極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

フィンランド製バイオマス発電機

2016年02月29日 | デジタル革命渦論

 

 

 

   
      相手の弱みをにぎったとおもったときが、じつはいちばん隙ができる機会で、危ないときである

                                                       吉本 隆明

                                             

                                         Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012   

 



【フィンランド製バイオマス発電機】

フィンランドのボルター社製の小型ウッドガス発電機が秋田で稼働する。フィンランド土木協会は
10年に同
国内の「独立エネルギー・エコビレッジ建設事業」向けに導入、11年に完成、余剰電
気はオウル電力社に送電してきた実績がある。今回、話題となっているのは、北秋田市で屋内にこ
の小型ユニットを道の駅に設置して、電力と熱を自給自足する。木質チップを燃焼しガス化させ発
電。発電能力は40キロワット、同時に20~百キロワット相当の熱を供給する。秋田県の北部に
広がる北秋田市は面積の83%がスギの森林が占め。その多くは伐採した後の残材が大量に放置さ
れており未利用の資源を利用する。

 

導入するバイオマス発電設備はフィンランドのボルター社が開発した製品だ。日本国内では3月4
日に、再生可能エネルギーの発電事業を手がける電現ソリューションが製品名「Volter 40」で発売
する。一見してバイオマス発電設備の外観は、洗練された北欧デザインとなっている。そのサイズ
は長さ4.8メートル、幅1.2メートル、高さ2.5メートル、重さ4.5トンある。設置場所はコ
ンクリートのフロア設置。工場組み立てユニットを設置するだけと短期期間導入できる。

 EP 2653525 A1

Volter 40」の内部には木質チップを燃焼してガスを発生させる装置のほか、ガスエンジン発電機
や熱回収装置などを収容。自動運転の機能を備え、ユニットの側面にあるコントロールパネルのほ
かに、インターネット経由で遠隔から操作も可能。発電能力は40キロワットで、1年間に780
0時間(24時間運転×325日)稼働でき、年間の発電量は最大で31万2千キロワット時、一
般家庭の使用量(年間3600キロワット時)換算すると87世帯分に相当。さらに回収した熱か
ら85℃の温水を作ると電力に換算して百キロワット相当、空調に利用する場合には20キロワッ
ト相当。電力と熱を合わせたエネルギー効率は78%で、都市ガスを利用する一般的なコージェネ
レーション(熱電併給)システムと同等の水準だという。

※ Combined Heat and Power (CHP):
熱電併給システム

燃料に使う木質チップは6.3センチメートル以下の大きさのもので、水分量は15%以下に抑え
る必要がある。1時間あたり38キログラム(年間に320トン)の木質チップを消費する。北秋
田市では間伐材や林地残材などが年間に2700トンも発生している。この全量を使うと、6台の
「Volter 40」をフル稼働させることが可能。

すでに国内1号機を市内の「道の駅たかのす」に設置することが決まっている。道の駅で消費する
電力と熱を供給する計画で、地域の木質バイオマス資源を使ってエネルギーを地産地消する取り組
みになる。さらにVolter Japanの本社工場にも2号機を設置して、北秋田市を拠点に全国各地に導入
事例を拡大していくということである。 


  

【今夜の2つの最新量子ドットナノ技術】

米国の特許から2件。2件とも技術研究報告書のような内容になっており、こ
れもビックデーターと人工知能の情報技術を総動員し包括的網羅しようとする
意志が感じ取れるが、反面、新規性が暈かされている。さて、1つめは、JP
タブラトリーズ社の「
特開2016-028238 ナノ構造の変形、破壊、および変換に
基づくモニタリング装置およびモニタリング方法」。
JP 2016-28238 A 2016.2.25

● 要約

基板53上にナノ構造体であるナノワイヤ51および端子54を有する2つの
の電極52
からなるデバイスで構成される。ナノ構造体の特性は、その周辺環
境(エネルギー、電
磁放射線、圧力、磁性など)の変化よって、ナノ構造サイ
ズなどが減少など、その特性に急激な変化が起こるので、端子54を介して分
析機器でナノ構造体の特性変化を検知し、その特性変化に基づき、周辺環境変
化をモニタリングすることで、ナノ構造の物理的破壊、化学的破壊、および生
物学的破壊に基づくデバイスを提供するというもの(下図)。


問題は、と言うかここからが振るっている。ナノ工学や量子工学に疎いひとに
も、下図のように「量子ドット」の入門書にのように掲載されていることであ
る。面倒くさいが熟っくりと目を通してみると結構面白い。新しい時代が、事
業が動きが、新しい社会分野が誕生していることを感得していただければ幸甚
の次第。

2つめは、ナノシス・インク社の「特開2016-028152 ナノ構造の分散のための
官能基を有するマトリックス」。前記、特許のごとくここでも、「ナノ半導体
結晶の構造×機能マトリクス入門書」の趣がする特許である。


JP 2016-28152 A 2016.2.25

● 要約


特定の実施形態において、これらの半導体ナノ結晶は、特定波長の光を吸収ま
たは放射するようにサイズおよび組成を有する。これらのナノ結晶には、最小
部分の光がこれらのマトリックスにより散乱されるように、重合体類を含む種
々なマトリックス物質との混合を可能にする配位子が含まれ得る。これらのマ
トリックスを、任意に、これらの配位子から作る。本発明のマトリックスは、
屈折率適合用途において利用することもできる。他の実施形態において、半導
体ナノ結晶はマトリックス内に埋め込まれ、ナノ結晶密度勾配を形成し、それ
ゆえに、有効屈折率勾配を作る。本発明のマトリックスは、光学素子上のフィ
ルターおよび反射防止コーティングとして、ならびに低周波数変換層としても
使用することができる。半導体ナノ結晶を含むマトリックスを生成するプロセ
スも提供する。Ⅱ~Ⅵ族のシェルを用いてリン化インジウムナノ構造およびコ
アシェルナノ構造を生成する方法、ならびに高量子効率で小規模の、および、
または、狭いサイズ分布を有するナノ構造についても記載し、半導体ナノ結晶
を添加したマトリックスを提供する。

 

 

 

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ハイアワサ物語

2016年02月28日 | 世界歴史回廊

 

 

 

      もし敵の秘密の歴史を読むことができたら、互いの生活の中に、
            すべての敵意を捨てさせるに
十分な悲しみと苦しみとを、見出
            すであろう。  
                               『漂木』

                                        ヘソリー・ワッズワス・ロングフェロー

                                                                                                                                                               

              lf we could read the secret history of our enemics,we should
         find in each man's life sorrow and sufering i enough to disarm
                        all hostility.
                                      Henry W . Longfellow

                                                                            
                                                                                 Feb 27 1807 - Mar 24 1882

                      ※  lf we could,.・・・,we should~仮定法過去だから「もしも・・・できたら~
           だろうに」。sorrow and suffering enough to ・・・「・・・
するに足りるほどの
           悲しみと苦しみ」。disarm 「
武装を解除する」        

    The Song of Hiawatha                                  

 

  


   僕が書かなかった詩


   以前書きかけだのだけれど、

   書かなかった詩がここにある。

   それというのも君がもそもそと勤く音が聞こえたからだ。

   僕はそのときチューリヒでの最初の朝の

   ことをもう丁度思い返していた。

   夜明け前に僕らが目覚めたときのことを。

   一瞬そこがどこだかわからなかった。でも

   バルコニーに出ると、そこからは何と旧市街が見渡せる。

   そして言葉もなく、ただそこにじっと立ちすくむ。

   まっ裸で。空か白んでいくのを見守る。

   胸がすごくどきどきして、幸福だ。僕らは

   なんだか今の今、

     ひょいとそこに置かれたみた

                                   The poem I didn't write

    Here is the poem I was going to write
    earlier, but didn’t
    because I heard you stirring.
    I was thinking again
    about that first morning in Zurich.
    How we woke up before sunrise.
    Disoriented for a minute. But going
    out onto the balcony that looked down
    over the river, and the old part of the city.
    And simply standing there, speechless.
    Nude. Watching the sky lighten.
    So thrilled and happy. As if
    we’d been put there
    just at that moment.

 

 

 

● スタートアップは竜王山

4月16・17日の土日に合わせ――メンバー、天候により変更――金勝山(竜王山)へのナショ
ナルトレッキングコース調査のスタート・アップ。ポイントは以下の3つのルートコースと綿向山
ルートからその先の箕作山――中間に三重県の御在所岳を絡めるのか否かの選択など――へのルー
トをスケッチなど行う。いずれ連載となっていくので、専用ブログ(守る会)に情報を集約する。

1.サンロード・ルート:誰も参加しやすいリスクの少ないクロスカントリー・ロード・コース
2.アドベンチャー・ルート:渓流釣り・ロッククライミング・渓流下りなどが楽しめるコース
3.ワンダー・ルート:野鳥・森林植物など自然観察などの多様な環境を楽しむコース





  ● 今夜の一曲

Dvořák: Symphony №9 in E minor, Op. 95 "From The New World"

Antonín Leopold Dvořák (1841 -- 1904) Composer
Herbert von Karajan (1908 -- 1989) Conducts
Wiener Philharmoniker -- 2/1985 Record at Vienna, The Großer Saal des Wiener Musikvereins.

『ハイアワサの歌』は、インディアンの英雄を謳った英雄譚であるヘンリー・ワーズワース・ロン
グフェローの叙事詩なのだが、ハイアワサは、実在した16世紀のモホーク族インディアンの男性
戦士の調停者。当時、五大湖南側ではカユーガ族、モホーク族、オナイダ族、オノンダーガ族、セ
ネカ族の5部族が交戦状態にあったが、1555年に五大湖の北側のワイアンドット族に生まれた
デガナウィダが、和平調停に乗り出す旅に出る。五大湖の東にあるモホーク族の村を訪れた時、大
戦士ハイアワサと会う。打ち続く戦いでハイアワサは厭世感にさいなまれていたので、家族ととも
にデガナウィダの話に耳を傾け和平を受け入れる・・・という展開を経てやがて全部族間の和平を
成功させる。

しかし、主人公の「ハイアワサ」は、イロコイ連邦をまとめ上げ実在のモホーク族インディアンの
戦士、酋長
だが、実際のストーリーはハイアワサの部族とは関係なく、オジブワ族のトリックスタ
ーである「ナナボーゾ」
の神話をベースとし、19世紀中頃にこの詩を編纂したヘンリー・スクー
ルクラフトによる混同がもととなって
いる。つまり、ロングフェローは「ナナボーゾの歌」のつも
りであったが、いつの間にか「ハイアワサの歌」にすり替わり、現在も誤解されたままになたとい
う(Wikipedia)。このため、
イロコイ連邦国のひとつ、タスカローラ族のエリアス・ジョンソン酋
長はこの「ハイアワサの歌」が植え付けるインディアンへの「悪いイメージ」について――ありと
あらゆるインディアンの肖像が、手に頭皮剥ぎのナイフとトマホークを持った姿で描かれて、まる
で野生の蛮人の象徴扱い
にされている。 それはキリスト教徒たちの国が、彼らの仕事、正義の象
徴として、常に大砲や弾丸、剣、およびピストルを伴っているのと同じような具合で行き渡らされ
ているように思える――として抗議している※。

Legends, Traditions and Laws of the Iroquois, or Six Nations, and History of the Tuscarora Indians.(1881)

ゆずが13年下半期の連続テレビ小説「ごちそうさん」の「雨のち晴レルヤ」の間奏にも使用して
いるドヴォルザークの作品95『新世界より』の交響曲第9番ホ短調は、アメリカの黒人やインデ
ィアンの民族音楽の旋律を多く主題に借りているという誤解に対し、ドヴォルザークはこれらの国
民的なアメリカの旋律の精神をもって書こうとしたと否定しているが、"
よく似ている"ことを否定
してはいない(しても意味がないと思う)。というわけで、今夜の『ハイアワサ物語』の主題曲と
してこれをカラヤン指揮で聴くことにする。

                                          



 

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高変換効率ソーラー技術 Ⅱ

2016年02月27日 | デジタル革命渦論

 

 

 

      学校なんかに期待する親は、大きな間違いを犯している       吉本隆明


                                                     

                         Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012   

 

   レストランで本を読むこと

 

 




  
今朝僕はあの青年のことを思いだした。

   窓際のテーブルで本を読んでいた、あの昨夜の

   青年を。皿やら人の声がにぎやかに行き来する

   その中で彼は読み続けていた。ときどき顔を上げて

   指を唇に走らせる。まるで何かについて

   考えこんでいるか、あるいは心の中を

   去来する想いをそっとなだめているみたいに。そしてまた

   目を伏せて本を読み続ける。そんな記憶が今朝

   僕の頭に蘇った。ずっと昔、あのとき

   レストランに入ってきた娘の

   記憶とともに。

   彼女は立ったまま髪をふるい

   レストランで本を読むことそれからコートも脱がずに

   僕の向かいの席に座った。

   僕がそのとき読んでいた本、何かの本を

   テーブルに置くと、彼女はすぐに僕に向かって話を始めた。

   もう駄目よ、ぜんぜん駄目

   まったく見込みなし。

   彼女にはわかっていたのだ。やがて僕にもやっと

   わかってきた。でもあれは

   辛かったね。今朝君は

   御櫃嫌いかが? と僕にたずねる。でも僕は頭が

   集中できない。僕らのとなりのテーブツでは

   男がげらげらと笑いころげている。

   もう一人の男の話に対して

   頭を振りながら。

   でもあの青年、いったい何を読んでいたんだろうな?

   あの女はどこに行っちゃったんだろうな?

   わからなくなっちゃったよ。ええと君

   何を質問してたっけね。

   

     

           This morning I remembered the young man
           with his book, reading at a table
           by the window last night. Reading
            amidst the coming and going of dishes
            and voices. Now and then he looked
      up and passed his finger across
      his lips, as if pondering something,
      or quieting the thoughts inside
      his mind, the going
      and coming inside his mind. Then
      he lowered his head and went back
      to reading. That memory
      gets into my head this morning
      with the memory of
      the girl who entered the restaurant
      hat time long ago and stood shaking her hair.
      Then sat down across from me
      without taking her coat off.
      I put down whatever book it was
      I was reading, and she at once
      started to tell me there was
      not a snowball's chance in hell
      this thing was going to fly.
      She knew it. Then I came around
      to knowing it. But it was
      hard. This morning, my sweet,
      you ask me what's new
      in the world. But my concentration
      is shot. At the table next
      to ours a man laughs and laughs
      and shakes his head at what
      another fellow is telling him.
      But what was that young man reading?
      Where did that woman go?
      I've lost my place. Tell me what it is
      you wanted to know.

               Reading something in the restraurant  

 

2050年までに100%再生可能エネルギーへの米国を変換するための計画

【最新ナノ電子工学 2016:高変換効率ソーラー技術 Ⅱ】

今夜は1月から教までの「最新ナノ電子工学 →高変換効率ソーラー技術」の特許を選択掲載する。
まず1つ
めは多接合太陽電池などのナノ電子デバイス製造に用いられる、アスペクト比トラッピング
でSi上に低転位密度のGeを成長させ、その後、Ⅲ-V族の格子不整合や熱膨張係数の2つの不一致
を技術的に統合し、実施形態では、半導体デバイスに用いられ、半導体基板の少なくとも一部上に配
置する半導体材料のエピタキシャル成長ナノテンプレート構造が、ナノスケールの複数の誘電体ウィ
ンドウと、もう片方の同サイズの半導体との間にエアギャップをもうけることで2つの技術課題を解
決する方法を提案する(下図「US9269727」参照クリック)。

 

 


US9269727 Semiconductor device comprising epitaxially grown semiconductor material and an air gap:

2つめは、電子注入(第1)、電子収集(第3)、ベース(第2)の領域が、グラフェンの1つ以上
のシートを含むベ
ース領域を含む縮小コレクタ領域を有するグラフェンベースのトランジスタと、ベ
ース領域が中間にある電子注
入と電子収集および電気的インターフェースとの構造のトランジスタの
新規構案である(下図「US9236432 」参照クリック)。グラフェンを使用することでトランジスタの
ダウンスペーシング、低コスト化、高性能化実現させていこうとする新規考案である。

US9236432 Graphene base transistor with reduced collector area

3つめは、太陽電池は、年々拡大する市場からの、変換効率の更なる高効率化の要求とその性能の一
層の向上が求められ。太陽電池の高効率化を図り、その理論効率に近づけるためには、入射光の反射
率の低減化など数多くの技術的課題が存在し、特に、太陽電池に用いられる半導体(代表的にはシリ
コン)の表面準位や欠陥、あるいは反射防止膜とシリコンとの界面近傍に存在する界面準位や反射防
止膜の応力により発生する微細欠陥に基づく再結合の、低コストの方法による低減化については、未
だ十分な解決手段が見出されていなかったが、これら架台化解決のため、本発明の1つの太陽電池の
製造装置500は、半導体を、濃度が60wt%以上99.9wt%以下であって室温以上120.
7℃以下の温度の硝酸から生成された硝酸蒸気516に接触させる第1処理部510と、硝酸蒸気5
16に接触させた前述の半導体を、濃度が60wt%以上99.9wt%以下の硝酸溶液524に接
触させる第2処理部520と、を備えていることで、変換効率を高め得る太陽電池を提供する新機構
案である(下図「特開2016-028429 」を参照クリック)。
 

 

 

 

25 Feb 2016
特開2016-028429 太陽電池の製造装置

再生エネルギー倍増計画    

 

 

    ● 今夜の一曲

 

    It’s late in the evening
    Glass on the side now
    I’ve been sat with you
    For most of the night
    Ignoring everybody here
    We wish they would disappear
    So maybe we could get down now
    And I don’t wanna know
    If you’re getting ahead of the program
    I want you to be mine, lady
    To hold your body close
    Take another step into the no-man’s land
    For the longest time lady

    I need you darling
    Come on set the tone
    If you feel you’re falling
    Won’t you let me know

     Oh-Oh-Oh-Ooh-Oh
     Oh-Oh-Oh-Ooh-Oh

    If you love me come on get involved
    Feel it rushing through you from your head to toe

    Feel it rushing through you
    From your head to toe・・・

                Sing & Songwritter    Ed Sheeran

 

The Hobbit: The Desolation of Smaug - Ed Sheeran "I See Fire"

エドワード・クリストファー・シーラン(Edward Christopher "Ed" Sheeran, 1991年02月17日-)は
英国のシンガーソングライター。イングランドのウェストヨークシャー・ハリファクスにてアイルラ
ンド人とイングランド人の両親の元に生まれた。ギターを幼少時から習い始めた。
2011年「」でレ
コードデビュー。
2013年、映画『ホビット 竜に奪われた王国』のエンド・クレジットに書き下ろし曲
I See Fire』が使用される。
2014年に発表されたアルバム「x(マルティプライ)」は、ファレル・
ウィリアムスやリック・ルービンらをプロデューサーに迎えて制作。英米ともにアルバム・チャートで
初登場1位を獲得、英国ではプラチナ・ディスクに認定。
2015年、英国の大学ユニバーシティ・キャ
ンパス・サフォーク(UCS)から名誉博士号を授与。

Sing」はシンガーソングライターエド・シーラン曲。シーランとファレルウィリアムス、によって
作曲。曲はシーランのセカンドスタジオアルバム、×(2014年)からの先行シングルとして、2014年4
月7日にリリース。歌はでシーラン初のUKナンバーワンシングルとも突破したグラフよなりオーストラ
リア、ニュージーランイルランド米国ビルボードホット百で13位にチャートされる

 

  Wikipedia

 ※日本では電力ベストミックスと称して原発の再稼働と石炭火力をシャカりきに推進用としているが、
 発展途上国をのぞき、先進国は再生可能エネルギーの前倒し推進にある。組織犯罪の可能性が高い
 担当官僚や背後に動向に注視していく必要がある。今再び、メルトダウンや重大な原発事故が起き
 れば、田中正造の『亡国に至を知らざればこれすなわち亡国である』との言葉を再確認し、狂った
 システムは直ちに是正しなければならない。当事者の責任は重大である。また、人為的地球温暖化
 を止める課題もまったなしである。、


                                        

  

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帝國のロングマーチⅡ

2016年02月26日 | 世界歴史回廊

 

 

 

   日本人はウォール街でアメリカの会社を買い、ニューヨークで不動産を買っている。多分、
         マンハッタンを自分たちのものにしたいんだな。日本人と競り合っても勝てる見こみはな
         い。どうみても彼らはこちらをコケにするためだけに法外な金額を払っているとしか思え
         ない。
                                        ドナルド・トランプ 19 March, 2015

 

 

● 中国 地対空ミサイル配備の島に戦闘機を派遣 
    China deploys fighter jets to contested island in South China Sea 21 Feb 2016

 


● 折々の読書  『China 2049』16


                秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                                 マイケル・ピルズベリー 著
                                 野中香方子 訳   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイ
ケル・ピルズベリーが、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきたと認めた
うえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌
を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の世界情勢、日中関係
そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっ
ている。 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)  

  第3章 アプローチしたのは中国 


       東の呉と組み、北の魏と戦う-『三国志演義』(配元前200年)

                     毛主席への覚え書き(1969)より引用  

 

   わたしとイクレは、米中が具体的にどう協力していくかを検討した。イクレはキッ
  シンジャーに「正式な関係」(つまり、公的な同盟)は避け、一方的な「技術的性質」
  の支援にとどめることを提案した。例えば、中国との問に「ホットライン」を設けれ
  ば、ソ連が軍事行動に出た際に、早々と中国に警告することができる。「今後も中国
  の
軍事力が主に爆弾投下による攻撃になることを考えると、数時間早い警告は、彼ら
  の
脆弱さを著しく低減できるだろう」と、イクレとわたしは覚え書きに書いた,
  「ホットラインでソ連の攻撃を事前に警告できるようになれば、大きな支援になるだ
  ろう」

   わたしたちはまた、ソ連の攻撃を警告するためのハードウェアや技術を中国に売る

  ことを勧めた。さらには中国がソ連に爆弾投下する際の標的を絞るために、高解像
  の衛星画像を提供することを提案した(注44)。
   キッシンジャーはわたしたちの提案に同意した。当時、彼が協力の具体的な内容を
  中国に伝えたことを知る人はほとんどいなかった。1973年H月に北京を訪れたキ
  ッシンジャーは、ソ連が攻撃してきた場合、アメリカは「装備や他のサービス」を提
  供できると中国の要人に語った。北京と爆撃基地との連絡線の改善を「何らかの形
  で」手助けできるし、中国が「ある腫のレーダー」を作るための技術も提供しよう、
  と彼は持ちかけた(注45)。つまり、密かに人民解放軍への支援を申し出たのだ。平
  時
にも、ソ連が攻撃してきた時にも、アメリカは軍事資源を補給する用意がある、と。

   だが、驚いたことに、中国はこの七つ目のプレゼントに尻込みし、検討する時間を
  求めた(注46)。早期警告を含むアメリカの協力は「大きな技術支援になる]はずだ
  
が米中の協力は、「誰にも察知されない」流儀で行われなければならないと、彼らは
  語った。キッシンジャーの提案は、戦国時代の冷酷で変わりやすい同盟そのままに、
  ソ連との戦争に中国を巻き込むための策略ではないか、と中国の指導者は疑ったのだ。

    中国には、ニクソンとキッシンジャーがどれほどのリスクを負ってこの提案をした
  のかがわからなかったのだろう。中国に関してキッシンジャーが最も頼りとする側近、
  ウィンストン・ロードは、キッシンジャーヘの覚え書きで、(幅広い層から反対さ

  るのはもちろんのこと)憲法に違反する恐れがあり、ソ連を憤激させるだろうと、

  の方針に強く反対した。キッシンジャーはロードの反対を退けたが、ロード自身は

  中国との関係改善を強力に支持していた。

   米中関係は1970年代に最も改善されたが、それは男小平が力を強め、中国の対
  外的な顔になった時期だった。西洋人にとって郵は、理想的な中国の指導者だった。
  物腰が穏やかなおじいさんのようでありながら、改革精神に富むバランスのとれた指
  導者。要するに、西洋人が会いたいと思う人物だったのだ。
   だが、郵はおとなしい老人ではなかった。政治局内部の私的な集まりでは、西洋に
  比べて中国が遅々として進歩しないことへの怒りを側近や顧問にぷつけた。彼は、毛
  とその怪しげな「改革]のせいで、アメリカの覇権を覆すためのスタートが30年遅れ
  たと考えていた。

   はアメリカと協力関係を結ぶことに熱心だったが、その主な理由を公表するつも
  りはなかった。ソ連の経済モデルをたどったのは誤りで、中国は今その代償を支払っ
  ていると、彼は見抜いていた,ずいぶん後にアメリカ情報当局が入手した中国の内部
  文書によると、当時、中国の指導者は、ソ連との同盟は崩壊しかけており、結局中国
  はそこからたいしたものは得られなかった、と考えていたようだ。郵はアメリカを相
  手に同じ失敗を繰り返すつもりはなかった。中国がマラソンで前に出るには、アメリ
  カから知識とスキルを獲得するしかない。つまり、先頭を満足げに走るアメリカから
  エネルギーをこっそり抜き取り、それで遅れを取り戻して了フソンに勝とうと彼は考
  えていた。
 
   政治局内部では、は「韜光養晦(野心を隠し、力を蓄える)」の引用で知られて
  いた。鄭はまた、一見曖昧で無害な物語を通して敵にメッセージを送ることもあった。
  1975年12月に初めてジェラルド・フオード大統領と会談した折、彼は『三国志
  演義』からある物語を引用した。フォードにはわからなかったが、そこには重要な意
  味が込められていた,その物語は、先の章で述べた、中国史上、最も暴虐な君主の一
  人とされる曹操に関わるものだった。曹操は古代中国文学に見られる「覇」の典型と
  言えるだろう。
 
   ある場面で、鄭はフォードに、曹操はライバルの劉備を破り、覇者でありつづけた
  と語った。戦いの後、劉備は曹操に仕えることを申し出たが、曹操は劉備の忠誠心を
  疑った。は有名な曹操の言葉を引用した。
  「劉備は鷹のようであり、飢えたときはあなたのために働くが、腹が満たされると飛
  び去るだろう」
   明らかに、「鷹」とはソ連のことで、ソ連を取り込もうとするアメリカの試みは失
  敗する、ひとたび欲しいものを手に入れたら、ソ連は劉備のように自らの利益を追う
  だろう、と警告したのだった,アメリカ人が気づかなかったのは、同じことは中国に
  ついても言えたことだ。ひとたびアメリカが中国を対等な地位に引き上げれば、中国
  は同盟を解消し、「飛び去る」だろう。

   もっとも、郵は、曹操と劉備にまつわる最も有名な話は、あえて語ろうとしなかっ
  た。そんなことをすれば、中国の真の狙いを漏らすことになるだろうから。中国の強
  硬派はこうした古代の物語に込められた寓意を明かさなかったが、中国の戦略を読み
  解くには、どうしてもこの鍵がいるだろう。
   中国の戦略では、覇者を倒すために自分の真意を隠すことを重視するが、その象徴
  と言えるのが、先に述べた「鼎の軽重を問う」という言葉だ。もっとも、三国時代の
  別の物語は、ただ真意を隠すだけに終わらない、中国の野望を体現している。

    赤壁の戦いの数年前、劉備は曹操に招かれた。曹操を倒すことを企てていた劉備は                                         
  「目端の利く曹操に本心を見破られないようにした」。劉備が着くや、曹操は彼を李
  の
本の下のテーブルに誘い、ふたりで座って、温めた果実酒を味わった,そうしてい
  る
間に、空を厚い雲が覆い、嵐の気配がしてきた。曹操の家臣の一人が竜に似た雲の
  形
を指さした。皆がその雲に注目した。曹操は劉備に、竜の進化を知っているかと尋
  ね
た。

  「詳しくは存じません」と劉備は答えた。
  「竜はどんな大きさにもなることができ、栄光のうちに上昇することも、あるいは姿
  を消すこともできる」と瞥操は言った,
  「春の盛りの今を選んで、屯は変容しようとしている。自らの望みを悟り、医界を手
  中に収めようとする人のように。動物のなかの竜は、人間で言えば英雄だ。将軍よ、
  そなたはあらゆる川と湖を旅してきた。当代の英雄が誰であるかを知っているに違い
  ない。誰が英雄と呼ぶにふさわしいか、教えてほしい」
   劉備は当惑したふりをした。
  「わたしはどこにでもいる愚者にすぎません。どうしてそのようなことがわかりまし
  「そなたは彼らの顔を見上げていないかもしれないが、その名は聞いているはずだ」
  と曹操は答えた。
  劉備は尋ねた。
  「淮河の南の袁術、強い軍隊と豊かな資源に恵まれたこの男でしょうか」
  曲目操は笑った。
  「袁術など墓場で腐りかけている骸骨だ。わたしがさっさと片づけてやろう」
  「では、袁紹は?」と劉備が挙げた。
  「乱暴粁だが、臆病だ」
  「荊州の劉表はいかがでしょう」
  「うわべだけの評判倒れの男だ。やつではない」と曹操は答えた。
  劉備は尋ねた,
  「孫策は頑強な男で、南部全上を収めています。彼が英雄では?」
  「孫策は父孫堅の威光を笠にきている。あれも本物の英雄ではない」
  「益州の劉埠はいかがですか」
  「王族だが、番犬にすぎぬ」
  最後に、劉備は尋ねた。
  「張繍、張魯、韓遂や他の支配者はどうでしょう?」
  「やつらのようなつまらぬ人間は言うに及ばぬ」と曹操は切り返した。
  「他に、思い当たる人はいません」と劉陥は言った。
  「英雄とは胸中に高邁な理想を抱き、それを成し遂げる計画を持つ者だ。英雄はあら
  
 ゆるものに及ぶ構想を抱き、全世界がその情けにすがる」

  劉備が尋ねた。

  「それはいったい誰なのでしょう」
  曹操は劉備を指さし、それから自分を指さして言った。
  「この匯界で英雄たる者は、そなたとわたしだけだI
  劉備は息をのみ、箸を床に落とした,ちょうどそのとき、雲間から雷鳴が轟いた。
  箸をとろうと身を屈めていた劉備は叫んだ。
  「驚いた!すぐ近くに落ちたようだ」
  曹操は驚いた,
  「なんと!そなたは雷が怖いのか」
  いったいどこに雷ごときを恐れる英雄がいるだろう。こうして劉備は「覇」に挑戦
  しようとする野心を隠すのに成功した。
  まもなく、劉備はふたりの親密な仲間にこの経験を詳しく話し、自分の目的は「曹
  操に自分はまったく単純で、いかなる野心もないと信じ込ませることだったが、不
  意
に英雄のひとりとして指さされ、当惑した。いささか疑われたかと思ったのだ。
  運の
いいことに、雷鳴が轟き、必要な口実を与えてくれた」と言った。
  「実にあなたは聡明だ」と仲間は言った。
  その後は歴史が語る通りだ。まもなく劉備は曹操から独立し、国の支配を巡って長
  く曹操と戦った(注47)。 
 

   中国との新たな関係にのぼせあがり、ニクソンとフォード政権は、中国の喫緊の政
  治課題にあれもこれもと進んで支援していった。こうしたプレゼントのすべて(そし
  て、それに続くさらに多くのプレゼント)は、少なくとも30年間、アメリカの一般市
  民には秘密にされていた。アメリカは、中国が民衆の第一の敵と見なすダライニフマ
  に対するCIAの秘密支援を打ち切っただけでなく、台湾への肩入れの象徴だった、
  海軍による台湾海峡の定期的なパトロールも中止した(注48)。そして、自ら進んで、
  中国の力を強めていった。

     1975年、まだランド研究所にいたとき、わたしはソ連を牽制するために中国と
  軍事的なつながりを持つことを擁護する記事を、外交専門誌、フォーリン・ポリシ
  ーに寄稿した。当時は、かつて外交官で、後にまた外交官になるリチャード・ホルブ
  ルックが、同誌の編集者を務めていた。彼はその記事を強く支持し、わたしの見解を
  「大型爆弾」と呼んだ。それを彼が他の編集者に伝えたのがきっかけで、わたしの長
  い記事、「北京のための銃?」がニューズウィークに掲載された。他のメディアもわ
  たしの提案を取り上げたが、ソ連の報道機関は、その主張だけでなく、わたし個人も
  攻撃した(注49)。そもそも、そのアイデアをわたしに吹き込んだのは、国連にいた
  中国の軍の高官だった。わたしは1973年から、中国軍部の強硬派と接触するよう
  になり(彼らとの対話は、その後40年にわたって続く)、覇権国の扱いにまつわる戦
  国時代から伝わる教えを字んだが、当時のわたしは、覇権国とはソ連のことだと思い
  込んでいた.

   1976年初め、共和党の大統領候補の座をフォードと争っていた前カリフォルニ
  ア州知事、ロナルド・レーガンがその記嘔を読んだ(ホルブルックの命を受けて、わ
  たしはその記事をレーガンに送っていた),レーガンから、ソ連を牽制するために中
  国と緊密に連携するという案に賛成するという趣旨の、手書きの手紙が届いた。しか
  し彼はまた、中国には気をつけろと警告し、アメリカが台湾との民主的な同盟を放棄
  することを懸念していた。わたしはパシフィック・パリセーズのレーガンの自宅を訪
  ねた。レーガンは、「現在、64歳、無職だ」とおどけて見せた。そして、これからも
  中国に関する記事を送ってほしい。演説に使うかもしれないから、とわたしを励まし
  た。


長々と著者が引用するのはなぜか?それは自国の成り立ちの心象の投影に他ならないエキゾ
チシズムなのだろと邪推?する。中国文化に慣れ親しんできた日本人なら「レッド・クリフ」
を引用しなくても中国の政権中枢が考えていることは容易にわかっている。わたしがキッシ
ンジャーなら独立自尊を重んじるベトナム共産党と早期に和平締結し、水面下で戦後復興を
約束し、中国共産党政権に手をさしのべないことをニクソンに促し、「一国社会主義」
の中ソ対立を傍観し、周辺アジア国家の独立自尊を目指す政権を支える(非包囲戦略下で)。
それが成功すれば
すればどうなるのか?厳寒をウオッカを飲んでやり過ごすしかないロシア(旧ソ連
)はやがて戦車部隊を南進させ一時的な戦闘事態に陥ることは避けられられず(内ゲバ)、
台湾の国民党や非漢民族の蜂起、二度目の朝鮮動乱が起きるだろうが、ロシアも多方面展開
する余裕はないため南朝鮮(韓国政権)による統一が成功するかもしれない。また、いった
んは南進したロシア軍部隊は毛沢東の中国部隊との持久戦に入り泥沼化する。あるいは偶発
的局所的ななロシア側からの核兵器使用も起こりうるかもしれない。ただし、米国の植民地
主義の反動勢力を排除しつ国連機能の崩壊を避け、困難な軍事的支援あるいは局所的介入を
行うことの至難さに耐えうるかどうか? それは誰にも解らぬが、中国内部での動乱が長引
けば住民の生命財産は失われ、現在とは全く異なった事態となっていると夢想した。

                                  この項つづく

注44. Kissingcr-Zhou Mcmcon,Novcmbcr 10,1973,in Burr,KI’ss油gerTrαylscrφΓs. 171-72.
     Zhou-Kissinger Memcon, Novembcr 13,1973,DigitaI NationaI Security Archives Online,
     Documcnt 283. Menlorandum,Frcd Iklè to Hcnrv Kissingcr, National Archives,RG 59,
            Policy Planning Staff (S/P),Director’s Files (Winston Lord)1969-1977,Lot 77D112、 Entry 
           
5027, Box 370, Secretary Kissinger’s Visit to Peking, October 1973, S/PC, Mr.Lord,vol.
            11,Collcgc Park, MD.
注45.  Goh,Constructing the US Rapprochement with China, 242, 以下も参照。Kissinger-Zhou Me-
            mcon, November 10, 1973,in Burr,Kissnger Transcripts,171-72.
注46. Zhou-Kissinger Memcon. November 14. 1973,National Securitv Archivc onlinc, Documcnt
            284.
注47. Luo Guanzhong. Romance of the Three Kingdoms, chapter 21: "In a Plum Garden, Cao Cao 
            Discusses heries," trans, C, H, Brewitt-Taylor (Beijing: Foreign Languages Press, 1995), 以下
     のサ入手可能。http://kongming.net/novel/events/liubei-and-caocao-sPeak-of-heroes.php.
注48. 台湾海峡におけるアメリカと中国の脅威についてさらに詳しい情報は次を参照,Michael    
            Pillsbury,“China and Taiwan - the American Debate,” RUSI Journal 154, no. 2(April 2009)
            :82-88.
注49.  “Guns for Peking,”Nlslμe4,September 8, 1975; Reagan gave a Prcss confcrcncc on May 28,
            1976 .ロサンゼルス・タイムズ紙によると「レーガンは、アメリカから中国本土への武器輸出は、
            ソ連に関する両国に共通する利益を考えると自然な展開だ、と言った」。Kenneith Reich,
            “Reagan Tells of Rurnors Administration Plans to RcnounccTaiwan Aftcr Elcction,”Los
             Angele Times,



● 積み上げられた汚染土 竜巻に直撃されたら ?

不安を煽るつもりはないが、それを考えると夜も寝られませんね ?! 

                                                               

                                                                  

 

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アフガンのセブンイレブン

2016年02月25日 | 日々草々

 

 

 

    あきらめない力と忍耐力があれば、どんな困難も打ち破り、
       どんな障害物も消し去るほどの魔法のような力が湧いてくる。

                      ジョン・クィンシー・アダムズ

            

                                                                    

                                                         John Quincy Adams 
                                                                                                              11 Nov, 1767-23 Feb, 1848

          ※ 今国会で議員定数審議の渦中のアダムズ方式の産みの親、第6代米国大統領。      

 

  

 

 

   アフガニスタン


   カラマツ並木の道の悲しげな音楽。

   雪をかぶった、ずっと遠くの森。

   カイバル峠。アレクサソダー大王

   歴史、そして瑠璃。


   どんな本も、どんな絵も、どんな小間ものも私を愉しませない。

   でも彼女はべつ。瑠璃もべつだ。

   彼女が可愛い指にはめている、あの青い石。

   それは私をたとえようもなく愉しませてくれる。

   かたかたと音を立てながら、井戸を降りていくバケツ。

   甘露のごとき水を、それは運び上げる。

   川沿いにつづく船引き道。アーモンドの

   茂みを技ける小径。私の恋人は

   サンダルばきでどこにでも行ってしまう。

   手には瑠璃の指輪をはめて。



  



                       Afghanistan 
 

   The sad music of roads lined with larches.
   The forest in the distance resting under snow. 

   The Khyber Pass. Alexander the Great.
   History, and lapis lazuli. 

   No books, no pictures, no knick-knacks please me.
   But she pleases me. And lapis lazuli. 

   That blue stone she wears on her dear finger.
   That pleases me exceedingly. 

   The bucket clatters into the well.
   And brings up water with a sweet taste to it. 

   The towpath along the river. The footpath
   Through the grove of almonds. My love 

   Goes everywhere in her sandals.
   And wears lapis lazuli on her finger.

 

  Khyber Pass

【セブンイレブン vs. ローソン】

 

 

昼抜きもたびたびある、気分転換に即席麺やセ好物のブンイレブンのたこ焼き――ロットに
よって塩辛く感じるときもある――をささっと加熱しいただくことにしているのが、冷蔵庫
をのぞくとセブンイレブンのお好みの「豚玉」があったので、電子レンジで加熱しいただく
が、税込み値段で250円と安くはあるが、もんじゃ焼きのようで閉口する。キャベツがシ
ャキシャキした関西風?のお好み焼きでない。少しすると彼女から電話があり食べるように
指示がきたので、経過を説明しこのことも伝えた、バタベタ感を無くすことはさほど難しく
はないと思うのだが、嗜好性もありこれ以上のクレームなり製法については思考停止する。



話はこのことではなく、おにぎりのローソンは、辞職可能な社会を目標にコンビの省エネ化
の推進や廃食油のバイオ燃料化などの取り組みが話題となっているが、ここにきて、セブン
イレブンも同目標の取り組みが話題となっている。その1つが「コンビニと水素ステーショ
ンが一体化」といもの、天然ガスやシェールガスを原料とした燃料電池は二酸化炭素を排出
するが水素燃料であれば問題ない。『太陽の国の電気自動車』(2016.02.20)のウガンダで
の例のように、日照時間の長い乾燥地帯つまり「沈まぬ太陽地帯」アフリカなどは圧倒的に
有利で、希少元素の宝庫のアフリカ大陸の再生可能エネルーでの経済成長地帯であり、圧倒
的に太陽光・太陽熱発電が有利である局所的には風力・地熱・バイナリ発電もあるが、日本
などは、自国内での水素製造あるいは海外からの水素輸入による燃料電池も必要だ。



さて、今回のニュースは、岩谷産業とセブン‐イレブン・ジャパンは、国内で初めてコンビ
ニエンスストア併設の水素ステーションをこのほど東京都大田区池上と愛知県刈谷市にオー
プン。「イワタニ水素ステーション東京池上」はセブン-イレブン大田区池上8丁目店に併設、
水素ステーション全体の敷地面積は1545平方メートル。「イワタニ水素ステーション愛知刈
谷」は同刈谷一里山町店に併設され、敷地面積は2478平方メートル。両ステーションとも液
化水素オフサイト供給を採用し、液化水素貯槽、ドイツ・Linde社製水素圧縮機、蓄圧設備、
ディスペンサーなどを備えている。供給能力は燃料電池自動車(FCV)で300ノルマル立方メ
ートル、1時間当たり FCV6台の満充填が可能。充填圧力は70MPa。
 



こう実物を見てみると、水素燃料電池自動車は大がかりなインフラ設備を必要としていることが再確
認できる。電気と水素どちらが、ダウンサイジングかが一目瞭然である(上写真クリック↑)。高性能太
陽エネルギー変換デバイスの開発競争に期待がかかるというもの、況や、縮原発おや。

【現在電子図書考】

 「マンガでわかる個人事業の進め方」

電子図書での購入が増えてきている。最初は手めくりのうほうがいいやと思っていたが、視
力の低下
と焚書処分を行う上ではデジタル化は不可抗になりつつある。紙の本の良さも脳に
記憶されていて
抵抗感はないが如何せん細かい文字は負担になる。だからといってディスプ
レイがいいかというと欠点もある。たとえば、画像処理による画素の圧縮はコストや省エネ
通信速度を考慮すれば申し分ないが、フォントなどの文字の輪郭がぼけて気障わり。ベタ部
は圧縮しても輪郭部はできる限り圧縮を抑える、印刷で言うところの「硬調仕上げ」にでき
ないものかと考えたが、これは残件扱い。

                                      

 

 

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傲慢な未経験物体

2016年02月24日 | 新弥生時代

 

 

 

  

    重要なことは、積み重ねによって着々と勝利した、ふりをすることではなく、
    敗北につぐ敗北を、底まで押し押して、そこから何ものかを体得することである。

                                                                   吉本明  
              

                                                     

                         Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012     

 

  

● 地球接近物体に備えよう!

NASA は、小惑星「2013 TX68」が米国時間で3月5日に地球をフライバイ(接近通過)すると
発表。推定されている最接近時の距離は、静止軌道衛星の高度の約半分である1万7千キロから
月までの距離の35倍ほどの1400万キロと大きな幅がある。
これは、米アリゾナ州で実施
中の地球近傍天体観測プロジェクト「カタリナ・スカイサーベイ」が、13年に初めて見つけ
た時の一度だけ 「2013 TX68」が観測――当時、この小惑星についてのデータをわずか3日間し
か収集できず、3日後に惑星は太陽の前を通過し太陽の光に遮られて見えなくなった――軌道
予測データ不十分なため。

現在、惑星は太陽の方向から地球へ向かっており、太陽光に遮られて姿が見えないため、最接
近時の距離を正確に予測するのは難しくフライバイの日には太陽の方向から外れるため、小惑
星は急に明るくなって、どこかの観測プログラムがその姿を捉えてくれるでしょう。新たな観
測結果が得られれば、その軌道はより明確となり、地球へどの程度接近したのかがはっきりす
るとの専門家の予想である(ナショナルグラフィック日本版 2016.02.19)。



今のところ、この惑星の大きさは直径30メートルと推定され、13年にロシアのチェリャビ
ンスクで爆発した隕石の1.5倍であり、この爆発による衝撃波で、付近では窓ガラスが割れる
などして約千人が負傷した。TX68
級の小惑星が同じように空中で爆発すれば、その2倍のエネ
ルギ
ーを発すると見られている。直径数十メートルの地球近傍小惑星は、百万個はあると考え
られ
、発見されている1万個程度。そうれでは衝突しない?というと、地球に衝突しないとされ
ているが、計算によると次にこの惑星が地球へ接近する17年9月28日には、2億5千万分
の1と小さな確率で地球に衝突する恐れがあるとのこと。このような地球接近物体をNEO(
Near Earth Object)と呼称されるが、軌道計算の誤差によれば最悪の事態が予測される、予知能
力を高めリスク管理(制御)を重質することが喫緊の課題だろう。



● 傲慢な未経験物体 ?

今秋の米大統領選でもし共和党の実業家、ドナルド・トランプ氏が勝利したら、国外へ脱出し
たい米国人を歓迎すると、カナダ東海岸のケープ・ブレトン島が、ユニークな「移住の勧め」
を――島の観光組合は、ウェブサイト上で、トランプ氏があなたの国の大統領になるかもしれ
ません。実際にそうなって国外へ逃れたいと思ったら、ケープ・ブレトン島への移住はいかが
でしょう――呼びかけたという(CNNMoney 2016.2..19)。サイトの文言もふるっている――
同島なら、女性は人工妊娠中絶を受けられ、イスラム教徒は自由に歩き回ることができる、ト
ランプ氏が国境に壁を築こうと主張していることを引き合いに出し、ここにある壁といえば、
とても手頃な住宅の屋根を支える壁だけ、医療は無料、拳銃を持っている人はだれもいない―
と売り込む。この御仁父親がニューヨーク市の不動産開発会社の(エリダベス・トランプ・ア
ンド・ソンの御曹司で71年には譲り受けた社名をトランプ・オーガネイションに変更。移民
に反対するポピュリズムで保守反動な主張は、共和党方針相反、労働者階層有権者の支持を得
る。わたしの見立てでは、米国の「住宅資本主義×英米流金融主義」の潮流の尻馬に乗り、の
し上がった独り善がりな傲慢な成金として映る。このような人物が大統領候補として話題にな
るのはある意味時代の寵児、鬼子―喩えとしてのイスラム過激派とメダルの裏表――なのかも
しれない。

カリフォルニア州サンディエゴ市の低所得賃貸住宅(全92世帯)に設置された太陽光発電システム。合計出力202kW

● 低所得世帯にも太陽光発電を!

ここ数年、太陽光発電システムの価格が大幅に低下(「デジタル革命渦論」)、米国ではいま
だに太陽光発電は「お金に余裕のある家庭用のもの」とされている。そんなイメージがカリフ
ォルニア州で変わろうとしているという(「誰にでも太陽光の恩恵を!米加州が貧困層向けに
300MWを設置支援] 日経テクノロジーオンライン」2016.02.14)。昨年10月、カリフォルニア
州の Jerry Brown 知事 は低所得世帯に太陽光発電(PV)導入を促進する米国最大規模の法律案
(低所得者向け賃貸集合住宅用にソーラープログラム)に署名し、同法を成立させた。このプ
ログラムの年間予算は1億米ドルで、10年間の実施が予定。この法律のインパクトは大きい―
賃貸を含めた全ての電力消費者が、汚染を出さない太陽光発電の恩恵を、住んでいる場所、ま
たは働いている場所で得られるようになる――ためで、このプログラムを通し、同州は、少な
くとも300メガワットの太陽光発電システムを低所得者向け賃貸集合住宅に導入する目標を
掲げる。

・環境面と経済面の両方にメリット

カリフォルニア州公益事業委員会(California Public Utilities Commission:CPUC)は08年に「Mu-
ltifamily Affordable Solar Housing (MASH
)」と呼ばれる、低所得者向け賃貸集合住宅に太陽光発
電システムの設置を促す補助金プログラムを開始。当時MASHは約1
億8百万米ドルの予算を
割り当てられた。全ての予算はすぐに申し込みで一杯になり、13年に新しい法案が可決され
MASH用に新たに5400万米ドルの予算が割り当てられている。



低所得世帯にとって、収入に占める電気料金支払い額の割合は、高所得世帯に比べると高い。
太陽光発電システムの設置により月々の電気料金を削減できると、食費、医療費など、もっと
重要な支出にお金を回すことができ、このプログラムは低所得世帯に環境的利点のみならず、
多くの経済的利点ももたらす。また、MASHプログラムの原資は、日本の固定価格買取制度
ように全ての電力消費者から電気料金の一部として徴収される。しかし、新しいプログラムは
同州のキャップ&トレード方式の排出量取引制度からの収益が割り当てられ、納税者など、誰
にも余分な支払いが発生しないという。

排出量取引制度は、カリフォルニア州の掲げた、20年までに温室効果ガスの排出量を90年
レベルに削減する目標」を達成するため制度である。大規模な燃料燃焼施設や電力の一次供給
者など、二酸化炭素排出量の多い企業が規制の対象となり、一定量の二酸化炭素を排出する枠
が割り当てられる。この枠は「一定の排出量を排出してもよいパーミッションであり、毎年、
州全体の排出枠総量が定められる。州は目標に向かって徐々に排出枠総量を減らし、各企業へ
の枠の割り当ても少なくする。企業は、排出量を枠内に収めるため、最も費用対効果がよく、
効率的な手法を見つけ出すことを求められ、余った「排出枠」は取引可能であり、企業は排出
量取引市場に売却できるもの。

・低所得者だけでなく全需要家に利点

実は、このプログラムは太陽光発電システム設置に補助金が出る賃貸集合住宅に住む低所得層
のみ
ならず、すべての経済的階級に所属する電力消費者にメリットがある。カリフォルニア州
は、電力会社に
対し、低所得層向け電気料金割引プログラムを提供することを義務つけている。
このプログラムは「California Alternate Rates for Energy(CARE)と呼ばれ、連邦貧困所得基準の
二百%未満の世帯が、冷暖房、照明、調理など最小限の電力需要を満たせるように設けられた
支援制度である。カリフォルニア州公益事業委員会のデータによると、現在450万の世帯が
CAREプログラム」に参加しており、これは同州で同プログラムに参加できる世帯の84%
を占め、同プログラムに参加した世帯は、30~35%の電気料金の割引が受けられる。因み
に、14年にこの支援プログラムに要した費用は12億米ドル。この金額は、全電力消費者か
ら集められたものに相当。太陽光発電システムの設置により、低所得世帯は電力会社からの電
気購入量を減らすことができることで、CAREプログラム予算対象ベースが小さくなり、他の
電力消費量の負担額も自動的に下げることができる



・米国全土に広がる「歴史的なプログラム」

所得世帯向け太陽光発電支援制度がカルフォルニア州以外の州にも広がろうとしている。昨年
7月にオバマ大統領は、連邦政府主導の「気候変動対策案」の1つとして、連邦政府支援の低
所得世帯に太陽光発電システム300メガワットを20年までに導入、そして、それらの世帯
がシステム購入をより簡単にできるファイナンスシステムの提供を宣言。
カリフォルニア州の
この新しいプログラムは、低所得世帯向け太陽光発電システムの普及を促すための最も大きい
投資を意味する。このプログラムが効果的に導入されれば、他の州へのモデルとなり、さらに
全ての人々が太陽光発電にアクセスできる、歴史的なプログラムだと評価されているという。
尚、にわかに信じにくいのでこれは要観察ですね。

● スカートサクション工法の威力 ?!

株式会社大林組は洋上風車の基礎およびアンカーに適用する海洋構造物「スカートサクション」
を開発(「洋上風車の基礎およびアンカーに適用する「カートサクションを開発」2016.02.17)。
もともと、基礎頂版から下方に伸びた円筒形の壁(スカート)を海底地盤中に貫入して安定性
を確保
する、新形式の海上基礎工法の応用展開したもの。スカートの貫入には、自重とバラス
ト(重し)を活用
するほか、スカートと海底地盤面で囲まれた密閉空間(コンパートメント)
の水をポンプで排水し、水圧
の低減(サクション)によって得られる荷重を有効活用する。メ
リットはつぎの通り(海洋橋梁工事の場合の例)。

1.供用中の沈下対策が不要――施工中に、供用時よりも大きな荷重をサクションで事前載荷
 できるため、供用中の沈下を最小限に抑える。
2。基礎のコンパクト化が可能――根入れし、密閉された基礎では、急激な引き抜き荷重に抵
 抗する逆サクション(引き抜き抵抗)が生じるとともに、前面地盤の受働抵抗が生じる。
3.周囲の環境を保全――サクションに用いるのはポンプと周囲の海水だけ、騒音を伴う打撃
 や振動
がない。スカートは安定上必要な支持地盤まで貫入、表層地盤が軟弱でも改良や浚渫
 は不要。

4.短時間で基礎が完成――基礎は陸上ヤードやドックなどで構築し、現地まで運搬される。
 基礎の据付作業はスカート貫入だけなので、例えば防衝工の据え付けが2日間で完了するな
 ど、船舶の航行に及ぼす影響もわずか。

 

代表的な建設方法のうち、海底に杭を打設する「モノパイル」や「ジャケット」と呼ぶ構造に
応用すると、従来のように大型の機械を使って海底面に杭を打ち込む必要がなくなる。これに
より基礎工事のコストを約20
%、工期を約40%削減できる見込み。なるほど知恵が効いて
いますね。こういうことは日本は得意なのだと感心。



● 人工光合成の実現に向けた酸素発生触媒の開発に成功

分子科学研究所らの研究グループは、植物の光合成よりも高い効率で水から酸素を発生する鉄
錯体(酸素発生触媒)の開発に成功(2016.02.12)。
人工光合成の実現には、水を分解して酸
素発生する反応効率を高める必要があるが、植物の光合成にヒントを得て、高効率で酸素を発
生する鉄の触媒分子を開発、人工光合成技術の実現の大きな一歩となり、エネルギーや環境問
題の解決に貢献できる。

作用原理は、上図のごとく、鉄錯体は5つの鉄イオンと6つの有機分子により構築されている
。5つの鉄イオンによる多核構造を持つことで多電子移動反応を、分子の中心部分に存在する
隣接配位不飽和サイトにより結合生成反応を促進――その特徴は(1)酸化還元能を持つ多核
構造。酸化還元能を持つ多核構造は、植物の光合成での酸素発生触媒など天然の酵素にも数、多
く存在し、多電子移動反応の高効率化に貢献。(2)また、隣接する2つの配位不飽和サイト
配位不飽和サイトに水分子が結合することで、酸素-酸素結合生成が分子内で進行し、結合生
成反応の高効率に貢献――することができる。そして、触媒の処理能力を示す触媒回転頻度が
毎秒1900回という高い酸素発生速度と、触媒の耐久性を示す触媒回転数も100万回以上
と、耐久性も十分に高いことが明らかになり、さらに、迅速な多電子移動反応と効率的な結合
生成反応という2つの要素が、高効率な酸素発生反応の達成に重要な役割を果たしていること
が分かった。

● 地方創成というが、安土城跡前、トイレ有料化 ?

近江八幡市は、安土城跡ふもとの公衆トイレを有料化する条例改正案を市議会に提案した。市
の有料駐車
場向かいに無料駐車場ができ、維持費を駐車場収入から捻出できなくなったのが主
な理由だという。改正を目指すのは「特別史跡安土城跡前駐車場及びガイダンス施設条例」。
トイレは、城跡入り口そばにある案内所や休憩所を兼ねた市の施設内にある。トイレ清掃など
の維持管理は、11年から安土町商工会に委託。そばにある市の駐車場収入(乗用車510円、
150台収容)から年560万円の指定管理料を支払っている。しかし14年夏ごろ、安土城
跡を所有する見寺が、市駐車場そばの寺所有地に数十台分の無料駐車場を整備。市の駐車場
利用者が減り、14年9月以降、月の収入が前年の3分の1~10分の1程度に落ち込む。
15年は12月までで309万円で、駐車場収入から管理料を支払えない見通し。道路・橋・
トイレ・登山と地方は維持経費の財源が縮小する一方。「楽市楽座」の織田信長はこれでは泣
く。見寺と自治体が話し合い、最適無料駐車台数を決定すれば解決する。

ここまで拗れるのは、(1)「共生」
の知恵がない、(2)背景として、ロスト・スコアー(
失われた20年)・見えない脱デフレ出口・格差拡大と少子化・高齢化社会と大きなテーマ横
たわるが、その処方箋として次の2つ税制の改正である。二義的には民営→民間化の促進であ
る。

1.消費税(応益税)の地方自治体への完全移譲。
2.法人税の逆累進制の導入(財政弱小自治体軽減支援)

※ 見寺は、本来は安土山の頂上付近にあった。今そこには、仁王門と三重の塔が現存する
  のみで、本堂や庫裡などは1854年に焼失してしまった。したがって、今の見寺は、明治
  以後に建てられたもの。戦国期には家康邸であった跡地で、数年前に現住職:加藤耕文師
  が管理(
所有?)

 

  今夜のアラカルト

● トリッパの煮込み ジュブリルタン風

忙中閑あり、ランチははじめて口にする「トリッパの煮込み」に感激。クラブハリエで近江牛
のモツをトマトベースで煮込み、すりおろした山芋をかけて仕上げ。パン、キンカンのマーマ
レード添えカブラサラダ・オリーブオイル付きをささっつと頂くことに。帰り道は名残雪が吹
雪く。まぁ~こんな日も仕合わせ哉。

  

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甘い苺と菠薐草

2016年02月23日 | 滋賀のパワースポット

 

 

 

    ある人間が必要とするものを探し求めて世界中を
       旅して回り、家に帰ってきたら、何とそこにある

                                         ジョージー・ムーア


       A man travels the world over in search of what he needs 
                          and returns home to find it. 

                                                                                                George Moor; The Book Kerith

     ※ さあ、それは一体何だろう、案外家庭の幸福というものかもしれぬ。
        in search of・・・  「・・・を求めて」what he needs の what は 先行詞を
          
含む関係代名詞、「彼が必要とするもの」
        returns home to find it の to は結果を表す不定詞句。「家にかえっ
          てきてそれを発見する」  he returns home and finds it  という。                                                                                                        

                                                                                     
                                                                                       24 Feb 1852-21 Jan 1993

【現状比5倍のエネルギー密度特性の蓄電池開発】

産業総合技術研究所らの研究グループは、全固体電解質の中でもリチウムイオン電池伝導率
が高い硫化物ガラス構造とイオン伝導との相関性について原子/電子レベルで解明に成功す
る(2016.02.22)。
これらの解析結果から、ガラス骨格構造の分極効果を最大限に高め、リ
チウムキャリアのイオン濃度増で従来より5倍以上
高いイオン伝導率実現できるものとして
期待される。
 

 
今回の成果は、「高いイオン伝導率を示し、材料の組成や構造の乱れ具合によってリチウム
イオン伝導率が異なるリン導入硫化物(Li2S-P2S5系)の原子配列(構造)とその電子状態を
詳細に解析し、骨格構造(PSx)ユニットの分極性がキャリア(電荷担体)であるリチウムイ
オン濃度に強く影響を与える」ことを発見したことである。具体的には、と言っても馴染み
のないものいはさっぱりわからないが、、「ラマン分光」「高エネルギーX線回折」「中性
子線回折」「第一原理理論計算・逆モンテカルロ計算」などのシミュレーション技術の組み
合わせて実現する。(1)まず、同解析技術を駆使し、リチウムイオンの濃度を変化させた
3種類の硫化物ガラス電解質材料の骨格構造を可視化する、(2)次に、その結果から、リ
チウムイオン濃度が増加するにつれて、特定の骨格構造(PS4ユニット)が増加することを
突き止める(上図クリック↑)。


 

 




● 折々の読書  『China 2049』15


               秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                                マイケル・ピルズベリー 著
                                野中香方子 訳   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイ
ケル・ピルズベリーが、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきたと認めた
うえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌
を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の世界情勢、日中関係
そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっ
ている。 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)  

  第3章 アプローチしたのは中国 


       東の呉と組み、北の魏と戦う-『三国志演義』(配元前200年)

                     毛主席への覚え書き(1969)より引用  

  だが、中国のほうは、アメリカに対する疑念を持ちつづけていた。「上海コミュニケ
 (首脳会談の終わりに調印された共同声明)は、アジアにおけるソ連の拡張を防ぐため
 の同盟が暗黙のうちに形成されつつあることを示唆している」というキッシンジヤ
 見解に中国側は同意しなかった(注37)。コミュニケは次のように明言していた。

  「双方(アメリカと中国)はいずれもアジア太平洋地域における覇権を求めるべき
  で
はなく、また、他のいかなる国あるいは国家集団によるそのような覇権樹立の試
  み
にも反対する。そして、双方はいずれも、第三国に代わって交渉するつもりはな
  く、また、第三国についての八口意や了解を、相互に取り決めるつもりもない」

  中国との同盟を求めるのであれば、アメリカはさらに多くを提供する必要がある、
 
いうのが中国側のメッセージのようだった。そういうわけで、1973年2月、二クソ
 ン政権の次なる秘密のプレゼントが北京で贈られた。それには明確な安全保障も含ま
 れ、願わくばソ連を抑止し、少なくともソ連の関心をひくことのできる米中の協力体制
 を見つけることを前提としていた。中国に対してキッシンジャーは、ニクソンは「(第
 三国による)中国への攻撃がアメリカの国民的関心事となるほど、深い関係を中国と結
 
ぶこと一を望んでいると語った(困測)。アメリカは、韓国や旧西ドイツに軍隊を配備
 
した際にも、「不測の事態にアメリカは「国民的関心』を寄せており、軍隊はそれを察
 
知するためのトリップワイヤーだ」と述べている,キッシンジャーは中国の北側国境へ
 の米軍配備を約束したわけではなかったが、ソ連を驚かせる何かが必要だった。ソ連の
 関心をひく派手なジェスチャー、それこそが1969年に毛の将軍たちがニクソンに求
 めたものだった。

  キッシンジャーはこの戦略のための予定表まで提供した。彼は中国から国連に派遣さ
 れた外交官の黄華に語った。
 「中国にとって「最大の危機』は1974年から76年までとなる,その問にソ連は、緊
 張緩和と軍備縮小、軍事力の推移、防御的核兵器の開発を通して西側諸国との『和解』
 を完了するだろう」キッシンジャーはそれまでにトリップワイヤーを配置しておきたか
 ったのだ。次なる秘密のプレゼント(ニクソンと毛との最初の会談以来、四つ目で、キ
 ッシンジャーの初の訪中以来、六つ目となる)は、アメリカがソ連と交わす合意をすべ
 て中国とも交わすことを約束するものだった。1973年6月のニクソンとソ連のリー
 ダー、レオニード・ブレジネフとの首脳会談への準備期間中に、キッシンジャーは「ソ
 連のために準備したすべてを、中国のためにも準備する]と念を押した(注39)。実際、
 アメリカはソ連向けよりもよい取引を中国に提供する準備さえしていた。キッシンジャ
 ーは語った。

 「わたしたちは、ソ連のためには準備しなかったことを、中華人民共和国のために準備
 する用意がある(注40]
   このころ、ニクソンは次のような声明を中国に送った。
 「中国が関与する対立に関して、アメリカとソ連が、(核戦争防止という)合意のもと
  ともに行動することは決してない(注41)」
  同時に、英国を経由することでアメリカの法律や規制を回避して、中国に技術提供す
  ることを決めた(注42)。
  七つ目のプレゼントは最も扱いが難しく、その後30年にわたって極秘とされ、CIA
 にも明かされなかった。それは、1973年10月に中国と内々に交わした曖昧な約束を
 実行して中国を強化するか、それとも、口約束のままにしておくかという議論(わたし
 もその場にいた)から出たものだった。アメジカは中国との問に「安全に関するより確
 かな約束」を交わすこともできたが、外交上の関係を正常化するにとどめることもでき
 た(注43)。いずれの主張にも確かな論拠があった。

  当時、わたしはランド研究所で中国の専門家として働いており、同僚でキッシンジャ
 ーの側近を務めるリチャード・ムアスティーンを通じて極秘裏に中国の指導者とキッシ
 ンジャーとの対話にアクセスできた。ランド研究所にわたしを雇い入れたのは、アンデ
 ィ・マーシャルとフレッド・イクレだったが、ほどなくイクレは、軍備管理軍縮庁の長
 官に任命されて研究所を離れた。1973年、わたしはイクレの招きに応じて数回ほど
 彼の執務室を訪れ、中国について自らの分析を論じ、中国との内密の協働について、キ
 ッシンジャーヘの提案をまとめた。

 

                                    この項つづく

29.会話の覚え書き,February 23, 1972,9:35 a.m.,12:34 p.m,
            
Nixon PresidentiaI Materials Project. National Sccurity Council Files,HAK Office Filcs, Bo-
             x 92. Dr.Kissingcr’s Meetings in thc
PRC During thc PrcsidcntiaI visit Fcbruary 1972, Page 
             20, in X
Villiam Burr, ed.,Nixonls Trip to China: Rccords now Completely Dcclassincd,In-
             cluding Kissinger Intclligcncc Briefing and
Assuranccs on Taiwan, The National Sccurity 
             Archive, Deccmbcr 11
,2003,Document 4,以下のサイトで入手可能,
     http://www2.gw11.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB106/.
注30. 会話の覚え書き。February 22, 1972,2:10 p.m.-6:10 p.m.,
             Location of original: NationaI Archives,Nixon Presidential Materials Project,White Ho-
             usc Special Files, President's office Files,box 87, Mcnloranda for the President Beginning
             February 20,1972,page 10, in William Burr, ed.,Nixon's Trip to China:Rccords now Co-
             mplctcly Dcclassincd,lncluding Kissingcr Intelligencc Briefing and Assurances onTaiwan,
             Thc National Security Archive, December 11, 2003, Document 1. 以下のサイトで入手可
             能。http://wlnv2.gwu.edu~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB106/;Memorandum of Convcrsation,
     February 23, 1972,9:35 a.m.-12:34 p.m,Nixon Prcsidential Matcrials Project,National 
     Security Council Files, HAK Office Files, Box 92, Dr.Kissingcr's Meetings in thc PRC
             During thc PrcsidcntiaI visit February 1972, Pagc 20,in William Burr, ed.,Nixon’s Trip to
             China: Records now Completely Declassified, Including Kissinger Intelligence Bricnng and 
             Assuranccs on Taiwan,The National Sccurity Archivc,December 11, 2003,Document 4,
             以下のサイトで人手可能。http://www2.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB106/.
注31.   エヴェリン・ゴー教授によると、ワシントン駐在のソ連大使、アナトリー・ドブルイニンは3月、
            キ ッシンジャーに、ソビエト当局は、中国からの情報に基づいて、キッシンジャーが中国に「ソ
     連のミサイル基地だけでなく、中国国境でのソ連軍の「転置」の完全な概要」を教えたと結論
     づけたと語った。Goh,Conversation, the US Rapprochement with China, 174-75. キッシンジャ
     ーはそれを否定した。次を参照。Memorandum of Conversation, March 9, 1972,Box 193,
             NationaI Security Files, Nixon PresidentiaI Materials Project,page 3, Nixon Presidential L-
             ibraly を参照。
注32.   中ソ対立についての西側の優れた回顧として、次を参照。Harold P.Ford,“Thc CIA and 
             Double Dcmonology: Calling the Sino-Soviet Split,”Studies in Interlligence(Winter 1998-
             99):57-61,以下のサイトで人入可能。
     https://www.cia.gov/library/center-for-the-study-of-intelligence/kcnt-csi/vol42no5/Pdf/v42i5a05p.pdf.            

注33.  
例えば、次を参照。Zhou-Ye Jianying-Kissinger Memcon, June 20,1972,15-16,June 21
             1972,3,in Box 851, National Security
Filcs,Nixon Prcsidcntial Materials; and Howe to Kis-
              singcr, “China
Trip,”  Junc 24, 1972,Box 97, National Sccurity Filcs, Nixon PresidentiaI
              Materials, 両方とも、以下のサイトで入手可能。the
Nixon Prcsidcntial Librarv and citcd in
              Evclyn Goh, “Nixon,
Kissingcr,and thc ‘Sovict Card’ in thc U.S.0pcning to China,1971-1
              974.¨ Diplomatic History 29, iss.3 (June 2005):475-502,
485,footnote 43.
注34. Mao,Kissinger Memcon, February 17, 1973,in William Burr,Kissinger Memcon, February
             17, 1973, in Willianm Burr, Kissinger Transcripts: The Top Secret Talks With Beijing And M-
              oscow (Collingdale,PA: Diane Publishing, 1999),88-89,以下のサイトで入手可能。the N-
     ixon PresidentiaI Library and cited in Goh, “Nixon,Kissingcr,and the 'lSoviet Card,'”  475-
             502, 485,footnote 44.

注35. Xiong Xianghui,“The Prelude to thc Openingof Sino-American Relations,” Zhonggong 
              Dangshi Ziliao (CCP Hfsrory Marerials) , no. 42(June 1992):81,as excerpted in Burr,“New
      Documcntary Reveals Secrct U.S.,Chincsc Diplomacy Behind Nixon’s Trip.”
注36.   Kissingcr to Nixon,“My Trip to China.”March 2. 1973,Box 6,Presidential Personal Files,
              Nixon Presidential Materials, 2-3,以下のサイトで入手可能。the Nixon Presidential Library
      and cited in Goh,“Nixon,Kissingcr,and thc‘Sovict Card,’”475-502.
注37.   Kissinger,Diplomacy, 72.
注38.   会話の覚え書き,参加者はキッシンジャー、ウィンストン・ロード、黄華と Shih Yen-hua (通
              訳)。Friday,August 4, 1972,

注39. 5:15-6:45 p.m・, New York City, in “Foreign Relations, 1969,1976,volume E-13,Docum-
              ents on China, 1969-1972,”released by the Office of the Historian of the U.S.Department of 
              State, 以下のサイトで人手可能,http://2001-2009.state.gov/r/pa/ho/frus/nixon/e13/72605.htm.
注40.   Kissingcr to PRCLO Charge Han Xu, Memcon,May 15,1973,Box 238, Lord Files, 7.
注41.   Kissingcr to Huang Zhcn, Mcmcon,May 29, 1973,Box 328,Lord Files.
注42.   Kissinger to Huang Zhen, Memcon,July 6, 1973,Box 328,Lord Files・ July 19, 1973,Bo-
              x 328, Lord Files

注43.   Winston Lord to Hcnry Kissingcr, National Archivcs, RG 59,Policy Planning Staff(S/P),
              Directorls Files(Winston Lord) 1969,77,Entry 5027, Box 370, Secretary Kissinger’s Vi-
              sit to Peking,0ctober 1973, S/PC,Mr.Lord,vol.I.,NationaI Archives,College Park, MD.

 

  

 

    記 億

   バスケットに詰まった苺のへたを

   むしりながら――今年の春初めての

   苺――今夜こいつをどうやって食べようかと

   思いめぐらす。今夜ひとりで

   (テスはいない)ゆっくり楽しもう。

   それではっと思いだした。テスと話をした

   ときに、伝言を伝えるのを、すっかり

   忘れちゃったことを。名前を思い出せない誰かが

   電話をかけてきて、スーザン・パウエルの

   おばあさんが突然亡くなったと言った。

   僕は苗のへたをむしりつづけた。

   でもそれから、また僕は思いだした。

   店から車で帰ってくる途中のこと、

   ローラースケートをはいた

   小さな女の子が、

   大きな、いかにも人なつっこそうな大に

   ひっぱられるようにして道を歩いていた。

   僕が手を振ると、彼女も

   手を振りかえした。そしてきつい声で

   何かを言った。道ばたの草の匂いをしつこく

   くんくん嗅ぎ続けている犬に向かって。

   外はもう暗くなりかけている。

   苛は冷えている。

   ちょっとあとでそれを食べているとき、

   また順に浮かぶことだろう――順不同で

   ――テスのこと、少女のこと、犬のこと、

   ローラースケート、記憶、死、エトセトラ。

                                 Memory

 

● 甘い苺と菠薐草

鄙びた城郭田園都市だけれど、自然環境に恵まれている。煮詰まったら湖岸を車を走らせれ
ば、滋賀のパワースポットはやはり琵琶湖とそれをとりまく山々なんだ!と再認識し、スト
レスが解消れる(疲れ具合もあり程度ものだが)。また、近所や友達から季節
折々に収穫さ
れた野菜や果実をもらい頂くことは普通のことだ。この間もいちごやホウレン
草、小松菜、
日野大根を頂く。小さいいちごなんだけれどすごく甘くておいしいのに感心する。よくよく
考えれば幸せなんだと、こころ豊かになるひとときがある。

                                     

 

 

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帝國のロングマーチ

2016年02月22日 | 時事書評

 

 

   もし君か大きな才能の持主なら、勤勉は才能をさらに大きくするであろう。
            もし君が凡庸な才能の持主なら、勤勉はその欠点を補うであろう。

                                                  サー・ジョシュア・レイモンド



    
 ※ talent  とは、もと近東の貨幣の名であった。預ったまま使わなかった
          召使かクビになり、うまく回してふやした召使かほめられた話が、聖書
                   にある。うまく使うことである。

                      If you have greate talents, industry will improve them : 
                      if you have but moderate abilities, industry will supply their dificiency.

                                                                                                                           Joshua Reynolds

                                                                                                           
                                                                                      

● 今夜の二つのニュース


野村敏京はこの日、最小スコアの7アンダー“65”をマーク。「ISPSハンダ・オーストラリ
アン・オープン」で2
位と3打差引き離しての初優勝。

 米国女子ツアー初勝利は大きな意味があります。
 こんなに早く勝てるなんて驚きでしたが、これは始まりにすぎないと思っています。

これは、12年セーフウェイクラシック(19 Aug, 2012)の宮里美香以来の日本女子の最初
の受賞者となる。 まずはおめでとう。

 

内戦が続くシリアで21日、爆弾テロが相次ぎ、合わせて142人が死亡。過激派組織IS=イスラミッ
クステートが犯行声明している中東の地獄絵図は収まりそうもない。

 

 




● 折々の読書  『China 2049』14


               秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                                マイケル・ピルズベリー 著
                                野中香方子 訳   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイ
ケル・ピルズベリーが、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきたと認めた
うえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌
を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の世界情勢、日中関係
そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっ
ている。 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)  

  第3章 アプローチしたのは中国 


       東の呉と組み、北の魏と戦う-『三国志演義』(配元前200年)

                     毛主席への覚え書き(1969)より引用    

  もう.つの要囚は、ベトナム戦争に村する中国の姿勢の変化である。1950年代
 から、中国は北ベトナムに武器、物資、軍事的アドバイスを提供してきた しかし、そ
 の順になると、軍心r援助と、中国を経由するソ連り貨物輸送を大幅に減らしていた.
  そのことがニクソン政権をさらに中国を支持する方向へ動かした。そしてニクソンが

 北京を訪問した際に、アメリカはさらなる安心を得た。毛は大統領に、アメリカにとっ
 て脅威となるものをすべて中国から排除することを自分は望んでいる、と述べたのだ。

 「現時点では、アメリカからの攻撃、あるいは中国からの攻撃という可能性は比較的小
 さい,つまり、それらは主要な問題ではない,なぜなら現状では両国間に戦争状態は存
 在しないからだ。アメリカはベトナムに派遣している部隊の一部を本国に撤退させるこ
 とを望んでおり、一方、中国が部隊を外国へ派遣することはない(注16)」 中国軍は
 国外に赴かないとするこの発言は、中国が朝鮮戦争に介入したようにベトナムにも介入
 するのではないか、というアメリカの懸念を和らげたとキッシンジャーは断言する(注
  17)。毛はその懸念が、アメリカの中国咬の軸になっていることを見抜き、それを排除
 しようとしたのだ。

  1971年7月、キッシンジャーは歴史的な秘密の訪中を行ったが、それは毛の長期
 計画が初めて具現化したものだった。中国側は、アメリカに近づく原因となったソ連の
 脅威については口が重かった。首相の周恩来は「北部の隣国」「他の超大国」と曖昧に
 言及するにとどまり、ソ連の脅威という問題についてさらに踏み込もうとしなかった(
 注18)。彼らは本気で攻撃を恐れていたのだろうか。

  10月に再びキッシンジャーが北京を訪れたとき、周はソ連を六つの検討すべき重要
 な問題のリストに含めていたが、六番目としてだった。そして「中国は米ソ関係の改善
 に反対しない」と言い切ったが、キッシンジャーはそれを虚勢と見なし、中国はソ連へ
 の恐れを隠していると結論づけた(注19)。キッシンジャーは周に、モスクワは「他の
 地域に専念できるよう、ヨーロッパで重荷から解放されることを望んでいる」と警告し
 た(注20)。「他の地域」とはすなわち中国のことだ。

  だがこの時点でも、中国はまだアメリカを味方ではなく障害と見なしていたようだ。
 中国がこの新たな友人についてどう感じていたかを、周の発言からうかがい知ることが
 できる。周は「アメリカは『覇』である」と、キッシンジャーの通訳を務める中国外務
 省の外交官、翼朝鋳に語った,それは、毛沢東とその後継者である鄙小平が何度となく
 口にした言葉だ。
  中国語を理解するアメリカの役人(少数ながら増えつつある集団)はかねてより、中
 国語には英語への翻訳が難しい単語が多いことを知っていた。それぞれの本当の意味は、
 通訳が状況に応じて適切な訳語を選ばなければならない。翼朝鋳はその言葉を、「アメ
 リカはリーダーだ」と訳してキッシンジャーに伝えた。この説明に害はなく、冷戦とい
 う文脈では社交辞令にすぎないようにも思える。しかしそれは、「覇」という単語が意
 味するところではなかった↓なくとも、その意味を十分には伝えていなかった。

 「覇」には戦国時代からの歴史的な意味がある。「覇」は、その世界に軍事的秩序をも
 たらし、力をもってライバルを排除し、やがてそれ自身が力によって排除される。
 「tyrant(専制君圭、圧政者)」と訳したほうがより正確だろう。戦国時代には、少なく
 とも五つの「覇」が存在した。それらは、数十年から百年という長きにわたって知恵比
  べしながら、新たな挑戦者が既存の「覇」を出し抜くという形で、盛衰を繰り返した。
  当時のキッシンジャーが、中国はアメリカをリーダーではなく横暴な暴君と見なしてい
  ると聞かされていれば、対中政策はどう変わっただろうか。今日、わたしたちは、その
  重大な誤訳がもたらした結果を理解し、それとともに生きることを強いられている。

   その数年後、わたしは翼朝鋳と話す機会を得た,彼は回想録、The Man on Mao's Right
  において、キッシンジャーに「覇」の概念をどう伝えたかについては触れていない。回
  想録は、それ以外のことについては饒舌で、中国外務省がアメリカとの交渉開始をどの
 ように捉えていたかについて、内部の人間による貴重な記録を提供している。わたしは
 翼朝鋳に、あなたが「リーダー]と言ったのは、中国語の「覇」を訳してそう言ったの
 か、と尋ねた。

 「あなたはキッシンジャー博士に「覇』の本当の意味を伝えましたか」とわたしは尋ね
 た。

 「いいえ」
 と、彼は答えた。
 「なぜですか」
 「博士を動揺させるでしょうから」

  「覇」という単語に込められた周の真意、つまり中国が実際にアメリカをどう捉えて

 いたかをキッシンジャーが理解していれば、ニクソン政権は中国に対してあれほど寛大
 ではなかったかもしれない。ともあれ、政権はすぐ、秘密裏に、かつ強力に、中国を軍
 事支援した(注21)。すべては、米中は恒久的で協力的な関係を築きつつあるという間
 違った仮定に基づいていた。アメリカを横暴な「覇」と見なす、中国の反米タカ派の見
 解を知っていたら、ワシントンは警戒していたはずだ,1977年のランド研究は、「
 1968年以来、中国政府には強力な反米集団がいて、『肉切り包丁を捨てて仏陀とな
 れ』という仏教の教えをもじって、アメリカは『肉切り包丁を握ったまま仏陀になれる
 』と郷楡している」と警告した(注22)。

  キッシンジャーと周の会談の2ヵ月後、ニクソンの訪中を目前にした時期に、キッシ
 ンジャーは極秘裏に、中国に秘密のプレゼントを贈った。アメリカが人民解放軍を支援
 していることを知れば、世間は大いに衝撃を受けたはずだ。当時は第三次インド・パキ
 スタン戦争のさなかだった。キッシンジャーは中国に、インド軍の動向について詳細な
 機密情報(注23)を提供しただけでなく、軍隊の配置も含めた中国のパキスタン支援を
 認めた(旧訓)。その返礼としてキッシンジャーは中国に、インド国境の中国軍を移動
 させ、パキスタン東部を我がものにしようとするインドの企みを阻止するよう求めた。
 中国軍は移動しなかったが、それがアメリカの期待をくじいたわけではなかった。

  1972年1月、自らの歴史的訪中のわずかIカ月前に、ニクソンはキッシンジャー
 の代理であるアレクサンダー・ヘイグを通じて中国にまた別のプレゼントを贈った。中
 国と陥力してソ連に対抗することを約束したのだ。ヘイグは先遣隊を率いて訪中し、「
 アメリカは、インドとパキスタンの危機の問、中国国境付近でのソ連の脅威を取り除き
 脅威の阻止を試みる]と周に伝えた。秘密裏に交わされたこれらの約束は戦略的なもの
 にすぎなかったが、アメリカが20年にわたる対中禁輸措置から急転換したことを語って
 いた。さに重要なのは、それらを皮切りに、その後さらに大きなプレゼントが贈られた
 ことだ。

  1972年2月、ニクソンと対座した毛は、かつてソ連に対して演じたのと同じ役割
 を演じた。中国を、支援と保護を渇望する無害で無力な嘆願者のように見せかけたのだ。
 「彼らはわたしたちのことを心配してくれていますか?」
   アメリカ人について、毛はそう尋ね、「そうだとしても、それは死んだネズミに涙す
 るネコのようなものです」と嘆いてみせた(注25)。さらに、アメリカ人はモスクワを
 狙って中国の肩の上に乗っていると主張し、ニクソンらを警戒させた。
 数年後、キッシンジャーは、交渉中に感じた中国側の疑心について述べている。

 「反覇権主義」というアメリカの公約は策略ではないのか?中国がガードを下げれば、

 アメリカとソ連は共謀して中国を破壊するのではないか? 西側は中国をだましている
 のではないか? さもなければ西側が自らを欺いているのではないか?
 いずれの場ハロも、結果として「ソ連の邪悪な水」が東に向かい、中国に到達する可能
 性がある(注26),
  こうした反応に対してニクソンは、中国に対するソ進のいかなる「攻撃行動」にもア
 メリカは反対する、と毛に約束した(注27)。そして中国が「自国の安全を守るために
 何らかの措置をとる」のであれば、彼の政権は「中国に干渉しようとする他国のいかな
 る動きにも反対する」と明言した(注28)。

  ニクソンが北京で他の指導者たちと会っていた日に、キッシンジャーは、軍事委員会
 副委員長の葉剣英と外務副大臣の喬冠華と対談し、中ソ国境沿いのソ進軍の配置につい
 て手短かに説明した,イェール大学教授のポール・プラッケンが2012年の著書 Sec-
     ond My Nuclear Age で指摘したように、その折にキッシンジャーは、核攻撃目標の情報
 までも提供した。葉元帥はそれを「われわれとの関係を改善したいというアメリカの意
 思表示」と見なした(注29)。その時に話し合われたことのなかには、ソ連の陸上部隊、
 航空機、ミサイル、そして核戦力が含まれていた(注30)。キッシンジャーの重要な側
 近で対中問題を担当するウィンストン・ロードによると、ソ連がこの情報交換を「聞き
 及ぶIことをホワイトハウスは想定済みだったそうだ(注31)。実際、ほどなくそれは
 ソ連政府の耳に入った(注32),

  毛は、「ならず者」のソビエトに対処するために米中は協力すべきであり、アメリカ
 は同盟国、とりわけNATOとの団結をさらに強化すべきだ、と強く主張した(注33)。
  また、毛はアメリカに、ヨーロッパ、トルコ、イラン、パキスタン、日本を含めた反
 ソ運輸を築くことを求めた(注34)。覇権国を逆に包囲しようとするこの作戦は、戦国
 時代からの占典的な方法だった。アメリカが気づかなかったのは、それが中国の恒久的
 な政治志向ではなく、米中という二つの「戦国]が便宜上敷いた協力体制にすぎなかっ
 たことだ。1972年時点の毛の打算は、20年後に彼の回想録が公開されるまで、明か
 されなかった(注35)。

  キッシンジャーは毛の計略にまんまとはまり、ニクソンに、「中国は英国に次いで、              
 世界観がアメリカに近い国かもしれない」と告げた(注36)。中国の戦略を疑う気持ち
 はみじんもなかったようだ。


冷戦構造下の代理戦争がベトナムを舞台に展開されていた時、中ソ間は最悪の状況にあり、
毛沢東の中国は窮地に追い込まれていたが、ここでも、
西安事件(1936.12.12)の周恩来の手
法が再現。日中(1972.09.25)
・米中(1979.01.01)国交正常化1978年にわたしたちも中国のカ
ラーブラウン管工場建設に参画開始。ベトナム戦争開始(1964.08~1973.01.27)→文化大革命
(1966~1977)
→天安門事件(1989.06.04)までの経過を知るひとりである。

                                   この項つづく

12Helmet Sonnenfeldt and John H. Holdrige to Henry Kissiger, October 10, Subject: State Me-
            mo to the President on Sino-Soviet Relations and the U.S.
注13  Rogcr Morris Memorandum for Henry Kissinger , Novembcr 18、118, 1969, dcclassiricd
            memo, Subjcct; NSSM  63,Sino-Sovict Rivalry-A Disscnting view. Nixon Presidential
            Library. NSC職員ハイランドとモリスは、ソ連の中国への攻撃を抑止したり中国の側に立っ
     たりするのをアメリカがいかに望んでいなかりたかを強調する。対照的に、キッシンジャー
     は white Hourse Years で ソ連による中国への攻撃を、見逃すわけにはいかなかった。わ
            たしたちは、いかなる接触も持たないうちからこの立場にあった」と主張した,Kjssinger,
            White Hourse yearss,764. だが、パトリック・テイラーは、中国を保護したいというキッシン
            ジャーの記述は偽りだと結論づけた。「このご都合主義の言明は、数年にわたるニクソン
            とキッシンジャーの他の言明と明らかに矛盾し、(中略)キッシンジャーの側近でもあった
             ラード国防長官の回想でも否認されている」。Tylcr,GreαΓ Wall, 66.
注16 . Jerome A. Cohen, "Ted Kennedy's Role in Restring Diplomatic Relations with China, "Le-
             gislation and Public Policy 14 (2011): 247-55.
注15     1969年7月のチャパキデック事件は必然的に、ケネディの関心を中国からそらし、大統領
             への野心を揺るがせたが、1977年、ケネディは初めて中国を訪問し、小平に会った。
     1969年3月22日にケネディが行った、中国との国交を支持する演説は世界中のメディアの
     注目を集め、ニューヨーク・タイムズ紙の一面を飾った。その日、エフゲェー・クトボイとア
     ルカディ・シェフチェンコは、興奮気味にその記事をわたしに見せた。
注16. 会話の覚え書き。Participants:Mao Tse-tung, Chou En-lai, Richard Nixson, Kissnger, Win-
              ston Lord (notetacker), February 21, 1972, 2:50-3:55 p.m. Beijing, Document 194, in Forei-
              gn Relations of the unitcd States, 1969-1976,vol.XVII,China,1969-1972,以下のサイト
              で人手f可能。httPs://history.state.gov/historicaldocuments/frus1969-76V17/d194.
注17.   Kissinger,On China,259.
注18. 会話の覚え書き。ParticiPants: Chou En-lai, Yeh Chien-ying,Huang Hua, Chang Wen-
              chin, Hsu-Chung-ching,XVang Hai-jung, Tang Wen-sheng and Chi Chao-chu(Chinesc
              intcrpritcrs and notetakers),Henry Kissingcr, John Holdridge, Winston W. Richard Sm-
              yser,北京1971年7月10日12:10-6:00pm,in Foreign Relations of thc united States, vol.X
              VH,document 140, 以下のサイトで入可能。http://2001-2009.statc.gov/documcnts/org
              anization/
70142.pdf.
注19.   Kissingcr to Nixon, “My october China visit: Discussionsof the Issues, ” 11 November[19
              71] Top Secret/Sensitive/Exdusively Eycs only, Pagcs 5, 7,and 29. Source:RG 59, Sta-
               tc Dcpartmcnt TOP Secrct Subjcct-Numcric Files, 1970-1973,POL 7 Kissingcr,availablc
               in William Burr, ed.,with Sharon Chambcrlain and Gao Bci,“Ncgotiating U.S.-Chincsc
               Rapprochcmcnt: N(3vAmcrican and Chinese Documcntation Lcading Up to Nixon’s 197
               2 Trip,” National Security Archivc Electronic Bricfing Book n0. 70,May 22,2002,以下
               のサイトで入手h可能。httP://www2.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB70/doc22.pdf.
注20.    会話の覚え書き。ParticiPants: Prime Minister Chou En-lai, Chip'eng-fei,Chang Wen-chin,
               Hsuing Hsiang-hui,Wang Hai-jung,Tang Wen-sheng and Chi Chao-chu (中国の通訳と
               記録係),Henry Kissinger,Winston Lord,John Holdridge,Alfred Jenkins, October 22,
               1971,Great Hall of the PeoPle, Peking,4:15-8:28 p.m, GeneraI Subjects: Korea, Japan
                South Asia, Soviet union,Arms Control,in “Forcign Relations,1969.1976,volume E-
               13, Documents on China, 1969-1972,” released by the office of the Historian of the U.S. 
               Department of State, 以下のサイトで 入手可能。http://2001-2009.state.gov/r/pa/ho/frus/
       nixon/d3/72461.htm.
注21.  これは、数年後まで公表されなかった。1976年、アメリカ合衆国国防長官だったジェーム
               ズ・シュレシンジャーは、アメリカ当局者は中国を軍事支援する可能性について議諭した、
               と公に発言した。Letherbridge Herald, April 13,1976,3,以下のサイトで入手可能。
      http://ncwspaPerarchive.com/ca/alberta/lethbridge/lethbridge-herald/1976/04-13/Page-3.シ
      ュレシンジャーは、アメリカ当局者は、中国を軍事支援することを議諭したが、それは公
      式なものではなかったと述
べる。「この件について考察することはあったが、中国への軍
      事支援を公に論じたことはなかった」。シュレシンジヤーは、(自分は)こうした支援は状
      況を鑑みて考慮されるべきだと言ったが、「一蹴したわけではなかった」と付け加えた。
      ”Weighing of Aid to China Seen,” Victoria Advocate,April 12, 1976,5A,以下のサイ
               トで人手可能、http://news.googlc.com/newsPaPers?nid=861&dat=19760412&id=lhZZ
                AAAAIBAJ&sjid=xkYNAAAAIBAJ&Pg=3791,2033685.
注22.     Thomas M. Gottlieb,“Chinese Foreign Policy Factionalism and the origins of the Strate-
               gic Triangle,”RAND Corporation, 1977,Document Number: R-1902-NA, 以下のサイ
                トで入手可能,http://www.rand.org/pubs/reports/R1902.html.
注23.  Lord to Kissinger, “Your November 23 Night Meeting." Novcmber 29, 1971,enclosing
                memcom of Kissinger-Huang Hua Meeting, Top Sccrct/Scnsitivc/Exclusivcly Eycs only,
                Source:RG 59, Records of the Policy Planning Staff, Director's Files (Winston Lord),
               196E1977,box 330, China Exchanges October 20-December 21,1971,in Burr, ed.,“N-
                egotiating U.S.-Chinese Rapprochemcnt."
注24.   Evelyn Goh,Constrructing the US Rapprochement with China. 1961-1974: From "Red  M-
                enace" to "Tocit Ally" (Cambridge UK: Cambridge university Press, 2005),189.
注25.      Yang and xia, “Vacillating Bctween Revolution and Detente,” Diplomatic History,Journ-
                al 34, no.2 (April 2010): 413-14.
注26.  Kissinger,On China 290.
注27.  会話の覚え書き。February 23, 1972,2:00 p.m.-6:00 p.m.,Location of original: Nati-
                onaI Archivcs,Nixon Prcsidcntial Materials Project,White House Special Files, Presi-
                dentls Office Files,Box 87, Mcnloranda for the Presidcnt Bcginning February 20,1972,
                pagc 21, in William Burr, ed.,Nixon's Trip to China: Records noxv Completely Dec-
                lassincd,lncluding Kissinger Intclligence Bricnng and Assuranccs onTaiwan,The Natio-
                nal Security Archive, December 11, 2003,Document 2, 以下のサイトで人手可能。
                htpp://www2.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB106/.
注28.       Kissinger,White House Years, 906.6.

  

 


 

 

 

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朝食前の4つのメニュー

2016年02月21日 | 環境工学システム論

 

 

 

   人間、馬鹿であればあるほどいよいよ横柄になり、人生について
         無知であればあるほど、ますます鈍感になる。

                                               サッシャ・ギトリ
 

        The less intelligent people are, the less more seornful they are,
                            and the less
they know aboul life, the more blasè they are.

                                     Sa(s)cha Guiry

        ※ 「the+比較級~the~+比較級」は「・・・すればするほど、ますます・・・」だから
          the 
less intemgent・・・.the more scornful は「聡明でなければないほど、ます
                          す横柄な」。scornful は「軽べつ的
な」→「横柄な」。blasè は「鈍感な」

                                                                                            

                                                                                                                            21 Feb 1885 – 24 July 1957   

  

 

    コーンウォールの幸福

   細君が死んで、墓地から家の

   玄関に帰るあいだに彼はすっかり老け込んで

   しまった。のろのろと、肩を落として

   歩いた。服装にもまるでかまわなくなり、

   長い髪はもう真っ白になってしまった。

   子どもたちは彼のために付き添い人をみつけた。

   がっしりとした靴を撹いた

   大柄な中年女で、

   モップ、ワックス、はたきかけ、買い物、

   薪の搬入などをこなした。女は家の裏手の部屋に住み込んだ。

   食事も作った。そして少しずつ、

   少しずつ、夜になると、暖炉の前で

   老人に、詩を読んで聞かせる

   ようになった。テュソン、ブラウュング、

   シェイクスピア、ドリンクウォーター。やたらと

   スペースを食う長い名前の

   人々。彼女は執事であり、

   コックであり、家政婦だった。そしてやがては、

   うむ、いや、それがいつであったのか、みんなよく

   知らないし、とくに気にもしないのだけど、

   日曜日になると二人はドレスアップして、

   町をそぞろ歩きするようになった。

   彼女は彼の腕に、しっかりと腕を通して。

   微笑んで。彼は得意そうで幸福そうで、

   彼女の手に、手をかさねていた。

   彼らのことをだれも

   否定しようとはしなかったし、悪く言おうとも

   しなかった。だって幸福というのは

   めったにないことだもの! 夜になると彼は

   詩に耳を傾けた。次から次へと、詩。

   暖炉の前で。

   くめども尽きせぬ人生ではありませんか

  Cornwall, Connecticut

※ 実のところ、コーンウォールとは米国のどの州にあるのかわからない。そこでコニチカット
  州だろうと詩をイメージし読んだ。いい加減なものだが、調べだすと眼精疲労が酷くなるの
  で思考停止させる、そのうちわかってくるだろうと。

                        Happinesss in Cornwall

    His wife died, and he grew old

    between the graveyard and his

    front door. Walked with a gait.

    Shoulders bent. He let his clothes

    go, and his long hair turned white.

    His children found him somebody.

    A big middle-aged woman with

    heavy shoes who knew how to

    mop, wax, dust, shop, and carry in

    firewood. Who could live

    in a room at the back of the house.

    Prepare meals. And slowly,

    slowly bring the old man around

    to listening to her read poetry

    in the evenings in front of

    the fire. Tennyson, Browning,

    Shakespeare, Drinkwater. Men

    whose names take up space

    on the page. She was the butler,

    cook, housekeeper. And after

    a time, oh, no one knows or cares

    when, they began to dress up

    on Sundays and stroll through town.

    She with her arm through his.

    Smiling. He proud and happy

    and with his hand on hers.

    No one denied them

    or tried to diminish this

    in any way. Happiness is

    a rare thing! Evenings he

    listened to poetry, poetry, poetry

    in front of the fire.

    Couldn't get enough of that life.

 

 

【朝食前の4つのメニュー】

目を覚ましバロウバックから抜け出し、まず、古代エジプトに起源があるチュースティック
つまり歯磨きと洗顔をすませ、神棚に拝礼し、般若心経を唱えたあとルームウオーキング
を1キロメートルをこなし朝食を済ませるのを日課にしているが、これがなかなか定着し
ない。忘れスッポカしたり、順序を間違えたりしている。その原因は起床時間にある、つ
まり、朝寝坊とスタートアップのギアーチェンジの変調次第となり、NPO事業ののホー
ムページの更新に追われるためなのだが、そのため、朝食のペースも大きく変動。下手を
するとランチ時間まで残しているケーズもある。バタバタなのだと反省しているがこの4
のメニューは徹底することを、いや、もう少し丁寧やっていこうと決めるがこれも三日坊
に終わるかもしれない。

【温暖化禍の軽視を戒める:地球工学への懐疑】 

今月10日、欧州委員会統計局(Eurostat)が、14年のEU全体の最終エネルギー消費量
に占める再生可能エネルギーの比率は16%に達し、04年比でほぼ倍増したと公表。欧
州共同体はこの比率を20年までに20%にするという目標を設定しているが、それ以降
も再生可能エネルギーの果たす役割は大きく、30年までの目標値を27%以上にするこ
とに加盟国は既に合意している。国別の目標が設定され、既に加盟国9か国が20年まで
の目標を達成。反対に20年までの目標達成から最も遠いのは、フランス、オランダ、英
国だけ。再生可能エネルギー比率が最も高いのはスウェーデンの52.6%、ラトビアと
フィンランドは共に38.7%、オーストリア33.1%、デンマーク29.2%がそれに続
く。一方、この比率が最も低いのはルクセンブルク4.5%、マルタ4.7%、オランダ5.
5%、イギリス7.0%と続く。

国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)で、温室効果ガスの大幅な削減を盛り
込んだ協定が合意された昨年12月で、目標達成のための大気中の二酸化炭素を回収し、
貯留大規模プロジェクトに警鐘が鳴らされている(ナショナルグラフィックス日本版 温
暖化対策の切り札が地球にとっては逆効果?」2016.02.18)。植林のような、効果的に思
える対策でも、地球の気温上昇を2℃以内に抑えるためには大規模で行う必要があり、か
えって、地球環境を損ないかねないと、フィル・ウィリアムソン英イーストアングリア大
学環境科学者が科学誌『ネイチャー』(Feb 10, 2016
で―― 将来的に大気中の二酸化炭
素が取り除け何も心配はないそんな楽観的な見方が広がっているが、実は今すぐ問題に取
り組まなければ、事態はさらに悪化し、解決のための費用も多くなる
、これは、大規模な
炭素除去プロジェクトは、工学技術を用いて地球の居住可能性を改善したり維持したりす
る「地球工学」の領域で、彼は、地球の改変を伴うプロジェクトによって、どんな影響が
出るか、早急に検証するべきと――指摘している。

たとえば、バイオ燃料と二酸化炭素の回収・貯留を組み合わせるBECCSというシステム技
術――栽培した作物や樹木を発電所で燃やして電気を作り、排出された二酸化炭素を回収・
貯留するもので、4億3千万~5億8千万ヘクタールの土地で作物や樹木を栽培しなけれ
ばならないと試算――では。地球上の耕作地の約3分の1、または米国国土の半分を占め
るほどの広さに該当すし、これほどの耕作地を要求するBECCSに頼り二酸化炭素削減を進
めると、今世紀末までに地球の気温が産業革命以前より2.8℃高くなった場合に陸生の
動植物の多くが絶滅する。

たとえば、生物資源を材料にした「バイオ炭」を耕作地にすき込むという方法があるが、
削減目標達成には数百万ヘクタールもの広大な土地が必要となるが、バイオ炭によって黒
っぽくなった土は太陽光を反射しにくくなり、地中に熱を溜め込む弊害がある。これを防
止する方法として、光を反射させるケイ酸塩を細かく砕いて地表にまくという選択肢もあ
るが、
の場合、膨大な量のケイ酸塩を必要とし、全世界で産出される石炭を超える量を採掘し
て処理しなければならず、その費用は60兆ドル超と試算、採掘地周辺の水質汚染も懸念
される。

  Feb. 8, 2016

米オレゴン州立大学と米ローレンスリバモア国立研究所の共同研究で、気候変動による海
面上昇の影響は21世紀以降も長期的に続くというのだ。炭素循環にはきわめて長い期間
がかかることから、排出量をたとえ大幅に削減したとしても十分ではないと発表(上写真
クリック)。これによると、気候変動の最悪のシナリオを回避するには、排出量をできる
だけ早くゼロまたマイナスに転化する必要がある。二酸化炭素除去の影響研究は良いこと
だが、太陽光発電など確実なテクノロジーへの投資を減らすべきではないと前出のウィリ
アムソン指摘しているが、これは傾聴に値する。

 

【温故知新】

自民党の丸山和也参議院議員が17日に開催された憲法審査会での発言が問題となっている。
差別発言だと思っていたら、「アメリカ合衆国51州論」のぶり返しだということを知る。
「この51州論」は戦後、親米派の知識人らの主張でもあり、その候補に、プエリトルコ、
カナダ、オーストラリア、日本がその候補としてあがっている(「49州時代」はアラス
カ州がロシアから買収で、ハワイ州はクーデターで米国に併合)。発言背景は至極わかり
やすが、国民の合意形成を得るには、天文学的なエネルギーを必要とする。党規違反(綱
領)にもかかわらずそれを許容する自民党も「鵺」のごとく寛大で面白いが、いかにも「
言葉」が軽いと言わざるをえない。わたし?この歳でキリスト教徒に宗旨替えする気もな
いし、これ以上エネルギーを割けられるわけでもない。

                                    

 

 

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太陽の国の電気自動車

2016年02月20日 | デジタル革命渦論

 

 

 

   平さんを見ていてふと、思い出すキャラクターがある。手塚治虫
      の『鉄腕アトム』等で時々
顔を出す「ヒョウタンツギ」だ。

                  山下柚実 (『あさが来た』で注目の「平さん」
                  存在感際立つオモシロ味 NEWS ポストセブン)

 

【再エネ百パーセント時代: 太陽の国の電気自動車】

 ● アフリカ初の太陽光発電で動くバス、ウガンダで始動 

 

「キイラ・モーターズ(Kiira Motors)」は、ウガンダ政府による、科学技術革新に向けた
大統領主導の国策プロジェクトである。ウガンダ国内で自動車を製造することを目的とす

る。それにより雇用の創出や技術力の向上、ハイテク人材の育成など国家としての成長に
つなげていくことを目指す。最終的には、同プロジェクトをキイラ・モーターズ・コーポ
レーションとして企業化し、40年をめどに中央・東アフリカ初の自動車OEMメーカーと
ることを目指す。国土産業基盤整備が過不足な地域で、最先端”LINE NO OTHER”(唯
一無二)の電気自動車が走るという。ワイヤードな通信が、『デジタル革命渦論(かぶん)
』(第五次産業革命
)でワイヤレスな通信が急速に席捲時代にあっては驚くことでもない
が、隔世の感である。今回、同プロジェクトで開発されたソーラーバス「
Kayoola Solar Bus
」は、中央アジアや東アジアにおける次世代の公共交通機関として活用されることを期待
したものである。16年2月166日に最初のモデルバスが完成し式典が挙行された。



太陽光発電で動くバス「Kayoola Solar Bus」は、リチウムイオン電池を搭載し、その電力
を使い2段階空気圧シフトトランスミッションを搭載した電動モーターで動く。同バスの
大きさは、長さ9140×幅2590×高さ3220ミリメートルでホイールベースは、
4650ミリメートル。ソーラーパネルは屋根に搭載し、車内には35席が用意されてい
る。搭載している太陽光発電設備の発電能力は1.32キロワット、バッテリー容量は、
70キロワット時。バッテリーシステムは2つの蓄電池で構成されており、主要な蓄電池

からはモーターに電気エネルギーを供給する。もう1つの蓄電池からは、ソーラーで蓄電
した電力を機器の充電用として使うようなことが可能である。ムセベニ・ウガンダ大統領
は、開発した『Kayoola Solar Bus』は『MADE IN UGANDA』のバスである。これらを成し
遂げたわれわれの技術者たちを誇りに思うと述べ、必要な資金調達を進め18年から自動
車生産を行うと約束した。

赤道直下周辺地区では核融合エネルギー利用技術の電気自動車は魅力的である。電気自動
車といえば日産自動車が先行しているが、ウガンダの実力がどうかはわからないが、それ
はともかく、すでに電気自動車と燃料電池自動車時代に突入していることは確か。果たし
て10年後、トヨタの名前が存続しているかどうかこれはわからない。

 

● バイオマス中の成分量を正確に測定

京都大学は18日、MRI(核磁気共鳴画像法)と同様な原理に基づく分析法「NMR(核磁
気共鳴)法」を用いる多成分系である木質バイオマス中の各成分の物質量を正確に決定す
る手法を世界で初めて開発。これにより、木質バイオマスからバイオエネルギーや各種製
品の原料データが正確に入手できることになる。

木質バイオマスの溶液中にどのような物質がどの程度の量存在しているかを解析するには
NMR(核磁気共鳴)法の一種であるHSQC(Heteronuclear Single Quantum Coherence)法
が、
最も有効とされ現在広く使われているが、この手法で得られた物質量には、成分ごとに異
なる分子量や化学構造に依存した歪みが含まれており、得られた値は真の値とは異なると
いう課
題があったが、研究グループでは50%程度の誤差が生じる場合もあるとのこと。

ところで、人類史をたどると、家畜、穀物、樹木などの陸上の有用生物種から食料、木材
油などの物質生産が行われてきた。こうした生物生産は持続的・循環的であることが望ま
れているが、牛肉1キログラムを生産するためには飼料の穀物生産のために20トンもの
水資源が必要とされるように、陸上のみでの生物生産は水ストレスの問題が極めて深刻で
間もなく90億人を超える世界人口を賄うためには、パラダイムの変換が必要である。

そこで将来の人口爆発時代を想定し、“水を資源化”する生物種の特性を解析し、どのよ
うな分子種を蓄積する能力を有するかをプロファイル化する技術が必要となる。有用プラ
ンクトンを細胞丸ごと多次元固体NMRで解析することが可能となる。今後、ユーグレナの
プランクトンを対象にする場合、HR-MAS法では破砕や抽出といった工程を経ずにプロファ
イル化できる。最近では永久磁石や電磁石の無冷媒かつ小型で、安価なNMR装置を用いた簡
易分析システムの研究が行われおり、将来的には農林水産物の生産現場での品質評価が可
能になると期待できる。一方、高速MAS法の開発により固体NMR法で従来用いられなかっ
た、1H検出型の計測技術や、1.3GHz超級のNMRマグネットの開発も目前に迫り、両者の
統合で固体NMRシグナルの分離能向上も期待されている。



NMRの高磁場化によってより詳細な分子情報が得られるようになる。一方,細胞や組織を
丸ごと計測できるということは、単に実験操作が簡単なだけではなく、実験室が無い生産
現場に低磁場の小型NMRを持ち込み、その場での品質評価ができるようになる。

※ 二次元NMRは核磁気共鳴 (NMR) 分光法のひとつの手法であり、2D-NMRとも略称。
  測定結果であるスペクトルは横軸を被測定核の化学シフトとし縦軸を測定法による種
  々のパラメーターとした2次元平面の各点の強度として示される。二次元NMRスペクト
  ルのピークは両パラメータ軸への平行線の交点に現れるという意味から交差ピークま
  たはクロスピークと呼ばれる。縦軸のパラメーターの種類とクロスピークの出現機構
  により非常にたくさんの二次元NMR測定の種類が考えられ実際に使用されている。普
  通は後述の対角ピークは交差ピークには含まない。

※ COSY (COrrelation SpectroscopY, COrrelated SpectroscopY) は、両軸が化学シフトでピ
  ーク間にスピン結合があるときクロスピークが生じる。有機構造解析の強力な手段で
  ある。

● バイオエタノール生成前処理:エタノール生成効率がアップ


バイオエタノールを生成するための前処理にキャビテーション(流動キャビテーション)
を用いることにより、従来の超音波法よりも今回の泡の圧潰方式の方が処理効率を20倍
以上向上できることを実証。非可食の稲わらや廃木材などのセルロース系バイオマスは、
リグニンによって覆われており、強固な結晶構造を有しているため、酵素分解の分解速度
が極めて遅いという問題があった。そこでリグニンを除去し、結晶構造を破壊する「前処
理」が必要不可欠になる。

今回実証された前処理方法では、噴射圧力・キャビテーション数(気泡圧潰場の圧力と噴
射圧力の比)・絞り部直径などの流動条件の最適化により、キャビテーションのさらなる
強化が可能になる。さらには、キャビテーション圧潰時に高温・高圧スポットが形成され
ると言われており、耐高温・耐高圧容器を用いることなく化学反応を行える可能性を有す
また、酸処理・アルカリ処理・水熱処理などによる前処理方法と違い微生物による発酵
を行う前に必要な中和・洗浄のプロセスも不要。

バイオエタノールは、セルロースを酵素分解して得たグルコースを、微生物などのはたら
きで発酵させて得られる。これまで提案されている酸処理・アルカリ処理・水熱処理など
の前処理では、後段の微生物発酵のための中和・洗浄や多量の投入エネルギーが必要だっ
た。また、工業化に向けては、連続処理および大型化が容易で、かつ効率がよい前処理が
求められていた。

ところで、この方法は狭い空間では有効であるが、先日の「最新バイナリー発電システム
構想」(2016.02.14)でシロアリでの分解法のため、処理層の空調制御でエネルギー消費
するだけで、あとは人為的な操作は加えないため有利だが、比較的大きな空間を必要とす
る。どちらが効率的かはケース・バイ・ケースとなる。

 

 


● 折々の読書  『China 2049』13


            秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                              マイケル・ピルズベリー 著
                              野中香方子 訳   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた
著者
マイケル・ピルズベリーが、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきた
と認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラソン(The Hundred-
Year Marath
on) 」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の
世界情勢、日中関係、そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わ
ず興味をそそる内容となっている。 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔

 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣) 

 

  第3章 アプローチしたのは中国

 


    東の呉と組み、北の魏と戦う-『三国志演義』(配元前200年)

                   毛主席への覚え書き(1969)より引用
     

  陳毅は、新大統領のリチャードーニクソンは「中国を取り込む」のに熱心なようだ
 と指摘した。そして、自ら「無謀なアイデア]と呼ぶものを提案した。米中の対話を
 閣僚レベル、あるいはさらに高いレベルに格上げしようというのだ(注7)。キッシ
 ン
ジャーによると、最も画期的だったのは、陳毅が、台湾返還という中国が長年掲げ
 て
きた前提条件を取り下げようと提案したことだ(注8)。

  陳毅はこう述べた。

 「まずワルシャワでの会談(大使級会談)が再開されれば、われわれは率先して、中
 米の対話を閣僚レベル、ないしはより高位のレベルで持つことを提案しよう,そう
 なれば、中米の関係にかかわる基本的問題や関連する問題を解決できるだろう。(中
 略}より高位での中米会談には戦略的意義がある。われわれはいかなる前提条件も提
 示すべきではない(中略)台湾問題は、そうした会談を重ねるうちに徐々に解決され
 るだろう。台湾にこだわらなければ、戦略的に意義ある他の問題について、アメリ
 カと話しへ口うことができる(注9)。
 
  とはいえ、依然として中国はアメリカを敵と呼び、ニクソンの訪中が実現したとし

 ても、それは中国が「矛盾を利用し、敵を分断し、自らを強化する」ためにほかなら
 ないとしていた(注10)。つまりアメリカを、長期的な同盟国としてではなく便利な
 道腿と見ていたのだ。この原則に基づき、中国政府はニクソンとキッシンジャーに内
 密のメッセージを送った。それは、「ニクソンはすでにベオグラードとブカレスト(
 他の共産主義国の首都)を訪問したので、北京でも歓迎されるだろう」というものだ
 (注11)。そのメッセージに、信頼や将来の協力をにおわす要素は皆無だった。

  アメリカと手を結ぼうとした理由を明かす内部文書を中国は公問していないが、毛
 がニクソン政権にさりげなく接近したのは、まさに勢の実例だと、何人もの将官がわ
 たしに語った。また、ある出来事が毛をさらに動かしたという。1969年8月28
 日、西北部の豚疆国境でソ連軍との大規模な衝突が起きたのだ。中国政府は国境沿い
 に軍隊を配備した。キッシンジャーは、アメリカとの接触の再開は当時の中国にとっ
 て「戦略的に不可欠」になっていたと述べている。ニューヨークの国連本部で、わた
 しは新疆国境での攻撃についてソ連側の言い分を聞き、中国に接近するリスクを検討
 するために、その情報をピーターとスミスを介して国家安全保障会議に送った。
 
  1969年、色沢束は、ソ連の軌道から外れて西側諸国との新たな連携に向かおう
 とする勢を見極め、それを後押しするために二つの行動をとった。まず、ニクソンを
 北京に招待した。次に、ソ連国境付近で2回続けて、警告なしに水爆実験を行った。
 それは、力の顕示であるとともに、「中国はソ連の軌道からの離脱を求めている」と
 いうアメリカヘのメッセージでもあった。

  だが、アメリカはそれにまったく気づかなかった。そこで色は、1970年10月I
 日、生粋の反欧米・共産主義者としてはきわめて異例の行動をとった。アメリカの著
 名なジャーナリストで作家のエドガー・スノーを招いて大安門の観閲台に並び立ち、
 写真を撮らせ、その写真を国民に公開したのだ。そしてスノーにメッセージを託し
 た。ニクソンの訪中を歓迎する、と。それは驚くべき招待であり、中国政府からの最
 新の申し入れだった。アメリカ政府は依然としてそれをまともに受け取らず、少なく
 とも誠意ある提案と見なす人はほとんどいなかった、とキッシンジャーは認めてい
 る。アメリカ政府は目下の関心事や他の戦略のことで頭がいっぱいで、中国のことを
 案ずる余裕はなかったのである。つまり、これまで語られてきた米中関係正常化の歴
 史の序章は、真実ではなかった。ニクソンから中国に近づいていったのではない,中
 国が、毛という人間を通して、ニクソンに近づいてきたのだ,アメリカ人はそれを知
 らなかった。そしてアメリカ政府は、中国がアメリカを敵と呼び、ヒトラーになぞら
 えていたことも知らなかった,

  ニクソンとキッシンジャーが中国に対する壮大な戦略的アプローチを検討していた
 時期、わたしも小さな役割を果たした。1969年秋、諜報機関にいる仲介者、ピー
 ターとスミスから、国連でスパイ活動をしていた間に集めた情報の概略を、キッシン
 ジャーの側近に伝えるよう求められた。側近と会った時、わたしは意見の対立に気づ
 いた。国家安全保障会議のメンバー、ジョン・ホルドリッジとヘルムート・ゾンネン
 フェルト(国務省審議官)の報告書は、ソ連の過剰反応を恐れず、中国の申し入れを
 歓迎しようと提言するものだった(注13)。しかし、ロジャー・モリスとピル・ハイ
 ランドは反対だった(注14)。モリスとハイランドは、中国に接近すれば、不必要に
 モスクワを挑発し、ソ連との緊張緩和という政権の新たな政策目標を著しく損なうだ
 ろうと危惧した。また、4人の上級大使がニクソンと個人的に会って、モスクワは米
 中交渉のいかなる動きにも反応し、米ソ問の緊張緩和と軍縮に向けた動きを中断する
 だろうと警告していた。ニクソンとキッシンジャーが中国との交渉開始を2年遅らせ
 た背景には、こうした意見の対立があった。しかし、中国からせっつかれ、また、ほ
 かならぬわたしがソビエト人から得ていた情報に後押しされて、ニクソンとキッシン
 ジャーはついにその気になったのだった。わたしが得た情報とは、「米中が接近して
 もモスクワは緊張緩和への動きを中断しないだろうし、中国のあてにならない申し入
 れをアメリカが受け入れることを大方予測している」というものだ。アルカディ・シ
 ェフチェンコとクトボイは、まさにその通りのことをわたしに語っていた。

  わたしの情報は、この行き詰まりの打破に、いくらか役立ったらしい。わたしはそ
 れまでに集めた情報をキッシンジャーの側近に伝えた。すなわち、中ソの対立は疑い
 ようがなく、ソ連はアメリカが中国と交渉を始めるのを予想している、というもの
 だ。またわたしは、シェフチェンコなどのソ連の上級外交官は、ニクソンが米中関係
 の改善を図ることをf測していると報告し、他の人もそれを認めた。ソ連が恐れてい
 たのは、ニクソンが「行きすぎて」、米中間に軍事的なつながりが確立されてしまう
 ことだったが、その可能性はアメリカでは検討もされていなかった。わたしは強力に、
 そして熱心に、米中の連携を後押しした。キッシンジャーは後に、お礼のカードを送
 ってくれた。

  しかし、キッシンジャーをその気にさせ、ついにニクソン大統領を北京に向かわせ
 るまでには、別の要因も働いた。キッシンジャーが中国の意図を図りかねている時期
 に、上院議員のテッド(エドワード)・ケネディが訪中を計画していたのだ。中国側
 は1971年7月にキッシンジャーが内密に北京を訪れた際、その可能性を示唆した
 が、それはまさに、ハト派とタカ派を操作する戦国時代の戦略そのままの手法だっ
 た,ニクソンは中国の期待通りに反応し、自分が訪れる前に他のアメリカの政治家を
 招待しないことを、キッシンジャーを通して中国に求めた。ケネディが自分の裏をか
 いて、北京を訪れる最初のアメリカ人政治家になろうとしているとニクソンが信じる
 のには理由があった(注14)。ケネディは共産主義中国との関係改善を公約にするこ
 と検討しつつ、1972年の大統領選に向けた外交政策の土台固めを進めていたのだ

 (注15)。

注1.ラリー・チンと中国政府にアメリカの機密情報を提供した彼の役割についてさら
  に多くを知るには次を参照。Tod Hoffman, The Spy Within: Larry Cina and Cina's Pen-
       etration of the CiA (Hanover, NH: Steerforh Press, 2008).

注2.Chen Jian, Mao's Cina and the Cold War (Chapel Hill: University of North Carolina Press,
        2001), 245-46.
注3. Kissinger,0yl C陥7α,210. 1992年、4名の将軍が毛に提案した戦略についての中国側
   の見解を翻訳した最初の著作は、1999年に出版されたパトリック・テイラーの A Greα Wαll
    である。同じ根拠に基づくキッシンジャーの(知C節1αは2012年に刊行された。テ
    イラーは、
4名の将軍は69年に23回会い、アメリカをヒトラーと容赦ない覇権
  に
たとえた彼らの容赦ない提言が毛を動かし、ソ連の力の拡張防止を決定したと述
  べる。キッシンジャーだけが、こうした皮肉な理由以外で
アメリカとの協力を求め
  る中国の欲望を察知していたようだ。

注4.Xiong Xianghui,“Thc Prcludc to thc OPcning of Sino-American Relations,"Zhog-
         ggong Daηgshi Zoliao (CCP Histroy Materrials )4
2(June 1992):81,as excerPted in Willia-
         m Burr, ed.,
“NcxvDocumcntary Revcals Sccrct US, Chincsc Diplomacy Bchind Nixon's
         TriP, "National Security Afchive E】ectronic Brienng Book,no
 145,December 21,2004,
          以下のサイトで入手可能。
http://www2.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB145.
注5. Kissinger,On China,212.わたしはここではキッシンジャーのOn China に基づいているが、
    中国戦略に関するキッシンジャーの見方、そして1969年から72年にかけて長期的な米中
    協力への希望が見えたとする見解については、確かな記録に基づいて強く異議を唱える
    著作が少なくとも4冊ある。本章の各所で、ウィリアム・バー、エヴェリン・ゴー、ジェイムズ・
    7ン、パトリック・テイラーによるこれらの著書から引用する。残念ながら、キッシンジャー
    は、中国との国交開始にまつわる自身の信念に対する、多数の攻撃に反論しようとしな
    かった。批評家たちは、キッシンジャーが中国の戦略を誤解したとする文書を多数提供し
    た。中国は、アメリカがソ連の攻撃から中国を守るとは考えておらず、また、アメリカとの
    長期にわたる協力関係を求めてもいなかった、と批評家たちは主張する。また彼らは、中
    国はキッシンジャーだけでなく後のアメリカ指導者たちをもうまく操作したとする説を提示し
    た。中国との国交開始についてのキッシンジャーの記述は、James Mann “American Poli-
           cy toward China was based on a scrics of bclicf and assumPtions,many of which tumcd out
           tobc tragically inaccuratc.”Jamcs Mann,About  Face; A Histry of American's  Curious Rel-
           ationship with China, from Nixon to Clinton(Ncw York: vintage books, 1998),6.
注6. Kissinger,On China, 212. ここでもわたしは、1969年の国交開始についてのキッシンジャ
           ーの分析、特に熊光晴将軍の回想録に関する分析に大きく依存している。これまでのとこ
           ろ、その回想録は中国によって公開された唯一の有益な記録文書である。パトリック・テイ
           ラーも熊光楷将軍の記述を引用している。Tyler,Greαt wall, 71-73.
注7・8・9.Kissinger, On China, 212-13.
注10.   同上、274. ジェイムズ・マンは、自ら入手したCIAの調査報告書はキッシンジャーの中
          国戦略観に異議を唱える、と報告している。 「とはいえ、近年、機密解除された記録や回
     想録は、キッシンジャーの記述は、よく汚っても、誤解を招く不完全なものだということを示
    している」。Mann,  About face, 33. マンによると、「CIAの内密の調査によると、中国の指
    導者たちはワシントンの親中派には報酬を与え、おだて、義務感を植え付け、そうでない
    人々は駆逐することにより、米政府内の対立を悪用したり、操作したりしていたこ
   とが判明した」。
同書、11.
注11. 北京に暮らし、国交開始について4年にわたって研究していたニューヨーク・タイムズ紙
    の記者、パトリック・テイラーの1999年の著作、A Greαt Wall: Six Presidents and Ch-
           ina: An Investingative History  は、ニクソンを北京に招いたことについての中国人の見解
           に影響を及ぼしている。就任直後の1ヵ月間、 ニクソンは公の場で反中とおぼしき発言を
    し、中国を遠ざけた。テイラーは インタビューから、ニクソンとキッシンジャーが、中ソ国境
     での武力衝突直後、ソ連側につ いた(ニクソンがベトナムからの米軍撤退の支援をソ連に
    依頼していたことを考えると当然だが)と結論づけている。 A Great Wall には、キッシンジ
           ャーがニクソンの代理で、ソ連の支援を受けて中国を核で攻撃できるかどうかという機密
    研究を1969年 7月に要請したことまで潜かれていたため、中国政府は偏執的な恐怖
     にとら
われた。 テイラーは、それは、(ソ連ではなく)中国を狙う核攻撃に焦点
     を置いた史上初の
研究だと主張した。CIAと国防総省に送った 7月14日付けの覚え書き
     に、キッシンジャーは
「大統領は、中国に対するアメリカの戦略的核攻撃能力が有
     効な範囲についての研究の
準備を指示した」と書いている。キッシンジャーは後に
     これを否定し、テイラーに宛てて「中
国の核能力を・掃するためにソ連と協力するとは
          考えもしなかった」と書いた。Tyler, Greαt Wall, 63.

  
                                 この項つづく
                       

 

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ヘラ鹿キャンプの詩

2016年02月19日 | 時事書評

 

 

 

        それでも地球は動く。   ガリレオ・ガリレイ

                  Yes it does move.     Galileo Galilei 

      
              新しい真理を唱えると、必ず旧来の秩序と衝突し、異端邪説として
                 迫害を受ける。しかもなお、その真理なるを信じ、じっとその迫害に
                 耐える。およそこれより勇気のいるものはないであろう。
 
         ※ does は強意を示す。

                      

                                                       

 
                                                                                       15 Feb 1564 – 8 Jan 1642

 


                                 

 

           へら鹿キャンプ

   テントの入り口まで歩いていくとき、
   ほかのみんなは眠っている。頭上の星は、
   生まれてこのかた僕が見たどんな星より
   明るく、そして遠くにある。
   十一月の月は、谷間の空に浮かんだ
   幾つかの黒雲を追い立てている。
   その向こうにはオリンピック山脈。
   僕は迫り来る雪の匂いをかげそうな気がした。
   僕らの馬はロ≒フを巡らせた小さな
   囲いの中で草を食べていた。
   丘の斜面からは泉の音が

   
聞こえてくる。それは僕らの泉だ。
   もみの木のてっぺんを風が吹き過ぎていった。
   その夜まで僕は森の匂いというものもかいだことは
   なかった。そういえばヘソリー・ハドソンと
   その水夫たちが新世界の森の匂いを、何マイルも
   離れた海上でかぐことができたというのを本で
   読んだことがあったな。そして次なる想い
   僕はこの先、本なんか一冊も手に取らずとも
   楽しく人生を送れそうだ。
   僕は月光に両手をかぎして
   そして感じた、今夜、僕はどんな
   男や女や子供のためにも、指一本
   動かせない。引き返して
   自分の寝袋に入った。
   でも僕の両目は閉じようとはしなかった。

   その翌日僕はクーガーの糞と
   へら鹿の糞を発見した。でもその近辺を
   馬に乗ってしらみつぶしに踏破し、
   山を越えて、雲の中を抜け、
   古い林道を辿ったけれど、へら鹿なんて
   ただの一頭もみつからなかった。みつからなくても僕はちっとも
   かまわなかったが、それでも準備だけはしていた。
   みんなから離れて、肩にライフルを
   かけて。あるいはじっさいに殺せたかも
   しれないなと僕は思う。
   とにかくぶっぱなしてはいただろう。
   そこを撃てと教えられた場所を
   肩の後ろの心臓と
   肺のところを。「やつらは逃げるかもしれない、

   しかし遠くまではいけないよ。

   だって考えてもみな」と友だちは言った。
   「心臓に鉛を一発食らって、いったいどれくらい
   遠くまで逃げられると思う?」場合によるね、
   場合によるんだ、それは。でもその日には、
   僕はたとえ何にだって引き金を引くことが
   できただろう。あるいはできなかったかもな。
   暗くなる前にキャンプに
   戻る、それ以外のことはもう
   たいしたことじゃなかった。なんと素晴らしい
   生き方だろう! なんだって、もう
   たいしたことじゃないというのはね。
   僕は自分を深く深く見つめた。
   そしてまた、僕はあることを理解した。
   僕の人生がその森の中で、僕のもとにさっと戻ってきたときに。

    そして僕らは装備をほどいた。そこで僕が
    最初にやったのは、熱い風呂に入ること。
    それからこの本に手をのばす。
    もう一度、冷酷になり、無慈悲になる。
    冷血。すべての神経が張りつめる。
    殺す用意はでぎているか、否か。



                               Elk camp


      Everyoneelse sleeping when I step
     to the door of our tent. Overhead,
     stars brighter than stars ever were
     in my life. And farther away.
      The November moon driving
      a few dark clouds over the valley.
     The Olympic Range beyond.

            I believed I could smell the snow that was coming.
            Our horses feeding inside
            the little rope corral we’d thrown up.
            From the side of the hill the sound
            of spring water. Our spring water.
            Wind passing in the tops of the fir trees.
            I’d never smelled a forest before that
            night, either. Remembered reading how
            Henry Hudson and his sailors smelled
            the forests of the New World
             from miles out at sea. And then the next thought–
            I could gladly live the rest of my life
            and never pick up another book.
            I looked at my hands in the moonlight
            and understood there wasn’t a man,
            woman, or child I could lift a finger
             for that night. I turned back and lay
            down then in my sleeping bag.
            But my eyes wouldn’t close.

            The next day I found cougar scat
            and elk droppings. But though I rode
             a horse all over that country,
            up and down hills, through clouds
            and along old logging roads,
             I never saw an elk. Which was
             fine by me. Still, I was ready.
             Lost to everyone, a rifle strapped
             to my shoulder. I think maybe
             I could have killed one.
            Would have shot at one, anyway.
             Aimed just where I’d been told–
             behind the shoulder at the heart
            and lungs. “They might run,
             but they won’t run far.
             Look at it this way,” my friend said.
           “How far would you run with a piece
            of lead in your heart?” That depends,
            my friend. That depends. But that day
             I could have pulled the trigger
            on anything. Or not.
            Nothing mattered anymore
            except getting back to camp
             before dark. Wonderful
             to live this way! Where nothing
            mattered more than anything else.
             I saw myself through and through.
            And I understood something, too,
             as my life flew back to me there in the woods.

            And then we packed out. Where the first
             thing I did was take a hot bath.
            And then reach for this book.
            Grow cold and unrelenting once more.
            Heartless. Every nerve alert.
            Ready to kill, or not.

                                 

 

 


● 折々の読書  『China 2049』12


            秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                              マイケル・ピルズベリー 著
                              野中香方子 訳   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた
著者
マイケル・ピルズベリーが、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきた
と認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラソン(The Hundred-
Year Marath
on) 」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の
世界情勢、日中関係、そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わ
ず興味をそそる内容となっている。 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔

 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣) 


  第3章 アプローチしたのは中国


    東の呉と組み、北の魏と戦う-『三国志演義』(配元前200年)

                   毛主席への覚え書き(1969)より引用

  1971年に当時のリチャード・ニクソン大統領が中華人民共和国と前向きな交渉
 を始めたのは、実に先見の明ある決断だった長年にわたってアメリカ人は歴史上の偉
 業のIつとしてこう教わってきた。常に戦略的だったニクソンと、安全保障を担
当す
 る哺佐官、ヘンリー・キッシンジヤーは、中国と手を結べば、はるかに大きな脅
威で
 あるソビエト連邦に対抗するうえで有利になると考えた。歴史から浮かび上がっ
てく
 るニクソンのイメージは、チェスのプレーヤーのごとく何手も先を見越して、他
の国
 と国を戦わせる戦略家だ。


  確かに、アメリカが中国に対して懐を開いたのは賢明な選択であったし、冷戦のピ

 ーク時にそうした同盟関係を結ぶことには正当な理由があった。しかし、多くの人は
 (たとえ知っていたとしても)忘れているが、この交渉を始めたのは、ニクソンでも
 な
ければキッシンジャーでもなかった。就任後の数カ月問、彼らが焦点をあてていた
 の
は、ソビエトとの関係改善であり、中国とじやれあってソ連の憤怒をかき立てる気
 な
どまったくなかった。多くの意味で、ニクソンが中国を訪れたのではなく、中国が
 二
クソンのところへやってきたのだ。

  ニクソンにかぎらず、アメリカ大統領に対する中国の戦略は常に、秀逸な即興の産
 物だったようだ。アメリカ政府の主要プレーヤーの政治姿勢を如才なく見きわめ、そ
 れに合わせて常に戦略を変えていたのだ。さらに、アメリカに関する勢の評価におい
 
て、中国の指導者は戦国時代に非常に重視されたもの、つまり、敵の要職に送り込ん
 だスパイに助けられた。

  40年間、CIAの職員だったラリー・ウー・タイ・チン(金夭怠)は、1985
 年
に数十年にわたるスパイ活動容疑で告発された,無数の機密文書を中国に提供した
 と
され、1986年、有罪判決が下った。法廷で彼は、そのようなことをしたのは、
 両国
の関係を改善させるためだった、と主張した。その後まもなく彼は、独房で窒息
 死し
ているのを看守に発見された。判事の前で彼は、中国政府が欲しいものをすべて
 効率
的に手に入れられるよう、アメリカの計画と弱点を漏洩した、と認めたらしい(
 注1)。

  一方、アメリカは、中国の戦略的思考を教えてくれるスパイを持っていなかった。

 わたしたちも中国政府の内部文書に近づくすべはないので、本章では、レーガン政権
 の終盤にアメリカとの関係改善を図った中国指導者の真の動機を、アメリカ政府の文
 書と、その他のオープンソースの情報から明らかにしていこう,

  アメリカと違って中国は、自国の指導者がいかにしてニクソンからバラク・オバマ
 までの8代の大統領から経済的、軍事的、外交政策的支援をとりつけたかを記した公
 式の記録を公開しておらず、これからも公開しそうにない,中国政府には一貫した戦
 略があるようだが、それについては、中国の学者によるインタビュー記事や論文に、
 一般的な言葉で記されているだけだ,第2章で紹介した中国の戦略の九つの要素は、
 中国のこれまでの行動と、今後予想される行動を理解する助けとなるだろう。中国が
 策略、勢、忍耐によって、ソ連による包囲を回避しようとしたのは明らかだ。特に、
 アメリカの支援を得て自らの力を増強しようとする数十年にわたる中国の作戦全体が、
 九つの要素によって動いている。

  1960年代末、中国は並外れた野心をあからさまにし、国境を巡ってソ連と衝突
 するようになった。この時期の中国が新たな後援者を求めていたのは周知の事実だ。
 そして、アメリカを友人(より正確には一時的な同盟国)にするために、毛が頼った
 のは、外交官ではなく、軍部の面々だった。
  アメリカ人の多くは、この件に中国のタカ派が関与し、秘密裏に対米姿勢を軟化さ
 せていたと知れば驚くことだろう。1969年春、毛は4名のタカ派の元帥、陳毅、
 聶栄臻煉、徐向前、集剣英を招集した。彼らは、10年に及ぶ忍従に終止符を打ち、ソ
 連の脅威になち向かうことをむに求めた(注2)。そして、ソ連と中国に対するアメ
 リカの戦略を、「戦う二虎を山頂から眺める」と評した(注3)。つまり、アメリカ
 は、共産主義の一国がもう一国をむさぼり食うのを待っていると確信し、それを戦国
 時代から伝わる諺で表現したのだ。

  1969年5月、毛は元帥らにさらに踏み込んだ提言を求めた,キッシンジャーが
 伝える、元帥たちの私設秘書の記録によると、元帥らは「戦略的見地から見て、ソ連
 から大規模攻撃を受けた際、中国はアメリカというカードを使うべきか否か」につい
 て議論したそうだ(注4)。陳毅は、1939年にスターリンがヒトラーと交わした
 不可侵条約を参考にしてはどうかと提案した。
  一方、葉朗笑は、劉備が曹操を出し抜いた「赤壁の戦略」を引き合いに出し、「魏、
 呉、蜀の三国が対立していた時代の『北の魏に対抗するために東の呉と組む』という
 諸葛亮の戦略には学ぶところが大きい]と述べた(注5)。  
    元帥らは、アメリカは、ソ連が中国を征服するのを怖れていると見ていた。
 「アメリカの帝国主義者が一番見たくないのは、中ソ戦争でソ連が勝利を収めること
 だ。なぜなら、そうなれば(ソ連は)資源および人的資源において、アメリカより強
 力な大帝国を築くことになるからだ(注6)」



字数制限がきてたので、「注釈」までは記入できず次回、掲載。中国共産党の綱領につて
も触れたったが時宜をみて掲載するが、「民主集中制」を否定して「民主自立制」を世界
で初めて構想した40年前を思い出す。その意味で「前衛組織論」を保持するに能わぬこ
とぐらいは日本国民の多くは了解している。

                                 この項つづく



  

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最新金融工学と量子ドット工学

2016年02月18日 | マネー行動学

 

 

 

    中央銀行の歴史の中で、おそらく最も強力な枠組みだ。   黒田東彦日銀総裁

 

 

【現代金融工学からリスク尺度を考える】

この『金融工学入門』(第二版)は、世界標準の名テキスト待望の増補改訂と表される日本でも圧倒的支
持を集めた金融工学の定番教科書の最新版であり、日本でも圧倒的支持を集めた金融工学の定番
教科書の最新版。金融商品の価格付けやリスク計量、信用リスク、データ分析など、リーマン・ショック後
のトピックまで網羅されたもの。著者のルーエンバーガー,デービッドは、スタンフォード大学名誉
教授で、制御理論の分野で数々
のすぐれた業績をあげ、30代半ばの若さでスタンフォード大学
の正教授となる。研究領域は最適化理論一般、ミクロ経済学と幅広く、90年代に入って投資科
学(金融工学)の分野でも積極的に研究・教育活動を行っている。第2版の特徴は、リスクマネ
イジメント問題――現存する理論構成に試練を与え、大銀行の破綻や株式市場の高ボラティリテ
ィと損失が実証したように――重要である。現存理論と適用法は必要であるが十分ではなく、ま
た包括的に不十分である。これを第10章の「リスク評価」あるいは第17章の「信用リスク」
を補強し、射影価値付け(projection pricing)であり、さらに推定誤差の影響と負の影響などを
最小化、"ボラティリティスマイル"など総合的に検討され、最終章ではCAPM(資本資産価値:
Capital Asset Pricing Model)とブラックーショールズ方程式の双方を拡張、派生証券とは異なる
連続時間で取引させる資産を価値付けなどが加えられている。

● リスク尺度とは

一般に損失のリスクと利益の可能性間の適切なトレード・オフに基づきポートフォリオを設計す
る。これは定量的なリスク尺度を用いることにより明示に行うことができ、ポートーフォーリオ
のシャープ・レシオ(=無リスク金利を上回る平均超過収益÷ポートフォーリオ収益率の標準偏
差)はその一つの尺度ツールである。現実的には銀行のすべての顧客が評価できないので代わっ
て、米国では連邦預金保険公社(Federal Deposit Insurance Corporation:FDIC)が担う。リスクは次
カテゴリーに分類する。

1.市場リスク:株式や証券のように市場で自由に取引される資産に関係したリ予測可能リスク。
2.非市場リスク:保有しても短期的に市場で直接価格が付けられない資産に適用で1つはロー
 ンのような非取引形態。もう1つは、未公開株式企業への投資。
3.信用リスク:デフォルトに至るような窮状、もしくは意図的な破棄により、相手方が金融商
 品の条項を履行しないリスク。

● 例えば、バリュー・アット・リスクとは 

バリュー・アット・リスク(Value at risk:VaR)という指標は、損失に対する関心を元にし、損失
許容範囲(loss tolerance)を表す0と1の間の値hと、それに対する信頼水準(confidelence level
1-hを規定する。たとえば、h=0.05、すなわち5%の損失の評価範囲、1-h=0.95、
すなわち95%の信頼水準を選んだとし、あるポジションXとある損失許容範囲hに対し、損失
がVの最小値としてVaRは定義される。これを次の数式で表す。

            VaRh(X)=min{V:[P-X>V]≦h}
                    h 

同様に、VaRhは損失Vがより大きくならない確率が1-hより大きくなるVの最小値である。

            VaRh(X)=min{V:[P-X≦V]>1-h}
                    h

こんな風に展開されているが、このように数式の規定と計算が確率論と統計論として展開してい
くのだが、統計学は心得がありスムーズに理解できた?としてぺらぺらと読み飛ばしていく。
ところで、リカルド・レポネト著『なぜ金融リスク管理はうまくいかないのか』を松岡正剛は「
千夜千冊」(2010.01.19)でこのように結んでいる。


 誰もがリスクを防御したいと思い、誰もがリスクの集中と分散のメンバーになっていたとい
 うことについては、すべからくマネー金融工学のゲームプレイヤーであったという共通性に
 巻きこまれざるをえない。こうして金融市場は、友人夫婦の「家をもちたい」というささや
 かな希望とはまったくべつの化け物となっていったのである。ここには、どんな“実体”も
 ない。リスクが集められ、再構成され、ひたすら金融市場で交換されるテクニックが駆使さ
 れ、そのかわり市場にとっての最も重要な「流動性」が保証されていたというだけなのだ。
 けれども、いったんこの信頼すべき流動性の流れのどこかに異常事態がおこれば、ここから
 は世界の実体経済こそがその事態の波をかぶることになる。リスクは巨大な経済変動となっ
 て返ってくる。金融リスク管理のミスとは、こういう恐ろしいゲームになっていくものなの
 だ。 かくしてサブプライム・ローンは、周知の通りのとんでもない焦土と化したのである


いずれにしろ、世界の金融資本規模は実体経済の3~4倍規模であり、一旦信用恐慌の連鎖反応
が起これば
、大規模な信用恐慌の連鎖が懸念される。その回避のための「リスク尺度の規定」見
直し(フィードバック)が環境変化に合わせ複雑化・緻密化することもまた確かなのだろうと久
しぶりに今夜は経済を考えてみることになった。ところで、このタイミングでマイナス金利政策
導入とは驚く。ここでも「リスク尺度」の研究開発が問われている。



【最新ナノ電子工学 2016: 高変換効率ソーラー技術】 

● 接触面積を広くし量子ドットソーラーの変換効率向上

球形である量子ドットは、柱状体との間で点接触状態のため抵抗が大きくなり、キャリアの集電
性が低下し光電変換効率が向上しない。そこで下図のように基板1と、量子ドット集積膜3と、
電極層5から構成され積層され構造――一方端が基体膜3bに接続、厚み方向に延伸する柱状体
3aと、基体膜3b上に置かれた量子ドット3cと備え、柱状体3aは、その側面3aaが基体
膜3b――表面付近で曲面状に保ち、接触面積を広げることで量子ドットと柱状体との接触抵抗
を低くしキャリアの伝導性および光電変換効率を高める
構造提供である。

 

● 設計通りのケイ酸濃度分布を得る酸化ケイ素膜の製法

設計通りのケイ素濃度分布をつくるためには、シリコンウェハに適切なマスク酸素イオン注入が
必要であるが、この方法では(1)5ナノメートル以下量子ドット作製に必要な空間分解能(サ
イズ)をもったマスクをつくることができない。(2)イオン注入したイオンはマスクサイズが
十分に小さくても、注入イオンは大きく広がるため量子ドット作製に必要なイオン分布が得られ
ないという問題があった。このため、
半導体単結晶表面に、(1)半導体単結晶と格子定数の異
なる結晶膜を作製――半導体結晶の格子と結晶膜の格子が一致する格子整合点が規則的に配列さ
れた構造を形成する工程と、(2)結晶膜を介して半導体単結晶に、半導体単結晶中で絶縁体を
形成するイオンを注入する工程とで―――実行する。イオンの注入は、半導体単結晶と結晶膜に
おいて直線上に原子核が存在しないチャンネルに沿った方位から行うことが好ましくまた、半導
体単結晶はSi単結晶であり、結晶膜はZnTe結晶膜であることが好ましい製造方法提供であ
る(下図)。


● タンデム型量子ドットソーラーの製造方法

量子ドット型太陽電池の光電変換効率をさらに向上させる新たな構造が種々提案されているが、
この中で、複数の量子ドット層を重ねた構造において、量子ドット層間で
量子ドットのサイズが
異なるように配置して、様々な波長の光を利用できるようにする「
タンデム方式」の太陽電池が
注目されているものの、、積層した光電変換層である量子ドット層間の電気的な接合についての
検討が十分に進んでいない。このため、バンドギャップの異なる複数の光電変換層10、20と、
該複数の光電変換層の間に配置した集電層3とを備え、複数の光電変換層は、いずれもp型光電
変換層10a、20aと、n型光電変換層10b、20bとが積層した構造で、集電層3は、バ
ンドギャップがいずれも3eV以上のp型半導体層3aとn型半導体層3bとが積層された構造
であり、p型光電変換層、n型光電変換層、p型半導体層3aおよびn型半導体層3bが積層方
向にp型とn型とが交互に配置し、積層した光電変換層間の電気的な接合を良好なものにし、キ
ャリアの伝導性および光電変換効率を高めることのできる光電変換装置を提供している(下図)。

● 多接合型ソーラーのエピタキシャル材料のエッチング方法

塩酸・ヨウ素酸混合水溶液で多接合太陽電池メサ構造壁をシングルステップウェットエッチング
で、ウェットエッチング化学が異なるヘテロエピタキシャル層の間のエッチング速度の大きな違
いなしに非選択的に半導体材料を除去し、半導体基板上に単離し、製造プロセスの簡素化と製造
時間の短縮を実現する製造法の提供である(下図)。

日々新たである。加齢は単なる疎外された時間に過ぎないと再認識しつつも。時間に追われ、
我を忘れ気ぜわしく自分を見失うまいと心する今夜であった。

                                     

 

 

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マイ・ホーム・タウンでピッツェリア・ウノ

2016年02月17日 | 日々草々

 

 

 

       一日だけ幸せでいたいならば、床屋に行け。
                      一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。
                      一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚をしろ。
                      一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。
                      一生幸せでいたいなら、正直でいることだ。


          Let him that would be happy for a day, go to the barber;
          for a week, marry a wife;
          for a month, buy him a new horse;
          for a year, build him a new house;
          for all his lifetime, be an honest man.

                                                                              英国の諺

 



   I took a little trip to my home town
   I only stopped to look around
   And as I walked along the thorough-fare
   There was music playing ev'rywhere
   The music came from within my heart
   How did it happen how did it start
   I only know that I fell in love
   I guess the answer lies up above
   Oh what a feeling
   My heart was reeling
   The bells were ringing
   The birds were singing

   And so the music keep goes on and on
   And through the night until the break of dawn
   I hear a bird up in the tree
   He sings a pretty little melody

   Oh what a feeling
   My heart was reeling
   The bells were ringing
   The birds were singing

   And so the music keep goes on and on
   And through the night until the break of dawn
   I hear a bird up in the tree
   He sin gs a pretty little melody
   ya-ya-ya-ya......

 

                                                                             

 

   散 髪

   これまでの人生で、じつにいろんなあり得ないことが

   起こってきたから、彼女にさあ

   用意してね、と言われたときにも

   彼はとくに気にもとめない。

   散髪をしてもらうのだ。


   彼は二階の椅子に腰をおろす。

   ときどき二人が冗談で「ライブラリ」と

   呼ぶ部屋だ。窓がひとつあって

   そこから光が入る。足もとにぐるりと

   新聞紙が敷かれたとき、外で

   雪が舞い始める。肩の上に大きなタオルが

   かけられる。それから彼女は

   ハサミと櫛とブラシを取り出す。


   二人きりになるのはずいぶん久しぶりの


   ことだ。どこかに出かけたり、

   用事をかかえていたり、そんなことが続いていた。もちろん
  

   ベッドに行くのは二人きりだけど、その手の

   親密なことは数に入れず。朝食をともにするのも

   二人きりだけど、その手の親密なことも数にいれず。

   彼女が彼の髪を刈って、櫛を入れて、

   またちょっと刈っているあいだ

   二人は思慮深げにじっと黙っている。

   外では雪が降り続いている。

   ほどなく、窓の光がだんだん薄れて

   いく。彼はぼんやりと、何を思うともなく、


   じっと下を向いて、新聞に書いてあることを

   読みとろうとする。彼女は言う、

   「顔をあげて」。言われたとおりにする。

   それから彼女は言う、「さあ、これで
 

   いかが」。彼は鏡の中を

   のぞきこむ。うむ、上等だ。

   いいじゃないか。

   いいじゃないか、と彼は言う。


   そのあとのことだけれど、彼はポーチの

   明かりをつけて、タオルをぱたぱたと振る。

   白と黒の巻き毛や、髪の束が飛んでいって、

   雪の上にはらはら落ちる。そのときに

   彼はひとつのことを理解する。おれは今では

   もう一人前の、押しも押されぬ


   中年の男だ。子供時代、いつも

   父親と一緒に床屋に行っているころに、

   あるいはティーソエイジャーのころでもいいけど、

   こんなことが想像でぎただろうか。いつの目か

   人生が自分に、一緒に旅をしたり、一緒に寝たり、

   朝食を一緒にしたりする美しい女を

   授けてくれるだろうなんて。

   それだけじゃない――彼が人生を始めた

   場所から三千マイルも離れた、雪の降りしきる

   暗い町で、午後に自分の

   髪を黙々と散髪してくれるような一人の女。

   テーブル越しに彼の顔を見て、

   「あなた、そろそろ散髪の時期よね。

   誰かがあなたの髪を切らなくちゃ

   いけないわよ」

    ということのできる一人の女。

 

 

    So many impossible things have already
    happened in this life. He doesn’t think
    twice when she tells him to get ready:
    He’s about to get a haircut.

    He sits in the chair in the upstairs room,
    the room they sometimes joke and refer to
    as the library. There’s a window there
    that gives light. Snow’s coming
    down outside as newspapers go down 
    around his feet. She drapes a big
    towel over his shoulders. Then
    gets out her scissors, comb, and brush.

    This is the first time they’ve been 
    alone together in a while – with nobody
    going anywhere, or needing to do
    anything. Not counting the going
    to bed with each other. That intimacy.
    Or breakfasting together. Another
    intimacy. They both grow quiet
    and thoughtful as she cuts his hair,
    and combs it, and cuts some more.
    The snow keeps falling outside.
    Soon, light begins to pull away from
    the window. He stares down, lost and
    musing, trying to read
    something from the paper.She says,
    “Raise your head.” And he does.
    And then she says, “See what you think
    of it.” He goes to look
    in the mirror, and it’s fine.
    It’s just the way he likes it,
    and he tells her so.

    It’s later, when he turns on the
    porchlight, and shakes out the towel
    and sees the curls and swaths of
    white and dark hair fly out ontot
    he snow and stay there,
    that he understands something: He’s
    grownup now, a real, grownup,
    middle-aged man. When he was a boy,
    going with his dad to the barbershop,
    or even later, a teenager, how
    could he have imagined his life
    would someday allow him the privilege of
    a beautiful woman to travel with,
    and sleep with, and take his brakfeast with?
    Not only that – a woman who would
    quietly cut his hair in the afternoon
    in a dark city that lay under the snow
    3000 miles away from where he’d started.
    A woman who could look at him
    across the table and say,
    “It’s time to put you in the barber’
    schair. It’s time somebody gave youa haircut.”
 

                                    A Haircut

 

デアゴスティーニーのマイスリーディプリンタのハードウエアの組み立てとデバイスソフト調整
に手こずるも一応の完結をえる――微調整と本格的な運転を前にし、外出が続き少し疲れ、疲れ
といえば、また腰痛がぶり返し室内ウォーキングをやめているが、昨夜は疲れもあり、仮眠のつ
もりで食事後しばらくして横になったが気がつくと明け方近くなっている。早速、朝一番の作業
を済ませ、いつもの理髪店へ向かうが途中、ランダム選曲のポール・アンカーの「マイ・ホーム・
タウン」――カナダのポール・アンカが作詞・作曲したもので日本ではザ・ピーナッツとダニー
飯田とパラダイス・キングがカヴァー(パラダイスキング版は「恋のホームタウン」の題名)。
60年に発表しヒット、米国では最大で8位を記録――が流れいるのでボリュームをスリーシ・
ステップアップする。60年の梅田界隈がフラッシュ・バックする。郷愁にまかせランダムを外
し、アルバムとして流す。
                   

店につくと、いつものように、ぼかし染めした上で、めこめかみの刈り上げのところを短くして
ナチュラルに流すように梳き刈りる。髭は伸ばさないが、髪の毛は普通の年代のひとよりボリュ
ームがあるがこれは遺伝だ。いつものようにとりとめない世間話をして帰り際に、ランチのこと
で「道の駅のせせらぎの里こうら」のピッツェリア・ヒザが評判だというので、折しも牡丹雪が
降り始めだした中、マルガリータとミネストローフをテイクアウトし家でさっそくいただく。薄
焼きだが生地がもっちりとグルテンフリーのようにも思えるが(確認できていない)、これは本
格的ピザであることがわかる。毎週1回程度?買いに出かけたい――次回は、近江牛のピザと甲
良の野菜たっぷりのピザを注文――と思うがそれでなくてもスケジュールをタイトな状態におい
ているのに忘れてしまう可能性が高いが、これはお勧めだ。いや、これ以外のピザは食べたくな
い!とまで思い詰めさせるピッツェリア・ウノだ。

 

ところで、作詞作曲のマイ・ホーム・タウンを歌う日本人歌手は二人いる。それは小田和正と浜
田省吾である。

 ● 今夜のヒットメロディ-

 

 

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スレンダーなジョブズ

2016年02月16日 | デジタル革命渦論

 

 

  

      情熱さえあれば上手くいったも同然だ。    スティーブ・ジョブス 

 

 

                                                                                                

 



【最新都市鉱山工学+地熱バイナリー発電技術】

北九州市立大学吉塚和治教授は、企業と共同で新エネルギー・産業技術総合開発機構が公募
する「地熱発電技術研究開発」――プロジェクト「還元熱水高度利用化技術」は地熱熱水に
含まれるシリカ成分が、地下では高温・高圧状態にあるため溶解しているが、温度、圧力の
変化により溶解度が変化するとシリカが析出し、配管や還元井に付着することがある。これ
がシリカスケールで、特に還元熱水から熱を回収し熱水温度が低下すると、シリカが析出し
やすい。そのため、シリカその他希少金属(リチウム)を回収する技術―――応募し採択さ
れる。

これにより、地熱発電における大きな問題の一つである還元井や地上設備へのシリカスケー
ル付着による操業リスクを低減し、同時に、還元水の熱回収によるバイナリー発電を用いた
発電量の拡大。バイナリー発電は地下から取り出した熱水を熱源として、水より沸点の低い
液体と熱交換し、蒸発させ、その蒸気でタービンを回す発電方式である。貴金属などは下図
特許のようなイオン交換法などで除去回収する。

 

 特開2014-055331 白金族の分離回収法 

 【概要】

白金族は稀少な元素で生産量に制限があるだけでなく、一次供給源となる鉱山はごく限られ
た国の
特定地域に偏っており、また、現在の供給ルートでは、莫大な採掘コストや環境負荷
がかかっている
非常な高価な金属。このような背景から、自動車廃触媒をはじめとする白金
族を含有している使用済
み製品、すなわち都市鉱山(二次資源)からのパラジウム, 白金,
ロジウムの効率的な分離回収プロ
セスの開発が求められていた。

そこで、上図のごとく白金族混合物を、塩酸溶液に浸出させて浸出液を作製する浸出工程と、
浸出液
とパラジウム吸着剤を接触させてパラジウムを分離回収する第1分離回収工程と、白
金吸着剤と第1
分離回収工程で得られる第1分離回収後浸出液をロジウムが吸着され難い速
い空間速度で接触し、
白金を分離回収する第2分離回収工程と、第2分離回収工程後の第2
分離回収後浸出液とロジウム
吸着剤と接触させてロジウムをバッチ式に分離回収する第3分
離回収工程と、を有し、パラジウム吸
着剤が、多孔質樹脂と、多孔質樹脂に担持された抽出
剤と、を備え、白金吸着剤及びロジウム吸着
剤が、弱塩基性イオン交換樹脂である構成で
湿式法及びイオン交換法を用いた白金族金属回収プロセスであり、環境負荷が小さく、各白金族元
素の分離回収率に優れ、安全で簡素な白金族の分離回収法を提供する。

北九州市立大学がリチウム回収技術の基礎研究を行い、一般企業の地熱技術開発などがコロ
イダルシリカ回収技術の開発、パイロットプラント建設、実証試験、発電事業への波及効果
ならびに事業化検討を行う。また、日揮が実規模プラント概念設計を担当する。研究機関は
平成27年度から17年までの3年間。予算規模は約7億円で、このうち同大学は7千万円(
暫定)となっている。このブログでも掲載してきたが、地熱利用というバイナリー発電応用
範囲が広い(温度差利用-地中・海水・廃熱)が。地熱の場合――マグマだまりの事前評価
審査(リスクシュミレーション)技術+地熱源探査調査技術+既存技術応用の包括的な工学
である。そこに都市鉱山工学(=作業破棄物資源化工学)に加わるから面白い。

 

【低周波パルスで無理なくスリム化】


30年前、次期事業開発を職場で話し合ってあったとき、年下の同僚が低周波パルスで健康
器具を開発販売してはと提案したことがあった。その時、ベクトルが合わなくて、彼から叱
られた記憶があるが、今話題となっている商品が通信販売されているから、改めてその先見
性に感心している。原理は60年代には発想されていたが、『デジタル革命渦論』の進化で
ダウンサイジングしウエアラブル化され千ミリ秒~5ミリ秒間隔で自由にコントロール発生
できることにある。

欧米など世界中で愛用されてきたBMR社(Bio-Medical Research)のスレンダートーンシリー
ズは、身に着けるだけで筋肉を鍛えられる家庭用EMS。「EMS」とは「Electrical Muscle Stim-
ulation
」の略で、低周波シグナルを筋肉に直接与え、収縮・弛緩させることで、自分の意思
とは関係なく自動的に筋肉を動かす技術。もともとプロアスリート用に研究開発された技術
に、家庭用での「使いやすさ」をプラス。スレンダートーンは、無理な努力や我慢をせず、
機能的で引き締まった理想のボディへ導けるとか(実際に使用するかどうか検討中)。

 たい文句を掲載すると、脂肪たっぷりのぽっこりお腹の原因は、筋肉量の減少にあり。加齢や運動
不足によって筋肉量が減少すると、基礎代謝が下がり、摂取したエネルギーが燃焼しにくくなるため、
脂肪がつきやすいカラダに。筋肉を鍛え、筋肉量を増やすことが大切です。特に腹筋は複数の筋肉
でコルセットのようにお腹周りを支えているので、筋肉が増えれば、お腹全体に引き締まり、ぽっこり
お腹解消へつながるという。つまり、筋肉変換できるというのだから、低血圧に悩む女性にはぴった
りかもしれない。コスト計算すると、医療費の逓減に寄与できる革命的な「予防医療手段」になる可
能性を秘め
ている。

スレンダートーンのアブベルトは、お腹の正面にある腹直筋だけでなく、脇腹にある腹斜筋
も鍛えるので、お腹全体を引き締めることが可能。その運動効果は先代モデルを遥かにしの
ぐ腹筋300回※相当へレベルアップ。かつてない驚愕のハイパワーで、あなたの腹筋を強力
に引き締める。
私たちの筋肉は、“ギュッ”と引き締まる(=収縮)と、収縮が解かれ“ホ
ッ”とリラックスする(=弛緩)を繰り返す筋肉運動で鍛えられる。 この筋肉の収縮⇄弛緩
を繰り返す筋肉運動を、自分の意志とは関係なく低周波のシグナルを断続的に与え実現した
のが、EMSテクノロジーです。気になる箇所を“引き締める”だけでなく、加齢による「た
るみ」を筋力で“引き上げ”。スレンダーなボディを作るためには、筋肉が必要だと強調す
る。

この特許取得(参考に下図)の独自設計を採用し!3つのパッドで、正面、右脇腹、左脇腹
の3つの筋肉を一気にアプローチ。超音波装置を使って解析したところ、正面と脇腹の筋肉
で収縮が起きていることを確認できている。筋肉の専門家である豊橋創造大学の後藤教授が
協力い。実際にどの腹筋が運動しているのか徹底検証――正面と脇腹の筋肉:上半身を全く
動かしていないのに、正面の筋肉が「収縮」と「弛緩」を繰り返しながら運動する。
脇腹の
筋肉:
表面の筋肉だけでなく、奥にあり鍛えにくいインナーマッスルまでしっかり運動させ
る。

 

US 7069089B2 調整可能な電極を有する腹部ベルト

ところで、採用されている「C.S.I.テクノロジー」とは「Concentrated Slendertone Innervation
Technology
」 の略で、ベルトで覆っている筋肉だけでなく、周辺の筋肉まで広範囲に引き締
められるスレンダートーン独自の技術。低周波シグナルに強弱をつけ、交互にシグナルを送
ることで、刺激をより広範囲に働かせることに成功。短時間で効率的にトレーニングが可能。
10
種類の「トレーニングプログラム」と150段階の「強度」を自動的に組み合わせてくれる
「スマート トレーニング システム」を標準装備。負荷が少ない初心者用プログラムから始
まり、回数を重ねるにつれ、より運動強度の高い上級者用へと自動的にレベルアップしてい
くため、専門的な知識や経験がなくても、安心かつ効率的にトレーニングができる。

※スレンダートーンは、医療や理学療法の分野で活躍してきたEMS機器のリーディング・カ
ンパニーである BMR社――
BMR社(Bio-Medical Researchはアイルランドにあって、スレン
トーンを製造し、世界各地に販売している会社―――ですが、1966年から50年に渡りブ
ランド
展開してきたもの。医師と理学療法士による研究開発、アイルランドやイギリスの大
学との共同研究など
医学的かつ科学的な視点で開発されており、世界各国のエステティック
サロンや美容施設、リハビリ施設、
スポーツ医療施設などで使用されている。BMR社の高度な専
門知識、多彩な経験によるバックアップも、
スレンダートーンの大きな強み。BMR社は60
年代からEMSElectrical Muscle Stimulator
)〈低周波の電流をあてて
筋肉を刺激する機械〉を
生産し始めている。



 

 

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百年長征と次世代船舶

2016年02月15日 | 時事書評

 

 

 

 


  

      政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である      毛沢東

         

 


● 折々の読書  『China 2049』


            秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                              マイケル・ピルズベリー 著
                              野中香方子 訳   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた
著者
マイケル・ピルズベリーが、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきた
と認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラソン(The Hundred-
Year Marath
on) 」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の
世界情勢、日中関係、そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わ
ず興味をそそる内容となっている。 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔

 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣) 
 

   第2章 争う国々 

   中国の狙いは、自らの野望を悟られることなく、アメリカを説きつけて、
  技術、投資、政治的支援を手に入れ、アメリカ市場に中国製品を売り
込む
  ことだった。かつてKGBは中国の真意を察知して警鐘を鳴らした
が、今
  回中国は、アメリカの情報コミュニティに自国の活性化を後押しさ
せるよ
  うに仕向ける方法を見つけた。中国は、アメリカの保守派にまで予
を回し、
  中国をソ連に対抗するためのパートナーにしてデタントの相手国
であり、
  共産主義でさえない国だと思い込ませた(注22)。

22.例えば、中国はアメリカの上院議員ヘンリー・ジャクソンを1976年、北京に
招いた。ジャクソン上院議員については次を参照。Robert G. Kaufman,Henry M
Jakson; A Life in Politics (Scattle; University of Washinton Press, 2000)

   中国の戦略の一つに、他国と連合うして敵を包囲すると同時に、敵の連
  合
を弱めて、包囲されないようにするというものがある。戦略家を意味す
  る「
縦横家」という言葉は、この戦略を体現している。これも戦国時代の
  言
葉で、その時代の二つの主要な連合、「縦」の連合うと「横」の連合に
  由来
する,「横」は東西に並ぶ国からなり、その国々は「保護」と「連携」
  を
求めて強国の秦と手を結んだ。一方、「縦」は南北に並ぶ国々からなり、
  こちらは一致団結して強い秦に対抗しようとした。これらニつの連合は、
  数十年にわたって飴と鞭を使い分けて支持者を増やし、攻防を繰り返して
  きた。最終的に「横」、天下を取るという野望を否定し、「縦」の要求
  飲んで、落ち着かせた。この策略によって「縦」の連合は崩壊し、秦が

  れらの国々を征服した。今日、中国の著述家は、アメリカの同盟体制に

  抗しなければならないと主張するが、その裏で、中国は密かに別の同盟

  築きつつあるのだ。


   中国を象徴するボードゲームの「囲碁」は、縦横の国々が同盟した戦国
  時代を思い出させる。このゲームの目的は、チェッカーのように敵を全滅
  させることではない,そうではなく、ふたりの対戦者は、相手の石を包囲
  するべく盤上に石を並べていく。囲碁を文字通りに翻訳すれば「囲い込む
  ゲームーである。勝つための鍵は、相手を操って自分が相手の石を包囲す
  るのを助けさせることだ。

   囲碁で勝つための二つ目の鍵は、自分の目的と意図を相手に見抜かれな

  いようにすることである。こちらの戦略を悟られないようにしながら、新
  たな場所を開拓して相手を誘い出し、密かに相手を包囲していく、包囲の
  程度が相手にわからないよう、包囲と逆包囲の配置をいくつも組み立てる。
  相手をより多く包囲したほうが勝利を収める。

   相手の戦略の要になっているのが「欺き」であることを知らずに、この
  ゲームをしているところを思い浮かべれば、アメリカが中国にどのように
  存ばれているかが少しはわかるだろう。アメリカ人は、このゲームのル
  ルをまったく知らない,勢についても、大半の人は聞いたことさえな
い。
  そしてこのゲームに負けつつあることを知らない,何しろこのゲーム
が始
  まったことすら知らない。責められるべきは、中国の巧妙な戦略と、
わた
  しや同職が長く抱いてきた幻想である。



  
『キッシンジャー回想録』のなかで、キッシンジャーは中国の勢の用い方
  の五つの例を挙げている。いずれも、戦争と危機への対処の仕方に関する
  ものだ。勢の重変性を知ったことが、キッシンジャーの中国に関する考え
  
方を変えた。それまでの4冊の衿書(注23)とは対照的に、この本では勢
  について繰り返し述べている。キッシンジャーは中国がアメリカとの関係
  を「戦闘的共存」と見なしていると警告し、勢の重要な側面に光をあて
  「
アメリカ人は今にいたっても、中国との国交開始を安定した友好関係の
  始まりと見なしている,だが中国の指導者は、『勢』の概念を幼い頃から
  教え込まれており、変化しつづける情勢を読むことに長けている。(中略)
  アメリカには『法に基づく国際秩序』という言葉があるが、中国の書
物に
  それを尊重しようとする表現はめったに見られない。むしろ中国が求
めて
  いるのは、一種の戦闘的共存を通して安全保障と進歩を見いだせる世
界で
  あり、その世界では、戦闘への意欲が、共存という概念と同等の地位
を与
  えられるのだ(注24)」

23 Henry Kissinger, Diplomacy (New York: Simon & Schuster,1994): Hcnrv Ki-
ssinger, White House Yearsv(Ncxw York: Little, Brown, 1979); 
Henry Kissinger.yeαrs
Renewal (New York; Touchstone 1999); amd Henry
Kissingcr, years of Upheaval (Lon-
don: Wcidcnfcld & Nicolson,1982).

 注24.Kissinger, On China, 235.


   
キッシンジャーは、1979年に中国がベトナムを攻撃したのも、勢の
  
結果だと言う。「より広い視野で見れば、この戦争は、孫子の兵法が説く
  『
勢』――時流と戦略的地形に潜在するエネルギーを、中国政府が分析
  た結果から心から生じたものだ」

   小平は、ソ連の戦略に容認できない動きを見いだし、それを阻み、で
  きることなら逆行させたいと思っていた,そして中国は、大胆な軍事行動
  と、アメリカとかつてない緊密な関係を結ぶことによって、この目的を達
  成したのである(注25)。

25
Kissinger, On China, 371.

   中国の戦略家が力のバランスをどのように査定し、形勢に従ってどのよ
  うに行動するかを理解するには、勢の埋解か欠かせない,彼らの形勢判断
  は主に、戦国時代に構築された眼的測定法に依拠している。そして、その
  顕著な特徴は、勢という語が、精査すべき尺度としても、指揮官や国の指
  導者の行動によって削出され操られるものとしても、用いられることだ。

   儒教の言葉、古代の漢詩、書、美術から浮かびトがってくる中国のイメ
  ージは、誤解を招きやすい。古代の中国人は分析的で数学的と言うよりむ
  しろ、創造的で思索的だったというイメージをもたらすからだ。しかし、
  ランド研究所の専門家ハーバート・ゴールドハマーは、戦国時代には、敵
  の敗北が避けられないことを示すデータを敵自身に教えて、譲歩を引き出
  す戦略家がいた、と指摘する(注26)。量的測定は、古代中国の政治に欠
  かせなかった。今もそれは同じだ。

26. Pillsbury, China Debates the Future Securitu Environment.

   中国の軍部と諜報機関は、賦的測定によって、中国はどうすれば地政学
  hの競争相手と肩を並べることができるか、またそれらを追い抜くにはど
  のくらいの年月がかかるかを推定している,わたしはこうした評価を、人
  手しにくい中国の軍事アナリストの著作で読み(注27)、中国人が世界の
  強国の力と自国の進歩をいかに正確に評価しているかを知って驚いた。最
  も驚くべき事実は、国力の評価基準に占める軍事力の割合が10パーセン
  ト以下だったことだ。世界第二の軍事大国だったソ連の崩壊後、中国は評
  価システムの重点を、経済、対外投資、技術革新、天然資源所有へと移行
  させた。こうした中国による国力評価の結果は、経済成長の流れがこのま
  ま続けば、多極化した世界がまた一国支配の秩序に戻ることを予言してい
  る。中国の指導者は、その時に世界で最も強い国となるのは中国だと信じ
  ている。

27.同上、chapters 6 and. 22.

   その目標を達成する鍵は、「勢」の概念だ。中国政府はこの概念をアメ
  リカとの関係のほぼすべての面に適用している。トム・ソーヤーの友達が、
  トムに騙されて柵を塗らされているとは思いもしなかったように、アメリ
  カの政策立案者は自分たちが利用されていることにまったく気づいていな
  い。

   中国の軍事関連の本に頻繁に引用される勢の事例は、紀元前208年に
  起きた「赤壁の戦い」である(注28)。この戦いには、敵を欺いたり、敵
    の判断の誤りを利用したりする戦略から、そうした戦略を賞賛する中国流
  の正義感まで、中国独自の考え方をありありと見ることができる。西洋の
  テルモピュライの戦い、カンナエの戦い、アジャンクールの戦い、ワーテ
  ルローの戦いと同様に、赤壁の戦いは、中国の軍事史と伝統に、永遠にそ
  の名を刻んだ。今日にいたるまで、赤壁の戦いとそれにまつわる一連の策
  略は、中国の軍事指導者に研究され、教科書や小説で論じられている(注
  29)。

注28 Kimberly Besio and Constantine Tung, eds.,Three Kingdoms and Chinese Chinese
Culture(Albany: State univcrsity of  Ncw York Prcss,2007); John J. Tkacik, “A Spirit-v
isit to an Ancient Land, ”Wall
Street Journal,February 28, 2014,http://online.wsj.com/
news/
articles/SB20001424052702303775504579397221926892100.

注29 中国人の研究者によると、赤壁の戦いにおける南の指揮官の勝利は、南の連合軍
が「勢」を評価する際の四つの要素がもたらした。その4つとは、表面的な現象に惑わされ
ない、主たる敵を倒すために連合する、迅速な急襲をしかける、敵の弱点をつく、である。

Zhang Tieniu and Gao xiaoxing,Zhongguo  gudai haijun shi [Chinese  Ancient  Nova Histo-
ru](Bcijing; Ba yi chubanshe, 1993),46,47.
軍事科学研究院のある研究者は、赤壁の戦いの勝者は情勢が好ましくなるまで「待って、
見る」戦略を取ったことを強調する,Yue Shuiyu and Liang Jingmin, Sun Zi bingfa Yu Gao
Jishu Ahanzheng[Sun Zi's Art of War and High Technology Warfar](Bejing: Guofang daxuc
chubanshe, 1998),122.


   赤壁の戦いでは、南の弱小な王国が、北の強国に対して反乱を起こす。
  両国とも中国全土の掌握を目論んでいる。戦争が始まると、北の指揮官、
  曹操は、100万入超の軍勢を川沿いに配置した。その数は対岸に並ぶ、
  諸葛亮指揮下の南軍の兵をはるかにしのいだ。しかし、北の兵士の多くは
  川岸の戦いに慣れておらず、初戦は、川をうまく利用した南軍が勝利した。
  続いて双方は、一連の策略を用いた。それぞれの策略は、諺となって今に
  伝えられており、戦の成り行きは、中国で最も読まれている小説『三国志
  演義』に詳しく描かれている,

   その一つは以Fの通りだ,曹操は形勢の逆転を狙って、部下の蒋幹を南
  軍の指揮官のもとへ送り、降伏を引き出そうとした。蒋幹は、諸筒亮の仲
  間である周喩の幼なじみだった。蒋幹は、南軍の陣営に着くと、旧友に会
  うためひとりで来たとI阿うが、策略の達人であった周喩は、この友人の
  裏の動機を察知する。そして策略に乗るふりをして蒋幹を宴席に招き、泥
  酔したように見せかける。そして夜がふけると、「夜を徴して飲もう」と
  蒋幹を自らの陣幕へ引き入れる,机上に置いた手紙を彼が盗み見るのを予
  期してのことだ。その手紙は偽物で、北軍の主力となっている将軍、蔡瑁
  と張允が曹操を裏切って南軍に寝返ろうとしていることが書かれていた。
  周喩が予想した通り、蒋幹はその手紙を盗んで北の陣営に戻る。手紙を読
  んだ曹操は激しく憤り、蔡瑁と張允を処刑した。その結果、北軍は弱体化
  した。一方、周喩と諸葛亮は南軍を圧倒的に有利な状況に導き、新たな勢
  い、つまり「勢」を形成した。 

   別の策略では、諸葛亮は龐統に北軍を倒すための助言を求める。龐統が
  考えた計略は、自らが偽りの南軍離反者となって北軍に入り込み、その最
  も恐るべき軍備である木の船団を壊滅させるというものだ。その策略は、
  龐統が公の場でわざと南の指揮官と対なするところから始まる。龐統が南
  軍から離反したがっていると思い込んだ北軍のスパイは、北軍に投降する
  手助けをしよう、と龐統に申し出る。情報の意図的な漏洩がこの策略の要
  となる。北軍に入り込んだ暖統は酔ったふりをして、北の船団が無力なの
  は、兵士が船酔いするせいだと漏らす。敵が恐れていることを改めて指摘
  するのは、欧きの常套手段だ。曹操は以前から兵士の船酔いを案じていた
  ため、龐統に「どうすれば防げるだろう」と尋ねる。すると龐統は、30
  艘から50艘ずつ船を鉄鎖でつなぎ、間に幅広の板を渡せば、船は安定す
  るだろうし、兵士はバランスが取りやすく、船から船への移動も楽になる、
  と助言。曹操は迂闊にも龐統を信じて、この助言を受け入れた。この状態
  で一般の船に火をつければ、船団は火に包まれる。この逸話の教えは、自
  分より強力な敵も、巧みに操れば、その最大限の力を発揮させないように
  できる、ということだ。

   さて、赤壁の戦いが始まる。戦略上の重要な教えは、南の指導者が勢を
  どのように見ているかという点だ。諸葛亮は、天気を詳しく観察し、東の
  風が吹きはじめることを察知した。賢人が、勢の瞬間の到来を知れば、即
  刻、断固たる行動がとられる。諸葛亮は、その夜、襲撃開始を命じた。鉄
  鎖でつながれた北の船に放たれた火は、強風に煽られ、たちまち船団のす
  べてを飲み込んだ。こうして覇権国は、大敗の屈辱をなめたのだった(注
  30)。

30 ある研究者は、北の指揮官の敗北は「戦略の失敗」によるものだと総括し、特に「自
分より優位な敵と向き合う時に、自らの不利を有
利に変えることができなかった(中略)(北
の指揮官は)信頼するべき
人間を疑い、疑うべき人間を信頼した。すなわち傲慢だったの
だ」。他
の研究者は、その戦いの結果の悲惨さを強調する。北の指揮官は「わが国の歴史
上、傑出した軍事戦略家に数えられたかもしれないのに、
そうはならなかった」。Pu Yingh-
ua and Hua Mingliang,Yunchou Weiwo- Zhuge Liang Bingfa
[Devise Strategies Within a
Command Tent-Zhuge Kiang's Art of War ](Beijing: Wuzi chubanshe, 1996)、
47.


   現在、中国全上の寺院には戦争の神が祀られている。伸の勢いが、赤壁
  の戦いのその日に訪れた。カ強い船団を失って破れた北の指揮官、曹操は、
  森へ逃げ込んだ。何度も立ち止まって休みつつ、自らの逃走を許した諸葛
  亮の無能を嘲笑した,そして、敵の軍隊は主要な道路に沿って並んでいる
  だろうし、自分が通らないよう、山道には火がつけられている、と予測し
  た。

   最後の策略が、中国史上、最も偉大なふたりの策略家の戦いの決着をつ
  けた。諸葛亮は、曹操がどう考えるかを見越して、軍隊を主要な道路では
  なく、霧が立ち込める山道に配置していたのだ。険しい山道に多くの兵が
  待ち伏せしていたために、曹操が率いる軍勢はわずか300人になった
  が、曹操はどうにか逃げおおせた。彼は自分が安全だと信じ、またしても
  諸葛亮を嘲笑したが、さらなる待ち伏せに合い、ついに敗北を喫した。
   一連の策略によって、曹操が率いる中国最大の軍は破滅した。超人的に
  賢く、絶好の機会を捉えることと真意を偽ることに熟達した諸葛亮の、陰
  謀と策略に負けたのだ。

  「たった一つの陰謀が大敗をもたらすこともある」

   今日、中国の軍部のタカ派が「赤壁の戦い]に言及する際には、この信
  念を繰り返し語る。

   多くの著作が、諸葛亮がいくつもの優れた術策を巧みに組み合わせて用
  いたことを賞賛する。彼は、流れを見極め、策を弄し、決定的な攻撃のた
  めに特別な軍隊を雇い、上層部の意見の相違を巧みに利用し、戦略的な連
  携を築いて、敵を孤立させていった(注31)。反対に曹操は教訓を生かそ
  うとせず、自分が始めた戦いで敗北を喫した。中国の著名なふたりの軍事
  研究者は赤壁の戦いの勝者が、形勢が好ましくなるまで「睨察しながら待
  つ」戦略を用いたことを強調する(注32),また別の研究者は、形勢(敵
  が内部の軋峰から衰退しはじめ、攻撃の絶好の機会となる瞬間)を決める
  うえで、スパイが一役買ったと付け加える(注33)。

注31 「たった一つの陰謀が大敗をもたらすこともある」。Central Tclcvision Station Military
Departmcnt and thc Navy Political
Departmcnt Propaganda Departmcnt, San shiliu Gujin
Tan [Ancient and Modern Discussions on the Thirty-Six Decep tion](Jinan: Huanghe chuba-
nshe, 1995
),166.この信念は、人民解放軍による赤壁の戦いについての解説の多くで繰り
返されている。Mao
Zhcnfa,Tian xuan,Pcng xunhou,Moμlue Jia[Strategists ](Beijing:
Lantian chubanshe, 1993),119.  一部の中国の研究者は、南
の連合軍の陣形が勝利を
決めたと見る, Zhang Feng,Zhongguo Lidai
Conmouzhang[Chiefs of Staff in Past chinese
Dynasties](B6jing:
Kunlun chubanshe, 1999),180.  「赤壁の戦いは、Grand Central village
での戦略の計画を練る会議の1年後に勃発した。それは、連合
戦略を実施する最初のス
テップで、その戦略により、劣勢な南の国々
が覇権国を打倒することができた」。Ren Yuan,
Ziisheng Lidai Canmouzhang [Chiefs of Staff in Past Chinese Dynasties]
(Changan: xibci
daxue chubanshe, 1997),58.  同様に、別の人民解放
軍の著者は、南の連合が形成されな
ければ、優勢な北の敗北はあり得
なかったと強調する。 Li Zhisun,Zhogguo Lidai Zhanz-
heng Gailan[An Outline of Warfare in Past Chinese Dynasties]
Junshi kexue chubanshe,
1994),108.

注32  Yuc Shuiyu and Liang Jingmin. Sun Zi Bingfa Yu Gao Jishu Zhanzheng. 122.

注33  CcluraI Tclcvision Station Militarv Dcpartmcnt and the Navv PoliticaI Departmcnt
Propaganda Departmcnt, Sanshiliu Ji Gujin Tan, 174-75.


   今日のアメリカ人が知っておくべきなのは、中国が「戦国時代の兵法を
  用いるのは自分たちだけではない」と見ていることだ。つまり、アメリカ
  も同様な戦略を用いる、と考えているのである。アメリカは覇権国として
   の地位を守ろうとして攻撃的にふるまうはずだ、と彼らは予測する。ま
  た、アメリカが国際関係の緊張緩和や国連憲章、民主主義、人権を尊重し
  ようとするとき、中国は、アメリカの真意はどこにあるのかと疑う。おそ
    のかと疑う、おそらく中国のハト派と改革派のなかには、アメリカの善意
    を理解するともいるたろう。しかしタカ派には、アメリカが策略を巡らし
  ているようにしか見えない。そしてそのタカ派は、わたしたちが長く誤解
  してきたような、無力な変わり者ではないのてある。


第2章はここでおわる。中国思想史を学んだひとは読み飛ばしてもかまわないが、
歴史愛好家にはとってはそれなりに面白いかもしれない。「国家戦略思考」が嫌い
なわたしのように、常に「それは誰のために、何のために」と反質し続ける人間に
とって――例えば、カンボジアのポルポト政権の虐殺やチベットの武力併合などの
を考えると――気の重いものである。これは米国のベトナム戦争、アフガニスタン
侵攻、イ・イ戦争・イラク侵攻などの軍事介入も同様であるが、かって、毛沢東は、
「政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である」と語っている。ま
た、ピーター・ドラッガーは「戦争は外交の敗北である」と語っているが、『宗教
の最終形態としての国家』をいかに解放いていくかという戦略思考を抜きにして語
れない。
さて、次回は第2章「アプローチしたのは中国」に移る。

                              この項つづく


 

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さらに鉄道車両や建設機械などの運送に可能。


【ことしもこんなにいただきました。】

 

 

      

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