極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

次郎柿と直虎

2015年10月31日 | 近江歴史回廊

 

 

       6人の大阪府議でスタートし、5年でここまで来た。
             同じ加速度なら、5年後には衆院で過半数まで行ける。

                                橋本 徹 おおさか維新の会代表

 

  公孟 -儒者との対話 /『墨子』

 ● 教養だけでは

  公孟子が墨子にいった。
 「むかし、聖王の時代には、聖人が天子となり、次にすぐれた人を大臣にすえました。
  ところで、孔子は詩書に明るく、礼楽に通じ、あらゆることをわきまえています。もし孔子が聖王
 の時代に生まれていれば、当然天子に迎えられたのではないでしょうか」
 「あなたは智者の意味をご存知でないらしい。天を尊ぶこと、鬼神につかえること、人を愛すること、
 節約を心掛けること、この四つの条件をそなえた人を智者というのだ。
  いま、あなたは、詩書とか礼楽とか博識とかを数え上げて、孔子は天子になれるといったが、それ
 は、他人の財産を勘定して、よろこんでいるようなものだ」

※ 教養主義の弊害 

ここでは、画一主義、形式主義につづいて、教養主義が槍玉にあがっている。単なるもの知りは、真の「
者」とはいえない。教養の根底に横たわる確固とした哲学が必要なのだ、と墨子は説く。

 

【次郎柿と直虎】 

文化ブラザで物産会があるというの出かけていた彼女が、期待するほどの盛り上がりに欠けたと言いなが
ら、浜松市産の次郎柿(治郎柿)を買ってきたがのだが、その包装紙にこんなのが入っていたとB5サイ
ズの一枚の紙切れを見せる。そこには、井伊家の危機を救ったおんな城主伊直虎の生涯の紹介と家系図が
印刷されていた。さて何から話そうか?まず、柿の味のことだが、大変美味しかったということになるの
だが、わたしの舌は敏感なので、ごく微量の渋味は逃すことはなかった。郷里の西吉野の富有柿の上品さ
と比べたらこれは勝負ありだが、そんな贅沢なことは言えるはずもなく彼女に「美味しかった」と感想を
伝える。
 

つぎに、女武将あるいは女領主の話。戦国時代は結構いたとみえて、(1)甲斐姫(かいひめ)――戦国時
代から江戸時代初頭。豊臣秀吉の側室で、
当時彼女がいた城は、父・成田氏長が小田原城にはわずか3百
の兵と城下の民2領民で攻め手の石田三成の東国方面軍約3万・上杉景勝勢、前田利家勢が押し寄せるも
甲斐姫は自ら兵を指揮、堤防を決壊させ石田軍に多数被害を与えている。(2)大祝鶴姫(おおほうりつる
ひめ)――伊予国大山祇神社(愛媛県大三島)の大宮司・大祝安用(おおほうりやすもち)の娘。大祝軍
を実質的に指揮していた鶴姫の兄、安房が
度重なる戦の中で戦死。その後、周防の河野氏に敵対していた
当時16歳の大祝鶴姫が陣代として出陣。天文3年(1534)。
鶴姫はこのとき大内氏の武将・小原隆
言を討ち取り大内軍を撃退。(3)阿南の方(大乗院)――伊達政宗の伯母で、二階堂盛義の未亡人。盛義
が亡くなった後、当主となった二階堂行親が夭折したため、阿南の方が当主の座を継ぐ。(4)義姫(よし
ひめ)――伊達輝宗の正室。奥羽の鬼姫とも呼ばれ、激しい気性と体格から「男勝り」と思われていた。
(5)田鶴姫――今川氏譜代の引馬(浜松)城主飯尾連竜の妻。今川義元が桶狭間で織田信長に敗れた後
城間際に夫連竜の鎧直垂をまとい顔には朱塗りの面頬を付け、得意の強弓を放ち立ち向かうも、敗れる。
(6)妙林尼(みょうりんに)――
吉岡妙林とも呼ばれる。史料がほとんど残らず、鶴崎城主だった夫が戦
死したために出家。(7)立花ぎん千代(たちばな ぎんちよ)――大友氏の有力家臣であった立花道雪の一
人娘として生まれる。道雪は娘に家督を継がせるため、通常の男性当主の相続と同じ手続きをし、主家で
ある大友家の許しを得て、立花家の当主となる。戦国時代には珍しい。(8)そして、井伊直虎(いいなお
とら)――戦国時代の女性領主。国人井伊氏の当主を務め、「女地頭」と呼れている。父・井伊家二十二代
井伊直盛、母・新野左馬助親矩妹(祐椿尼・松岳院)

井伊直虎(次郎法師)は、井伊家代二十二代当主・直盛の一人娘。直盛には男子がなく、早くより従兄弟の
井伊直親を許婚として家督を継がせる予定であった。ところが一五四四(天文十三年)直親の父・直
満が今
川義元に殺され、自身も命を狙われたため直親は信州市田(長野県高森町)松原寺に身を隠した。
直虎は悲
観し、龍潭寺で出家し次郎法師を名乗る。一五五五年(弘治元年)、直親は井伊谷に戻り、直盛の養子とな
り奥山朝利の娘と結婚。
一五六〇年(永禄三年)、桶狭間の戦いで直虎の父・直盛戦死。井伊家の家臣多数
死亡し大きな損失を被る。
一五六一年(永禄四年)、二月井伊直政誕生。家督を継いだ二十三代直親、岡崎
の松平元康(家康)と反今川で内通する。
一五六二年(永禄五年)、直親が掛川城下で今川の手で謀殺され
ると井伊家は存続の危機に。翌年、二十代直平死去。翌々年、城代家老中
野信濃守曳馬城攻めで戦死。井
伊の名を継ぐ男子は、四歳の遺児虎松言十四代直政)ただ一人となる。



一五六五年(永禄八年)龍潭寺南渓和尚の計らいで次郎法師は後見人として井伊直虎と名乗り、女領主とな
り井伊家を支えた。
井伊谷徳政令の難題に対し優れた政治手腕を発揮した。直虎は歴代当主に記名はないが、
受難の井伊家を支え見事にお家を再興した。直虎は後世に語り継がれるおんな城主である。鳳来寺に身を隠
していた直政を一五七五年(天正三年)浜松城主家康公に仕えさせ、出世を見届けた直虎は、一五八二年(
天正十年)激動の人生に幕をとじる。
墓は龍潭寺境内、直親の隣に眠る。                    

 

つまり、静岡、井伊谷つながりというわけだが、2017年のNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」
で、女優の柴咲コウが、戦国時代の女性領主「井伊直虎」――「ガリレオ」「信長協奏曲」など数々の人
気ドラマに出演、「仁ーJINー」「天皇の料理番」「ごちそうさん」などを手がけた森下佳子脚本――とあ
って話題をよんでいるというのを知るが、彼女はそのことを既に知っていたが、商品のPRにこれを挿入
させてたということが、やっと理解できた。ドラマの筋書きは不詳だが、出家して尼になっていた次郎法
師(直虎)を、虎松が成人するまでの間「中継ぎ」として、井伊家の当主に据え、名前を男のような「直
虎」と改め、井伊家の当主として政治的な才能を発揮――今川家と離反、徳川家康につく決断を下す。そ
の後、家康と井伊家当主嫡子の虎松(後の直政)と家康との面会を仲介し、本多忠勝、榊原康政、酒井忠
次とともに、家康の功臣――徳川四天王の「井伊直政」の教育と中継ぎ役を果たす。

※ 参考文献:静岡県文化財団「湖の雄 井伊氏~浜名湖北から近江へ、井伊一族の実像~」

 

● 最新バイオタギング・ロギング工学:アメリカウナギ

アメリカウナギ(学名:Anguilla rostrata)は、成長すると生涯のほとんどを、内陸の川や、河口域で過ご
すことはよく知られている。成魚が捕れるのは、決まってこうした水域。一方、小さな透明の稚魚は外海
でしか見つからず、成魚は産卵する時に外海へ出ていくことも分かっているが
、成魚が川から生まれ故郷
産卵場まで大海原を移動する様子はこれまで確認されていなかった。今回、カナダの研究チームが、衛星
タグを取り付けたメスのウナギ成魚がカナダ東海岸ノバスコシア州から北大西洋のサルガッソー海の北端
に至る2千4百キロを回遊する様子の追跡に成功、その結果が10月277日付「Nature Communications
誌に掲載される。アメリカウナギは、過去数十年間で急速に数が減少し、今では国際自然保護連合(IUCN)
の絶滅危惧種に指定されている。

   doi:10.1038/ncomms9705

長年の努力の末、同研究チームはノバスコシア州沿岸からサルガッソー海の北端へ到達したメスのウナギ
28号」のデータを取得することに成功。
タグによれば、28号は1日49キロの距離を泳いでいたと判明し。
また、水深記録を見ると、日が出ている時には海の奥深くへ潜っていたことも分かった。天敵を回避する
ためか、時には700メートル以上潜ることもあった。産卵場へ移動中のウナギをこれまで誰も目撃して
いなかったのは、こうして深く潜っていたためとも考えられる。45
日間海を泳いだ後、28号のタグは外
れ、GPSの位置情報、水深、水温、塩分濃度、その他のデータを人工衛星へ送信。タグは長ければ5カ
月間は外れないよう装着。このため、28号のタグが外れたのは予定よりも早く、捕食者に襲われた可能性
も考えられる。
産卵場の中心へたどり着く前にタグが外れたものの、研究がここまで成功したことを、ア
メリカウナギの専門家は高く評価。これまでも同じような試みはあったが、いずれもタグがもっと早い時
期に消失したり、死亡率が高かったりして成果は上がっていなかったためだ。

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時代は太陽道を渡る 21

2015年10月30日 | 環境工学システム論

 

 

       行ないは服にあらず  /    墨子

 

  公孟 -儒者との対話-

 


● 行ないは服に在らず

  公孟子が、冠をかぶり、笏を帯にはさみ、儒者の服装で現われた。そして墨子に向かって、「君
 子は、まず
 服装をととのえて行動すべきでしょうか。それとも、服装などは、末のことでしょう 
 か」
 「君子の行ないは、服装とは関係がない」
 「どうしてですか」
 「斉の桓公は、山高の冠をかぶり、幅の広い帯をしめ、金の剣を帯び木の盾を手にしていた。
  晋の文公は、粗衣をまとい、羊皮の上衣を着け、なめし皮で剣をつるしていた。
  楚の荘王は、冠に五色の飾りを垂らし、襟幅の広い、ゆったりとした服を着ていた。
  越王勾践は、髪を短くきりつめ、身体に入れ墨していた。
  この四人の君主は、髪かたちも服装もまちまちであったが、よく国を洽めた点では一致している。
  したがっ
て、君子の行ないは服装とは関係がない」
 「なるほど、おっしゃる通りです。それでは善はいそげ、わたしもさっそく、笏をしまい冠を脱い
 で、出直してま
いります」
 「いや、そのままでいてくれ。ここであなたが服装をかえたのでは、服装と行ないが関係あること
 になるでは
ないか」


 形式主義の弊害 

「礼・楽」を重んじた儒家は、当然、服装にも気をくばった。当時の社会では、服装によって、人間の
価値がきまったのである。だが、労働を重視した墨子は、これに反撥 励した。服装をととのえたから
といって君子の中身がよくなるわけではない。そういう形式主義は、何ものをも産み出しばしない、と
かれは考えたのである。この章では、墨子の形式主義者に対する批判が、ユーモラスに描かれている。



出典:数字で読み解く23歳からの経済学 日本生命保険

【軽減税率は誰のため Ⅱ】 

消費税を10%に引き上げる際に導入する予定の軽減税率をめぐり、税率を8%にとどめる対象範囲を
広げたい公明党が「財源の壁」にぶつかっている。医療や介護などの自己負担を軽くする「総合合算」
という制度を導入する際に使う予定だった4千億円を財源として、「コメ」や「生鮮食品」などを税率
8%に抑える対象とする方向で検討。一方、公明党は1.3兆円が必要となる「酒を除く飲料・食料品」
を全て対象としたい考えで、新たな財源がないか財務省に説明を求めた。つまり、 財務省は「4千億
円を超えると、予定していた社会保障の一部が実施できなくなる」との回答で、今後、公明党が社会保
障に影響を及ぼさない新たな財源を見つけられるかが焦点となるとしいるが、30日午前、国会内で公
明党は税制調査会の総会を開き生活必需品の税率を低く抑える軽減税率の具体策について議論。出席者
からは税収減を穴埋めする財源として、(1)たばこ税増税や(2)高所得者層の所得税引き上げなど
による捻出も検討すべきだとの意見が出されたが、会合では、税調幹部がこれまでの与党協議について
説明。出席者から「低所得者に現金を配る『簡素な給付措置』をやめることで、財源が生まれるのでは
ないか」などと指摘。公明税調のこれまでの対応方針を支持する意見が相次いだという。(時事通信: 
2015.10.30)。ここで、(2)の直接税へのシフト→所得税(累進課税引き上げ)に言及されているこ
とであるが、こ
れは当然の流れであり、そして、消費税段階的引き上げの停止(見直し)とまでいけば、
リフレ派のわ
たし(たち)と合流する



このように、税制議論でわけのわからない議論が続いているが、その事例の1つがビール税制。ビール
の税
金が高いため、節税に的を絞った「ビールもどき」が次々と生まれる。メーカーは麦芽を抜いたり
添加
物に頼る「色水つくり」に熱心で、日本のビールはカラバゴス化するが、「今年こそ歪んだ税制の
是正
を」という動きが業界や自民党から上がり、年末の税制改革で「すっきり税制」になるはずが、マ
イナ
ンバーカードによる消費税還付が頓挫したどさくさに紛れ、ビール税制の改訂議論が頓挫する。節
税ビ
ールは、飲料の技術革新を促す。だが、その成果が低価格の「もどき飲料」の跋扈し、「悪酒が良
酒を
駆逐する」といういう悲しい状況になっている(山田厚史「ビール税制改正見送りで本当に得をし
たの
は誰か」ダイヤモンド・オンライン 2015.10.29)。なんとも、煩瑣で不毛な理論が続く。
のか?

同額制?同率制?アルコール度数課料制?

 

【時代は太陽道を渡る 21】 

● フランス環境エネルギー管理庁 再エネ比80~100%可能と報告

フランスで今年7月採択された「グリーン成長のためのエネルギー移行法」は30年までに再生可能エ
ネルギー(=再エネ)由来電力の目標40%に設定。このことにより、気候変動抑制とグリーン成長(
=持続可能な社会の経済成長)とに挑戦。同庁は再生可能エネルギー電力の拡大のための制約に関し"再
エネ"ミックスとその影響を調査研究を実施。その結果、高度なエネルギー需要量管理ツールや蓄電設備
で再生可能エネルギー源間をグリッド補完することで――80%~100%の再生可能エネルギーで、
年間を通し需供バランスを安定的に技術的にも経済的にも可能だった。



● 調査要約 6のメッセージ

(1)最適な技術の組み合わせ
(2)高度なフレキシブルな電源システム
(3)気象変動に強い電源ミックス
(4)情報ネットワーク開発が鍵
(5)期待される経済的メリット
(6)機動的な需給バランス管理



 

 

 

 

 

 

しかし、正直驚く。フランスといえば地下岩盤も安定し、地震も少ない、しかも原発先進国だ。その国
の環境・エネルギー管理庁が百パーセントの再生可能エネルギー源ミックスで電力供給が可能だという。
それに比べ、何とお粗末な日本の電力政策だろうと。どこまで税金を溝に捨て、国民生活を危険に曝せ
ば気が済むのか。

 

 

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時代は太陽道を渡る 20

2015年10月30日 | デジタル革命渦論

 

 

       いま善を求むる者寡なし、強めて人に説かざれば、人これを知るなし  /    墨子

  公孟 -儒者との対話-

● 沈黙は美徳か

 「万事ひかえ目にして、問われなければ沈黙をまもり、問われたときにはじめてこたえる人物、これ
 が君子です。君子はちょうど鍾のようなものです。たたけば鳴り、たたかなければ鳴らない」
  墨子がこたえた。
 「それについては、三つの場合を考える必要がある。あなたがいうのは、そのひとつの場合にすぎな
 い。しかも、あなたはその意味さえわかっていない。
  暴虐非道な政治が行なわれている場合には、君主を諌めたところで、不遜な者とみなされてしまう。
 たとい側近をつうじて諌めたところで、優越な者とみなされるのがおちである。君子はどうしてよい
 かわからなくなるから、沈黙を守る。たたかれなければ鳴らないというのは、こういう止かを得ない
 場合なのだ。

  しかし、君主の失政により、国が戦争や内乱の危機に直面した場合には、君子はすすんで諌言する
 必要がある。その諌言が君主に利益をもたらすことがわかれば、君子は必ずきき入れるだろう。した
 がって、こういうさいには、君子は、たたかれなくとも鳴る必要がある。
  また、君主が義に反した計画を採用して戦争をはじめる場合もある。どんなに巧妙な作戦計画を立
 てたところで、この戦争の目的は、罪のない他国の領土を侵略し、物資や財産を奪うことにほかなら
 ない。こんな戦争をはじめれば、君主は天下の笑い者となる。不義の戦争は、攻める側にも攻められ
 る側にも、利益をもたらさない。この場合にも、君子はたたかれなくとも鳴る必要がある。

  それに、あなたは先ほど、君子を鍾にたとえて、たたけば鳴り、たたかなければ鳴らないのが君子
 のとるべき態度だといった。しかし、あなた自身はどうか。わたしがたずねもしないのに、話を持ち
 出したではないか。つまり、たたかれないのに鳴ったのだから、あなたの論法にしたがえば、あなた
 は君子ではない」

 公孟子

 孔子門下七十子のひとりであるといわれているが、明らかではない。墨子が孔子の直弟子である子夏
 の弟子だちとかなりの交渉があったことからみて、あるいは、子夏の弟子かも知れない。いずれにせ
 よ、最も墨子と交渉の深かった儒者であることは確かである。

 美徳の功罪 「問わなければ沈黙をまもり、問われたときにはじめてこたえる」という態度は、君子
 の美徳として、儒家が積極的に主張した態度である。だが、墨子は、君子にとってあえて発言しなけ
 ればならない場合があることを強調する。万事、控え目な態度がよしとされる社会が、どんなに沈滞
 した空気を醸し出すか、われわれ現代人にとっても、思い当るふしがあるのでなはいか。また、この
 一節は、教条を鵜呑みにする画一主義にたいする批判でもある。

 

 

 


【時代は太陽道を渡る 20】

 ● メタル・ラップ・スルー裏面接続太陽電池(MWT)で世界一の変換効率達成

長州産業株式会社は、ECN――The Energy Research Centre of Netherlands(オランダ・エネルギー研究所
――と共同してシリコン・ヘテロ接合太陽電池セル技術をメタル・ラップ・スルー型のバックコンタク
ト太陽電池構造に応用する実験を実施。同社はヘテロ接合太陽電池に関して世界でもトップレベルの技
術力を保有する。この共同実験の結果、これまで同型太陽電池での世界最高記録の20.3%の変換効率
を更新し、21.5%の効率を確認。また、ヘテロ接合太陽電池は、三洋電機(現パナソニック)により
発明された技術。この技術は(1)高効率で、(2)夏季の高温時にも性能低下が少ないことなどの理
由から次世代太陽電池として非常に高い注目が寄せられている。

MWT太陽電池は、通常の太陽電池構造(業界ではH型パターンと呼ばれている)と比較し、多くのメ
リットを持ち、例えば、(1)集電配線によって生じる影が少なく高い電流が得られ、(2)寒暖によ
る気温の上下動に対し耐久力を持ち、(3)基板の薄型化が容易になり、(4)低コスト高性能が得ら
れる。また、H型パターンを持つSヘテロ接合太陽電池の製造工程に対し、比較的簡単な変更を加えるこ
とでMWT-SHJ型J太陽電池が量産できる。同社とECN研究所の
技術融合により、国内の住宅屋根
用太陽電池次世代技術として高性能でコストパフォーマンスは、競合他社との差別化を実現しうるもの
と期待されている。


※ 長州産業の関連特許事例

太陽電池モジュールでは、限られた設置面積で効率よく太陽光を電力に変換する高い発電効率(光電変
換効率)が求められている。このため、シリコン系の太陽電池素子では、ヘテロ接合を有する太陽電池
素子が注目されている。ヘテロ接合を有する太陽電池素子では、例えばn型結晶シリコン基板とp型ま
たはn型非晶質系シリコン系薄膜層との間に、真性非晶質系シリコン系薄膜層を積層し、真性非晶質系
シリコン系薄膜層によりキャリアの再結合を抑制し、太陽電池素子における高い開放電圧を実現してい
る。

また、太陽電池素子の発電効率は、短絡電流(Isc)、開放電圧(Voc)及び曲線因子(FF)の
積で算出される。ヘテロ接合を有する太陽電池素子の開放電圧及び曲線因子は、非晶質系シリコン系薄
膜層を厚くすると増大する傾向にある。一方、非晶質系シリコン系薄膜層を厚くすると、この非晶質系
シリコン系薄膜層による太陽光の吸収量(遮断量)が増加し、外部量子効率の低下、短絡電流の低下が
生じる。このため、ヘテロ接合を有する太陽電池素子では、短絡電流を大きく低下させないために、非
晶質系シリコン系薄膜層の厚さに制約が生じ、高い開放電圧の実現と高い短絡電流との実現を両立させ
ることができないという本質的な問題が存在している。

 
そこで、上図1のように、表面側が光入射面となるヘテロ接合を有する太陽電池素子14及び太陽電池
素子14を封止する封止材13を備える太陽電池モジュール10において、太陽電池素子14の開放電
圧が720mV以上であり、封止材13は、太陽電池素子14の表面側に配設される波長変換層27を
有し、波長変換層27は、励起光スペクトルのピーク波長が380nm以上450nm以下、蛍光スペ
クトルのピーク波長が480nm以上である波長変換剤26を含むことで、高い開放電圧と高い短絡電
流を両立させて出力特性の向上を図ったヘテロ接合を有する太陽電池素子を用いた太陽電池モジュール
の提案がなされている(詳細は、上図クリック)。

尚、図7は、膜厚測定方法を示す模式図である。また、図3は、実施例1の太陽電池モジュールと太陽
電池素子のIsc、Voc、FF及びEffを示すグラフ。さらに、図4は、製造例で得た各太陽電池
素子の波長と外部量子効率との関係の表面側非晶質系シリコン系薄膜層依存性を示すグラフである。

 Mohammed bin Rashid Al Maktoum Solar Park

● ドバイで世界最大3ギガワット太陽光発電所入札実施へ

アラブ首長国連邦の大手電力事業者であるドバイ電気・水道局(Dubai Electricity and Water Authority:D
EWA
)は10月21日、同社が開発するメガソーラー(大規模太陽光発電所)に関し、95件の入札意
思表明を受けたと発表。15
年9月8日~29日に募集していた。ドバイ電気・水道局は現在、提案依
頼書を作成中とし、入札意思を表明した企業に対し、11月に見積もりを依頼し、年内に入札を実施す
る予定。
ドバイ電気・水道局が開発しているのは、「Mohammed bin Rashid Al Maktoum Solar Park」。ド
バイ南部にあるSeih Al Dahalに立地する。
Mohammed bin Rashid Al Maktoum Solar Parkは、30年までに
合計出力3千メガワット(3ギガワット)の太陽光発電システムを導入する計画。

 Seih Al Dahal

カ所に建設するプロジェクトとしては、世界最大規模。世界最安となる5.4米セント(6.5円)/キ
ロワット時の発電コストの実現を目標に掲げ。17
年4月までに稼働させる第2期分の出力を、当初の
予定から2百メガワットに拡大。第3期も、当初の予定を拡大し8百メガワットとする。なお、
メガソ
ーラーだけでなく、技術開発拠点なども整備。この拠点では現在、大手太陽光パネルメーカー各社の2
5品種のパネルを設置するなど、アラビア湾(ペルシャ湾)沿いの気候に最適な製品や技術を検証する。
それにしてもスケールが大きい。細かい心配事はあるが、原油の値段は、太陽光発電(再生可能エネル
ギー)の普及で下落安定が確定。『デジタル革命』は太陽道(サン・ロード)を亘である。



 

● 燃料電池“自転車”が登場

空気を取り込んでペダルをアシスト

燃料電池や水素インフラなどの開発を積極的に推進するドイツの化学工業メーカーLinde Group(リンデ
グループ)は、新たな持続可能なモビリティとして、燃料電池を採用した電動アシスト自転車「Linde H2
bike
」を開発し話題を呼んでいる。新開発した電動アシスト自転車には、通常の電池に代わり、燃料電池
を搭載。搭載した燃料電池は周囲の空気から得た酸素とシリンダー内の水素によって発電。シリンダー
内の34グラムの水素で百キロメートル以上でのぺダリングをサポートすることが可能で、特別に開発
した水素補給システムでは、6分以内でシリンダーに水素を補充できる。


    

今回の燃料電池自転車は限定的なプロトタイプとして開発されたものだが、この水素自転車の開発に、
最初のアイデアからプロトタイプを製作するまでわずか3カ月で実現。燃料電池車同様に、燃料電池自
転車は長距離での走行が可能である点と、短い時間での補給ができるという利点を持つ。さらに、充放
電サイクルなどにより電池交換する必要がばいメリットがあり、電池搭載の電動アシスト自転車よりも
優れているのが特徴。欧州では自転車が人気だが、日本でも普及する可能性が大きいと考えられる。こ
れは面白い。

 

※ 燃料電池式電動アシスト自転車特許事例:松下電器産業

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世界覇権百年戦略

2015年10月29日 | 時事書評

 

 

 

       穫を舎てて栗を拾う   /    墨子

         

      ※ 取り入れをやめて落ち葉を拾う。「」は「原則」「義」の暗喩。


 

 

 Filipinos, Vietnamese join anti-China protest

  

● 折々の読書  『China 2049』Ⅰ

                               秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     

                                                                 マイケル・ピルズベリー 著
                                                    野中香方子 訳

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケ
ル・ピルズベリーが、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえ
で、中国の知られざる秘密戦略「100年マラソン(The Hundred-Year Marathon)」の全貌を描い
たもの。日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係、そして
ビジネスや日常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。

マイケル・ピルズベリーMichael Pillsbury

45年米カリフォルニア生まれ。米スタンフォード大学卒業(専攻は歴史学)後、米コロンビ
ア大学にて博士課程を修了。69~70年国連本部勤務を経て、73~77年ランド研究所社
会科学部門アナリスト、78年ハーバード大学科学・国際問題センターのリサーチフェロー、
81年国務省軍備管理軍縮庁のディレクター代行、84年国防総省政策企画局長補佐、86~
90年議会上院アフガン問題タスクフォース・コーディネーター、92~93年国防総省総合
評価局特別補佐官、98~00年国防総省特別公務員(米国国防科学委員会)、97~00年
米国防大学客員研究フェロー、01~03国防総省政策諮問グループメンバー、03~04年
米中経済・安全保障検討委員会シニア調査アドバイザー、04年以降、現在も国防総省顧問を
続け、ハドソン研究所中国戦略センター所長を務める。米外交問題評議会と米シンクタンクの
国際戦略研究所(CSIS)のメンバー。米ワシントン在住。 著書に『Chinese Views of Future W-
arfare』『China Debates the Future Security Environment』などがある。

 【目次】

 序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 
第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)


  序章 希望的観測


                         嘴天過海――天を欺きて海を過る

                             『兵法三十六計』第一計


  2012年11月30日の正午、晩秋の澄みきった空のも
と、用意された多くのカメラ
 とマイクの前にスミソニアン
協会会長、ウェイン・クローグが現れた。白いあごひげを
 くわえた気さくな人物だ。ナショナル・モールを冷たい
風が吹きぬける。オーバーを着込
 んだ聴衆が、クローグの
スピーチに聞き入る。それが終わると、ヒラリー・クリントン国
 務長官が、意味ありげに金色のメダルを高く掲げ
た。授与されるのは、著名な中国の現代
 美術家、蔡國強で
ある。前夜には、東洋美術を展示するスミソニアン博物館群のサックラ
 ー・ギャラリーで祝賀パーティが開かれた。

  わたしの妻スーザンも主催者のひとりだった。400人ほどの招待客には、下院民主党
 院内総務のナンシー・ペロ
シ、マイケル・オブ・ケント王子妃、74歳になる故イラン
 王の夫人といったセレブリティーが名を連ねた。乾杯の
時、客人たちは、2008年北京
 オリンピック開会式の壮
大な花火でその名を世界に知らしめた蔡に目で挨拶しながら、中
 国とアメリカの連携を祝ってグラスを掲げた。蔡は
中国の象徴をパフォーマンスアートで
 祝うことで知られて
いて、万里の長城の終点から火薬と導火線を1万メートルにわたって
 敷設し、順次爆発させていく「万里の長城1万
メートル延長プロジェクト」を成功させた
 こともある。そ
の夜のパーティは・100万ドル以上の寄付金を集め、さまざまな新聞や
 雑誌に取り上げられた※。

Susan Wattcrs,“NO Longer a Party Divided at Sackler Muscum,”Women's Wear  Daily Deccm-
      ber 3, 2012,http://www.wwd.com/eye/Parties/no -longer-a-Party-divided-6517532; Miguel

     Bcnavidcs,“Arthur M. Sackler Gallcry CClcbratcs 25th Annivcrsary,” Studio International,Nove-
     mbcr 2012, httP://www.studiointcmational.com/index.PhP/arthur-m-sacklcr-gallery-celcbrates-25
     th-anniversary.


  翌日、ナショナル・モールで紹介された蔡は、スーツに
グレーのオーバー、オレンジ色
 のスカーフといういでたち
だった。白髪の、スマートでハンサムな彼は、ナショナナル・
 モールを見渡し、自らの最新の作品であるクリスマスツリーに視線を注いだ。高さがビル
 の4階ほどもあり、2000発の爆薬がしかけられている。蔡が小型の点火装置のスイッ
 チをひねると、観客の目の前でツリーが爆発した。枝を厚い黒煙が覆う。蔡は再びスイッ
 チをひねり、ツリーは再び爆発した。さらに3度目が繰り返された。この5分間のパフォ
 ーマンスで広大な芝生一面にツリーの葉が散り、中国による火薬発明の象徴である黒い煙
 幕が、スミソニアン博物館の顔ともいえる赤煉瓦の建物の正面玄関に押し寄せた※。この
 爆発で出た破片や残骸をすっかり片づけるには2ヵ月はかかるだろう。

※ "Black Christmas Trce”は以下のサイトで動画が視聴可能。http://www.youtube.com/watch?
       v
=UeZyGnxTWXY
.

 
  クリスマスまでIカ月を切ったこの日に、自分はなぜ、アメリカの首都の真ん中で
中国
 人アーティストがキリスト教のシンボルを吹き飛ばすのを見ているのだろう、と考えた人
 がゲストのなかにいたかどうかは定かではない,わたし自身、爆発の瞬間に、その破壊行
 為を正しいことだと思ったかどうかは覚えていないが、他の観客と一緒に拍手したのは確
 かだ。政治的な論争が起きることを予見したのだと思うが、博物館のスポークスマンはワ
 シントン・ポスト紙に「作品自体は必ずしもクリスマスに因むものではない」と語った※。

MauraJudkis,“Sackler to Celebrate Anniversary with a Daytime Fireworks Display,’ Washinton
      Posr, November 29, 2012,http://www.washington post.com./enter
tainment/museunls/sackler-to
      -cclebrate-anniversary-with-a-daytime-fireworks-display/2012/H/29
/7fdf2104-3a35-He2-8a97-363
      bofgaoab3_story.html.


  実際、博物館は蔡のパフォーマンスをただ「花火」と呼んだ。蔡が自らのウェブサイト
 で「黒いクリスマスツリー」と呼んだのに比べると、曖昧な呼び方だった。※。
  クリントン国務長官の側近がマスコミの一団に見えるように金メダルを掲げると、蔡は
 控えめに微笑んだ。蔡が受賞したのは、アメリカ国務院芸術勲章だ。芸術分野で活躍した
 個人や団体にアメリカ政府が贈る最高栄誉の賞で、このようなパフォーマンスに贈られる
 のは初めてである。メダルはクリントン長官から、アメリカの納税者の厚情による25万
 ドルの賞金とともに蔡に授与された。長官によると、受賞理由は、蔡が「理解と外交の前
 進に貢献した」からだ※。蔡も同じ考えのようだった。

The Art in Embassics Fiftieth Anniversary Luncheonでのヒラリー・ローグム・クリントン国
   務長官による発言。Novembcr 30. 2012,httP://m.state.gov/md201314.htm.


 「すべてのアーティストは外交官のようなものです」と彼は言った。
 「芸術はときに、政治にはできないことを可能にします※」

“Medal of Arts Conversation,”U.S.DCPartmcnt of State,Novcmbcr 30, 2012,httP://art.state.gov/
      Anniversary.asPX?tab
=images&tid=106996. 
 


  わたしはいくらか疑いを抱き、翌日、中国から亡命してきた元高官と秘密裏に会った際
 に、蔡のことを話題にした。元高官は、賞についても、ツリーの爆破についても、信じが
 たいといった面持ちだった。わたしたちはインターネットをくまなく探した。蔡とその芸
 術作品について、さらに知りたいと思ったからだ。それも蔡の才能を讃える英語の記事で
 はなく、中国人が中国語で、最も称賛される自国民について書いているサイトに目を向け
 た。

  蔡には中国国内に非常に多くのファンがいることがわかった。間違いなく彼は、かつて
 も今も、中国では艾未来についで最も人気のある芸術家だ。蔡のファンの多くは、ナショ
 ナリストで、蔡が西洋人の目の前で西洋の象徴を壊したことに喝采を送った。
  中国のナショナリストは自らを「タカ派」と呼ぶ。タカ派の多くは陸海軍の将官や政府
 の強硬派で、彼らに会ったことのあるアメリカ人はごくわずかだ,しかし、わたしは彼ら
 のことをよく知っている。と言うのも、1973年以来、アメリカ政府の指示で、彼らと
 ともに仕事をしてきたからだ。アメリカの同僚の中には、タカ派を変わり者扱いする人も
 いるが、わたしに言わせれば、彼らの言葉こそが中国の本音なのだ※。

※ 同様の見解については Yawei Liu and Justine Zheng Ren‘An Emerging Consensus on the US
     Threat: The united States
According to PLA Officer, "Journal of Contemporary China 23, no.86
     (2014):255-74. 
タカ派の役割のより懐疑的な見解については Andrcw Chubb,"Arc China’s
     Hawks Really thc PLA Elitc Aftcr AII?[Rcviscd],” southseaconversations blog, posted Dcccmbcr
     5, 2013,(2014
年4月7日アクセス)。http://southseaconversations.wordPress.com/2013/12/05
     /are-chinas-hawks-actually-the-Pla-elite-after-all/.Chubb
は次のように言う。「タカ派は人民解
   放軍の考えを代表する場合もあるが、それを公にするのは賞賛されるときだけだ」(傍
   点は原著者による)。


  蔡とタカ派は、「アメリカの凋落と強い中国の台頭」という物語を強く支持していると
 思われる(偶然にも、蔡の「國強」という名は、中国語で「強い国」という意味だ)。蔡
 の初期の展覧会は、趣向はさまざまだが、テーマは一貫してその物語だった。たとえば、
 アメリカ人兵士がアフガニスタンやイラクでIED(即製爆弾)の攻撃にさらされていた
 時明に、蔡は自動車の爆破をシミュレートし、見る人に、「テロリストの兵器と攻撃がも
 たらす一種の贖罪的美」を味わうことを求めた※。また彼は、9・11テロ攻撃について、
 それが芸術であるかのように、世界の観衆にとって「見物」だと、眉を上げて言った。ま
 もなくして、オックスフォード大学のある教授が、蔡國強の愛読書が「超限戦:全球化時
 代戦争或戦法(制限のない戦争:グローバル時代の戦争と戦略)』であることを明かした
 そうだ※。それはふたりの中国人大佐による軍事分析の書で、「テロを含む非対称な方法
 (訳注*正規の軍事カではない思いがけなぃ方法)でアメリカを攻撃する」ことを中国政
 府に提唱している※。そしてツリーが爆破された今、中国のプロガーは、アメリカ連邦議
 会議事堂の目と鼻の先で彼らのヒーローがキリスト教のシンボルを破壊したことを喜んで
 いた。このジョークはわたしたちへの強烈な当てつけだと思われた。


William A.Callahan,“Patriotic Cosmopolitanism: China's Non-omcial lntcllcctuals Drcam of
      thc Futurc,"British Inter-University China Center(BICC) Working Paper Series 13(Octobcr 2009)
      :9,httP://www.bicc.ac.uk/nlcs/2012/06/13-Callahan.pdf

※ 同上
※ 同上。Callahan は同書について8~9ページで次のように書いている。
「(本書は)ふたり
   の人民解放軍の陸軍将官が、アメリカヘの攻撃に、テロを含む非対称兵器を利用すること
   を中国政府に提案するためのものだ」以下も参照。Qiao Liang and Wang xianghui,Choxia-
      nzhan: Quanqiuhua Shidai Zhanzheng Yu Zhanfa
[Unrestricted Warfare: War and Strategy in the
      Globalization Era]
(Beりing: Social Scienccs Press, 2005[1999]).


  わたしも後になって知ったのだが、蔡に賞金を贈ることに尽力したアメリカの高官は、
 彼の背景やその芸術の疑わしい戦略について何も知らなかったそうだ。妻もわたしも騙さ
 れたような気分だった。わたしたちは、目の前で繰り広げられている破壊的なパフォーマ
 ンスの意味を知らずにはしゃぐ、のん気な未開人そのものだった。そして大きな目で見れ
 ば、アメリカの対中政策も同様の愚を犯しているのだ。中国の指導者は西洋諸国の人々に、
 中国の台頭は平和的になされ、他国に犠牲を強いることはないと信じさせた,しかし彼ら
 が進めている戦略は、それを真っ向から否定するものだった。

                             「序 章 希望的観測」
                 マイケル・ピルズベリー 『China 2049』

 




昨夜の「今夜の一曲」のつづきなるが、たまたま、BS放送を観ていると、マイケル・ピルズベ
リーが生放送に出演、同氏の近著(同上)の宣伝も兼ね?対中政策のインタビューを放映。も
ちろん、同氏の著書や履歴などは全く知らないが、尖閣列島や南沙諸島での紛争の対抗策とし
て、同氏が中国政府の弱点を突く「ボイコット」(=不買運動)は考えたことはないのかと、
フジテレビジョンのアナウンサーとコメンテイタに反質するも、日本では政経分離で、まった
く考えていないという風な受け答えを行っていたが、わたしと同じことを考えている(『国際
的不
買運動の準備』2015.06.20)――ボイコット運動には(1)中国が反日でやるような官製
運動
と(2)非政府団体が行う国際連帯運動の2通り考えられる、後者を想定――のではない
かと
興味を惹き、早速、伊国屋書店へオンライン発注し目を通す。

 




同著の概要はネット上で紹介――小平が、天安門事件で西側諸国による制裁を受けて出した
外交方針「韜光養晦(とうこうようかい)」は、これまで「中国は、経済発展を最優先するの
で、海外との摩擦は最小限に抑え平和を求める」方針だと理解されてきたが、「それは誤った
解釈」で、「韜光養晦の本質は『野心を隠す』」時間稼ぎ策で、これこそ中国の長期的な野望
を象徴し、中国共産党には、中華人民共和国を設立した時から「再び世界の覇権国としての地
位を奪還する目標に従いその実現のために百年に及ぶ戦略を実行している――されている(日
経ビジネスオンライン 2015.09.18)。それによると次のようになる。

(1)米中国交正常化は中国からの働きかけにより実現
(2)新興国は覇権国に潰される運命にある
(3)「韜光養晦」は中国の戦略を象徴する言葉
(4)毛沢東の愛読書『資治通鑑』が起源の覇権戦略
(5)習近平は「強中国夢」のゴールを2049年であると公言


なんぼ抽斗が多いと言っても、外交分野はずぶの素人ここは熟っくりと読み進めようと決める。

                                                                                              この項つづく                       

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ゾンビなトライアングル

2015年10月28日 | 時事書評

 

 

 

    匠人の削りて能わざるも、その縄を排するなきがごとし。 /   墨子



      ※ ここでの「縄」とは「墨縄」のこと、「原則」の暗喩。

 

 

【時代は太陽道を渡る 19】

● 界面依存なペロブスカイト太陽電池

瀬川浩司東京大学教授らの研究グループは、ペロブスカイト太陽電池のヒステリシスが生じる原因が
「酸化チタン/ペロブスカイト」界面における格子のミスマッチが主因であると結論た。前回につづ
き今回はそれを裏付ける「等価回路」を提案し、界面接合の不完全接触により誘起されるキャパシタ
(電気容量)成分が IーV曲線の分裂を計算機上で再現し検証。
このことから、(1)
メチルアンモニウムイオンのダイポールモーメント(双極子モーメント)が原
因説や(2) ペロブスカイトの誘電性説、(3)イオンのマイグレーションなど諸説あるが、こうし
材料そのものの性質には起因せず、単に層間の接合の善し悪し(デバイスの出来不出来)がヒステ
リシスの多寡に影響を与えることを意味する。

有機金属ハロゲン化物ペロブスカイトに基づく効率的なハイブリッド型太陽電池はI-Vヒステリシ
スの起源が大きな問題となり議論されている。今回、
異なる等価回路モデルの模擬I-V曲線は、逆
スキャン(開放回路→短絡回路)と順スキャン(短絡回路→開放回路)で18.0%と8.8%の変換
効率のペロブスカイト太陽電池平面のIV曲線で、二重ダイオード、コンデンサ、シャント(回路の
電流を検出する)抵抗器シリーズと単一直列抵抗器シリーズとで構成する等価回路モデルを使い模擬
IV曲線を生成させ、大きなヒステリシスを実験観察し検証する。このように、酸化チタン/CH3NH3
PbI3 とCH3NH3PbI3 /spiro-OMeTAD 界面での格子不整合欠陥により生成した電気容量がペロブスカイ
ト太陽電池のヒステリシス(塑性変形)の起源とする。

そこで、環境管理が徹底できれば、日本発の太陽核融合エネルギー変換デバイス(=太陽電池)の爆
発的普及が想定され、これは面白くなりそうだ。




※ シャント抵抗器とは(下図)



Determination of Chloride Content in Planar CH3NH3PbI3-xClx Solar Cells by Chemical Analysis 15.05.21
     http://doi.org/10.1246/cl.150385

 

 

※  ペロブスカイト太陽電池とは

『ペロブスカイト太陽電池』と称する特殊な結晶構造を持つもので、現在主流のシリコン系に比べ、
格段に安く太陽電池を作れる。炭素などの有機物、鉛などの金属、ヨウ化物や塩化物といったハロゲ
ン化物で構成する“有機無機ハイブリッド型”簡単に製作でき、高い発電効率が得られることで注目
される。シリコン系に必要な高温加熱や高真空プロセスが要らず、基板の上で多孔質の酸化チタンに
溶液を塗布して乾かすだけで作製できる。1平方メートル当たり150円程度の原材料を塗るだけで
発電できる特徴がある。そもそも『ペロブスカイト太陽電池』は09年に桐蔭横浜大学 宮坂力教授ら
のチームがペロブスカイト結晶の薄膜を発電部に使用、太陽電池として動作することを突き止る。

初は発電効率が低く注目されなかったが、12年に米科学誌『サイエンス』の“10.9%”の発電効
率を実現したニュースことで注目を浴びる。
 

その後、世界各国から高効率化したとの成果が次々と発表され、14年にシリコン系と比べてもヒケ
を取らない約20%の変換効率を達成。物質・材料研究機構(NIMS)の開発チームがペ、ロブスカイ
ト太陽電池の製造プロセスで製品バラつき原因の水分や酸素を排除することで、理想的な半導体特性
を実現。
また東京大学の瀬川浩司教授は壁や人が発する赤外光を吸収して発電する“色素増感型”太
陽電池を『ペロブスカイト太陽電池』と組合わせることで、シリコン系を超える発電効率の高い太陽
電池の開発に成功。
『ペロブスカイト太陽電池』は今や世界中が注目、日本発の画期的な発明(もう
1つノーベル賞候補)だけに国家レベルで実用化を後押しすべきであろう。




● ナスの受粉作業が省ける遺伝子の発見

農研機構とタキイ種苗株式会社が共同で、ナス、トマト、ピーマン等のナス科野菜に単為結果性 (受
粉させなくても果実が着果・肥大する性質) をもたらす新しい遺伝子を発見し、国際特許出願 (出願
番号PCT/JP2015/ 051239) 。タキイ種苗株式会社が育成いた単為結果性のナス系統「PCSS」を調査、
この系統にはひとつの遺伝子に突然変異があること、果実の成長に必要な植物ホルモンであるオーキ
シンがこの変異で増えること――単為結果性の原因であることを明らかにする。この成果で、同株式
会社は「PCSS」の強い単為結果性を持つと同時に収量性や果実品質にも優れたナスの実用品種を育成
中で近く発表するとのこと。さらに、トマトやピーマンにも同じ働きを持つ類似の遺伝子があり、ナ
スと同様に単為結果性品種の開発に利用できることも明らかにする。他のナス科野菜での単為結果性
品種の開発にもつながり、国内生産現場における生産性向上や栽培の省力化に大きく貢献できるとみ
られている。

 WO/2015/108185

※ コドン:遺伝暗号の単位

一般に、ナスの通常型遺伝子Pad-1と比べて、PCSS系統の変異型遺伝子pad-1ではタ
ンパク質のコー
ド領域のうち後半部分から最終末端(終止コドン)までが完全に失わ
れる。このような大規模な欠失
が起き、変異型のpad-1から作られ
る遺伝子産物(タンパク質)は正常な機能をほぽ完全に失ってい
ると考えられている。なるほどと思うかたわらで、大きな欠失にもかかわらず、何故、茄子の形がた
もっているのか素人には不思議でたまらない。が、先をすすめよう。

 

上図では、開花時の子房ではPCSSの内生オーキシン(LAA)含量は通常型(一般のナス)の約3倍の
高い値を示し、これが単為結果が誘導される原因と考える。茎頂(茎
の先端)では IAAの内生量には
大きな違いがないため、pad-1に生じた変異のオー
キシン含量への影響は子房に限定的と考える。

また、上図の、トマト、ピーマンにおけるPad-1 直系遺伝子の機能概説によると、トマトでは遺伝子
組換え、ピーマンでは人為
突然変異により、Pad-1 直系遺伝子の働きを抑制し、果実肥大の有無を調
べると、一般
のトマト(a)とピーマン(d)では、未受粉条件で果実の肥大が全く認められず、一方、
伝子を抑制した個体では、未受粉でも果実
の明瞭な肥大が認めらる(トマト;b,c、ピーマン;e)。
受粉なしで、果実内部
には完全な種子なしとなっている。

このように、低温期におけるナスの促成栽培では、果実の確実な着生と肥大を促すため、マルハナバ
チ類等を用いる受粉促進や着果促進剤の施用が広く行われているが、マ
ルハナバチ類の利用する場合、
(1)一定の導入経費を必要とする。(2)また、マルハナバチ類のうち、
外来種は利用に法令上の
制限があることなどの問題点がある。(3)さらに、着
果促進剤の施用は全労働時間の約330%を
要する重労働であり、その軽減策が求めら
れている。

このような背景のもと、着果促進対策を必要としない単為結果性をもつ
品種の開発には大きな期待が
寄せられてきた。
これまでにナスのDNAマーカー連鎖地図の構築など、分子遺伝学の手法を用い品種
改良技術の高度化に取り組んむ。一方、タキイでは
強い単為結果性を示すナス系統「PCSS」が育成さ
れ、11
年より共同で「PCSS」のもつ単為結果性遺伝子の単離とその作用機作の解明による新しい育
種技術の開発に着手してきた。今回下記の4つの成果をえる。

1)ナス系統「PCSS」の単為結果性は第3染色体上にある変異型遺伝子pad-1(仮称)によりもたら
 されること、この遺伝子は通常型の遺伝子pad-1が自然突然変異により機能を失ったものであるこ
 とが明らかにされた。
2)「PCSS」の開花時の子房5)では、普通のナスに比べてオーキシン(IAA)の含量が約3倍から5
 倍程度高いことが明らかになる。オーキシンはナスやトマトの着果促進剤として広く用いられてい
 ることから、子房のIAA濃度が高いことが「PCSS」の単為結果性の原因であると推定される。
3)通常型のPad-1遺伝子は子房のIAA含量を低く保つ働きをもつ酵素をコードしていることがわかり
 変異型のpad-1持つ遺伝子を持つ「PCSS」ではその機能が失われれ、子房のIAA含量が上昇してい
 ると考えられる。
4)トマトおよびピーマンにおいてPad-1の直系遺伝子(オルソログ)の働きを妨げると、ナスと同様
 に、IAA含量が向上するとともに単為結果性が確認された。このことから、Pad-1の機能が抑制する
 ことで、単為結果性となる現象は、ナス、トマト、ピーマンに共通であることがわかった。

以上だが、ナス、トマト、ピーマンは大量に広範に消費されている現状から、"この差" の影響は大き

いと思われる。

 

 

 ● 今夜の一曲

 

米国防当局者は米国時間26日、米海軍のミサイル駆逐艦「ラッセン」が、南シナ海で中国が造成し
た人工島から12カイリ(約22キロ)の境界に接近しており、12カイリ内に数時間とどまる見通
しだと明らかにした。米国防当局者はロイターに対し、「オペレーションが始まった。数時間以内に
完了するだろう」と述べた。

太平洋戦争前、執拗に米国は日本の「侵略」を咎め、ABCD包囲網を敷いた。いままさに、CをJ
に置き換え包囲網を敷く。軍と軍が向かい合えば、"鳥の羽音"での開戦もありうる。歴史は繰り返す。
「パリは燃えている」と誰かが電話をかけているのかもしれない。

 

  ハロウイン

【ゾンビなトライアングル】

● ハロウィン-ゾンビ-放射能汚染(突然変異)

日本でハロウィンのイベントを楽しむようになり、ゾンビっぽい仮装が目立つ昨今。米国人は何でもゾンビ化さ
せるのかと不思議に思う。そもそも、ハロウィンまたはハロウィーン(Halloween)とは、毎年10月31日の夜
におこなわれる西洋の年中行事で、古代ケルト人のドルイド教――その司祭を
ドルイド(Druideといい、
占いを行い、生活面でも指導者である。霊魂の不滅を信じ、主神を中心
にし系統づけられた動植物や
天空の自然神を崇拝宗教。ドルトイは、宗教者にとどまらず、政治指導
したり、争い事の調停を行う、
ケルト社会の重要面で役割を果たす司祭――が起源とされている収穫
祭のこと。

万聖節(諸聖人の日:11月1日)の前夜祭にあたり「諸聖人の日(All Hallows)」の「前夜(eve)」である「Hallows
eve
訛り「Halloween」 となった。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊――人間は霊魂と肉体との結合より
なとみなし、霊魂は肉体が滅びたあとも永遠に存在し、未来の生活をもつと
いう説で不死説の一種。
神話的、原始的霊魂観として一般的で、祖先崇拝、輪廻転生説などに発展。
宗教の源泉とみなされて
いて、その霊魂こと霊の仲の悪しき霊を――追い払う宗教的な意味合いの
行事。現代ではで米国で民
俗行事として定着。米国などでは宗教的な意味合いが薄れ、カボチャをくりぬき、中にロウソクを立
てた「ジャック オー ランタン(Jack-o’-lantern)」を飾り、幽霊や魔女に仮装した子供たちが、近
所の家を訪問してお菓子をもらう風習が定着する。
ハロウィンの言葉で有名なのは、「トリックオア
トリート(Tric or Treat)」。
このトリックオアトリートは、ハロウィンで仮装した子供たちが、近所
の家を訪問してお菓子をもらう時に使う決まり文句(
「お菓子をくれないと悪戯するぞ」との意)
ので、言われた方は「Happy Halloween!」と答えて、お菓子をあげるのが習わし。そのときの子供の
行動規範は、①団体行動する(一人は絶対ダメ)、②知らない家は訪問しない、③蛍光色など目立つ
色のものを身に着ける、④ランタンや懐中電灯を持参する、⑤もらったお菓子は保護者がチェックし
てから食べる。⑥銃を持ち歩かない(発砲しない)――いや、⑥は冗談です。



それじゃ、仮装のテーマがゾンビ(英語: Zombie)――何らかの力で死体のまま蘇った人間の総称で
ホラーやファンタジー作品などによく登場し、「腐った死体が歩き回る」という描写が多い――にな
った起源は何だろう?ネット上で検索してもよくわからない。お化けを好むのは洋の東西問わずあり
がちなことだが、どうも、ホラー映画やカプコンのゲーム・シリーズの影響と思うが、欧米や日本の
ホラー映画の「サバイバルホラー」が起源かもしれない。この言葉は96年に発売された『バイオハ
ザード』――バイオハザード (biohazard)とは、 生物災害。病原体や細菌の実験や研究などで人体・
自然の生態系に生じる危険のことで、いまだに解明されていない病気(釘宮病他)や抑えきれない衝
動の解放(変態など)によって引き起こされる未曽有の災害―――のことだが、それ以前のゲームの
『アローン・イン・ザ・ダーク』はこのジャンルの先駆け。この言葉は『バイオハザード』以前に発
売された同種のゲームにもよく現れている。
 

ゾンビといえば、このところ、日本では原発の再稼働やその審査許可が続き、フェード・アウトどこ
ろか、死者が黄泉がえっているから皮肉な話で、内部被爆の実態もわからないのに、無謀にも動かす
という反社会的行為を公権力が行うのだから「最高の道徳」も地に落ちたもの。それほどミュータン
トの仮装を楽しみたいというなら、"美し国”の他でやってくれないかなとハロウィンを前にして思
ったりする。

黄昏のワルツ

 

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営農林管理ドローン技術

2015年10月27日 | 新弥生時代

 

 

 

    いま天下義をなす者なければ、子われに勧むべきに、何の故にわれを止むる。

                                                               墨子

 

 




● 日本は世界一の農業立国 ?!

25日投開票された宮城県議選(定数59)で、共産党が改選前の4議席から8議席(現職3、新人
5)に倍増。
9月の国会で成立した安全保障関連法や、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の
大筋合意などへの批判
が、共産党の議席を押し上げた格好。改選前に28議席だった自民党は、石巻・
牡鹿選挙区(定数5、石巻市
、女川町)や加美選挙区(定数1、色麻、加美町)で現職が落選。公明
党は4議席を維持した(朝日新聞デジタ
ル 2015.10.26)。

このニュースをみて、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)批判の先鋒の三橋貴明の主張を思い
だした。彼の主張には大筋同意できるものの、農産品大国ニュージランドは広大な大地で生産でき価
格では日本は及ばずカナダですら太刀打ちできないと発言していたが(「おはよう寺ちゃん活動中」
2015.10.14)、これには不同意である。確かに、平野部が狭く、山間部が多いことは指摘される通り
だが、それは技術的に克服可能だと考えている。

尚、彼は特定のイデオロギーをもたないとするが、オールドケインズ主義的な傾向が看られ、「戦争
(=軍備拡張)は有効需要」と見なすような言動が気になるところだが、第二次安倍内閣をレントシ
ーキング(=特殊利益追・超過利潤追求)内閣と批判するなどは面白い。
 

  High Tech Farming

その1つが、今朝の「NHKニューズ7」で放送された、久保幹立命館大学教授らの土壌分析技術の
可能性。これはすでにブログ掲載している(『人工培土工学』2014.09.15/上図クリック)。また、
その実証は、守山市(滋賀県)やアフリカでの例が同テレビ放送で紹介されていた。


 これまでの一般的な土壌診断手法は、土壌中の窒素・リン酸・カリなど、化学的性質を調べるも
 のがほとんどで、土壌中での有機物など生物的性質を調べる評価手法は難しかった。 しかし、
 久保教授の研究チームが開発したSOFIXは、土壌中の微生物量や微生物による窒素やリン酸
 などの分解・循環活性などを定量的に調べることで、世界で初めて生物的性質を使った分析を可
 能にした。従来の土壌診断では、対象となる農作物が違えば同じ土壌でも異なる処方箋が必要だ
 ったが、SOFIXで示される指標は、「その土壌で育つ植物の活性を示すものであり、どんな
 農作物でも、さらには樹木などでも、栽培する品種ごとに異なる処方箋は必要ない」というメリ
 ットがある。
           
                   「微生物で土壌の肥沃度を測定」(『人工培土工学』)
  
                    

   

これは農作物が対象だけれど、放牧地の開拓に応用できる。例えば、山間部に牛・馬・羊・鶏など放
牧畜養する場合、あらかじめ飼料の草穀物育成に肥沃な培土(=土壌)に転換するためのツールとし
て同上技術を適用し土壌改良し放牧すれば、最小農地で、高品質な畜養・畜牧が可能だ。何だったら
ソーラーシュアリング酪農・牧畜に応用展開させれば、再生可能エネルギーを同時に得ながら、牛乳
やバター、チーズの生産も可能だし、果樹栽培、森林栽培へと応用できる。要は"クール・アグリカル
チャー
"というわけだ。久保教授らの事業化は、全国に裕福な農業従事者を育成輩出する教育機構でも
あり、自ずと世界一の競争力を備えることになるから、海外から買い求めにくることも時間の問題だ
ろう。

 
Forest Value Investment Management S.A.

ところで、野菜が5、6割高いということだが、これへの対応も簡単だ。まず、(1)土壌が押さえられれば 、次は
(2)農業用水これは干魃・乾燥には欠かせない、地下水から、ダム貯水から揚水し、特殊な散水設備を考案し、
栄養分や病原菌対策を施した農業・牧畜用水を最適散布すればよい。洪水、特に近年のゲリラ豪雨や竜巻な
どの異常気象には、大きくて頑丈なグラスハウス(温室)が必要となるが、農協のような相互会社(民営化)、あ
るいは、品種特化した食用物を栽培する株式会社(民間化)で対応し、キャシュフローの軽減産助政
策を、前
普及期に法整備・税金投入すればよいだろう。さらに、営農林管理ドローン技術を駆使し、
土壌分析用サンプリングシステムなどの開発も併せてやって。以上、これらは、「第二の農地解放
を意味している。もっとクールに。



 

  

● 折々の読書 『職業としての小説家』26   

  よく「小説の登場人物に、実在する人をモデルとして使いますか」という質問をされます。答
 えはおおむね「ノー」でありますが、部分的には「イエス」です。僕はこれまでけっこうたくさ
 ん小説を書いてきましたが、最初から意図して「このキャラクターは現実のこの人を念頭に置い
 て書いた」ということは二、三度しかありません。「これはこの人がモデルでしょう――と誰か
 に
 見透かされたりしたら――とくにその誰かが本人である場合にはいやだなといくぶん心配し
 
ながら書いたのですが(どれもちょっとした脇役でした)、幸いにしてそういう指摘を受けたこ
 とはまだ一度もありません。その人物をいちおうモデルに据えてはいるものの、モれなりに用心
 深くみっちり作り替えて書いているので、まわりの人にはたぶんわからないのだと思います。お
 そらくは本人にも。

  それよりはむしろ、僕が誰のことも念頭に置かずに、頭の中で勝手にこしらえた架空のキャラ

 クターについて、「この人がモデルなんでしょう」みたいに決めつけられることの方がずっと多
 いです。場合によっては「このキャラクターは自分がモデルになっている」と堂々と主張する人
 まで出てきます。サマセット・モームはある小説の中で、まったく面識のない、名前を聞いたこ
 とさえない人から「自分が小説のモデルにされた」と訴訟をおこされて困惑した話を書いていま
 す。モームは小説の中で、一人一人のキャラクターをありありとリアルに、ある場合にはかなり
 意地悪く(よくいえば風劇的に)描くので、そういうリアクションも強いものになってくるので
 しょう。彼の書くそのような巧妙な人物描写を読んでいて、あたかも自分が個人的に批判された
 り、からかわれたりしているように感じる人が出てくるのかもしれません。

 William Somerset Maugham

  多くの場合、僕の小説に登場するキャラクターは、話の流れの中で自然に形成されていきます。
 「こういうキャラクターを出そう」と前もって決めることは、僅かな例外を別にすれば、まずあ
 りません。書き進めていくうちに、出てくる人々のあり様の軸みたいなものが自然に立ち上がり、
 そこにいろんなディテールが次々に勝手にくっついていきます。磁石が鉄片をくっつけていくみ
 たいに。そのようにして全体的な人間像ができあがっていきます。あとになって思うと、「ああ、
 このディテールはあの人のこういう部分にちょっと似ているかもしれない」みたいなことはしば
 しばあります。でも最初から「よし、今回はあの人のこの部分を使ってやろう」と決めてキャラ
 クターを作っていくことはまずありません。多くの作業はむしろ自動的におこなわれます。つま
 り僕はそのキャラクターを立ち上げるにあたって、脳内キャビネットからほとんど無意識的に情
 報の断片を引き出し、それを組み合わせている、ということになるのではないかと思います。 

  そういう自動的な作用を、僕はきわめて個人的に「オートマこびと」と名付けています。僕は
 だいたいずっとマニュアル・ギアの車に乗っているのですが、初めてオートマティ″ク・ギアの
 車を運転したとき、「このギアボックスの中にはきっとこびとが何人か住んでいて、そいつらが
 手分けしてギアの操作をしているに違いない」と感じました。そしていつかそんなこびとたちが
 「ああ、他人のためにこんなにあくせく働くのにもう疲れた。今日はちょっと休むぜ」みたいな
 ストライキを起こして、車が高速道路の上で急に動かなくなったりするんじやないかと、うっす
 らとした恐怖さえ感じました。

  僕がそういうことを言うとみんな笑うんですが、でもまあとにかく「キャラクター立ち上げ」
 みたいな作業に関しては、僕の中に生息している無意識下の「オートマこびと」たちが、今のと
 ころ(ぶつぶつ文句を言いつつも)なんとかあくせくと働いてくれるようです。僕としてはそれ
 をせっせと文章に書き写しているだけです。もちろんそうやって書かれたものがそのまま作品に
 組み込まれるということではなく、それは後日何度も書き直され、かたちを変えていきます。そ
 ういう書き直し作業は自動的というよりはもっと意識的に、ロジカルにおこなわれます。しかし
 原型の立ち上げに関して言えば、それはかなり無意識的で、直感的な作業になります。というか、
 ならざるを得ません。そうしないと、どこかしら不自然な、生きていない人間像ができてしまっ
 たりします。ですからそういう初期プロセスは、「オートマこびとにおまかせ」みたいなことに
 なるわけです。

  小説を書くには何はともあれ多くの本を読まなくてはならない、というのと同じ意味合いにお
 いて、人を描くためには多くの人を知らなくてはならない、ということがやはり言えると思いま
 す。
  知るといっても、相手を理解したり、よくわかったりするところまで行く必要はありません。
 その人の外見やら言動の特徴やらをちらっと目に留めておくだけでいいんです。ただ自分が好き
 な人も、それほど好きではない人も、はっきり言って苦手な人も、できるだけ選り好みせずに観
 察することが大事です。というのは自分の好きな人、自分が関心を持てる人、理解しやすい人ば
 かり登場させていたら、その小説は(長期的に見ればということですが)広がりを欠いたものに
 なってしまうからです。いろんな異なったタイプの人々がいて、そういう人たちがいろんな異な
 った行動をとって、そのぶつかり合いによって状況に動きが出て、物語が前に進んでいきます。
 だから一目見て「こいつは気にくわないな」と思っても目を背けたりせず、「どのあたりが気に
 入らないか」「どういう風に気に入らないか」といった要点を頭に留めておくようにします。

  僕はずっと昔三十代の半ばくらいだったと思うのですが-ある人に「あなたの書く小説には悪
 い人が出てきませんね」と言われたことがあります(あとになって知ったことですが、カート・
 ヴォネガット・ジュニアも亡くなる前のお父さんにまったく同じことを言われたそうです)。
 そう言われて僕も「考えてみればたしかにそうかもしれないな」と思い、それ以来意識して、ネ
 ガティブなキャラクターを小説の中に登場させようと試みました。でもなかなか思うようにいき
 ませんでした。当時の僕は、物語を大きく動かすというよりは、自分の私的な――どちらかとい
 えば調和的な――世界を構築していくことの方に気持ちが向かっていたからです。荒々しい現実
 の世界に対抗するシェルターとして、まずそういう僕自身の安定した世界を確立しなくてはなら
 なかった。

  Kurt Vonnegut Jr.

  でも年齢を重ねるにつれて――(人間として作家として)成熟するにつれてと言ってしまって
 もいいかもしれませんが――徐々にではあるけれど、自分の書く物語にネガティブな、あるいは
 非調和的な傾向を持つキャラクターを配することができるようになってきました。どうしてそれ
 ができるようになったかというと、まず第一に自分の小説世界の形がいちおうできあがり、そこ
 そこ機能するようになり、次の段階としてその世界をより広く深く、よりダイナミックなものに
 することが重要な課題になってきたからです。そのためには、そこに登場する人々をよりバラエ
 ティー豊かなものにし、人々のとる行動の振幅をより大きいものにしていかなくてはなりません。
 そういう必要性を強く感じるようになってきたわけです。

  それに加えて、僕自身が実生活でいろんな種類の体験をくぐり抜けた――くぐり技けないわけ
 にはいかなかった――ということもあります。三十歳でいちおう職業的小説家になり、存在がパ
 ブリックになったことで、好むと好まざるとにかかわらず、正面からかなり強く風圧を受けるよ
 うになりました。僕自身は決して進んで表に出ていく性格ではないのですが、心ならずも前に押
 し出されてしまう場合があります。やりたくないことも時としてやらなくてはならなかったし、
 親しくしていた人に裏切られてがっかりすることもありました。利用するために心にもない賞賛
 の言葉を並べる人もいれば、意味もなく――としか僕には思えないのですが――罵声を浴びせか
 けてくる人もいます。あることないことを言われたりもします。そのほかいろいろ普通では考え
 られないような奇妙な目にもあってきました。

  僕はそんなネガティブな出来事に遭遇するたびに、そこに関わってくる人々の様子や言動を子
 細に観察することを心がけました。どうせ困った目にあわなくちゃならないのなら、そこから何
 か役に立ちそうなものを拾い上げていこうじゃないかと(「何はともあれ元は取らなくちゃ」と
 いうことですね)。そのときはもちろんそれなりに傷ついたり落ち込んだりしましたが、そうい
 う体験は小説家である僕にとって少なからず滋養に満ちたものであったと、今では感じています。
 もちろん素敵なこと、楽しいことだってけっこうあったはずなんですが、今でもよく覚えている
 のはなぜか、どちらかといえばネガティブな体験の方です。思い出して楽しいことよりは、むし
 ろあまり思い出したくないことの方をよく思い出します。結局のところ、そういうものごとから
 の方が、学ぶべきことは多かったということになるのかもしれませんね。



  考えてみると僕の好きな小説には、興味深い脇役が数多く登場する小説が多いようです。そう
 いう意味合いでまずぱっと頭に浮かぶのは、ドストエフスキーの『悪霊』ですね。お読みになっ
 た方はわかると思うんですが、あの本にはなにしろ変てこな脇役がいっぱいでてきます。長い小
 説ですが、読んでいて飽きません。「なんでこんなやっか」と思うようなカラフルな人々、けっ
 たいなやつらが次々に姿を見せます。ドストエフスキーという人はきっとものすごく巨大な脳内
 キャビネットを持っていたのでしょう

 

  日本の小説でいえば、夏目漱石の小説に出てくる人々も実に多彩で、魅力的です。ほんのちょ
 っとしか顔を出さないキャラクターでも、生き生きとして、独特の存在感があります。そういう
 人たちの発する一言や、表情や動作が不思議に心に残ってしまったりします。漱石の小説を読ん
 でいていつも感心するのは「ここでこういう人物が出てくることが必要だから、いちおう出して
 おきます」みたいな間に合わせの登場人物がほとんど一人も出てこないことです。頭で考えて作
 った小説じゃない。しっかりと体感のある小説です。言うなれば、文章のひとつひとつに身銭が
 切られています。そういう小説って、読んでいていちいち信用できてしまうところがあります。
 安心して読めます。


                        「第九回 どんな人物を登場させようか?
                             村上春樹 『職業としての小説家』


飽きないですね~ぇ。ほんと! 次回も第九回のつづき。


                                      この項つづく

 

 

 

 

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メンフィス・ベルな広岡浅子

2015年10月26日 | 時事書評

 

 

 

 

 

    万事、義より貴きはなし。  /  墨子

 

 

 



昨夜の話の続き。種橋さんの戦争体験伝承の間、実はわたしも母や伯母の大阪大空襲――世界大戦末
期にアメリカ軍が繰り返し行った、大阪市を中心とする地域への戦略爆撃(=無差別爆撃)。45

3月13日翌深夜から日未明にかけ、最初の大阪空襲が行なわれ、その後、6月1・7・15・26
日、7月10・24日、8月14日に空襲が行なわれ、この空襲で一般市民 1万人以上が死亡――
の体験談を語る。このようにじっくりと話しをしたのは彼とが初めてであったが、戦争の悲惨さと指
導者たちへの戦争責任に対する吽形像のごとく双方了解しあった。

   空襲後の大阪市街

偶然にも翌日、BS放送でマイケル・ケイトン=ジョーンズ監督の手になる90年制作のイギリス映
画『メンフィス・ベル』(原題:Memphis Belle)を観ることとなる。あらすじは割愛するが爆撃目標
のブレーメンの飛行機工場。容赦ない攻撃で友軍機が墜ちていく。上空に達したが、煙幕で目標が見
えず、国際ルールを遵守し無差別爆撃を避けるため、操縦士のデニスは見えるまで危険な白昼の旋回
を続けることを決意煙幕が晴れ任務を貫徹させるシーンが印象的。

なお、第二次世界大戦中、英国に駐留し、独国に対する昼間爆撃任務の米国第8空軍は、25回の出
撃を達成した爆撃機の搭乗員が帰国できるようにしていた。この25回達成を広報利用に、陸軍少佐
として映画監督のウィリアム・ワイラーを従軍させる。
撮影準備中、第303爆撃航空群第358爆
撃飛行隊のB-17FF「ヘルズ・エンジェルス」号(シリアル・ナンバー41-24577)が25回を達成。
「メンフィス・ベル」号(第91爆撃航空群第324爆撃飛行隊所属 シリアル・ナンバー41-24485)
が撮影に使われることになる。実は
メンフィス・ベル号が25回の出撃を達成したのは、43年5月
17日。搭乗員は、英国王ジョージ6世の参列する式典に参加し、6月6日に凱旋帰国、戦時国債の販
売促進のため全米を巡るが、
全ての乗員がメンフィス・ベル号で全25回の任務を遂行したわけでは
なく、機長のモーガン大尉は20回、副操縦士のヴァーニスは1回しかメンフィス・ベル号で出撃し
ていない。
 

 

国策映画として作製したものだが、リメイク版のこの作品は人道的側面から撮影されていて、一昨年
々末の日本映画
の『永遠の零』とこれも、深夜に鑑賞したNHKのBSプレミアム映画『戦火の馬』
とオーバーラップ。こみ上げるものがあり涙する。

  

 

 

● 『あさが来た』が問いかける広岡浅子伝

大阪の大空襲の残像を追っかけていると、ふと、NHKの朝の連続ドラマ『あさが来た』で女優の波
留が演じるヒロインのモデルの広岡浅子を思い浮かべ、建築士の実弟が前田建設のスタジオ104で
米国領事館の梅田新道への移転プランが採用されたバブルまっ只中当時のエピソードにフィクサーな
どの笹川(良一・陽兵)・広岡(?)・田岡(一雄)・林(正之助)など登場するがその連関をたぐ
るも不祥のため打ち切るが、ここで曾根崎小学校一年のときメレル・ヴォーリズの設計による大同生
命ビルや住友銀行のビルを肥後橋で休憩をとりながら眺めていた記憶と広岡浅子――京都油小路出水・
三井家出身。大阪の豪商(両替商)加島屋で知られる広岡家新宅の嫡子信五郎と結婚。明治維新の動
乱で広岡家の家運が傾くと事業再建に奔走。九州の炭鉱経営、加島銀行、大同生命の創設・経営に参
画。晩年、日本女子大学創立など女子教育や、キリスト教活動に注力――と交錯する。


 

 

ネット上に彼女の生い立ちなどの情報があふれているので、屋上屋を避けるが、明治を代表する、豪
気・
英明な天性から「一代の女傑」と称えられるペンネームが九転十起生(きゅうてんじっきせい)
の女性実
業家である。晩年日本女子大学設立後も女子教育に対する情熱は衰えるず14年(大正3年)
から死の前
年(18年)までの毎夏、避暑地として別荘を建設した御殿場・二の岡で若い女性を集め
た合宿勉強会を
主宰し、参加者には若き日の市川房枝や『あさが来た』の前々作の『花子とアン』の
ヒロイン村岡花子も
参加しているが、明治維新と文明開化・富国強兵、彼女が没した大正八年に亡き
父が誕生し。メンフィス
ベルが活躍した第二次世界大戦で日本が連合軍に敗北したの後、47年に広
岡恵三が第二会社を設立した
翌年にわたしが誕生し、78年加島屋久右衛門家は10代で終焉するこ
とになるが、広岡浅子が存在しな
ければ加島屋久右衛門家は早くに衰退していただろう。このように
歴史を手繰ると生きている奇跡を感じる。



さて、実在したB-17(F)型「メンフィス・ベル」とは、テネシー州の港町メンフィスから来た
美人(ベル)という意味でジョージ・ペティが描いたイラストでこれを機首に搭乗員のスターサー伍
長に描かせた――因みに、ロバート・モーガン機長は、このイラストモデルのマーガレット・ポーク
と恋に墜ちるが、このロマンスは実らず、43年12
月にドロシー・ジョンソンと結婚――B-17
は武装強化され、帰還回数が25回から35回まで延長されているほどのタフな爆撃機であったが、
そのタフさという意味で、"あさ
"こと広岡浅子はタフな英傑であったと感心するほどだ。なお、この
シリーズの視聴率も25%~35%を維持されんことを祈る。

 

 

● 折々の読書 『職業としての小説家』25   

  たとえば二〇一一年三月の、福島の原子力発電所事故ですが、モの報道を追っていると、『こ
 れは根本的には、日本の社会システムそのものによってもたらされた必然的災害(人災)なんじ
 ゃないか」という暗喩とした思いにとらわれることになります。おそらくみなさんもおおむね同
 じような思いを抱いておられるのではないでしょうか。
  原子力発電所事故のために、数万の人々か住み慣れた故郷を追われ、そこに帰るめどさえ立た
 ないという立場に追い込まれています。本当に胸の痛むことです。そのような状況をもたらした
 ものは、直接的に見れば、通常の想定を超えた自然災害であり、いくつか重なった不運な偶然で
 す。しかしそれかこのような致命的な悲劇の段階にまで押し進められたのは、僕が思うに現行シ
 ステムの抱える構造的な欠陥のためであり、それが生み出したひずみのためです。システム内に
 おける責任の不在であり、判断能力の欠落です。他人の痛みを「想定」することのない、想像力
 を失った悪しき効率性です。

  「経済効率か良い」というだけで、ほとんどその一点だけで、原子力発電か国策として有無を
 言わせず押し進められ、そこに潜在するリスクが(あるいは実際にいろんなかたちでちょくちょ
 くと現実化してきたリスクが)意図的に人目から隠蔽されてきた。要するにそのつけが今回我々
 にまわってきたわけです。そのような社会システムの根幹にまで染み込んだ「行け行け」的な体
 質に光を当て、問題点を明らかにし、根本から修正していかない限り、同じような悲劇かまたど
 こかで引き起こされるのではないでしょうか。

  原子力発電は資源を持たない日本にとってどうしても必要なんだという意見には、それなりに
 一理あるかもしれません。僕は原則として原子力発電には反対の立場をとっていますか、もし信
 頼できる管理者によって注意深く管理され、しかるべき第三者機関によって運営が厳しく監視さ
 れ、すべての情報か正確にパプリックに開示されていれば、そこにはある程度の話し合いの余地
 かあるかもしれません。しかし原子力発電のような致命的な被害をもたらす可能性を持つ設備が、
 ひとつの国を滅ぼすかもしれない危険性をはらんだシステムが(実際にチェルノプイリ事故はソ
 ビエト連邦を崩壊させる一因となりました)、「数値重視]「効率優先」的な体質を持つ営利企
 業によって運営されるとき、そして人間性に対するシソパシーを欠いた「機械暗記」「上意下達」  
 的な官僚組織かそれを「指導」「監視]するとき、そこには身の毛もよだつようなリスクが生ま
 れます。それは国土を汚し、自然をねじ曲げ、国民の身体を損ない、国家の信用を失墜させ、多
 くの人々から固有の生活環境を奪ってしまう結果をもたらすかもしれません。というか、それか
 まさに実際に福島で起こったことなのです


  話がいささか広がってしまいましたか、僕か言いたいのは、日本の教育システムの矛盾は、そ
 のまま社会システムの矛盾に結びついているのだということです。あるいはむしろモの逆かもし
 れませんが。いずれにせよそのような矛盾をこのまま放置しておくような余裕はもはやないとい
 うところまで来てしまいました。

  とにかく、また学校のことに話を戻します。

  僕か学校時代を送った一九五〇年代後半から六〇年代にかけては、いじめや登校拒否は、まだ
 それほど深刻な問題にはなっていませんでした。もちろん学校や教育システムに問題かなかった
 というのではないのですか(問題はけっこうあったと思います)、少なくとも僕自身に関してい
 えば、自分のまわりにいじめや登校拒否の例を目にすることはほとんどありませんでした。いく
 つかあるにはあったけれど、それほど深刻なものではありませんでした。
 
  戦後まだ間もない時代で、国全体かまだ比較的貧しく、「復興」「発展]というはっきりとし
 た目標を持って動いていたせいかあるのだろうと僕は考えます。問題や矛盾を含んでいるにせよ、
 そこには基本的にポジティブな空気がありました。子供たちの間にもおそらく、そういうまわり
 の「方向性」のようなものは、目に見えず作用していたのでしょう。子供たちの世界にあっても、
 ネガティブな精神モーメントが大きな力を持つことは、日常的にはあまりなかったように思いま
 す。というか、「このままかんばっていれば、まわりの問題や矛盾はそのうちにだんだん消えて
 いくのではないか」という楽観的な思いが基本にありました。だから僕も学校がそれほど好きで
 はなかったけれど、まあ「行くのか当たり前」のこととして、とくに疑問も抱かず、わりに真面
 目に学校に通っていました。

  でも今では、新聞や雑誌やテレビの報道にそのような話題か出てこない日が珍しいというくら
 い、いじめや登校拒否は大きな社会問題になっています。いじめを受けた少なくない数の子供た
 ちか、自らの命を絶っています。これは本当に悲劇という以外に言いようがありません。いろん
 な人かそのような問題についていろんな意見を述べ、社会的にいろんな対策かとられていますが、
 その傾向が収まる気配はいっこうに見えません。

  なにも生徒同上のいじめだけではありません。教師の側にもかなり問題かありそうです。けっ
 こう前の話になりますが、神戸の学校で始業ベルとともに正門の重い扉を先生か閉めて、女生徒
 がそこに挾まれて亡くなってしまったという事件がありました。「最近は生徒の遅刻があまりに
 多く、そうせざるを得なかった」というのか、その教師の弁明でした。遅刻するのはもちろんあ
 まり褒められたことではありません。しかし学校に数分遅刻することと、一人の人間の命とどち
 らか重い価値を持つか、そんなのは考えるまでもないことです。

  この先生の中では「遅刻を許さない」という狭い目的意識が頭の中で異様に特化して膨らんで、
 世界をバランス良く見る視野が失われています。パラソスの感覚というのは教育者にとってとて
 も大切な資質であるはずなのですが。新聞には「でもあの先生は教育熱心な良い先生だったから」
 という父兄のコメントも載っていました。しかしそういうことをロにする――ロにできる――方
 にもかなり問題がありそうです。殺された側の、押しつぷされた痛みはいったいどこにやられて
 しまったのでしょう?

  比喩的に生徒を圧殺してしまう学校というものは想像できるのですが、肉体的に実際に生徒を
 圧死させてしまう学校となると、これは僕の想像を遥かに超えています。
  そのよりな教育現場の病的症状(と言っていいと思います)は、言うまでもなく、社会システ
 ムの病的症状の投影にほかなりません。社会全体に自然な勢いがあり、目標がしっかり定まって
 いれば、教育システムに多少の問題かあったとしても、それはなんとか「場の力」でもってうま
 く乗り越えられます。しかし社会の勢いが失われ、閉塞感のようなものがあちこちに生まれてき
 たとき、それか最も顕著に現れ、最も強い作用を及ぼすのは教育の場です。学校であり、教室で
 す。なぜなら子供たちは、坑道のカナリアと同じで、そういう濁った空気をいちばん最初に、最
 も敏感に感じ取る存在であるからです。

  さっきも申し上げましたように、僕が子供だった頃は、社会そのものに「伸びしろ」がありま
 した。だから個人と制度のせめぎ合いみたいな問題も、そのスペースに吸収されていって、それ
 ほど大きな社会問題にはならなかった。社会全体が動いていたから、そのモーメントがいろんな
 矛盾やフラストレーションを呑み込んでいきました。別の言い方をすれば、困ったときに逃げ込
 むことのできる余地や隙間みたいなものか、あちこちにあったわけです。しかし高度成長時代も
 終わり、バブルの時代も終わった今となっては、そういう避難スペースを見つけることかむずか
 しくなっています。大きな流れにまかせておけばなんとかなる、というようなおおまかな解決方
 法はもはや成立しません。

  そういう「逃げ場の不足した」社会かもたらす教育現場の深刻な問題に対して、我々はなんと
 か新たな解決方法を見つけていく必要かあります。というか、順番から言いますと、その新たな
 解決方法を見つけることのできそうな場所を、まずどこかにこしらえていく必要があります。
 
  それはどのような場所か?

  個人とシステムとかお互いに自由に動き、穏やかにネゴシエートしなから、それぞれにとって
 最も有効な接面を見出していくことのできる場所です。言い換えれば、一人ひとりがそこで自由
 に手足を伸ぼし、ゆっくり呼吸できるスペースです。制度、ヒエラルキー、効率、いじめ、そん
 なものから離れられる場所です。簡単に言えば、温かな一時的避難場所です。誰でもそこに自由
 に入っていけるし、そこから自由に出て行くことかできます。それは言うなれぽ「」と「共同
 ]との緩やかな中間地域に属する場所です。そのどのあたりにポジションをとるかは、一人ひ
 とりの裁量にまかされています。とりあえずそれを僕は「個の回復スペース」と呼びたいと思い
 ます。

  最初は小さなスペースでいいんです。何も大がかりなものでなくていい。手作りみたいな狭い
 場所で、とにかくいろんな可能性を実際に試してみて、もし何かがうまくいくようであれば、そ
 れをひとつのモデル=たたき台として、より発展させていけばいい。そのスペースをだんだん広
 げていけばいい。僕はそう考えます。時間はある程度かかるかもしれませんが、それかいちぱん
 正しい、筋の通ったやり方ではないかと思います。そういう場所かいろんなところに、自然発生
 的に生まれていけばいいなと思うのです。

  最悪のケースは、文科省みたいなところか上からひとつの制度として、そういうものを現場に
 押しつけることです。僕らはここで「個の回復」を問題としているわけですから、それを国家か
 制度的に解決しようとしたりすれば、まさに本末転倒というか、一種の笑劇になりかねません。
 僕個人の話をしますが、今から振り返って考えてみると、学校に通っていた頃の僕にとってのい
 ちばん大きな救いは、そこで何人かの親しい友人を作れたことと、たくさんの本を読んだことだ
 ったと思います。

  本について言えば僕は、なにしろ実にいろんな種類の書物を、燃えさかる窯にスコップで放り
 込むみたいに、片端から貪り読んでいきました。それらの書物を一冊一冊味わい、消化していく
 だけで日々忙しく(消化しきれないことも多かったですが)、それ以外のものごとについて考え
 を巡らせているような余裕もほとんどないような状態でした。僕にとってはそれかかえって良か
 ったのかもしれないなと思うこともあります。自分のまわりの状況を見回し、モこにある不自然
 さや矛盾や欺隔について真剣に考え、納得いかないことを正面から追及していったとしたら、あ
 るいは袋小路みたいなところに追い込まれ、きつい思いをしていたかもしれません。

  それとともに、いろんな種類の本を読み漁ったことによって、視野かある程度ナチュラルに
 「相対化」されていったことも、十代の僕にとって大きな意味あいを持っていたと思います。本
 の中に描かれた様々な感情をほとんど自分のものとして体験し、イマジネーションの中で時間や
 空間を自由に行き来し、様々な不思議な風景を日にし、様々な言葉を自分の身体に通過させたこ
 とによって、僕の視点は多かれ少なかれ複合的になっていったということです。つまり今自分か
 立っている地点から世界を眺めるというだけではなく、少し離れたよその地点から、世界を眺め
 ている自分自身の姿をも、それなりに客観的に眺めることかできるようになったわけです。

  ものごとを自分の観点からばかり眺めていると、どうしても世界がぐつぐつと煮詰まってきま
 す。身体かこわばり、フットワークが重くなり、うまく身勤きかとれなくなってきます。でもい
 くつかの視点から自分の立ち位置を眺めることができるようになると言い換えれば、自分という
 存在を何か別の体系に託せるようになると、世界はより立体性と柔軟性を帯びてきます。これは
 人かこの世界を生きていく上で、とても大事な意味を持つ姿勢であるはずだと、僕は考えていま
 す。読書を通してそれを学びとれたことは、僕にとって大きな収穫でした。

  もし本というものかなかったら、もしそれほどたくさんの本を読まなかったなら、僕の人生は
 おそらく今あるものよりもっと寒々しく、ぎすぎすしたものになっていたはずです。つまり僕に
 とっては読書という行為が、そのままひとつの大きな学校だったのです。それは僕のために建て
 られ、運営されているカスタムメイドの学校であり、僕はそこで多くの大切なことを身をもって
 学んでいきました。そこにはしちめんどくさい規則もなく、数字による評価もなく激しい順位
 争いもありませんでした。もちろんいじめみたいなものもありません。僕は大きな「制度」の中
 に含まれていなから、そういう別の自分自身の「制度」をうまく確保することかできたわけです

  僕がイメージしている「個の回復スペース」というのは、まさにそれに近いものです。何も読
 書だけに限りません。現実の学校制度にうまく馴染めない子供たちであっても、教室の勉強にそ
 れほど興味が持てない子供たちであっても、もしそのようなカスタムメイドの「個の回復スペー
 ス」を手に入れることができたなら、そしてそこで自分に向いたもの、自分の背丈に合ったもの
 を見つけ、その可能性を自分のペースで伸ばしていくことかできたなら、うまく自然に「制度の
 壁」を克服していけるのではないかと思います。しかしそのためには、そのような心のあり方=
 「個としての生き方」を理解し、評価する共同体の、あるいは家庭の後押しが必要になってきま
 す。

  うちの両親はどちらも国語の先生だったから(母親は結婚したときに仕事をやめましたが)、
 僕が本を読むことについては、終始ほとんど一言も文句を言いませんでした。僕の学業成績に対
 して少なからず不満は持っていても、「本なんか読まないで試験勉強をしなさい」とは言われな
 かった。あるいは少しは言われたかもしれないけど、記憶には残っていません。まあその程度に
 しか言われなかったのでしょう。それはやはり僕が両親に対して、感謝しなくてはならないこと
 のひとつであるように思います。


  もう一度繰り返しますが、僕は学校という「制度」があまり好きになれませんでした。何人か
 の優れた教師に巡り合うことかできて、いくつかの大事なことは学べましたが、それを相殺して
 余りあるくらい、ほとんどの授業や講義は退屈でした。学校生活を終えた時点で、「人生でもう
 これ以上の退屈さは必要ないんじゃないか」と思えるくらい退屈でした。でもまあ、いくらそう
 思ったところで、僕らの人生において、退屈さは次から次へと、容赦なく空から舞い降り、地か
 ら湧いて出てくるわけですが。

  でもまあ、学校が好きでしょうがなかった、学校に行けなくなってとても淋しいというような
 人は、あまり小説家にはならないのかもしれません。というのは、小説家というのは、頭の中で
 自分だけの世界をどんどんこしらえていく人間だからです。僕なんかも授業中は、授業なんかろ
 くに聞かないで、ありとあらゆる空想に耽っていたような気かします。もし僕が今現在子供だっ
 たら、学校にうまく同化できず、登校拒否児童になっていたかもしれません。僕の少年時代には
 幸か不幸か、登校拒否みたいなことがまだトレンドにはなっていなかったので、「学校にいかな
 」なんていう選択肢そのものがなかなか頭に浮かぽなかったみたいです。

  どんな時代にあっても、どんな世の中にあっても、想像力というものは大事な意味を持ちます。
  想像力の対極にあるもののひとつが「効率」です。数万人に及ぶ福島の人々を故郷の地から追
 い立てたのも、元を正せばその「効率」です。「原子力発電は効率の良いエネルギーであり、故
 に善である」という発想か、その発想から結果的にでっちあげられた「安全神話」という虚構か、
 このような悲劇的な状況を、回復のきかない惨事を、この国にもたらしたのです。それはまさに
 我々の想像力の敗北であった、と言っていいかもしれません。今からでも遅くはありません。我
 々はそのような「効率」という、短絡した危険な価値観に対抗できる、自由な思考と発想の軸を
 個人の中に打ち立てなくてはなりません。そしてその軸を、共同体=コミュニティーヘと伸ばし
 ていかなくてはなりません。

  とはいっても、僕か学校教育に望むのは「子供たちの想像力を豊かにしよう」というようなこ
 とではありません。そこまでは望みません。子供たちの想像力を豊かにするのは、なんといって
 も子供たち自身だからです。先生でもないし、教育設備でもありません。ましてや国や自治体の
 教育方針なんかではない。子供たちみんながみんな、豊かな想像力を持ち合わせているわけでは
 ありません。駆けっこの得意な子供かいて、一方で駆けっこのあまり得意ではない子供かいるの
 と同じことです。想像力の豊かな子供だちかいて、その一方で想像力のあまり豊かとは言えない
 ――でもおそらく他の方面に優れた才能を発揮する子供たちがいます。当然のことです。それが
 社会です。「子供たちの想像力を豊かにしよう」なんていうのかひとつの決まった「目標」にな
 ると、それはそれでまたまた変なことになってしまいそうです

  僕か学校に望むのは、「想像力を持っている子供たちの想像力を圧殺してくれるな」という、
 ただそれだけです。それで十分です。ひとつひとつの個性に生き残れる場所を与えてもらいたい。
 そうすれば学校はもっと充実した自由な場所になっていくはずです。そして同時に、それと並行
 して、社会そのものも、もっと充実した自由な場所になっていくはずです,
  僕は一人の小説家としてそう考えます。まあ、僕が考えて、それでどうなるというものでもな
 いのでしょうか。

                                「第八回 学校について」
                             村上春樹 『職業としての小説家』


                                      この項つづく

 

 

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時代は太陽道を渡る18

2015年10月25日 | デジタル革命渦論

 

 

 

    いま士の身を用うるは、商人の一布を用うるの慎むにしかず。 / 墨子

 

 

● 史上最強のハリケーン「パトリシア」 メキシコに上陸

最強ハリケーン、「大きな被害ない」も油断できない状況

史上最強のハリケーン「パトリシア(Patricia)」が23日夕方(日本時間24日朝)、中米メキシコ
西部ハリスコ(Jalisco)州の太平洋沿岸に上陸している(上図)。ハリケーンの強さを示す「シンプ
ソン・スケール(Saffir-Simpson Hurricane Scale)」で最高のカテゴリー5に勢力を拡大し、沿岸地域
に猛烈な雨となっている。米国立ハリケーンセンター(NHC)によると上陸前の最大風速は90メー
トル(瞬間最大風速は110メートルを記録)。




こういう時代は当面、史上最高記録の塗り替えが常態化すると確信したのは、1999年の夏のある
日であったことを思い出す。


【時代は太陽道を渡る18】

● 世界初!変換効率25%超の1・2・3フィニッシュのクール・ジャパン

株式会社カネカとNEDOは両面電極型ヘテロ接合結晶シリコン太陽電池として世界最高となるセル
変換効率25.1%を実用サイズの5インチのセルサイズ(152平方センチメートル)で達成(測
定値はドイツFraunhofer Instituteが認定。技術的詳細は15年10月28日に開催されるNEDOの
「2015年度新エネルギー成果報告会」で発表。結晶シリコン系太陽電池では、パナソニックが、
14年4月に実用セルで変換効率25.6%、シャープも同月に、同25.1%を達成しているので、
カネカは実用サイズの同系太陽電池で25%台を達成の3社目のメーカーとなった。 

 

ただし、パナソニックとシャープの太陽電池は、共に、セルの裏面にのみ電極を形成した構造を採用。
一方、カネカの開発品は、セルの表側にも電極を残す両面電極型。同型のシリコン系太陽電池として
は初の25%台となる。 前回と同様に今回もセルの表側のバス配線に銅配線を銅めっき法で形成し、
また、高品質のアモルファスシリコンを用いた結晶シリコン基板の表面欠陥低減技術などがが特徴



※ これは蛇足だが、日本の現状水準からいえば、開発目標値が低く設定されすぎではないかと考える。

 

 

● 再生可能エネルギーは、基幹電源として育成?!

今月22日、太陽光発電協会(JPEA)は、「太陽光発電シンポジウム」を都内で開催。経済産業省の
省エネルギー・新エネルギー部の藤木俊光部長が「再生可能エネルギーの現状」と題して講演した(
日経テ
クノロジーオンライン 2015.10.23)。それによると、(1)長期エネルギー需給見通しで示し
た30年度における電源構成(ベストミックス)では、再生可能エネルギーの比率を22~24%と
した。この数字には賛否があるが、相当、努力する必要がある数字。(2)水力を除いた再エネは急
増したといっても14年度で3.2%に過ぎない。ベストミックスでの再エネ比率は、30年には20
%を超えて基幹電源になってもらうというメッセージ。22~24%は最低限、責任を持ってほしい
数字。(3)固定価格買取制度(FIT)による普及をブームに終わらせず、FIT後を睨み、いかに自立
した電源育成するかが課題。(4)トータルとしての効率をさらに高めて国民負担を減らすこと(5)
電力システム改革の中で市場取引を通じていかに活用していくかが課題。以上のように要約されるが
迫力がたらない。


  ● 今夜の一品

   Totem™

60リットルの大容量を持つキッチン用ゴミ箱。取り外し可能なコンテナボックスがあり、ゴミを分
別し捨てることができる。消臭フィルターやワンタッチ開閉フタを備えて、使いやすくて便利な一品、
これからの時代の一品だ。

 

 

 

● 折々の読書 『職業としての小説家』24  

  僕は高校時代の半ばから、英語の小説を原文で読むようになりました。とくに英語か得意だっ
 たわけじゃないんですが、どうしても原語で小説を読みたくて、あるいはまだ日本語に翻訳され
 ていない小説を読みたくて、神戸の港の近くの古本屋で、英語のペーパーバ″クを一山いくらで
 買ってきて、意味かわかってもわからなくても、片端からかりかり乱暴に読んでいきました。最
 初はとにかく好奇心から始まったわけです。そしてそのうちに「馴れ」というか、それほど抵抗
 なく横文字の本か涜めるようになりました。当時の神戸には外国人か多く住んでいたし、大きな
 港があるので船員もたくさんやってきたし、そういう人だちか、まとめて売っていく洋書が占本
 屋にいけばいっぱいありました。僕が当時読んでいたのは、ほとんどが派手な表紙のミステリー
 とかSFとかですから、それほどむずかしい英語じゃありません。言うまでもないことですか、
 ジェームズ・ジョイスとかヘンリー・ジェイムズとか、そんなややこしいものは高校生にはとて
 も歯が立ちません。しかしいずれにせよ、本を一冊、最初から最後までいちおう英語で読めるよ
 うになりました。なにしろ好奇心がすべてです。しかしその結果、英語の試験の成績が向上した
 かというと、そんなことはぜんぜんありません。あいかわらず英語の成績はぱっとしませんでし
 た。



  どうしてだろう? 僕は当時、そのことについてけっこう考え込んでしまいました。僕より英
 語の試験の成績が良い生徒はいっぱいいるけれど、僕の見たところ、彼らには英語の本を一冊読
 み通すことなんてまずできません。でも僕にはおおむねすらすら楽しんで読める。なのにどうし
 て、僕の英語の成績は相変わらずあまり良くないのだろう? それで、あれこれ考えた末に僕な
 りに理解できたのは、日本の高校における英語の授業は、生徒か生きた実際的な英語を身につけ
 ることを目的としておこなわれてはいないのだということでした。

  じゃあいったい何を目的としているのか? 大学受験の英語テストで高い点数を取ること、そ
 れをほとんど唯一の目的としているのです。英語で本か読めたり、外国人と日常会話ができたり
 なんてことは、少なくとも僕の通った公立校の英語の先生にとっては、些末なことでしかありま
 せん(「余計なこと」とまでは言いませんが)。それよりはひとつでも多くのむずかしい単語を
 記憶したり、仮定法過去完了かどういう構文になるかを覚えたり、正しい前置詞や冠詞を選んだ
 り、というようなことか重要な作業になります。

  もちろんその手の知識も大事です。とくに職業として翻訳をするようになってからは、そのよ
 うな基礎知識の手薄さを、あらためて痛感しました。でもそういう細かいテクニカルな知識は、
 その気にさえなれば、あとからいくらでも補強できます。あるいは現場で仕事をしながら、必要
 に応じて自然に身につけていけます。それよりもっと大事なのは「自分は何のために英語(ある
 いは特定の外国語)を学ぼうとしているのか」という目的意識です。モれか曖昧だと、勉強はた
 だの「苦役」になってしまいます。僕の場合の目的はとてもはっきりしていました。とにかく英
 語で(原語で)小説か読みたい。とりあえずはそれだけです。

  言語というのは生きているものです。人間も生きているものです。生きている人間か生きてい
 る言語を使いこなそうとしているのだから、そこにはフレキシピリティーがなくてはなりません。
 お互いか自在に動いていって、いちばん有効な接面を見つけなくてはなりません。実に当たり前
 のことなんだけど、学校というシステムの中では、そういう考え方はぜんぜん当たり前のことで
 はなかった。モういうのはやはり不幸なことだと僕は思うんです。つまり学校というシステムと、
 僕というシステムかうまくかみ合っていなかったということになります。だから学校に行くこと
 があまり楽しくなかった。仲の良い友だちやら、可愛い何人かの女の子やらかクラスにいたから、
 いちおう毎日通ってはいましたが。

  もちろん「僕の時代はそうだった」ということですし、僕が高校生だったのは半世紀近く昔の
 ことです。それから状況はずいぶん変化したのだろうと思います。世界はどんどんグローバル化
 しているし、コンピュータや録音録画機器などの導入によって教育現場の設備も改良され、ずい
 ぶん便利になっているはずです。とはいえその一方で、学校というシステムのあり方、その基本
 的な考え方は、今でも半世紀前とそれほど違いかないんじゃないか、という気がしないでもあり
 ません。外国語に関していうなら今だってやはり、本当に生きた外国語を身につけるためには、
 個人的に外国に出て行くしか方法かないみたいです。ヨーロでハなんかに行くと、若い人たちは
 たいてい流暢に英語を話します。本なんかも英語でどんどん読んでしまう(おかげで各国の出版
 社は自国語に訳された本か売れなくて困っているくらいです)。でも日本の若い人たちの多くは
 しゃべるにせよ、読むにせよ、書くにせよ、今でもまだ生きた英語を使うことか苦手なようです。
 これはやはり大きな問題だと僕は考えます。このようないびつな教育システムをそのままに放置
 しておいて、一方で小学生のうちから英語を勉強させたって、そんなものはあまり役に立たない
 でしょう。教育産業を儲けさせるだけです。

  英語(外国語)だけではありません。ほとんどすべての学科において、この国の教育システム
 は基本的に、個人の資質を柔軟に仲ぱすことをあまり考慮していないんじゃないかと思えてなり
 ません。いまだにマニュアル通りに知識を詰め込み、受験技術を教えることに汲々としているよ
 うに見えます。そしてどこの大学に何人合格したというようなことに、教師も父兄も真剣に一喜
 一憂している。これはいささか情けないことですよね。
  学校に通っている間、よく両親から、あるいは先生から「学校にいる間にとにかくしっかり勉
 強をしておきなさい。若いうちにもっと身を入れて学んでおけばよかったと、大人になってから
 必ず後悔するから」と忠告されましたか、僕は学校を出たあと、そんな風に思ったことはただの
 一度もありません。むしろ「学校にいる間にもっとのびのび好きなことをしておけばよかった。
 あんなつまらない暗記勉強をさせられて、人生を無駄にした」と後悔しているくらいです。まあ
 僕はいささか極端なケースかもしれませんか。

  僕は自分の好きなこと、興味のあることについては、身を入れてとことん突き詰めていく性格
 です。中途半端なところで「まあ、いいか」と止まってしまったりはしません。自分の納得のい
 くところまでやる。しかし興味か持てないことは、それほど身を入れてやらない。というか、身
 を入れようという気持ちにどうしてもなれないのです。そのへんの見切りのつけ方は昔からずい
 ぶんはっきりしています。「これをやりなさい]とよそから(とくに上から)命じられたことに
 関しては、どうしてもおざなりにしかできないのです。

  スポーツにしてもそうです。僕は小学校から大学まで、体育の授業かいやでいやでしょうかあ
 りませんでした。体操着に着替えさせられて、グラウンドに連れて行かれて、やりたくもない運
 動をさせられるのか苦痛でたまらなかった。だからすっと長いあいだ自分は運動が不得意なんだ
 と思っていました。でも社会に出て、自分の意思でスポーツを始めてみると、これかやたら面白
 いんです。「運動するのってこんなに楽しいものだったのか」と目から鱗がぽろぽろと落ちたよ
 うな気持ちかしました。じゃあ、これまで学校でやらされてきたあの運動はいったい何だったん
 だろう? そう思うと茫然としてしまいました。もちろん人それぞれですし、簡単に一般化はで
 きないでしょうか、極端に言えば、学校の体育の授業というのは、人をスポーツ嫌いにさせるた
 めに存在しているのではないのか、そういう気さえしました。

  もし人間を「犬的人格]と「猫的人格]に分類するなら、僕はほぽ完全に猫的人格になると思
 います。「右を向け」と言われたら、つい左を向いてしまう傾向があります。そういうことをし
 ていて、ときどき「悪いな」とは思うんだけど、それか良くも悪くも僕のネイチャーになってい
 ます。そして世の中にはいろんなネイチャーかあっていいはずです。でも僕か経験してきたロ本
 の教育システムは、僕の目には、共同体の役に立つ「犬的人格」をつくることを、ときにはそれ
 を超えて、団体丸ごと目的地まで導かれる「羊的人格」をつくることを目的としているようにさ
 え見えました。

  そしてその傾向は教育のみならず、会社や官僚組織を中心とした日本の社会システムそのもの
 にまで及んでいるように思えます。そしてそれは-その「数値重視」の硬直性と、「機械暗記」
 的な即効性・功利性志向は-様々な分野で深刻な弊害を生み出しているようです。ある時期に
 はそういう「功利的」システムはたしかにうまく機能してきました。社会全体の目的や目標がお
 おむね自明であった「行け行け」の時代には、そういうやり方か適していたかもしれません。し
 かし戦後の復興か終わり、高度経済成長か過去のものとなり、バプル経済が見事に破綻してしま
 ったあと、そういう「みんなで船団を組んで、目的地に向かってただまっすぐ進んでいこうぜ」
 的な社会システムは、その役割を既に終えてしまっています。なぜなら僕らのこれからの行き先
 はもう、単一の視野では捉えきれないものになってしまっているからです。

  もちろん世の中が侠みたいな身勝手な性格の人間ばかりだったら、それはそれでちょっと困っ
 たことになるでしょう。しかしさきほどの喩えで言えば、大きなやかんと小さなやかんは、台所
 の中で上手に併用されなくてはなりません。用途に応じて目的に応じて、それらをうまく使い分
 けていくのが人間の知恵というものです。あるいはコモンセンスというものです。いろんなタイ
 プの、いろんな時間性の思考方法や匪界観がうまく組み合わされ、それで初めて社会が円滑に、
 良い意味で効率よく動いていくのです。簡単に言えば[システムの洗練化」ということになるの
 かもしれません。

  どんな社会においてももちろんコンセンサスというものは必要です。それなくしては社会は立
 ちゆきません。しかしそれと同時に、コンセンサスからいくらか外れたところにいる比較的少数
 派の「例外」もそれなりに尊重されなくてはなりません。あるいはきちんと視野に収められてい
 なくてはなりません。成熟した社会にあっては、そのバランスが重要な要素になってきます。モ
 のバランスの取り方によって、社会に奥行きと深みと内省が生まれます。でも見たところ現在の
 日本では、そういう方向に向けての舵かまだ十分うまく切られていないようです。
 

                                「第八回 学校について」
                             村上春樹 『職業としての小説家』


                                                          この項つづく

 

一昨日、亡母の弔いに、母と旧交のあった司法書士で県立大学の湖風会初代会長の種村清一さんが訪
れる。彼女が初回忌(9月27日)をすませたことの連絡とお礼にお邪魔させてていただいたときに
は外出不在であ
ったため奥様にその旨を伝え帰ってきている。新米のお供え物と自宅の畑の芋茎ずい
きを頂く。近況のこと母との思い出をしばらく話していたが、母が代理委託した「遺言書」をいれた
封書を差し出され、突然のことで驚いたが、彼が心配していたので、その後の顛末を話し、その封書
を返却して頂いた。



さらに、話は広がり、終戦前後の体験を語りはじめ、24年の夏に空襲の体験――近江鉄道が飛来し
た濃緑色のグラマン戦闘機とジュラルミン色のロッキー戦闘機の機銃掃射を受け
被災者の出血で血の
海になっ車内の片付けや、軍事工場(現在近江高校)からの空襲火災の消火の手伝や現在のJR彦根
駅の空襲の体験など詳細に話された。これは彼が戦争体験を伝えておきたいとの
意志の表れであること
を理解した。約1時間ほど話し終えたところで、芋茎の皮むきの実演と前処理方法を教えていただい
た。


※ 低空飛行の機銃掃射でパイロットの頭が見えるほどの低さ。

 

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エンブレムとしての国旗

2015年10月24日 | 時事書評

 

 

 

 

    最も重要なのは勝つことです。 /  エディ・ジョーンズ

  



● 話題沸騰 世界ラクビー杯 2015 クール・ジャパン

ワールドカップで勝利するのは、91年以来24年ぶりのこと。日本代表チーム最大の持ち味である
粘り強さを生かし、試合終了間際に逆転勝利するという奇跡的な勝利を収めたことが話題を呼んでい
。ワールドカップイングランド大会の1次リーグB組第1戦で優勝候補の南アフリカ代表と対戦し
34対32で逆転勝利は「ラグビー史上最大の番狂わせ」と受け止められたがその理由は?そこで指
摘さ
れているのが、(1)最高のメンタルで臨め――日本はW杯で24年間勝てなかったが、エディ
ー・ジョー
ンズHC(ヘッドコーチ)が選手にマインドを変える――選手が応えた。(2)次に明確
な目標設定――3年前、W杯でベスト8に入るという明確なゴールそ設定。そこで自分たちの強みと、
ばしていくところを提示され選手は信じてついく。(3)ディフェンスが良かった。南アフリカ戦
ように相手は大きく(FWの平均身長192. 5センチ、体重115キロ)、日本の低いタックル
が苦
手。それを80分間、徹底できたことが勝利につながる。(4)3年前の日本代表ではスペシャル
プレーは全くなかった。エディージャパンになり確実性の高いプレーばかりで戦ってきてたが、選手
が勇気を持っ
て期待に応え実行し的中――五郎丸のトライのサインプレーはラインアウトからCTB
立川とSO小野の場所を入れ替えて、先に受けた立川からおとりの選手の背中を通して小野へ、その
内側にWTB松島が走り込んで抜けトライは決定的にできたということが挙げらる。




● エンブレムとしての国旗:進化するナショナリズム


ところで、わたしがこの試合の映像をみて思うことは極めて単純な2つのこと。1つめは外人選手が
多いということ。これは競技ルールに支配されるという。前提となるのは、世界各国の代表は、五輪
のような国籍主義ではなく、所属協会主義に基づく――①本人や両親、祖父母が日本で出生している、
②本人が3年以上日本に居住しているのどちらかを満たせば、日本代表の資格を得ることができる。
因みに、現在ワイルドカップ候補39人のうち、外国出身のカタカナ名の選手は12名で、うち4人
は日本国籍を持っという多国籍チーム。ここでは、唯一無二の国旗を背負って競技を行うというイメ
ージでなく、居住時間の短く、義務を負った国民を許容した開かれた国家としてのエンブレム(ワッ
ペン、シンボルマーク)というイメージに近い。いま風にいうと「クールジャパン」化だろう。

2つめは、そのことで、欧米諸国よりフィジカル面で劣るという課題の解決と、日本人の特性を生か
すという作戦(タクティス、オペレーション)を実践したエディー・ジョーンズ監督(ヘッドコーチ)
の技量。錦織圭を育てたマイケル・チャンコーチと同じかもしれない。ところで、ラクビーとわたし
の思い出はたしかこのブログでも書いたかもしれないが?余り好い思い出はないが、観戦より"同じ観
るなら踊りゃな損"と心得ている。「南アフリカ戦」はラクビーの世界史に残る一戦に違いない。
 

 

● 折々の読書 『職業としての小説家』23  

  僕は小説を書くという行為そのものが好きです。だからこうやって小説を書いて、ほぼそれだ
 けで生活していけるというのは、僕にとっては本当にありかたいことだし、そういう生活を送れ
 るようになったことについては、実に幸運だったとも思っています。実際のところ、もし人生の
 ある時点で破格の幸運に恵まれなければ、こんなことはとても達成できなかったでしょう。率直
 にそう思っています。幸運というより、ほとんど奇跡と言っていいかもしれません。

  僕の中にもともと小説を書く才能が多少あったとしても、油田や金鉱と同じで、もしそれが掘
 り起こされなければ、いつまでも地中深く眠りっぱなしになっていたはずです。「強い豊かな才
 能があれば、それは必ずいつか花開くものだ」と主張する人もいます。しかし僕の実感からいえ
 ば――僕は自分の実感についていささかの自信を持っているのですが――必ずしもそうとは限ら
 ないようです。その才能が地中の比較的浅いところに埋まっているものであれば、放っておいて
 も自然に噴き出してくるという可能性は大きいでしょう。しかしもしそれがかなり深いところに
 あるものなら、そう簡単には見つけられません。それがどれほど豊かな優れた才能であったとし
 ても、もし「よしここを掘ってみよう」と思い立って、実際にシヤベルを持ってきて掘る人がい
 なければ、地中に埋まったまま永遠に見過ごされてしまうかもしれません。僕自身の人生を振り
 返ってみて、つくづくそのように実感します。ものごとには潮時というものがありますし、その
 潮時はいったん失われてしまえば、多くの場合、もう二度と訪れることはありません。人生とい
 うのはしばしば気まぐれで、不公平で、ある場合には残酷なものです。僕はたまたまその好機を
 うまく捉えることができた。それは今振り返ってみれば、まったくのところ、幸運以外の何もの
 でもなかったという気がします。

  しかし幸運というのは、言うなればただの入場券のようなものです。そういう点ではそれは油
 田や金鉱とは性格を異にしています。それを見つけて、いったん手に入れたらあとはもうオーケ
 ー、左うちわで安逸に人生を送れるというものではありません。その入場券を持っていれば、あ
 なたは催し物の会場に入れてもらえます――でもそれだけのことです。入り口で入場券を渡して、
 会場の中に入れてもらって、それからどのような行動をとるか、そこで何を見出し、何を取り、
 何を捨てるか、そこで生じるであろういくつかの障害をどのように乗り越えていくか、それはあ
 くまで個人の才能や資質や技量の問題になり、人としての器量の問題になり、世界観の問題にな
 り、また時にはごくシンプルに身体力の問題になります。いずれにせよ、それはただ幸運である
 というだけではまかないきれないものごとです。

  当然のことですが、人間にいろんなタイプの人間がいるように、作家にもいろんなタイプの作
 家がいます。いろんな生き方があり、いろんな書き方があります。いろんなものの見方があり、
 いろんな言葉の選び方があります。すべてを一律に論じることはもちろんできません。僕にでき
 るのは、「僕のようなタイプの作家」について語ることでしかありません。ですからもちろん限
 定された話になります。しかし同時にそこには――職業的小説家であるという一点に関して言え
 ば ――個別的な相違を貫いて、何かしら通底するものもあるはずです。一言で言えばそれは精
 神の「タフさ」ではないかと、僕は考えています。迷いをくぐり抜けたり、厳しい批判を浴びた
 り、親しい人に裏切られたり、思いもかけない失敗をしたり、あるときには自信を失ったり、あ
 るときには自信を持ちすぎてしくじったり、とにかくありとあらゆる現実的な障害に遭遇しなが
 らも、それでもなんとしても小説というものを書き続けようとする意志の堅固さです。

  そしてその強固な意志を長期間にわたって持続させていこうとすれば、どうしても生き方その
 もののクオリティーが問題になってきます。まず十全に生きること。そして「十全に生きる」と
 いうのは、すなわち魂を収める「枠組み」である肉体をある程度確立させ、それを一歩ずつ着実
 に前に進めていくことだ、というのが僕の基本的な考え方です。生きるというのは(多くの場合)
 うんざりしてしまうような、だらだらとした長期戦です。肉体をたゆまず前に進める努力をする
 ことなく、意志だけを、あるいは魂だけを前向きに強固に保つことは、僕に言わせれば、現実的
 にほとんど不可能です。人生というのはそんなに甘くはありません。傾向がどちらかひとつに偏
 れば、人は遅かれ早かれいつか必ず、逆の側からの報復(あるいは揺れ戻し)を受けることにな
 ります。一方に傾いた秤は、必然的にもとに戻ろうとします。フィジカルな力とスピリチュアル
 な力は、いわば二つの車の両輪なのです。それらが互いにバランスを取って機能しているとき、
 最も正しい方向性と、最も有効な力がモこに生じることになります。

  これはとてもシンプルな例ですが、もし虫歯がずきずき痛んでいるとしたら、机に向かってじ
 っくり小説を書くことなんてできません。どれだけ立派な構想が顛にあり、小説を書こうとする
 強い意志があり、豊かな美しい物語を作り出していく才能があなたに具わっていたとしても、も
 しあなたの肉体が、物理的な激しい痛みに間断なく襲われていたとしたら、執筆に意識を集中す
 ることなんてまず不可能ではないでしょうか。まず歯科医のところに行って虫歯を治療し――つ
 まり身体をしかるべく整備し――それから机に向かわなくてはなりません。僕が言いたいのは簡
 単に言えばそういうことです。

  とてもとても単純なセオリーですが、それは僕がこれまでの人生において身をもって学んでき
 たことです。フィジカルな力とスピリチュアルな力は、バランス良く両立させなくてはならない。
 それぞれがお互いを有効に補助しあうような体勢にもっていかなくてはならない。戦いが長期戦
 になればなるほど、このセオリーはより大きな意味あいを持ってきます。

  もちろんあなたが類い稀な天才で、モーツァルトやシューベルトやプーシキンやランボーやフ
 ァン・ゴッホのように、短い期間にぱっと華やかに開花し、人の心を打ついくつかの美しい、あ
 るいは崇高な作品をあとに残し、歴史に鮮やかに名をなし、そのまま燃え尽きてしまえばいい、
 それでもう十分だ、と考えておられるのであれば、僕のそのようなセオリーはまったくあてはま
 りません。僕がこれまで言ってきたようなことは、どうかきれいさっぱりと忘れてください。そ
 して好きなことを好きなようにやってください。言うまでもないことですが、それはひとつの立
 派な生き方です。そしてモーツァルトやシューベルトやプーシキソやランボーやファソ・ゴッホ
 のような天才芸術家は、どの時代にあっても必要不可欠な存在です。

  しかしもしそうでないのなら、つまりあなたが(残念ながら)希有な天才なんかではなく、自
 分の手持ちの(多かれ少なかれ限定された)才能を、時間をかけて少しでも高めていきたい、力
 強いものにしていきたいと希望しておられるなら、僕のセオリーはそれなりの有効性を発揮する
 のではないかと考えます。意志をできるだけ強固なものにしておくこと。そして同時にまた、そ
 の意志の本拠地である身体もできるだけ健康に、できるだけ頑丈に、できるだけ支障のない状態
 に整備し、保っておくこと――それはとりもなおさず、あなたの生き方そのもののクオリティー
 を総合的に、バランス良く上に押し上げていくことにも繋がってきます。そのような地道な努力
 を惜しまなければ、そこから創出される作品のクオリティーもまた自然に高められていくはずだ、
 というのが僕の基本的な考え方です(繰り返すようですが、このセオリーは天才的資質を持った
 芸術家には適用されません)。

  それではどのようにして生き方の質をレベルアとフしていけばいいか? その方法は人それぞ
 れです。百人の人がいれば、百通りの方法があります。自分でそれぞれに自分の道を見つけてい
 くしかありません。自分の物語と自分の文体を、それぞれが見つけていくしかないのと同じよう
 に。
  またフランツ・カフカの例を出しますが、彼は四十歳の若さで、肺結核で亡くなりましたし、
 残された作品のイメージからするといかにもナーバスで、肉体的には弱々しい印象があるのです
 が、身体の手入れには意外に真剣に気を遺っていたようです。菜食を徹底し、夏にはモルダウ川
 で一日一マイル(一六〇〇メートル)を泳ぎ、日々時間をかけて体操をやっていたそうです。カ
 フカが真剣な顔をして体操をしている姿をちょっと見てみたいという気がしますね。

  僕は生きて成長していく過程の中で、試行錯誤を重ねつつ、僕自身のやり方をなんとか見つけ
 ていきました。トロロープさんはトロロープさんのやり方を見つけ、カフカさんはカフカさんの
 やり方を見つけました。あなたはあなたのやり方を見つけてください。身体的な面においても精
 神的な面においても、人それぞれに事情は違っているはずです。人それぞれに、それぞれのセオ
 リーがあるでしょう。でも僕のやり方が少しでも何かの参考になれば――言い換えればそれがい
 くらかでも普遍性を持っていたとしたらということですが――僕としてはもちろんとても嬉しく
 思います。


                     「第七回 どこまでも個人的でフィジカルな試み」
                             村上春樹 『職業としての小説家』



  今回は学校の話をします。僕にとって学校はどのような場所(あるいは状況)であったのか、
 学校教育は小説家である僕にとって、どのように役に立ってきたのか、あるいは役に立ってこな
 かったのか? そういうことについて語ってみたいと思います。

  僕の両親は教師でしたし、僕自身もアメリカの大学で何度かクラスを受け持ったことはありま
 す(教員免許みたいなものは持っていませんが)。しかし率直に申し上げまして、学校というも
 のか僕は昔からわりに苦手でした。自分の通った学校について考えると、こんなことを言うのは
 学校に対してまことに心苦しいのですか(すみません)、あまり良い思い出は蘇ってきません。
 首筋がなんだかもさもさとむず捺くなってくるくらいです。まあこれは、学校モのものに問題が
 あったというよりは、むしろ僕の方に問題かあったということかもしれませんが。

  いずれにせよ、大学をなんとかようやく卒業したときは、「ああ、これでもう学校には行かな
 くていいんだ」と思ってほっとしたことを覚えています。やっと肩から重い荷物を下ろすことが
 できたという感じでした。学校が懐かしいと思ったことは(たぶん)一度もないかもしれない。
  じゃあどうして僕は今頃になって、わざわざ学校について語ろうとしているのか?

  それはおそらく僕が――もう学校から遥か遠く離れた人間として――そろそろ僕自身の学校体
 験について、あるいは教育というもの全般について、感じていることや思っていることを、自分
 なりに整理して語ってもいいんじゃないかと思うようになったからだと思います。というか、自
 らを語るにあたって、ある程度そのへんを明らかにしておくべきなんじゃないかと。またそれに
 加えて、最近になって、登校拒否(回避)をした経験のある何人かの若い人と会って話をしたこ
 とも、あるいはその動機のひとつになっているかもしれません。

  本当に正直なところ、僕は小学校から大学まで一貫して、学校の勉強がそんなに得意ではあり
 ませんでした。とくにひどい成績だったとか、落ちこぼれだったとか、そういうわけではなくて、
 まあそこそこはできたとは思うんですか、勉強するという行為自体かもともとそんなに好きでは
 なかったし、実際あまり勉強しなかった。僕のかよった神戸の高校は、公立のいわゆる「受験校」
 で、一学年に六百人を超える生徒かいるような大きな学校でした。僕らは「団塊の世代」ですか
 ら、なにしろ子供の数か多かったんです。それでそれぞれの科目の定期試験の、上位五十人くら
 いの名前か公表されるのですか(たしかそうだったと記憶しています)、そのリストに僕の名前
 か載ることはまずなかった。つまり上位一割くらいの「成績優秀な生徒」というのではまったく
 なかったわけです。まあよく言って、中の上というあたりではなかったかと思います。

  なぜ学校の勉強を熱心にしなかったかというと、いたって簡単な話で、まずだいいちにつまら
 なかったからです。あまり興味が持てなかった。というか、学校の勉強なんかより楽しいことか
 欧の中にはたくさんありました。たとえば本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見に行ったり、
 海に泳ぎに行ったり、野球をしたり、猫と遊んだり、それからもっと大きくなると、友だちと徹
 夜麻雀をしたり、女の子とデートをしたり・・・・というようなことです。それに比べれば、学校の
 勉強というのはかなりつまらなかった。考えてみれば、まあ当たり前のことですね。

  でも僕としては、勉強を怠けて遊びほうけているという意識はとくにありませんでした。本を
 たくさん読んだり、き楽を熱心に聴いたりすることは――あるいは女の予とつきあうことだって
 含めていいかもしれませんか――僕にとっては大事な意味を持つ個人的な勉強なんだと、心の底
 でわかっていたからだと思います。ある意味ではむしろ学校の試験なんかより大切なものなんだ
 と。自分の中で当時、どれくらいそのへんか明文化され、また理論化されていたか、正確には思
 い出せないのですか、「学校の勉強なんてつまらないよ」と開き直れる程度には認識していたよ
 うな気かします。もちろん学校の勉強でも、興味のあるトピ″クについては自ら進んで勉強もし
 ましたか。

  それから他人と順位を競い合ったりすることに、昔からあまり興味が持てなかったということ
 もあります。何も格好をつけて言うわけじゃないんですか、点数とか順位とか偏差値(僕か時代
 の頃にはありかたいことに、そんなものは存在しませんでした)とか、そういう具体的に数字に
 表れる優劣にもうひとつ心が惹かれないのです。これはもう生まれつきの性格という以外にない
 と思います。負けず嫌いな傾向も(ことによっては)なくはないんですが、他人との競争という
 レベルでは、そういうものはほとんど出てきません。

  とにかく、本を読むことは当時の僕にとって何よりも重要でした。言うまでもないことですが、
 世の中には教科書なんかよりずっとエキサイティングで、深い内容を持つ本がいっぱいあります。
 そういう本のページを繰っていると、その内容か読む端から自分の血肉になっているという、あ
 りありとした物理的な感触がありました。だから試験勉強を真剣にやろうというような気持ちに
 なかなかなれなかった。年号や英単語を機械的に頭に詰め込んで、それが先になって自分の役に
 立つとはあまり思えなかったからです。系統的にではなく機械的に暗記したテクニカルな知識は、
 時間か経てば自然にこぼれ落ちて、どこかに――そう、知識の墓場みたいな薄暗いところに――
 吸い込まれて消えていきます。そういうもののほとんどには、いつまでも記憶に留めておくだけ
 の必然性がないからです。
 
  そんなものより、時間が経っても消えずに心に残るものの方か遥かに大事です。当たり前の話
 ですね。しかしそういう種類の知識にはあまり即効性はありません。そういう知識か真価を発揮
 するまでには、けっこう長い時間がかかります。残念なから目前の試験の成績には直接結びつき
 ません。即効性と非即効性の違いは、たとえて言うなら、小さいやかんと大きなやかんの違いで
 す。小さなやかんはすぐにお湯が沸くので便利ですが、すぐに冷めてしまいます。一方大きなや
 かんはお湯が沸くまでに時間かかかるけれど、いったん沸いたお湯はなかなか冷めません。どち
 らがより優れているというのではなく、それぞれに用途と持ち味があるということです。上手に
 使い分けていくことが大事になります。

                                「第八回 学校について」
                             村上春樹 『職業としての小説家』


ここでは「偏差値」とは、専門知識の差別化と高度化には多少なりとも役立ったと考えるが、著者が
述べるように受験勉強というイニシエーションに価値を見いだすことはなかったとの下りで共感する。

                                                           この項つづく

 

 

● 特定の香りが疲労緩和する仕組み解明

大阪市立大学大の渡辺恭良特任教授らの研究グループは、花王の感性科学研究所と共同で、特定の香
りが
疲労を緩和する仕組みの一端を明らかにし、ヒトが持つ約4百種の臭覚受容体の中から、抗疲労
作用を示す
香りに反応する6種類の嗅覚受容体を探索し特定。その嗅覚受容体を活性化する香料を調
合し、疲労抑制効
果を検証したと発表(日刊工業新聞オンライン 2015.10.22)。



アロマ効果には特に関心がありこのブログでも掲載している。先日も『長浜バイオ大学金賞受賞:「香
蔵庫」(KOZOKO)って ???』(2015.10.05)を取り上げているし、シリーズ「においで癌検査」も
度々掲載してもいるほどだが、それはさておき、この研究グループは、「グレープフルーツ精油」と
草のような香りの「Hex―Hex Mix」の抗疲労作用を示す2種類の香りについて調べ、この
香りに対し六つの嗅覚受容体が共通して反応し、情報伝達物質が増加することを培養細胞の評価系を
用い確認に成功。また、それらの受容体を活性化する香料「MCMP」を、4種類の香料で新たに調
合した。成人男性17人を対象に、MCMPを嗅いだ場合と、そうでない場合での疲労による作業効
率への影響を検証した。すると、MCMPの香りを嗅ぎながら40分間パソコン作業をすると、香り
がない場合に比べ作業効率の低下が抑えられた。今後は被験者の属性の幅を広げることなどによって
MCMP香料の有効性についてさらに検証を進め、芳香剤などの商品開発につなげていく。
る。


研究結果から先に要約すると次のようになる。

1)約4百種存在するヒトの嗅覚受容体の中から、抗疲労作用を示すことが知られている2種の香り
に共通して応答する嗅覚受容体6種を特定することができた。
2)約170種類の香料の中から、それらの受容体を活性化する作用のある香料の混合物を見出し、
その香りが抗疲労作用を示すことを確認した。
3)嗅覚受容体を活性化する香りの抗疲労作用をパフォーマンス試験で確認した。

さらに、詳細にその仕組みを説明すると次のようになる。

ヒトの嗅覚受容体を発現させた培養細胞の評価系を用いて、約4百種のヒト嗅覚受容体のうち、どの
受容体が抗疲労作用を示す香りに応答するかを調べ、抗疲労作用を示す香りは、これまでに研究報告
のあるcis-3-hexenolおよびtrans-2-hexenalの混合物(Hex-Hex Mix, グリーン香)と、グレープフルーツ
精油を使用する。細胞に発現させた嗅覚受容体が活性化すると、細胞内の情報伝達物質が増加し、こ
の情報伝達物質の増加を測定した結果、6種の嗅覚受容体(1A1、2J3、2W1、5K1、5P3、10A6)が2種
の香りにより共通して活性化されることを明らかにする(下図:嗅覚受容体の特定)。これにより、
6種の嗅覚受容体が抗疲労作用に関係する可能性を示す。


 

抗疲労作用を示す香りに共通に応答する6種の嗅覚受容体に対し、それぞれの受容体を活性化する新
しい香りの探索を行ない、約170種類の香料の中から、「メチルイソオイゲノール」「l-カルボン
」「メチルβナフチルケトン」「フェニルエチルアセテート」の4種の香料の混合物である、ハチミ
ツがかった甘い花の香り(MCMP)が、6種の受容体を活性化することを見出しす(下図:抗疲労作用
を示す香りに共通して応答する受容体を活性化する新しい香りの特定)。

さらに、抗疲労作用を示す香りに共通して応答する嗅覚受容体を活性化するMCMPによる抗疲労作用を
パフォーマンス試験で調べる――17名の健常男性を対象に、MCMPの香りあり、なしの条件下でパソ
コン作業による疲労負荷を40分間行い、その前後で作業効率の指標である、課題の正答率を評価―
―と、香りなしの場合に疲労負荷後に正答率が有意に低下するのに対し、香りありの場合には正答率
の低下が認められず、疲労が抑制されることを示唆される(下図:受容体を活性化する香りの抗疲労
作用をパフォーマンス試験で確認)。



以上の研究で、特定の嗅覚受容体の活性化に基づく、新しい抗疲労技術が開発され、特定の嗅覚受容体を
活性化する香りによる抗疲労作用の科学的な実証により、「快適な生活実現」に貢献するモノづくりに応用さ
れることを期待される。これは面白い。

さいごに、下図に、関連知財の一例を掲載しておこう。 

 
【概説】

疲労を回復又は軽減するための組成物――トランス-2-ヘキセナールおよび/またはシス-3-ヘ
キセノールを含有する組成物に関するもので、この組成物を備える医用デバイスに関するもの。この
組成物のトランス-2-ヘキセナールとシス-3-ヘキセノールの化合物の総含有量は、組成物の形
態や適用部位によって異なるが、0.01~100重量%、鼻に近い部位に適用する場合、香りの強
さに基づく不快感を考慮すると好ましくは0.1~2重量%である。この組成物は、芳香剤、液体洗
浄剤、固体洗浄剤、化粧料、浴用組成物、保健衛生材料類、口腔用組成物、食品などとして使用でき
る。具体的には、室内芳香剤=消臭剤などの芳香剤、食器用洗剤、洗濯用洗剤、日用洗剤などの液体
または固体洗浄剤=石鹸、シャンプー、リンスなどの洗浄用化粧品、染毛料、整髪料、養毛料などの
頭髪化粧品、クリーム、化粧水、オーデコロン、パックなどの基礎化粧品、おしろい、ファンデーシ
ョン、ほお紅などのメークアップ化粧品、香水、コロンなどの芳香化粧品、日焼け、日焼け止め化粧
品、口紅、リップクリームなどの口唇化粧品などの化粧料、バスオイルなどの各種浴用組成物、清潔
ティッシュなどの保健衛生材料類=歯磨き、マウスウオッシュなどの口腔用組成物、および、香など
が挙げられる。

 

 

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未来が現実となった靴

2015年10月23日 | デジタル革命渦論

 

 

 

 

   日本は大量の再生可能エネルギーを導入できる機会が目の前にある。石炭火力発
      電所の新設への投資規制を進めている、ほかのG7諸国に歩調を合わせるべきだ。


                 国際NGO「E3G」企画主任 クリス・リトルコット

 

 



【デジタル革命渦論:未来が現実となった靴】

● 未来の靴Nike Magが話題沸騰

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー パート2』に登場する未来の靴「Nike Mag」がついに実現。
米ナイキが、同作で主人公マーティやドクが訪れる「未来」と重なる現地時間15年10月21日に
発表した。「Nike Mag」には、映画通りの自動で靴ひもを調節する「パワーレース」機能が付属、着
用者の動きに合わせて反応する。同社の最高責任者(マーク・パーカー)は、「フィクションのモノ
作り始め、それを現実のものへと変えた。全てのアスリートのためになる新技術を開発した」とコメ
ント。記念すべき製品第1号は、マーティを演じたマイケル・J・フォックスに贈られている。ナイキ
は今後も「Nike Mag」の開発を続ける。また今回発表された同靴は、オークションにかけられ限定数
販売――詳細については16年春に発表予定。また、オークションで得た収益はパーキンソン病治療
の研究と広報にマイケル・J・フォックス財団に寄付されるとのこと。これだけではない、「HENDO
ホバーボード」(170万円税込み)も今月出荷される。さすが、映画の国、実に
面白い。

 

 




● 単結晶シリコンソーラー製造法を開発 従来コストの1/2

ドイツの研究所であるFraunhofer Institute for Solar Energy Systems(Fraunhofer ISE)と、同研究所が15
年4月設立のベンチャー企業のNexWafe社は、単結晶シリコン系太陽電池向けウエハーを従来の約1
/2のコストで製造する技術を開発(上図クリック)。太陽電池モジュールの製造コストを20%低
減につながる。

従来法
は、多大な電力と無駄の多い工程で製造されていたが、HSiCl3などのクロロシラン化合物から
成るガスを水素(H2)などで還元し、多結晶シリコンを製造。それを1450℃の高温で溶融し単結
晶シリコンのインゴッドにし、ダイヤモンドワイヤーソーで薄く切断し製造。
この切断時に、多くの
りくずが発生。単結晶シリコンの約1/2超が切りくずになる。現在、インゴッドの価格は約2千
円/キログラムだが、そのうち半分が切りくず代となる。



新しい方法では、トリクロロシランに水素を混合させるところまで従来法と同じだが、その後、表面
を多孔質化する処理を施したシリコン基板上で化学的気相成長法(CVD)を用いて結晶成長(エピタ
キシャル)する。膜がウエハーとして十分な厚さになった後は、土台となるシリコン基板を機械的に
剥離――基板は数十回は再利用する。このことで(1)ウエハーの製造コストが半減、(2)多結晶
シリコンの溶融などで必要な電力を80%を削減。太陽電池モジュールとしては20%の製造コスト
削減になる。

これだけでなく、ダイヤモンドワイヤーソーでは切りくずが増え150ミクロン厚み以下のウエハー
の製造も可能となり、単結晶シリコン系の薄膜太陽電池を実現可能する。既にNexWafe社は、このウ
エハー(EpiWafer)を用い太陽電池を試作し、変換効率20%という高い値を得られることを確認し
ている。パイロットプラントを17年初頭に稼働させ、17年後半には年産250メガワット以下の
規模で量産するという。ここは丸っぽ、デジタル革命基本則がはたらく。
 

 

● ネットメータリング制度を利用し3千5百万ドル削減

米国の太陽光発電関連事業者であるSolarCity 社は10月6日、米国カリフォルニア州の統合学区である
Temecula Valley Unified School District(TVUSDに、合計出力6メガワットの太陽光発電システムや、
エネルギー貯蔵システムを設置し電力を供給すると発表。それによると19の学校と地区事務所に導
入する。エネルギー貯蔵システムは、5カ所に設置。同学区は現在、地域の電力会社から電力を購入
してい
SolarCity社のサービスにより、電力使用料が減ることから、同社と電力購入契約を結んだ。
同統合学区は、米Sage Renewable Energy Consulting 社のコンサルティングを受け、今回の手法を選定。
太陽光発電システムの発電量から、学区内における消費電力を差し引いて電力料金を支払ったり、そ
れでも余った発電電力を次の月に繰り越して相殺できる「ネットメータリング」制度の恩恵も受ける。
同学区側の初期投資は不要とする。公共向けの割引価格で電力を供給するため、初年度で52万米ド
ル、25年間以上にわたり合計3千5百万米ドルの電力コストの低減効果がある。

ところで、米国の RPS(Renewable Portfolio Standard)制度は、電力供給事業者が供給電力の内、再生
可能エネルギー由来のものが占める比率の目標を設定し達成することを義務づける規制。米国の場合、
国内の再生可能エネルギーの導入を促進する目的で78年に制定された連邦法 PURPA(公益事業規
制政策法)により生まれたが、制度化するかも含めてその内容は各州の裁量に任され、米国全体を対
象にしたものででなく、米国各州で制定されているRPSは一つとして同じものはく、目標数値も規制
の方法も多様である。

環境意識が高いカリフォルニア州の同制度は、現時点では20年に33%にするとされており、主に
州内の大手民営電力供給事業者にこの目標達成を義務づけている。この目標は全米で最も高く、次ぎ
ニューヨーク州の設定する15年に29%、コロラド州の20年に30%などがある。この制度達
成する施策の―つが、ネットメータリングNM : Net Metering )制度。主として住宅などの屋根に設
置された太陽光発電など小規模分散型の設備普及を促進に行われているが、再生可能エネルギー設備
として認定を受けると、これで発電された電力が自家消費を上回る時には、配電系統に逆流させて電
気メーターを逆転させることを認めるというもの。月間、あるいは年間の総発電量が自家消費を上回
る場合は、その超過分はクレジットとして繰り越しされたり、電力事業者が所定の価格で買い取る


カリフオルニアは、電力消費者が所有する1~千キロワットの再生可能エネルギーを対象、96年に
入されて以来、環境負荷を下げるエネルギーとして市民に普及してきるが、同制度の17年の期限
がくるが、
最近の太陽電池パネル価格の急激な低下で、屋根設置の太陽光発電設備の件数が急増、電
力事業者は配電線の末端にある建物の屋根に太陽光発電設備が増えると、電力供給の安定性を維持す
るために配電系統の増強をしたり制御の方式を変えたりしなければならず、それに要するコストが急
増するため消極的。また、公平性を重視する消費者団体は、裕福な人しか取り付けできない太陽光発
電は、電力事業者の売上げ減や系統への投資のために電気料金が上がることになり、設備を取り付け
られない低所得者がコスト負担させられるとして反対。この両者は、州議会の議員に対して同制度に反
対するロビー活動を行っている背景がある。

さて、同学区側の初期投資は不要。公共向けの割引価格で電力を供給に、初年度で52万米ドル、2
5年間以上にわたり合計3千5百万米ドルの電力コストの低減効果があるとする。
他の地域の多くの
統合学区と同じように、Temecula Valleyの統合学区においても、運用費の増大が課題になっていた。

今回、SolarCity 社が統合学区の電力使用料削減手法を開発したことで、同学区では、節約した費用を、
学生の教育プログラムやカリキュラムの充実に振り向けることができる。



また、太陽光発電システムは、18カ所のカーポート上、2カ所の地上に設置する。カーポートは、
同社の太陽光発電システム付きカーポート「ZS Beam」を採用し、迅速かつ簡単に、低コストで設置
できる。
カーポートは、昼食時など屋外での休憩向けに、適度な日陰になる利点もある。同社は、産
業向けエネルギー貯蔵システム「DemandLogic」を同学区に導入。2千6百キロワット時の容量を持
ち、電力需要が少ない時間帯に貯めた電気を、電力需要のピーク時に放電し、使う運用を可能とする。
これにより、学区内の電力使用料が低減。
さらに、今回導入する仕組みは、学生にとって、太陽光発
電と蓄電を直に学ぶ機会にもなる。例えば、同社の太陽光発電監視システム「PowerGuide」により発
電量を知ることができる。

デジタル革命がデフレファクタの最大要因である。とは、わたしが現場の最前線で感じ取った"未研
究な理論"
であったが、その後、科学技術の"カンブリア期"、ロスト・スコア、デフレ不況、格差拡
大と次々と螺旋
連鎖していく。経済的にはマルクスの「資本論」の「W-G-W'」のマージナル領
域での産業(保険・金融などの信用的側面)はデフレ不況期でも、近似ゼロはあり得ても、マイナス
(産業自体存
立しえず)になることはありず、従って、デフレ進行すればするほど、逆比例し格差が
拡大し、これ
らに関連する組織・個人は――たとえば、個人向けクレジット会社は法外の金利を取り
続け――自動
的に所得が増え、あるいは財務省などの国家官僚の権力が肥大化していくものと予測し
ていた。エネ
ルギー産業もそうである。電力の自由化、半導体をベースにしたデジタルエネルギー(
太陽光発電)
は、電力費の逓減・分散化・地産地消を促進させものとも考えた。それから20数年を
経た現在はどう
か?人為的地球温暖化や福島第一原発事故はそのターニングポイントでもあったが予
測通りに当て嵌
まった。この「ネットメータリング制度」の継続議論もその一つの現れだと考える。
あらためて、"継続は力なり"を再確認。

 

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ペロブスカイトな秋桜畑

2015年10月22日 | 時事書評

 


 

 

   私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前に
            して坐した。
その後半は黒板を後にして立った。黒板に向かっ
            て一回転をなしたといえば、
それで私の伝記は尽きるのである。

                              西田 幾多郎

 




 
     
                      秋桜の刈り取る束を差し出してきみが言うから誕生日

 

 

 

近江八幡は野田町に百万万株のコスモス畑を観ようと昼まえに家をでる。お天気は快晴なのだが、微
小粒子状物質濃度が、時折基準値(下図)を超える霞がかかるよな曇り空模様。途中、オリーブキッ
チン近江八幡店でランチをとる。ポルチーニのクリームソースエビのフリットを添えとジェノベーゼ
のカッチャをオーダーしたが、感想?うぅ~ん、それはご想像に任すとして、彼女はあなたの誕生日
のお祝いランチよと言うので、まだそれは先だよと訝しるもそうなのよと止める。ドリンクとデザー
トを頂き店をで、野田町の秋桜畑に向かう。農地と住宅とがオーバラアップする地帯に位置したとこ
ろに広がる。写真撮影や刈り取り花束にして持ち帰る人たちが出入りしていた。心配していた駐車禁
止処置――前もって役所に電話を入れ確認し、駐車させずに通り観ることにしていたが――は特にな
かったので路面駐車させ写真を撮り帰える。これはラッキーであった。
                            

 

● 折々の読書 『職業としての小説家』22 

  また最近の研究によれば、脳内にある海馬のニューロンが生まれる数は、有酸素運動をおこな
 うことによって飛躍的に増加するということです。有酸素運動というのは水泳とかジョギングと
 かいった、長時間にわたる適度な運動のことです。ところがそうして新たに生まれたニューロン
 も、そのままにしておくと、二十八時間後には何の役に立つこともなく消滅してしまいます。実
 にもったいない話ですね。でもその生まれたばかりのニューロンに知的刺激を与えると、それは
 活性化し、脳内のネ″トワークに結びつけられ、信号伝達コミュニティーの有機的な一部となり
 ます。つまり脳内ネットワークがより広く、より密なものになるわけです。そのようにして学習
 と記憶の能力が高められます。そしてその結果、思考を臨機応変に変えたり、普通ではない創造
 力を発揮したりすることができやすくなるのです。より複雑な思考をし、大胆な発想をすること
 が可能になります。つまり肉体的運動と知的作業との日常的なコンビネーションは、作家のおこ
 なっているような種類のクリエイティブな労働には、理想的な影響を及ぼすわけです。

  僕は専業作家になってからランニングを始め(走り始めたのは『羊をめぐる冒険』を書いてい

 たときからです)、それから三十年以上にわたって、ほぼ毎日一時間程度ランニングをすること
 を
あるいは泳ぐことを生活習慣としてきました。たぶん身体が頑丈にできていたのでしょう、そ
 の
あいだ体調を大きく崩したこともなく、足腰を痛めたこともなく(一度だけスカッシュをして
 いるときに肉離れを経験しましたが)、ほぼブランクなしに、日々走り続けることができました。
 一年に一度はフル・マラソン・レースを走り、トライアスロンにも出場するようになりました。



  よく毎日ちゃんと走れますね、よほど意志が強いんですね、と感心されることもありますが、
 僕に言わせれば、毎日通勤電車で会社に通っておられる普通のサラリーマンの方が、体力的には
 よほど大変です。ラッシュアワーの電車に一時間乗ることに比べたら、好きなときに一時間外を
 走るくらい何でもないことです。とくに意志が強いわけでもありません。僕は走ることが好きだ
 し、ただ自分の性格に合ったことを習慣的に続けているだけです。いくら意志が強くても、性格
 に合わないことを三十年も続けられるわけがありません。
  そしてそのような生活を積み重ねていくことによって、僕の作家としての能力は少しずつ高ま
 ってきたし、創作力はより強固な、安定したものになってきたんじゃないかと、常日頃感じてい
 ました。客観的な数値を示して「ほら、こんなに」と説明することはできませんが、自然な手応
 えとして、実感として、そういうものが僕の中にあったわけです。

  しかし僕がそんなことを言っても、まわりの多くの人はまったくとりあってくれませんでした。
 むしろ嘲笑されることの方が多かったみたいです。とくに十年くらい前までは、人々はそういう
 ことにはほとんど無理解でした。「毎朝走っていたりしたら、健康的になりすぎて、ろくな文学
 作品は書けないよ」みたいなこともあちこちで言われました。ただでさえ文芸世界には、肉体的
 鍛錬を頭から小馬鹿にする風潮がありました。「健康維持」というと、多くの人は筋肉むきむき
 のマッチョを想像するみたいですが、健康維持のために生活の中で日常的におこなう有酸素運動
 と、器具を使っておこなうボディー・ビルディングみたいなものとでは話がずいぶん違います。
  日々走ることが僕にとってどのような意味を持つのか、僕自身には長い間そのことがもうひと
 つよくわかりませんでした。毎口走っていればもちろん身体は健康になります。脂肪を落とし、
 バランスのとれた筋肉をつけることもできますし、体重のコントロールもできます。しかしそれ
 だけのことじゃないんだ、と僕は常日頃感じていました。その奥にはもっと大事な何かがあるは
 ずだと。でもその「何か」がどういうものなのか、自分でもはっきりとはわからないし、自分で
 もよくわからないものを他人に説明することもできません。

  でもとりあえず意味が今ひとつ把握できないまま、この走るという習慣を、僕はしっこくがん
 ばって維持してきました。三十年というのはずいぶん長い歳月です。そのあいだずっとひとつの
 習慣を変わらず維持していくには、やはりかなりの努力を必要とします。どうしてそんなことが
 できたのか? 走るという行為が、いくつかの「僕がこの人生においてやらなくてはならないも
 のごと」の内容を、具体的に簡潔に表象しているような気がしたからです。そういう大まかな、
 しかし強い実感(体感)がありました。だから「今日はけっこう身体がきついな。あまり走りた
 くないな」と思うときでも、「これは僕の人生にとってとにかくやらなくちゃならないことなん
 だ」と自分に言い聞かせて、ほとんど理屈抜きで走りました。その文句は今でも、僕にとっての
 ひとつのマントラみたいになっています。「これは僕の人生にとってとにかくやらなくちゃなら
 ないことなんだ」というのが。

  何も「走ること自体が善である」と考えているわけではありません。走ることはただの走るこ
 とです。善も不善もありません。もしあなたが「走るなんていやだ」と思うのなら、無理して走
 る必要はありません。走るも走らないも、そんなのは個人の自由です。僕は「さあ、みんなで走
 りましょう」みたいな提唱をしているわけではありません。街を歩いていて、高校生が冬の朝に
 全員で外を走らされているのを見ると、「気の毒に。中にはきっと走りたくない人もいるだろう
 に」とつい同情してしまうくらいです。本当に。

  ただ僕個人に関して言えば、走るという行為は、それなりに大きな意味を持っていたというこ
 とです。というか、それが僕にとって、あるいは僕がやろうとしていることにとって、何らかの
 かたちで必要とされる行為なんだというナチュラルな認識が、ずっと変わることなく僕の内にあ
 りました。そういう思いが、いつも僕の背中を後ろから押してくれていたわけです。酷寒の朝に、
 酷暑の昼に、身体がだるくて気持ちが乗らないようなときに、「さあ、がんばって今日も走ろう
 ぜ」と温かく励ましてくれました。

  でもそういうニューロンの形成についての科学記事を読むと、僕がこれまでやってきたこと、
 実感(体感)してきたことは本質的に間違ってはいなかったんだなと、あらためて思います。と
 いうか、身体が素直に感じることに注意深く耳を澄ませるのは、ものを創造する人間にとっては
 基本的に重要な作業であったのだなと痛感します。精神にせよ頭脳にせよ、それらは結局のとこ
 ろ、等しく僕らの肉体の一部なのです。そして精神と頭脳と身体の境界は、僕に言わせてもらえ
 れば――生理学者がどのように述べているかはよく知りませんが――それほどくっきりと明確な
 線で区切られているものではないのです。




  これはいつも僕が言っていることで、「またか」と思われる方もおられるかもしれませんが、
 やはり重要なことなのでここでも繰り返します。しつこいようですが、すみません。

  小説家の基本は物語を語ることです。そして物語を語るというのは、言い換えれば、意識の下
 部に自ら下っていくことです。心の闇の底に下降していくことです。大きな物語を語ろうとすれ
 ばするほど、作家はより深いところまで降りて行かなくてはなりません。大きなビルディングを
 建てようとすれば、基礎の地下部分も深く掘り下げなくてはならないのと同じことです。また密
 な物語を語ろうとすればするほど、その地下の暗闇はますます重く分厚いものになります。
  作家はその地下の暗闇の中から自分に必要なものを―――つまり小説にとって必要な養分です
 ――見つけ、それを手に意識の上部領域に戻ってきます。そしてそれを文章という、かたちと意
 味を持つものに転換していきます。モの暗闇の中には、ときには危険なものごとが満ちています。

 そこに生息するものは往々にして、様々な形象をとって人を感わせようとします。また道標もな
 く地図もありません。迷路のようになっている箇所もあります。地下の洞窟と同じです。油断し
 ていると道に迷ってしまいます。そのまま地上に戻れなくなってしまうかもしれません。その闇
 の中では集合的無意識と個人的無意識とが入り交じっています。太古と現代が入り交じっていま
 す。僕らはそれを腑分けすることなく持ち帰るわけですが、ある場合にはそのパッケージは危険
 な結果を生みかねません。

  そのような深い闇の力に対抗するには、そして様々な危険と日常的に向き合うためには、どう
 してもフィジカルな強さが必要になります。どの程度必要なのか、数値では示せませんが、少な
 くとも強くないよりは、強い方がずっといいはずです。そしてその強さとは、他人と比較してど
 うこうという強さではなく、自分にとって「必要なだけ」の強さのことです。僕は小説を日々書
 き続けることを通じて、そのことを少しずつ実感し、理解してきました。心はできるだけ強靭で
 なくてはならないし、長い期間にわたってその心の強靭さを維持するためには、その容れ物であ
 る体力を増強し、管理維持することが不可欠になります。

  僕がここで言う「強い心」とは、実生活のレベルにおける実際的な強さのことではありません。
 実生活においては、僕はごくごく当たり前の出来の人間です。つまらないことで傷つくこともあ
 れば、遂に言わなくてもいいことを言ってしまって、あとでくよくよ後悔することもあります。
 誘感にはなかなか逆らえないし、面白くない義務からはできるだけ目を背けようとします。些細
 なことでいちいち腹を立てたり、かと思うと油断してうっかり大事なことを見過ごしてしまった
 りします。なるべく言い訳はするまいと心がけているのですが、時にはつい口に出てしまうこと
 もあります。今日はお酒を抜いた方がいいかなと思っていても、つい冷蔵庫からビールを出して
 飲んでしまったりします。そのへんのところは、世間の普通の人とだいたい同じようなものじゃ
 ないかと推測します。いや、ひょっとしたら平均を下回るくらいかもしれません。

  しかし小説を書くという作業に関して言えば、僕は一日に五時間ばかり、机に向かってかなり
 強い心を抱き続けることができます。その心の強さは――少なくともその多くの部分はというこ
 とですが――僕の中に生まれつき具わっていたものではなく、後天的に獲得されたものです。僕
 は自分を意識的に訓練することによって、それを身につけることができたのです。更に言うなら、
 もしその気にさえなれば、それは「簡単に」とまでは言わないまでも、努力次第で、誰にでもあ
 る程度身につけられるものではないか、という気もします。もちろんその強さとは、身体的強さ
 の場合と同じように、他人と比べたり競ったりするものではなく、自分の今ある状態を最善のか
 たちに保つための強さのことです。

  何もモラリスティックになれ、ストイックになれと言っているわけではありません。モラリス
 ティックになり、ストイックになることと、優れた小説を書くことのあいだには、直接的な関係
 性はとくにありません。おそらくないんじゃないかと思います。僕はただ、フィジカルなものご
 とにもっと意識的になった方がいいのではないかと、ごくシンプルに、実務的に提案しているだ
 けです。

  そういう考え方、生き方は、あるいは世間の人々の抱いている一般的な小説家の像にはそぐわ
 ないかもしれません。僕自身こんなことを言いながら、だんだん不安に襲われてきます。自堕落
 な生活を送り、家庭なんか顧みず、奥さんの着物を質に入れて金を作り(ちょっとイメージが古
 すぎるかな)、あるときには酒に溺れ、女に溺れ、とにかく好き放題なことをして、そのような
 破綻と混沌の中から文学を生み出す反社会的文士――そんなクラシックな小説家像を、ひょっと
 して世間の人々はいまだに心の中で期待しているのではないだろうか。あるいはスペイン内戦に
 参加し、飛び交う砲弾の下でぱたぱたとタイプライターを叩き続けるような「行動する作家」を
 求めているのではないだろうか。穏やかな郊外住宅地に住み、早寝早起きの健康的な生活を送り、
 日々のジョギングを欠かさず、野菜サラダを作るのが好きで、書斎にこもって毎日決まった時刻
 に仕事をするような作家なんて、実は誰も求めていないんじゃないか。僕はただ人々の抱くロマ
 ンスに、ろくでもない水を差してまわっているだけではあるまいかと。



  たとえばアンソニー・トロロープという作家がいます。十九世紀の英国の作家で、数多くの長
 編小説を発表し、当時とても人気があった人です。彼はロンドンの郵便局に勤務しながらあくま
 で趣味として小説を書いていたのですが、やがて作家として成功を収め、一世を風廉する流行作
 家となりました。しかしそれでも彼は郵便局の仕事を最後まで辞めませんでした。毎日仕事前に
 早起きして机に向かい、自分で定めた量の原稿をせっせと書き続けました。そのあと郵便局に出
 勤しました。トロロープは有能な役人であったらしく、管理職としてかなり高いポジショソまで
 出世しました。ロンドンの街頭のあちこちに赤い郵便ポストが設置されたのは、彼の業績である
 とされています(それまではポストなんてものは存在しなかったんですね)。郵便局の仕事がこ
 とのほか気に入っていて、執筆活動がどんなに忙しくなろうと、勤めをやめて専業作家になろう
 なんて思いも寄らなかったようです。たぶんちょっと変わった人だったんでしょうね。

  彼は一八八二年に六十七歳で亡くなったのですが、遺稿として残されていた自伝が死後刊行さ
 れ、彼のそのようないかにも非ロマソ的な、規則正しい日常生活の様子が初めて世間に公表され
 ました。それまではトロロープがどういう人なのか、人々はよく知らなかったのですが、実情が
 明らかになって、評論家も読者もただがく然とし、あるいは落胆失望し、それを境に英国におけ
 る作家トロロープの人気や評価はすっかり地に落ちたということです。僕なんかそういう話を間
 くと、「すごいなあ、ほんとに偉い人だな」と素直に感心し、トロロープさんを尊敬しちゃうわ
 けですが(本を読んだことはまだないんですが)、当時の人々は全然そうではなかった。「なん
 だよ、おれたちはこんなつまらないやつの書いた小説を読まされていたのか」と真剣に腹を立て
 たみたいです。あるいは十九世紀英国の普通の人々は作家に対して――あるいは作家の生き方に
 対して――反俗的な理想像を求めていたのかもしれません。僕もこんな「普通の生活」を送って
 いると、ひょっとしてトロロープさんと同じような目にあわされるんじやないかと思うと、思わ
 ずびくびくしてしまいます。まあ、トロロープさんは二十世紀に入ってから再評価を受けました
 から、それは良かったといえば良かったわけですが・・・・・・

  そういえば、フランツ・カフカもプラハの保険局で公務員の仕事をしながら、職務のあいだに
 こつこつと小説を書いていました。彼もかなり有能な、真面目な官吏であったようで、職場の同
 僚たちにも一目置かれていたようです。カフカが休むと、局の仕事が滞ったという話です。トロ
 ロープさんと同じように、本業も手抜きなしでしっかりやるし、副業の小説も真剣に書くという
 人だったんですね(ただ本業を持っているというのが、彼の小説の多くが未完に終わっているこ
 とへのエクスキューズになっている節があるような気はするのですが)。でもカフカの場合は、
 トロロープさんと違って、そういうきちんとした生活態度が、逆に「偉い」と評価されていると
 ころがあります。どこでそういう差が出てくるのか、ちょっと不思議ですね。人の毀誉褒貶とい
 うのはなかなかわからないものです。

  いずれにせよ、作家に対してそういう「反俗的な理想像」を求めておられるみなさんには本当
 に申し訳ないとは思うのですが、そして――何度も繰り返すようですが――あくまで僕にとって
 はということになるのですが、肉体的に節制をすることは、小説家であり続けるために不可欠な
 ことなのです。 

  僕が思うに、混沌というものは誰の心にも存在するものです。僕の中にもありますし、あなた
 の中にもあります。いちいち実生活のレベルで具体的に、目に見えるようなかたちで、外に向か
 って示さなくてはならないという類のものではありません。ごはら、俺の抱えている混沌はこん
 なにでかいんだぞ」と人前で見せびらかすようなものではない、ということです。自分の内なる
 混沌に巡り合いたければ、じっと口をつぐみ、自分の意識の底に一人で降りていけばいいのです。
 我々が直面しなくてはならない混沌は、しっかり直面するだけの価値を持つ真の混沌は、そこに
 こそあります。まさにあなたの足もとに潜んでいるのです。

  そしてそれを忠実に誠実に言語化するためにあなたに必要とされるのは、寡黙な集中力であり、
 挫けることのない持続力であり、あるポイントまでは堅固に制度化された意識です。そしてその
 ような資質をコンスタソトに維持するために必要とされるのは身体力です。実に面白みのない、
 本当に文字通り散文的な結論かもしれませんが、それが小説家としての僕の基本的な考え方です。
 そして批判されるにせよ、賞賛されるにせよ、腐ったトマトを投げつけられるにせよ、美しい花
 を投げかけられるにせよ、僕にはとにかくそういう書き方しか――そしてまたそういう生き方し
 か――できないのです。


                     「第七回 どこまでも個人的でフィジカルな試み」
                             村上春樹 『職業としての小説家』


うぅ~んと、ここはコメントなしで、次回はこのつづきと「第八回 学校について」。


                                       この項つづく

 
【ペロブスカイト太陽電池技術最前線】

● ペロブスカイト太陽電池のコスト低減に最有力の銀電極材料

現在、ペロブスカイト太陽電池の最も一般的な電極材料は金だがコストが非常に高い。金に代わる安
価な材料が銀であり、コストはおよそ65分の1。沖縄科学技術大学の研究チームは、さらにコスト
を下げるため、高価な真空蒸着法に代わる溶液処理法を用い層状太陽電池を製作しようと試みている。
ところが、銀電極と溶液処理法を用いると、太陽電池製造後の数日間に銀が腐食してしまうという問
題があり、腐食により電極が黄色に変色し、電池のエネルギー変換効率が低下。ヤビン・チー准教授
率いる同研究チームは、劣化の原因を検証しひとつの解釈提示した(「銀:ペロブスカイト太陽電池」
のコスト低減に最有力の電極材料」沖縄科学技術大学 2015.10.14 )。

ペロブスカイト太陽電池は、光を電気に変換するサンドイッチ状の層で構成される。ペロブスカイト
材料で吸収された光により電子が励起され、電子と正孔のペアが生成される――正孔とは、励起され
て自由になった電子の抜け穴。励起電子と正孔は、太陽電池の隣接する層により逆方向に移動する。
この層は、電子輸送体である二酸化チタン層、spiro-MeOTAD ホール輸送層、透明な導電材料で被覆
されたガラス層と銀の上部電極で構成されこのメカニズム全体によって電流が生じる――太陽電池の
各層が適切に機能できなければ、効率的に電力を生み出すことができない。



そこで、ひとつでも機能しない層があれば、全体が影響を受ける。研究チームは変色した銀電極の組
成を分析し、変色の原因がヨウ化銀の生成にあることを突き止め、変色原因が、銀の酸化によるヨウ
化銀の生成にあった。また、乾燥窒素ガスと比べて、空気にさらした場合に腐食が進み、外気の気体
分子がペロブスカイト材料に達し、ヨウ素含有化合物の生成でペロブスカイト材料が劣化すると、劣
化のメカニズム――このようにヨウ素含有化合物が銀電極に付着し、腐食を引き起こす。気体分子と
ヨウ素含有化合物はいずれも spiro-MeOTAD ホール輸送層にある小さなピンホールを通過して移動す
ることが予想される(上図クリック)。溶液処理法を用いて作製されたspiro-MeOTAD ホール輸送層に
あるピンホールの存在を数ヶ月前に突き止めた。

太陽電池のコスト抑制には、金を銀で代用できるか鍵を握る。腐食のメカニズムを理解することが電
極の寿命を延ばす第一歩になる。太陽電池の寿命を延ばすには、spiro-MeOTAD ホール輸送層にピン
ホールをできないようすることが不可欠。すでに真空蒸着法によるピンホールの除去に成功。現在は
ペロブスカイト太陽電池は、次世代の太陽電池技術として商業利用が期待されている。最適なホール
輸送層及び被包材を用いることで、寿命が長く、大面積に対応した低価格の太陽光電池モジュールを
設計・作製することを目指す。

※銀変色のメカニズムの動画では、ペロブスカイト太陽電池の層構造における銀電極腐食メカニズム
 のひとつの解釈を提示。水分子がspiro-MeOTAD 層のピンホールを通過後、ヨウ素含有化合物の生
 成によるペロブスカイトの分解を引き起こし、ヨウ素含有化合物が銀の層に移動し腐食を起こす。
 

 ● 今夜の一品

ハチドリが花の蜜を吸っていることを再現してくれる彫刻「Colibri」。

 

 

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大阪が変われば 世界も変わる

2015年10月21日 | 環境工学システム論

 

 

 

    ばい菌が病気ではない。その繁殖を許す体が病気だと知るべきだ。 / 石橋湛山 

 

 

 



【デジタル革命渦の陥窮】

● 米国ホビー用ドローンの登録義務化

米政府は19日、国内のホビー用小型無人飛行機(ドローン)所有者に、当局への登録を義務付け
る計画を発表。ドローンの普及が進み、空中での事故を引き起こす原因となっているとの見方の強
まりを受けての措置だという。アンソニー・フォックス米運輸長官とマイケル・フエルタ米連邦航
空局(FAA)長官は共同記者会見で、同計画を推進するための作業部会を設置する意向を表明。 こ
の中でフォックス長官は、「迅速に対応する予定」と語り、「作業部会には、11月中旬に提言を
まとめ、12月中旬までに関連規則の導入を目指すことを期待している」と続けた。フォックス長
官は、今回の決定に関する説明の中で「航空機のパイロットから今年これまでに寄せられたドロー
ン目撃の報告件数は、昨年の2倍に達している」ことを指摘している。航空機との衝突リスクが主
な懸念事項となっているが、ドローンの急増により、セキュリティーとプライバシーをめぐる懸念
が浮上(AFP 2015.10.20)。

尚、「陥窮」はわたしの造語。落とし穴にはまりどうしょうもない様態――特に、技術進歩のリス
ク(ダーク)・サイドの現象形態――をさす。ジャスミン革命やアラブの春はデジタル民主主義運
動の成果、メリットとして期待されたものの、その運動を支持した運動母体の統治能力の未成熟さ
により、政治的混乱を生み、混乱した中東情勢を生み出している。歴史的な背景をよく理解し行動
を起こさないと逆効果となる。日本では石橋湛山らの漸近主義(=小日本主義)は、バラク・オバ
マを代表する民主党が内包する理想主義がもつリスク緩和抑制の参考となるだろうと、話を広げて
みたがこれは蛇足。

※「石橋湛山の思想――小日本主義」古川浩介 2001.01.13
※「吉野作造の人格主義と石橋端段のプラグマティズム」姜克實 2010.12.01
※「戦後初期の石橋湛山思想」姜克實 2010.11.30 
※「石橋湛山の農業政策論と報徳思想の影響」並松信久 2001.05.09
※「山は、動くか。~いま、石橋湛山を読む(1)~(5)」(メルマガ「オルタ」)大原雄  
※「連載/湛山を語る(もういちど本気で考えよう日本!)」東洋経済新報社


 

 

【ルームランニング記】

● ローイングマシンに切り替え体力維持

朝食、作業(ホームページの書き換えが主)、テレビ鑑賞しながらルームウォーキングが定番なの
だが、家族の都合により早朝から大きな音を立て辛い関係もあり、ローイングマシンでのトレーニ
ングをこの1か月つづけている。ローイング百回/度を一日1~2度繰り返すのだが、時間が大変
短縮される。という反面短時間すぎると負荷が大きくなり5分/度以下になると、息が切れ、タイ
ムアップした時点で、しばらくその場で蹲って回復を待つことも度々。そして、その日の状態によ
り大きくされるのも特徴。本来なら、これにルームウォーキングのメニューに入れるはずなのだが
その時間がなく、夕食を迎える。それほど時間的に余裕がないというのが実情。「継続は力なり」
と、筋肉は嘘をつかないを実感する日々である。

 

 

【デジタルランチ記】

● 日ハムの「ビストロキッチン」にチャレンジ

食品加工科学の進展で、冷凍でそれも電子レンジ簡単においしくランチがいただけるようになる。
その一つ
が、セブンイレブンの「冷凍たこ焼き」であったりするのだが、今回は日本ハム株式会社
のビストロキッチンシリーズのバジルが香り立つ「ジェノベーゼ」を試食。小売価格は360円と
いうから手頃、パックのふたを所定の位置まではがし(ふたそのもの剥がさない)、百ワット電子
レンジで2分30秒で加熱が終わり、お気に入りのお皿に、盛りパン粉とレモンの皮をすり下ろし
完成。実に簡単に頂ける。そして味はといえば?"ボーノ!"でご機嫌、牛乳、コーヒあるは緑茶や
スープをセットすれば我が家なりにプチレストランテの空間をあじわえるという寸法。便利だね。

 

【欧州自動車の電動化】

● ボルボが電動化に向かう VW問題でプラグインハイブリッドに追い風

20年に新車の10%を電動化車両を進めると、ボルボは今後のグローバルな開発戦略として電気
自動車やプラグインハイブリッド自動車などの電動化車両に注力する方針を発表。新型電気自動車
の開発を進めるとともに、同社の全ラインアップにプラグインハイブリッド自動車モデルを設定す
る。さらに電動パワートレインを搭載した小型車の新モデルを開発、19年までに電気自動車も発
売する。その代表例が、市場投入予定の新型SUV「XC90」のプラグインハイブリッド自動車モデル
である「XC90 T8」――新欧州ドライビングサイクルベースにおける二酸化炭素排出量は1キロメ
ートル当たり49グラムで、電動モードのみでの走行では最大43キロメートル走行可能。今後、
欧州市場で人気のクリーンディーゼル市場の先行きががフォルクスワーゲンの不正問題の影響で不
透明になり、さらに欧州を中心とした排ガス規制が強まる中、グローバル市場では中期的にPHEV
に注目が集まっていく可能性は高い。

 


出典:スマートジャパン

【大阪が変われば 世界も変わる】 

● 太陽光と廃棄物からエネルギーを地産地消 まずは125万キロワット

大阪府は原子力発電の依存度逓減のためにエネルギーの地産地消を推進する。太陽光と廃棄物によ
る発電設備を中心に分散型の電力源を125万キロワット以上に増やす方針。池や海の水面上にも
太陽光パネルを展開しながら、都市部では廃棄物利用のバイオガス発電を拡大する。東京や大阪(
上図)などの大都市圏は太陽光以外、自然のエネルギー資源が少ないが、生ごみをはじめ大量の廃
棄物が毎日あふれ出る。そうした都市部ならではの再生可能エネルギーを利用した発電設備が大阪
湾岸の工業地帯で8月に運転を開始。近隣の地域を中心に廃棄物のリサイクル事業を手がけるリマ
テックが建設したバイオガス発電プラント(下図)。

1日に17トンにのぼる食品廃棄物を発酵させて作ったバイオガスを燃料に使う。ガスエンジン発
電機で250キロワットの電力を供給、発電に伴う排熱を使い85℃の温水が作ることができる。
バイオガスを燃料にしたコージェネレーション(熱電併給)システムで、温水は食品廃棄物の発酵
に利用。生物由来のバイオマスを生かしエネルギーが効率的に循環する仕組みになっている(下図)。
この発電プラントは工業地帯の駐車場用地に建設。敷地の面積は千平方メートル程度で済み、広い
空き地のない都市部でも建設しやすく、1日24時間の連続運転で年間に3百日の稼働を続けると、
発電量は180万キロワット時となる。一般家庭の使用量(年間3千6百キロワット時)に換算し
て5百世帯分に相当する。これまでは処分していた食品廃棄物から新しいエネルギーが生まれる体
制に変わった。




さらに、廃棄物からバイオガスを作り出す取り組みは下水の処理場でも進んでいる。下水を処理す
る過程で発生する大量の汚泥を減らすために、汚泥を発酵させてバイオガス(下水処理では「消化
ガス」と呼ぶ)を生成する方法が一般的だ。従来はバイオガスを燃焼した熱で温水を作って汚泥の
発酵に利用するだけだったが、発電設備を導入し電力を供給する事例が増えている。大阪市では市
内4カ所の下水処理場でバイオガス発電設備導入(下図)。発電能力は4カ所を合わせると4メガ
ワットになる。年間の発電量は2580万キロワット時を見込み、7千百世帯分の電力を作り出せ
る。17年4月に4カ所でいっせい運転を開始する。



大阪市は発電設備の建設から運営までを民間の事業者に委託。大阪ガスのグループ会社などが事業
者になって、発電した電力は固定価格買取制度で売電。大阪市は発電設備の土地使用料と消化ガス
の利用料を得るほかに、発電時の排熱で作った温水の供給を受けるスキーム。これまでは下水処理
場の中だけで利用した
バイオガスが地域を循環する再生可能エネルギーとして広がる(上図)。

● 先進的な蓄電池と太陽光発電

大阪府は全国で2番目に面積が小さいが、農業用ため池は1万カ所以上ある。特に農業が盛んな中
部から南部にかけて数多く点在し、その中に面積が広くて正方形に近い、太陽光発電には打ってつ
けの池がある。それで、岸和田市の傍示池に、満水時に1万6千平方メートルの水四角い池に4千
枚の太陽光パネルを浮かべ(下図)、大和ハウスグループが池の水面を借り受け、15年8月に発
電を開始。イメージ(下図 出典:大阪府環境農林水産部、大和リース)の
発電能力が1メガワッ
トで、大阪府で初の水上メガソーラー。年間の発電量は120万キロワット時を見込み、330世
帯分の電力をまかなえる。同社グループは、池の使用料に加えて、売電収入の一部を大阪府と岸和
田市に寄付し地域の環境保全に貢献している。



尚、傍示池のメガソーラーを建設するにあたっては、事前に太陽光パネルを浮かべるためのフロー
トと架台を試作して発電量や防水性を検証(下図)。水上でメガソーラーが稼働したことで、今後
さらに実証データをとりながら改良につなげる。

フロート式の太陽光発電は池だけでなく、海水の上にも太陽光パネルを浮かべることができる。大
阪湾岸にある2カ所の貯木場の海水面を使い、14年から大阪府の実証実験が始っている(図下)。
海水の場合は池と違い、太陽光パネルや架台に塩水がかかり、金属腐食が激しい。地域の森林から
発生
する間伐材を利用して架台を組んだ。さらに太陽光パネルにも耐塩性製品を採用。フロートの
上にはパワー
コンディショナーも搭載するが、配線部分をカバーで覆うなどの対策を施す。2カ所
の実証実験を通じ発電量や塩害の影響を検証し、実用化を探っている段階にある。

さらに、東大阪市の恩地川に沿って広がる「恩地川治水緑地」の一角に、発電能力2メガワットの
メガソーラーがこの6月に運転を開始(下図)。年間の発電量は330万キロワット時を見込み、
9百世帯分の電力を供給でき、災害時には太陽光で発電した電力を府民が利用できるよう、非常用
のコンセントと移動式の蓄電池も備えている。このメガソーラーは大阪府がエネルギーの地産地消
を推進するプロジェクトの第1弾で、事業者を公募して実施した。大阪府は土地の使用料として年
間に約千7百万円を受け取る一方、洪水が発生した場合の損害は事業者が負担する。



このように、大阪府は20年度までに太陽光発電で90万キロワットの供給力を確保する目標を掲げ
る。さらにガスコージェネレーションを中心に分散型の電源を30万キロワット、廃棄物発電など
で3万キロワット以上を供給する方針だ。合計で125万キロワット以上の発電設備を府内に展開
し、原子力発電に依存しない電力の供給体制を強化していく。

※14年版(27)大阪:「電力・熱・水素まで地産地消、大都市のエネルギーを分散型に」
※12年版(27)大阪:「脱・原発依存を率先、メガソーラーや廃棄物発電を臨海地域に展開」


 
● まだある太陽光発電スペース:屋根・道路・滑走路・ヘリポート・鉄道

先日ブログ紹介した(『豆腐と餅の最新製造工学』2015.10.14:上図クリック)ルーフトップ(屋
根上)設置を中心に太陽光発電システムの設計・施工から運営などを手がけ、日本でも工場や流通
店舗の屋根上への設置で実績を伸ばすソーラーパワーネットワーク(SPN)などと契約すれば、屋
根置き太陽光発電の発電量は世界一になるだろう。それだけれはない、道路(高速道路)・鉄道・
空港の滑走路・ヘリポートに設置導入可能だ。過剰な電力は蓄電設備で蓄電させるか、水素を製造・
貯蔵もできる。そして、電気自動車・水素燃料電池車を走らせれ、これらのインフラ出てくる産廃
を完全回収し「都市鉱山」できれば、馬鹿でかい送電線網を必要としない、きわめて効率的な、分
散型型のスマートグリッドが構築できる。まさに、黄金の国ジャパングは、大阪からはじまり世界
をあまねく良導しうることになるだろう。「阪が変われば、世界も変わる」だ。

 

 






 

 

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脱トリチウムと脱産廃

2015年10月20日 | 緊急|東日本大震災

 

  

    蜂がいなくなったら人類は4年しか生きられない。 / アルベルト・アインシュタイン    

 
                  

   

【脱トリチウムの話】

● 全く報道されない「トリチウム」の危険性

 カリフォルニア州ローレンス・リヴァモア国立核研究所での研究(91~93年)では、トリチ
 ウムによる催奇形性(奇形を生じさせる性質)の確率は、致死性癌の確率の6倍にものぼるのだ。
 
特に人体の有機物と結合したトリチウムは、容易に代謝されずに、その分子が分解されるまで1
 5年以上もベータ線を出し続ける。15年とは、生まれたばかりの赤ん坊が、中学を卒業するま
 での長さだ。
そしてトリチウムの原子核についていた中性子が、"マイナスの電荷を持った電子”
 を放出して、"プラスの電荷を持った陽子”に変化し、水素がヘリウムHeになる。
この細胞に
 は、男女(精子・卵子)から受け継がれた染色体が23組46個ずつ含まれている。それぞれの
 染色体は、二重らせん構造のDNAからできていて、その中に多数の遺伝子が含まれている。3・
 11
で地上に降った放射能総量は、ネバダ核実験場で大気中に放出されたそれより「2割」多い
 からだ。


 
 
実は、「トリチウム問題」は現在、日本中の原発から使用済み核燃料を集めてきた青森県の六ヶ
 所村で最大の問題となっています。
六ヶ所再処理工場では、06~08年におこなわれた試験的
 な再処理(アクティブ試験)で、海洋放出廃液のトリチウムの最高濃度が、実に「1億7千万ベ
 クレル/リットル」だったのです。これは、フクシマ原発事故現場のトリチウム放出規制値であ
 る「1500ベクレル/リットル以下」の11万倍ですよ。
だから下流域の岩手県三陸海岸近く
 の住民は、「総量規制をしろ。規制できない再処理を断念しろ」と要求しているのです。このト
 リチウムが、千葉県まで流れてきます。
その時に出される電子が、ベータ線と呼ばれる放射線な
 のである。
この放射能が半分に減るまでの期間、半減期は12.3年なので、安全な千分の1に
 なるのに123年かかるから、この影響はほぼ一世紀続くと思ってよい。

 ところが、ソ連のチェルノブイリ原発事故で大汚染したゴメリなどの地帯では、住民の染色体を
 調べると、この
顕微鏡写真(不掲載)のように、左側の正常な染色体に比べて、右側の染色体のよ
 うに明らかに異常な状態になってい
たのである。 父母の体内の染色体がこのように異常になれ
 ば、当然、その両親のあいだに生まれる子どもには、大きな障害が発生することになり、大被害
 が発生してきたのである。
このトリチウムは、化学的には容易に除去することができないので、福島第
 一原発では、どんどんたまっている。そこで、原子力規制委員会の田中俊一委員長と、委員の田中知《さ
 とる》は、福島第一原発の事故現場で大量に発生しているトリチウムを、「薄めて海に放流してしまえ」と、
 苦しまぎれの暴言を吐いている。大量の海水を持ってきて薄めれば、流していいだって?放流するトリチ
 ウムの量は変らないだろう!  そんなことが分らないのか。実に、おそるべき犯罪者たちである。 

                  「フクシマ原発からの放射能漏洩はトテツモナイ量に!」                        
                                          (「東京が壊滅する日 ― フクシマと日本の運命」
                                              ダイヤモンド社 書籍オンライン 2015.07.28)


うっかり八兵衛ならぬ、トリチウム禍の新情報を見逃していたことを反省。そこで、マイ・デジタル
図書に新たなドメイン・ページを作成(下図)。ウォッチングを欠かさないように開設。それにして
も、このシリーズの対談で、広瀬隆の怒りが生々しく伝わり、怒られているような錯覚さえ覚える始
末。すごい方だ。

 

【脱産廃の話】

● 完全な循環社会実現プロジェクト=脱産廃産業

石坂産業の話はこれが初めてしてはないが、TBS「がっちりマンディ」(2015.10.18)で紹介さ
れていたが「脱産廃産業」という言葉に惹かれる。もとは、石坂好男が代表取締役社長だった昭和
62年から01年までは建設廃棄物の中間処理業としての事業を中心としていたが、02年に石坂
好男が代表取締役会長に、娘の石坂典子が取締役社長になると企業改革としてリサイクル工場に転
身、地産地消の考えで敷地内に5千平方メートルの花木園(くぬぎの森)を整備し、地元住民に共有。
この活動がJHEP認証における日本で最高ランク(AAA)の認定をさせる要因となり、11年に日立建機
と共同で建設業界初となる電気駆動式油圧ショベルを使った国内クレジット制度の認定を受けた他
14年には業界初となる国際規格7統合によるマネジメントシステムの運用を開始する。

99年2月1日、久米宏の報道番組『ニュースステーション』(テレビ朝日)で「汚染地の苦悩 
農作物は安全か?」という特集が放映され、翌日、テレビ朝日が「煎茶のダイオキシンも健康に影
響を及ぼすほどではなく、報道が誤っていた」と誤報を認めても、騒動は一向に収まらなかっ
た。
当時、所沢市、川越市、狭山市、三芳町の三市一町にまたがる「くぬぎ山」と言われる雑木林には
何社もの産廃業者があり“産廃銀座”と呼ばれ、
石坂産業は「くぬぎ山」最大手の産業廃棄物処理
業者であり、焼却炉を3基持っていた。
 

01年6月、住民が埼玉県に対し、石坂産業の産業廃棄物処理業許可の取消を求める提訴。絶体絶
命の危機から12年の月日が流れ、「ここから出ていけ」という横断幕がいくつも貼られた当時と
同じ埼玉県入間郡三芳町にあり、建設系産業廃棄物のリサイクル事業を継続中だ。現在、敷地面積
は、東京ドーム3.5個分、8割が里山、2割が工場。里山の中にはいくつもの公園があり、地域
の人たちの憩いの場である。保全前は、ジャングルのように木が生い茂り、昼でも暗く、ゴミが投
棄されるな雑木林だったが、現在では明るい里山に生まれ変わる。里山の中にある「くぬぎの森・
花木
園」と呼ばれる公園には、きれいな水にしか棲まないゲンジボタルや絶滅危惧種のニホンミツ
バチも生息す
る。

● 宝の山を復元する方法

里山再生の作業は、針葉樹を間伐することから始まり、森林は苗木を植えてから15年くらい経ち
木が生長してくるとお互いの枝葉が重なり成長できなくなるため間伐を行うと徐々に絶滅危惧種で
あるシュンランや、オオバのトンボソウなどが増えていく。ミツバチを森で育ててみようと思い、
絶滅しそうなニホンミツバチを飼いはじめ、ニホンミツバチは巣への帰属性が弱く、森に放すと逃
げてしい西洋ミツバチに比べ、非常に飼いにくいがあえてニホンミツバチを飼い養蜂に成功する。
そのようない石坂産業は、企業理念として「
全な循環型社会になるとき、廃棄物とは、言わなく
なるのでしょう。しかし、今はまだ人々の豊かな生活と引き替えに、廃棄物が出ます。その処理は
誰かが必ずやらなければならない仕事。その処理は誰かが必ずやらなければならない仕事。私たち
はこれを使命ととらえ、日々努力し、知恵を凝らします。」と唱うっているが、「完全な循環」と
の言葉に吸収され釘付けとなる。これだ、これを忘れていた。と、言うのは簡単が、これを実現す
るのは、トリチウムの完全回収と再資源化と同様に、つまり比叡山の「千日回峰行」と同じだねぇ
~と自問することとなった。これは面白い気つきだ。

 

  ● 今夜の一曲 

例のトラブル以来、06年の夏の日に体験した右目の異常―――失明の恐怖に怯えている。とは言え、
薬服用や点眼、眼球の温熱治療――濡れたナップキンをポリ袋に入れハンカチで包み約1分間電子レ
ンジで加熱し暖めるなどでその場凌のぎをしているが、凌げそうもなさそうだ。追い込まれたらどう
する?開き直るしかない。歳はたんなる数字だ。ボリューム上げて、一人で夜のレイクサイドを突っ
走る。


       別に大したことじゃない
       そりゃね敵はかリ見えるけど
       よく見てごらんよあいつもヒヒってる
       みんなちょっとはやっぱり不安なんだな

       キンチョーすることはいいことさ
       好きなことをやっている証拠
       チヒるくらいの武者震いを隠したら
       信じた道を突き進むだけ

       攻めていこ-ぜ!守りはコメンだ
       叱られるのなんてほんの一瞬のことだよ
       攻めていこ-ぜ!敵を味方に
       つけちゃうくらいのイキオイで・・・・・・


                                                   『せめていこうぜ!』
                                              歌/作詞/作曲  斉藤和義


 

 

 

 

 

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アジア巨大遺跡回廊Ⅰ

2015年10月19日 | 世界歴史回廊

 

 

 

    チャンスとは、ひとつのことに心に集中することに
          よって、かろうじて見つけることができるものである。

                  ピーター・ドラッカー

 
 
 
 
  
 
【アジア巨大遺跡回廊Ⅰ】 
 
● 謎に包まれた文明崩壊の原因 アンコールワット
 
歴史好きな視聴者にたまらないシリーズがはじまった。『NHKスペシャル アジア巨大遺跡』だ。
イントロの番組概説は次のように語る。

     数千年、あるいは1万年以上昔からアジアに花開いてきた文化や文明。その多くは滅び、 
    記録は失われ、歴史の表舞台から消え去っていった。在りし日の華やかさを伝える巨大な遺
    跡だけを残して…。

    アジア各地に残る巨大遺跡。それは人々を魅了し続ける一方、多くの謎に包まれてきた。

    ところが最新研究の結果、そこに存在した文化や文明の脅威の姿が浮かび上がってきてい
   る。密林の中に作られた世界最大規模の巨大都市、西洋に2000年近くも先駆けた驚きの統
   治システム、冨をくまなく循環させる奇跡の社会…。アジアの人々は従来の想像をはるかに
   超えた高度な文化や文明を築いていたのである。

    そしてそこからは、かつてアジアが大切にしてきた重要な価値観が見えてくる。信仰や考

   え方の遺いにとらわれす、自由に交流を深め共に栄えようとする精神。多民族を―つにまと
   
め、共存してゆく叡(えい)徊。さらに周りの環境を最大限に活用し、自然を破壊するこ
   なく持続的な繁栄をもたらす暮らし…。それは、西洋型の近代国家の発想とは全く異なる

   ジアならでは知恵である。


クメール帝国アンコール。高度な治水技術で「水」を制し、最盛期には75万人が生活した都市が
15世紀に滅んだ理由が見えてくる。遥か千年前に建立された寺院が、幻のように現れては消える。
ここはカンボジア北西部の森林地帯。超軽量の飛行機で上空を飛んでいると、茶色い点がぽつんと見
える。失われた都、アンコールだ。今ではすっかり廃虚と化す。
遺跡の30キロ南には東南アジア最
大の淡水湖、トンレサップ湖があり、北にはクーレン丘陵がそびえ、一帯に広がる氾濫原は、雨期に
は水浸しアンコール周辺に点在するクメール人の村落はどれも細長い木柱に支えられた高床式住居と
なる。
しばらくすると、森のなかに堂々たる石造伽藍が姿を現した。12世紀に建立されたヒンドゥ
ー教のヴィシュヌ神をまつる寺院バンテアイ・サムレだ。1940年代に修復され、アンコール王朝
が最も栄えた中世の華やかさを今に伝える。寺院は、大きさの違う同心方形の石壁が建物の中央を二
重に囲む構造になっている。
もっともバンテアイ・サムレは、アンコール王朝がこの地に次々と建て
た千を超える寺院の一つに過ぎない。寺院建立に傾けたエネルギーとその規模は、エジプトのピラミ
ッド群に比肩する。



寺院群のなかで最も豪華で、世界最大の宗教建築と称されるのがアンコール・ワットだ。ハスの花を

かたどった美しい高塔を、ポルトガル人宣教師たちが見つけたのは16世紀後半、その頃のアンコー
ルはすでに往時の輝きを失い滅亡し南に逃れた人たちが細々と王朝を継承していく。侵略、改宗、海
交易の発達。アンコール王朝が滅び理由には諸説あるが、アンコール・ワットをはじめ各石造寺院
の扉の側柱
や石柱には1300もの碑刻文が刻まれているが、王国の崩壊を説明するようなものは残
されていない。
たくさんの小さな首長国を束ねて一大王国を築き上げるには、東南アジアを襲う季節性の豪
雨(モンスーン)を管理することが不可欠だった。高度な技術によって、アンコール王朝は最も貴重な資源であ
る雨水を管理したが、そのコントロールを失うと同時に、衰退せざるを得なかったという説が最新の
調査で浮
上している。

  Tonlé Sap

そこでは、何世紀もの歳月と近年の戦火を耐え抜いたアンコールの彫刻が、往時の人々の日常が今も
息づいていことを伝える。寺院正面の浮き彫りには、将棋に興じる二人の男性や、出産する女性の姿
が描かれる。だが、調和と悟りに満ちた地上の楽園の光景とともに、戦闘の場面も登場し、近隣のチ
ャンパ王国からトンレサップ湖を渡って迫りくる兵士たち。だがこうした場面が回廊の壁面に刻まれ
て残っているということは、勝利したのはアンコール王朝だと語る。

東のチャンパ王国と西の強大なアユタヤ王国にはさまれて、アンコールは絶えず外からの脅威に翻弄
された。また歴代の王は一夫多妻の
ため(その数千人とか?)、王位継承権を巡っり争い、王子たち
は常に策謀を巡らせる。「大アンコール・プロジェクト(GAP)」と名づけられた調査の共同責任者の
ローランド・フレッチャー・シドニー大学の考古学者は、アンコール王朝では政治的に不安定な時期
が何度もあったと語っている。



アンコール王朝は数々の戦いを切り抜け、最後は戦いに敗れて消滅したという説もある。アユタヤ王
国の年代記には、同国の戦士たちが1431年にアンコールを「奪取した」と記録があり、今から百
年前、フランスの歴史家たちはアンコールの繁栄を伝える逸話と西洋の旅行者が見た遺跡の荒廃ぶり
を結びつけアユタヤ侵略説を唱える。これに対し
王朝内でどれほど陰謀が渦巻くとも、人々の生活の
中心に根付いた宗教――
アンコール王朝の歴代の王は、ヒンドゥー教が伝える神の化身としての“世
界の王のなかの王”であると主張し、自らのために寺院を建てた。ところが13~14世紀に(上座
小乗)仏教が勢力を広げると、ヒンドゥー教と大乗仏教の影響力が低下し、社会的な平等を説く上座
仏教は、アンコールのエリート階級にとって脅威だったかもしれない――
がさほどの影響はなかったと
考える説が有力である。

宗教改革が始まったことで、王族の権威にも陰りが見える。アンコール王朝では米穀が実質的な現物
通貨(稲作4、5期作をベースとした米本位制経済)とされいる。タ・プローム寺院に残る碑刻文に
よると、この寺院だけで、僧侶、踊り手、下働きの者を含む1万2640人が仕え、彼らを養うため
に、6万6千人以上の農民が年間約2500トンものコメを生産していた。タ・プロームと同規模の
寺院、プリヤ・カンと、さらに大きいアンコール・ワット、バイヨンの三つの寺院を合わせると、食
料生産に必要な農民の数は30万人。大アンコール都城周辺の推定人口の半分近い。平等を説く上座
仏教のような新しい宗教が広まったことで民衆の反乱が誘発されたという説。

あるいは、王朝がアンコールを廃都――アンコール王朝の歴代君主たちは、新しい寺院群を建設する
と、古い寺院の手入れをしなくなる。新天地を好む傾向に加え、東南アジアと中国の、大航海時代の
海洋交易の始りも、王朝の衰退に拍車をかけ、権力中枢がカンボジアの現在の首都プノンペン付近に
移し経済を優先した――説もある。

 

また、人口百万を支える農業生活水路の跡がアンコール王朝衰退の手がかりとなる。時代が進むにつ
治水システムが複雑化し手に負えなくなっていき、修復に追われる毎日だったのかもしれないという。
周辺にダムの石が積み上げられ、石壁には大きな穴が開いていることからダム崩壊したと推測されて
いる。
ダムは川の流れに少しずつ浸食され、構造的弱体化、あるいは百年ないし5百年に一度という
大洪水で崩壊、残った部分を解体し、石材を回収して別の目的に転用したと考えられている。

さらに、アンコールの最盛期にも、貯水池が一つくらい干上がった時期――アンコールの治水システ
ムは破綻をきたし、水利設備が劣化したアンコールは、当時、予測不可能だった自然の大災害に対し
無力だった。ヨーロッパでは14世紀以降、気候が寒冷化し、冷夏と厳冬が頻繁に起きる小氷期が数
世紀続く。東南アジアでも大きな気候変動が起きていた。
 アンコールの一部では、年間降水量の90
%近くが、5月から10月まで続く夏のモンスーンで賄われている。東南アジアの森で年輪のある樹
木を探しだがこの地域の樹木は、はっきりわかる年輪がなかったり、年輪があっても1年ごとではな
い場合がほとんどだが、チークやラオスヒノキなど年輪のある古い樹木で9百年の大木から、アンコ
ールの栄枯盛衰――1362~92年と、1415~40年の2回にわたり、アンコールでは深刻な
干ばつが起きていた。これらの時期にはモンスーンの威力が弱かったり、降雨の到来が遅れたり、一
度もモンスーンが発生しない年もある。それ以外の年は、巨大モンスーンに幾度も襲われた――が推
測できる。

傾国王朝にとって、極端な気候変動はとどめの一撃になる。西バライの荒廃した状況からすでに王朝
後期頃にはアンコールの水利設備は機能不全であった。
治水システムが本来の機能を十分に果たせな
くなった理由は謎っだが、ともかくも農業生産を基盤とする国力は失われ、ちょっとした干ばつにも
耐えられなくなり、
長引く深刻な干ばつと、その合間に襲ってくる集中豪雨によりアンコールの治水
システムは完全に崩壊する。
ただ、アンコールが砂漠になったわけではなく、アンコールの主要な寺
院群の南にある、トンレサップ湖の周辺には氾濫原には、メコン川のおかげで最悪の事態を免れる―
―チベットの氷河を源流としたメコン川はモンスーン気候変動による影響をさほど受けない。

● 王朝を滅ぼした気候変動

このように、アンコールは人類史上まれに見る規模の文明興亡の舞台となる。9世紀から15世紀ま
で続いたアンコール王朝は、最盛期にはインドシナ半島のほとんどを席巻し、西はミャンマー(旧ビ
ルマ)から東はベトナムまでをその版図に収めていた。首都アンコールは、現在の米国ニューヨーク
市に相当する面積に75万の人々が暮らし、18世紀の産業革命以前としては最大規模の都市圏を築く。

気候変動に加え、政治と宗教の風向きが変わったとなると、アンコールの運命は定まった――アンコ
ールを取り巻く世界は変化してい、王朝が滅びても不思議ではない――
もっとも気候変動の犠牲にな
ったのはアンコール王朝が最初ではない。地球を半周した所で似たような現象が起きている。
現在の
メキシコおよび中米で栄えたマヤ文明の都市国家が、やはり環境の均衡が崩れ滅びる。マヤ人に決定
的な打撃を与えた9世紀に3回も起きた深刻な干ばつと人口過剰、そして環境の悪化である。アンコ
ールに起こった事態は、基本的に同じである。

アンコールの終焉は、人間の創意工夫にも限界があるということを私たちに突きつける。アンコール
王朝は技術と人的資源を投入して国土をすっかり造り変えた。だがその投資があまりに莫大だったた
め、王朝関係者たちは引くに引けなくなる
アンコールの治水システムは驚異的な仕組みであること
は確か。国を治める機構は学術的にも貴重だが、クメール文明を代表する治水システムは優秀な土木
技に支えられ、6世紀ものあいだ維持される。だが最後には、人智をしのぐ自然の脅威を前に、なす
すべがなかったのかもしれない・・・・・・。アジアの巨大遺跡回廊をみたときはじめてそのことに気が付
くことになる。これはいかにもスケールが大きく、懐の深い人類遺産だ。

 

 

【縄を捨てまじ!】

● 辺野古の環境監視4委員、業者側から寄付・報酬
 
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画で、国が進める工事を環境面
から監視する専門家委員会の委員3人が、就任決定後の約1年間に、移設事業を受注した業者から計
1100万円の寄付金を受けていた。他の1委員は受注業者の関連法人から報酬を受領していた。朝
日新聞の調べでわかったという(朝日デジタル 2015.10.19)。

それによると、4委員は取材に対し、委員会の審議に寄付や報酬は影響していないとしている。違法
性はないが、委員の1人は受領を不適切だとして、委員辞任を検討している。この委員会は「普天間
飛行場代替施設建設事業に係る環境監視等委員会(環境監視委)」。沖縄県の仲井真弘多・前知事が
2013年12月、辺野古周辺の埋め立てを承認した際に条件として政府に求め、国が14年4月に
設置した。普天間移設事業を科学的に審議し、工事の変更などを国に指導できる立場の専門家が、事
業を請け負う業者側から金銭支援を受ける構図だ指摘している。

この問題の解決法の1つとして『縄すてまじ』(2012.12.15)で、「浮体空港案」を掲載(上図)ク
リック)。移動可能な、多目的浮体空港であるため「空母」と見なそうとする勢力の標的にはなるが
これ一番現実的である。また、辺野古建設反対は、「普天間基地の固定化」につながると、保守(反
動=極右)勢力からの言論封殺や疑念(経済効果は計り知れない)を相殺できるものである。それに
しても、自由と民主主義を封殺した、戦前の「軍・顔・官」体制の蘇生を暗示させるなようなニュー
スだ。
 
 
 
 
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時代は太陽道を渡る17

2015年10月17日 | デジタル革命渦論

 

 

 

   決定的な権力が正統性を欠くとき社会は社会として機能しない。 

                  ピーター・ドラッカー『産業人の未来』

  

 
※ 大和住銀投信投資顧問 エコノミストコラム

● 軽減税率導入は誰のため

麻生財務相は14日、札幌市内の会合で、飲食料品などの消費税率を低く抑える軽減税率について、
「財務省は、本当は反対だ。面倒くさいとみんな言っている。社会保障に回る金がそれだけ減る」と
述べた。軽減税率に欠かせないとされるインボイス(税額票)の導入には、中小・零細企業が反対し
ていることから、「公明党さん、それ(企業の説得)はそっちでやってくれるんでしょうね。俺たち
に押しつけないでくださいよ、としつこく言っている」とも語った。公明党は早くから軽減税率導入
を求め、与党の議論をリードしてきた。安倍首相は、消費増税と同時に軽減税率を導入する方針だ。
担当閣僚の麻生氏はこの政府方針に関与しておらず、「発言は首相官邸主導への不満の表れ」(政府
筋)との見方があるというが、翌々日、自民党の税制調査会は、宮沢前経済産業相が、税調会長に就
任して初めての会合を開き、安倍首相が導入を検討するよう指示した軽減税率について、議論を再開
したという(読売新聞 2015.10.14/2015.10.16)。

上/下図の「大和住銀投信投資顧問 エコノミストコラム」(チーフエコノミスト 柿沼 点 第60号 
「軽減税率の導入」は誰のためか)によれば、(例1)お米では同じ品目中の高級品問題があり、
(例2)酒税の例を見ても奢侈性と税率は無関係であることを検証している。また、1月の税制改正
大綱で「消費税率10%(15年10月)での軽減税率導入を目指す」とし、与党は協議を開始した
が、軽減税率の候補となる食料等の品目について所得階層別データを用いた変動係数(標準偏差÷平
均)を試算すると外食や果物が高く、光熱関連や麺類が低いという、所得層別の消費分布の違いも確
認されている。



これらをふまえても、低所得層に配慮した軽減税率導入すれば、所得によらず消費水準の差が小さい
光熱関連や穀類(特に麺類)の優先順位が高く、外食等の品目は後回しになり、線引きには恣意性に
依存する
ほか、各業界のロビー活動(新聞社など)も当然に予想される。欧州では歴史的な経緯もあ
って食料品等への軽減税率が適用され、日本の推進論者は導入は不可避とみているが、欧州でも(1)
税収減や、(2)業界のロビー活動に係るコスト、多発する訴訟問題などから、軽減税率には否定的
な意見も多い―――もっとも、労働集約的なサービス(清掃、介護、家事サービス等)は、雇用促進、
税逃れ回避という別の観点から軽減税率を適用するという考え方もある―――と否定的な分析となっ
ている。


※出典:「公私混同して軽減税率にこだわる新聞は、財政再建を語る資格なし」森信
    茂樹中央大教授 ビジネスオンライン(2015.10.02)

このような流れからみると財務省案の方に分があるようにみえるが、今回の安部政権の動きは、参議
院選挙
の公明党(組織票8百万票)との選挙協力を見すえてのギリギリの決断っだったと推測される。
この背景には、デフレ脱却に失敗したアベノミス?による消費増税の後遺症と、中国の不安定要因が
重なりあり、今の景気状況判断すると、GDPギャップから少なくとも10兆円以上の景気対策が必
要であとする
批判――経済対策として、①デフレの解消が先、②財政再建の必要性が乏しいこと、③
欧州危機時にやることでないこと、第2に税理論として ④不公平の是正が先、⑤歳入庁の創設が先
⑥消費税の社会保障目的税化の誤り、⑦消費税は地方税とすべきこと、第3に政治姿勢として、⑧無
駄の削減・行革が先、⑨資産売却・埋蔵金が先、⑩マニフェスト違反がある(高橋洋一の俗論を撃つ
「消費税還付の議論の前に、消費再増税を撤回せよ」ダイヤモンドオンライン 2015.09.11 )――は
正解であろう。因みに、わたし(たち)は、⑥⑦⑧に注目。大胆な税制改革の最優度を重視する。下
図に、社会保障費を担保する所得税(個人+法人)の是正、特に個人所得の最高税率の引き上げで、
反対する富裕層の反発が予想されるが、それも含めた税制改革は重要と考える。そう考えていくと、
そもそも、誰のための議論なのかを問い直す必要があった。

 
出典:財務省

● TPPは誰のため

環太平洋経済連携協定(TPP)は交渉に参加する12ヵ国で「大筋合意」した。ハワイでの閣僚会
議が失敗し、漂流するかに見えた交渉を着地させたのはアメリカの譲歩である。無理難題を押し付け
て座礁させるより、譲ってまとめるのが得策と考えた。片棒を担がされたのが日本だ。国民の関心を
経済に向けたい安倍首相はオバマ大統領に従った。その結果、最終局面で踏ん張ることなくベタ降り
となった。日米とも国内政局を優先、その結末が「大筋合意」である(「弱肉強食のTPPで日本は
どれだけ失ったのか?」山田厚史[デモクラTV代表 ダイヤモンドオンライン 2015.10.15)。

それによると、TPPに参加すれば日本のGDPは3.2兆円(0.66%)増加する、と試算してい
た(13年4月)で、すべての関税が即時撤廃されることを前提に弾いた数字で、輸出が2.6兆円
増えることになっていたが、5千億円の増収が期待された米国の自動車関税は米国に押し切られ撤廃
は25年後になり、即効性があるのは現地生産する日本車への部品の関税がなくなるくらいで、日本
のお得意の自動車や家電などは生産拠点が海外に移り、輸出で稼ぐ時代ではなくなっている。工業品
の関税が下がっても大きな経済的効果は期待できないと指摘。が、過渡期ルール構築時の国際貿易の
経済効果予測ほど当てにならない。まして、米・牛肉など政府補助支援を受け農産物の輸出などのを
"自由"な貿易品として扱って良いものだろうか、誰のための"自由貿易"か?巨大資本のためのものか、
そもそも、腐ったよ
うな自動車――これは言い過ぎだが―――を売り込むための"自由貿易"なのか、
韓国経済をズタズタにした欧米流コーポレート・ガバナンスの輸出なのか。あるいは、日米半導体不
平等条約締結を"自由貿易"というのか定かでない。

これに対して、前出のTPP合コン論提唱の高橋洋一は脳天気なほど楽観的な数字を下図の「貿易自
由化の経済学」をベースに、「10年くらいの調整期間後を現在と比べると、輸出者、消費者のメリ
ットとしてGDPが6兆円増加し、国内生産者のデメリットとしてGDPが3兆円減少し、それが毎
年続く。政府試算の「概ね10年間で実質GDP3兆円増」とは、「概ね10年後に今よりGDPが
差し引きで3兆円増加し、それが続く」というもので、「10年間累積で3兆円」ではない」と試算
してみせる。が、――「自由貿易の神話」にはまり、根拠なき楽観論が漂う。国境をまたぐ経済活動
で多国籍企業の利益と国民への恩恵は一致しない。アベノミクスは誰のためにあるのか。そして犠牲
者は誰か。やがてTPPがすべてをあぶり出すだろう――と、山田厚史は結んでいるが、わたし(た
ち)は同意である。



そして、読者に対し「日本はTPPで、全体として国益を守れたと思う?」とこの企画は問うている
が、内閣官房のホームページに「TPP交渉参加国との交換文書一覧」(下記参照)が掲載されてい
るが、ナショナリスト経済評論家?三橋貴明は、これこそ問題――いくら法律違反だ!憲法違反だと
言っても、TPPは国際条約。国際条約は憲法の上に立つ取り決め。国民主権侵害だと訴え国会で騒
いでも、外国人投資家の意向が強く反映
できるという状態――だと警鐘を鳴らす。これは傾聴に値す
る。

☆ TPP交渉参加国との交換文書一覧(※全て関係国と調整中)

案件:特産酒類(Distinctive Products)(日本一米国)
概要;我か国と米国の関心酒類(我が国:地理的表示である日本酒、焼酎等、米国:
バーボン・ウィスキー等)について、日米それぞれの関係法令に従って製造されたも
の以外は双方の国内において販売禁止とすることに向けた手続の検討を開始するこ
とを約束する文書。

案件;特産酒類(Distinctive Products)(日本一カナダ)
概要;日加両国内の地理的表示である自国産酒類について、その保護の事実を認識
る文書。


案件:米国における蒸留酒の容器容量規制の改正(日本一米国)

概要:米国財務雀が、日本の酒類業界からの嘆願書を受領次第、蒸留酒の容器容量規
制改正案を公表し、パブリックコメントを経て、これを実現させるための手続に着手
することを約束する文書。

案件:コメの米国向け国別枠の運用(日本一米国)

概要;米国向けのコメの国別枠における売買同時契約方式(SBS)の運用について約
する文書。


案件:コメの豪州向け国別枠の運用(日本一豪州)

概要;豪州向けのコメの国別枠における売買同時契約方式(SBS)の運用について約
束する文書。

案件;ホエイの数量セーフガードの運用(本一米国)

概要:ホエイ(たんぱく含有量25%以上45%未満)の数量セーフガード発動の運用の
細則を定める文書。

案件:
丸太輸出管理制度(日本一カナダ)
概要:カナダから日本へ輸出される丸太の輸出管理制度の運用について約束する文書

案件;電子支払サービス(ベトナムー他の全参加国)
概要;金融サービス章附属書が規定する電子支払サービスに関して、国境を越えて電
子支払サービスを提供するサービス提供者に対し、当該電子支払サービスかベトナム
中央銀行か免許を与える国営の中継機関を経由して行われるよう求めるベトナムの
利を留保するもの。

案件:ビジネス関係者の一時的な入国章における約束表に関する米国との紛争解決の
扱い(日本一米国)
概要:米国は、ビジネス関係者の一時的な入国章の約京表を米提出であり、最恵国待
遇にて米国を含むTPP締約国に対しビジネス関係者の各区分について約束してい
る日本との間に不均衡が生じるため、日本が約束した内容に関し協定の紛争解決手続
に訴えないことを約束する文書。

案件:地理的表示(日本一チリ・ベルーそれぞれの書簡交換を予定)
概要:日・チリ経済連携協定、日・ペルー経済連携協定における日本とチリ、ペルー
の地理的表示に関するそれぞれの規定・約束の再確認に関して、日本のチリ、ペルー
の間でそれぞれ交換する二国間の書簡

案件:著作権保護期間(日本一豪)
概要:著作権保護期間についてのサンフランシスコ平和条約上の日本の義務に関する
二国間の書簡

案件:医薬品及び医療機器に関する手続の透明性・公正性に関する附属書(本一米国)
概要:本附属書の実施に関する確認及び附属書の協議についての確認についての文書。

案件:生物の多様性及び伝統的な知識(我が国とペルーとの間で作成)
概要:遺伝資源に関連する伝統的な知識の取得の機会及び当該伝統的な知識の利用か
ら生じ得る利益の衡平な配分については、利用者と提供者との間の相互に合意する条
件を反映した契約を通じて適切に対処することができることを認める旨の共通の理
を確認する文書。

案件:自動車の非関税措置(日本一米国)
概要:自動車貿易に関する並行交渉の妥結を確認するとともに、日米両国について
TPP協定が発効する時までに日本がとる自動車関連の非関税措置等を記す文書。

案件:自動車の基準(日本一米国)

概要日米自動車付表に基づき日本が特定した一定の要件を満たす米国基準に関して、
日本政府の認識を具体的に伝達する文書。


案件:輸入白動車特別取扱制度(PHP)の運用等旧本一米国)

概要:日米白動車付表において、①PHPの下での輸入者の負担を増やさないこと、②
PHP車を財政上の奨励措置から除外しない形で適用すること等を定めていることに関
し、①雀エネ法との関係、②財政上の奨励措置との関係等について日米両政府間で
見解を確認する文書。

案件:自動車流通(日本一米国)

概要:公正取引委員会が自動車流通について現状調査を行うことを米側へ伝達する
書。


案件:保険等の非関税措置に関する並行交渉(日本一米国)

概要:2013年4月に日米間で交換した「日米間の協議結果の確認に関する書簡」に
い、保険、透明性、投資、知的財産権、規格・基準、政府調達、競争政策、急送
便及
び衛生植物検疫の分野における非関税措置に取り組むこととされたことに関
し、日米
両政府の認識等について記す文書。

[各分野の概要]

○保険
両国政府は、①日本郵政の販売網へのアクセス、②かんぽ生命に対する規制上の監
及び取扱い、③かんぽ生命の透明性等に関してとる措置等につき認識の一致をみ
た。

○透明性

両国政府は、審議会等の運営等及び公衆による意見提出の手続に関してとる措置に
き認識の一致をみた。


○投資
両国政府は、コーポレート・ガバナンスについて、社外取締役に関する日本の会社
改正等の内容を確認し、買収防衛策について日本政府が意見等を受け付けること
とし
たほか、規制改革について外国投資家等からの意見等を求め、これらを規制改
革会議
に付託することとした


○知的財産権
両国政府は、TPP協定の関連規定の円滑かつ効果的な実施のために必要な措置をとる
こと、日本政府が著作権の私的使用のための複製の例外に関する検討を再開すること、
及び両国政府が著作権等の知的財産権の保護の強化に向け取組の継続の重要性
を認識
することとした。


○規格・基準
両国政府は、日米間の物品の貿易を円滑化するため、強制規格、任意規格及び適合
評価手続に関する作業部会を設置することとした。


○政府調達
両国政府は、①入札談合及び②入札過程の改善に関してとる措置につき認識の一致
みた。

 

【時代は太陽道を渡る17】

● ドローン+クラウドで、太陽光発電設備の自動監視

田淵電機は、IT・エレクトロニクス総合展示会「CEATEC JAPAN 2015」(15年10月7~10日
東京ビッグサイト)に出展。ドローンを使った太陽光パネルの遠隔監視システムなど手印字した。太
陽光発電用パワーエレクトロニクス事業ブランド「EneTelus(エネテラス)」製品群を出展。今後、
太陽光発電関連で需要が伸びそうな、設備保全や遠隔監視に関連するソリューションをアピール。今
回の出展で、注目を集めたのが、ドローン(無人飛行機)による太陽光パネルの遠隔監視システム。
同システ
ムは、赤外線カメラを搭載したドローンにより太陽光パネルを撮影しパネルの温度情報を収
集し、通信ゲート
ウェイを通じてデータを送信。田淵電機が展開する遠隔監視システムEneTelusクラウ
ド」で蓄積したデータを組み合わせて分析することで、ソーラーパネルやシステムに発生した異常を
自動で検
出し、ユーザーへの連絡が可能となる。

 

ポイントは、ドローンの離着陸と飛行ルートについて、プログラムにより自動制御することが可能な
った他、ワイヤレス給電技術を使い、ドローンが充電台に帰還すると自動でバッテリーを充電できる
ようにした。これにより、ドローンによる監視作業を全く人手を介さずに行えるようになる。ところ
で、強風や豪雨になればこれを回避するウエザー情報通信クラウドとの交信システムはどうなんだろ
う。それにしても、太陽光発電はもっとスマートに、もっと高性能に、もっと、ダウンスペーシング
し続けるだろう。これは面白い。

 

コメント
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