極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

余りにも突然の記念樹

2014年04月29日 | 贈与経済

 





        生垣のリフォームに蔓薔薇は届き誕生の記念樹になる 

 


 

 

 

  

    

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

●里山資本主義異論

「人が生きていくのに必要なのは、お金だろうか。それとも水と食料と燃料だろうか」という問
いかけから分水嶺となる。政府紙幣であっても地域通貨であっても、小切手であっても、労働証
書であっても、いま流行のビット・コインであっても、「交換媒体機能」を有すものであれば、
もう少し踏み込んでいうと「信用決済機能」を有するものなら何でも良い。個人的なことを言わ
せてもらうなら、例え数種類の貨幣を取り扱うことで、経済全体が活性することが期待できたと
しても、決済が早くて、煩雑さが少なく、余分な管理諸経費の発生の少ない、簡素な単一貨幣制

度の方が良いと考えてしまうのだが、「1ペニーの支出は1ペニーの所得になる―資本主義経済
と貨幣の役割に関するケインズの考え」(ポール・デヴィッドソン著、小山庄三・渡辺良夫訳
ケインズ・ソリューション』/第4章)で記述されている機能以外に何を期待するというのだ
ろう。まして、現在は鍋、釜、七輪や飛脚、籠、馬、そして、年貢米の時代ではない。間伐材を
払うのも、鋸ではなく、チエン・ソーを使い、木材搬送車など使い、デジタル情報通信機器を使
い運用する時代だ。部品1つとっても高度な加工技術が使われているわけで、その部品1つが劣
化すれば修理するのも、交換するのも大変な労力を個人に強いるはずだ。それではいったいどの
ようなイメージで経済を捉えているのか読み進めてみよう。
 

  加工貿易立国モデルが、資源高によって逆ザヤ基調になってきている

    人が生きていくのに必要なのは、お金だろうか。それとも水と食料と燃料だろうか。
   食料も地下資源も自給できない日本ではこれまで、このように問うこと自体が愚かだった。
 「水も食料も燃料も、日本ではお金で買うものだ。そもそも輸出産業が稼いだお金があって、
 はじめて外国から食料と燃料を輸入できる。本来豊富にあるはずの水も、都市部では巨大な
 上水道システムを回さなくては供給できず、そこでは輸入した燃料を燃やして作った電気が
 大量に使われている。お金なくして、この小さな島国に1億3千万人近くもひしめく我々の
 生存はない。

  そしてそのお金を稼ぎ続けるには、経済が成長していかなくてはならない。しかるに日本
 の景気は長期の低迷の中にあり、かつて世界一と謳われた国際競争力はもはや地に落ちてい 
 る。だからこそ今の日本にもっとも必要なのは、国としての成長戦略であり、景気回復策な
 のだ。一番手っ取り早いのは金融を緩和して、世の中にお金をもっとたくさんたくさん、ぐ
 るぐると回すことだろう。どんどんお札を刷ればいい。刷れなくても、日銀が国債を買い込
 んで日銀券で支払ってくれれば同じことだ。
  何、将来世代に負担を残す? 将来を語るのは、目の前の不景気をまず解決してからにし
 ろ。何、金融緩和は効かない? 効かないなら効くまでやれ」
  ……というような議論は、最初から少々決め付けが過ぎるうえ、後になるほど論理が飛躍
 して行く。しかしながら東日本大震災から2年を経たこの日本は、この「お金をぐるぐる回
 せば万事が解決する」論に染まり始めた。自分の尻尾を噛もうとしてぐるぐる回る大のよう
 に、実際にはやればやるほど体力を失って、自分の首を絞めてしまう話なのだが。
  そもそも日本の国際競争力は、地に落ちてなどいない。報道とは違って日本製品の多くが
 着実に売れ続けているのに加え、これまでの海外投資も多くの金利配当収入をもたらし、バ
 ブル崩壊以降の20年間だけでも3百兆円ほどの経常収支黒字が外国から流れ込んだ。だが
 そのお金は貯蓄されるばかりで国内の消費に回らない。金融緩和も進められ、マネタリーベ
 ース(日銀が供給する貨幣の量)も同時期に2・5倍に膨れ上がったが、名目GDPはぱっ
 たりと成長を止めてしまった。仕方がないので政府がポンプ役を買って出て、国債を発行し
 て貯蓄を吸収し「景気対策」につぎ込んできたが、それでもお金が自分でぐるぐる回りだす
 ことはなく、消費は一向に増えないままだ。気がついてみると、約千兆円の借用証書を書い
 た日本政府に、税収として還ってきているのは年間40兆円未満。毎年税収と同額以上を借
 り増ししないと資金繰りが回っていかない。そうこうしているうちに国内の貯蓄がすべて国
 債になってしまう状況が近づきつつある。
  他方で海外に支払う燃料代は年々増えている。日本の石油・石炭・天然ガスなどの輸入額
 は、20年前には年間五兆円に満たなかったが、中国やインドの経済発展を受けて世界的に
 資源価格が上昇した今では、年間20兆円を超えているという。それでも工業国同士の競争
 となると日本は強い。震災・ユーロショック・超円高が連鎖した2011年ですら、EU・
 米国・中国・香港・韓国・台湾・シンガポール・タイ・インドから合計14兆円の貿易黒字
 を稼いだ。だがその儲けは全部アラブ産油国などの資源国に持っていかれてしまい、最終的
 にはマイナス2兆円と31年ぶりの貿易赤字に落ち込んでしまった。資源を貿ってきて製品
 にして売るという加工貿易立国モデルが、資源高のせいで逆ザヤ基調になってきているのだ。

 マネーに依存しないサブシステムを再構築しよう

  もう一度問おう。われわれが生きていくのに必要なのは、お金だろうか。それとも水と食
 料と燃料だろうか。
  間違えてはいけない。生きるのに必要なのは水と食料と燃料だ。お金はそれを手に入れる
 ための手段の一つに過ぎない。手段の一つ? 生粋の都会人だと気付かないかもしれない。
 だが必要な水と食料と燃料を、かなりのところまでお金を払わずに手に入れている生活者は、
 日本各地の里山に無数に存在する。山の雑木を薪にし、井戸から水を汲み、棚田で米を、庭
 先で野菜を育てる暮らし。最近は鹿も猪も増える一方で、狩っても食べきれない。先祖が里
 山に営々と築いてきた隠れた資産には、まだまだ人を養う力が残っている。これに「木質バ
 イオマスチップの完全燃焼技術」といった最先端の手段を付加することで、眠っている前近
 代からの資産は、一気に21世紀の資産として復活する。
  さらには、震災で痛感した人も多いはずだ。お金と引き換えに遠くから水と食料と燃料を
 送ってきてくれているシステム、この複雑なシステム自体が麻痺してしまえば、幾ら手元に
 お金があっても何の役にも立たないということを。あのとき一瞬だけ感じたはずの、生存を
 脅かされたことへの恐怖。貨幣経済が正常に機能することに頼り切っていた自分の、生き物
 としてのひ弱さの自覚。その思いを忘れないうちに、動かなくてはならない。お金という手
 段だけに頼るのではなく、少なくともバックアップ用として別の手段も確保しておくという
 方向に。そう難しい話ではない。家庭菜園に井戸に雑木林に石油缶ストーブがあるだけで、
 世界はまるで変わる。お金で結ばれた関係だけではない、日ごろの縁と恩でつなかった人間
 関係があるというだけで、いざというときにはかけがえのない助けとなる。
 「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本
 主義」の経済システムの構に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築してお
 こうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が于に入り続ける仕組み、いわ
 ば安心安全のネットワークを、予め用意しておこうという実践だ。勘違いしないで欲しいの
 だが、江戸時代以前の農村のような自給自足の暮らしに現代人の生活を戻せ、という主義主
 張ではない。お金を媒介として複雑な分業を行っているこの経済社会に背を向けろという訳
 でもない。庄原の和田さんも言っている。「お金で買えるものは買えばいい、だがお金で買
 えんものも大事だ」と。前章のオーストリアの例のように、森や人間関係といったお金で買
 えない資産に、最新のテクノロジーを加えて活用することで、マネーだけが頼りの暮らしよ
 りも、はるかに安心で安全で底堅い未来が出現するのだ。
  ただし里山資本主義は、誰でもどこででも十二分に実践できるわけではない。マネー資本
 主義の下では条件不利とみなされてきた過疎地域にこそ、つまり人目当たりの自然エネルギ
 -量が大きく、前近代からの資産が不稼働のまま残されている地域にこそ、より大きな可能
 性がある。また里山資本主義は、マネー資本主義の評価指標、たとえばGDPや経済成長率
 を、必ずしも大きくするものではない。それどころかまじめに追求していくと、これらの指
 標を縮小させる可能性もある。しかしそれは、「海外資産の活用による金銭換算できない活
 動が、見えないところで盛んになって、お金に換算できない幸せを増やす。ついでに、お金
 で回る経済システム全体の安定性も見えないところで高まっている」という話にほかならな
 い。

                        『中間総括「里山資本主義」の極意』


ここで「最近は鹿も猪も増える一方で、狩っても食べきれない。先祖が里山に営々と築いてきた
隠れた資産には、まだまだ人を養う力が残っている。これに「木質バイオマスチップの完全燃焼
技術」といった最先端の手段を付加することで、眠っている前近代からの資産は、一気に21
紀の資産として復活する」と述べて、科学技術の効用をあっさり認めているが、ここ引用され

いる"完全燃焼"の定義が、つまり、"タールフリーな木質バイオマスチップ"や "タール高
効率
去"を含んだ "完全燃焼技術"なのかという問題は、ここでは置いておいて、経済側面から「GD
Pや経済成長率を、必ずしも大きくするものではない」との件で肯定しているが、そんなに簡単
に認めて良いのだろうか?なるほど、「デジタル革命」を担う半導体製造・応用・利用技術の1
つであるメモリーは、演算処理能力やデーター記憶密度を飛躍的に高め、極めて精度良く単純な
繰り返し作業を疎外し、ムーアの法則に象徴されるように価格下落を実現させたが、それを担っ
た勤労者の賃金向上として報えたのか、言い換えれば、付加価値を高めたにも関わらず、売上げ
はそれどころか、過剰生産・過当競争時代のごとく、期待とは逆に伸びずに、むしろ、賃金の切
り下げを招いてしまった、石川啄木『一握の砂』の「はたらけど/はたらけど/猶わが生活楽に
ならざり/ぢっと手を見る」の歌のようにと。また、発光ダイオードはそれまでの白熱灯や蛍光
灯を駆逐している。現在では、大面積か演色性の弱点も克服しつつある、同様に、かってのブラ
ウン管や真空管、撮像管は、薄膜表示素子、トランジスター、固体撮像素子などに駆逐されて久
しい。近年は、既設発電装置が太陽電池である光電変換素子にあるいは燃料電池に駆逐されつつ
あるかのような展開だ。それらの特徴はすでに『デジタル革命渦論(でじたるかくめいかぶん)』
で書かれている通りである。さてここは、先を急ごう。価格下落は不可抗なのだ。したがって、
額に汗をして、頭を使い働けばはたらくほど、賃金が下がり、ジニ係数が上昇し、ローンが組め
なくなる(もっとも、それにあわせて、官僚の所得や金利等をマイナスにすればある程度救済で
きるかもしれないが)。こうして、政府がこの状態を放置することで、多くの勤労者の将来設計
が描けなくなるのは至極当然な時代なのだ。



 そのあたりをもう少し解きほぐしつつ、里山の招く安心安全の世界をご紹介しよう。

 逆風が強かった中国山地

  山国・ニッポンでは、里山は珍しいものではない。なにしろ国土の七割ほどは山林だ。だ
 がその中でも、中国山地の実情はとりわけ厳しい。「地方の山間部に元気がないのは当たり
 前だ」と思うかもしれないが、中国山地の場合にはいろんな意味で特に逆風が強いのだ。こ
 れについては少々解説が必要だろう。
  そもそも中国山地は、前近代には日本の産業の中枢的な機能の一つを担っていた。スタジ
 オジブリのアニメ映画「もののけ姫」にも描かれているが、日本刀や高品質の農具を作るた
 たら製鉄の中心地だったからだ。今でも島根県安来市にある日立金属の工場では、ヤスキハ
 ガネと呼ばれる世界最高品質の鋼鉄を生産し、製品は海外の有名剃刀メーカーでも使われて
 いる。その工場近くの汽水湖・宍道湖へと流れ込む一級河川・斐伊川を上流へと遡っていけ
 ば、スサノオノミコトがヤマタノオロチの尾から天叢雲剣を見つけたという奥出雲町にた
 どり着く。斐伊川という名称自体、火の川、つまりたたらで燃える火にちなんだものといわ
 れるが、この流域の土壌に豊富に含まれる砂鉄と、中国山地一円里山の木から製造され運ば
 れてくる木炭が、神代から綿々と続く鉄作りの基盤となってきた。
  中国山地は、準平原とも呼ばれる浸食の進んだ地形だ。標高数百メートルのもこもこした
 山がどこまでも連なり、小さな谷が複雑に入り組む。雪も降るが東北や北陸のような豪雪地
 ではなく、険しい中部山岳地帯や紀伊山地、四国山地、九州山地に比べれば、まだしも棚田
 を造れる緩傾斜地が多い。このような地理条件から、無数の谷ごとに少数の人々が住み着い
 て生活を営んできたが、やがて彼らは、たたら製鉄という大口顧客に向け、目の前にある里
 山の雑木を切って大量の木炭を焼くようになった。時を経てその木炭は、日清戦争以降急速
 に発展した山陽筋(瀬戸内海沿い)の造船工業地帯の、労働者の生活をも支えるようになり、
 さらに関西にも販路を拡大していく。高度成長期以降に石油とガスと電気製品が普及するま 
 での脱出は、現金収入を生む宝の山だったのだ。だから中国山地は、他の地方の山地に比べ
 ればずいぶん多くの人口を養うことができていた。
  しかしエネルギー革命が木炭という現金収入の道を絶ってしまうと、もともと平地に乏し
 く大規模農業に向いていない場所だけに、人口は雪崩を打って山陽筋の工業都市へと流れた。
 中国山地でも特に林業専業の町という色彩の濃かった島根県益田市匹見町(旧美濃郡匹見
 町)の人口を見ると、1955年には7500人を超えていたのが、2010年には5分の
 1以下の1400人。和田さんの住む広島県庄原市総領町(旧甲奴郡総領町)の人口も、同
 じ55年間に5000人から1600人へと3分の1以下になってしまった。北海道の炭鉱
 町並みか、それ以上の著しい減少率だ。いや中国山地の里山も炭鉱町と同じく、中東産の石
 油に負けた「産炭地」だったのだ。その里山で、木を資源として再評価する里山資本主義の、
 小さな狼煙が上がり始めていることには、だから、格別の感慨がある。 


 地域振興三種の神器でも経済はまったく発展しなかった

 
  ところで高度成長期以降の地域振興の三種の神器は、高速交通インフラの整備・工場団地
 の造成・観光振興だった。産炭地としての地位を失った中国山地は、これら特効薬の恩恵に
 はあずかれなかったのか? 実はそうでもない。中国山地の真ん中を貫く中国縦貫自動車道
 が、大阪から真庭市などのある岡山県北部を経て、広島県北部の庄原市・三次市まで通じた
 のは1978年。岡山市、広島市など瀬戸内海沿いの人口密集地域を結ぶ山陽自動車道が全
 通した1997年の、20年近くも前のことだった。日本海沿いの山陰自動車道に、未だに
 全通の目途が立っていないことを考えても、中国山地はたいへんな優遇を受けたといえる。
  今となっては多くの人が忘れていることだが、それぞれ150万人前後の人口を抱える広
 島都市圏・岡山都市圏に高速道路がなく、人ロ15万人程度の津山・真庭地域や人ロ10万
 人程度の三次・庄原地域に先に高速道路が通じていた時代が、結構長く続いていたのだ。し
 かもその間には80年代後半の工場新増設ブームもあったし、バブル期のリゾートブームも
 あった。
  中国山地へは、首都圏からも意外に近い。岡山空港は1988年、広島空港は1993年
 に、それぞれ市の中心部に近い海沿いから山の中へと移転したのだが、その結果、中国山地
 各地から羽田への航空アクセスが大きく改善された。たとえば広島空港から和田さんの住む
 庄原市総領町へ、岡山空港から銘建工業のある真庭市勝山へは、空港でレンタカーを借りれ
 ばそれぞれ一時間余りで着く。羽田から東京の多摩地域各所に行くのと同程度の時間だ。だ
 がそのこと自体、地元においてさえ話題にのぼることもない。
  というのも結局、地域振興の三種の神器をもってしても、中国山地の経済はまったく発展
 しなかったからだ。工場誘致はある程度まで進んだが、若者の流出は止まらず、観光地とし
 ても注目されないままだった。中国縦貧道の大半が間通した後の1980年と2010年を
 比べても、中国山地(ここでは山陽本線より北、山陰本線より南にあるこ1市20町村を合
 計)の人口は17%も減っている。中国五県全体の人口がほぼ横ばいであるのに比べれば、
 退潮は明らかだ。そもそも中国五県自体、高齢化率が25%(4人に1人が65歳以上)と、
 全国の地方では東北や四国と並んで高齢化が進んでいるのだが、中国山地こ1市20町村の
 数字は34%(3人に1人が65歳以上)で、さらに深刻さが増す。道路の発達により一時
 間台で広島や岡山や福山といった大きめの都市に出てしまえるようになった距離の近さが、
 地元志向の若者をも、それら手近の町に吸い寄せてしまった面もある。
  今の中国山地に残っているのは、誘致工場に働く少数の人たちと、先祖代々の家と耕地を
 守る兼業農民(その多くが高齢者)。減っていく人目を相手に縮小均衡を続ける建設業・商
 業・サービス業の従業者、それに広域合併で一気にリストラが進む自治体職員だ。平成の大 
 合併で1市6町が続合された庄原市の面積は、神奈川県(人口900万人)の半分に匹敵す
 るが、住んでいるのは全部で4万人。旧9町村が合わさった真庭市も東京23区(人口90
 0万人)の1・3倍の広さだが、住民は5万人弱しかいない。
  最近各地で盛んな農産品のブランド化も、耕地が狭く大市場に安定供給を続けられるほど
 の供給力が乏しいこともあって、余り進まない。自然景観などの観光資源も、良く言えば玄
 人好み、ありていに言えば地味すぎて、体験型観光などの新たな観光産業も多くの場合根付
 いていない。
  逆説的だが、ここまで悪条件が揃えばこそ、「過疎を逆手にとる会」の活動が息長く続き、
 全国に先駆けて木質バイオマス燃料の使用が普及する地域が生まれ、地元に残った有志の間
 の見えないネットワークがどんどん拡大し始めたともいえる。マネー資本主義の恩恵を地域
 に呼び込む20世紀型の装置である、高速道路だの誘致工場だのが機能しないことを、全国
 に先んじて思い知らされずには済まなかったからこそ、里山資本主義が21世紀の活路であ
 ることに気付く人々が最初に登場し始めたのだ。

 
 全国どこでも真似できる庄原モデル

  庄原の和田さんの同級生は、二人を除いて、旧総領町の外に出て行ってしまったという。
 先祖代々の田畑を耕しつつ、町役場の仕事もしてきたが、いわゆる都市的な楽しみというよ
 うなものはない場所だ。幹線道路から離れていて、通過する車すらもない。変哲もない里山
 と、畑の僅かな実りと、人間のつながり以外に、遊びのネタもなかった。だがそれゆえに少
 ない仲間を誘って、とことん里山を、田舎を楽しみ倒してやろうという生き方が編み出され
 た。その周りに集う面々の個性が面白い、ささやかな山の実りがおいしい、木を活かした暮
 らしのスタイルがうらやましい、それが理由でまた呼び寄せられる人が増えてくる。面白く
 もないと思ってきた里山の価値を、都会人からさんざんに褒めちぎられる経験を重ねて、よ
 うやくどこが都会から見て魅力的なのか、かんどころもわかるようになってきた。そうした
 積み重ねの中から、自分たちが捨ててきた身の回りの資源を見直して、もっと有効活用しよ
 うという取り組みも湧き出てきた。
  和田さんも、お金を稼ぐし使っている。そもそも長年役場の仕事もしてきたし、年金も受
 け取るだろう。肉も魚も服も買えば、農業用資材も買うし、車にも乗るし、電気も使う。だ
 が、雑木を煙も出さずに完全燃焼させるエコストーブ(見かけはどこのガソリンスタンドで
 もゴミ箱として使っているような石油缶だが)や、ピザを焼く薪窯のおかげで、使っている
 燃料代は都会人よりはずいぷんと少ない。良質な水もタダだ。先祖代々の家は折々に補修が
 必要だが、家賃はかかっていない。最近の猪はどんぐりも食べ放題なようで、イベリコ豚も
 顔負けの味の猪鍋に化ける。仮に庄原市民全員が和田さんのような暮らしを始めたとしても、
 この広さにこの人口では木も水も農地も余るほどあり続けるだろう。
  和田さんは、人間幸学研究所所長を名乗り、「所長取締役」の奥様(所長より偉いと推測
 される)と一緒に、元気な仲間を集めて次から次へと面白いことを仕掛けている。ネットは
 使わないので、彼が仲間と何をたくらんで何を楽しんでいるのかは毎月出しているニュース
 レ
ターを購読するか、実際にオンサイトで参加しないとわからないのだが、総じて能動的で、
 文句ではなく志がほとばしり、言葉だけでなく(和田さんは湧き出てくる造語も本当に面白
 いのだが)動きにも満ちている。生み出されている活力を、使っているお金で割ったとする
 と実に効率がいい。
   和田さんを核にしたネットワークが広がる中で始まった、地元で取れた半端物の野菜を地
 元の老人向け福祉施設の食材として有効活用する取り組みなどは、マネー資本主義の死角を
 見事に突いている。地元農家はこれまで、マネー資本主義の中では市場価値のない半端な農
 産物を捨て、地元福祉施設はこれまで、地域外の大産地から運ばれてきた食材を買って加工
 していた。全国レベルで見れば効率のいいシステムかもしれないが、地域レベルで見れば外
 へお金が出て行くだけの話だ。ところが捨てていた食材を地元で消費するようになれば、福
 祉施設が払う食費は(少なくとも輸送費がかからない分)安くなり、しかも払った代金は地
 元
農家の収入となって地域に残る。農家の収入が増えるだけでなく、関係者にやる気も出る
  し、
無駄も減る。地域内の人のつながりも強くなる。
  全国レベルで見ればマネー経済が縮小したという現象なのだが、地域レベルで見ればこれ
 は、活性化以外の何物でもない。しかもこの取り組み、農家があって福祉施設があるところ
 なら、つまり東京や大阪の最都心部以外であれば、全国どこでも真似できる。

 日本でも進む木材利用の技術革新

  真庭の中島さんを中心としたエネルギー地産地酒の取り組みも、全国レベルで見れば微々
 たるものだ。そもそも中国地方は原発を止めても電力が余っている地域なので(震災以降の
 関西の電力不足も、周波数が同じ中国地方からの送電で十分に回避することができた)、真
 庭のペレット発電は全体から見れば重複投資に過ぎないとも言える。だが真庭という地域に
 とっては、お金を払って廃棄物として引き取ってもらっていた木くずが燃料に化ける分、地
 域の外の誰かに払っていた油代が節約できる。そもそもその油代は、遠く中東の産油国まで
 流れていってしまうお金だったかもしれないと考えると、この行為は全国にとってもありか
 たい話だ。そして地域内で生産されるペレットの流通は、これまた地域の中の関係者のつな
 がりを強める。そして、ペレットという新たな用途の登場は、衰退する一方だった林業の将
 来にも、かすかだが明るい光を投げかける。先進地としての視察の増加も、ささやかだが地
 域を元気にする。
  いま全国の観光地では、地元産食材に徹底的にこだわった料理の提供が求められるように
 なって来ているが、上や水だけでなく生産に使った燃料まで地元産という農産物、調理に使
 ったエネルギーまで地元産という食事には、さらに付加価値がつくかもしれない。夢は広が
 っていく。
  ただし注意しなければならない点がある。ペレットによる発電は、製材屑の再利用として
 は十分採算に乗るものだが、新たに木を砕いて木くずにしてからペレットを製造するという
 コストまではまかなえないということだ。ということでペレット発電は、今のコスト構造
 続く限り、全国で問題になっている間伐材の有効利用策にもならない。真庭に倣ってペレッ
 ト発電に取り組む地域は全国に幾つかあるが、多くは補助金頼みで、自立した経済システム
 としては仕上がっていない
  真庭のすごさは、地域のエネルギーのかなりの部分をまかなうことのできる量の製材屑
 出るというところにある。これは中島さんの経営する銘建工業が、不況産業の最たるもので
 ある木材加工という分野において例外的に、競争力ある企業として成り立っているゆえだ。
 なぜ成り立っているのか。現役世代人口の減少に伴って需要が減っているうえに外国産材
 との競争にさらされている木造住宅用の住や板ではなく、センスのいい現代建築に使われる
 集成材のメーカーとして技術を磨き、販路を全国に開拓してきたからだ。東京からは行きに
 くい場所の例で恐縮だが、建屋はもちろんボーディングブリッジまで木造の北海道の中標津
 空港、高架化を契機に木造アーチの美しいホーム屋根を持つようになった高知駅や宮崎県の
 日向市駅、このあたりをご覧になったことのある方は、集成材を多用する最新の建築物の美
 しさと温かみをご存知だろう。最近は、改築された小学校や新しくできた小さなホールなど
 に、集成材がセンス良く使われている町も多い。
  集成材は、細く切った木の板を格子状に張り合わせ大きな材木のようにしたものだ。同じ
 サイズの自然木はもちろん鋼材に比べても、曲げる力に強く、何百年経っても腐食しない。
 鋼材よりもはるかに軽いし、知られていないが防火性も高い。というのも多量の空気を含ん
 でいて断熱性が高いので、炎にさらされても片面が焦げるだけで、もう片面は常温のまま。
 だから、間に集成材の仕切りが入っている建物では火が燃え広がらないのだ。対して鋼材は、
 熱をよく伝えるうえに溶けて曲がってしまいやすい。中島さんによれば、ニューヨークの貿
 易センタービルも骨組みが鋼材ではなく集成材だったなら熱では溶けなかったので、ああい
 う具合には崩落しなかったと言う。
  このような木材利用の技術革新が、日本の多くの建築物で活かされていないのは残念だが、
 逆に言えば今後の普及次第では、全国の木材産地に「真庭化」の道が開けることになる。
  たまたまこの本ではこれまで、広島県庄原市と岡山県真庭市だけを取り上げた。後半では 
 島根県邑南町や山口県周防大島町も紹介するが、これらは大きな流れを構成する一部に過ぎ
 ない。中国山地に限っても、「のがれの町」を名乗って都会人の移住を促進する鳥取県聚ぼ
 町、世界遺産・石見銀山として有名になったが、世界とつながる小さな企業群が歴史的な町
 みの中にひそかに立地していることでも知られる島根県大田市大森地区、全国相手に通販
 を行う書店が東京から移転してきた島根県川本町など、素晴らしい事例がまだまだたくさん
 ある。全国に視野を広げればなおのことだ。
  ほとんどの都会人や、都会に集中する日本のマスコミが気付かないところで、静かだが確
 実な変化が進行している。これに気付いていると気付いていないとでは、21世紀の日本に
 生きていることを、楽しめるかどうかがまるで変わってくると言ってもよいだろう。

                            藻谷浩介 著『里山資本主義』

                                  この項つづく
 




          生垣のリフォームに蔓薔薇は届き誕生の記念樹になる 



三十数年になり生垣の貝塚伊吹を部分伐採したが、美観と盗難防止を兼ね蔓薔薇を植えてみるこ
とに。イングリッシュローズ グラハム・トーマスとルージュピエールドゥロンサールを通販で
取り寄せた。それが届く直前に、彼女が今日は何の日と意味ありげに笑いながら問いかけるので、
あぁ~そうだ、きみのお誕生に記念樹を買っておいたからと言いわけする。暫くすると、チャイ
ムが、刻をおき二度鳴る。四季咲きの黄色と赤色のそれが届く。


         
        

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自己ベストで富士見台高原

2014年04月28日 | 国内外旅行

 

         





 

      ドライブは 小田和正を 入れてねと 釘刺し出でる そとは花水木

 


 

Softly the spring winds whisper to me
Feeling the sadness in the gentle breeze
From ther riverbank I see, moving so free
How far will you run ? I follow silently
Lock them away with my memories
Retell the tale the slory sounds so sweet
Though the darkness may descend, night will turn the day
Smiling through the tears I know I'll find a way

Once again we're in the same old place same time
And I know that I will use the same old line
Don't you know that sometimes simple words they bring
A miracle can't you see

Hold me baby I won't let go
Take you to a place we both know
A new world where no on ever can find us
I will have the strength for us both
Fly you to the stars up above
Oh my love a dream of love made reality

Just like a stray cat with nowhere to go
Sits in the corner feeling all alone
Gonna hold you in my arms, never be apart
All the things you fear they seem so far away
Waiting for you at the usual place
Look through the window staring into space
Wipe it clean so I can see peeking through the trees
Floating up above the new moon cries to me

Like the dream that lies there waiting for us both
Catch you by surprise a shock but then you know
Just like all the spirits on the sky above
We'll be reborn can't you say

Hold me baby I won't let go
Take you to a place we both know
Scattered through the heavens
A never ending song
I will have the strength for us both
Fly you to the stars up above
Oh my love a dream of love made reality

I will have the strength for us both
Fly you to the stars up above
Oh my love a dream of love made reality

Oh my love a dream of love made reality






Before this magic night falls and fades away
I've got to find the words to stear your heart away
You're such a vision
Oh baby, listen
I may be puttin' it all on the line
I get so weak when look into your eyes
I feel the heal baby
I must be hypnotized
But if I could
Well、we both know I would
Stop the hands of time
Here tonight

It seemed when I met you
We'd been here before
That l didn't forget you
On some other shore
Fate was my friend
Cause she brought you again
Now here you are in my arms suddenly


  

何から伝えれはいいのか分からないまま時は流れて
浮かんでは消えてゆくありふれた言葉だけ
君があんまりすてきだから
ただすなあに好きと言えないで
多分もうすく雨も止んで二人たそがれ 

あの日あの時あの場所で君に会えなかったら
僕等はいつまでも見知らぬ二人のまま 

誰れかが甘く誘う言葉にもう心揺れたりしないで
切ないけとそんなふうに心は縛れない
明日になれは君をきっと今よりもっと好きになる
そのすべてが僕のなかで時を超えてゆく 

君のためにつはさになる君を守りつづける
やわらかく君をつつむあの風になる 

あの日あの時あの場所で君に会えなかったら
僕等はいつまでも見知らぬ二人のまま
 

 

 

      ドライブは 小田和正を 入れてねと 釘刺し出でる そとは花水木



 

連休の旅先を南信濃-北信濃-白骨温泉を予め決めておいたのだが、いよいよ連休に入るという
ので彼女がドライブのカーオーディオに小田和正をリクエストするので、「自己ベスト」と「自
己ベスト・2」をレンタルし録音する。


 

 




【小中華思想と戦時体制下の資本主義社会】


ここでも、歴史的背景を抱えた現代の韓国の社会的な歪みが、政治経済的側面から語られている。
いましばらく、注釈なしで掲載してみよることに。

 ●グローバリズムの優等生が払う「代償」

  本来は「財閥解体」により「市場競争」を激化させたほうが、韓国の国民経済にとって
 は良かったはずである。たとえば、サムスン財閥を家電、乗用車、半導体など事業ごとに
 分割し、各企業を完全に独立させてしまえば、韓国国内の企業数が増える。結果的に、国
 内市場における競争が激化することになるが、まさにそれこそが「資本主義の進化の連」
 である。
  当たり前だが、資牛王義の基本は「市場競争」だ。国内の各産業に複数の企業が存在し、
 激しく競争している環境下(すなわち、今の日本)では、たしかに各企業の利益は拡大し
 にくい.だが、企業が利益を出しにくい環境とは、反対側で「別の誰か」が得をしている
 という話でもある。
  現在の日本のように、家電や乗用車の市場で多数の企業が品質と価格で競争すると、た
 しかに各企業の利益は拡大しないかも知れない。とはいえ、その国の消費者は、「良い製
 品を、安く買える」という形で、ベネフィットを得ている。

  IMF管理下で、韓国は合従連衡や事業交換により、各産業分野での寡占化か進んだ。
 結果的に、韓国国民は国内市場で「高い価格」で製品を購入することを強いられ、その分
 だけ損をしている。
  もっとも、市場を韓国国内ではなく「グローバル」に見た場合、たしかに合従連衡や
 事業交換は有効だ。各企業は国内で「ガリバー企業」として、不要な(企業の利益拡大と
 いう視点で見た場合の)価格競争を回避することができ、グローバルな「国際競争力」は
 高まる。
  国内市場では製品やサービスを「高く売る」ことで体力を温存し、グローバル市場にお
 いて価格競争を展開できるわけだ。
  アジア通貨危機以降のウォン暴落、株価暴落の機を逃さず、韓国には外国資本が雪崩れ
 込んだ。IMFも韓国国内の投資規制を緩和させることで、海外から注入される資本をサ
 ポートした。結果的に、韓国は大企業が、
 「国内では寡占化により競争を回避し、グローバルに価格競争を展開し、マーケットシェ
 アを拡大する」
  構造に「改革」されてしまった。
  結果的に、韓国の大手輸出企業に出資した外国人投資家や財閥のオーナーが巨額配当金
 を稼ぐ構図が完成した。特に、リーマンショックによる「第二次通貨危機」以降の韓国で
 は、李明博政権により財閥優遇の政策が推進され、財閥オーナー(及びその家族)と一般
 の韓国国民との間の所得格差が開いていった。
  韓国の財閥情報専門サイト、財閥ドットコムによると、2012年会計年度にサムスン
 電子のオーナー李健煕会長が受けとる配当金は、前年比11・2%増の1241億ウォン
 (約110億円)と予想されていた。時給400円程度で働く貧困層が少なくない韓国に
 おいて、財閥のオーナーの配当金が100億円を超えるわけだ。日本国内で「わが国は格
 差社会だ!」などと叫んでいる論者は、たまには玄界灘の向こう側に目を向け、現実を知
 ったほうがいい。
  ちなみに、率健煕会長以外はどうかといえば、現代自・起亜自グループの鄭夢九会長の
 配当金が484億ウォン(約42・8億円)。LGグループの異本茂会長が192億ウォン
 (約17億円)、現代重工業の筆頭株主である鄭夢準国会議員が193億ウォン(約17億円)
 の配当金を受けとる。
  そして、韓国の大手企業は株式の多くを外国資本に握られている。先述の通りサムスン
 電子の株主は54%が外国人である。さらに、現代自動車やポスコなどの外国人株主の比率
 も50%近い。
  すなわち、韓国の経済モデルは国民の「損」に基づき大手財閥企業の純利益を最大化し、
 オーナーと外国人投資家に巨額配当金を支払うモデルになっているのだ。ある意味で、グ
 ローバリズムの優等生ではあるが、これで韓国国民が不満を持だなかったら、そちらのほ
 うが不思議だ。
  韓国の財閥中心主義は、当然、韓国国民から猛烈な批判を受けている。先にも書いた通
 り、2011年の韓国10犬財閥の売上高が946兆1000億ウォンに達し、韓国のGD
 Pの76・5%に及んだ。売上高がそのまま付加価値(所得)というわけではないとはいえ、
 10犬財閥の関連ビジネスが韓国経済に占める割合は、あまりにも圧倒的である。
  まさに「財閥企業にあらずんば、企業にあらず」という感じだ。
  2012年12月の大統領選挙では、朴僅恵をはじめ、すべての候補者が「経済民主化」
 を叫ぶことになった。何しろ、韓国では経済民主化は「憲法」に沿った考え方なのである。
 政財の連携を強めることで、韓国経済成長の背骨を造った朴正煕大統領の娘である朴様恵
 までもが、経済民主化を主張せざるを得ない状況にいたったのである。

 ●「サムスンの決算を見て心が痛んだ」

  実のところ、韓国の経済民主化の動きは、李明博政権後期の時点から始まっていた。躾
 密に書くと、2010年の統一地方選挙以降である。
  発足直後の李政権は、わかりやすく書くと「市場原理主義」に立脚しており、自由な企
 業活動を保障する政策に舵を切った。すなわち「小さな政府」化だ。
  李政権は「民間でできることは民間に任せる」と、どこかで聞いたような政策方針を掲
 げ、法人税の減税や出資総額制限の廃止など、財閥企業に有利な規制緩和を実施したので
 ある。出資総額制限とは、具体的には資産総額が10兆ウォン(約1兆円)以上の財閥に属
 す
る企業が、他の国内企業に対し純資産40%以上の出資を行うことを禁止する制度だ。本
 制限が廃止箇年)されたことで、財開示企業は
国内企業に対するM&Aや子会社化か容易
 になった。

  財閥系企業の総帥たちとの間に「ホットライン」を設けるほど、親財閥をあからさまに
 していた李政権であるが、2010年の紋一地方選挙で方針を大転換することになる。
  2010年の紋一地方選挙は、李大統領(当時)にとって「中間選挙」のような位置付
 けになっていた。李政権により韓国経済はりIマンショックの痛手から立ち直りつつあり、
 さらに10年3月には、北朝鮮の魚雷によると見られる哨戒艦沈没事件が発生。対北朝鮮強
 硬策を掲げる李明博与党には、追い風として働くと考えられていた。選挙前の世論調査で
 は、与党利の圧勝が見込まれていたのである。
 ところが、ふたを開けてみるとびっくり仰天。与党ハンナラ党(現セヌリ党)の候補者た
 ちが、全国で次々に敗れていき、最終的には「与党大作敗」という結果になってしまった
 のだ。事前予想で「楽勝」と考えられていたソウル市長選挙も野党候袖にギリギリまで追
 い詰められ、ソウルの25の区長選挙は4勝21敗。李大統領及びハンナラ党は、あまりにも
 悲惨な選挙結果に愕然としたことだろう。
 
 番狂わせを引き起こした主役は、李明博政権の財閥偏重政策や安全保障政策に不満を抱
 
「経済は成長しているというが、自分はまったく豊かになっていない」
  という思いを抱いた韓国の若者たちであった。
  2010年統一地方選挙の結果を受け、李明博政権はいきなり「財閥否定」の方向に舵
 を切った。10年7月28日、李明博大統領の側近であった放送通信委員長の崔時仲が、
 「今年第2四半期のサムスン電子の利益額が5兆ウォンで過去最高に達したという報道を
 見て、心が痛んだ」
  と語ったのだ。サムスン電子の関係者は、大統領側近中の側近の「心が痛んだ」発言を
 聞き、肝を冷やしたことだろう。当時の韓国では、崔氏の発言が大統領の意向に沿ったも
 のであることは、誰にでも理解できた。
  2010年8月15日、李大統領は、
 「公正な社会こそが、大韓民国が先進国になるための倫理的、実践的なインフラであり、
 社会のすべての領域で公正な社会という原則を遵守できるように最善を尽くす」
 と語った,さらに、この年の9月には、李政権が「大・中小企業同伴成長推進対策」を
 発表。大企業と中小企業の共存共栄に力を入れると宣言した。李大統領は9月13日、青瓦
 台に財閥総帥たちを集め、
 「大企業のせいで中小企業が成長できていないのは事実だ」
  と、「大企業と中小企業がともに発展するため」に財閥企業が拒うべき役割を強調する
 と同時に、「中小企業の成長を遮る」財閥企業の慣行に対する関心を高めることを求めた
 のである。李大統領は、「大企業と中小企業がともに成長するための措置」について、
 「法と制度で規定するよりは、企業文化と認識を変えていくことで解決しよう」
  と提案した。財閥総帥たちに対し、中小企業との成長を自律的に模索するよう語ったわ 
 けである。というわけで、李大統領は財閥企業の「中小企業成長への自主的な協力」を求
 めたことになるが、実際には「半強制的」に公正な社会の実現を追求することになる。
  李政権の「公正な社会」追求の流れを受け、2010年12月に発足したのが「同伴成長
 委員会」である。同委員会の活動で特に注目されるのが「中小企業適合業種」の指定・勧
 告であった。中小企業適合業種の指定・勧告とは、まずは「中小企業適合業種」を定め、
 指定された業種において財閥企業の事業拡大を制限するものだ。先に取り上げた「財閥系
 企業のベーカリービジネスからの撤退」は、本方針に即したものでもある。
  中小企業適合業種に指定された業種において、財閥系企業は事業拡大に著しい制約を受
 けることになった。同伴成長委員会は2013年2月には、サービス産業を中心に16業種
 
を中小企業適合業種に指定・勧告した。
  2010年統て地方選挙を皮切りに始まった韓国における「公正な社会実現」あるいは
 「経済民主化」の動きは、2012年の大統領選挙に大きく影響した。すべての候補者が
 「経
済民主化」を訴え(経済民主化の定義は各候補で微妙に違ったが)、セヌリ党の朴様
 恵党首が当選した。

  さて、首尾よく念願の大統領職を射止めた朴氏であるが、国民から経済民主化、すなわ
 ち財閥弱体化を求められ、当初はそれなりにやる気を見せていた。ところが、財閥総帥の
 私益根絶、企業に対する税務調査強化などの「経済民主化」は、韓国の全経連が「投資意
 欲が削がれる」と批判した結果、立ち消えになってしまう。「投資」を人質にした経済界
 に
朴様恵政権が屈した形になったのである。
  朴政権のヒョン・オソク経済副総理兼企画財政部長官は、2013年7月27目に全経連
 の済州フォーラムにおいて、中小企業はもちろん大企業に対しても仕事集中割当関連の贈
 与税を減らすことを明らかにした。
  仕事集中割当とは、財閥オーナーの一家が、系列会社に対して仕事を集中的に割り当
 る問題である。先にご紹介した、「財閥総帥の家族たちに新規調達会社を立ち上げさせ、

 財閥の取引に『噛ませる』ことで急成長させる」ケースなどが該当する。
  韓国の経済改革研究所は、2011年6月29日「会社機会流用と支援性取引を通じた
 支配株主一家の富の増殖に閥する報告書」を公表した。同報告書において、韓国経済改
 研究所は自国の29の財閥企業の総帥一家190人が、仕事集中割当と資本投資により、

 9兆9588億ウォンの利益を得たと分析しているのである。財閥総帥一家が系列会社の
 資本の持ち分を獲得するために投資した元手は1兆3195億ウォンだが、収益率が実に
 755%に及んだという。
  たとえば、A財閥の総帥の家族たちが1319億5000万ウォンを出資し、B社とい
 う物流会社を設立する。B社は財閥A社の仕事を「集中的に割り当て」られ、またたくま
 に売上や利益を増やしていく。出資者たちに対して「急成長が約束されたB社」から配当
 金が支払われ、平均で9958億8000万ウォンを獲得したという話である。最初に投
 じた出資金の7倍以上の配当金を「私益」として獲得できるわけである。
  上記の「仕事集中割当」は、財閥総帥一家の「私益馴し取り」であり、同時に韓国の中
 小企業の発展を阻害する。経済民主化を掲げた2012年大統領選の候袖者たちが、こぞっ
 て問題視していたのは当然の話だ。
  朴僅恵大統領にしても、当初は上記の仕事集中割当は「贈与」に当たるとして、贈与税
 を増税すると良明していたのだ。とはいえ、現実には頓挫してしまった。7月27目の贈与
 税減税に先立ち、韓国の国税庁は、2013年下半期の企業税務調査対象を既存計画より
 縮小することを発表している。
  仕事集中割当に対する課税緩和は、財閥総師の「私益馴し取り根絶」のため、仕事集中
 割当を規制するという経済民主化公約に明らかに反している。とはいえ、韓国で財閥の利
 益を代弁してきた全経連は、企業に対する税務調査と仕事集中割当規制強化により、
 「財閥企業投資意欲が削がれている」
  と主張することを続けてきた。
  結局のところ、朴悌恵政府が財閥の圧力に屈服した恪好になってしまったのだ。経済民
 主化といえば聞こえはいいが、韓国の「財閥経済」は、スローガンで打破できるほど甘い
 者いものではないという話だ。
  何しろ、韓国の財閥は外国人投資家、すなわちグローバル投資家とガッチリと結びつい
 ている。韓国財閥とグローバル資本、そして「政治」の強固なトライアングルを突き崩す
 のは、これは一度の選挙ではどうにもならないのだろう。
  興味深いことに、最近の韓国では現代自動車やLG電子といった「サムスン以外の財閥
 企業」も勢いを失っている。逆にいえば、韓国の「サムスン共和国化」がここ数年、著し
 く進行しているという話である。
  サムスングルーブが保有する資本金額は300兆ウォン元・5兆円)を超え、韓国で圧
 
倒的な存在感を示している。韓国公正取引委員会によると、2013年4月時点で韓国に
 は資産総額5兆ウォンの民間企業ダルしフが、51社存在した。そのうち、サムスン1社
 で
実に19・6%を占めるのである。
  2012年末にアベノミクスが本格化し、ウォンの為替レートは対日本円で上昇した。
 現代自動車の13年7‐9月期の決算を見ると、世界販売台数が115万台と前年比で7
 %
増えたにもかかわらず、連結営業利益はわずか1・7%増に過ぎなかった。
  円安ウォン高で現代自動車の収益力が下がった上に、海外売上高がウォン換算で目減り
 したためである。特に、現代自動車のアメリカ市場におけるイメージが、先述の「燃費水
 増し表示事件」で一気に下落してしまった影響は大きい。この種の「企業のウソ」を、ア
 メリカ人は問題視する傾向が強い。

                          「第1部 経済・ビジネス編」 / 三橋貴明 著『愚韓新論』 より

                                                        この項つづく

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その後のへーリオスⅡ

2014年04月27日 | 環境工学システム論

 

 

  

   

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

 ●里山資本主義異論

  

「ところで、木質バイマス(ガス化)発電装置のことはだいたいわかったが、へーリオスが参加する
ならしたらどんなことを考えているのかきかせくれないか?」と大きな声をで尋ねると、「木質バイ
オをガス化するときに発生するタールを完全除去してから、水素ガスと一酸化炭素を燃料電池で
発電
し、廃熱は
温水利用と熱電変換装置で電気としてとりだします。」と、へーリオスはすぐに、し
かも単刀直入にそのように答えた。そして、プロジェクターで要件を説明しはじめた。「まず、小規
模発電には、エネルギー変換効率が高い、燃料電池及びガスエンジン方式が有利ですが、両者とも
質タール
の凝着のメンテがやっかいなことが課題です。また、燃料電池の良いといっても発電効率は
60%が限界ですね。」



  へーリオス(舳離雄)のアバター

「例えば、上の図では、燃料3を熱分解してタール含有の揮発性ガス4とチャー5を生成する熱分解
炉1と熱分解炉1で生成したチャー5を導入してガス化を行うためのガス化炉6と、酸素9を製造す
る酸素製造装置8と、熱分解炉1で生成したタール含有の揮発性ガス4と酸素製造装置8からの酸素
9を導入して揮発性ガス4を酸素燃焼する燃焼炉7と、燃焼炉7で生成した燃焼ガス10をガス化炉
6に供給する燃焼ガス供給流路10aを備えることで、タールを含まないガス化ガスを製造する新規
考案がされています。従来は(1)ガス化装置とは別にタール改質塔が必要で、プラントの運転操作
が複雑になるだけでなく、タール改質塔に導入するガス化ガスを昇温しなければならないため、プラ
ント全体の効率が低下する問題があえいました。(2)また、タール除去のための反応容器が増える
ために、操作が煩雑になり触媒層の閉塞トラブルを抱えていました。(3)バイオマスをガス化には
ガス化剤を投入し流動化を促すしますが、このとき、大量の酸素を必要とし、また、空気ではガス改
質部からの生成ガスには大量の窒素が含まれてしまいます。」





「この新機構案では、(1)燃料を熱分解しタール含有の揮発性ガスとチャー(炭)を生成する熱分
解部と(2)熱分解部で生成したチャーを導入してガス化を行うためのガス化部と、(3)酸素を製
造する酸素製造装置と(4)熱分解部で生成したタール含有の揮発性ガスと酸素製造装置からの酸素
を導入し揮発性ガスを酸素燃焼する燃焼部と(5)この燃焼部で生成した燃焼ガスをガス化部に供給
する燃焼ガス供給流路とから構成されています。」「つぎに、従来のタールの除去方法は、タール改
質(水蒸気・触媒)、タール回収、タール燃焼、タール抑制の4つ。ところで、生成するタールは、
(1) 第一次生成物として、レボグルコサン、水酸化アセトアルデヒド、フルフラールを代表とする
セルロース誘導体、ヘミセルロースから誘導体された化合物、リグニンから誘導体されたメソキシフ

ェノールが、(2)第二次生成物として、フェノール、オレフィン類が、(3)アルキル第三次生成
物として、アセナフチレン、メチルナフタレン、トルエン、インデン、を代表とする芳香族メチルの

誘導体が、最後に(4) 縮合第三次生成物として、置換基を持たないPAHsのベンゼン、ナフタレン、
アセナフチレン、アントラセン/フェナントレン、ピレンなどが確認されていますが、これらの化合
物は、200から240ナノメートルにかけて光吸収ピークがあり、また、燃焼温度によって生成量
も変化しています。」


 
「そこでの"新しい技"ってないの?」とベゴニア(秋海棠)とたずねる。「水蒸気を含む空気中では
光触媒を接触させればベンゼン(80ppm)は、ほぼ百%分解可能です。光触媒が利用できる光の波長
範囲は400ナノメータ以下で、太陽光の場合、エネルギーとして約4%、蛍光灯では0.1%しか利用で
きず、400ナノメータより長波長側の光が使えれば、光触媒の効率は大幅に向上しますが、太陽光や
蛍光灯の可視光部分を利用できる触媒の合成開発がなされそれなりの成果もでてきています。従来か
ら酸化チタンの結晶に金属イオンを導入すると400ナノメータより長波長の光が使えるようになるこ
とが知られていました、金属ではなく窒素原子を導入することにより可視光での光触媒機能が発揮さ
れることが確認されていますが、一酸化炭素濃度の挙動がどうなるのかデータがないので、ここは、
一旦休止符です。」 

  ベゴニア(秋海棠)のアバター

 

「つい最近ですが、立命館大学らのグループがマイクロプラズマ励起大面積高出力深紫外発光素子
(MIPE)の開発に成功しています。光触媒としては酸化チタンなどでよいと思いますが、タールフリ
ー化プロセスとして、この大面積高出力深紫外線素子を照射し、タールを二酸化炭素あるいは一酸化
炭素、水素に変換できれば、ガスエンジンや燃料電池に導出できることになります。これをシステム
化できれば、10メガワット級から1キロワット級の発電設備と給湯設備が配置できることになりま
す。日本の人口を1億人、世帯数を5千万世帯にあまねくバイオマス発電の恩恵に与ることができる
でしょう。これは希望的観測ですが。」
「それが、オール・バイオマス・システムというわけか」とコキノダイナス(赤鬼)と感想を入れた。
「ガス原料としては一酸化炭素より水素の方がクリーンですから、究極的なシステムではありません。
できれば、水素転換できる水素藻類などを詰め込んだ"バイオマスデバイス"が開発されれば面白いの
ですが。」
「ところで、"オール・ソーラー・システム"との兼ね合いで考えるとどんなイメージを描けばよいの
?」と今度はベゴニア(秋海棠)が問いかけた。


 表 国内の太陽光発電設備規模及試算結果結果

 

「バイオマス発電と比べ、燃料原料の供給不安がないのですが、原則、太陽光発電は有利です。緩衝
システ
ム、つまり、リチウム・レドックスフロー・ナトリウム硫黄といった電池、あるいは揚水ポン
プを使った水路ダム発電、ヒートポンプ利用などといった蓄電システムがいるので、比較検討はして
みる必要はあるでしょうね。もっとも、その心配のないアフリカや中東といったところではソーラー
システムの普及が早いでしょうか。変換効率25%時代に日本をトップとした技術革新の進展で、そ
れは案外はやく、しかも安全なシステム普及していくと思っています。」と、へーリオスは喋り終え
た。「原子力発電の既得権益サイドはそれを妨げるのではないかしら?」とベゴニアと心配そうに尋
ねた。へーリオスはすかさず、「スマート・グリッドの普及、30~40年廃炉作業、再生可能エネ
ルギーの拡大などを考えると、雇用不安は払拭できるのですが、それは、中央政府が保守反動しなけ
ればの
です。」と答えた。




また1つ防災グッズアイテムが増えそうだ。それは、液体の部分を加えたマスク。パッケージから引
き取ると、液体をマスクに入れることができ、その液体は煙霧と化学反応を起こし、できる限り肺に
入ることを防止し、火災などの緊急時に有毒ガスから守ってくれるという。ところでその実績は?
それにしても面白い。

 

 

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バイオマス発電の魅力

2014年04月26日 | 環境工学システム論

 

 

  

   

 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

 ●里山資本主義異論

バイオマスを炭化・ガス化し、生成したガスを利用してガスエンジン等を駆動し高効率の発
電を行う技術が注目され、再生可能エネルギーあるいは持続可能な社会のエネルギーとして
3・11東日本大震災と福島第一原発事故など通し政府の支援をを得て加速普及されている
もの。このようにバイオマス炭化ガス化技術において、生成ガスをガスエンジンに導入して
発電を行わせる場合は、最終的に生成ガスを冷却するなどしてタール分を除去する必要だが、
タール分の含有量が多いままの生成ガスを利用すると発電装置の健全性を損なう等の不都合
が起きる。

ところが、物理的方法では、タール分を吸着させるための活性炭や砂等を別途供給する必要
があり、またバブリングを行うには、別途そのための設備が必要になる。化学的方法は、生
成ガス改質炉や触媒を用いた反応器を別途設ける必要がある等、タール分除去のために追加
の設備が必要になる。因みに、炭化・ガス化炉で得られる生成ガス中のタール分は比較的少
ないといわれているが、それでも現状では数百mg/Nm3 程度のタール分が生成ガス中に
含まれているが、ガスエンジンに導入する生成ガスでは、含有されるタール分が10~50
mg/Nm3 程度の濃度まで低減される必要がある。このため、バイオマス炭化ガス化のプ
ロセス内での中間生成物(=炭化物)を利用し設備の追加等を極力押さえてコストが安いタ
ール分を低減するバイオマス炭化・ガス化技術がも求められていた。

 

この問題を解決するためのシステム構成は次の7つの特徴をもつ。

(1)まず、 バイオマス燃料を熱分解し炭化物を生成させる炭化機と、ガス化する高温ガス化部のコ
ンバスタと炭化物の生成時に揮発したタール分を含む熱分解ガスを改質するガス改質部のリダクタ
を有する2段式のガス化炉とで構成するバイオマス炭化・ガス化システムで、この炭化機からガス化
炉のコンバスタに供給される炭化物とリダクタからの排出生成ガスを接触させるタール吸着手段で
構成されるバイオマス炭化・ガス化システムである。
(2)次に、(1)のバイオマス炭化・ガス化システムは、タール吸着手段は、この炭化機
から供給される炭化物を一時的に貯留し、コンバスタに供給し、リダクタの排出ブロアを介
し、吹き込まれた生成ガスと固形の炭化物とを接触させるホッパーと、
ホッパー内で炭化物
と接触した後、排出生成ガスが供給し、生成ガス中の固形粒子とガス成分とを分離、固形粒
子をホッパーに戻し、タール分を除去した生成ガスとして排出する固体・ガス分離手段から
構成されることを特徴とするバイオマス炭化・ガス化システムである。

(3)また、バイオマス炭化・ガス化システムのタール吸着手段は、ホッパーと、固体・ガ
分離手段を二組備え、所定時間毎にブロアを介して生成ガスを吹き込むホッパーを交互に
切替えるように構成しするバイオマス炭化・ガス化システムである。
(4)さらに、このバイオマス炭化・ガス化システムは、 炭化機とタール吸着手段との間に
炭化機より供給する炭化物を粉砕する粉砕機を配設し一方、タール吸着手段とガス化炉のコ
ンバスタとの間に、タール吸着手段を排出する炭化物を一旦貯留し、コンバスタに向け排出
する他のホッパーとを配設し、タール吸着手段が、一つの開口からブロアを介してガス化炉
から排出生成ガスを吹き込み、他の開口を介し粉砕機より供給した生成ガスに浮遊する炭化
物の固形粒子と生成ガスを接触させる気体・粉体接触装置と、気体・粉体接触装置の排出さ
れ固形粒子が浮遊する生成ガス中の固形粒子とガス成分とを分離して固形粒子を他のホッパ
ーに戻し、タール分を除去した生成ガスを排出する固体・ガス分離手段から構成されている
バイオマス炭化・ガス化システムである。
(5)また、(2)~(4)の何れか一つに記載するバイオマス炭化・ガス化システムであ
り、固体・ガス分離手段が、サイクロンである特徴をもつバイオマス炭化・ガス化システム
である。
(6)さらに、(1)~(5)の態様の何れか一つに記載するバイオマス炭化・ガス化シス
テムで、このタール吸着手段の生成ガスと炭化物との接触は、100℃~200℃の雰囲気
中で行うバイオマス炭化・ガス化システムである。
(7)次に、(1)~(6)の何れか一つに記載するバイオマス炭化・ガス化システムで、
タール吸着手段の排出生成ガスを精製手段を介して精製した後、ガスエンジンに供給し、こ
のガスエンジンを駆動させるように構成したことを特徴とするバイオマス炭化・ガス化シス
テムにある。

図1図2

図3図4

特開2013-241487 バイオマス炭化・ガス化システム

【符号の説明】

1 炭化機 2 ガス化炉 2A コンバスタ 2B リダクタ 3、7 タール吸着装置 
5 ガスエンジン 6 粉砕機

図5

このことで、ガス化炉の排出生成ガスがタール吸着手段で、炭化機で供給する炭化物と接触
させ、生成ガス中のタール分が炭化物に吸着・分離・除去でき、除去したタール分がコンバ
スタの高温雰囲気で分解され、生成ガス中のタール分がすばやく除去され、ガスエンジン等
の燃料として改質できる。つまり、生成ガス中のタール除去法として、炭化機からガス化
炉に供給される炭化物を使用するので、設備のコンパクト化と同時にコストが逓減できる(
上図参照)。

【図1】本発明の第1の実施の形態に係るバイオマス炭化・ガス化システムを示すブロック図
【図2】図1に示すバイオマス炭化・ガス化システムのタール吸着装置を抽出・拡大して示すブロック図。
【図3】図1に示すバイオマス炭化・ガス化システムにおけるタール吸着装置の運転態様を示すブロック図
【図4】本発明の第2の実施の形態に係るバイオマス炭化・ガス化システムを示すブロック図
【図5】図4に示すバイオマス炭化・ガス化システムのタール吸着装置を抽出・拡大して示すブロック図
 


 

ところで、小規模分散型発電の弱点のタールの除去方法(タール対策)は4つある。(1)
水蒸気改質
でタール改質、(2)タール回収、(3)タールの燃料化、(4)タール発生抑
制(ガス化炉の構造の工夫
)などであり、ここで紹介した新機構案は(2)の方法である。
中でも、小規模用の固定床ガス化・ガスエンジン発電の飛躍的普及には、タールフリー化が
欠かせない。実際、この研究開発の必要性を充分に理解しているつもりだ。また、エネルギ
ー効率的側面では30~40%程度だから、太陽光・風力・地熱といった燃料コストがゼロ
といった再生可能エネルギーとして比較し不利であり、廃熱利用(温水・熱電変換)などと
のコジェネレーションが前提となる。そんなことを考慮し、例えばタール限りなくゼロにし、
水素+一酸化炭素+メタンガス+(タール≒0)を燃料電池で発電する開発も行われている。


 

  
ふれあい足湯小屋のバイオマスボイラー

今夜、小型木質バイオ燃料発電システムの課題を取り上げてみた。 

 

 

コメント
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三つの国の未来

2014年04月25日 | 時事書評

 

 

  

   

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

 ●里山資本主義異論

今夜も「第2章 21世紀先進国はオーストリア/ユーロ危機と無縁だった国の秘密」から。
「エネルギーの輸入は私たちにとって何の利益ももたらさない」という言葉は余りにも強烈
だ。これは「ギュッシングモデル」を確立したチャレンジャの自信と誇りの発露であり、そ
して、それは「しなやかな経済モデル」であるという。そして次の「里山モデル」として、
耐震性に優れた持続可能可能な住宅、"クロス・ラミネイティッド・ティンバー(CLT)工
法"が紹介され、日本での普及動向が注目される。


 ギュッシングモデルでつかむ「経済的安定」


  取材の最後に、ギュッシング市長、ぺーター・バダシュ氏に話を聞くことができた。
  1990年、プロジェクトの立ち上げ当初から市長を続け、取り組みをリードしてき
 たバダシュ氏。自信に満ちあふれた風格をしている。
 「エネルギーの輸入は、私たちにとって、何の利益ももたらしません。毎年、数百万ユ
 ーロがこの町から消えてしまうだけだからです。利用されないまま、何千トンもの木材
 が廃材として森の中で朽ちていくのに、なぜわざわざ数千キロも離れたところから天然
 ガスや石油を運んで家やアパートを暖かくするのか、と疑問に思ったのです。
  世界経済はある一握りの人たちによって操られています。それはあまり健全なことと
 はいえません。私たちが作り上げたモデルによって、市場を狂わせる投資家を直ちに減
 らすことはできないかもしれません。しかし、エネルギーという非常に大切な分野にお
 いて、ある程度の主導権を握ることができるのです。私たちは、『経済的安定』に向か
 って大きな一歩を踏み出したと言えるでしょう」
  別れ際、バダシュ市長は、私たちに何度も「大事なのは、住民の決断と政治のりーダ
 ーシップだ」と繰り返した。
  ギュッシングが作った新しい経済の形は今、「ギュッシングモデル」と呼ばれ、ヨー
 ロッパ各地で導入が進んでいる。(中略)20世紀の百年をかけて築かれたグローバル
 経済に対し、その歪みに苦しむ人たちが、もう一度、経済を自分たちの手に取り戻そう
 とする闘いなのである。

 「開かれた地域主義」こそ里山資本主義だ

  振り返ってみれば、20世紀の百年間は、経済の中央集権化が突き詰められていった
 時代だった。                                     
  鉄やコンクリートといった、重厚長大な産業を基盤として発展していくには莫大な投
 資や労働力の集約が必要だった。そのため、ある程度、国家主導で大資本を優遇しなが
 ら進めざるを得なかった。しかし、その目的は国民一人一人のため、というよりも弱肉
 強食が続く国際社会で、国家をより強くすることにあった。20世紀初頭においては、
 帝国主義政策における富国強兵であり、20世紀半ばには、第二次大戦後の復興と、そ
 れに続く高度経済成長。そして20世紀の後半は、グローバル経済の熾烈な競争に勝ち
 残るためであった。
  その過程で、人類は、たとえ地球の裏側からでもあらゆる物をすばやく運んでくるた
 めに、陸海空にわたる巨大なインフラネットワークを作り上げてきた。
  21世紀になると、人、物、金に飽きたらず、IT革命によって、情報までも瞬時に
 飛び交うシステムが確立されていった。しかし、その中央集権的なシステムは、山村や
 漁村など競争力のない、弱い立場にある人々や地域から色んなものを吸い上げることで
 成立するシステムでもあった。地域ごとの風土や文化は顧みられず、地方の人間はただ
 搾取されるのみであった。経済成長には、金太郎飴のようにどこもかしこも画一的であ
 る方が効率的だったのであり、地域ごとの個性は不要だったのである。

                  -中略-

  里山資本主義は、経済的な意味合いでも、「地域」が復権しようとする時代の象徴と
 言ってもいい。大都市につながれ、吸い取られる対象としての「地域」と決別し、地域
 内で完結できるものは完結させようという運動が、里山資本主義なのである
  ここで注意すべきなのは、自己完結型の経済だからといって、排他的になることでは
 ない点だ。むしろ、「聞かれた地域主義」こそ、里山資本主義なのである。
  そのために里山資本主義の実践者たちは、20世紀に築かれてきたグローバルネット
 ワークを、それはそれとして利用してきた。自分たちに必要な知恵や技術を交換し、高
 め合うためだ。そうした「しなやかさ」が重要なのである。

                  -中略-



 鉄筋コンクリートから木造高層建築への移行が起きている

  中島さんの次なる革命は、工場の片隅でひっそりと進められていた。製造ラインはま
 だないため、手作りで試作を繰り返しているという建築材。
  一見、板を重ね合わせただけの何の変哲もない集成材。ところが、よく見ると、通常
 の集成材は、板は繊維方向が平行になるよう張り合わせているのだが、こちらは板の繊
 維の方向が直角に交わるよう互い違いに重ね合わせられている。
  その名もCLT。クロス・ラミネイティッド・ティンバーの略で、直訳すると、「直
 角に張り合わせた板」だ。それがどうしたのか。実は、たったこれだけのことで、建築
 材料としての強度が飛躍的に高まるのだという。
  中島さんがCLTによって成し遂げようとしていること。それは、これまで建築が認
 められてこなかった、木造の高層建築が可能になるというのだ。20世紀、経済成長の
 象徴であった鉄とコンクリートに奪われていた分野を、木材が取って代わろうという、
 ちょっと耳を疑う壮大な計画なのである。
 「今まで、日本の建築史において、長年木材が占めてきた分野が、戦後は鉄やコンクリ
 ートなどによって、奪われっぱなしだった側面があるかと思います。しかし、このCL
 Tの登場によって、四階建て、五階建て、場合によってはそれ以上の中規模なビルまで
 木材で造ることが可能になるんです」
  こう言い切る中島さん。それは、中島さんが取り組む本のエネルギー利用にとっても、
 大きな意味がある。工場で使う電気を全てまかなう木くずの発電。町全体のエネルギー
 をまかない始めたペレット。その利用をさらに拡大していくためには、そもそもベース
 となる建材需要の拡大が欠かせない。エネルギー利用と建築材利用。日本の山を復活さ
 せるためのいわば車の両輪なのである。
  そのCLTが誕生したのは、2000年頃。これまた本村利用先進国であるオースト
 リアからだった。「百聞は一見にしかず。実際にその現場を見に行きましょう」。中島
 さんの言葉に誘われて、私たちは再びオーストリアを訪れることになった。亜紀先進国
 はオーストリア。

                  -中略-


 ロンドン、イタリアでも進む、木造高層建築

  CLTはもともと、1990年代、ドイツの会社で考え出されたものだったらしい。
 しかし、その会社には製材部門がなかったため、その技術は1998年、オーストリア
 南部のカッチュ・アン・デア・ムアという、小さな村にある製材所が採用した。そして、
 オーストリア第二の都市・グラーツにあるグラーツエ科大学の協力を得て、技術に改良
 が加えられていった。CLTで壁を作り、ビルにしたところ、鉄筋コンクリートに匹敵
 する強度を出せることが分かったのである。それは、高層ビルは鉄とコンクリートで遣
 らなければならない、という常識を覆した。そこからオーストリア政府の動きは早かっ
 た。木造では2階建てまでしか建てられないとしていたオーストリアの法律が、200
 0年、改正されたのだ。今は9階建てまで、CLTで建設することが認められていると
 いう。
  以後、それまでは石造りが基本だったオーストリアの町並みが木造へとシフトしてい
 く。CLT建築は、単に強度に優れるだけでなく、夏は署く、冬は寒い石造りや鉄筋コ
 ンクリートより快適な住環境を提供した。オーストリアの片田舎で生まれた技術は、ヨ
 ーロッパ各地に伝播。生産量はヨーロッパ全体で、七年間で20倍、50万立方メート
 ルに増え、ヨーロッパにおける建材生産量四百万立方メートルの八分の一を占めるまで
 成長した。ロンドンにはなんと、九階建てのCLTビルまで登場している
  日本人が知らないうちに、ヨーロッパはこんな世界までたどり着いているのか。エネ
 ルギー同様、そのスピード感には驚かされる。それが素直な感想だった。と同時に、あ
 る当然の疑問が湧いた。木で遣ったビルなど、地震が来たら危ないのではないかと。
  ところが、日本と同じ地震国であるイタリアでも、急速にCLTが普及し始めている
 のだ。
 イタリアにある国立森林・木材研究所が、地震にも強いことを実験によって証明したか
 らである。実は実験は日本で行われた。2007年、兵庫県三木市にあるE1ディフェ
 ンスと呼
 ばれる世界晨大規模の耐震実験施設、そこに七階建てのCLT建築を持ち込み、阪神淡
 路太腹災と同じ震度七の揺れを加えたところ、みごと耐え切ったのである。
  300人以上が犠牲になった2009年の中部・ラクイラ地震のあと、イタリアでは、
 大半の建物がCLTで建てられるようになったという。ミラノには近々、13階建ての
 CLT建築も登場するとのことだった。
  火事への備えも万全。耐火の試験も重ねられ、CLT建築の一室で人為的に火災を発
 生させたところ、60分経っても、炎は隣の部屋に燃え広がらないどころか、少し室温
 が上がったかなという程度だったらしい。何から何まで驚かされる。私たちはいつの間
 にか、木造は火事や地震に弱いと思い込んでしまっていたのである。今、ヨーロッパで
 は逆に、CLTこそ、高層建築にぴったりの建材だと考えられるようになっている。

                  -中略-



 産業革命以来の革命が起きている

  視察の最後に訪ねたのがウィーンエ科大学。木造建築の第一人者・ヴォルフガング・
 ヴィンター教授に話を聞いた。ヴィンター教授は、鉄筋コンクリートから木造建築への
 移行は、単なる建築様式の変更と捉えるのではなく、産業革命以来の革命と言っても過
 言ではないと熱弁した。
 「19世紀、産業革命がありました。石油や石炭など、無尽蔵だと信じられてきたエネ
 ルギー資源に支えられて得たものは、機械、大規模ユニット、ロジスティックス、すべ
 て大規模でした。エネルギー資源が産業革命の原動力だったのです。20世紀を通して、
 私たちは、セメントと鉄鋼を生産するために、石炭や石油など多くのエネルギーを費や
 しました。セメントや鉄の生産には途方もない額の投資が必要です。工場は巨大で、た
 いていの国であれば、一つの国に一つあるかどうかでしょう。そうして20世紀の人類
 は発展してきました。
  ところが、今日ではエネルギー資源はあまりありませんから、この星にある自然が与
 えてくれるもので私たちは生活しなければなりません。この思考の大転換こそが真のレ
 ボリューション(革命)です。そうした値命に木材産業はうってつけなのです。森林は
 管理し育てれば無尽蔵にある資源だからです。
  その結果、経済は必然的に国家中心から地域中心になっていきます。製材業はたいて
 いファミリー企業です。原料の調達も、せいぜい200~300キロ圏内でまかなえま
 す。生産には多くの人手がかかります。ようするに、木材は、投資は少なくてすむ一方、
 地域に多くの雇用が発生する、経済的にもとても優れた資源なのです」

 日本でもCLT産業が国を動かし始めた

  しかし、日本に戻ってみると、CLTを普及させようという中島さんの夢には大きな
 壁が立ちはだかる。建築基準法上、3階建て以上の木造建築は制約が多いのだ。日本で
 は、ヨーロッパ以上に、飛躍的な経済成長を支えた立役者である鉄やコンクリートに対
 する信仰が篤く、貧しさの象徴であった木造に意識を転換するのは容易ではない。
  最近でこそ、2010年、日本の国産木材の普及を図ろうと、「公共建築物等におけ
 る木材の利用の促進に関する法律」が策定され、学校など、公共建築物等の木造化か進
 められてきた。しかし、毎年、新規に着工される公共施設のうち、木造はわずか8・3
 %にとどまっている上、公共施設だけでは爆発的な木材需要の向上は期待することもで
 きない。
  そうした現状を打破しようと、中島さんは、2012年1月、鹿児島、鳥取の製材会
 社と連携し「日本CLT協会」を設立。中島さん自ら会長に就任し、本格的な普及に向
 け、乗り出した。
  「日本の林業や製材をペースにした木材産業の新しい突破口になる。地域にも風穴が
 開くし、林業・木材産業にも新しい風を送り込めると信じています」
  
永田町や霞が開などにたびたび足を運び、国会議員や行政に法改正の必要性を訴えて
 きた。
  バイオマス分野で大きな実績を残してきた中島さん、少しずつ、思いが届き始めてい
 る。2012年2月。中島さんが念願していたある実験が、国土交通省の主導によって
 行われた。場所は、茨城県つくば市にある防災科学技術研究所。兵庫県のEIディフェ
 ンスと並び、日本が誇る大規模な耐震実験施設である。
  持ち込まれたのは、CLTパネルを使った三階建ての建物(荷重により5階を想定)。
  建築材は中島さんが提供した。中島さんはあえて、震動に弱いとされる杉で作ったC
 LTパネルを用意した。うまくいけば、国産材の半分を占める杉の活用に道が開けると
 考えたからである。百人以上の関係者が見守るなか、建築基準法が耐震基準とする震度
 6弱の揺れが加えられた。がたがたと大きな音を立ててきしむCLTのビル。しかし、
 最後まで倒れなかった。専門家が時間をかけて内部をチェックしたが、目立ったひび割
 れも見つからなかった。
 「もうちょっと揺らして欲しかった」と、ほっとしつつもいたずらっぽい笑顔で語る中
 島さん。実用化に向けて、大きな一歩を踏み出した瞬間だった。今後、さらなる耐震・
 耐火の実験を繰り返しながら、2年後の法改正、実用化を目指すことになった。
  そうなると、いてもたってもいられない中島さん。なんと、法改正を待たないまま、
 自らトリアの工場の一角に1500万円をかけて、CLT専用の製造ラインを追ってし
 まった。
 「それじゃ、やります」
 2011年6月、ラインが完成し、試験運転が行われた。がたがたがた。初めてのCL
 Tパネルが機械から流れ出てきた。
 もちろん、今の段階でいくらCLTパネルを生産しても、すぐに建てることはできない。
 当面は、今後行われる、耐火や耐震の実験に提供する材料を製造することが目的。だが、
 建築基準法には「大臣認定」という制度があり、特別な手続きを経れば、建設も全く不
 可能というわけではないらしい。
 噂を聞きつけた大手住宅メーカーなどから早くも問い合わせが来ているという。
 「おおげさにいえば、里山革命じゃないですけど、CLTを一つの道具にしたいと思い
 ます。

                          藻谷浩介 著『里山資本主義』

                                この項つづく
 



【米国・日本・韓国が成長すれば世界は良くなる?!】

●「愚韓新論」の愚?!

 


さて、先回は安重根に対する相違ついて簡単に触れてみた。今回は、アジア危機で経済再編
に遭遇する韓国について、英米流金融資本主義を三橋貴明流に
解説する。


 韓国がアジア通貨危機で失ったもの

  アジア通貨危機は、一般にはタイに対するヘッジファンドの投機売りに始まったと考
 え
られている。1997年5月14日ヘッジファンドがタイ・パーツに対する浴びせ売
  りを
開始した。これに対抗し、タイ中央銀行は通貨引き下げを阻止するため外貨準備を
 切り崩
し、買い支えを試みたが、またたくまに底をついてしまった。
  為替防衛戦争に敗北したタイ政府が7月2日に変動相規制を導入すると、それまで1
  ド
ル24・5バーツだった為替レートが、わずか一日で29パーツ台にまで急落した。
 この後、
通貨危機はフィリピン、インドネシア、マレーシア、そして韓国へと拡犬して
 いく。

  実は、韓国の中央銀行(韓国銀行は自国の政府に対し、1997年の3月時点(タイ
 バーツ暴落開始
2ヵ月前)から、繰り返し将来的な通貨危機到来について警告を発して
 いたので
ある。韓国が通貨危機の渦に巻き込まれ、IMF管理下に入る8ヵ月以上も前
 から、
は自国の危機について正確に察していたことになる。
  1997年の3月から10月までの7ヵ月間、韓銀は幾度となく青瓦台(韓国大統領官
 邸)
及び財政経済部に対し警鐘を鳴らし続けた。これを韓国の政府当局はほぼ黙殺した
 わけだ
 が、それはなぜだろうか?
 「韓国だから」というシンプルな回答が返ってきそうだが、実際にはこの1997年と
 い
う時期が問題だったように思われる。
  1997年のこの時期は、韓国大統領選挙の真っ只中で、与党系と野党系の候補者た
 ち
が入り乱れた選挙戦を展開している最中だったのだ、韓銀からの警告は、当然、韓国
 大統
領や与党首脳部の耳に届いていただろうが、選挙戦の最中に大統領が、「わが国は
 通貨危機に直面している」
などと声明を出した日には、経済政策の責任を追及され、与
 党系候補者の敗北は必至で
ある。大統領選挙と経済危機の時期が重なるとは、運が悪か
 ったといえば、いえないこと
もないが、韓国は日に日に危険度が高まる中、政治不在の
 まま通貨危機という谷底への道
を転げ落ちていった。
  タイの通貨危機の衝撃が覚めやらぬ中、まずは7月に起亜自動車が不渡りを出し、韓
 国
の金利上昇が始まったご為替市場の不安が資本市場に広がりを見せるのにあわせ、金
 利はロケットブースターを装備したごとく急L昇し、最終的には31・1%というとて
 つも
ない金利水準にまで達したのである。しかも、この金利水準も韓国の超優良財関数
 社だけ
に適用できた利率で、韓国のほぼすべての企業は、社債をまったく発行できない
 状況に陥っ
ていた。
  為替レートのほうであるが、1997年初頭はIドル844ウォンの水準であった。
 日
に日に危機が深刻化し、通貨安圧力が強まる中にあっても、韓銀の通貨防衛が効を奏
 し、
なんとか夏の終わりまでは800ウォン台を維持していたのだ。
  ところが、1997年10月を迎えると、韓国の対外信用が急降下。韓銀の介入余力が
 尽
きたことも重なり、外為市場は深刻な麻憚状態に陥ってしまう。
  そして翌月に入ると、韓国ウォンの為替レートはIドル1000ウォンの壁を突破し
 た。
韓国社済に対する外国人投資家の不信感が高まった結果、外貨流出、いわゆるキャ
 ピタル
フライトが本格化し始めたのである。
  ウォンはこの後、止まるところを知らずに下落を続け、IMFや先進諸国の支援方針
 が
発表される直前の12月下旬には、Iドル1995ウォンの最安値を記録した。7月の
 水準
から、ウォンの価値は対ドルで半分以ドに下落してしまったわけだ。
  韓国は政府がデフォルトする寸前に、日本及びIMFからの緊急融資により款われた。
  その後、韓国経済はIMFにより構造を大きく変えられることになる。
  1997年10月より本格化した韓国の通貨危機は、キャピタルフライトから通貨暴
 落、
韓国国内の外貨不足、信用収縮と、まるでブレーキのない暴走機関車のごとく爆走
 していっ
た。資金が枯渇してしまった銀行は、企業からの貸し剥がしを始め、それまで
 の優良債権
までもが不良債権化する悪循環に陥ってしまった。
  翌1998年、韓国のGDP成長率は5・7%のマイナス成長に終わった。通貨暴落
 を
受け、一人当たりGNP(ドルベース)も6823ドルと、前年比でなんと33%も
 下落して
しまったのである。
  韓国はIMFや日本などから外貨融資を受けるのと引き換えに、緊縮財政、財閥解体
 (実
際には財閥は消滅しなかったが)、金融の自由化などの条件を呑まされた。時系列
 で書いておくと、

 11月10日 ウォンの対ドルレートがIドル1000ウォンの壁を突破
 11月22日 韓国政府がIMFに緊急支援を要請したことを発表
 12月04日 韓国政府がIMFとスタンドバイ協定締結

 となる。スタンドバイ協定とは、IMFが破綻国(対外負債返済不能国)の短期的な国
 際
収支の問題に対処するための協定になる。スタンドバイ協定に草づく資金供給(貸付)
 は、
IMFによる融資の中でもっとも高額だ。IMFとスタンドバイ協定を結んだ国は、
 さま
ざまな「構造調整計画」を強要され、事実上、国家主権を(一時的に)喪失する。
 ちなみにこの当時から、韓国の通貨危機は、日本の金融機関が韓国から資金を引き揚げ
 たために起きたという、いわゆる「日本責任論」が、まことしやかに流されていた
 「日本責任論」は後に、韓国の国会聴聞会で検証される政治問題にまで発展した。だが、
 韓国の金融当局の資料に、金融危機時に日系金融機関が最後まで協調融資に応じるなど、
 韓国市場に義理を果たそうとした事実が記載されており、「日本責任論」は明確に否定
 さ
れたわけである。
 ところが、一部の韓国人は今でもIMF管理下に陥ったことについて「日本責任論」を
 信じている。逆に、日本が通貨危機の際に、一国としては最大規模の援助を韓国にした
 こ
とを信じていないし、認めてもいない。
 韓国人は、IMF管理に陥ったことを恥と考えており(たしかに、大恥だが)、それが
 自分たち
の無能が原因であったことを認めたくないがため、日本に責任を転嫁している
 わけで
ある。
 「漢江の奇跡」のようなポジティブな出来事は、すべて自分たちの手柄、経済破綻のよ
 う
なネガティブな出来事は、すべて日本のせい。これが韓国人の基本的なマインドだと
 思っ
ておけば、まず間違いない。
  いずれにせよ、韓国はIMFや日本からの融資を受け、IMFの信託統治国になった。
  IMF信託統治国韓国では、まさに社会を根底からひっくり返すかのごとき「大改革」
 が実施された。特に、その後の韓国経済に大きな影響を与えたのは、財閥の整理・統合
 及
び「ビッグディール」(後述)である。





 銀行の融資が凍結状態の中、韓国では倒産ラッシュが始まり、1997年12月の不渡
 り
企業件数は、3197社と過去最悪の水準を記録した。企業倒産が激増した結果、当
 然な
がら失業率も悪化する。98年の平均失業率は7%に上昇、家事手伝いなどの不完全
 就業者
を加えると、失業者数は400万人を突破したと考えられている。
  また、株価とウォンの為替相場が急落した状況で、IMFに金融の自由化を強制され
 た
ため、外国資本による韓国企業の株の買占め、M&Aが激増することになった。サム
 スン
電子、国民銀行、ポスコなどの超大手企業が外資の手に落ちると同時に、財閥の解
 体や再
編が進められた。主なところでは双龍財閥の分離売却、コピョングループの解体、
 韓火財
閥の子会社切り売りなどである。
  さらに通貨危機の元凶の一つであった金融部門では、大東銀行、忠清銀行、京畿銀行
 など、債務超過の銀行が強制整理され、生き残りの都市銀行に業務移管された。もちろ
 ん、
移管された銀行側の従業員たちに「職の保障」などあるわけもなく、続々とリスト
 ラクチャリングが進み、さらに失業率が高まった。

  IMFによる構造改革は、韓国国民の幸福と福祉を犠牲に容赦なく進み、企業の過剰
 債
務や銀行の不良債権問題は、徐々に(強制的に)解決されていった。中でもその後の
 韓国経
済に多大な影響を与えたのは、生き残り財閥間の事業交換、いわゆる「ビッグデ
 ィール」
である。
 韓国における経済危機の原因の一つに、各財閥が他社を模倣し、相手が進出したところ
 に自分も進出する多角化を互いに繰り返したため、各市場でプレーヤーが多くなりすぎ
 た
ことがあった。
  というわけで、TIMFの指導に基づき、韓国政府は財閥企業の各事業について、強
 制的
に整理することを決断したのである。財閥系企業の業績不振な事業、あるいは系列
 子会社
を交換させ、得意分野に注力させることで業績を引き上げる戦略である。
  もっとも有名なビッグディールは、サムスン、現代、LGの3財閥間で行われた。サ
 ム
スン自動車を現代財閥に、現代石油化学をLGに、LG半導体をサムスンに、それぞ
 れ3
財閥が譲渡するというものであった。
  IMFの施策は多大なる苦しみを韓国目民に与え、国民感情を大いに傷つけたものの、
 過剰債務、不良債権、低生産性、参入過多などの韓国の構造問題を解決することに成功
 した。

  IMF管理はたしかに劇薬ではあったが、闘病の苦しみの後、韓国は曲がりなりにも
 成長
路線に復帰することができたのである。しかも、韓国ウオンが暴落したことを受け、
 財閥
整理やビッグデイールにより身軽になった韓国財閥企業の国際競争力は一気に上昇
 した。

  もっとも、韓国経済はIMF管理を通じ、完全にアメリカ経済にビルトインされてし
 まっ
たことについても触れておかなければならない。韓国の銀行や大手企業の株式の多
 くが外
国資本の手に落ち、借金による消費拡大や貯蓄率の急低下、自由競争による貧困
 層の大量
生産など、韓国のアメリカ化が急速に進んだ。アジア通貨危機とIMF管理に
 より、韓国
の民族資木がほぼ消滅した以上、経済政策は実質的に外国の巨大資本や、多
 国語企業の意
向を大きく反映したものにならざるを得ない。
  もはや韓国人は韓国経済の持ち主ではなくなった。



                     「第1部 経済・ビジネス編」 / 三橋貴明 著『愚韓新論』 より

                                                   この項つづく


※三国間の「21世紀の経済成長」の「再定義」とその「合意形成」が重要。

 

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芝桜に胡桃と蒜添え

2014年04月24日 | 開発企画
  •  

 

 

 

  

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】  

 ●里山資本主義異論

昨夜のつづき。今回の事例舞台は、世界中から注目される、脱原発の国、オーストリアはバイオ
マス事業で「極貧から奇跡の復活を果たした町・ギュッシング市」である。因みに、ギュッシン
グ市の税収は1993年比で4・4倍の増収を記録しているという(2009年時点)。その実
績の経緯が事細かに紹介されている。当に「事実は小説より奇なり」である。このことに触発さ
れ、里山アイテムを探せ!として「エネルギーの地産地消事業」に「健康食品販売事業」を加え
たものを考案してみた。先ず、はじめに「第2章 21世紀先進国はオーストリア/ユーロ危機
と無縁だった国の秘密」を、次に、触発された新規事業の企画を掲載する。

 独自技術は多くの雇用も生む

  オーストリアがペレットボイラーの技術革新にこれほど力を入れるのはどのような背景が
 あるのか。ヴィントハーガー社で15年前からボイラーの開発に携わり、今は開発部長を務
 める、ヨーゼフ・ゴイギンガー氏にその哲学を開いた。
  そこには、岡山県真庭市が追求してきた、外部への資源依存を断ち切ることで実現する里
 山資本主義の将来像があった
 「基本的にオーストリアは小国です。しかし、独創的な人材は豊富で、多くの中小企業は、
 どうやったら大量生産型市場から脱却できるか知恵を絞ってきました。
  背景の一つに、既に90年代に石油(ビッグオイル)もガスもいずれ枯渇すると考えられ
 ていたことがあります」
  日本と同じく地下資源に乏しいオーストリア。原油を中東諸国に、天然ガスをロシアから
 のパイプラインによる供給に依存してきた。そのため、国際情勢が不安定化するたびに、エ
 ネルギー危機に見舞われてきた。元栓を外国に握られる恐怖を身にしみて知っているのであ
 る。
 
「石油やガスのことを考えると、これまで供給してきた東欧のパイプラインが今後も大丈夫
 か、中東情勢が今のまま続くか、そもそも原油がいつまで採掘できるのか分からない。好む
 と好まざるとにかかわらず、化石燃料以後の時代を考えて準備しなければなりません。我が
 社は、こうした状況をビッグチャンスと捉えました。将来的にエネルギーはどういう形であ
 れ今より安くなるとは思えません。オーストリア人には、中東の首長国からタンカーで運ん
 でくる原油より、身近な資源の方が信頼できるのです。」
 石油やガスをペレットに置き換えることで、安心・安全を守れると考えたのだ。

                    -中略- 

  ペレットやそれを利用したボイラーの生産技術は、オーストリアが他国の二歩も三歩も先
 を進んでいる。他国にはない産業を育てれば、当然、関連技術も自前で育てることになり、
 労働需要が高まる。
  たとえば、ボイラーのバーナー。オーストリアにはペレットボイラーメーカーが6、7社
 あるが、いずれもかつては石油用やガス用のバーナーを流用していたという。しかし、燃焼

 効率を追求するなかで、専用のバーナーが開発されていった。いまでは、全てのバーナーは
 オーストリア国内で生産されている。結果、多くの人が新たな仕事にありつけた。
  ペレットを製造する機械も同じ。ペレットは一見、簡単に作れるように思えるが、実際は
 非常に複雑なプロセスで作られている。木材を圧縮し、さまざまに手を加え、乾燥させ、さ
 らに圧縮して、厳格な規格に合うよう仕上げなければならない。
  オーストリアには世界中にペレット製造装置を売っている大きな会社がいくつもあり、年
 間10万トンから30万トンのペレット生産を支えている。これによってザルツブルクだけ
 でなく、オーストリア全体で多くの雇用が生まれているのである。
  森林の育成・伐採から、ペレットヘの加工、付随する機械の開発・生産、さらには煙突掃
 除などのアフターケアに至るまで。ペレット産業の裾野が広がれば広がるほど、うなぎ登り
 で労働市場が生み出されていったのである

 林業は「持続可能な豊かさ」を守る術

  一方で、当然浮かんでくる疑問がある。それだけ山の木を切っているなら、オーストリア
 はさぞかし森林破壊が進んでいるのではないか?
  特に日本では、1970~80年代、急激な経済成長に伴って大量の木材を必要とし、東
 南アジアや南アメリカから大量の木材を輸入。現地の森林を次々破壊したことが社会問題化
 した。だから今でも、山の木を切ることは、森林破壊につながると連想する人も多い。
  ところが、日本人に負けず劣らず、きまじめなオーストリアの人々。きっちり対策を考え
 てきた。それが、森林マイスターと呼ばれる制度だ。
  いかにもあらゆる分野に徒弟制度が発達したオーストリアらしい「森林マイスター」とい
 う言葉。どのようなものなのか。
  そもそも、オーストリアでは、一口に「林業従事者」と誼っても、業務や役割に応じて、
 さまざまな資格が用意されている。
  まず、山の中で、伐採・造材・集材などの仕事を行う「林業労働者」、ようするに雇われ
 の労働者。林業高校を卒業することでその資格を得ることができる。
  これに対し、森林を管理する人々が存在する。「森林官」や「森林マイスター」というか
 っこいい肩書きを持つ人々だ。
  このうち、「森林官」は五百ヘクタール以上の山林の管理を行う。とは言っても、それ
 ど大規模な山林を所有しているのはほとんどが修道院なのだが、その場合、「森林官」を

 置して管理にあたらなければならないと法律で決まっている。「森林官」はなるのも難し
く、
 とても高い地位と見なされている。

  これに対して、森林所有者の70%を占めている、五百ヘクタール以下の森林を持って
 る場合、ようするに家族や会社などが山を持っている場合は、「森林マイスター」が管理

 ることと決められているのである。

  では、具体的には何をする人々か。一般的には、山林全体の資源量の管理、一年間に伐採
 することができる木材の量の決定、伐採区域の決定、そして販売先の確保と多岐にわたり、
 学歴や経験年数、その後の試験による資格状況により担当面積に制限が設けられている。
  つまり「森林マイスター」とは、山の木を切りすぎず、持続可能な林業を実現するために
 必須の職業なのである。
  実際のところ、親から子へ山を受け継いだときに、その子どもたちが「森林マイスター」
 の資格を取得する。自分で山の木を切りながら、同時に管理を行うのである。
 「オシアッハー森林研修所」は、そんな「森林マイスター」を育てている、オーストリアに
 三つしかない国立の森林研修所の一つ。オーストリア南部、イタリアやスロベニアの国境と
 隣接するケルンテン州。山があり湖があり、湖のほとりに伝統的な家屋が並ぶ、なかなか風
 光明媚な田舎町・オシアッハーにある。
  ここでは、チェーンソーの扱い方という基本に始まり、他の本を傷つけずに木を切り倒す
 方法や、山に架線を張って切った木を運び出すタワーヤーダーと呼ばれる大型機械の扱い方
 まで、林業に関するあらゆる技能を学ぶ。
 と同時に、森林経営のためのあらゆる知識がたたき込まれるのである。

                            -中略- 

  山に若者が殺到した

  それにしても、日本では林業従事者というと、危険、きつい、汚いといった、いわゆる3
 Kのイメージがあるが、オーストリアではどうなのだろうか。
  実はオーストリアでも、20~30年前くらいまでは、林業はきついのにお金にならない
 と認識されていたらしい。しかし今は、この認識は大きく改善されたという。その理由とし
 て、森林研修所の所長、ヨハン・ツェツシヤーさんは次の3点を上げた。
  第1に、なにより林業従事者の作業環境が安全になった。林業に従事する者はみんな教育
 を受けることが義務づけられたため、学ぶ機会が増え、安全に対する意識が飛躍的に高まっ
 た。
  2点目は、山を所有する森林農家が、森林および林業というものが、ちゃんとお金になる
 産業であると認識するようになった。そして、それは、きちんとした林業教育を受ければ受
 けるほど、経済的に成功できるということも。
  そうした状況を後押ししているのがバイオマス利用の爆発的な発展だ。これによって、森
 林に新たな経済的な付加価値ができたのだ。逆に言えば、森林所有者が森林に関わる動機付
 けが、大きくなった。
  そして、この傾向は今後も続くと考えられている。現在、オーストリアのエネルギー生産
 量の約28・5
%は再生可能千早ルギーによってまかなわれている。EUは、2030年ま
 でにバイオエネルギーの割合を34%にする目標を掲げており、オーストリアもこれを目標
 としている.つまり、国を挙げて、この分野をさらに椎し進めていかねばならないのだ。林
 業にとってさらなる追い風になるのは当然である。
  3点目として、「これはとても重要なことだが」と前置きして所長が強調したのは、林業
 という仕事の中身が大きく変わったことだという。ヱ尚度で専門的な知識が求められるかっ
 こいい仕事になった。
                    -中略- 

 林業の哲学は「利子で生活する」ということ

  いよいよ肝心の質問を、ヨハン・ツェッシヤーさんに投げかけてみる。
 「森林が一年間に生長する量の百%を利用することを目指しているのですよね? しかし、
 百%を超えてしまったら。つまり、伐採しすぎてしまったら、どうするのですか?」
 答えは明快だった。
 「そのような事態が起きてはならない。これを防ぐ最善の方法が、教育なのです。
 扱ってもよい資源量がわかっていれば、資源を維持しようと努力しますから。私たちは、
 の森林の全体量が減ってしまうような伐採は行いません。どうするかというと、森が生
長し
 た分だけを切るのです」

  オーストリアでは徹底した森林調査を行っているという。どのくらいの木が切り倒され、
 どのくらいの木を植え、そして、森林全体で木がどのくらい増えたのか、といった状態を定
 期的に調査している。これにより、森林資源の収支を見る。この収支を見ながら、毎年どの
 くらいの木を切るのかを決めるのだ。むしろ、オーストリアでは管理を徹底した結果、森林
 面積は今でもどんどん増加しているという。ようするにオーストリアの林業は、元本に手を
 付けることなく、利子だけで生活しているのだ。これこそが彼らの根本哲学なのだ。
  さらに最近では、短期間で、しかもどこでも収穫できる新たな森林資源の研究も始まって
 いる、他の樹木より早く数年で生長する、ポプラという木がある。エネルギー用の木材とし
 て、このポプラをあちこちで育てている。オーストリアは雨が多く、数年のうちに生長して
 大屋に収穫することができる。
  所長のヨハン・ツェッシヤーさんはこう言い切る。
 「森の木をみんな切ってしまうのではないかという見方は正しくありません。私たちのやり
 方だと、身近な資源をお客様の家にずっと届けることができて、しかもそのそばから資源は
 生えてくるのですから。オーストリアの森林は百年後も、今と変わらず、健康なままでしょ
 う」(中略)「もっとも重要なのは、森林が持続的に良好な状態であるようにすることです。
  森林の持続可能性が唱えられるようになって以来、この『持続可能性』は私たちの信条と
 なっています。ずっと後の世代もおいしい果実を食べられるよう、十分な森林資源を維持し
 ていかねばなりません。現在、森林は我が国において二番目の外貨の稼ぎ手になりました。
 木材関連産業だけで、年間30億ないし40億ユーロの貿易黒字が計上されています。森林
 が一年間に生長する量の70%しか利用していないにもかかわらず、です。今後は、森林生
 長量の百%ぎりぎりまで利用できないかと考えています。それによって、土地所有者、森林
 所有者はもとより、製材業、製紙業など、林業に関わるすべての産業に恩恵がもたらされる
 でしょう。そして、オーストリア全体の豊かさに貢献する。これが私たちの目標です」(中
 略)オーストリアにはもう一つ、忘れてはならない重要な理念がある。オーストリアは、世
 界でも珍しい脱原発」を憲法に明記している国家である。1999年に制定された新憲法
 律「原子力から自由なオーストリア」では、第二項で原発を新たに建設することと、既に建
 設された原発を稼働させることを禁止している。ちなみに第一項では核兵器の製造、保有、
 移送、実験、使用を禁止している。つまり、オーストリアは、軍事利用であれ、平和利用で
 あれ、原子力の利用そのものを憲法で否定している数少ない国の1つなのだ。
  しかし、もともと反原発だったわけではない。実は、1969年、当時のオーストリア国
 民党政権は、オーストリア北東部、現在のチェコやスロバキアの国境ぎりぎりに位置する街、
 ニーダーエスターライヒ州ツヴェンテンドルフに原発の建設を決定。72年には建設が開始
 されその後完成している。しかし、それは今日に至るまで、一度も稼働されることはなかっ
 た。完成してまもなく、反原発運動がオーストリア全土で吹き荒れたのだ。
  きっかけは1977年、著名な地震学者が原発の建設他の直下で地震が発生する危険性が
 あることを指摘したことだった。「それでも原発のリスクを受け入れられるのか」。197
  年11月、稼働の是非を問う国民投票が実施された。その結果は極めてわずかの差で反対
 
上まわった。なんと、賛成49・5%、反対50・5%だったが、これで流れが決まった
 翌月には、「オーストリアにおけるエネルギー供給のための核分裂の使用禁止」なる法律を
 制定。将来の原子力発電所の建設を禁止するとともに、完成したばかりのツヴェンテンドル
 フ原発の稼働禁止も盛り込まれたのである。
  そして、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故。放射性物質がヨーロッパ中にまき
 散らされると、反原発の機運はさらに上昇。原子力利用そのものを憲法で禁止するに至った
 のである。
  しかし、オーストリアの人々はこれで満足はしなかった。オーストリアでは電力の一部を
 他の国から輸入していたが、その元をたどってみると、6%は他の国にある原子力発電所で
 作られた電力だ、ということが分かったのである。
  原発由来の電力は1ワットたりとも使いたくない。そんな原発アレルギーは、日本での東
 京電力福島第一原発の事故の後さらに強まり、2011年7月に「エコ電力法」という法律
 を改正。風力や太陽光、それに本のエネルギー利用であるバイオマス発電を増やすことを目
 的に、その発電技術利用拡大のための補助金を、それまでの年間2100万ユーロから、5
 OOO万ユーロに増額。毎年百万ユーロずつ減額されるものの、2012年以降も4000
 万ユーロを下限に助成され続けることになった。
  オーストリアでは、これによって、近いうちに電力の輸入を全て停止し、原発由来の電力
 を完全に排除することができると計算している(この項ここまで『反咳から脱原発ヘ ドイ
 ツとヨーロッパ諸国の選択』若尾祐司・本田宏編 昭和堂 2012年、参考)。


                    -中略- 

 極貧から奇跡の復活を果たした町

  バイオマスの分野で世界をリードするオーストリアでも、とりわけ注目され、世界中から
 年間3万人もの視察が殺到している、とんでもない町がある。ハンガリーとの国境の町・ギ
 ュッシング市だ。市とは言っても、人口は4千に満たない。小高い丘の上に12世紀に建て
 られた古城があり、それを取り囲むように集落が密集。それをさらに取り囲むように小麦畑
 や森が広がっている。ギュッシングはそんな田舎町である。
  なぜ、そんな小さな町がそれほど注目されているのか。それは、20世紀を通して、極め
 て貧しく、西側諸国のなかで最後尾を走っていた町が、気がついてみたら、世界の最先端を
 走っていたからである。
  ギュッシング城と並んで、町を訪れる者の目を引くのが巨大な発電施設。敷地内には、山
 のように木材や、それを砕いたチップが積まれている。ギュッシングには、こうしたバイオ
 マス発電が3基あるほか、30近いバイオマス関連施設があり、町全体の電力や熱をまかな
 っている。
特に熱利用では、ペレットとは異なる仕組みを導入して、バイオマスが占める割
 合を飛躍的に高めている。それが、「地域暖房」という仕組みだ。地域暖房は、発電の際に
 出る排熱を暖房や給湯に利用しようという、コジェネレーションシステムだ。(中略)この
 仕組みによって、ギュッシングでは、なんと、エネルギーの自給率72%を達した。
  もちろん、人口4千という小さな町だから達成しやすかった数字ではあるが、オースト
 リアがいくら先進的とは言っても、国全体でみると木質バイオマスエネルギーの割合はまだ
 10%(日本はわずか0・3%)、世界の他を探してもこれほどの町はほとんど見当たらな
 いからいかに驚異的な数字か分かるだろう。
  この地域暖房の仕組みは、ヨーロッパの他の地域にも、少しずつ広がっている。実は近年、
 日本でもオーストリアにならって、この地域暖房を導入しようという動きが、山形県の最上
 町など、東北地方の、冬寒くて集落が比較的密集している地域で起きている。しかし、それ
 はあくまで役場などの公共施設や旅館などの宿泊施設にとどまり、一般家庭にまではなかな
 か届いていない。
  では、ギュッシングでは、どうして一般家庭も巻き込み、町全体でシステムを組むことが
 できたのか。鍵を握るのが、住民一人一人の決断である。

                    -中略-

 

 エネルギー買い取り地域から自給地域へ転換する

  1990年、ギュッシング議会は、全会一致で、エネルギーを化石燃料から木材に置き換
 えていくことを決定したのである。
 決議のポイントは、単にエネルギー問題として捉えるのではなく、地域経済の再生の切り札
 として捉えていた点である。当時の町のリーダーたちは、地域の外に支払っていたエネルギ
 ー代を試算した。すると、毎年、600万ユーロものお金が流出していた。このお金の流れ
 を変え、地域内で循環させれば、町はもっと潤うのではないか。里山資本主義、誕生の瞬間
 だった。
  一方その頃日本はというと、バブル崩壊前後。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として、
 世界との経済戦争に打ち勝つことができると考えていた時代。グローバル経済を突き進んだ
 先に豊かな未来があると誰もが信じていた。そんな折、どれはどの人があえてグローバル経
 済と一線を画すことを考えていただろうか。
  ギュッシングでは地域発展計画を策定し、1992年には最初の地区で木質バイオマスに
 よる地域暖房を開始。96年には半官半民による「ギュッシンガー地域暖戻社」が設立され、
 より広域に地域暖房網が整備されていった。地下に張り巡らされた熱配管の総延長は35キ
 ロメートルにも及び、市街地と産業施設を網羅した。そして2001年には、コジェネレー
 ションによる発電を開始。国の買い取り制度を利用して売電するようになった。こうした取
 り組みと並行して、太陽光発電や菜種油などの廃油のエネルギー利用などを進め、脱化石燃
 料宣言から10年余りで町は、70%以上の子芋ルギー自給を達成したのである。1990
 年に600万ユーロもの金額を地域外に流出させていたギュッシングでは、2005年の時
 点で、お金の流れは完全に逆転し、地域全体で1800万ユーロもの売り上げを得られるよ
 うになっていた(『百%再生可能へ! 欧州のエネルギー自立地域』滝川薫編著 学芸出版
 社 2012年、参考)。

                    -中略- 



 雇用と税収を増加させ、経済を住民の手に取り戻す

  オーストリアでは、国として脱原子力を決めたときもそうだが、たとえ数百人単位の集落
 であっても、大事なことを決めるときには必ず住民投票を行う。シュトレームでも、住民投
 票で地域暖房の導入を決めた。自分たちで決めたことだから責任も伴う。地域暖房のメンテ
 ナンスは、ガルガーさんを含め4人の住民が交代で行っている。
  燃料となる木材も自分たちで出し合う。ガルガーさんも、それまで放置していた森に入り、
 木を切り出すようになった。木材の買い取り価格は一立方メートルあたり約ヱハユーロ。お
 金は地域暖房の利用料から支払われる。これが安定収入につながった。自分たちの森を通じ
 て、地区に貢献できていることが目に見えるのもうれしいのだという。
  そして、エネルギーの利用料金も自分たちで決めることができる。ガルガーさん一家が、
 2010年の一年間に支払った光熱費は、1242ユーロ。その一方で、燃料となる木材を
 提供したことによる収入は1327ユーロもあった。85ユーロの黒字。わずかではあるが
 これがけっこう誇らしい。
  エネルギーを利用する自分たちがエネルギーの値段を決める。国際的な原油価格が値上が
 りを続けるのを尻目に、シュトレーム地区では、2012年、銀行融資の返済が終了し、利
 用料の値下げを決定した。
 「ギュッシングではエネルギーの値段は自分たちでコントロールしています。だから、世界
 市場の需給に依存しなくてすみます。価格が相場に左右されることもありません」
  こうした仕組みができあがった結果、農業以外、めぼしい産業がなかったギュッシングに、
 安価で安定した熱や電気を求めてヨーロッパ中から企業がやってきた。

                            藻谷浩介 著『里山資本主義』

 




●芝桜に胡桃と蒜添え                                                                                             

大津市におの浜のなぎさ公園の芝桜が咲き誇り、さながらピンクの絨毯という。ランチは水ケ浜
に向かう。戻ってきて「たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学」を録画再生。
テーマは、動脈硬化を予防・改善し血管を若返らせ「くるみ」と血液サラサラ、高血圧予防、疲
労回復、あるいは胃ガン予防効果の「玉葱と蒜」の成分の効能について。企画食品というのは、
クルミとニンニクの粗挽きとオリーブオイル和えペースト」(詳細は紙面都合で割愛)のこと。
オニグルミ(木材用)とカシクルミ(食品用)をこの滋賀に栽培、クルミ廃材及木材をバイオマ
ス燃料とし百パーセントリサイクルさせるという新規な事業企画(これも詳細は割愛)である。
今夜は、この辺までとして、この項のつづきはまた掲載する。

 

 

 

 

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里山アイテムを探せⅡ

2014年04月23日 | 時事書評

 



●ひとは自在に冬眠できるだろうか
 

米カリフォルニア州からハワイに到着した航空機の車輪格納庫から16歳の少年が発見されると
いう出来事があったという。少年の命に別条はないという。航空会社が20日明らかにした。

年が見つかったのはサンノゼ発オアフ島行きのハワイアン航空45便で、20日、航空会社の職
員が発見し、空港の保安員に通報した。少年の身元などは明らかにしていない。
航空会社による
と、米連邦捜査局(FBI)が調べた結果、少年はサンノゼからオアフ島までの5時間以上、車
輪格納庫に隠れて空の旅を続けていたという。
太平洋上を横断する旅客機は通常、高度数万フィ
ート以上の上空を飛行するが、この少年が過酷な環境でどうして無事だったのか、航空会社は分
からないと話している。この巡航高度での寒さと低酸素レベルは76パーセントは死亡するとされ
るが少年は気を失っていたというが、それにしても奇跡的な生還といえるほどの危険な状況に置
かれていたはずだ。一般にこの巡航高度では航空機は零下80度で、酸素は80%も薄くなる。ニュ
ースでは、航空機の車輪格納室はタイヤの摩擦熱や油圧の発熱でそこまでは行かなかったのでは
というものもあるが、気を失っていたというからコールドスリープ状態(体温が20℃まで降下
し、冬眠していた)のではとの解説も流されている。そういえば、例の、小保方伝説?で脚光を
浴びた、 理化学研究所の若山照彦は、死後16年間冷凍保存されていたマウスからクローンマウス
を産み出すことに成功している(これにより、理論的には冷凍保存された人の遺体からクローン
人間を生み出すことが可能がある)。 そのことは横に置いて、ひとが自力(自己制御)で冬眠
状態に
入れないものかと、漠然と思ってみたわけだ。馬鹿だねぇ~。^^;

 

  

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】  

 ●里山資本主義異論

「第1章 世界経済の最先端、中国山地-原価ゼロ円からの経済再生、地域復活」(NHK広島
取材班・夜久恭裕)の庄原市の和田芳治さんのインタービューのつづきから今夜は、第2章の「
21世紀先進国はオーストリア/ユーロ危機と無縁だった国の秘密」に入る。和田さんは高齢者
のことを「光齢者」と読んでいるがこれは、故吉本隆明が「超人間力」と呼んだと丁度対応する
ことを知る。第2章では、営林大国あるいはバイオマス先進国オーストリアの実体がが紹介され
る。そこで、"林業が最先端の産業に生まれ変わっている"というのだ。これは驚きだが、示唆に
富んでいる。しかし、少し熟考すれば21世紀が、医療から林業分野にバイオテクノロジーの進
展時代であることが理解できる。それは、本文で紹介されているヴィントハーガー社のバイオマ
スボイラーの技術開発にも前回の上勝町の「葉っぱビジネス」にも登場するバイオ技術とシンク
ロナイズ進化するデジタル技術である(ここではCADが登場)。日本の営林規模は、オースト
リアと比べ小さいことが、本文で紹介されいる、製材所「マイヤーメルンホフ」社(オーストリ
ア第一)は約3万ヘクタールの森林を所有し、年間130万立方メートルもの木材を供給するが、
日本では、10万立方メートルを超えれば
 大手とみなされるのに対し、実に13倍の規模だ」
との箇所である。これは、農業でも同様だろう。その意味では、その地域・国にあった「最適経
営規模」あるいは「営林規模」を設計していく必要性があるだろう。そういえば、日本ゼネラル・
エレクトリック社が、少量木材でも事業性確保できるイエンバッハ・ガスエンジンイエンバッハ・
ガスエンジンを用いた、木質バイオマスのガス化発電を推進するプロジェクトチームを発足させ
ているし、株式会社タクマでは、低含水率脱水機・省エネ型焼却炉(階段炉)・小型蒸気発電シ
ステムが開発されたと公表されており、小規模でも高性能で高品質なバイオマス事業用危機設備
の開発が着実に花を咲かせ実を結びつつある。

  

 何もないとは、何でもやれる可能性があるということ

  とはいえ、和田さんも最初から田舎暮らしを前向きに楽しんでいたわけではない。
  和田さんの父親は太平洋戦争で戦死、おじいさんも終戦の年に亡くなった。そのため、母
 親と祖母の三人で、山の畑を打っていかざるをえなかった事情がある。和田さんが地元の高
 校を卒業したのは1962年。東京オリンピックを二年後に控え、日本中が高度経済成長に
 ひた走っていた時代だった。同級生58人のうち実に56人が、卒業するや、広島市や関西
 などの都会に就職。残されたのは、郵便局に勤めた友人と和田さんだけだった。和田さんが
 暮らす集落も13軒あったのが四軒にまで減っていた。
 「都会でなければ駄目だ、みたいな流れがずっとありました。楽に暮らせて素敵な人生を求
 める気持ちがあったのだと思います。同級生たちは青春を謳歌している。わしは山の畑で鍬
 を持って耕している。一つ年下で可愛かったあの子は、今ごろ都会で輝いて歩いているだろ
 うという考えがふと頭に浮かび、こんなことをしている自分は何なのだと思うときはありま
 した」

  染みついていた田舎の劣等感をこう振り返る。しかし、その劣等感こそが今にいたる和田
 さんの原動力ともなった。
 「同時に、今にみとれという思いを胸に抱いていました。アンチ東京というのは、『あこが
 れ東京』の裏返しでもあるのですが、そういう思いが私のバネになっています。コンプレッ
 クスは持ちますが、それをバネにするタイプなのです」
  田舎には田舎の、住民も気づいていない魅力があるのではないか。そんな気持ちが芽生え
 たのは、農業とかけ持ちで始めた、役場の町おこしの仕事がきっかけだった。地元で行政批
 判をしていた和田さんは、「そんなにものをいうならお前が町づくりをやれ」と企業誘致を
 任されることになったのだ。しかし、和田さんは企業誘致では生き残れないと感じていた
 「行政が補助金を県や国からもらうとき、広島や東京にどう言うかと言うと、『うちの町は
 いい町だから、何かください』ではなく、『うちの町はこんなに困っている』と言うのです。
 本心だったかどうかは別として、自分の町を既めることによって補助金をもらってくる。で、
 補助金で造るのは、東京や広島など、都市部にあるものの二番飲じか三番煎じばかり。私は、
 これではいつまでたってもビリだと思いました。逆境の地、過疎の地に武器はないかと探し
 たとき、確かに何もない。でも何もないということは、逆に何でもやれる可能性があるんじ
 やないかと思ったのです」

 過疎を逆手にとる

  ある日、和田さんは都会の人向けにアピールできるイベントを企画しろと命じられた。何
 かよいか探し回ったあげく見つけたのが、それまで全く価値に気づいていなかった、ある花
 だった。毎年二月になると、町内のそこらじゆうに咲き、なんでもないと思っていたセツブ
 ンソウ。それが、石灰質の石がごろごろした、夏涼しく早春に光があたる場所だけに咲く、
 日本でも非常に珍しい品種であることを人から教えられたのだ。
  そして開いた、節分草祭り。直径わずか2センチの可憐な姿を見ようと、予想を上回る大
 勢の人が押し寄せ、以後、毎年恒例となった。今では西日本一の自生地として有名にもなっ
 た。この成功体験は、価値がないと思い込んでいたものが実は町作りの武器になる、東京に
 はないものだからこそ、東京とは違う魅力を作っていけるのだと和田さんに悟らせた。田舎
 は雑草に飲み込まれそうになっているというけれど、よくよく見れば、その雑草こそ、ぴか
 ぴかの宝物だった。
  里山の魅力に自信を持てるようになった和田さん。今から約30年前、1982年に立ち
 上げたのが、「過疎を逆手にとる会」だった。その名の通り、過疎だからこそできる町づく
 りを考える集い。「この指止まれ」と呼びかけた。すると、総領町だけでなく、近隣の市町
 村で地域づくりに取り組む人々が応えた。
 「それまでは変な話、私ばかりが飛び跳ねていたので、町づくりをやろうといっても、誰も
 やっていないじやないかとか、お前だけがやっているじやないかとか言われていたんです。
 総領町だけでなくて、この近辺の町作りに関心がある人をみんな起こして、町づくり競争が
 起きれば、私がかすんで足を引っ張られることも少なくなるのではないか、という単純な思
 いもありました」
  この言葉には、過疎地で町おこしをしていくことの難しさを感じる。昔ながらの保守的な
 風潮が強い田舎では、目立つ行動に対するやっかみも多いのだ。しかし、和田さんは、そう
 したやっかみすらもエネルギーに変えていった。
 「時代的には僕たちはあくまで傍流の位置にいるんです。主流はやっぱり都市なんですね。
 しかし、傍流、逆境が私のエネルギーです」
  そのような経験によってなのか、生来なのか、和田さんは、どんなネガティブな言葉も前
 向きに解釈し、いいように作りかえる。田舎暮らしをマイナスのイメージで捉えるのではな
 く、楽しいものだと考えるための言葉遊びだ。
 そんな和田語録をいくつか。
 和田さんは、年をとった人々を「高齢者」とは呼ばない。「光齢者」と呼ぶ。人生いっぱい
 経験して、「輝ける年齢に運した人」たちである。「田舎には、高齢者しかいない」という 
 と「役に立だない人ばかり」というイメージになるが、「光齢者が多い」と言えば、生きる
 名人がたくさんいるのだと考えられる。情けないことなど、何一つないのである。
  省エネも「笑エネ」と書く。つまり、笑うエネルギー。省エネという言葉には、どうして
 も我慢するというイメージがつきまとう。これでは長続きしない。楽しくエネルギーを使お
 うではないか。エコストーブを使えば、みんなで笑いながら火をおこすことができる。笑エ
 ネが出ると、体だけではなく心も温まる。
  そして里山暮らしの仲間は「志民」と呼ぶ。「市民」ではなくて「志を持った人々」。そ
 れは、明治維新で活躍した志士たちのような、行政や政治任せにするのではなくて、人のた
 め、地域のため、社会のために自分で動ける人々。持てる物、出せる物を喜んで出して、喜
 んで汗を流せる人々。笑顔がある人は笑顔、汗が流せる人は汗、知恵がある人は知恵、そし
 てお金がある人はお金。そうした志民が提供する力は「第三の志民税」。直接税、間接税に
 並ぶ、お金ではない大きな力。それが里山を活性化させる。
 「こんな志民運動を、過疎を逆手にとる会などでやっています。もちろん政治が悪い、親が
 悪いということはどの時代でもあります。それでも、自分の人生は自分で作ろうと思ったほ
 うが幸せになれる可能性が高いんじやないかと思って、志民になろうと呼びかけています」

 「豊かな暮らし」をみせびらかす道具を手に入れた

 
  近所の川、田総川に、外来魚のブルーギルやブラックバスが増えていると聞けば、「普通
 は不味くて食べられないと言うが、ひとつ、じっくり調理しておいしく食べようじやない
 か」と、地元の漁協や小中学生と協力して「田総川を丸ごと食べる会」を開く。猪や鹿が麓
 の畑を荒らすと聞けば、そうした害獣を使った新しい鍋を考案し、創作鍋のコンテストに出
 場する。
  逆転の発想で捉えれば、役に立たないと思っていたものも宝物となり、何もないと思って
 いた地域は、宝物があふれる場所となる。そんな里山暮らしの楽しさを訴える活動を続けて
 きた和田さんと仲間たち。
 「なぜ楽しさばかり言うかというと、楽しくなければ定住してもらえないだろうと思ってい
 るからです。金を稼ぐという話になると、どうしても都会には勝てない。でも、金を使わな
 くても豊かな暮らしができるとなると、里山のほうが、地方のほうが面白いのではないかと
 払たちは思っています」
  三〇年という歳月を経て、和田哲学への共感はじわじわと、確実に広がっている。今では
 和田さんの仲間は、北海道から九州・仲繩まで、津々浦々にいて、アイディアを交換しなが
 ら、里山暮らしをどんどん進化させている。
  しかし、都市部の人々を惹きつけるのには、何か決定打がない。そう感じ始めていた20
 11年初頭、出会ったのが、エコストーブだった。
 「どちらかというと今まではイベントなんかを通して里山暮らしの楽しさを伝えていた。今
 度は道具ですから。これを手に入れたことによって、みんなに呼びかける『言い道具』がで
 きたなと思っています」
  以来、和田さんたちは、各地で「エコストーブ講習会」を開くようになった。みんなでワ
 イワイ言いながらストーブを作り、火を囲みながらご飯を炊く。参加した誰もが、エコスト
 ーブの高性能に驚き、炊いたご飯のおいしさに二度びっくりする。
  そうしたなかで発生した東日本大震災。大都市で電気の供給が止まり、物流が止まり、コ
 ンビニからありとあらゆる商品が消えた。これまで当たり前に感じていた何もかもが、実は
 当たり前でなかったことに気づかされた。
  エコストーブ講習会を開いてくれという依頼も増えたし、参加者も増えた。多い日には五
 百人も参加するようになった。被災地・岩手県からもエコストーブの作り方を教えて欲しい
 という依頼が届いている。「便利さばかりを追求してきた日本人が変わり始めている」と和
 田さんは自信を深めている。「
  興味をもってくれる人が増えています。これまでも『脱出暮らし最高』と叫んできたけれ
 ど、なかなかピンときてもらえなかった。しかし、大震災などを契機に、都市での電気頼り、
 電気使い放題の足元がない生き方、食べ物を手に入れることができない暮らしは本当に良い
 のだろうかと思ってくださる方が、少し出たのではないかと思いますね。『金が一番』から、
 『金より大切なものがある』に変わったとき、エコストーブはいい道具になるのではないか
 と思っているのです」
  とは言っても、和田さんは、エコストーブがあれば、原発を止められると考えているわけ
 ではない。
 「『エコストーブを作ったくらいで原発が止まるの?』という言い方をする人がいます。特
 にマスコミで取り上げられたりして、僕たちが大々的にやればやるほど、そういうことをい
 う人がいます。かつての私なら『できる』と言っていたかもしれませんが、このごろは『で
 きません』と答えるようになりました。でも、楽しみながら『笑エネ』、笑いのエネルギー
 を生み出してくれる力がエコストーブにはあると思います」
  将来の子どもにツケを残すことのないようにする。それが和田さんのこれからの目標だ。
  原発を止めることはできなくても、里山では電気使い放題でない暮らしができる。そうい
 う価値に気づいていくことが、21世紀の里出暮らしなのである。

 「町ではどうしても電気使い放題をやらなければいけないけれども、田舎ではある程度、自
 分でエネルギーを確保することができる。そういう生活におもしろさを感じてくださる方が、
 もう一度里山に帰ってきてくれると里山はきれいになるし、町は元気になると思います。地
 方が元気でなかったら、最終的には都市も元気になりませんよ。商工業が発達しても、買い
 手の農民が周りにいなければダメだし、経営者が儲けても、消費してくれる国民が豊かでな
 ければ、その経済は保証できないんです」
  夕暮れを迎えると、和田さんがかつての牛小屋を改造した「里山暮らしの拠点」に次々と
 仲間が集まってくる。そうしたら囲炉裏を囲んで宴会だ。もちろんエコストーブの上には、
 ピカピカのご飯が炊ける釜。川で採れたカワニナの味噌汁。山菜たっぷりのピザが並ぶ。
  そうそう、和田さんには言葉遊びに勝るとも劣らない特技がある。それは歌。自分で作詞
 作曲してしまうのだから舌を巻く。そんな和田さんによる、里山暮らしを賛美するバリトン
 の歌声が、今夜も山里の小屋に響きわたる。
  「♪あなたの汗に乾杯! あなたの笑顔に乾杯! 声を合わせて、心一つに、かんぱ~
 い!」
  楽しい乾杯のあと、笑い声の絶えない宴の席で、和田さんはきょうも自らの根本をなす持
 論を語る。
 「息子やむすめたちに、努力に努力を重ねてふるさとを捨てさせるのは、もうやめにしたい。
 田舎に残った自分はだめだから、自分のようにならないで欲しいという自己否定は終わりに
 したい。そうではない時代が、幕を開けつつあるのだから」


 第2章 21世紀先進国はオーストリアーユーロ危機と無縁だった国の秘密
                
                          (NHK広島取材班・夜久恭裕)

 知られざる超優良国家
 
  2009年10月、ギリシャで巨額の財政赤字が発覚したことが引き金となって始まった
 ユーロ危機。イタリア、スペインに飛び火し、ヨーロッパ中が大混乱に陥った。
  そうした中、いや、そうした中だからこそ、ありあまったマネーはヨーロッパに向かった。
 ヘッジフアンドたちは一斉に、CDSと呼ばれる国債に連動する金融商品を買いあさった。
 「市場の評価」という大義名分を掲げ、ギリシャやイタリアなどの国債を売り浴びせ、国債
 を暴落(金利は上昇)させた。これによって、各国では、緊縮財政を余儀なくされ、高い失
 業率にあえぐ庶民をよりいっそうの苦しみへ追いやった。当のヘッジフアンドたちは、そう
 した状況を尻目に、高級ワインで祝杯をあげているのである。マネーのモンスターはとうと
 う国家の価値すらも食い物とし始めた。
  マネーの嵐が吹きすさぶヨーロッパのど真ん中に、その影響を最小限に食い止めている国
 がある。それがオーストリアだ。
  オーストリアと言われて何を思い浮かべるだろうか。モーツァルトやシューベルトを生ん
 だ音楽の国? ザッハトルテに代表されるチョコレートの国? いやいや、実はそれだけで
 はないのである。経済の世界でも、オーストリアは実に安定した健康優良国なのだ。
  それは数々の指標が物語っている。ジェトロが公表しているデータ(2010)によれば、
 失業率は、EU加盟国中最低の4・2%、一人当たりの名目GDP(国内総生産)は4万9
 688米ドルで世界11位(日本は17位)。対内直接投資額は、2011年に前年比3・
 2倍の101億6300万ユーロ、対外直接投資額も3・8倍の219億500万ユーロと、
 対内・対外ともにリーマンショック直前の水準まで回復した。
  では、なぜ人ロ一千万に満たない小さな国・オーストリアの経済がこれほどまでに安定し
 ているのか? その秘密こそ、里山資本主義なのだ。
  オーストリアは、前章にみた岡山県真庭市のように、木を徹底活用して経済の自立を目指
 す取り組みを、国をあげて行っているのである。
  国土はちょうど北海道と同じくらいの大きさで、森林面積でいうと、日本の約15%にす
 ぎないが、日本全国で一年間に生産する量よりも多少多いぐらいの丸太を生産している。知
 られざる森林先進国・オーストリアの秘密を探っていこう。
  オーストリアの人々は、最も身近な資源である木を大切にして暮らしている。
  昔ながらの里山の暮らしが見られると、オーストリア北部の村・ラムザウを訪ねた。アル
 プスの山々の麓に、チロル風の伝統建築がぽつりぽつりと並ぶ、牧歌的な風景。ほとんどの
 家庭が、冬場のスキー客を目当てにペンションを営みながら、牛を飼い、羊を育てる生活を
 送っている。
  どの家にも、軒先には薪が積み上がり、料理も、暖房も、薪を使って火をおこす。
  「薪のオーブンで肉料理を作るととってもおいしいの」。奥さんは自慢げだ。
  週に一回、昔の木こり小屋に仲間を集め、ヨーデルを歌いながら、木こりの朝食を食べる
 ご老人。庄原の和田さんをオーストリアで見つけた気分だった。
  昔も今も変わらぬ暮らしが続いているのだと感心していると、意外な話が飛び出した。
 「こうした暮らしを再発見したのはほんの数年前ですよ。オーストリアでも10年前までは、
 ガスや石油が主力のエネルギーでした」
  冬に備えて所有する林の木を切り倒し、薪にしていた男性。高く債み上がった薪の山を前
 に誇らしげに語った。
 「これだけあればエネルギー危機が起きても安心です」


 
 林業が最先端の産業に生まれ変わっている
 
  四年に一度、このオーストリアの山里に、世界中から視察団が訪れる。世界最大規模の林
 業機械の展示会「オーストロフォーマ(austroforme)」からだ。展示会といっても、日本の
 張メッセや有明コロシアムで開かれるのとは規模が違う。一つの山を丸ごと展示場として利
 用する。オーストリアが誇る、本の資源を活用するための最先端の技術がずらりと 並ぶ。
  2011年、私たちが取材に訪れたときも、日本からも百人規模で木材産業関係者が訪れ
 ていた。



  ヨーロッパでは、スウェーデンやフィンランドといった北欧でも林業が盛んだが、これら
 の国々では平地にある森で営まれるため、険しい山を持つ日本にとっては、その技術は参考
 にしづらい。しかし、アルプスを抱えるオーストリアの山々は日本と同じように切り在って
 いて、そこで培われた技術は、日本にも導入しやすいそうである。
  オーストロフオーマには、およそ百社が出展しており、日本では決して見ることができな
 い最新鋭の機械が実際に作業の様子を見せながら、その能力を披露する。
  タワーヤーダーと呼ばれる、ロープを張って山の上から大量の木材を一度に下ろすことが
 できる最新の機械や、木材を次々とチップに加工するチッパーと呼ばれる機械など、丸二日
 かけて、へとへとになりながらも山を歩き回るうち、オーストリアで新しい機械や技術がど
 んどん開発され、日本人が知らないうちに林業が最先端の産業に生まれ変わっていることを
 思い知らされる。
  久しく斜陽産業とみなされてきた、日本の林業関係者たちは、一様にため息をついていた。

 里山資本主義を最新技術が支える

 
  次に訪れたのは、オーストリア屈指の製材所「マイヤーメルンホフ」社。オーストリア第

 一の都市グラーツ郊外のレオーベンという町に所在する。約三万ヘクタールの森林を所有し、
 年間130万立方メートルもの木材を供給する。日本では、10万立方メートルを超えれば
 大手とみなされるのに対し、実に13倍の規模だ。この会社では、山から木を切り倒すとこ
 ろから、加工、そしてバイオマス利用まで幅広く手がける。人口2万5千という小さな町の
 経済をがっちり支えているのである。ちなみに、レオーベンでは、ゲッサービールとい
うオ
 ーストリアで最も人気ある地ビールが製造されているが、その熱源は、マイヤーメルンホフ
 
社がバイオマス発電する際にでる熱水をパイプラインでつないで利用しているという。
 「マイヤーーメルンホフ」の売りは、製材規模や発電施設もさることながら、あの真庭でも
  利用が進んでいるペレットを、町全体で活用するシステムだった。
  面白いものが見られると案内されたのは敷地の一角にあるヨーロッパ有数のペレットエ場。
 年間、6万トンが生産されるという。
  しかし、彼らが見せたかったのは工場そのものではなく施設に横付けされていたタンクロ
 ーリーだった。運ぶのはもちろん石油ではなく、ペレット。しかも、個人宅に配送している
 という。ペレットは小さくて軽いので、さながらガソリンのように運搬することができるの
 だ。
  こうなったら実際にペレットを利用しているお宅も見たくなる。お願いして、この日の配
 達先の一軒にお邪魔することができた。快く受け入れてくれたのはペーター・プレムさん。
 4年前に家を新築したのを機にペレットボイラーを導入した。到着したタンクローリーは、
 2本のホースをプレムさん宅の貯蔵庫につなぐ。
 「よ~く、見てな!」運転手の呼びかけと同時に、機械が駆動、一方のホースを通って、勢
 いよくペレットが貯蔵庫に流し込まれた。その傍ら、もう一本のホースが、貯蔵庫からペレ
 ットの燃えかすを勢い良く吸い上げていた。
  私たちが唖然としていると、気をよくしたプレムさんが家の地下へと招き入れてくれた。
 そこに鎮座していたのは人の背丈ほどもある四角い機械。これがペレットボイラーだった。
 そして、なんと先ほど見たペレット貯蔵庫から地下のボイラーまで、機械制御による全自動
 でペレットが必要な分だけ供給される仕組みだというのである。さらにボイラーで沸かされ
 たお湯は、家全体に張り巡らせたパイプによって、各部屋に送り込まれ、床暖房や給湯に使
 われる。つまり、住人はペレットに全く触れることなく、スイッチーつで利用できるしかけ
 なのだ。
  プレムさんによれば、1シーズンに購入するペレットは5トン。1トン当たり219ユー
 ロなので、しめて約1100ユーロ(約て2万円。執筆時のレートによる)。これで、延べ
 300平方メートル分の暖房と給湯をまかなっている。以前は電気を利用していたが、費用
 ほとんど変わらないそうだ。地元の木材を利用することに魅力を感じてペレットを導入した
 プレムさん。「なにより、灯油のような臭いが全くしないのがいいよ」と笑ってみせた。


 
 合い言葉は「打倒! 化石燃料」

  ペレットを快適に利用する、オートメーションシステムができあがっていたオーストリア。
 続いて、ボイラーメーカーを訪ねた私たちを待っていたのは、何か何でも化石燃料に取って
 代わってやろうという、気迫の現場だった。
  ここは、世界遺産に登録された街・ザルツブルク。その15キロ郊外にある、ヴィントハ
 ーガーという会社。
  玄関にずらり並んでいたのは、白を基調としつつも赤や青、グレーとのパイカラーがハイ
 センスなボイラーたち。ヴィントハーガー社が作るペレットボイラーは、リビングに置いて
 も無粋でない美しいデザインが特徴だ。日本でも有名な、オフロードバイクのメーカーがデ
 ザインを手がけている。目をひくのは、前面に取り付けられたガラス窓。そこからはペレッ
 トがぱちぱち燃える様子を見ることができる。暖炉があった頃の記憶が今も刻み込まれてい
 るオーストリアの人々。こうして炎が見えることが安らぎにつながるのだという。
  しかし、肝心なのはその心臓部。燃焼機関の開発ルームでは、20名ほどの技術者たちが、
 モニターに映し出されたCAD画像を見ながら、活発に議論していた。みな、オーストリア
 の片隅から、世界最先端の技術を生みだそうという気概に溢れていた。
  チーフエンジニアの男性が「企業秘密なんだけど」と前置きしつつも、その驚きのテクノ
 ロジーを解説してくれた。この会社では1998年からペレットボイラーの開発に着手した。
 以来、力を入れてきたのは、燃焼効率の向上と排ガスの抑制だという。
  ペレットボイラーは、木を熱して出る炭化水素と酸素を混合させて燃焼させる。その燃焼
 温度がポイント。高すぎても低すぎてもいけない。そのため酸素を混ぜるタイミングを一次、
 二次と2段階に分けたり、炭化水素と酸素の混合割合を調整したり、試行錯誤を重ねた。こ
 れによって、排出される一酸化炭素や炭化水素も極限まで減らすことに成功した。
  こだわりは、ペレットが燃え尽きたあとに排出される灰をとことん減らすことにも振り向
 けられた。
  客がどんな材質のペレットを使っても柔軟に対応できるように技術者たちは何年もかけて、
 森にある樹木や廃材など、いろいろな木の種類を調べることから姶めたという。その結果、
 どんな燃料なのか自動で判断する技術が完成、灰を0・5%以上出さないようにすることに
 成功した。「私が入社した三〇年前、会社では薪ストーブを作っていましたが、その燃焼効
 率は、60%程度でした。それが、今では、92~93%という極めて高い燃焼効率の実現  
 に成功しました」
  今や、ペレットボイラーは、石油を上回るコストパフォーマンスを実現したという。
  燃焼効率が向トしたことで、灯油1リットル分の熱量は、2キログラムのペレットで得ら
 れる。これを値段で比較するとどうなるか。私たちが取材した時点で、灯油1リットルはお
 よそ80セント。これに対し、同じ熱量分のペレットは、半分のおよそ40セント。つまり、
 ペレットは石油の倍のコストパフォーマンスを発揮できるのである。しかも、この差は、近
 年の原油高によってさらに開きつつある。
   もちろん、燃料代だけを比較するのは不公平だ。残念ながら、ペレットボイラー本体は、
 油を使うボイラーよりまだまだ高額だ。ヴィントハーガー社の標準的なボイラー1台の値段
 は、一万ユーロ(執筆時のレートで、日本円でおよそ127万円もするが、これ1台で、全
 ての部崖の暖房と給湯がまかなえ亘。石油ボイラーとの価格差は、3千~4千ユーロある。
  しかし、その差がなくなるのも時間の問題だというのが、ヴィントハーガー社の見立てだ。
 オーストリアではペレットボイラーに対し大幅な助成を行っているのを追い風に、メーカー
  各社がボイラーの低価格化に全力を傾けている。もうあと数年もすれば、本体の価格は全
 く問題にならなくなると技術者は胸を張った。
  実際、オーストリア国内のボイラーのシェアでもその兆候は見て取れる。
  10年前、石油ボイラーの販売は年間およそ3万5千台。ペレットボイラーはほとんどな
 かった。今も、ペレットボイラーの販売は年間1万台弱だが、ヴィントハーガー社で は5
 年後には、これを年間3万5千台にまで押し上げる目標を掲げている。
  そして、オーストリアを含む西ヨーロッパ全体に目を向けると、400万台の暖房器具が
 あり、そのうちバイオマスボイラーはまだ10万台にすぎない。
 ヴィントハーガー社は、今後10年の間に、これが50万台、百万台に増えると確信してい
 るという。
 「燃焼効率という点では、改善の余地がないほど技術は完成しつつあるので、今後は誰もが
 ボイラーを買える値段にしようとあらゆる努力を重ねています。ペレット業界はとっくにヨ
 チヨチ歩きの段階は終わっているのです。いずれ間違いなく、エネルギー供給の重要な柱と
 なるでしょう」
  完璧なものを作ろうとする技術者たちの熱い思い。オーストリアは、もともと、世界的に
 高い技術力を誇るドイツ自動車の部品製造などで発展してきた国である。従って、基礎的な
 技術レベルは非常に高い。ペレットボイラーは、ヨーロッパでドイツ人の次にきまじめと言
 われる、オーストリア人の気質の産物なのである。
  かえり見れば日本人ももちろん、こつこつと技術を磨くことにかけては世界トップクラス。
 その物づくりの精神こそが世界第11位の経済大国に押し7げた。
  他のどこの国もやっているような大量生産・大量消費型の技術ではなく、一足先に、身近
 な資源を活かす技術を極めつつあるオーストリア。日本も彼らと同じ造を歩むという選択肢
 もあるのではないだろうか。

                            藻谷浩介 著『里山資本主義』

 

 

 

 

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里山アイテムを探せⅠ

2014年04月22日 | 時事書評

 

 

 今夜はグリーンな話

 

 

  

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】  

 ●里山資本主義異論


さて、今夜は、徳島の上勝町「葉っぱビジネス」の事例考察から、岡山は真庭市の「バイオマ
ス発電・バイオマスボイラービジネス」の事例を見てみよう。ここでのフロント・ランナーは
銘建工業の中島浩一郎代表取締役社長。その彼が「原発一基が一時間でする仕事を、この工場
では一ケ月かかってやっています。しかし、大事なのは、発電量が大きいか小さいかではなく
て、目の前にあるものを燃料として発電ができている、ということなんです」という言葉を残
している。蓋し名言。バイオマス発電については多少知識もあり、先日も、高取山(多賀町)
の桜祭りで知人のイベント「ふれあい足湯」に取材に立ち寄ったさい、参画しないかと誘いが
あったが、自身が計画中の太陽光発電プロジェクトの「太陽道」(サンロード)の方に手が取
られ、興味があるもののお断りしているが、木質ペレット燃焼ガス中のタールが課題であるこ
とも承知の上である(解決できるだろうと思っている)。そんなこともあり、「第1章 世界
経済の最先端、中国山地-原価ゼロ円からの経済再生、地域復活」(NHK広島取材班・夜久
恭裕)を読み進めてみたが、先駆的なドイツの取り組みなどがあり異論はない。また、広島は
庄原市の和田芳治さんの「里山を食い物にする」「里山アイテム」の件は大変印象的だった。
「アイドルを探せ!」ならぬ「里山アイテムを探せ!」、これは面白い!
 

 

 21世紀の"エネルギー革命"は山里から始まる

  東京電力・福島第一原発の事故のあと、誰もが関心を持つようになった「エネルギー」。
 といっても、脱出資本主義が語るエネルギー問題は、「自然エネルギーに切り替えて脱原
 発を実現しよう」といった、よくある話ではない。20世紀、日本人が当たり前に持って
 きたエネルギー観を根底から覆そうではないか、という話をしていきたい。
  舞台は、岡山県真庭市。岡山市内から車で北へ向かうこと一時間半。標高1千メートル
 級の山々が連なる中国山地の出あいにある町だ。ここで日本でも、いや世界でも最先端の
 エネルギー革命が進んでいる。 
  真庭市は、2005年に周囲の九つの町村が合併してできた、岡山県内でも屈指の広さ
 を持つ。しかし、人口は5万に過ぎず、その面積のハ割を山林が占めるという、典型的な
 山村地域だ。
 「ようこそ木材のまちへ」。国道沿いの看板が、訪れる人を誇らしげに出迎えてくれる。
 地域を古くから支えてきたのが、林業と、切り出した木材を加工する製材業。市内を車で
 走れば、丸太を山盛りに積んで走るトラックと次々すれ違う。あちこちに木材を高く積み
 上げた集積所を見かける。
 市内には大小合わせて30ほどの製材業者がある。どこも、数十年来出口の見えない住宅
 着工の低迷にあえぎながら、厳しい経営を続けている。もちろん、木材産業が厳しいのは、
 真庭市に限った話ではない。全国的にみれば、1989年に1万7千あった製材所の数は、
 20年間右府下がりを続け、2009年には、7千を切っている。
 それほど厳しい製材業界にあって、「発想を180度転換すれば、斜陽の産業も世界の最
 先端に生まれ変われる」と息巻く人物が真庭市にいる。交じりけのない、真っ白でさらさ
 らの髪がとても印象的な人物。還暦を迎えたばかりの、中島浩一郎さんである。
 中島さんは、住宅などの建築材を作るメーカー、銘建工業の代表取締役社長だ。従業員は
 二百名ほど。年間25万立方メートルの木材を加工。真庭市内の製材所で最大、西日本で
 中国山地も最大規模を誇る製材業者の一つである。
  そんな中島さんが、1997年末、建築材だけではじり貧だと感じ、日本で先駆けて導
 入完成した秘密兵器が、広大な敷地内の真ん中に鎮座する銀色の巨大な施設だ。高さは十
 メートルほど。どっしりとした円錐形のシルエット。てっぺんからは絶えず、水蒸気が空
 へと上っている。

  これが今や銘建工業の経営に欠かすことができない、発電施設である。
  製材所で発電? エネルギー源は何? この問いにピンとくる方は、かなり自然エネル
 ギーヘの関心が高い方といえる。答えは、製材の過程ででる、木くずである。専門用語で
 は「木質バイオマス発電」と呼ばれている。
  山の木は、切り倒されると、丸太の状態で工場まで運ばれてくる。工場で樹皮を剥ぎ、
 四辺をカットした上で、かんなをかけて板材にする。その際にでるのが、樹皮や木片、か
 んなくずといった本くずである。その量、年間4万トン。これまでゴミとして扱われてい
 たその本くずが、ベルトコンベアで工場中からかき集められ、炉に流し込まれる。炉の重
 い鉄の扉を開けてもらう。灼熱の炎が見え、火の粉が勢いよく噴き出す。むわっと熱気で
 顔がひりつく。
  発電所は二四時間フルタイムで働く。その仕事量、つまり出力は一時間に二千キロワッ
 ト。一般家庭でいうと、二千世帯分。それでも百万キロワットというとんでもない出力を
 誇る原子力発電所と比べると、微々たる発電量である。
  こうした話になると、とりわけ震災後は「それで原子力発電がいらなくなるのか?」と
 いった議論ばかりされるが、問題はそこではないのだ、と中島さんは語気を強める。
 「原発一基が一時間でする仕事を、この工場では一ケ月かかってやっています。しかし、
 大事なのは、発電量が大きいか小さいかではなくて、目の前にあるものを燃料として発電
 ができている、ということなんです
  会社や地域にとってどれだけ経済効果が出るかが大事、なのだ。
  中島さんの工場では、使用する電気のほぼ百%をバイオマス発電によってまかなってい
 る。つまり、電力会社からは一切電気を買っていない。それだけでも年間一億円が浮く。
 しかも夜間は電気をそれほど使用しないので、余る。それを電力会社に売る。年間五千万
 円の収入になる。電気代が1億円節約できた上に、売電による収入が5千万円。しめて、
 年間で1億5千万円のプラスとなっている。
  しかも、毎年4万トンも排出する木くずを産業廃棄物として処理すると、年間2億4千
 万円かかるという。これもゼロになるわけだから、全体として、四億円も得しているのだ。
  1997年末に完成したこの発電施設。建設には10億円かかった。当時、日本はバブ
 ル崩壊後のいわゆる「失われた10年」に突入していた。建築用材の需要もますます低迷
 し、中島さんの会社は初めての赤字を経験。そんななかで銀行に持ちかけた、エコ発電所
 建設の話に、銀行の融資担当はあきれたという。設備投資といえば、まだまだ事業拡大に
 振り向けるのが常識だったからだ。
 「銀行からは、電気ではなくて、たとえば生産規模を上げるための設備とか、加工度を上
 げる設備とか、投資先は他にいくらでもあるだろうと言われました。エネルギーなんてい
 うものは、最優先ではないでしょう、そういう言い方でした」
 ましてや、電力会社に電気を売る日が来るとは誰も想像していなかった時代だ。それでも、
 中島さんはなんとか銀行を説得し、発電事業に乗り出した。しかしすぐには、売電できな
 かった。
 「買い取り価格が割に合わなかったからです。電力会社は、電気は買うとはいうのですが、
 1キロワット3円だというんです。あまりに安く、なぜ3円なのかと聞くと、電力会社が
 運転する石炭火力の発電所は燃料が一番安い。おたくの電気を買うと、使用する石炭が減
 る。カウントするのはその減った分だけだと言われたんです」
 いったんは自家用のためだけに発電を始めた中島さん。しかし、時代はすぐに追いついた。
 2002年、電力会社に自然エネルギーの導入を義務づける法律が成立。これによって、
 逆に電力会社から売電を求められるようになり、価格は一気に利益が見込める九円に上昇。
 ようやく、売電にも乗り出せた。
 私たちが取材に訪れた時点で、バイオマス発電導入から14年。減価償却はとっくに終え
 十分すぎるくらい元を取った。でもまだまだ現役だという。木材は、石油や石炭で発電す
 るのに比べずっと炉に優しく、メンテナンス業者が驚くほど傷みが少ないという。
 こうして中島さんの会社の経営は持ち直した。時代の最後尾を走っていると思われていた
 製材業。しかし、再生のヒントは、すぐ目の前にあったのだ。
 農林水産業の再生策を語ると、決まって「売れる商品作りをしろ」と言われる。付加価値
 の高い野菜を作って、高く売ることを求められる。もしくは大規模化をして、より効率よ
 く大量に生産することを求められる。
 そこから発想を転換すべきなのだ。これまで捨てられていたものを利用する。不必要な経
 費、つまりマイナスをプラスに変えることによる再建策もある。それが中島さん流の、経
 営立て直し術だったのだ。


Log Boiler Navora Cutawayバイオマスボイラー


 石油に代わる燃料がある

 木くずで発電して経営を立て直そうという発想もすごいが、中島さんの驚きの挑戦はまだ
 まだこんなものではない。
 製材工場から出る木くずは先に述べたように年間4万トン。実は、発電だけでは使い切れ
 ない。そこで思いついた使い道が、また革命的だった。かんなくずを直径6または8ミリ、
 長さ2センチほどの円筒状にぎゆっと固めて、燃料として販売することにしたのである。
 木質ペレット、もしくは単にペレットと呼ばれる。
 使うには専用のボイラーやストーブが必要になるが、灯油と同じようにペレットを燃料タ
 ンクに放り込めばいいという、手軽さだ。
 しかも、コストパフォーマンスがすこぶる良い。灯油とほぼ同じコストで、ほぼ同じ熱量
 得ることができるそうだ。石油を中心に据えてきた、20世紀のエネルギーに取って代わ
 る可能性を秘めた、21世紀紀の燃料なのである。



 銘建工業は、このペレットを1キロ20円ちょっとで販売する。顧客は全国に広がり、一  
 部は韓国に輸出されている。特に、お膝元の真庭市内では、一般家庭の暖房や農業用ハウ
 スのボイラー燃料として、急速な広がりを見せている。
 背景には、行政の強力な後押しがある。真庭市には、なんとバイオマス専門の部署、その
 名も「バイオマス政策課」があり、もともと民間主導で始まった取り組みを支援している。
 木材以外大きな産業のない町として、とことん木材で活路を見出していくしかないと腹を
 くくった。
 まず公共施設が手本になろうと、地元の小学校や役場、そして温水プールなどに次々とペ
 レットボイラーを導入。2011年、美作檜として知られる地元産のヒノキをふんだんに
 使った新庁舎に生まれ変わった真庭市役所では、ペレットは暖房としてだけでなく、冷房
 にも使われている。ボイラーで冷房、というと素人には不思議な気もするが、吸収式冷凍
 機という仕組みを使う。水を熱して蒸発するときに周囲から熱を奪い去るのを利用して冷
 房を行うそうだ。木材を燃やして暖房だけでなく冷房もできるとは、木材の可能性おそる
 べしである。
 行政の支援はそれだけではない。そうはいってもまだ値が張るペレット専用のボイラーや
 ストーブ。家庭や農家が買う時、補助金を出すことにしたのだ。個人宅用ストーブで最高
 13万円、農業用ボイラーなら最高50万円。ペレットボイラーを販売する店も市内に登
 場し世界経済の最先端、中国山地た。国道を車で走っていて、「ペレットボイラー販売」
  という看板を見かける町が他にあるだろうか。
 民間主導で始まった新しい取り組みに対し、行政が予算措置も含めて後押しする。ここが
 真庭の成功を語る上で重要なポイントである。



 エネルギーを外から買うとグローバル化の影響は免れない

 ペレットの導入でどれだけ経済的なメリットが生み出されるのか。真庭市内で専業農家を
 営む、清友健二さんを例にみていきたい。
 自らを「農民」と呼ぶ詩友さんは、トマトを主力にさまざまな野菜をてがける。作った農
 産物は大手の流通にはのせず、全てを地元の道の駅や、家族で運営する直売所などで販売
 している。地産地酒にとにかく熱心。まさに里山資本主義の実践者である。
  しかし、海外から安い農産物の流入もなければ産地間の厳しい競争もなかった江戸時代
 と違い、ぷ現代の農民〃が専業で食べていくには、たいへんな手間隙と創意工夫が求めら
 れる。
 そこで清友さんが取り組むのが、トマトのハウス栽培。寒い季節でもおいしいトマトを作
 ることで、高い付加価値を生み出してきた。
 トマトは室温が12℃を下回ると病気にかかり、ダメになってしまうときいた。農業を近
 代化させれば、当然熱エネルギーが大事になってくる。
 「エネルギーをかけずにすむならそれに越したことはないけど、旬だけの野菜では農民は
 暮らしていけないんです。旬より早いときにニーズがあるものを作っていかなければ、専
 業では決して食べていけません」
 今や私たちの生活の隅々にまで浸透したグローバル経済。いくら農産物は地産地消でもそ
 れを作るためのエネルギーを地域の外から買っていると、グローバル化の影響は免れない。
 清友さんがペレットボイラーを導入するきっかけとなったのは、2004年から世界を襲
 った原油価格の高騰だった。
 当時、清友さんは重油式のボイラーを使っていた。しかし原油の価格は、四年間で三倍と
 いう異常な上昇を続けた。このまま燃料代が上がり続けたらどうなるのか。そんな不安に
 さいなまれた清友さん。試しに設定温度を1~2℃下げてしまった。
 結果、瞬く間にトマトに病気が広がりほぼ壊滅。経営に大打撃をこうむった。
 途方に暮れていた清友さんの耳に飛び込んできたのが、地元も地元、自分の畑の目の前に
 ある銘建工業という企業がペレットなる燃料を作っているという情報だった。
 「当初は、ペレットボイラーは、重油ボイラーに比べて値段が高いので二の足を踏んでい
 たんですが、このままではじり貧になると思いまして」
 行政の補助もあると聞き、思い切ってペレットボイラーを導入した。効果は絶大だった。
 1キロ20円というコストパフォーマンスはもちろんだが、何より燃料代が上下しないの
 だ。「作付けをした後に重油の値段が上がったら、計画が立たないですから。燃料代が上
 がったからと言って、トマトを高く売るわけにいきません。ペレットは、この値段でずっ
 ともらえるだけで計画が立つようになりました。このくらいのお金で今月このくらい払え
 ば大丈夫だろうと。それがありかたい」
 2012年、清友さんは行政の補助を受けずに、三台目のペレットボイラーを導入した。
 世界的な原油価格は、商品先物市場での取引価格を重要な指標としている。その先物市場
 は、もともと将来的な価格の変動に影響されずに経済活動が営めるように生まれたものと
 されているが、今や短期の利ざやを狙った投機マネーが流人し、価格が乱高下するように
 なった。実際の需要を遥かに超えるマネーの出入り。それは、長期的な視点に立った堅実
 な農業を営もうとする清友さんたちにとってはモンスター以外の何物でもない。
 実は私たちが日常生活で利用するエネルギーのうち、大半は熱利用が占めている。資源エ
 ネルギー庁が出す「エネルギー白書(2012年)」によれば、2010年度の家庭部門
 のエネルギー利用の内訳は、動力や照明など、主に電気でまかなえるものは34・8%な
 のに対し、暖房26・8%、給湯27・7%、厨房7・8%、冷房2・9%と、熱利用が
 ほとんど、を占めているのである。熱を制する者は子芋ルギーを、そして経済を制する。
 真庭市では、銘建工業の木くずによる発電に加え、ペレットの熱利用に目を向けたことが
 エネルギー自給の割合を大きく高めることに貢献した。
 市の調査によると、全市で消費するエネルギーのうち実に11%を木のエネルギーでまか
 なっているという。11%と聞いて、それほど大きくないと感じる読者もいるかと思うが、
 日本全体における太陽光や風力も含めた自然エネルギーの割合はわずかI%。それと比較
 すると実に10倍。しかもその割合は増え続けている。

 1960年代まで、エネルギーはみんな山から来ていた

 山の木を丸ごと使って、電気や石油など地域の外からのエネルギー供給に頼らなくても済
 む地域を目指す真庭市。しかしそれはつい最近まで日本人の誰もがやっていた営みを現代
 の技術で蘇らせようとしているにすぎない、と本のエネルギー利用をりードする中島さん
 は指摘する。
 1960年代に入るまでは、エネルギーは全部山から来ていたんです。木炭や枯れ葉も拾
 ってきて燃料にしていたのですから。それを、日本全体でやるというのは、無理がありま
 すが、地域によっては子芋ルギーの一翼を木材が担う、ということはできると思います」
  古来、日本人は山の木を利用することに長けていた、と中島さんは言う。
  裏山から薪を切り出し、風呂を沸かし飯を炊く。山の炭焼き小屋で作られた木炭は、太
 平洋戦争後、石油や都市ガスに取って代わられるまで、重工業や都市部の一般家庭のエネ
 ルギー源としても重宝されてきた。戦時中には、民間における原油の消費を抑えるため、
 木炭自動車なる車まで走っていた。
  山の木を徹底して活用しようという日本の知恵は、国土面積の66%が森林というこの
 豊富な資源を存分に活かすなかで育まれてきたといってよい。
  とりわけ中国山地は、その最先端の地であった。
  それは「だたら製鉄」とともに発展した。少なくとも平安時代にさかのぼることができ
 るたたら製鉄。中国山地で豊富に採れた良質の砂鉄を原料に、鉄を精錬する。「たたら」
 と呼ばれるふいごを使って風を送ることからその名が付けられた。宮崎駿監督のアニメ映
 画「もののけ姫」で、山の神々と戦う「タタラの民」と呼ばれる人々が営んでいるのがた
 たら製鉄だ。女性たちが数人がかりで、力いっぱいふいごを踏んでいたシーンを記憶して
 いる方も多いだろう。今でも島根県、出雲安来地方では、実際にたたらによって製鉄が行
 われ、日本刀など、刃金を製造している。
  このたたら製鉄では、多量の木炭を燃料として用いた。無計画に木を伐採すると瞬く間
 に山ははげ山になってしまう。実際近世以前には、見るも無残なはげ山となってしまった
 山も多かったという。



  近世以降、中国山地の山々が、たたら製鉄を中心として里山化していった歩みについて
 は有岡利幸氏の著書『里山Ⅰ』(法政大学出版局 2004年)に詳しい。
  たたら製鉄は藩から許可された「鉄師」と呼ばれる業者によって営まれた。彼らは藩有
 地を炭用の山として分け与えられ、森林の育成や管理を任されていた。また炭焼きのため、
 「焼子」と呼ばれる専業の人々を大勢抱えていたという。
 たたら一か所で一年間に消費する木炭は450~750トン。それだけの木炭を確保する
 ためには、およそ40ヘクタールの山林を必要とした。当時、木炭には、コナラやクヌギ
 などの広葉樹が用いられたが、そうした木々はほどよい太さに育つまで30年かかったた
 めたたら一か所の運営にて百ヘクタールもの広大な山林が求められた。
  ちなみに広葉樹は、伐採した翌年にはもう伐り跡から芽吹き、再生が始まったため、炭
  水を伐採しても、すぐに山地は樹林で覆われていったようだ。
 しかし、次第に藩から分け与えられた山林だけでは木炭が賄えなくなり、鉄師は、地元の
 百姓からも炭を譲り受けるようになっていった。その値段を巡ってトラブルになることも
 あったようだが、最終的には、百姓たちの要望も尊重しながら、絶え間なく買い入れ、集
 債する仕組みを作り上げた。また鉄師は、炭の輸送力を強化するため山道を整備し、百姓
 に馬を貸して増産も図ったという。
 「江戸時代後期あたりから明治・大正期にかけて出雪国南部地域では全域がたたらの里山
 化されたと表現してもさしつかえないような状況となっていた」と有岡氏は結論づけてい
 る。
 このように、中国地方では太古から戦後まもない頃まで、山から得た資源を徹底して活用
 する知恵を絞り、山を中心にして地域の経済を成立させていたのである。
 それを破壊したのが、戦後、圧倒的な物量で海の向こうから押し寄せてきた資源であった。
 特に石油はとても安く、便利で使いやすいため、爆発的に利用が拡大。木炭に取って代わ
 るのにそれほど時間はかからなかった。
 そこに追い打ちをかけだのが、1960年に始まった木材の輸入自由化。そして、木造住
 宅の需要の低迷。都市型の暮らしを求める風潮の高まりを受けて鉄筋コンクリートの集合
 住宅がもてはやされ、住宅の着工数は下降を続けた。
  そして今、日本の山では、育ちすぎた樹木が活用されないまま放置されている。
  戦後に造成された約1千万ヘクタールの人工林のほとんどが50年以上経ち、伐採の適
 期を迎えているにもかかわらず、木材(用材)の需要は、1973年の1億1758万立
 方メートルをピークに長期低落を続け、2011年は7272万立方メートル。今後も人
 口減少により、さらに落ちると見込まれている。
 これと軌を一にして、製材業も衰退の一途をたどった。1970年代をピークに、製材会
 社は、毎年一割という急速なペースで廃業に追い込まれ、2009年にはわずか700社。
 真庭市は、そうした木材産業の低迷と運命をともにしながら歩んできた。
 20世紀のグローバリゼーションの進展は、自動車や鉄鋼という中央集約型の産業を主軸
 に据えた日本に大きな経済成長をもたらした。しかしその陰で日本人は最も身近な資源で
 ある山の木を使うことを忘れ、山とともに生きてきた地域を瀕死の状態にまで追い込んで
 きたのである。

 



 山を中心に再びお金が回り、雇用と所得が生まれた

 岡山県真庭市が進める、山の木を利用することで目指すエネルギーの自立。それは、20
 世紀の後半、グローバル化の負の側面を背負い続けて来た地方が、再び経済的な自立を勝
 ち取ろうとする挑戦でもある。
  挑戦はまさに、「ふんだんに手に入る木材が地域の豊かさにつながっていないのはなぜ
 か」という問いかけから始まった。きっかけは1993年。当時、20~40代だった地
 元の若手の経営者が集まって、「21世紀の真庭塾」という勉強会を発足した。掲げた目
 的は「縄文時代より脈々と続いてきた豊かな自然を背景とする暮らしを未来へつなげてい
 くこと」。なんとも壮大な目標である。
 当初より議論を引っ張ってきたのは、塾長を引き受けた中島さんだった。目を付けたのが、
 それまでゴミ扱いしていた木くずだった。
 「誰かが『廃棄物をうまくリサイクルしてどうのこうの』と言ったら、いつも叱りあって
  いた。『廃棄物じゃない、副産物だ』って。全部価値のあるものだって、話し合ったもの
 です。それでも当時はまだ、木くずは副産物だという感覚だったけど、今はさらに進んで、
 副産物ですらなくて、全部製品なんだと。まるごと木を使おうと。まるごと木を使わない
 と地域は生き残れないと考えたんです」
 まじめに議論すれば色々とアイディアはでてくるものだ。それまで考えつかなかった新た
 な木くずの利用方法が次々見つかった。セメント会社が木のチップを混ぜて売り出したり、
 木材からバイオエタノールを作り出す実験施設を立ち上げたり。具体的に様々な事業が生
 まれた。
  2010年には、さらなるバイオマス産業の創出を目指して市内外の研究機関、大学お
 よび民間企業などが、地元企業とバイオマス技術の共同研究や開発を行うとともにバイオ
 マス関連の人材育成を図るための拠点施設を立ち上げた。瀕死にまで追い込まれていた真
 庭は、バイオマスの町として生まれ変わった。
 新たな産業は、雇用も生む。2008年度にできた「バイオマス集積基地」。山の中に放
 置されてきた間伐材を、細かく砕いて燃料用のチップに加工する工場。そこに出て行く一
 方だった若者たちが帰ってきた。その.入、ニハ歳の樋口正樹さんは、高校を卒業後、地
 元・真庭で就職先を探したものの見つからず、いったんは岡山市内に出て、大手自動車販
 売会社に就職していた。それが今では、クレーンを自在に操り間伐材を運ぶ。収入は減っ
 たのかと思いきや、ボーナスで差が付くものの、月々の給与はほとんど変わらないという。
 そして何より、木の香りに包まれて仕事をするのが気に入った。
 「働いてみるといろいろなものが面白い。汗をかいて自然の中で生きるのも、僕にはあっ
 ているのだと気づきました。木材産業なんて古くさいかと思っていたら、バイオマスって、
 実は時代の最先端なのだと知り、とてもやりがいを感じています」
 真庭の経済が再び回り始めた。二〇世紀、グローバル化のなかで取り残されていた地方で、
 木材をエネルギー源と位置づけることで、地域の外から買うエネルギーが減り様々な産業
 を活性化させた。地方の自立に向けた21世紀の革命。その中心で常に走り続け周りを引
 っ張ってきた中島さんは、胸をはる。
 「新規の工場を誘致するとなると大変な話です。しかし、目の前にあるものを使う仕組み
 を作りさえすれば、経済的にも循環が起き、地域で雇用も所得も発生するんです」
 2012年2月、中島さんはさらに大きなプロジェクトに着手した。銘建工業や真庭市、
 地元の林業・製材業の組合など九団体が共同出資した新会社「真庭バイオマス発電株式会
 」の設立だ。2015年の稼働を目指し、出力I万キロワットの木材を燃料にする発電
 所を建設する。中島さんの会社の発電施設の五倍の出力。計算上、真庭市の全世帯の半分
 の電力をまかなえる。これまで中島さんが一人で取り組んできた発電事業に、こんなに多
 くの団体が参加したのは、電力買い取りをとり巻く環境が激変したことも後押ししている。
 かつて1キロワット3円だった買い取り価格は、原発事故後の2011年8月に成立した
 再生可能エネルギー特別措置法により一気に跳ね上がった。製材の端材による発電であれ
 ば、1キロワット25・2円、間伐材であればなんと33・6円。自然エネルギーを求め
 る国民の声に押され、電力会社も飲まざるを得なかった。
 総事業費41億円のうち、補助金などを除く23億円分は、すぐさま大手銀行を含む三行
 が融資を名乗りでた。かつて、中島さんが最初の発電施設を建設したとき、融資を渋られ
 たことを考えると隔世の感。発電所の稼働は2015年4月。動き出せば、地域全体でバ
 イオマス発電に取り組む、おそらく全国初の取り組みとなる。もっと多くの所得や雇用が、
 地域で回り始めることだろう。 

 21世紀の新経済アイテム「エコストーブ」

  真庭と並んで、私たちをとりこにした革命の舞台がある。広島県の最北部、島根や鳥取、
 岡山との県境の町、庄原市。こちらも中国山地に懐深く抱かれた、自然豊かな山里。裏を
 返せば、典型的な過疎高齢化地域でもある。暮らしているのは4万人ほど。65歳以上の
 人目の割合を示す高齢化率は40%近くにもなる。
 庄原市の中でもさらに外れにある総領地区に、日本人が昔から大切にしてきた里山暮らし
 を現代的にアレンジし、真の「豊かな暮らし」として広めようとする人物がいる。和田芳
 治さん、70歳。週に1回、自宅のすぐ裏にある山に登って木の枝を拾い集めるのが日課
 だ。最近、近所の人が所有していた裏山の一部、一ヘクタール分を買い取った。それがな
 んと9円だったという。
 かつて、日本人にとって山は大切な資産だった。良質な木材を産出し、薪や炭などの燃料
 を生んだ。1970年前後には、1ヘクタールで90万円ほどの値段がついた時期もある。
 それが山の木が使われなくなって、今や10分の1ほどの値段で取引されているのだ。
 しかし和田さんは、山の価値が下がったとは考えない。逆に無限の価値があると考える。
 そこにチャンスを見出していく。
 「この裏山が全部燃料になるんです。それがたったの9万円ですよ。考えられます? 何
 年分の燃料になると思いますか?」
 では、この山の木をいったいどう使うのか。和田さんは、30分ほどでかごいっぱいの木
 の枝を拾い集めると、自宅に戻る。そこに秘密兵器が待っている。
 見た目は至ってシンプル。灯油を入れる高さ50センチほどの20リットルのペール缶の
 側面に、小さなL字形のステンレス製の煙突がつけられている。
 「エコストーブ」という。
 このエコストーブ、名前は「ストーブ」だが単なる暖房ではなく、煮炊きなどの調理に使
 えば抜群の力を発揮する。木の枝が4~5本もあれば、夫婦二人一日分のご飯が20分で
 炊けるのだ。
  使い方も至って簡単。煙突の部分に、燃えやすいおがくずなどを入れて着火し、木の枝
 をくべる。すると20~30秒で火が燃えうつる。炎ははじめ真上に上がっているが、し
 ばらくすると、自然と真横に向きを変え、ストーブ本体へ吹き込んでいく。燃焼エネルギ
 ーの全てを、物を温めるのに使う仕組みになっている。だから木の枝4~5本で十分なの
 だ。エコストーブは手作りでき、製作費も安い。ペール缶は、ガソリンスタンドなどから
 廃品として譲り受けるので無料。ステンレスの煙突や断熱材となる土壌改良材は、ホーム
 センタIで購入。しめて5千~6千円もあればよい。作り方も、もちろん教えてもらう必
 要があるが、女性でも一時間あれば完成する。
 安くて、燃焼効率が良くて、簡単に作れるエコストーブ。和田さん宅では、毎朝これで、
 ご飯を炊いている。電気炊飯器は便わないので毎月の電気代は2千円ほど節約できる。
 しかも炊けたご飯はぴかぴか光って旨い。訪ねて来た客が「飯を炊いてみせや」というの
 で食べさせたら、「しもうた」と思わず漏らしたそうだ。
 「つい先日、7万円やら8万円出して電気釜を買うたのに、あれとは全然違うこっちの方
 が旨い」と悔しがっていたという。
 もちろん電気炊飯器の方が便利ではやい。しかし、あえてひと手間かけることが本当の暮
 らしの眼かさをもたらすことを、和田さんは伝えようとしている。
 「毎回できが違うかもしれないと思って気を遣うこと、いろんな木をくべることも含め不
 便だといわれるかもしれません。でも、それが楽しいんですね。結果、おいしいご飯。こ
 れが三倍がけ美味しいんです。こういうものを便うことによって、笑顔があふれる省エネ
 ができるんではないか」
 和田さんは、このエコストーブによって、毎日の生活が楽しくなるだけでなく、放置され
 て久しい山を蘇らせることもできると考えている。
 
山を燃料源にすれば、無尽蔵に燃料を得ることができる。山の木は一度切ってもまた生え 
 る。再生可能な資源である。切るとその分なくなると思うかもしれないがむしろ山の木は、
 定期的に伐採した方が、環境は良くなっていく。
 適度に間伐された山では、本と本の間にほどよい隙間ができ、日光が十分に差し込む。す
 ると、樹木や下草が、二酸化炭素をめいっぱい吸収してくれる。生長しきった老い本は、
 二酸化炭素をあまり吸収しないが、成長途上の若木ならどんどん二酸化炭素を吸収し、酸
 素をはき出す。その量は、木々を燃料として燃やして排出される二酸化炭素よりも多いと
 されている。
 そうした素晴らしい環境を楽しく取り戻すための道具が、エコストーブなのだ。

 




 「里山を食い物にする」

 エコストーブはもともと、1980年代にアメリカで発明され、「ロケットストーブ」と
 呼ばれていた。和田さんがその存在を知ったのはほんの数年前のことだ。震災直前の20
 11年の正月、庄原市内で開かれたロケットストーブを紹介する会に参加した。目から鱗
 が落ちた。
 「これは面白いぞ。これを使うと山の木もたくさん使って山がきれいになる。里山を食物
 にすることができると思いました。おいしいご飯が炊けるというのは、里山暮らしを豊か
 にするのにすごくいい。そして、里山の人だけでなくて、みんなが欲しがるアイテムなの
 ではないかと直感しました」
 しかしロケットストーブは、子どもの背丈ほどもある大きなドラム缶をベースに、レンガ
 を使って作られるため重く、とても持ち運ぶことはできない。そこで、仲間の一人がひと
 まわり以上小型のペール缶で同じ構造のものができないかと改良を加え、今の形ができあ
 がった。
  武器を手にした和田さんは、里山暮らしの良さをアピールする活動を加速させていった。
  合い言葉は、「里山を食い物にしよう」。わざと「食い物にする」という言葉を便うの
 が和田さんのセンスだ。過疎化で人が去り、荒れ放題となった里山。忘れられ、放置され
 てきた資源に再び光を当て、めいっぱい使ってやろうという決意が込められている。それ
 はライフスタイルを戦前に戻したり、電気のある便利な暮らしを否定したりということで
 は決してない。そうしたものも当然使いながら、いかに財布を便わずに楽しい暮らしをす
 るか身の回りを見直していく。するとアイディアが次々と浮かんでくる。こうして「原価
 ゼロ円」の暮らしを追求していくのだ。
 和田さんは、朝一番には近くの小川に向かう。川にはえるクレソンをつむためだ。お好み
 焼きに使ったり、スープを作ったり。野草は野菜の原点である。自宅の畑で作る野菜も、
 農薬は使わず、刈り取った草を肥料にする。ここでも、ほとんどお金はかからない。
  畑には、エコストーブと並ぶ秘密兵器がある。それは、カボチャ。カボチャは皮の表面
 に傷をつけておくと、一週間ほどで傷をつけた部分が浮かび上がる。それを利用してメッ
 セージを書く。「ありがとう」とか「長生きしてね」とか。世界にひとつしかないメッセ
 ージつきのカボチャは、どんな高級品より喜ばれる贈り物となる。和田さんはこれを、色
 んなものをもらったお返しに贈る。「交歓具」と呼んでいる。
 「自分で作ったいぶりかっこ(胤影したたくあん)とか、ちくわとかチーズなんかにいれ
 ていろんなプレゼントをしてくださった方々に返しています。物々交換の武器です。金で
 は計れない喜びがあるんじやないかと思っています」
  お金がないから物々交換をするのではない。楽しいからするのだ。
  考えてみれば、田舎暮らしはお金をかけるより豊かなこと満載だ。サラダにする野菜は、
 直前まで裏の掛水に浸けておく。ひんやり冷たい湧き水は冷蔵庫よりお金がかからず、し
 かも豊かだ。和田さんは、それをこんな風に解説する。
 「例えば五月頃には、うるさくて寝られないカエルの大合唱とか、ウグイスのつがいが五、
 六組もいるような谷とか、桃源郷はこういうところかなと思います。しかし、これまでは、
 こういう田舎が犠牲になってきた。それは、いくら稼いでいるかという金銭的な尺度だけ
 で物事が計られてきたからではないでしょうか。そんな田舎の犠牲の上に、都会の繁栄が
 もたらされている一方的な構図のままでは、日本は長続きしないのではないか。いつか、
 底が抜けてしまうのではないかと思います」
  岡山県真庭市でも、私たちは同志を見つけた。暖房用にペレットを使い始めた宮崎浩和
 さんとハ木久美子さんの夫妻。数年前、名占屋での都会暮らしを捨てて移り住んできた。
 整体の仕事をしながら、家の前に1アールほどの畑を借りて、自分たちが食べる野菜は自
 分たちで作る。ご飯を炊くのは、エコストーブならぬ、もみ殼ストーブとも言うべき、米
 のもみ殼を燃料にする器具。そして、芋の皮むきは、家の前の水路で水車のように回して
 いると30分ほどで皮がむける器具。そうした、電気に頼らない里山アイテムを使いこな
 しているのを見ていると、自分が時代遅れな生活をしているのではないかと思えてくる。
 久美子さんは身近にあるものを活かして、身の丈にあった生活をすることに安心を感じる
 のだという。

                         藻谷浩介 著 『里山資本主義』
 

 


 

 

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花水木に恋しくて

2014年04月21日 | 時事書評





 

歯磨きしていると、彼女がきて、パステルカラーのグリーンぽいホワイトは珍しいという花
水木がとても美しくさいているからデジカメで撮ってという。上下違
いのパジャマ姿のまま
じゃ恥ずかしいからと、むずがる僕を、なおも催促するので、雨が降り止んだばかりの
玄関
先の花水木に近寄り、渋々シャッターを切
る。さて、夜に編集作業となると、ひとつも良いものが
ない。それでも、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」をヘッドフォ
ンで聴きながら、数枚チョイスし、そこから3枚、ブログ掲載した。さて、お気に召されたか?ねぇ~そ
この君(二階で就眠中)! 




●こまった隣国、遅刻してきた帝国主義

日本の尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐって、米国と中国が火花を散らしたという(2014.0
4.19 J-CASTニュース)。
それによると、中国を訪問しているチャック・ヘーゲル米国防長官は中国
の常万全国防相と会談し、中国が東シナ海上空で防空識別圏を設定したことを批判した。日中間の
係争においては日米安全保障条約に基づき、日本への防衛義務を果たす考えを表明。ヘーゲル国
防長官と常万全国防相は2014年4月8日、北京で会談し、東シナ海や南シナ海、朝鮮半島情
勢などで意見交換した。AP通信によると、会談の中でヘーゲル国防長官は「事前の協議もな
しに、係争となっている島の上空に、一方的に防空識別圏を設定する権利は、中国にはない」
と非難した。
中国は2013年末、日本と領有権を争っている東シナ海の尖閣諸島上に防空識別
圏を一方的に設定した。また、南シナ海では中国による領有権の主張が違法としてフィリピ
ンが14年1月に国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所に仲裁を請求している。
米国はこうした領
有権をめぐるトラブルに対して、中国をけん制。東シナ海での防空識別圏の設定については
「こうした行動は結果的に危険な紛争につながる」と危機感をあらわにした。
米国はこれま
で、尖閣諸島が「日米安保条約の適用範囲」との立場を示してきたが、「領土問題の解決は
当事者同士で行うべき」と主張する中国に配慮し、日本や、南シナ海でのフィリピンの支持
を明確に示すことを避けてきた。
ヘーゲル国防長官は「米国は日中が衝突すれば、日本を保
護するだろう」とも述べたという。
これに対して、中国の常国防相は「中国は他国の主権や
領土保全を決して侵害しない」と述べたうえで、「領有権については妥協も譲歩も取引もし
ない。一寸の侵入も許さない」と強調。「自ら日本との争いをかき回すようなことはしない。
しかし中国政府は領土を保護する必要があれば、武力を使用する準備はできている」と反論
したとのことだ。さらに、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域での中国の挑発が執拗(しつ
よう)さを増しているという(2014.04.20 産経新聞)。2月以降、日本の接続水域(領海の
外側約22キロ)で中国海警局の船が撤収することなく10日以上連続して航行する事態が
相次ぎ、海上保安庁は警戒感を強める。海保は映像提供などの「積極広報」を控えているが
、尖閣周辺で漁を行う漁業関係者は激白する。「海保と中国海警の船が数メートルほどまで
接近するケースはざらだ。一触即発という場面を何度も目撃した」という。

武力を背景に他国の領土を侵害し領土拡張支配する行為は、典型的な「帝国主義的行動」で
あることは言うに及ばず。フルシチョフを修正主義と批判した毛沢東のスターリン原理主義
回帰に端を発した「社会帝国主義論争」で旧ソ連の戦車による蹂躙危機が迫る体験を中国共
産党は忘れることはないが、それを忘れたかのように、ベトナム、フィリピンに武力行使と
いうあきれ果てた蛮行をとっている。

  

●沖ノ鳥島桟橋工事は「極秘計画」だった 

ところで、東京都小笠原村の沖ノ鳥島で2014年3月30日に起った桟橋工事の事故にからんで
この工事が「極秘計画」として進められていた、国家プロジェクトだったことが分かったと
いう(2014.04.14 J-CASTニュース)。それにいうと、国土交通省関東地方整備局は、第三者
による事故調査委員会を設置して原因を調べているが、桟橋が小さくて重心が高くなったこ
とが転覆につながった可能性があるとみている。それにしても重心のが高いことがこの工法
の特徴ではないかと考える-(意図して)重心を高くすることで反転力を利用、回転させ設
置する工法ではと考えていたが-港湾施設は、縦に並んだ3つの桟橋の中央横に、荷さばき
施設がつながる構造で、桟橋や荷さばき施設の四隅にそれぞれ4本の鋼製の脚を立てた状態
で海底に沈め、脚を地盤に打ち込んで固定。その後、桟橋などを海面に引き上げる工法で進
めていた。すでに13年に1基(長さ30メートル、幅40メートル、重さ 966トンの荷さばき施
設)を完成しており、「島の西側にあたる場所に建設。1基目に接続して、岸壁をつくる計
画です」(関東地方整備局)と話しているとのこと
。ところが、そんな港湾整備計画が事故
の発覚で、「極秘」で進められている国家プロジェクトだったことが発覚してしまった国交
省は、「特秘性があり、情報保全の確保の観点から伏せていました」と、認めている。この
桟橋工事は13年8月からはじまり、14年9月には終了する予定だった。完成すれば、数千ト
ンクラスの海洋調査船の着岸が可能になるはずだったが、現在、作業再開のメドは立ってい
ない。そして、この記事は、事故の結果、中国、韓国の反発招くと危惧している。しかし、
事故分析と対策さらには、そのスケジュールを明らかにするのことは中央政府の責任である
ことは変わらない。それは「人命は地球より重し」は揺るがせないからだ。




配達された本を開封し、早速『イエスタディ』から読み出したが、スケジュールの都合一
気に了読するにはいろいろと障害になり、二度目の読書をはじめて、ふと「まえがき」に目
がとまる。これは読み飛ばすにはいけないと直感する。案の上、起稿から出版依頼に到る事
細かなことが書かれてあった。


  長編小説にせよ短編小説集にせよ、自分の小説にまえがきやあとがきをつけるのがあ
 まり好きではなく(偉そうになるか、言い訳がましくなるか、そのどちらかの可能性が
 大きい)、そういうものをできるだけ書かないように心がけてきたのだが、この『女の
 いない男たち』という短編小説集に関しては、成立の過程に関していくらか説明を加え
 ておいた方がいいような気がするので、あるいは余計なことかもしれないが、いくつか
 の事実を「業務報告」的に記させていただきたいと思う。偉そうにもならず、言い訳が
 ましくもなく、邪魔にならないようにできるかぎり努めるつもりだが、結果には今ひと
 つ自信が持てない。

    

  僕がこの前に出した短編小説集は『東京奇譚集』で、それが2005年のことだから、
 9年ぶりの短編集刊行ということになる。そのあいだ断続的に何冊かの長編小説にかか
 りきりになっていて、短編小説を書こうという気持ちはなぜか起きなかった。でも去年
 (2013年)の春に必要に迫られて、短編小説をひとつずいぶん久方ぶりに書き(『
 恋するザムザ』)、その作業を思いのほか楽しむことができた(書き方を忘れていなか
 ったのは何よりだった)。それで夏ごろに、「長編小説もさすがに書き疲れたし、そろ
 そろまとめて短編小説を書いてみようかな」と考えるようになった。
  僕は短編小説をだいたいいつも一気にまとめ書きしてしまう。いろんな媒体に散発的
 に短編を書くという方式は、まだ執筆システムが定まっていなかったキャリアの本当の
 初期はべつにして、ほとんどとったことがない。長編小説を書き下ろしで書くのが本来、
 体質に向いているらしく、あちこちに切れ切れに短編小説を書いていると、調子がなか
 なか出てこないというか、力の配分がうまくいかない。だから短編6、7本くらいを一
 度に集中して書くことにしている。するとちょうど「本1冊分」の仕事量になり、水泳
 で言えば、息継ぎの感覚がつかみやすい。

 『神の子どもたちはみな踊る』も『東京奇譚集』もそういう書き方をした。だいたい2
 週間に1本、3ケ月か4ケ月で単行本1冊分というペースで書いていく。そういう書き
 方をして都合の良い点は、作品のグループにそれなりの一貫性や繋がりを与えられるこ
 とだ。ばらばらに書かれたものをただ集めてひとつのバスケットに詰め込むというので
 はなく、特定のテーマなりモチーフを設定し、コンセプチュアルに作品群を並べていく
 ことができる。『神の子どもたちはみな踊る』の場合のモチーフは「1995年の神戸
 の震災」だったし、『東京奇譚集』の場合は「都市生活者を巡る怪異譚」だった。そう
 いう「縛り」がひとつあった方が話を作っていきやすいということもある。



  本書のモチーフはタイトルどおり「女のいない男たち」だ。最初の一作(『ドライブ・
 マイ・カー』)を書いているあいだから、この言葉は僕の頭になぜかひっかかっていた。
 何かの曲のメロディーが妙に頭を離れないということがあるが、それと同じように、そ
 のフレーズは僕の頭を離れなかった。そしてその短編を書き終えたときには、この言葉
 をひとつの柱として、その柱を囲むようなかたちで、一連の短編小説を書いてみたいと
 いう気持ちになっていた。そういう意味では『ドライブ・マイ・カー』がこの本の出発
 点になった。
 「女のいない男たち」と聞いて、多くの読者はアーネスト・ヘミングウェイの素晴らし
 い短編集を思い出されることだろう。僕ももちろん思い出した。でもヘミングウェイの
 本のこのタイトル“Men Without Women"を、高見浩氏は『男だけの世界』と訳されてい
 るし、僕の感覚としてもむしろ「女のいない男たち」よりは「女抜きの男たち」とでも
 訳した方が原題の感覚に近いような気がする。しかし本書の場合はより即物的に、文字
 通り「女のいない男たち」なのだ。いろんな事情で女性に去られてしまった男たち、あ
 るいは去られようとしている男たち

  どうしてそんなモチーフに僕の創作意識が絡め取られてしまったのか(絡め取られた
 というのがまさにぴったりの表現だ)、僕自身にもその理由はよくわからない。そうい
 う具体的な出来事が最近、自分の身に実際に起こったわけではないし(ありかたいこと
 に)、身近にそんな実例を目にしたというわけでもない。ただそういう男たちの姿や心
 情を、どうしてもいくつかの異なった物語のかたちにパラフレーズし、数行してみたか
 ったのだ。それは僕という人間の「現在」の、ひとつのメタファーであるのかもしれな
 い。あるいは遠回しな予言みたいなものなのかもしれない。それとも僕はそのような「
 悪魔払い」を個人的に必要としているのかもしれない。そのあたりは僕自身にも説明で
 きない。しかしいずれにせよこの本のタイトルが『女のいない男たち』になることは最
 初から決定されていたようだし、それが揺らぐことはなかった。言い換えるなら、僕は
 おそらくこのような一連の物語を心のどこかで自然に求めていたのだろう。

  まず最初に『ドライブ・マイ・カー』と『木野』の第一稿を書いた。そして「文藝春
 秋」本誌に「短編小説を書いたのですが、掲載してもらえる可能性はありますか?」と
 尋ねてみた。僕はもう長いあいだ、長編にせよ短編にせよ、依頼を受けて小説を書くと
 いうことをしていない。とりあえず書いてしまってから、その作品が向いてそうな雑誌
 なり出版社に持ち込む。依頼を受けて小説を書くと、どうしても容れ物や分量や期日の
 制約があり、自分の表現者としての(というのも大仰な言い方だが、他にうまい言葉が
 浮かばないので)自由が失われてしまうような気がするからだ。
  現在文藝春秋の社長をされている平尾隆弘さんには、僕が以前雑誌「文藝春秋」に短
 編小説を掲載したとき、担当編集者としてお世話になった。そういう縁がある。平尾さ
 んがまず『ドライブ・マイ・カー』を読んでくれ、編集部と相談して、「本誌に掲載し
 ましょう」ということになった。それから僕は『イエスタデイ』と『独立器官』という
 小説を、「文藝春秋」に掲載することをとりあえず念頭に置いて書いた。どれも枚数は
 400字詰め原稿用紙にして80枚と、短編小説にしてはかなり長い分量だった。でも
 それくらいが、その時期の僕には「ぴったりくる」分量だったようだ。枚数をあらかじ
 め決めて書いたわけではないが、どの作品も量ったように80枚前後になった。全体の
 バランスを考えて、3本目に書いた『イエスタデイ』を、2本目に書いた『木野』の前
 に掲載してもらうことにした。『木野』は推敲に思いのほか時間がかかったということ
 もある。これは僕にとっては仕上げるのがとてもむずかしい小説だった。何度も何度も
 細かく書き直した。ほかのものはだいたいすらすらと書けたのだけど。



 その途中で畏友・柴田元幸さんの主宰する文芸誌「MONKEY」から、創刊第2号の
 ための短編小説を依頼された。前にも書いたように、原則として小説執筆の依頼は受け
 ないのだが、ちょうどうまい具合に短編小説を書くモードにすっぽり入っていたという
 こともあり、「いいですよ。やりましょう」と返事をして、すぐに『シェエラザード』
 を書きあげ、渡した。順番としては『イエスタデイ』と『独立器官』とのあいだに書い
 たわけだが、この作品は「文語春秋」に書くのとはまったく違うスタンスで書くことが
 できた。「文藝春秋」本誌はいわばジェネラルな読者を対象にした総合雑誌だが、「M
 ONKEY」はどちらかといえば尖った若い読者向けの、新しい感覚の文芸誌だ。超メ
 ジャー・対「個人商店」といえばいいのか。そういう意味で、僕はそれらの媒体の性格
 の差違を楽しみながら、少し違った意識で小説を書くことができた。こちらは60枚と
 少しばかり小振りになっている(というか短編小説としては標準的な長さだが)。別の
 雑誌のために書いたものだが、「女のいない男たち」というモチーフは同じであり、連
 作のひとつと考えてもらっていい。
  そして最後に雑誌のためではなく、単行本のための「書き下ろし」というかたちで短
 編『女のいない男たち』を書いた。考えてみれば、この本のタイトルに対応する「表題
 作」がなかったからだ。そういう、いわば象徴的な意味合いを持つ作品がひとつ最後に
 あった方が、かたちとして落ち着きがいい。ちょうどコース料理のしめのような感じで。
  この短い作品『女のいない男たち』を書くにあたってはささやかな個人的なきっかけ
 があった。そのきっかけがあり、「そうだ、こういうものを書こう」というイメージが
 自分の中に湧き上がり、ほとんど即興的に淀みなく書き上げてしまった。僕の人生には
 時としてそういうことがある。何かが起こり、その一瞬の光がまるで照明弾のように、
 普段は目に見えないまわりの風景を、細部までくっきりと浮かび上がらせる。そこにい
 る生物、そこにある無生物。そしてその鮮やかな焼きつけを素早くスケッチするべく机
 に向かい、そのまま一息で、骨格になる文章を書き上げてしまう。小説家にとってそう
 いう体験を持てるのは何より嬉しいことだ。自分の中に本能的な物語の鉱脈がまだ変わ
 らず存在しており、何かがやってきてそれをうまく掘り起こしてくれたのだと実感でき
 ること、そういう根源的な照射の存在を信じられること。

  短編小説をまとめて書くときはいつもそうだが、僕にとってもっとも大きな喜びは、
 いろんな手法、いろんな文体、いろんなシチュエーションを短期間に次々に試していけ
 ることにある。ひとつのモチーフを様々な角度から立体的に眺め、追求し、検証し、い
 ろんな人物を、いろんな人称をつかって書くことができる。そういう意味では、この本
 は音楽でいえば「コンセプト・アルバム」に対応するものになるかもしれない。実際に
 これらの作品を書いているあいだ、僕はビートルズの『サージェント・ペパーズ』やビ
 ーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』のことを緩く念頭に置いていた。そういう不朽
 の名作と自分の作品集を同列に並べるのはいうまでもなくまことにおこがましいのだけ
 れど、(あくまで)イメージとしては、つもりとしてはそういうものなのだと思って読
 んでいただけると、作者としてはありかたい。
  僕がこれまでの人生で巡り会ってきた多くのひそやかな柳の木と、しなやかな猫だち
 と、美しい女性たちに感謝したい。そういう温もりと励ましがなければ、僕はまずこの
 本を書き上げられなかったはずだ
  最後になるが『ドライブ・マイ・カー』と『イエスタデイ』は雑誌掲載時とは少し内
 容が変更されている。『ドライブ・マイ・カー』は実際の地名について、地元の方から
 苦情が寄せられ、それを受けて別の名前に差し替えた。『イエスタデイ』については、 
 歌詞の改作に関して著作権代理人から「示唆的要望」を受けた。僕の方にももちろん、
 それなりの言い分はあるけれど(歌詞は訳詞ではなく、まったく無関係な僕の創作だか
 ら)、ビートルズ・サイドとトラブルを起こすのはこちらの本意ではないので、思い切
 って歌詞を大幅に削り、問題が起きないようにできるだけ工夫した。どちらも小説の本
 質とはそれほど関係のない箇所なので、テクニカルな処理によって問題がまずは円満に
 解消してよかったと思っている。ご了承いただきたい。


                   村上春樹 著『女のいない男のたち』/「まえがき」 


「僕がこれまでの人生で巡り会ってきた多くのひそやかな柳の木と、しなやかな猫だちと、
美しい女性たちに感謝したい。そういう温もりと励ましがなければ、僕はまずこの本を書き
上げられなかったはずだ」と書いているが、特に「美しい女性たち」に関しては、激しく身
体を上下させ肯首するわけだが、それが"不純な動機"と見られようとも、咎められようとも、
萎縮することなく賛同?しているわたしがいる。それはそれとして、今夜はこの程度にして
おく。

 



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女のいない男たちの料理

2014年04月18日 | 時事書評

 

 

 

ここ一週間、俄花瓶(透明のグラスジョッキーの代用)に朝摘みのフェンネルをテーブルに飾り
置きしてくれ
ている。さてこの植物の若い葉および種子(フェンネルシード)は、甘い香りと苦
みが特徴で消化促進・消臭に効果が
あり、香辛料(スパイス)、ハーブとして、食用、薬用、化
粧品用などに古くから用いられている。西洋では魚料理やピクルスの風味付けに用いられ、イン
ドではカレー料理に、中国では五香粉の原料として用いられる。またパスティスやアクアヴィッ
トなどの酒類・リキュール類の香り付けにも用いられる。またフェンネルシードをさまざまな色
の砂糖でコートしたもの(ヒンディー語で「ソーンフ」。フェンネルの意味。)がインド料理店
で口直しとしてレジの横などに置かれていることがあるという。フェンネルの鱗茎(葉柄基部が
肥大したもの)はフィノッキオ (finocchio) とも呼ばれ、野菜としてタマネギなどのようにサラ
ダや煮物、スープなどに用いられる。茎・葉は生食されるが、その他にも佃煮、シチューなど、
肉料理の香味野菜として使用される。また、果実は、生薬「茴香」で芳香健胃作用がある。漢方
方剤の安中散(あんちゅうさん)や、太田胃散(漢方+西洋薬の処方)、口中清涼剤の仁丹など
に使われているという。料理レシピでは日本ではあまり調理食材としてお目にかからないが、ク
ッパッドでは数百種のレパートリーとことのほか多い(出典:Wikipadia)。

 マグロのフリッタとフェンネサラダ
  

村上春樹の短編小説集の『女のいない男たち』が出版されたという。この本は、ドライブ・マイ・
カーが『文藝春秋』2013年12月号/イエスタデイが『文藝春秋』2014年1月号/独立器官が『文
藝春秋』2014年3月号/シェエラザードが『MONKEY』2014年2月15日発行・Vol.2 /木野が『文
藝春秋』2014年2月号/女のいない男たちが、書き下ろしとして2014年4月、文藝春秋から出版
掲載された作品で構成されているという。このうち「ドライブ・マイ・カー」はこのブログでビ
ートルズ・ナンバーの楽曲あるいは村上春樹の映画作品の視聴の二次元展開として掲載してきた
が、実は後続の作品が『文藝春秋』に掲載されていることを知っていたなら、同様に読了感想を
二次元イメージで展開掲載していただろうと、後から悔やむことになったが、それにめげずに?
早速、同著書をデジタル注文し取り寄せることにした。これからが楽しみだ。



ところで、この本のタイトルは、アーネスト・ヘミングウェイの短編小説集の"Men_Without_Wo-
men
"(1927年)が荒地出版社から邦訳出版された際、「女のいない男たち」という題がつけられ
ていたというので、原文をネット検索したが(真上図クリック)、14部作から構成「無敵」を
さららっと読み飛ばしだけで、急用の残件処理のため途中で作業を中止する(これは残件扱い)。
そのメインテーマは闘牛・不倫・離婚・死別などで、中でも「キラー」「ヒルズのような白い像」
「他の国で」はヘミングウェイの最高の作品の一つであると賞されている。
 

 

 

  

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】  

さて、昨夜の続き。”一山当てる”、”山を踏む”という行動パターンは刹那主義だろうか、それとも、旺盛な
チャレンジ精神の発露か?ビジネスにとってこの「自己投企」は悪なのか? そんなことはあるわけ
ないでしょう。むしろ、孫正義も、スティーブ・ジョブズもご多分に
洩れず勝負師気質があると
思う。そして、その背景として「死は我々が共有するすべての人の最終地点なのです。誰も逃れ
ることはできないのです。そして、そうあるべきなのです。死は人生における最も優れた創造物
なのだから」という名言を残しているほどだ。たからこそ高度消費社会(=前社会主義社会)の
価値観の多様性が、恣意的な自由の拡大が担保されていることと、最大多数の最大幸福を約束(
格差拡大)しなかったマネー資本主義(わたし流にいえば高度なデジタル技術を駆使した金融工
学と結合双生児の英米流金融資本主義)は、国民の福祉的側面から自省すべきで、是正すべきも
のだと考えている。高度な科学技術社会を背景とした平均寿命の伸長に伴う未踏の超高齢社会の
到来と恣意的自由の拡大としての少子化とを綯い交ぜ(混同)して論じることに無理があると老
婆心ながら指摘しておかなければならない。そのことを踏まえ以下に、藻谷浩介の主張に耳を傾
けよう。

※ 何度も記載しているが、デフレの正体の大きな要因は、デジタル革命の基本特性にあること
  
を指摘しておこう(この科学技術進歩の寄与率の算出に当たっては、意図が先行し過小評価
  することは避けなければならない。 


● 里山資本主義異論

 「マネー資本主義」が生んだ「刹那的行動」蔓延の病理 

  このようにどこかの国の凋落で儲けようとする連中がいるのもマネー資本主義の醜い部分
 だが、問題をここまで至らせてしまったその火元には先はども触れたように、瞬間的な利益
 を確保するためだけの刹那的な行動に走ってしまって重要な問題は先送りしてしまうという、
 マネー資本主義に染まった人間共通の病理がある。目先の「景気回復」という旗印のドで、
 いずれ誰か払わねばならない国債の残高を延々積み上げてしまうというような、極めて短期
 的な利害だけで条件反射のように動く社会を、マネー資本主義は作ってしまった。国債増発
 やむなしと叫ぶ一部政治家の言を聞いてみれば良い。皆「自分たちの今が何よりも大事」
 後のことは後の世代が何とかするので私は知らない」としか言っていない。困ったことにそ
 のような社会では、日本人自身が、内心で自分たちの明るい未来を信じなくなる。日々が目
 の前で起きたことへの条件反射のような対応で埋め尽くされ、先を見た行動は行われなくな
 る。

  この病理は他のところにも露呈している。たとえば十数年前から国土交通省自身が白書な
 どでも警告してきた利水構造物の老朽化も、実際に中央道笹子トンネルの天井板が崩落して
 9名もの犠牲が出るまで、まったく一般に認知されないままだった。
  福島の原発事故も、老朽化した旧式原発を、「いずれ止めます、いずれ庄めます」といい
 ながら動かし続けてきたのが大きな原因だ。使用済み咳燃料の最終処分の見通しがまったく
 立たないままに原発を丙稼働しようとするのも、とにかく今を眠り切るために数年娶ご既存
 原発内の保萱場が満杯になるのはそう遠い先のことではない)を見ないようにしているとい
 う話にほかならない。何とか暫定的な保管場所を見つけたとしても、今後10万年にわたり
 安定的に冷やし続けねばならない高レベル廃棄物にどこで誰がどう責任を持つのか、これま
 たまったく目途が立っていないし、その目途が既つ目途もない。これはとにかく赤字国債を
 発行してつないでいくという発想と同じで、刹那の繁栄のための問題先送りにほかならない。

 里山資本主義は保険。安心を買う別原理である

  猛々しくマネー資本主義の限界を説いてきた。このトーンから言えば、問題の打開策も
 猛々しく唱えなければならないところかもしれない。だが筆者はここからは猛々しくは語ら
 ない。限界を柔らかく突き破り、いや正確には限界の壁の横をするっと回りこんでかわし、
 人びとの不安を和らげる役を果たす、里山資本主義について静かに語りたい。
  繰り返すが、刹那的な行動は、われわれ日本人がマネー資本主義の先行きに対して根源的
 な不安を抱き、心の奥底で自暴自棄になってしまっているところから来ている。そしてその
 不安は、マネー資本主義自壊のリスクに対処できるバックアップシステムが存在しないとこ
 ろから来る。複雑化しきったマネー資本主義のシステムが機能停止した時に、どうしていい
 かわからないというところから不安は来ているのだ。
  そのような不安とは、そろそろサヨナラしてはどうだろうか。中間総括に書いた通り、里
 山資本主義こそ、お金が機能しなくなっても水と食料と燃料を手にし続けるための、究極の
 バックアップシステムである。いや本質バイオマスエネルギーのように、分野によってはメ
 インシステムと役割を交代することも可能かもしれない。なににせよ、複雑で巨大な一つの
 体系に依存すればするほど内心高まっていくシステム崩壊への不安を、癒すことができるの
 は、別体系として存在する保険だけであり、そして里山資本主義はマネー資本主義の世界に
 おける究極の保険なのだ。
  大都市国民であっても、ほんの数代前までは、四季折々の風に吹かれながら、土に触れ、
 流れに手を浸し、木を切り、火をおこして暮らしていたのだ。
  実際問題、里山で暮らす高齢者の日々は、穏やかな充足に満ちている。遠い部会で生まれ
 ているあれこれの策動や対立や空騒ぎには嫌なものを感じつつも、毎日Lり来る陽の光の恵
 みと、四季折々に訪れる花鳥風月の美しさと、ゆっくり土から育つ実りに支えられて、地味
 だが不安の少ない日々を送っている。
  なぜそういうことになるのか。それは、身近にあるものから水と食料と燃料の相当部分を
 まかなえているという安心感があるからだ。お金を持って自然と対峙する自分ではなく、自
 然の循環の中で生かされている自分であることを、肌で知っている充足感があるからだ。
  この里山資本仁義という保険の掛け今は、お金ではなく、自分自身が動いて準備すること
 そのものである。保険なので、せっかく準備していても何かきっかけがないと稼働しないか
 もしれないが、しかし準備があるとないとでは、いざというときに天と地ほどの差が出る。
 日常の安心にも見えない差が生まれる。眼に保険とは安心を貿う商品であり、里山資本主義
 とは己行動によって安心を作り出す実践なのである。

  刹那的な繁栄の希求と心の奥底の不安が生んだ著しい少子化

  日本人の行動が刹那的になっていることに対して、里山資本主義がささやかながら対抗原
 理として働くとするならば、もしかすると、もっと大きな規模でその効果が出てくることが
 期待できるかもしれない。里山資本主義こそ、日本を百%確実に襲う、いや既に何十年もか
 けて進行している問題、場合によってはほとんど日本社会の息の根を止めかねない本当の危
 機に対する、最大で最後の対抗手段かもしれないのである。
  お気づきの方もいらっしやろうが、そのことを放置してきたツケが、今世紀半ばまでには
 とんでもない大きさの副作用として立ち現れてくる。それが、ここ30年以上も進行してい 
 る著しい少子化だ。
  日本全体の合計特殊出生率(女性一人が生涯に産む子どもの数)はここ数年少し回復して
 きたがそれでも1.4を割り込んでおり、日本最低の東京都では1.1という水準だ。この
 結果足元では、年間1.6%減少のペースで、四歳以下人目が減っている。このまま行けば、
 今後60年程度で日本から子どもがいなくなってしまう状態だ。
  これを冗談と笑うことはできない。現に過去35年の間に日本で毎年生まれる子供は四割
 も減ってしまったという事実がある。何かの抜本的な変化が起きて、これまで何十年も進行
 してきた少子化の流れが変わらない限り、子どもの消滅? とまではいかなくとも、さらな
 
る激減は確実に起きる。子どもだけではなく生産年齢人口(15~64歳人口)も、199
 5年から2010年の15五年間にもう7%も減っている。これがさらに今後50年間でほ
 ぼ半減となることも、もう誰にも止められない状況だ。
  移民の本格導入は、この問題を全く解決しない。移民も、移住先の国民と同化すればする
 ほど出生率も移住先の国民と同レベルにまで、急速に低下するからである。日本より出生率
 の低いシンガポールでは、居住者の三割が外国人という状況だが、日本同様の子どもの減少
 が続いている。
  そうなれば、国土防衛だの何だの叫んでも絵空事で、そもそも日本社会が存立できなくな
 ってしまう可能性もある。会社の収益確保と言っても、その前に労働者も顧客も確保できな
 くなってしまうのではないか。とはいえ現役庶代が半減しないようにその前で・比めること
 はもうどう計算しても無理だ。でも半減したあたりまでで済ませてその先の現象を食い止め
 ることはできるかもしれない。これが今やらねばならぬ勝負の中身である。
  この少子化の原因は複雑にからみあっていて、これだ、と定量的に検証できた研究はない。
 だが都道府県別に大きな差があることに着目すれば、ある程度の推測はできる。まず首都圏
 と京阪神圈の出生率が低く、北海道も低い。だが沖縄県や福岡以外の九州各県、島根県・鳥
 取県・福井県・山形県など日本海側の県は概して高い。
よく誤解されているのだが、若い女
 性が働くと子どもが減るのではなく、むしろ若い女性が働いていない地域(首都圈、京阪神
 圏、北海道の人目の半分が集まる札幌圏など)ほど出生率が低く、夫婦とも正社員が当たり
 前の地方の県の方が子どもが生まれていることは、統計上も明らかである。もう少し定性的
 に言えば、通勤時間と労働時間が長く、保育所は足りず、病気のときなどのバックアップも
 なく、子どもを産むと仕事を続けにくくなる地域ほど、少子化か進んでいる。保育所が完備
 し、子育てに親世代や社会の支援が厚く、子育て中の収入も確保しやすい地域ほど、子ども
 が生まれているのだ。
  それら子育てに向いた地域は、日本海側や南九州・沖縄など、マネー資本主義の中では相
 対的に取り残されてきた場所であり、そこにはまだ緑と食料と水と土地と人の絆が、相対的
 に多く残っている。同じ県の中でも、山間地や離島になるほど出生率は高い。そういう地域
 の住民は、足元では富を生まない簿外資産(金銭換算不可能な財産)、たとえば子宝を得る
 こと、井戸や田畑や里山を残すことなどに、大都市圈よりも多くの力を割いてきた。刹那的
 な経済的繁栄だけでなく、その先にある本当に大事なものにも目を向けてきたのである。
  ただ如何せん、そのような地域に住んでいるのは日本人の中の少数派でしかない。若い女
 性の圧倒的多数は、孫の世代の数が自分たちの世代の半分以下になってしまう流れにある大
 都市部に集まっている。
  そう、若者は未だに大都市の魅力に惹かれ、あるいは就職チャンスに惹かれ、いやもしか
 すると「そうしないといけないものなのだ」と何となく周囲から意識付けをされてしまった
 ゆえに、食料はもちろん水すら自給できない大都市間に集まってきている。ところがその大
 都市間の住民や、大都市間中心に発展してきた日本企業の関係者は、意識の奥底に「自分た
 ちの今のマネー資本主義的な繁栄は続かないのではないか」という不安を、地方の住民や企
 業以上に強く隠し持っているように思える。であるがゆえに彼らは、積極的に子どもを持つ
 ことをしない。あるいは子育てと労働を両立させたい社員を積極的に支援しようとしない
 (むしろ辞めさせていく)。
  本当の意味での余裕がないとも言えるし、不安に駆られて己の未来に進んでダメを出して
 しまっているともいえる。そのような大都市間に若者を集中させ、そのような大都市圈の企
 業に就職させ続けている結果、日本の子どもはさらに急速なペースで減っていく。

 里山資本主義こそ、少子化を食い止める解決策

 少子化というのは結局、日本人と日本企業(特に大都市)住民と大都市圈の企業)がマネー
 資本主義の未来に対して抱いている漠然とした不安・不信が、形として表に出てしまったも
 のなのではないかと、筆者は考えている。未来を信じられないことが原因で子孫を残すこと
 をためらうという、一種の「自傷行為」なのではないかと。そういうわけでこの現象は、幾
 ら「もっと子どもを産め」とマツチョな掛け声をかけようとも、そういう表の世界の建前に
 よってはまったく解決されない。だからこそマツチョ志向の政権は、何党であってもどちら
 かというとこの問題を避けて通る。
  少子化は日本だけで起きているのではない。マネー資本主義が貫徹されているという意味
 では日本以上である韓国も台湾もシンガポールも、前述の通り目本より出生率が低い。同じ
 く凄まじいマネーの暴風が吹き荒れている中国でも、沿海部の出生率はもう東京よりも低く
 なっている可能性がある。上海の出生率は0.7という話を問いたことがあるが、これは三
 世代で人口が8分の1に縮小してしまうという驚異的な水準だ。ロシアや東欧でも、突如マ
 ネー資本主義の暴風にさらされたソ連邦崩壊以降、著しい出生率の低ドが報告されている。
  であるとすればこそ解決は、マネー資本主義とは連う次元のところに存在する、脱出資本
 主義の普及と活用にあるはずだ。里山資本主義は、大都市圈住民が水と食料と燃料の確保に
 関して抱かざるを得ない原初的な不安を和らげる。それだけでなく脱出資本主義は、人間ら
 しい暮らしを営める場を、子どもを持つ年代の夫婦に提供する。
  少し前の日本であれば、都会に住まなければ味わえないマネー資本主義の恩恵というもの
 が、物質的な充足というものがあった。その当時に田舎を出て大都市に移り住んだ今の中高
 年の方々には、田舎は未だにその当時のままだと思い込んでいる、ある意味幸せな人もいる        
 のだろう。

  だが実際には、周防大島にも邑南町にも、スーパーだけでなく24時間営業のコンビニも
 あれば、阿部圏の都心部にこそむしろないホームセンターもある。発達した道路を使って手
 近の空港にも大きな町にも簡単に行けるし、都会にも海外にも昔とは比較にならないほど気
 軽に出かけられる。ネット通販で、珍しいものでも簡単に買える。片なら全国民で巨人を応
 援していたのかもしれないが、Jリーグやbjリーグ、野球の独立リーグなどもどんどん
 増え、誰でも地元のプロチームを地元で応援できる時代になっている。そして逆に里山では、
 都会では今でも味わえない自然と水と空気と家庭菜園と、都会とは比較にならないほどおい
 しい食材とゆとりある住居を、格安で享受することができるのだ。
                                                                            、
 「そんな日本の田舎の問題は、もはや職場の不足だけだと言ってもいいのだが、その職場も 
 安定した企業で勤め上げる」という、実際には都会でももう普通は有り得なくなって来て
 いるモデルにこだわらない限り、実はどんどん生まれつつある。この本で紹介したのは本当
 にほんの一端のそのまた切れ端で、書籍でも雑誌でもネットでも、田舎で新たな収入先を開
 拓している若者や退職者向けの情報は満ち溢れている。収入は低くなっても、その対価とし
 て自分らしさを取り炭せる。流れは確実に変わっているのだ。

   中間総括で、「マネー資本主義は、やりすぎると人の存在までをも金銭換算してしまう」
 と書いた。もちろん、人はお金では買えない。人の存在価値も、稼いだ金銭の額で決まるの
 ではない、
  人間の価値は、誰かに「あなたはかけがえのない人だ」と言ってもらえるかどうかで決ま
 る。人との絆を回復することで、そして自分を生かしてくれる自然の恵みとのつながりを回
 復することで、ようやく「自分は自分でいいんだ、かけがえのない自分なんだ」ということ
 を実感できる。そのとき初めて人は、心の底から子どもが欲しいと思うようになる。自分に
 も子どもがいていいのだと思えるようになる。なぜなら子どもは、自分と同様に、そこにい
 るだけでかけがえのない存在だからだ。この自分の幸せを、生きている幸せを、子どもにも
 味わって欲しいと心の底から思うとき、ようやく人は子どもを持つ一歩が踏み出せる。



 「社会が高齢化するから日本は衰える」は誤っている

  少子化に触れたので、高齢化と里山資本主義の関係にも触れておきたい。少子化と高齢化
 を混同して「少子高齢化」と一緒に呼ぶ人がいるが、高齢化は少子化とはまた別の問題とし
 て近未来にたちはだかる。
  日本が今経験している高齢化とは、一言でいえば高齢者の絶対数の増加、より正確には7
 5歳以上(後期高齢者)、あるいは85歳以上(超後期高齢者とでも呼ぶべきか)の人口の
 急増のことだ。これを「高齢化率」のL昇のことだと思っていると事態が見えなくなる。
  これまで何度も使ってきた、国立社会保障・人口問題研究所の2012年中位推計によれ
 ば、2040年の日本では、85歳以上のお年寄りが一千万人を超え、他のどの五歳刻みの
 年齢階層よりも多くなり(ちなみに2010年現在は四百万人なので2・5倍以上に増え

 ことになる)、11番目に多いのが65~69歳というような状況となる。その20年後の

 2060年になると、85歳以上人口だけが一千万入超で、45~84歳はどの5歳刻み
 年齢階層も五百~六百万人と大差ない状態になるという。さらにその先の2070年ともな
 ると85歳以上の絶対数も大きく減ることが期待されるので、際限なく続くかもしれ
ない少
 子化に比べれば、高齢化は時間が解決する問題であるとも言えるのだが、それにして
も解決
 する頃にはこの本を読んでいるほとんどの方が亡くなっている、あるいは超後期高齢
者とし
 てからくもご存命であるというようなことになっているだろう。

  この人口予測の話を持ち出すと、機械的に、日本の将来に対する悲観論者と受け取られる
 ようだ。2012年には英国エコノミスト誌の将来予測が話題になったが、これによれば                                        
 050年の日本のGDPは現在の世界第三位から、韓国にも抜かれてブラジルやロシアと同
 程度となるという。この評価は、今後の韓国やロシアの日本以上の急速な人口減少をどこま
 で盛り込んでいるのかたいへん怪しいものだが、いずれにせよマネー資本主義の枠組みの範
 囲内で、その基準だけで下されたものである。
  これに対して筆者は、「社会が高齢化するから日本は衰える」といった議論にはまったく
 賛成していない。むしろ、先にも触れた2060年の日本については、およそ思いつく限り
 の困難を想定した上で楽観したシナリオを持っている。
  これまで人類が経験したことのない超高齢化社会のトップランナーであり、マネー資本主
 義を徹底的に突き進んでその限界を自覚しつつある日本だからこそ、里山資本主義的な要素
 を取り込むことで、「明るい高齢化」の道を進んでいけると思っているのだ。

 里山資本主義は「健康寿命」を延ばし、明るい高齢化社会を生み出す

  根拠の第一は、既に世界トップクラスである目本の「健康寿命」(心身とも健康である年  
 数)が、里山資本主義の普及でさらに上昇すると考えられることだ。日本は平均寿命も世界
 トップクラスだ。これが、日本経済が「衰退しているかのように言われるけれども実は高位
 安定している」証拠であることも既に述べた。
 日本の高齢化率(六五歳以上人口÷総人口)は23%を超えており、たとえば米国の2倍程
 度の水準だが、国民一人当たりの医療費は現時点でもアメリカのほうが高い。そもそも一人
 当たりの医療費は、平均寿命の長さとは連動しない。車で移動し脂肪分の多い食事を大量に
 取る米国人は、比較的若いうちから多くが生活習慣病を患ううえ、平均寿命も日本人より4
 年程度短いが、日本よりも医療にはお金がかかっている。そのうえ米国のように、医療保険
 制度も完全にマネー資本主義の世界での競争に任せたほうがうまくいくと信じ込むと、この
 ように実際には効率がとても悪い結果になったりする。
 とはいえ、日本全国どこでも優等生かと言えば、地域差はかなり大きい。たとえば多年健
 康長寿の県として知られてきた沖縄県は、近年は男性の平均寿命が全国の都道府県の中でも
 ドヤ分に属するところまで低下し、高齢者1人当たりの医療費も年々増えている。占領下で
 米国流の食生活が浸透し、かつ戦前にはあった鉄道が再建されないまま車社会となってしま
 ったために歩く習慣が失われ、健康寿命も落ちてしまっているのだ。
  他方で男性の平均寿命が一番長いのは長野県だが、ここは高齢者一人当たりの医療費も全
 国殼低水準だ。実際問題として医療費は、小さな病気をするくらいのことでは大して増えな
 い。生きるか死ぬかギリギリな状態で人退院を繰り返すと跳ね上がるのだが、この県では戦
 後早くから、家庭にまで出向いて食生活など生活習慣の改善を指導し、大きな生活習慣病を
 防ぐ「予防医療」が取り組まれてきた。
 加えて、艮野県が日本有数の里山の県であるということも無視できないのではないかと筆者
 はいっている。もちろん長野周辺や松本周辺などの都市部は、平地に乏しい割にはすっか
 り車社会になってしまっている感があるが、高齢者が多く住む山村部分では、土に触れなが
 ら良質な水を飲み清浄な空気を吸って暮らし、自宅周辺で取れる野菜を活かした食物繊維の
 多い食嘔を摂る暮らしが続いている。生活の中に、普通に自然との触れ合いが取り込まれて
 いる。
  もし日本全国が長野県並みのパフオーマンスになるだけで、高齢者の増加による医療福祉
 の負担増は、かなりのところまで抑えることができる。しかも今後の里山資本主義の普及は、
 長野の山村で営まれているような暮らしを送る人を、確実に増やしていくだろう。
  田舎に移住せずとも道はある。たとえば大都市周辺部の団地では空き家が増えるばかりだ。
 現在はそこを自分で購入した世代が存命なので、彼らは一生をかけて購った場所を、安価で
 手放すことはどうしても受け入れられないだろう。しかしそこに住んでいない相続人の世代
 となれば、住宅としての使用をあきらめ、底地を周囲の住人の家庭用菜園として貸す動きが
 必ずや広まっていく。
  群馬県安中市の長野新幹線(北陸新幹線)安中榛名駅前の高原に、JR東口本の分譲する
 住宅団地「びゆうヴェルジェ安中榛名」がある。ここは開発当初は首都圏に新幹線通勤する
 層による購入を想定していたのだが、首都圏での地価下落でそうした需要は見込めなくなっ
 
てしまった。そこで柔軟に発想を転換し、二区画を一戸分として販売、家庭菜園やガーデニ
 ングを楽しみたい層を引き付けて、ほぼ完売状態を達成している。
  地権者が地価の低下さえ受け入れられれば、同じようなことが大都市間郊外のあちらこち
 らで起きていくということだ。これは里山資本主義の、大都市間への逆侵入である。

 里山資本主義は「金銭換算できない価値」を生み、明るい高齢化社会を生み出す

  日本が「明るい高齢化社会」への道を進んでいけると考える根拠の第二は、脱出資本主義
 の普及に伴って、今後ますます、金銭換算できない価値を生み出し地域内で循環させる高齢
 者が増えていくだろうということだ。
  金銭換算できない価値を生み出す? 地域内で循環させる? 抽象的過ぎて何のことかわ
 からないかもしれない。たとえば庄原の高齢者福祉施設を思い出してもらいたい。地域の高
 齢者の生産する半端すぎて市場に出せない農産物を、地域の高齢者福祉施設が食材として使
 う。そこで出た廃棄食材を肥料にして、高齢農民に還元する。一部では金銭のやり取りも介
 するが、そこで循環している価値全体からみればごく一部に過ぎない。生産者の生きがいの
 増加、施設の利用者の健康の増進、結果としていらなくなった食材代や肥料代、それを運ぶ
 はずだった燃料代。いずれも金銭換算できない価値、あるいはGDPにとってはマイナスだ
 が現実には意味のある価値であり、それらが地域内を循環しながら輪を拡大させている。
 これはほんの一例で、元気な高齢者が先に衰えた高齢者を介護するNPO、公共スペース
 に花壇を作る老人会、小学生の通学時に道路横断などを助けるボランティアのお年寄り、幼
 稚園や放課後の小学校などで子どもに遊びを教えるおじいさんなど、金銭換算できない価値
 を生み出し、増殖させている高齢者は全国に無数にいる。
  自分が食べるために畑を耕す高齢者も、その分店で食材を買わなくなるわけだからGDP
 にはマイナスかもしれないが、上に触れて働くことで元気になり、余った野菜などをおすそ
 分けすることで回りとの絆が生まれ、というように、やはり貨銭換算できない価値の循環が
 その周りに生まれる。
  高齢者の絶対数のさらなる増加に伴い、そうした方々の数がこれからさらに増えていくこ
 とは確実だ。もちろん元気に働いてお金を稼いで使う高齢者も増えていっていただいていい
 のだが、お金を稼がずとも社会的な価値を生み出す高齢者も、もっと評価されていい

 


         藻谷浩介 著『里山資本主義-日本経済は安心の原理で動く』pp.274-297


わたしの経験で言うと、社会的素数は"三”にこだわり三人の子供を育てる予定でいたが、三人目
はやむを得ない理由から流産させている。つまり、残りの二人が平均年齢まで、出来ればまっと
うさせ、それぞれの子供が2、3人子供を育てないと人口の逓減はとめられない。一説によると
いま食い止めようとするなら(数字上)、6人の子供を育てなければならないという-が、何と
なくそれが自分の責務のように考えきたが、古典的な"種族繁栄のための生殖"という意義には拘
らない、謂わば、社会全体で出生・育児・教育を行うことの意義に力点を置いたものだった。だ
からこそ、このまま先進国である日本の出生率の逓減を見過ごしていいものか国民的議論がなさ
れなければと漠然と考えてきたものである。もう少し踏み込めば、出生率の目標を中央政府も積
極的に設定すべきだと思っている。



※この場合、強制力は出来る限り「ゼロ」が良く、寧ろ、奨励力(子育て支援、出産手当、教育
 支援など)の産助制度の充実にシフトさせる方が良い(例:フランス、ダブル・インカム・ス
 リーキッド政策
)。

                                                        この項つづく

 

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高性能薄膜シリコン系太陽電池とは

2014年04月17日 | デジタル革命渦論

 

 

変換効率25%アップ時代 そのⅡ】 



 表 国内の太陽光発電設備規模及試算結果結果

HITが世界最高変換効率25.6%を研究レベルで達成したことを取り上げたが、これだけでは頭
を整頓できないと補考してみた。これらの開発スケジュールは経産省(上図クリック)の開発ス
ケジュールとも沿っている。ところで、アモルファス薄膜太陽電池の基本構造は、pin 構造であ
る(図1)。c-Si に比べ品質面で劣るa-Si:H ではノンドープのi 型(真性,intrinsic)層をドー
プ層間に挿入し、i 層を空乏層化して高電界をかけ、この電界により光生成キャリアを電極へ輸
送するキャリアドリフト型デバイスである。ドープ層はこのi 層に内蔵電界(内蔵電位、built-
in ポテンシャル)を形成する役目を果たし、ドープ層で生成されたキャリアは再結合して光電
流としては取り出せない(dead layer)ので、光入射側に用いられるp 型窓層は、できるだけ
吸収係数の小さなワイドギャップ材料が必要である(専門用語が多すぎて普通のひとが読めばわ
からないが、こんかいの開発成果である、"薄膜太陽電池の量子スケールデバイス設計"を前に進
める)。
 

 



上図は、HIT太陽電池の構造を示す。アルカリ溶液による異方性エッチング法を用いてn型チク
ラルスキー(Cz)のc-Siウェハ表面に周期的なテクスチヤー構造を形成した後、基板上に真性
な(i型)アモルファスシリコン(a-Si)層とp型のa-si層を堆積することでp/nヘテロ接合を形成
し、p/nヘテロ接合の反対西側には、i型とn型のa-Si層を堆積し,BSF(Back Surface Field)構造
を形成する。ドービングされたa-Si層の両側には、透明導電酸化物(Transparent Conductive oxidel
TCO
)層と金属グリッド電極を形成することで表裏対称構造を有するHIT太陽電池セルが形成で
きる。各プロセスは、200℃以下の低温で形成され、セル製造に必要なエネルギーも小さい。HI
T太陽電池最大の特長はc-Siウェハとドーピングされたa-Si層の間に高品質なi型a-Si層を挿
入することによって、c-Si表面における良好なパッシベーション(不活性)性能か得られる。
この良好なパッシベーション性能は、太陽電池特性を低下させるc-Si表面の欠陥による再結合を
抑制し、高い開放電圧(open circint voltage::Voc)得ることかできる一方、約900℃の熱拡散により
形成される一般的なc-Si太陽電池は、金属電極と半導体界面での再結合速度か速いため、高い
ocを得ることができないので,両者を比較すると、HIT太陽電池は高い変換効率を有する。ま
た、この高いocは変換効率改善だけではなく、良好な温度係数をもたらす。加えて、HIT太陽
電池の対称構造には2つの利点がある。1つは、両面発電が可能であり、セルの一方面からの光

入射による発電だけでなく、反対面側からの光入射に対しても発電が可能であり、地表面からの
反射などを利用することにより、発電効率を1割以上向上できる。2つめは、表裏対称構造によ
り熱や機械的なストレスが緩和できる。この2は大きな魅力だ。
このように、一般的なc-Si太陽電
池に対し、発電特性においても構造的特徴においても優れたHIT太陽電池セルは、三洋電機独
自の技術であり、上記の特徴から、近年欧米やアジアでHIT太陽電池構造が注目を浴びている。



さて次に改良課題について整頓してみよう。ます1つめはダウンサイジング(薄膜化)について。
太陽電池の製造コストを低減するには、Siウェハの厚みの削減が効果的だがウェハ厚が薄くなる
といくつかの課題が生じる。1つめの課題は、機械的な強度が弱まることである。薄いSiウェハ
は、割れやすくなるだけでなく、熱や機械的なストレスの影響を受けやすく、反りが発生する。
セルの反りは太陽電池セル同士を直列につなげて作製するモジュール化工程で、深刻な歩留まり
低下を引き起こす。2つめは光電流の減少である。Siのバンドギャップである1.1eV近い領域(
11,00nm付近の近赤外光領域)では、Siの光吸収係数か低く、Si内部で吸収されないフォトン数
がウェハ厚の減少とともに増加し,短絡電流(short-circuit current:I
sc)の減少を引き起こす。3つ
の課題は、ocの低下である。Si表面での少数キャリアの再結合確率かSiバルク中の再結合
確率よりはるかに大きいときにSiウェハ厚が減少するのにしたがって、Si表面におけるキャリ
ア再結合の比率は増加する。この場合、ocは減少する。下図は、一般的なc-Si太陽電池では、
1×105cm/sの裏面再結合速度とSiバルク寿命を2000μsと仮定した場合のPCIDシミュレーショ
ンによる:VocとIscのSiウェハ厚依存性のグラフで、200μmのセルで規格化した場合の相対値
を示す。この計算結果は、薄いSiウェハを使用することで、太陽電池特性のうちocおよびIsc
が低下していく様子を表している。

 

さらに、上記の課題をHIT太陽電池の特長か解決してくれる。1つめは、HIT太陽電池が
表裏対称構造であることと、各プロセス温度か200℃以下であることである。厚さ5μmのc-Si
ウェハを用いたHIT太陽電池セルで反りが無い。この表裏対称構造と低温製造プロセスは、a
-Si,TCOおよび金属グリッド電極形成時に反りを抑制、HIT太陽電池の構造がより薄いc
-Siウェハの使用に適していることを示す。
2つめは、a-Si層の良好なパッシベーション特性
で、厚さ165μmのHIT太陽電池セルで規格化されたoc、、Isc 変換効率のセル厚み依存性で、
良好なパッシベーション性能により、a-Si/c-Si界面に おける表面再結合速度か小さい場合、
Siウェハ厚が減少するにしたがい、バルク中で再結合する少数キャリアの割合が減少、結果と
して、oc 増加する。これが scの減少を補完することで薄いSiウェハの使用による変換効
率の低下が抑制できる。


●HITセルの損失計算の内訳

さらに、薄型HIT太陽電池セルの特性損失では、光学的な損失か大部分を占め、それ以外では
抵抗損失やダイオード特性などによる電気的損失となる。光学的な損失をさらに細分化すると、
表面形状と反射防止効果で低減しきれない反射損失とc-Si以外の層による吸収損失、さらに金
属グリッド電極によるシヤドウロスとなる。また、抵抗損失には、TCOと金属グリッド電極に
よる集電の抵抗損失,a-Si膜の抵抗損失、およびa-Si/TCO界面やTCO/金属グリッド電
極間の接触抵抗損失か存在する。ダイオード特性損失は、主にa-Si/c-Si界面での再結合確率に
よる損失となる。薄型HIT太陽電池セルを基準として百%とした場合、これらの損失を合計す
ると約26%の改善の余地か存在し、すべての損失を無くすことで29%の理論変換効率となる。こ
の値はc-Si系太陽電池の理論変換効率と一致する。ただし、26%の損失の中で不可避な損失も
存在し、各損失を程度減少すれば、25%超の変換効率がHIT太陽電池セルで実現できる(つま
り、今回の発表によると23%を各損失要素を50%改善したことで→25%超を実現した)。

さて、HIT太陽電池セルの性能改善の「光学損失減少のアプローチ」には、1つめとしての表
面反射損失を低減に、c-Si表面のテクスチャー構造の最適化といて、ウェットプロセスによる
Siテクスチャーは、構造的な角度が58°と決まっているが、同じサイズのテクスチャーの一様性
が重要。異方性エッチング速度をコントロールすることでこれを実現、2つめa-Si層とTCO
層の吸収損失の低減があり、a-Si層の厚みは約0.01μmと非常に薄いものの、300nm~700nmの波
長領域の光吸収係数か大きく、わずかな厚みで大きくa-Si眉での吸収量か増加する。ただし、a-
Si層を薄くするとc-Si表面のパッシベーション性能が悪化し特性を低下させるというトレード
オフがあり、いかに良質なa-Si膜を得るかが重要で、所望の膜質が得られるように制御し一様で
良質なa-Si膜がえられる。3つめはTOC層の吸収低減に、成膜条件の変更と材料の最適化によ
り、膜のキャリア密度を減少させ、移動度を向上できる。キャリア密度は、プラズマ振動による
900nm 以上の長波長光領域の吸収と大きく相関があり、移動度においても同様に有効質量の変化
によるプラズマ振動数と相関し、キャリア密度減少と移動度向上により、長波反側の光吸収を減
少させることができる。4つめは、金属グリッド電極のシヤドウロスの改善で、金属グリッド電
極直下は無効領域となり、金属グリッド電極の細線化か重要で、金属グリッド電極を単に細くす
るだけでは、体積抵抗か増大し、抵抗損失を大幅に悪化させるので、細線化と同時にアスペクト比
率(電極高さ/電極幅)の改善が必要となる。このため、金属グリッド電極の形成条件を細かく
管理することで、細線かつ高アスペクトな電極を実現し、無効領域の削減を実現する。

つぎに、「電気特性損失低減のアプローチ」として、電気特性損失低減には、主に抵抗損失を低
減することであり、太陽電池特性の中の曲線因子(Fill Factor::FF)の改善される。抵抗損失低減
として最も効果的なものは、TOC膜と金属グリッド電極による集電抵抗損失を最小化する金属
グリッド電極の形状と本数の最適化であり、TOC膜は、キャリア密度の低減以上の移動度向上
を実現することで、横方向のシート抵抗減少できる。また、金属グリッド電極も高アスペクト化に
より、体積抵抗が減少できる。この両者の抵抗値を用いて、最適なグリッド本数を計算すること
で、無効領域の削減と、集電による抵抗損失の減少の両立ができる。

以上、理論変換効率とされる29%まで後4%に迫ったことをここに確認した。もはや、原発は
不用であることも(少なくとHITを全国展開すれば実現できるという担保を手にした)
ここで確
認した

 

 

 

 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

 ●里山資本主義異論

チョット間を開け過ぎてもなんなので『里山資本主義』を読み進めておこう。貨幣あるいは、

債の増刷する、つまり信用付与する中央政府目的は、便益性を劣化させず(=過剰なインフレー
ションを防止しながら、行き詰まった不況下の日本経済の打開、あるいは東日本大震災と福島第
一原発事故からスムーズな普及・復興にある。したがって、自然現象と社会現象をゴチャ混ぜ(
混同)た議論はナンセンスだし、国債(=長期事業資金調達手段)が赤字化(=事業劣化)を生
んでいる原因・機構の解析を議論せず批判するのもどうかと考える。確かに、潜在的需要と潜在
的供給のバランスが崩れるとインフレーションが起きるが、それとて、需供ギャップという指標
で計量しておけば良い話しだし、字化した国債引き受け基準を設定(アルゴリズム開発)し
中央政府が相殺すれば良いことである。なぜなら、日本の国民多くは、それらを賄う潜在的な勤
労意欲が充分に備わっていると考えるからだ。それを上手く導出できないのは、リーダシップが
欠如(あるいは不足)しているからだと考えている。その前提の上で先回の上勝町の『葉っぱビ
ジネス
』のように、"里山資本主義"を考えてみたい。また、自由な議論には、吉本隆明が言った
ように"タブー"と"萎縮"は排除したい。
 

 不安・不満・不信を乗り越え未来を生む「里山資本主義」

 「日本経済は衰退に向かっているのではないか」という人びとの不安。それは以上述べてき
 た雅実の提示程度では、残念ながら消えない。不安が消えないのは、筆者の論点自体が「そ
 うはいってもマネー資本圭義の枠内の話」であるからだ。筆者は平均値による即断を否定し
 て、個別の事実をきちんと踏まえてから判断しようと語ってきたわけであるが、そこで示し
 た「実は日本はダメダメではない論」は、いずれも「マネー資本主義全体が行き詰まらずに
 お金が回り続けるのであれば、日本もその中で何とか稼いでいけますよ」という域を出てい
 ない。「地に足が着いていない」という語があるが、マネー資本主義は、しょせん地に足着
 かぬ空中戦の話だ。宙に浮かんだお金の循環自体が根底から崩壊してしまうようなリスクが
 常にあることを、瀧日本大震災を経験した以降の日本人は、本能的に気付いているのではな
 いか。

 天災は「マネー資本主義」を機能停止させる

  今回の震災では、東北から北関東の太平洋沿岸を平安時代前期以来の規模の大津波が襲い、
 遠い過去をすっかり忘れていた多くの日本人を打ちのめした。しかし常軌を逸した人災害は
 文献に残るものだけでもまだいくらでもある。
  平安時代前期に秋田県北部の米代川流域を埋め尽くした十和田胡人噴火の泥流。室町時代
 中期に東海道沿岸を襲い、淡水湖だった浜名湖を海とつなげてしまった明応の大地震と大津
 波。江戸時代中期に有明海沿岸に甚大な津波の被害をもたらした、雲仙噴火に伴う眉山の崩
 落。同じく江戸時代中期に沖縄県の八重山諸島などで一万数千人の死者を出した、波高40
 メートルの国内文献記録上級大の大津波。その前後には、有名な鬼押し出しを形成した浅間
 山の噴火や、富士山の宝永噴火などもあり、大量の火山灰噴出が気温の低ドをもたらして、
 天明の大飢饉を深刻化させた。いずれも、今の世で同規模のことが起きれば世界が震憾する
 ものばかりだ。
  それでも自分の家の横に水や田畑や里山のある地方はまだましだ。世界最大の大都市圈で
 ある首都圏や、先進国ベスト5に入る同じく巨大都市圏である京阪神圏には日本人の半分近
 くが暮らしているが、そこでは燃料、食料はもちろん飲料水すらまったく自給できていない。
  仮に南海トラフ地震の最大級のものが起きてしまって、東京-大阪間の中枢的な産業機
 能・物流機能が停止したら? 致死性の高い新型インフルエンザが突如大流行したら? ま
 ったく想定外の勢力によるテロが東京ほか先進諸国の中枢都市を同時に襲ったら? ハリウ
 ッド映画のネタではあるまいし、そんなことを心配しても仕方ないという話かもしれないが、
 起きる可能性はまったくのゼロではない。同じことが地方で起きたときとは比較にならない
 ほど、大部巾圏住民の困窮や混乱のリスクは高まるだろう。
  もとより、可能性でいえば低い話に過ぎない。だが低い可能性でも心配してしまえるほど
 脳が発達した動物である人間の業というものが、いや言葉にして考えていなくても生き物と
 しての本能で感じ取ってしまっているという現実が、不安・不満・不信の根源にある。日本
 経済を動かしている大都市圏の住民になるほど、実は先行きに対して大きな不安を抱き、心
 の奥底で自暴自棄になってしまっている。最近の日本人が、取り敢えず国債乱発や取り敢え
 ずの原発再稼動など、刹那的な行動に出てしまうのも、その裏返しなのではないだろうか。

 インフレになれば政府はさらなる借金の雪だるま状態となる

 
  取り敢えずの国債乱発という刹那的な行動、と書いたばかりだが、マネー資本主義の行き
 詰まりは、毎年の国債増発の結果、ついに世界一の借金王になってしまった日本政府の財政
 を見ても実感される。
  多年の自民党政権も、3年間の民主党政権も、国民の生活のため、震災復興のため、大型
 経済対策のためと称して赤字国債の発行を続けてきた。あまり投票に行かない若い照代や、
 投票権のない子ども、まだ生まれていない子どもにツケを回し、今年さえよければ、足元さ
 えなんとかなればと、対GDP比率で2倍以上と世界一の水準の借金を債み上げてきた。
  もはやそのツケは子孫に回るだけではない。投票ないし無投票という行動で借金債み増し
 を是認ないし黙認してきた当の世代自身にも、年金支給開始年齢の後送りや医療福祉サービ
 スの切りドげという形で回り始めている。それだけではない、極度のインフレという、高齢
 者や中高年のこれまでの金銭的蓄積を、元も子もなくすような事態が起きる危険性も少しず
 つ高まりつつある。これまでは幸いそうなっていなかったが、日本人の人生は世界有数に良
 いので、誰もが、逃げ切れる保証はどこにもない。
  これまで際限なく国債残高を増やし続けて来られたのは、幾ら出しても何とか売れ続けた
 からである。国債の九割以上は日本の企業や個人が保有しているのだが、それは日本の企業
 や個人に現金があったからだ。だが先に述べたとおり、化石燃料高の今世紀、さらに円安が
 進めば貿易赤字が拡大し、金利配当収入も食い潰して日本全体が経常収支赤字になりかねな
 い。プラザ合意で円高が始まって以降も、毎年5~20兆円以上あった経常収支黒字がマイ
 ナスになるということは、定義七はその分自動的に現金が国内になくなるということではな
 いのだが、国内での国債消化能力が大なり小なり下がっていくことは避けられない。
  それでも米国のように国外から借金をし続けられる国であればまだ良いのだが、円安に向
 かう見通しが高い中、日本国債を海外に売りたいのであれば、現状の平均1・4%というよ
 うな低金利では難しい。そうでなくともインフレ誘導をするというのであるから、国内で国
 債を消化するためにも金利をもっと上げねばならないだろう。しかし国債の発行金利を上げ
 ると、既に発行されている国債が市場で売買される際の流通利回りもLがる。実際には発行
 済み国債の金利は発行時に決まっているので、金利が上がった場合には国債そのものの売買
 価格が下がることで金利水準が上がるという調整が金融市場で自動的に行われる。つまり発
 行済み国債を持っている企業や個人の財産が目減りするということだ。
  少々の金利上昇ならともかく、市場はそのときの世の気分次第で極端な動きをすることも
 多い。世界のどこかで起きる何かがきっかけで金利七昇が過度に進めば、国債を多く保有す
 る年金基金や生命保険会社、地方の金融機関などが打撃を受ける。国債保有高の目減りが進
 んで彼らの財務内容が悪化すると、年金システムや余融システム全体が機能不全に陥ってい
 く危険もある。
  金利が上がれば国の資金繰りも無事では済まない。現状の低金利下でも、年間の国債金利
 支払額は10兆円に達しており、政府の年間税収の四分の一以上がそこに消えていることに
 なるが、仮に国債金利が一時のイタリアのように6%になれば、政府の税収は全額国債利払
 いに回ることになり、日本の公共部門は実質的に機能停止に陥る。
 「インフレになれば借金が目減りするので、政府にとっては都合がいい」という俗説がある
 が、これは大間違いだ。前記の通り、インフレになるときは国債金利も上昇している。発行
 済みの国債の価値はどんどん減るが(つまり損は持っている人に回るが)他方で政府の税収
 は多くが利払いに消えることになり、通常の政府機能を果たそうと思えば、インフレ率を7
 回る高利で国債を新規発行するしかない。錬金術はないのであって、インフレになれば政府
 はさらなる借金の雪だるま状態となる。
 実際問題、世界のマネーゲーマーの中には、日本国債が暴落に向かうことを期待して、そう
 なれば儲かる方向に相場を張っている(日本国債が暴落すれば値上がりするようなデリバテ
 ィブ商品を買っている)向きも多い。彼らは、国債増発と円安誘導を同時に行うアベノミク
 スの登場に、さぞや期待を高めていることだろう。とはいってもこれまでのところ、日本暴
 落側に張ってきた連中は延々と期待外れの結果を突きつけられてきた歴史があるので、今度
 もそのように行くことを願うものではあるが。

         藻谷浩介 著『里山資本主義-日本経済は安心の原理で動く』pp.274-280

                                                      この項つづく

 

 

再び、ピーエム2・5が危険水位にあるかのような状況になっている。大型火力兵器でなくとも、日本お
よび周辺諸国の住民は生命危機に曝されているのだと考えると、いかにも鈍感(だれが?)だ、と叫び
たくなる。

 

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「超人間力」とは

2014年04月15日 | 時事書評



 1999.09 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】  

●『異形の心的現象』を二度読む

 2009.11.25

昨夜の「親鸞の悟りに学ぶ-チベット仏教を支持した善光寺の教え」のつづきから入り、今回でこ
の項はお
わる。ここまでをまとめると、産業の高次化が進展し、また、高齢化、少子化という社会
が成熟したした時代にあってより最大多数が"幸福(充実)感"をもって(逆にいうと、閉塞や停滞、
抑圧、あるいは、森本公夫のいう”生き辛さ”を感じることなく)、生涯を真っ当できる社会を構
築するための仕組みづくりを担う、営利・非営利の政治経済活動(プロジェクト、ビジネスモデル)
の創生を考えるヒントを汲みとることがねらいであった。


●親鸞の悟りに学ぶ-チベット仏教を支持した善光寺の教え

Q:非常に珍しいことですね。
A:珍しいですね。僕は一度観光に行ったことがあるだけですが、場所は知っているし、無宗派
  時代の何かを保存しているということは、調べてもらって初めて知りました。ですから、ど
  ういう袈裟を着てどういうお経を唱えるかというのは各宗派から選んだ輪番制でしているら
  しいですね。やはり無宗派宗教を保存しているというのが本領らしいですね。
   中沢新一に言わせると、浄土真宗の今の坊主というのは一番悪いですよ、普段何もしない
  でお葬式だけ頼まれてやっているのですから、といっていましたね。
Q:浄土真宗はある意味では何もしなくてもいいんですね。
A:そうなのです。ですから、浄上真宗はひどいもんですよ、と中沢新一が悪口をいうんですが、
  それはちょっと違うんだよ、と僕の家の宗教ですから弁護はしているんです。僕のお祖父

  んとお祖母さんは完全に西本願寺派で、理屈が一番大事と言っていました。築地の本願寺か

  ら帰って来る道がわからなくなると築地の交番に保護されて、そこから月島の交番に連絡が
  いって、月島の交番からお宅のお祖父さんお祖母さんを保護しているからと家に連絡が来る
  んですよ。そうすると、親父にお前いってこいといわれて仙術の向こうまでいって連れて来
  るの です。それくらいぼんやりしてはけちゃって、時どき迎えに行っていました。お祖父
  さ
んもお祖母さんも本当の意味で浄土というのを受け入れていたと思います。親父になると
  懐疑的に
なっていて、法事だけはやりましたけれど、僕になったらなおさらだめになってし
  まいました
ね。
Q:僕の家もそうですね。うちのお祖父さんは毎朝晩お経を上げていたのですけれども、親父に
  なるとごくたまにでしたし、僕なんかまったくだめです。

●科学技術思考の分かりやすさの陥穿 テレビ文化の機能をはじめて知る

Q:精神科の治療というのは、よくなる中で脳のあり方も変わるのだとは思いますけれども、
  して薬だけで治るわけではありません。患者さんのまわりの共同体が崩れたから病気ができ
  
わけで、患者さんが治るというのは新しい共同体を各患者さん毎につくり直すという作業
  を伴う
んですね。ちょっと大げさですが、こういう作業は一種の世直しに通じますね。そし
  てこれこ
そが「地域医療」と呼ばれるべきものだと思います。こんな考えは主流派ではない
  ですけれど
も、薬だけで治ると思っている医者も多いわけではありませんから、そういう考
  えも少しずつ
増やしていけたらなと思っているんです。今の時代は自分でやれることをやっ
  ていくしかない
と思います。
A:科学的なこと技術的なこと産業的なことが発達していくにつれて、宗数的な信仰がだんだん
  
それからん無くなっていくのでしょうか。
Q:これからでしょうか。新しい意昧での宗教といっていいのかどうかわかりませんけれども、
  宗派宗教が崩れて、やっぱりスピリチュアルなものをどう考えるのか、そういう気持ちは

  っていますし、新しい意昧でのもっと聞かれた宗数的なものはむしろこれから出てくるので
  は
ないかと思います。患者さんとか僕らの立場から人間を見ていると、そういうものは人間
  にとっ
て必要ではないかという感じがするのです。
A:新しい宗教、科学的なことというのは、いってみればどんなに難しいことでも1+1は2で、
  1+1が3になることはない。それだけは決まっていて、そのほかのことはその時々で、発

  達が著しい時もそうではない時も問題にならなかったのに、今、なぜ科学技術的なことや脳
  の問
題が先になってくるかというと、単に考えやすいからだと、僕はそういうふうに思いま
  す。

Q:脳研究は実験を基にしているわけですけれども、実験というのはある部分だけで成立する
  とがあたかもすべてであるように考えられてしまうわけで、脳でセロトニンが出れば気分が
  よ
くなるとか、ということは部分的に当たるかもしれないけれども、人間の精神というのは
  もっと
広大かつ深甚なものだと思います
A:そう思いますね。僕はそういったことを『唯脳論』の養老さんに聞いたことかありまして、
  われわれは複雑なことを考えるのだけれども、脳のはたらきは複雑なものですかと間いたら、
  い
やそうじゃない、何かを考える時、目で見ている時は、脳の局所の細胞が励起されて、ほ
  かの事
を考える時にはまたほかの箇所が励起される、それだけのものなんですよ、と言って
  いました。
簡単だとは思いますが、そう簡単にされちゃうとちょっと言いようがない気がし
  ます。納得でき
ない何かが最後に残る気がしてくるんですね。
Q:その養老さんの『バカの壁』(新潮新書)とかがなぜあれだけ売れるのか、というのが不思
  議ですね。
A:養老さんの一世代下のお弟子さんたちが芸能人などを相手に、考える時にはどこ、感覚の時
  にはどこの局所が励起されるとか、よくテレビで説明しているのを聞いているといやに
なっ
 
 てしまいます。ですけどよくよく考えてみると、テレビというのはそういうものなんですね。
  そのことに気がつかなかった、といったらおかしいですが、ああいうことには大変いいもの
  だと思いますね。少し考えたり考えが複雑に絡んできたりする場合は、テレビではだめです
   ね。
Q:明快な結論がないとだめですね。
A:自分が馬鹿だったと言えばそれまでなんですが、それに気づかないでテレビを見ていたん
  すが、自分で出てみて、これはだめだと思ったんですよ。頭のなかで考えておしゃべりして、

  しているつもりだったけれど、僕はテレビを間違えていたなと、やってみて初めて気がつい
  たの
です。
Q:やってみたというのはこの間のNHKのテレビ出演のことですか(NHK教育テレビ「ET
  V特集 吉本隆明語る~沈黙から芸術まで~」、2009年1月4日放映)。
A:そうです。あれをやらなければ決別だというくらいに言われて、僕は一所懸命になって文句
  たらたら言いながら、僕が言うことを何度も繰り返してやっとつくったんですよ。冗談じゃ
  ない、あれでも僕にしてはうまくしゃべりすぎているので到底あんなものじゃなかった。む
  ちゃくちゃに縮めてしまって、やりながらあっと気がついたのです。僕はテレビの悪口ばっ
  かり言ったり、それでいてテレビが好きだということも一方で言っていたけれども、本当は
  テレビを分かっていなかった、こういうものはテレビでやるものじゃないと思いました
  もう一度だけあるんですけれども、その時は自分で気がついていたので、はじめからぶち壊
  すようなことを言って、それで僕は安心していたんですけれども、非常に信頼している人で
  僕が名古屋にいる頃お世話になった人が司会者だったのですが、いい加減困ってしまっただ
  ろうなと思います。
  テレビというのは解説にはいいメディアですね。それから目に見えるというのがいいところ
  だと思いますけれど、ちゃんとしたことをしゃべろうという時には、ぜんぜん機能しない
  いうことをやってみてはじめて気がついたのです。そういう意味ではテレビを馬鹿にしてい
  たなと思います。そういうことはやるもんじゃない、もう二度とやらないと言いながら知り
  合いで仲良しの人から頼まれたから出たのですが、ついでにそのうまいところを自分のもの
  にしてしまおう、ひとつ追求してみようとして、ある程度自分でも見当がつくようになりま
  したけれどもね。


●これからの同人誌という自己主張の場-「試行」の経験から


A:今、ちょっとずつ考え方がまとまってきたら僕はこれからどうしたらいいんだ、何を頼り
  したらいいんだと考えて、はじめの頃は薄い同人雑誌をつくっていたんですが、その初心を
  も
う一度違う規模でできたらそれでいいんだなと、同人雑誌の続きをやればいいんだと、最
  終結論
はそうなりましたね。同人雑誌というのは、少しずつ考えを溜めて、溜まっていった
  ら、こんなものが出せそうだ
といってはじめて出す。僕らが同人雑誌を作っていてもう一つ
  考えたことはどこまで続くかと
いう問題があって、続けなければいけない時にどうるかというと、
   例えば、千部売れるようになったら、大体半分くらい、500部か600部くらいしか小売店
  に出さないようにして、
頂上をつくらなければいいのではないかと考えたんですね。頂点を
  もうけるとあとは衰亡する
だけだというのはわかっていたので、これは1+1は2でいける
  考え方ですので、頂点をつく
らないようにすれば長続きするはずだと考えて、それで僕らの
  「試行」という雑誌ができた時は
そうしました。
   はじめは350部で、これでいつまで続くかといっていたらいやに調子がよくて、しまい
  には
だいたい7千部くらいまでいったんですね。注文が左翼系のウニタ書店などからたくさ
  ん来
たほか、普通のところからもたくさん来て、これは続きそうだと思いました。一番売れ
  た時で7千部くらいですけど、3千5百部程にしていくら言われても出さないようにして、
  ぽちぽちさばいていったんですよ。その二つが秘訣だったのです。それ以外に何の秘訣もな
  いし、何も考えていない。
   はじめのお金は11万円くらいで、島成郎さんが□をきいてくれたんです。それもちゃん
  と返済して、最後にあと二号分くらいのお金が余っているところで、身体は利かなくなるし
  家庭はむちゃくちゃになりましたし、これはだめだということで、関係者を招待して一杯飲
  んで止めちゃったんです。お金は谷川雁さんと村上一郎さんと三分の一ずつにして、それぞ
  れ勝手なことをしていいということにしようじゃないかといって止めました。その後も僕だ
  け「試行」をやっていたんですね。
   「試行」は同人雑誌としては成功したのです。同人雑誌的なやり方での成功はありうるな、
  ということは考えました。ですけど、今考えても同人雑誌をやって長続きさせるのは二つし
  かないのじゃないかなと思います。寄付金を相互に集めるところを平等に集めて、貯まった
  ら同人雑誌を出す、雑誌を出したら頂点を設けない、みだりに拡張しようとしないというこ
  とだと思います。僕が精いっぱい集団でやることで考えが及ぶことは、それくらいし
かあり
  ません。別に特に秘訣があったというわけではないんですね。それに類したやり方
でやれば、
  何とかできるんじゃないかなと考えています。

Q:「精神医療」という雑誌も最初は同人誌でスタートしたのです。今は批評社が関わっている
  のでちょっと違いますが。
A:
こんなところで、話になったかどうかわかりませんが、これでよろしいでしょうか。
Q:長い時間ありがとうございました。今、実は吉本さんの『ハイ・イメージ論』をすこし前
  ら読みなおしているところですので、また教えていただきたいところも出てくるかと思いま

  す。
A:僕の方も似たり寄ったりですね。
Q:吉本さんが頑張って生きているのを見るだけで僕は元気をもらえます。
A:とんでもない。あぶなっかしくてしょうがないですよ。

                            『異形の心的現象』pp.248-257


●超人間力構想の具現化

言語における「自己表出」と「指示表出」の両屈性を抽出した吉本さんは、さらに一歩を進め、そ
の奥にある「心」を規定しようと、「心的現象論」が出版された。有機体(生命体)が環界に
ある
ということ自体によりもたらされる違和、これを「原生的疎外」と呼べば、それ自体が心的
領域と
考えられる。この原生的疎外の領域をもとに、それに一種の純化処理することで
、「感覚」・「知
覚」・「感情」・「欲動」、「理性」などの領域を導出(プローブ)する
。これを「純粋疎外」の
心的領域と呼び、心とか精神とかが成り
立つ根拠を吉本が明らかにしようとしたと森本は指摘する。
そして、この吉本のの斬新かつ未踏の試行はと、自己組織系ないし自己創造系としての有機体(生
命体)は、オープンシステムであり、自己組織化のために、同時に外に聞かれている必要があり、
生命体は自己を閉ざし、閉ざすがゆえに開く自己矛盾態として存在し、この矛盾の領域こそが「精
神」の領域であり、それゆえ精神は内部指向性(心)と外部指向性との両面性の統合であると、森
本は解釈する。さらに、吉本は、老人を「超人間」と呼んで老人問題に新たな視点を導出し(消費
資本主義に到達した現在を「超資本主義」と同じアプローチ)、動物は反射的に動くが、人間は反
省的に行動する故に、老人はこの反省時間が長くなり「超人間」と呼称したとし、人にとって有用
であり、人間の新たな視点からの究明は、これまで中心的な人間像と考えられてきた西欧近代的な
「理性的人間」像の虚偽は、瞬く間にはぎ落とされ、新しい人間像が生まれるに当って、超人間と
しての老人がその中心的役割を果たす(ただし、人間の老齢期と同様に、人間の乳児・胎児期をも
重視し、老人問題と胎児問題の両面漸近から、従来の理性的人間像は大きく変貌)とむすんでいる。
つまり、この超人間力構想をオープンに積極的に援用することが『アベノミクス第三の矢』の核心
に繋がっていくと、そのように目的のヒントを汲み取とることができた。

                                        この項了

 1994.10

 

 「愚韓新論」を読む 



 日本とロシアが 戦争を始める時、日本の天皇はこの戦争が東洋平和を維持し、大韓の独立をし
 っかりするためだと言った。韓国と 清の人々はこの言葉を少しも疑うことがなかったので、お
 前・私の区別 なく日本を助けたのが一つの理由だ。
もう一つの理由は、日本とロシアの戦いが
 黄人種と白人種の争いと言えるので, 先日の恨み辛みの心が 一朝一夕に消えてしまったような
 人種を愛する心が起きたのだ。
愉快痛快。数百年以来で 先に立って悪い仕業をした白人種の行
 った無理を日本が一気に打ち破ったから、
これは まことに驚く事で記念すべき事である。当時
 韓国と清の志ある人々が一緒
に喜んでやまないのは、日本の政策や事を処理して出る模様が、
 悲しい。全く意外にも日本が勝利した後に最も近くて最も親しくて善良で弱そうな人種である
 韓国を
力で押えつけ、強制で条
を結んで、満洲の長春を他の地を借りるという言い訳のもと
 占領しまってから、世界中の国の人々は突然、疑心をもつようになった。


               
                       安重根「東洋平和論」より抜粋(1910.02)

 
※ 安重根はロシアを欧州は白人と見ているようだが、むしろ、アジア州の黄色人に近いと考える。
  この議論は残件扱いとする。




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変容を続ける精神疾患

2014年04月14日 | 時事書評

 



 1999.09 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】  

●『異形の心的現象』を二度読む

  2009.11.25

 

吉本は、「精神」というのは人間の内面的なものを全体的に含めて言うときと、感覚、感性に関
与する部分だけを「精神」と言っている場合があります。そして、「心」という場合は、この人
は心の中でこう思っているかもしれないということも含めて、コミュニケーションの問題を二次
的にして言う場合には「心」と表現しています。つまり「どう思っているか」ということを中心
にしている場合は「心」を使うというが(『里山資本主義で経済成長 Ⅰ』)、家族、地域(共
同体)、宗教、政治・経済・社会環境、自然環境などの環界の変動による「心の危機」あるいは
「精神疾患」を社会や家族的状況の変化でどのように変わってきたのか見てみよう。


●社会の病理と若者たちの無差別殺傷事件-正常と異常の狭間で

A:僕は戦争中でもそういう考えはなかったですね。戦争は肯定してやれやれといっているく
  せに、個人的な殺傷を肯定するようなことはなかったような気がしますね。もう一つ、そ
  れと少し関連することなんですけども、フルハムロードの三浦和義という人ですが、あの
  人は日本では無罪だったわけでしょう。アメリカヘ行って、アメリカで逮捕されて無罪で
  はないとして連行されて、獄中で自殺しました。その時に、何はともあれ日本の法律で無
  罪とされた人なんだから、アメリカに寄こせといわれたところで断るべきなんじゃないか
  と僕は思ったんです。断る方が正当だと考えていいわけです。
  僕は別に縁があるわけではないんですけれども、三浦和義の親父さんから電話をもらった
  ことがあるんです。親父さんは正反対のことを言っていましたね。うちの息子が犯罪を犯
   したといわれて捕まっているけれども、それは私とは別問題で、近所の子どもが家の前の
  道を通るたびに一言ずつ悪口をいって通っていくし、近所の人は輪をかけるように急にそ
  っけない態度をとるようになっていったと言うのです。こういうのはどうしたらいいんで
  すかと、訊かれたのですが、僕に訊かれたってわかるわけないじゃないかと思ったのです
  が、窮余の一策で、僕はよくわからないのですが、地方にはそれぞれ弁護士さんの集団で
  人権擁護委員会があると思いますので、そこにに訴えてそういうことを止めさせてくれる
    ようにしたらいかがでしょうか、と応えたことを覚えています。ご縁はそれだけなんです
    が、何となく彼がどうなったか気にはなっていたのです。
  ですから、日本政府はアメリカに断るべきだったのではないかという疑問が常にあって、
  それをしなかったというのは日本政府が悪いのじゃないかという考えが僕に残っていたわ
  けです。そう考え出すと、三浦和義が自殺したというけれどもそれは本当なのか、とまた
  疑いたくなってきて、自分のなかでも収拾がつかなくなってしまいます。
   
   そうなると、アメリカという国は、大統領を白昼狙撃した犯人が誰だかわからないよう
  にすることができるすごい国だなとか、江藤淳さんが言っていたことも思い過ごしではな
  くて本当だったんじゃないかと思ったりします。そういうところがみんな繋がってしまう
  感じですね。そうすると、あらゆる日本の法的な刑罰や判決が全部信じられないような気
  になって、だんだん自分もまた収拾がつかなくなるような、それがどこまでも繋がってい
  く感じがします。

Q:そのお話と関係するかもしれませんが、先ほど解離とうつ病が増えたと言いましたが、そ
  れとほぼ機を一にして、逆に分裂症・統合失調症が一面で軽症化、軽くなってきて、その
  比率も減ってきていると思われます。昔風の、例えば1960年代ではとにかく激しい患
  者さんがいて、やたらに攻撃したり、入院してもらうのに大騒ぎをして、入院してからも
  しばらく大騒ぎをする。それから妄想にしてもすごい妄想を持っている。そういうこと1
  960・70年代くらいまではありました。これには一つのパターンがあって、激しい患
  者さんの父親像というのはとてもガミガミいう、怖くきついお父さん、抑圧的で支配的で、
  そのかわりに息子は俺がとにかく面倒を見るんだと肩ひじを張っている、いわゆる昔風の
  父親のひとつの典型みたいな、要するにカフカの父親みたいなそういうイメージがありま
  した。そうした病状の重さは、父親像との関係に加えて、まだ当時は社会というか世間が
  それなりに抑圧的で重く機能していたことが関係していたのではないかと思います。それ
  が
先はどの解離、うつ病の増加に関連する社会や家族的状況の変化が、逆に統合失調症の
  場
合には軽症化や減少に関係しているのではないかと思われます。いずれにしてもやっぱ
  り
精神病の病像が変わってきてしまっていることは事実だと思います。吉本さんのところ
  に
も患者さんから手紙や電話がくると思うんですが、その辺りの変化についてご意見を伺
  い
たいのですが。


●ある事故の顛末-憂さ晴らしの会の変貌と荒廃

A:あまり難しいことはわからないのですが、僕らと子どもたちのそれぞれの知り合いで酒好
  きな人が集まって、イデオロギーも何もなくただ単に飲んでその場で憂さを晴らそうとい
  う集まりがあったのですが、その中で、別に何かの理念的、思想的なものがある人ではな
  いのですけれども、自殺した女の人が二人いるのです。これは何なんだろう、どうしてな
  んだろうということをいろいろと考えてみると、この憂さ晴らしの酒飲み会の雰囲気が素
  直で開けっぴろげな感じではなくなってきたということがありまし
  まったく含みはないですし、失礼な言い方になるかもしれませんが、そういう憂さ晴らし
  の場に商売のために飲みにくるという人が出てきたのです。こうなるとこの会も末期的症
  状だな、こういうのはよくないな、商売の話はこの場ではやめてくれと言える器量が僕に
  は無いんです。僕は当たり障りが無いように小さな声で内緒話みたいに商売の話をしてし
  まう。そういうふうにやり過ごしてきてしまったことが、一番悪かったのではないかと思
  うのです。そういう余計な話は違う機会にしてくれとか、そうは言わないまでも自分の方
  で断ってしまうという器量が僕には無いんですよ。自殺する人が出てしまったことを自分
  自身の周囲で考えると、これが一番の原因だと思いました。なぜ、そのことと自殺と関連
  があるかというと、僕自身にはなかなか解釈できないのですが、商売の話になると、ある
  社の編集者とある社の編集者で、大げさにいうと敵対関係、競争関係にある人たちが、お
  互い口をきかなくなってしまったりして、蜂の巣をつついたみたいになってしまったので
  す。関連付けるのはおかしいのかもしれませんが、政治的なものとかはまったく関係ない、
  家庭的な問題はあったかもしれませんが、そういう女の人が自殺してしまったのです。飛
  び降り自殺でした。
                     -中略-

   もっと荒廃した状態なのは、僕がものすごく信頼していた立派な編集者で、自分の家族
  や友達だけで出版社をやっている人たちが、これはもしかすると現在の不況だ、不況だと
  いっていることと関係があるのかもしれませんが、どういったらいいのか、ものすごく露
  骨にお金のこと、商売のことが先になってしまって、こういう人じやなかったんだけどな、
  こういう人とは思わなかったなと、その人が初めて見せるものすごい一面が現れ始めて驚
  いたのです。これは日本の保守政府の差し金なのか、それに追従する気持ちの表れなのか
  僕にはわからないのですが、何かもう露骨にお金の問題が表面に出てくるようになりまし
  た。

   もうひとつは、僕が疑問に思っていて、はっきり解決できていないことがあります。例
  えば、「あなたが前に出版したものをこういうふうに出すことに決まりました」と、要す
  るに、僕が何か言ったわけでもなんでもないのに、「決まりました」という話になるので
  す。それで進行してしまうわけです。それはすごい変貌の仕方ですよ。今までは考えられ
  ないことです。ものすごく長い間付き合ってきて、お互いに十分知っている親しい人から
  そういう要素がでてきて、これにも驚いているところです。ですから、簡単に承知したと
  か、いいよ、と言えずに止めているものがいっぱいになってきて、それも最近の様相の1
  つなのです。それで憂さ晴らしの会は、これではもうだめだ、集まり自体を止めにしよう、
  解散しようと いうことになってしまったのです。

Q:それはいつ頃のことですか?
A:解散する流れになったのは、潜在的には去年(2008年)の暮れからですが、今年の春
  ごろに解散しました。よくよく観察しておくと商売するという雰囲気はすぐ気がつきます
  が、もしかすると、こちらがあまり商売していないから気づかなかっただけかもしれませ
  んが、何かもう驚きですね。最近はそんなことばっかりですね。こうしたことを考えると、
  僕はちょっと人間というものをうかうかと考えてきたのかなという思いがありますね
Q:それだけ余裕が無くなってきたということなんでしょうね
A:そうだと思いますね。余裕というのはいい言葉で、僕が考えても余裕の問題のような気が
  しますね。つまり、アメリカが一世紀に一度くらいの大恐慌にさらされていますが、僕が
  付き合ってきた日本の出版社というのは中小企業ですからそんなこととは関係ないよと、
  僕は突っぱねているんです。本当はどうなのかわかりませんけれど、年商何兆円とか何十
  兆円とかいう超大企業とは関係ないよ。一冊の印税がいくらとか細々と原稿料出してくれ
  たらいいよと思っているだけです。ですから、過剰な萎縮だといって僕は突っぱねていて、
  依然考え方は変えていません。世界恐慌とは関係ないよ、自分で萎縮しているだけだよと、
  そういうふうに言うことにしているんです。
   でも、それは通用しないですね。だいたい進歩派の人たちにも通用しない。今の自公連
  立の麻生内閣みたいに、一般の庶民のことを考たこともないような政府のいうことほど馬
  鹿らしい話はないですから、あんまり同調しない方がいいと思っていますし、アメリカの
  大恐慌とは何も関係ないよ、ということにしているんです。それをものすごく関係付けて、
  弱腰になっているのが今の出版社自体です。
  あたかも戦争中の統制経済の時と同じで、軍事的体制制約で抜き差しならないみたいにな
  って
いる。そういう状態を僕らはよく知っていますが、そこまではいかないけれどもそれ
  に近
いくらいにすごく凝り固まっていて、大手だといわれている講談社や文蕪春秋がそこ
  から
抜け出せない感じです。君らの出版社なんか誰も何も制約していないよ、というので
  すが、
聞く気が無いですね。
   僕らは今、精神的に第二の戦争末期、第二の敗戦後のような精神状態が出てきていて、
  そうしたことが原因で萎縮してきているのかなと思いたいわけです。けれども露骨にそう
  いう面を出されると、何だ、こんな人だとは思わなかったと嘆いても、人間はそういうも
  のだと思った方がわかりやすいですけれども、そう思いたくないというのが一方にあって、
  どうしてもどこかにひっかかって、すごいことになったなという感じが旺盛です。


●精神科バブル現象と唯物論的思考の蔓延-ゆとりの喪失とエゴイズム

Q:今、精神科の診療所やクリニックがどんどん増えていて、増えるごとに患者さんを作り出
  すといわれるくらいいっぱいになってきています。その診療所の医者がやる診療内容が、
  いわゆるカウンセリング、昔でいえば相談事ですが、それがすごく多くなっていると言わ
  れています。昔でいえば、身近の友人なり先輩なり親なり親類なりに相談してみんな何と
  か過ごしていたことが、もう相談できる相手がいなくなってしまっていて、結局、精神科
  の診療所に来るしかない。そんな感じになってきています。
   ついでに精神医療の場の変化について説明させていただきます。一つは、1960・7
  0年代以前は、精神病院というのは巨大で、一種の収容所みたいなところだったのですが、
  だいたい1970年代すぎから全世界的に変わってきました。いわゆる脱施設化といって
  患者さんを病院からどんどん退院させて、その結果一部はストリートピープルとなる現象
  が一方でありましたが、病院はずっと小さくなりました。二番目に、1970年代から精
  神障害者の人権が認められてきました。精神障害者の人権というのは、人類初めての概念
  だと患いま

   かつては差別の対象だった精神障害者に人権が認められるようになる。そしていわゆる
  ノーマライゼーションといって、患者さんも普通の人と同じように社会参加できるような、
  そういう社会を作っていかなければならないということになってゆく。三番目が、医療の
  在り方が昔の病院中心主義、昔ははっきり言って病院に入って一生そこにいてもらうとい
  うのが精神障害者に対する病院の役目だったのですが、今は地域医療ということで、地域
  で患者さんが生活するために支えてゆくことが中心課題になっていきます。
   私たちの病院でも一番新しい病棟では、平均在院日数が一月とか一月半とか、どんどん
  回転しています。一方では依然として古い病棟では長く、20年とか在院している患者さ
  んもいるのですが、そういう両極分解が起こっています。いずれにしてもこういう脱施設
  化とか、人権概念、それから地域医療という中で、精神医療の場自体が大きく変わってき
  ています。診療所やクリニックがいっぱいできて、普通の市民が通えるようになってきて
  いますけれど、その内容はといえば、大半は、昔は仲間の中で過ごせていた問題が、絆が
  少なくなってしまって、精神科に、医者に相談するというそんな時代になってしまいまし
  た。時代が変わってくると良い面と悪い面と両方出てきてしまって、人間のやることは
  ラスマイナス両方あわせるとあまり変わらないのかなと思ってしまいます。それが先ほど
  吉本さんのいわれた人間にゆとりが無くなってしまって、人が悪くなってしまっていると
  いうことと関係があるのかなと思います。
A:何となく見当をつけているんですが、産業が移り変わる一循環の早さが変わってくると精
  神的なものがそれにしたがって変わっていくという感じはしています。当てになるかどう
  かは別ですけれども、そういう感じはよく考えています。
Q:社会経済的な循環が早まってくると、人間もだんだんせせこましくなってくる
A:そうですね。歳をとって少しぼけてきたことも含めて考えると、のんびりとかわすことも
  少しはできるようになったと自分では思っています。けれども基本的にいうと、日本の産
  業の現状に直接触れているわけでもないのに、産業循環が早くなってくることで自分がせ
  かせかするというのは、どういう関係があるからそうなるのかなと思いますし、結局、ど
  うしたらいいんでしょうかね。
   僕が思っているのは、やはり精神構造の問題が先にあって、あらゆる物質的な現象の根
  本なのではないかということだけはいつでも感じているのです。唯物論というのはよくな
  いというか、狭いものをまた狭くしているという以外の意味はあまりないし、特に文学の
  面では、
唯物論が世界の文学をだめにしてしまったなという感じが拭い難いですね。精神
  の働き
から唯物論が出てきそれからたのだと順序付けていればまだよかったのに、あれで
  は文学
とか芸術はなくなってしまえ、死ねといっているのと同じです。
Q:そうですね、精神科も脳の時代になってしまって本当に唯物論なのです。脳と薬、こうい
  う薬が脳にこういうふうに効くからそうするとうつ病がよくなるという説が主流を占める
  時代です。
A:ひどいと言ったら怒られてしまうかもしれませんが、テレビに出てくる専門家のなかで、
  脳を主体に考える人が一番ひどいのではないかと思います。理屈も何もつけられないでは
  ないかと思うのです。
Q:情けないのは宗教学者、宗教家まで、脳はセロトニンでどうこうなるという脳科学を説明
  に取り入れてしまって、ひどいものですね。
 
                           『異形の心的現象』pp.238-246



                         

ここでは重要なことを語っている。「精神構造の問題が先にあって、あらゆる物質的な現象の根
本なのではないかということだけはいつでも感じているのです。唯物論というのはよくないとい
うか、狭いものをまた狭くしているという以外の意味はあまりない」をわたしなりに言い換える
と、"デジタル革命渦論"のコアとしての半導体の産業特性がもろに反映し、それを補完するよう
に"ネオ・リベラリズム"のコアである"自己責任”というイデオロギーが相乗し個人の精神が疎
んじられる風潮(流行病)を生んだといえる。半導体産業は異質なものの侵入を極端に嫌い、排
しようと動く上に、民主党政権で行われたスーパーコンピュータの事業仕分けのときに話題と
った「世界一でなければ何故いけないのか(世界で二番ではいけないのか)」に顕れているが
とく、半導体の重要機能はスイッチング速度の高速化にあるように、不採算部位や不適合労働
の排除が高速で行われて来たが(わたしの経験で言えば、それを受け入れる側を担って黙々と
れをこなしていた時期があった)、米国の金融街選占拠運動という形で現れたごとく、そのよ
に世界的な規模で社会をゆがめたことを経験している。そして、わたし(たち)はそれを乗り
える術も学んだわけである。次に話は善光寺に移る。

● 親鸞の悟りに学ぶ-チベット仏教を支持した善光寺の教え

A:僕の家の宗教は浄土真宗で、本家本元の東本願寺はインテリ的な人が集まっていて、西本
  願寺はあまりそういうことを考えない人が集まっている、そう二つに分かれているのでし
  たらまだわかりやすかったのですが、その頃は、浄土真宗の教祖である親鸞が、法然がご
  赦免になった時に、京都に帰らないでそのまま関東に行ってしまいます。その途中に一ヵ
  所だけ寄っているところがあるんですけれど、それは善光寺なんですね。
Q:私の家が長野市で善光寺の地元なんですよ。確かに善光寺に親鸞聖人が寄った跡というの
  があります。
A:なぜ、親鸞が善光寺に寄ったのかというと、浄土真宗の教団の人の考え方は、長野の善光
  寺に阿弥陀仏像が何体かあって、それを見るために親鸞は寄ったのだという言い方をして
  います。ですけど、親鸞は別に観光に行ったわけではないだろうと、僕は頑強に主張して
  います。
   僕は、親鸞は浄土真宗を日本固有のものとして作りたかったから、無宗派の善光寺に寄
  ったのだと考えています。善光寺というのは、まだ日本の宗教が党派・宗派に分かれない
  頃からあって無宗数的な何かを含んでいるのです。親鸞が善光寺に寄ったのは無宗派時代
  の何かがあるからで、滞在して何をしたかったのかはわかりませんけれども、滞在した後、
  関東にそのまま行ってしまいました。関東に行って、房総半島の辺りを一所懸命に廻りま
  す。何もいらないから、ただ、寄る部屋があればいいといって坊さんのところを廻って、
    歳をとって足が利かなくなったらさっさと京都に帰って、別に何もしないで弟さんの寺の
    一室を借りたのです。そこでは決して宗派の宣伝とか説教とか宗派の題目を唱えるとか、
  そういうことをしたわけではないんです。弟さんの寺の一室に龍もって、強いて推察すれ
  ば「数行信証」という書経の手直しをしていたぐらいで、あとは関東から寄こすお弟子さ
  んの質問状に対してかな書きの返事を書いたりして、そのくらいしかしていないんです。
  京都が本場だから宗数的なことをしたかというと、まったくそんなことはないのです。そ
  ういうところははっきりしている人です。
Q:つまり晩年では、宗派宗教の政治はいらないということになっていったのでしょうか。
A:そうですね。僕はこの間、注意深く見ていたのですが、ダライこフマー四世のチベット仏
  教が自分たちの宗教を認めろと騒いで、中国がオリンピックの邪魔になるというので弾圧
  したということがあって、その時に日本の坊さんたちで唯一反抗したのが善光寺でした。
  これは何なのだ、と思ってちょっと調べてもらったのですが、やはり無宗派時代からの要
  素を含んだ行動だったらしいですね。調べてもらったらそんなことが出てきて、ああこれ
  だよ、と思い当たりました。親鸞は日本の仏教の宗派には全部反対で、それを壊したくて
  しょうがなかった。自分なりの宗派を立てたかったから善光寺に寄ったのではないかと
  思えるのです。
Q:いや、私も親鸞がなぜ善光寺に寄ったのかよくわからなかったんですけれども。
A:チベット仏教を弾圧したのは不当なことだと、ちゃんと声明を出したのは日本では善光寺
  だ
けですね。なぜ政治的な問題に自分たちの見解をおおっぴらにするのか、宗派では珍し
  いで
すね。

                           『異形の心的現象』pp.246-248


尚、紙面の都合上、この項のつづきはまた明日にでも掲載する。


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里山資本主義異論Ⅱ

2014年04月13日 | 政策論

 

 



海津大崎 20140412

二度と花くぐりドライブはこないかもしれないと君の言の葉
 

  新しくなったソルティライチ

ジムの自動販売機から消えて半年過ぎたが、キリンよりリニューアルされ販売されているという。
係員に確認することにしよう。
 

 1999.09 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

●里山資本主義異論

#works01

先回は、藻谷浩介著の『里山資本主義-日本経済は安心の原理」で動く』の「最終総括「里山資
本主義」を読んだ違和感を記載し、このまま進めていくことに躊躇するものの徳島県上勝町の「
葉っぱビジネス」の事例があるように、個別事例から学ぶものがあるだろうと考えこの項を継続
させていくとしたので(『里山資本主義異論』)、ここではその舞台である徳島県上勝町の株式
会社いろどりの活動の考察から入っていくことにする。

 「新書大賞2014」? 

先ず、株式会社いろどりの公式ホームページから。「葉っぱビジネス」とは"つまもの"、つまり
日本料理を美しく彩る季節の葉や花、山菜などを、栽培・出荷・販売する農業ビジネスのこと。
当時農協職員だった横石知二(現・株式会社いろどり代表取締役社長)が、「彩(いろどり)」
と名づけて1987年にスタート。現在つまものの種類は320以上あり、一年を通して様々な葉っぱ
を出荷する。
葉っぱビジネスの特徴は、(1)商品が軽量で綺麗であり、女性や高齢者でも取り
組める。(2)それを支援するにはパソコンやタブレット端末で見る「上勝情報ネットワーク」
の情報で運営-決まった数量を毎日出荷するのではなく-高齢者が情報通信端末を駆使し、「上
勝情報ネットワーク」から入る全国の市場情報を分析して自らマーケティングを行い、栽培した
葉っぱを全国に出荷している点にあると紹介されている。つまり、高齢者(65歳以上)の地元住
民による農林産業物生産販売事業の高次元あるいは高度化の成功事例として注目を浴びている。
付け加えるとすれば、ビジネスモデルの商品の特性と運用手段のデジタル革命の基本特性第2則
(ダウンサイジング-軽量化)とがシンクロナイズ(同調)に成功した事例でもあると言える。

※初期段階では防災FAX を活用し構築→近年は、操作が易しくシンプルないろどり専用パソコン
の開発など、最新の情報通信技術で構築→2011年夏から、タブレット型携帯情報端末(Docomo
Galaxy Tab
:通称いろどりちゃん)が一部運用。このため、上勝町にも、畑の中で画面をフリック
タップしながら葉っぱを集める"モバイルおばあちゃんたち"が登場→家の中で情報待機しなくて
も畑仕事をしながら情報を入手可能(生産者には好評)。

さて、徳島県上勝町は、徳島市中心部から車で約一時間程の場所に位置し、人口は1,840名 863世
帯(2013年10月1日現在)、高齢者比率が49.57%という、過疎化と高齢化が進む町。
しかし一方で、
全国でも有数の地域活性型農商工連携のモデルとなっている。1981年2月に起きた寒波による主
要産業の枯渇という未曾有の危機を乗り越え、葉っぱ(つまもの)を中心にした新しい地域資源
を軸に地域ビジネスを展開し、20年近くにわたり農商工連携への取り組みを町ぐるみで行ってい
る。上勝町の1980年代は激動の時代。
町の人口は年々減少し、主な産物であった木材や温州みか
んは輸入自由化や産地間競争が激しく、伸び悩んでいた。高齢者や女性達に仕事ができたことで
出番と役割ができ、元気になり、町の雰囲気も明るくなる。「葉っぱビジネス」の仕事が忙しく
なってきたため、老人ホームの利用者数が減り町営の老人ホームはなくなる
「葉っぱビジネス」
が、2012年秋映画『人生、いろどり』にもなった。2013年12月25日にはDVDの販売も開始。



この事例評価として「上勝町は過疎化・高齢化の流れを止めているか 」(矢野正高、立教大学
21世紀社会デザイン研究 2011 No.10)があるので補足参考に掲載する。上図に、上勝町の人口
と葉っぱビジネスの売上の推移。人口が緩やかに減少して、過疎化が進んでいることを示す。こ
れに対し、葉っぱビジネスの売上は
堅実に上昇を続け、地域再生の優良事業であることを裏付け
ている。葉っぱビ
ジネスがスタートした1986年以降、この2つのデータの相関関係は、逆比例の
関係
にある。葉っぱビジネスの売上が増加していることは、さながら過疎化の下りエスカレータ
を駆け上がっている。著者は成功の条件にスキーム構築に要した時間と努力を指摘し、これら一
連の葉っぱビジネスのスキームの構築には、その商品開発を作るそのアイディアと、葉っぱを集
めるコミュニティの団結力と、なによりこれら一連の葉っぱを売るスキームを実現し、上勝町の
葉っぱを地域ブランディングとして国内で広く認知させた横石代表取締役社長の並々ならぬ努力
があって実現できたものである。1986年の事業開始からこれまで実に約25年もの月日を要した。
上勝町のシェアは、全国の70%を占めており、競争相手である、秋田、山形、福島、愛知、大分
県を大きく引き離し、他地域にて新規に模倣しようとしても黒字経営はもちろん、"つまもの”を
出荷することさえ難しいという。



反面、事業成功にもかかわらず人口が増加しない点を「新規参入障壁」として指摘し、葉っぱビ
ジネスを町外から移住して来て始めた人は、これまでに5家族に過ぎず、この数字では、上勝町
の人口総数に対して効果が小さく、過疎化も高齢化も解決できているとは言い難いとし、(1)
葉っぱビジネスは、長い年月をかけて、自然の中で土と共に生きた後、ようやく自然の恵みを手
にすることができる農業の特殊性があり、都心部の仕事とは大きく異なる。(2)桃栗3年、柿
8年のとおり我慢と強い忍耐が必要な仕事であり、都会の生活に慣れた人にとっては、容易に転
入できるビジネスではない。(3)新規に葉っぱビジネスを始めようとしても、生産技術を学び、
葉っぱを栽培する畑を入手することから始めなければならないなど、新規参入の障壁が高く、新
規雇用を生み出すことは極めて難しいという。つまり、葉っぱビジネス以外の上勝町内での雇用
枠は、年々増加しているが、定住希望者数には追いつかず、上勝町は、徳島県内の過疎地域自立
促進特別措置法
に指定されている集落であるにもかかわらず、着実に産業育成が進み、過疎化の
スピードを確実減速できているが、過疎化の流れを反転するまでには至っていない、従って、
疎化・高齢化問題は、田舎暮らしと都会暮らしにおける雇用や生活環境の差が拡大し続けている
ことに起因し、日本全国どこにおいても、過疎化・高齢化の流れを止めることは大きな課題であ
るが、上勝町の過疎化・高齢化対策は、この他にも、上勝町の笠松和市町長が展開する、ごみを
34 種類にも分別する『ゼロ・ウエイスト活動』、リサイクル活動の『くるくるショップ』など
エコ・環境活動や、小水力発電や木質バイオマスボイラーの設置など再生可能エネルギーなどに
も熱心に力をいれており、小さな町によるモデル事例地としても先駆的である。また、若者を呼
び込む策として、NPO 郷の元気主催の『棚田婚活』、『棚田オーナー制』『上勝ヤッホー体験プ
ログラム』、『上勝アートプロジェクト』など、多くの試みが生まれ、上勝町は魅力づくりに注
している。さらに、上勝晩茶が報道のような上勝町の上勝町のブランディングの背景には、メ
ディアによる地域再生活動への応援報道効果の大きさ、上勝町ワーキングホリデーや地域密着型
インターンシップ、上勝町の視察者受入などの U・I ターンの受入など、全国から注目を集める
葉っぱビジネスは、(1)おばあちゃんたちのエンパワメントを高めること(2)上勝町の地域
ブランディングを構築すること(3)元気な若いよそ者の注目を集めることに関しては大成功を
収めているという

上勝町は、第3セクターとして1999年に『株式会社いろどり』の立ち上げから積極的な支援をし
ただけでなく、他にも1991年に設立したしいたけのホダ木製造の『株式会社上勝バイオ』、キャ
ンプ場や交流センター、スクールバスの管理などを行う『株式会社かみかついっきゅう』、1996
年には、木材の生産・加工・住宅建設までを一貫して行う、6
次産業型の『株式会社もくさん』、
国土調査などの測量建設コンサルを行う『株式会社ウインズ』、などの会社を立ち上げている。
現在、5つの第3 セクターの会社が雇用促進の場として展開している。


●注釈としての「地方公共財理論

地方公共財理論は、(1)住民移動を考える理論と(2)住民移動を考えない理論に大別できる。
方公共財は、便益範囲が限られた範囲に及んでいる公共財であり、その範囲の内部では便益を
享受できるが、外部では享受できないという特徴をもつ。そこで、(2)の
住民移動を考えない
理論では、移動できない住民の地域ごとに異なる多様な効用を高める
ことを目的として議論が展
開され、(1)の移動を考える理論では住民は自分の選好に即した地域
を選択することで効用を
高める。つまり、オーツは住民が移勤しないことを前提にして
地方分権理論を展開したのに対し、
住民移動を考える理論であるティブー理論では、人々
の地域選択を重視した.また、後者の住民
移動を考えるティボー理論では、さらに(3)共同体
数可変モデルであるクラブ財理論と(4)
狭義の地方公共財理論に分類できるとされる。この共同体数が
可変か否かは結果に重要な影響を
もたらすことが後に示されたという。

 

※ 地方公共財と地方分権  大澤俊一 

ここで、中央政府の役割を整理すると、(1)公共財の供給、(2)外部性に伴う資源配分上の
失敗の是正、(3)
情報上の失敗(逆選択やモラルハザード)に伴う市場の失敗の是正、(4)
自然独占企業に対する規制、(5)所得の再分配の実施(6)マクロ経済政策の実行等に求めら
れるがこれだけの議論では、中央政府と地方政府の適切な役割分担がどうあるべきかはわからな
。この点を考えるためには,地方政府の存在だけではなぜ不十分かを考えればよいとし、地方
政府だけで不十分な理由には、(1)全国的公共財の存在、(2)地域を超えた外部性の存在、
(3)地方政府独自の租税政策・支出政策が他の地方政府や中央政府に対して外部性を持つ可能
性(財政的外部性)、(4)住民や企業の移動が効率的な資源配分を実現しない可能性、(5)
所得再分配政策を地方政府単独では行えないというが、「地方公共財の効率的供給の条件を探っ
た」という(「地方公共財の理論」(2003.03、麻生良文)では、生産関数と効用関数を特定化し
2地域モデルでの効率性の条件で資源配分の意味を探っが、その解釈は実は難しいという。なお。
2地域モデルを用いて、「足による投票」の帰結では、一般には、ティーボ(Tiebout)仮説は成
立しなかったと報告している。

また、茂浦口翔の『地方公共財の理論と我が国の地方分権政策』(2012.04.25)で考察した「道
州制」は(1)長年続いた現在の地域区分を大胆に変えていくことは政策的に非常に厳しく、国
民においても地方分権について正しい理解を得る必要があり、(2)地方分権政策ては、その地
域の実情に合った政府を作り出すことが肝となり、そのためには、紛れもなくその地域一人ひと
りの住民であること故、より大きな議論が必要である。さらに、二つ目の課題に「分権的な地方
政府構造と政策努力の必要性」において、(1)権限と財源を獲得し、分権的な地方政府になっ
た政府における情報政策、税政策が重要性を増し、(2)分権的な地方政府がより強力な力を持
つことは今後重要となるとしている。そして、少子高齢化などの課題は、地方政府が主体となっ
て解決していかなければならなと結んでいる。
 

●補考としての「葉っぱビジネス」

以上、今夜はリアルな「里山資本主義」のビジネスモデルとそこに横たわる「地方分権」あるい
は「地方公共財の理論」を簡単に考察した。このビジネス・モデルからわたしの印象として、1
つに、商品が樹木であること、2つには、商品のダウンサイジングという側面に注目。前者は、
樹木は一旦植育に成功すると長時間生産し続ける特徴をもち、その長期的な労働の生産科学分析
の特徴として、露地生産と比較し立ち作業中心となることが高齢者にとって有利であることだ。
このことは、このブログのテーマである、露地・土壌生産による重労働からの解放(脱土壌農法
→植物工場・水耕栽培など)という課題の1つの回答になっている。また、後者は「葉っぱ」に
象徴される農産物のダウンサイジングであり、バイオマス・サイクルの新しいプロセス開拓、さ
らには、"フード・ロス"、モ-ダール・シフトの新しい形態として拡張・展開できる点に注目し
た。例えば、生物工学の育種法を利用し、小型の外皮の薄い軽量トマト(その他に、糖度や彩り、
栄養価などの付加価値を含む)を生産→物流→消費→生産’→ ・・・ のチェーンで、消費現場で
はできる限り手間を省き、フード・ロスを逓減、物流現場では、搬送物の軽量化、そして生産現
場では重労働の解放につなげるスモール&スマート商品およびビジネスの開発がキーワードにな
ると考えた。

以上のことを踏まえ、さらに『里山資本主義異論』を考えていくことにする。

                                   この項つづく

 

  

 



今夜も疲れた!非常に疲れた!と、言うことで渡瀬マキの歌を聴き寝よう~~~っと。

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変換効率25%超時代Ⅱ

2014年04月11日 | デジタル革命渦論

 

 

【変換効率25%アップ時代 そのⅡ】 

パナソニック株式会社エコソリューションズ社は、過去のシリコン系太陽電池セルでの世界最高を
幅に上まわる変換効率25.6%(セル面積:143.7cm2)を達成した。これは実用サイズ(100cm2
上)
のシリコン系太陽電池の変換効率の過去最高値は、2013年2月に発表した24.7%(セル面積:
101.8cm2
)です。今回、この記録を0.9ポイントも更新し、実用サイズにおいて初めて25%の壁を突
破すること
に成功。また、小面積も含めたシリコン系太陽電池の変換効率の過去最高値は25.0%(セ
ル面積:4cm2
だったが、この過去最高値も0.6ポイント上回りった。今回の成果は、パナソニックの太陽光
発電シス
テム「HIT」シリーズの特長である高い変換効率と優れた高温特性を実現する現行のヘテロ
接合技術を
さらに進化させたことに加え、太陽光をより有効活用できるバックコンタクト型を採用す
ることで実
現できたという。




 表 国内の太陽光発電設備規模及試算結果結果

これは『プロジェクト・ヘーリオスのはじまり』(2011.04.09)で掲載したように24%超の変換効
率を実現できれば、電気料金が5円/kWhを割り込むことになり、このニュースから判断し、2020年
ごろには、太陽光発電により、資源争奪をめぐる戦争時代からの終焉を、カーボンリスクという地球
温暖化による国土荒廃を救済できる夢の『贈与経済』の、持続可能な社会の、実現を約束するものだ。
それも、日本の営利企業であるパナソニック(企業技術としては三洋電機?)により世界へ展開され
ることを意味する。つまり、ノーベル賞を超えたノーベル賞級のものとさえ言える(個人的には、
量子ドット太陽電池から量子スケール太陽電池と早めに呼称変更して良かったと思っている-シリコ
ン系太陽電池の改良技術といえども、その加工サイズは僅か数ナノメータという技術への挑戦だ)。
このことは既に『変換効率25%超時代』(2014.03.24)でも掲載済み。



さて、その開発技術を詳細に見てみよう。

高効率化を可能にした要素技術の概要

(1)再結合損失の低減

「HIT」の特長は、発電層である単結晶シリコン基板表面に高品質のアモルファスシリコン層を積層す
ることにより、光により発生した電気の素であるキャリア(電荷)の再結合損失を低減できることに
ある。単結晶基板上に、高品質なアモルファスシリコン膜を基板表面へのダメージを抑制しながら形
成する技術を駆使することで高い開放電圧(Voc)と高温下でも高い変換効率を維持できる温度係数-
0.25%/℃)を実現。

(2)光学的損失の低減

太陽電池セルの電流増加のためには、セル表面に到達した太陽光を、可能な限り損失なく発電層であ
る単結晶シリコン基板に導く必要がある。今回、電極を裏面側に配置したバックコンタクト型とする
ことでより効率よく太陽光を基板に導くことが可能となる。この結果、短絡電流密度(Jsc)を41.8m
A/cm2と、従来値39.5mA/cm2(変換効率24.7%セルの場合)に比べ大幅に向上することができた。

(3)抵抗損失の低減

太陽電池セルでは、発電した電流を表面のグリッド電極に集め、外部に取り出します。従来、受光面
側にあるグリッド電極では、太陽光の遮光を減らすための細線化と電気抵抗損失低減の兼ね合いで最
適化をしていましたが、今回、電極を裏面側に配置することで、電流がグリッド電極中を流れる際の
抵抗損失を低減させることに成功。さらにアモルファスシリコン層における抵抗損失等も改善するこ
とで、実用サイズにもかかわらず高い曲線因子(FF) 0.827を達成した。

 

これらの技術開発は、三洋電機株式会社の菱田光起、関本健、松本光弘の三名の発明者(特開 2014-637
69)から提案されている。その要約(下図参照)は、太陽電池100は、受光面電極層2と、受光面
電極層2上に積層された光電変換部と、光電変換部上に積層された裏面電極層5と、を備え、受光面
電極層2側から一導電型半導体層41と、真性半導体層42と、逆導電型半導体層43とを順次積層
して形成した光電変換セル4を有し、逆導電型半導体層43は、逆導電型の非晶質シリコン層43a、
酸化シリコン層43b、逆導電型のシリコン層43cが順次積層することで、発電効率を向上させつ
つ、発生したキャリアをより多く取り出すことができるとある(さらに、下図の2つめと3つめは実
施例をまとめたもので、表1は製作条件と表4は一連の製作されたサンプルと比較サンプルの評価結
果である)。

特開2014-063769 太陽電池

【符号の説明】
1,41…基板 2,42…受光面電極層 3,4,6,7,8,4´,46…光電変換セル 31,
41,61,71,81…p型層 32,42,62,72,82…i型層 33,43,63,
73,83,63´…n型層 43a,63a,73a,83a…非晶質シリコン層 43b,63b,
73b,83b…酸化シリコン層 43c,63c,73c,83c…シリコン層 5,45…裏面
電極層

もはや、原発は不要だ。福島第一原発事故の処理が続くなか、それを尻目に、ソーラーパネルとバッテリーが
日本列島をあまねく覆って普及し終わっているという光景がみえるようである。ともあれ、パナソニックあるいは
三洋電機の開発チームに拍手だ!

                                                                  

 

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