極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

近所にパワースポット

2013年11月30日 | 滋賀のパワースポット

 

 

【ご近所にパワースポット】

近くの住宅地にソーラパネルが設置されていると言うので、外出のついでにと、現地にいくと、な
る程いつのまにかパネルが設置されている。設置理由や仕様はわからないが、安全柵などの管理設
備がなく、パネルの反射光対策が行われているか詳細が甚だ不明で、首を傾げ帰ってきた。早速、
エクセルで、シリコン系(アモルファス?)、南向き、傾斜角はほぼゼロ、パネル面積300平方メー
トル、定格出力、 300kWh、照射時間 3.5時間、住宅の一ヶ月の平均消費電力 300kWh/月(=約16軒
分相当)と想定出力を計算してみた。変換効率を20%とすれば21軒分相当、パネル面積を450平方メ
ートルとする 約32軒分相当する電力がまかなえることになる。忽然とパワースポットが出現したが
算盤優先じゃなく、もう少しウエルカムなパワースポットであれば良かったのにと思った次第。

 

【量子ドット太陽電池最新特許:2件

近年、窒化ガリウム(GaN)などのIII族窒化物半導体は、高品質の短波長発光を出力し得る発
光ダイオードやレーザダイオードなどの半導体発光素子を実現できるが、半導体発光素子は、有機
金属化学気相堆積(MOCVD:Metal Organic Chemical Vapor Deposition)法や分子線エピタキシ(
MBE:Molecular Beam Epitaxy)法などの結晶成長技術を使い、基板上にIII族窒化物半導体積層
を形成しつくる。この技術は、積層構造生成の積層制御性をもち、基板の面内方向に沿って形成す
る結晶加工技術に、(1)トップダウン型と(2)ボトムダウン型とがあり、(1)は、結晶び成
長後に結晶加工し構造形成する技術であり、(2)は、結晶成長前に下地基板を予め加工し、この
下地基板上に結晶の成長と構造を同時形成する。ただ、(1)は、加工により結晶がダメージを受
けやすく、特に、微細構造を形成したときにその微細構造の表面積が大き
くなるという問題がある
が、(2)のプロセスでは、微細構造と良好な結晶品質とが共に得られやすいという。ところで、
GaNナノコラムは、基板上の島状のFe粒を核として形成されるが、GaNナノコラムの位置や
形状にバラツキが生じやすく、GaNナノコラムを規則的に配列させることが難しく、このバラツ
キが半導体発光素子の特性のバラツキとなる。たとえば、GaNナノコラムの発光波長にバラツキ
が生じて所望の発光色が得られない。


上図の提案によると、III族窒化物半導体からなるナノメータオーダーの微細柱状結晶(「ナノコ
ラム」、「ナノロッド」あるいは「ナノピラー」と呼ばれる。)の位置制御および形状制御に関し、
複数の開口部を有するマスクパターンを基板上に形成した後、開口部から微細柱状結晶を選択的に
成長させる工程に着目し、微細柱状結晶の発光波長あるいは光吸収波長を制御を実現。つまり、
図1のように、複数の凹部が形成された主面を有する半導体基板と、この主面上に形成され、かつ
複数の凹部の直上にそれぞれ複数の開口部を有するマスクパターンと、複数の凹部からこの開口部
を介してマスクパターンの上方に向けて成長したIII族窒化物半導体からなる複数の微細柱状結晶と、
複数の微細柱状結晶上にそれぞれ成長した活性層と、これを被覆する半導体層とを備える半導体光
素子アレイで、基板上に形成された微細柱状結晶の位置と形状を高精度に制御し、微細柱状結晶の
発光波長あるいは光吸収波長を制御できる構造の半導体光素子アレイとその製造方法を提供してい
る。

 JP 2013-239574 A 2013.11.28

量子ドットナノワイヤーアレイを備えた太陽電池の製造方法が記載されている。この太陽電池は、
p型半導体とn型半導体とを接合する接合部に、量子ドットが埋め込まれたナノワイヤーがアレイ
状に配置。この構造で電子及び正孔の伝導効率を向上させている。たとえば製法例によると(1)
p型半導体層の上部に、媒質薄膜と半導体薄膜とを交互に所定回数繰り返して積層し、多層膜の複
合積層体を作成。(2)複合積層体上にマスクを形成する。(3)エッチングで複合積層体を部分
的にエッチングしてナノワイヤーを得る。(4)得られたナノワイヤー間の空間を半導体物質で埋
めている。ここで、半導体薄膜はSi層であり、媒質薄膜はSiO層又はSiN層であり、PV
D又はCVDを用いて成膜。また、エッチングは化学的湿式エッチング又はイオンビームエッチン
グにより行われている(特表2011-530829)。ところで、PVDやCVDの成膜では、結晶性の良
い複合積層体を成膜に750℃以上に昇温する必要があり、750℃以上の温度条件に耐えうる基板が必
要で、基板コストを
増大させ、基板サイズを大きくして生産性を向上させることが困難とされる。
そこで、半導体膜形成ステップは、マイクロ波を発生させるプラズマ処理装置を用い、被処理体の表面温度
を400℃以下に保ち、被処理体表面に半導体膜を積層する。絶縁体膜形成ステップは、被処理体表
面温度を400℃以下に保ちシリコン膜上に絶縁体膜を積層。半導体膜形成ステップと絶縁体膜形成
ステップを交互に所定の回数繰り返し、多層膜の積層体形成し、マスク形成ステップとエッチング
ステップでは、積層体上へ形成したドット状のマスクを用い積層体をエッチングする。埋込ステッ
プでは、このプラズマ処理装置を用い、
被処理体の表面温度を400℃以下に保った状態で溝部に絶
縁体膜を堆積させることで課題を解決できるという(上図参照)。



以上、このように量子ドット形成加工量産技術が、日々、鋭意研究開発されているわけです。



 

【日本経済は世界の希望(9)】 

 




この節で、デジタル革命の基本特性を抜きにして世界経済社会を(確度を担保して)語れないと激
白しているようにみえる。つまり、理工領域より相関係数(決定係数)の低い、社会科学領域は、
あの楽天イーグルスを優勝に導きだした経営者のように、データのサンプリングから予測・制御す
るための標語や数値を適切に導き出すアルゴリズムの有無がアドバンテージを高くする現在-そん
なことは言われなくても平均的な知力を備えた日本人なら既に了解していることだが-相も変わら
ず、4世紀、イタリアで発明された複式簿記の積み上げ方式の一本足打法では-だからこそ、財務
族やあらゆる組織の経理部のインナー(それを支える“お局”など)が跋扈する-もはや、この複
雑系を扱えず、生産性低下は不可避なのだが、次の節の「英語はグローバル経済の入り口」は今の
ところそれは“妥当”だという以外に意味はない。英語は必要になれば喋れる(あるいは中国語は
必要になれば喋れる)と考える。上手く喋れなくても、外国語構文を正確に翻訳解釈できる、ある
いはそ
れをヒントに問題解決や新たな地平を切り開いていく能力の有無、多寡が大切だということ
がこ
の節の本質テーマだろう。たしかに、ヒアリングができなければ理解できないことが多いだろ
うが、ヒアリングが出来ても、真意を歪曲、誤解という過ち犯すこともある。昨夜から、第五章を
掲載してきたが、次回は、終章(序章をの一部を含む)と解説(山形浩生)に入る。

                         ピッグデータが激変させる世界経済

  十年後の世界経済ははたして、いまよりもよくなっているだろうか。
  私は悲観、楽観両方の意見をもっている。おそらく状況はいまより改善するだろう。しかし
 成長スピードは鈍化する。いずれはいまのような状態からは脱却できるだろうが、そのために

 は時間が必要だ。
  二年後の世界経済についてはまったく楽観的でない。五年後になるとそれより少し楽観的
 なり、十年後はさらに楽観的になる。十五年後はますますその楽観に拍車がかかり、三十年後
 にはコンピュータがわれわれよりも賢くなって、代わりに悩んでくれる。
  つまり、将来になればなるほど、私は楽観的な気持ちを抱けるようになる。おそらく三十年
 後、世界経済はITが牽引していくだろう。とくに従来のデータベース管理システムでは記録
 や保管、解析が難しい巨大なデータ群、すなわちビッグデータがITの可能性を拡大し、経済
 にも甚大な影響を及ぼす。
  すでにその兆しはある。音声認識技術のテクノロジーの進歩は驚くべきものだ。いまから五
 年前、それは悪い冗談のような水準でしかなかった。いまでもかなり不完全ではあるが、まっ
 たく使い物にならなかったころに比べれば、かなりマシだ。
  誰かから受け取った電話メッセージが活字になって残される。それはビッグデータがあるか
 らこそ可能だ。われわれがいまできるのは膨大なデータベースを使い、会話を活字に変換する
 だけである。コンピュータが話せるようになると思われていたが、いまだにそれは実現してい
 ない。
  機械翻訳も同じことだ。かつてそれはまったく役に立たなかった。そこからずいぶん改善が
 みられたが、まだまだグーグル翻訳で詩を読もう、と思えるレベルではない。私には好きなフ
 ランスの歌手がいて、実際に彼女の歌の歌詞をグーグル翻訳で訳してみた。そうすると、内容
 が理解できる個所もあれば、不明の個所もあった。翻訳自体が原因ではなく、もとのフランス
 語が曖昧であることが問題だったのかもしれないが、まったく役に立たない、というレベルか
 らは格段に進歩していたのだ。

                                                      英語はグローバル経済の入り口だ

  十年後の日本についても見通しを述べておこう。私は日本がOECDに属する健全な経済
 になっていることを、心から望みたい。いわばイギリスの超大型版ともいえる、世界第三
位の
 経済大国の地位を占めているはずだ。

  イギリスはもはや、超大国ではない。金融危機が起こる以前、二〇〇七年前後のほうが、
 ギリスはその存在感を放っていた。いまやイギリスのリーーダーシップはさほど強くない
が、
 ユーロに加入しないで成功したと呼べる経済力をもち、世界のなかで重要な役割を果た
し、独
 力で存在しつづけている。 
  日本がこれから十年のあいだにうまく経済運営を行なえば、そうしたイギリスの二倍のサイ
 ズの通貨をもった独立国になれるはずだ。
  そこで絶対的に必要になるのは英語教育だろう。ドルがグローーバルな通貨であるのと同じ
 ように、英語はグローバルな言語である。これからもその趨勢に変化はない。
  もちろん、これから五十年後には、中国語(北京語)が世界の共通言語になっているかもし
 れない。しかし現段階で英語を話せることは、グローバル経済へ参加するために不可欠だ。英
 語をうまく操れる国には、大きなアドバンテージが存在する。
  日本の政府高官の英語力は、この十五年のあいだ、まったく向上していない。それが率直な
 印象だ。興味深い比較について話そう。三十年前、私がアジア経済について研究を始めたころ、
 英語を話すことのできる韓国人に出会うのは稀だった。たとえ話せたとしても、その英語はほ
 んとうにひどいものだった。
  いまはどうだろうか。韓国人の英語は見違えるほど上達した。かつてアメリカに留学してい
 る日本人の数はそうとうなものだったが、その留学生の数でもいまや、韓国は完全に日本を上
 回っている。
  米国際教育研究所の調査によれば、アメリカで学ぶ外国人留学生の数は二〇一〇~一一年に
 七二万人超と過去最高を突破したが、そのなかで韓国人は約七万人と全体の三位。日本人は七
 位の約二万人だ。
  そもそも韓国で、内向きになる、というのは非常に困難である。韓国の人口は日本の四割に
 すぎず、GDPの半分も輸出業が占めている。そうした状況のなかでは、グローバル志向にな
 らざるをえない。もちろん両国には文化的な違いも存在している。
  アメリカも内向きだが、大国であるために、他国がわれわれの国家の言語を学ぶ偶然に恵ま
 れている。ほとんどのアメリカ人は、英語以外の言語を話さない。私も同じだ。
  最近パリに行き、イタリアの前閣僚評議会議長であるマリオ・モンティと対談した。問題は
 それを何語でやるかということだが、彼は「私は英語かフランス語かイタリア語ならできます
 が」という。「うわ、こっちは1つしかできないのに/」と思ったものだ。そうした状態であ
 っても、私は国際経済学に携わることができている。
  同じような条件が日本で成立するだろうか。その外には大きな世界がある。英語で意思疎通
 することは、日本にとって多大な利益をもたらすだろう。
  英語はグローバル経済の入り口である。好むと好まざるとにかかわらず、それが眼前にある
 現実だ。教育の重要性を語る前に、まずは英語をマスターしなければ始まらない。そこから十
 年後の未来が切り拓かれるのだ。

               ポール・クルーグマン 『そして日本経済が世界の希望となる』

 




【ドライブ・マイ・カー】 

 

  翌日からみさきは家福の専属運転手となった。午後の三時半に彼女は恵比寿にある家福のマ
 ンションにやってき
て、地下の駐車場から黄色いサーブを出し、彼を銀座にある劇場まで送り
 届けた。雨が降っていなければ、屋根は開
けたままにしておいた。行きの道、家福はいつも助
 手席で
カセットテープを聴きながら、それにあわせて台詞を読み上げた。明治時代の日本に舞
 台を移して翻案したアント
ン・チェーホフの『ヴァーニャ伯父』だ。彼がヴァーニャ伯父の役
 をつとめていた。すべての台詞を完璧に暗記して
いたが、それでも気持ちを落ち着けるために
 日々台詞を復
唱する必要があった。それが長いあいだの習慣になってい帰り道はだいたいベー
 トーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いた。彼がベートーヴェンの弦楽四重奏曲を好むのは、それが
 基本的に聴き飽きしない音楽であり、しかも聴きながら考え事をするのに、あるいはまったく
 何も考えないことに、遺しているからだった。もっと軽い音楽を聴きたいときには、古いアメ
 リカン・ロックを聴いた。ビーチポーイズやラスカルズやクリーデンス、テンプテーションズ。
 家福が若い頃に流行った音楽だ。みさきは家福のかける音楽についてはとくに感想を言わなか
 った。彼女がそれらの音楽を好んでいるのか、苦痛に思っているのか、あるいはまったく何も
 聞こえていないのか、家福にはどれとも判断できなかった。感情の動きが表に出てこない娘な
 のだ。



  普通ならそばに誰かがいると緊張して、声に出して台詞を練習することなんてとてもできな
 いのだが、みさきに関してはその存在が気にならなかった。そういう意味では、彼女の無表情
 で素っ気ないところが、家福にはありがたかった。彼が隣でどんな大きな声で台詞を口にしよ
 うと、彼女はまるで何も耳に入っていないように振る舞った。あるいは実際に何も耳に入って
 いなかったのかもしれない。彼女はいつも運転に神経を集中していた。あるいは運転によって
 もたらされる特殊な禅の境地にひたっていた。
  みさきが自分のことを個人的にどう思っているのか、家福にはそれも見当がつかない。少し
 くらいは好意を抱いているのか、まったく何の興味も関心も持っていないのか、あるいは虫ず
 が走るほど嫌なのだが、ただ仕事がほしくて我慢しているだけなのか、それすらわからない。
 しかしどう思われていようと、家福にはとくに気にならなかった。
  彼はその娘の滑らかで確実な連転が気に入っていたし、余計なことを言わず、感情を表に出
 さないところも気に入っていた。
  舞台が終わると家福はすぐに舞台化粧を落とし、服を着替え、速やかに劇場をあとにする。
 ぐずぐず居残っているのは好きではない。役者同士の個人的なつきあいもほとんどない。携帯
 電話でみさきに連絡を取り、楽屋口に車をまわしてもらう。彼がそこにいくと、黄色いサーブ・
 コンバーティブルが待っていた。そして十時半過ぎには恵比寿のマンションに戻る。それがほ
 ぼ毎日繰り返された。
  それ以外の仕事が入ることもある。テレビの連続ドラマの収録のために、週に一度は都内の
 テレビ局に出向かなくてはならなかった。平凡な刑事物のドラマだが、視聴率は高かったし、
 ギャラもよかった。彼は主人公の女刑事を助ける易者の役だった。その役になりきるために彼
 は変装して実際に何度も街に出て、本物の易者として通りがかりの人々の占いをした。よくあ
 たるという評判まで立った。夕方までにその収録を終え、その足で急いで銀座の劇場に向かう。
 この部分がいちばんリスキーだ。週末にはマチネーを終えたあと、俳優の養成学校で演技の夜
 のクラスを受け持った。家福は若い人々を指導するのが好きだった。そういう送り迎えもすべ
 て彼女がおこなった。みさきは何の問題もなく、予定通りに彼をあちこちの場所に送り届け、
 家福も彼女の運転するサーブの助手席に座っていることに慣れていった。時には深く眠り込む
 ことさえあった。





  気候が暖かくなると、みさきはヘリンポーンの男物のジャケットを脱いで、薄手の夏物のジ
 ャケットに替えた。運転するときには、彼女は常に必ずどちらかのジャケットを着用した。た
 ぶん運転手の制服のかわりなのだろう。梅雨の季節になり、車の屋根が閉められることが多く
 なってきた。
  家福は助手席に座っているとき、亡くなった妻のことをよく考えた。みさきが運転手を務め
 るようになって以来、なぜか頻繁に妻のことを思い出すようになった。妻もやはり女優で、彼
 より二つ年下、美しい顔立ちの女だった。家福はいちおう「性格俳優」ということになってい
 たし、人ってくる役もいくぶん癖のある脇役であることが多かった。顔はいささか細長すぎる
 し、髪は若いうちからもう薄くなり始めていた。主役には向かない。それに比べると妻は正統
 的な美人女優だったし、与えられる役も収入も、それに相応しいものだった。しかし年齢を重
 ねるにつれて、彼の方がむしろ個性的な演技派の俳優として、世間で高く評価されるようにな
 っていった。それでも二人はお互いのポジションを認め合っていたし、人気や収入の違いが彼
  のあいだで問題になることは一度もなかった。
  家福は彼女を愛していた。最初に会ったときから(彼は二十九歳だった)強く心を惹かれた
 し、妻が死ぬまで(彼はそのとき四十九歳になっていた)気持ちは変わらなかった。結婚して
 いる間、妻以外の女と寝たことは一度もない。そういう機会もなくはなかったが、とくにそう
 したいという気持ちは起きなかった。

 

                                    村上春樹 『ドライブ・マイ・カー』
                            文藝春秋 2013年12月号掲載中

米国のエネルギー省のプロジェクト(5国立研究所、 5大学、民間企業のコラボレーション)で
も人工網膜の研究開発進んでいる。さらに同プロジェクトでは、高度なポリマーベースの微細加工
方法で第三世代人工網膜デバイスの生体適合性の微小電極アレイを開発研究中とか。 実に面白い。



昨夜、「スペースシップアースの未来」(第一回「止まらない「客室」の膨張」)を観賞した。そ

して、録画した映像を翌朝見て、「滋賀県の流域治水シンポジウム」が開催されるから、あなたも
参加しろとか、近くにソーラーパネルが導入中だから除いてみてはそうかと矢継ぎ早に話す。言う
のは簡単だけどと、この二件をかたづけた(前者は、主宰する研究所の公式ホームページに開催案
内を掲載し、後者は見学し?ブログ掲載する)。

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玉葱の涙から目薬

2013年11月29日 | 新弥生時代

 

 



【玉葱の涙から目薬】 

今年のイグ・ノーベル賞に、ハウス食品の研究チームがタマネギを切ると涙が出る原因となる合成酵素
を発見し、「An onion enzyme that makes the eyes water (目の水を生み出すタマネギ酵素)」の論文を発
し受賞したことは記憶に新しい。ところで、タマネギはネギ属に分類される植物
で、トマトに次いで世
界中で2番目に多く栽培され、世界各国で様々な料理に利用される野菜。タマネギの最大の特徴は、切
ったり、おろしたりした時に感じる独特の匂いと催涙性だ。この催涙因子(Lachrymatory Factor: LF)は、
もともとタマネギ中に存在するものではない。 LFは、タマネギの組織や細胞が破砕されたことにより、
タマネギ中で最も多い含流化合物のtrans-1-propenyl-L-cysteine sulfoxide:trans-PRENCSO)により分解され
て生じる1-propenyl sulfbnic acid を経て生成されるという。1-propenyl sulfbnic acidからLFへの変換は長い
間、非酵素的に進むとされてきたが、この反応には、催涙因子合成酵素(Lachrymatory Factor Synthase
LFS
)が関与していることが2002年に明らかになる。



この発見は、非酵素的に進行するために制御できないと考えられていたが、1つの特異的な遺伝子によ
って制御されていることが発見される。これは、遺伝子組換え、突然変異誘発、古典的な育種といった
手段による催涙性を示さないタマネギ作出の可能性を示唆。LFS発現量が少ないタマネギは、調理時の
催涙性がなく、低辛味タマネギとなる。さらに、遺伝子組換え手法を用いてLFS発現を抑制したタマネ
ギで特異的に生成される含硫化合物が、cydooxygenase-1やα-glucosidaseに対し阻害活性をもつと報告さ
れている。
LFS の発見の価値は、涙の出ないタマネギ作出につながることだけではない。trans-PRENCSO
alliinase、LFSの3成分を混合すれば、時と場所を選ぶことなくLF
発生が可能だ。この研究グループは京
都府を医科大学とドライアイ検査薬としての活用に取り組む。ライアイ検査法は約百年前に開発された
シルマーテストが今でも利用されているという。この方法は、被験者の下瞼にろ紙をはさんで一定時間
内のろ紙の濡れ具合を調べるもので、判定検査時の痛み・精度・検査時間が問題だったが、この研究の
LFS触媒反応解析を用いたalliinaseとLFSを浸み込ませ乾燥させたペーバーフィルターをカップの底に
置き、そのペーパーフィルターにtranss-PRENCSO溶液を滴下・密栓しLFを発生させ、その後、フタを開
けて被験者の目に当てるという検査法の研究開発が進んでいる。現在、(1)簡便・短時間で正確な検
査が行えることに加え、(2)老年性の知覚変化を検知できる結果が得られ、新たな検査法として期待
ていると言う。このように、タマネギがどうやって催涙性を示すのか明らかする一方で、さもそも、
タマネギが何のために催涙性を示すのか?という疑問には答えられていない。

 

 




【バイオマス燃料に注目】

アセトンーブタノールーエタノール(ABE)発酵により生産されるバイオブタノールは、バイオエタノ
ールと比較して(1)ガソリンに近いエネルギー量、(2)揮発性が低く取り扱いが容易、(3)腐食
作用を示さないため既存のインフラ設備や内燃機関の使用が可能、といった優れた燃料特性をもつ次世
代バイオ燃料として期待されている。一方、バイオ燃料生産には、(1)原料コストや前処理・糖化処理
など
発酵に適したリグノセルロース系バイオマス(LB)の創出と加工と(2)発酵における生産物濃度
生産性の向上などの工程に多くの課題があると言われている。これらは発酵工学分野を専門とする研究
者だけで解決できないため、LBを扱う植物育種学分野、遺伝子を扱う分子微生物学分野との連携がバイ
オ燃料研究の発展に必要不可欠だ。このような学際的連携からなる新たな総合的研究分野を、“スマー
発酵工学(iFermentech)”が提唱されている。ここで以下の三点の展望について俯瞰してみた。

※出典:スマート発酵工学によるブタノール生産(Construction of intelligent fermentation technology(i Ferm-
      entech))、野口拓也 田代幸寛 園元謙二、バイオサイエンスとインタストリー vol.7.No.6

        (2013)より


(1)発酵工学アプローチによる混合糖からの高効率的ブタノール生産プロセスの開発
(2)分子微生物学アプローチによる混合糖高資化性ブタノール生産菌の分子育種
(3)植物育種学アプローチによる発酵原料に適したLBのデザイン



まず第1点め。リグノセルロース系バイオマス(LB)の前処理、糖化処理後に得られるグルコース、
シロースを主に含む混合物を発酵原料とした場合、グルコースによりキシロースの消費が制限される

ーボンカタボライト抑制(CCR
)が生じる。セロビオースを混合糖中のヘキソース成分として用いた場
合、
野生株で初めてCCR(カーボンカタボライト:異化産物抑制)の回避に成功ししている(上図)。これま
の混合糖発酵に関する報告の中で最大のブタノール生産物濃度16 g/リットルが達成されている。
また、
発酵原料糖化工程の簡略化による糖化コストの縮減および発酵工程におけるCCRの回避を一度に
実現で
きる可能性がある。2点めは、近年混合糖の効率的な利用目的で、発現が促進(抑制)される遺
伝子の
同定、解析などが行われるようになり、CCR制御因子を破壊した育種株を作製し、CCRの回避に
成功し
ている。3点めは、リグノセルロース系バイオマス(LB)の構成成分であるセルロース、ヘミセ
ルロー
スを発酵原料には糖化酵素による糖化が必須でだが、糖化酵素の投入コストはバイオ燃料生産の
高コス
ト化の一因だが、LB自身に糖化酵素を生成させ糖化効率が改善するよう修飾(デザイン)する植
物育
核研究が行われ、発酵に適したバイオマス(デサインドバイオマス)の創出を目指した研究が進展し
てき
ている。


バイオマス燃料のメリット

バイオ燃料とは、生物資源を原料として製造される燃料のことです。主として現在は、ガソリンへの混
合利用を目的としたバイオエタノールと代替燃料としてバイオディーゼル燃料(BDF)の2種類がある。
バイオ燃料は、原料となる植物が光合成により二酸化炭素を吸収するため、燃焼させても二酸化炭素は
増加しないとみなされる、いわゆる「カーボンニュートラル」の燃料です。そのため、各国は温室効果
ガスの排出削減の手段としてバイオ燃料の導入を進めている。またバイオ燃料の導入促進には農業振興
という側面があり、バイオ燃料を導入すると、原料の生産農家にとっては農作物の新たな需要が生まれ、
取引価格が上昇または維持されることが期待される上に、自国の農業振興を図るため、バイオ燃料の導
入を進めている国の多くは、自国で生産される作物を活用してバイオ燃料を製造することを計画。その
ためエネルギーの自給率を向上させる一助となる。以上の結果「温室効果ガスの排出削減」「農業振興」、
エネルギー自給率向上」といったメリットが期待できる。
 

 

【日本経済は世界の希望(8)】 


 

                       格好の材料と化したラインハート&ロゴフ論文

  アレシナと同じく緊縮財政の御旗であったのが、ハーバード大学教授のカーメン・ラインハート
 とケネス・ロゴフの論文である。
  ラインハート&ロゴフ両氏の主張の骨子は「政府の債務残高がGDPの九〇パーセントを超える
 と成長が大きく停滞する」というものだ。両氏は公的累積債務というストックの量を問題視した。
   しかし、アレシナも、ラインハート&ロゴフも、どちらの主張も間違いだ。実際、マサチュー
 セッツ大学のトーマス・ハーンドンという大学院生などがその間違いを指摘した直後、それは大ニ
 ュースとして世界中をかけめぐることになった。
  “Growth in a Time of Debt(債務時の経済成長)"と名づけられたラインハート&ロゴフの論文は、
  二〇一〇年に発表されると同時に経済政策の議論で、試金石ともいえる地位を築いた。緊縮財政を
  推進する政治家にとって、これは格好の材料だった。発表された直後に経済政策上、これほど大き
  な影響を与えた論文は経済史において他に例がない。


                        緊縮財政推進派の学者はいあまや冷笑の的  

  この九〇パーセントという数字は、先の大統領選で共和党の副大統領として立候補したポール・
 ライアンや、欧州委員会のトップ・エコノミストであるオッリ・レーンにいたるまで、さまざまな
 と
ころで引き合いに出され、それが議論を決定づけるといってもよいほどの役割を果たした。この
 九
〇パーセントという数字が間違いだったというのだから、いまや論文の著者たちばかりではなく、
 緊縮政策推進派の著名な学者までもが冷笑の的になっても仕方がない。その後、本人たちは数字の
 間違いは認めたものの、理論そのものはいまでも正しい、と主張しているのだから、滑稽といわざ
 るをえない。
  緊縮政策といえば、即座にラインハート&ロゴフの論文が引き合いに出されるが、私からみれば、
 そもそもなぜこの論文がまともに取り上げられたのか、いまだに理解できない。最近読んだある本
 に学ぶなら、それは「政治」と「心理学」に関係しているのかもしれない。
  すなわち、緊縮政策は多くの権力をもつ人たちが「正しいと信じたい」と感じるような政策であ
 る。だからこそ、この論文が出てきたとき、彼らは「これだ」とばかりに飛びついたのだ。
  標準的な教科書によれば、歳出削減は全体的な需要を減らし、それが今度は生産高や雇用の減少
 につながるが、人びとは教科書に書かれていることを信じたがらない。緊縮政策推進派のドイツ人
 のエリートたち、アメリカの共和党メンバーは、ケインズ学派を大いに嫌っていたのである。


                            財政緊縮で民間に信用が生まれる?

  これに加担した要素が、二〇一〇年初期に発生したギリシャ危機だ。前政権が帳簿をごまかして
 いたために、予想以上に債務が大きかった。そこヘロゴフたちが緊縮政策推進の論文をタイミング
 よく発表したので、彼らの信用は不動のものになった。
 “lt's an ill wind that blows nobody good.”(誰の得にもならない風が吹くことはない。風が吹けば桶
 屋がもうかる)という諺があるように、ギリシャ危機は反ケインズ学派にとって、まさに天の恵み
 となった。
  経済が弱っているときに歳出削減を行なえば、その経済はさらに弱くなる、と私は確信している。
  そうした考え方は以前から変わっていないが、アレシナやラインハート&ロゴフの論文があまり
 に衆目を集めすぎたため、まるでケインズ学派の考えが間違っているかのように思われたことも事
 実だ。
  実際に二〇一〇年六月、当時ECB総裁であったトリシエは、イタリアの新聞『ラ・レプブリカ』
 で、緊縮政策が成長を阻むという懸念を一蹴した。彼は紙面ではっきりこういっている。
 「(デフレの危険があるのでは、という記者の質問に対し)そんなリスクが実現するとは思いませ
 ん。それどころか、インフレ期待は驚くほどわれわれの定義したもの-ニパーーセント以下、ニパ
 ーセント近く-にしっかり固定されていますし、最近の危機でもそれは変わっていません。経済に
 ついていえば、緊縮財政が停滞を引き起こすという考えは間違っています。(中略)じつはこうし
 た状況にあっては、家計、企業、投資家が財政の持続可能性について抱く安心感を高めることはす
 べて、成長と雇用創出の実現に有益なんです。私は現状において、安心感を高める政策は経済回復
 を阻害するどころか促進すると固く信じています。今日では、安心こそが重要な要因だからです」
 
  彼らの言い分は総じていえば、「断固として財政緊縮を実行すれば民間部門に信用が生まれ、こ
 の信用が財政緊縮のマイナス面を相殺する」というものだ。こうした考え方は、野火のように猖獗
 をきわめた。二〇一〇年四月、調子に乗ったアレシナはEU経済・財務相理事会でプレゼンテーシ
 ョンを行ない、それがそのまま欧州委員会の公式見解になった。
  そこで私がいくら声を大にして「緊縮政策は間違っている」といっても、ヨーロッパでは誰も間
 く耳をもたなかった。ギリシャは歳出削減と増税を実行し、その結果、財政赤字はGDPの一五パ
 ーセントパーセントにも相当する規模になった。アイルランドやポルトガルでもそれはGDP比六
 パーセントにまでなったが、歳出削減は毎年実行され、勢いはさらに増した。


                       理論と歴史の教訓を無視しだ政策決定者たち

  案の定、結果はひどいものになった。緊縮政策を強いられた国は、激しい経済の下降を余儀なく
 されたが、その逆効果の度合は緊縮の度合におおよそ、比例している。
  このデータをみて、IMFは「緊縮政策は大いに逆効果になる」という結論を出しただけではな
 く、その逆効果を過小評価したことを詫び"mea culpa(罪は私にあります)"という声明までをも発
 表したのである。
  緊縮政策が絶賛されてからわずか三年で、その政策が間違っていたことが誰の目にも明らかにな
 った。ヨーロッパで緊縮政策の悲惨な結果が表面化する前に、まずはアレシナの主張が崩壊した。
  米ブラウン大学のマーク・ブライスは、その新著“Austerity: The History of a Dangerous ldea”のな
 かで、「弱い経済のもとでの歳出削減は、さらに経済を弱くしてしまう」と指摘している。ブライ
 スは歴史上の例をあげながら、先進国の大幅な歳出削減のあとには、たいていの場合、経済成長の
 減速がみられると論じた。彼は「二〇一一年中盤までに、緊縮政策に対する経験則的、理論的な支
 持は静かに消え去っていった」とも述べている。
  しかし、ロゴフらの論文が崩壊するのには、もう少し時間がかかった。彼らの論文はあまりに立
 派で隙がなかったからだ。
  それを崩壊させたのが、マサチューセッツ大学の大学院生であるトーマス・ハーンドンだ。彼は
 データ解析の誤りを指摘し、世界中のメディアがそれを大々的に取り上げた。ロゴフたちは自らの
 主張を擁護しようとしたが、私からみれば、それは言い訳にすぎない。
  一連の緊縮財政の騒動からいえることは、政策決定に携わる者たちが、理論と歴史の教訓を無視
 しつづけてきた、ということである。私はずっと正しいことを主張してきたが、どれほど批判して
 も、一時期は誰にも聞いてもらえなかった。いまになってようやく、胸をなでおろしているところ
 だ。
  ラインハート&ロゴフ論文の崩壊は、「理論と証拠が最終的には重要になる」という希望を専門
 家に示したのである。

 

 





                         長期的な成長が勢いづいてきたブラジル

  中国経済のみならず、リーマン・ショック後、G20の台頭とともに語られた新興国の高揚感も失
 われた。BRICs諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国)にはあきらかなバブルが発生し、人
 びとは新興国市場の魅力に投資を行ないすぎた。
  ロシアは基本的にはまだ、石油に基づいた経済構造である。インドは規制改革がうまくいった。
 中国に少し似ているが、遅れて独自の道を歩んでいる。もちろん問題がないこともないが、成長の
 見込みはかなりある。
  私が注目しているのはブラジルだ。中国よりもはるかに裕福な国で、長期的な成長がついに勢い
 づいてきたようにみえる。もともとブラジルは極端な不平等社会だった。その不平等を是正すべく
 行なっている努力は、これまでのところ奏功している。
  ブラジルの格差は一九九〇年代半ばから急速に縮小した。ハイパーインフレも収束し、二〇一〇
 年には黒人差別を是正するための「人種間平等法」が成立。当時、大統領の座にあったルーラ氏は、
 同法の署名式典で「ブラジルはこの法律によって、より公正な国になるだろう」と語っている。
  メキシコもブラジルと同じような造を歩んでいる。ラテンアメリカの二大経済はいまやその距離
 を近づけはじめた。それは歓迎されるべき事態であり、ハッピーな結果をもたらすだろう。
  残念ながら、ロシアはそのハッピーな話のなかに入っていない。インドと中国はよくなりつつあ
 るが、まだまだ貧しい国だ。
  人びとは一喜一憂する金融の側面と、現実の経済の側面を区別しなければならない。その現実と
 は、先進国よりもかなり速く新興国が成長している、ということだ。新興国の時代は終わった、と
 いう識者もいるようだが、そんなことはありえない。事実、国民一人当たり収入は少しずつ、先進
 国のそれに近づいている。


                           アメリカは世界のリーダーであり続ける

  これから十年後、国際情勢はどのように変化していくのだろうか。米欧日など主要先進七カ国で
 構成するG7も、新興国を加えたG20も機能しない「Gゼロ」とはユーラシア・グル
ープ代表であ
 るイアン・ブレーマーの言葉だが、十年後にアメリカはまだ、世界のリーダーで
ありつづけているだ
 ろうか。
  私の答えはイエスだ。中国はどこまで台頭するのか、ということが議論の対象になっているが、
 そうなるにしても、まだ先のことである。

  区別する必要があるのは、購買力平価(貿易障壁のない世界を想定すると、そこでは国が異なっ
 ても同じ製品の価格は一つであるという「一物一価の法則」が成立するが、この法則が成り立
つと
 きの自国通貨と外国通貨の購買力の比率)で評価したGDPと、名目為替レートを使用したドル換

 算のGDPだ。
  経済水準の異なる国でGDP比較をするときには、購買力平価で評価しなおしたGDPを用いる
 が、そもそも中国のGDPは水増しされているので、どのくらい信頼ができるのか、
という意見の
 不一致がある。

  その一方で元が世界の基軸通貨とみなされ、中国が世界の覇権を握るには、「名目為替レートを
 使用したドル換算のGDP」が重要になる。中国の元はまだまともな通貨とはいえな
い。市場では
 なく、政府がコントロールしているからだ。

  さらに、中国には価値観の問題がある。アメリカ、EU諸国、そして日本はさまざまな点で喧嘩
 はするが、共通の価値観をもった民主主義国家だ。そのなかに中国は入っていない。米欧日を合わ
 せたGDPと中国のGDPを比べたとき、まだまだ中国は小さなプレーヤーでしかない。
  一方、米欧日グループのなかの一位はもちろん、アメリカだ。アメリカとEUの経済規模はおお
 よそ同じだが、当然ながらEUとは違って、アメリカは単一の政府である。だからこそ、アメリカ
 は十年後にも世界のリーダーでありつづけるのだ。

                 ポール・クルーグマン 『そして日本経済が世界の希望となる』



 




【ドライブ・マイ・カー】 

  
  「急に運転手が必要になった事情は、大場さんから聞いているかな?」
  みさきはまっすぐ正面を見つめながらアクセントの乏しい声で言った。「家福さんは俳優で、今
 は週に六日、舞台
に出演しています。自分で車を運転してそこに行きます。地下鉄もタクシーも好
 きじゃない。車の中で台詞の練習を
したいから。でもこのあいだ接触事故を起こし、免許証も停止
 になった。お酒が少し入っていたことと、それから視
力に問題があったためです」
  家福は肯いた。なんだか他人が見た夢の話を聞いているみたいだ。
 「警察の指定した眼科医の検査を受けたら、緑内障の徴候が見つかった。視野にプラインドスポッ
 トがあるらしい。右
の隅の方に。それまではまったく気づかなかったんだが」
  飲酒運転については、アルコールの量もそれほど多くなかったので、内々に収めることができた。
 マスコミにも洩
れないようにした。しかし視力の問題については事務所も見過ごすわけにはいかな
 かった。今のままだと、右側後方
から近づいて来る車が死角に入って見えない可能性がある。再検
 査して良い結果が出るまでは絶対に自分で運転は
しないでくれと申し渡されていた。
 「家福さん」とみさきは質問した。「家福さんと呼んでいいですか? 本名なんですか?」
 「本名だよ」と家福は言った。「珍しい名前だ。縁起の良い響きの名前だけど、どうやら御利益は
 ないみたいだ。うちの親戚には金持ちと呼べそうな人間はI人もいないからね」
  しばらく沈黙があった。それから家福は、専属の運転手として彼女に支払うことのできる一月ぶ
 んの給料の額を告げた。大した額ではない。しかしそれが家福の属する事務所から支出できる限度
 だった。家福の名前はある程度世間で知られているが、映画やテレビで主役をはれる俳優ではない
 し、舞台で稼げる金は限られている。彼クラスの俳優にとっては、何ケ月かの限定とはいえ、専用
 の運転手をつけること自体が例外的な贅沢なのだ。
 「勤務時間はスケジュール次第で変わってくるけれど、ここのところは舞台が中心だから、基本的
 に午前中には仕事はない。昼までは寝ていられる。夜は遅くても十一時にはあがれるようにする。
  もっと遅い時間に車が必要な場合はタクシーを使う。週に一日は休みをあげられるようにする」
 「それでけっこうです」とみさきはごくあっさりと言った。
 「仕事自体はそれほど重労働じゃないと思う。きついのはむしろ何もしないで待機している時間か
 もしれない」
  みさきはそれについては何も言わなかった。ただ唇をまっすぐに結んでいた。そんなものよりき
 ついことは、これまで山ほど経験してきたという顔つきだった。
 「屋根を開けているときに煙草を吸うのはかまわない。でも屋根を閉じているときには吸わないで
 ほしい」と家福は言った。
 「わかりました」
 「何かそちらの希望は?」
 「とくにありません」。彼女は眼を細め、慎重にシフトダウンをした。そして言った。「この車が
 気に入ったから」
  そのあとの時間を二人は無言のうちに送った。修理工場に戻り、家福は大場を脇に呼んで「彼女
 を雇うことにするよ」と告げた。

                            村上春樹 『ドライブ・マイ・カー』
                               文藝春秋 2013年12月号掲載中

 

 

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スペースシップアース

2013年11月28日 | 時事書評

 

 

 

 

【スペースシップアースの未来】

2009年春、英国にあるケンブリッジ大学の海氷専門家ピーター・ワダムズ(Peter Wadhams)率い
る調査チームがボーフォート海の北側の海域の氷を全長450キロに渡って観測したところ、そのほ
とんどが新しく薄いものであることがわかった。
同調査チームによると、2008年春の北極海の氷冠
の厚さは平均1.8メートルで、これはわずか1年ほど前にできた氷であることを示しているという。
NASAの観測によると、形成されてから数年を経た壊れにくい氷の厚さが約3メートルあるのと対照
的である。ワダムズは声明の中で、ほとんどの氷は今後10年以内に溶けると予想されると述べてい
るが、『スペースシップアースの未来-プロローグ-』のインタービューで、北極で何度も海水温
上昇によるメタンガスの噴出と遭遇したと語り、今世紀末には北極は10℃上昇するだろうと語った。

地球温室効果係数:メタンは二酸化炭素の21倍、因みに、六フッ化硫黄は、23,900倍。

宇宙船地球号という言葉は、地球を,物質的に出入りのない一隻の宇宙船にたとえていう語。有限
な資源の中での人類の共存や適切な資源管理を訴えて、アメリカの経済学者ボールディングらが用
いたと言われる。NHKが明日から『スペースシップアースの未来』を連続放映されるというので
録画予約したいと彼女が言い出したので、わたしも興味があるので予約。地震大津波、原発事故。
東日本大震災をきっかけに世界の有識者たちが私たちの未来について真剣に考え始め、地球を1つ
の船に見立て、解決すべき問題を改めて見つめたものだという。出演:サティシュ・クマール, デ
イブ・ヒューズ,  ローヨル・チタラドン,  ピーター・ワダムズ,  ケビン・アンダーソン, ニラン・
チャイマニー,  マーチン・リース,  ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ,  松井孝典,  六川修一,  山
本良一,  足立直樹,  語り:窪田等,  声:野島昭生,  喜多川拓郎,  内田大加宏,  前島貴志, 玉
川砂記子など。

 

 
 

 

【日本経済は世界の希望(7)】 

 


 

本文の「不動産バブルは起こるのか」の節で、クルーグマンは、「不動産バブルが起こるのか、と
いう質問に答えるのは難しい。とにかく結果が出るのはこれからだ。そうなったとき、日本経済の
内需は将来に向けて拡大する可能性があると」述べているが、昨夜のテレビでは、米国が景気回復
基調に入ったので中高年の投資家が、低い貯蓄利息や年金破綻不安などのポートファリオとして、
賃貸住宅投資に走り、賃貸住宅投資プランナーの盛況ぶりを映し出し、これがリーマンショックで
下がっていた住宅価格を再高騰させ、本当に住宅を必要とする顧客の購買意欲(購入計画)を殺い
でいる状況を映し出していた。つまり、クルーグマンの言を借りれば、実体経済までにバブルが至
っていないということになるのだが、そもそも、好景気(あるいは景気の好循環)とバブルとを一
緒に議論すること自体が問題だと常々考えてきたのだが、それゆえ、実体経済の活性度を反映する
財政政策の評価が重要となる。極端な場合、実体経済での場面での特定政策の評価に当たっては、
一時的に逆相関することも正当に評価できるような政策アルゴリズムをあらかじめ導入しておかな
ければならない(これを『現代政策制御理論』と言うなら、これについての考察は残件扱い、要別
途掲載しなければならない)。その他については昨夜と同様に大きな異論はない。以下、クルーグ
マンの『日本経済は世界の希望』から抜粋掲載する。



                                      株式市場はそもそも不安定なもの

  アベノミクスという政策実験は、第1章で述べたように「モデルとしての日本をどのように
 世界に示せるか」という、経済の未来を占ううえで決定的に重要な役割を担っている。黒田日
 銀の掲げる「今後二年間でニパーセントのインフレ率」という目標が達成されたとき、日本経
 済の目前には、どのような世界が広がっているのだろうか。
  安倍政権による金融政策は、いまのところ株高・円安というかたちで成果を上げている。
  しかし長期金利が上昇したり、日経平均株価が乱高下していることを、「副作用」が表れて
 いる、という人もいるようだ。
  アベノミクスは、日本経済を未知の領域に連れていこうとしている。それだけに、昨日まで
 「グレート(素晴らしい)j」といっていた人が、その翌日に「待った7」をかけるように、
 株式市場で鋤僻的な行動がみられても驚くに値しない。だがそもそも日経平均は、かつてに比
 べれば、はるかに高い水準にある。
  一九八七年十月十九日、『根拠なき熱狂』(ダイヤモンド社)で知られるイェール大学のロ
 バート・シラーは、ダウ平均株価が一日で二二・六パ-セントの下落を経験した「ブラックマ
 ンデー」の真っただ中で聞き取り調査を行なった。投資家たちに「なぜ、あなたは株を売
るの
 か」と聞いたところ、彼らは「株価が下がっているから」と答えた。一種のパニック売
りが起
 きていたのだ。

  近年ではさらに、電子商取引がそうしたパニックの流れを加速させている。株式市場とは
 もそも不安定なもので、日々の動きにあまり注目しすぎないことが大切だといってもいい
すぎ
 ではないだろう。


                         インフレで財政問題は大きく好転する

  「インフレ率ニパーセント」の世界を具体的に覗いてみよう。まずは雇用。経済学には「オ

 ークンの法則」がある。経済学者のアーサー・オークンによって提唱されたもので、失業者
 財・サービスの生産に貢献しないため、失業者の増加と実質GDPの低下が同時に発生する。
 こ
の失業者と実質GDPとのあいだにある負の相関関係のことだ。
  しかし日本では奇妙なことに、経済が悪化していたときも失業率はほとんど変化しなかった。
 その点だけをみれば、日本は「完全雇用の経済」と呼んでよいのかもしれない。

  財政については、ニパーセントのインフレ目標が達成されれば、目下の問題はかなり好転
 る。もちろん利払いはある程度増えるだろうが、名目GDPの成長率が上がることで、最終的

 にGDPに対する国の債務比率を下げることが可能だからだ。そうしたかたちになれば、財政
 出動策も不要になる。

  最終的には財政緊縮が必要になるが、いまの日本ではたして実際に公的債務を減らしはじ
 ることができるだろうか。本書で何度も繰り返したように、あまり早く財政再建を始めること

 はよい結果をもたらさない。まずは、ニパーセントのインフレを達成することを第一に考える
 べきだろう。
  一方で、日本が抱える大きな問題が少子高齢化であることも、すでに述べたとおりだ。ア
 リカやフランスに比べ、労働生産性も低い。たしかに金融政策だけでは効率のよい経済
イノベ
 ーションが生み出される風土、子どもを産みたい、と思わせるような社会にならないことは事
 実である。

 とはいえ、日本の抱える金融という大問題を解決するだけでも、経済問題の深刻さを軽減でき
 る。そうなったときにいよいよ、安倍政権は改革に着手すればよい。

                                             不動産バブルは起こるのか

 

  貿易についてはどうか。いまの日本は「貿易黒字国」というイメージとは異なって、貿易
 字が基調になりつつある。二〇一三年上半期(一月~六月)の貿易統計(速報・通関ペース)
 は、輸出から輸入を差し引いた貿易収支が四兆八四三八億円の赤字になり、比較可能な一九七
 九年
以降、半期ベースで最大の赤字幅を記録した。
  たしかに日本経済はいま、構造的に貿易黒字から貿易赤字にシフトするプロセスを歩んで
 るのかもしれない。貿易赤字だけではなく、経常赤字の足音が忍び寄っている、という人もい

 るようだ。
  しかし、ニパーセントのインフレになれば金利が高くなる。おそらく日本国債の名目金利
  一パーセント以上になるだろう。しかし、インフレ率はニパーセントだから、実質金利はマ
 イナスになる。

  貨幣の価値が下がった結果、円安がさらに進む。
  
もちろんインフレ目標達成時の状況によるので、現時点でその時期を明言することはでき
 いが、そうした状況が実現したとき、貿易収支もまた黒字化に向かうだろう。

  そのなかで個人消費が伸張し、建設支出(住宅、商業施設、公共施設の建設に要した建設会
 社の費用の総計)も増え、企業の設備投資も増加する。多くの日本人がマンションを買い新築
 物件が増設される。一人当たりの住居スペースも広くなるだろう。自動車がさらに売れるなど
 間接的な影響もみられるが、直接的にはビルの建設に効果が表れる。

  不動産バブルが起こるのか、という質問に答えるのは難しい。とにかく結果が出るのはこ
 からだ。そうなったとき、日本経済の内需は将来に向けて拡大する可能性がある。
  ニパーセントインフレの達成によって、日本経済はいまよりも、はるかに安定した状況に
 る。二〇〇九年から一二年までの四年間、日本のCPI(消費者物価指数)は連続してマ
イナ
 スを記録しているが、これは経済状況の悪化と並行している。

  当然ながらインフレ率がニパーセントという状態のほうが、名目金利がインフレ率を下回っ
 て実質金利がマイナスになる可能性もあり、CPIがマイナスのときよりも経済政策を実行し
 やすい。そこで経済が大きく浮揚する確率は高まるだろう。
  何度もいうが、ニパーセントのインフレ目標達成が最優先である。先進国では、インフレ率
 はそう急には動かない。かなりの好況でなければ物価が年に一ポイント上がることはないが、
 かといって、到達できない数値でもない。実際に私自身が計算し、弾き出した数字もニパーセ
 ントだった。
  日本の景気がよくなれば、ニパーセントではなく、もう、ニパーセント高めのインフレでも
 よいのではないか、という議論が出てくるはずだ。
  もう一度いっておこう。私はいま、日本のインフレ率は四パーセントがベストだと考えてい
 る。

                          『出口戦略』はまったく時期尚早

  ニパーセントのインフレ目標を達成したあとに黒田日銀が負うべきミッションは、FRB
 直面している「出口戦略(exit strategy)」といわれる。しかし、インフレターゲットの重
要な
 点は出口(ロΞではなく「インフレ期待を続けさせること」であり、そうした議論自
体に意味
 がない、という見方もある。

  二〇一三年六月十九日のFOMC(米連邦公開市場委員会)後に行なった記者会見で、バ
 ナンキは一三年度内の緩和縮小に言及し、これがタカ派的な発言と受け止められて、新興
国株
 の下落を招くことになった。

  雇用などの状況を鑑みれば、日本は当然のこと、アメリカも出口戦略を口にする段階では
 い。まだまだ出口の時期は先である。

  なぜいまバーナンキが非伝統的な金融政策をとめたい、という気持ちになるのか、私には見
 当がつかない。
  長期の国債を保有しているならば、むしろそれを売ったときの悪影響を心配すべきではない
 か。いま買い入れている長期国債は満期まで保持し、期限が来たら清算すればよいだけだ。
  現時点ではその可能性はかなり低いが、もしインフレ率が高くなりすぎる事態を心配するの
 なら、短期金利を上げればよい。中央銀行が多額の長期国債を保有することと、短期金利を上
 げることは矛盾しない。政策的にはそれが最善の戦略といえる。
  それよりもはるかに重要なのは、バーナンキが「インフレが手に負えなくなる事態は絶対に
 ない」としっかり明言し、アメリカ国民を安心させることだ。インフレ政策の本質は、人びと
 の「期待」に働きかけ、それを変えることであるのは、ここまで繰り返し述べたとおりである。
  それにもかかわらず、人びとを期待ではなく「不安」へと導くような、方針転換とも捉えら
 れる発言をすれば、政策の効果が弱まることは明らかだろう。
  日本の場合も同じだ。インフレ政策で景気の好転を期待させようとしているうちに出口戦

 をうんぬんするのは、市場からの信頼を失うだけである。いわば、自分が履いている靴の紐を、
 自分の足で踏んで転ぶようなものだ。


                           公共事業以外でも財敗出動できる

  大胆な金融緩和という「第一の矢」に続き、安倍政権が標榜するのは機動的な財政出動とい
 う「第二の矢」である。
  第1章と第2章で論じたとおり、「復活だあっ~」を書いたときより私は財政出動の重要
 性を認識しているが、『さっさと不況を終わらせろ』では、財政出動=公共事業という着想に
 ついては、やや批判的ともいえるスタンスをとった。
  財政出動に対する反対論のなかでも、よく耳にするのは「お金を使うためのよいプロジェク
 トがない」という声だ。『さっさと不況を終わらせろ』でも述べたとおり、州や地方政府はほ
 ぼ毎年、財政均衡を求められる。そこで不景気になれば、支出を削るか、増税するか、あるい
 はその両方が必要になる。
  
オバマ政権は州や地方政府に補助金を出し、こうした行動を避けようとしたが、その資金は
 初年度で使い果たされ、結果として、大規模な歳出削減が実行された。すでに労働者の数は五
 〇万人以上も減っている。その大半が教育分野に従事している人たちだ。
  たとえばそこで十分な補助金を出し、最近の予算カットをやめさせるだけで、年額三〇〇〇
 億ドルもの刺激策になる。百万人以上の職が直接的につくりだされ、間接効果も含めれば雇用
 人数は三〇〇万人以上にものぼるだろう。
  アメリカはまだ、教育への投資が足りない。とくにアメリカ人が人生の初期に直面する不平
 等、つまり、貧しい家庭に生まれた聡明な子どもは豊かな家庭に生まれたあまり聡明ではない
 子どもよりも大学を卒業する可能性が低い、という事実は、非道というだけではなく、人的資
 本の膨大な浪費を意味している。
  もちろん、私は建設分野の重要性を否定しているわけではない。アメリカ各地では近年のよ
 うに橋梁が陥落し、インフラヘの投資も不足している。公衆衛生や警察などの分野も投資が不
 可欠だ。これらの分野で何らかの不備があれば、即、社会に重大な問題を及ぼすからである。


                            検証に耐えなかったアレシナ

 
  財政出動と聞いたとき、日本人の多くは、未曾有の規模にまで膨らんだ公的債務の削減と
 共事業の兼ね合いをどう考えるべきかと思うだろう。『さっさと不況を終わらせろ』では、

 ーバード大学の経済学者であるアルベルト・アレシナの緊縮財政に対する考え方を痛烈に
批判
  した。
  アレシナの結論は、大規模な赤字を削減しようとしたさまざまな国家を調査した結果、その

 行動自体が強い安心効果を生み出し、そうした効果がとても強いために、緊縮財政が経済拡張
 をもたらす、という驚くべきものだ。

  一九九八年に発表されたその論文は当時、それほど注目されてはいなかったが、その後、
 況は一変した。景気刺激策と緊縮財政のバランスをどうとるのか、という論点は経済学者
が論
 じる主要なテーマとなり、緊縮主義者にとってアレシナの論文は錦の御旗になった。

  これはとても残念なことだった。なぜなら、その統計的な結論や歴史的な事象を詳細に分析
 したとき、彼の論文はまったく検証に耐えられるようなものではなかったからだ。
  アレシナの主張には二種類の根拠がある。その一つは経済的なケーススタディだが、近年の
 経済状況に当てはまらないものが多い。もう一つの回帰分析も、緊縮政策として取り上げる事
 例が実際の政策と一致していないという欠陥がある。
  たとえば一九九〇年代末、アメリカは財政赤字から財政黒字へと移行したが、この動きは好
 景気に連動していた。はたしてそれは、緊縮財政の強化を証明するものになるだろうか。
  当時の好景気と赤字削減はITバブルのせいで生じていたのだ。それが株価の高騰を導き、
 税収増を成し遂げたにもかかわらず、「緊縮財政が財政赤字を減少させた」と結論づけるのは
 間違いだ。財政赤字と経済の強さに相関関係があるからといって、緊縮財政が経済成長をもた
 らすという因果関係が必ず存在する、ということにはならない。

 


 





【ドライブ・マイ・カー】
 

  「古い車だから、ナビもついていないけど」
 「必要ありません。しばらく宅配便の仕事をしていました。都内の地理は頭に入っています」
 「じゃあ試しにこのあたりを少し運転してくれないかな?天気が良いから屋根は開けていこう」
 「どこに行きますか?」
  家福は少し考えた。今いるところは四の橋の近くだ。
 「天現寺の交差点を右折して、明治屋の地下の駐車場に車を停め、そこで少しばかり買い物を
 して、それから有栖川
公園の方に坂を上がって、フランス大使館の前を通って明治通りに入る。
 そしてここに戻る」

 「わかりました」と彼女は言った。いちいち道順の確認もしなかった。そして大場から車のキ
 ーを受け取ると、座席
の位置とミラーを手早く調整した。どこにどんなスイッチがあるのか、
 彼女はすべて承知しているようだった。クラ
ッチを踏み、ギアをひととおり試した。ジャケッ
 トの胸の
ポケットからレイバンの緑色のサングラスを出してかけた。それから家福に向かって
 小さく肯いた。用意は整ったということだ。

 「カセットテープ」と彼女はオーディオを見て独り言のように言った。
 「カセットテープが好きなんだ」と家福は言った。「CDなんかより扱いやすい。台詞の練習
 もできる」
 「ひさしぶりに見ました」
 「僕が運転を始めた頃はエイトトラックだった」と家福は
言った。
  みさきは何も言わなかったが、表情からするとエイトトラックがどんなものか知らないよう
 だった。
  大場の保証したとおり、彼女は優秀なドライバーだった。運転操作は常に滑らかで、ぎくし
 ゃくしたところはまったくなかった。道路は混んでいて、信号待ちをすることも多かったが、
 彼女はエンジンの回転数を一定に保つことを心がけているようだった。視線の動きを見ている
 とそれがわかった。しかしいったん目を閉じると、シフトチェンジが繰り返されていることは、
 家福にはほとんど感知できなかった。エンジンの音の変化に耳を澄ませて、ようやくギア比の
 違いがわかるくらいだ。アクセルやブレーキの踏み方も柔らかく注意深かった。また何よりあ
 りがたかったのは、その娘が終始リラックスして運転していることだった。彼女は車を運転し
 ていないときより、むしろ運転をしているときの方が緊張がうまくとれるらしかった。その表
 情の素っ気なさは薄らぎ、目つきもいくらか温和になっていた。ただ口数が少ないことには変
 わりない。質問されない限り、口を開こうとはしない。
  しかし家福はそのことをとくに気にしなかった。彼も日常的に会話をすることがあまり得意
 ではない。気心の知れた相手と中身のある会話をするのは 嫌いではないが、そうでなければ
 むしろ黙っていられた方がありがたい。彼は助手席に身を沈め、通り過ぎていく街の風景をぼ
 んやりと眺めていた。いつも運転席でハンドルを握っていた彼にとって、そういう視点から眺
 める街の風景は新鮮に感じられた。
  交通量の多い明治通りで、試しに何度か縦列駐車をさせてみたが、彼女は要領よく的確にそ
 れをやってのけた。勘の良い娘だ。運動神経も優れている。彼女は長い信号待ちのあいだに煙
 草を吸った。マールポロが彼女の好みのブランドであるようだった。信号が青に変わるとすぐ
 に煙草を消した。運転をしているあいだは煙草は吸わない。煙草の吸い殼に口紅はついていな
 かった。爪のマニキュアもない。化粧というものをほとんどしていないようだ。
 「訊いておきたいことがいくつかあるんだけど」と家福は有桶川公園のあたりで言った。
 「訊いて下さい」と渡利みさきは言った。
 「運転はどこで身につけたの?」
 「北海道の山の中で育ちました。十代の初めから車を運転しています。車がなければ生活でき
 ないようなところです。一年の半分近く道路は凍結しています。運転の腕はいやでも良くなり
 ます」
 「でも山の中で縦列駐車の練習はできないだろう」
  彼女はそれには返事をしなかった。とくに答える必要もない愚問だということなのだろう。

                          村上春樹 『ドライブ・マイ・カー』
                             文藝春秋 2013年12月号掲載中

 

【冤罪の倍返し法】

福島県発注の工事をめぐる汚職事件で有罪が確定した元福島県知事の佐藤栄佐久に対し、同県が退
職金7726万6700円の返還命令を出していたことが一斉に報じられた。福島県によると、県の職員
退
職手当に関する条例では、在職期間中の行為が、禁錮刑以上に該当する場合、退職金の返還命令の
該当になるという。佐藤栄佐久は『知事抹殺』の著者だ。そこで、テレビドラマ「半澤直樹」の台
詞ではないが、このような報復(集団犯罪)に対する正当な報復方法を考えてみようとしたが、今
夜も疲れてヘロヘロの思考停止状態。

                                         

これはチョットほほえましいホーム・ニュース。例の花柚子の実を1つ採り、夕食の湯豆腐のたれ
に供した。新鮮ないい香りだ。これとて彼女が朝早く害虫から守ってきたからこそ、傷一つなく育
ったのだと、感謝し熱々の豆腐を頂いた。

                                        

                                      
 

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足湯効果のウォームビス

2013年11月27日 | 省エネ実践記

 

 

  

【ウォームビズ効果】

モンベルのトラッキング・ウエアを実践し始めて二週間経ったが、効果十分という感想をえ
る。
例えると、移動する足湯効果ということになる。元々スポーツウエアということもあり
ファッション
もあり気に入っている。そこでさらに欲をいうと、機能性と意匠性があるネッ
クガーター(ネックバ
ンド、ネックウォーマ)とヘッド・バンド(ヘッド・ウォーマ)を揃
えれば完璧ということで、ネット販売商品を調べる(上写真×3品)。たぶん今シーズンは
これで乗り越えることができるだろう。
 これは過信か?

     

 


 




【ドライブ・マイ・カー】

 

  二日後の午後二時には、黄色のサープ900コンバーティブルは修理を終えられてい
 た。右前面のへこんだ部分は元通りに修復され、塗装も継ぎ目がほとんどわからないよ
 うに丁
 寧に仕上がっていた。エンジンは点検整備され、ギアは再調整され、プレーキ
 パッドもワイパーブレードも新
しいものに交換された。洗車され、ホイールを磨かれ、ワック
 スをかけられていた。いつもどおり大場の仕事にはそつがなかった。家福はもう十二年
 そのサーブに乗り続け、
走行距離も十万キロを超えている。キャンバスの屋根もだんだ
 んくたびれてきた。強い雨の降る日には隙間の水漏れ
を気にする必要がある。しかし今
 のところ新車に買い換えるつもりはない。これまで大きなトラブルは皆無だったし、何
 よりも彼
はその車に個人的な愛着を持っていた。冬でも夏でも、車の屋根を開けて運転
 するのが好きだ
った。
  冬には分厚いコートを着てマフラーを首に巻き、夏には帽子をかぶって濃いサングラ
 スをかけ、ハンドルを握った。シフトの上げ下げを楽しみながら都内の道路を移動し、

 信号待ちのあいだにのんびり空を眺めた。流れる雲や、電材にとまった鳥たちを観察た。
 そういうのが彼の生活スタ
イルの欠かせない一部になっていた。家福はゆっくりとサ
 プのまわりを一周し、レース前の馬の体調を確かめる人
のように、あちこち細かい部分
 を点検した。

  その車を新車で購入したとき、妻はまだ存命だった。ボディーカラーの黄色は彼女が選
 んだものだ。最初の数年間はよく二人でドライブをした。妻は運転をしなかったので、
 ハンドルを握るのはいつも家福の役だった。遠出も何度かした。伊豆や箱根や那須に出
 かけた。しかしそのあとの十年近くはほとんど常に彼一人で乗っていた。妻の死後、何
 人かの女性と交際したが、彼女たちを助手席に座らせる機会はなぜか一度もなかった。
 都内から外に足を仲ばすことも、仕事でそうする必要がある場合を別にして、まったく
 なくなってしまった。
 「さすがにあちこちに少しずつやれが出てきていますが、まだまだ大丈夫です」と大場
 は大型犬の首でも撫でるように、ダッシュボードを手のひらで優しくこすりながら言っ
 た。「信頼できる車ですよ。この時代のスウェーデン車って、なかなかしっかり作られ
 ているんです。電気系統に気を遠う必要はありますが、基本のメカニズムには何ら問題
 ありません。ずいぶん丁寧に整備をしてきましたしね」
  家福が必要書類にサインし、請求書の詳細について説明を受けているときに、その娘
 がやってきた。身長は165センチくらいで、太ってはいないが、肩幅は広く、体格は
 がっしりしていた。右の首筋に楕円形の紫色のアザのようなものがあったが、彼女はそ
 れを外にさらすことにとくに抵抗を感じていないようだった。たっぷりとした真っ黒な
 髪は邪魔にならないように後ろでまとめられていた。彼女はおそらくどのような見地か
 ら見ても美人とは言えなかったし、大場が言ったようにひどく素っ気ない顔をしていた。
  頬にはにきびのあとが少し残っていた。目は大きく、瞳がくっきりしているが、それ
 はどことなく疑り深そうな色を浮かべていた。目が大きいぶん、その色も濃く見えた。
 両耳は広く大きく、まるで僻地に備えられた受信装置のように見えた。五月にしてはい
 ささか厚すぎる、男物のヘリンポーンのジャケットを着て、茶色のコットンパンツをは
 き、コンバLスの黒いスニーカーを履いていた。ジャケットの下は白い長袖のTシャツ、
 胸はかなり大きい方だ。大場が家福を紹介した。彼女の名前は渡利といった。渡利みさ
 き。
 「みさきは平仮名です。もし必要なら履歴書を用意しますが」、彼女は挑戦的に聞こえ
 なくもない口調でそう言った。
  家福は首を振った。「今のところ履歴書までは必要ない。マニュアル・シフトは運転
 できるよね?」
 「マニュアル・シフトは好きです」と彼女は冷ややかな声で言った。まるで筋金入りの
 菜食主義者がレタスは食べられるかと質問されたときのように。


                      村上春樹 『ドライブ・マイ・カー』
                         文藝春秋 2013年12月号掲載中


 

【日本経済は世界の希望(6)】 

                        財政上の安定は何を担保するのか

  ECBのドラギ総裁は緊縮財政について、ヨーロッパでは正統派といえる政策をとり
 すぎる嫌いがあり、それを不快に感じることもあるが、一方で彼の行動はときに素晴ら
 しいものがある。ヨーロッパの政治的な地雷原をうまく通り抜けながら、自らの政治性
 を発揮する能力は卓抜している。

  ECBが直接ソブリン債券を買うのではなく、各国の中央銀行が的確に定める担保を
 出しさえすれば銀行に無制限でお金を貸し出す、というLTROのスキームは、その慧
 眼が発揮された例だろう。その政策によってソブリン債券を買わずとも、同等に近い効
 果を発揮したのだ。

  トリシエ前総裁は傲慢とはほど遠い人物で、個人的には好意を抱いているが、金融政
 策において大きく判断を誤ったのは、第2章でみたとおりだ。抜に飛び抜けた実績はな
 い。イングランド銀行前総裁のマーヴィン・キングも興味深い人物だ。彼は一九九二年
 に現在もイギリスの金融政策の指針となるインフレ目標体制への移行を主導した。二〇
 〇八年の金融危機のときにも、ロイズ・バンキング・グループやロイヤル・バンク・オ
 ブ・スコットランド(RBS)の一部国有化など、銀行への資本注入を要求した。
  その後、彼は緊縮政策を推し進めるようになり、二〇一〇年の総選挙のあとには保守
 党と自由民主党に赤字削減計画への合意を迫ったが、結局、イギリスの緊縮財政政策は、
 二番底を招いて大失策に終わった。彼に対する評価は何ともいいがたい。
  世界各国の中央銀行総裁のなかで、私が高く評価しているのはイスラエル銀行総裁の
 スタンレー・フィッシャーである。彼は元IMF理事でありながら、イスラエルの通貨
 シェケルの為替レートについて大規模な介入を行ない、結果的に量的緩和というかたち
 で効果をあげた。
  もちろん物価の安定と雇用の確保以外に中央銀行が担うべき役割が、財政上の安定で
 あるのはいうまでもない。とくに危機と危機のあいだ、つまり平時において、中央銀行
 は財政を不安定化させるリスクを減らすため、できるかぎりの手を打っておく必要があ
 る。そうすることでいざ危機が襲ってきたとき、市場が機能しつづけることを担保する
 のだ。
  つまりこの財政上の安定は、物価の安定、雇用の確保という二つの機能とは、まるで
 別の目的をもっている。


                       通貨当局と政府の望ましいあり方

  通貨当局と政府のあり方に、望ましいモデルはあるだろうか。中央銀行が財務省の一
 機関であるという状況はインフレに傾きやすいし、実際に一九七〇年代初頭のイギリス
 においてイングランド銀行は英財務省の試みに従い、悲惨なインフレを引き起こした。
 独立していない中央銀行にももちろん、問題は存在する。
  一方で独立した中央銀行は物価の安定に固執してインフレを敬遠し、デフレ経済のも
 とで失策を招く恐れがある。これまで俯瞰した日銀やECBの行動がその例だ。
  つまりいかなる体制においても特有の問題が生じるのである。それぞれの経済で何か
 起きているのか、という現状の正確な把握がまずあるべきで、それなくして望ましい連
 携は生まれないだろう。
  目下、アメリカでマクロ経済的にもっとも意味をもつ政策措置は、連邦政府の強制歳
 出削減だ。二〇一三年三月一日には、二〇二一年度までに連邦予算を総額一兆二〇〇〇
 億ドル削減することを政府に義務づける制度が発効した。それは意図的につくられた間
 違ったアイデアで、誰もそのような政策を望んではいない。
  しかしもし、実際の政策を誰が握っているのか、といわれれば、それはFRBになる。
 何らかの目的を念頭に置きながら、政策的な選択を行なっている唯一の政策立案者はF
 RBなのである。
  もちろん、たしかにFRBは独立しているが、それでも政治のプレッシャーに影響さ
 れないわけではない。下院予算委員会の委員長が目前にバーナンキを呼びつけ、FRB
 は自国通貨を下落させたと非難しつづければ、それだけでFRBは金融政策について圧
 力を感じ、それほど冒険的にはなれなくなる。実際に過去にはそうした例があった。
  FRBと政治家は互いに話し合い、共通の目的において同意する状況をもつべきだ。
 かつてフォークランド紛争をきっかけに中南米諸国の債務返済能力に疑問がもたれ、中
 南米債務危機が起こったとき、FRBと米財務省は緊密に連携して、FRBは貸し手で
 ある米金融機関に対して融資残高の維持やさらなる融資の呼びかけを行ない、中南米諸
 国への貸し出しを不良債権とみなさないようにするなどの規則変更を行なった。
  結果的に米金融機関は融資を不良債権処理することなく、中南米諸国もデフォルトに
 陥ることなく、危機は回避された。このケースは一つの理想例だ。


                         さらなる金融緩和競争のすすめ

  各国中央銀行どうしの関係については、何を考えるべきだろうか。リーマン・ショッ
 クのときには世界的な信用不安からマーケットでドル資金が大きく不足し、ドル・スワ
 ップ協定(金融機関の米ドル調達を支援するため、FRBが日欧の主要中央銀行と結ん
 でいる協定)が実施された。
  しかしこの時期はあくまで特別であり、各国間の調整は非常に重要だったが、いま同
 じような調整が必要かどうかはわからない。各国がそれぞれアグレッシブな政策を追求
 するインセンティブは必要だが、それを現実のものにするための同意は不要だ。
  ただし、お互いにやってはいけないこともある。繰り返すが、ある政策を実行した結
 果として通貨安になるのならよいが、通貨安を進めるために政策を実行する、と明言し
 てはいけない。もし黒田日銀総裁が円安にする、とあからさまにいえば、FRBも、E
 CBも、黒田総裁を手こずらせることになるだろう。
  とはいえ、金融緩和競争自体は懸念すべきことではなく、むしろ望ましいことだ。結
 果的に世界経済を弱くしてしまう貿易戦争のような破壊的行為と異なって、それは世界
 経済の発展に大きく貢献する。
  いまは多くの国々で経済が落ち込み、デフレ圧力が生じている。だからみなが金融緩
 和を行なうべきなのだ。
  日本が金融を緩和した結果、ヨーロッパが自らの産業競争力を奪われたと感じるなら、
 自分自身も金融を緩めればよい。事実、彼らが必要としているのは、まさにそうした政
 策なのである。

        
                    問われているのは「中央銀行総裁の資質」

  結局のところ、重要になるのはいかに質の高い政策をもつか、ということだ。コロン
 ビア大学教授であるジョセフ・スティグリッツの指摘は興味深い。彼は「必要なのは中
 央銀行の独立性」ではなく「中央銀行総裁の資質」という。私も同意する。
  われわれがいま学んでいるのは、どのような組織構造をもったとしても、結果を保証
 するものは何もない、ということだ。独立性はその最たるもので、中央銀行に独立性が
 与えられたのは、それがよい政策につながるだろうと思われたからである。しかしとき
 に中央銀行はその独立性のため、間違った政策を打ち出してしまう。
  中央銀行総裁の資質はもちろん、組織の体質(カルチャ士も質の高い政策を打ち出す
 ためには不可欠だ。広い意味での政治的体質ともいえるだろう。FRBはその条件を十
 分に満たしている。イングランド銀行も同様だ。どちらの銀行もかなりオープンな組織
 体質が根底にある。そこではさまざまな意見が忌憚なく交わされているが、そのオープ
 ンさが中央銀行の質を底上げする。
  とくに外部の人間を入れることが重要だろう。少なくともその意見に耳を傾けたほう
 がよい。FRBでは、その政策を批判する外部の経済学者とのミーティングが行なわれ
 る環境が整っている。グリーンスパンはけっしてそうしたミーティングを実施しなかっ
 たが、バーナンキはいま、記者会見でその機会を設けている。
  もちろん第1章でみたとおり、人事的な交流も活発だ。そこから日銀が学べることは
 少なくない。


                    黒田日銀総裁が見失ってはいけないこと

  中央銀行総裁の資質という点で、黒田日銀総裁は何を意識すべきだろうか。まずは絶
 対に
デフレを脱却し、ある程度のインフレに日本経済をもっていく、という至上命題を
 見失わな
いことである。
  これは黒田総裁が実際に自分の手で実現できることだ。たとえば日本の少子高齢化を
 変えることができればよいが、それを実行する方法は誰にもわからない。解決できるも
 のもあるが、そうでないものもある、ということだ。しかしデフレ脱却は違う。黒田総
 裁は何か何でもこのデフレから脱却する、できることは何でもやる、と公言し、行動し
 つづけるべきだ。
  もし仮に、インフレ率がニパーセントに届かないという状況になっても、さらに手を
 打っていく、というメッセージを伝えなければならない。かつて日銀がとったような、
 インフレ目標を達成する自信がないので失敗して恥をかくくらいなら挑戦しない、とい
 う態度は絶対に避けるべきだ。
  一つの政策がうまくいかなければ次の手を打つ、国債購入が効果を生まないならほか
 の資産を買う、何か何でもやる、ということだ。
  ほかの資産とは何か。外国債については事実上の為替介入に当たるので、やりすぎな
 いよう気をつけるべきだ。ヨーロッパもアメリカも「流動性の罠」に陥っているわけだ
 から、政策の性質上、やや近隣困窮策に思えないこともない。社債なら外国債よりはよ
 い選択肢になりうる。
  ほかにも検討の余地がある資産はあるが、基本的には利率がゼロに近づいていない商
 品を買うほうがよい。さらに理論上は、利率が下がる余地のある商品を購入すべきだ。
 伝統的な公開市場操作に使う政府短期証券などから遠い商品、といってもよいだろう。
  償還までの期間が長く、リスクのある資産であるほど、効果も生まれる。
  黒田総裁は、目的を達成できない、ということを、挑戦しない理由にしてはいけない。
 もし目的を達成できなかったとしても、それをさらなる努力への根拠としなければなら
 ないのだ。


           ポール・クルーグマン 『そして日本経済が世界の希望となる』

 

 

【カドテルメガソーラーが北九州に】


今年年11月に日本市場参入を表明したばかりのファーストソーラー社が、早くも具体的な
メガソーラープロジェクトを北九州市で開始させたニュースが届く。ファーストソーラーが
事業主となり直流出力1.4MWの発電所を立ち上げる。設計・調達・建設のうち、建設段階で
は大林組と安川電機の協力を得る。完成後の管理・運営はファーストソーラーが当たる。今
年11月11日に着工し、来年の第1四半期に運転開始予定だ。メガソーラーに採用するの
は国内での導入事例がほとんどないCdTe(カドミウムテルル)薄膜太陽電池モジュール。国
内では「カドテル」と呼ばれることも多い。CdTe太陽電池モジュールの量産では同社が群を
抜いており、メガソーラー向けの太陽電池として、他の方式の太陽電池と互角以上の競争力
があるという。既に全世界で1億枚以上のCdTe太陽電池モジュールを導入したという。同社
が量産している太陽電池モジュールはほぼ100%がCdTeだという。



ところで、“カドテル”を含む化合物半導体太陽電池には上図のように、ケイ素の他、Ⅲ族
の元素(ガリウム、インジウムなど)とⅤ族の元素(燐、ヒ素など)から構成される半導体。
例えば、GaAsやInPaなどのⅢ-Ⅴ族化合物半導体、周期律表Ⅱ族の元素(Zn、Cd)とⅥ族化
合物半導体と広範渡る。現在では高性能で廉価な太陽用電池が実用化されており、カルコパ
イライト化合物を用いた太陽電池の開発が盛んになっている。さらに、Ⅲ族・Ⅴ族において
も廉価を狙った新しい技術も開発されいる。 さて、Ⅱ-Ⅵ族半導体の多くも、直接遷移型
エネルギーバンド構造をもち、光吸収係数が大きい。特に、CuInSe2は光級数係数が大き
く、薄膜化に適している。さらに、Ⅱ-Ⅵ族化合物で、p、n両形をしめすのはこのカドテ
ル(CdTe)やCuInSe2などに限られている。


上図の京セラの新規考案によれば、光吸収層3は、下部電極2上に配置され、光吸収層3は、
カルコゲン化合物半導体を含み、カルコゲン
元素である硫黄(S)、セレン(Se)または
テルル(Te)を含む化合物半導体で、
例えば、I-III-VI化合物半導体がある。I-III-VI
化合物半導体とは、I-B族元素(11族元素ともいう)とIII-B族元素(13族元素と
いう)とVI-B族元素(16族元素ともいう)との化合物半導体であり、カルコパイラ
イト
構造を有している(=CIS系
化合物半導体)。I-III-VI化合物半導体には、例えば、二セ
レン化銅インジ
ウム(CuInSe2)、二セレン化銅インジウム・ガリウム(Cu(In,
Ga)Se
2)、二セレン・イオウ化銅インジウム・ガリウム(Cu(In,Ga)(Se,
S)2
)、二イオウ化銅インジウム・ガリウム(Cu(In,Ga)S2)または薄膜の二
セレン
・イオウ化銅インジウム・ガリウム層を表面層として有する二セレン化銅インジウム・ガリウ
ム等の多元化合物半導体薄膜がある。また光吸収層3は、例えばp型の導電型を有する厚さ
1~3μm程度の薄膜であり、例えばスパッタリング法、蒸着法等といった真空プロセスに
より形成され、塗布法あるいは印刷法と称されるプロセスで形成される。塗布法あるいは印
刷法としては、例えば、光吸収層に主として含まれる元素の錯体溶液が下部電極の上に塗布
し、乾燥および熱処理が行われる。ところでこの発明の光電変換装置の製造方法は、基板1
上に下部電極2を形成する工程と、下部電極2上に光電変換層を形成する工程とを有し、光
電変換装置の製造方法は、光電変換層の一部を機械的に除去して、光電変換層に溝部を形成
する工程と、溝部にレーザ光を照射する工程とを備えていることで、高い光電変換効率を有
する光電変換装置が提供できるとしている。つまり、下部電極上の光電変換層の残存量を低
減することで、高い光電変換効率実現するものだ。

 

尚、上図はファーストソーラー社の太陽電池フロントコンタクトのドーピング方法(CdT
e系)で変換効率を改善する新規考案事例を参考として取り上げた。さて、ここで取り上げ
た理由の1つとして、カドミウム禍の経験である。毒性や危険性
は太陽電池の他の元素も同
じように懸念されるのだが、亜鉛と同様な化学的挙動を示し食料
への汚染(酸性サイドで溶
解拡散する)が懸念されているからだ。技術的には、ファースト
ソーラー社の実績に劣るも
のの技術力では国内メーカが劣ることはないと考えているが、国
内初めてのカドテル・メガ
ソーラとあって注目した。



【高効率な業務用・産業用燃料電池発電システム】

クリーンで高効率な業務用・産業用燃料電池発電システム「Bloomエナジーサーバー」の国内
初号機を福岡市内の「M-TOWER」に設置し、2013年11月25日より営業運転を開始。「Bloom エ
ナジーサーバー」の設置および運転開始はBloom Energy Corporation)が事業展開している
アメリカ合衆国以外では日本が初めて。ビル全体の電力需要の約75%(出力規模は200kW)を
賄うというということで早速調べてみた(バイオガスなどを化学反応させて発電するブルー
エナジー製の固体酸化物形燃料電池「ブルームエナジーサーバー」を採用、発電効率60%
上、1キロワット時当たりの電力価格は最大28円程度で済む。投資額は非公表)。ブル
ーム
エナジージャパンは2014年3月までに日本国内で出力2500キロワット相当の設備導入を
目指し、3
年後に同3万キロワット以上に拡大する。また、都市ガス以外にも下水汚泥から
発生するバイオガス
の活用も検討すると公表している。ソフトバンクはこれで、メガソーラ
ー発電事業に続いて、燃料電池による発電事業にも乗り出すことになる。 

 Patent N0.: US 8,535,841 B1

 
今夜もバタバタ仕事となった。バタバタ仕事ではいい仕事ができないと言われてきたが相も
変わらずだ。そういえば国会もバタバタと法案を採決させている。成熟社会では情報はでき
る限り透明性を担保し、国民に開放するのに限るのだが、わたしも立法府も何故かバタバタ
急いでいる。これって、どうしたものかね?!
 

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中央銀行の独立性不要論

2013年11月26日 | 時事書評

 

 

 【レーザーマイクロゲージで高温状態を計測】

この装置では熱膨張による試験片の寸法変化を、高密度等方性グラファイトを参照物質とした接触法とレーザ
ーマイクロゲージ(LMG)を利用した非接触法の二つの方法で同時に計測し、互いに補完することで、2400℃
の高温領域の線熱膨張率および熱膨張係数を正確に計測できたと産業技術総合研究所から発表された。このこ
とで人造グラファイトを発熱体などに利用する製鋼や精錬、半導体製造などの技術の高度化への貢献が期待さ
れ、近年、人造グラファイトの製造業の製造工程が大型化され、人造グラファイト材料による温度制御の重要
性が増している
。さらに、SiC
単結晶などパワー半導体材料の製造には二千℃を超える高温での結晶成長プロセス
が必要とされるため、超高温域での物性評価が非常に重要となってきている。しかし、人造グラファイト材料の高
温での電気抵抗、熱伝導性、機械的強度などの物性は、原料や製造
方法の影響を強く受けるため一様でなく、
材料ごとに、物性の温度依存性を測定することが求められている。



人造グラファイトは、人造グラファイトカーボン材料(炭素材料)の一種。主に高温を必要とする工業に用い

られる。3000 ℃までの超高温度でグラファイト結晶を成長させる黒鉛化という処理をするので人造グラファ
イトと呼ばれる。高温でも機械的強度が比較的高い導電材料として電炉用アーク放電電極や製錬用電極に使用
されている。シリコン半導体製造では金属不純物の混入を避けるために主に発熱体として用いられる。そこで、
この
人造グラファイトの製造工程の一つに「黒鉛化」という超高温熱処理があり、その際に熱収縮現象が起こ
る。この開発装置を用いて、2400℃といった超高温領域まで試験片の寸法変化を計測したところ、この熱収縮
現象を“その場観察”できる。上図/右は、試験片の一次焼成されたグラファイト素材の評価結果である。千
℃までは熱膨張が示されているが、千 ℃以上になると結晶化に伴う急激な熱収縮が始まる。熱収縮の挙動が千
 ℃ 付近で変化することが初めて発見される。これは、熱収縮による歩留まりの低下を改善する基礎データと
なり、レーザーマイクロゲージ(LMG)による非接触法と接触法による熱膨張率の計測値には、ほとんど差
がなく互いの方法が補完され、正確に計測できたという。炭化シリコン(
SiC)のようなパワー半導体材料の製
造では、大きな単結晶を作るために、超高温領域で熱膨張係数の小さいグラファイト材料が望まれている。今
回開発した装置のレーザーマイクロゲージ(LMG)による非接触法は、マイクロメートルオーダーの精度で計
測でき、パワー半導体製造の高度化に貢献できるという。



 

【日本経済は世界の希望(5)】 

 

"日銀を解体するには”というブログを記載した記憶(2011.07.13)があるが、クルーグマンもこの第三章で「
日銀法に雇用義務を入れ込むべき、という議論の中心的存在は浜田宏一氏と聞くが、その方向性は望ましい。
日銀法改正が実現すれば、人びとの期待を変えることもできる」と
中央銀行の独立性不要論を展開し「私は中
央銀行の独立性はよいことである、とは考えていない。独立性の維持があまりよいアイデアではなくなってき
たからだ」と言う。そして、そこで日銀が負うべき「義務」とは何だろうかと問いかけ、いまの日銀にはFR
Bのように「雇用の最大化」という責務が定められているわけではないが、そうした義務を積極的に担うべき
だろう。日銀法を改正して「雇用の最大化」という機能をもたせることができれば、日銀自身にとってもそ

が インセンティブになる。裁量の範囲が広がるからだ。中央銀行としての行動の
自由も拡大する。と、まで
述べている。既に、バーナンキ前FRB議長は「雇用の最大化」を指標に組み込み量的緩和を実施しているが、
この量的緩和に対し、多くの国の要人、経済専門家や政治あるいは経済評論家の批判の的で、
これに反論する
ブログを掲載した記憶がある。これを契機に、田中宇のメールマガシンの購読を止めている。元に戻って、日
銀法を改正するか、解体・廃止するかの議論選択以前の"金融政策選択肢拡大"が喫緊の命題であったし、何よ
り未来国債発行政策による財政出動による国内の実体経済の需要開拓・雇用拡大が急務であった。ここでもク
ルーグマンとの大きな差異はなかったと考える。それでは、彼の主張を敲いてみよう。

 

                           英財務省の一機関だったイングランド銀行

  中央銀行の独立性」が論議の的になっているという。
  二〇一三年一月二十二日に発表された日本政府・日銀の共同声明では、デフレ脱却と持続的な経済成長
 の実現に向け、両者が一体となって取り組むこと、日銀は物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で
 ニパーセントとし、金融緩和を推進し、できるだけ早期の実現を

 めざすこと、などが発表された。
  それまでの日本では白川方明日銀前総裁が、金融緩和に対してきわめて保守的な姿勢をとっていたため、
 安倍政権がニパーセントのインフレ目標を日銀に押しつけ、日銀がそれに「屈した」という印象が定着し
 た。

  中央銀行の独立性とは比較的、新しい考え方である。一九九〇年代までイングランド銀行は英財務省の
 一機関だった。一九九七年にイングランド銀行は独立性を獲得する。その独立
性は「金融政策の運用手段
 はイングランド銀行に任せる」というもので、政策の目標は、実質的には政府が決定している。
  中央銀行が独立性を有するべき、という信奉は、一九七〇年代に起こった問題への反動だ。そのとき多
 くの政府は過剰な拡大政策を打ち出すような状況にあった。限界を超えて失業率を下げようとしたのであ
 る。中央銀行は財政政策による高金利の火消し役になっていて、それが高インフレの原因になった。
  当時の問題は、いかに高インフレを押し留めるか、ということだった。だからこそ、独立した中央銀行
 がインフレに対して強硬な態度をとる、というやり方が必要だったのである。
  そのなかで中央銀行の役割に関する理解が人びとに浸透し、いわゆる「静かな革命」が起こった。


                            なぜFRBの独立性は問題にならないのか

  アメリカでFRBの独立性が問題になったことはない。いかなる状況でも、FRBはホワイトハウスの
 上院・下院よりも経済成長を重視していたようにみえる。つまりFRB以外の政治システムよりも、つね
 にFRBのほうが拡大モードだった。
  共和党が下院で多数を占めるというねじれ状態のなかで、議会はFRBに対して、いま行なっている政
 策を実行しないように求めてきた。しかし、FRBはそれを無視しつづけている。とても望ましい姿勢だ。
  ECBもトリシエ前総裁のもと、独立性を利用してかなり破壊的な行為を行なった。彼が実行したのは
 明確な証拠に基づいたものではなく、偏った考え方によっていたのである。
  ヨーロッパでもECBは各国の政府からかなり独立しているが、ブンデスバンク(ドイツ連邦銀行)か

 らどこまで距離を置いているかはわからない。ECB本部はドイツのフランクフルトに置かれていて、E
 CB理事の多くもブンデスバンクの影響を受けている。ECB総裁とともに重要な役割をもつ経済分析担
 当理事は、これまでドイツ出身者によって占められてきた。
  どちらかといえばむしろ、政府がECBから独立しているかどうかのほうが問題だろう。
  たとえばドラギ総裁はポルトガル政府に対し、その政策がどうあるべきかをとても効果的に命令してい
 るからだ。
  日本はどうか。いまの日本では中央銀行が独立していない、ということなら、そのほうがよい結果をも
 たらすかもしれない。かねてから日銀は独立性をもっているほうが問題視されてきた、という状況にあっ
 たからである。

 
                               デフレ下での独立性はむしろ有害だ

  私は中央銀行の独立性はよいことである、とは考えていない。独立性の維持があまりよいアイデアでは
 なくなってきたからだ。独立性にはプラス面とマイナス面があり、マイナス面が際立ってきたのである。
  いまの経済は少し高めのインフレを必要としているのに、たとえそうすることが正しいと頭ではわかっ
 ていても、思想的に反対する独立した中央銀行が存在する状態になっている。
  かつて、中央銀行はインフレを抑えるため、厳格に振る舞うべき、という考え方が主流だった。しかし
 そうした考え方では間違った敵と対峙することになるからやっかいだ。たしかに一九七〇年代にひどいイ
 ンフレが起こったのは事実であり、そのときには中央銀行がインフレファイターであることが重要だった。
  しかし、いま起こっているのは一丸三〇年代にみられたようなデフレの問題だ。この場合、中央銀行が
 インフレの兆しが出るたび厳しく対処するとみなされるのは、むしろ有害である。多くの人びとは、いま
 直面している問題にふさわしくないような考え方にとりつかれている。
  そもそも一九七〇年代はとても過酷な時代だった、という評価が定着している。そうした認識が間違っ
 ているわけではないが、その当時よりも今日の経済状態のほうがはるかに悪い。一九七八年と二〇一三年
 のアメリカを比較してみれば、一九七八年のほうがずっとマシであることはすぐわかる。


                              中央銀行の果たす義務は一つではない

  人は中央銀行に対して、分別を必要としない単純な統一ルールを求める。かつてはそれが金本位制に基
 づいた
通貨価値の保持だった。中央銀行は「通貨の番人」として、その価値の保持を至上命題にされた。
  長きにわたって、中央銀行がインフレを低く抑えていれば、バブル抑止を目的にすれば、経済運営はう
 まくいく、と思われていた。しかし、現代ではそうした考えが間違っていることが明らかになった。低イ
 ンフレで安定しているということは、すなわち執拗に落ち込んだ経済状況が続くこと、という事実が明確
 になったのだ。
  FRBは他の中央銀行とは異なって、「物価の安定」以外にも、第二次世界大戦前の世界恐慌で記録し
 た二五パーセントという失業率への対処という経験から、「雇用の最大化」に対して責任を負っている、
 といわれている。
  ただ、実際のところ、「物価の安定」と「雇用の最大化」のうち、どのくらいのウェイトをそれぞれに
 置くのか、ということは示されていない。しかし、その曖昧さは悪いことではないかもしれない。
  そもそも、中央銀行が果たすべき義務は一つではない。この曖昧さは「中央銀行が行なうべき不可侵の
 義務は一つ」という錯覚を避けるために、大いに役立つだろう。経済をうまく管理することはとても重要
 で、それを担う役者の一人が中央銀行だ。その管理を行なう際に、果たすべき役割は一つしかない、とい
 うこと自体がおかしいのである。

  
                             日銀法改正で人びとの『期待』を変えよ

  通貨価値を守る、とはどういうことだろうか。通貨価値は期待収益を等しくするように決まる。長い目
 でみれば、通貨価値にはある程度期待も含まれるし、非合理性も関わってくる。
  そのため長期的には、各国の通貨は程度の差はあれ、生産競争力を保持する水準にあるべきだが、短期
 的には(各国の通貨の)収益率には差異が生じるかもしれない。
  そこでたとえ円の通貨価値が守られたとしても、円高によって国民が苦しむのなら、円の価値を毀損し
 てでも円安にすることを通貨当局は考えるべき、という見方もある。慎重に判断しなければならないとこ
 ろだろう。金融緩和が円の価値を押し下げ、円安が日本経済にとって良好な結果をもたらすのは、前章で
 みたとおりだ。
  逆に通貨高は景気が過熱した状態をクールダウンするために活用できる。もちろんのこと、経済が落ち込んでい
 るときに通貨高のコストが大きくなるのは、いうまでもない。
  ただし、そこで中央銀行が「われわれの目的は円を安くすることである」ということはできない。もし
 それをいえば他国とのあいだで大きな摩擦が生じる。だがある政策を追求し、
その結果として円安になる
 というストーリーなら問題はない

  そこで日銀が負うべき「義務」とは何だろうか。いまの日銀にはFRBのように「雇用の最大化」とい
 う責務が定められているわけではないが、そうした義務を
積極的に担うべきだろう。
  日銀法を改正して「雇用の最大化」という機能をもたせることができれば、日銀自身にとってもそれが
 インセンティブになる。裁量の範囲が広がるからだ。中央銀行としての行動の
自由も拡大する。
  日銀法に雇用義務を入れ込むべき、という議論の中心的存在は浜田宏一氏と聞くが、その方向性は望ま
 しい。日銀法改正が実現すれば、人びとの期待を変えることもできる。もし公
式に日銀の独立性を奪うこ
 とができなかったとしても、新しいミッションを加えることで、
日本人の行動は変わるかもしれない。


                                                 金融システムは救済して当たり前

  変わりゆく中央銀行の役割に対し、懸念も少なくないようだ。資産市場や財市場が分断されるなかで金
 融資本のバブルが弾け、その後始末役に中央銀行が利用されている、という議
論がある。
  私にいわせれば、それは当然のこと、中央銀行が担うべき仕事の一つだ。誰かがその後始末をしなけれ
 ばならないし、それこそが中央銀行の役回りではないか。

  中央銀行は国に奉仕するためにある。そのなかにはもちろん、金融システムをなんとしてでも救済する
 ということも含まれる。それを「ネガティブ面」として認識するほうが不思議
だ。
  リーマン・ショックによってCP市場が崩壊した際、その市場を持続させるためにFRBが存在したこ
 とは決定的だった。ヨーロッパでソブリン債券市場がメルトダウンしかけたと
き、そのマーケットを維持
 するため、ECBの存在は不可欠だった。それは後始末ではな。中央銀行として当たり前の行為だ。
  懸念はほかにもある。「いずれ、すべての先進国が財政破綻する」という最悪のシナリオが囁かれるな

 かで、中央銀行がますます「財政ファイナンス」の道具として使われる、という指摘だ。
  その回答は第2章で行なったとおりである。現実をみてみよう。少なくともいまのところ、中央銀行は
 その道具としては使われていない。しかしもし仮に、そのように使われたとしても、それがどれはどの問
 題だというのか。
  ハイパーインフレは中央銀行がその機能を強化するから生じるのではなく、ガバナンスの崩壊によって
 引き起こされる。実質的に破綻状態にある政府が、支払いをお札の印刷に依存したときに発生する問題、とい
 うことは繰り返すまでもない。
  日銀にかぎっていえば、むしろ問題は「信頼を失う」ことではなく、「信頼がありすぎること」である
  もちろん何事にも「やりすぎ」はある。人はいつも、物価上昇を抑えるためには日銀がいつでも介入す
 る、と考えているのだ。

                                               マエストロ・グリーンスパンの過ち

  中央銀行は政府からも、市場からも独立して、畏怖される存在でなければならない。それ
が昨今は市場
 に動かされすぎている、という議論もある。

  たしかに市場に動かされすぎるのがよいことであるとは思えない。しかし、中央銀行は、すべての指標
 考慮に入れて機能しなければならない市場価格とは、一部の指標にすぎな
。全体で何か起きている
 かを知るためにも、中央銀行は株式市場だけをターゲットにすべ
きではないが、もちろん無視してもいけ
 ない。

  ときには市場が間違っていることもあるし、とくに株式市場は間違いを犯すことが多い。中央銀行はつ
 ねに市場に耳を傾ける必要があるが、その状況に対してむやみに同意する必要
もない。
  一九八七年から二〇〇六年までFRB議長を務めたアラン・グリーンスパンは巧みな金利操縦で「マエ
 ストロ」と呼ばれ、市場の絶対的な信頼を獲得した。しかし、それが結果的にサブプライム・ローンの崩
 壊という、無残な結果を招いた。
  議長を引退した二〇〇六年以降、彼の行なってきた意見表明は、そのすべてを間違えるという完璧な実
 績を残すことになった。
  グリーンスパンの根本的な問題は、金融市場は完璧である、と盲目的に確信していたことだ。彼はロシ
 ア系アメリカ人作家であるアイン・ランドを信奉していた。彼女の世界観は、最小国家主義および自由放
 任資本主義が個人の権利を守る唯一の社会システム、という信念に基づいている。
  市場はつねに正しい、だから監督する必要はないし、市場が間違っていた場合の緊急対応策もいらない。
 そうした価値観のもとで、グリーンスパンは金融規制の強化に対して積極的に反対してきた。そして多く
 の人に金融派生商品を勧め、住宅バブルを否定したのである。
  そして金融危機が起きたとき、それは自らの責任ではない、という主張だけに彼は全力を注いだ。
  グリーンスパンは傲慢で、たとえ自分が間違っていても、けっしてその過ちを認めようとしなかった。
 いまだに公に顔を出し、破壊的な役割を演出している。インフレのリスク、財政赤字のリスクがまったく
 存在しないにもかかわらず、それを人びとに警告しつづけているのだ
  いまでも彼からの電話を思い出すたび、私は不快な気分になる。二〇〇一年、当時のジョージ・ブッシ
 ュ大統領が行なった減税をグリーンスパンが支持したことへの批判を行なったところ、本人から直接、電
 話があったのだ。その後、私はワイオミング州のジャクソンホールで毎年開かれるFRBのイベントに招
 待されなくなった。


                              バーナキンへの批判は期待への裏返し

  グリーンスパンは自らの政治的偏見をして、経済的な判断を誤らせた。彼は体系立ててものごとを考え
 られない人間で、自らの直感力を強く信じていたが、結局のところ、その直感は間違いだった。
  グリーンスパンとバーナンキの決定的な違いは何だろうか。バーナンキは臆病であったために住宅バブ
 ルの到来を予測しなかったが、グリーンスパンよりも現実の経済を把握し、理解している。
  彼は自らの判断にできるだけ、政治的な価値観を入れないよう努めているようにみえる。
  もちろん誰しも完璧ではないから、何ものにもまったく影響されない、ということはありえない。しか
 しつねに最前線の経済情勢に向き合い、事実に真摯であろうとしているのではないか。
  バーナンキはいわば、大学教授の考える理想的な中央銀行総裁だ。彼自身がプリンストン大学の教授で
 あったわけだから当然だろう。グリーンスパンが中央銀行の総裁を神々しい存在にしたのとは対照的であ
 る。「私はマエストロである。理由は聞くな。私はすべてを知っているのだから」。これがグリーンスパ
 ンの態度だった。バーナンキはもっとオープンで、自らの考え方や手法を説明する人物だ。
  第1章でもみたように、私はバーナンキに厳しい批判を加えているが、それは期待の裏返しともいえる。
 与えられた制約条件のわりに、彼はよくやってきた。「バーナンキは金融を緩和しすぎだ」という批判は
 もちろん絶えることがないが、だからこそ、逆に「もっと緩和すべきだ」と彼に向かって叫ぶ人物が必要
 なのだ。どれほど自らが思う政策をFRB議長や大統領が実現したとしても、理想からみればまだまだ…
 …と批判して警鐘を鳴らすのが、私の役割なのである。


以上、強欲な英米流金融主義のリスク、あるいはグリーンスパンの誤謬、を貴重な犠牲を支払い学習してきたわ
けだがこの先、これに懲りずに過ちを繰り返す可能性は大いにあるだろう。そのことを踏まえ、この『そして日
本経済が世界の希望になる』を集約する。

 

 

 

【ドライブ・マイ・カー】

 

  だから彼が専属の運転手を捜しているという話をして、修理工場の経営者である大場が若い女性ドライ
 パーを推薦してくれたとき、家福はそれほど楽しげな表情を顔に浮かべることができなかった。大場はそ
 れを見て微笑した。気持ちはわかりますよ、と言わんばかりに。
 「でもね、家福さん、この子の運転の腕は確かですよ。そいつは私が間違いなく保証します。よかったら
 会うだけでも一度会ってやってくれませんか?」
 「いいよ。あなたがそう言うなら」と家福は言った。彼は 一日でも早く運転手を必要としていたし、大
 場は信頼のできる男だった。もう十五年のつきあいになる。針金のような硬い髪をした、小鬼を思わせる
 風貌の男だが、こと車に関しては彼の意見に従ってまず間違いはない。
 「念のためにアラインメントを見ておきたいんですが、そちらに問題がなければ、あさっての二時には完
 全な状態で車をお渡しできると思います。そのときに本人にここに来させますから、試しに近所をちょっ
 と運転させてみたらいかがでしょう? もし気に入らなければ、そう言って下さい。私に気を遣ったりす
 る必要はまったくありません」
 「年はいくつくらいなんだ?」
 「たぶん二十代の半ばだと思います。あらためて訊いたこ
とはありませんが」と大場は言った。
  それから少し顔をし
かめた。
 「ただ、さっきも言ったように運転の腕にはまったく問題はないんですがね……」
 「でも?」
 「でもね、なんていうか、ちょいと偏屈なところがありまして」
 「どんな?」
 「ぶっきらぼうで、無口で、むやみに煙草を吸います」と大場は言った。「お会いになったらわかると思
 うんですが、かわいげのある娘というようなタイプじゃないです。ほとんどにこりともしません。それか
 らはっきり言って、ちょっとぶすいかもしれません」
 「それはかまわない。あまり美人だとこっちも落ち着かないし、妙な噂が立っても困る」
 「なら、ちょうどいいかもしれません」
 「いずれにせよ、運転の腕は確かなんだね?」
 「そいつはしっかりしてます。女性にしてはとかそういうんじゃなくて、ただひたすらうまいんです」
 「今はどんな仕事をしているの?」
 「さあ、私にもよくわかりません。コンピニでレジをやったり、宅配便の運転をしたり。そういう短期間
 のアルパイトで食いつないでいるみたいです。他に条件の良い話があれば、すぐにでもやめられる仕事で
 す。知人の紹介でうちを尋ねて来たんですが、うちもそんなに景気が良くないですし、新たに従業員を雇
 うような余裕はありません。ときどき必要なときに声をかけるくらいです。でもなかなかしっかりした子
 だと私は思います。少なくとも酒はいっさい口にしません」
  飲酒の話題は家福の顔を曇らせた。右手の指が自然に唇に伸びた。
 「あさっての二時に会ってみよう」と家福は言った。ぶっきらぼうで無口でかわいげがないというところ
 が彼の興味を惹いた。

                              村上春樹 『ドライブ・マイ・カー』
                                 文藝春秋 2013年12月号掲載中

 




サングラスのフレームに取り付けて使う太陽電池パネル。太陽光に当ててから、それを取り外してiPhoneに挿
しこむと、iPhoneに充電することができて、環境にやさしくてとっても便利ということらしいが、時代はデジ
タル・エナジーってことさ。太陽さえ顔を見せてくれていたら、いつでも、どこででも、電気エネルギーに変
えることができるだってさ!?なにって?そうさ、君の笑顔は、僕の活力の源ってことだよね!? 

                                             

   

 

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バイオと量子ドットの癌検査

2013年11月25日 | 農工サ融合

 

 

 

【最新高性能ガン細胞検査 バイオと量子ドットの世界】
 

高等生物は細胞内に、ミトコンドリアや葉緑体など様々な細胞小器官(オルガネラ)を持ち、他の
細胞内の
空間とは独立した場を提供するが、一部の微生物は、シアノバクテリアのカルボキシソー
ムや、ガス小胞な
どのオルガネラをもつ。このように、微生物が合成するオルガネラを使い、合成
機構の解明・バイオマテリアルの応用研究行われている。バイオマテリアルの創
製では、遺伝子融
合適用技術で非天然型のタンパク質設計を行うことができる。『微生物を利
用したタンパク質-ナ
ノ磁性粒子複合体の創製』(吉野知子・本多亨、「バイ才サイエンスと
インダストリー」vol.71 No.
6(2013)では、磁性細菌を用いて、菌体内で常温、常圧の生理
的条件下で均一なナノサイズの磁性
粒子を合成し、遺伝子工学適用技術で、複数機能をもつタ
ンパク質-ナノ磁性粒子複合体の開発を
行いその成果を報告している
。ここではその研究概要とこれらの技術の応用展開でどのようなこと
が出来るのか考えてみる。

マグネタイト(ナノ磁性粒子)を生合成することが知られている Magnetospillirum magneticum AMB-1
は、
チェーン状に連なった平均直径75nmのナノ磁性粒子を生合成する(下図A)。このナノ磁性粒
は、それぞれがホスファチジルエタノールアミンを中心とした脂質二重膜により覆われ、脂質二重膜で覆
われたナノ磁性粒子は、水溶池中での分散性に優れ、回収も容易なため計測や分離用の担体に応用
されている。
ナノ磁性粒子の合成機構の解明向け、AMB-1株の全ゲノム解析ヘプロテオーム解析を
行い
、ゲノム上に存在するナノ磁性粒子の合成の遺伝子群の同定、ナノ磁性粒子を覆う脂質二重膜
上に特異的に存在する膜タンパク質の存在を解明する

 

ザックりと技術の概説すると(図B)、アンカー遺伝子の下流にターゲット遺伝子を導入→融合遺
伝子を含むプラスミドを磁性細菌に導入→磁性細菌の形質転換体→培養・細胞破砕→細胞破砕液を
含む容器に磁石を設置→細胞破砕液からナノ磁性粒子を分離・回収という操作を行った上、様々な
タンパク質を同一手法で磁性粒子上ヘディスプレイできる。このディスプレイ(表示)技術はター
ゲットタンパク質とアンカータンパク質を融合タンパク質とし発現、化学架橋剤を用いた手法と異
なり、配向性を維持した状態での磁性粒子上への固定ができ、ナノ磁性粒子上へのタンパク質ディ
スプレイ量の増大、細胞生育阻害を引き起こすタンパク質発現させ、高発現プロモーターの探索、
アンカー分子の検討、発現誘導ベクターの構築を行う。

                            多機能性ナノ磁性粒子の創製

ところで、磁性粒子は、その用途の拡大に伴い様々な機能や特性が要求される。このタンパク質ー
ナノ磁性粒子複合体の作製技術は、アンカーとターゲットの融合遺伝子により制御され、遺伝子の
改変・導入によりナノ磁性粒子上にディスプレイされる融合タンパク質の自由設計できる特徴を持
つ。さらに、この研究では、
磁性粒子に機能付加に、他の機能性マテリアル(量子ドット、金ナノ
粒子など)との複合体
形成には、特異的かつ強固な結合であるビオチンーアビジンの結合を応用し
ビオチンリガー
ゼにより、部位選択的にビオチン化されるビオチン酵素の遺伝子をターゲット遺伝
子に導入→部
位特異的にビオチン標識されたナノ磁性粒子の構築。この磁性細菌AMB-1のゲノム
列から同定したビオチン酵素(ビオチンカルボキ
シル基キャリアープロテイン:BCCP)をアンカー
子とProtein Gの問に導入した融合遺伝子を設計し、Protein G-BCCP-ナノ磁性粒子を構築。この磁
粒子に蛍光の異なる2種類のストレプトアビジン標識量子ドットを反応させ、赤、オレンジ、黄
色、緑といったカラーラベルされたProtein G -量子ドットーナノ磁性粒子複合体を構築する(下図
)。 Protein Gは、抗体のFe部位と結合できるため、抗体の種類に合わせてカラーラベルした複合体
を創製できる。このように、複数のタンパク質から構成される融合タンパク質を設計しナノ磁性粒
子にディスプレイすることで、多機能な新規ナノ磁性粒子の構築ができるという。

 

このように、分子生物学的手法を用いて磁性細菌が生合成するナノ磁性粒子上への効率的なタンパ
ク質ディスプレイ技術では、ディスプレイするタンパク質の遺伝子改変・導入により、自由分子設計
が可能であり、さらに、翻訳後修飾を組み合わせたナノ磁性粒子上へのビオチン化や自由設計した
ポリペプチドのディスプレイすることで、分子設計と磁性細菌自身のタンパク質合成・修飾機構を組
み合わせ新規のナノ磁性粒子構築が期待されている。

 

 

 

 

【日本経済は世界の希望(4)】 



                          目下の状況は学者を必要としている

 安倍政権下で黒田日銀総裁が「異次元の金融緩和」に踏み切ることができたのは、浜田宏
 氏(イェール大学名誉教授)という「外の目」の存在が少なくない役割を果たした、という

 意見もあるようだ。ちなみに浜田氏はアメリカのなかでも、非常に著名な経済学者である。
  一般論としていえば、アメリカでみられるような学者と金融当局者の密接なつながりは、
 日本において存在しない。アメリカではFRBにいるエコノミストと大学にいるエコノミス
 トが同じ人物ということが珍しくない。彼らはつねに政府と大学を行ったり来たりしなが
 ら、そのなかで緊密な関係をつくりあげていく。
  おそらく日銀総裁が大学から直接やってくるなど、日本人には想像できないだろう。しか
 しアメリカではそれがふつうに起こるし、奇妙なことだとも思われない。
  中央銀行の人たちは実践的な知識をたくさんもっている。平時に市場がどのように作用す
 るのかを知悉しているのだ。そうした動きの何たるかを、大学教授はあまり理解していない。
  一方で、非常時では実践的な知識が役に立たないことも多い。そのときに有用になるのは
 理論上の理屈、あるいは歴史上の深遠な知識である。過去五年に何か起こったかは、そこで
 はそれほど大切ではない。
  ならば現在は平時か、それとも非常時か。目下の状況は学者を必要としている、と私は考
 えている。
  たとえば二〇一一年、FRBはQE2(Quantitative Easing 2 =量的金融緩和第二弾。
 二〇一〇年十一月から二〇一一年六月までの八ヵ月間にわたって長期金利の押し下げを目的
 として、一ヵ月当たり約七五〇億ドル、計六〇〇〇億ドル分の米国債を購入した政策)を終
 わらせようとしていたが、そのとき金利がどう変化するかについて、私は金融当局者や実務
 家と意見を戦わせたことがある。
  そこで米証券会社であるモルガン・スタンレーのエコノミストたちは、金利の急上昇を予
 測した。著名な債券投資家であるPIMCO(パシフィック・インベストメントマネジメン
 ト・カンパニ士共同最高投資責任者のビルーグロスも同じような意見だった。一方で、私は
 「何も起こらない」と主張した。
  平時の債券市場を判断するとき、専門家よりも私のほうが優れた判断をする確率はそれほ
 ど高くない。そこで来週の債券市場に何か起こるかを知りたければ、ビル・グロスのほうが
 豊富な経験をもっているし、優れた直感や判断を働かせるだろう。
  しかし、ときは非常時である。そうした時代には一九三〇年代に何が起こったかを、理論
 的に研究した学者のほうが正しい判断を下せる可能性が高い。だからこそ、浜田氏のような
 人物が日本政府にアドバイスを行なうのは望ましいのだ。


 

                      金本位制の廃止がもたらした劇的な変化

  できるだけ規模の大きな金融緩和と実際に牽引力のある財政刺激策を組み合わせること
 国民に「インフレ率が上がる」と実感してもらうこと、そして、そのインフレ率を維持する

 意図を当局が公表することが、その具体策になる。
  そこでありきたりの発表を行なうだけでは、経済をインフレに転換させることは難しい。
  その政策をどのように国民に信じてもらうのか。そのために、どうやってその意図に注目
 さ
せるのか。政策的に大転換を図りつつ、それをわかりやすい言葉で伝えることが必要不可
 欠
だ。
  一九三〇年代の世界恐慌で、イギリスは金本位制を廃止した。それは驚くほどの変化だっ
 た。それ以前の世界では誰もが、通貨価値は金によって担保されなければならない、と考え
 ていた。そうした前提のもとで、人びとがイメージする将来像にはおのずと制約がかかっ
 た。そこでいきなり金本位制が廃止されれば、その将来イメージにも劇的な変化が生まれた
 
だろうことは、想像に難くない。
  もちろん、これは極端な例である。しかしあえていうなら、私がいいたいのはそういうこ
 とだ。
  日本では一九三二年から日銀による国債引き受けが始まったが、これは明らかに中央銀行
 による政治への従属だった。いま同じようなことを行なえば、何か起こるだろうか。日銀は
 嫌がるかもしれないが、その独立性を公式に剥奪してしまえば、そこまでいかずとも現職の
 日銀総裁が、それ以前の総裁とかなり違った意見をもつならば、それだけで人びとの期待は
  大きく変わるだろう。


                   バーナンキ議長の道のりは成功物語ではない

  日本以外にも目を向けよう。FRBが打ち出したQEI、QE2、QE3(量的金融緩和
 第一弾、第二弾、第三弾)は、アメリカの人びとの期待を変えたのだろうか。
  QE2の概要はすでに述べたとおりだが、QEIはその前年、リーマン・ショックによっ
 
て引き起こされた金融危機を乗り越えるため、二〇〇九年三月~二〇一〇年三月まで不動産
 米国債担保証券、政府機関債を総額一・七五兆ドル購入した政策である。QE3は二〇一二
 年九月から毎月約四〇〇億ドルの住宅ローン担保証券を買い入れることで、住宅ローンなど
 の金利を引き下げ、景気刺激を狙った政策のことを指す。
  二〇一二年に刊行した『さっさと不況を終わらせろ』(早川書房)のなかで、かつてある
 有力なプリンストン大学の経済学者が、日銀は「自縄自縛」の状態に陥っていて、もっと強
 力な行動を起こさなければならない、という論文を二〇〇〇年に書いたことを紹介した。彼
 はたとえ短期金利が「ゼロ下限」にあっても、金融当局がとれる方策はほかにもある、と論
 じた。

 ・新しく刷ったお金を使い「非伝統的」な資産、たとえば長期債や民間債券を買う
 ・新しく刷ったお金を使って一時的な減税を埋め合わせる
 ・長期金利の目標を設定jl-たとえば、十年物国債の利率を四~五年にわたり二・五パー
  セ
ント以下にすると宣言し、そのために必要ならFRBにそうした国債を買わせる
 
・外国為替市場に介入して通貨の価値を低く抑え、輸出部門を強化する
 ・今後五年から十年にわたり、高めのインフレ目標、たとえば三~四パーセントを設定する

  その教授の名前は誰あろう、現FRB議長のバーナンキだ。しかしいま、そのバーナンキ
 が打ち出した金融緩和のスケールは、かつて彼がプリンストン大学教授のときに提唱した量
 的緩和策よりもひどく小さい。その論文にはインフレ目標についてもしっかり論及がある。
  インフレ目標を上げる、というのは彼自身が提案したことなのだ。
  当時のバーナンキは、ディテールはあまり重要ではない、必要なことはRoosevelt Resol-
  ve(ルーズベルト大統領の決断)だ、というフレーズを好んで使った。国を再び動かすため

 には何でもやるという意欲、つまり中央銀行は目的を達成するまで、デフレから脱却するま
 で緩和政
策を続けると明確にすべき、と論じたのである。
  QE2は決まった規模をもったプログラムで、それがうまくいく、いかないにかかわらず、
 時期がくれば緩和を終える、というものだった。QE3についてはある目的が達成されるま
 で継続する、といわれたが、蓋を開けてみれば、その政策がそれほど真剣に実行されている
 気配はない。当初の目的が達成されていないにもかかわらず、高官たちは徐々に緩和政策を
 終わらせることに熱心である。バーナンキ議長は、プリンストン大学時代のバーナンキ教授
 が批判していたような議長になってしまった。
  FRBがインフレ指標として注視する米PCE(個人消費支出)コアデフレータは二〇一
 三年三月に前年比一・一三パーセントをつけ、過去最低記録である一九六三年の一・〇六パ
 ーセントに追った。失業率の改善もまだまだ鈍い。バーナンキのFRB議長就任から現在ま
 での道のりは、けっして成功物語とはいえない。
  それでもバーナンキが行なったことは、それ以外の人が打ち出したであろう政策よりも俊
 分、マシかもしれない。その政策はアメリカ経済を上向かせるためにそれほど大きな効力を
 発揮した
わけではないが、日本型のデフレ期待が台頭するのではないか、という危険を未然
 
に防いだ。
  とくに金融危機の初期における介入は、金融市場のメルトダウンを防ぐために大いに役立
 っ
たといえるのではないか。

  ECBの政策はどうだったのだろうか。二〇一二年の初旬には、ギリシャがユーロ圏から
 脱退させられ、イタリアとスペインの銀行に人が殺到し、ユーロ圏が分裂し、ユーロ債の価
 値が誰にもわからない状態になる、というシナリオさえも考えられた。
  つまり、一九二九年に始まった世界恐慌の再来である。金融市場は荒れ狂い、運が悪けれ
 ばすべてのブレーキが利かなくなり、世界中の銀行が凍結する……そうした悲観的な未来が、
 現実としてすぐ目の前にあったのだ。

  
                     市場を崩壊の淵から救ったマリオ・ドラギ

  そうした危機のなかでタカ派といわれるジャン=クロード・トリシエ総裁のあとを継ぎ、
 二〇一一年十一月からECB総裁を務めるのがマリオ・ドラギである。就任当初の十一月か
 ら十二月にかけて彼は連続利下げを行ない、政策金利を一・〇八パーセントに戻した。そし
 て
非伝統的な手段として、流動性を供給するために期間三十六ヵ月のLTROを新設した。
  さらには二〇一二年七月、ユーロ存続のためにはいかなる措置をもとる用意があると表明、
 二〇一二年九月のECB理事会では、市場から国債を買い取る新しい対策を打ち出した。
  ドラギが打ち出した量的緩和策は、市場を崩壊の淵から救ううえで大きな効果があった
 ソブリン債券市場を安定化させることで、イタリア、スペイン市場においてかなりの回復を
 引き起こしたのである。
  しかし一方で、インフレ目標についての動きはなかった。その結果、いまだにインフレ期
 待は低いままに抑制されている。ECBによる国債の大量買い取りによってインフレリスク
 を懸念する声もあったが、いまのヨーロッパはそうしたリスクに直而していない。それどこ
 ろか次の五年間でインフレ率が三パーセントを切ったまま、どうやって目下の状況を改善し
 ていこうとするのだろうか。

                                  アメリカはアベノミクスを支持している

  日本に視点を戻そう。はたして「アベノミクス」は人びとの「期待」を動かせるのか。留
 保すべきは、アウトサイダーが財政政策を診断するのは難しい、ということである。それほ
  必要な矢が、すでに欠けているかもしれないというわけだ。
  だが「第三の矢」といわれる構造改革がそれを決めるとは、私は思わない。というのも、
 ほとんどすべての人がそうみなしているほど、それは重要な矢ではないからだ。為政者は誰
 もが構造改革を約束するが、そうした態度自体を私は疑っている。
  ほんとうに国民に大きなショックを与えたければ、フランスのように出産を奨励し、移民
 を開放するような手段が必要になる。そうすれば、国民の期待は大きく動く。しかしそうし
 た施策を日本はとりそうもない。私かいまもっとも関心を抱くのは、その政策を信用あるも
 のにするためには何か重要なのか、ということだ。アベノミクスは「日本がはまった罠」か
 ら脱却するためには必要だが、十分なものかどうかはまだわからない。OECD(経済協力
 開発機構)は日本経済の見通しについて、二〇一三年度の実質経済成長率を〇・七パーセン
 トから一・六パーセントヘと大幅に上方修正したが、これを「アベノミクス効果」と呼べる
 のか。
  アベノミクスがもたらしたもっともわかりやすい変化は円安である。投資の分野でもある
 程度の変化がみられた。しかし、これは対照実験ではない。いまの段階で何かを語るのは時
 期尚早だろう。
  ニパーセントというインフレ目標の数値についてはどうか。以前から私は四パーセントの
 インフレ目標が適切だ、と主張してきた。日本だけではなく、OECD諸国全体にとっても
 そうである。
  しかし、いますぐ四パーセントのインフレ目標を提示することが政治的に不可能であるな
 ら、まずはニパーセントという数字は妥当だ。しばらく様子をみたうえで、さらに大きな数
 字を主張する、というかたちでもよいだろう。
  他国のインフレ目標も、公式、あるいは非公式にニパーセントを目標としている。現在イ
 ンフレ目標を採用している二〇カ国の中位値もニパーセントだ。ニパーセントの根拠は何か
 と聞か
れることも少なくないが、端的にいうなら、歴史の偶然といってよい。
  ニパーセントのインフレ目標は、理論上も「流動性の罠」に陥らない「ちょうどよい数

 」である。しかしいま、明らかになっているのはニパーセントではもはや十分ではない、

 いうことだ。もちろん、より高いインフレ目標をもつことは不健全、とみなす人もいる

 が、ワーレンス・ボール(ジョンズ・ホプキンス大学教授)はもっと高い目標こそ必要だ、
 と
主張している。オリビエ・ブランチャード(IMFチーフエコノミスト)も高いインフレ
 目標
は合理的、と慎重に提案している。
  元財務長官のローレンス・サマーズも、彼の書いたものから判断するにアベノミクスを支
 
持している。先に述べたマイケル・ウッドフォードも、アベノミクスのような政策こそが求
 
められている、と示唆している。
  どんな問題についても、アメリカには反対の立場をとる経済学者がみつかるだろう。おそ
 らくFRBは金利を上げるべき、と考えている人たちは、アベノミクスを好ましく思っては
 いない。しかし、いま述べたアベノミクスに対する考え方は、けっして異端ではない。それ
 を支持する人びとは、相当数存在している。


                        
 世界各国のロールモデルになれるか

  二〇一三年五月二十四日、私は『ニューヨーク・タイムズ』紙に「モデルとしての日本」
 というコラムを書いた。かいつまんで紹介しよう。

  ある意味では、安倍政権によって採用された金融・財政刺激政策への急転換である『アベ

 ノミクス』についてほんとうに重要な点は、他の先進国が同様なもの(注一コーディネート
 された金融・財政政策)をまったく試していないということだ。じつのところ、西洋世界は
 経済的な敗北主義に圧倒されてしまっているように思われる。
  日本の政策当局者が、北大西洋周辺で聞かれるような無策と同じ言い訳をするのは容易な
 はずだ。急速に高齢化する人目に縛られてしまっているとか、経済は構造的な問題によって
 負債が大きすぎるとか(経済規模でみて、ギリシャよりも大きい)、そして過去においては
 日本の当局者は実際に、そうした言い訳をするのが大好きだった。
  しかし、安倍政権がどうやら理解したらしい真実は、こうした問題のすべては経済の停滞
 によって悪化してしまっている、というものだ。短期的な成長の押し上げは日本の病のすべ
 てを癒したりはしないが、それが実現できれば、はるかに明るい未来へ向けての最初の一歩
 になりうる。
  経済を立て直そうとする日本の努力についての全体的な評価は、これまでのところ良好だ。
 そしてこの評価がこのまま維持され、時とともに高まっていくことを望もうではない
 か。もしアベノミクスがうまくいくなら、それは日本にとって不可欠な成長の押し上げをも
 たらし、その他の世界には政策の無気力さに対して必要な解毒剤を与えるという、二つの目
 的を果たしてくれるのだから」
  そう、この政策実験がうまくいけば、まさに日本は世界各国のロールモデルになることが
 できる。アベノミクスによってほんとうにデフレから脱却できるなら、それは将来同じ状況
 
に陥った国に対しても、大きな示唆になるからだ。
  私はかつて、日本がスーパーマンだった時代を覚えている。日本がやることなすことに
 なうはずがない、と痛感した世代なのだ。その後、日本経済が窮地に陥ったとき、その混乱

 は甚だしいものだった。アメリカやヨーロッパの経済学者の一部には、もはや日本から見習
 うものは何もない、と考えている人たちもいる。
  しかし一方で、その日本がいま、世界各国から注目を浴びている。日本の成功は自国のみ
 ならず、世界経済にとっても、大きな貢献になりうるからだ。


以上、今日もクルーグマンの主張に意義申し立てすべき箇所はなかったので、掲載のみとなった。

  

昨夜の “ジュブリルルタ”での話の続き。パンの代金を支払うとき、金銭登録機がタブレッ
トに変わって
いることに気付く。気付いたのはこれは初めてではないが、女性の係員が糸も簡
単に、タッチパネルを
操作していることに改めて感心する。時代の移ろいはめざましい。コン
パクトで多機能で使いやすそうだ
(金銭登録作業の苦労話の有無に拘わらず)。マルチタスク
で、マルチメデイアで、ビジュアルなインタフェースを三十年前だれがイメージしていただろ
うか?!そんなことを考えていると、中国の防空識別圏をめぐるニュースを耳目すると、”古
いねぇ、中国は!?”と感じて眩暈がしそうだ。しかたがない、あちらは国民あげての“坂の
上の
雲”時代だ。早々と“通過儀礼”
を済ませて欲しいと願うばかりだ。もっとも、これは、
国内の保守反動諸派にも言えることだが、暴力沙汰は両国の勤労国民のためならず“細心要注
意!

 

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ソイスコーンでドライブ・マイ・カー

2013年11月24日 | 時事書評

 

 

 

  

【ホームでソイスコーンを】

野菜・穀物パウダーも再三掲載してきたが、 ソイス・パウダーでの製麺(『大豆麺から量子ドッ
トまで』)も波及しているが、パナソニック株式会社は、糖質約60%オフの「ソイスコーンコー
ス」、油脂ゼロ
の「ごはんフランスパンコース」を新たに搭載したホームベーカリーを発売(9
月10日)していることを知った。同じく、『ホームベーカリーでブルスケッタ』の
ブログ掲載が
昨年の10月26日で、これが11月6日だからずいぶんと早い)。ところで、パナソニックのホーム
ページでは、「昨今、糖質やカロリーなどを減らした新ジャンルのビールの販売が伸びるなど、
社会全
体の健康意識は高く、糖質制限への興味が高まっています。加えて、当社調査によると、
本格的な食パ
ンに加えて、ホームベーカリーでヘルシーなパンも焼きたいというニーズがあるこ
とがわかったとか。本製品は、ヘルシーメニューへのニーズに対応しきな粉/大豆粉を使った「
ソイスコーンコース」を新搭載。小麦粉に比べて低糖質で食物繊維を多く含む食材であるきな粉
や大豆粉を使うことで、従来から搭載している「クイックブレッドコース」のレシピに対して、
糖質約60%オフと食物繊維約6倍を実現しました。さらに、冷やごはんを使ったもちもち食感が
好評の「ごはんパンコース」に、新たに材料に油脂と乳製品を使わない「ごはんフランスパンコ
ース」を追加しました。皮がサクサク、中はもちもち食感のごはんフランスパンが作れます。」
と紹介されている。その薬効というか食効はここで掲載するまでないが、「ねり工程」でのパン
羽根の動きを工夫することで、小麦粉よりも混ざりにくいきな粉や大豆粉でも、短時間で均一な
練り上げを実現。きな粉を使ったソイスコーンはしっかりと食べ応えがあり、大豆粉を使ったソ
イスコーンはふっくらとして素朴な大豆の味わいがあり、それぞれ異なる味わいを好みに応じて
楽しめるという。
 



  JP 2013-111435 A 2013.6.10

 【符号の説明】

1 動製パン機 11 原動軸 50 混練モータ  51 混練モータの出力軸 56 クラッチ 60 粉砕モー
タ  61  粉砕モータの出力軸  73 クラッチ用ソレノイド 80 パン容器 82 ブレード回転軸 92 粉
砕ブレー ド 101 混練ブレード 120 制御装置(制御手段)

大豆の高付加価値化は、家庭でソイスコーンがつくれるだけではないらしい。豆乳も家庭でつく
れるという。
さらに、電子レンジで圧力鍋を使い、豆乳簡単につくれるという。前者は極めてメ
カニニカルな機械っだが
後者は乾燥大豆煮込み濾過すれば豆乳がつくれる。後は、ホーム大豆製
麺機(器)の開発だけだ。ホーム
製麺機(器)は、そば粉、米粉、ジャガイモ粉、こんにゃく芋
粉などの応用展開が考えられるから、これも高付加価値化できそうだ。

JP 2013-233226 A 2013.11.21

   JP 2009-179397 A 2009.8.13

 

 

【日本経済は世界の希望(3)】 

ここでは、クルーグマンが「失われた20年」が人的的な作為(あるいは無作為)により引き起
こされた理由について解説されているので、時間の都合と紙面の字枠の都合上、原文を掲載のみ
として明日以降に、第1章の考察をまとめ記載することとする。




                                      日本の経済不振は自らが蒔いた種

  日本では「失われた二十年」という言葉がよく使われる。しかし実際のところ、それは恐
 慌にみえない、というのが面白いところだ。日本の「不況」を分析するとき、その本質は何
 かという点について、とても慎重に考えなければいけない。
  プロローグで述べたように、日本には少子高齢化の問題がある。それはすなわち労働力人
 口の減少だが、たとえば一人当たりのGDP(国内総生産)の推移をみてみると、思ったよ
 りも日本経済は悪くはないことがわかる。
  たしかにバブル崩壊後、一九九〇年代の初頭から、日本経済は長いあいだスランプを経験
 してきた。二〇〇〇年代後半には少しだけ明るさが戻ったが、二〇〇八年のりIマン・ショ
 ックによって、再びスランプヘ突人することになった。
  とはいえ繰り返すが、他のG7諸国に比べれば、日本経済の落ち込みは、それほど悲観す
 べきものではない。私にいわせれば「失われた二十年」とは、日本人が「あまりお金を使わ
 なかった」時期のことだ。「不況だ」とみなが騒ぐ一方で、個人金融資産は増加し、企業
 の内部留保も積み上がった。

  しかし、同時に日本人は、この国の経済はよくならない、デフレから脱却できない、とい
 う凝り固まった感情を抱くようになった。だからこそ、自らの国に対して十分な投資をしよ
 うという気になれなかったのだ。
  一九九八年。バブルが崩壊してから十年近く経った日本経済の問題を、私は「復活だあっ
 」という論文で分析した。
  当時、日本で主流だったのは、いわゆる銀行の不良債権問題が不振を招いている、という
 議論だった。銀行の体力が低下し、融資に対して過剰なほど慎重になり、中小企業への貸し
 渋りや貸し剥がしが起こっている現状を打開できれば、日本経済は復活する、といわれてい
 た。しかし、私はそうした見方に懐疑的だった。
  「復活だあっ」の核心を述べるなら、日本の経済不振は自らが蒔いた種、ということで
 ある。そこで、私は日本がいわゆる「流動性の罠」に陥っていると述べた。

 

                                         「流動性の罠」が発動する条件

 「流動性の罠」。別名「ゼロ・ローワーバウンド」ともいわれるが、なかなかミステリアス
 な響きの言葉である。それは、中央銀行が金利をゼロにまで下げても金融政策として十分で

 はない、という状況だ。
  通常なら、金利を低くすればお金が借りやすくなり、民間投資が増える。しかしあまりに
 それが低くなりすぎてしまうと、投資資金の需要に対する供給の弾力性が無限大になってし
 まう。
  そうしたなかで中央銀行がお金の供給をいくら増やしても、投資意欲を刺激することはで
 きない。
  そこで中央銀行が非伝統的な経済政策、すなわちインフレ期待を高め、実質金利をマイナ
 スにすれば、「流動性の罠」から脱却できる。インフレ目標やマイナス金利の導入に現実昧
 がないというなら、期待インフレ率を高めるため、減税などの財政政策と、ゼロ金利などの
 金融緩和を組み合わせた政策を打ち出すことが有効だII。
  簡潔に要約するなら、そのポイントは以上のようなことだった。
  そもそも、そうした「流動性の罠」が発動する条件とは何だろうか。いかなる状況を「流
 動性の罠」と呼ぶかははっきりしているが、「流動性の罠」が引き起こされる原因は、それ
 ほど理解されているわけではない。
  かつて私は「流動性の罠」に陥ってしまうのは、いま日本が直面している少子高齢化のよ
 うな、望ましくない事態が原因だ、と考えていた。
  しかし、いまでは「オーバーリーチ(民間企業が無理に事業拡大を行なおうとして借金過
 剰 になること)」が原因であるようにもみえる。日本ではバブル時代に企業の借金が急増
 し、不動産の供給過剰も起きた。バブルが弾けたあと、こうした要素によって金利が非常に
 低い状態のときにも、経済は落ち込んだ状態に留め置かれた。
  同じようにアメリカでもサブプライム・ローンによって家計の借金が急増し、住宅の過剰
 建築が発生した。だからこそ、その後の低金利政策でも経済はなかなか回復しなかったのだ。

 


                                        戦後最長の景気回復期でもデフレ脱却に失敗

  「オーバーリーチ」とプロローグで言及した「人びとの期待を変えることが、どれほど難
 しいか」という問題。この二つが「復活だあっy」を書いた当時から、私の考え方として変

 化したところだ。
  そうした「期待」をどのように持続させるか。デフレからの脱却において、このことが決
 定的に重要である。
  二〇〇二年から二〇〇八年にかけて、日本は戦後最長といわれる景気回復期を経験するこ
 とになった。それにもかかわらず、残念なことにデフレからの脱却はうまくいかなかった。
  当時の日銀が二〇〇一年三月から量的緩和政策を実施したことは、先に述べたとおりだ。
  これによってみごとにインフレ率を1パーセントにでも上げられたなら、日銀は大いに喜
 び、人びとは日銀を称えたことだろう。
  しかし現実には、そうした事態を生じさせる追加対策を日銀はとろうとしなかった。たし
 かに経済は数年にわたって回復を続けたが、目下の状況を唱矢として、前進しようという気
 持ちがなかったのだろう。
  経済が回復してデフレから脱却しそうにみえたとき、「いまこそマネタリーベースを増や
 しつづけ、みなを驚かせるときだ」という意識がなかったどころか、日銀はデフレを終わ
 らせるため、いかなるリスクもとるつもりがなかった。実際に彼らは経済がようやく立ち直
 りかけた途端に手を引いた。だからデフレは続いたのである。
  なぜ日銀はバランスシートの拡大を嫌ったのだろうか。バブル時代が頭をよぎって「羞に

 懲りて檜を吹いた」のか。市場は当時と同じことが起こるのではないか、と心配したのかも
 しれない。しかし、それほど恐れることはなかっただろう。過去は過去のこと、と割り切る
 ことも大切だ。
  ある歴史を持ち出して、それを根拠に語ることには慎重でなければならない。アベノミク
 スに反対する識者たちは行動を起こさないことの言い訳として、議論をつくりあげているだ
 けだ。

                              リーマン・ショック時の政策対応はただしかったか

   二〇〇八年にりIマン・ショックが起こったとき、日銀はほとんどバランスシートを拡大
 しなかった。それを批判する人、もっと拡張的な政策を打ち出すべきだった、という人がい

 る。日銀を擁護する人たちは、当時の日銀のバランスシートは十分に拡張的で、それ以上広
 げる余地がなかった、という。
  現実はどうだったのだろうか。実際には、中央銀行が金融商品を買おうと思えばいつでも
 買える。ただ、買うべきかどうかははっきりしていなかった。
  アメリカではFRBが危機の初期において、CP(コマーシャルペーパ士や住宅ローン担
 保証券、政府関連機関債などを買い入れたり、各種資産担保証券(自動車ローン、中小企業
 向けローン債権などを担保とする証券)を担保として融資を行なったりするなど、流動性が
 極端に低下した特定の信用市場に対し、直接的に資金を供給した。
  つまりはその市場が崩壊してしまったため、介入せざるをえなかったのだ。そうした緊急
 性を、FRB議長であるベン・バーナンキの「信用緩和」はもっていた。
  逆に、日本の状況はそれほどひどくはなかった。住宅バブルもなかったし、アメリカのよ
 うなサブプライム・ローン問題も存在しなかった。金融システムも、危機にさらされていた
 
わけではなかった。さらには日本の場合、すでに政策金利がゼロだった、という事実を忘れ
 てはならな
い。
  FRBはたしかにアグレッシブな政策を打ち出したが、そうしたアメリカと日本の差異に
 ついて、政策上の意見の根本的な違いによるもの、といえるかどうかはわからない。もし何
 かの金融商品を買いたければ、日本市場には日本国債が大量に出回っている。しかしその一
 方で、日本の公的債務はすでにGDPの二倍もある、という現実を忘れるべきではないだろ
 ヨーロッパはどのような行動をとったのだろうか。ECBのバランスシートはリーマン・シ
 ョックのあと、
流動性供給のために急膨張したが、その後、少しずつ減少傾向にあった。
  二〇一一年十二月になってからLTRO(長期資金供給オペレーション)プログラムによ
 って
一兆ユーロを銀行に貸し付けたが、それはヨーロッパの抱えるソブリン危機(公的債務
 危機)
に対応しただけ、ともいえる。そしてもちろん、日本にそうした危機は存在しなかっ
 た。
  もちろん、だからといって私は、日本は何も行動しなくてよい、といいたいわけではな
い。
 もっとも重要なポイントは、それまでの長きにわたって日本は「罠」にはまっていた
という
 ことだ。だからこそ、行動を起こすべきなのである。


※ 流動の罠 

経済が「流動性の罠に陥った状態」とは、簡単に言えば、名目金利がこれ以上下がらない下限に
達してしまった状態のことである。この状態においては、マネーサプライの増加は、定義上こ
れ以上
の金利の低下をもたらすことができなくなり、単に貨幣需要の増加に吸収されてしまうだ
けであるた
め、金融政策の有効性は完全に失われてしまう。ゼロ金利状態とはまさしくそのよう
な状態のこと
であり、理論的には金融政策は無効であり、財政政策のみが有効である。もし経済
が流動性の罠の状態に陥ってしまった時に、国債の発行残高の問題などから財政政策が発動でき
ないとなると、経済を不況から回復させる有
効な政策手段は理論的にはなくなってしまう

 

【ドライブ・マイ・カー】
 

  これまで女性が運転する車に何度も乗ったが、家福の目からすれば、彼女たちの運転ぶり
 はおおむね二種類に分け
られた。いささか乱暴すぎるか、いささか慎重すぎるか、どちらか
 だ。後者の方が前者よりI我々はそのことに感
謝するべきなのだろう-ずっと多かった。一
 般的に言えば、女性ドライバーたちは男性よりも丁寧な、慎重な運転をする。もちろん丁寧
 で慎重な運転に苦情を申し立てる筋
合いはない。それでもその運転ぶりは時として、周囲のド
 
ライバーを苛立たせるかもしれない。
  その一方で「乱暴な側」に属する女性ドライバーの多くは、「自分の運転は上手だ」と信
 じているように見える。彼女たちは多くの場合、慎重に過ぎる女性ドライバーたちを馬鹿に
 し、自分たちがそうではないことを誇らしく思っている。しかし彼女たちが大胆に車線変更
 をす
るとき、まわりの何人かのドライバーがため息をつきながら、あるいはあまり褒められ
 ない言葉を口にしながら、ブレーキ・ペ
ダルをいくぶん強めに踏んでいることには、あまり
 気がつ
いていないようだった。
  もちろんどちらの側にも属さないものもいる。乱暴すぎもせず、慎重すぎもしない、ごく
 普通の運転をする女性た
ちだ。その中にはかなり運転の達者な女性たちもいた。しかしそん
 な場合でも家福は、彼女たちからなぜか常に緊張の気配を感じ取ることになった。何がどう

 と具体的に指摘はできないのだが、助手席に座っていると、そういう「円滑ではない」空気
 が伝わってきて、どうも落ち着かなくなってしまう。いやに喉が渇いたり、あるいは沈黙を
 埋めるために、しなくてもいいつまらない話を始めたりする。
  もちろん男の中にも運転の上手なものもいれば、そうでないものもいる。しかし彼らの運
 転は多くの場合、そういう緊張を感じさせない。とくに彼らがリラックスしているというわ
 けではない。

  たぶん実際、緊張もしているのだろう。しかし彼らはどうやらその緊張感と自分のあり方
 とを自然に-おそらくは無意識的にー分離させることがで
きるみたいだ。運転に神経を使い
 つつ、その一方でごく通
常のレベルで会話をし、行動をとる。それはそれ、こちらはこちら
 という具合に。そのような違いがどこから生じるのか、家福にはわからない。

   彼が男性と女性を区別して考えることは、日常的なレベルでは多くない。男女の能力差を
 感じることもほとんどな
い。家福は職業柄、男女ほぼ同数の相手と仕事をするし、女性と仕
 事をしているときの方がむしろ落ち着けるくらい
だ。彼女たちはおおむね細部に注意深く、
 また耳がよい。

  しかし車の運転に限って言えば、彼は女性が運転する車に乗ると、隣でハンドルを握って
 いるのが女性であるという
事実を常に意識させられた。しかしそのような意見を誰かに語っ
 たことはない。それは人前で口にするには不適切な
話題であるように思えたからだ。

                         村上春樹 『ドライブ・マイ・カー』
                           文藝春秋 2013年12月号掲載中



昨日は、松原の“ジュブリルタ”で気に入ったパン買い、ランチをとり(トマトと近江牛のコ
コット)、その足で『
旧彦根藩松原下屋敷庭園』を見学したが、バイオリズムは下降線で急性の気管
支炎に罹ったのか、終日思考停止状態、今朝も本調子でなく、切れのない作業を続けていた。明日は回
復しているのか甚だ心許ない。
                                                                                        
 

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日本経済は世界の希望(2)

2013年11月23日 | 時事書評

 

 


今日は土曜日だ。賃労働していときは、土日祭日は待ち遠しく、特別な日だった。それは年を重ね
てでも変わらなかった。ところが、書斎がスモール・オフィース化してからは気分変化の増幅は小
さくなるにつれ、鬱状態が反対に大きくなることを体験する。解決方法は分かっているので、これ
は詰まるな!?と思うと、とりあえずハンドルを握り、ドライブへ出かける。そんなことを考えな
がら、クルーグマンの本を読み進める。まず、「第五章 10年後の世界はこう変わる」の金融危
機で表出した『恐慌型経済』 」の節っだが、ケインズ主義を経ているクルーグマンの本領発揮とい
うわけだが、「懲りないウォール街の住人たち」の節などのように、『デジタルケインズと共生・
贈与
』『校舎の桜にケインズ』あるいは『新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイ
ジアンへの道-
』(環境工学研究所WEEF)などで掲載したものは削除し、
めぼしいところを抜
粋掲載する。また、この章の「中国のボトルネックは環境破壊
 の節に絡み、岡本隆司 著『内藤
湖南「支邦論」の凄さ』(文藝春秋、2013年12月号)を加筆掲載する。

 



                                     

 

 

                         金融危機で表出した『恐慌型経済』

  二〇〇八年に金融危機が起こったあと、私は『世界大不況からの脱出』(早川書房)で、世
 界経済は恐慌に陥った
というわけではないが、恐慌そのものの復活はないにしても、そこで「
 恐慌型経済」
のかたちが現われ、一九三〇年代以降はみられなくなった問題が表出している、
 と述べた。

  恐慌型経済とは、この数十年間で初めて、経済の需要サイドにおける欠陥、つまり利用可能
 な生産能力
に見合うほどの十分な個人消費が存在しないことが、世界経済の足かせになってい
 る、ということである。
本から一部を引用しよう。

  「世界は今、一つの経済危機から次の経済危機へと綱渡りをしている状態である。それらは
 すべて、需要が
十分でないというきわめて重大な問題をはらんでいる。一九九〇年代初頭以降
 の日本、九五年のメキシコ、
九七年のメキシコ、タイ、マレーシア、インドネシア、韓国、二
 〇〇二年のアルゼンチン。そして二〇〇八年
では世界のほとんどの国が次々と景気後退を余儀
 なくされ、何年にも及ぶ経済成長を一時的であれ台無しにせざるを得なくなった。

  しかも従来の政策対応では、まったく効果がないといえるのだ。再び経済の生産能力を活用
 する
ために、いかに需要を十分に刺激するかが決定的な問題となった。これこそ恐慌型経済の
 再来であ
る」
  そこで私はケインズ政策の重要性を説いた。これまで以上にケインズの考え方が妥当性を増
 していたのである。

  景気を回復させるためにできることは何でも行なう、という精神で、危機に対応しなけれ
 ならない。そこで行なったことがもし十分ではなかったなら、信用が拡大しはじめ、経済
全体
 にその拡大が広がるまでさらに多くを実行し、それとは違う施策も打つべきである、と述べた
 のだ。


 そして、われわれが産業革命以降、百五十年以上の歴史から学んだことは、残念ながら危機を放
っておくと、
さらなる大きな苦痛を生み出す可能性がある、ということだ。一つの金融機開か傾け
ば、それが他の金融機
関にも伝播していく。悪影響が伝染するのである。一九三〇年代に起こった金融
危機は、ニューヨークのきわめて小さな銀行から始まった。そこからスタートしたドミノ現象はき
わめてリアルなもので、取り付け騒ぎへと発展する。
その取り付け騒ぎのなかでみなが同じ資産を
売り、資産価値は崩壊した。そこでは財政難に
陥っていない金融機関さえも突然、同様の状態に陥
ってしまったのだと述べるていう。これをわたしたちは、"信用恐慌の連鎖反応"と呼ぶ。そして、
次の節では、米国の景気はまだ本調子ではないと指摘する。




                       アメリカはまだ地盤を取り戻せてない

  『世界大不況からの脱出』を著した時期に比較すると、世界経済は大きな変化の局面を迎え
 ているようにみえる。
  リーマンでンョックによって発生した金融危機は、まさに急性危機とでも呼べるものだった。
 世界経済のリセッションは二〇〇八年初頭から始まったが、二〇〇九年には終焉を迎えた。し
 かしそれ以来、慢性的な不振状態が続いている。アメリカはいささかマシだろう。最悪なのは
 ヨーロッパである。ときには成長もみられたが、リセッションに後戻りするような状況もある。
  長引く標準以下の経済状態を、「不況」という名前で呼んでもよい。一九三○年代も経済成
 長がなかったわけではなく、最初にかなりひどい落ち込みがあり、その後、少し回復し、再び
 落ち込んだ。それと同じことが起こっているが、その規模は当時に比べれば小さい。しかし、
 それにしてもひどい状況だ。
  アメリカでは金融危機以前の二〇〇七年、失業率は四パーセント台だったが、二〇一三年七
 月は七・四パーセント。状況は好転していない
。そこではさまざまな「合併症」が生じている、

 といってもよいだろう。人口動態に合わせて数字を修正するとわずかな向上がみられるが、失
 われた地盤を取り戻せているわけではない。
  ヨーロッパの失業率は上昇する一方で、新記録を更新しつづけている。二〇一三年六月のユ
 ーロ圏の失業率は一二・一パーセント。前月から横ばいになったものの、引き続き、過去最高
 水準で推移している

                                       懲りないウォール街の住人たち

  金融についてはどうだろうか。リーマン・ショックとその後の金融危機を引き起こしたウオ
 ール街
は、自浄したのだろうか。二〇〇九年にスタートしたオバマ政権は、金融危機を教訓と
 してドッド・
フランク法(ウオール街改革および消費者保護法)を制定した。この法律は二〇
 〇九年六月、政権
が議会に提示し、その翌月には法律案として下院に提出された。同年十二月
 二日には、修正版がバ
ーニー・フランク下院金融サービス委員会委員長によって下院に、クリ
 ストファー・ドッド上院銀
行委員会委員長によって同委員会へと示された。
  法律案に対する彼らの修正を踏まえ、二〇一〇年年六月に報告を行なった協議委員会は、こ
 の二
人の議員の名前にちなみ、法律案の命名を決議した。そして翌月、ドッド・フランク法は
 無事、制
定された。(中略)
  第一に、消費者を保護すること。この法律によって消費者金融保護局がうまく機能すれば消
 費者
を被害から守ることができる。
  第二に、清算権限。これは問題が起こった金融機関を差し押さえ、その運営を代わりに続け
 る、
というものだ。バンカーを救済せずにアメリカの金融システムを運営しつづけるには、ど
 うしたら
よいのか。これが金融危機当時の喫緊の課題だった。銀行は必要だが、株主は助けた
 くない。そこで
は曖昧ではなく、明確な法的権限が必要とされた。
  第三に、健全な規制を課する権限。金融機関に対して、より高い資本基準を課す権限のこと
 だ。この三つはいずれも非常に重要だ。しかし一方で、その結果は自由裁量によって左右され
 る。言い換えるなら、それは当局の統治体質に大いに依存する、ということだ。この法案を制
 定したオバマ政権のもとですら、どれくらいうまく機能するかはわからない。
  オバマの次の大統領が誰になるかによって、状況は変わってくるだろう。たとえば民主党の
 ヒラリー・クリントンが大統領になり、消費者金融保護局の創設に携わったエリザベス・ウォ
 ーレンが財務長官に指名されれば、かなり効果的な金融規制が期待できる。
  逆に、共和党のランド.ポールが大統領になり、自分の父親であり、共和党の大統領予備選
 に何度も出馬した元下院議員のロン・ボールを財務長官に指名するような事態が起これば、そ
 の規制はけっして実現しない。
  当のウォール街の住人たちは、まったく懲りている様子がない。ほんとうにうまく逃げおお
 せたのだ。私にいわせれば、当時よりも状況はむしろ悪くなっている。彼らから何か知恵を学
 ぼうとしても、ただ失望させられるだけだろう。それほどまでにウォール街は変わっていない
 のだ。
 

                                        オパマはなぜ「チェンジ」できなかったか

  オバマについては、「少々、あきらめムードになっているのではないか」と感じるときがあ
 る。彼は慎重な人で、大胆なことをしたがらない。対立も好まない。それが裏目に出ているよ
 うに思う。
  理不尽な敵のいる政治的環境で、合理的な同意を得ようとして多くの時間を費やしたが、結
 局のところ、そのほとんどがムダになった。そして、複数の最悪ともいえる事態が引き起こさ
 れた。オバマが敵に正面切って立ち向かっていれば、そのなかのいくつかは回避できたかもし
 れない。
  もちろん、彼はとても頭がよい。チーム・オバマも非常に優秀で、オバマと議会の民主党議
 員は決定的に重要な二つの法案を成立させた。その一つは先に述べた金融制度改革、もう一つ
 は第4章で触れた医療制度改革である。
  医療制度改革だけを取り上げても、それは第三六代アメリカ大統領であり、高齢者医療保険
 制度制定、学校に対する補助金の支給、失業者への職業斡旋の強化、貧困家庭の児童に対する
 就学前教育の拡充などを実現したリンドン・ジョンソン以来、いかなる大統領が成し遂げた功
 績よりも大きい。
  一方で、オバマにひどく失望している人がいることも確かだ。彼らはオバマを「チェンジが
 できる指導者」だと考えていたからである。
  私はそうした考えに賛同しなかったが、まるで彼が共和党に妥協したかのようにみえたとき
 には怒りを覚え、落胆した。しかし私がもっとも期待した医療制度改革をみごとに勝ち取った
 ことは当然だが評価されるべきである


                                          共和党がつくったアメリカの借金

  他の文脈でアメリカに失望し、批判を続けている人もいる。一九八一年から八五年までレ
 ガン政権下でOMB(行政管理予算局)の局長を務めたデヴイッド・ストックマンという
元政
 治家が、二〇一三年四月、“The Great Deformation"というタイトルの本を出版した。
アメリ
 カ経済は借金と縁故資本主義、政府介入によって腐敗している、というのがその中身
だ。
  縁故資本主義とは、ビジネスの成功が大企業のビジネスマンと政府官僚との密接な関係によ
 って
決定づけられるというもので、税制優遇措置政府認可の配分において、それが表出する
 ことが多。政府介入のもっともわかりやすい例は、リーマン・ショック後にアメリカの金融
 がクラッシュしたとき、大々的に行なわれた救済措置である。
  タイトルだけをみるとこの本は注目に値するように思えるが、中身は羊頭狗肉で大したこと
 はない。具体的な数字も出てくるが、ごまかされてはいけない。ストックマンはアメリカの借
 金は八兆ドルもあり、途方もない額だ、と吹聴するが、アメリカ経済のGDPは年間一六兆ド
 ル。八兆ドルという金額は、一年間のGDPのわずか半分にすぎないのだ。海外投資からのキ
 ャピタルゲインを加味すれば、その数字はさらに取るに足らないものになる。
  そもそも、その借金は誰がつくったのか。一九八〇年までアメリカ経済は借金に悩まされて
 いなかった。レーガン政権、ブッシュ・シニア政権の時代に負債が膨らみはじめ、クリントン
 政権で軽減されたが、ブッシュ・ジュニア政権でまた悪化した。
  もちろん金融危機の余波も少なくはなかったが、歴史的な事実をみるかぎり、アメリカの借
 金は金融危機までは一党、つまり、共和党が引き起こした問題だったのである。


                        銀行を破綻させれば経済は悪化する

  自動車産業についてもストックマンは、金融危機のとき、政府は四万人の職を救済したが、
 そこで救済を行なわなくとも南部にある日産自動車などのメーカーに人びとは移動しただろう、
 と述べている。しかし、自動車産業は結局破綻しなかったわけだから、いまは何とでもいえる
 状況だ。当然のこと、実際にGMを破綻させていたら、その四万人が南部に行ったかは定かで
 はない。
  縁故資本主義の解決策はあるのだろうか。不況をもたらして、すべてを破綻させ、ウォール
 街の裕福なバンカーたちを救済しなければよい、という考え方もあるが、それではけっして経
 済はうまく回らない。ベストな手はバンカーを規制しながら、同時に労働者を救済することだ。
  ストックマンはFRBも痛烈に非難している。長期間にわたり金利を低く抑えて金融危機を
 引き起こし、住宅バブルを膨張させたという趣旨だ。彼の論理は低金利がウォール街の狂乱投
 機を煽ったというものだが、たとえば一九四〇年代から五〇年にかけての低金利時代において、
 狂乱投機が発生しただろうか。
  当時と現在の違いは何か。経済が悪化しているときにFRBが金利を下げるのは、諸悪の根
 源で
はない。金利を下げることはFRBの仕事である。問題は金融システムの悪用を防ぐセー
 フガード
が取り払われてしまったことだ。金融システムの悪用は、たとえ金利がゼロに近くな
 くとも蔓延し
ている。
  経済が悪化したのはバブルが発生し、待ち逃げしたバンカーたちが世に溢れたからだ、とい
 われ
るが、経済学とは道徳劇ではなく、一つの学問であることを忘れてはならない。政府が緊
 縮政策に走らないという条件つきだが、危機が何も起きなければ、経済はいずれ自然に回復す
 るものなのだ。


                                          中国のボトルネックは環境破壊

  アメリカとともにG2と呼ばれた中国経済の状況はどうか。政情安定の条件ともいわれた
 DP成長率八パーセントの達成は困難だ。二〇一三年七月十五日に中国国家統計局が発表
した
 二〇一三年度四~六月期GDPは、物価変動の影響を除いた実質ペースで前年同期比
七・五パ
 ーセント増にとどまった。一~三月期の七・七パーセントを下回り、二期続けての
鈍化である。
  八パーセントは当然のこと、これからの中国は五パーセント成長ができれば十分、という人
 もいる。

  二〇一五年には人口減少社会に突入するなかで、短期的な中国経済の将来を予測することは
 難し
い。中国政府の発表するデータをどのように解釈すればよいか、まったくわからないから
 だ。中国がこれからリセッションに陥るのかどうか、私には判断材料がない。

  長期的にみれば、中国経済はこれまでの理論に当てはまるかたちで推移するだろう。つまり
 農民
人口が過剰であったとき、その過剰人口を吸収できるかぎりにおいて、経済成長は遠くな
 る。しか
し、それが吸収され切ったときに賃金は上昇しはじめ、成長スピードも減速する。い
 まや中国経済
は、その段階に到達したようにみえる。
  もちろん、これから賃金の上昇がみられることは、中国にとって本質的にはよいことだ。
  しかし、さらに懸念すべきは環境破壊である。
  今日の先進国の経済は、まずは成長そのものが目的とされ、ほとんど環境保護に気が配られ
 ることなく、
それが耐えられないレベルにまで達してから環境保護の改善要求が出てくる、と
 いう段階を通過している。

  中国もそうした先進国と同じ道をたどっているが、その変化はまさに超スピーディだった。
 経済後進国からあ
っという間にGDPでは世界第二位の経済大国へと変貌し、その結果、北京
 ではPM2・5という大気汚染問題が起こり、快晴の日でもつねに視界がさえぎられる日々が
 続いた。

  中国医師協会などがまとめた報告書によれば、中国の都市住民の七七パーセントが呼吸器系
 に異
常を抱えているという。専門家は、PM2・5が主因であると指摘している。
  中国の国民は、こうした環境問題を懸念している。あまりに規模の大きな環境破壊が、彼ら
 が解
決すべき問題の最優先事項になっている、ということだ。いくら裕福になったところで、
 息ができ
ない状態が続くなら、クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)も何もあったものでは
 ない、という
ことだろう。

                         第5章 「10年後の世界経済はこう変わる」




この最後の節の注評に関して、「環境破壊時代に突入した中国」(『デジタル革命粛々』2011.09.
08)でもブログ掲載しているが、この対応に失敗することで内政混乱から世界経済の混乱と連鎖す
るシナリオもあり得るだろう。そこで、岡本隆司著『内藤湖南「支邦論」の凄さ』の抜粋し特別に
追加掲載した



  当今、中国と無縁の日常生活は考えにくい。モノ・ヒト・情報、善かれ悪しかれ、意識する
 とせざるとにかかわらず、どこかで必ず中国と遭遇する。中国製の機械・食品・雑貨はあふれ、
 中国人
の観光客・留学生もおびただしい。中国に関わる日々の報道事件はいわずもがな。そこ
 でどうして
も、中国を知る必要が生じる。
  ところがその中国は、どうもよくわからない。目前の事象について、ひととおり説明を聴く
 と、いったんは納
得した気になる。それでも、そもそもなぜ、いつからそうなのか。根本的な
 事情は俯に落ちないことが多い。
   そんなとき、少し見方を変えてやればどうだろう。中国を知るには、内藤湘南を読みなおす。
  これが筆者おすすめの方法であり、自ら実践してきたことでもある。
  内藤湘南は明治維新の前々年に生まれたジャーナリスト、二十世紀に入って京都帝大の東洋
 史学の教授
になり、日中戦争が始まる直前に生涯を終えた、という人物。われわれ東洋史の学
 徒にとっては、斯学(しがく)
の草分けにして泰斗だが、そんなスケールで収まりきらない巨人
 である。

  一般にはむしろ、日本学者としてのほうが、名は通っているかもしれない。たとえば、二十
 世紀の日本を知
るには、「われわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史」の「応仁の乱」以後を
 研究すれば十分、ほかはいらない、と
断じたことなど、よく知られるエピソードではなかろう
 か。

 

 『清朝衰亡論』が清朝三百年にとどまったのに対し、『支那論』は中国の歴史全体を相手どっ
 て、その把握を試みた。そこに独創的、体系的な中国史観が生まれる。唐宋変革論はその中核
 をなす所説だった。
唐と宋のあいだ、十世紀を境に「貴族制」が崩潰する。それに代わり、「
 君主独裁」の政体がお
こって、「平民」の勃興した社会に移行した。この政体は以後、官僚機
 構を組織して社会を統治したけれども、それは今日いうところの行政はおこなわない。人民よ
 り税を搾取するにすぎず、いわば社会から遊離した存在である。社会の実体は父老、ないし郷
 紳など、地域の名望家の指導する「郷団」組織、「自治団体」にあった。人々の生活にふれる
 行政は、すべてそうした団体が担っていることを、湖南は強調する。すなわち当時・辛亥革命
 直後の中国の社会状態は、宋代にはじまり、そこから継続してできあがったものである。中国
 の唐宋変革はその意味で、あたかも日本の「応仁の乱」に相当するといってよい。「平民」社
 会の勢力が興起し、独裁君主・官僚機構がそこから浮き上がっていった趨勢のすえ、清朝・皇
 帝制度は崩潰した。そうである以上、もはや皇帝制・独裁制の復活はありえず、辛亥革命以降
 の政体は必然的に、「平民」を主体とする共和制でなければならない。そうした政治社会構造
 とその推移を考慮しない、形式的な近代化の無意味さをも説いたうえで、袁世凱のやり方が時
 代に逆行していると指摘。
 

 湖南の高足・宮崎市定は『新支那論』を「第一次世界大戦直後に、日本がなめさせられた苦悩
 の表情だと見る
べきである」と評して、断言する。アメリカの日本に対する干渉が次第に露骨
 になってきて、当時の日本は在華権益を守るに汲々としていた。このころから次第に盛り上が
 っアメリカの日本に対する干渉が次第に露骨になってきて、当時の日本は在華権益を守るに汲
 々としていた。このころから次第に盛り上がっ
てきた中国のナショナリズムは、実は日本から
 の圧迫と、アメリカからの、今から見ればおかしいほどヒステリックな干渉とが育成したもの
 である。アメリカのアジアヘの干渉はもともと中国が自ら招いたもので、中国はそれなりに
 利益を得ているが、一銭の得にもならず、日本がなくなったらアジアがどうなるかも考えず、
 ひたすら干渉し続けたアメリカが一番バカだ、というふうに読むのが『新支那論』の本当の読
 み方だろう。『新支那論』を圧縮蒸溜して、宮嶋じしんにはあたりまえの中国学・東洋学的な
 論述を除き去ったら、おそらくこのような骨格・設計図が残るのだろう。学識の浅いわれわれ
 は、『新支那論』の述べる具体的な史実や解釈につい目を奪われてしまうので、とてもこうは
 いかない。とまれ、東洋の時局全体を中国史と日米との関係で描こうとした『新支那論』のね
 らいも、これではっきりする。
  
                   -中 略-                     

  湖南はそこで、文化の発展とその中心移動を基軸として歴史と現状を架橋し、あるべき指針
 を示そうとした。時局に対する苦悩、ひいては絶望をそこにみるのも可能だろう。湘南の歿後
 三年にして、日中は全面戦争状態に入って破局をむかえた。かれの時局論はそのなかで、むし
 ろ日本の中国侵略を支持する方向で利用され、湘南じしんも対外強硬派、中国侵略論者とみな
 され、『支那論』『新支那論』もその種の著述に分類される。日本の敗戦により’それはいよ
 いよ牢乎として抜きがたく定まった。
  現状をみる目の甘さに対する指弾。新たな勢力「ヤング・チャイナ」が視野に入っていない、
 「中国のナショナリズム」を直視しなかった、との断罪。時論家としての湘南の評価は、数々
 だった。『支那論』『新支那論』も、忘却の彼方に消え去ってゆく。

                     -中 略-  

 
  マルクス史学は生産様式にもとづく発展段階論を中軸とする。奴隷制↓農奴制↓資本制とい
 う段階発展であり、発展のゆきつくゴールが社会主義であり、共産主義であった。もっともこ
 のプロセスは、ヨーロッパにおこったものであって、アジアは古来一貫して、発展が始動する
 以前の段階にとどまっているとみなされる。いわゆる「アジア的生産様式」「アジア停滞論」
 であり、かつてはこれが列強のアジア侵略を正当化する論理ともなっていた。
  日本も同じである。中国は進歩、近代化の契機をもたない停滞した社会であり、なればこそ
 近代化し資本主義化した日本が、その契機を与えてやらねばならない。こうした考え方が戦前
 の中国侵略・アジア主義の一面をなしている。
  戦後日本のマルクス史学は、その反省からはじまった。「中国停滞論」の克服である。資本
 主義より進んだ社会主義に達した中国が「停滞」していたはずはないから、その発展のありよ
 うを歴史から説明しなくてはならない。そこで恰好の足がかりとなったのが、湘南の唐宋変革
 論である。

                     -中 略-

  ところが、中国の民族主義を支持する立場は、これを中国蔑視の錯誤だと決めつけた。論拠
 をなすのは、中国の歴史そのものの展開よりも、ナショナリズムやマルクス史学といった西洋
 の理論や価値観であり、湖南が批判した「ヤング・チャイナ」の思考・論法とも重なる。それ
 を信奉した毛沢東らの統一中国という現実が、その論拠に抗えない説得力を与えていた。湖南
 を評価して唐宋変革論を基軸とした中国史の研究でさえ、社会内部の階級支配・階級闘争に大
 きく比重をかけ、国家・社会の全体構造や社会そのものの性格や位置づけを考えようとはしな
 くなった。

  しかし現状はどうだろうか。もはやマルクス主義の権威は、色裾せて久しい。ナショナリズ
 ムはじめ、西洋の政治理論も多様化している。歴史を考えるにせよ、現状を見るにせよ、既成
 理論にもとづいて説明するだけでは、もはや十分とはいえまい。かたや「改革開放」をへて大
 国
化した眼前の中国は、社会主義でありながら市場経済を運営し、国民国家といいながら民族
 紛争がたえず、法治を布きながら不法が横行し、統計がそなわりながら数値は信用ならない。
 謎は枚拳にいとまがないのである。とてもわれわれの欧米本位の理論・思考では、理解しきれ
 ない存在になった。

  それでも目を凝らせば、いくつかの事象がみえてくる。日本と不可分の経済関係にあっても、
 いっこ
うに収束しない「反日」・尖閣の問題、「党高民低」「国進民退」など、途方もない官
 民格差、政府の意向に副いつつ、実はまったく顧慮していない民意の奔流なればこそ対内的に
 は思想統制を、対外的には強硬路線を強めざるをえない国家権力。いずれもかつて湖南が描き
 出した国家と社会の乖離というリアルタイムの中国像にみまがう。『支那論』『新支那論』が
 今、みなおされているゆえんである。

  唐宋変革以来、エリート層と庶民とがはるかに隔たった二重社会。そんな方厖大な社会を掌
 握、制御しきれない微弱な独裁国家。そのはざまに介在し、大きな勢力を有して根を張る中間
 団体。日本や欧米という国民国家の常識ではかりしれない中国の言動は、こうした全体構造に
 由来する。国家と社会それぞれの外貌は、辛亥革命以後、たび重なる革命を通じて、たしかに
 変わった。しかし構造そのものは、歴史的になお存続している、といってあながち誤りではな
 いだろう。


したがって、「
現代の中国を知るには、目前の現象だけでなく、歴史の事実からみなくてはならな
い。では、長い歴史のどこをみればよいのか。迷ったときに繙(ひもと)くべきが内藤湖南の東洋
史学、『支那論』『新支那論』ばかりにかぎらない。歴史と現状を架橋せんとする姿勢、千年を見
通そうとする洞察、それに応じて選び抜かれた史実。否応なく中国を知らなくてはならない われ
われが今、そこから学べるものは、決して少なくあるまいと結ぶが、わたし(たち)の立場は、湖
南の歴史・文明観(中国美学・中国学、日本文化史)を踏まえつつ、マルクスの考えを発展させた、
デヴィッド・ハーヴェイ(『新自由主義-その歴史的展開と現在』)の階級社会戦略論・運動論に
依拠しつつ国家間紛争の解決を模索する以外に道はないだろうと考えている。
 尚、岡本隆明が用いる中国が社会主義とマルクスの社会主義は、"国家を開く"という点で、全く
異なり、現在の中国の社会体制は国家縁故資本主義、あるいは、国家赤色官僚専制主義とでも呼ぶ
べきものだと考える。





 

コメント
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小泉純一郎の『脱原発宣言』

2013年11月22日 | 時事書評

 

 

 

 

【小泉純一郎 私に語った「脱原発宣言」】


朝、いつものようにマイピーシーを立ち上げていると、いつものように「特別秘密保護法案って、本当に必要なの」
「自民党の中で再稼働させようと議員たちが小泉元首相の発言に反発しているっていうじゃない、どう思う?!」
と質問するが、脇腹が痛み、精神的にも鬱陶しい状態だったので、いい加減な返答をしたため、小さな口論劇が幕開
けとなり、国家秘密情報の紊乱を防ぎ内閣の管理強化を図るためのも、切っ掛けは米国からの軍事的秘密事項の遵守
要請があり、中国、韓国との領土や北朝鮮の拉致、原発、行政改革などの問題が切迫しているためだろうがバタバタ
して法整備する必要はないという風に、また後者は、既得権益を守るために騒いでいるだけだから気にするは必要な
いんだという風に答えていたように思う(これは正確じゃないかな?)。そこで外出ついでに「文藝春秋」の12月号
を買って、山田孝男毎日新聞専門編集委員の「小泉純一郎 私に語った『脱原発宣言』」を読んでみて発言の背景の再
確認する。



                                      「私だったらやっちゃうよ」


八月二十三日、夜、国会に近い赤坂の料理店。指定時刻に滑り込むと元首相は既に到着していた。


Q:でどうでした?

「オンカロ見た後でね、一緒に行った人たちが『どう感じたか』って聞くから、こう言ったんだよ。フィンランドは
国民の支持を得てこういう選択をしたと。原発を維持していく場合、国民の支持がなきゃできないと」 「そこで日
本の原発政策の選択だけど、オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、十人いて三人が賛成すれ
ば、二人は反対で、後の五人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」

Q;同行の原発メーカーの方々にそうおっしゃったんですね?

「うん。そしたら、『あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか?』って言うんだよ。
で、こう言ったー」「今、オレが現役に戻って態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』っていう線
でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。いや、ますますそ
の自信が深まったよって……。そしたら、みんな笑っちゃってサ……」

Q:三割、二割、五割の判断を分けるものは何ですかね?

「(言下に)感性だよ」

Q:オンカロの評価は?
十万年だよ。・・・三百年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。責任持てない。そもそも日本に
は捨て場所がない」

(十万年は、使用済み燃料に含まれる放射性物質が減衰し、無害になるまでの時間だ。フィンランド政府はその段階
まで保管するものの、とりあえず三百年後に見直すと言っている)

Q:現状では、今すぐ原発ゼロは暴論という声が優勢ですが。

「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。三年様子を見るって言うけど、
三年後はもっとゼロ論者が多くなってると思うね。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。原発
ゼロしかないよ」
 「今すぐゼロにしたって廃炉に五十年、六十年かかる。とにかく方針出さなきゃ転換できないじゃないか。(今す
ぐゼロか、将来
ゼロかは)そこが違うんだよ。私だったら、ただちに結論を出して(説得)交渉を始めるね。やっち
ゃうよ」

Q:講演で「原発ゼロしかない」とおっしゃってるんですね?

「そうだよ」

Q: 月にどれくらいですか。

「三、四回に絞ってるんだ。……講演する時ね、原発ゼロって言うと、みんなシーンとすんだよな(笑)。原発を維
持しろって言っても、ああはいかないだろうね」

Q: 昔は原発推進でしたね?

「そりゃそうだよ、当時は政治家もみんな信じてたんだよ。原発はクリーンで安いって。3・11で変わったんだよ。
クリーンだ? コスト安い? とんでもねえ、アレ、全部ウソだって分かってきたんだよ。(原発は安全で安上が
りなエネルギーと強調する)電事連(電気事業連合会)の資料、ありゃ何だよ。あんなもの、信じる人(いまや)ほ
んどいないよ」



                                           撤退が一番難しい

Q:再稼働も反対ですか?

「安全なもの(原発)は動かせって言うけど、それだってゴミ(使用済み核燃料)が出るんだよ。それ、どうしてわ
かんねえかな。そもそも野田(佳彦)総理の(事故)収束宣言が間違いだった。あの時もオレ、講演で批判したんだ
よ。だいたい、あの水(放射能汚染水)何だよ、あれ」

Q:潜在的核武装能力を失うと国の独立が脅かされませんか?

「それでいいじゃない。もともと核戦争なんかできねえんだから。核武装なんか脅しにならないって」

Q:経済大国の転換は難しい。

「戦は殿(しんがり。退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)が一番難しいんだよ。撤退が」「昭和の戦争だって、
満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』って経済界は言
うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃない
か」

Q:財界は乗らないでしょう。

「いや、中にはいるよ。日本は原発ゼロにできるっていう人はいる」

Q:自民党はどうです?

「半々だよ。半々だからやりやすいんだよ。決めればそっちへ行くよ」

Q:日本だけでなく、原発を組み込んだ世界の産官軍複合体が相手。目眩がするような挑戦ですね。


「でかいよ。大きいよ。歴史の大転換だよ。政治家にとって難しい問題だけどね、勇気もいるけれども、やりがいが

あるし、夢がある」「日本は世界をリードできる。必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大
震災---。ピンチはチャンス。自然を資源にする循環型社会を日本がつくりゃいい。やり遂げれば世界の手本にな
る。『日本を見てみろ』ってことになるよ。ヨーロッパはドイツ、アジアは日本が引っ張ったらいい。原発ゼロでも
経済成長できるところを見せるんだよ」


                                          十万年前は石器時代

以上が、私が聞いた「小泉原発ゼロ発言」の要点である。九月以降、報道されたいくつかの講演で元首相自ら強調し
ていることだが、「原発ゼロしかない」と確信した最大の理由は、いわゆるバックエンド問題だった。原発から出る
猛毒の放射性廃棄物を安全に処分する方法はない。原子力は利用の最終局面(バックエンド)に巨大かつ深刻な矛盾
を抱える。原発社会は「トイレなきマンション」なのだ。核のゴミの制御不能を強調する元首相の「十万年だよ。…
…みんな死んでるよ」について補足しておこう。地球の十万年前といえば石器時代である。これから先、三百年どこ
ろか百年先の地球さえ想像を絶するというのに、現在の技術で十万年も持ちこたえる構造物が造れるのか。そもそも
十万年の耐久性を夢想すること自体、ナンセンスではないのか。
 「オンカロ」のあるフィンランドの地層は過去十数億年にわたって安定しているそうだが、日本は世界屈指の地震
国である。列島至る所、過去の地殻変動に伴う断層、摺曲、隆起の跡が認められる。しかも原発の規模(日本は五十
四基、フィンランドは稼働中が四基、他に建設・計画中が各一基)が違う。

 日本政府も使用済み核燃料の地層処分(地下施設に埋設管理)を目指しているが、十年を超える公募にもかかわら
ず、処分用地の応募はゼロ。少なくとも日本では無理だ---。「十万年だよ」という小泉ワンフレーズの背景には
それだけの含みがある。
 小泉のフィンランド訪問は、実はこれが三度目だった。最初は陣笠代議士時代。二度目は首相在任中、それも退任
直前の、最後の外遊だ。
 二〇〇六年九月九日の毎日新聞夕刊に、「ヘルシンキを訪れた小泉首相が、作曲家シベリウスの旧宅へ足を仲ばし
た」という囲み記事が載っている。小泉のクラシック音楽好きは誰も知るところだ。「……『フィンランド人よりも
シベリウスをよく知っている』。(案内役の)バンハネン(フィンランド)首相にほめられて『私もそう思う』とに
んまり」
 このエピソードが頭の片隅にあったので、私は面会に先立ち、毎日新聞本社近くの千代田区立図書館でシベリウス
の交響曲のCDを借りた。一番と七番の組み合わせである。前夜、新聞の切り抜きをしながらこれを聴いた。事実上
のインタビューに備えて気合いを入れたつもりだった。
 当日、「シベリウスの交響曲、聴いてきましたよ」と打ち明けると、こんな問答になった。小泉「ふーん、何番聴
いたの?」/私「一番と七番」/小泉「二番がいいんだよォ。ま、一番もいいけどね」。この「二番がいいんだよオ
……」の節回しが独特。身をよじり、「にっぶぁんがっーんだよォー」と振り絞るような声で、本命を外した(『?)
私を慰めてくれた。
 フィンランドという国は日本の九割ほどの国土面積に対し、総人口は東京都の四割ほど、五百四十万人である。全
土に大小合わせ、じつに四万ヵ所もの核シェルター(退避壕)がある。ヨーロッパの北東のはずれ、ロシアと国境を
接し、核戦争、核爆発のリアリティーを全国民が共有している。
 三度目の訪問の小泉元首相は、改めて核シェルターを見学した。シェルターには十数人収容のミニサイズもあれば、
一万人収容のスタジアム級もある。大きな施設は、ふ
だんはサッカー場などとして利用されている-小泉はそんな
見聞も披露した。



                                      本気で「最後の御奉公」

 元首相は大震災で「原発ゼロ」に目覚めた。それは分かるが、政界から退いた隠者が、なぜ、震災の二年半後にカ
ミングアウトしたのか。
 巷の詮索の筆頭は「脱原発新党立ち上げ=野党再編狙い」説だが、それはあるまい。「脱原発」が旗印の野党再
ごっこは、昨年暮れの衆院選で終わっている。滋賀県知事を推戴した新党は有権者をつかめなかった。

 小泉自身、こう言っている。「私は政治家は引退した慶大名誉教授(今年一月、八十六歳で死去)は、元首の大学
時代の恩師であり、行財政改革の指南役でもあった。その加藤の遺著は「日本再生最終勧告/原発即時ゼロで未来を
く」(二〇一三年、ビジネス社)である。この話題が出た時、元首相は冗談めかしてこう語った。
 「加藤さんは最後に『原発ゼロ』って言ったんだよ。私が郵政民営化が必要だと思ったのは、加藤寛の本を読んだ
からだもん……」
 とはいえ、派手に露出すれば安倍政権と正面衝突して混乱必至。だから垣根越しのチラ見せ(=非公開の講演会で
発信)だ。それでいて逆風が強いと見れば前へ出る。そういう手の込んだ駆け引きが続いている。

                                                               政・官・財界の敬意 

政府・自民党の主流は当惑している。笑ってゴマかしているに近い。元首相へのあからさまな批判は控え、「理想と
現実は違う」
という論法で受け流してみせるが、苦しい。「原発はトイレなきマンションだ」という小泉の正攻法に
対し、「そのうちナントカなるでしょう」という以上のことを言い得ていない。
 一方、自民党でも、電力会社や原発立地自治体、原発関連産業に縛られない議員の間では、過去の経緯にとらわれ
ず、原発政策を一から勉強しようという動きが広がっている。八月から九月にかけ、党資源・エネルギー戦略調査会
の小委員会が、「使用済み核燃料の最終処分法がまとまるまで原発新設は見送る」という提言を公表しかけたが、調
査会や政調幹部によって換骨奪胎されるという騒ぎもあった。
 私の「最後の御奉公」説には傍証がある。首相退陣後の二〇〇七年、小泉は民間シンクタンク「国際公共政策研究
センター」の顧問に迎えられ、いまもその職にある。就任挨拶で、こう言った。
 「まだ果たし得ていない私なりのテーマがいくつかある。日本の役に立つ形で何か出せれば、そういう役割もある
のかな……」
 当時は大震災前であり、元首相は原発に関心がなかった。いまや「原発ゼロ」こそ「果たし得ていない私なりのテ
ーマ」の中心になった。「国際公共政策研究センター」の会長は、奥田碩・元経団連会長(元トヨタ自動車社長)で
ある。奥田は小泉政権下で「経済財政諮問会議」の中核メンバーだった。奥田の音頭でキャノン、新日鉄(=当時、
現在は新日鉄住金)、トヨタ自動車、東京電力という歴代経団連会長企業、さらに副会長企業が資金を出し、このシ
ンクタンクはできた。実態は経済界主流が小泉のためにつくった組織である。
 小泉は日本経済と自民党政権が奈落の底へ落ちかけた二〇〇一年に首相になった。思いがけず人気が出た。選挙と
人事を巧みに操り、五年半にわたって永田町と霞が関を治めた。構造改革の英雄か、格差拡大の元凶か。評価は分か
れるが、強力、鮮烈な発信力、果断、非凡な突破力に対する政・官・財界の敬意は今なお深い。
 毎週、新聞コラムを書いて六年になるが、「小泉純一郎の『原発ゼロ』」ほど反響のあったものはなかった。新聞
の読者はもとより、雑誌、テレビ、書籍編集者から多くのお便り、問い合わせをいただいた。元首相の発信が民心を
とらえ、力強い底流を生み出していると考えるゆえんである。                 
                                             (文中敬称略)


このインタビューを読んでみて、違和感あるいは異論はない。寧ろ、今手がけているわたし(たち)のプロジェクト
の背中を押されている格好になっていると言った方が正しいだろう。



 

 

 

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日本経済は世界の希望

2013年11月21日 | 時事書評

 

 

 

 

 

【そして日本経済が世界の希望になる】


さて、昨日の続きを。金融市場を不合理なものと捉え、金融市場にいる人びとは基本的にギャンブルを行な
っていると喝破していたというクルーグマンの指摘は次にの「効率的市場仮説への反対者だったケインズ」
の節でわかる。そのことは、ここだけでなくこの著書に随所に見受けられ、あるいは引用されたりしている
が、ここで大切なのケインズが見直されざるをえない背景-1985年から2007年における西欧経済の運営にお
いて、勇敢、あるいは斬新なりリダーシップは不必要時代から
、現在は、それこそが嘱望される異端な見方
に進んで耳を傾ける政治家が求められている-その意
見が異端でありながら、正しくもなければいけないと
いう状況があるとポスト・ケインズ主義転向を認めそのように指摘する。

 

                          効率的市場仮説への反対者だったケインズ

  経済に対して、政治が果たす役割はどのようなものだろうか。当然だが、政治と経済が完全に切り離
 さ れることはない。実際に切り離されるべきでもない。
  もしそこで自由主義経済が完璧に機能していると思っても、効果的な結果を出したとしても、それが
 必ずしもフェアな結果をもたらすわけではない。そして自由主義経済が完璧に機能することは原理的に
 ありえないからこそ、政治が経済に関わることが不可欠になる。
   アメリカの共和党を例にとろう。そのなかでもすべての条件を除外し、金融経済だけについて考えた
 い。彼らが好む経済学者は、紙幣を印刷することは危険であり、インフレを引き起こす、という危険を
 煽る人たちである。私たちは金本位制を放棄して以来、さまざまな問題に直面してきたが、こうしたタ
 イプの経済学者はそのなかで繰り返し、間違いを犯しつづけた。共和党のリーダーたちは、この経済学
 者は私の好きなタイプの学者だが、見方は間違っていた、と告白すべきだろう。
  政治と経済を分離するという主張は多くの人たちにとって正しく聞こえるが、それは彼らの偏見にぴ
 ったり合うからである。逆もある。ポール・クルーグマンが嫌いだ、ローレンス・サマーズが嫌いだ、
 だから彼らは間違っている、という人はきっと少なくない。しかし、私たちがこの五年間に実施した経
 済予測をみたことがあるだろうか。それをあなたが好む経済学者と比較したことがあるだろうか。
  ジョン・メイナード・ケインズは、金融市場のことをあまりよく思っていなかった。彼は金融市場を
 不合理なものと捉え、金融市場にいる人びとは基本的にギャンブルを行なっている、とみなしたのだ。
  彼ら自身、自分がいったい何をしているかを理解していない、とケインズは喝破した。
  彼は経済の運営は、公共機関が行なうべきだと考えた。ケインズは効率的市場仮説に対する初期の反
 対者だった。

                           第2章 「デフレ期待をただちに払拭せよ」



この著書の文体は、ミニマニストのように短い文章で鋭利に切り込むスタイルが特徴だが、それ故に注意深
く読み進めていかなければ誤りを犯す可能性を孕む(これが軽妙にてスリルを伴う!?)。デフレは少子高
齢化が原因としながらも、後続文で「デフレになる必然性もない」と相矛盾すること述べ、労働分配率が上
昇→資本の限界生産力が低下→(企業が資本を過度に蓄積しないよう)実質金利を低く抑え→マイルドなイ
ンフレが必要と解説したり、構造改革が足りないからデフレになるという主張は誤りだと次の節でそう主張
してみせるが、それでは、デフレの実体、あるいはその本質とは何かの反質に触れずに、次節に移る。


                           構造改革が足りないからデフレになる?

 「デフレ脱却」という大命題を抱える日本だが、そもそもなぜデフレに陥ったのか、というコンセンサ
 スはどこまであるだろうか。
「復活だあっ!」のなかで、私はデフレを引き起こす要因の一部は少子高
 齢化にあるのでは
ないか、と指摘した。執拗な需要不足の原因は何か。労働力人口が縮小するなかでビ
 ジネス
のキャパシティを増やす必要が見出せず、投資需要も抑制される。これが当時の回答だった。い
 まにいたるまで、その考えに変化はない。
  しかし、少子高齢化が起こっているからといって、デフレになる必然性もない。少子高齢によって労
 働力人口が減少すると、資本に比べて労働力が稀少になる。
  その結果、労働分配率(企業の付加価値に占める人件費の割合)が上昇し、効率的な資本の動きを示
 す資本の限界生産力(企業が一単位の資本を追加的に増やしたときに得られる生産量)は低下する。
  ゆえに少子高齢化が進む経済においては、企業が資本を過度に蓄積しないよう、実質金利を低く抑え
 なければならない。そのためには、むしろマイルドなインフレが必要とされている、というのが有力な
 意見だ。
  あるいは、構造改革が足りないからデフレになる、という議論もある。
  土地利用などが典型だが、たしかに日本には都市の開発や新しいビジネスの発展を妨げる数多くの規
 制が存在している。当然ながら、それは日本だけに当てはまる話ではない。アメリカにも高層ビルや集
 合住宅の建設などについて、たくさんの規制がある。
  そうした制約が取り除かれるような改革、たとえばビルの高さ制限が撤廃されれば、ある
程度は民間
 の投資が促され、それが「流動性の罠」から脱出するための力になるだろう。
  ただし、それもまたデフレの根本的な原因ではない。いったんインフレになれば、そう簡単にデフレに陥ることは
 ないからだ。人びとはそのインフレ率が続くという期待をもとに価格決定をする。
  そこでインフレ率が5パーセントであれば、人びとは資産価値の低下を避けて行動するようになる。企業経営者
 はいまより積極的な投資を行ない、消費者はより多くの財・サービスを消費するだろう。



そのかわり次節では、デフレとITを結びつける議論を否定する。平たく言えば、労働力のミスマッチであ
って、日本がデフレでなければならない根本的な理由は労働市場に存在しない、デフレの原因ではないと言
っているだけで、ここでも、デフレの実体、あるいはその本質に触れずに次節に展開していくが、わたし(
たち)はITつまりデジタル革命という技術革新が世界経済を大きく変えた、つまり、労働の流動化、新興
国・開発途上国への資本移動、あるいは商品の汎用(コモディティ)化などを促進させる半導体生産の価値
法則がもたらす基本6特性(シームレス、ダウンサイジング、ボーダレス、デフレーション、イレイジング、
エクスパンション)が今日のデフレ原因に大きく影響していると考えていることをブログ掲載してきたから
単なる労働力のミスマッチへの矮小化には異論がある。


 

                                        デフレとITを結びつける議論の落とし穴

  デフレとITを結びつける議論もある。最近、MIT(マサチューセッツエ科大学)のエリック・ノ
 リ
ニョルフソンとアンドリュー・マカフィーはその著書『機械との競争』(日経BP)で、現在の失業
 の原因は、IT化と機械の性能が急激に上がっているため、という主張を展開した。
  彼らはそれを「テクノロジー失業」と呼んでいるが、そうした失業はいまや未曾有の領域にまで広が
 り、企業も、政府も、そして一般の人びとも、その変化にまったく対応できていないという。
  その本には「失業の原因は景気による」という私の説も紹介されている。もちろんのことITの影響
 について、私は彼らの主張を真剣に受け止めている。テクノロジーによって労働に対する収入の配分が
 資本のほうにシフトしている状況では、彼らの主張が正しいと思える証拠もたくさんあるし、こうした
 状態の継続がよいことだとも思えない。
  しかしその一方、マクロな観点からの見落としがある、ともいわざるをえないだろう。IT化か進ん
 でいるからといって、必ずしもそれが失業状態につながる、ということではないからだ。
  経済全体が成長していても、賃金の低下などで労働の占める割合が一定の割合で縮小していく場合も
 ある。しかし彼らはまるで需要の量は最初から決まっているかのような考え方をしている。だからIT
 化か進むと、労働者が弾き出される、とみなしてしまう。
  企業家が新しい社会ニーズに気づけば、それに対応する財・サービスを供給しよう、と新しい生産活
 動を始めるはずである。既存産業のIT化か進んでも経済全体の新陳代謝があれば、そこでは当然、労
 働者の雇用が生まれるのだ。
  たとえばアメリカの1930年代における失業は、組み立てラインの普及が引き起こした、というのが当
  時の見方だった。しかし、そうした考え方はいまや完全に否定されている。
  彼らが誤解しているのは、雇用のレベルを何か決定しているのか、という点だ。彼らの本では、賃金
 が落ち込まざるをえない、という議論が展開されているが、だからといって雇用も落ち込まざるをえな
 い、ということにはならない。
  同じような議論が日本でもあると開くが、その答えも同じである。
  つまり、いまの日本がデフレでなければならない根本的な理由は労働市場に存在しない。
  大規模なバブル崩壊のあと、日本の金融政策と財政政策はつねに一歩遅かった。日銀の行動はあまり
 にも控えめで、そのタイミングを見誤った。
  もし当時の政府・日銀が適切な対応をとっていれば、おそらくいま、日本経済は3~4パーセントの
 インフレになっているはずである。もしかすると経済構造における改善はみられなかったかもしれない。
 しかし、それでもデフレには陥っていなかったはずだ。

                           第1章「失われた20年」は人為的な問題だ」


この節ではわたし(たち)にとってはご機嫌なものとなる。なぜなら消極的な財政政策から「財政拡大の恩
恵とリスクについて、かつてに比べれば私の考え方は大きく変化した。いまではその積極的な拡大を行なう
必要がある、と確信している」と自説を転換するが、『ピラミッドの経済学』『未来国際』などとしてその
重要性を説いてきたわたし(たち)のポスト・ケインズ経済主義的政策と完全一致?する。これはウエルカ
ムだ。曰く「財政出動の長所は、それが人びとの期待を変えなくてもよい、ということだ」。蓋し、名言で
ある。

                               財政政策という“筋力”の重要性

  そこでインフレ目標があったなら、万事は解決したのだろうか。
  インフレ目標を批判する人たちの根拠は、大きく二つに大別される。一つは、そもそもそれは実行可
 能ではない、というもの。もう一つは、インフレ目標だけで十分なのか、というものである。
  日本にとっても、アメリカにとっても、高いインフレ目標をもつことには十分な意味がある。しかし、
 それだけで仕事が終わる、とは思ってほしくない。繰り返すように、金融政策はその効果の多くを人び
 との「期待」に頼らざるをえないからだ。それは、日銀が突如として引き締めに動くことはない、とい
 う確信を、人びとがどれだけもてるかということに依存する。
  もちろん日銀が適切な言葉を使い、正しいコミュニケーション戦略をとることを私は期待している。
 しかし、それでも人びとがそれを信頼しなかった場合に備えて必要となるのが、安部政権のいう「第二
 の矢」、すなわち財政政策だ。
  十五年前に比べ、私は日本やそれ以外の国からさまざまな事実を学んだ。自国の通貨で借り入れをす
 る国は手綱が緩く、借金のレベルが高くても、公債についてはそれほど悩む必要はない。
  財政拡大の恩恵とリスクについて、かつてに比べれば私の考え方は大きく変化した。いまではその積
 極的な拡大を行なう必要がある、と確信している。
  問題は危機に直面したとき、リアルタイムでいかなる政策手段が必要か、ということだ。
  財政政策がより有効な解決策である、というのがその答えである。この点については私も、コロンビ
 ア大学教授のマイケル・ウッドフォードも同じ意見だ。
  「流動性の罠」への対処策として、金融政策が人びとの期待を変えることに依存する、という点に比
 べ、財政出動の長所は、それが人びとの期待を変えなくてもよい、ということだ。
  人びとが(当局の)約束を信じようと、信じまいと、景気を拡張させる効果がある。目の前の橋をつ
 くることによって、現実の雇用が生まれるからだ。

                           第1章「失われた20年」は人為的な問題だ」

 

                           なぜデフレよりインフレが望ましいか

  長きにわたってデフレに親しんでしまったからだろうか。いまだに日本では、インフレよりもデフ
 レがよいのではないか、という議論があるようだ。
  インフレターゲットの目的はこれからマイルドインフレになる、と人びとに信じさせることで、デ
 フレからの脱却を図ることだ。そもそもなぜ、インフレのほうがデフレよりも本質
的に望ましいのだ
 ろうか。

  経済を回復させるには、個人消費が十分でなければならない。それが不十分である場合、需要を刺
 激するために利下げが必要になる。しかし、名目金利を下げることには限界があ
る。だからこそ、期
 待インフレ率を高くして実質金利を下げることで、個人消費を促す。こ
こまではよいだろう。
  インフレ率が実際に高くなると公的債務が軽減されるので、日本の場合にはさらに見返りがある。
 公的債務がこれだけあってもまだ対処ができているのは驚くべきことだが、いまの日本が抱える借金
 は人類が経験したことのないレベル、というわけでもない。
  非常に巨額であることは間違いないが、歴史を振り返れば、第二次世界大戦後の1946年、イギリス
 の抱えたGDP比238パーセントという段階にまではいたっていない。
  さらに重要なのは純債務額である。それは日本という国家がもつ巨大な負債から、同じく国家がも
 つ資産を差し引いたものだが、その数値は対GDP比の債務残高と比較して、それほど突出したもの
 ではない。
  たとえば日本国債に対して0.5パーセントの金利を払い、デフレ率(マイナスのインフレ率)が1パ
 ーセントであった場合、実質金利は1.5パーセントパーセントになる。ところが日本国債の金利が1.5
  パーセントでも、インフレ率が2パーセントになれば、実質金利はマイナス0.5パーセント。借金の規
  模を考えても、実質金利の低下は日本の財政上の見通しをぐっと改善させるのだ。
                     

   デフレ経済は円高を招くことで輸出型企業が困る一方、内需型企業は原材料を海外から安く輸入でき
 るようになる。
  家計は国内製品の価格低下による実質所得の上昇で、結果として消費を増やす。つまりデフレは輸出
 型企業から家計への実質的な所得移転をもたらす、というデフレ擁護論もあるようだ。
  これをピグー効果(物価が下落すると、消費者が保有する貨幣の実質的価値が高まり、消費が促され
 るという効果)という人もいるが、ピグー効果はある経済条件によって相殺される、という点を見落と
 している。
   その経済条件とは、物価の下落が実質的な借金を増やすという事実である。アーヴィング・フィッシ
 ヤーによれば、実質利子率と期待インフレ率の和が名目利子率になる(フィッシャー方程式)。
  期待インフレ率が1パーセント低価したときのあいだの一対一対応の関係(フィッシャー効果)が
 成り立つとき、デフレが進行すれば、実質利子率は名目利子率に比して高まることになる。したがっ
 て、デフレが実質的負債の増加を招き、名目的な経済規模は縮小する。

  また、インフレになると賃金も上がり、同時に物価も上昇する。だから賃金の上昇分はインフレに
 よって失われると考える人もいるが、完全に誤った考え方だ。デフレを好む人は、もし物価が上がり、
 賃金が据え置きになれば状況は悪くなる、というが、インフレ率が上がれば、賃金も上昇すると考え
 るのが現実的だ。
  逆にいえば、自分の給料が年率2パーセント上昇したとき、物価が下落していれば生活水準は上が
 る。しかし実際には、人びとの給料はニパーセントも上昇しない。賃金も同時に下落しはじめるから
 である。

                                                                                     第2章 「デフレ期待をただちに払拭せよ」


 以上、現在の各国、各地で起きているデフレーションに対する、とりわけ日本に対する見識の一部を引
してきたわけだが、経済現象学として縷々述べられているものの、それが政治、経済、社会の構造と
して語
られることがないゆえのもどかしさが残ってしまうが、それもリアルゆえんなのだと自分に言い
聞かせ、次
にアベノミクスに対するクルーグマンの見識を敲いてみよう。
 

                                           政府は「勝ち組」を決めてはいけない

 「第三の矢」といわれる「民間投資を喚起する成長戦略」にも触れておこう。
 2013年6月に日本経済再生本部が産業競争力会議と連携してとりまとめた「日本再興戦略JAPAN is
 BACK
は、6月14日の閣議決定を経て、「骨太の方針(経済財政諮問会議)」や「規制改革実施計画
 (規制改革会議)」と合わせ、安倍内閣の公式方針となった。閣議決定されたこの三つが、目下の成
 戦略におけるおおよその全体像といわれている。

  しかし、市場はこの政策内容に失望したようだ。そうした反応を受けてのことか、安倍政権はすで
 法人税などの大胆な引き下げに言及している。

  そもそもまず、アメリカをはじめとする先進国の例をみると、法人税率の引き下げとGDP成長率の
 あい
だには、それほど関係があるわけではない。もし関係があったとしても、その相関を調べるにはデ
 ータが複
雑すぎる。たしかに理論上は考えられなくもないが、実際にそれを証明できるかどうかはわから
 ない。
  投資減税や法人税減税について、安倍政権は「民間の活力を引き出すための重要な施策」と位置づけ
 ているが、コロンビア大学のジェフリー・サックスなどはそうした施策に反対している。アメリカの法
 人税減税については私も反対だ。それが特定の利益団体を優遇することになるからである
  そもそも、国家が成長戦略を定めるというターゲティングポリシーは今日、どこまで有効だろうか。
 少なくとも明らかになっているのは、政府が「どの産業が将来、勝ち組になるのか」ということを決め
 ようとすべきではない、ということだ。
  たしかに国家は将来、達成したい経済目標を定め、それに基づいて現在の経済政策を策定する。そこ
 でヴィジョンをもつこと自体に反対だ、といっているわけではない。しかしだからといって、政府が民
 間に対して高圧的になってよいかといえば、そうではないだろう。
  1950年代の日本では、通商産業省(現経済産業省)が、そうしたヴィジョンに基づいて、どのような
 産業に投資するかを決めていた。海外からの技術ライセンスの規制、生産調整、非効率的な生産設備の
 再編についてのカルテル認可、投資のための税制策定などが、その一部といわれている。



                            国益ではなく産業益を代表するTPP

  2013年7月25日、日本政府が交渉参加を決めたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)は、日本経済
 の成長
に貢献するだろうか。アメリカは貿易政策について過去六十年間、国内市場で競合する輸入商品
 の国と戦うため、
国内の輸出企業の利権を利用してきた面がある。いまでは以前よりもオープンでグロ
 ーバルなシステムが構築されて
いるが、それでもまだ問題は残っている。
  たとえば私は最近、アメリカ、グアテマラ、エルサルバドル、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラ
 スの中米五カ国、およ
びカリブ海のドミニカ共和国が2004年に調停したCAFTA(中央アメリカ自由
 貿易協定)という貿易協定について調べたが、TPPと同じようにアメリカ国民の利益を目的にしてい
 るというより、薬会社の利権を反映しているのではないか、という部分が少なくなかった。
  ステイグリッツは「TPPとは管理貿易であり、自由貿易ではない。国の利益ではなく、産業の利権
 を代表するものである」と述べているが、彼の指摘は的を射ている
  貿易に対する各国の障壁は表向き、低くなっているように感じるが、依然として知的財産協定のよう
 な制度と、現実に起きていることの違いを知るのは難しい。この世界が完全に自由貿易の世界へと向か
 っているのかどうかは、はなはだ不透明だ
  もちろん日本の消費者からすれば、TPPに参加すればモノの価格が安くなる。そうした意味で私自
 身、TPPに対して頑強に反対する立場ではないことは述べておきたい。


                                女性の才能をもっと活用しよう

  成長戦略という面では、輸出振興だけではなく、GDPの約85パーセントを占める内需経済の活性化
 も、安倍政権のミッションになっているようだ。6月14日の閣議決定に先立って4月19日に発表された
 成長戦略の第一弾でも、安倍首相は「女性の活躍」をあげ、「成長戦略の中核をなす」という見方を表
 明している。
  あくまでアウトサイダーとしての立場からいわせてもらえば、女性の才能を活用しないのは、非常に
 もったいないことだ。日本の労働市場は他の先進国と比べて、男女の平等が達成されていない。
 アメリカではいまや、人種や性別に基づく差別はかなり減少した。言い換えるなら、人間の可能性をよ
 り効率的に活かしている、ということである。
  才能があるのに、女性というだけで重要な仕事が任されないのは資源の浪費だ。女性たちに存分に働
 いてもらうこと自体に、大きなメリットが存在しているのである。
  女性活用のほかにも、たとえば土地利用や小売業の規制を緩和すれば、さらに大きな投資が生まれ、
 内需を大きく成長させられるだろう。労働力人口が縮小している日本では、定年制度のないアメリカの
 ように、働ける能力があるうちは働ける社会にするのも有効だ。そうした政策をぜひ、安倍政権には実
 行してもらいたい。


                             成功した規制緩和、失敗した規制緩和

  もちろん規制緩和には負の側面もある。とくに金融業界における規制緩和について、スティグリッツ
 たちは「レントシーキング(金融機関などの民間企業が政府と結びつき、自らに有利になるようにルー
 ル自体を変えてしまうこと)を引き起こす可能性がある」と指摘している。
  規制緩和を行なって成功した分野もあれば、失敗した分野もあることをまずは知るべきだろう。アメ
 リカにおいて、トラック業界と航空業界の規制緩和はかなりうまくいった。1980年に自動車運送事業者
 法によって、トラック輸送産業に対する規制緩和が実施された。そこからアメリカのトラック輸送産業
 には新規参入者が継続的に増加し、事業者のあいだで激しい競争が繰り広げられ、産業それ自体が大き
 な構造的変化を遂げたのだ。
  航空業界も1978年の航空規制緩和によって路線参入の自由化が促され、新規参入を認めて価格競争を
 行なった結果、運賃は下がり、便数は増え、路線網が拡大して旅客数も増加した。懸念された事故や死
 者数についても、大きな変化は起こらなかった。土地利用や小売業についても規制緩和の結果、かなり
 効率が上がった。こうした部分に日本が学べるところは多いだろう。
  逆に規制緩和を行なって大失敗した例は、まさにスティグリッツのいう金融業界だ。1933年に成立し
 たグラス・スティーガル法は銀行の証券引受業務と株式の売買を禁止し、銀行の事業会社株式の保有も
 禁止していた。
  しかし、1970年代から規制緩和が進み、90年代後半のチェース・マンハッタンによるJPモルガン吸
 収を契機にして、投資銀行と商業銀行の相互参入禁止は死文化した。1999年に制定されたグラム・リー
 チ・ブライリー法によって、グラス・スティーガル法の一部は完全に無効化された。
  さらに規制緩和と同じくらい重要な結果をもたらしたものとして、金融システムの変化に対応する新
 しい規制も実行されなかった。規制緩和と規制更新の失敗の組み合わせが負債の急増を招き、リーマン・
 ショックに連なる金融危機の要因となったのだ。
  規制緩和の成功と失敗の境目を見定めるには、実際にそれを行なった他国の例を観察すればよい。ア
 メリカ、そしてヨーロッパにおける銀行業界での規制緩和によって何かもたらされたのかを知れば、そ
 れが日本が真似るべきものでないことは明らかだ
  幸いなことに、日本にはフォロワー(追従者)としてのアドバンテージがある。あらゆることを一か
 ら実験する必要はないという恵まれた立場にあるのだ。
 

                        「第4章 インフレ率2パーセント達成後の日本」



以上の言説は読めば理解できることであり、現実に、米国は、自国の自動車関税を20年間維持を申し入れ
てきているし、ペースメーカの日本市場参入、半導体製造などの自国特定産業の保護政策の契約受け入れな
ど、常にプラグマチックに自由主義貿易の原則を糸も簡単に変えてきた経緯から分かるが、そのことを踏ま
えても、日本では金科条のごとく流布させる、法人税の切り下げ政策に、クルーグマンの見識-アメリカを
はじめとする先進国の例をみると、法人税率の引き下げとGDP成長率のあいだには、それほど関係がある
わけではない
。もし関係があったとしても、その相関を調べるにはデータが複
雑すぎる。たしかに理論上
考えられなくもないが、実際にそれを証明できるかどうかはわからない-という箇所は興味を惹く。つまり
国際比較データで競争力強化の阻害要因として語られてきた政策項目だが、米国サイドが過去に強く意識し
てこなかったのか手元にデータがないので分からぬが、これはこれとして一顧だに値するから、明日以降に
取り上げるつもりの「ビック・データが激変させる世界経済」との関連もあり試算評価しておく必要がある
と考える。
 

リーマンショックからの立ち直りもあり。東京やロスアンゼルスのモーターカー会場は明るさと豪華さを取
り戻したとのことだ。ロスアンデルス会場は、バブル当時の華やかさだ。環境リスク時代なのに大丈夫?と
揶揄されそうだが、そんことはどこ吹く風だ。東京会場は、安全と電気と燃料電池がコアのなかトヨタは走
る楽しさと脱コモディティをコンセプトを押し出している。

 



      ケイタイばっかイジってないでちょっとこの曲を聞いてごらんよ
      カーラブすがら「 gotta!  gotta!  gotta!  gotta!」  あの人が叫んでる
      誰かのナイスリクエスト!DJグッドセレクト!
      どうして今でもこんな風に胸にズレズレ<るんだろう
      なぁ才マエはとう思うなぁ才マエはとう思う
      「あぁ、そうだな世界中ロックンロールが足リないのかな?」
 
       
Oh Yeah! Oh Yeah! そのとありそれでいい
      真っ暗な森で転んでも明日の鍵をなくしても
      そのまままっすぐ行巾ゴいい才マエならわかってるだろ


                                                               作詞/作曲 斉藤和義

 

 
昨日、本屋に立ち寄ったついでに、矢沢永吉の『ALL TIME BEST ALBUM』と斉藤和義の『Kazuyoshi』の
CDを賃借し、カーステに録音再生し、その中で気に入った”カーラジオ””Always”"背中ごしのI Love
You
"の三曲を掲載してみた。斉藤和義のパンキーなロックと歌詞、矢沢風のロック・バラードと歌詞に忙し
くささくれている気分が、しばし和む。それにしても歌の力っ~て不思議だね。^^;

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目にみえない脅威

2013年11月20日 | 時事書評

 

 

【そして日本経済が世界の希望になる】

白髪を恐れるのは、実質年齢を意識するからだ。恐れるより慣れろ!、としても染めている地毛と白
髪の地毛に完全に置き換わるまでのその”実体験時間帯”の自分が不安なのだ!?彼女は毛染め料を
コストレスを理由に簡単に、もう染めるのを止めにしては!?というが、その彼女自身も毎度毎度自
分で染めている。そんなことを考えながら、理髪店に足を運びマスターにその話をすると、案の定、
その落差は大きいよと話す。だから、染めてもらった。料金だけが問題なら家で染めても良いのだと
腹を決める。その話は横に置いて、ポール・クル−グマン著の『そして日本経済が世界の希望になる』
を買って帰り、早速、速読した感想を書こうと思う。ここで、”インフレーターゲット”
は元々、高
いインフレ率に苦しむ国で採用され、インフレ率が低い時は、通貨量を意図的に増加させて(公開市
場操作)緩やかなインフレーションを起こして、経済の安定的成長を図る政策(リフレーション、通
貨再膨脹)となるもので、マネーサプライと物価との関係が不安定となったことが導入の背景にあり、
1930年代のスウェーデンで物価水準目標(price-level target)が数年間実施された後は、1990年に
ニュージーランドが採用するまでインフレターゲットを採用する中央銀行は存在しなかった。

ところが、1990年のニュージーランドで導入されたのを皮切りに、1990年代イギリス・スウェーデン・
カナダ・オーストラリア、ブラジル・チリ・イスラエル・韓国・メキシコ・南アフリカ・フィリピン・
タイ・チェコ・ハンガリー・ポーランドなど、2012年現在は20カ国以上で導入。米国の中央銀行にあ
たるFRB(連邦準備制度理事会)はインフレ率以外にも雇用(Employment Act of 1946)に責任を負
っており、インフレターゲットを見送るが、2012年1月25日に長期インフレ目標値を公表する方針を
示し、インフレターゲット導入に転じ、2012年時点で先進国においてインフレターゲットが採用され
ていないのは日本のみであったが、2013年1月22日に日本銀行は「中長期的な物価安定の目途」を
「物価安定の目標(Price Stability Target)」に変更し、物価上昇率を1%から2
%に引き上げてい
る。

バブル崩壊以降、なすすべなく「失われた20年('ロスト・スコア')」をすごしてきた日本。1998年に
論文「It's Baaack!」で無為無策を痛烈に批判したクルーグマンが、「異次元の金融緩和」で劇的に
変化しはじめた日本経済にいま、熱い「期待」を寄せている。
なぜ長きにわたってわが国はデフレか
ら脱却できなかったのか。
どうして人びとはインフレを過剰に恐れるのか。かつてと様変わりした中
央銀行の役割とは。
そして日本・世界経済はこの先、いったいどのような未来を描くのか。アベノミ
クスの理論的支柱であるノーベル賞経済学者が「ロールモデルとしての日本」の可能性を語り尽くす。
アべノミクスは完全に正しい! 世界で最も著名な経済学者が金融緩和の力、日銀の使命、日本経済
の未来を解析。

※クルーグマン,ポール

1953年ニューヨーク州生まれ。74年イェール大学卒業。77年マサチューセッツ工科大学で博士号を取
得。プリンストン大学教授。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授も兼任。大統領経済諮問
委員会の上級エコノミスト、世界銀行、EC委員会の経済コンサルタントを歴任。1991年にジョン・
ベイツ・クラーク賞、2008年にノーベル経済学賞を受賞。『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムは
マーケットを動かすほどの影響力をもつといわれる。非常に簡単な仮定(仮定)の上に、シンプルな
モデルを作くり説明する手法が特徴。例えば、国際貿易理論に規模による収穫逓増を持ち込み、産業
発生の初期条件に差がない国同士で比較優位が生じて、貿易が起きることを上手くモデル化すること
に成功した。これは、自動車産業など同種の製品を作る産業が、米国や欧州、日本にそれぞれ存在し
て、互いに輸出しあっている現実を、上手く説明。また、国際貿易理論を国内の産業の分布に当ては
め、地域間の貿易をモデル化し、ハリウッドやデトロイトなど特定の産業が集約した都市が、初期の
小さな揺らぎから、都市として成長して自己組織化する、都市成長のモデルも作り上げたり、変動為
替相場では、投機家の思惑が自己成就的な相場の変動を作り出し、変動為替相場が本質的に不安定で
あることを説明している。

国際経済学という顔をもつクルーグマンだが、まとまったものを読んだのは。『クルーグマン教授の
経済入門』 山形浩生訳、メディアワークス、 1998年(原題“The age of diminished expectations ”)
が初めてだと記憶しているが(それより以前は、エコノミストの雑誌のコメント、時事評論が最初)、
ケインズ主義から転向した新自由主義経済学者程度にしか見ていなかったが、その時評論点に注目し
てきた。といっても、この著書もそうなのだが、経済現象学としての価値を認めるものの、構造的考
察への軽さが残ってきた。

早速、めぼしいと思われるところからその論調を覗うことにしよう。彼はまず、その経済条件とは、
物価の下落が実質的な借金を増やすという事実である)アーヴィング・フィッシヤーによれば、実質
利子率と期待インフレ率の和が名目利子率になる(フィッシャー方程式)。期待インフレ率が1パー
セント低下したとき名目利子率も1パーセント低下するという、インフレ率と名目利子率とのあいだ
の一対一対応の関係(フィッシャー効果)が成り立つとき、 デフレが進行すれば、実質利子率は名
目利子率に比して高まることになる。したがって、デフレが実質的負債の増加を招き、名目的な経済
規模は縮小する。また、インフレになると賃金も上がり、同時に物価も上昇する。だから賃金の上昇
分はインフレによって失われると考える人もいるが、完全に誤った考え方だ。デフレを好む人は、も
し物価が上がり、賃金が据え置きになれば状況は悪くなる、というが、インフレ率が上がれば、賃金
も上昇すると考えるのが現実的だ。逆にいえば、自分の給料が年率2パーセント上昇したとき、物価
が下落していれば生活水準は上がる。しかし実際には、人びとの給料は2パーセントも上昇しない。
賃金も同時に下落しはじめるからであると説明した上で次のように述べる。


 それでも人びとはインフレを恐れているようだ。そうした根拠のない恐怖を私は「ファントム・
 メナス」(目にみえない脅威)と呼ぶ。ご存じのとおり「ファントム・メナス」とは、もともと
 映画『スターウォーズエピソードー』のタイトルである。経済理論やそれに関連した歴史につい
 てまったく知識がなければ、ハイパーインフレが来る~!という言葉に簡単に馴されてしまう。
 しかし現実には、そうした事態は起こらないだろう。FRBがインフレ指標として注視する米P
 CEコアデフレータが五十年ぶりに過去最低に迫ったことは、第1章で述べたとおりだ。
   OECDや国際決済銀行では有力なエコノミストたちが何人も、毎年のようにインフレヘの警
  告を繰り返してきた。2010年、OECDがFRBに対して短期金利を0.35パーセント引き上げる
 ようアドバイスしたことを、けっして忘れてはならない。彼らのいう「インフレがやってくる!

 という議論こそ、私にいわせれば「ファントム・メナス」である。危険はすぐ目の前にある、と
 いう考えは、現実をみていない勘違いだ。そうした「ファントム・メナス」はいくらでもみつか
 る。まず、金融緩和が「財政ファイナンス」につながる、という懸念を示す人たちがいる。日本
 のように巨額の財政赤字を抱える国が紙幣を印刷することでしか資金を得られなくなったとき、
 ハイパーインフレという話は当然出るだろう。もちろん実際にそうした事態が引き起こされ、現
 代のジンバブエや1920年代のワイ了-ルドイツのようになるなら、大いに危惧すべきだ。
   しかし現実には、いまの日本に差し迫った問題は存在しない。過去に中央銀行がハイパーイン
 フレを許したのだから、今後も同じことが起きるだろう、といいたい人もいるようだが、極端で
 少し意地の悪い言い方をすれば、日本が再び中国を侵略することがこれから起こるだろうか。
  日本は過去にハイパーインフレを経験したが、それは破滅的な戦争が起こったからだ。金融緩
 和だけでハイパーインフレが起こる、というのは完全な間違いである。金融緩和は日本政府が税
 金を徴収する能力を取り除かない。あるいは日本の金融証券市場へのアクセスを阻害するもので
 もない。

                        「第2章 デフレ期待をただちに払拭せよ」


その上で、いうまでもないが、2パーセントのインフレ目標を達成し、そこで財政赤字がかなり減少
するならば、たとえ借金が完済されることはなくとも、一定の割合で減っていくのは間違いない。名
目金利が物価上昇率を下回る実質マイナス金利の状態になれば、さまざまな政策を打ち出せる可能性
が生じてくる。最近ではそうした状態に対し、公的債務負担を圧縮して、人為的に金利を低く抑え込
む「金融抑圧政策」だと呼ぶ人もいるが、もしそう呼びたければ呼べばよいだろう。中央銀行のバラ
ンスシートうんぬん、という議論が的外れであることは、ここまでの議論で検証したとおりだ。そう
した「金融抑圧」状態が、経済的に悲惨な状況をもたらす、というわけではないからであるとして、
次のように軽妙に述べる。


 そう考えれば、消費増税についてどのような考え方が適正か、ということも、おのずと明らかに
 なるだろう。日本に対してIMFやOECDはしきりに消費増税の実施を要求しているが、いっ
 たい何を考えているのか、私には理解できない。
  日本人ならみな知っているように、日本は消費増税にトライし、失敗している。かつて"1997"
  という映画があったではないか。私の記憶が間違っていなければ、そのストーリーは、消費税を
 3パーセントから5パーセントに引き上げたら、それが「1998年リセッション」の引き金になっ
  た、というものだったはずだ。
  責任ある財政を求める時期尚早の努力は、回復をかえって遅らせ、経済を弱らせる結果を招い
 てしまう。2002年4月にS&P(スタンダード&プアーズ)は日本国債をダブルAからダブルA
 マイナスヘと格下げしたが、人びとが心配していたような事態は起きなかった。
  IMFが過ちを認めたことは先に述べたとおりだが、OECDが最近取り組んだこともほとん
 どが間違いだ。2010年OECDの勧告にしたがって、FRBが短期金利を0.35パーセント引き上
 げていたら、いまごろアメリカ経済はひどい有り様になっていただろう。同じくイギリスにもO
 ECDは緊縮政策を勧めたが、奏功したとはいいがたい。「OECDのアドバイスは無視すべき
 」。これが、日本に対する私のアドバイスだ。

                     「第4章 インフレ率2パーセント達成後の日本」


この様に論考解説した上で、財政と増税に関する日本国民の関心は、これから先の社会保障制度をど
のように構築するのかとつなぎ、そこで重要になるのは、社会保障制度の恩恵に対し、いかに財源を
確保するか、ということで、そのためにはさらなる歳入増が必要となる。デフレから脱却し、安定し
たインフレ率がしばらく続いた暁には、増税を行なって歳入を上げるべき、と主張する人もいるが、
いまはまさにデフレからの脱却を試みているときであり、増税を実行するタイミングではない。むし
ろフランスやスウェーデンのような国家で採用されている出産奨励政策などから、日本は社会保障の
ヒントを得るべきではないか。子どものいる女性に多くの補助を与えることで、フランスはいまや、
ヨーロッパで出生率がもっとも高い国の一つになっていとるとか、スウェーデンでの個人口座システ
ムという制度で積み立てた年金の一部について、個人が運用する機関を選べるようにした上で、実際
には多くの国民が、安全性を重視する政府運用のファンドに投資を行なっていることなど各国の政策
比較
例示した上で、次のように日本の国民皆保険制度の良さを持ち上げる。


 
 アメリカの制度がもっとも異なっていたところは、中間層に対するケアである。アメリカでは高
 齢者と低所得者層には公的保険制度があるが、残りの中間層については市場原理に任せてきた。
 だからこそ、保険料が高すぎて払えない無保険者が人口の16.3%パーセントに当たる4,990万人
 も存在したのだ。これにメスを入れたのがオバマケアである。
  日本の場合、生活保護を受けている人以外は全員保険に入ることを義務づける制度をとってい
 るが、私にはそれがうらやましい。アメリカでも最終的には全州でそうすべきだが、民間の保険
 会社の力が強く、なかなか前に進まない。日本の保険制度は複数あるが、医療機関での自己負担
 が10~30パーセントで済むことは、イギリスよりもコストを低く抑えている点で称賛すべきだ。
  アメリカでは保険を義務づけることに対し、国民の反対が強い。自らの健康は自己責任だ、と
 いう個人主義が強いからである。アメリカで問題になったのは the indidual mandate(個人に医療
 保険加入を義務づけ、違反すればペナルティを科す条項)だが、これが連邦最高裁で支持された
 のは望ましいことだった。
  国民の健康は経済の発達に欠かせないもっとも基本的な要素である。それを自己責任と称し、
 中間層に無保険者が多いことを放置するのは国家の発展を妨げる。日本の国民情保険制度はコス
 ト面や国民の満足度からみても理想的だ。オバマケアによって、アメリカは日本の制度に一歩、
 近づいたのではないか。

                     「第4章 インフレ率2パーセント達成後の日本」


このようにクルーグマンは具体的な国際比較や歴史的考察を加えることで、アベノミクスの成果の未
来像を描いていくが(他の政策については残件扱いとして掲載する)、少し、時間の余裕をもった
均的な教養や知力をもつ勤労日本人ならこの程度のことは、無意識であっても理解できていると、

たしの少ない経験からそう言える。逆に言えば、そのことこそ、日本の潜在力の凄さであり
"日本力"
だと思えるのだが如何に。

 

 【原発事故汚染の可視化】



滋賀県は、福井県で原発事故が起きた際の琵琶湖への放射性物質の影響を初めて詳細に予測し、18日
発表。気象条件が最悪の場合、湖面の2割が飲料水基準を超える濃度で約10
日間汚染されることが分
かった。水道原水の基準はないが、琵琶湖は滋賀、京都、大阪、兵庫の4府県約1,450万人の水源で、
水道水に影響を与える恐れがある。放射性物質は浄水場で一定除去できるが、県は今後、実際の除去
率の調査や対策を検討していくとのこと。
県地域防災計画の見直しで県琵琶湖環境科学研究センタが
予測した。大飯原発か美浜原発で福島第1原発と同規模の事故が起きたと想定。2010~12年度の風向
きと雨で四季ごとに琵琶湖に最も影響が大きい日を選び、放射性物質のセシウム137とヨウ素131が、そ
のまま落ちたり、雨などと降下する量(沈着量)を計算。

最悪のケースは北西の風で雨が降った12年12月10日の気象条件で大飯原発が事故を起こした場合。高
島市南部や琵琶湖の一部などで事故1日後のセシウム累積沈着量は1平方メートル当たり3千~5千
キロベクレルと推定。湖岸の各浄水場の取水口が多い表層(水深0~5メートル)で最も濃度が高く
なるのは
事故6時間後。セシウム濃度が国の緊急時の飲料水摂取制限基準(1リットル当たり200ベ
クレル)を
超える面積が湖面の18%に達する。ヨウ素も同基準(1リットル当たり300ベクレル、乳
児100ベクレル)を超える面積が20%になった。セシウムは10日後、ヨウ素は8日後に多くが沈み、
面積は1%以下になる。飲料水基準は水道原水ではなく、浄水後の数値となっている。セシウムやヨ
ウ素は浄水場で一定除去できるが
、福島第1原発事故では、国が全国の水道事業者に降雨後の取水を一
時停止したり抑制するよう通知。福島県や東京都で基準を超えるヨウ素が検出され、乳児の摂取制限が
一時行われた。県内には琵琶湖を水源とする浄水場21カ所と琵琶湖疏水があり、県内14市町計約
百万人と京都市145万人に水道水を供給している。

 

これを受け、嘉田由紀子知事は報告を受けて、「飲料水基準を超える面積が二割を超える結果を重く
受け止
めている。県として水道水の浄化がどこまで技術的にできるか、市町への防災・水道・避難体
制などの対応の
指示、琵琶湖の水を飲料水として使う下流府県との情報共有化の三点を考えないとい
けない」と語った。このような被害予測を可視化しておくことは、パニック防止ひいては、防災・減
災へ繋がる、あるいは、人命は地球より重しへの再認識・喚起に繋がる意義は大きいと考えるが、如
何に。

 

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ゲルマニウム/シリコン量子ドット太陽電池

2013年11月19日 | デジタル革命渦論

 


 

これは新聞あるいは新目耳というには古い旧聞あるいは旧目耳の類だろうが、 今年9月
に、京都大学 化学研究所の太野垣 健准教授らは、微細な半導体の結晶である半導体量子
ドットを用いた太陽電池で課題であった、電圧が低下する原因を突き止め、現在、広く実
用化されている結晶シリコン太陽電池(エネルギー変換効率20%程度)は、変換効率が理
論的な限界に近づき、次の新しい高効率化技術が求められている。その1つとして、量子
ドット太陽電池が理論的には40%以上という高い変換効率が期待されるため注目されてい
る。例えば、結晶シリコン太陽電池に、より低いバンドギャップエネルギーを持つ量子ド
ットを組み入れることで、低エネルギー光を吸収し電気エネルギーとしての利用が可能と
なる。このような新しい光吸収帯を用いた量子ドット太陽電池は中間バンド型と呼ばれ電
流は増加するが、逆に電圧の大幅な低下が問題で、高効率化の妨げとなっていた。

  

そこで、量子ドットを用いた高効率化技術の妨げであった電圧低下を引き起こす大きな電
荷損失を伴わずに量子ドットを導入する手法を見いだし、さらに、その手法によって中間
バンドを構成する量子ドットから電荷が光励起される以前に取り出されることが、原因で
あることも明らかになった。この発見により、今後、この電圧低下を抑制する指針を立て
ることが可能となる。これを具体的に抑制するためには、中間バンドから価電子帯や伝導
帯への光励起を増大させるアプローチ
などが考えられ、そのような実証研究を進めること
で、量子ドットを用いた結晶シリコン太陽電池の高効率化応用の早期実現が期待される。
またここでは、結晶シリコン太陽電池に量子ドットの特性を付加には、シリコン/ゲルマ
ニウム量子
ドットのナノ構造体を用いれば、大きな電荷損失を引き起こすことなく導入が
可能であることが分かった
。シリコン/ゲルマニウム量子ドット太陽電池は、中間バンド
型のみならず、多重励起子生成(MEG )型、ホットキャリア型などそのほかの新原理に基
づいた量子ドット結晶シリコン太陽電池への応用も並行して進めることができると目され、
今後、さらに有用な量子ドット太陽電池の開発加速が展望できるもの。




(a) 中間バンドを有する太陽電池のバンド図。EFC、EFV、およびEFIは、それぞれ、擬フェ
  ルミ伝導帯のレベル(CB)、価電子帯(VB)と、中間帯(IB)である。
(b)ゲルマニウム/シリコン太陽電池のエネルギーダイヤグラム
(c)公称2MLの厚みのケルマニウムとゲルマニウム/シリコンの量子井戸で構成した結晶シ
 リコン太
陽電池の透過電子顕微鏡画像
(d)8MLの公称厚みのケルマニウムとゲルマニウム/シリコンの量子井戸で構成した量子ド
 ット太陽
電池の透過電子顕微鏡画像
(e)10Kにおけるゲルマニウム厚さとゲルマニウム/シリコン太陽電池の吸収波長断面図。
 矢印は量子井戸と量子ドットにおける非光子の光学的遷移点である。
(f)公称ゲルマニウム厚みに関する室温、照明下での電流-電圧特性曲線。2MLは破線、8
 MLは実線、16MLは点線、矢印は結晶シリコン太陽電池の開放電圧である。

【事例研究:特開2013-229378

半導体基板1の主面3上に、複数個積み重ねた量子ドット5aと、それを内包しているマトリックス5b
とにより構成し
た量子ドット層5の太陽電池で、量子ドット5aは、球形状であるとともに、直径のばら
つきが10%以内である。
これにより量子ドット層5内で隣接する量子ドット5aで形成した中間バンドBのエネル
ギー準位がほとんど同じになり、量子ドット5a間の波動関数が重なり、量子ドット5aに生成された電子等のキャリ
アが量子ドットの間をトンネルしやすくなり、その結果、キャリアの輸送効率を高めることができ、半導体基板上に
量子ドット太陽電池の光電変換効率を高めることのできる。

 

 

 【符号の説明】

1、7 半導体基板 3 主面 5、105 量子ドット層 5a、105a 量子ドット 5b、105b
マトリックス 5CS 量子ドット複合体 10a n型の半導体 10b p型の半導体 11 トンネル接合部 C コア部
S シェル部 G エネルギー準位の段差

量子ドット型太陽電池の技術で、例えば特許文献1には、シリコン基板の主面上に3次元量子閉じ込め作
用をもつ量子ドットを含み、量子ドット及びそれを含有して囲むバリア層からなる量子ドット層で構成す
る太陽電池が開示されている。図6
は、特許文献1に開示された太陽電池に代表される従来の量子ドット
型太陽電池を示す断面模式図。この図では量子ドット層105の層数を単純化し2層しか示していないが
、量子ドット層105は少なくとも数十層積層された構造となっている。ここで、量子ドット層105は
量子ドット105aである半導体粒子とその周囲に形成された高抵抗層であるマトリクス105bとから
構成されている。
ここで、量子ドット型太陽電池に形成される量子ドット105aは、サイズが約10nm
程度の半導体ナノ結晶である。量子ドット105aに光が照射されると、量子ドット105a内における
電子は、量子ドット105aの閉じ込め効果により半導体が本来持つバンドギャップより高いエネルギー
ギャップの量子準位にまで励起される。その結果、従来の太陽電池では吸収することのできなかった短い
波長領域の太陽光スペクトルを、p型の半導体とn型の半導体との境界に形成された量子ドット層105
内で効率よく吸収させることが可能となり、これにより光電変換効率を高めることができるとされている。
ところが、実際には、シリコン基板上に、量子ドット105aを2次元的あるいは3次元的に配置させて

量子ドット層105を形成しても、光電変換効率が向上し難いという問題があった。

【特許文献1】特開2006-114815号公報

実施形態の太陽電池を製造する方法

量子ドット層5を有する太陽電池は、通常、電気的に変換されない特定波長帯の入射太陽光を吸収すると
ともに、その吸収した特定レベルのエネルギーを有する光、例えば、1200~1700nmの波長を持
つ光を、例えば、400~800nmの波長である可視光などに変換できる機能を有している。このよう
な量子ドット層5を構成する量子ドット5aとしては、半導体粒子を主体とするものからなり、エネルギ
ーギャップ(Eg)が0.15~1.20evを有するものが好適である。具体的な量子ドット5aの材
料としては、ゲルマニウム(Ge)、シリコン(Si)、ガリウム(Ga)、インジウム(In)、ヒ素
(As)、アンチモン(Sb)、銅(Cu)、鉄(Fe)、硫黄(S)、鉛(Pb)、テルル(Te)お
よびセレン(Se)から選ばれるいずれか1種またはこれらの化合物半導体を用いることが望ましい。量
子ドット5aは、上述した半導体材料を含む金属化合物の溶液からバイオミネラリ
ゼーションにより金属
成分を析出させる。まず、上述した半導体粒子を主成分とする金属化合物と溶媒と
フェリチンとを準備し
加熱しながら混合して半導体粒子を合成する。


金属化合物としては、Siを含む化合物として、例えば、SiOまたはSiClを用いる。一方、溶
媒としては、フッ化水素(HF)、硝酸(HNO)、高純度水、水酸化カリウム(KOH)、メチル水
酸化アンモニウム(THAM)、エチレンジアミンピロカテコール(EDP)、硫酸ヒドラジン、水和ヒ
ドラジン(N・HO)、ジメチルホルムアミド(DMF)、N-メチルホルムアミド、N-メチ
ル-2-ピロリドン、ケイ酸ナトリウム、フルオロケイ酸およびSiFから選ばれるいずれか1種が好
ましい。
また、SiClとMgSiとを反応させた後、得られたSi化合物をアルキル化剤(RMgX;R:アルキル、X:ハ
ロゲン)と反応させる方法を用いることができる。

次に、Siと上記の溶媒とを溶解させた溶液中にフェリチンを分散させておいて、フェリチンの内壁にSi
を金属として付着させる。フェリチンはタンパク質であることからバイオ的なサイズの制御が可能となり、
より球形状に近い粒子の合成が可能であり、また、粒径のばらつきも小さいものを得ることができる。

に、合成した半導体粒子を大気等の酸化性雰囲気中にて加熱して、半導体粒子の表面に酸化層を形成する。
以下
この半導体粒子の表面に酸化層が形成された粒子のことを前駆体粒子という。

次に、表面に酸化層が形成された半導体粒子(前駆体粒子)を溶剤中に分散させてスラリーを作製し、こ
のスラリー
を半導体基板1の表面に塗布し、乾燥させる。この場合、前駆体粒子が半導体基板の表面に整
列して堆積するよ
うに粘度および蒸発性を考慮した溶剤を選択する。具体的には、溶剤としては、フタル
酸エステルやグリセリンなど
が好適である。また、前駆体粒子を半導体基板の表面に堆積させるために、
半導体基板1の表面にスラリーの塗布を複数回繰り返す工法を用いても良い。次に、前駆体粒子を堆積さ
た半導体基板1をアルゴンまたは窒素などの不活性ガス中、又は、水素を含む還元ガス中にて、300~1000
℃の温度に加熱して前駆体粒子を焼結させる。こうして半導体基板1の表面上に量子ドット5aを形成で
きる。得られ
た量子ドット5aは、フェリチンを用いて得られた前駆体粒子を焼結させたものであるため、
半導体粒子の形状が球
形状であり、また、粒径のばらつきが10%以下と小さいものとなっている。

なお、量子ドット層5を、コアシェル型の量子ドット複合体5CSがシェル部Sの輪郭を有するように積
み重ねられた構造にする場合には、加熱する温度をあまり高くしないで量子ドット複合体5CS同士がネ
ック部で結合した程度になるように制御する。次に、量子ドット層5の表面に半導体基板7を形成する。
製法と
しては、CVD法、スパッタ法および蒸着法などから選ばれる1種の物理的な薄膜形成法やスピン
コート法または印
刷法などの化学的方法を採用することができる。以上より得られる太陽電池は、量子ド
ット層5を構成する量子ドット5aが球形状であり、粒径のばらつきが10%以下であるため、量子ドッ
ト層5内において、複数の量子ドット5a間に電子の規則的な長周期構造が形成されやすくなり、これに
より連続したバンド構造を形成することが可能となり、量子ドット5aによる光の吸収量を高めることが
可能になることから、光電変換効率を向上させることができるというが、実施例には比較検証データは掲
載されていない。

 

福島第1原発の事故と同程度の事故が、福井県にある原発で起きた場合の放射性物質の拡散予測を独自に
行っている滋賀県は、18日、事故直後から琵琶湖の面積の最大約20%で、水深5メートルまでの水が国

定めた飲料水摂取基準を超え、しかも放射性セシウムでは最長約15日間続く-との試算結果を公表してい
る。県は「試算は湖水そのものが対象で、飲み水への影響を考える場合、浄水場での処理などを検討する
必要がある」としている。琵琶湖を起点とする淀川から取水している自治体などの水道局は東日本大震災
後、さまざまな対策を打ち出しており、セシウムやヨウ素は一定程度軽減が可能だが、最悪の場合、取水
を停止する事態になるという。県琵琶湖環境科学研究センターが、同県に近い大飯(おおい)原発(福井
県おおい町)と美浜原発(同県美浜町)での事故発生を想定。福島第1原発事故後に放射性セシウムなど
が最大量排出された2011年3月15日のデータや滋賀県の気象記録を使うなどして湖水に対する放射性物質
の影響を調べたという。

そうですか!?という他に言葉が見つからないが、欲望の極限肥大リスクは、これ以外にも、異常気象として現れ
ており(小氷河期との情報も飛びかう中)、地球環境レベルでのリスク管理のプライオリティの決定と実行計画(事
業計画)とその工程表の策定が急がれている。危うし、我が祖国、我が惑星。

                                                               

 

 

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水環境の植物と感知機構

2013年11月18日 | 環境工学システム論

 

 

植物は水環境の感知により生命維持を行い、その応答には水不足のシグナル伝達経路と細胞
内外のカリウムなどのイオン
輸送が関わる。そこで、イオン輸送のシグナル伝達による制御
機構について考えてみた(出典:刑部祐里子「植物の水環境の感知メカニズムとカリウムイ
オン輸送」バイオサイエンスとインタストリー Vol.71 No.6,2013
)。干ばつなどの環境悪化
に対し、水資源の効率的な利用と農作物の生産性の向上は大きな課題となっている。移動す
ることができない植物にとって外界環境の感知は生命維持に重要であり、特に水環境は植物
の生存や生産性に大きく影響する。植物には体に含まれる水が90%を超えるものもあり、水
の吸収と不足のバランスが常に守られている。植物は土壌の水を根によって吸収し、維管束
内の導管によって全身に輸送。一方で体内の水は葉の表面から失われ、葉の表面に存在する
気孔の開閉によって調節(蒸散)されている。蒸散はC02  吸収も調節するので、水不足を防ぐ
ために気孔を閉鎖することは光合成を抑制することにもなり、水不足環境において生存のた
めの応答と生産性は、あちらを立てればこちらが立たないというトレードオフの関係にある
とされる。 

 
図1 気孔閉鎖のABAシグナル伝達経路

乾燥ストレスで合成されたABAは輸送体により孔辺細胞内へ
と輸送される。孔辺細胞の膨圧を調節して気孔閉鎖に関わ
るイオン輸送がABAシグナル伝達によって活性化される。

水とともに生命活動にとって必須であるカリウムイオン(K)は、水調節に重要な役割を持
っている,Kは、その細胞内外への輸送により細胞の膨圧を調節して、細胞の水状態を変
化させる。気孔を形成する孔辺細胞の膨圧の調節が気孔の開閉を制御することがわかってお
り、この調節には孔辺細胞内の種々のイオンの輸送の活性化とともに、Kの細胞内外への
輸送が役割を持っている(図1)。気孔閉鎖におけるこれらのイオン輸送は水欠乏時に蓄積さ
れる植物ホルモン、アブシジン酸(ABA)によるシグナル伝達によって制御されている(図1)。
ABAは高等植物に広く存在する植物ホルモンであり、乾燥した種子中や、水が不足してストレ
スを受けた細胞内で生介成経路が活性化され高濃度に蓄積する。ストレスが解除されるとABA
は速やかに分解される。ABAシグナル伝達によって多くのストレス応答に機能する遺伝子群の
転写が活性化することから、水欠乏ストレスのシグナルは、化合物であるABAによって増強さ
れ細胞内に伝達されていることがわかる。 ABAシグナル伝達は、プロテインキナーゼとフォ
スファターゼによるタンパク質リン酸化・脱リン酸化によって担われている,近年、ABA受容
体としてPYR/PYL/RCARタンバク質の役割が解明されている。

----------------------------------------------------------------------------------- 
※刑部祐里子(OSAKABE,Yuriko)⑩理化学研究所環境資源科学研究センター機能開発研究グ
ループ(Gene
Discovery Res. Group,RIKEN Cent. f1)r Sustainable ResourceSci.)研究
員 1992年収京n工大学大学院連合農学研究科博
士課程修了 博士(農学)専門:植物分子
生物学 連絡先:〒305-0074茨城県つくば市高野台3-1-1(勤務先)
----------------------------------------------------------------------------------- 

その経路では、受容体はABAが紹介すると、シグナルを負に制御するプロテインフォスファ
ターゼ2C(PP2C)に相互作用しPP2Cの脱リン酸化活性を抑制することが鍵となっている。PP2Cは、
ストレスのない条件ではABAシグナル伝達を正に制御するプロテインキナーゼSnRK2に結合、こ
のキナーゼの活性を抑制している。ABAの存在によって自由になったSnRK2は、ストレス下で耐
性に関わる様々な囚子をリン酸化することで機能調節し、シグナル伝達のスイッチとして働く、
以上のタンパク質リン酸化 脱リン酸化によって伝搬されるABAシグナル伝達経路のターゲ
ットとして近年明らかになってきている。気孔開閉の調節に関わるイオンとしてKの輸送体
に着目する。

※アブシジン酸(ABA):植物ホルモンは、比較的低濃度で作用する植物生長調節物質であり、
アブシジン酸(ABA)はその1つである。英語名abscisic acid、分子式C15H20O4で表される。
ABAの代表的な生理作用として、気孔の閉鎖、乾燥耐性の獲得、種子成熟・休眠、落葉など器
官脱離の促進などが挙げられる。また、最近では病害抵抗性にかかわっていることが示唆され
ており、ほかの植物ホルモンとの相互作用も盛んに研究されている。

※シグナル伝達経路: 生体内で、ある種のシグナルがほかのシグナルに変換され、連続して
伝わる過程のことを指す。一般的にその担い手はタンパク質であることが多く、シグナル伝達
因子と呼ばれる。シグナル伝達因子の中にはさまざまな種類があるが、タンパク質のリン酸化
にかかわる因子はそのうちの1つである。この場合、シグナルがタンパク質のリン酸基という
形に変換されて伝わることになる。

【水不足の感知とアブシジン酸(ABA)】

植物はその進化の歴史の中で、水中から高等植物へと陸上へ進出しつつ水環境に対する応答反
応を発達さ
せてきた 植物にとって水不足は生死を決める大きな環境変動であるため、水環境
の感知と防御に関わる応
答反応は41:要である。根や大気中の水分が低下しか場合に、植物は
細胞膜上で浸透圧ストレスを受け、細胞
内にその情報を伝達する。細胞膜上の浸透圧センサ
して、酵母の浸透圧センサーと同類のヒスチジンキ
ナーゼが同定されている。シロイヌナズナ
では浸透圧センサーヒスチジンキナーゼ(ATHK1)は1つのみであり、AtHK1遺伝子が欠失する
と、乾燥や高塩スト
レスに弱く生存率が低下するという。一方で、ストレス応答がAtHK17だけ
では調節しきれ
ないことから、ほかにも未同定の浸透圧センサとして機能するタンパク質が存
在すると考えられている。

根での水不足は植物体中にどのように伝わるのであろうか。植物は土壌中の水を根の表皮から
吸収し、根
の木部に存在する導管から地上部に輸送する。導管における水輸送は物理的な圧力
差によって駆動され、根
から地上部の組織に水を引き上げるのに必要な張力は、葉における蒸
散によって決定づけられる。つまり、
根の導管から地上部の葉脈の導管への連続の中で葉肉細
胞へと水が分配され、さらに最終的に気孔の開閉によって制御される蒸散と連動することで、根からの
水輸送の張力が決定されている。土壌中の水量が低下ると、導管の周囲の細胞が浸透圧ストレスの
感受に働くと考えられ、未同定の浸透圧センサはこの維管束の浸透圧ストレスの感受機構に重要な機
能を持つと推定されている。

【シグナル伝達による気孔応答の制御】

孔辺細胞に取り込まれたABAは、シグナル伝達経路により気孔の閉鎖を制御する。近年、細胞内
ABA
受容機構の詳細が明らかとなった(図1)。 ABA受容体タンパク質(PYR/PYL/RCARタンパク質
)、タンパ
ク質脱リン酸化酵素(PP2Cフォスファターゼ)、タンパク質リン酸化酵素(SnRK2キナー
ゼ)の合計3種の
タンパク質が受容体複合体を形成する。SnRK2はリン酸化によってシグナル伝
達の正の制御を行うことが
わかっているっストレスがなくABAが存在しないときには、SnRK2活
性は、結合するPP2Cフォスファ
ターゼによって抑制されている。一方、ストレスによってABAか
細脳内に蓄積すると、ABAが結合したPYR/PYL/RCARはPP2Cに結合して複合体を形成し、フリーに
なったSnRK2が活性化される(図1
,2)。現在、SnRK2によってリン酸化されるターゲットタン
パク質が明らかにされつつある。ABAや浸透圧ストレスによって、桂物のストレス耐性に関わ
る様々な機能性タンパク質の遺伝子発現が誘導されるが、それらの転写を活性化するbZIP型転
写因子はSnRK2のターゲットの1つである(図2)。


図2 ABAシグナル伝達による陰イオンチャネルSLACIとカリウム

イオン輸送体KUP6の細胞内ドメインのリン酸化
SRK2EはSnRK2キナーゼファミリーの1つである。

【カリウムイオン輸送体KUPファミリー】 

ABA受容体複合体のSRK2Eによって直接制御される因子は、その他にROS生産に関わるNAD
PHオ
キシダーゼ(活性化)や、気孔開口に関わるカリウムチャネルKAT1(不活性化バ図1)
があることが明らか
になってきた。どちらもABAによる気孔閉鎖に重要な反応であるが、こ
のようにABAシグナル伝達の様々
なターゲットが明らかになったため、同じく直接制御される未同
定の経路の存在が推察されている。水不足ストレスによって転写が誘導される機能未同定のK+
体に着目した。シロイヌナズナKUP6は大腸菌のK゛輸送体に類似のKUP/KT/HAKファ
ミリーに属する遺伝子であり、植物における機能は未開定で
あった。シロイヌナズナゲノムに
KUP/KT/HAK
ファミリー遺伝子は13個存在し、KUP1はK+ることが報告されていたが、KUP6に近縁
のKUP2は、その優勢変異が植物体の細胞や個体を小さくすることが
示されている。kup2変異体
の表現型
は、KUP2の働きが増強されることにより細胞内からK+がより排出し、細胞膨圧が小
さくなり生じていると推測し、
そこで、KUP6、KUPP2および近縁のKUP8の3つのサブファミリー
遺伝子部をすべて火災した3重変質体を作製し、これらの遺伝子の植物体における収複的な機
能を明らかにすることを試みたその結果、3収変異体は細胞が増大し個体のサイズが大きくな
り、さらに、側根が多く生じることがわかっている。側根の形成は、生長に収変な植物ホルモ
ンオーキシンにより誘導される。ストレスに依存してオーキシンが関わる植物の生長は負に制
御され、また、ABAや浸透圧ストレスは逆に側根形成を抑制することから、このトレードオ
フのド流でKUP6輸送体が働き、根の生長が制御されると予測。実験では、オーキシンとABAや
浸透圧ストレスに対する3重変異体の側根形成の感受性を試験した結果(図3A)、予測通り、
3重変異体はオーキシンが誘導する側根形成に感受性が強く、ABAやストレスの側根成抑制
の感受性は弱まっていることが明らかになった。K+ の細胞内外での輸送が細胞の膨圧を調節
していると考えられている。

 

図3 KUP遺伝子の根の生長と乾燥ストレス応答における機能

A:3重変質体の側根形成に与える影響、KUP6サブファミリー遺伝子が欠失するとオーキシン
を介した側根形成能
が上昇し、一方でABAを介した側根形成抑制の応答性が減少する。kup6/8
は、側根が分裂生長する内鞘細胞で強く発現する KUP6/8が欠失すると内鞘細胞に蓄積するK'
が側根の分裂伸長を誘導したと考えられる。
B:KUP6/8
遺伝子高発現植物の乾燥ストレスドでの水分損失率の変化。
C:KUP6のC末端細胞内ドメインSnRK2リン酸化ターゲット保存配列を用いたin-gel kinaseア
ッセイ 乾燥ストレス
処理をした植物に存在するキナーゼが、KUP6のC末端細胞内ドメインを
ストレス依存的にリン酸化する。(Co(野
生型)乾燥処理O~3時間)またリン酸化のバンドは
snrh2 3重変異体で消失したこと(SrK2deiレーン)から、リン
酸化がSnRK2によって行われた
ことがわかる。


ここまで端折って考察してきたが、ここでまとめてみよう。移動することができない植物は様
々な環境へ
の応答反応を発達させてきた。水不足のストレス応答に関わる植物ホルモンのシグ
ナル伝達に
よって、K+イオン輸送体が直接のターゲットとなり生長と生存のバランス調節が行
われるという。環境
応答のメカニズムの存在が示唆された。 KUP変質体は、マイルドな乾燥
ストレス条件で通常の植物に見られる水利用効率の上昇が生じないことが解明され、水不足に
対応できなくなる様々な水環境下での農業にとって、水利用効率作物の重要な指標となり、
環境条件に応じて植物内のK+の利用を調節することにより、環境耐性作物などの応用研究に結
び付けられ
ることが期待できる。細胞膜は外的因子の感受の場であり、植物には環境認識に役
割を持つと考えられているが、機能未解明のタンパク質がまだ多く存在している。膜タンパク
質の植物ホルモンによる活性化機構の解明は、植物ホルモンのアゴニストを利用した植物育種
や新規の生長調節物質開発などの発展に寄与すると期待されている。このように水辺と植物の
生態科学がまだまだ未解明な場を残しつつも進展してきていることをここで学んだ。
 

 

 

 


福島第一原発4号機の燃料取り出しが始まった。これでもう、"原発隠し"はできなくなる。な
ぜ?ここでの甚大な事故は、世界を一瞬にして恐怖に陥れてしまうからだ。

 

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環境細菌の最新技術

2013年11月17日 | 農工サ融合

 

 

昨日に続いて(『環境微生物の棚卸し』)、環境細菌あるいは環境細胞について考えてみる。
環境細菌のほとんどが運動し、好ましい物質に集積する走化性(そうかせい:chemotaxis)と
いう行動応答をもつ。走化
性を発揮するには50前後もの遺伝子が必要とし、いまだに多くの
環境細菌は走化性を示す。これは
環境中での生存に走化性が大変重要な役割である証である。
その役割
の1つは「餌(増殖基質)の探索で、もう1つの役割は、生物間の相互作用の最初期
過程、つまりは生物相互作用の相手の探索・接近・接触とされている。この生態学的な
生物
相互作用の中には、病原菌の植物感染、根粒菌の根粒形成、植物成長促進細菌の根圏定
着な
どの現象する。なので、これらの分子機構の解明は、重要な環境細菌の感染・共生・寄
生の
挙動制御には欠かせない。細菌は複数の走化性センサと1セットのシグナルの伝達系をもち、
生物相互作用の走化性の役割を解明には、それぞれの走化性センサが何を感知するかを明らかに
する必要がある。



重要環境細菌の走化性センサの特性化が、近年になりようやく動き出した。例えば、植物成
長促進細菌 Pseudomons fluorescens  が植物根圏
に効果的に定着するためにアミノ酸に対する
走化性が寄
与することを明らかにされている※。走化性センサの特性化は、このセンサ遺
子の破壊株を作成したり、異種菌株で発現させ、走化性応答の測定で、比較的に簡単にできるが、
環境中のどのような物質を感知し、走化性を起こすかを知るには、環境中での走化性センサ
の発現
パターンを明らかにする必要があるといわれる。といっても、この点については、世
界的に見てもまだ
まだ手付かずの状況。裏返せば、これから競争が激しくなる領域といえる。
環境細菌は多数の走化性
センサを持つ傾向がある。中には60以上の走化性センサを持つ細菌
もいるが、なぜそんなに多
数の走化性センサを保持するのか?これに対し、複数の走化性セ
ンサを用いることで個々の走化性物質の感知ではなく、複数の走化性物質の濃度パターンを
認識しているという考え方がある。これまで強い走化性物質として特定されているのはアミ
ノ酸有機酸、リン酸など「ありふれた物質だが、例えば宿主生物種を特異的に走化性で認識す
るのは無理だと考えられてきたが、濃度パターンを認識できるのならば、ありふれた物質だ
けの感知であっても、宿主を特異的に認識できるかもしれないと考えられる。ではどのよう
にして証明するか?これは難しい問題である。

 

--------------------------------------------------------------------------
※加藤純一KAT0,Junichi):広島大学大学教授、農学博士、専門:環境バイオテクノロジー
連絡先:〒739-8530広島県東広島市鏡山 1-3-1、E-mai1:jun@hiroshima-u.acjp(勤務先)
バイオサイエンスとインタストリ-Vol.71,No6(2013)
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【微生物細胞の分離技術】

キャビラリー電気泳動(CE: Capillary Electrophoresis)の技術はイオン性化学物質に対し極め
て高効率
分離が達成でき、高速液体クロマトグラフイー(HPLC)法と同様に汎用される分
離技術である。HPLC法加担体を充填した分離カラムを用いるのに対しCE法は中空のキャビ
ラリーを分離に用いるので、細胞のような懸濁波試料でも分離チューブに細胞が詰まること
なく高性能な分離が期待できる。また、古典的な電気泳勤装置により数々の細胞電気泳動実
験が行われている、このような背景で、
CEによる徹生物の分離研究が始まった、微生物の表
層は各種糖
タンパク質ポリマーが存在するが、生理的環境下においてほとんどの微生物細胞
はマ
イナスの電荷を帯びる。初期の微生物細胞のCE分離の試みは満足できるものではなかっ
たが、キャピラリー内部で微生物を泳動し、それを観察することができている(図1)。この
CE法を2類の微生物から構成される複合微生物培養系の逐次モニタリングに応用した研究成
果報告され、各々の微生物を迅速かつ簡便に定量することができ、この手法の細胞の分離定
量法としての有用性か証明されている。


図1

キャピラリー内に注入された微生物細胞はその細胞表層の分子特性からマイナスに荷電して
おり細胞はプラス電極万向に引きつけられ、一方でガラスキャピラリー内面はシラノール基
が解離している関係でマイナス電極方向に電気浸遠流を形成している。一般に、キャピラリ
ー電気泳動では、細胞が浸遠流に乗りながらも逆方向に逆らって移動しようとするため、そ
の逆らう力C細胞表層の電荷の大きさ)の違いにより異なる細胞の分離が達成される、

 

図2

A:CEで汎用される泳動液に細胞を懸濁して泳動させると、多くの場合は泳動中に細胞同
  士が分散し、結果的に分離の悪い結果となる、
B:泳動液にある種の糖ポリマーを添加すると、Aで観察される細胞の分散を抑えることが
  てき、CEが本来持つ高い分離能が得られる。
C:泳動液に別種のポリマーを添加すると、泳動中に細胞が凝集して鋭い分離ピークを呈す
  る場合もある。同じ種類同士の細胞を凝集させることは難しい。

あらゆる環境に微生物は存在するが、1種類の細胞が単独で存在するケースはくまれで、そ
こにどのような種類の微生物がどれくらい存在し、生きているのか死んでいるのか、などす
ぐさま知ることができる技術が望まれていたが、残念ながら現時点では満足する完璧な技術
はない。これの理由は、微生物自体がまだよくわかっていない(従って培養できない)ことに
よるが、微生物細胞があらゆるマトリックス(例えば砕屑物や生物の死骸など)の中に存在し
ているため、そのマトリックスの影響を受けずに細胞を選択的に観察できないのが主な理由
とされる。培養などの増幅操作を介することなく、複雑なマトリックスから微生物細胞を分
離できれば、この状況は大きく改善できる。こうした課題の解決に向け、これまで努力され
てきた。


図3 

泳動液中にあらかじめ目的の微生物の基質と酸化還元色素を含ませて、そこで微生物電気泳動を行うと、
細胞が通過した部分だけ色素の変色(酸化遠足)が起きる,、その変化の大きさは、細胞の泳動速度だけで
なく、その種類や活性によって異なる。


さて、
細胞を種類別に分離するだけでなく、生死別の定量を行う場合、CE法では、あらかじ
微生
物細胞用の生死判別色素で細胞サンプルを染色してからCE分離を行うことで、生死判
別を同時に行う
。この場合、2波長をモニター検出器を準備する。細胞表層の電荷密度特性
に変化がない状況で死んでいる細胞は、生細胞と同じ位置にピークを示すため、生死の比率が
評価できる特徴がある。キャピラリーという極めて小さな閉鎖空間での微生物細胞の挙動を
観察することで、対象としている微生物の他の情報も得られる。例えば、目的微生物の活性
を測定したい場合には、その微生物が特異的に代謝する基質と細胞と酸化還元できる色素を
あらかじめ泳動液に仕込んでおき、泳動と同時に細胞の代謝反応をキャピラリー内で進行さ
せることが可能である(図3)。活性の大きさは、色素に選択的な波長をモニターすることで
確認できるだけでなく、基質と酸化還元色素の組み合わせに応じた情報が取得できる。また、
各々の徹生物の固い、柔らかいといった情報も本CE法を用いて取得できる几これは、細胞表層
へのイオンの染み込みやすさ、といった概念による電場内での細胞粒丘モデルから得られた
近似式を用いる。具体的には、CEの泳動液のイオン強度を変化させながら微生物細胞の電気
泳動移動度を評価し、この近似式に当てはめることで、各々の徹生物の電荷密度と柔らかさ
に関するパラメータが評価可能となる。

 
図4

微生物CE分離キャピラリーの出目側に、アースを取ったマトリックス支援レーザー脱離イオ
ン化質:lt分析法(MALDI-Ms)用のフルートを配置する。泳動液の出目で回時にMALDI-Ms
用のマトリックス試薬をシースフロー液として供給することで、分離された微生物はそのまま
フレート11に転写される、フレート乾燥後、そのままMALDI-MS測定が可能になる、

また、微生物のCE分離技術とマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析法(MALDI-MS)
による同定分
類技術は、組み合わせることで単独ではなし得ない効果が期待できる。両技術
をつなぎ合わせる方法として
、まずCE分離キャビラリーの出目をアースしたMALDI-MS用の
ステンレス基板(プレート)Lに配置
する,泳動によりキャピラリー端に出てくる細胞がマ
リックス試薬とリアルタイムに混和されながら
プレート上に塗布されるよう、プレートがX-
Y軸
を自由に移動できるように準備しておく(図4)。このシステムを用いることで、泳動し
てきた細胞がマト
リックス試薬の溶媒に接すると同時に崩壊し、細胞内部のリボソームタン
パク質が細胞外に漏出する。最後
MALDI-MSにより乾燥したプレート上のラインに沿って
レーサーを照射して質量分析スペクトルを取得
すれば、かなり高い精度で微生物を同定する
ことが可
能になるが、この方法は比較的細胞膜が柔らかいグラム陰性菌などに限られる。グ
ラム陽性菌や酵
母などの硬い細胞にはこのままの条件での適用が難しいので、さらなる工夫
が残件する。

ここまで、電気泳動法の有用さを解説したが、一方では多くの技術課題が残されており、一
部では原理的な理由で解決が難しい(例、検出感度)ものの、電気泳動技術はマトリックス
と微生物を引き剥がす前処理技術として有用で、質量分析技術を用いた微生物同定技術は、
現在、国内外の微生物保存機関や医療検査現場での利用が急速に広まっいる。今後のさらな
る展開が期待される技術であることに間違いない。


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※鳥村政基(TORIMURA,Masaki)産業技術総介研究所環境管理技術研究部門(Res.lnst.fbr
Envlronmental Management Technol。 Natl, lnst, of Adv. lnd.Sci.and Technol, AIST)研
究グループ長 専門:分析化学 連絡先:〒305-8569茨城県つくば市小野川16-1/E-mail:tori
mura-masaki@aist・gojp(勤務先)
バイオサイエンスとインタストリ-Vol.71,No6(2013)
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昨年引く続き室内作業用ウォームビズを実践中。長方形のニット地の中心から縦にスリットを入れた、
羽織タイプのポンチョが、テレビで紹介されていたので下調べする。一枚羽織るだけで暖かく、また
留め具を利用することでその姿も変わるもので、
畳んで持ち運びすることも容易らしい。これなら、
洒落に決まるだろうと思いつつ発注するを見合わせた。厚着・重ね着・マフラーのセットで十分な
効果があるのでこれでこの冬は乗り切る。これからはサバイバルスタイル、ファッションは欠かせな
い。野外活動と防災の兼用備品の市場が拡大していくだろ。

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環境微生物の棚卸し

2013年11月16日 | 環境工学システム論

 

 

 

 


【大原三千院・実光院】

紅葉・秋艶というにはまだ浅いが、彼女が行楽したいといので午前八時に家を出て車で琵琶湖湖
岸道路を走らせ花折峠から大原三千院に向かう。所要時間四十分で麓駐車場
に到着。駐車料金五
百円を支払い目的地まで六百メートルを登る。観光客は三々五々と人出もまずまず。門前の土産
物屋やお茶屋など店は早朝らしくまばらに開店する程度。二年前の同月二十六日に参拝にきた時
より十日早く、紅葉・黄葉はイマイチだが、それでも、実光院の玄関先の銅鑼を叩き上がると、
朝は早くからの参拝者がお茶会や庭の散策を思い思いに楽しんでいる。


ところで、帰りのお土産に、彼女は焼き栗と、赤紫蘇ジュース、タマネギドレシングをわたしは
抹茶のお酒を三千院前の御茶屋で買う。係の小母さんに、いつ頃開発したの?清酒なの、濁り酒
なの?どのような味がするの?と尋ねると、濁り酒で、前から売っている(2010年09月発売だと
ネットで知る)、試飲は飲酒運転で問題になるので...とお茶を(いやお酒を)濁すのでと、法律
が厳
しくなったもねぇ~と合いの手を入れる。家で早速封を切ると、伏見の清酒に抹茶をブレン
ドしたもので、たいへん飲みやすくなっている。一応リキュールに分類されるが、抹茶がボトル
の底に沈殿してるのでボトルを振りかき混ぜる必要がある。茶カテキン・茶ポリフェノールの効
果が期待できるので?健康的側面からお勧めできそうだ。

なお、旅程時間は約3時間と極めてコンパクトに楽しめるコースだ(滋賀は東洋のスイスだ→こ
れを言うと長野県からクリームがつきそうだが、ジュネーブとレマン湖という点では長野を圧倒
する。アルプスという側面からは長野だといえなくはないが)。帰る自分には、中国人のの団体
が大挙し観光し、ごった返ししていたが、二年前ではこの様な光景を目にすることはなかった。
これも京都の魅力だろう。


 



照り返しの光が松の枝を照らし出された風情のある光景(この写真をよく見るとわかる)。




【最新の土壌環境微生物の解析技術】

 電極基盤で効率的に環境微生物を回収

 

土壌堆積物中に棲息する多種多様な環境微生物は、抗生物質や抗がん剤、免疫抑制剤などの医療
化合物だ
けでなく、バイオテクノロジー技術に活用されている様々な有用酵素を生み出すための
微生物資源として広
く認知されている。これら有用な資源となり得る大半の環境微生物は、パス
ツールやコッホ以来の伝統的な
不法では培養することが極めて困難であり、培養条件が不明確な
微生物が数多く存在することが報告されて
いる。そのため、従来の培養法に頼らない、新たな
生物のスクリーニング法が求められている。新規の有用酵素や、新規有刑化合物を得るための「
法の1つとして、土壌堆積物中から直接、間接的に環境微生物由来のDNAを回収し、解析する
メタゲノム技術が、この10年間盛んに研究されてきている。土壌堆積物中からDNAを直接回収
する方法は、DNAとともに回収されてしまう腐植化合物が、PCR反応や、制限酵素活性、DNA
ライゲーション反応を阻害するため、高純度のDNAを得られにくいという問題点が指摘されて
いる仁間接的なDNA回収法は微生物を破砕する前にプラス電荷を帯びたカラムなどを利用して、
土壌中の微生物を回収する手法である。この間接的なDNA回収法は、高分子量のDNAを高純
度に回収できるものの、微生物が極めて強固に土壌微粒子へ付着しているため、土壌堆積物中に
棲息する一部の微生物出来DNAしか回収できない。そこで、電極基板に微生物が好む微弱な電
位を印加することで、生きた微生物を土壌堆積物中から、電磁石で砂鉄を吸い付けるように回
する技術を開発されている。

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※小山純弘(KOYAMA,Sumihiro)海洋研究開発機構海洋・極限環境生物圏領域(lnst.of Biogeosc-
iences, Japan Agency for Marine-Earth Sci. and Technol,)主任研究員 1997年東京工業大
学人学院生命理工学研究科博士課程修博士(工学)専門:細胞工学 連絡先:〒237-0061神奈川県
横須賀市夏鳥町2-15 E-mail : skoyama則amstec・gojp(勤務先)、バイオサイエンスとインダス
トリー、vol.71、No.16、2013
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図A、および図Bに開発した3電極チェンバーの写真と複式図を示す。酸化インジウムをガラス
基板Lに蒸着させた、透明な電極(ITO)を作用極とし、リング状にした白金電極を対極とする。こ
の実験系で重要な部分は、3番目の電極として、参照電極である銀塩化銀電極が加えられている
点にある。参照電極の重要性について、水の電気分解反応を例に挙げながら簡単に説明する。硫
酸や水酸化ナトリウムのような支持電解質を加えた水溶池中で2電極間に2.75Vの電位差、つまり
2.75Vの電圧を加えると、2電極間に電流が流れ、陽極から酸素ガスが、陰極から水素ガスがそれ
ぞれ発生する(図C)。銀/塩化銀電極をこの水溶液に加え、酸素ガスおよび水素ガスが発生する電
位について、銀/塩化銀電極電位をOVとして測定すると、酸素ガスは+1.69V、水素ガスは-1.06V
の電位でそれぞれ発生し始める(図C)。水の電気分解のような電気化学的な反応生成物による影響
を避けて、生きた微生物をITO電極基板上に誘引付着させる場合、ITO電極の電位を正確に制御する
ことが極めて重要となる。そこで筆者らは、OV標準電位となる銀/塩化銀電極を参照電極として
実験系に加え、ITO電極電位をポテンシオスタットという電位印加装置で厳密に制御した状態で、
生きた徹生物の電気回収法を検討した(図Aおよび図B)。


 
この3電極チェンバー内に、PBS(-)や人工海水のような非栄養培地に分散させた微生物を播種し、
水の電気分解反応の生じない微弱電位を、ITO電極基板上に印加することで、微生物が重力に逆ら
ってITO電極基板表面上に誘引、付着させることができるか検討した(図Aおよび図B)。図Dお
よび図Eは、銀/塩化銀電極電位に対して-0.4Vの定電位(-0.4v vs.Ag/AgCl)を24時間、PBS(-)
中、室温条件で印加したときの、電極基板上における大腸菌の分布パターンを示したもの。-0.4
V vs.Ag/AgC1の定電位は、デヒドロゲナーゼ活性を有する生きた大腸菌を重力に逆らってJAMSTEC
という字形の微小電極上へ、誘引付着させる事に成功した(図Dおよび図E)。非栄養培地中に
分散させた大腸菌は、-0.3Vから-0.5V vs.Ag/AgClの定電位印加条件において電極領域上に特異
的に付着し、-0.4V vs. Ag/AgClの印加条件で最も多く付着する。-0.4v vs. Ag/AgClの定電位印
加で、電極表面上に付着させた大腸菌を走査型電子顕微鏡で観察した結果、大腸菌は繊維状物質
を電極表面上に伸ばして強固に付着していることが確認された。また、死んだ大腸菌や、培地中
あるいは高濃度グルコース水溶液中に分散させた大腸菌はいずれも電極表面上に付着せず、静電
的な相互作用とは明らかに異なるメカニズムで付着していることを確認している。




直接土壌の16S-rRNA遺伝子解析で検出された環境徹生物の95%を電気回収


どのようなタイプの徹生物種が電気的に回収されるのか、相模湾初島沖水深1,176mから採取した
深海底泥を用い、16S-rRNA遺伝子による徹生物の系統解析を試みた(図F)。人工海水中に分散
させた深海底泥サンプルヘ、4℃にて2時間-0.3V vs. Ag/AgClの電位吸着、および30分間の高
周波変動電位印加による徹生物の剥離回収を2回繰り返した。その結果、図Fのグラフのような
19門の微生物が電気的に回収できた。青字で示された14門に属する徹生物部は、深海底泥サンプ
ルから直接DNAを抽出した微生物群と同一の門に属し、16S-rRNA遺伝子解析で検出される微生
物全体の95%に相当することが確認された(図F)。図Fの結果から、電気回収された微生物は、
土壌堆積物中に棲息する徹生物相をほぼ反映しているものと考えられる。

筆者らは人工海水やPBS(-)などの非栄養培地に土壌堆積物を分散させ、-0.3から-0.4V vs. Ag
/AgCl
の定電位を印加することにより、16S-rRNA遺伝子解析で検出される全バクテリアのうち、
95%に相当するバクテリアを電気回収する技術を開発してきた。そして、膜損傷がなく、細胞内
デヒドロゲナーゼ活性を有する生きた徹生物が重力に逆らって、電極基板上に誘引付着すること
を明らにした。このように土壌中の環境微生物が明白になれば、人工的な土壌環境の再現で、植
物工場での生産対象品種が拡大し、さらなる、高付加価値生産が期待されるから、新しい事業領
域の開発に繋がるだろうと考える。



昨夜の雨に草木に残る露が日差しに照らされ借景の静寂を破る。

 

 

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