不況風用立て走る庭先の きみに授けよ南天の実を
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玄関先の花水木(American dog wood)の実が消え、赤南天の実の
季節。年末は慌ただしくATM通いが多くなる。そこに思いも寄らぬ
大不況である・・・
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ネットで偶然に知り、「群像」新年号の田中和生と吉本隆明の会談の
『文学の芸術性』を求め市立図書館へ出かけた。読み終えて、「芸術
としての小説の変化/意味を重視するメディアの時代/個人の精神
性が失われていく/メディアの発達と精神異常/芸術性をもつ日本
語の分析」の見出しの期待の高まりから腑に落とし帰るときに、目に
入った新着図書の亀井孝文著『公会制度の改革』を借りることにした。
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ところで、時代は‘老々介護’時代だ。我が家には両足の悪い母親と
同居し介護の大半は妻に任せている。ちょっと昔なら、介護させられ
る親族は酷い場合人生を奪われてしまうが、その仕事を金銭依託出
来るようになり助っている。考えてみても、自分の母親の下の世話な
どとどのつまりでやれなくはないが、咽喉に過敏体質をもつものだか
ら逃げまくっている。そこで、‘老々介護’は重く、暗くいものかといえ
ば、贅沢な社会問題だと大半の人は口に出さないがそう思っている。
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高齢者医療制度は既存の保険制度の破綻恐怖の反動制度であった。
‘老々介護’問題が先進国の先端課題で、その乗り越え方が世界中の
刮目に値するものだ。尤も、60年代半ばにピーター・ドラッカーは指摘
していたが(序でにというのも変だが、今回の‘トヨタ・ショック’前の20
年前に “敵対的貿易”と警告もした)。不要不急の‘はこもの’や‘すじ
もの’政策から高齢化・環境配慮時代の‘Wise Spending(賢明な支出)’
政策、外需から内需依存政策への転換だ。これは85年の日米円ドル
委員会、プラダ合意から準備すべきものだった。
@maeda kiyoko(8th seisei no manyoushu )
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『公会計制度改革』に話を戻そう。企業会計には、フランコ・ジャーマ
ン諸国のリージョナル・ガバナンスの制定法主義と、アングロ・サクソ
ン諸国のグローバル・ガバナンスの慣習法主義の2つの流れがあり
後者の流れに加速しつつあり、公会計も国際公会計基準(IPSAS)に
依拠する方向に変わる。テキストとしては優れたものだろうがそれを
超えるものでもないというのが感想だ。公会計の財政分析しように
も数字の根拠や制度基準があやふやだといことで、大不況下で財政
綻を巡ぐり財政緊縮・増税派と財政緩和・減税派がしのぎ合い、
菊池英博(経済学者)ら減税派の主張が大きくなってきている。
硝子窓の外の面くれなゐの 南天に雀動きて冬の日かげる
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それ程難しいのだろうか。政策としては、①入るを計り出るを制す、
②入るを制して出るを計る、③入るを計り出を計る、④入りを制し
て、出を制するの4通りしかない。ここで、④が本質的な緊縮財政、
③は拡張財政、①が増税政策、②が減税政策。それらは、バランス
・シートと財政分析の明確さと柔軟な運用が前提となるといことに集
約できるのではないかと思う。新自由主義の旗手、中谷巌は近著の
『資本主義はなぜ自壊したのか~「日本」再生への提言』 であっさり
転向。資本は浸潤・自己増殖のためにはあらゆる共同体を利用・支
配するがそれを破壊するとなれば、共同体はそれを回避・防衛する。
また、八十年前の恐慌は、1%の富裕層がGDPの20%近い富を独
占した時に生じることを教えている(10%まで低下すると停滞)。実に
不思議なものだ。貨幣が忽然と消えるとは。そのからくりは、三國陽
夫(月刊Voice12月号『アメリカ国債を処分せよ』)は元金の利子分相
当が通貨量と喝破している。
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南天(Nandina domestica)は、中国原産で日本では古くに渡来し葉変
わり品種が選択され栽培された。音が「難を転ずる」に通じ、福寿草
と組み合わせ、「災い転じて福となす」とも語呂合わせに用いられてい
る。英名Nandinはインド神話で「幸福な者」「豊穣」を意味し、花言葉は
「私の愛は増すばかり」。葉は赤飯などの飾りに実は咳止め薬、葉は
健胃、解熱、鎮咳などの作用がある。南天実に含まれる成分は、アル
カロイドであるドメスチン、プロトピン、ナンテニン。ナンテンの名の由
来は漢名の「南天燭」の略。南天の果実は小鳥の餌。但し、南天の渋
みあり。
南天の楽曲にはモンゴル歌手Ariunaa が知られているが歌詞(lyrics)
の方はさっぱりわからない。
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サブプライムという急・慢性の猛毒の感染症に世界中が重篤状態。急遽、日本で南天実から新薬開発し投与したところたちどころ回復に向かった-文字通り‘難を転じる’というわけだ。ところで、冒頭の『文学の芸術性』の感想はというこれはまた別の機会に考えてみたい・・・