体が危機感を募らせている。市役所に設置された懸
垂幕には
「未来のために『北陸新幹線米原ルート』を実現しよう!」と書かれている。大久保市長は「米原ル
ートにつ
いて継続して検討されるよう、滋賀県などと共に働きかけたい」と話している。なお彦根商工会議所
にも7日
に同様の懸垂幕が設置されている(しが彦根新聞 2016.03.15)。

また、中日新聞(2016.03.17)は、北陸新幹線の敦賀以西ルートをめぐり、JR西日本が提案した小浜-京都
ルートの年内決定を求めた福井県議会の決議に、沿線府県からは賛否の声が上がった。沿線自治体がまとまる
にはまだ時間がかかりそうだと報じ、富山県議会の自民党系の最大会派はこの動きに同調。同党県連の中川忠
昭幹事長が「決断を評価したい。JR西も推している案であり、決議は順当」と支持する考えを示し、反発が
予想されるのは京都府議会の。昨年12月に可決した意見書で、舞鶴市を通るルートを主張。同市選出の池田
正義府議(自民)は「福井県議会とは協力してきた経緯があるのに」と残念がる。「少しの速達性より、山陰
新幹線延伸まで考えれば、国土強靱化を優先させるべきだ」と主張を伝える。

 一方、滋賀県議会は米原ルートを強く推す。米原市に隣接する彦根市選出の西村久子議長(自民)は「(米原
ルートは)譲れんとこやね」と受け止めた。第二会派の中沢啓子県議(チームしが)も「米原ルートが有利で
あることは間違いない。石川など他県で米原を支持しているところもある」と指摘し、主張の正当性を強調す
る。また、昨年10月に米原ルートの実現を求める決議をした石川県議会もくすぶっている。全線開業までに
時間がかかることで北陸と関西、中京圏との交流が途絶えてしまうことへの懸念が背景――実際に、東京-金
沢の開通で、北陸の大学志望者が東京に一極集中し、大阪の大学経営の脅威となりつつあると彦根でも耳にす
る。同新聞社は、自民党県連会長代行の福村章県議は「費用や工期など国土交通省の調査後に検討すべきだ。
その
結果も見ないでの決議は早計では」と疑問を呈していることを伝える。”道を違えば首が飛ぶ”というリ
アリティを込め松井大阪都知事は「一刻も早く、新大阪に新幹線を繋げて欲しい」と要望している。

 

 

 

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ゼロ距離で撃つ

2016年01月28日 | 時事書評

 

 

 

   つまり、相手が敵対者なのか、市民なのか。瞬時に識別し、さらに、撃つべきかどうかの
     判断をしなければいけない。判断を間違えれば、命に関わります。もし実戦で遭遇した場
     合、想定外はありえません。だから、その瞬間、小銃を落とした、拳銃が故障したといっ
     たケースも含め、ありとあらゆる状況を想定して訓練をやっています。この訓練は私たち
     の部隊では毎週行っていますが、正直、一番難しいものでもあります。

                                          ジブチに派遣されていた35歳の自衛官 

                                                    「ゼロ距離で撃てるか」

                                                                    

 

 

● 地震予測は可能か:JESEA情報  

 

 JESEAの予測の流れでいくと、2月ごろに震度5以上の地震が発生すると予測される。現実はどうか?

 

 

北陸新幹線を金沢から大阪までつなぐ計画をめぐりJR西日本は26日、与党のプロジェクトチーム(P
T)に対し、福井・小浜から京都を通るルートを要望した。ルートはこの「小浜・京都」を含め4案あり、
与党PTは夏の参院選までに2つほどに絞る方針だという(朝日新聞 Jan 27, 2016)。

それによると、自民党と公明党の沿線議員らでつくる「与党整備新幹線建設推進プロジェクトチーム」の
26日の会合に、JR西の真鍋精志社長が出席して要望を伝えた。理由として、大阪とを短時間で結べる
ことや利便性、北陸と行き来する利用者が多いことなどを挙げた。京都―大阪間は、東海道新幹線とは別
の路線をつくることを要望した。北陸新幹線は現在、金沢――敦賀以西のルートは決まっていない。与党
PTはこれまで、琵琶湖の東側を通る「米原」、西側を通る「湖西」、小浜から新大阪に向かう「小浜」
の3ルートについて検討してきた。3ルートの建設費は、2013年の関西広域連合の試算で約5100
億~約9500億円とされる。「小浜・京都ルート」の試算は出していない第4のルートがでてきた。こ
の日の会合にはJR東海も出席。米原から東海道新幹線に乗り入れる案について、現在でも過密ダィヤの
ため、非常に困難であるという考えを示した。 今後、与党PTが4ルートの利用見込みや建設費などを
検討して絞り込む。そのうえで政府・与党が最終的にルートを決め、国土交通相が認可するが、その時期
は決まっていない。整備新幹線の建設費用はJRが支払う新幹線施設の使用料を除き、国と地方自治体が
2対1の割合で負担していた。ただ、敦賀―大阪間については、JRの使用料は他の建設費に充てられる
見込みのため、財源が確保できていない。建設費用もまだ不透明な状況だが、与党PTがルートの絞り込
みを急ぐのは「参院」選向けに有権者の期待を高めるねらい」(JR関係者)との見方も出ているという。



わたし(たち)の立場は明確である。(1)2013年の関西広域連合の米原ルートの採択に準拠するも
のでさらに踏み込み、(2)米原乗り換え不要の「(金沢)敦賀-新大阪」「(金沢)敦賀-名古屋」直
行列車の増発――分岐駅である米原駅の要拡張――を狙っている。(3)この区間のダイヤ過密の緩和―
―新大阪間では京都、名古屋間では岐阜羽島の1駅のみで、各停新幹線列車代替えなどで――できるので
はと考えている。問題はJR西との相互乗り入れに対する東西JRの姿勢であろう。大都市では私鉄や地
下鉄との総合乗り入れは常態化している。老婆心であるが、JRのセクショナリズム(sectionalism;部局
割拠主義)の弊害を憂慮する。(4)さらに、米原ルートは、「工期短縮×経費圧縮×経済効果大」で、
他のルートを圧倒している。中でもなかでも、「小浜・京都ルート」は工事費用が不明で仮に、京都の環
境景観保護のためにリニアモーター並みの大地下鉄道敷設などが組み込まれるため――工費は膨れあがる
と予測されるが、
それらの費用を敦賀以西の山陰新幹線の早期着工に振り向け――古都京都を中心地に、
大阪・金沢・名古屋を新幹線と空港路線で結ぶという構想である。


        知りぬらむ ゆききにならす 塩津山 世にふる道は からきものぞと     

                                     紫式部


思えば、日宋貿易の父祖平忠盛の夢にはじまる、日本海と太平洋を結ぶ「日本列島縦断運河構想」(『メ
タセコイヤと彼岸花』2016.09.31)はこの米原ルートの実現は中世と現代とを結ぶルートでもある。これ
に多賀と伊勢を高速道路で結ぶことができれば夢は終焉するのである。よろしく、ご再考を。 

 

 

  Jan 22th, 2016

 【KLMオランダ航空 バイオ燃料路線離陸】

● 植物由来のバイオ燃料で飛行機が飛ぶ、オスロからアムステルダムまで

この春から、KLMオランダ航空は、世界初のバイオ燃料供給のオスロからアムステルダム行き便が運行
――14年にアムステルダムからカリブ海のボネール島にバイオジェット燃料飛行を行い、今回はノルウ
ェーのオスロとアムステルダム間で運行、機材はエンブラエル社のE-190sを使用――し、
オスロ空港で、
欧州での航空機用の持続可能な燃料を実現するイニシアチブITAKA(Initiative Towards sustAinable Ke-
rosene for Aviation;国際航空運送協会
)プロジェクトのバイオ燃料が従来システムで供給される。また、エ
ンブラエルの機体では、軽油とバイオ燃料の効率性を比較テストを行う(下図)。

  SkyNRG

KLMでは20年までに11年比で二酸化炭素排出量を20%を削減目標にさまざまな取り組みを進めて
きている。バ
イオ燃料使用推進とともに、効率性を高めて二酸化炭素削減を推し進める。航空機燃料も二
酸化炭素排出量削減を求める動きが広がっている。国連の専ICAO(国際民間航空機関)や、民間航空団体
であるIATAは、20年以降の航空温室効果ガス削減対策の一環で「代替航空機燃料の活用」促進を表明。
ICAOが20年に二酸化炭素排出量を頭打ちとする目標を策定。IATAはこれを踏まえ、20年までに世界
平均年1.5%燃料効率改善、50年までに05年比、二酸化炭素排出量50%削減という目標を掲げる。
この目標の達成には従来のジェット燃料をそのまま使用し続けていれば難しく代替航空機燃料の活用が必
須。その代替航空機燃料のバイオジェット燃料注目されている。

最終的には、コストだけの問題になるがこれは、量産化がはじまれば逓減していくだろうと考えているが
どうだろう。

 

   

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか

 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く
 
 

   親士 - 『墨子』    

● 親士 ― 人材尊重 ― 

  駿馬を乗りこなすには

  ここに錐が五本あるとする。まっ先に折れるのは、いちばん鋭利な錐である。刀が五本あれば、ま
 っ先に摩滅
してしまうのは、いちばん切れ味のよい刀である。うまい井戸の水がいちばん先に汲み尽
 くされ、高いまっすぐな木がいちばん先に伐り倒され、霊亀がいちばん先に灼かれ、神蛇がいちばん
 先に太陽にさらされる。 
   比干が殺されたのは、かれがあくまで紂王に屈伏しなかったからだ。孟賞が殺されたのも、かれ
 が
勇気ある人だったからだ。西施が長江に沈められたのも、彼女があまりに美しかったからだ。呉起
 が
車裂きの刑に処せられたのも、かれが革新的な政治家だったからだ。かれらはいずれも、自分の長
 所
がわざわいして、死を早めたのである。こういうことばがある。

 「抜きん出た人材が、地位を守ることはむずかしい」


  しかし、功績をあげない臣下はいかに賢君でもとりたてようがない。ちょうど、慈愛深い父親でも、

 穀つぶしの息子は愛さないのと同じである。してみればその任務が果たせないのに、その地位に留ま
 る臣下は、臣下ではないのだ。その爵位にふさわしくないのに、その位に安住する君主は、君主では
 ないのだ。
  強弓は、ひきしぼることがむずかしい。しかし、強弓であってこそ矢が高い所にまで届き、深くつ
 きささるのだ。駿馬は乗りこなすことがむずかしい。しかし、駿馬であってこそ、重い荷物をものと
 もせず、遠くまで駆けるのだ。それと同じように、すぐれた人材は、使いこなすことがむずかしい。
 しかし、すぐれた人材であってこそ、君主を導いてその偉大さを世に示すのだ。

 

  大河は、谷川の水が流れこむのを拒まない。だからこそ、大河たりうるのだ。それと同じように、
 聖人はどんなことも避けないし、どんなものでも拒まない。だからこそ、天下の器たりうるのだ。
 大
河は多くの流れを集めてできたものである。高価な狐白裂も、多くの狐を集めてできたものだ。
 した
がって、君主は、道を同しくする者をたくさん集める必要がある。それをしないでは、度量の大
 きい
王者とはいえない。
  すべて偉大なものは単純ではない。天地は光り輝いてはいないし、大河の水は澄んでおらず、大火
 は明るく燃えはしない。王者の徳は、目にみえて高くそびえたつものではない。矢のように直く、砥
 
石 のように平らか、というのは、せいぜい千人ばかりの長にすぎず、すべてのものを覆いつくすに
 は不十分である。細い谷川はじきに涸れる。浅い流れはじきに尽きる。
  石ころだらけの土地には草一本育だない。王の恩沢も宮中だけにしか行なわれないようでは、国全
 体を潤すことはできない。

                     

  〈霊亀、神蛇〉 霊亀は、万年の寿を保つ亀といわれ、この甲羅を灼いて、そのひび割れの形によっ
  て吉凶を占う。神蛇は、深淵にひそんでいて、雲や雨を呼ぶ霊妙な蛇とされ、旱昿のさい、この蛇
  を太陽にさらして、雨乞いをした。

  〈比干〉 殷の紂玉の叔父。紂玉の暴虐非道がますますはげし巫くなったのをみた比干は 「主君に
    過ちがある以上、死を賭していさめなければ、罪のない人民がひどい目にあう」といって、紂王に
    諌言した。紂王は怒って、「聖人の胸には七つの穴があるという。本当かどうか調べてみよう」と
    いって、比干を殺し、その心臓を開いてみたと伝えられている。

   〈孟賞〉 戦国時代の勇者。生きた牛のつのをひきぬくほどの大力の持ち主であったといわれる。

   〈西施〉 春秋時代の越国の美女。呉王夫差と戦って会枯山で敗れた越王勾践は、呉王色好みであ
    ることを知り、美女を献上して、呉王を骨抜きにしようと思った。その命を受けた重臣の茫恙は、
    この西施を呉王に献上した。果して呉王は、西施の色香に迷って政治をおろそかにし、ついに越に
    滅ぼされてしまった。その後、西施は越に戻ったが、こんどは越王を迷わせるのではないかと疑わ
    れて、長江に沈められたといわれる。

   〈呉起〉 戦国時代の衛の人。魯、魏で将となり軍功があったが、ねたまれて亡命し、楚で宰相に
    任ぜられ、革新政治を行なった。しかし悼里の死後、反対顔に暗殺され、死体は車裂きにされた。

   〈狐白裘〉 狐の白い腋毛を集めてつくった皮衣。軽くて暖かいので、珍重された。『史記』孟嘗
  
君列伝にこんなエピソードがある。孟嘗君が諫言にあって、秦王にとらえられた。秦の昭王の寵
  にとりなしをたのむと、「紅白害がいただければ」という。ところが孟官君は、一枚だけもっ
てい
  た狐白裘を秦王に献上してしまっていた。思いわずらっていると、食客の狗盗が、夜になる
のを待
  って、狗のまねをしながら、秦の宮殿に忍びこみ、さきに献上した狐白裘を盗み出して帰てきた。
  孟嘗君はそれを秦王の寵姫に献上し、彼女のとりなしで釈放を許されたという。


    今有五錐、此其銛、銛者必先挫。有五刀、此其錯、錯者必先靡、是以甘井近竭、招木近伐,
    靈龜近灼、神蛇近暴。是故比干之殪、其抗也。孟賁之殺、其勇也。西施之沈、其美也、起
    之裂,其事也。故彼人者,寡不死其所長,故曰。太盛難守也。故雖有賢君,不愛無功之臣。
    雖有慈父、不愛無益之子。是故不勝其任而處其位、非此位之人也。不勝其爵而處其祿,非
    
祿之主也良弓難張,然可以及高入深;良馬難乘,然可以任重致遠。良才難令,然可以致君
    見尊。是故江河不惡小谷之滿己也,故能大。聖人者,事無辭也,物無違也,故能為天下器。
    是故江河之水、非一源之水也。千鎰之裘,非一狐之白也。夫惡有同方取不取同而已者乎。
    蓋
非兼王之道也。是故天地不昭昭、大水不潦潦、大火不燎燎、王不堯堯者、乃千人之長
    也、其直如矢,其平如砥,不足以覆萬物,是故谿陝者速涸,逝淺者速竭,墝埆者其地不育。
    王者淳澤不出宮中、則不能流國矣。
 


         《解説》         この編は、唐代以降の写本では『墨子』開巻の第一におかれている。しかし、その内容
   は儒家に近い。また、次の「七患編」とともに、冒頭の「子墨子曰く……」というフレーズがな
   いのも、いささか他編と異っている。そこで、この縮は、墨子が儒家思想から脱しきれなかっな
   初期の自著ではないかという説がある(清の畢沅など)。
   あるいはまた、原文に脱落が多く、文意が一貫しない点もあることから、後人が儒家の説をわり
   
まぜたのであろうという説(孫詒譲)もある。これによると、儒家が盛んとなって墨家が異端視
   されるに至った後代、その時流に合わせるため作為して、『墨子』の冒頭においた、というのだ,



● ゼロ距離で撃てるか

海外派遣に備える自衛隊員の「腹ぎめ」の特集を読んで、「射程距離」を大地震の発生、交通事故、ある
いは、浮気現場などとの「不慮遭遇」を想定してみた。そして、「研ぎ澄ます」緊張状態とその時間との
関係を想定してみた。平和とはしみじみと有り難いものだと再認識する。
 

 

 

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折々の読書

2016年01月23日 | 時事書評

 

 

 

    とかくいふほどに、齢は歳々にたかく、栖はをりをりにせばし。その
       家のあり
さま、よのつねにも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺
       がうちなり。


                              鴨 長明 『方丈記』

                                                                                  

                                                                                         1155  - 1216.07.26

 【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】

 ●  又吉直樹 著 『火花』 8

  年の瀬の街を行く人々は一様に黒っぼい洋服を着て、どこか足取りも慌ただしげに
 
見えた,吉祥寺駅北口の広場には、クリスマスと正月兼用の大規模な電飾が施され街
 を鮮やかに照らしていたが、幾何学模様に免疫がなかったのか、神谷さんは「これ、
 まだ途中やろ? 最終的にどうなんのか楽しみやわ]とつぶやいていた。おそらくは
 これで完成だと思われたが、それを伝えていいものかどうか迷った。吉祥寺が賑わう
 のはいつものことだったが、気温の変化が鼓膜にも変化をもたらすのか、街の喧騒さ
 えもどこかラジオのスピーカーから聞こえるような朧げな響きがあった。

  僕達は吉祥寺を定点観測するかのように、ほぼ毎日出没し、あてもなく彷徨い歩き、
 疲れるとハーモニカ横丁の「美舟」で肉芽という料理を一皿だけ注文し、それをあて
 に呑み、その後は適当に開いてる安そうな店に入った。帰る頃には終電はない。神谷
 さんは決まって、「近所やし家来たら」と誘ってくれたが、神谷さんに会う以前は泥
 酔するまで酒を存む習慣がなかったので、先輩の前で酒に潰れるのはよくないと思い、
 小銭がある時は漫画喫茶で眠り、一銭も使える金がない時は、井の頭公園のベンチで
 始発が走るのを待った。その日も、泥酔した僕を神谷さんは家に誘った。「嘔吐感が、
 港一の荒くれ者の船に乗った時の五倍なので」と言って断ろうとすると、「たとえが
 貧弱で心配やから修業した方がええわ」と帰らせてくれなかった。

 「お前、もう酔うてるから俺の家来い]
 神谷さんは帰ろうとする僕の腕を引っ張り無理やり連れて行こうとした。僕はいつ吐
 いてもおかしくない状態だったが、神谷さんも充分過ぎるほど酔っていた。僕は、な
 んとしても帰りたかったので、「もう、いいですって」と言い、神谷さんの腕を強引
 に振りほどくと、神谷さんは急に僕の瞥部を強く蹴りあげた,真夜中の駅前商店街に
 打撃音が響き、僅かに反響して、ずっと遠くを歩いていたホームレスがこちらを振り
 返るのが見えた。

 「痛いの、なんで蹴んねん!」

  そう僕が言うと、神谷さんは膝から崩れ落ちながら笑い転げた。
 「怒んなや。お前酔うてるから心配やねん。取りあえず、俺の家に行こ」納得し難い
 説明を残し、神谷さんは一人で歩き出した。僕は仕方なく嘔吐を堪え、焼けつくよう
 な喉の痛みに耐えながら、神谷さんの後をついて行った,しかし、歩けども歩けども
 神谷さんの家には着かない。いつもの悪ふざけかと思ったが、神谷さんは、「徳永大
 丈夫か!」と時々僕の方を振り返り、本気の表情だったので、ふざけている訳ではな
 さそうだった。吉祥寺通りを永遠と思えるほど歩いた,右手の練馬立野郵便局を越え
 た辺りから東の空が自んできた,車が走っていないことをいいことに車道のセンター
 ラインを悠々と歩く神谷さんを見ていると、嘔吐感と相まって俄かに腹が立ってきた。

 「どこまで行くんですか? もうここ占祥寺ちゃいますよ」
 「そんなん言うなよ。寂しいやんけ」
  神谷さんは怨めしそうな表情で、そう言った。
 「なんで酋通のこと言うんですか?」
 「え? そう怒るなよ」
  今度は怯えたような顔をする。
 「普通のことを、普通の表情でIぼうのやめて下さいって」
 「なにが?」
  眉を上げ不思議そうな顔と口調で言う。
 「なにが?じゃなくて」
 「そんなん言うなよ。寂しいのお」

  今度は寂しそうな顔で言った。

 「その普通のこと言いながら、言葉とぴったりの普通の顔すんのがボケって、僕以外
 の人にはわかりませんからね」
 「そんなこと、言うなってI
 困ったような顔をしている。
 「なんか、変なこと言えや」
 「徳永、寂しいこと言うなよI
  一々、言葉を発する時は一旦立ちどまり、振り返って自分の顛を丁寧に僕に見せた。
 「普通のこと言うことがボケってことは、もはや通常狂ってるってことですからね]
 「人のことを、そんな風に.言うたらあかんねんで」
  眉毛を下げた表情が特に腹が立つ。
 「吐いていいですか?」
 「朝、仕事行く時に自分の家の前にゲロがあったら嫌やろ? 自分がやられて嫌なこ
 とはやったらあかんと思うけどな」
  まだ普通のことを言っている。この異常なまでに執拗な面も神谷さんの特性だった。

 「そうなんですけど、ほんまに普通のこと言うのやめて貰えません? なんか気持ち
 悪いんですよ」
  神谷さんはさっきからメールを打ちながら歩いていたようだが、今度は電話がかか
 ってきた。
 「もしもし、もうすぐ徳永と帰るから水買っといて。こいつ酔うとんねん]と言って
 電話を切った,
  もうすぐ着くと言ってからも、かなり歩いて、いよいよ大通りに出た頃には空は見
 たくない程までに明るくなっていた。これは青梅街道だろう。トラックばかりが何台
 も通過する青梅街道を突っ切って、住宅街を進み、少し広めの道を東に進んで行く
 と、「富士見通り」という商店街らしき通りに出た。もう、すっかり朝だった。そこ
 からも、まだ歩かされた。「富士見通り]は、いつの問にか「中央通り]になってい
 た。
 ようやくロータリーらしき広場と駅の建物が見え、「西武鉄道上石仲井駅」という文
 字が目に入った。全く以て占祥寺ではなかった。神谷さんが、「ここや]と言った建
 物は、随分古かったが、想像していたよりも、品のあるアパートだった。二階に昇り、
 神谷さんが鍵を開けると敷きっぱなしであろう布団の上に座っている女の人が見えた。
 「おい、徳永に水谷ませたってくれ]と言って神谷さんが布団の上に飛び込むと大き
 な音がして部屋全体が揺れた。

  「朝だから、下の人に怒られちやうよ」 

  ボーダーのスウェットパンツを穿いた華奢な女の人は優しい声で神谷さんにそう言
 った。
 「初めまして、徳永です」と僕が挨拶すると、女の人は「真樹です」と微笑みながら
 小さな声で名桑った。
 「徳永、早く寝ろ!」と、神谷さんは、僕を無理やりそこに寝かした。僕は横になる
 と頭に痛みが走ったので、大人しく眼を閉じることにした。
 「コンビ二行ってくるけどなんかいるか?」
  神谷さんの問いかけに答える余裕がなく、僕は黙っていた。扉が閉まる音がして、
 階段を降りる二人の足音が聞こえた。朝日が眩しくて、眉間の辺りがこそばゆかった。
  あの女の人は神谷さんの彼女なのだろうか。そもそも、ここは神谷さんの部屋では
 なく、真樹さんという人の部屋に神谷さんが転がり込んでいるのかもしれない。こん
 な所で眠っても、体力は回復しない。家に帰って自分の布団で眠りたい。この時間な
 ら、もう始発は走っているだろう,なぜ、ここまで僕は連れてこられたのだろう。頭
 が痛かった,

  神谷さんが呑むと、いつも最後は前後不覚になった。有益な話なんてほとんどなか
 った。例えばこの日は、手品師と怪力と、他にどんな種類のスペシャリストが仲間に
 いれば完全犯罪の殺人が実現出来るかということを二人で長時間にわたり真剣に論議
 していた。神谷さんは「ゴルゴ13」だと言った。僕は「自殺志願者」だと言った。ゴ
 ルゴだと失敗はほとんどないだろう。しかし、莫大な報酬が必要になる。そんな法外
 な金を用意する過程で足がつく。それは完全ではない。自殺志願者の場合は殺したい
 チームと死にたい当事者双方の利害が一致しているし、完全な遺書が作成出来る。だ
 が、神谷さんは、自殺志願者の場合、自殺志願者しか殺せない、それだとただの人を
 殺したいだけの集団になってしまうということに難色を示した。殺すのは悪い敵じゃ
 なければならない。自殺志願者がいたら思い留まらすように説得すべきだと神谷さん
 は場違いの正論を持ちだした。この議論に道徳の観点を導入すると随分話が複雑にな
 る。自殺志願者などという偏見に満ちた言葉を軽はずみに使ったことも後悔した。だ
 が厳密に言うと、悪い敵も本当は殺してはいけない,誰かが階段を昇る音が聞こえた。
 誰かが僕を殺しに来たのかもしれない。
 
  ドアが開く音にに続き、ビニール袋が床に置かれ音がした。笑いながら、「こいつ
 寝とる」と言う神谷さんの声が聞こえた,眼を開けようと思えば開けられるが、聞け
 ない方がいいように思った。神谷さんは、眼を閉じている僕を見て、笑い続けていた。 
  そして、真樹さんに「なんか、こいつムカつく弟みたいやわ]と恥ずかしいことを
 言った。神谷さんが僕を飛び越えて、窓際に移動するのが足音でわかった。神谷さん
 の押し殺しても洩れてしまう笑い声が耳にこそばゆかった。まぶたの上に光線が当た
 る。眉間の辺りを小さな虫が這い回るような呻みを感じた。「やめなよ」という真樹
 さんのうにカーテンをひらひらと動かして、僕の顔に朝日を当てていた。
 「やめてください]と僕が言っても神谷さんはやめない。

 「徳永の顔面にブラック・ジャックみたいな日焼けあと、作ろっと」と言って、神谷
 さんは笑っている。
 「それの、なにが面白いんですか」僕は毛布で顔を隠した。
 「おい、顔隠すのせこいぞ!」と、仲谷さんは僕から毛布を奪い、再びカーテンをひ
 らひらさせた。
 「徳永くん、寝かしてあげた方がいいよ」
  心配そうに真樹さんが言った,
  僕は、顔に日光が当たらないよう身体を素早く動かし、足があった方に頭を持って
 きた。まだ、神谷さんの笑い声が聞こえる。次の瞬間、布団ごと僕の身体が宙に浮き、
 反転した。眼を開けると、神谷さんと真樹さんが、それぞれ布団の端を持ち、僕を乗
 せたまま回転させていた。
 「真樹さん、なんで手伝ってるんですか?」と僕が訊くと、真樹さんは恥ずかしそう
 に、「ごめんなさいと言って、本当に申し訳なさそうにした。僕は眠ることを諦めて、
 布団の上にあぐらをかいた。真樹さんが持ってきてくれたペットボトルの水を飲みな
 がら、部屋を舞う埃が朝日に照らされ光っているのを眺めていた。真樹さんは、そん
 な僕を見て「ごめんなさい」と謝りながら笑い続けた。声が聞こえる。
 



ゆるりゆるりと読み進めているが、今夜はコメントなし。というか気分転換として利用
しているというのが本音、さても、"上善は水の如し"と。



                                                  この項つづく

 

 

 

 ● ウールワース、一九五四

 いったいどこから、そして何ゆえに、こんなものが
 ふらふらと浮かび上がってきたのかはわからない。でも
 ロバートが電話で、これからはまぐり採りに
 行こう、そっちに迎えに寄るよと言ってきた直後から
 ずっと、僕はそのことを考え続けている。
 生まれて初めての仕事で、ソルという
 男のもとで働いていたときのこと。
 この男、歳は五十を過ぎているのに
 僕と同じただの商品補充係たった。
 一生うだつがあがらないという
 ところだが、その仕事をありかたく思っている

 という点では僕と同じ。
 安売りスーパーの品物のことなら
 とにかく隅から隅まで
 知らざるはなく、惜しみなくそれを僕に
 教えてくれた。僕は当時十六歳で、
 時給七十五セント。その仕事がすっかり
 気に入っていた。ソルは自分の知識を僕に
 伝授した。彼は我慢強い男だったが、
 僕ものみこみは早かった。
 当時のもっとも重要な
 記憶ぱ、婦人下着の詰まった
 段ボール箱を開けたときのこと。
 アンダーパンツとか、それから柔らかくて
 ぴちっとくっつくようなやつ。そういうのを

 両手にすくって箱から取り出す。そのころでも
 そこには甘酸っぱくミステリアスな
 何かがあった。ソルはそれを「リソガ・リー」
 と呼んだ。「リソガ・リー?」
 ちんぷんかんぷんだ。だから僕もしばらくは、
 そのまま「リソガ・リー」と呼んでいた。
 やがて僕はもっと大きくなり、商品補充係を
 やめて、そのフランス語をちゃんと
 正しい発音で呼ぶようになった。
 いろんな知恵もしっかりとついた!
 あの柔らかさに手を触れられればいいな、
 アンダーパンツを脱がせることができたらなと思ってて、
 女の子とデートをするようになった。
 そしてそれが実現することだってあった。なんと、僕に
 そいつを脱がさせてくれたのだ。アソダーパソツ
 というのはまさに「リソガ・リー」たった。
 それはときにはそこに留まって離れまいと
 した。お腹からずり下ろそうとすると
 その熱く白い肌にやんわりと
 くっついて離れなかった。
 腰やお尻や、美しい太股を
 通過し、次第にスピードを増して
 膝を、そしてふくらはぎ(!)を
 越えていく! 足首に届くと両者は
 めでたくひとつに
 まとまる。そして車の床にはらりと
 脱ぎ落とされて、あとは忘れられて
 しまう。どこにいったっけと

 探されるまでは。「リソガ・リー」

 あの素敵な娘たち!
 「しばし留まれ、汝は美しい」
 誰がそう言ったのか僕は知っている。台詞は
 まさにぴったりだし、そのまま使わせて
 もらおう。ロバートと子供たちと僕は
 バケツとシャベルを手に浅瀬にいる。
 はまぐりを食べない子供たちは
 シャベルですくった砂の中にはまぐりが
 みつかって、バケツに投げ込まれるたびに
 「げえ」とか「おえ」とか言ってふざけまわっている。
 僕といえばずっとそのあいだ、
 ヤキマでの青春の日々を思っていた。





 そして絹のように滑らかなアソダーパソツを。
 ジーンやらリタやらミュリエルやらスーやら
 彼女の妹やら、コーラ・メイやらがはいていた
 留まろうとするものを。そんな娘たちは今では
 みんないい年だ。それもうまくいけばということ。
 そうでなければ――死んでしまった。

   (訳注)「リソガ・リー」〔ランジェリー〕は「ランジェリー」〔Lingerie〕を誤
         読しているわけで、これは「留まる」〔Linger〕とも通じている。
       「しばし留まれ、汝は美しい」はゲーテ「ファウスト」からの引用。
 
                                                                  Woolworth's, 1954 by Raymond Carver

このミニマム小説の構成が大変面白い。潮干狩りとランジェリーと内陸部のヤミマの思い出とが
奇妙に織り込まれ’レイモンド・カーバー織り’に仕上がっている。

                                                 この項つづく

                                                                          


● 2016年の気温も観測史上最高記録(見通し)

米海洋大気局(NOAA)と米航空宇宙局(NASA)は、2015年の世界の平均気温
が過去最高を記録したと発表。20世紀の平均(13・9度)よりも0・90度高く、こ
れまで最も高かった14年の記録を0・16度更新した。地球温暖化やエルニーニョ現象
などが影響したとみられるという。
記録が残る1880年以降の世界各地の陸上や海上で
の測定データをもとに分析した。NOAAによると、昨年12月は特に温かく、20世紀
以降の12月の月平均を1・11度上回った。月平均の上昇幅が1度を超えたのは初めて。
14年秋以降、太平洋東部の赤道付近の海面水温が上昇するエルニーニョ現象が発生。昨
春以降に特に深刻化しており、記録的な気温上昇に拍車をかけたが、今年はさらに上昇す
ると警告している(上図クリック)。気温上昇に伴い、海水の膨張、二酸化炭素濃度の増
加で(1)高潮・海岸浸食、(2)異常気象現象の常態化、(3)動植物・生態系の変動
などのリスクは当面避けられない。護岸・農作物被害対策、河川氾濫・山崩れ対策などの
「環境防災対策」への最優先公共投資の緊急性が高まる(要特別会計化)。

 

 

 【2つの最新技術開発情報】

 

● 電気を通す透明ラップフィルムを開発

産業技術総合研究所の研究グループは電気を通す透明ラップを開発。これまでにも印刷製
造プロセスによるメモリーアレイ、RFタグ、蒸散量センサー、大面積圧力センサーなどを
開発してきが、最近は人体や食品などの曲面にフィットする柔軟な大面積デバイスの開発
に注力。高伸縮性・透明性・電気的安定性・強靭性を同時に備えた柔軟な導電性フィルム
の部材を探索。グループの
トクセン工業は、世界最高峰の伸線加工技術を有し、世界最小の
線径をもち、高強度で高弾性率のワイヤの開発に成功している。

 そこで、産総研の柔軟なデバイスの開発技術と、トクセン工業の極細ワイヤを組み合わ
せ、これまでにない高伸縮性・透明性・電気的安定性・強靭性を同時に備える柔軟な導

電性フィルムの実現を目指す。開発した透明で高伸縮性の導電性ラップフィルムは、二
枚の柔軟なフィルムの間に極細金属ワイヤが波状になるようにはさみこんだ構造をとる
(上図クリック)。また、柔軟なフィルム間に極細金属ワイヤを波状に形成する際、極
金属ワイヤの弾性係数が、形成される波状ワイヤの形状に強く影響する。
実際
に二枚の柔軟フィルム間に形成した波状の極細金属ワイヤの形状の顕微鏡写真を図

示。高弾性のワイヤとしては、線径9μmのピアノ線を、また低弾性のワイヤとしては線
径30μmの銅線を用い、高弾性ワイヤでは波の頭頂部の曲率半径が比較的大きいが、低
弾性ワイヤでは曲率半径が小さくなり、繰り返し伸縮すると頭頂部で金属疲労が起こり
断線。極細金属ワイヤとして弾性の高いピアノ線を用い、波状ワイヤの頭頂部の曲面半
径を大きくでき、伸縮する際にも金属疲労が起こらず、断線に強い高伸縮性の導電性ラ
ップフィルムが作製できたという。

● 高感度テラヘルツ波パワーセンサーを開発 

もう1つは、同じく 産業技術総合研究所の研究グループが高感度テラヘルツ波パワーセ
ンサを
開発(上図クリック)。この情報はこのブログでも取り上げたことがあるが、今
回、テラヘルツ波の吸収により、
発生する熱を熱電変換素子により電気信号に変え、そ
の信号をもとに発生した熱と同等の直流
電力とし、それを精密に測定して、テラヘルツ
波パワーを定量的に求めることができる。検出部に
は、熱伝導性が高く、テラヘルツ波
を効率よく吸収できる吸収体を用い、検出部の周囲には十分
な断熱遮蔽を施し、常温で
数十ナノワット(nW)レベルの高感度測定を実現した。今回のテラヘルツ波パワーの定
量的測定法により、今後、様々なテラヘルツ波応用技術――材料分析の信頼性向上や高
度化――が期待されている。


● DIY日誌: 寒波に備え融雪剤を準備

先日の積雪で、自宅の南南東にあるすこし勾配がある道を自動車スリップして上れなく
なるトラブル数件あり、レスキューに駆けつけ作業する。該当の事なきはをえたが、寒
波が近づくとうことで急遽、市役所に連絡し融雪剤の準備をした。問題はそのことでは
なく、レスキュー時に車の助走を助ける際の肺呼吸の障害。職業環境要因についてはブ
ログで掲載済みだが呼吸器系はぼろぼろで、肺ガンや心筋梗塞の罹患もなくここまでこ
れたことが奇跡である。ここ2日、前肺炎段階の恐怖にさらされている。とは言え、夜
遅くまで打ち込んでいるとは自分でもあきれるくらだ。

 

 

  ● 今夜のいちもつ

北陸新幹線ルートで小浜-京都ル-ト案が急浮上し、有力だとという。経費も嵩み、工期も長く
なる。まして京都を南北に分断する計画だ。「伝統文化と観光」(ソフト政策を考える側面からも
クエスチョンがつく。わたし(たち)米原ルート派は、不同意である(『新三都物語』参照)。

 

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量子ドットとグラフェンの強襲

2015年12月14日 | デジタル革命渦論

 

 

 

 

   体をくねらせて滑らかに這うヘビの驚くべき秘密が明らかになった。
     
ウロコの表面が極めて薄い潤滑油でコーティングされていたのだ。 

               ナショナル ジオグラフィック日本版 12月14日                                             

             

 

【悲願: 北陸新幹線「新三都物語」】

 

余談だが、朝鮮半島には地下資源が豊富に存在するがネオジムだけはなぜかなかった(昨夜
調べ)。その代わりモンゴル→朝鮮半島→敦賀のコースは有力だ(超伝導貨物列車)で輸送
か\可能だろうと誇大妄想。

 






 

【最新事例: 量子ドットを用いた電子装置】

従来、複数個配列した半導体量子ドット構造を用いて、多量子ビットを形成して量子計算を
行う方法が考案されているが、この半導体量子ドットを用いて多量子ビットを形成するため
の方法は、電子スピンを用いる方法が提案されている。強磁場下で電子スピンは本質的な2
準位系であり、電子スピン上向き、電子スピン下向きの2状態を1ビット状態に対応させる。
また、ビットの操作として電子スピン共鳴 (ESR) を利用する方法が提案されている。強
磁場下で高周波磁場を照射しESR制御で電子スピン状態を確定した後、量子ドット間相互
作用を変え量子演算をすることが提唱されている 。

特許5397905 量子ドットを用いた電子装置  

上図1は従来の量子ドットを用いた電子装置の上面図を示す。図2にはその電子装置の側面
概略図を示す。これらの図に示すように、ガリウムヒ素 (GaAs) 結晶基板11上にアル
ミニウム・ガリウム・ヒ素(AlGaAs)結晶層12をエピタキシャル成長させると、両
結晶のヘテロ接合界面に10nm程度の厚さの2次元電子ガス層(2DEG層)13が形成
される。この2DEG層13はAlGaAsエピタキシャル層であるAlGaAs結晶層12
表面より約100nmの位置にある。AlGaAs結晶層12上にはゲート電極2,3,4,
5(量子ドット結合制御電極2、右側量子ドット形成電極3、左側量子ドット形成電極4、
中央ゲート電極5)が形成される。これらのゲート電極2,3,4,5に負の電圧を印加す
ることにより、ゲート電極2,3,4,5直下より空乏層が伸びる。この空乏層が2DEG
層13まで伸び、さらにゲート電極2,3,4,5に印加する負電圧を増大させると、空乏
層が到達した部分より2DEG層13は電子キャリアを無くして行く。さらに負印加電圧を
増大してゆくと、2DEG層13に電子キャリアが島状(ほぼ円盤状) に取り残される。こ
れが量子ドット8,9である。さらに、半導体結晶基板1上面にカリックスアーレン絶縁膜
14を塗布する。このカリックスアーレン絶縁膜14上に高周波マイクロコイル34のパタ
ーンを電子ビーム真空蒸着してゲート電極2,3,4,5の表面から90nm離れた位置に
形成する。ゲート電極2,3,4,5への印加電圧を調整することで、両量子ドット8,9
には電子が1個のみ存在するようにすることができる。電子スピンのエネルギー状態を固定
するために外部磁場17を印加する。

 この電子装置を用いて量子ビットを形成するため、まず、全量子ドットの電子スピン情報を
初期化(
イニシャライズ) した後、ESR操作を用いて最初の量子ドットに情報を書き込む
(A)。図1,図2に示された高周波マイクロコイル34に高周波電流を流し、高周波磁場
を誘起する。そして、量子ドット8中の電子スピンをESR操作する。このESR操作を、
図3に示すエネルギーダイアグラムに即して説明する。図3の(a)~(c)は、ESR操
作に伴い経時変化した状態を示している。ここで、35はドレイン電極のエネルギー状態を
、36はソース電極のエネルギー状態をそれぞれ示しており、塗りつぶした部分は電子が詰
まっているため上端面以下のエネルギー状態の電子は流れない。37はトンネル障壁で、38
は上向きの基底状態の電子スピン、39は下向きの励起状態の電子スピンを示す。


まず、左側の量子ドット8に電子を電極操作により入れる。十分長い時間(1ミリ秒~1秒) 待つと両
方の量子ドット8,9で電子スピンが揃い、パウリ原理により電流が流れなくなる。図3(a)において、
40は量子ドット8,9間に電流が流れなくなったことを示しており、電子スピン情報が初期化されたこ
とを示している。その後、高周波磁場を与えESR操作をする。図3(b)に示すように、ESRにより電
子スピン39が反転する。さらに、量子ドット間のトンネル確率が十分高ければ、ESR操作が行われ
たことが量子ドット間電流16の流れとして観測される〔図3(c)〕。このようにESR操作により電子ス
ピンの状態が変化することが分かる。

この電子装置を用いて、多量子ビットを作製するには、各量子ドット間の電子スピン結合
状態の精
密制御と各量子ドット内の電子スピンの高速制御が必要である(B)。電子スピン
間の結合状態を制御する方法を図4に示す。デバイスは図1,図2とほぼ同じものであるの
で同じ図を用いて説明する。まず、図4(a)に示すように、初期状態で2つの電子スピン
38,39が逆向きであるものとする。上記記載の(A)とは異なり、電子スピン38,3
9のエネルギー状態はドレイン電極・ソース電極のエネルギー状態35,36よりも低く電
流は流れていないものとする。緩和して電子スピン38,39がそろい電子スピンブロック
が起きる前に、図4(b)に示すように、左側量子ドット形成ゲート電極4への印加電圧を
電荷の移動がない程度に少しだけ強めるか、もしくは相対的に中央ゲート電極5の下の空乏
層を弱めることにより、電子スピン間の相互作用20を強めることができる。その後、図4
(c)に示すように、電子スピンは相互作用し向きの揃った状態となる。このように電子は
相互作用し向きの揃った状態、逆向きの状態を往復運動する。相互作用の時間を一定にする
ことで電子の向きを始めの状態とはいつも逆向きにすることができる。この作用は、NOT
操作を表している。上記(A)と(B)とを組み合わせれば、量子ビット、量子計算は一見
容易なように考えられる。

以上、この装置は 多量子ビットの各々に個別にしかも省電力な方法でESR制御を行い量
子計算を実現するための強磁性体微小磁石を有する量子ドットを用いた電子装置を提供する。
複数個配列した半導体量子ドットの各量子ドット8,9近傍もしくは強磁性体微小磁石10
を配置した構造の電子装置であって、強磁場を印加して電子スピン共鳴(ESR)を生じさ
せ、強磁性体微小磁石10の配置を変えることにより、各量子ドット8,9の共鳴周波数を
制御できる。この各量子ドット8,9の共鳴周波数を制御した状態で、各量子ドット8,9
間の電子スピンのスワッピングを行い、量子計算に必要な量子ビット(QUBIT)を作る
ことで、 従来技術では困難であった量子ビット列からなる多量子ビットの各々に個別にしか
も従来の方法よりも省電力な方法でESR制御を行い量子計算を実現でき、強磁性体微小磁
石を有する量子ドットを用いた電子装置を提供することができる新規技術である。

 ※ 、ESR(Equivalent Series Resistance)と呼ばれる抵抗成分の低い積層セラミックコンデンサ

【最新事例: 二層グラフェンでバレー流の生成/検出に成功】

東京大学の大学院工学系研究科の樽茶清悟教授らの研究グループは15年11月、電気的に
反転対称性を破った二層グラフェンにおいて、バレー流の生成/検出に初めて成功したと発
表。電荷の流れを伴わないバレー流は、エネルギー消費を伴わない情報媒体になると期待さ
れる
。このため、同研究結果は、二層グラフェンによるバレー流を用いた低消費電力エレク
トロニクスの開発に貢献する。

ところで、バレーとは、電子を区別することができる結晶の性質のことを呼ぶ。固体結晶中
の電子はスピン自由度に加えて異なる特性を持つ場合がある。電子は粒子としての性質を持
つと同時に、量子力学的な電子の波の性質も示すことだ。電子の波は一般的にさまざまな波
長や方向を持つが、一部の固体結晶中において安定な状態となる。この特定の波長や方向に
より結晶中の電子を区別することができ、その性質をバレーと呼んでいる。

バレーはスピン流と同様に電荷の流れを伴わず、エネルギー消費のない情報媒体として期待
され
ているが、スピン自由度と比較するとバレー自由度は制御が難しいという課題があった。
グラフェン中の電子もバレー自由度を持つことが知られており研究が進められていたが、エ
ネルギーギャップを制御することができず、電子密度のみを制御していたため、変換効率の
制御性には限界があった。

同研究グループは、二層グラフェンの電場での制御性に着目した。単層グラフェンのままで
は垂直電場により結晶の反転対称性を破ることはできない。二層グラフェンは上下の層にエ
ネルギー差ができるため、結晶の反転対称性を破ることができる。二層グラフェンは単層グ
フェンと同様に、幾何学的位相を持つため結晶の反転対称性を破りバレーホール効果
を誘起
ることができる。エネルギーギャップを垂直電場により制御することで、バレー流
への変換効率も広
範囲で制御できる。

※ 幾何学的位相:電子がエネルギー的に安定な状態に従って変化する際に、電子の波の位相に生
  じるずれのこと。

 

 

 【最新事例:GaNの「最小」ACアダプター】 

● GaNの「最小」ACアダプター、充電時間も1/3に

富士通研究所は15年15月9日、窒化ガリウム(GaN)高電子移動度トランジスタ(HEMT)
パワーデバイスを用いて、モバイル端末などの急速充電を可能にする12ワット出力の小型
交流アダプターを開発。ACアダプターを高効率/小型化/高出力化するためには、スイッチ素
子のオン、オフの動作回数を増やしたスイッチングが求められる。スイッチ素子として、オ
ン、オフを決める閾値(しきいち)電圧が小さく、メガヘルツ駆動が可能なGaN-HEMTが適し
ている。 GaN-HEMTはシリコン(Si)半導体の10倍の周波数で動作し、動作抵抗も1/10以下
と高性能である。しかし、現状ではスイッチ素子の動作を制御するICでは、GaN-HEMTの性能
を最大限に引き出すことができていなかったという。同製品は、周辺回路を工夫してスイッ
チ素子に動作抵抗の小さなGaN-HEMTを使用可能にした。

 

今回、2次側の制御ICとGaN-HEMTの間に、新しくタイミングを制御する回路を導入。制御IC
が生成する電圧の波形を調整することで、高速動作による損失電流発生を抑制でき、GaN-H
EMTの低い動作抵抗を生かしながら、適切なタイミングで電流を出力できるという。これに
より、ACアダプターの効率を高め、小型/高出力化を実現している。さらに、GaN-HEMTの特
性を生かしたことで無駄な電力を削減。米国エネルギー省が16年2月に施行する外部電源
(EPS)の効率基準「Level-VI」にも対応可能になるという。二酸化炭素排出量が削減され、
環境負荷低減にも貢献するとしている。

 

 【最新事例:二層グラフェンでバレー流の生成/検出に成功】 

● 原理的には室温動作も可能

東京大学の大学院工学系研究科の樽茶清悟教授らの研究グループは15年11月、電気的に
反転対称性を破った二層グラフェンにおいて、バレー流の生成/検出に初めて成功したと発表。
電荷の流れを伴わないバレー流は、エネルギー消費を伴わない情報媒体になると期待されて
いる。そのため、同研究結果は、二層グラフェンによるバレー流を用いた低消費電力エレク
トロニクスの開発に貢献する。

ところで、バレーとは、電子を区別することができる結晶の性質のことを呼ぶ。固体結晶中の電子は
スピン自由度に加えて異なる特性を持つ場合がある。電子は粒子としての性質を持つと同時に、量
子力学的な電子の波の性質も示すことだ。電子の波は一般的にさまざまな波長や方向を持つが、一
部の固体結晶中において安定な状態となる。この特定の波長や方向により結晶中の電子を区別す
ることができ、その性質をバレーと呼ぶ。

しかし、バレーはスピン流と同様に電荷の流れを伴わず、エネルギー消費のない情報媒体として期待
されているが、スピン自由度と比較するとバレー自由度は制御が難しいという課題があった。グラフェ
ン中の電子もバレー自由度を持つことが知られており研究が進められていたが、エネルギーギャップ
を制御することができず、電子密度のみを制御していたため、変換効率の制御性には限界があった
という。

同研究グループは、二層グラフェンの電場での制御性に着目した。単層グラフェンのままで
は垂直
電場により結晶の反転対称性を破ることはできない。二層グラフェンは上下の層にエ
ネルギー差が
できるため、結晶の反転対称性を破ることができる。二層グラフェンは単層グ
ラフェンと同様に、幾
何学的位相を持つため、結晶の反転対称性を破り、バレーホール効果
を誘起することができる。
エネルギーギャップを垂直電場により制御することで、バレー流
への変換効率も広範囲で制御でき
る。

※ 幾何学的位相:電子がエネルギー的に安定な状態に従って変化する際に、電子の波の位相に生
  じるずれのこと。

 今回、上下ペアの電極を用いることで二層グラフェンの電子密度を制御すると同時に、垂直
電場を制御。この系でバレーホール効果によりバレー流を電気的に生成し、電流の漏れ出し
の寄与を無視できる3.5マイクロメーターの長距離にわたり伝送した後、逆バレーホール
効果によりバレー流を電圧に変換することで検出した。グループは、検出した電圧と注入し
た。
電流の比を非局所抵抗として、バレー流の伝送の指標として評価。垂直電場で反転対称性
を破っ
たときに、巨大な非局所抵抗が出現することを発見する。

 

尚、同研究グループは、「今回は、ゲート絶縁層を破壊しない程度の大きさで垂直電場を制
限したため、室温での動作は実証できていない。しかし、加える垂直電場を増大すれば変換
効率はさらに向上し、原理的には室温での動作が可能になる」と語る。バレー流を生成する
ときに流れる電流のエネルギー消費も、変換効率の向上で改善できると考えられ、低消費電
力エレクトロニクスの実現が期待されるとしている。

 

10.1038/nphys3551

量子ドット・ナノカーボンがもたらす革命(強襲)は、すさまじいスピードで社会を変えていく可能性を
孕んでいる。わが『デジタル革命渦論』はいよいよ大爆発をもたらす。これは面白くなってきた。

 
 

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時代は太陽道を渡る 16

2015年10月12日 | デジタル革命渦論

 

   人は勝つこともあるし、負けることもあります。
      でもその深みを理解していれば、人はたとえ負け
      たとしても、傷つきはしません。
      人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。
      人はいつか必ず負けます。
      大事なのはその深みを理解することなのです。

                        村上春樹

 

 

 

● ウィンドウズ10騒動で朝を迎える

ウィンドウズ7(Windows 7)で作業をしていたが、画面にウィンドウズ10への無償ダウンロード
がチコチョコ
表示されていたが、それと同期するかのように、IEなどのエラーがでてくるようにな
り、いよいよこれはだめか
と考え載せ替えてみたが、タブレットやスマホを意識した、ワイヤレス、
マウスレスのフラットデザインに変化し、いかにも指先で画面移動できるよ
うな中途半端なOS思想
で設計。(1)アイコンはなくなり、(2)表示フォント太めの「Meiryo UI」で美しくなく、(3)
スタートメニューがなくなり、(4)言語変換のATOKなどが使いずらいえない囲み込み(マイク
ロソフト以外のアプリをボイコット)。フォント変換をネット上のフリーソフトを使うも、ホームペ
ージ作成中、文字化けが発生、(5)動作が重いとストレスが溜まる一方。これではだめと判断し、
ウィンドウズ7(Windows 7)にリカバリーさせ、アプリを再搭載させるとという操作にはいる。お
陰でほぼ三日潰すことに――この損害と慰謝料をマイクロソフト社に請求しようかとも考える。さら
に、夜になるとアルコール消費量が急増し、サントリーの角瓶のほぼ1本を要することに。それだけ
ではない、マイクロソフトのIEは、米政府の国土安全保障省が昨年年4月28日、ハッカーの攻撃
を受ける可能性があるため使用停止――細工されたウェブサイトにアクセスするとウイルスに感染し
個人情報を抜き取られたりパソコンを乗っ取られたりする可能性があるバー
ジョン6から最新の11
が対象――要請が行われていた。

ストレスが溜まった精神を解放するため、湖北野鳥センタの"コハクチョウ"を観察しにいこうと車を
走らせる。湖岸を走らせている、対向車線を大量のクラッシカーが走り抜けるが、ドライバー(ある
いは同乗者)の多くは外人だった。天候は良好で目的地に到着、目当てのコハクチョウはというと、
南方沖合に移動し望遠鏡では観察できないということだった。彼女が、女性の係員から聞いた話では
日中は食餌のため山里に移動し、夕暮れになると湖畔に移動し眠るとのことだ。へぇ~そんなものか
と感心。野鳥センタから光り輝く湖面を背景に帰ってくる。



● 折々の読書 『職業としての小説家』18
 

  第一稿を終えると、少し間を置いて一服してから(そのときによりますが、だいたい一週間く
 らい休みます)、第一回目の書き直しに入ります。僕の場合、頭からとにかく全部ごりごりと書
 
き直します。ここではかなり大きく、全体に手を入れます。僕はそれがどれほど長い小説であれ、   
 複雑な構成を持つ小説であれ、最初にプランを政てることなく、展開も結末もわからないまま、
 いきあたりばったり、思いつくままどんどん即興的に物語を進めていきます。その方が書いてい
 て断然面白いからです。でもそういう書き方をしていると、結果的に矛盾する箇所、筋の通らな
 い箇所がたくさん出てきます。登場人物の設定や性格が、途中でがらりと変わってしまったりも
 します。時間の設定が前後したりもします。そういう食い違った箇所をひとつひとつ調整し、筋
 の通った整合的な物語にしていかなくてはなりません。かなりの分ほをそっくり削ったり、ある
 部分を膨らませたり、新しいエピソードをあちこちに付け加えたりします。




 『ねじまき鳥クロニクル』を書いていたときのように、「ここの部分は全体的に見てもうひとつ
 そぐわないな」と判断して、章のいくつかを丸ごと削除し、その削除したものをベースにして、
 まったく新しい別の小説(『国境の南、太陽の西』)を立ち上げていったりするようなケースも
 あ
ります。まあこれはかなり極端な例で、おおかたの場合削除した部分は削除したまま消えてし
 ま
います。

  その書き直しに、たぶん一か月か二か月はかかります。それが終わると、また一週間ほど置い
 て、二回目の書き直しに入ります。これも頭からどんどん書き直していく。ただし今度はもっと 
 細かいところに目をやって、丁寧に書き直していきます。たとえば風景描写を細かく書き込んだ
 り、会話の調子を整えたりします。筋の展開にそぐわない点がないかどうかチェックし、一読し
 てわかりにくい部分をわかりやすくし、話の流れをより円滑で自然なものにします。大手術では
 なく、細かい手術の積み重ねです。それか終わると、また.一服してから次の書き直しにかかり
 ます。今度は手術というよりは、修正に近い作業になります。この段階では、小説の展開の中で、
 どの部分のねじをしっかり締めるべきか、どの部分のねじを少し緩ませておくかを見定めること
 が大事になります。



  長編小説は文字通り[長い話]なので、隅々まできりきりとねじを締めてしまったら、読者の
 息か詰まります。ところどころで文書を緩ませることも大事です,そのへんの呼吸を読まなくて
 はなりません。全体と細部のバランスをよくすること。そういう観点から文章の細かい調整をお
 こないます。ときどき評論家で長編小説の一部を抜き出して『こんなに雑な文章を書いていては
 いけない」と批判する人がいますが、それは僕に言わせればあまりフェアな行為とは言えない。

  というのは、長編小説というものには
――ちょうど生身の人間と同じように――ある程度雑な
 緩んだ部分だって必要だからです。そういうものがあってこそ、きりきりと締めた部分か正当な
 効果を発揮します。

  そしてだいたいこのあたりで、一度長い休みを取ることにしています。できれば半月から一か
 月くらいは作品を抽斗にしまい込んで、そんなものがあることすら忘れてしまいます。あるいは
 忘れてしまおうと努力します。そのあいだ旅行をしたり、まとめて翻訳の仕事をしたりします
 長編小説を書くときには、仕事をする時間ももちろん人事ですか、何もしないでいる時間もそれ
 に劣らず大事な意味を持ちます。工場なんかの製作過程で、あるいは建築現場で、「養生」とう
 い段階があります。製品や素材を「寝かせる」ということです。ただじっと置いておいて.そこ
 に空気を通らせる、あるいは内部をしっかりと固まらせる。小説も同じです。この養生をしっか
 りやっておかないと、生乾きの脆いもの、組成が馴染んでいないものかできてしまいます。

  そのように作品をじっくりと寝かせたあとで、再び細かい部分の徹底的な書き直しに入ってい
 きます。しっかり寝かせたあとの作品は、前とはかなり違った印象を僕に与えてくれます。前に
 見えなかった欠点もずいぶんくっきり見えてきます。奥行きのあるなしか見分けられます。作品
 が「養生」したのと同じように、僕の頭もまたうまく「養生」できたわけです。


 
  しっかり養生を済ませたし、そのあとある程度の書き直しもした。この段階で大きな意味を持
 ってくるのか、第三者の意見です。僕の場合、ある程度作品としてのかたちかついたところで、
 まず奥さんに原稿を読ませます。これは僕の作家としてのほぼ最初の段階から、一貫して続けて
 いることです。彼女の意見は僕にとっては、言うなればか楽の「基準書」のようなものです。う
 ちにある古いスピーカー(失礼)と同じことです。僕はすべての種類の音楽をこのスピーカーで
 聴きます。とくに立派なスピーカーじやありません。一九七〇年代に買ったJBLのシステムで、
 図体は大きいんですが、現代の最新の高級スピーカーに比べれば、出てくる音の領域はかなり限
 られています。音の分離もそれほど良いとは言えません。いねば骨董品みたいなものです。でも
 僕はなにしろこのスピーカー・システムでこれまで、ありとあらゆる音楽を聴いてきたので、そ
 こから出てくる音が僕にとっての音楽の再生の基準になっているわけです。それが身についてし
 まっている。

  こういうことを言うと、あるいは腹を立てる人もいるかもしれませんが、出版社の編集者は日
 本の場合、専門職とはいっても、結局のところサラリーマンですから、それぞれの会社に属して
 いるし、いつ配置換えになるかもしれません,もちろん例外はありますか、大方の場合、上から
 「君がこの作家を担当しなさい」と指名されて、担当編集者になっているわけで、どこまで親身
 につきあえるか予測の在たないところがあ今その点、友というのは良くも悪くも、まず配置換え
 にはなりません、僕が「観測定点」と言うのは、そういう意味です,長年つきあっているから、
 「この人がこういう感想を持つのは、こういう意味合いで、こういうところから来ているんだな」
 というニュアンスがおおよそ理解できます(おおよそと僕が言うのは、妻についてすべてを理解
 するのは原理的に不可能だからです)。

  でもだから、相手から言われたことかそのまますらすら受け入れられるかというと、そうはい
 きません。こちらは長い時間をかけて、長い小説を書き終えたばかりで、養生によって多少冷め
 たとはいえ、頭にはまだじゅうぶん血がのぼっていますから、批判的なことを言われると頭に来
 ます。感情的にもなります。激しい言い合いになることだってあります。他人である編集者を相
 手に、正面からそんなきつい物言いをすることはできませんから、そのへんはまあ身内の利点と
 言えるかもしれない。僕は現実生活においてはとくに感情的な人間ではありませんが、この段階
 ではある程度感情的にならざるを得ないところかあります。というか、感情をいったん外に吐
 出してしまうことが必要になってきます。

  彼女の批評には、「たしかにそうだな」「ひょっとしたらそうかもしれない」と思えることも
 あります。そう思えるようになるまでに、数日を要する場合もありますが。また「いや、そんな
 ことはない。僕の考えの方がやはり正しい」と思うこともあります。でもそのような「第三者導
 入」プロセスにおいて、僕にはひとつ個人的ルールがあります。それは「けちをつけられた部分
 かあれば、何はともあれ書き直そうぜ」ということです。批判に納得がいかなくても、とにかく
 指摘を受けた部分があれば、そこを頭から書き直します。指摘に同意できない場合には、相手の
 助言とはぜんぜん違う方向に書き直したりもします。

  でも方向性はともかく、腰を据えてその箇所を書き直し、それを読み直してみると、ほとんど
 の場合その部分か以前より改良されていることに気づきます。僕は思うのだけど、読んだ人があ
 る部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題か含ま
 れていることが多いようです。つまりその部分で小説の流れか、多かれ少なかれつっかえている
 ということです。そして僕の仕事はそのつっかえを取り除くことです。どのようにしてそれを取
 り除くかは、作家か自分で決めればいい。たとえ「これ完璧に書けているよ。書き直す必要なん
 てない」と思ったとしても、黙って机に向かい、とにかく書き直します。なぜならある文章か「
 完蔡に書けている」なんてことは、実際にはあり得ないのですから。

  今回の書き直しは頭から順番にやっていく必要はありません。問題になった部分、批判された 
 部分だけを集中して、書き直していきます。そして書き直した部分をもう一度読んでもらい、そ
 れについてまた討論をし、必要があれば更に書き直します。それを読んでもらい、まだ不満かあ
 れば、更にまた書き直します。そしてある程度片がついたところで、また頭から書き直して全体
 の流れを確認し、調整します。いろんな部分を細かくいじったせいで、全体のトーンか乱れてい
 れば、それを修正します。そこで初めて編集者に正式に読んでもらいます。その時点では、頭の
 過熱状態はある程度解消されていますから、編集者の反応に対しても、それなりにクールに客観
 的に対処することができます。

                 「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』


長編小説を読むのも、ビジネスマンにとって所要時間が大きくなるので、ぱっと斜め読みして、ピン
とこなければそのまま積んでおくだけということはよくあることではないか――作家にすればどんな
にエネルギーを要し、神経をすり減らても―――と思っている。ここでは、書き手のノウハウが開陳
されているものの、ここではそのまま鵜呑みにして読み進める。さて、今回もノーベル文学賞は、ベ
ラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチが受賞。ノンポリ派作家?の村上春樹の評価は、
かっての文学論争での「テーマの積極性」が優位に働き分が悪かったのではとの考えが頭を過ぎる。
だからといって、彼の秀抜な作品集の輝きは失せることはないのだが。

  

                                                                      この項つづく



 

 

 

【時代は太陽道を渡る 16】

● ハウステンボス「変なホテル」 太陽道システム導入

東芝は、ハウステンボスから、自立型水素エネルギー供給システム「H2OneTM」を受注したと発表。
16年3月にオープン予定のスマートホテル「変なホテル」第2期棟に設置する。同システムの受注
は初めてで、太陽光の余剰電力を水素として蓄え、燃料電池で電気に戻すことで、日照変化による出
力変動を安定化させるためのもの(「ハウステンボスの「変なホテル」、太陽光と水素でエネルギー
自活」 日系テクノロジー・オンライン 2015.10.08)。

  

今回、受注した水素エネルギー供給システムは、リゾート施設向けとして設計する。エネルギーイン
フラが十分に整っていない地域でも、再生可能エネルギーと水素を活用して、ホテル・リゾート施設
内のエネルギーを自給自足できるもの。例えば、日照時間の長い夏の間、太陽光で発電した電力の余
剰分を利用し、水素製造装置で水素を製造して水素タンクに貯蔵しておく。貯蔵した水素を日照の減
る冬期に利用、燃料電池で発電することで、年間を通じてホテル1棟分の電力量を安定的に供給する。

今回、導入する「H2OneTM」では、水素を高密度で貯蔵できる水素吸蔵合金を水素貯蔵タンクとして
搭載する。従来の水素タンクと比べ、貯蔵タンクのサイズが10分の1以下になり、敷地面積の限ら
れる場所でも導入が容易になる。これは太陽光発電だが、風力発電などで電解すれば水素製造も可能。

 

特開2012-255200 電解装置及び電解方法

 

● パナソニック モジュール変換効率で世界最高22.5%達成

パナソニックHIT太陽電池――内層の単結晶シリコンと表面層の薄膜シリコン(アモルファスシリ
コン)を組み合わせた構造を採り、量産品としては最も変換効率が高い太陽電池、わずかに遅れて単
結晶太陽電池が追う。変換効率の「第2グループ」はCdTe太陽電池とCIS太陽電池、多結晶シリ
コン太陽電池。セル変換効率の世界記録ではいずれも20%を超える。新製品「HIT N330(VBHN330
SJ47)」は、96セルを用いた出力330ワットの太陽電池モジュール(上図)。モジュール効率は
19.7%。一般的な多結晶シリコン太陽電池製品(出力260ワット)と比較して最大出力が約27
%高い。新製品を15枚設置したときの出力は4.95キロワット、260ワット品の3.90キロワ
ットよりも1キロワット増となる。

HIT N330は、変換効率24.3%の太陽電池セルを用いる。同社は14年4月に太陽電池セル
で25.6%という世界記録を達成。太陽電池モジュール製品の効率向上はまだ余裕がある。同社は、
HIT  N330を16年3月、英国と欧州諸国向けに投入。断念ながら、日本は太陽電池市場で向
けとしてでなく
、N330は欧州向け、日本向けに投入する予定はないというから不思議な話である
が、変換効率で世界最高レベルなのである。

 

 

 

● 人口10万人単位のコミュニティーソーラーブロック構築

このように考えていくと、「太陽光と無償電気温水器をセットで提供」(『北陸新幹線「新三都物語
」』2015.10.08)で掲載しように、人口10万単位とした、コミュニティーソーラーブロック圏を組
織し、(A)各世帯別に(1)太陽光発電パネル、(2)燃料電池、(3)蓄電池と(B)コミュニ
ティ専用の(1)メガソーラー発電、(2)余剰蓄電設備――①電解水素、②蓄電池、③揚水発電、
④その他、(3)配送電制御設備――コミュニティーソーラーブロック間の調整システムを備え(A)
の設備を会員に格安リース(設備工事費込み)、リース費用は、コミュニティーソーラー所有パネル
プラス(A)で所有しているパネルの発電量と消費電力の差額電力費用(メンテ費用もリース料金に
含まれている)で相殺し、その結果、余剰電力分は基本的に会員の収入となるが、そのトータル量が
コミュニティーソーラー大幅超過しないように管理組織(民営)がコントロールすることを基本とす
る。ここに関わる設計・設備製造・保全・サービスなどの機構は民間(=営利企業)が行う――そん
なことを構想してみたがどうだろうか。

 

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北陸新幹線「新三都物語」

2015年10月08日 | 時事書評

 

 

   宗教とは真実よりもむしろ美しい仮説を提供するもの  / 村上春樹『1Q84』

 

 

 

【北陸新幹線「新三都物語」】

北陸新幹線敦賀以西ルートをめぐり、沿線首長らの発言が九月以降、活発化している。背景にはJ
R西日本
が内部で検討した小浜市と京都駅を通る案の浮上がある。ルート候補は三案あり、福井は
若狭(小浜)、関
西広域連合などは米原を求めるが、判断材料が少ないとして明言を避けるケース
も。七日の与党検討委員
会では、北陸三県の知事から意見聴取している(中日新聞 2015.10.07)。
このニュースでは上下図の「ルート図(案)」と「沿線首長の発言(9月)」を掲載している。
当たる、滋賀県の三日月大造知事は工費や建設期間などの面から米原ルートを推し、。記者会見で
はJR西の内部案を「小浜ルートより長い。建設費はどうなるのか」と指摘している。

 

この計画についてはブログ掲載してきた(例えば『日本周回新幹線構想Ⅱ』2015.04.08)。その第
1ステージが北陸新幹線敦賀駅を結接駅とし東海道新幹線米原駅結接として、大阪と名古屋に分岐
する「新三都物語」路線とするもので、京都をはじめとして、新しく大阪、金沢、名古屋を三都と
して加えた新幹線に、関西空港、セントレア空港、小松空港を接続するという構想である。この経
済効果には、日本海側の韓国、北朝鮮、ロシア、中国(東北部)と太平洋側の台湾、中国、東南ア
ジア、また、環太平洋諸国(豪、ニュージランド、北米西部、中米西部、南米西部)諸国と結ぶ経
済圏との交易観光の新規興産をベースとしているので、その経済効果を各国地区のGDPの数パー
セントと超概算見積として試算。特に、北朝鮮の経済成長寄与度は魅力的。同然、海運・港湾
業市
場規模の伸長も魅力的。

※これは老婆心なのだが、JR東海とJR西日本の二社の融和がキーとなりそうだ。

 

  
● 折々の読書 『職業としての小説家』17
 

  これは僕の昔からの持論ですか、世代間に優劣はありません。あるひとつの世代か他のひと
 つの世代より優れている、あるいは劣っているなんてことはまずありません。世間ではよくス
 テレオタイプな世代批判みたいなことがおこなわれていますが、そういうのはまったく意味の
 ない空論だと僕は確信しています。それぞれの世代間には優劣もなければ、上下もありません。
 もちろん傾向や方向件においてはそれぞれに差毀かあるでしょう。しかし質量そのものにはま
 ったく差がありません。あるいはあえて問題にするほどの差はありません。

  具体的に言うなら、たとえば今の若い世代は、漢字の読み書き能力なんかに関しては先行す
 る世代よりいくぶん劣っているかもしれません(事実がどうなのかはよく知らないけど)。で
 もたとえば、コンピュータ言語の理解処理能力なんかにおいては間違いなくより優れているで
 しょう。僕が言いたいのはそういうことです。それぞれに得意分野があり、若手分野かあるの
 です。それだけのことです。だとしたら、それぞれの世代は何かを創造するにあたって、それ
 ぞれの「得意分野」をどんどん前面に押し出していけばいいわけです。自分の得意な言語を武
 器とし、自分の目にいちばんクリアに映るものを、自分に使いやすい言葉を使って記述してい
 けばいいわけです。他の世代に対してコンプレックスを持つ必要もありませんし、また遂に妙
 な優越感を持つ必要もありません。

  僕か小説をがき始めたのは三十五年も前のことですが、その当時はよく「こんなものは小説
 じゃない」「こんなものは文学とはいえない」と先行する世代から厳しい批判を受けました。
 そういう状況がなにかと収くて(というか、鬱陶しくて)、けっこう長く日本を離れて外国で
 暮らし雑音のない静かな場所で好きなように小説を書いていました。でもそのあいだも、自分
 が間違っているかもしれないとはまったく思いませんでしたし、不安みたいなものもとくに感
 じませんでした。「実際にこうとしか書けないんだもの、こう書くしかないじゃないか。それ
 のどこがいけないんだ」と開き直っていました。今はたしかにまだ不完全かもしれないけど、
 そのうちにもっとちゃんとした、質の高い作品が書けるようになるだろう。またその頃になれ
 ば時代も変化を遂げているだろうし、僕のやってきたことは間違っていなかったと、しっかり
 証明されるはずだと信じていました。なんだか厚かましいようですが。

  それが現実に証明されたのかどうか、今こうしてあたりをぐるりと見回しても、僕自身には
 まだよくわかりません。どうなんだろう? 文学においては、何かが証明されるなんてことは
 永遠にないのかもしれない。でもそれはともかく、三十.九年前も今も、自分がやっているこ
 とは基本的に間違っていないという信念は、ほとんど揺らいでいません。あと三十五年くらい
 経ったら、また新しい状況か生まれているかもしれませんが、その顛末を僕が見届けることは、
 年齢的にみてちょっとむすかしそうです。どなたか僕のかわりに見ておいてください

  ここで僕か言いたいのは、新しい世代には新しい世代固有の小説的マテリアルかあるし、そ
 のマテリアルの形状や収さから逆算して、それを運ぶヴィークルの形状や機能が設定されてい
 くのだということです。そしてそのマテリアルとヴィークルとの相関性から、その接面のあり
 方から小説的リアリティーというものが生まれます。
  どの時代にも、どの世代にも、それぞれの固有のリアリティーがあります。しかしそれでも
 小説家にとって、物語に必要なマテリアルを丹念に収集し、蓄積するという作業がきわめて重
 要であるという事実は、おそらくいつの時代にあっても変わることはないと思います。
  もしあなたが小説を書きたいと志しているなら、あたりを庄意深く見回してください――と
 いうのが今回の僕の話の結論です。世界はつまらなそうに見えて、実に多くの魅力的な、謎め
 いた原石に満ちています。小説家というのはそれを見出す目を持ち合わせた人々のことです。
 そしてもうひとつ素晴らしいのは、それらが基本的に無料であるということです。あなたは正
 しい一対の目さえ具えていれば、それらの貴重なな原石をどれでも選び放題、採り放題なので
 すこんな晴らしい職業って、他にちょっとないと思いませんか?
 

                                          「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
                                  村上春樹 『職業としての小説家』


ここで述べられている信条や体験は、何も小説家だけでなくそれぞれの職域で日常的に体験するこ
とだという感想を、というより確信に近いもの感じさせ、それが、読み手それぞれの違いはあるも
のの、よく似た着地点ではないかと思えたことが1つ。そして、彼の小説のバックグランドには、
北欧のような、人口密集度の小さい、乾燥した寒いの風に似たもの感じさせるものがあると思もわ
せる。とくに、現在読み進めている、又吉直木の『火花』の芸能界の猥雑な人情が溢れる大阪のバ
ックグランドとは対照的な展開を追っていることもあり強い印象として残る。



  僕はかれこれ三十五年ばかり、いもおう職業的作家として活動を続けていて、その間にいろ
 んな形式の、いろんなサイズの小説を書いてきました。分冊にしなくてはならないような長め
 の長編小説(たとえば『IQ84』)、一冊に収められるくらいのサイズの長編小説(たとえ
 ば『アフターダーク』)、いわゆる短編小説、そしてごく短い短編(掌編)小説、などです。
 艦隊にたとえれば戦艦から巡洋艦、駆逐艦、潜水艦まで、各種艦船かだいたい取り揃えてある
 わけです(もちろん攻撃的意図は僕の小説にはありませんか)。それぞれの船には、それぞれ
 の機能があり、役割があります。そして全体として、お互いをうまく補足し合えるようなポジ
 ションに配置されています。どういう長さのフォームを取り上げて小説を刄くかは、そのとき
 の気持ち次第です。ローテーションみたいなものに従って、規則的に回しているのではなく、
 心の赴くままというか、あくまで自然の成り行きにまかせています。「そろそろ長編を書こう
 かな」とか「また短編が書きたくなってきたな」とか、そのときどぎの心の動きによって、あ
 るいは求めに応じて、容れ物を自由に選択するようにしています。選ぶにあたって、迷うよう
 なことはまずありません、「今はこれ」とはっきり判断できます。短編小説を書く時期が来た
 ら、ほかのことには目を向けず、集中して短編小説を書きます。

  でも僕は基本的には、というか最終的には、自分のことを「長編小説作家」だと見なしてい
 ます。短編小説や中編小説を書くのもそれぞれに好きですし、書くときはもちろん夢中になっ
 て書きますし、書き上げたものにもそれぞれ愛着を持っていますが、それでもなお、長編小説
 こそが僕の主戦場であるし、僕の作家としての特質、持ち味みたいなものはそこにいちばん明
 確におそらくは最も良いかたちで-現れているはずだと考えています(そうは思わないという
 方かおられても、それに反論するつもりは毛頭ありませんか)。僕はもともとか長距離ランナ
 ー的な体質なので、いろんなものごとがうまく総合的に、立体的に政ち上かってくるには、あ
 る程度のかさの時間と距離が必要になります。本1にやりたいことをやろうとすると、飛行機
 にたとえれば、長い滑走路かなくてはならないわけです。

  短編小説というのは、長編小説ではうまく捉えきれない細部をカバーするための、小回りの
 きく俊敏なヴィークルです、そこでは文章的にもプロット的にも、いろんな思い切った実験を
 行うことができますし、短編という形式でしか扱えない種類のマテリアルを取り上げることも
 できます。僕の心の中に存在する様々な側.面を、まるで細かい網で微妙な影をすくい取るみ
 たいに、そのまますっと形象化していくことも(うまくいけば)できます。書き上げるのにそ
 れほど時間も
かかりません。その気になれば準備も何もなく、一筆書きみたいにすらすらと数
 日で完成させてしまうことも可能です。ある時期には僕は、そういう身の軽い、融通の利くフ
 オームを何より必要とします。しかし――これはあくまで僕にとってはという条件付きでの発
 言ですか 自分の持てるものを好きなだけ、オールアウトで注ぎ込めるスペースは、短編小説
 というフォームにはありません。

  おそらく自分にとって重要な意味を持つであろう小説を潜こうとするとき、言い換えれば「
 自分を変革することになるかもしれない可能性を有する総合的な物語」を立ち上げようとする
 とき、自由に制約なく使える広々としたスペースを僕は必要とします。ますそれだけのスペー
 スか確保されていることを確認し、そのスペースを満たすだけのエネルギーか自分の中に蓄積
 されていることを見定めてから、言うなれば蛇口を全開にして、長F場の仕事にとりかかりま
 す。そのとぎに感じる充実感は何ものにも代えがたいものです。それは長編小説を書き出すと
 きにしか感じられない、特別な種類の気持ちです。

  そう考えると、僕にとっては長編小説こそが生命線であり、短編小説や中編小説は極言すれ
 ば長編小説を河くための人事な練習場であり、有効なステップあると言ってしまっていいので
 はないかと思います。一万メートルや五千メートルのトラック・レースでもそれなりの記録は
 残すけれど、軸足はあくまでフル・マラソンに置いている長距離ランナーと同じようなものか
 もしれない。 




  そんなわけで今回は、長編小説を爾くという作業について語りたいと思います。というか、
 長編小説を書くことを例にとって、僕がどういう小説の書き方をするのかを、具体的に語りた
 いと思います。もちろん一口に長編小説といっても、ひとつひとつの小説の中身が違っている
 のと同じように、その執筆の方法や、仕事をする場所や、要する期間もそれぞれ異なってきま
 す。しかしそれでも、その基本的な順序やルールみたいなものは書くことが初めて吋能になる
 あくまで僕自身の印象ではということですが 大筋ではほとんど変化しないようです。それは
 僕にとって「通常常業行為=ビジネス・アズ・ユージュアル」とでも呼ぶべきものになってい
 ます,というか、そういう決まったパターンに自分を追い込んでいって、生活と仕事のサイク
 ルを確定することによって、長編小説をという部分かあります。尋常ではない量のエネルギー
 か必要とされる長丁場の作業ですから、ますこちらの体勢をしっかり固めておかなくてはなり
 ません。そうしておかないと、下手をすると途中で力負けしてしまうかもしれません。

  長編小説を書く場合、僕はまず(比喩的に言うなら)机の上にあるものをきれいに片付けて
 しまいます。「小説を潟くほかには何も書かない」という体勢を作ってしまうわけです。もし
 そのときエッセイの連載なんかをやっていたら、そこでいったん中眼してしまいます。飛び込
 みの仕事
も、よほどのことかなければ引き受けません。何かを真剣にやり出したら、ほかのこ
 とがでぎなくなってしまう性格だからです。締め切りのない翻訳作業なんかを自分の好きなペ
 ースで、同時進行的にやることはよくありますが、これは生活のためというよりは、むしろ気
 分転換のためです。翻訳というのは基本的にテクニカルな作業ですから、小説を潟くのとは使
 う頭の個所が違います。ですから小説を書くための負担になりません。筋肉のストレッチング
 と同じで、そういう作業を並行してやるのは、脳のバランスを取るために、かえって有益であ
 るかもしれません。

  「おまえはそんな気楽なことを言うけれど、生活していくためには、他の細かい仕事だって
 引き受けなくちゃならないだろう」とおっしゃる同業者の方もおられるかもしれません。長編
 小説を書いている間、どうやって生活していけばいいんだよ、と。僕はここではあくまで、僕
 自身のとってきたシステムについて語っているだけです。本当なら出版社からアドバンスをも
 らえばいいわけですか、日本の場合はアドバンスという制度がないし、長編小説を書いている
 間の生活費まではまかなえないかもしれません。ただ個人的なことを言わせていただければ、
 まだそれほど本が売れていない時期から、僕はずっとそういうやり方で長編小説を潟いてきま
 した。生活費を稼ぐために、文筆とはまったく関係のない他の仕事を日常的にやっていたこと
 はあります(肉体作業に近いものですが)。でも書き物の仕事の依頼は原則として受けません
 でした。キャリア初期の段階での少数の例外を別にすれば(当時はまだ、自分の執筆スタイル
 を確包する飾だったので、いくつかの試行錯誤がありました)、基本的に小説を書くときは、
 小説だけを書いていました。


 
  僕はある時期から、長編小説は海外で書くことが多くなったのですか、これは日本にいると
 どうしても雑用(あるいは雑音)があれこれ入ってくるからです。外国に出てしまうと、余計
 なことは考えずに執筆に気持ちを集中できます。とくに僕の場合、書き始めの時期には執筆の
 ための生活パターンを固定させていく人事な時期にあたるわけですがどちらかといえば、日本
 を離れた方かいいみたいです。最初に日本を離れたのは八○年代後半のことですか、そのとき
 はやはり迷いがありました。「こんなことをして、本当に生き残っていけるんだろうかっ?」
 と不安でした。僕はけっこう厚かましい方ですが、それでもさすかに背水の陣を敷くというか、
 帰りの橋を焼き払うような決意か必要でした。旅行記を書くという約束をして、無理を言って
 出版社からいくらかアドバンスを受け取りましたが(それは後に『遠い太鼓』という本になり
 ました)。基本的には貯金を切り崩して生活しなくてはならなかったわけですから。

  でも思い切って心を決め、新しい可能性を追求したことか、僕の場合は良い結果を生んだよ
 うです。ヨーロでパ滞在中に書きLげた『ノルウェイの森』という小説がたまたま(予想外に)
 売れたことで、生活を安定させ、長期的に小説を河き続けるための個人的システムみたいなも
 のをとりあえず設定することがでぎました。そういう意味では幸運であったと思います。でも、
 こんなことを言うとあるいは傲慢に響くかもしれませんが、決して幸運だけでものごとが運ん
 だわけ
ではありません。そこにはいちおう僕なりの決意と、開き直りがあったわけです。


  長編小説を書く場合、一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことを
 ルールとしています。僕のマックの画面でいうと、だいたい二画面半ということになりますが、
 昔からの習慣で四百字詰で計算します。もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日
 は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとかがんばって十枚は書きます。なぜなら長い仕事を
 するときには、規則性か大切な意味を持ってくるからです。書けるときは勢いでたくさん書い
 ちゃう書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません。だからタイム・カードを押
 すみたいに、一日ほぼきっかり十校書きます。

  そんなの芸術家のやることじゃない。それじゃ工場と同じじゃないか、と言う人がいるかも
 しれません。そうですね、たしかに芸術家のやることじゃないかもしれない。でもなぜ小説家
 が芸術家じゃなくてはいけないのか? いったい誰がいつそんなことを決めたのですか? 誰
 も決めていませんよね。僕らは自分のやりたいやり方で小説を書けばいいのです。だいいも「
 なにも芸術家じゃなくたっていいんだ」と思えば、気持ちかぐっと楽になります。小説家とい
 うのは、芸術家である前に、自由人であるべきです。好きなことを、好きなときに、好きなよ
 うにやること、それが僕にとっての自由人の定義です。芸術家になって世間の目を気にしたり、
 不自由なかみしもをまとうよりは、ごく普通のそ
のへんの自由人になればいいんです。





  アイザック・ディネーセンは「私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます」
 と言っています。それと同じように、僕は毎日十枚の原稿を河きます。とても淡々と。「希望
 もなく、絶望もなく」というのは実に言い得て妙です。朝早く起きてコーヒーを温め、四時間
 か五時間机に向かいます。一日十枚原稿を書けば、一か月で三百枚書けます。単純計算すれば、
 半年で千八百枚が書けることになります。具体的な例を挙げれば、『海辺のカフカ』という作
 品の第一稿が千八百枚でした。この小説は主にハワイのカウアイ島のノースショアで書きまし
 た。ここは実に何もないところで、おまけによく雨か降るので、おかげで仕事は捗ります。四
 月の初めにがき始めて、十月に書き終えました。プロ野球の開幕と同時に書き始めて、日本シ
 リーズが始まる頃に書ぎ終えたので、よく覚えています。その年には野村監督のもと、ヤクル
 ト・スワローズが優勝しました。僕は長年のヤクルト・ファンなので、ヤクルトは優勝するわ、
 小説は書き終えることができたわで、けっこうほくほくしたことを記憶しています。ほとんど
 ずっとカウアイ島にいたために、レギュラーシーズソにあまり神宮球場に行けなかったのは残
 念でしたが。

  しかし長編小説の仕事は野球と違って、いったん書き終えたところから、また別の勝負(ゲ
 ーム)が始まります。僕に言わせてもらえれば、ここからがまさに時間のかけがいのある、お
 いしい部分になります。

                 「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』

                                                                      この項つづく
 

 

● 太陽光と無償電気温水器をセットで提供

太陽光とタダの電気温水器をセットで提供し、販売促進をしているという(日経テクノロジー・
オンライン 2015.10.07)。

もし、電力会社がタダで新品の電気温水器と太陽光発電システムを0.41米ドル/ワット(約
50円/ワット)で提供すると言えば、あなたならどうするだろうか?

ミネソタ州の農村部の電力会社 Steele-Waseca Cooperative Electric(SWCE)社は、ユニークなプロ
グラムを展開する。同社は小さな協同組合のメンバーが経営する地域主体の電力会社だが、コミ
ュニティーソーラーを始めた理由が、メンバーが長年、低価格で再生可能エネルギーに投資でき
るオプション開発おこなってきた。例えば、(1)アパート住まいの人や、(2)持ち家があっ
ても日照条件が悪く、(3)太陽光発電システムを設置する十分な資金がなかったりする場合、
「コミュニティーソーラー」は、このように太陽光発電システムを設置できない電力消費者でも、
太陽光発電事業の恩恵が受けられるシステムである。つまり、自宅の屋根や敷地内ではなく、地
域(コミュニティー)内に太陽光発電システムを設置し、そこで発電した電力の一部を長期契約
で購入。この発電量は、毎月の電力消費量から差し引かれ、差額を支払うだけでよく、太陽光発
電システムを自分の家に設置せずに、さらにシステムの修理やメインテナンスに煩わされずに、
「自産自消」をバーチャルに実現できる。この仕組みの利点は次の3つである、、

1)コミュニティー内の広く、比較的安く、日照条件のより良い土地を利用できる。
2)システムサイズが大きいので、規模の経済性効果が高く、住宅用の屋根置きと比べて、コス
 トも一段と低い。
3)設置ロケーションが選択できるため、太陽光発電の発電量と供給量のバランシングが容易。


SWCE社が電力を供給する地域の電力ピーク需要は夕方の6時~7時に発生。一方、太陽光発電
システムの発電量は、正午~午後2時にかけピークを迎える。分散型太陽光発電システムを一般
家庭の多い配電網に接続すると、太陽光発電の供給量が需要を超え、バックフィード(逆潮流)
を起こすリスクが高くなり、電力の安定供給を妨げるケースがでてくるため 配電網の強化する
ことで対応できるが、都会では送電線長当たりの接続軒数が多くなるのに対し、過疎地では当然
すくなくなるため、配電網を強化するのはコスト高となる。


この問題解決に、SWCE社は102.5キロワットのコミュニティーソーラーを工場付近の配電変
電所に系統連系することで、バックフィード問題を解決。太陽光の発電量がピークの時にも工場
の電力需要で十分に消費できる。問題があるとしたら配電変電所で発生する電磁波禍対策。さて、
一般的に太陽光発電システムの設置コストは3.5~5.0米ドル/ワット。コミュニティーソー
ラーへのパネル1枚当たりの参加費が1千4百~2千米ドルで、同社のメンバーにとって、高い
投資となる。数多くのメンバーに参加してもらうには、初期投資を2百米ドル以下に抑える必要
があるため、今まで提供していた温水器プログラムをセットにし、パネル1枚のコストを170
米ドルまで逓減――(2000-170)÷2000×100=91.5パーセント――できる。

ちなみに、メンバーが「16時間温水器抑制プログラム」に参加すると、電力会社はタンク容量
1055ガロン(約397リットル)の電気温水器を無料で提供。この電気温水器の小売価格は、
千2百米ドル(約14万5千円)。温水器はグリッドインタラクティブ――電力会社と系統を通
して双方向で通信――できるようになっている。電力会社が午前7時~夜11時までの16時間

温水器をコントロールできるようになっている。温水器を動かす時間を昼間のピーク時から、オ
フピークの夜11時~翌朝7時までの8時間内にシフトし、日中の電力量を抑制し、コストの低
い夜間電力を使用する。 

メンバーが「16時間温水器抑制プログラム」に参加する場合、コミュニティーソーラーへの参
加がパネル1枚分(410ワット)170米ドルという、「セット価格」になっている。この値
段をワット当たりにすると何と41.5セント。さらに、この価格にはパワーコンディショナー
など他の部材が全て含まれているだけではなく、設置コスト、今後20年間の修理、メインテナ
ンスのコストが全て含まれている。

メンバーは個人の電力消費量を超えない分のパネル枚数、または最大20枚契約できる。ちなみ
に、この地域では410ワットのパネル1枚当たり年間510キロワット時発電する。温水器の
プログラムとコミュニティーソーラーの両方に参加した場合、1枚目のパネルは1700米ドルで
2枚目からは1225米ドル。コミュニティーソーラーだけに参加したいというメンバーのパネ
ル価格は1枚1225米ドルとなる。
このコミュニティーソーラーは410ワットの太陽電池パ
ネル250250枚を設置している。ちなみパネルはミネソタ州を拠点に置く、tenKSolar社製であ
る。システムは今年4月から発電を開始している。

ところで、このシステムのからくりはセットの電気温水器。電力会社はオフピーク時に電力使用
をシフトすることで、ピーク時の高い電力を卸市場で購入する量を減らし、同時にコストの低い
オフピーク電力の販売を増やすことができる。さらに、「無料で電気温水器と格安のコミュニテ
ィーソーラー」というユニークなプロモーションで、今までプロパンガスの温水器を使用してい
たメンバーを電気温水器への「乗り換え」を促し、電力の販売量を拡大できる。

ただし、メンバーの加入数と太陽光パネル買い上げ枚数が少ないと初期投資の回収期間が長くな
る(実績では5年で可能だったという)。


【累積20ギガワットを超えた米太陽光市場】

● 16年末まで毎月1ギガワットの建設ラッシュ

 

 

全米太陽光発電協会(SEIA)と米GTM Research社の最新の太陽光発電市場レポート(U.S. Solar
Market Insight Q2 2015
によると、米国の太陽光発電市場は15年第2四半期時点で累計設置
容量20GWを超えた。これは、一般家庭約460万世帯分の年間使用電力量に相当する。15
上半期の導入量は2.7ギガワットで、GTM 社は15年の太陽光発電導入量を前年比16%ア
ップの7.7ギガワットと予想している。つまり、15年下後半期のみで約5ギガワットが設
置されることになる。さらに、16年の市場は、飛躍的に伸び12ギガワットを超えるとも予
想している。これは今後、月平均1ギガワット規模の太陽光発電が米国に導入される。

さて、太陽が自然の核融合である以上、地球のソーラーパネルさえあれば事足りる、後はパネ
ル技術と運用技術の開発だけとなる。15年のことしソーラーパワーの実用性が明確になった。
後は、詳細改良のブレークダウン段階に入る。わたし(たち)もそのフィールドワークに参加
する段階にきている。後は決断だけだ。これは大変愉快だ。、
 

 . 

 

                             

                      

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メタセコイヤと彼岸花

2015年09月23日 | 時事書評

 

 

 

   月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのよ
               うに想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。
 
                                                                                                
                                                                               村上 春樹 

  

朝、いつものように作業をしていると、朝刊の一面をみせ、「高島の桂浜園地」の彼岸花が見事に咲
いている
とみせるので、二言、三言を話し、それじゃこれがおわったら見に行こうと約束し、八時半
過ぎに家をでて、昼
前に帰ってくる。国道335号から湖岸道路の54号にはいるとメタセコイヤと
百日紅の並木道を疾走すると、
めざす今津町桂の一万本もの彼岸花が群生する地に到着。天候もよく
群生地には沢山の人がめいめい写真を撮ったり
し花を鑑賞している。もう少しするとそばの花が咲き
紅白のコントラストが楽しめる。帰りに「あぢかまの里」に立ち寄り栗御飯と古漬け、そして、清酒
「深坂地蔵」を
買い、お昼御飯に頂く。



         塩津山うち越え行けば我が乗れる 馬そ爪づく家恋ふらしも

         ますらをの弓末ふり起し射つる矢を後見む人は語り継ぐがね  


                               笠朝臣金村


この「深坂地蔵」のラベルにかかれている一首は、金村が近江の塩津山で作った歌のひとつされ、塩
津山が
どこを指すかさだかでないが、近江塩津から角鹿(敦賀)へ向かう道の途中であることはほぼ
確かだとされるが、この短歌も現代では符号化した「商品」の価値形態の援用として消費されている。
また、北陸新幹線の岐点となるであろう敦賀から大阪と名古屋の太平洋側の二都市を結ぶことになれ
ば、これほどの誉れはないと、美し国の蒼氓の"げんざいのかさのあそんかなむら"は塩津山(しおつ
やま)――現在の滋賀県長浜市西浅井町塩津浜と福井県敦賀市追分との間の山。琵琶湖北岸から敦賀
へ出る険路――を望みそう思っているのではないかと韻を惹く。

 

深坂峠は、深坂古道は古来、「深坂越え」と言われ標高370メートル深坂峠を越える交通の難所。
しかし「深
坂越え」は、越前の国(敦賀)と近江国(塩津)を結ぶ最短経路であり、難所であるにも
かかわらず利用される。
千年の昔、紫式部が父(藤原為時)に連れられ通った道で、平清盛が息子、
重盛に、琵琶湖-敦賀間の運
河の開削を命じる。近世には、秀吉により高低差の少ない「新道野越え」
が東に開かれると「深坂越え」の道は衰退する。
現在では東の「新道野越え」は国道8号に西の「西
近江路」は国道161号に姿を変える。


       
       知りぬらむ ゆききにならす 塩津山 世にふる道は からきものぞと     

                                   紫式部


深坂古道は古来、「深坂越え」と言われ標高370mの深坂峠を越える交通の難所。「深坂越え」は、

越前の国(敦賀)と近江国(塩津)を結ぶ最短経路であり、難所であるにもかかわらず利用されてい
く。千年の昔、紫式部が父(藤原為時)に連れられて通った道であり、平清盛が息子、重盛に、琵琶
湖-敦賀間の運河の開削を命じたところ。また、秀吉により高低差の少ない「新道野越え」が東に開か
れると難所とされてきた「深坂越え」の道は衰退する。現在では東の「新道野越え」は国道8号に、
西の「西近江路」は国道161号線に姿を変る。峠の手前に、深坂地蔵堂――堀止(ほりどめ)地蔵
とも――があるが、近江・塩津から越
前・敦賀を結ぶ運河を平重盛が塩津側から掘削を開始するが峠
付近にさしかかった時、大きな岩に突き当た
り頓挫する。石工が岩を割ろうとクサビを打ち込むと、
突然石工は腹痛を訴えて倒れこみ、別の石工が試みて
も同じように腹痛がおこり工事は中断。不思議
に思いこの岩を掘り起こすと、立派なお地蔵のお姿を見つけ、
運河計画を中止するが、その場にその
お地蔵様を安置したと言い伝えられていくが、現在は子供の守り神と
して信仰される。

また、運河の起点となる塩津港があった「塩津港遺跡」で8年前、誓約書のルーツである起請文が書
かれた大きな木簡が多数出土するが、ほとんど12世紀後半のも。まさに平清盛が活躍した時代と一
致するが、このことが「清盛の知られざる野望 琵琶湖運河計画が眠る峠」、つまり、日宋貿易が平
清盛の父・忠盛が越前守だった時代に敦賀で行われ、瀬戸内海の海賊と戦い海運航路を確保し、博多
に日本初の人工港をつくり瀬戸内海ルートを使い日宋貿易を活性化、
航路が狭く難所とされた広島県の
音戸(おんど)の瀬戸を開削伝説を生み、この貿易で財を築いた平清盛が、当然のごとく、日本海~琵琶
湖ルートの重要性を教えらたと推測される所以である。


※塩津~敦賀間運河計画年表 http://www.koti.jp/marco/unga_hyou.htm

 
 



【中古太陽発電市場が本格化】

固定価格買取制度も4年目に入り、建設工事が終わって売電を開始した太陽光発電所が増えてきた。
資源エネルギー庁の発表によると14年1月現在で13.6ギガワット超の太陽光発電所が運転を開
始――9月22日現在の全国の太陽光発電所一覧地図:2418箇所で5,736メガワット――し
ている。原発13基分に相当する出力となる。1メガワットあたりの建設費用を3億円と
すると、3
億円×13ギガワット=3.9兆円分の運転開始した太陽光発電所が存在することになる。
短期間に
これだけの投資を誘発した投資促進制度は非常に稀で、固定価格買取制度の威力を見せ付けるものと
なっている。従来は開発途上の太陽光発電所の3点セット(①設備認定、②電力会社への接続申込の
地位、③土地利用権)をメガワットあたり数千万円で取引するいわゆる「権利売買」取引が行われてい
たが、これからはそれに加えて完成しえている太陽光発電所を売買するセカンダリー取引が活発にな
る予想されている(「中古太陽発電市場が本格化」江口直明 環境ビジネス 2015年秋季号)。

太陽光発電所を買い取る海外ファンドも日本に上陸し、太陽光発電所を買い始めている。また、東京
証券取引所の太陽光発電所等の再生可能エネルギー向けインフラリート(インフラ施設を対象とした
不動産投資信託(リート))制度も始まり、今後
設立されるインフラリート投資法人も有力な買い手
となりうる。さらに完成した太陽光発電所に投資
するファンドも日本で立ち上げる動きがあり、買主
の顔ぶれが出そろいつつある。15年3月31日で終了した太陽
光発電設備の即時償却メリットを享
した税効果目的投資家は、継続保有するインセンティブはなく、今後維持管理費がかかる太陽光発
電所を売却に動
くかもしれない。また、海外投資家は開発型投資家が多く、完成後は売却することを
前提に開発を進めている。これらの海外投資家の太陽光発電所の資金調達のためのファイナンスが今
佳境を迎えているので、海外投資家が完成した太陽光発電所を売りに出すケースも間もなくやってこ
よう。まさに機は熟しつつあると言える。 

発電所情報の開示

太陽光発電所の売買をスムーズに進めるためには、売主側でも十分な準備が必要となる。買主が売買
の可否を判断するのに必要な情報は売主側から積極的に開示し、買主のデューディリジェンス(法務
査、技術監査――不動産取引等において対象不動産の適正な市場価値やリスクを明確にするために
実施する詳細かつ多面的な調査
――を容易にする努力が必要となる。不動産売買の際に行われている
重要事項説明書の
ような書面を作成し情報を開示するのが望ましい。売主の開示情報が整っていれば
買主の法務デュ
ーディリジェンスの期間は短くなり、その費用も安くなるので、迅速に売買契約書の
交渉へ手続きを進める
ことができる。売主側として、法務監査に時間がかかり売却の機会を逸すると
いう不都合を避けるこ
とができる。開示資料不足と時間不足で法務監査が十分にできなければ、積み
残した事項については
リスク原因として買主は発電所の購入値段に織り込まざるを得ず、価格の低下
要因になる。



売主が太陽光発電所を購入又は開発する際に弁護士やその他の専門家にデューディリジェンスレポー
トを作成させていた場合には、通常下記のような事項について予め調査がされていることが多い.そ
の場合には、このデューディリジェンスレポートを買主に開示すれ
ば、買主の
デューディリジェンスを容易にすることができる。売主の担当弁護士等は、依頼人以外の者が担当弁
護士等の作成したデュディリジェンスレポ-トに依拠することを望まない場合もある。その場合には
「ノン・リライアンスベース/非依拠ベース」で開示を許諾してもらうように当担当弁護士等に依頼
するこ
とになる。開示資料では例えば次のような記載が必要になろう。合同会社の持分を売却するこ
とを前
提とする。

1.基本情報

①太陽光発電所設備名称、完工した発電所の実際の発電出力MW数、買取価格(40/36円)
②設備所在地、発電事業者名、設備ID番号、設備認定通知言上の発電出力、設備認定日(設備認定通知
 書/変更届の写しを添付)
③売主名(合同会社の持分保有者)(会社や一般社団法人の場合は商業登記簿謄本を添付)
④発電事業を行う合同会社名(商業登記簿謄本及び定款を添付)

【発電事業を行う合同会社名と設備認定通知の発電車業者名が異なる場合は、設備認定通知の発電事
業者から現在の発電事業を行う合同会社に設備認定の名義変更が行われたことを示す軽微変更届出写
し及び権利譲渡に関する契約書の写しを添付】

⑤実質売主名(売主がSPC)の場合(商業登記簿謄本を添付)
⑥売電先会社名
⑦土地所有方式/土地賃貸方式
⑧プロジェフトストラクチャー図(当事指名を含む参考例有)

2.設備認定・接続契約

①設備認定について報告書徴収があった場合の報告書、回答書
②速系接続検討結束
③系低速系承諾通知書年月日
④速系工事期間と工事負担金支払領収 書
⑤特定契約・接続契約(売電契約書)/電力受給に関する契約要綱の写し

3.土地情報

3.1 発電所用地

①発電所建設時のデューディリジェンスの有無、DDレポート開示の可否
②発電所用地の詳細図
発電用地の筆数と地積合計面積
発電用地の不動産物件目録(参考例 有)
⑤発電用地の公図をつなぎ合わせて一つの地図としたもの
⑥不動産登記簿騰本の写し
⑦発電用地利用権の種類(所有/地上権/登記付賃借権)
⑧土地利用契約書名、当事者名、調印 年月日、年間地代合計額(賃貸方式の場合)/固定資産税合計
 額(所有方
式の場合)、利用権の期間
⑨測量図、筆界確認
許認可取得の有無と許可書の写し(農地転用許可、林地開発許可、条例による環境影響評価等)
用途地域
⑫都市計画道路の有無

3.2送電線用地


上記3.1の①から⑩と同様 但し③は
地積合計面積は不要、⑦は送電線用地の利用権として、空中地
上権、地役
権、道路占用許可等

4.契約書

①エ事請負契約書出力保証の有無と内容
②発電所の試運転情報/エンジニアリンブレポート/TUV等の認証の有無
③運転維持管理契約書出力保証の有 無と内容
④パネル供給契約書出力保証の有無と内容
⑤保険検証証券保険の概要、パネルメーカ―倒産保険の有無
⑥融資契約売買時全額返済の可否、担保の有無
⑦その他(開発契約、仲介契約等もしあれば)

5.その他報

6.技術情報

これらは法務監査のための資料開示ではなく、技術監査のための資料開示となる。発電所の設計図書、
地盤デー
タ、配線図、発電実績、発電効率、試運転の記録、系統の出力抑制事由の有無、瑕疵修補の
記録、スペアーパーツ
状況等技術監査に必要な情報は技術監査専門家から開示要求されることになる。
開示要求に迅速に対応できるよ
うに、予め開示資料を整えておくことが望まれる。




太陽光発電所のデューディリジェンス

買主の法務デューディリジェンスは、関示された発電所情報を基にして、不明点をさらに調べる追加
的審査となる。法務監査は書面の確認、売主のインタビュー関係行政機関や契約相手方へのヒヤリング
の手順を踏み、関係行政機関に買主の弁護士がいきなり連絡を取ると、関連行政機関の担当者には寝耳
に水となり、十分な協力が得られないこともある。売主から予め関連行政機関に買主側法律事務所の
名前を告げて、ヒヤリングの要請があることを伝えて、協力のお願いをしておくことが望ましい。デ
ューディリジェンスは、数週間を要し、最終的にデューディリジェンスレポートを作成。このデュー
ディリジェンス
レポートは買主が将来この当該太陽光発電所を売却する際にも開示資料の役割を果た
す。

太陽光発電所合同会社の持分売買契約

買主がデューディリジェンス結果に満足すると、次に太陽光発電所合同会社の持分売買契約の交渉と
調印へ進む。発電所事業の売買には、(1)会社譲渡方式と(2)資産譲渡方式の2種類があるが、
通常は発電所施設、関連契約、許認可を有している発電所合同会社の持分を譲渡することにより、個
々の資産譲渡、契約上の地位の移転、許認可の移転を避けて、一括して会社ごと発電所事業を譲渡する。
但し持分譲渡方式では買手側で営業権の認識ができず、税務上の理由から資産譲渡方式を買主が求め
る場合もあり、譲渡のストラクチャリングにあたっては税理士への相談が不可欠となる。譲渡を実行
してから、税務上の理由から一旦譲渡を解除は空振りとなる。契約の相手方は資産を有する当事者と
するか、契約の相手方は特別目的会社でやむを得ないとしても、資産を有する親会社、または関連会
社から契約の履行について保証を得ておく。 

売買契約の記載事項としては、契約日から売買実行日までの間に売主が行うべき事項及び売買を妨げ
てはいけない事項を列挙する。また、売主及び買主がそれぞれ売買実行日までに充足しなければならな
い売買実行前ジェンスの結果、発電所に不具合が見つかった場合には、売買実行日までにその部分を修
補することが条件になったりする。

売買契約の重要な項目として売主の表明保証がある。売主自身に関する事項、発電所に関する事項、

許認可に関する事項等について売主は表明保証を行い、万が一表明保証が誤っていた場合には損害賠
償義務を負うことを約束する。デューディリジェンスで十分調査ができなかった事項については、売
に表明保証してもらうことにより、調査に代替する場合もある。売買契約上の履行義務の重大な違
反や重大な表明保証違反があった場合、売買契約は解除され、損害賠償を請求することになる。売買
契約には損害
賠償の免責額及び損害賠償の上限額を記載することがある。 

以上のように、固定価格買取制のプレミアム期間終了を控え、中古(セカンダリー)太陽光発電所の
売買にかかわる法務デューディリジェンスについて、ベーカー&マッケンジー法律事務所の江口直明
弁護士の日本市場の動向について学ぶ。                                         

  

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漠電力網の登場

2015年05月30日 | デジタル革命渦論

 

 


    天災は忘れた頃にやってくる / 寺田 寅彦

 

 

北陸新幹線の福井駅先行開業の議論が進む中、敦賀以西のルート問題が、にわかに焦点に浮上し
てきた。27日に東京都内で開かれた建設促進同盟会の大会には、関西広域連合長の井戸敏三兵
庫県知事が初めて出席し「北陸新幹線は大阪までつながってこそ、なんぼのもん」と発言した。
背景には北陸の市場や人が関東に吸い取られ、東京一極集中が加速するという危機感がある。フ
ル規格による大阪までの早期延伸で北陸、関西の足並みがそろった形だが、ルートに関しては北
陸3県で温度差もあるという(「福井新聞」2015.05.29)。

大会のあいさつで、西川知事は政府与党に対し、フル規格での大阪までの整備を要望。「フル規
格とは、どこかの駅で(東海道新幹線の)こだまに乗り換えるのとは意味が違う」と述べ、暗に
米原ルートを否定した。そして「きょうは井戸知事からもそうしたごあいさつがいただけると思
う」と付け加え、
これを受けた井戸知事は「早くフル規格で大阪まで乗り入れていただきたい
と発言。ルートには触れなかったが「敦賀以西のルート問題を議論する与党検討委員会では発言
する機会がほしい」と訴えた。井戸知事の姿勢を西川知事をはじめ北陸3県の知事は高く評価し
「意味のある大会となった」と口をそろえた。大会に参加した小浜市の松崎晃治市長も「若狭ル
ートを実現するための第一歩となった」と手応えを口にしたという(同上)。

このブログで北陸新幹線の延長ルートをめぐり『中央日本周回新幹線構想』(2015.03.17),『
(中央)日本周回新幹線構想Ⅱ』(2015.03.17)を掲載しているから、基本的な考えだけを付け
加えておきたい。

 




(1)敦賀市を日本海経済圏構想の主要都市(そのほかに、札幌、新潟、松江、下関の4つ)と
おき、(2)脱原発産業都市化促進地域に指定、「逆格差法人税制」(要法制)の対象として、
税率を平均値の0~25%に引き下げる。(3)交通網強化として、(あ)敦賀港の再整備、(
い)「敦賀ー大阪」の新幹線整備(「梅田と「新大阪」の選択残)、(う)「敦賀ー名古屋」の
新幹線整備というもの。このときの列車が「フリーゲージトレイン(軌間可変電車)」を採用す
る。敦賀から下関の北陸・山陰新幹線は「フル規格」でもよいが、新幹線の世界展開事業には、
フリーゲージトレイン(軌間可変電車)」が敷設費用や事業費用効果でも、敷設汎用性・市場
規模・技術的(~時速5百キロ超)側面から有利と思われる。「敦賀から世界へ!
」。このキャッ
チ・コピーは面白いとおもうが?!

※ 尚、米原をジャンクとするのは、湖西線は強風対策がいること、JR米原駅周辺は広大な平地
  が所有施設内に残っており建設費が割安になるという理由から(2015.05.31 12:50)。
  
 

 
● 緑茶とコーヒーとワインをブレンドして飲めないか

国立がん研究センタの緑茶とコーヒーの摂取量と全死亡率の疫学的調査結果よると、緑茶摂取で
心疾患などによる死亡リスクの低下がみられた。この理由は、緑茶に含まれるカテキン(血圧や
体脂肪、脂質の調整)やカフェイン(血管保護、呼吸機能改善)などの効果が推定されている。
また、限定的ではあるが、女性で外因による死亡リスクの低下がみられたが、テアニンやカフェ
イン(認知能力や注意力の改善)の効果かもしれないという(上図/上)。

また、コーヒー摂取で死亡リスクの低下が見られたのは。コーヒーに含まれるクロロゲン酸が血
糖値を改
善し、血圧を調整する効果がある上に、抗炎症作用や、コーヒーに含まれるカフェイン
が血管内皮の機能
改善効果や、気管支拡張作用があり、呼吸器機能の改善効果が、循環器疾患や
呼吸器疾患死亡リスク低
下に寄与しているのではないかという(上図/下)。全がん死亡では他
の部位のがんも総合して分析を行ったので有意差がなくなったのでは推測している。これらを踏まえ、一
日4杯までのコーヒー摂取は死亡リスクの低下を示唆ししているのではないかとしている。

尚、缶コーヒー、インスタントコーヒー、レギュラーコーヒーを含むコーヒーの摂取頻度を尋ねており、また
カフェインとカフェイン抜きコーヒーを分けていないの配慮すること。


疫学的な調査のため説明要因が多すぎる上に説明要因の範囲も不確定(当たり前だが)、ムード、
モード
やそれを包括した外環環境といった「飲み方」、リラクゼーションを感じる?感じない?
や気の置けない仲
間と一緒?一緒でないないとかそんな些細なことが大きく影響するストレス性
心因が結構効くかもしれな
い。また、ポリフェノール含有量の側面で考えれば、赤ワインが一番
(上図の比較例の場合)のようになるし、クロロゲン酸を多く含まれる作物を多い方から、コー
ヒー、向日葵の種、茶、ブルーベリー、パセリ、サツマイモ、ジャガイモ、トマト、リンゴ、梨、
茄子、ゴボウなどいうが
、高含有量のコーヒーでも、焙煎は深いとクロロゲン酸含有量が低下す
るので要注意(融点は208℃)。こんなことが気になるのはテレビ放送される俳優や芸人の訃
報が立て続いているためで、コーヒーは香りが好きだが好みと言う程ではない。それでも大腸癌
に効果がありそうだとかいうと、今夜のようにネットサーフしている。ところで、コーヒーと緑
茶をワインに加えたオリジナル・カクテルを創作してみようかとも考えているが、イラチで無精
な性格がなせる技なのかもしれないが、下図のような事例報告もあり、アルコールと適量の緑茶
をブレンドして好みで飲んでいる。

 

 

● ピコグリッドってなんだ?

デンソーは28日、超小型電気自動車を「移動する電源」として利用できる独立電源ネットワーク
システム「Pico Grid System(ピコグリッドシステム)」を開発したと発表。同社の安城製作所で、
同システムを使った構内移動のための運用を開始しているという。
ピコグリッドシステムは、小
規模な太陽光発電と蓄電池、超小型EVを使って電力を供給する独立型の直流分散電力システムに
、車両管理システムを組み合わせたもの。太陽光で発電した電力は、直流のままで超小型EVや蓄
電池に蓄えることができる(上図)。このため、一般的な太陽光発電システムのように直流から
交流への電力変換による損失が発生しないので、効率的に再生可能エネルギーを活用できる。

た、電力を蓄えた超小型EVを「移動する電源」として使用すれば、災害時などに商用電源が停止
した場合でも必要な場所への電源供給が可能になるということだ。ところで、ピコとは国際単位
系の接頭辞の1つで、基礎となる単位の10-12倍の量を表すが、そのまま日本語に訳すと「漠電力
網」ということになるが、マイクロ・ナノなどの言葉が踊る昨今ゆえ、1ピコワット、1ピコ秒
を制御する電力網を意味して命名されたのかと推測するしかないが、いろんなことを考えるもの
ですね。「第5次産業革命」ならの『デジタル革命渦論』ということですね。



※ 産業(工学)革命の推移

第1次 焼き畑・去勢
第2次 石器・木器・銅器・鉄器
第3次 活字印刷・製版・製本・交通 
第4次 蒸気機関・地下化石(原子力)燃料
第5次 電気通信・半導体・ナノ(「デジタル革命」)
第6次 ?(超身体・未来エネルギー)

 

   

【日本の政治史論 20:政体と中枢】
 

 「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
 
 

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。
発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
   

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』    

    目 次    

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策     

  第1章 暗転した官僚人生                                                                              
                       

                        鳩山大臣を操る総務官僚

   基本法では、人事に関する機能をすべて内閣に集めて、内閣人事局という組織を作ることになっ
  ている。
   政府には、人事に関連する組織として、まず、第三者機関である人事院、そして総務省の
 
事・恩給局、行政管理局、さらに財務省の主計局に給与共済課というものがあり、
  それぞれが
バラバラに機能している。これでは、時代のニーズの変化に対応してスピーデ
 ィに組織を改編
し、人員を配置し、もっとも適切な人物を各ポストに就けるのが難しい。

  たとえば、産業として衰退してしまった農業を所管する農水省がいまだに巨大な組織を待
 っ
ていて、局長もたくさんいる。他方で、環境問題の重要性が高まっているのに、まだ環境
 省の
陣容が十分でない――こうした判断を総理がしたとしよう。本来であれば、農水省の組
 織に大鉈
を振るってスリム化し、環境省の組織を拡大する、定員もそれに合わせて増減させ
 る、差し
引き余剰人員が出れば、リストラをする。そして、環境省にまだ優秀な人材か少な
 ければ、他
省庁や民間から優秀な人材を登用する。これを総理主導で迅速に行うことか必要
 だ。


  ところか、いまはどうなっているか。まず、農水害が自分で自分の組織を切ることは考え
 ら
れない。組織や定員の査定は総務省の行政管理局がやるが、彼らには常に前年との比較で
 仕事
か増えたか減ったかという尺度しかないので、組織に大鉈を振るうなどということは無
 理だ。

  一方で、環境省かたとえば新しい局を作るという要求を行政管理局に出しても、だったら
 他の
局を潰せというようなこと(スクラップ・アンド・ピルド)を要求する。各省縦割りで
 しか査
定しないからである。

  また、定員を大幅に増やすのもむずかしい。一人増やすだけでも膨大な資料を要求される
 仮に局と課をいくつか作る、あるいは、それと併せて課長補佐、係長、専門職などを置くと
 いう要求が認められても、さらに、人事院にお伺いを立てて、その局長は重要な局長か、課
 長は重要な課長か、補佐は何級か等々、さらに細かい査定を受けなければならない。そして、
 給料全体は主計局の給与共済諌がしっかり査定をしているという具合だ。

  しかも、その後に一番重要な人事は各省がそれぞれ勝手に行う。これで、その時々の行政
 ニーズに即応した組織体制を形成し、しかも適材適所で有能な人材が配置できると考える人
 はいないだろう。
  この点は、民h党も強く批判していて、特に「3M」と呼ばれた松本国明、松井孝治、馬
 淵澄夫各氏は国会でもこの問題を取り上げていた。
  特におもしろい指摘は、馬淵氏が強調していたが、組織や定員を査定する総務省行政管理
 局の総括担当管理官(査定の取りまとめを行う筆頭管理職)と、各ポストの重要性を判断し
 て格付けを行う人事院の給与第二課長が、財務省出向者の指定席になっている事実である。

  馬淵氏は、これに主計局の給与共済課を併せれば、政府の組織・給与を財務省が完全に支
 していると指摘し、強く批判したのだ。これはなるほどもっともだ、と事務局員も納得し
 ていた。
  ところが、これらの機能を一つにして内閣人事局に集めようという至極まっとうな考えが
 すんなり通るほど、霞が関は甘くない。
  当初、事務局幹部は、そういう大きな改正は無理だといって、とりあえず、総務省の人事・
 恩給局の一部(人事院勧告に基づいて給与法の改正案を作ることなどを行う部局)を移管す
 るだけにしようと画策した。私か、行政管理局や人事院の機能も移管すべき、としつこくい
 うと、「君は素人だからそんなこというけどねぇ、無理なんだよ。できるはずないんだよ」
 と抵抗する。しかし、私がいうことは.E論なので、面と向かって完全に否定はできない。
 われわれのチームは関連する機能をすべて移管する前提で法案策定作業を進めた。

  総務省はもちろん徹底抗戦だった。当時の鳩山邦夫総務大臣を使って、組織・定員の査定
 機能移管はダメだというのだ。ところが、マスコミの批判もあって、途中から路線転換を試
 みる。それは、組織・定員の査定機能だけでなく、たとえば、行政改革全般や行政の情報化
 の推進のような業務を担当する部局まで一緒に内閣人事局に移管するという案だ。実は、こ
 の案は当初から改革推進本部嘔務局にいた、部の守旧派グループが密かに温めていた案であ
 る。
 
  これは何を意味するか――。

  総務省は、旧自治省、旧郵政省、旧総務庁が統合されてできた役所だ。統合によって次官
 ポストは一つになった。その後、旧三省庁で順番に次官を出していたが、旧自治省の力が圧
 倒的に強く、旧総務庁はもっとも力が弱かった。2007年に退官した旧総務庁出身の次官
 が同庁出身・最後の次官になるだろうといわれている。そこでこの旧総務庁グループが焼け
 太り大作戦を企んだというのだ。
  つまり、行政管理局を人事・恩給局と一緒に内閣人事局に移管して、そのなかの最大勢力
 となる。そこで主要ポストを握って、霞か関の人事・組織のクピ根っこを押さえる。すなわ
 ち、旧三省
庁のうちの最弱部隊が、政府中枢の最重要部局を乗っ取るということだ。

  鳩山大臣はこの方針転換にもつき合わされて、甘利大臣と最後まで戦う。一時は他の事務
 局
幹部が私の知らないところでこの案を呑む約束をしてしまい、内閣人事局の名称を「内閣
 人
事・行政管理局」という名前にする案まで自民党に提示され、ほとんど決着寸前まで行っ
 た
が、幸い民主党や公明党、自民党の改革派か大反対してくれて、これは頓挫した。
  鳩山大臣もお人よしだ。こんな陰謀につき合わされて、まことにお気の毒だと思った。


                    公務員の「守護神」人事院 vs. 甘利大臣

  もう一つ、忘れられない戦いかあった。
  2009年1月30日に開催予定だった国家公務員制度改革推進本部の会議が流れた。同
 本
部は総理を本部長とし、各省大臣が出席して公務員制度改革について議論して政策を決定
 する
機関だ。この会議に谷公士人事院総裁が呼ばれた。しかし、谷総裁は、この会議をボイ
 コット
したのだ。

  話は2008年夏以降繰り広げられた人事院の機能を内閣人事局に移管すべきかどうかと
 い
う論争に遡る。先述した通り、当初から人事院は聖域だというのが事務局幹部の固定観念
 だっ
た。公務員にはスト権などのいわゆる労働基本権が与えられておらず、とても「弱い」
 立場に置かれてかわいそうなので、それを補う目的で「中立的な」第三者として、公務員の
 処遇などを決める機関が必要だということで人事院が置かれている。

  ところが、この人事院というのが不可思議な組織で、総裁は元官僚(当時は元郵政省事務
 次官が渡りの末就任していた,現在は元厚生労働省事務次官)で、事務局は上から下まで全
 部国家公務員だ。つまり、第三者といいながら、実は公務員が公務員の給料などの待遇を決
 めているのである。よく、公務員の待遇は一般民間企業に比べて良すぎるのではないかとい
 う批判があるか、それは当たり前である。自分で自分の給料を決めているのだから

  しかも、このようなお手盛りの仕組みが、長年の悪しき慣行によって、ほとんど憲法上の
 要請であるかのごとく聖域に祭りヒげられてしまっていた。特に「五五年体制」での自民党
 と社会党の裏談合時代の名残もあり、その仕組みを自民党は、過去に認めてしまっていたの
 である。その後何回か、その仕組みの変革に挑戦する動きはあったが、結局、何十年もの間
 敗れ続けていたのである。

  あるとき、自民党の行政改革推進本部の幹部会があったが、その席上で世の中では改革派
 で通っている石原伸晃議員ですら、「人事院からの機能移管なんて絶対にできるはずがない
 よ。僕だってやろうとしたけどできなかったんだよ」と半ば諦め顔で忠告してくれた。私は、
 「それなら、なおさらやらなければ」と、決意を新たにした。

  実はあまり知られていないが、人事院が強く反発したのにはもう一つ裏の理由がある。そ
 れは、彼らの天下り利権の確保である。人事院は直接、民間企業や団体を所管していないし、
 補助金や規制の権限も持っていない。従って、普通に考えれば、天下りを民間団体などに押
 しつけることはできないはずだ。しかし、実際には毎年ちゃんと幹部は天下りしている。そ
 のほとんどは、各省庁の所管団体だ。

  先ほど述べた通り、各省は、局長や課長、課長補佐などのポストの重要度を人事院に説明
 して、その格付けを決めてもらわなければならない。当然のことながら、なるべく格付けを
 上げて、より高い給料のポストにしたい。各ポストの重要度は本来、各省庁の経営管理事項
 だが、わが国では労働問題だとして、人事院が労働組合の意向を汲んで決めるのである。

  民間企業では、課長ポストの重要度の位置づけは経営者が決めることであって、労働組合
 と交渉して決めるなどということは考えられない。しかし、公務員の世界では、こういうお
 かしな仕組みがまかり通っている。
  このように、各省庁に対して強力な査定権限を持っているので、人事院から天下り先を要
 求された省庁は簡単には断れない。省庁側としても、ただで要求を呑むわけではない。当然、
 見返りとして、査定で夢心を加えてもらおうという魂胆だ。いわば、官と官の贈収賄みたい
 なものである。

  さて、自民党内でも厭戦気分が強かったにもかかわらず、甘刊大臣は、この悪しき慣行に
 終止符を打つべく、人事院の査定権限を内閣人灘局に移管しようとした。人賀院の幹部が天
 下りできなくなるのだから、たいへんな騒ぎになり、ついには、冒頭に述べた、谷総裁の内
 閣の会議ポイコットヘと展開していくのである。

  われわれは、マスコミに丁寧に訴えた。いかに人事院の抵抗が理不尽なものか。その甲斐
 あって、中立公正な第三者機関であるはずの人事院に対するイメージは地に落ち、公務員の
 利権擁護機関だという認識か急速に広かった。
  これが、官僚、特に一部の官邸官僚の思惑を打ち砕く。彼らは人事院の谷総銭と結託して、
 麻生総理を公務員の守護神にしようと奎んでいたらしい。甘利大臣ががんぱっても、最後は
 総理のところで急進的な改革を潰そうとしていたというから驚きだ。
  しかし、麻生政権はすでに末期症状を呈していた。人事院側に肩入れして、少しでも支持
 率が下がったらもう致命的だという理由で、結局、官邸官僚の抵抗もそこまでとなり、人事
 院からの権限移管の案か固まることになった。

  私は、この話が決着した後、「谷総裁にはお気の毒なことをしたなあ」と事務局の若手と
 話していたのだが、「そんなことないんじやないですか」との答え。皮肉なことに、甘利大
 臣との大乱闘を演じた谷総裁の霞が開での評判はウナギ上りで、官僚仲間のあいだで英雄と
 なってしまったというのだ。出身省の旧郵政官僚幹部(現・総務省の一部)は、「立派な先
  輩を持って鼻が高い」といっていたというから、霞が関がいかに世の中と遊離しているのか
 がよく分かる。普通なら「恥ずかしくて外を歩けない」と思っても良さそうなものだが。


全国の若者達がろくに職に就けない、就けても諸経費扱いの劣悪な非正規社員扱いの職場で働
かなけ
ればならない実態に目を瞑り既得権益の「目的なき」拡大を繰り返す国家官僚と既得権
守旧派の職
業政治委員達に付ける薬はない。さて、次回は「官僚の二枚舌」に焦点が当てられ
る。

                                                     この項つづく 

   ● 今夜の一輪

裏庭一面に咲き誇るカモミール坊主?!

  Farewell to Spring

同上で咲き始めた、色待宵草=ゴデチア、母の形見でもある。

 

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日本周回新幹線構想 Ⅱ

2015年04月08日 | 極東アジア経済構想

 

 

● 日本周回新幹線構想 Ⅱ

兵庫県の井戸敏三知事が7日、北陸新幹線でルートが決まっていない敦賀(福井県敦賀市)-大阪間に関し「金沢や福井
から関西
を見ると、大阪や京都が視野に入ってくる。米原(経由のルート)なんかでは駄目だなという感じがする」と述
べ、福井県知事選の応
援のため訪れた福井市での演説で触れた。同区間は小浜、湖西、米原の三つのルート案がある。井
戸氏が連合長を務める関西広
域連合は費用対効果が優位だとして東海道新幹線の米原駅へつながる米原ルートを推してい
る。 福井県は、若狭湾沿いから京都
府亀岡市を経て大阪に至る小浜ルートを求めている。湖西ルートは琵琶湖西岸を通
り、京都を経て大阪へつながる。


大きく見れば、金沢-敦賀-舞-鳥取-松江-萩-下関とつなぐ「山陰新幹線整備」は必要として、北九州-敦賀-新
潟-小樽
の港湾の再整備を結ぶ「環日本海経済圏構想」と国内経済圏の強化できる「日本周回新幹線構想」を乗せた上、
「敦賀-大阪」と「敦
賀-名古屋」を45分で開通できる「敦賀-米原縦断ルート」は魅力的で、先回掲載した、フリー
ゲージトレイン(軌間可変電車)を前提
とすれば、東海道新幹線および東海道本線の双方にも乗り入れ可能な「敦賀-米
原-名古屋・大阪ルート」は大変魅力的なものに
なるだろう。また、ロシア極東部、朝鮮半島、中国河北部との経済継体
強化は「極東アジア経済構想」にも魅力的だろう。

 

【進撃のヘーリオス Ⅳ】

● 高変換効率太陽電池用色素シート 変換効率従来法より10倍 ?

近年、「ナノシート」が注目を集めている。2010年のノーベル物理学賞の対象となったグラフェン法を含め
現在主流のナノシートは結晶性層状化合物から層を剥離する方法で作製する「トップダウン型」ナノシート。
一方で、分子・イオンから二次元構造を直接紡ぎ上げることで合成する「ボトムアップ型」ナノシートに関
しては、「トップダウン型」に比べ、構造・組成・バリエーションの高い自由度という利点があるものの、
これまで構造構築手法の開発に主眼が置かれ、機能創出は達成されていなかった。
東大の西原寛教授らのグ
ループは、有機分子(ジピリン)と亜鉛イオンからボトムアップ的に組み上げられるジピリン亜鉛錯体ナノ
シートを創製し、その光電変換材料としての応用可能性を実証したことを公表。

 

図   (a) ジピリン亜鉛錯体ナノシートの構成要素と構造、 (b) 液液界面合成法、 (c) 気液界面合成法.
(d) 光電流応答。緑色光(500ナノメートル)照射時のみ電流が観測される。


同上の研究グループは、2種類の「界面合成法」を用いて「ジピリン亜鉛錯体ナノシート」(図1a)を作製
し、その光電変換材料としての応用可能性を 実証。ひとつは、「液液界面合成法」という手法を用いる。
まず、水と油(有機溶媒)それぞれに酢酸亜鉛、ジピリン配位子を溶解させ、両者を重ねると油と水の分離
が起こり二層となる。これを数日放置すると二層が接している面(界面)にてナノシートが成長する(図1b)。
ジピリン配位子の濃度を調整することで自在に厚みが制御できる(6−800ナノメートル、5−670 層に相当)。
なお、髪の毛の直径は100 マイクロメートル程度。一方で、究極的に薄い単原子層ナノシートを得るために
は、「気液界面合成法」を用いる。この手法で は酢酸亜鉛の水溶液の表面にジピリン配位子の有機溶液を
ごく微小量散布。有機溶媒はただちに揮散し、今度は気液界面にて反応が進行し、単原子層ナノ シートが生
成される(厚さ1.2ナノメートル、図1c)。界面合成法は室温・大気下で行うことができるため、簡便で低コ
ストかつ環境にやさしい手法が特徴。これらのナノシートは透明電極に貼り付けることができ、この修飾電
極が光電変換特性を示すことを見出す(図1d)。具体的には、色素増感太陽電池の陽極と同等の機能を発現
することを実証した。

具体的には、オレンジ色の色素を含んだ原子配列からなる極薄のシートで、従来の10倍以上の効率を達成し
た。色素増感型はシリコンを使わず、色素が光を吸収し電子を放出することで発電する。材料が安く、製造
も容易で、低コストの電池として期待されるが、発電効率が10%程度と低いのが課題。開発したシート状素
材はオレンジ色で亜鉛や窒素を含み、厚みは原子1個分。波長500ナノメートルの光を当てると従来の10
倍以上の効率で電子を放出することを確認。窒素を合む有機化合物や、亜鉛のイオンか溶けた2つの溶液を
混ぜるだけで同単に合成できる。

 

 


新素材は色素同士が互いに離れているため、効率よく電子を放出できるとみられる。従来は酸化チタンなど
の粒子に色素
を貼り付けており、色素が密集して効率が低下していた。他の色素もシート状にすれば効率を
高め
られる可能性かある。研究チームは今後、色素だけでなく電極や電解液などに相当する電池部品も極薄
の高分子シート
で作り、簡単に製造できて自在に曲げられる色素増感型太陽電池の開発を目指す。同グルー
プの坂本助教は「10年
後に20~30%の効率電池を実現したい」と話す

  

 

● 米 退役軍人の太陽光発電業界就職を後押し

バラク・オバマ大統領が誕生したとき、オバマは手強いと感じていた。理想主義と実際主義が混在した政権
あると。そして、米ソの核軍縮、パキスタン・イラクからの撤退、地球温暖化対策、景気回復を優先し着
々と
手を打ってきた。それは支持率の低下とは別に、二丁拳銃のカウボーイ、新自由主義を信奉するティー
パーテ
ィを象徴とするねじれを生みながらも負の連鎖を断ち切り、失業率は3.5%までにこぎ着け、格差是
正に着手している。

今月3日、オバマはユタ州のヒル空軍基地で演説を行い、退役軍人の太陽光発電産業への就職を後押しするための
職業訓練プログラムを開始すると公表した。大統領は「国家安全保障の最も重要な側面の1つが強固な経済安全
保障である」と述べ、「経済が好調でなければ、米国は史上最高の軍隊を維持することはできない」と強調。
さらに、成長産業である太陽光発電産業が退役軍人の社会復帰を手助けできると述べ、太陽光発電産業では
他の業
界に比べて10倍の速さで雇用が増えており、賃金も高いと話し、エネルギー省は2020年までに同業
界で働ける技能を持つ労働者を最大7万5千人養成する計画を推進しており、退役軍人向けの職業訓練プロ
グラムはその一環として実施される。昨年、5万人を養成すると発表したが、これを拡大修正する恰好とな
っている。


 Israel's Knesset hosts 450kW solar roof

● イスラエルの国会議事堂屋根で太陽光発電

今月7日、イスラエルの首都エルサレムにある国会議事堂の屋根上に設置された、出力450キロワットの太陽
光発電システムに、中国の大手太陽光パネルメーカーのJAがソーラーが太陽光パネルを納入したと発表。
イスラエルの国会議事堂の屋根のうち、4,650平方メートルに設置。国会議事堂に導入済みの太陽光発電シス
テムは世界最大規模。先月29日より発電を開始。間発電量は、国会議事堂の消費電力の10%に相当量を見
込む。国会議事堂の省エネルギー化と合わせて、2015年末までに電力購入量を従来に比べて3分の1減らす
という。中東の紛争が見通せないなか、イスラエルの原子力発電所が攻撃されれば大惨事になるほか、戦禍
拡大になりかねないが、変換効率が低いことや品質についての不安が残るものの、原発と全面切り替えでき
ればその懸念は払拭される。



● 20メガワットで連系点共有 荒尾市と大牟田市のメガソーラー


SBエナジーと三井物産は、熊本県荒尾市と福岡県大牟田市にまたがる地域にメガソーラーを建設。2015年
2月に出力約22.4メガワットの「ソフトバンク熊本荒尾ソーラーパーク」(上図)を、同年3月に19.6メガ
ワット「ソフトバンク大牟田三池港ソーラーパーク」(下図)の稼働を開始。いずれも、旧・三井鉱山の石
炭産出地域にあり、日本コークス工業社が所有する土地を賃借。海沿いの約2キロメートルしか離れていな
い場所に立地する。20メガワット規模の二つのメガソーラーが、一つの連系点と連系設備の一部を共有す
る珍しい運用事例となる。


● 再生可能エネルギーの投資額、2014年度世界で17%増加


過去2年間は減少を続けていた再生可能エネルギーに対する世界全体の投資額が2014年に再び増加に転じた。
年間の投資額は2700億ドル(約32兆円)にのぼり、前年から17%の高い伸び率になった。国別では中
国、米国、日本の順に多く、種別に見ると太陽光と風力で全体の9割以上を占める。

再生可能エネルギーの種別に見た投資額では、太陽光が1500億ドル(約18兆円)で全体の半分強を占めた
(上図/下)。2013年と比べて25%も伸びている。次いで風力が990億ドル(約112兆円)で、前年から
11%増加。そのほかのバイオマスや小水力、地熱や海洋エネルギーは圧倒的に少なく、現在のところ太陽
光と風力が世界の再生可能エネルギーの主流になっている。



【新弥生時代 植物工場論】


ここ数年新しい農業について考えてきたことを、独自に事業化の基本イメージを確定させておきたいという
思いに駆られ、上記の本をそのたたき台として、時宜、読み進めたいと掲載を開始した。独自の事業化イメ
ージはできあがっている。この本にもすこし紹介されている。時々の気付いた点を添え書きとしてここに記
載していく。通読された方に理解できるだろう。それでは読み進めることに。
 

 「植物工場」とは、光、温度、湿度、二酸化炭素濃度、培養液などの環境条件を施設内で人工的に制御
 し、作物
を連続生産するシステムのことで、季節や場所にとらわれず、安全な野菜を効率的に生産でき
 ることから多方面
で注目を集めています。その「植物工場」そのものにスポットをあてた本書では、設
 備投資・生産コストから、養液
栽培の技術、流通、販売、経営などを豊富な写真や図解を用いて様々な
 角度からわかりやすく解説。また、クリア
すべき課題や技術革新などによってもたらされるであろう将
 来像についても、アグリビジネス的な視点や現状もふ
まえながら紹介、文字通り植物工場のすべてがわ
 かる一書となっています。


                             古在豊樹 監修「図解でよくわかる 植物工場のきほん」より



 【目次】

  巻 頭 町にとけ込む植物工場
  第1章 植物工場とはどういうものか
  第2章 人工光型植物工場とは
  第3章 太陽光型植物工場とは
  第4章 植物生理の基本を知る
  第5章 植物工場の環境制御(光(照明)
  第6章 CO2/空調管理
  第7章 培養液の管理
  第8章 植物工場の魅力と可能性
  第9章 植物工場ビジネスの先進例
  第10章 都市型農業への新展開
  第11章 植物工場は定着するか

   巻 頭 町にとけ込む植物工場

  環境・健康・交流をテーマにしたスマートタウン構想がすすむ千葉県柏市「柏の葉」地区。このまち
 づくりで重要な位置を占め
るのが植物工場だ。さまざまな研究や、それらを活かした身近な生活にかか
 わる店づくりの実践など、未来に果たす植物工場の役
割までをも見据えた取り組みが、ここではじまっ
 ている。

                                                              命を育み、食文化を大切にする農耕文化都市

 柏の葉が目指すもの

  柏の葉エリアは、2000(平成12)年に、柏通信所跡土地区画整理事業にもとづき開発された、新
 しいまちだ。273hという広
大な土地が区画整理された。2005年には、柏の葉キャンパス駅もで
 き、利
便性が増した。2008年、千葉県・柏市・東京大学・千葉大学による「柏の葉国際キャンパス
 タウン構想」が発表され、以後、研究機関とまちが併存する立地ならではの構想に、注目が集まってい

 る。柏の葉が目指すものとは何か。まずは、NPO法人植物工場研究会理事長の古在豊樹さんにうかが
  った。

  「柏の葉が目指すべきは、農耕文化歳です。都市と農村の文化基盤を共有し、自らが
命を育み、食文
 化を大切にするようなまちづ
くりが、今後の豊かな社会のカギ。植物工場が重要な役割を果たすと思い
 ますよ」。


                                                         植物工場の基地、千葉大学

  柏の葉スマートシティの拠点のひとつに、千葉大学環境健康フィールド科学センターがある。環境健
 康総合科学と都心環境園芸学を融合した、環境健康フィールド科学の創成を目指し、研究施設や農場、
 加工所などを備えている。なかでも、大きな面積を占めるのが植物工場部門である。

  2003年の開設以来、広く一般にも門戸を開き植物工場の見学会や勉強会を行ってきた。2011
 年には年間1万人が来所。「小学生から大学生、近所の人から研究者まで、数多くの人が訪れています。
 「誰にでもオープンに植物工場をみてもらうことが目的ですから」と、古在さん。

  海外からも、これまでに1000人以上の視察者が訪れた。
  もちろん、企業や研究者にとっての拠点でもあり、60杜以上の企業が千葉大学における植物工場研究
 に携わっている。また植物工場では、約50大が管理や収穫の作業に従事している。

                     古在豊樹 監修「図解でよくわかる 植物工場のきほん」


                                        この項つづく

 

 

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福井のグルメ二品

2015年03月18日 | 創作料理

 

 

 

 

● へしこは海のチーズ

北陸新幹線の部分開業フィーバーをうけ、今夜はその延長の福井は若狭のグルメ二品にフットライト
を当てる。まず、へしこ。へしこは鯖を糠漬けにしたもので、福井を代表する特産品の一つで福井の
伝統的なスローフード。そのの昔、若狭湾で獲れた鯖は鯖街道と呼ばれる山道を通り、京都へ運ばれ
ていた。京の都人がこぞって求めたという質の高い若狭の鯖は、地元ではへしこに加工され、冬の貴
重なタンパク源として欠かせない存在。塩辛さの中に旨みがギュッと凝縮され、ビタミンB、鉄分な
どをバランスよく含みます。そのまま焼いてご飯にのせるだけで充分美味しいですが、特有の旨みは
パスタをはじめあらゆる料理の具材や調味料としても生かされている。長野圏には柿のゆべしのごと
く、蕪に挟めばへしこのミルフィーユにチェンジ。パスタにからめれば、チーズいらずのアンチョビ
風スパゲティに変身。勿論、うどん、ラーメン、丼にも仕えという保存食になり。世界の魚介類のチ
ーズとして展開できそうな"
若狭のへしこは日本の伝統食品宝"である。

 

  

 

 ● 鮎がスイートフィッシュなら、ぐじはタイルフィッシュ

若狭焼きで有名な若狭ぐじ(甘鯛)を御食国(みけつくに)、若狭焼きとは、一汐した若狭ぐじを鱗
を付けたままじっくり焼き上げたもので、京料理では若狭焼きの善し悪しが、板前の腕前の目安とさ
れるほどの伝統のある料理方法。若狭ぐじは和名をアカアマダイという。英語でタイルフィッシュと
呼ばれるほど、タイルのようにきらきら輝き美しい魚。福井県では夏場に刺し網漁で漁獲される他、
延縄(はえなわ)釣りで一年中漁獲される。その角張った頭の形から「屈頭魚(くつな)」と呼ば
れていまたが、それがなまり「くじ」「ぐじ」と呼ばれるようになる。若狭湾で獲れたすべてのぐじ
を「若狭ぐじ」と呼ばず「若狭ぐじ」と呼ばれるのには幾つもの高いハードルを越え命名される。

 

 

  

 

 

 

 

● 『吉本隆明の経済学』論 26 

 

   吉本思想に存在する、独自の「経済学」とは何か。
 資本主義の先を透視する!       

 

    吉本隆明の思考には、独自の「経済学」の体系が存在する。それはマルクスともケインズとも
 異なる、類例のない経済学である。本書は、これまでまとったかたちで取り出されなかったその
 思考の宇宙を、ひとつの「絵」として完成させる試みである。経済における詩的構造とは何か。
 資本主義の現在と未来をどう見通すか。吉本隆明の残していった、豊饒な思想の核心に迫る。
 

    はじめに
 第1部 吉本隆明の経済学
 第1章 言語論と経済学
 第2章 原生的疎外と経済
 第3章 近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」
 4章 生産と消費
 第5章 現代都市論
 第6章 農業問題
 第7章 贈与価値論
 第8章 超資本主義 
 第2部 経済の詩的構造
 あとがき     

                                                         第1部 吉本隆明の経済学   

 第4章 生産と消費 

     2 消費論
    
     Ⅰ

     

  ヘーゲルの自然概念のかなめにあるのは、観察する理性にとって自然が段階化するという点で
 あった。この段時化によって自然は無機物や植物や動物に区分される。わたしたちが現代つかっ
 ている概念でいえば、ヘーゲルの段階化は、位相的な構造と順序の構造の結合を意味している。
 無機物は存在がそのものであり、それだけであるようなものだ。植物は存在が個別的であるだけ
 の存在だ。動物になると存在は個別的でありながら種としての区分をうけいれている。これは位
 相的な構造にあたっている。もうひとつ段所化は順序の構造をふくんでいる。生命の在り方とし
 て無機物・植物こ動物は順序的だとみなされる。また動物のうえに人間(ヒト)という順序を加
 えることもできる。もうひとつヘーゲルの段階化にはたいせつな特徴があった。これらの段階化
 された存在は、じぶんのまわりの外部の自然にたいして部分的な関係しかもちえないということ
 だ。

  いいかえれば段階化は自然との関係の部分化を意味した。ヘーゲルがあげた例をとれば、鳥類
 は天空がなければとぶことができない。だが天空という自然は鳥類がとぶためだけにあるわけで
 ない。だから鳥類の自然にたいする関係は部分的なものだ。おなじように魚類にとって水はなく
 てはならない生存の環境だ。だが水は魚類の生存のためだけにあるのではない。そこで魚類の水
 にたいする関係は全面的なものではない。これは獣類をとってきてもおなじだ。段階化された存
 在(自然)と、それ以外の自然との関わりは、こんなふうにいつも部分的なものだ。

  マルクスはヘーゲルの段階化の概念のうえに人間(ヒト)をかんがえた。順序でいえば動物的
 の上位に人間的をおいたといってもいい。そして人間とそれ以外の自然との関わりは部分的では
 なく全面的で普遍的なものとみなした。すくなくとも可能性としては人間だけが外部の自然にた
 いして、全面的な普遍的な関係をつくるものとかんがえようとした。これは道にいってもいい。
 じぶん以外の自然にたいして全面的で普遍な関係をもちうるものを人間(ヒト)と定義した。こ
 こで普遍的な関係は特定の構造でなくてはならない。マルクスはどうかんがえたかといえば、こ
 の普遍的な関係は、こまかくいえば直接に生存(生活)の手段である自然としても、また生存(
 生活)の行動の対象や材料や道具としての自然についても、全面的に自然を人間の非有機的な(
 無機物としての)肉体にしてしまい、またじぶん自身はそのとき有機的な自然(肉体)になって
 しまうという〈組み込み〉の関係によって、普遍的な関係は生みだされるとかんがえた。たとえ
 ば、道具や装置をあつかうばあいでも、農耕のように、ほとんど素手で耕すばあいでもおなじだ。

 道具や装置をつかって素材に手をくわえても、素手で地面に種子をまいても、人間は自然(物)
 を非有機的な肉体にしているのだし、このとき人間の方は筋力(の行使者)という有機的な自然
 に、じぶんを変化させていることになる。
 
  マルクスにとって、すぐにもうひとつの問題があらわれる。人間がまわりの自然とのあいだに
 この〈組み込み〉の関係にはいったとき、べつの言葉でいえば自然にたいして行動にうつったと
 き、この非有機的な肉体である自然と、有機的な自然であるじぶんの肉体との〈組み込み〉の領
 域から価値化されてゆくということだ。また価値という概念はここの領域のほかからは生みださ
 れないとみなされた。経済的なカテゴリーの言葉からこの関係を記述するとすれば、生産という
 概念をつかうか消費という概念をつかうほかに、この普遍的な関係はいいあらわせない。そして
 じっさいにマルクスは、生産という概念をつかって人間とのこりのぜんぶの自然との〈組み込み〉
 の普遍性をいいあらわそうとした。その極端ないい方の断片をいくつかあげてみる。


   宗教、家族、国家、法、道徳、科学、芸術等々は、生産の特殊なありかたにすぎず、生産の
   一般的法則に服する。

   歴史全体が、自然史の、人間への自然の生成の、現実的な部分である。人間にかんする科学
   が自然科学をそのもとに包括するように、自然科学はのちにまた人間にかんする科学をその
   もとに包括するだろう。すなわち、それは一つの科学となるであろう。

   思惟自体の基盤、思想の生命発現の基盤、すなわち言語は、感性的自然である。
   
                      (マルクス「経済学と哲学とにかんする手稿」)


  こういった断片的な文句は、マルクスの汎生産と汎自然とががっちりと組み込まれているとこ
 ろを、よく象徴している。たとえば宗教、家族、国家、法、道徳、科学、芸術などが生産の特殊
 な在り方だといわれると、嘘がいわれているのではないとしても、おおいに蹴いてしまう。そし
 て蹟く方が正常だといっていい。だがこのばあい生産という言葉は、自然と人間のあいだの関係
 という概念を経済学的な範時におきなおしただけの言葉なのだ。いいかえれば生産=関係を意味
 している。つよい直観的な論理がはたらいているので、たくさんの補いをつけなければならない
 としても、見事な判断になっている。だがわたしたちが言葉通りうけいれれば、だめなところが
 でてくる。もうひとつある。この方がたいせつなのだが、一種の論理のはぐらかしをうけた奇異
 な感じをいつもともなう。比喩的にいえば〈組み込み〉の概念が、二つのものがひとつに合体さ
 れたものであるため、余地、空隙、遊び、分離がなく、対立した概念がシステミック(組織がら
 み)に結合している印象をうけてしまう。人間とそのほかのぜんぶの自然との普遍的な関係は、
 人間の働きかけの面からは生産といっていいように、働きかけによって有機的な自然となった肉
 体(筋力)という面からいえば、消費にほかならない。じじつマルクスの消費の概念は生産にく
 つついた裏にあたっている。マルクスは書いている。


    消費は直接にまた生産でもあるが、それは、自然界において諸元素や化学的諸成分の消費
   が植物の生産であるのと同じである。たとえば消費の一形態である食物の摂取によって人間
   が自分自身の肉体を生産することはあきらかである。しかしこのことは、なんらかのやり方
   で人間を、なんらかの面から生産するものであれば、どんな種類のほかの消費についてもい
   えることである。消費的生産。しかしながら消費と同一のこの生産は、第一の生産物の破壊
   から生ずる第二の生産であると経済学はいう。第一の生産では、生産者が自分を物と化し、
   第ニの生産では、かれによってつくられた物が人間となる。だからこの消費的生産は――た
   とえそれが生産と消費との直接の統一であるとはいえI-本来の生産とは本費的にちがうも
   のである。生産が消費と、消費が生産と一致する直接の統一は、それらのものの直接の二元
   性を存続させる。  
                             (マルクス「経済学批判序説」)


  植物という自然の段階について、代謝の活動をここでは消費、すなわち生産だという〈組み込
 み〉の関係におき直している。自然界にたいして植物は諸元素や化学的な成分を提供されるよう
 に働きかける。そしてじぶんは酸素を提供しながら生長する。自然界は消費したのだし、植物は
 じぶんを生産したのだ。人間も段階として、おなじことをやっているというのが、このばあいの
 マルクスが言いたいことだ。 生産は同時に消費の行為であり、また逆に消費があるときかなら
 ず生産をモチーフとしていて、人間の行為はそれ以外のあらわれ方はしない。こういう生産と消
 費がシャムの双生児のようにひき離せない概念は、はじめにヘーゲルの自然の段所化をうけいれ、
 そのうえに人間とそれをとりまく自然とのあいだの相互行為をシステミック(組織がらみ)な〈
 組み込み〉として普遍化を企てたとき、どうしても避け難いものだった。

  古典派以後の経済学の概念では生産人という概念は生産行為に関係づけられ、消費人という概
 念は消費の行為に関係づけられ、それぞれが別の人間であることも、また同一の人間の別べつの
 局面での行為であることもできる。それは無意識に前提にされている。だがヘーゲルーマルクス
 的な考え方では、段階は観察する理性に関係づけられ、生産と消費の〈組み込み〉の関係は、人
 間の行為(行為的理性)に関係づけられるので、同一の人間の内部での区別にしかすぎない。

  具体的な例でいえば、ある一人の生産にたずさわる人間が、仕事以外の時間にレストランに出
 かけて料理を喰べた。この消費行為の局面では、かれは消費人だということになる。これはある
 一人の人間は生産にたずさわり、別の一人の人間がレストランで料理を喰べたとかんがえてもお
 なじことだ。だがマルクスのかんがえ方ではそうならない。ある一人の人間が職場で物の生産に
 たずさわった。このときかれは物を生産し、同時に生産する行為によって身体(のエネルギー)
 を消費したことになる。またある一人の人間がレストランヘ行き、料理を喰べて金銭を支払った。

  かれは消費行為をしたのだが、同時にそのことによって栄養を補給し、気分を安らかにするこ
 とで、かれの身体を生産したのだ。すくなくとも明日また職場で生産にたずさわれるほどに身体
 を生産したことになる。

 

  わたしにはヘーゲルーマルクス的な生産と消費の概念のほうが妥当なようにおもえる。生産人
 と消費人を人間
のべつの局面とかんがえることは、近似的には差支えないようにおもえるが、あ
 くまでもげんみつにいえば、ヘ
ーゲルーマルクス的な概念で生産と消費をかんがえざるをえなく
 なる。ただ人間は生産の場面でそれにたずさわ
っているときには、疲労がひどくこたえないかぎ
 りは、
身体を消費していることには無意識だし、消費の場面では遂に、料理を喰べることによっ
 て、玉突きや、パソコ
ン遊びをやることによって……身体や精神を生産していることは無意識に
 なっている。もうすこし留保すべきこ
とがある。ヘーゲルーマルクス的な生産と消費は、どう
 んがえても〈組み込み〉の息苦しさ、ぬきさしならな
い関係の感じがつきまとって、どこかで風
 穴をあけなく
ては我慢ならない気がしてくる。

  もうひとつあげれば、
生産の行為の裏に身体の消費が附着していることは、その行為が理性的
 な内省の機会をもつか、あるいは身体の
消費のあげく病的な症候を呈すれば気づくことができる
 が、生産の局面とそれに対応する消費の局面とが時間的にか空間的にあまりに隔っているばあい
 は、消費がいいかえれば身体の生産にあたることは、直接には指定できないことになる。このば
 あいには生産はすなわち消費であり、消費はすなわち生産であるというマルクスの概念は、一般
 的な抽象論の次元にうつされてしまう。そしてこのことは生産と消費の高度化にとって避けるこ
 とができないといっていい(図5参照)。

                                第一部 吉本隆明の経済学  

                                      (この項続く) 

 

 

 

  

 

 

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中央日本周回新幹線構想

2015年03月17日 | 極東アジア経済構想

 

 



● 米国加州のエコカー規制は邦人メーカにはさらなるチャンス!

厳しい排ガス規制で知られる米カリフォルニア州で、ハイブリッド車(HV)が肩身の狭い思いをし
ている。もはや最新技術とはみなされず
、エコカーの定義からも外された。流れは他の州にも及んで
おり、各メーカーは次世代エコカーの投入を急いでいる(朝日デジタル、2015.03.15)。HVは、も
はや最新の環境技術が使われた車ではない。と、
規制を担当する州大気資源局のアルバート・アラヤ
副局長という。自動車メーカーに州内で売る新車の14%をエコカーにするよう義務づけているが、
17年からはここからもHVを外す。目的は、技術革新を後押しすることだ。義務がなかったら、自
動車メーカーは技術開発をしようと思わないだろう、とも。メーカーは義務に違反すれば1台あたり
5千ドル(約60万円)の罰金を科せられる。

多めにエコカーを販売した他社から「排出枠」を買い取ってしのぐこともできるが、多額の費用がか
かる。「環境保護に後ろ向きな会社」というイメージも背負ってしまう。カリフォルニアが環境規制
に熱心なのは、昔から車の数が多く大気汚染に苦しんだからだという。それにしても、エコカーの販
売そのものを義務づける規制は世界でも異例で、非現実的だ」との批判も根強い。充電施設などの)
インフラが整っておらず、消費者から望まれていない。メーカーがついていくのは難しいのではない
かとの声も上がっている。 ロサンゼルス・タイムズ紙によると、EVを1台売るごとに約1万ドル
(約120万円)の赤字が出る。大々的に販売させるのは、マゾヒズムの極みだとの激しい反発の声
もある。

※ ZEVZero Emission Vehicle)とは、排出ガスを一切出さない電気自動車や燃料電池車を指す。カ
  リフォルニア州のZEV規制は、州内で一定台数以上自動車を販売するメーカーは、その販売台数
  の一定比率をZEVにしなければならないと定めている。ただし、電気自動車や燃料電池車のみで
  規制をクリアすることは難しいため、プラグインハイブリッドカー、ハイブリッドカー、天然ガ
  ス車、排ガスが極めてクリーンな車両などを組み入れることも許容されている。

しかし、燃料電池、電気自動車普及にはハード&ソフトの両面からのスマートな行政のバックアップ
が不可欠だ。前者は水素ステーションの配置と法整備、後者は、幹線道路の非接触給電レーン(走行
中の非接触給電=既存電車の非接触給電化と同じような機能)や給電ステーションの整備が前提とな
るが、いずれにしても邦人メイカーには、このアゲインストは、ビックチャンスでもある。


 

● テラヘルツ技術を活用した太陽電池評価に成功

低炭素社会の実現に向け、世界中で再生可能エネルギーの活用が進んでいる。太陽光発電は、商用太
陽電池の約80%を占める結晶シリコン太陽電池は、発電時にさまざまなエネルギー損失が発生するこ
とが課題のひとつとなってるが、瞬間的な発電状態の変化が、エネルギー変換や損失に与える影響を
検証することができれば、発電効率を高める研究開発につながる。
こうした理論を実証する有効な方
法として、SCREENホールディングスと大阪大学は2011年10月、LTEM 技術を用いて太陽電池から発
生するテラヘルツ波計測し、1兆分の1秒という極めて短い発電状態の変化を可視化することに世界
で初めて成功。このLTEM技術で太陽電池評価システムの装置化を実現し、再生可能エネルギー分野
の世界的な研究開発拠点「福島再生可能エネルギー研究所」に設置する。
SCREENホールディングス
と大阪大学は、今回の取組みを通じて、「福島再生可能エネルギー研究所」での太陽電池分野の総合
的な研究開発に寄与するとともに、研究で蓄積されたノウハウを応用し、テラヘルツ波の検出・分析
技術を駆使した新たな分野への技術展開を目指す。

※ レーザーテラヘルツエミッション顕微鏡(LTEM):大阪大学レーザーエネルギー学研究センタ
  の斗内教授が開発した、テラヘルツ波応用解析装置。約百フェムト秒という極めて短い時間のレ
  ーザーパルスを半導体、超伝導体、強誘電体などの材料やデバイスに照射することにより、発生
  するテラヘルツ波を検出し可視化できる顕微鏡。(1フェムトは1千兆分の1秒)。

 

ところで、フォトデバイスは、材料として半導体及び金属が用いられるのが一般的である。特に、半
導体では、温度が高くなると、価電子帯の電子が、熱的にハンドギャップを超えて伝導帯に入る。電
子の分布は、いわゆるフェルミ分布に従う。電子及び正孔は、それぞれ熱の影響によって、ドナー準
位及びアクセプタ準位から、伝導帯及び価電子帯に移動する。温度によって、フォトデバイスの特性
が大きく変化する可能性があり、フォトデバイスの温度依存特性を検査する技術が求められていた。

上図1の検査装置100は、太陽電池パネル90を検査するための装置で、太陽電池パネル90から
電磁波パルスLT1を放射させるパルス光LP11を太陽電池パネル90に照射する励起光照射部12
と、パルス光LP11の照射に応じ、太陽電池パネル90から放射される電磁波パルスLT1を検出
する検出部13と、太陽電池パネル90における、パルス光LP11が照射される部分の温度を変更
する温度変更部31とを備えた構成で、電磁波検出に基づいたフォトデバイス検査において、フォト
デバイスの温度依存特性を検査できる。

● テラヘルツ技術でなにができるのか?

LTEM の原理、実験装置構成

LTEM の原理は、ある種の試料(半導体,超伝導体,強誘電体など)にフェムト秒レーザーパルスを
照射することで、THz 波が発生することが知られていたが、古典的な電磁気論によれば、THz波は電
流・分極の時間変化により発生する。半導体の場合、フェムト秒レーザーパルス照射により発生した
光励起キャリアは、p-n 接合、ショットキー接合などの内部電界、あるいは電極に電圧を印加したこ
とで外部電界によって加速しTHz 波パルスが発生。そのTHz 波を観測することで材料の局所特性が分
析できる。太陽電池の最も基本的な構成は、上図1に示すようにSi で作られた大面積のp-n 接合素子
いわゆるフォトダイオードで、太陽電池にフェムト秒レーザーパルスを照射し、光励起キャリアが生
成する。同キャリアは、太陽電池の空乏層領域で加速・分離されTHz 波パルスが発生する。上記は、
太陽電池にサブピコ秒オーダーの非常に短い時間の発電を引き起こすことを意味する。LTEM 技術を太
陽電池特性計測に応用することで、フェムト秒レーザーパルスによる発電状態をテラヘルツ波で捉え、
非破壊、非接触でイメージング可能となる。

レーザーテラヘルツ研究では、先進的なレーザー技術を利用したテラヘルツ帯の光源・検出器開発、
これを利用した基礎研究や応用技術の開発とテラヘルツ帯で動作する超高速量子デバイス等の開発に
取り組まれている。テラヘルツ帯(0.1~100THz)野電磁波は、その発生・検出が困難で、「未開拓電磁
波」とされてきたが、フォノンやプラズモン、分子の回転遷移など物質の多様な素励起の周波数に対
応し、物性研究で重要な役割を果たし、この分光特性を利用したイメージング、バイオ・医薬品研究
危険物検知などさまざまな分野への応用が期待されている。

 

● 中央日本周回新幹線構想に向けて 

北陸新幹線長野−金沢間が14日開業し 東京から北陸への時間が大幅に短縮された。基本計画決定か
ら43年を経て実現した東京から金沢までの直通ルートの開通した。総工費約1兆7800億円をか
けた新しい動脈は、人の流れを大きく変えることが予想されている。東京から金沢へは、東京駅から
越新幹線を利用し、越後湯沢駅で在来線特急「はくたか」に乗り換えるのが一般的だった。このル
ートの所要時間は最速で3時間51分。14日の開業で東京−金沢間は最速2時間28分となり 1時
間23分も短縮。東京−富山間も1時間以上短縮され、2時間8分で結ばれた。東京−金沢間の料金は
普通車指定席で1万4120円。

経済効果も試算されている。日本政策投資銀行は、首都圏からの観光客が増加し、石川県で年間12
4億円、
富山県で同88億円の経済波及効果があると試算。富山県の石井隆一知事は「北陸全体にと
って百年に1度
のビッグチャンス」と期待を示しているが、上越新幹線は北陸新幹線に乗客を奪われ
る格好となり、新潟市な
ど沿線自治体で構成する「上越新幹線活性化同盟会」によると、上越新幹線
と、長野−金沢間が開業する前の北陸新幹線との乗客数の比率は60対40だった。金沢延伸後は45
対55に比率が逆転する見通しを示している。特に、毎日新聞(2015.03.05)によると、北陸新幹線
が開通したことにより、人の流れ激変し「JR8割、航空2割」予想とも報じている。

 

この動きに対し、2012年6月29日に北陸新幹線敦賀までの工事実施計画が認可された福井県は県民一
丸になり早期実現に期待が膨らんでいるだけでなく(
大震災を経験した日本にとっても重要な国土政
策。政府はさらに、工期短縮を図るべきである―西川一誠福井県知事)、大阪や京都、奈良などの関
西圏の関係者もその影響予測を注視委している
。そこで、考え方を変えてみた。敦賀から先のルート
は、フリーゲージトレイン(軌間可変電車)を使えば、敦賀―米原ルートが一番早く、しかも工費も
やすくなる上に、東海道本線の相乗りを考慮すれば敦賀-米原-大津-大阪-京都-奈良への負の影
響は払拭される上に、"
琵琶湖ネックレス構想"の拡大版である、"中央日本周回新幹線構想"実現の夢
が現実味を帯びることになる。つまり、新潟港・富山港・敦賀港・舞港を基点として日本海経済圏
(朝鮮-中国-ロシア)との極東アジア
経済圏構想も含め、大阪-名古屋-東京-新潟-金沢を新幹
線で結ぶことが可能となり、極東アジアのトップランナー広域経済圏が構築できる。これは面白い!
 

  

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女のいない男たちの料理

2014年04月18日 | 時事書評

 

 

 

ここ一週間、俄花瓶(透明のグラスジョッキーの代用)に朝摘みのフェンネルをテーブルに飾り
置きしてくれ
ている。さてこの植物の若い葉および種子(フェンネルシード)は、甘い香りと苦
みが特徴で消化促進・消臭に効果が
あり、香辛料(スパイス)、ハーブとして、食用、薬用、化
粧品用などに古くから用いられている。西洋では魚料理やピクルスの風味付けに用いられ、イン
ドではカレー料理に、中国では五香粉の原料として用いられる。またパスティスやアクアヴィッ
トなどの酒類・リキュール類の香り付けにも用いられる。またフェンネルシードをさまざまな色
の砂糖でコートしたもの(ヒンディー語で「ソーンフ」。フェンネルの意味。)がインド料理店
で口直しとしてレジの横などに置かれていることがあるという。フェンネルの鱗茎(葉柄基部が
肥大したもの)はフィノッキオ (finocchio) とも呼ばれ、野菜としてタマネギなどのようにサラ
ダや煮物、スープなどに用いられる。茎・葉は生食されるが、その他にも佃煮、シチューなど、
肉料理の香味野菜として使用される。また、果実は、生薬「茴香」で芳香健胃作用がある。漢方
方剤の安中散(あんちゅうさん)や、太田胃散(漢方+西洋薬の処方)、口中清涼剤の仁丹など
に使われているという。料理レシピでは日本ではあまり調理食材としてお目にかからないが、ク
ッパッドでは数百種のレパートリーとことのほか多い(出典:Wikipadia)。

 マグロのフリッタとフェンネサラダ
  

村上春樹の短編小説集の『女のいない男たち』が出版されたという。この本は、ドライブ・マイ・
カーが『文藝春秋』2013年12月号/イエスタデイが『文藝春秋』2014年1月号/独立器官が『文
藝春秋』2014年3月号/シェエラザードが『MONKEY』2014年2月15日発行・Vol.2 /木野が『文
藝春秋』2014年2月号/女のいない男たちが、書き下ろしとして2014年4月、文藝春秋から出版
掲載された作品で構成されているという。このうち「ドライブ・マイ・カー」はこのブログでビ
ートルズ・ナンバーの楽曲あるいは村上春樹の映画作品の視聴の二次元展開として掲載してきた
が、実は後続の作品が『文藝春秋』に掲載されていることを知っていたなら、同様に読了感想を
二次元イメージで展開掲載していただろうと、後から悔やむことになったが、それにめげずに?
早速、同著書をデジタル注文し取り寄せることにした。これからが楽しみだ。



ところで、この本のタイトルは、アーネスト・ヘミングウェイの短編小説集の"Men_Without_Wo-
men
"(1927年)が荒地出版社から邦訳出版された際、「女のいない男たち」という題がつけられ
ていたというので、原文をネット検索したが(真上図クリック)、14部作から構成「無敵」を
さららっと読み飛ばしだけで、急用の残件処理のため途中で作業を中止する(これは残件扱い)。
そのメインテーマは闘牛・不倫・離婚・死別などで、中でも「キラー」「ヒルズのような白い像」
「他の国で」はヘミングウェイの最高の作品の一つであると賞されている。
 

 

 

  

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】  

さて、昨夜の続き。”一山当てる”、”山を踏む”という行動パターンは刹那主義だろうか、それとも、旺盛な
チャレンジ精神の発露か?ビジネスにとってこの「自己投企」は悪なのか? そんなことはあるわけ
ないでしょう。むしろ、孫正義も、スティーブ・ジョブズもご多分に
洩れず勝負師気質があると
思う。そして、その背景として「死は我々が共有するすべての人の最終地点なのです。誰も逃れ
ることはできないのです。そして、そうあるべきなのです。死は人生における最も優れた創造物
なのだから」という名言を残しているほどだ。たからこそ高度消費社会(=前社会主義社会)の
価値観の多様性が、恣意的な自由の拡大が担保されていることと、最大多数の最大幸福を約束(
格差拡大)しなかったマネー資本主義(わたし流にいえば高度なデジタル技術を駆使した金融工
学と結合双生児の英米流金融資本主義)は、国民の福祉的側面から自省すべきで、是正すべきも
のだと考えている。高度な科学技術社会を背景とした平均寿命の伸長に伴う未踏の超高齢社会の
到来と恣意的自由の拡大としての少子化とを綯い交ぜ(混同)して論じることに無理があると老
婆心ながら指摘しておかなければならない。そのことを踏まえ以下に、藻谷浩介の主張に耳を傾
けよう。

※ 何度も記載しているが、デフレの正体の大きな要因は、デジタル革命の基本特性にあること
  
を指摘しておこう(この科学技術進歩の寄与率の算出に当たっては、意図が先行し過小評価
  することは避けなければならない。 


● 里山資本主義異論

 「マネー資本主義」が生んだ「刹那的行動」蔓延の病理 

  このようにどこかの国の凋落で儲けようとする連中がいるのもマネー資本主義の醜い部分
 だが、問題をここまで至らせてしまったその火元には先はども触れたように、瞬間的な利益
 を確保するためだけの刹那的な行動に走ってしまって重要な問題は先送りしてしまうという、
 マネー資本主義に染まった人間共通の病理がある。目先の「景気回復」という旗印のドで、
 いずれ誰か払わねばならない国債の残高を延々積み上げてしまうというような、極めて短期
 的な利害だけで条件反射のように動く社会を、マネー資本主義は作ってしまった。国債増発
 やむなしと叫ぶ一部政治家の言を聞いてみれば良い。皆「自分たちの今が何よりも大事」
 後のことは後の世代が何とかするので私は知らない」としか言っていない。困ったことにそ
 のような社会では、日本人自身が、内心で自分たちの明るい未来を信じなくなる。日々が目
 の前で起きたことへの条件反射のような対応で埋め尽くされ、先を見た行動は行われなくな
 る。

  この病理は他のところにも露呈している。たとえば十数年前から国土交通省自身が白書な
 どでも警告してきた利水構造物の老朽化も、実際に中央道笹子トンネルの天井板が崩落して
 9名もの犠牲が出るまで、まったく一般に認知されないままだった。
  福島の原発事故も、老朽化した旧式原発を、「いずれ止めます、いずれ庄めます」といい
 ながら動かし続けてきたのが大きな原因だ。使用済み咳燃料の最終処分の見通しがまったく
 立たないままに原発を丙稼働しようとするのも、とにかく今を眠り切るために数年娶ご既存
 原発内の保萱場が満杯になるのはそう遠い先のことではない)を見ないようにしているとい
 う話にほかならない。何とか暫定的な保管場所を見つけたとしても、今後10万年にわたり
 安定的に冷やし続けねばならない高レベル廃棄物にどこで誰がどう責任を持つのか、これま
 たまったく目途が立っていないし、その目途が既つ目途もない。これはとにかく赤字国債を
 発行してつないでいくという発想と同じで、刹那の繁栄のための問題先送りにほかならない。

 里山資本主義は保険。安心を買う別原理である

  猛々しくマネー資本主義の限界を説いてきた。このトーンから言えば、問題の打開策も
 猛々しく唱えなければならないところかもしれない。だが筆者はここからは猛々しくは語ら
 ない。限界を柔らかく突き破り、いや正確には限界の壁の横をするっと回りこんでかわし、
 人びとの不安を和らげる役を果たす、里山資本主義について静かに語りたい。
  繰り返すが、刹那的な行動は、われわれ日本人がマネー資本主義の先行きに対して根源的
 な不安を抱き、心の奥底で自暴自棄になってしまっているところから来ている。そしてその
 不安は、マネー資本主義自壊のリスクに対処できるバックアップシステムが存在しないとこ
 ろから来る。複雑化しきったマネー資本主義のシステムが機能停止した時に、どうしていい
 かわからないというところから不安は来ているのだ。
  そのような不安とは、そろそろサヨナラしてはどうだろうか。中間総括に書いた通り、里
 山資本主義こそ、お金が機能しなくなっても水と食料と燃料を手にし続けるための、究極の
 バックアップシステムである。いや本質バイオマスエネルギーのように、分野によってはメ
 インシステムと役割を交代することも可能かもしれない。なににせよ、複雑で巨大な一つの
 体系に依存すればするほど内心高まっていくシステム崩壊への不安を、癒すことができるの
 は、別体系として存在する保険だけであり、そして里山資本主義はマネー資本主義の世界に
 おける究極の保険なのだ。
  大都市国民であっても、ほんの数代前までは、四季折々の風に吹かれながら、土に触れ、
 流れに手を浸し、木を切り、火をおこして暮らしていたのだ。
  実際問題、里山で暮らす高齢者の日々は、穏やかな充足に満ちている。遠い部会で生まれ
 ているあれこれの策動や対立や空騒ぎには嫌なものを感じつつも、毎日Lり来る陽の光の恵
 みと、四季折々に訪れる花鳥風月の美しさと、ゆっくり土から育つ実りに支えられて、地味
 だが不安の少ない日々を送っている。
  なぜそういうことになるのか。それは、身近にあるものから水と食料と燃料の相当部分を
 まかなえているという安心感があるからだ。お金を持って自然と対峙する自分ではなく、自
 然の循環の中で生かされている自分であることを、肌で知っている充足感があるからだ。
  この里山資本仁義という保険の掛け今は、お金ではなく、自分自身が動いて準備すること
 そのものである。保険なので、せっかく準備していても何かきっかけがないと稼働しないか
 もしれないが、しかし準備があるとないとでは、いざというときに天と地ほどの差が出る。
 日常の安心にも見えない差が生まれる。眼に保険とは安心を貿う商品であり、里山資本主義
 とは己行動によって安心を作り出す実践なのである。

  刹那的な繁栄の希求と心の奥底の不安が生んだ著しい少子化

  日本人の行動が刹那的になっていることに対して、里山資本主義がささやかながら対抗原
 理として働くとするならば、もしかすると、もっと大きな規模でその効果が出てくることが
 期待できるかもしれない。里山資本主義こそ、日本を百%確実に襲う、いや既に何十年もか
 けて進行している問題、場合によってはほとんど日本社会の息の根を止めかねない本当の危
 機に対する、最大で最後の対抗手段かもしれないのである。
  お気づきの方もいらっしやろうが、そのことを放置してきたツケが、今世紀半ばまでには
 とんでもない大きさの副作用として立ち現れてくる。それが、ここ30年以上も進行してい 
 る著しい少子化だ。
  日本全体の合計特殊出生率(女性一人が生涯に産む子どもの数)はここ数年少し回復して
 きたがそれでも1.4を割り込んでおり、日本最低の東京都では1.1という水準だ。この
 結果足元では、年間1.6%減少のペースで、四歳以下人目が減っている。このまま行けば、
 今後60年程度で日本から子どもがいなくなってしまう状態だ。
  これを冗談と笑うことはできない。現に過去35年の間に日本で毎年生まれる子供は四割
 も減ってしまったという事実がある。何かの抜本的な変化が起きて、これまで何十年も進行
 してきた少子化の流れが変わらない限り、子どもの消滅? とまではいかなくとも、さらな
 
る激減は確実に起きる。子どもだけではなく生産年齢人口(15~64歳人口)も、199
 5年から2010年の15五年間にもう7%も減っている。これがさらに今後50年間でほ
 ぼ半減となることも、もう誰にも止められない状況だ。
  移民の本格導入は、この問題を全く解決しない。移民も、移住先の国民と同化すればする
 ほど出生率も移住先の国民と同レベルにまで、急速に低下するからである。日本より出生率
 の低いシンガポールでは、居住者の三割が外国人という状況だが、日本同様の子どもの減少
 が続いている。
  そうなれば、国土防衛だの何だの叫んでも絵空事で、そもそも日本社会が存立できなくな
 ってしまう可能性もある。会社の収益確保と言っても、その前に労働者も顧客も確保できな
 くなってしまうのではないか。とはいえ現役庶代が半減しないようにその前で・比めること
 はもうどう計算しても無理だ。でも半減したあたりまでで済ませてその先の現象を食い止め
 ることはできるかもしれない。これが今やらねばならぬ勝負の中身である。
  この少子化の原因は複雑にからみあっていて、これだ、と定量的に検証できた研究はない。
 だが都道府県別に大きな差があることに着目すれば、ある程度の推測はできる。まず首都圏
 と京阪神圈の出生率が低く、北海道も低い。だが沖縄県や福岡以外の九州各県、島根県・鳥
 取県・福井県・山形県など日本海側の県は概して高い。
よく誤解されているのだが、若い女
 性が働くと子どもが減るのではなく、むしろ若い女性が働いていない地域(首都圈、京阪神
 圏、北海道の人目の半分が集まる札幌圏など)ほど出生率が低く、夫婦とも正社員が当たり
 前の地方の県の方が子どもが生まれていることは、統計上も明らかである。もう少し定性的
 に言えば、通勤時間と労働時間が長く、保育所は足りず、病気のときなどのバックアップも
 なく、子どもを産むと仕事を続けにくくなる地域ほど、少子化か進んでいる。保育所が完備
 し、子育てに親世代や社会の支援が厚く、子育て中の収入も確保しやすい地域ほど、子ども
 が生まれているのだ。
  それら子育てに向いた地域は、日本海側や南九州・沖縄など、マネー資本主義の中では相
 対的に取り残されてきた場所であり、そこにはまだ緑と食料と水と土地と人の絆が、相対的
 に多く残っている。同じ県の中でも、山間地や離島になるほど出生率は高い。そういう地域
 の住民は、足元では富を生まない簿外資産(金銭換算不可能な財産)、たとえば子宝を得る
 こと、井戸や田畑や里山を残すことなどに、大都市圈よりも多くの力を割いてきた。刹那的
 な経済的繁栄だけでなく、その先にある本当に大事なものにも目を向けてきたのである。
  ただ如何せん、そのような地域に住んでいるのは日本人の中の少数派でしかない。若い女
 性の圧倒的多数は、孫の世代の数が自分たちの世代の半分以下になってしまう流れにある大
 都市部に集まっている。
  そう、若者は未だに大都市の魅力に惹かれ、あるいは就職チャンスに惹かれ、いやもしか
 すると「そうしないといけないものなのだ」と何となく周囲から意識付けをされてしまった
 ゆえに、食料はもちろん水すら自給できない大都市間に集まってきている。ところがその大
 都市間の住民や、大都市間中心に発展してきた日本企業の関係者は、意識の奥底に「自分た
 ちの今のマネー資本主義的な繁栄は続かないのではないか」という不安を、地方の住民や企
 業以上に強く隠し持っているように思える。であるがゆえに彼らは、積極的に子どもを持つ
 ことをしない。あるいは子育てと労働を両立させたい社員を積極的に支援しようとしない
 (むしろ辞めさせていく)。
  本当の意味での余裕がないとも言えるし、不安に駆られて己の未来に進んでダメを出して
 しまっているともいえる。そのような大都市間に若者を集中させ、そのような大都市圈の企
 業に就職させ続けている結果、日本の子どもはさらに急速なペースで減っていく。

 里山資本主義こそ、少子化を食い止める解決策

 少子化というのは結局、日本人と日本企業(特に大都市)住民と大都市圈の企業)がマネー
 資本主義の未来に対して抱いている漠然とした不安・不信が、形として表に出てしまったも
 のなのではないかと、筆者は考えている。未来を信じられないことが原因で子孫を残すこと
 をためらうという、一種の「自傷行為」なのではないかと。そういうわけでこの現象は、幾
 ら「もっと子どもを産め」とマツチョな掛け声をかけようとも、そういう表の世界の建前に
 よってはまったく解決されない。だからこそマツチョ志向の政権は、何党であってもどちら
 かというとこの問題を避けて通る。
  少子化は日本だけで起きているのではない。マネー資本主義が貫徹されているという意味
 では日本以上である韓国も台湾もシンガポールも、前述の通り目本より出生率が低い。同じ
 く凄まじいマネーの暴風が吹き荒れている中国でも、沿海部の出生率はもう東京よりも低く
 なっている可能性がある。上海の出生率は0.7という話を問いたことがあるが、これは三
 世代で人口が8分の1に縮小してしまうという驚異的な水準だ。ロシアや東欧でも、突如マ
 ネー資本主義の暴風にさらされたソ連邦崩壊以降、著しい出生率の低ドが報告されている。
  であるとすればこそ解決は、マネー資本主義とは連う次元のところに存在する、脱出資本
 主義の普及と活用にあるはずだ。里山資本主義は、大都市圈住民が水と食料と燃料の確保に
 関して抱かざるを得ない原初的な不安を和らげる。それだけでなく脱出資本主義は、人間ら
 しい暮らしを営める場を、子どもを持つ年代の夫婦に提供する。
  少し前の日本であれば、都会に住まなければ味わえないマネー資本主義の恩恵というもの
 が、物質的な充足というものがあった。その当時に田舎を出て大都市に移り住んだ今の中高
 年の方々には、田舎は未だにその当時のままだと思い込んでいる、ある意味幸せな人もいる        
 のだろう。

  だが実際には、周防大島にも邑南町にも、スーパーだけでなく24時間営業のコンビニも
 あれば、阿部圏の都心部にこそむしろないホームセンターもある。発達した道路を使って手
 近の空港にも大きな町にも簡単に行けるし、都会にも海外にも昔とは比較にならないほど気
 軽に出かけられる。ネット通販で、珍しいものでも簡単に買える。片なら全国民で巨人を応
 援していたのかもしれないが、Jリーグやbjリーグ、野球の独立リーグなどもどんどん
 増え、誰でも地元のプロチームを地元で応援できる時代になっている。そして逆に里山では、
 都会では今でも味わえない自然と水と空気と家庭菜園と、都会とは比較にならないほどおい
 しい食材とゆとりある住居を、格安で享受することができるのだ。
                                                                            、
 「そんな日本の田舎の問題は、もはや職場の不足だけだと言ってもいいのだが、その職場も 
 安定した企業で勤め上げる」という、実際には都会でももう普通は有り得なくなって来て
 いるモデルにこだわらない限り、実はどんどん生まれつつある。この本で紹介したのは本当
 にほんの一端のそのまた切れ端で、書籍でも雑誌でもネットでも、田舎で新たな収入先を開
 拓している若者や退職者向けの情報は満ち溢れている。収入は低くなっても、その対価とし
 て自分らしさを取り炭せる。流れは確実に変わっているのだ。

   中間総括で、「マネー資本主義は、やりすぎると人の存在までをも金銭換算してしまう」
 と書いた。もちろん、人はお金では買えない。人の存在価値も、稼いだ金銭の額で決まるの
 ではない、
  人間の価値は、誰かに「あなたはかけがえのない人だ」と言ってもらえるかどうかで決ま
 る。人との絆を回復することで、そして自分を生かしてくれる自然の恵みとのつながりを回
 復することで、ようやく「自分は自分でいいんだ、かけがえのない自分なんだ」ということ
 を実感できる。そのとき初めて人は、心の底から子どもが欲しいと思うようになる。自分に
 も子どもがいていいのだと思えるようになる。なぜなら子どもは、自分と同様に、そこにい
 るだけでかけがえのない存在だからだ。この自分の幸せを、生きている幸せを、子どもにも
 味わって欲しいと心の底から思うとき、ようやく人は子どもを持つ一歩が踏み出せる。



 「社会が高齢化するから日本は衰える」は誤っている

  少子化に触れたので、高齢化と里山資本主義の関係にも触れておきたい。少子化と高齢化
 を混同して「少子高齢化」と一緒に呼ぶ人がいるが、高齢化は少子化とはまた別の問題とし
 て近未来にたちはだかる。
  日本が今経験している高齢化とは、一言でいえば高齢者の絶対数の増加、より正確には7
 5歳以上(後期高齢者)、あるいは85歳以上(超後期高齢者とでも呼ぶべきか)の人口の
 急増のことだ。これを「高齢化率」のL昇のことだと思っていると事態が見えなくなる。
  これまで何度も使ってきた、国立社会保障・人口問題研究所の2012年中位推計によれ
 ば、2040年の日本では、85歳以上のお年寄りが一千万人を超え、他のどの五歳刻みの
 年齢階層よりも多くなり(ちなみに2010年現在は四百万人なので2・5倍以上に増え

 ことになる)、11番目に多いのが65~69歳というような状況となる。その20年後の

 2060年になると、85歳以上人口だけが一千万入超で、45~84歳はどの5歳刻み
 年齢階層も五百~六百万人と大差ない状態になるという。さらにその先の2070年ともな
 ると85歳以上の絶対数も大きく減ることが期待されるので、際限なく続くかもしれ
ない少
 子化に比べれば、高齢化は時間が解決する問題であるとも言えるのだが、それにして
も解決
 する頃にはこの本を読んでいるほとんどの方が亡くなっている、あるいは超後期高齢
者とし
 てからくもご存命であるというようなことになっているだろう。

  この人口予測の話を持ち出すと、機械的に、日本の将来に対する悲観論者と受け取られる
 ようだ。2012年には英国エコノミスト誌の将来予測が話題になったが、これによれば                                        
 050年の日本のGDPは現在の世界第三位から、韓国にも抜かれてブラジルやロシアと同
 程度となるという。この評価は、今後の韓国やロシアの日本以上の急速な人口減少をどこま
 で盛り込んでいるのかたいへん怪しいものだが、いずれにせよマネー資本主義の枠組みの範
 囲内で、その基準だけで下されたものである。
  これに対して筆者は、「社会が高齢化するから日本は衰える」といった議論にはまったく
 賛成していない。むしろ、先にも触れた2060年の日本については、およそ思いつく限り
 の困難を想定した上で楽観したシナリオを持っている。
  これまで人類が経験したことのない超高齢化社会のトップランナーであり、マネー資本主
 義を徹底的に突き進んでその限界を自覚しつつある日本だからこそ、里山資本主義的な要素
 を取り込むことで、「明るい高齢化」の道を進んでいけると思っているのだ。

 里山資本主義は「健康寿命」を延ばし、明るい高齢化社会を生み出す

  根拠の第一は、既に世界トップクラスである目本の「健康寿命」(心身とも健康である年  
 数)が、里山資本主義の普及でさらに上昇すると考えられることだ。日本は平均寿命も世界
 トップクラスだ。これが、日本経済が「衰退しているかのように言われるけれども実は高位
 安定している」証拠であることも既に述べた。
 日本の高齢化率(六五歳以上人口÷総人口)は23%を超えており、たとえば米国の2倍程
 度の水準だが、国民一人当たりの医療費は現時点でもアメリカのほうが高い。そもそも一人
 当たりの医療費は、平均寿命の長さとは連動しない。車で移動し脂肪分の多い食事を大量に
 取る米国人は、比較的若いうちから多くが生活習慣病を患ううえ、平均寿命も日本人より4
 年程度短いが、日本よりも医療にはお金がかかっている。そのうえ米国のように、医療保険
 制度も完全にマネー資本主義の世界での競争に任せたほうがうまくいくと信じ込むと、この
 ように実際には効率がとても悪い結果になったりする。
 とはいえ、日本全国どこでも優等生かと言えば、地域差はかなり大きい。たとえば多年健
 康長寿の県として知られてきた沖縄県は、近年は男性の平均寿命が全国の都道府県の中でも
 ドヤ分に属するところまで低下し、高齢者1人当たりの医療費も年々増えている。占領下で
 米国流の食生活が浸透し、かつ戦前にはあった鉄道が再建されないまま車社会となってしま
 ったために歩く習慣が失われ、健康寿命も落ちてしまっているのだ。
  他方で男性の平均寿命が一番長いのは長野県だが、ここは高齢者一人当たりの医療費も全
 国殼低水準だ。実際問題として医療費は、小さな病気をするくらいのことでは大して増えな
 い。生きるか死ぬかギリギリな状態で人退院を繰り返すと跳ね上がるのだが、この県では戦
 後早くから、家庭にまで出向いて食生活など生活習慣の改善を指導し、大きな生活習慣病を
 防ぐ「予防医療」が取り組まれてきた。
 加えて、艮野県が日本有数の里山の県であるということも無視できないのではないかと筆者
 はいっている。もちろん長野周辺や松本周辺などの都市部は、平地に乏しい割にはすっか
 り車社会になってしまっている感があるが、高齢者が多く住む山村部分では、土に触れなが
 ら良質な水を飲み清浄な空気を吸って暮らし、自宅周辺で取れる野菜を活かした食物繊維の
 多い食嘔を摂る暮らしが続いている。生活の中に、普通に自然との触れ合いが取り込まれて
 いる。
  もし日本全国が長野県並みのパフオーマンスになるだけで、高齢者の増加による医療福祉
 の負担増は、かなりのところまで抑えることができる。しかも今後の里山資本主義の普及は、
 長野の山村で営まれているような暮らしを送る人を、確実に増やしていくだろう。
  田舎に移住せずとも道はある。たとえば大都市周辺部の団地では空き家が増えるばかりだ。
 現在はそこを自分で購入した世代が存命なので、彼らは一生をかけて購った場所を、安価で
 手放すことはどうしても受け入れられないだろう。しかしそこに住んでいない相続人の世代
 となれば、住宅としての使用をあきらめ、底地を周囲の住人の家庭用菜園として貸す動きが
 必ずや広まっていく。
  群馬県安中市の長野新幹線(北陸新幹線)安中榛名駅前の高原に、JR東口本の分譲する
 住宅団地「びゆうヴェルジェ安中榛名」がある。ここは開発当初は首都圏に新幹線通勤する
 層による購入を想定していたのだが、首都圏での地価下落でそうした需要は見込めなくなっ
 
てしまった。そこで柔軟に発想を転換し、二区画を一戸分として販売、家庭菜園やガーデニ
 ングを楽しみたい層を引き付けて、ほぼ完売状態を達成している。
  地権者が地価の低下さえ受け入れられれば、同じようなことが大都市間郊外のあちらこち
 らで起きていくということだ。これは里山資本主義の、大都市間への逆侵入である。

 里山資本主義は「金銭換算できない価値」を生み、明るい高齢化社会を生み出す

  日本が「明るい高齢化社会」への道を進んでいけると考える根拠の第二は、脱出資本主義
 の普及に伴って、今後ますます、金銭換算できない価値を生み出し地域内で循環させる高齢
 者が増えていくだろうということだ。
  金銭換算できない価値を生み出す? 地域内で循環させる? 抽象的過ぎて何のことかわ
 からないかもしれない。たとえば庄原の高齢者福祉施設を思い出してもらいたい。地域の高
 齢者の生産する半端すぎて市場に出せない農産物を、地域の高齢者福祉施設が食材として使
 う。そこで出た廃棄食材を肥料にして、高齢農民に還元する。一部では金銭のやり取りも介
 するが、そこで循環している価値全体からみればごく一部に過ぎない。生産者の生きがいの
 増加、施設の利用者の健康の増進、結果としていらなくなった食材代や肥料代、それを運ぶ
 はずだった燃料代。いずれも金銭換算できない価値、あるいはGDPにとってはマイナスだ
 が現実には意味のある価値であり、それらが地域内を循環しながら輪を拡大させている。
 これはほんの一例で、元気な高齢者が先に衰えた高齢者を介護するNPO、公共スペース
 に花壇を作る老人会、小学生の通学時に道路横断などを助けるボランティアのお年寄り、幼
 稚園や放課後の小学校などで子どもに遊びを教えるおじいさんなど、金銭換算できない価値
 を生み出し、増殖させている高齢者は全国に無数にいる。
  自分が食べるために畑を耕す高齢者も、その分店で食材を買わなくなるわけだからGDP
 にはマイナスかもしれないが、上に触れて働くことで元気になり、余った野菜などをおすそ
 分けすることで回りとの絆が生まれ、というように、やはり貨銭換算できない価値の循環が
 その周りに生まれる。
  高齢者の絶対数のさらなる増加に伴い、そうした方々の数がこれからさらに増えていくこ
 とは確実だ。もちろん元気に働いてお金を稼いで使う高齢者も増えていっていただいていい
 のだが、お金を稼がずとも社会的な価値を生み出す高齢者も、もっと評価されていい

 


         藻谷浩介 著『里山資本主義-日本経済は安心の原理で動く』pp.274-297


わたしの経験で言うと、社会的素数は"三”にこだわり三人の子供を育てる予定でいたが、三人目
はやむを得ない理由から流産させている。つまり、残りの二人が平均年齢まで、出来ればまっと
うさせ、それぞれの子供が2、3人子供を育てないと人口の逓減はとめられない。一説によると
いま食い止めようとするなら(数字上)、6人の子供を育てなければならないという-が、何と
なくそれが自分の責務のように考えきたが、古典的な"種族繁栄のための生殖"という意義には拘
らない、謂わば、社会全体で出生・育児・教育を行うことの意義に力点を置いたものだった。だ
からこそ、このまま先進国である日本の出生率の逓減を見過ごしていいものか国民的議論がなさ
れなければと漠然と考えてきたものである。もう少し踏み込めば、出生率の目標を中央政府も積
極的に設定すべきだと思っている。



※この場合、強制力は出来る限り「ゼロ」が良く、寧ろ、奨励力(子育て支援、出産手当、教育
 支援など)の産助制度の充実にシフトさせる方が良い(例:フランス、ダブル・インカム・ス
 リーキッド政策
)。

                                                        この項つづく

 

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