極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

デジタル革命からの依頼人

2017年03月31日 | 環境工学システム論

 

    

      62  低姿勢  /  雷山小過(らいさんしょうか)     

                                   

       ※ 小過(しょうか)とは、小なる者が多すぎることまたすこし過ぎる
        こと。大過(28)と対になる卦である。小とは陰のこと、陰爻(い
        んこう)が陽爻(ようこう)に比べて多すぎる、つまり小粒な人間が
        はばを効かせている状態をさし、卦の形は上下背き合い、二爻ずつま
        とめれば、坎(かん:危難)となる。分裂や食い違いよって困難に直
        面している時期にあたる。こんな時は無理に大問題に取り組もうとせ
        ず、日常の事務をテキパキ片づけることが大切である。消極的過ぎる
        という非難に対し、低姿勢で事に当たるなら大吉。

 

【RE100倶楽部:風力最前線編】

● 回転電機または風力発電システムの特許事例


【要約】

回転子6は、回転軸方向に配置される複数の回転子パケット14と、回転子パケット14に配置され、
かつ一極毎に複数の永久磁石挿入孔4内に配置される複数の永久磁石5と、永久磁石挿入孔4に対し
て永久磁石5の内径側で繋がった第1の非磁性部4bと、回転軸方向に隣接する回転子パケット14
間に配置されるダクトピース15a、15bを備え、ダクトピースは、第1の非磁性部4bよりも内
径側の位置から更に内径側へ伸びて配置され、及び/または、第1の非磁性部4bよりも外径側の位
置から更に外径側へ伸びて配置されることを特徴とする、冷却性能向上と電気的特性向上を図ること
ができる回転電機または風力発電システムの提供。

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先日記載したように「再エネ」(自然エネルギー)事業の各領域(プラットフォーム)の掌握を済ま
せたが、関連する最新技術は【最前線編】として折々に取り上げてみることに。今回は第一弾という
のも編だけれど「オール風力発電システム」から、日立製作所の特許事例ををピックアップ。

風力を利用した風力発電システムでは、単機容量増加、ナセルの軽量化のため、大容量永久磁石式回

転電機が用いられ始められているが、大容量の永久磁石式発電機では、大きな損失が発生し、安易に
小型化すると損失密度の増加に伴う機内温度の上昇が問題になる。特に永久磁石は温度が高くなるほ
ど磁束密度が低下し、規定値を超えると低下した磁束密度が戻らなくなる不可弱減磁が発生、回転
の交換等メンテナンスが必要となる。発熱密度の高い永久磁石式回転電機を用いる
には、冷却機能
強化が必要となり、回転電機にラジアルダクトを設ける方
法が考案されている(下図参照)。

 Jun. 12, 2014

ここで、例えば特許文献1特許文献2に記載されたものがある。特許文献1には、複数の鉄心ブロ
ックを備えた回転子鉄心と、このような複数の鉄心ブロックの相互間に配置され、円板状のダクト板
及びダクト板上に放射状に配置された複数のダクトピースを備えたダクト部材と、鉄心ブロックに埋
め込まれた複数の永久磁石と、このダクト板に形成され、永久磁石を挿通可能な複数の貫通孔と、を
有することを特徴とする回転電機の回転子をもつ永久磁石式回転電機が示されている。

径方向へ冷却風が抜ける経路を形成するダクトピースを設けることは有効であり、これにより冷却性
向上
する。一方、電気的特性は、特許文献1では、永久磁石の内径側に非磁性部がなく内径側への
漏れ磁束の低減の配慮がない。また、特許文献2では、永久磁石の内径側に
空隙部を設けてはいるも
のの、この空隙部間を径方向に貫いてダクトピースを設け、ダクトピースが漏れ
磁束の経路になる可
能性もあるとし、この事例では、冷却性能/電気的特性の向上で
きる回転電機または風力発電システ
ムが提案される。

この課題を解決に、回転軸と、軸の周りの回転子と、回転子に対して所定のギャップを介して対向配
置される固定子コアに設けられた複数のスロット内のコイルに施され
た固定子を備えた回転電機であ
る。この回転子は、回転軸方向に配置される複数の回転子パケッ
トと、回転子パケットに配置され、
かつ一極毎に複数の永久磁石挿入孔内に配置された複数の永
久磁石と、この永久磁石挿入孔に対し、
永久磁石の内径側で繋がった第1の非磁性部と、回
転軸方向に隣接する回転子パケット間に配置され
たダクトピースを備え、このダクトピースは、
第1の非磁性部よりも内径側の位置から更に内径側へ
伸びて配置され、及び/または、この第1
の非磁性部よりも外径側の位置から更に外径側へ伸び配置
されている。
また、この風力発電システムは、風を受けて回転するロータと、ロータを回転可能に支
持するナセルと、ナセルを回転可能に支持するタワーと、ロータの回転力を用いて発電する発電機を
備え、発電機が、この回転電機であることで、冷却性能/
電気的特性の向上できる回転電機/風力発
電システムである(詳細は上記の特許説明図をダブクリ参照)
 

 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』    

 

    6.今のところは顔のない依頼人です

  エージェントから電話がかかってきたのは、夏もそろそろ終わりを迎えた頃だった。誰かから
 電話がかかってくるのは久しぶりのことだ。昼間にはまだ夏の暑さが残っていたが、日が暮れる
 と山の中の空気は冷え込んだ。あれはどうるさかった蝉の声がだんだん小さくなり、そのかわり
 に虫たちが盛大な合唱を繰り広げるようになった。都会に暮らしているときとは遠って、私を取
 り囲む自然の中で、推移する季節はその取り分を遠慮なく切り取っていった。
  我々はまず最初に、それぞれの近況の報告をしあった。とはいっても、話るべきことはたいし
 てない。



 「ところで、画作の方はうまく捗(はかど)ってますか?」
 「少しずつね」と私は言った。もちろん嘘だ。この家に移ってきて四ケ月あまり、用意したキャ
 ンバスはまだ真っ白なままだ。
 「それはよかった」と彼は言った。「そのうちに作品を少し見せて下さい。何かお手伝いできる
 ことがあるかもしれませんから」
 「ありがとう。そのうちに」

  それから彼は用件を切り出した。「ひとつお願いがあって電話を差し上げました。どうでしょ
 う? 一度だけ、肖像画をまた描いてみる気はありませんか?」

 「肖像画の仕事はもうしないって言ったはずですよ」
 「ええ、それはたしかにうかがいました。でもこの話は報酬が法外にいいんです」
 「法外に良い?」
 「飛び抜けて素晴らしいんです」
 「どれくらい飛び抜けているんだろう?」

  彼は具体的に数字をあげた。私は思わず口笛を吹きそうになった。でももちろん吹かなかった。

 「世の中には、ぼくのほかにも肖像画を専門に描く人はたくさんいるはずだけど」と私は冷静な
 声で言った。
 「それほどたくさんではないけれど、そこそこ腕の立つ肖像専門の両家は、あなたのほかにも何
 人かいます」
 「じやあ、そちらに話を持っていけばいい。その金額なら、誰だって二つ返事で引き受けるでし
 ょう」
 「先方はあなたを指名しているんです。あなたが描くということが先方の条件になっています。
 他の人では駄目だと」

  私は受話器を右手から左手に持ち替え、右手で耳の後ろを掻いた。
  相手は言った。「その人はあなたの描いた肖像画を何点か目にして、とても気に入ったそうで
 す。あなたの絵の持つ生命力が、ほかでは求めがたいということで」
 「でもわからないな。だいいちぼくがこれまで描いた肖像画を、一般の人が何点か目にするなん
 て、そんなことが可能なんでしょうか? 画廊で毎年個展を開いているわけでもあるまいし」
 「細かい事情までは知りません」と彼は少し困ったような声で言った。「私はクライアントから
 言われたとおりのことをお伝えしているだけです。あなたはもう肖像画を描く仕事とは手を切っ
 ていると、最初に先方に言いました。決心は堅そうだから、額んでもまず駄目でしょうと。でも
 先方はあきらめませんでした。そこでこの具体的な金額が出てきたわけです」

 Banana Republic

  私は電話口でその提案について考えてみた。正直なところ、提示された金額には心をひかれた。
 また私の描いた作品に――たとえ賃仕事として半ば機械的にこなしたものであれ――それだけの
 価値を見出す人がいるということに、少なからず自尊心をくすぐられもした。しかし私はもう二
 度と営業用の肖像画は描くまいと自らに誓った。妻に去られたことを契機として、もう一度人生
 の新しいスタートを切るうという気持ちになったのだ。まとまった金を目の前に積まれただけで 
 簡単に決心を覆すことはできない。

 「しかしそのクライアントは、どうしてそれほど気前がいいのでしょう?」と私は尋ねてみた。
 「こんな不景気な世の中ですが、その一方でお金が余っている人もちやんといるんです。インタ
 ーネットの株取り引きで儲けたか、あるいはIT関係の起業家か、そんな関係の人であることが
 多いようです。肖像画の制作なら経費で落とすことができますしね」
 「経費で落とす?」
 「帳簿上では肖像画は美術品ではなく、業務用の備品扱いにできますから」
 「それを間くと心が温まる」と私は言った。



  インターネットの株取り引きで儲けた人間や、IT関係のアントレプレナーたちが、いくら金
 が余っているにせよ、たとえ経費で落とせるにせよ、自分の肖像画を描かせて備品としてオフィ
 スの壁に掛けたがるとは私には思えなかった。その多くは洗いざらしのジーンズとナイキのスニ
 ーカー、くたびれたTシャツにバナナ・リパブリックのジャケットという格好で仕事をし、スタ
 ーバックスのコーヒーを紙コップで飲むことを誇りとするような若い連中だ。重厚な油絵の肖像
 画は彼らのライフスタイルには似合わない。でも世の中にはもちろんいろんなタイプの人開かい
 る。一概にこうと決めつけることはできない。スターバックス(だかどこか)のコーヒー(もち
 ろんフェア・トレードのコーヒー豆を使用したもの)を紙コップで飲んでいるところを描いては
 しがる人間だっていないとは限らない。


 「ただし、ひとつだけ条件があります」と彼は言った。「そのクライアントを実際のモデルにし
 て、対面して描いてもらいたいというのが先方の要望です。そのための時間は用意するからと」
 「でも、ぼくはだいたいそういう描き方はしませんよ」
 「知っています。クライアントと個人的に面談はするけれど、実際の両性のモデルとしては使わ
 ない。それがあなたのやり方です。そのことは先方にも伝えました。そうかもしれないが、でも
 今回はしっかり本人を目の前にして描いてほしい。それが先方の条件になります」
 「その意味するところは?」
 「私にはわかりません」
 「ずいぶん不思議な依頼ですね。なぜそんなことにこだわるんだろう? モデルをつとめなくて
 もいいなら、むしろありかたいはずなのに」
 「一風変わった依頼です。しかし報酬に関しては申し分ないように思いますが」
 「報酬に関しては申し分ないとぼくも思います」と私は同意した。
 「あとはあなた次第です。なにも魂を売ってくれと言われているわけじゃない。あなたは肖像画
 家としてとても腕がいいし、その腕が見込まれているんです
 「なんだか引退したマフィアのヒットマンみたいだな」と私は言った。「最後にあと一人だけタ
 ーゲットを倒してくれ、みたいな」
 「でもなにも血が流されるわけじゃない。どうです、やってみませんか?」

  血が流されるわけじゃない、と私は頭の中で繰り返した。そして『騎士団長殺し』の画面を思
 い浮かべた。

 「それで描く相手はどんな人なんですか?」と私は尋ねた。
 「実を言うと、私も知りません」
 「男か女か、それもわからない?」
 「わかりません。性別も年齢も名前も、何も聞いていません。今のところは純粋に頼のない依頼
 人です。代理人と名乗る弁護士がうちに電話をかけてきて、その人とやりとりしただけです」
 「でもまともな話なんですね?」
 「ええ、決してあやしい話じゃありません。相手はしっかりした弁護士事務所でしたし、話がま
 とまれば着手金をすぐに振り込むということでした」

  私は受話器を握ったままため息をついた。「急な話なので、すぐには返事ができそうにない。
 少し考える時間がはしいんですが」
 「いいですよ。得心がいくまで考えてみてください。とくに差し迫った話ではないと先方は言っ
 ています」

  私は礼を言って電話を切った。そして他にやることも思いつかなかったので、スタジオに行っ
 て明かりをつけ、床に座って『騎士団長殺し』の絵をあてもなく見つめた。そのうちに小腹が減
 ってきたので、台所に行って、トマトケチャップと皿に盛ったリッツ・クラッカーを持って戻っ
 てきた。そしてクラッカーにケチャップをつけて食べ、また絵を眺めた。そんなものはもちろん
 美味くもなんともない。どちらかといえばひどい味がする。しかし美味くても美味くなくても、
 そのときの私にとっては些細なことだった。空腹が少しでも満たされればそれでかまわない。

  その絵は全体としてまた細部として、私の心をそれほど強く惹きつけていた。ほとんどその絵
 の中に囚われてしまったといってもいいくらいだった。数週間かけてその絵を眺め尽くしたあと
 で、私は今度は近くに寄って、ひとつひとつのディテールをとりあげ、細かく検証してみた。と
 くに私の関心を惹きつけたのは、人の人物たちが顔に浮かべている表情だった。私はその絵の
 中の一人ひとりの表情を鉛筆で精密にスケッチした。騎士団長から、ドン・ジョバンニからドン
 ナ・アンナからレポレロから、「顔なが」に至るまで。読書室が本の中の気に入った文章を、ノ
 ートに一字一句違わずに丁寧に書き写すように。

  日本画に描かれた人物を自分の筆致でデッサンするのは、私にとって初めての体験だったが、
 やり始めてすぐにそれが予想していたより遥かにむずかしい試みであることがわかった。日本画
 はもともと線が中心になっている絵画だし、その表現法は立体性より平面性に傾いている。そこ
 ではリアリティーよりも象徴性や記号性が重視される。そのような視線で描かれた画面を、その
 ままいわゆる「洋画」の語法に移し替えるのは本来的に無理かおる。それでも何度かの試行錯誤
 の来に、それなりにうまくこなせるようになった。そのような作業には「換骨奪胎」とまではい
 かずとも、自分なりに画面を解釈し「翻訳」することが必要とされるし、そのためには原画の中
 にある意図をまず把握しなくてはならない。言い換えるなら、私は――あくまで多かれ少なかれ
 ではあるけれど――雨田典彦という画家の視点を、あるいは人間のあり方を理解しなくてはなら
 ない。比喩的に言うなら、彼の履いている靴に自分の足を入れてみる必要がある。

  そのような作業をしばらく続けたあとでふと、「久しぶりに肖像画を描いてみるのも悪くない
 かもな」と私は考えるようになった。どうせ何も描けないでいるのだ。何を描けばいいのか、自
 分か何を描きたいと思っているのか、そのヒントさえつかめないでいる。たとえ意に染まない仕
 事であれ、実際に手を動かして何かを描いてみるのも悪くないかもしれない。何ひとつ生み出せ
 ない日々をこのまま続けていたら、本当に何も描けなくなってしまうかもしれない。肖像画すら
 描けなくなってしまうかもしれない。もちろん提示された報酬の金額にも心を惹かれた。今のと
 ころこうしてほとんど生活費のかからない生活を送っているが、絵画教室の収入だけではとても
 生活はまかなえない。長い旅行もしたし中古のカローラ・ワゴンも買ったし、蓄えは少しずつで
 はあるが間違いなく減り続けている。まとまった額の収入はもちろん大きな魅力だった。

  私はエージェントに電話をかけ、今回に限って仕事を引き受けてもいいと言った。彼はもちろ
 ん喜んだ。

 「しかしクライアントと対面して、実物を前に描くとなると、ぼくがそこまで出向かなくちやな
 らないことになります」と私は言った。
 「そのご心配は無用です。先方があなたの小田原のお宅に伺うということでした」
 「小田原の?」
 「そうです」
 「その人はぼくの家を知っているのですか?」
 「お宅の近隣にお住まいだということです。雨田典彦さんのお宅に住んでおられることもご存じ
 でした」

  私は一瞬言葉を失った。それから言った。「不思議ですね。ぼくがここに住んでいることはほ
 とんど誰も知らないはずなんだけど。とくに雨田典彦の家であることは」

 「私ももちろん知りませんでした」とエージェントは言った。
 「じやあ、どうしてその人は知っているのだろう?」
 「さあ、そこまで私にはわかりません。しかしインターネットを使えばなんだってわかってしま
 う世界です。手慣れた人の手にかかれば、個人的な秘密なんて存在しないも同然かもしれません
 よ」
 「その人がうちの近くに住んでいたというのはたまたまの巡り合わせなのかな? それとも近く
 に住んでいるからというのも、先方がぼくを選んだ理由のひとつになっているんでしょうか?」
 「そこまではわかりません。先方と顔を合わせてお話しになるときに、知りたいことがあればご
 自分で訊いてみてください」

  そうすると私は言った。

 「それでいつから仕事にとりかかれますか?」
 「いつでも」と私は言った。
 「それでは先方にそのように返事をして、あとのことはあらためて連絡をします」とエージェン
 トは言った。

  受話器を置いてから、私はテラスのデッキチェアに横になって、その成り行きについて考えを
 巡らせた。考えれば考えるほど疑問の数が増えていった。私がこの家に住んでいることをその依
 頼人が知っていたという事実が、まず気に入らなかった。まるで自分が誰かにずっと見張られ、
 一挙一動を観察されていたような気がした。しかしどこの誰が、いったい何のために、私という
 人間にそれほどの関心を抱くのだろう? そしてまた金体的にいささか話がうますぎるという印
 象がある。私の描く肖像画はたしかに評判はよかった。私自身もそれなりの自信を持っている。
 とはいえそれは所詮どこにでもある肖像画だ。どのような見地から見てもそれを「芸術品」と呼
 ぶことはできない。そして私は世間的に見ればまったく無名の画家だ。いくら私の絵をいくつか
 目にして個人的に気に入ったにせよ(私としてはそんな話を額面通り受け取る気にはなれなかっ
 たが)、そこまで気前よく報酬をはずむものだろうか?

  ひょっとしてその依頼主は、私が現在関係を持っている女性の夫ではあるまいか? そんな考
 えがふと私の脳裏をよぎった。具体的な根拠はないのだが、考えれば考えるほどそういう可能性
 もなくはないように思えてきた。私に個人的に興味を持つ匿名の近所の人間となると、それくら
 いしか思いつけない。でもどうして彼女の夫が、大金を払ってわざわざ妻の浮気相手に自分の肖
 像画を描かせなくてはならないのだろう? 話の筋が通らない。相手がよほど変質的な考え方を
 する人間でない限りは。

 デジタル革命からの依頼人

  まあいい、と私は最後に思った。目の前にそういう流れがあるのなら、いったん流されてみれ
 ばいい。相手に何か隠された目論見かおるのなら、その目論見にはまってみればいいじやないか。
 動きがとれないまま、こうして山の中で立ち往生しているよりは、その方がよほど気が利いてい
 るかもしれない。そしてまた私には好奇心もあった。私かこれから相手にしようとしているのは、
 いったいどのような人物なのだろう? その相手は多額の報酬を積む見返りとして、私に何を求
 めているのだろう? その何かを見届けてみたいと私は思った。

  そう心を決めてしまうと、気持ちは少し楽になった。その夜は、久しぶりに何も考えずにまっ
 すぐ深い眠りに入ることができた。夜中にみみずくの動き回るがさがさという音を間いたような
 気がした。しかしそれは切れ切れな夢の中の出来事だったかもしれない。


このように依頼人とのかなり細かな電話での描写がつづき、次章の「良くも悪くも覚えやすい名前」
に移る。眼精疲労がひどいが、ここは、先回りせず何とか丹念に?読み続けよう。


                                      この項つづく

 

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百薬の酒のドン・ジョバンニ

2017年03月30日 | 時事書評

 

    

     61  至誠天に通ず  /  風沢中孚(ふうたくちゅうふ)    

                                  

       ※ 中孚(ちゅうふ)とは、心に誠実さが満ち溢れていること。孚という
        の字は爪と子組み合わせで、原意は、親鳥が卵を暖めて孵化すること
        である。親鳥の愛情が卵の生命を喚び起こすように、誠意は人の心を
        感動させる。至誠天に通ず、誠意をもって進んでゆけば危難を克服し
        て志を成就できるのである。また上下の卦が口づけしている形でもあ
        り、まごころによって結ばれた二人を象徴する卦である。

 

   Mar. 27, 2017

● アルデヒド脱水素酵素(ALDH2)の変異は骨粗鬆症のリスク

ALDH2の変異は日本人の半数近い人にみられ、お酒に弱い原因となっている。この変異型Aldh2
(Aldh2*2)をもつ遺伝子改変マウスは野生型(WT)に比べてX線写真で骨のX線透過性が亢進し、骨密
度が低下していることが分かるという。彼女はお酒に弱く、骨粗鬆症だ。ところで、
お酒が弱い女性
は、年を取ると骨が折れやすくなることが、慶応大などの研究チームの調査でわかった。女性は閉経
後に骨粗鬆(そしょう)症になりやすいが、アルコールの分解にかかわる遺伝子の働きが弱いとさら
にもろくなる可能性があるという。27日付の英科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」で発表
している。同大医学部の宮本健史・特任准教授(整形外科)らは、アルコールを分解する時に働く酵
素をつくる遺伝子ALDH2 に着目。この遺伝子の働きが生まれつき弱い人は悪酔いの原因となるアセ
トアルデヒドをうまく分解できず、酒に弱くなる。中高年の女性で大腿骨骨折した92人と骨折して
いない48人の遺伝子を調べて比較し。骨折した人の中で、この遺伝子の働きが弱い人は58%だっ
たが、骨折していない人では35%だった。年齢などの影響を除いて比べると、遺伝子の働きが弱い
人の骨折リスクは、ない人の2、3倍高かった。同チームはマウスの細胞でも実験。骨を作る骨芽細
胞にアセトアルデヒドを加えると働きが弱まったが、ビタミンEを補うと機能が回復した。酒に弱い
体質の人が過剰な飲酒をすると、アセトアルデヒドがうまく分解できずに骨がもろくなる可能性があ
るとみられる。お酒に強いか弱いかは生まれつきで変えられない。だが、骨折のリスクをあらかじめ
自覚し、ビタミンEの適度な摂取で予防できる可能性があると関係者は話している。わたしの兄弟も
家系も酒はたしなめる程度で子供たちも飲まない、飲めない。とするとなぜ、わたしだけ飲めるのか
?わかっていることは、若い頃よく酒を飲み、いつのまにか大酒はないが、後天的に飲めるようにな
ったことだ。彼女はわたしと同じ、ビタミンEを度を超えて(?)摂取すると気分が悪くなる体質。
そこで、少量でも良いから飲酒を進め、アルコールを分解する時に働く酵素をつくるこの変異型Aldh2
(Aldh2*2)   の改変というか、耐性を強めるよう進めている。かくして、百薬の長である酒の効用を認めさせる
戦術の一歩を踏み出すことになる。

 
Titol:A missense single nucleotide polymorphism in the ALDH2 gene, rs671, is associated with hip fracture.

 

 

 Mar. 27,2017
※ Titol:Influenza A virus hemagglutinin and neuraminidase act as novel motile machinery.


鍵語:インフルエンザウイルス/感染/行動解析

● インフルウイルスの転がり進入 感染予防に道

 今月27日、インフルエンザウイルスは、細胞の上をころころと動き回って「侵入口」を探している
ことが、川崎医大の研究
で分かった。動く能力を封じると、感染力が落ちる。細胞に入り込まないと
子孫が残せないウイルスが、あの
手この手で獲得した生き残り戦略?と見られるという英国の電子科
学誌「サイエンティフィックリポーツ」に掲
載される。川崎医大の堺立也講師(微生物学)らは、細
胞表面の環境を再現したガラス板の上で、インフルエンザウイルスの動きを詳細に観察。すると、う
ろうろしたり、つーっと滑ったりしている。ウイルス表面にある2種類のたんぱく質が、細胞表面の
物質と緩くつながったり、離れたりすることで、転がるような動きを作り出している。このように、
動き回ることで、細胞の侵入口を見つける機会が増える。動きに関わるたんぱく質を働かなくさせる
と、感染能力は3割程度に落ちる。
ウイルスの振るまいが分かったことで、新たな治療戦略につなが
可能性が浮上した。これは面白い発見だ。

 Mar. 28, 2017

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』    

    5.息もこときれ、手足も冷たい

  地面に開いた穴? 四角いマンホール? まさか。飛鳥時代に下水道かおるわけはない。そし
 て果たし合いが行われているのは屋外であり、何もない空き地のようなところだ。背景に描かれ
 ているのは、枝を低く落とした松の木だけだ。なぜそんなところの地面に、蓋つきの穴が開いて
 いるのだろう? 筋が通らない。

 Mar. 8, 622

  そしてそこから首を突き出している男もまたずいぶん奇怪だった。彼は曲がった茄子のような、
 異様に細い頭をしていた。そしてその頭巾が黒い祭だらけで、髪は長くもつれていた。浮浪者
 のようにも、世を捨てた隠者のようにも見える。痴呆のように見えなくもない。しかしその眼光
 は驚くほど鋭く、洞察のようなものさえうかがえる。とはいえ、その洞察は知性を通して穫得さ
 れたものではなく、ある種の逸脱が――ひょっとしたら狂気のようなものが――たまたまもたら
 したもののように見える。細かい服装まではわからない。私か目にすることができたのは、首か
 ら上の姿だけだったから。彼もまたその果たし合いを見守っている。しかしその成り行きにとく
 に驚いてはいないようだ。むしろそれを起こるべくして起こったこととして、純粋に傍観してい
 るように見える。あるいはその出来事の細部をいちおう念のために確認している、という風にも
 見える。娘も召使いも、背後にいるその顔の長い男の存在には気がついていない。彼らのまなざ
 しは激しい果たし合いに釘付けになっている。誰も後ろを振り返ったりはしない。

  この人物はいったい何ものなのか? 何のために彼はこうして古代の地中に潜んでいるのだろ
 う? 雨田典彦はどのような目的をもって、この得体の知れない奇怪な男の姿を、釣り合いの取
 れた構図を無理に崩すようなかたちで、わざわざ画面の端に描き込んだりしたのだろう?
  そしてだいたい、この作品になぜ『騎士団長殺し』というタイトルがつけられたのだろう?

 たしかにこの絵の中では、身分の高そうな人物が剣で殺害されている。しかし古代の衣裳をまと
 った老人の姿は、どのように見ても「騎士団長」という呼び名には相応しくない。「騎士団長」
 という肩書きは明らかにヨーロッパ中世あるいは近世のものだ。日本の歴史にはそんな役職は存
 在しない。それでも雨田典彦はあえて『騎士団長殺し』という、不思議な響きのタイトルをこの
 作品につけた。そこには何かの理由かおるはずだ。

  しかし「騎士団長」という言葉には、私の記憶を激かに刺激するものがあった。その言葉を以
 前、耳にした覚えがあった。私は細い糸をたぐり寄せるように、その記憶の痕跡を辿った。どこ
 かの小説だか戯曲だかで、その言葉を目にしたことがあるはずだ。それもよく知られた有名な作
 品である。どこかで……。



  それから私ははっと思い出した。モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』だ。その冒頭に
 たしか「騎士団長殺し」のシーンがあったはずだ。私は居間のレコード棚の前に行って、そこに
 ある『ドン・ジョバンニ』のボックス・セットを取り出し、解説書に目を通した。そして冒頭の
 シーンで殺害されるのがやはり「騎士団長」であることを確認した。役には名前はない。ただ
 「騎士団長」と記されているだけだ。

  オペラの台本はイタリア語で書かれており、そこで最初に殺される老人は「コメンダトーレ
 (Ⅱ Commendatore)と記されていた。それを誰かが「騎士団長」と日本語に訳し、その訳語が
 定着したのだ。現実の「コメンダトーレ」が正確にどのような地位なのか役職なのか私にはわか
 らない。いくつかあるボックス・セットのどの解説書にも、それについての説明は記されていな
 かった。このオペラにおける役は、名前を持たないただの「騎士団長」であり、その主要な役目
 は、冒頭にドン・ジョバンニの于にかかって刺し段されることだ。そして最後に歩く不吉な彫像
 となってドン・ジョバンニの前に現れ、彼を地獄に連れて行くことだ。

  考えてみれば、わかりきったことじやないか、と私は思った。この絵の中に描かれている顔立
 ちの良い若者は、放蕩者ドン・ジョバンニ(スペイン語でいえばドン・ファン)だし、殺される
 年長の男は名誉ある騎士団長だ。若い女は騎士団長の美しい娘、ドンナ・アンナであり、召使い
 はドン・ジョバンニに仕えるレボレロだ。彼が手にしているのは、主人ドン・ジョバンニがこれ
 までに征服した女たちの名前を逐一記録した、長大なカタログだ。ドン・ジョバンニはドンナ・
 アンナを力尽くで誘惑し、それを見とがめた父親の騎士団長と果たし合いになり、刺し殺してし
 まう。有名なシーンだ。どうしてそのことに気がつかなかったのだろう?

  おそらくモーツァルトのオペラと、飛鳥時代を扱った日本画という組み合わせが、あまりにか
 け離れすぎていたからだろう。だから私の中でその二つがうまく結びつかなかったのだ。しかし
 いったんわかってしまえば、すべては明らかだった。雨田典彦はモーツァルトのオペラの世界を
 そのまま飛鳥時代に「翻案」したのだ。たしかに興味深い試みだ。それは認める。しかしその翻
 案の必然性はいったいどこにあるのだろう? それは彼の普段の画調とはあまりに違いすぎてい
 る。そしてなぜ彼は、その絵をわざわざ厳重に梱包して屋根裏に隠匿しなくてはならなかったの
 だろう?

  そしてその画面の左端の、地中から首を出す細長い顔をした人物の存在はいったい何を意味し
 ているのだろう? モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』にはもちろんそんな人物は登場
 しない。雨田典彦が何らかの意図をもって、その人物をそのシーンに描き加えたのだ。そしてま
 たオペラの中では、父親が刺し殺される現場をドンナ・アンナは実際には目撃していない。彼女
 は恋人の騎士ドン・オッタービオに助けを求めにいった。そして二人で現場仁戻ってきたときに、
 既にこときれている父親を発見するのだ。雨田典彦の絵ではその状況設定が――おそらく劇的な
 効果をあげるためだろう――
微妙に変更されている。しかし地中から顔を出しているのは、どう
 見てもドン・オッタービオではない。その男の相貌は明らかに、この世の基準からははずれた異
 形のものだ。ドンナ・アンナを肋ける白面の正義の騎士ではあり得ない

  その男は地獄からやってきた悪鬼なのだろうか? 最後にドン・ジョバンニを地獄に連れて行
 く偵察をするために、前もってここに姿を見せたのだろうか? でもどう見ても、その男は悪鬼
 や悪魔には見えなかった。悪鬼はこれほど奇妙な輝きを持つ目を持ってはいない。悪魔は正方形
 の木製の蓋をこっそり持ち上げ、地上に顔をのぞかせたりはしない。その人物はむしろある種の
 トリックスターとして、そこに介在しているように見える。私は仮にその男を「顔なが」と名付
 けた。

  それから数週間、私はその絵をただ黙って眺めていた。その繰を前にしていると、自分の繰を
 描こうという気持ちはまったく起きなかった。まともな食事をとる気にもなれなかった。冷蔵庫
 を開けて目についた野菜にマヨネーズをつけて啜るか、あるいは買い置きの缶詰を開けて鍋で温
 めるか、せいぜいそんなところだ。私はスタジオの床に座り、『ドン・ジョバンニ』のレコード
 を繰り返し聴きながら、『騎士団長殺し』を飽きることなく見つめた。日が暮れるとその前でワ
 インのグラスを傾けた。

  見事な出来の絵だ、と私は思った。しかし私か知る限り、この絵は雨田具彦のどの画集にも収
 録されていない。つまりこの作品の存在は世間一般には知られていないということになる。もし
 公開されていれば、この作品は間違いなく雨田典彦の代表作のひとつになっているはずだから
 いつか彼の回顧展が開かれるなら、ポスターに使われてもおかしくない作品だ。そしてこれはた
 だ「見事に描けている」というだけの絵ではない。この繰の中には明らかに、普通ではない種類
 の力が座っている。それは少しなりとも美術に心得のある人なら見逃しようがない事実だ。見る
 人の心の深い部分に訴え、その想像力をどこか別の場所に誘うような示唆的な何かがそこには
 められている。

  そして私はその画面の左端にいる型だらけの「顔なが」から、どうしても目が離せなくなった。
 まるで彼が蓋を開けて、私を個人的に地下の世界に誘っているような気がしたからだ。他の誰で
 もなく、この私をだ。実際のところ、その蓋の下にどのような世界かおるのか、私は気になって
 ならなかった。彼はいったいどこからやってきたのだろう? そこでいったい何をしているのだ
 ろう? その蓋はやがてまた閉められるのだろうか、それとも開きっぱなしになるのだろうか?


  
  私はその絵を眺めながら、歌劇『ドン・ジョバンニ』のその場面を繰り返し聴いた。序曲に繰
 く、第一幕・第三場。そしてそこで歌われる歌詞、口にされる台詞をほとんどそのまま覚えてし
 まった。

  ドンナ・アンナ
 「ああ、あの人殺しが、私のお父様を殺したのよ。
  この血……、この傷……、
  顔は既に死の色を浮かべ、
  息もこときれ、
  手足も冷たい
  お父様、優しいお父様!
  気が遠くなり、
  このまま死んでしまいそう」


さて、さて、幽翠なる春樹ワールドに踏み入れ、もう後戻りできぬようになった。次章「今のところ
は顔のない依頼人」に移る。

                                     この項つづく


 

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世界は再エネで経済成長

2017年03月29日 | 環境工学システム論

 

    

      60  誘惑をしりぞけよ  /  水沢節(すいたくせつ)    

                                 

       ※ 「節」(せつ)とは「限りありて止まる」で、いわゆる節度を守る
        ことである。甘い誘惑をしりどけるのは苦しいが「節」を守ってこ
        そ真の幸福があるのだ。しかし、節に固執しすぎるのもよくない。
        節倹が過ぎて病気になることはつまらぬことである。

 



【RE100倶楽部:再エネ電源80%でも経済は活性化】

● 全世界で再生可能エネルギーを65%に、温度上昇2℃未満に抑える

20日、ドイツで開催された「ベルリン・エネルギー転換対話(Berlin Energy Transition Dialogue)」に
おいて、国際再生可能エネルギー機関IRENA)が発表した調査報告書「エネルギー転換のための視点:
低炭素エネルギー転換のための投資ニーズ」によると、経済活動に負の影響を及ぼさず、全世界での
エネルギー起源二酸化炭素の排出量を50年までに70%削減し、60年までにはゼロにできる。と
の調査結果を公表(「再エネ電源80%でも経済は活性化」日経テクノロジーオンライン、2017.03.
27)。

同調査によると、主要20カ国(G20)を中心に世界全体で再生可能エネルギーと省エネルギーの導入
さらに推進することで、温度上昇を2℃未満に抑制し、気候変動で最も深刻なインパクトを回避す
シナリオを提示。パリ合意によって、気候変動に対する行動が国際的に決定された、焦点は、グロ
ーバル
なエネルギー・システムの脱炭素化でなければならない。それが温室効果ガス排出量の3分の
2近くを占める。また、
エネルギー産業を脱炭素化するために必要となる投資は、50年までにさら
に約29兆ドル(約3190兆円)超と相当な額に上る一方、世界全体の国内総生産(GDP)に占め
る比率は0.4%に過ぎない(下図参照)。


さらに、IRENAのマクロ経済分析では、成長を志向する適切な政策とあいまって、そういった投資が
経済の刺激策になるとしている。具体的には、50年にグローバルGDPを0.8%押し上げ、再エネ
分野の雇用を創出し、化石燃料産業における雇用喪失を打ち消す。雇用は再エネ関連だけでなく、省
エネ関連でも創出される。また、大気汚染が緩和されるため、環境面や健康面でのメリットを通じて、
人類の幸福度が向上するという。


図 温度上昇を2℃未満に抑制するシナリオで、世界全体のエネルギーの供給と需要に関する投資額
  の平均値を示すグラフ

世界全体では。15年にエネルギー起源二酸化炭素が32ギガトン排出された。産業革命前の気温よ
り2℃未満の上昇に温暖化を抑えるためには、この排出量を継続的に抑制し50年までに9.5ギガト
まで減らす必要があり、この削減分の90%は、再エネと省エネの推進を通して達成できるという

再エネは、現在世界全体の電源構成の24%、一次エネルギー供給では16%を占める。脱炭素化を
実現するために、50年までに再エネを電源構成の80%、一次エネルギー供給の65%まで引き上

げる必要があると指摘する。ベルリン・エネルギー転換対話では、IRENAだけでなく国際エネルギー
機関(IEA)による調査結果も発表。IEAの調査でも、脱炭素化に向けたシナリオを実現するための方
策には、再エネや省エネに関してほぼ共通した方向性になる。つまり、地球は再エネで経済活性化す
るという。これは楽しみである。

 Sep. 14, 2016

【RE100倶楽部:変換効率30%超時代】

● カネカ 結晶シリコン太陽電池で世界最高変換効率26.6%

今月20日、カネカの研究チームは変換効率がさらに26.6%に達したことを示し、この結果を国立
再生可能エネルギー研究所(NREL)が認めた。Nature Energyで公開された(下図ダブクリ)。カネカは
30年までに太陽電池のキロワット時のコストを0.06ドル(約6.67円)まで下げるべく、研究を続けて
いくと話す。これぞ、ジャパン・コンセプト、実に愉快だ。



※ Silicon heterojunction solar cell with interdigitated back contacts for a photoconversion, Published online:
   20 March 2017, Nature Energy 2, Article number: 17032 (2017)

       
 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』    

    5.息もこときれ、手足も冷たい

  その家に往むようになってまず不思議に思ったのは、家中のどこにも絵画と名のつくものが見
 当たらないことだった。壁にかかっていないだけではなく、家の物置にも押し入れにも、絵とい
 うものがただの一枚もないのだ。雨田典彦自身の絵がないというだけではなく、ほかの作家の絵
 もない。壁という壁はきれいに丸裸のまま放置されている。額をかけるための釘のあとすら見つ
 からなかった。私の知る限り画家というのは誰しも、多かれ少なかれ手元に絵を抱え込んでいる
 ものだ。自分の絵があり、他の作家の絵がある。知らないうちにいろんな絵画が身の回りに溜ま
 っていく。雪かきをしても、あとがらあとがら雪が降り積もるみたいに。

  何かの用件で雨田政彦に電話をかけたとき、ついでにそのことを尋ねてみた。どうしてこの家

 には絵と名のつくものが一枚もないのだろう? 誰かが持ち去ったのか、それとも最初からそう
 だったのか?

 Henri Matisse / The Art Story

 「父は自分の作品を手元に置くことを好まなかったんだ」と政彦は言った。「描いたものはすぐ
 に画商を呼んで渡していたし、出来の気に入らないものは庭の焼却炉で焼き捨てていた。だから
 父の絵が一枚も手元にないとして右とくに不思議はないよ」
 「他の作家の絵心まったく特たない?」
 「四、五枚は特っていた。古いマチスだとかブラックだとか。どれも小さな作品で、戦前にヨー
 ロッパで購入したものだ。知人から手に入れた右ので、買ったときにはそれほど高価ではなかっ
 たらしい。もちろん今ではずいぶん価値が出ている。そういう絵は、父が施設に入ったときに親
 しい画商にまとめて預かってもらった。空き家にそのまま置いておくわけにはいかないしね。た
 ぶんエアコンつきの美術品専用の倉庫に保管してあると思う。それを別にすれば、その家の中で
 ほかの両家の絵を目にしたことはない。実のところ、父は同業者たちのことがあまり好きじやな
 かった。そしてもちろん同業者たちも父のことをあまり好きではなかった。よく言えば一匹狼、
 悪く言えばはぐれがらすというところだな」

 Georges Braque / The Art Story

 「お父さんがウィーンにいたのは、一九三六年から三九年にかけてだったね?」
 「ああ、二年くらいはいたはずだ。でもどうして行き先がウィーンだったのか、よくわからない
 んだ。父の好きな画家はほとんどフランス入だったからね」
 「そしてウィーンから日本昆戻ってきて、突然日本画家に転向した」と私は言った。「いったい
 何かお父さんにそんな大きな決心をさせたんだろう? ウィーンに滞在しているあいだに何か特
 別なことが起こったんだろうか?」
 「う~ん、そいつは謎なんだ。父はウィーン時代のことは多くを語らなかったからね。どうでも
 いいような話はときどき聞かされたよ。ウィーンの動物園の話とか、食べ物の話とか、歌劇場の
 話とかさ。でも自分のことについては口の重い人たった。こちらもあえて尋ねなかった。おれと
 父とは半ば離ればなれに暮らしていたし、たまに顔を合わせる程度だった。父親というより、と
 きどき訪ねてくる親戚の伯父さんみたいな存在だった。そして中学校に入った頃からは、父親の
 存在がだんだん鬱陶しくなり、接触を避けるようになった。おれが美大に進んだときにも相談も
 しなかった。複雑な家庭環境というほどでもないが、ノーマルな家庭だったとは言えない。おお
 よその感じはわかるだろう?」

 「だいたいのところは」

 「いずれにせよ今となっては、父の過去の記憶はすべて消滅している。あるいはどこかの深い泥
 の底に沈みっぱなしになっている。何を訊いても返事はかえってこない。おれが誰なのかもわか
 ない。自分が誰なのかもおそらくわかっていない。こうなる前にいろんな話を聞いておくべき
 だったのかもしれない。そう思うこともある。でも今さら手遅れだ」

  政彦は少し考え込むように黙っていたが、やがて口を開いた。「なぜそんなことを知りたが
 る? うちの父に興味を持つようなきっかけが何かあったのか?」

 「いや、そういうわけじゃない」と私は言った。「ただこの家で生活していると、お父さんの影
 のようなものをあちこちに感じてしまうんだ。それでお父さんについて少しばかり図書館で調べ
 ものをした」

 「父の影のようなもの?」

 「存在の名残みたいなもの、かな」

 「いやな感じはしない?」

  私は電話口で首を振った。「いや、いやな感じはまったくない。ただ雨田典彦という人の気配
 がなんとなく、まだそのへんに漂っているみたいなんだ。空気の中に」
  政彦はまたしばらく考え込んでいた。それから言った。「父は長くそこに往んでいたし、たく
 さん仕事もしたからな。気配だって残るかもしれない。まあそういうのもあって、おれとしては
 正直なところ、あまり一人でその家には近寄りたくないんだ」

  私は何も言わず彼の話を間いていた。

  政彦は言った。「前にも言ったと思うけど、雨田典彦はおれにとっちやただの気むずかしい面
 倒なおっさんにすぎなかった。いつも仕事場に閉じこもって、むずかしい顔で絵を描いていた。
 口数も少なく、何を考えているのかわからなかった。同じ屋根の下にいるときには母親に『お父
 さんのお仕事の邪魔をしちやいけない』といつも注意された。走り回ることも大声を出すことも
 できなかった。世間的には有名な人で、優れた絵描きかもしれないが、小さな子供にとっちやた
 だ迷惑なだけだ。そしておれが美術方面に進んでからは、父親は何かとやっかいな重荷になった。
 名前を名乗るたびに、あの雨田典彦さんのご親威ですか、みたいなことを言われてね。よほど名
 前を変えようかと思ったよ。今にして思えば、そんな悪い人ではなかったと思う。あの人なりに
 子供を可愛がろうとしていたんだろう。しかし手放しで子供に愛を注げるような人ではなかった。
 でもまあそれはしようがないんだ。あの人には絵がまず第一だったからな。芸術家ってそういう
 ものだろう」

 「たぶん」と私は言った。

 「おれはとても芸術家にはなれそうにない」と雨田政彦はため息をついて言った。「父親からお
 れが学んだのはそれくらいかもしれない」

 「たしか前に、お父さんは若い時代にはけっこうやりたい放題、好き勝手なことをしていた、み
 たいなことを言っていなかったか?」

 「ああ、おれが大きくなった頃にはもうそんな面影はなかったけど、若い頃はずいぶん遊んでい
 たようだ。長身で顔立ちも良かったし、地方の金持ちのぼんぼんだし、絵の才能もあった。女が
 寄ってこないわけがない。父の方もまた女には目がなかった。実家が金を出して始末をつけなく
 てはならないようなややこしいこともあったらしい。しかし留学から帰国してからは、人が変わ
 ったようだったと親戚の人たちは言っていた」

 「人が変わった?」

 「日本に帰ってきてからは、父はもう遊び歩くのをやめ、一人で家に龍もって結の制作に打ち込
 むようになった。人付き合いも極端に悪くなったようだ。東京に戻ってきて、長いあいだ独身生
 活を送っていたが、結を描くだけで十分生活できるようになってから、突然思いついたように郷
 里の遠縁の女性と結婚した。まるで人生の帳尻を合わせるみたいにさ。かなりの晩婚だった。そ
 しておれが生まれた。結婚してから女遊びをしていたのかどうかまではわからん。しかしとにか
 く派手に遊びまわるようなことはもうなくなっていたはずだ」

 「ずいぶん大きな変化だ」

 「ああ、しかし父の両親は帰国してからの父の変化を喜んだようだ。もう女の問題で迷惑をかけ
 られずにすむからな。でもウィーンでどんなことがあったのか、なぜ洋画を捨てて日本画に転向
 したのか、そのへんは親戚の誰に訊いてもやはりわからない。そのことについては父はとにかく
 海の底の牡蠣のように堅く口を閉ざしていた」 

  そして今となってはその殼をこじ開けても、中身はもう空っぽになっているのだろう。私は政
 彦に礼を言って電話を切った。




  私がその『騎士団長殺し』という不思議な題をつけられた雨田典彦の絵を発見したのは、まっ
 たく偶然の成り行きによるものだった。
  夜中にときどき、寝室の屋根裏からがさがさという小さな物音を耳にすることがあった。最初
 は鼠かリスが屋根裏に入り込んだのだろうと思った。しかしその音は、小型の齧歯類の足音とは
 明らかに異なるものだった。蛇の這う音とも違う。それはなんとなく、油紙をくしやくしやと手
 で丸めるときの音に似ていた。うるさくて眠れないというほどの音ではなかったが、それでも家
 の中に得体の知れない何かがいるというのは、やはり気になるものだ。ひょっとしてそれは家に
 害をなす動物であるかもしれない。

  あちこち探し回った末に、客用寝室の奥にあるクローゼットの天井に、屋根裏への入り口がつ
 いていることがわかった。入り口の扉は八十センチ四方ほどの真四角な形だった。私は物置から
 アルミ製の脚立を持ってきて、懐中電灯を片手に、入り口の蓋を押し開けた。そして恐る恐るそ
 こから首を突き出して、あたりを見回した。屋根裏のスペースは思ったより広く、薄暗かった。
 右手と左手に小さな通風口が開いていて、そこから僅かに昼間の光が入ってくる。懐中電灯で
 隅々まで照らしてみたが、何の姿も見えなかった。少なくとも動くものは見当たらない。私は思
 いきって開口部から屋根裏にあがってみた。

  空気にはほこりっぽい匂いがしたが、不快に感じるほどではなかった。風通しが良いらしく、
 床にはそれはどの埃もたまっていない。何本かの太い梁が頭上低くわたされていたが、それをよ
 ければいちおう立って歩くことができた。私は用心しながらゆっくり前に進み、二つの通風口を
 点検してみた。どちらも金網が張られて、動物が侵入できないようになっていたが、北向きの通
 風口の金網には切れ目ができていた。何かがぶつかるかして自然に破れたのかもしれない。ある
 いは何かの動物が中に入るうと故意に網を破ったのかもしれない。いずれにせよ、そこには小型
 動物が楽に通り抜けられるくらいの穴が開いていた。

  それから私は夜中に物音を立てる張本人を目にした。それは梁の上の暗がりにひっそりと身を
 潜めていた。小型の灰色のみみずくだった。みみずくはどうやら目を閉じて眠りについているよ
 うだった。私は懐中電灯のスイッチを切り、相手を怖がらせないように少し離れたところから静
 かにその鳥を観察した。みみずくを近くに見るのは初めてのことだった。それは鳥というよりは
 羽の生えた描のように見えた。美しい生き物だ。

 ミミズク(木菟)

  たぶんみみずくは昼間をここで静かに休んで過ごし、夜になると通風口から出ていって、山で
 獲物を探すのだろう。その出入りするときの物音が、おそらく私の目を覚ましたのだ。害はない。
 それにみみずくがいれば、鼠や蛇が屋根裏にいつく心配もない。そのままにしておけばいい。私
 はそのみみずくに自然な好意を抱くことができた。私たちはたまたまこの家を間借りし、共有し
 ているのだ。好きなだけこの屋根裏にいればいい。しばらくみみずくの姿を観賞してから、私は
 忍び足で帰途についた。入り口のわきに大きな包みをみつけたのはそのときだった。

  それが包装された絵画であることは一目で見当がついた。大きさは縦横が1メートルと1メー
 トル半ほど。茶色の包装用和紙にぴったりくるまれ、幾重にも紐がかけてある。それ以外に屋根
 裏に置かれているものは何もなかった。風口から差し込む淡い陽光、梁の上にとまった灰色の
 みみずく、壁に立てかけられた一枚の包装された緒。そのとり合わせには何かしら幻想的な、心
 を奪われるものがあった。

  その包みをそっと注意深く持ち上げてみた。重くはない。簡単な額におさめられた絵の重さだ。
 包袋綴にはうっすらほこりが溜まっていた。かなり前から、誰の目に触れることもなくここに置
 かれていたのだろう。紐には一枚の名札が針金でしっかりとめられ、そこには青いボールペンで
 『騎士団長殺し』と記されていた。いかにも律儀そうな書体だった。おそらくそれが絵のタイト
 ルなのだろう。

  なぜその一枚の絵だけが、屋根裏にこっそり隠すように置かれていたのか、その理由はもちろ
 んわからない。私はどうしたものかと思案した。当たり前に考えれば、そのままの状態にしてお
 くのが礼儀にかなった行為だった。そこは雨田典彦の住居であり、その絵は間違いなく雨田典彦
 が所有する絵であり(おそらくは雨田典彦自身が描いた絵であり)、何らかの個人的理由があっ
 て、彼が人目に触れないようにここに隠しておいたものなのだ。だとしたら余計なことはせず、
 みみずくと一緒に屋根裏に置きっぱなしにしておけばいいのだ。私がかかおるべきことではない。
 
  でもそれが話の筋としてわかっていても、私は自分の内に湧き起こってくる好奇心を抑えるこ
 とができなかった。とくにその絵のタイトルである(らしい)『騎士団長殺し』という言葉が私
 の心を惹きつけた。それはいったいどんな絵なのだろう? そしてなぜ雨田典彦はそれを――よ
 りによってその絵だけを――屋根裏に隠さなくてはならなかったのだろう
  私はその包みを手にとり、それが屋根裏の入り口を抜けられるかどうか試してみた。理屈から
 いえば、ここに運びあげることができた絵を下に運びおろせないわけはなかった。そして屋悟畏
 に通じる開口部はそれ以外にないのだ。でもいちおう実際に試してみた。絵は思った通り、対角
 線ぎりぎりのところでその真四角な開口部を通り抜けることができた。私は雨田典彦がその絵を
 屋根裏に運び上げるところを想像してみた。そのとき彼はおそらく一人きりで、何かの秘密を心
 に抱えていたはずだ。私はその情景を実際に目撃したことのように、ありありと思い浮かべるこ
 とができた

  この絵を私が屋根裏から運び出したことがわかったところで、雨田典彦はもう怒りはしないだ
 ろう。彼の意識は今では深い混沌の中にあって、息子の表現を借りれば「オペラとフライパン
 見分けもつかなく」なっている。彼がこの家に戻ってくることはまずあり得ない。それにこの絵
 を、通風口の網が破損した屋根裏にこのまま置きっぱなしにしておいたら、いつか鼠やリスに嘔
 られてしまわないとも限らない。あるいは虫に食われるかもしれない。もしその絵が雨田典彦の
 描いたものであるなら、それは少なからぬ文化的損失を意味することになるだろう。

  その包みをクローゼットの棚の上におるし、梁の上でまだ身を縮めているみみずくに小さく手
 を振ってから、私は下に降りて、入り口の蓋を静かに閉めた。

  しかしすぐには包装をとかなかった。何日かの間、その茶色の包みをスタジオの壁に立てかけ
 ておいた。そして床に腰を下ろし、ただあてもなくそれを眺めていた。包装を勝手にほどいてし
 まっていいものかどうか、なかなか決心がつかなかった。それはなんといっても他人の所有物で
 あり、どのように都合良く考えても、包装を勝手にはぐ権利は私にはない。もしそうしたければ、
 少なくとも息子の雨田政彦の許可を得る必要がある。しかしなぜかはわからないが、政彦にその
 絵の存在を知らせる気になれなかった。それは私と雨田典彦の間のあくまで個人的な、一対一の
 問題であるような気がしたのだ。どうしてそんな奇妙な考えを抱くようになったのか説明はでき
 ない。でもとにかくそう感じたのだ。

  包装用和紙にくるまれ、厳重に紐をかけられたその絵(らしきもの)を、文字どおり穴が開く
 ほど見つめ、思案に思案を重ねてから、ようやく中身を取り出す決心がついた。私の好奇心は、
 私が礼節や常識を重んじる気持ちよりも遥かに強く執拗だった。それが画家としての職業的な好
 奇心なのか、あるいは一人の人間としての単純な好奇心なのか、自分では判別できない。しかし
 どちらにせよ、私はその中身を見ずにはいられなかった。誰に後ろ指をさされようがかまわない、
 と私は心を定めた。鋏を持ってきて、硬く縛られた紐を切った。そして茶色の包装紙をはがして
 みた。必要があればもう一度包装しなおせるように、時間をかけて丁寧にはがした。

  幾重にも重ねられた茶色の包袋綴の下には、さらしのような柔らかい白い布でくるまれた簡易
 額装の絵があった。私はその布をそっとはがしてみた。重い火傷を負った人の包帯はがすとき
 のように、静かに用心深く

  その白い布の下から姿を見せたのは、私が前もって予想していたとおり、一幅の日本画だった。
 横に長い長方形の絵だ。私はその絵を棚の上に立てかけ、少し離れたところから眺めた。
  疑いの余地なく、雨田典彦その人の手になる作品だった。紛れもない彼のスタイルで、彼独自
 の手法を用いて描かれている。大胆な余白と、ダイナミックな構図。そこに描かれているのは、
 飛鳥時代の格好をした男女だった。その時代の服装とその時代の髪型。しかしその絵は私をひど
 く驚かせた。それは息を呑むばかりに暴力的な絵だったからだ。

  私の知る限り、雨田典彦が荒々しい種類の絵画を描いたことはほとんどない。一度もない、と
 言っていいかもしれない。彼の描く絵は、ノスタルジアをかきたてる上うな、穏やかで平和なも
 のであることが多い。歴史上の事件を題材にすることもたまにあるが、そこに見られる人々の姿
 はおおむね様式の中に溶け込んでいる。人々は古代の豊かな自然の中で緊密な共同体に含まれ、
 調和を重んじて生きている。多くの自我は共同体の総意の内に、あるいは穏やかな宿命の内に吸
 収されている。そして世界の環は静かに閉じられている。そのような世界が彼にとってのユート
 ピアだったのだろう。彼はそのような古代の世界を、様々な角度から様々な視線で描き続けた。
 そのスタイルを多くの人は「近代の否定」と呼び、「古代への回帰」と呼んだ。中にはもちろん
 それを「現実からの逃避」と呼んで批判するものもいた。いずれにせよ彼はウィーン留学から日
 本に戻ったあと、モダニズム指向の油絵を捨て、そのような静謐な世界に一人で閉じこもったの
 だ。ひとことの説明もなく、弁明もなく

  しかしその『騎士団長殺し』という絵の中では、血が流されていた。それもリアルな血がたっ
 ぷり流されていた。二人の男が重そうな古代の剣を手に争っている。それはどうやら個人的な果
 たし合いの上うに見える。争っているのは一人の若い男と、一人の年老いた男だ。若い男が、剣
 を年上の男の胸に深く突き立てている。若い男は細い真っ黒な口髭をはやして、淡いよもぎ色の
 細身の衣服を着ている。年老いた男は白い装束に身を包み、豊かな白い聚をはやしている。首に
 珠を連ねた首飾りをつけている。彼は持っていた剣をとり落とし、その剣はまだ地面に落ちきっ
 ていない。彼の胸からは血が勢いよく噴き出している。剣の刃先がおそらく大動脈を貫いたのだ
 ろう。その血は彼の白い装束を赤く染めている。口は苦痛のために歪んでいる。目はかっと見開
 かれ、無念そうに虚空を睨んでいる。彼は自分か敗れたことを悟っている。しかし本当の痛みは
 まだ訪れていない。

  一方の若い男はひどく冷たい目をしている。その目は相手の男をまっすぐに見据えている。そ
 の日には後悔の念もなく、戸惑いや怯えの影もなく、興奮の色もない。その瞳があくまで冷静に
 日にしているのはただ、迫り来る他の誰かの死と、自らの間違いのない勝利だ。ほとばしる血は
 その証に過ぎない。それは彼にどのような感情ももたらしてはいない。

  正直なところ、私はこれまで日本画というものを、どちらかといえば静的な、様式的な世界を
 描く美術のフォームだと捉えていた。日本画の技法や画材は、強い感情表現には向かないものと
 単純に考えてい。自分とはまったく無縁な世界だと。しかしその雨田典彦の『騎士団長殺し』を
 前にすると、私のそんな考えが思いこみに過ぎなかったことがよくわかった。雨田聡彦の描くそ
 の二人の男の命を賭けた、激しい果たし合いの光景には、見る者の心を深いところで震わせるも
 のがあった。勝った男と負けた男。刺し貫いた男と、刺し貫かれた男。その落差のようなものに、
 私は心を惹かれた。この絵には何か特別なものがある

  そしてその果たし合いを近くで見守っている人々が何人かいた。一人は若い女性だった。上品
 な真っ白な着物を着た女だ。髪を上にあげ、大きな髪飾りをつけている。彼女は片手を口の前に
 やって、口を軽く開けている。息を吸い込み、それから大きな悲鳴をあげようとしているように
 見える。美しい目は大きく見聞かれている。

  そしてもう一人、若い男がいた。服装はそれほど立派ではない。黒っぽく、装飾も乏しく、い
 かにも行動しやすい衣服だ。足には簡単な草履を履いている。召使いか何かのように見える。剣
 を帯びてはおらず、腰に短い脇差しのようなものを差しているだけだ。小柄でずんぐりして、薄
 く顎髭をはやしている。そして左手に帳面のようなものを、今でいえばちょうど事務員がクリッ
 プボードを持つようなかっこうで、待っている。右手は何かを掴もうとするように、宙に伸ばさ
 れている。しかしその手は何も掴めないでいる。彼が老人の召使いなのか、若い男の召使いなの
 か、それとも女の召使いなのか、画面からはわからない。ひとつわかるのは、この果たし合いが
 急速な展開の末に起こったことであり、女にも召使いにもまったく予測できなかった出来事であ
 るらしいということくらいだ。紛れもない驚きの表情が二人の顔に浮かんでいる。

  四人の中で驚いていないのはただ一人、若い殺人者だけだ。おそらく何ごとも彼を驚かせるこ
 とはできないのだろう。彼は生まれつきの殺し屋ではない。人を殺すことを楽しんではいない。
 しかし目的のためには、誰かの息の根を止めることに躊躇したりはしない。彼は若く、理想に燃
 (それがどんな理想なのかは知らないが)、力に溢れた男なのだ。そして剣を巧みに使う技術
 も身につけている。既に人生の盛りを過ぎた老人が、自分の手にかかって死んでいく姿を見るの
 は、彼にとって驚くべきことではない。むしろ自然な、理にかなったことなのだ。

  そしてもう一人、そこには奇妙な目撃者がいた。画面の左下に、まるで本文につけられた脚注
 のようなかっこうで、その男の姿はあった。男は地面についた蓋を半ば押し開けて、そこから
 をのぞかせていた。蓋は真四角で、板でできているようだ。その蓋はこの家の屋根裏に通じる入
 り口の蓋を私に思い出させた。形も大きさもそっくりだ。男はそこから地上にいる人々の姿をう
 かがっている。

主人公のこの絵の感想、洞察がつづいていくが、それは次回の楽しみにしておいて、この主題の絵に
描かれたものを見たい衝動に駆られる。

                                      この項つづく

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オール地熱発電システムで完結

2017年03月27日 | 環境工学システム論

    

      59  民心離反を防げ  /  風水渙(ふうすいかん)    

                                 

        ※ 「渙」(かん)とは散ること。散らすという意味である。帆を
         張って舟が水上を行く象と言われ、外に向かって、大いにエネ
         ルギーを発散させ、大事業をなしとげてゆく時である。卦の形
         は、水面(坎)を吹く風(巽)がただよう木のくずを吹き敗ら
         すさまを表わす。停滞を吹き飛ばして新しい出発をはかるに良
         い卦である。しかし「散る」ということは、民心離反、国内分
         裂、一家離散の暗い前途をも暗示している。出発に際しては、
         まずそのことを考慮にに入れ、気をひきしめてかからねぱなら
         ない。そうすれば、大危難を克服し、志か果たすことがでるの
         である。
 

【RE100倶楽部:オール地熱発電システムで完結】

東日本大震災以前は、自然エネルギーの主流は地熱発電だと予測されいたが、 地震以降は、わたし
(たち)
が予測していたように、太陽光発電及び風力発電が主流になり、今では、「ソーラーシンギ
ラリティ時代」に突入している。後進国のアフリカも太陽光+風力が主流になると見込まれている
(「アフリカ諸国 30年までに風力と太陽光などでエネルギー生産3倍増」2017.03.27)。このよう
に日本では地熱発電が普及しない理由として、次のように課題が指摘されている。

  1. 国立公園の開発規制がある。
  2. 初期投資が高い。
  3. 温泉街からの反対がある(日本では影響事例はない)。
  4. 新規参入を阻む電力業界の体制があった(電力独占体制)。
  5. 国の開発支援が消極的であった(原子力政策)。
  6. 発電量の減衰する(熱水源の枯欠・衰退)。
  7. 地震の誘発のリスクがある(ただし、無感地震がほとんど)。
  8. 発電量が小さくとコストが高い(2005年度試算で83円/キロワットアワー)。
  9. 全量買取制価格が他の自然エネルギーと比較しても高い(2013年度で 15MW未満(40円+税)15MW
    以上(26円+税))
  10. エネルギー効率が低い(15~20%)。

この様に再生可能エネルギーの一つであり、太陽の核融合エネルギーを由来としない数少ない発電方
法のひとつでもある。ウランや石油等の枯渇性エネルギーの価格高騰や地球温暖化への対策手法とな
ることから、エネルギー安全保障の観点からも各国で利用拡大が図られつつあるものの、
計画から建
設までに10年以上の期間を要し、井戸の穴掘りなど多額の費用がかかり、稼働後は他の自然エネル
ギーと比しても高い費用対効果があり、特に、九州電力の八丁原発電所では、燃料が要らない地熱発
電のメリットが減価償却の進行を助けたことにより、近年になって7円/kWhの発電コストを実現して
いる。このように考えていくと、地熱発電はまだ開発代が残こる分野である。また、考え方によれば
①温水製造システムであり、バイオマス給湯システムと同様で熱水源の涸欠しなければ、半永久に使
用であり水源の選択はあるものの、その用途は温泉、暖房、給湯、融雪(除雪)、ヒートポンプとし
て空調設備、あるいは、温室、養殖魚、畜産などの第一産業の熱源になり、②蒸気タービンとしてで
なく、外気温と循環作動液体温度差を利用して、定電流マイクロインバータ機能付き熱電変換素子方
式発電システムに利用すれば、さらに、静謐な放冷設備不要で比較的コンパクトな地熱発電兼給湯兼
ヒートポンプシステムともなる。

このようなことを考慮し、「オール地熱発電システム」の狙いを次のように設定する。
下表の様に、現在地熱発電方式として、①ドライスチーム、②シングルフラッシュ、③ダブルフラッ
シュ、④バイナリーの4方式があるが、オール地熱発電としては5つめの方式として、タービン発電
だけでなく、熱電変換素子方式となど熱エネルギーの徹底利用と発電だけでなく、ヒートポンプ、給
湯など発電以外利用方法を含め、熱収支(排熱ゼロ方式)・物質収支・環境評価管理を設計に組み込
んだ総合マルチ方式である。



そこで、今夜は、8年間考察を続けてきた「RE100倶楽部構想」は「オール地熱発電システム」
構想で完結し、ステージは実践に移ることになる。

    

● 革命的なクローズドサイクル地熱発電

昨年10月20日、ジャパン・ニュー・エナジーは、京都大学と共同研究によって開発した世界初の
技術、温泉水ではなく地中熱のみを利用して発電を行う「クローズドサイクル地熱発電」による新地
熱発電システムの発電実証に成功したことを公表している(「地下水をくみ上げない、新型の地熱発
電システム 大分県で発電実証に成功」環境ビジネス 2016.10.20)。同15日には、大分県九重町
で、この「JNEC(ジェイネック)方式新地熱発電システム」による地熱発電所の発電記念式典も開
催している。

このシステムには、従来の地熱発電が抱える様々な障壁の根本的解決方法として、温泉水を使用せず
地中熱を吸収し発電するという発想から生まれた新技術。また、スケールの問題や還元井の設置とい
った従来の地熱発電が抱える問題を解決する(下図参照)。クローズドサイクル地熱発電は、地中深
くまで水を循環させる密封された管を埋め込み、地下水(蒸気)は汲み上げず地中熱のみを利用して
管内の水を加熱し、その蒸気でタービンを回し発電を行う。具体的には、システムの中心的役割を担
う、地下 1,450メートルまで埋設した「二重管型熱交換器」内で、地上より加圧注入した水を地中熱
により加熱、液体のまま高温状態で抽出する。液体を地上で減圧、一気に蒸気化しタービンを回して
発電を行う。
 

このシステムでは、発電時に二酸化炭素排出がなく、24時間安定発電が可能という従来の地熱発電の
特長に、開発リードタイムの大幅な短縮やランニングコストの軽減、温泉法の適用除外といった事業
を展開する上で有効な要素が加わる。世界初のクローズドサイクル方式を用いたJNEC式地熱発電シ
ステムの実用化実証プラントは9月30日に完成。この発電所では、更なる性能向上へ向けた研究開
発を行い、大規模化を図り、25年を目処に、3万キロワットの発電所建設する計画中である。なお、
「スケール」とは温泉水の不溶性成分が析出・沈殿し固形化したもの。地熱発電では揚水管・還元井
の内部及び発電設備に付着し、半永久的なメンテナンス及び取り替えが必要となる。「

尚、還元井」とは、地下の蒸気や熱水が枯渇しないために、発電に使用した熱水を地下に戻すための
井戸である。

● 事例研究:特開2016-223377 蒸気発生装置および地熱発電システム

前記のクロズドサイクル地熱発電システムのように、従来は、地中から地熱流体を取り出し、地熱作
動流体でタービンを回転させものである。ここで、地熱流体とは、地中に形成された地熱貯留槽に貯
留した貯留物であることから不純物を大量に含み、これら不純物がスケールとなり地熱発電装置を構
成する発電設備に付着し、発電出力の減少や発電設備の早期劣化を招く。そこで、引用文献1では、
地熱流体を用いずに水等の作動液体にてタービンを回転させ発電、地熱資源を利用して液体を受熱さ
せる蒸気発生装置が開示されている。

引用文献1の蒸気発生装置は、底部を閉塞した外管と、底部にオリフィスを設置した内管とよりなる
二重管よりなり、底部が地熱資源の高温度帯域中に達するよう地中に鉛直状に設置し、外管と内管と
の間の空間に作動液体を供給し、外管の底部にて地熱資源と液体との間で熱交換が行われ、液体は熱
水となり、この熱水が内管に流入してオリフィスを通過することで蒸気となる。この蒸気がそのまま
内管を上昇し、地熱発電装置に供給され、タービンを回転して発電することとなる。このように、引
用文献1の蒸気発生装置は、外管の底部近傍にて一点集中的に液体を受熱させるシステムである。ま
た、地熱発電に広く用いられているフラッシュ式の地熱発電装置は、150℃以上の蒸気でタービン
を回転させるものである。

このため、引用文献1の蒸気発生装置では、地熱資源と液体との熱交換効率や作動液体が地熱発電装
置に供給されるまでの間に生じる放熱を考慮し、地熱資源の高温度帯域の中でも特に250℃を超え
るような高温となる深部まで二重管の底部を到達させているため、この構成では、①外管が高温に晒
され高温腐食が早期に生じやすく、②また、二重管の全長が長大となる、施工に要する費用が増大す
るとともに、③内管の下部を外管に対して同軸配置する作業も煩雑である。④加えて、内管と外管
との間を流下する液体が、タービンを回転させた後に復水器にて冷却するため、内管内を上昇する蒸
気は、上昇する過程でこの冷却液体に熱を奪われやすい。このように地熱発電装置に供給される蒸気
に温度低下が生じると、発熱効率が低減することから、内管に断熱処理を施す必要があり、内管を外
管に設置が煩雑である。

本件の主な目的は、蒸気タービン式発電装置の作動媒体に対して、①簡略な構成で、②かつ地熱資源
の高温度帯域の中でも比較的低温である浅部から、発電可能な程度に、タービンを回転させるの熱量
を伝導し、発電可能な、蒸気発生装置および蒸気発生装置を備えた発電システムの提案である。

【要約】

蒸気発生装置1が地中に埋設された単管で、一方の端部に作動媒体3を蒸気タービン式発電装置2に
供給する作動媒体出口15、他方の端部に作動媒体3を蒸気タービン式発電装置2から回収作動媒体
の入口11、中間部に地熱資源14と作動媒体3との間で熱交換するための熱交換部13を備え、熱
交換部13が横臥状態に配置し、蒸気タービン式発電装置のタービン回転させる作動媒体に対し、簡
略な構成/構造で、地熱資源の高温度帯域の中でも比較的低温である浅部から、発電可能な程度にタ
ービン回転できる、熱量伝導可能な蒸気発生装置および蒸気発生装置を備えた発電システムをである。

  
JP 2016-223377 A 2016.12.28

【符号の説明】 

1 蒸気発生装置 11 作動媒体入口 12 作動媒体入口路 13 熱交換部 14 作動
媒体出口路 
15 作動媒体出口 16 断熱空間  17 自硬性断熱材  2 蒸気タービン式発電装置 21 気

水分離器  22 タービン  23 発電機  24 復水器  25 循環水タンク  3 作動媒体
4 地熱資源 
5 ドリルロッド  51 ドリルヘッド 52 パイロット孔  53 バックリーマー  
54 スイベル 

 

 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』   

     4.遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える 

  雨田典彦は一九三九年の二月に日本に帰国し、千駄本の借家に落ち着いた。その時点で彼はも
 う洋画を描くことを一切放棄していたようだ。それでも彼は、生活していくのに不自由ないだけ
 の仕送りを毎月実家から受けていた。母親がとくに彼を溺愛していた。彼はその時期にほとんど
 独学で日本画の勉強をしたらしい。何度か維かに師事しようとしたこともあったが、うまくいか
 なかったようだ。もともとが謙虚な性格の人ではない。他人と穏やかで友好的な関係を維持する
 ことは、彼の得意分野ではなかった。そのようにして「孤立」がこの人の人生を貫くライトモチ
 ーフになる。

  一九四一年末に真珠湾攻撃があり、日本が本格的な戦争状態に突入してからは、何かと騒がし
 い東京を離れ、阿蘇の実家に戻った。次男坊だったから家督を維ぐ面倒からも逃れられたし、小
 さな家を一軒と女中を一人与えられ、そこで戦争とはほとんど無縁の静かな生活を違った。幸か
 不幸か肺に先天的な欠陥があり、兵隊にとられる心配もなかった(あるいはそれはあくまで表向
 きの口実で、徴兵を免れるように実家が裏から手を回したのかもしれない)。一般の日本国民の
 ように深刻な飢餓に悩まされる必要もなかった。また山原いところに往んでいたから、よほどの
 間違いがない限り、米軍機の爆撃を受けるおそれもなかった。そのようにして一九四五年の終戦
 まで、彼はずっと阿蘇の山中に一人でこもっていた。世間とは関わりを断ち、日本画の技法を独
 学で習得することに心血を注いでいたのだろう。その期間、彼は一点の作品も発表していない。

  俊英の洋画家として世間から注目を浴び、将来を期待されてウィーンにまで留学した雨田具彦
 にとって、六年以上にわたって沈黙を守り、中央画壇から忘れ去られることは生やさしい体験で
 はなかったはずだ。しかし彼は簡単に挫ける人ではなかった。長い戦争が終わりを告げ、人々が
 その混乱から立ち直ろうと苦闘していた頃、新しく生まれ変わった雨田典彦は、新進の日本画家
 としてあらためてデビューを飾った。戦争中に描きためていた作品を、そこで少しずつ発表し始
 めた。それは、多くの名のある画家が戦争中に勇ましい国策絵画を描き、その責を負って沈黙
 強いられ、占領軍の監視下、半ば隠遁を余儀なくされていた時代だった。だからこそ彼の作品は
 日本画革新の大きな可能性として、世間の注目を浴びることになった。いわば時代が彼の味方に
 なったわけだ。

  そのあとの彼の経歴には、あえて語るべきものはない。成功を収めたあとの人生というのは
 往々にして退屈なものだ。もちろん成功を収めたとたんに、カラフルな破滅に向かってまっしぐ
 らに突き進むアーティストもいることはいるが、雨田典彦の場合はそうではなかった。彼はこれ
 まで数え切れないほどの賞を受け(「気が散るから」という理由で文化勲章の受章は断ったが)、
 世間的にも有名になった。絵の価格は年を追って高騰し、作品は多くの公共の場所に展示されて
 いる。作品依頼はあとを絶たない。海外でも評価は高い。まさに順風満帆というところだ。しか
 し本人はほとんど表舞台には姿を見せない。役職に就くこともすべて固辞している。招待を受け
 ても、国の内外を間わずどこにも出かけない。小田原の山の上の一軒家に一人でこもって(つま
 り私が今暮らしているこの家だ)、気の向くままに創作に励んだ。
  そして現在、彼は九十二歳になり、伊豆高原にある養護施設に入っており、オペラとフライパ
 ンの違いもよくわからないような状態にある。
  私は画集を閉じ、図書館のカウンターに返却した。




  晴れていれば、食事のあとでテラスに出てデッキチェアに寝転び、白ワインのグラスを傾けた。

 そして南の空に明るく輝く星を眺めながら、雨田典彦の人生から私が学ぶべきことはあるだろう
 かと思いを巡らせた。もちろんそこには学ぶべきことがいくつかあるはずだ。生き方の変更を恐
 れない勇気、時間を自分の側につけることの重要性。そしてまたその上で、自分だけの固有の創
 作スタイルと主題を見出すこと。もちろん簡単なことではない。しかし人が創作者として生きて
 いくには、何かあっても成し遂げなくてはならないことだ。できれば四十歳になる前に……。



  しかし雨田典彦はウィーンでどのような体験をしたのだろう? そこでいかなる光景を目撃し
 たのだろう? そしていったい何か彼に、油絵の絵筆を永久に捨てる決心をさせたのだろう?
 私はウィーンの街に翩翻と翻る赤と黒のハーケンクロイツの旗と、その通りを歩いて行く若き目
 の雨田典彦の姿を想像した。季節はなぜか冬だ。彼は厚いコートを着て、マフラーを首に巻き、
 ハンチングを深くかぶっている。顔は見えない。市街電車が降り始めたみぞれの中を、角を曲が
 ってやってくる。彼は歩きながら、沈黙をそのままかたちにしたような白い息を空中に吐いてい
 る。市民たちは温かいカフェの中でラム入りコーヒーを飲んでいる。

  私は彼が後年描くことになった飛鳥時代の日本の光景を、そのウィーンの古い街角の風景に重
 ねてみた。しかしどれだけ想像力を駆使しても、両者のあいだには何の類似点も見いだせなかっ
 た。



  テラスの西側は狭い谷に面しており、その谷間を挟んで向かい側に、こちらとおおよそ同じく
 らいの高さの山の連なりがあった。そしてそれらの山の斜面には、何軒かの家がゆったり間隔を
 置いて、豊かな緑に囲まれるように連っていた。私の往んでいる家の右手のはす向かいには、ひ
 ときわ人目を引く大きなモダンな家があった。白いコンクリートと青いフィルター・ガラスをふ
 んだんに使って山の頂上に建てられたその家は、家と言うよりは「邸宅」といった方が似つかわ
 しく、いかにも瀟洒で贅沢な雰囲気が漂っていた。斜面に沿って三層階になっている。おそらく
 第一級の建築家が手がけたものなのだろう。このあたりは昔から別荘が多いところだが、その家
 には一年を通して誰かが住んでいるようで、毎夜そのガラスの奥には照明がともった。もちろん
 防犯のために、タイマーを便って自動点灯が行われているのかもしれない。でもそうではあるま
 いと私は推測した。明かりは目によってまちまちな時刻に点灯されたり消されたりしたからだ。

 時としてすべてのガラス窓が目抜き通りのショー・ウィンドウのように目映く照らし出されるか
 と思えば、庭園灯の仄かな明かりだけを残して、家全休が夜の間の中に沈み込むこともあった。
  こちらを向いたテラス(それは船のトップデッキのようだ)の上に、人の姿が見えることがと
 きどきあった。日暮れ時になると、その住人の姿をよく目にした。男か女かも定かではない。そ
 の人影は小さく、だいたい背後に光を受けて影になっていたからだ。しかしシルエットの輪郭や、
 その動きから見て、たぶん男だろうと私は推測した。そしてその人物は常に一人きりだった。あ
 るいは家族がいないのかもしれない。



  いったいどんな人がその家に暮らしているのだろう? 私は瑕にまかせてあれこれ想像を巡ら
 せたものだ。その人物は一人きりでこの人里離れた山頂に住んでいるのだろうか? 何をしてい
 る人なのだろう? その順治なガラス張りの邸宅で、優雅で自由な生活を送っていることに間違
 いはあるまい。こんな不便な場所から、都会まで日々通勤をしているわけもないだろうから。お
 そらく生活について思い煩う必要もない境遇にいるのだろう。しかし逆に向こう側から谷間を隔
 ててこちらを見れば、この私だって何も思い煩うことなく、一人で悠々と日々を送っているよう
 に見えるのかもしれない。

  人影はその夜も姿を見せた。私と同じようにテラスの椅子に腰掛けたまま、ほとんど身動きし
 なかった。私と同じように、空に瞬く星を眺めながら何か考えごとをしているようだった。きっ
 とどれだけ考えてもまず答えの出ないものごとについて思いなしているのだろう。私の目にはそ
 んな風に映った。どれほど恵まれた境遇にある人にだって、思いなすべき何かはあるのだ。私は
 ワイングラスを小さく掲げ、谷間越しにその人物に密かな連帯の挨拶を送った。



  そのときは、その人物がはどなく私の人生に入り込んできて、私の歩む道筋を大きく変えてし
 まうことになろうとは、もちろん想像もしなかった。彼がいなければこれほどいろんな出来事が
 私の身に降りかかることはなかったはずだし、またそれと同時にもし彼がいなかったら、あるい
 は私は暗闇の中で人知れず兪を落としていたかもしれないのだ。
  あとになって振り返ってみると、我々の人生はずいぶん不可思議なものに思える。それは信じ
 がたいほど突飛な偶然と、予測不能な屈曲した展開に満ちている。しかしそれらが実際に持ち上
 がっている時点では、多くの場合いくら注意深くあたりを見回しても、そこには不思議な要素な
 んて何ひとつ見当たらないかもしれない。切れ目のない日常の中で、ごく当たり前のことがごく
 当たり前に起こっているとしか、我々の目には映らないかもしれない。それはあるいは理屈にま
 るで合っていないことかもしれない。しかしものごとが理屈に合っているかどうかなんて、時間
 が経たなければ本当には見えてこないものだ。

  しかし総じて言えば、理屈に合っているにせよ合っていないにせよ、最終的に何かしらの意味
 を発揮するのは、おおかたの場合おそらく結果だけだろう。結果は誰が見ても明らかにそこに実
 在し、影響力を行使している。しかしその結果をもたらした原因を特定するのは簡単なことでは
 ない。それを手にとって「ほら」と人に示すのは、もっとむずかしい作業になる。もちろん原因
 はとこかにあったはずだ。原因のない結果はない。卵を割らないオムレツがないのと同じように。
 将棋倒しのように、一枚の駒(原因)が隣にある駒(原因)をまず最初にことんと倒し、それが
 またとなりの駒(原因)をことんと倒す。それが連鎖的に延々と続いていくうちに、何かそもそ
 もの原因だったかなんて、だいたいわからなくなってしまう。あるいはどうでもよくなってしま
 う。あるいは人がとくに知りたがらないものになってしまう。そして「結局のところ、たくさん
 の駒がそこでばたばたと倒れました」というところで話が閉じられてしまう。これから語る私の
 話も、ひょっとしたらそれと似たような道を歩むことになるかもしれない。

  いずれにせよ、私がここでまず語らなくてはならないのは――つまり最初の二枚の駒として持
 
ち出さなくてはならないのは――谷間を隔てた山頂に住むその謎の隣人のことと、『騎士団長殺
 』というタイトルを持つ絵画のことだ。まずはその絵について語ろう。

                                                         この項つづく

  

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アリスタルコスのピカソ

2017年03月26日 | 時事書評

  

    

       58  和合悦楽  /   兌為沢(だいたく)    

                               

      ※ 兌とは悦ぶこと。兌は沼沢、少女、ロを表わし、この卦はそれが
        二つ並んでいて、乙女が二人、楽し
げに語らい笑う姿を示してい
        る。そこには見る者をを思わず
微笑ませろ和やかな雰囲気がある。
        心たのしく和やか
に暮らすことの重要さを説くのがこの卦である。
        口は笑
ったり語り合ったりして心を通わせるものでもあるが、
        とつ間違えば、口ぎたなくののしりあって不和を椙くものでもあ
        る。人間関係の潤滑油としての口
は、なによりも誠実な心に支え
        られていなければならない巧言令色は真の人間関係を作るもの
        では
ない。なお、学校関係の団体や寮に麗沢という名が多いのは、
        この卦の大象伝から取ったものである。

       ※ 麗沢とは、二つの沼沢が互いにうるおし合うように、友人が互い
        に助け
合いながら学ぶこと(麗=連なる意)。
      ※ 大象伝とは、卦を説明する象伝の一つ。一爻(易の卦を構成する
        基本記号。長い横棒(─)と真ん中が途切れた2つの短い横棒
        (--)の2種類がある)を説明するものを小象、一卦を説明する
        ものを大象という。

 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』   

     4.遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える

  彼女が帰ってしまうと私は一人きりで、ひどく手持ちぶさたになった。ベッドには彼女の窪み
 がまだ残っていた。何をする気にもなれず、テラスのデッキチェアに寝転んで本を読んで時間を
 潰した。雨田画伯の本棚にあるのは古い書籍ばかりだった。今では手に入りそうにない珍しい小
 説も少なからずあった。その昔にはけっこう人気があったのに、いつしか人々に忘れ去られ、も
 うほとんど誰の手にもとられない作品だ。私はそんな古くさい小説を好んで読んだ。そして時間
 に取り残されたような気持ちを、その会ったこともない老人と共有した。



  日が暮れるとワインのボトルを開け(時折ワインを飲むことが当時の私にとっての唯一の贅沢
 だった。もちろん高価な物ではないが)、古いLPレコードを聴いた。レコード・コレクション
 のすべてはクラシック音楽で、その大半はオペラと室内楽だった。どれも大事に聴かれてきたら
 しく、盤面には疵ひとつなかった。私は昼間は主にオペラを聴き、夜になると主にベートーヴェ
 ンとシューベルトの弦楽四重奏曲を聴いた。

   

  その年上の人妻と関係を結び、生身の女性の身体を定期的に抱くようになって、私はある種の
 落ち着きを得られたように思う。成熟した女性の肌の柔らかな感触は、私の抱いていたもやもや
 とした気分を少なからず鎖めてくれた。少なくとも彼女を抱いているあいだは、いろんな疑問や
 懸案を一時的に棚上げしてしまうことができた。でも何を描けばいいのか、アイデアが浮かんで
 こないという状況に変わりはなかった。私はときどきベッドの中で、裸の彼女を鉛筆で素描した。


 その多くはポルノグラフィックなものだった。私の性器が彼女の中に入っているところとか、彼
 女が私の性器を口にふくんでいるところとか。彼女もそんなスケッチを、顔を赤らめながらも喜
 んで眺めていた。もしそんなところを写真に撮ったら、大半の女性は嫌がるだろうし、そういう
 ことをする相手に嫌悪感や警戒心を抱いたりもするだろう。しかしそれが素描であれば、そして
 うまく描けていれば、彼女たちはむしろ喜んでくれる。そこには生命の温かみがあるからだ。少
 くとも機械的な冷ややかさばない。でもどれだけうまくそんなスケッチができたところで、私か
 本当に描きたい絵の像はやはりひとかけらも浮かんでこなかった。

  私が学生時代に描いていたような、いわゆる「抽象画」は現在の私の心にはほとんど訴えかけ
 てこなかった。私はそのようなタイプの絵画にもう心を惹かれなかった。今の時点から振り返っ
 てみれば、私がかつて夢中になって描いていた作品は、要するに「フォルムの追求」に過ぎなか
 ったようだ。青年時代の私は、フォルムの形式美やバランスみたいなものに強く惹きつけられて
 いた。それはそれでもちろん悪くない。しかし私の場合、その先にあるべき魂の深みにまでは手
 が届いていなかった。そのことが今ではよくわかった。私が当時于に入れることができたのは、
 比較的浅いところにある造形の面白みに過ぎなかった。強く心を揺さぶられるようなものは見当
 たらない。そこにあるのは、良く言ってせいぜい「才気」に過ぎなかった。



  私は三十六歳になっていた。そろそろ四十歳に手が届こうとしている。四十歳になるまでに、
 なんとか画家として自分固有の作品世界を確保しなくてはならない。私はずっとそう感じていた。
 四十歳という年齢は人にとってひとつの分水嶺なのだ。そこを越えたら、人はもう前と同じでは
 いられない。それまでにまだあと四年ある。しかし四年なんてあっという問に過ぎてしまうだろ
 う。そして私は生活のために肖像画を描き続けたことで、既にずいぶん人生の回り道をしてしま
 った。なんとかもう一度皮、時間を自分の側につけなくてはならない。

  その山中の家で暮らしているうちに、私はその家の持ち主である雨田典彦のことをより詳しく
 知りたいと思うようになってきた。私はそれまで日本画に関心を抱いたことは一度もなかったか
 ら、雨田典彦という名前を耳にしたことはあっても、そしてそれがたまたま私の友人の父親であ
 っても、披がどういう人物で、これまでどんな絵を描いていたのか、ほとんど知らなかった。雨
 田典彦は日本画壇における重鎮の一人ではあるが、世間的な名声とは無縁に、まったくと言って
 いいくらい表舞台には出ないで、一人で静かに――というかかなり偏屈に――創作生活を送って
 いる。私が彼に関して知っているのはせいぜいそれくらいのことだった。



  しかし彼の残していったステレオ装置で、彼のレコードのコレクションを聴き、彼の書棚から
 本を借りて読み、彼の眠っていたベッドで眠り、彼の台所で日々の料理を作り、彼の使っていた
 スタジオに出入りしているうちに、私は次第に雨田典彦という人物に興味を抱くようになってき
 た。好奇心、と言った方が近いかもしれない。かつてはモダニズム絵画を指向し、ウィーンまで
 留学しながら、帰国後唐突に日本画に「回帰する」というその歩みにも少なからず興味をそそら
 れた。詳しいことはよくわからないが、あくまで常識的に考えて、洋画を長く描き続けてきた人
 間が日本画に転向するのは、決して容易いことではない。これまでに苦労して身につけてきた技
 法を、いったんすべて投げ捨てる決意が必要とされる。そしてもう一度ゼロから出発しなおさな
 くてはならない。にもかかわらず、雨田典彦はあえてその困難な道を選択したのだ。そこには何
 か大きな理由があったはずだ。

  ある日、絵画教室の仕事の前に、小田原市の図書館に寄って雨田典彦の画集を探してみた。地
 元在住の画家ということもあるのだろう、図書館には三冊の立派な彼の画集があった。そのうち
 の一冊には、彼が二十代の頃に描いた洋画も「参考資料」として掲載されていた。驚いたことに
 彼が青年時代に描いていた一連の洋画には、私のかつての「抽象画」をどことなく思い出させる
 ところがあった。スタイルが具体的に同じというのではないのだが(戦前の彼はキュービズム
 影響を色濃く受けていた)、そこに見受けられる「貪欲にフォルムそのものを追求する」という
 姿勢には、私の姿勢と少なからず相通ずるところがあった。もちろん後日一流の画家になるだけ
 あって、私の描いていた絵なんかよりはずっと底が深く、説得力もあった。テクニックにも驚嘆
 すべきものがあった。おそらく当時は高い評価を受けていたはずだ。しかしそこには何かが欠け
 ていた。

 Hans Erni (Feb.  21, 1909 – Mar. 21, 2015)

  私は図書館の机の間に座り、それらの作品を長いあいだ子細に眺めた。いったい何か足りない
 のだろう? 私にはその何かをうまく特定することができなかった。しかし結局のところ、遠慮
 なく言い切ってしまえば、それらはとくになくてもかまわない結なのだ。そのままどこかに永遠
 に失われてしまっても、べつに誰も不便を感じないような絵なのだ。残酷な物言いかもしれない
 が、それが真実だった。七十年以上の歳月を経た現在の時点から見ると、そのことがよくわかる。

  それから私はページを繰って、日本画家に「転向」したあとの彼の絵を、時代を追って眺めて
 いった。初期のいくぶんぎこちなさを残した、先行両家の手法を真似たような時代を経て彼は
 徐々に、しかし確実に自分自身の日本画のスタイルを見出していった。私はその軌跡を順序立て
 て辿ることができた。時折の試行錯誤はあったものの、そこに迷いはなかった。日本画の筆をと
 ってからの彼の作品には、彼にしか描けない何かがあり、彼自身もそのことを自覚していた。そ
 して彼はその「何か」の核心に向けて、自信に満ちた足取りでまっすぐ連んでいった。そこには
 遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える洋画時代の「何かが欠けている」という印象
 はもう見受けられなかった。彼は「転向」したというよりは、むしろ「昇華」したのだ。



  雨田典彦は最初のうちは、普通の日本画家と同じように、現実にある風景や花を描いていたが、
 やがて(おそらくそこには何かしらの動機があったはずだが)主に日本の古代の風景を描くよう
 になった。平安時代や鎌倉時代に題材をとったものもあったが、彼がもっとも愛好したのは西暦
 七世紀の初め頃、つまり聖徳太子の時代だった。そこにあった風景や、歴史上の出来事や、一般
 の人々の営みを彼は大胆に、そして緻密に画面に再現していった。もちろんそんな風景を実際に
 彼が目撃したわけではない。しかしおそらく心の目をもって、彼はありありとそれを観たのだ。
 なぜそれが飛鳥時代だったのか、その理由まではわからない。しかしそれが彼の独自の世界とな
 り、固有のスタイルになった。またそれと時を同じくして、彼の日本画のテクニックはまさに磨
 き抜かれたものになっていった。



  注意深く眺めていると、あるポイントからどうやら、彼は自分が描きたいと思うものをなんで
 も自由に描けるようになったようだった。その頃からあとの彼の筆は、思いのままに自由関連に
 画面の上を躍り、舞っているようだった。彼の絵の素晴らしいところはその空白にあった。逆説
 的な言い方になるが、描かれていない部分にあった。彼はそこをあえて描かないことによって、
 自分か描きたいものをはっきりと際だたせることができた。それはおそらく日本画というフォー
 マットがもっとも得意とする部分であるのだろう。少なくとも私は洋画において、そのような大
 胆な空白を目にしたことはなかった。それを見ていると、雨田典彦が日本画家に転向した意味が、
 私にはなんとなく理解できるような気がした。私にわからなかったのは、いつどのように彼がそ
 の大胆な「転向」を決心し、現実に実行したかだ。

  巻末にあった彼の略歴を見てみた。彼は熊本の阿蘇に生まれた。父親は大地主で地方の有力者
 であり、家はきわめて裕福だった。少年時代から彼の絵の才能は際だっており、若くして頭角を
 現した。東京美術学校(後の東京芸術大学だ)を卒業したばかりの彼が、将来を嘱望されてウィ
 ーンに留学したのは一九三六年末から三九年にかけてたった。そして三九年の初め、第二次大戦
 が始まる前に、ブレーメン港を出る客船に乗って帰国していた。三六年から三九年といえば、ド
 イツでヒットラーが政権を握っていた時代だ。オーストリアがドイツに併合された、いわゆる
 「アンシュルス」( Anschluss)がおこなわれたのが一九三八年の三月だ。若き雨田典彦は、ち
  ょうどその激動 の時代にウィーンに滞在していたことになる。そこで彼は様々な歴史的光景を
 目撃したに違いなそこでいったい彼の身に何か起こったのだろう?



  私は両集のひとつに収録されていた、「雨田典彦論」と題された長い論考を通読してみたが、
 ウィーン時代の彼についてはほとんど何も知られていないということが判明しただけだった。日
 本に戻ってきてからの日本両家としての彼の歩みについては、かなり具体的に詳細に論じられて
 いるのだが、おそらくウィーン時代になされたとされる「転向」の動機や経緯については、漠然
 としたあまり根拠のない憶測がなされているだけだった。ウィーンで彼がどんなことをしていた
 のか、そして何か彼に大胆な「転向」を決意させたのか、そのあたりは謎のまま残されていた。




戦前生まれのキュービズムの影響を受け、戦後転向した「洋画家」のことが気になり、しばらく、日
本の画家だけでなくネット検索してみる。東郷青児、藤田嗣治などをサーフしていく。天才たちのオ
ンパレード。写真技術(Graphic Arts)と出会って筆を折った当時の記憶がフラシュバック。ピカソは
逆にキュビズムを創造し数多くの作品を描き続け多大な影響を与える、失敗したからといっても、遠
くから見ればおおかたのものごとは美しく見えるということもあしね。本筋から外れた、面白くなっ
ていきそうだ。


                                      この項つづく

   ● 今夜の一曲

卒業式、 まだ見ぬ世界、この宇宙に飛び出す新しいロケットに乗り込んだ新米パイロットの操縦次
第で、天
国地獄。「四月がやって来ると彼女も/川は満ちて雨で潤う頃/五月、彼女は居てくれるだ
ろう/再び私の
腕の中で安らぐ・・・・・」、和合悦楽ってか?!しかし、八月になれば、別れが待って
いるかもしれないって、ここではそんな野暮なことは考えないことにしよう。この地球は公転/自転
し、ピカソは恋愛遊戯を繰り返しながら新しい絵画の宇宙を誕生させたのだから。

   April come she will
   When streams are ripe and swelled with rain;
   May, she will stay,
   Resting in my arms again  ......

                                                      April Come She Will’ / Simon & Garfunkel

 

  

コメント
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吾は雛なり

2017年03月24日 | 環境工学システム論

  

    

       57  柔軟無比  /  巽為風(そんいふう)  

 

                               

       ※ 「巽」(そん)はを象徴する。この卦は巽が二つ重なった形で、
        そよそよと葺きめぐる風である。風は物に遭遇すれば、柔らかく身
        をよけて吹き過ぎる。巽とは、遜(そん)のことで、へりくだる、
        譲ることでもある。風はまた、どんな隙間にでも入り込んでゆく。
        巽入ることでもある。どんな仕事にも、どんな人間関係の中にも、
        柔軟な適応性をもって入りこめる人間を表わす。しかし柔軟性は悪
        くすると無原則性に陥る危険もある。優柔不断のそしりを受けるに
        もなりかねない。進退に迷い、決断をためらうことが多いが、すぐ
        れた指導者に従って、誤りなきを心がけなければならない。     

  

一次エネルギー消費のうち、約70%は100℃~300℃の低温の熱エネルギーであり、それが
未利用のまま大気中に廃棄されている。この廃熱エネルギーを回収して有効利用する技術への関心
は非常に高く、中でも最も有望な廃熱回収技術が熱電変換技術である。熱電変換は、熱電変換材料
の両端に低温部と高温部を設けることにより、両端間に電位差が生じる効果(ゼーベック効果)を
利用して電気エネルギーを取り出す技術である。熱電変換が有望な主な理由としては、以下のもの
がある。今夜は、最新の熱電変換工学を考える。

  1. 可動部を要しないため、長寿命である。
  2. 熱エネルギーから電気エネルギーへ直接的に変換を行うため、クリーンで静か変換作業が可
    能である。
  3. 小型で軽量であるため、携帯機器用や非常用電源にも最適である。
  4. 少量の熱エネルギーでも電気エネルギーに変換することができる。 

● 200 ℃から800 ℃の熱でいつでも発電できる熱電発電装置

23日、産業技術総合研究所の研究グループが、200 ℃から800 ℃の熱でいつでも発電できる熱電
発電装置の開発に成功したことを公表。この発明のポイントは、①高温でも安定して発電する酸化
物熱電モジュールと、ヒートパイプを用いた空冷式発電装置の構成/構造であること、②800 ℃で
の耐久性と安全性と確認し、従来の2倍以上の発電出力を実現、③したがって、排熱発電により省
エネ・二酸化炭素排出量削減に貢献し、災害時の緊急電源としても使用可能であるとのこと。

排熱や自然熱など未利用熱の有効利用を目指し、さまざまな材料を用いた熱電発電の研究を行って
きたが、その一環として、これまでに800 ℃の高温、空気中でも安定で、変換効率の高いp型熱電
材料
であるカルシウム・コバルト酸化物(Ca3Co4O9)の発見や、n型熱電材料であるカルシウム・
マンガン酸化物(CaMnO3)の製造技術を開発。さらに、これらの酸化物熱電材料を用いた熱電モ
ジュールを開発し、産業排熱利用を目的に、工業炉や焼却炉の排熱で発電できる水冷式熱電発電装
置や、湯沸かしと同時に発電できる発電鍋、発電湯沸かし器を開発している。このことを踏まえ、
他の水冷式発電システムでは困難な小規模熱を利用可能にし、熱電発電の普及に繋がると考え、冷
却水を用いないポータブル空冷式装置の開発を目指めだす。従来の酸化物モジュールの低温側に放
熱フィンを取り付け、加熱温度を650 ℃とし、自然放熱で熱電発電した場合の出力は、水冷時の約
35%にまで減少(下図)。そこで今回、空冷でも高出力で発電できる熱電発電装置開発のため、①
酸化物熱電モジュールの発電出力の向上、② 高温耐久性の改善、③そして、高出力発電を可能にす
る空冷技術を今回実現する。

   

● 酸化物熱電モジュールの発電出力の向上

そこで、1つめの成果を見てみよう。下図のように、従来の酸化物熱電モジュールの発電出力を増
加させるため、熱電素子の性能向上に取り組む。セラミックスである p型のカルシウム・コバルト
化物素子は、加圧しながら焼結するホットプレス法により製造していたが、ホットプレス工程で
の組織制御を精密化する新たな技術を今回開発。この技術により、セラミックス内の結晶粒の配列
や大きさ、密度が改善、熱電素子の出力因子は最高で約2倍に向上。また、熱電モジュールの出力
を高電圧化するため、熱電素子の断面積を小さくすることで、モジュールの素子数を増やしている。
さらに、素子配列技術も改良して、モジュールの内部抵抗を20%低減。この結果、加熱温度が80
0 ℃において、新開発モジュールの発電出力は、水冷式発電装置で用いた同サイズ(基板サイズ:
3.5 cm角)の従来モジュールと比べ、2.2倍高い4.1ワット(W)を実現する。

● 高温耐久性の改善

2つめは、これまでの酸化物熱電モジュールは、800 ℃の一定温度で、1ヶ月間連続して発電して
も出力は劣化しなかったが、加熱と冷却を繰り返すサイクル試験では発電出力が最大で20%減少
――加熱・冷却サイクル中に、n型熱電素子に発生する微細なひびが入り――することがあったが、
n型熱電素子に添加物を加えることでひび発生抑制に成功―――このn型熱電素子を用いた熱電モジ
ュールでは、高温側の加熱温度が600 ℃と100 ℃の間で、加熱・冷却サイクルを200回以上繰り返し
発電出力劣化は見られなかった。  

● 高出力発電を可能にする空冷技術

3つめは、空冷式は水冷式よりもモジュールの高温側と低温側の温度差が小さくなるため、発電出
力が低くなる。そこで、空冷でも水冷並みに効率良く冷却するために、作動液体の蒸発潜熱を利用
するヒートパイプを用いた。作動液体の蒸発により、熱電モジュールを効率良く冷却できる。ヒー
トパイプ、放熱フィン、空冷ファンで冷却用ラジエーターを構成し、熱電モジュールと組み合わせ
て、空冷式熱電発電装置を製造(下図)。空冷ファンはこの装置が発電する電力で駆動(約0.5 W
~0.8W)するため、外部の電源や、電池などは不要である。この装置は、加熱温度が500 ℃の場合、
2.3Wを出力できる。同じ熱電モジュールの水冷時の出力は、同じ条件では2.8Wとなり、水冷式の80
%の発電出力を持つ空冷式発電装置を実現する。また、この装置は加熱温度を600 ℃とすれば最高
で3ワット(W )の発電出力が得られる。


以上の成果をまとめると、この熱電発電装置を用いて、工場や焼却場の照明、遠隔での炉内温度な
どの管理等の用途が可能になり、災害時の炊き出しや暖を取るためのかまどベンチの普及が進んで
いるが、薪の燃焼による熱エネルギーを用いる非常用電源とし利用できるため、工業炉や焼却炉か
らの排熱回収用や非常用電源として、2年以内の実用化をめざす。さらに、①高性能、②耐久性、
③安全性、④コスト性に優れた新たな熱電材料と熱電モジュールを開発し、①省エネルギー、②二
酸化炭素排出量の削減、③そして新産業創出の貢献をめざすという。

※ 参考特許:特開2014-049737  n型熱電変換性能を有する金属材料 
独立行政法人産業技術総
       合研究所 2014年03月17日
※ 参考特許:特開2011-192857 熱電変換装置 富士通株式会社 2011年09月29日

                             



● 特開2017-054975  ナノ構造素子及びその製造方法、並びに熱電変換装置

これまでの熱電変換材料としてよく用いられてきた材料系としては、Bi-Te系、Pb-Te系、
Co-Sb系等がある。しかしながら、これらの材料系は、毒性元素や希少元素(レアメタル)を
含有している。そのため、①環境負荷が大きく、②低コスト化や③大量普及が困難であるという問
題がある。そこで、環境負荷が小さく、低コストで且つ高性能な熱電変換を実現することができる
信頼性の高いナノ構造素子及びその製造方法、並びに熱電変換装置が提案が以下のようされている。

  1. このナノ構造素子は、キャリア及びフォノンの伝導体と、この伝導体内に形成された複数の
    棒状構造体とを備え、棒状構造体は、フォノン散乱を目的に、長手方向がキャリア及びフォ
    ノンの伝導方向に対し傾斜し配置する。
  2. この熱電変換装置は、前記1.の複数の棒状構造体と伝導体の端部に形成された電極と、電
    極に接続した電気抵抗を備え、この伝導体の一端に低温部が、他端に高温部がそれぞれ熱的
    に接触した構成/構造をもつ。

 



【要約】

上図5のように、キャリア及びフォノンの伝導体であるシリコン11,13と、伝導体であるシリ
コン13内に形
成された複数の棒状構造体12とを備えており、棒状構造体12は、フォノンを散
乱させるものであり、長手
方向がキャリア及びフォノンの伝導方向に対して傾斜して配置されてい
ることで、環境負荷が小さく、低コ
ストで且つ高性能な熱電変換を実現することができる、信頼性
の高いナノ構造素子及びその製造方法、並
びに熱電変換装置が提案されている。

【実施形態】(上図ダブクリ参照)

この実施形態では、ナノ構造素子を開示し、その構成について製造方法と共に説明する。
図1~図3は、第1の実施形態によるナノ構造素子の製造方法を工程順に示す模式図であり、図1
~図2が断面図、図3が平面図をそれぞれ示す。

先ず、図1(a)に示すように、シリコン基板11上にシリコン酸化層(SiO2層)21を形成
する。詳細には、基板としてシリコン基板11を用意し、その表面にCVD法等によりシリコン酸
化層21を堆積する。シリコン酸化層21の代わりに、SiC層、SiN層等を形成するようにし
ても良い。

続いて、図1(b)に示すように、棒状構造体12を形成する。
詳細には、先ずシリコン酸化層21の表面にレジストを塗布する。レジストをフォトリソグラフィ
ーで加工して、シリコン酸化層21の棒状構造体となる部位にレジストを残し、レジストマスク
22を形成する。次に、レジストマスク22を用いて、シリコン酸化層21をドライエッチングす
る。以上により、シリコン基板11上に複数の棒状構造体12が形成される。レジストマスク22
は、アッシング処理又はウェット処理により除去される。

形成された棒状構造体12をシリコン基板11の表面の上方から見た(平面視した)様子を図3(
a)に示す。棒状構造体12は、フォノンを散乱させるものであり、その長手方向がキャリア(電
子又は正孔(ホール))及びフォノンの伝導方向(以下、単に伝導方向と言う。)に対して傾斜し
て周期的に配置されている。本実施形態では、一対の棒状構造体12が線対称に配置され、伝導方
向に沿って一周期を構成している。一周期を構成する一対の棒状構造体12は、伝導方向及び伝導
方向に直交する方向の双方について同一に配置されている。

続いて、図1(c)に示すように、棒状構造体12をシリコン結晶13で埋め込む。
詳細には、シリコン基板11上に棒状構造体12を覆うように、シリコン結晶13をエピタキシャ
ル成長させる。これにより、シリコン基板11及びシリコン結晶13のシリコンがキャリア及びフ
ォノンの伝導体となり、当該シリコン内にシリコン結晶13が埋め込まれた形とされる。
続いて、図2(a)に示すように、キャリア及びフォノンの伝導体内に棒状構造体12を備えた複
数のシリコン層を積層する。
詳細には、上記と同様に、図1(c)のシリコン結晶13上に棒状構造体12を形成し、棒状構造
体12をシリコン結晶13で埋め込む一連の工程を、所期の複数回繰り返して行う。以上により、
キャリア及びフォノンの伝導体内に棒状構造体12を備えた複数のシリコン層が積層され、ナノ構
造素子が形成される。ナノ構造素子では、積層された各シリコン層の棒状構造体12が同様に配置
される。

ナノ構造素子は、熱電変換装置や太陽電池等の変換素子に適用されるものである
そのため、図2(b)及び図3(b)に示すように、その両端部(端面)にそれぞれ所定の金属を
蒸着等により形成し、一対の電極14が形成される。以下、本実施形態のナノ構造素子を熱電変換
素子として用いる場合において、棒状構造体12の配置形態について説明する。
  熱電変換材料の性能指数Zは、以下の式で表される。

  Z=(S2σT)/κ  ・・・(1)

(1)式で、Sはゼーベック係数、σは電気伝導率、κは熱伝導率、Tは温度である。Zに温度T
を乗じて無次元化したZTが熱電変換材料の性能指標としてよく用いられる。ZTの値が大きいほ
ど、熱電変換材料として高性能となる。本実施形態では、ZTの値を大きくすべく、熱伝導率を低
下させることにより、ZTの値を向上させる手法を採る。熱伝導率κは、電子による熱伝導とフォ
ノン(格子振動)による熱伝導との和として表される。シリコン等の半導体では、フォノンによる寄
与が大きい。そこで、本実施形態のナノ構造素子では、シリコン等を伝導体の材料に用いて、フォ
ノン散乱を増大させることで熱伝導率を低下させ、ZTの値が大きい熱電変換材料を得る。

図4は、シリコンにおけるフォノンの平均自由行程に対する累積熱伝導率の関係を示す特性図であ
る。図4より、例えば、平均自由行程が100nm以上のフォノンを選択的に散乱させることがで
きれば、熱伝導率κを86%低下させることができる。そこで、例えば、平均自由行程が100n
m以上のフォノンを散乱させることが可能な棒状構造体を有するナノ構造素子を形成する。一方で、
電子や正孔等の電気伝導を担うキャリア(平均自由行程約40nm)が散乱されてしまうと、電気
伝導率σが減少し、ZTの値が小さくなってしまう。従ってナノ構造素子は、フォノンは効率よく
散乱されるが、キャリアは散乱されないように棒状構造体が配置されてなるものであることを要す
る。

図5は、棒状構造体の配置形態を模式的に示す平面図である。
棒状構造体12は、その長手方向が伝導方向(図5のX方向)に対して傾斜して周期的に配置され
ており、隣り合う一対の棒状構造体12が線対称に配置されて一周期を構成する。棒状構造体12
の幅Wは、例えば10nm程度とされる。隣り合う一対の棒状構造体12について、X方向の両端
間距離rは、上記の考察より、キャリアの平均自由行程距離(例えば40nm程度)以上でフォノ
ンの所定の平均自由行程距離、例えば100nm程度以下とされる。一対の棒状構造体12の離間
距離dxは、例えば10nm程度とされる。伝導方向に直交する方向(図5のY方向)に並ぶ一対
の棒状構造体12間の離間距離dyは、例えば10nm~20nm程度とされる。

棒状構造体12について上記の諸条件を満たすような、棒状構造体12の傾斜角度θ及び長さLは、
図6の特性曲線によって決定される(r=100nmとした場合)。なお、角度θに関しては、そ
の値が小さ過ぎても大き過ぎても、ナノ構造とすることによるフォノンの選択的な散乱効果が減少
してしまう。そのため、図5に示すようにθ=5°~45°程度の範囲とするのが好ましい。この
ようなナノ構造素子により、熱伝導率に寄与する大部分のフォノンは棒状構造体12に衝突して散
乱されるため、熱伝導率を低下さることができるその一方で、平均自由行程が短い電子や正孔等
電気伝導を担うキャリアは、棒状構造体12に衝突して散乱される確率が低いため、電気伝導率
の低下は抑制される。よって、大きなZTの値を確保することができる

以上説明したように、本実施形態によれば、低コストで且つ高性能な熱電変換等を得ることができ
る、信頼性の高いナノ構造素子が実現する。

以上、上記2つの事例をみてきた。わたし(たち)が関心を寄せるのは、①熱エネルギーから電気
エネルギーへ直接的に変換を行うため、クリーンで静か変換作業が可能であること、②少量の熱エ
ネルギーでも電気エネルギーに変換
することができる2つであり、①いかに低コストで高性能な熱
変換素子の量産製造できるシステムを実現するかと、②「RE100 倶楽部:印刷で作れる高性熱電変
換材料」(『欧州ポピュリズム考』 2017.03.15)で掲載したしたように、雪のエネルギーを利用し
除雪(融雪)システムを早期に実現することである。
 

 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』  

     4.遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える

  五月も末に近いある晴れた朝、それまで雨田画伯が使用していたスタジオに自分の画材一式を
 運び込み、久しぷりにまっさらなキャンバスに向かった(スタジオには画伯の使っていた画材は
 何ひとつ残されていなかった。たぶん政彦がまとめてどこかに片付けたのだろう)。スタジオは
 五メートル四方ほどの大きさの真四角な部屋で、床は板張り、周りの壁は白く塗られていた。床
 は剥き出しで、敷物はただの一枚も敷かれていない。北に向けて大きな窓がひとつ開いて、簡素
 な白いカーテンがかかっていた。東向きの窓は小さく、カーテンもかかっていなかった。例によ
 って壁には何も飾られていない。絵の真を洗い落とすための陶製の大きなシンクが部屋の隅にあ
 った。ずいぶん長いあいだ使われてきたのだろう、その表面にはありとあらゆる色が混じり合っ
 て染みついていた。シンクの横には旧式の石油ストーブが置かれ、天井には大きな扇風機がひと
 つついていた。作業用テーブルがあり、丸い木製スツールが一脚あった。つくりつけの棚の上に
 はコンパクトなステレオ装置がセットされ、絵を描きながらオペラのレコードが聴けるようにな
 っていた。窓から入ってくる風には新鮮な樹木の匂いがした。それは紛れもなく、画家が集中し
 け意欲が溢れているにせよ、胸の奥で何か疼いているにせよ、ものごとには具体的な始まりが必
 
要なのだ。

  "Quando m'en vo' soletta" (La Bohème) - Puccini

  私は朝早く起きると(私はだいたいいつも六時前に起きる)、まず台所でコーヒーをつくり、

 それからマグカップを手にスタジオに入って、キャンバスの前のスツールに座った。そして気持
 ちを集中した。心の中の響きに耳を澄ませ、そこにあるはずの何かの像を見出そうとした。そし
 ていつも空しく敗退することになった。私は集中をしばらく試みてから、あきらめてスタジオの
 床に腰を下ろし、壁にもたれてプッチーニのオペラを聴いた(なぜかその時期、私はプッチーニ
 ばかり聴いていた)。『トゥーランドット』や『ラ・ボエーム』。そして気怠く回転する天井の
 扇
風機を見上げながら、アイデアだかモチーフだか、そんなものがやってくるのを待ち受けた。

   GIACOMO PUCCINI Turandot

  でも何ひとつやってこなかった。初夏の太陽が中空に向けて緩慢に移勤していくだけだった。
  いったい何かいけないのだろう? あまりに長い歳月、生活のために肖像画を描き続けたから
 かもしれない。そのせいで私の中にあった自然な直観が弱められてしまったのかもしれない。海
 岸の砂が波に徐々にさらわれていくみたいに。とにかく、どこかで流れが間違った方向に違んで
 しまったのだ。時間をかける必要がある、と私は思った。ここはひとつ我慢強くならなくてはな

 らない。時間を私の側につけなくてはならない。そうすればきっとまた、正しい流れをつかむこ
 とができるはずだ。その水路は必ず私のもとに戻ってくるはずだ。しかし正直なところ、それほ
 ど確信は持てなかった。
  私が人妻たちと関係を持つようになったのも、そんな時期のことだった。私はたぶん精神的な
 突破口のようなものを求めていたのだと思う。今陥っているその停滞から、なんとしても抜け出
 したかったし、そのためには自らに刺激を与え(どんな刺激でもいい)、精神に揺さぶりをかけ
 ることが必要だった。また私はひとりぼっちでいることに疲れ始めていた。そしてもう長いあい
 だ女性を抱いていなかった。

  今にして思えば、ずいぶん不思議な流れ方をする日々だった。私は朝早く目覚め、白い壁に囲
 まれたその正方形のスタジオに入り、真っ白なキャンバスを前にし、何ひとつアイデアらしきも
 のを得られないまま、床に座ってプッチーニを聴くことになった。創作という領域において、私
 はほとんど純粋な無と向き合っていたわけだ。オペラの創作に行き詰まっていた時期に、クロー
 ド・ドビュッシーは「私は日々ただ無(リアン)を制作し続けていた」とどこかに書いていてい
 たが、その夏の私もまた同じように、来る日も来る日も「無の制作」に携わっていた。あるいは
 そのリアンと日々向き合うことに私はけっこう馴染んでいったかもしれない――親しくなったと
 までは言わないにしても。

 Debussy: Pelléas et Mélisande 

  そして週に二回ほど、午後になると彼女(二人目の人妻)が赤いミニに乗ってやってきた。私
 たちはすぐにベッドに入って抱き合った。そして昼下がりの時間、お互いの肉体を心ゆくまでか
 さばった。それが生み出すものはもちろん無ではなかった。そこには間違いなく現実の肉体が実
 在した。隅々までを実際に手で触ることができたし、唇を這わせることもできた。そのようにし
 て私は意識のスイッチを切り替えるみたいに、漠然としてつかみどころのないリアンと生々しい
 までの実在とのあいだを行き来することになった。夫は彼女の身体をもう二年近く抱いていない


 ということだった。彼女より十歳年上だし、仕事が忙しいし、帰宅の時刻も遅い。彼女がいろん
 な風に誘っても、そういう気にはなれないようだった。

 「どうしてかな。こんなに素敵な身体なのに」と私は言った。
  彼女は小さく肩をすくめた。「結婚して十五年以上になるし、子供も二人いるし、私はもう新
 鮮じゃなくなってしまったのよ」
 「ぼくにはとても新鮮に見えるけど」
 「ありがとう。そう言われると、なんだかリサイクルでもされているような気がしてくるけど」
 「資源の再生利用?」
 「そういうこと」
 「とても大切な資源だよ」と私は言った。「社会の彼にも立つ」
  彼女はくすくす笑った。「正しく間違えずに仕分けさえすればね」
  そして我々は少し時間を置いてから、もうコ皮資源の入り組んだ仕分けに意欲的にとりかかっ
 た。

  正直なところ、私は彼女という人間にもともと興味を惹かれていたわけではない。そういう意
 味では彼女は、私がこれまでに交際してきた女性だちとは色合いを異にしていたと思う。私と彼
 女とのあいだには共通する話題はあまり存在しなかった。現在生活している環境にも、これまで
 生きてきた経歴にも、お互い重なり合う部分はほとんどなかった。私はもともと口数の少ない方
 だから、二人でいると主に彼女が話をした。彼女は自分の個人的な話をし、私はそれに対して相
 づちを打つた。

  いちおう感想らしきものを述べたが、それは正確には会話とは呼びがたいものだった。
  そういうのは私にとってまったく初めての体験だった。ほかの女性たちに関して言えば、私は
 だいたいにおいて相手にまず人間的な興味を持ち、そのあとでそれに付随するように肉体関係を
 持つことになる。それがパターンだった。でも彼女の場合はそうではなかった。まず最初に肉体
 があった。しかしそれはそれでなかなか悪くないものだった。私は彼女と会っているあいだ、純
 粋にその行為を楽しんだと思う。彼女もやはり同じようにその行為を楽しんでいたと思う。私の
 腕の中で彼女は何度も絶頂を迎えたし、私も何度も彼女の中で射精した。

  結婚してから、夫以外の男性と寝るのはこれが初めてだと彼女は言った。それはたぶん嘘では
 ないだろう。そして私も、結婚してから妻以外の女性と寝るのは初めての経験だった(いや、一
 度だけ例外的に一人の女とベッドを共にしたことがある。でもそれは私が望んだことではなかっ
 た。その事情についてはもっとあとで語ることになる)。

 「でも同年代の友だちは、みんな奥さんだけど、だいたい浮気しているみたい」と彼女は言った。
 「そういう話をよく聞かされた」
 「リサイクル」と私は言った。
 「自分もその一人になるとは思わなかったけど」

  私は天井を見上げ、ユズのことを考えた。彼女もどこかでほかの誰かと、これと同じことをし
 ていたのだろうか?

                                     この項つづく



● 吾は雛なり

テレビでは森友問題で賑やかなことです。彼女も興味があるのか、いろいろ話してくれますが、い
つも一方的で、たまに、長く応じると話は彼女の方か遮断するのでそれはそれで問題ないのですが
はじめは、<保守反動派>
の内輪もめかと思っていたが、籠池泰典氏に対する証人喚問証がはじまり、
人格障害症とうか自己顕示欲の強い(ある種のサイコパス、虚言癖)、思いこみの強いことが気に
なってくる。今後どのように展開するわからないが(最悪のことも想定しておく必要がある)、齟
齬(誤謬)の合成(?)で終わる可能性もあるかもしれない。茶番に終わり、森友学園が自然消滅
する可能性が強い(願望も含め)と思う。話はそのことではない。齢を重ねても不思議と、好奇心
は衰えず、諦観すべきところ、未だ、俗世に没し彷徨う感強しく「吾は雛なり」と思い定むるとこ
ろあり。

                                        

  

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はじめ良ければ半ば良し

2017年03月22日 | デジタル革命渦論

  

    

     56  孤独な旅人  /  火山旅(かざんりょう)  

                               

      ※ が楽しいものとなったのは近代になてからのことである。古代の
        人々にとって.旅は一大難事
であった。交通の不便、宿舎の不備も
        さることながら、見知らぬ土地、なじみのない人々の中
でたごひと
        り暮らす不安は、現代のわれわれには想像を絶するものがあった。
        旅舎を転々とする孤独な
旅人が象徴するものには、不安定な生活(
        転居、転職など)、孤独な生活、失恋などがある。こんな場合は無
        理をしてまで打開
しようとせず、あせることなく受け身で対処する
        ことだ。郷に入れば郷に従え
。しかも旅人が目的地を忘れないいよ
        うに、内心には自己の理想をしっかり守ってゆくのだ。人生
ば長い
        長い旅なのだから。

 

【量子ドット工学講座33:光子放出素子の製造技術】

次世代の高セキュリティ情報伝送・高速情報処理を実現に、量子情報技術の研究が進められている。
量子情報処理を固体素子によって実現の技術として量子ドット(QD)の応用
研究が進んでいる。
例えば、非特許文献1では Sk(Stranski-Krastanow)型自己形成量子ドットを用いた単一光子発生器
が記載されている。量子ドットは化学合成によって作製することもできる。例えば、非特許文献2
には化学合成によって作製された化学合成量子ドットの球対称性を高める合成方法について記載さ
れている。また、非特許文献3には、走査型プローブ顕微鏡SPM)によるリソグラフィーを用
いて量子ドットを設置するための凹部を作製し、量子ドットの位置を制御できることが記載されて

いる。



ところが、コンパクトで、十分な高効率、高指向性を備える光子放出素子を実現することができな
かった。非特許文献1のSK型自己形成量子ドットは、基板上に形成され、扁平な形状となるり、
基板に垂直な方向への対称性が著しく低い。また結晶成長速度差によって面内対称性が損なわれる
ことも多い。つまり、形状が非対称性な量子ドットは、量子もつれ合い状態の光子対を発生させる
ことができない
。量子もつれ合い状態の光子対とは、偏光の重ねあわせ状態にある光子対である。
扁平な形状のSK型自己形成量子ドットからは、特定の偏光を有する光しか得ることができない。
量子情報技術は、量子もつれ合い状態の光を礎に成り立っており、量子もつれ合い状態の光を得る
ことができないことは、実用化の妨げになる。

これに対し、例えば非特許文献2の化学合成量子ドットは、基板に拘束されない結晶成長をする。
このため、化学合成量子ドットは3次元的な対称性が高い。化学合成量子ドットは、主に、バイオ
研究用の蛍光マーカ(標識)等に利用されるが、化学合成量子ドットは発光明滅(ブリンキング)
現象が生じる。ブリンキング現象が生じるとは、量子ドットに励起光を加えた際に、量子ドットが
発光するか発光しないか不確定である。発光が不確定であることは、励起光を入射する入力に対す
る出力が不確定である。この不確定さは、量子コンピュータ等において出力結果の信用度を下げ、
量子情報処理技術の実用化を阻害する。

 Feb. 3, 2015

下図の新規考案は、量子ドットをメタマテリアルに対し所定の位置に配設し、発光の高速化、発光
効率の増大、ブリンキング現象の抑制、放射光の指向性等を高め、また、独自のSPMリソグラフ
ィーでた量子ドットの位置制御技術を利用し、メタマテリアルと量子ドットの位置関係をナノオー
ダーの精度で制御し、光子放出素子を実現する。
 

  JP 2017-55057 A 2017.3.16

【要約】

この光子放出素子は、半導体からなる基板1と、基板の一面または内部に設けられた量子ドット2
と、基板に対し平面視で量子ドットを囲み、延在方向に端部を有するメタマテリアル3と、を備え
る光子放出素子で、さらに量子ドットが、メタマテリアルによって囲まれる領域の中央に配置され
、同一平面上に存在する光子放出素子の構成/構造で、高効率、高指向性を備えるコンパクトな光
子放出素子を実現する方法を提案する。

※ 鍵語:メタマテリアル( meta-material)とは、光を含む電磁波に対して、自然界の物質には無
い振る舞いをする人工物質のこと。



ところで、走査プローブ顕微鏡に興味を抱いたのは95年ごろだった。当時は、生産技術に従事し
原子間力顕微鏡が登場して間もない頃で、バルク表面の分析などは電子顕微鏡での分析が主流で、
金属表面の微細な三次元的観測で、温度・湿度・ハーティクルなどと金属酸化物表面状態変遷を観
測したかったのだが、行く行くは、この装置技術を応用した新しい事業展開を意識し、流されるの
ではなく、新しい流れを作りたいと考えていた。21世紀に入りしばらくて、それは、新規事業の
媒体的産業領域を想定した「ネオコンバーテック創業論」として確立させることになる。装置的に
は3Dプリンタ、MEMS、ナノプリンタであり、前述した、走査型プローブ顕微鏡などとして結
実していく。広義の人工物質(メタマテリアル)の創生であり、それは、エネルギー領域において
は、オールソーラーシステムなどの自然エネルギーの導入拡大、医療領域にあっては再生医療とし
て、食品領域おいては人工食品などの前駆体として着実に顕在化してきている。流れを作り出すこ
と。太陽電池の導入はカーター米大統領時代に挑戦されているが頓挫しているように、それは容易
ならざることでもあるが、果敢に挑戦し、事業化に結びつける努力家(あるいは起業家)の勇気を
称えるものである。それは早すぎても、遅すぎてもだめである。流れが生まれれば、始め良ければ
半ば良し、終わり良ければすべて良し。それを見極め行動する努力、シャドーワークは決して見え
ぬものである。

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』  

   3.ただの物理的な反射に過ぎない 

   「君はこの家で育ったのか?」と私は尋ねた。
 「いや、おれ自身はここに長く往んだことはない。ときどき泊まりに米たくらいだ。あるいは夏
 休みなんかに避暑をかねて遊びに来たくらいだ。学校のこともあって、おれは母親と一緒に自分
 の家で育った。父は仕事をしていないときには東京にやってきて、おれたちと一緒に暮らした。
  それからまたここに戻って一人で仕事をした。おれが独立し、十年前に母が亡くなってからは、
 ずっと一人でここにこもって暮らしていた。ほとんど世捨て人みたいにして」

  その家の留守中の管理を任されていたという、近くに往む中年の女性もやってきて、いくつか
 かの実際的な説明をしてくれた。台所の設備の使い方とか、プロパン・ガスや灯油の注文のしか
 たとか、各種道具の置き場所とか、
ゴミ出しの場所と曜日とか。画家はかなりシンプルな独居生
 活
を送っていたらしく、使っていた機械・器具類は数少なかった。従ってレクチャーを受けてお
 か
なくてはならないようなこともあまりなかった。もし何かわからないことがあったらいつでも
 電
話をください、と彼女は言った(結局電話をかけたことは一度もなかったが)。

 「誰かに往んでいただけるととても助かります。誰も往んでいないと家も荒れますし、不用心で
 すから。それに人がいないとわかると、イノシシや猿が寄ってきますし」
 「イノシシや猿がちょくちょく出るんだよ。このへんは」と雨田が言った。
 「イノシシには気をつけてくださいね」とその女性は言った。「春にはタケノコを食べるために、
 よくこのあたりに出没するんです。とくに子供を育てている雌イノシシは気が立っていて危険で
 す。それからスズメバチもあぶないです。刺されて亡くなった人もいます。スズメバチは梅林に
 巣を作ることがあります」

  開放式の暖炉のついた比較的広い居間が、家の中心になっていた。居間の南西側に屋根付きの
 広々としたテラスかおり、北側には正方形のスタジオがあった。そのスタジオで画伯は絵を描い
 ていたのだ。居間の東側にはコンパクトな食堂付きの台所があり、浴室があった。そしてゆった
 りとした主寝室と、それよりは少し挟い客用の寝室があった。客用の寝室には書き物机が置かれ
 ていた。読書が好きな人であるらしく、本棚には数多くの古い書籍が詰まっていた。画伯はそこ
 を書斎として使っていたようだった。古い家屋のわりには清潔で、居心地は良さそうだったが、
 不思議なことに(あるいは不思議ではないのかもしかないが)、壁には絵がただの一枚もかかっ
 ていなかった。壁という壁はどれも、素っ気なく剥き出しのままたった。

  雨田政彦が言ったように、家具も電気器具も、食器も寝具も、生活に必要なものはだいたい揃
 
っていた。「身ひとつでくればいい」、そのとおりだった。暖炉のための薪も納屋の軒下にたっ
 ぶ
り積み上げてあった。家の中にテレビはなかったが(雨田の父親はテレビを憎んでいたという
 こ
とだ)、居間には立派なステレオ装置があった。スピーカーはタンノイの巨大なオートグラフ、
 
セパレート・アンプはマランツのオリジナル真空管だ。そしてアナログ・レコードの立派なコレ
 クションがあった。一見したところオペラのボックスものが多かった。

The Tannoy Autograph I

 「ここにはCDプレーヤーがないんだ」と雨田は言った。「なにしろ新しい道具がまるっきり嫌
 いな人でね。古くからあるものしか信用しない。もちろんインターネット環境なんてものは影も
 かたちもない。もし必要なら、町に降りていってインターネット・カフェを使うしかない」
  インターネットはとくに必要ないと思う、と私は言った。

 「もし世間の勤きを知りたければ、台所の棚にあるトランジスタ・ラジオでニュースを聴くしか
 ない。山の中だから電波の入り方はかなり悪いし、NHKの静岡局がなんとか聴けるくらいだけ
 ど、まあ何もないよりはましだろう」
 「世の中のことにそれほど興味はない」
 「それはいい。うちの父と話があいそうだ」
 「お父さんはオペラのファンなのか?」と私は雨田に尋ねた。

 「ああ、父は日本画の人だが、いつもオペラを聴きながら仕事をしていた。ウィーンに留学して
 いる頃、歌劇場に通い詰めていたらしい。おまえはオペラは聴くか?」
 「少しは」
 「おれはとてもだめだよ。オペラなんて長くて退屈なだけだ。そこに山ほど古いレコードかおる
 から、好きなだけ聴けばいい。父にはもう用のないものだから、おまえが聴いてくれればきっと
 喜ぶはずだ」
 「もう用がない?」
 「認知症が進んでいるからな。オペラとフライパンの違いだって、今ではもうわからないよ」
 「ウィーン? お父さんはウィーンで日本画の勉強をしていたのか?」
 「いや、いくらなんでも、ウィーンまで行って日本画の勉強をするような物好きな人間はいない。
 父はもともとは洋画をやっていたんだ。だからウィーンに留学した。当時はとてもモダンな油絵
 を描いていたんだよ。でも日本仁戻ってきてしばらくしてから、突然日本画に転向した。まあ、
 世間にちょくちょくあるケースだけどね。外国に出ることによって、民族的アイデンティティー
 に目覚めるというか」
 「そして成功した」

  雨田は小さく肩をすくめた。「世間的に見ればね。でも子供にしてみれば、ただの気むずかし
 いおっさんでしかない。絵を描くことしか順になく、やりたい放題好き放題に生きていた。今じ
 ゃもうその面影はないけどな」
 「今、いくつなんだ?」
 「九十二歳。若い頃はかなり派手に遊んだという話だ。詳しいことは知らないけど」
  私は礼を言った。「いろいろとありがとう。世話になった。今回のことはとても助かったよ」
 「ここは気に入ったか?」
 「ああ、しばらくここに住まわせてもらえるととてもありかたい」
 「それはいいけど、おれとしては、できればおまえとユズとの仲がうま座戻ることを祈っている
 よ」

  私はそれについてはとくに何も意見を言わなかった。雨田自身は結婚していない。バイセクシ
 ュアルだという噂を耳にしたことはあるが、真偽のほどはわからない。長いつきあいだが、そう
 いう話題には触れたことがない。

 「肖像画の仕事はまだ続けるのか?」と帰りぎわに雨田は私に尋ねた。
  肖像画を描く仕事をすっかり断った経緯を私は彼に説明した。
 「これからどうやって生活するんだ?」と雨田はエージェントと同じことを尋ねた。
  生活を切り詰めて、しばらくは貯金で食いつなぐ、と私はやはり同じ答えを返した。久しぷり
 に制約なく好きな結を描きたいという気持ちもあるし。

  「そいつはいい」と雨田は言った。「しばらく自分のやりたいようにやってみればいい。でも、
 もしいやじゃなければ、アルバイトに絵の先生をやってみるつもりはないか。小田原駅前にカル
 チャー・スクールみたいなのがあって、そこに絵の描き方を教える教室があるんだ。主に子供た
 ちを対象にしているが、成人向け市民教室みたいなものも併設している。デッサンと水彩だけで、
 油絵はやらない。そのスクールを経営している人が父の知り合いでね、商業主義的なところはあ
 まりなくて、かなり良心的にやっている。だけど先生のなり手がいなくて困っているんだ。もし
 おまえが手伝ってくれたらきっと喜ぶだろう。謝礼は大したものじゃないけど、それでも少しは
 生活の足しになるはずだ。週に二曰くらいクラスを持てばいいだけだし、それはどの負担にはな
 らないと思う」

 The Shining
  

 「でも、絵の描き方を教えたことなんてないし、水彩画のこともよく知らない」
 「簡単だよ」と彼は言った。「何も専門家を養成するわけじゃない。教えるのはごく基本的なこ
 とだけだ。そんなコツは一日やればすぐにつかめる。とくに子供に絵を教えるというのは、こっ
 ちにとってもなかなか刺激になるしな。それにこんなところに一人で往むつもりなら、週に何日
 かは下に降りて、無理にでも人と接触を持たないと頭が変になっちゃうぜ。『シャイニング』み
 たいになったら困るだろう」
 
  雨田はジャック・ニコルソンの顔真似をした。彼には昔から物真似の才能があった。

  私は笑った。「やってみてもいい。うまくいくかどうかは心からないけど」
 「おれの方から先方に連絡を入れておく」と彼は言った。
  それから私は雨田と一緒に、国道沿いのトョタの中古車センターに行って、そこでカローラの
 ワゴンを現金一括払いで買い求めた。その日から私の小田原の山の上での一人暮らしが始まった。
 ニケ月近くただ移動に終始する生活があり、そのあとに動きのない、ぴたりと静止した生活がや
 ってきた。極端な転換だ。

  その翌週から私は小田原駅前のカルチャー・スクールの絵画教室で、水曜日と金曜日にクラス
 を受け持つことになった。最初に簡単な面接があったが、雨田の紹介ということですぐに採用さ
 れた。成人を教えるクラスが二回、そして金曜日にはそれに加えて子供たちのクラスをひとつ受
 け持つことになった。子供たちのグループを教えることに私はすぐに馴れた。彼らの描く絵を見
 ているのは楽しかったし、雨田が言ったように、こちらにとってもちょっとした刺激にもなった。

 通ってくる子供だちともすぐに親しくなれた。私かやることは、子供たちが描く絵を見て回って、
 ささやかな技術的な忠告を与えたり、良いところをみつけて褒めたり励ましたりすることくらい
 だった。私の方針として、できるだけ同じ題材を何度も描かせた。そして同じ題材でも少し見る
 角度を変えれば、ずいぶん追って見えることを教えた。人にいろんな側面があるように、物体に
 もいろんな側面がある。子供たちはその面白さをすぐに理解してくれた。

  大人に絵を教えるのは、子供たちに教えるよりは少しばかりむずかしかったかもしれない。教
 室にやってくるのは仕事から引退した老人だちか、あるいは子供から手が離れて、生活に少し余
 裕ができた家庭の主婦たちだった。彼らは当然ながら、子供たちほど柔軟な頭を持ち合わせてい
 なかったし、私か何かを示唆しても、それを受け入れることは簡単ではないようだった。でも中
 には何人か、比軟的のびやかな感覚を持っているものもいたし、それなりに面白い絵を描くもの
 もいた。私は求められればいくつかの有益なアドバイスを与えたが、だいたいはただ好きなよう
 に自由に絵を描かせておいた。そして描かれた絵の中になにかしら良いところを見つけて、それ
 を褒めるだけにとどめておいた。そうすることで、彼らはけっこう幸福な気持ちになれたようだ
 った。幸福な気持ちで絵を描けたとしたら、それでもうじゆうぶんではないかと私は考えていた。

  そしてそこで私は二人の人妻と性的な関係を持つことになったわけだ。彼女たちはどちらも絵
 画教室に通っていて、私の「指導」を受けていた。つまり立場からすれば私の生徒ということに
 なる(ちなみに、彼女たちはどちらもなかなか悪くない絵を描いた)。それが教師として――た
 とえ正式な資格を持たない即席の教師であるにせよ――許される行為だったのかどうか、判断に
 苦しむところだ。成人男女が合意の上で性行為を行うことにとくに問題はないはずだと私は基本
 的に考えていたが、社会的に見てあまり褒められたおこないでないこともまた確かたった。

  でも言い訳するのではないが、自分のやっていることが正しいことなのかどうか、それを判断
 するような余裕は、そのときの私にはなかった。私は材木につかまって、流れのままに流されて
 いただけだった。あたりは漆黒の闇で、空には星も月も出ていなかった。その材木にしがみつい
 ている限り溺れずにすんだが、自分が今どのあたりにいて、これからどこに向かおうとしている
 のか、そんなことは何ひとつわからなかった。
  私が『騎士団長殺し』というタイトルのついた雨田典彦の絵発見したのは、そこに越して数
 ケ月経った頃のことだった。そしてそのときには知るべくもなかったが、その一枚の絵が私のま
 わりの状況をそっくり一変させてしまうことになった

今宵は、いよいよ騎士団長のお出ましだ。この楽しみは次回に持ち越しにする。

                                     この項つづく

    

 

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可愛い名残雪

2017年03月21日 | 時事書評

 

  

    

    54  着道ならぬ恋  /  雷沢帰妹(らいたくきまい)  

                              


      ※ 帰妹、若い女が帰(とつ)ぐことである。ところが、この卦の

        示すものは正常な結婚ではない。若い女(兌)の方から積極的
        に年とった男(震)に働きかけており、女は待つべきものとい
        う常道に反している、また陰爻が陽爻を押さえつけている形で
        あり、男働きて(震)女悦ぶ(兌)、つまり、肉体関係だけで
        結ばれ、愛情の裏づけに乏しいのである。易の中には男女関係
        を示す卦が四つある(咸、恒、漸、帰妹)が、この卦だけが不
        吉な運命を告げられているのはそのためである。精神的なもの
        を充実させて、末長い結びつきまで高めることが必要である。
        ごれは一のたとえであって、結婚に限らずすべてのことに言え
        ることである。

 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』 

   3.ただの物理的な反射に過ぎない 

  その二日後の昼過ぎに、カローラ・ワゴンを運転して広尾のマンションまで行って、身の回り
 のものをまとめた。その日も朝から休みなく雨が降っていた。マンションの地下の駐車場に車を
 停めると、いつもの雨の日の駐車場の匂いがした。

  エレベーターで上にあがってドアの鍵を開け、ほとんどニケ月ぷりにマンションの部屋に入る
 と、なんだか自分か不法侵入者になったような気持ちがした。そこは六年近く拡が生活を送り、
 隅々まで見慣れたはずの場所だった。しかし今では、ドアの内側にあるのはもう私か含まれてい
 ない風景だった。台所のシンクには食器が積み上げられていたが、それはすべて彼女の使った食
 器だった。洗面所には洗催物が干してあったが、干してある衣服はすべて彼女のものだった。冷
 蔵庫を開けてみたが、その中に入っているのは見覚えのない食品ばかりだった。多くはそのまま
 食べられる出来合いの食品だ。牛乳もオレンジ・ジュースも、私か買っていたメーカーとは遂う
 ものだった。冷凍庫には冷凍食品が詰まっていた。私は冷凍食品というものをまず買わない。二
 ケ月足らずのあいだに実に多くのものごとが変化を遂げてしまう。

  私は流しの中に積まれた食器を洗い、洗濯物を取り込んで畳み(できればアイロンをかけ)、
 冷蔵庫の中の食品をきれいに整理したいという強い衝動に駆られた。でももちろんそんなことは
 しなかった。ここはもう他人の往まいなのだ。私が手を出すべきことではない。
  荷物のうちでいちばん嵩張るのが画材だった。イーゼルやキャンバス、絵筆や絵の具類を放り
 込んだ大きな段ボール箱がひとつ。それから衣服。私はもともと衣服の数を必要としない人間だ。
 いつも同じような服を着ていても気にならない。スーツもネクタイも持だない。厚い冬用のコー
 トを別にすれば、だいたい大型スーツケースひとつに収まってしまう。

  まだ読んでいない何冊かの本と、1ダースばかりのCD。愛用していたコーヒーマグ。水着と
 ゴーグル、スイミング・キャップ。とりあえず必要なものと言えば、せいぜいそれくらいだ。そ
 れらだってなければないで、とくには困りはしないのだが。
  洗面所には私の歯ブラシや髭剃りのセットや、ローションや日焼け止めやヘアトニックがその
 まま残されていた。封を切っていないコンドームの箱がそのまま残っていた。でもそんな細々し
 たものをわざわざ新しい往まいに遂ぶ気にはなれなかった。適当に処分してくれればいい。

  それだけの荷物を車の荷室に積み込んでしまうと、私は台所見戻ってやかんに湯を彿かし、テ
 ィーバッグで紅茶をつくり、テーブルの前に座って飲んだ。それくらいのことはしてかまわない
 だろう。部屋の中はとて心しんとしていた。沈黙が空気の中に、微かな重みを与えていた。まる
 で一人きりで海の底に座っているみたいだ。

  三十分ばかり私は一人でその部屋の中にいた。そのあいだ尋ねてくる人心いなければ、電話の
 ベルも鳴らなかった。冷蔵庫のサーモスタットが一度切れ、一度入っただけだ。私は沈黙の中で
 耳を澄ませ、水深を測るおもりを垂らすみたいに部屋の気配を深った。それはどのように見ても、
 一人暮らしをしている女性の部屋だった。日々の仕事が忙しく、家事をこなしている暇もほとん
 どない。雑用は週末の休みにまとめて片付ける。部屋の中をざっと見渡してみて、そこに見受け
 られるものはすべて彼女自身のものだった。ほかの人物の気配は見当たらない(私の気配さえ既
 にほとんど見当たらない)。ここに男が訪ねてくることはないのだろう。私はそう思った。彼ら
 はたぶん別のところで会うのだろう。

  その部屋に一人でいるあいだ、うまく説明はできないのだが、自分か誰かに見られているとい
 う感触があった。隠しカメラを週して誰かに監視されているような気がした。でももちろんそん
 なことがあるはずはない。妻は機械類にはおそろしく弱い。リモコンの電池の交換さえ自分では
 できない。隠しカメラを設置したり操作したり、そんな器用な真似ができるわけがない。私の神
 経が過敏になっているだけだ。

  それでも私はその部屋にいるあいだ、架空のカメラで逐一行動を記録されているものとして行
 動した。余計なこと、不適切なことは何ひとつしなかった。ユズの机の抽斗を開けて、中にある
 ものを調べたりもしなかった。彼女がストッキングなどを入れたタンスの抽斗の奥に、小さな日
 記帳や大事な手紙を保管していることも知っていたが、それに心手を触れなかった。ノートパソ
 コンのパスワードも知っていたが(もちろんまだ変更していなければだが)、蓋も開けなかった。

 そんなことはすべて、私にはもう関わりのない事柄なのだ。私は自分の飲んだ紅茶カップだけを
 洗い、布巾で拭いて食器棚にしまい、明かりを消した。そして窓際に立って、降り続く外の雨を
 しばらく眺めた。オレンジ色の東京タワーがその奥にほのかに浮き上がっていた。それから部屋
 の鍵を郵便受けに落とし、車を運転して小田原に戻った。おおよそ一時間半の道のりだ。でもま
 るで日帰りで異国に行って戻ってきたみたいに感じられた。



  翌日、担当エージェントに電話をかけた。そして東京に帰ってきたのだが、悪いけれどもうこ
 れ以上、肖像画を描く仕事を続けるつもりはないと言った。

 「もう二度と肖像画は描かない、ということですか?」
 「たぶん」と私は言った。

  彼は私の通告を言葉少なに受け入れた。とくに苦情も言わず、忠告らしきことも口にしなかっ
 た。私がいったん何かを言い出したらあとには引かないことを、彼は知っていたから。
 
 「でも、もしまたこの仕事をやりたくなったら、いつでも連絡してきてください。歓迎します」
 と彼は最後に言った。

 「ありがとう」と私は礼を言った。

 「余計なことかもしれませんが、どうやって生計を立てていくんですか?」
 「まだ決めていません」と私は正直に答えた。「一人暮らしで、そんなに生活費はかからないし、
 今のところまだ多少の蓄えはあるから」 

 「絵は描き続けるんでしょう?」
 「たぶん。ほかにとくにできることもないし」

 「うまく行くといいですね」
 「ありがとう」と私はもう一度礼を言った。それからふと思いついて、それに付け加えるように
 質問した。「何かぼくが覚えておくべきことはあるでしょうか?」

 「あなたが覚えておくべきこと?」
 「つまり、なんていえばいいのかな、プロのアドバイスのようなものです」

  彼は少し考えた。それから言った。「あなたはものごとを納得するのに、普通の人より時間が
 かかるタイプのようです。でも長い目で見れば、たぶん時間はあなたの側についてくれます」

  ローリング・ストーンズの古い歌のタイトルみたいだ、と私は思った。
  彼は続けた。「そしてもうひとつ、私が思うに、あなたにはポートレイトを描く特別な能力
 具わっています。対象の核心にまっすぐに踏み込んで、そこにあるものをつかみ取る直観的な能
 力です。それはほかの人があまり持ち合わせていないものです。そういう能力を手にしながら使
 わないままにしておくのは、いかにも惜しい気がします」

 「でも肖像画を描き続けるのは、今のところぼくのやりたいことじゃないんです」
 「それもよくわかっています。でもその能力はいつかまたあなたを肋けてくれるはずです。うま
 くいくといいですね」

  うまくいくといい、と私も思った。時間が私の側についてくれるといい。

 Route 271

  最初の日、家の持ち主の息子である雨田政彦がボルボを運転して、私をその小田原の家まで運

 れて行ってくれた。「もし気に入れば、今日からでもそのまま柱めばいい」と彼は言った。

  小田原厚木道路を終点近くで降り、長道のような狭いアスファルトの道路を山に向かった。道
 路の両脇には畑かおり、野菜を育てるビニールハウスが並び、ところどころに梅の林が見えた。

 そのあいだほとんど人家も見えず、ひとつの信号もなかった。最後に曲がりくねった急な坂道が
 あり、ギアを落としてそこを延々と上っていくと、道路の突き当たりに家の門が見えた。立派な
 門柱が二本建っているだけで、扉はついていない。塀もついていない。門と塀をつけるつもりで
 作り始めたのだが、思い直してやめたみたいに見えた。そんなものをつける必要もないと途中で
 気がついたのかもしれない。門柱の片方に「雨田」という立派な表札が、まるで看板のようにか
 かっていた。その先に見える小ぶりな家は洋風のコテージで、色あせた煉瓦造りの煙突がスレー
 トの屋根の上に突き出ていた。平屋建てだが、屋根は意外に高かった。高名な日本画家の住まい
 ということで、私は当然のことのように古い和風の建物を想像していたのだが。

    Eurasian jay

  玄関の前の広い車寄せに車を停め、ドアを開けると、カケスのような黒い鳥が何羽か鋭い声を
 上げ、近くの本の柱から空に飛び立っていった。彼らは私たちがそこに侵入してきたことを、快
 く思っていないように見えた。家は周囲をほぼ雑木林に囲まれ、西側だけが谷に面して、眺望が
 広く開けていた。

 「どうだ、見事に何もないところだろう」と雨田は言った。

  私はそこに立ってあたりを見回してみた。たしかに見事に何もないところだった。よくこんな
 寂しいところに家を建てたものだと感心した。よほど人と関わり合うのが嫌いだったのだろう


心の奥を見抜く、対象の核心を掴み取る直感が鋭いのは才能ではあるが、対象にされた人物側に立て
ば的外れな突っ込みに耐える寛容さや、厄介(過剰)ではないかと想像してもみた。

                                     この項つづく  



【RE100倶楽部:温水バイナリー発電システムⅠ】

今月10日から、洞爺湖町(とうやこちょう)は札幌市から南西へ100キロメートルほどの距離にある
風光明美な場所――湖の北西側に沿って町が広がり、近くには活火山で知られる有珠山(うすざん)
や昭和新山がそびえる、豊富な地熱資源を生かした発電事業が湖畔の温泉街で開始。火山地帯の北海
道・洞爺湖町で地熱発電。温泉組合と町が事業者になって、100℃以下の温泉水を利用できるバイナ
リー方式の発電設備を稼働させた。二酸化炭素を排出しない電力を生み出し、周辺のホテルや旅館ま
で温泉水を配湯、環境を重視する温泉町の魅力で観光客を増やす狙いだといいう(「100℃以下の温
泉水で地熱発電、温泉の町が二酸化炭素フリーの電力を地産地消」スマートジャパン、2017.03.15)。

  Aug. 30, 2013

KOBE STEEL ENGINEERING REPORTS/Vol. 63 No. 2(Sep. 2013)

それによると、地元の洞爺湖温泉利用協同組合と洞爺湖町が2013年度から地熱資源の開発を進めてき
た。開発の対象になった場所は湖の南西の端にある金比羅山(こんぴらやま)の周辺で、湖畔に広が
る温泉街からも近い。国の支援を受けて地下1100メートル地点まで掘削したところ、99.8℃の温水
毎分505リットル(30トン/時も湧き出ることを確認できた。さらに既存の温泉に対する影響もな
かったとのこと。

地熱発電の設備利用率(発電能力に対する実際の発電量)は標準で90%に達することから、72kWの発
電能力で年間に57万kWh(キロワット時)の電力を供給できる見込みだ。一般家庭の使用量(年間3600
kWh)に換算して158世帯分に相当する。

バイナリー発電システムを収容した施設は町の一角にあり、冬のあいだは一面が雪に覆われる。この
施設で発電した電力は周辺地域のホテルや旅館に温泉水を配湯するためのヒートポンプの動力と
して
自家消費する方針。洞爺湖町で導入したバイナリー発電システムは70~95℃の温水を使って発電
でき
る。通常の地熱発電では100℃以上の蒸気を取り込んでタービンを回転させる方式だが、
バイナリー
発電は100℃以下の低温でも蒸発する沸点の低い媒体を利用する。神戸製鋼所のシステムは
オゾン破
壊係数がゼロのフルオロカーボン(HFC245fa、沸点15℃)を媒体に使って環境負荷を低減し
ている。

 スマートジャパン

温泉組合と町が地熱発電に取り組む背景には、長年にわたって町が抱えてきた深刻な問題があった。
に隣接する有珠山が1977年と2000年に噴火して、町内の住宅や温泉街にまで噴石が飛び散り、一時
立ち入りができないほどの甚大な被害を受けた。観光客は激減、地域の農業にも影響が出た。人口
減少にも歯止めがかからない。

町の活性化に向けた取り組みの中で、大きな契機になったのが「洞爺湖有珠山ジオパーク」の誕生だ
(下図)。2009年にユネスコ(国連教育科学文化機関)が認定する「世界ジオパーク」に日本で初め
て登録されて以降、国内と海外から観光客が増え始めた。

ただし課題として残ったのが電力の問題である。温泉組合では源泉から取り込んだ温泉水をホテルや
旅館に供給するために、ヒートポンプを使って温泉水を沸かしてから配湯する必要がある。寒冷地の
温泉街ならではの対策だが、大量の電力を使うために電気代がかさんでしまう。

しかも電力の消費に伴って二酸化炭素を排出することになる。北海道電力は二酸化炭素排出量の多い
石油火力に依存する割合が大きく、全国の電力会社の中でも二酸化炭素排出係数(電力1kWhあたりの
二酸化炭素排出量)が高い。世界ジオパークの認定地では自然環境を重視した街づくりが求められる。
温泉水を加温するために大量の二酸化炭素を排出する状況を変える必要があった。

豊富にある地熱資源を生かして電力の安定供給と温暖化対策を図るため、2014年度から国の地域再生
計画の認定を受けて「洞爺湖温泉『宝の山』プロジェクト~地熱エネルギー利用による環境・観光活
性化~」の取り組みを開始した。地熱発電によるCO2フリーの電力を地産地消して、環境を重視する
温泉の町としてアピールする狙いだ。今後は学生を対象にした環境教育にも地熱発電施設を利用して
いくとのこと。

 
● 温水バイナリーと木質バイオマス燃料との融合発電システム

冷泉(あるいは地下水)を原泉としてそれを木質バイオ燃料で加熱し給湯及びガス化し発電するシス
テムは、最大{
(100℃-水温)+蒸発潜熱}×水量分だけのエネルギーを木質バイオ燃料にて加熱
する部分を除き、基本的に低温バイナリ発電システム(熱媒体循環システムを使用しない従来システ
ムとするかはオプション)と同じである。豊富な地下水を使い発電+給湯+温泉とする事業――田園
城郭都市構想34、第9章「湖の碧い四つの古城」構想)」(彦根市民の飲み水を守る会、2017.
03.12
)を構想している。

 

この事業構想と融合できれば全国的波及すれば、エネルギーの地産地消できれば、地方創生と地球環
境保全の両立の有力なプラットフォームが形成できる。まずは、モデルシステムで実験する必要があ
る(この件は残件扱い)。

  ● 今夜の一曲

 悲しいことかあると開<革の表紙
 卒業写真のあの人はやさしい目をしてる

 街でみかけたとき何も言えなかった
 卒業写真の面影がそのままだったから

 人ごみに流されてかわってゆく私を
 あなたはどきどき遠<で叱って

 話かけるようにゆれる柳の下を
 通った道さえ今はもう電車から見るだけ

 あの頃の生き方をあなたは忘れないで
 あなたは私の青春そのもの

 人ごみに流されてかわってゆ<私を
 あなたはどきどき遠<で叱って

 あなたは私の青春そのもの

                     『卒業写真』 作詞/作曲 荒井由美




可愛い名残雪

異常気象でも、春休みの季節に入り、雪がちらつくこともあっても積もることはないだろう。現に今
日はお彼岸(パーラミター)で夢京橋はキャッスルロードにも多くの観光客が思い思いに歩いていた。
家に戻り、息子たちの写真をみせる。あまりに可愛いので、長男(撮影:1984年1月)の積雪の
ときの写真を一枚、スキャンしアップする。
勿論、この当時はデジカメはなかったのだから、科学技
術進歩の早さに改めて驚くとともに、この当時はもっと雪深かったんだと懐かしく二人で回想する。


                                           

           

 

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ソーラーシンギュラリティ時代

2017年03月20日 | デジタル革命渦論

  

    

    55  充足のなかの悲哀  /  雷火豊(らいかほう)  

                              

 

      ※ 豊とは盛大豊満なること。この卦はすべてにおいて満ち足りた
        状態を表している。しかし、窮すれば通じ、盛んなれば必ず衰
        えるのが易
の理である。逆境にあえぐ者には救いの道を示すが、
        盛運あるものには
必ず警告が与えられる。現在の状態を維持す
        るだけでもよほどの努カが必要とれる
のっだから、新しい事業
        を拡張するなどもってのほかということになる。男女関係では、
        長男(震)
と中女(離)つまり熟した夫婦であるが、これもや
        がて衰えることを暗示している。各爻の辞は.暗黒が支配する
        
中で明知(離)をもって動く(震)身の処し方かを述べる。

 

 

  Mar. 09, 2015

  Tam Hunt

【RE100倶楽部:ソーラーシンギュラリティ時代】 

本当に、久しぶりに、コキノダイナスの家をアルマティ、ヘーリオス、ベゴニアなどの常連が集まり、
話を肴に花を咲かせている。おっと、新顔のツイヨポポスがそこに加われ熱い議論に加わる。ヘーリ
オスがしゃべっている・・・・・・

 へーリオス(舳離雄)のアバター

まず 「ソーラーシンギュラリティ」とは米国の作家で弁護士のるタム・ハントが唱えている考え方で
すが、太陽光が著しく世界に普及し
、太陽光だけでなく蓄電池をはじめ電気自動車、自動運転などが
密接に結びつき、世界規模でエネルギーシステム
の変革が起こることを説明しています。これは30
年前に前に、
アルマティ先生が言っておられた第五次産業革命の「デジタル革命渦論」と同じなので
すが、グリッドパリティ、つまり、再生可能エネルギーによる発電コストが既存の電力のコスト(電
気料金発電コスト等)と同等かそれより安価になることですが、同じように、ストレージパリティ、
これは蓄電池などの設備コストが逓減していき、世界的
規模で達成している現況をさしています。太
陽光エネルギーを中心と
した社会コミニティ構築さ、ここ数年での電気自動車やIoTの技術的進化、
そして、太陽光発電システムや蓄電池をはじめとする再エネ設備の著しいコスト逓減を考えると、ソ
ーラーシンギュラリティが将来
実現します。1キロワットアワー4.5セントに逓減し、石油などの
化石燃料と核燃料を必要としない社会になる主張しています。

  コキノダイナス(赤鬼)のアバター

つまりやな、東日本大震災は、福島原発事故を引き起こしたのは、天が下した警告であり、人類に与
えた試練であり、天啓だったというわけなのだなぁと、コキノダイナスがスモークトークを入れると、、
アルマティが、技術の特異点、つまり、シンギュラリティとは、AIが人間の頭脳を上回ってしまう
ことをいうが、シンギュラリティの達成で、人類は、人口問題から食料問題、人種差別、貧困など様
々な問題をクリアーしてしまうという楽観的な見方ある一方で、コンピュータが、人間の頭脳をスキ
ャンしデータ保存するように、個人の頭脳をデジタル化し保存やコピー、アップロードができるよう
になり、人類を支配するのではないかというった悲観的な見方もあると補足し、そういえば今日19
日に、風力発電などの再生可能エネルギーの導入が進むドイツで、大規模な蓄電池施設を使って電力
の需給を調整しようという日本とドイツの共同事業が始まると放送されていたが、これがうまく行け
ば、世界波及が加速し、さらにコスト逓減が進むだろうと喋る。

 アルマティのアバター 


 Mar. 19, 2017

  クスネボーボシのアバター

そこに、ショットグラスのモルトを飲み干しクスネボーボシが加わる。2020年には世界の蓄電池
市場規模(20兆円)の5割を日本
企業で作ることを目標にしているぞ、と。それだけはないね。去
年住友電気工業と米国のSDG&E社がレドックスフロー電池の社会実験に入り、アンシラリーサー
ビスなどのテストもされと聴いていますよとベゴニアがほうじ茶ラテを飲みながら議論に加わる。そ
のレドックスフローやけれど、先月6月にハーバード大学のグループが最長の寿命、大容量化できる
有機物蓄電池がわだいとなっているぞと赤鬼も割り込み、そんなにうまいこといくかいなとクスネボ
ーボシが冷ややに言い放ちニヤリと笑にながら、家庭用蓄電池を1キロワットアワーあたり22万円
だから10分1にしても2万2千円で、レドックスフローは大規模用だが5千円程度になれば、シス
テムはそちらに雪崩れ込むだろうよと付け加えると、ヤコシ(薬師)が猫のミケを撫でながら、やは
り、ここはマテリアル・イノベーションが鍵ですよねと小声で割りを入れる。

   ベゴニア(秋海棠)

 

   ヤコシの(薬師)アバター


しばらく、沈黙がつづき、ことし4月あらからネガワット(節電所)取引市場が開かれるよと、アル
マティが発言。
ここはカタカナ用語がつづくきますが、例えば、「デマンドレスポンスサービス(D
Rサービス)
」は、電気事業者等の電力供給
側が、供給量に合わせて需要家側の消費電力を抑制でき
るように、電力料金やインセンティブ条件を掲げて、
電力消費の抑制や制御を行うためのサービスの
ことをいいます。また、「アンシラリーサービス」は、供給される電力の品質を維持するための、技
術的、運用的なしくみのことです。たとえば、需給バランスの監視、系統運用、電圧・周波数の調整
などがアンシラリーサービスにあたります。従来、従来、電力会社が担ってきた役割ですが、電力小
売の自由化に伴い発送電分離が進むためには、アンシラリーサービスの各機能についても内容や費用
が明示化されていき、機能によっては市場での取引き対象となることが求められています。先ほどい

っていた「ネガワット」は、 負(ネガティブ)の電力(ワット)を意味する造語で、電力の利用者が
節電した
電力を発電した電力と同等の価値と見なす考え方です。 さらに、「デマンドサイドマネイジ
メント
」(DSM)は、電気の利用者である需要家の消費電力を、電力を供給する側が制御すること
で需給の調整を行うことをいいます。今は、消費電力を操作するのが中心ではなく、発電事業者が需要家の
消費量に合わせて発電量をコントロールすることで、需給の調整を行っていますから、対称的な関係にありま
す。

 

 
本当にややこしいと、少しいらついた顔つきで、しかし、岡本酒造のごきげん金亀の茶碗酒でニンマリ赤ら顔
の赤鬼である。

それでと、アルマティが話をつづける。電力需要を制御するDRには2種類の手法かあり、ピーク時

に電気料金を値上げすることで、需要を抑制する電気料金型と、電力会社と需要家の契約に基づき、
力会社からの要請に応じ需要家が需要を制御するネガワット取引というふうにあります。ネガワッ
ト取引の効果需要のピー
クに合わせ需要量を確実に抑制することで、ピーク時だけのために用
意してい
た発電機等が不要となり、建設コスト、維持管理費を削減できることです。例えば、東京電
力で1年間(8760時間)の1%に
あたる上位ピーク需要が抑制されれば、最高ピーク電力(5093万kW)
の約7
.5%にあたる電力供給設備の稼働、維持管理、更新が不要になりますし、需要家側は電力を抑
制することで報酬を手にできます。
社会的効果の視点でも、ビジネスの面でも、国としては大きな期
待を寄せられていて、グロバール事業として1000億円市場と見込まれたりしていますと話すと、
そうね、やりくり上手なひとにむいている仕事ねとベゴニアがスモールトークしたところでティーブ
レーク。

 Jan. 20, 2017

● 自動車はエネルギーの塊


 エナスダーコスのアバター

しばらくして、めずらしくエナスダーコスが大きな口をひらき、ところでよ、自動車メーカーは蓄電
池・自家消費市場にどのようなインパクトを与えるか?質問すると、クスネボーボシが、蓄電池のピジネス
で、最も大きな影響があるのが自動車産業だ。蓄電池といえば、乾電池、またはスマートフォンやパ
ソコンでの組み込み製品か主な需要だったが、その場合、電気容置は1キロワットアワーに達するこ
とはない小型なモノ。ところが、自動車両は数十キロワットアワーワットアワーと大型。テスラなど、
一部の電気自動車は百キロワットアワーを超えるサイズの電池パックも生産しているぞ。車載の蓄電
池は、エンジン起動の鉛蓄電池が需要の中心だった。鉛蓄電池を大量に積んだEVも開発されたか、
重さが大きい、
電気容量が小さい、そして奥いがきついことなどの理由で普及せず、リチウムイオン
二次電
池は、正極吋と負極材との組み合わせや、セルの形状もさまざまあり、今後も車載向けの主流
製品となるが、リチウムイオン二次電池の技術開発もメーカーの投資が一時、足踏みしたが、自動車
大手の生産が始まり、回復している。材料の価格か低下したことで、スマートフォンや家電向けのリチ
ウムイオン二次電池の価格も下がったことは消費者にとつて有益だっぺ。そうだといって、クスネボ
ーボシが割り込み、昨年9月に米国の運輸省は、自動運転に関するガイドライン、また12月にはコ
ネクテッドカーに関する法規を発表している。この2つは明らかに連携しており、こうしたクルマは
EVの親和性が高いため普及を後押し。今年夏には、カリフォルア州のZEV法改正が絡み、リチウ
ムイオン二次電池の二次利用として、住宅や企業向け、または太陽光発電向けの定置型蓄電池として
転用が増える。それじゃ、水素燃料電池はさておき、二次電池市場の急成長は約束されたものと同じ
ではないかとコキノダイナスが言ってのけた。



そうすると、自然エネルギーのうち、日本では木質バイオ燃料エネルギーの普及ということに目がい
くけれと、どうしてかしらとベゴニアがたずねる。

 ツイヨポポスのアバター

それは手間がかかるからですと、ツイヨポポス語りはじめた。その1つは間伐にに手間がかかりすぎ
ること、伐採した間伐材を運びだすのが大変なのです。全国で2千万立方メートル、東京ドーム16
個分がそのまま伐り捨てられている。作業道を整備する必要があるがそれもできていない。整備され
たとしても、①伐採→②集材→③回収(作業道整備)までの手間を考えるとそれは絶望的ですね。そ
れと。木が増えすぎているKとも大きな問題です。つまり、建築材として価値のない巨木の状態で放
置されしれるという悪循環が起きているわけです。その意味では、間伐だけでなく皆伐も必要だとい
うことになります。つまり、禿げ山にすればいいと言うのねとヤコシがバックチャンネルする。
日本
の森林は、もっと木を伐っていく必要に造られているが、歪んだ補助金政策により、間伐だけが進む
と、20年後には巨木杯や針広混合林など、収穫を目的としない山が増えてしまい日本の林業が完全
に衰退し、さらにはバイオマス発電の燃料も、どこにもなくなることになるでしょう。しかし皆伐を
すると、その後に植林をしなければならず、木を植えてもお金にならないため、どこの山主もやりた
がらないのが現況です。
したがって、20年後のことを考えるのであれば、間伐ばかりでなく、皆伐
を促す政策や補助金も必要だと思います。皆伐で山主にお金が戻るようにして、再造林期間のコスト
をまかなえるようにしていかないと、20年後には、全量買い取り制度(FIT)の終焉とともに日
本の林業は再び衰退してしまうでしょうと、悲観的な将来を語る。



それじゃ、マイナスと考えられる課題をプラスに転換する政策を、国レベルでとればいいのではない
でしょうかとへーリオスが質問すると、今日のやることは決まりだねとアルマティは拍手しながら言
うと、参加者全員の拍手が期せず起った。 

                                                                          この項了


                                                             

 

  Mar. 15, 2017

【気味が悪いが革命的かも】20年には食卓に人工食肉がでているかも

コスト的に合うのかわからないが、安全性など考えるチョット惹いてしまいそうだが、安心で適正価
格ならOKだろう。日本人には魚肉市場にも展望が拓けるけるかものね。

※ Say Hello to Finger-Lickin’ Lab-Grown Chicken,  MIT Technology Review

   Jan. 6, 2016

【世界初】視覚障害者向けに「スマートウォッチ」を開発!

 遅いニュースだが、これは価値があるものだ。

 

    

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真っ赤なプジョーとの別離

2017年03月18日 | 時事書評

  

    

          53  着実な成長  /  風山漸(ふうさんぜん)  

 

                              

       ※ 漸とは、徐々に進むこと。急激な成長は望めないが、着実に
                 を追って進んで行くのである。卦の形は、山(艮)上の木(巽)

         が、目に見えぬ速度で、しかも着実に伸びゆくさまを表わしてい
         る。また女子(巽)が落ち着いて(艮)求婚を待つさまでもある。
         各爻の辞は、雁が水際から岩へ、さらに陸、樹上、山上、そして
         はるかなる雲路へと順を追って進み行く姿に象って繋けられてい
         る。雁は厳重な一夫一婦制を守る鳥で、理想的な夫婦関係の象徴、
         また飛ぷ時には決して序列を乱さない。婚礼の儀式が正しい哨序
         で行なわれるように何事も順序正しく進ひならば、吉。


 

 

 

【再生医療最前線=歯再生 岡山大院グループ】

岡山大大学院医歯薬学総合研究科の研究グループは16日、イヌの幹細胞から作った歯の基になる「
歯胚(しはい)」を用い、同じイヌの歯を再生させることに成功したと、英電子科学誌サイエンティ
フィック・リポーツで発表した。ヒトの歯の再生治療の可能性を示す成果で、同大の窪木拓男教授は
毛髪や臓器の再生にも応用できると考えられ、再生医療の発展につながると話す。

生後30日のイヌから永久歯の歯胚を取り出し、さまざまな器官の基(種)となる上皮組織と間葉細
胞に分け
た。これをもう一度合わせた後、2日間培養して作った「再生歯胚」を同じイヌの歯が抜け
た部分に移植する
と、約6カ月で歯が生えた。この歯はエナメル質や象牙質、歯根膜など天然の歯と
同じ構造を持っていた。歯
の中には神経も作られていると推測される。 歯胚を用いた歯の再生は、
東京理科大のグループが2007年
にマウスで成功した。その際に開発された技術をヒトに応用する
には、歯が生え替わるイヌなど大型動物での
成功が必要だったが、条件によってはマウスに比べて歯
の再生率が低いことや歯胚をどのように確保するかと
いった課題があるとのこと。

※ 再生医療技術シリーズとして適宜取り上げていこう(「RM100倶楽部」)。

Titol: Practical whole-tooth restoration utilizing autologous bioengineered tooth germ transplantation
in a postnatal canine model.

 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』

   2.みんな月に行ってしまうかもしれない   

 
  朝、妻を仕事に送り出してから、昼過ぎまで集中して絵を描き、昼食をとったあと近所を散歩
 し、ついでに買い物をし、夕方になると食事の支度をした。週に二度か三度、近くのスポーツク
 ラブのプールに泳ぎに行った。妻が帰宅すると、食事を作って出した。そして一緒にビールかワ
 インを飲んだ。「今日は残業があって、会社の近くで適当に食事をとるから」という連絡があれ
 ば、一人でテーブルに向かい、簡単に食事をすませた。我々の六年間にわたる結婚生活は、おお
 かたそんな日々の繰り返したった。それで私の方にはとくに不満もなかった。
 
  建築事務所の仕事は忙しく、彼女はよく残業をした。私が一人で食事をすませる回数が次第に
 多くなっていった。帰宅が真夜中近くになることもあった。「ここのところ仕事が増えているの」
 と妻は説明した。同僚が一人急に転職して、その穴埋めを自分がしなくてはならないのだ、と言
 った。でも事務所はなかなか新しい人を入れてくれない。夜遅く帰宅した彼女はいつも疲れてい
 て、シャワーを浴びるとそのまますぐに眠ってしまった。おかげでセックスの回数はかなり少な
 くなっていた。仕事が片付かず、休日に出社することもたまにあった。私はもちろん彼女のそん
 な説明を額面通りに受け取っていた。疑わなくてはならないような理由は何ひとつなかったから。

  でも実は残業なんてなかったのかもしれない。私が∵人で家で食事をとっているあいだ、彼女
 はとこかのホテルのベッドで、新しい恋人と二人きりの親密な時間を過ごしていたのかもしれな
 い。

  妻はどちらかといえば外交的な性格だった。見かけはおとなしそうだが、頭の回転が遠く、機
 転も利き、社交的なシチュエーションをある程度必要とした。そしてそのようなシチュエーショ
 ンは、私がまず提供することのできないものだった。だからユズはしばしば親しい女性の友人だ
 ちとどこかで食事をしたり(彼女には多くの友だちがいた)、仕事のあとで同僚たちと飲みに行
 ったりした(彼女は私よりアルコールに強かった)。ユズがそうやって別行動をとり二人で楽し
 むことに、私は苦情を述べなかった。むしろそうすることを動めたかもしれない。

  考えてみれば、妹と私との関係も同じようなものだった。私は苦から外に出るのが苦手で、学
 校から帰るといつも部屋に∵人でこもって本を読んだり、絵を描いたりした。それに比べて妹は
 社交的で活動的な性格だった。だから日常生活の上で、私たち二人の関心や行動が一致すること
 はそれはどなかったように思う。でも私たちはお互いのことをよく理解し合っていたし、それぞ
 れの持ち昧を尊重していた。私たちは、その年代の兄と妹にしてはあるいは珍しいことかもしれ
 ないが、まめにいろんな話をした。二階に物干し台かおり、夏でも冬でもそこに上って、二人で
 飽きもせずに話をしたものだった。我々はとくにおかしな話をするのが好きだった。滑稽な話を

 交換しては、二人でよく笑い転げたものだった。

  だからというわけでもないのだが、私自身はそのような妻との関係性に、素直に安心しきって
 いたところがある。私は結婚生活における自分の役割――無口で補助的なパートナーとしての役
 割――を自然なもの、自明なものとして引き受けていた。でもユズはそうではなかったのかもし
 れない。彼女にとって、私との結婚生活にはきっと何か満ち足りないものがあったのかもしれな
 い。妻と妹とはまったく違う人格であり、存在なのだから。そして言うまでもなく、私はもう十
 代の少年ではないのだから。

  月が変わって五月になった頃、私は来る日も来る日も車を運転し続けることにさすがに疲れて
 きた。ハンドルを握りながら、同じものごとを果てしなく考え続けることにも飽いてきた。質問
 はすべて繰り返しに過ぎず、回答はいつまでもゼロのままたった。運転席に座りつづけているせ
 いで、腰も痛むようになってきた。プジョー205はもともとが大衆車だ。シートだってそれほ
 ど良質なものではないし、サスペンションも目に見えてくたびれてきた。そして長期間にわたっ
 て道路の照り返しを見続けてきたために、目の奥に慢性的な痛みを覚えるようになっていた。考
 えてみればもうIケ月半以上、私はほとんど休みなく、まるで何かに追いかけられているみたい
 にせわしなく移動を続けてきたのだ。
 
  宮城県と岩手県の県境近くの山の中に、小さなひなびた湯治場を見つけ、そこでいったん移動
 を中断することにした。深い渓谷の奥にある名もない温泉で、地元の人々が療養のために長逗留
 するような宿たった。料金も安く、共同の台所で簡単な自炊をすることもできた。そこで心ゆく
 まで温泉につかり、眠りたいだけ眠った。運転の疲れを疲し、畳の上に寝転んで木を読んだ。木
 を読かのにも飽きると、バッグからスケッチブックを出して線を描いた。線を描こうという気持
 ちになったのはずいぶん久しぶりのことだった。最初に庭の花や樹木を描き、それから旅館が庭
 で飼っている兎たちを描いた。簡単な鉛筆の素描だったが、みんなそれを見て感心してくれた。

 そして頼まれるままにまわりの人々の頼をスケッチした。同宿している人々、旅館で働いている
 人々。私の前をただ通り過ぎていく人々。もう二度と会うこともないであろう人々。そして望ま
 れれば、描いた線を本人に進呈した。

  そろそろ東京に戻らなくてはと私は思った。いつまでこんなことを続けていたところで、たぷ
 んどこにも辿り着けない。そして私はまた線を描きたかった。依頼された肖像画ではなく、簡単
 なスケッチでもなく、久しぷりにきちんと腰を据えて自分自身のための絵を描きたかった。それ
 がうまくいくかどうかはわからない。でもとにかく最初の一歩を踏み出してみるしかない。

  私はそのままプジョーを運転して東北地方を縦断し、東京まで戻るつもりだったのだが、国道
 六号線のいわき市の手前でついに車の寿命が尽きた。燃料パイプにひびが入り、エンジンがまっ
 たくかからなくなった。これまでほとんど整備もしてこなかったのだ。そうなっても文句は言え
 ない。唯一幸運だったのは、車が動かなくなった場所がたまたま、親切な修理工がいるガレージ
 のすぐ近くだったことだった。旧型のプジョーの部品をここで手に入れるのは困難だし、取り寄
 せるにしても時間もかかる。もし修理できたとしても、またすぐに他の部分に問題が出てくるだ
 ろう、とその修理工は言った。ファンベルトも危ういし、ブレーキパッドもかなりぎりぎりまで
 減っている。サスペンションにもがたがきている。「悪いことは言わない。このまま安楽死させ
 た方がいい」と。一ケ月半の路上の生活を共にし、走行距離十二万キロ近くをメーターに刻んだ
 プジョーに別れを告げるのは寂しかったが、あとに残していかざるを得なかった。おれの代わり
 に車が息を引き取ってくれたのだ、と私は思った

  車を処分してもらうお礼に、テントと寝袋キャンプ用品はその修理工に進呈した。最後にプ
 ジョー205のスケッチをしてから、私はジムバッグひとつを肩に担ぎ、常磐線に東って東京に
 戻った。そして駅から雨田政彦に電話をかけて、現在置かれている事情を簡単に説明した。結婚
 生活がうまく行かなくなって、しばらく旅行に出ていたんだけど、東京に戻ってきた。とりあえ
 ず戻る場所がない。どこか泊めてもらえるようなところはないかな、と私は尋ねた。

  それならちょうどいい家がある、と彼は言った。おれの父親がずっと一人で往んでいた家なん
 だが、父親は伊豆高原にある養護施設に入ることになり、しばらく空き家になっている。家具や
 生活必需品はみんな揃っているから、何も用意しなくていい。場所としては不便なところだが、
 電話はまだ使える。それでよければしばらく往んでみないか。
  願ってもない話だ、と私は言った。それはまったく願ってもない話だった。
  そのようにして新しい場所での、私の新しい生活が始まった。




   3.ただの物理的な反射に過ぎない

  小田原郊外の山頂の新しい家に身を落ち着け、数日してから妻に連絡をとった。彼女に連絡が
 つくまでに五回ほど電話をかけなおさなくてはならなかった。会社の仕事が忙しく、相変わらず
 帰宅は連くなっているようだった。それとも誰かと外で会っていたのかもしれない。でもいずれ
 にせよ、それはもう私には関わりのないことだった。

 「ねえ、今どこにいるの?」とユズは私に尋ねた。
 「今は小田原の雨田の家に落ち着いている」と私は言った。そしてその家に住むようになったい
 きさつを簡単に説明した。

 「あなたの携帯に何度も電話をかけたんだけど」とユズは言った。
 「携帯はもう持っていない」と私は言った。私の携帯電話は今頃はもう日本海に流れ着いている
 かもしれない。「それで、身の回りのものを引き上げるために、近くそちらに行きたいんだけど、
 かまわない?」
 「この部屋の鍵はまだ持ってるでしょう?」
 「持ってるよ」と私は言った。携帯と一緒に鍵を川に捨てることも考えたのだが、返却を求めら
 れるかもしれないと思い直して、そのまま持っていた。「でも君のいないときに勝手に部屋に入
 ってかまわないのか?」
 「だってここはあなたのうちでもあるのよ。いいに決まっているじやない」と彼女は言った。
 「でも長いあいだ、いったいどこで何をしていたの?」

  ずっと旅行していたんだ、と私は言った。一人で車を運転し続けていたこと。寒い地方をあち
 こち回っていたこと。途中で車の寿命が尽きてしまったこと。そんな経緯を手短に要約した。

 「でもとにかく無事だったのね?」
 「ぼくは生きているよ」と私は言った。「死んだのは車だ」

  ユズはしばらく黙っていた。それから言った。「このあいだ、あなたが出てくる夢を見た」
  どんな夢だったのか、私は尋ねなかった。彼女の夢の中に出てきた私のことを、私はべつに知
 りたいとは思わなかった。だから彼女もその夢の話はもうしなかった。

 「部屋の鍵は置いていくよ」と私は言った。
 「私としてはどちらでもいいのよ。あなたの好きにすればいい」

  帰り際に郵便受けに入れておく、と私は言った。
  少し間かあいた。それから妻は言った。

 「ねえ、最初にデートしたとき、私の顔をスケッチしてくれたことを覚えている?」
 「覚えているよ」
 「ときどきあのスケッチを引っ張り出して見ているの。素晴らしくよく描けている。ほんとの自
 を見ているような気がする」
 「ほんとの自分?」
 「そう」
 「だって毎朝、鏡で自分の顔を見ているだろう?」
 「それとは違う」とユズは言った。「鏡で見る自分は、ただの物理的な反射に過ぎないから

  私は電話を切ってから洗面所に行って、鏡を眺めてみた。そこには私の顔が映っていた。自分
 の顔を正面からまともに見るのは久しぶりのことだった。鏡に見える自分はただの物理的な反射
 に過ぎないと彼女は言った。でもそこに映っている私の顔は、どこかで二つに彼分かれしてしま
 った自分の、仮想的な片割れに過ぎないように見えた。そこにいるのは、私が選択しなかった方
 の自分だった。それは物理的な反射ですらなかった。

今回は、鍵語、「肖像画」に描かれた「本当の自分」とは?またひとつの謎が残される。


                                     この項つづく

【RE100倶楽部:海洋エネルギー発電Ⅱ】

● 事例研究:特開2017-038511 電磁共振回転電機及び複合型回転電機

航空機や宇宙機器、さらには太陽光発電で飛行できる電動飛行機や無人飛行機は機器の重量が性能を
大きく左右する。そのため、搭載するモータや発電機等の回転電機の軽量化が図られるが、機械構造
を根本的に変更しないままの減量には限界がある。回転電機の重量の大部分を占めるのは金属材料で
あり、かつ体積割合の大部分を占めるのは鉄心である。鉄心が無くなれば金属材量はコイルのみにな
り、飛躍的に軽量化できる。しかし、鉄心は起磁力で生じる磁束を高めるとともに漏れ磁束を低減し
て有効磁束を確保する重要な役割を担い、従来の回転電機には必要不可欠なものである。従来構造の
回転電機ではその軽量化に自ずと限界がある。

一方、汎用モータや大容量モータには誘導型モータ(誘導機)が最も多く使用されているが、誘導機
には原理的な課題がある。誘導機では、エアギャップ長出力に大きく影響する。出力、効率、力率
等の機器の特性を向上させるにはエアギャップ長を狭くすることが望ましいが、量産性や性能のばら
つき等の製造性を考慮するとエアギャップ長はある範囲までしか狭くできない。このような二律背反
の関係によって誘導機は効率や力率、高出力化において従来技術では性能限界に達している。

ここでは、下記のような新規な電磁共振回転電機及び複合型回転電機の技術事例を提案する。 

  1. 固定子巻線と回転子巻線との間に起こる電磁気的共振を利用して回転子に回転力を誘起させ、
    あるいは逆に回転子の回転に対して固定子側に電力を発生させるこのような回転子を回転させ
    あるいは固定子に電力を発生させることがきる。
  2. このような回転子を回転させあるいは固定子に電力を発生させることのできる電磁気的共振原
    理を利用する回転電機により、鉄心を無くして超軽量化が図れ、また誘導機のエアギャップを
    大きくとっても高性能化が図れる。

【解決手段】下図のように、複数のコイル11U,11V,11Wを接続した固定子巻線11とキャ
パシタ13とを有する固定子10と、複数のコイル21U,21V,21Wを接続した回転子巻線
21とキャパシタ23とを有する回転子20とから構成され、インダクタンスLとキャパシタンスC
との電磁気的共振現象を利用して回転子20を回転させ又は回転子20の回転により固定子10に電
力を発生させる電磁気共振回転電機である。

  

【符号の説明】1,101,201 電磁共振回転電機  10,110,210 固定子  11,
111,211 固定子巻線  11U,11V,11W 固定子コイル  12 固定子構造体 
13U,13V,13W キャパシタ  14 スロット  20,120,220 回転子 
21,121,221 回転子巻線  21U,21V,21W 回転子コイル  22 回転子構造体 
23U,23V,23W キャパシタ  24 スロット  27 導電板  30 エアギャップ

● 電磁共振モータとは

電磁共振回転電機は電磁界共振結合を利用して固定子巻線と回転子巻線との間で電力を電送し、モー
タ動作では力を発生し、発電機動作では電力を発生させる電磁共振エネルギー変換機器である。電磁
共振回転電機は無鉄心で、巻線のみで構成することができる。そのため、超軽量の回転電機が実現で
き、モバイル機器から電気飛行機、太陽電池飛行機を実現するためのキー技術になる可能性がある。

電磁共振モータは固定子巻線(1次巻線)と回転子巻線(2次巻線)との間で電磁界共振結合の作用
で電力を電送してエネルギー変換を行う。上図1、2を用いて、電磁共振モータ1の原理モデルの構
成と動作原理について述べる。3相の固定子コイル11U,11V,11Wを空間的に60°120°
位相間隔で配置する。前記コイル11U,11V,11Wから成る固定子巻線11の固定子電流によ
って回転磁界を形成する。回転子20には同様に3相のコイル21U,21V,21Wを配置し、三
相短絡状態にする。これらの回転子20のコイル21U,21V,21Wにて回転子巻線21を構成
する。また、上図3、4に示すように、通常の固定子鉄心と回転子鉄心はなくして無鉄心とし、実際
の構造としては合成樹脂FRPを固定子構造体12、回転子構造体22として各コイル11U,11
V,11W;21U,21V,21Wを固定する。但し、低周波数領域でも成立する場合で、応用製
品によっては鉄心を設ける可能性もある(複合型回転電機)。

 さらに図1、図2に示すように、3相の固定子巻線回路と回転子巻線回路とには共振用のキャパシタ
13U,13V,13W;23U,23V,23Wを接続してそれぞれにキャパシタンスを持たせて
いる。図3、図4を用いて実施の形態の電磁共振回転電機1の機械的な構成を詳しく説明する。電磁
共振回転電機1は固定子10と回転子20から構成される。固定子10は、強化繊維樹脂(FRP
)を材料とした固定子構造体12にスロット14を設けて、固定子構造体12の各スロット14内に
コイル11U,11V,11Wを挿入し、複数のコイル11U,11V,11Wから成る3相の固定
子巻線11それぞれにはキャパシタ13U,13V,13Wを接続してキャパシタンスを持たせてい
る。

一方、電磁共振回転電機1の回転子20は、強化繊維樹脂(FRP)を材料とした回転子構造体22
にスロット24を設けて、回転子構造体22の各スロット24内にコイル21U,21V,21Wを
挿入し、複数のコイル21U,21V,21Wから成る3相の回転子巻線21にはキャパシタ23U,
23V,23Wを接続して各相にキャパシタンスを持たせている。固定子10の内部に回転子20を
配置し、両者間にはエアギャップ30を形成している。

固定子10の3相巻線21のインダクタンスLとキャパシタンスCとは、設定した周波数fで共振す
る値にしている。同
様に回転子20の3相巻線21のインダクタンスLとキャパシタンスCとは、設
定した周波数fで共振する値にしている。さらに固定子10の共振周波数fと回転子20の共振周波
数fとがほぼ一致するように各巻線11,21とキャパシタ13,23の特性を設定している。これ
によって、固定子10と回転子20とが電磁気的な共振結合状態になり、固定子10側の電気エネル
ギーが回転子20側のエネルギーとして電送される。このような構成にすることによって漏れ磁束の

影響はほとんどなくなるので、無鉄心の空心状態でも電磁界結合によって電力を電送できる。

上記の構成の電磁共振モータの特性解析を行った。空心とするためにステータコアとロータコアの材
料設定を空気に設定した。電磁共振モータのモデルは図3、図4に示すものである。そのモデルの諸
元を下図5の表に示している。

※ これは面白い(残件扱い)

● プライバシー保護が成長戦略

  個人情報を食い物にしないスナップがついに上場

モバイル端末で掘影した写真や勲画を手軽に友達に送信できるスナンブチヤット。このアプリを運営
するスナジブが3月初め.ついにIPO(新規株式公開)を果たした。時価総額は公開初日の終値ペ
ースで約280億ドルと、ここ数年のIT企業のIPOとしては最大規模のものになり話題となって
いる。スナッブチヤットは、受信者か閲覧すると数秒後にデータが消えるのか特徴で、若者の間で人
気か高い。ソーシヤルメデイアのフェイスブックは昨年の米大統領選以降、政治がらみの投稿だらけ
になったとして嫌気か差すユーザーが増加。スナップにとっては、多数の新規ユーザーか援得するチ
ャンスかもしれない。だが、それ以上に強力な同社への追い風になりそうな要因がある。ドナルド・
トランプ米大統領の登場が生み出した「監視国家への恐怖」という(ケビン・メイニー「プライバシ
ー保護が成長戦略」Newsweek 55 2017.03.27)。



最近まで、アメリカ人の多くは「デジタルプライバシー」をあまり懸念していなかった。フェイスブ
ックやグーグルをはじめ、多くのIT企業業が提供する魅力的な無料サービスを享受するため、喜ん
でんで個人情報をネット上で差し出してきた。だがテクノロジーは、かつてない方法で私たちのプラ
イバシーを侵食し始めている。加えてトランプ政権は、鳥の巣箱を租う猫のようにユーザーのデータ
を狙っている。国家安全保障局(NSA)などの治安機関や企業に私たちの個人情報を大量にに集め
させ、好き勝手に使わせようとしているという。

この状況に人々の懸念は高まっている。ビュー・リサーチセンターの1月の世論調査によれば,米国
民の約半数が5年前に比べ、個人情報の安全性が低下したと考えている。政府に個人情報の安全な管
理は期待できないという答えも3分の1近い。 個人向けプライバシー保護ソフトのアンカーフリー
によれば、トランプの大統領選勝利以降、アメリカで同社の登録ユーザーか急増した。「アラブの春」
の時期のエジプトやチュニジアでも同様の現象が起きたという。

3分ごとに位置情報追跡

同誌の著者は、NSAは1月、退陣間近のオバマ政権から、傍受したメールや導Mなどの内容を他の
岑情報機関と共有する許可を得た。プライバシー擁護団体は、トランブ政権がこれを乱用するのでは
ないかと懸念している。それによると、だが、政府以kに心配すべきなのはテクノロジーの進歩かも
しれないという。最近のIT業界は、こぞって機械学習を活用した魅力的な新商品やサービスの提供
を目指している。

フェイスブックの「いいね!」や投稿内容に関連した広告を表示するグーグルは既におなじみだ。グ
ーグルも検索ワードやGメール内の単語を使い、同様の広告を展開している。だがこれらも、IT業
界か開発中の機械学習という複雑な「料理」に比べれば、具のないサンドイッチのようなものだ。今
やソフトウエアは人間とほぼ言語理解能力を身に付けた。アマゾン・エコーやグーグル・ホームのよ
うな音声認識端末を家庭に導入するのは、わざわざ、盗聴機器を目宅に設置するようなものだと指摘
している。

この手の機器は表向き、「アレクサ」のようなトリガーワード「きっかけの言葉」で呼び掛けて初め
て反応する仕様になっている。だが実際には、近くで私たちが発した全ての言語を聞き取り、分析す
る能力かある。警察や弁護士は興味津々だ。アーカンソー州で起きた殺人事件では、警察か容疑者宅
にあるエコーの存在に気付き、アマゾンに対してエコーが聞き取った全記録の提出を要請した。アマ
ゾンは保存されているのはトリガーワード後の数秒分の言葉だけだとして要請を拒否したか、今後こ
うした事例か増えるのは確実だろう。またスマートテレビメーカーのビジオは先口、顧客の視聴習慣
をこっそり追跡していたとして罰金を科された。モバイルアプリのユーザー追跡能力は高い。カーネ
ギー・メロン大学のノーマン・サデー教授らが行った研究によれば、グルーボンやウェザーチャンネ
ルのようなモパイルアブリは、3分おきにユーザーの位置情報を集めていることを判明する。

 Digital privacy

いずれユーザーが反乱? 

今では個人情報を企業のデータペースに転送するIoT(
モノのインターネット一間遠機器も大老に出
回っている。家系調査サイトのアンセストリー・ドットコムや、将来に病気などを引き起こす可能性
がある遺伝子の有無を調べてくれる23アンドミーのサービスを利用するために、DNA検査キット
を購入するユーザーも多い。実際この分野も法執行機関の関心の的だ。アイダホ州で起きたある殺人
事件では、警察がアンセストリーのデータベースにあったDNAサンプルとの照合によって、1人の
容疑者の身元を特定した例がある。

NSAや企業がデジタルデータと遺伝子情報を組み合わせて使用するようになりたら、私たちか何を
話し、どこに行き、誰と知り合いで、どんな出自なのかまで知ることができる。いずれ大量のユーザ
ーか、自分の情報が丸裸にきれていることに気付き、個人情報の無料提供をやめる日か来るかもしれ
ない。この「反乱」は、IT業界に大打撃を与えるはずと指摘。私たちは無料サービスと引き揆えに
プライバシーを売り、企業は個人情報に基づくターゲット畷マーケティングを展開している。多くの
ユーザーが「ゲーム」から抜ければ、このビジネスモデルはもう終わりだ。だからこそ、このタイミ
ングでのスナップのIPOは重要な意味を持つ。同社はあらゆる個人情報を大量に吸い上げなくても、
継続可能なメディア事業を築けることを実証しつつある。

スナッブのIPO申請書類によれば、1日当たりのアクティプユーザーは豹1億6000万㌦。16
年の売り上げは
約4億㌦に達し、同社は猛スピードで成艮を続ける。急成長の秘訣は、プライバシー
を侵害しないことかもしれ
ない。投稿した写真や動画がすぐに消えるサービスを売りにしたスナッブ
チャットのビジネスモデルは、顧客の
全行動をデータ化する必要はないという考えに基づいている。

インターネット出現以前の数千年間、会話は終わっな瞬間に消えてなくなるものだった。自分が歩い
た場所を記録する機器などなかった。読み終わった新聞からどの記事を読んだかチェックされること
もなかった。
プライバシーをユーザーに「返す」ことで支持を得るというのがスナップの戦略だ。そ
れが.正しければ、「未来は過去の
ようになる」可能性がある。多くの国民が監視国家の影に怯え、
プライバシーを取り戻そうとする時代は、もうすぐそこまで来ているのかもしれないと警告しこう結
んでいる。

ジタバタしても始まらない。悪い事をして悔い改めなければ(勿論、歴史修正主義者も含め)地獄へ
堕ちる他ないと、
わたしそう割り切り今夜も打ち込んでいるわけだ。

                                        

           

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迷惑な自滅/自爆

2017年03月17日 | 時事書評

  

    

          52  動かざる山々  /  艮為山(ごんいさん)  

 

                                    

        ※ 昨日の「震」を逆にした卦であり、卦の持つ意味も全く逆である。
          「震」は動いてやまぬ雷で
あったが、「艮」は泰然として動かぬ山
          である。沈思黙考して、軽挙妄動を慎しむべき時である。軽
率に進
          めば、山また山の難儀がひかえている。卦の形は、各爻とも正応す
          るものがない。協力者は期
待できず、ひとりわが道をゆく覚悟が必
          要である。依頼心は禁物。地味な努力で、現在の地位、境遇
を守っ
          てゆくことが大切である。「艮」は、「夬」や「咸」と同様、身体
          の各部を例にとり、足から頭へ順に昇って
ゆく。

 

 



【RE100倶楽部:海洋エネルギー発電】

ひょんなことから、海洋エネルギー発電を考えようと、思い立ち、一日かけてあれこれと思索にふ
ける。結論
は、これまでの、太陽・風力・バイオマスと同じ再生可能エネルギー(あるいは自然エ
ネルギー)の4つめのシステムとして海洋エネ
ルギーを集約し「オールマリーンパワーシステム」
とすることに決める。ここでいう、「オールマリンパワーシステム」とは、①海流発電、②潮流発
電、③波力発電、④塩分濃度差発電、⑤海洋温度差発電をさし、⑦海上風力発電を除いた発電シス
テムのことである(下図表ダブクリ参照)。

● 国内事例:奄美大島の水中浮遊海流発電システム

鹿児島県の奄美大島では古い小水力発電所が5倍以上の規模で復活し、石油火力発電に依存する離
島の中で二酸化炭素排出しない電力を供給。近隣の島の沖合では海流発電の実証試験を計画中であ
る。本土側では原子力発電所の周辺地域にメガソーラーが広がり、新しい地熱発電所の建設も進む。
奄美大島の北側にはトカラ列島の島々が点在している。その中で最も北にある口之島(くちのしま
)の沖合では、世界でも最大級の海流発電プロジェクトが進行中。ガスタービン発電機などを得意
とするIHIが東芝と共同で実証試験の準備に入っている。実証試験に使う海流発電システムは水中に
浮遊させる方式だ。発電システムの両端に、2枚の羽根が回転して発電するタービンをペアで備え、
1枚の羽根の長さは11メートルあり、2基のタービンを合わせて発電能力は百キロワットになる。
システム全体の大きさは横幅が20メートルで、長さも20
メートルに及ぶ。

 Dec. 26, 2014

この海流発電システムを海面から50メートル程度の深さに浮かべる。海底に沈めた重りからケー
ブルでつなぎ、空を飛ぶ凧(たこ)のように浮遊させながら海流を受けて羽根を回転させる。海底
にはケーブルの接続箱も設置して、発電した電力を海底ケーブルで島へ送る。口之島を含めてトカ
ラ列島には東シナ海から黒潮が流れ込み、海流の速い場所が島の近くに広がり、実証試験は口之島
の沖合55キロメートルの海域で実施する予定。発電量や漁業に対する影響を評価して実用化を目
指している(「小水力発電と海流発電が離島に、天候に左右されない電力を増やす」 スマートジャ
パン 2017.03.14
)。

水中浮遊式の海流発電システムは同じ海域に数多く並べて設置できるため、発電能力を効率的に増
やせる点が特徴だ。日本の太平洋側には百キロメートル程度の幅で黒潮が流れている。海流発電を
実用化できれば、陸地に近い海域で大量の電力を生み出すポテンシャルがある。尚、海流には世界
中では年間数百テラワットアワーのエネルギーが存在するとされ、黒潮に関しては、東経139度(伊
豆半島沖)、北緯32.5~34度(約150キロメートル)、水深50メートルの断面におけるエ
ネルギーポテンシャルは、2.1ギガワットという見積もりがある。

● 海流発電のタービンは風力/水力と共通:
      
【水中浮遊式海流発電システムとは何か】

海底に係留索を介して繋がれた水中浮遊体にプロペラを取り付け、黒潮等の海流によってプロペラ
を回転させて発電するようにした水中浮遊式海流発電システムが提案されている。
このような水中
浮遊式海流発電システムは、水温の変化や海流の強弱等の外乱要因により、水中浮遊体の深度が設
定深度から外れる事態が考えられる。例えば、海流が強くなった場合、係留索と海底との角度が小
さくなって水中浮遊体が沈降し、逆に、海流が弱くなった場合、水中浮遊体が浮上する。また、海
流の水温が高くなった場合、海水の比重が小さくなるので水中浮遊体が沈降し、逆に、海流の水温
が低くなった場合、水中浮遊体が浮上する。

これは新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)が進める「海洋エネルギー技術研究開発-海洋
エネルギー発電システム実証研究」の共同研究予定先として採択、2011年より研究開発。
黒潮など
ので海流は昼夜・季節などの変動が少ないため安定供給でき、四方を海に囲まれた日本では最も大
量に利用
できる自然エネルギー源とされる。水中浮遊式海流発電システムは、対向回転する双発式
タービンをケーブルで海底に繋留、海中を凧のように浮遊して発電を行う。東芝は発電機や変圧器
の製造、IHIはタービンや浮体を担当。海流発電としては海底から塔を立ててプロペラを回す固定型
の実証実験も各所で行われているが、浮遊型は大規模な海底土木工事が要らず、メンテナンスのた
めに海中から引き上げるのも容易という利点がある。

また、NEDOのプロジェクトにおいては大島造船所とサイエンスリサーチによる「垂直軸直線翼型
潮流発電」も実証研究が進められる。垂直式の風力発電機(ダリウス・サボニウス型風車)と同様に
潮流の方向に合わせて向きを変える必要がなく、低速でも回転するのが特徴。浮体型海流発電/直
軸直線翼型潮流発電はともに2016年以降の事業化に向け、発電コスト40円/kWh以下を目指す。


● 事例研究:特開2017-013721 水中浮遊体の浮力調整装置及び海流発電装置

しかし、ここで、水中浮遊体の深度が設定深度よりも深くなり過ぎると、水圧で水中浮遊体の耐圧
殻が破損
したり、プロペラが海底に接触したり、海流が弱く発電効率が低下する等の不具合が発生
する。逆に、水中
浮遊体の深度が設定深度よりも浅くなり過ぎると、水中浮遊体やプロペラが漁船
の漁網や船舶と干渉する
等の不具合が発生する。一般に、水中浮遊体の深度は、例えば、海面下数
十~数百メートルに設定され、
水中浮遊体の浮力を調整して、水中浮遊体の深度を一定深度範囲内
に保つ必要がある。


浮力調整袋に作動流体を注入/排出には、ポンプ等の圧送機器を水中浮遊体に搭載、それを作動さ
せる
ためのエネルギーも必要で、水中浮遊体に設けたプロペラにより発電した電力等の一部を、水
中浮遊体の
深度調節(浮力調整)のエネルギーに使用せざるを得ず、その分だけ外部への電力供給
量が減少してしま
うこととなる。外乱要因によって水中浮遊体の深度が変化した場合であっても、
エネルギー消費量を低減し
つつ、水中浮遊体の浮力を調整可能な、水中浮遊体の浮力調整装置/海
流発電装置(下図ダブクリ参照)が提案されている。


【符号の説明】

1,1a,1b 浮力調整装置 2 海底 3 係留索 4 水中浮遊体 5 海面 6 索体 7 浮
体 7a 端末浮体 8 プロペラ 9 アンカー 10 海底接続箱 11 海底ケーブル 12 ア
ンテナ 13 地上基地 14 人工衛星 15 目印 16 第一巻取装置 17 ガイド 18 第
二巻取装置 19 錘用索 20 錘体 20a 端末錘体 21 第三巻取装置

 

                                          新しいホーズで見参

   

   2.みんな月に行ってしまうかもしれない  

  私が初めて妻に出会ったのは、三十歳になる少し前たった。彼女は私より三つ年下だった。四
 谷二丁目にある小さな建築事務所に勤めていて、二級建築士の資格を持っており、私が当時付き
 合っていたガールフレンドの高校時代の級友だった。髪がまっすぐで長く、化粧も薄く、どちら
 かといえば穏やかな見かけの顔立ちだった(見かけほど穏やかな性格ではなかったことがやがて
 判明するが、それはあとの話だ)。ガールフレンドとデートをしているときに、どこかのレスト
 ランでたまたま出会って紹介され、私はほとんどその場で彼女と恋に落ちた

  彼女はとくに際たった顔立ちではなかった。これという欠点も見当たらないが、はっと人目を
 惹くようなところもなかった。まつげが長く、鼻が紹く、どちらかというと小柄で、肩脛骨のあ
 たりまで伸びた髪は美しくカットされていた(彼女は髪にとても気を遺った)。ふっくらした何
 の右端近くに小さなほくろがあり、表情の変化に合わせてそれが不思議な動き方をした。そうい
 うところがほのかに肉感的な印象を与えていたが、それも「よく注意して見れば」という程度の
 ものだ。普通に見れば、私がそのときつきあっていたガールフレンドの方がずっと美人だった。
 それなのに私は一目見ただけで唐突に、まるで雷に打たれたみたいに彼女に心を奪われてしまっ
 た。どうしてだろう? その原因に思い当たるまでに数週間がかかった。でもあるときはっと思
 い当たった。彼女は、死んだ妹のことを私に思い出させたのだ。とてもありありと。

  二人が外見的に似ていたというのではない。もし二人の写真を見比べたら、人はたぶん「ちっ
 とも似てないじやないか」と言うだろう。だからこそ私も最初のうち、そのことに気づかなかっ
 たのだ。彼女が私に妹を思い出させたのは、具体的な顔立ちが似ていたからではなく、その表情
 の動きが、とりわけ目の動きや輝きが与える印象が、不思議なくらいそっくりだったからだ。ま
 るで魔法か何かによって、過去の時間が目の前に蘇ってきたみたいに。

  妹はやはり私より三つ年下で、生まれつき心臓の弁に問題があった。小さい頃に何度か手術を
 受けて、手術自体は成功したのだが、後遺症がしつこく残った。その後遺症が自然治癒していく
 ものなのか、それとも先になって致死的な問題をひき起こすものなのか、それは医師にもわから
 なかった。妹は結局、私が十五歳のときに亡くなった。中学校にあがったばかりだった。短い人
 生の中で、妹はその遺伝子的な欠陥と休みなく闘い続けてきたわけだが、それでも明るく前向き
 な性格を失わなかった。最後まで愚痴や泣き言を口にせず、いつも少し先のことを綿密に計画し
 ていた。自分か死ぬということは彼女の計画の中に入ってはいなかった。生まれつき聡明で、学
 校の成績はいつも優秀だった(私よりずっと出来の良い子供だった)。意志が強く、決めたこと
 は何かあっても曲げなかった。兄妹間で何か揉めごとがあっても――そんなことは希にしかなか
 ったが――最後にはいつも私が譲ることになった。最後の頃は、ずいぶん身体がやせ細っていた
 が、それでも目だけは変わりなく瑞々しく、生命力に溢れていた。

  私が妻に惹かれたのもまさにその目だった。目の奥にうかがえる何かだった。その一対の瞳を
 最初に目にしたときから、私の心は激しく揺さぶられた。といっても、何も彼女を手に入れるこ
 とによって、死んだ妹を復元しようと思ったわけではない。そんなものを求めても、その先にあ
 るのは失望だけだということくらいは、私にも想像がついた。私が求めたのは、あるいは必要と
 したのは、そこにある前向きな意志の煌(きら)めきだった。生きるための確かな熱源のような
 ものだっ
た。それは私にとってお馴染みのものだったし、またたぶん拡に不足していたものだっ
 た。

  私はうまく彼女の連絡先を聞き出し、デートに誘った。彼女はもちろん驚いたし、躊躇した。
 なんといっても私は、彼女の友だちの恋人なのだから。でも拡は簡単には引き下がらなかった。
 ただ会って話をしたいんだと言った。会って話をしてくれるだけでいい。それ以上は何も求めて
 いない。我々は静かなレストランで食事をし、テーブルを挟んでいろんな話をした。会話は最初
 のうちはおずおずとしたぎこちないものだったが、やがて生き生きしたものになった。彼女につ
 
いて知りたいことが私には山ほどあったし、話題に困ることはなかった。彼女の誕生日は、妹の
 誕生日と三日しか違わないことがわかった。

 「君のスケッチをしてかまわないかな」と私は尋ねた。
 「今、ここで?」と彼女は言ってまわりを見回した。我々はレストランのテーブルで、デザート
 を注文したところだった。
 「デザートが運ばれて来るまでに終わるから」と私は言った。
 「じやあ、かまわないけど」と彼女は半信半疑で言った。

  私はいつも持ち歩いている小型のスケッチブックをバッグから取り出し、2Bの鉛筆で素早く

 彼女の顔をスケッチした。そして約束通りデザートが運ばれてくる前にそれを描き終えた。大事
 な部分はもちろん彼女の目だった。私かもっとも描きたかったのもその目だった。その目の奥に
 は時間を超えた深い世界が広がっている。
  私はそのスケッチを彼女に見せた。彼女はその終が気に入ったようだった。

 「とても生き生きしている」
 「君自身が生き生きしているからだよ」と私は言った。
  彼女は長い間そのスケッチを感心したように眺めていた。まるで自分か知らなかった自分自身
 を目にしているみたいに。

 「もし気に入ったのなら、君に進呈する」
 「本当にもらっていいの?」と彼女は言った。
 「もちろん。ただのクロッキーだ
 「ありがとう」

  それから何度かデートをして、結局我々は恋人の関係になった。その流れはとても自然だった。
 ただ私のガールフレンドは、親友に私を奪われたことに、ずいぶんショックを受けたようだった。
 彼女はたぶん私と結婚することを視野に入れていたのだと思う。腹を立てるのもまあ当然のこと
 だった(いずれにせよ、私が彼女と結婚することはまずなかっただろうが)。また妻の方にも当
 時交際している男がいたし、そちらもそう簡単に話は収まらなかった。ほかにいくつかの障碍は
 存在したものの、半年ほどして私たちは夫婦になった。友人たちだけが巣うこぢんまりとしたお
 視いのパーティーを開き、広尾にあるマンションに落ち着いた。彼女の叔父がそのマンションを
 所有していて、比較的安い家賃で我々に賃してくれた。私は挟い一室をスタジオにして、そこで
 肖像画を描く仕事を本格的に続けた。私にとってそれはもう腰掛けの仕事ではなくなっていた。

 結婚生活には安定した収入が必要だったし、肖像画を描く以外に私がまともな収入を得るすべは
 なかったから。妻はそこから地下鉄で四谷三丁目にある建築事務所に週った。そして当然の成り
 行きとして、家に残った私が日常の家事を引き受けることになったが、それは私にとってまった
 く苦痛ではなかった。家事をこなすのはもともと嫌いではなかったし、絵を描く仕事の気分転換
 にもなったからだ。少なくとも、毎日会社に週勤してデスクワークを押しつけられているよりは、
 うちで家事をしていた方が遥かに楽しい。

  最初の何年間かの結婚生活は、それぞれにとって穏やかで満ち足りたものだったと思う。ほど
 なく日々の生活に心地よいリズムが生まれ、我々はその中に自然に身を落ち着けた。週末や休日
 には私も結の仕事を休み、二人であちこちに出かけた。美術具に行くこともあれば、郊外にハイ
 キングに出かけることもあった。ただあてもなく都内を歩き回ることもあった。親密な会話の時
 間を持ち、お互いについての情報を交換し合うことは、二人にとっての大事な習慣になった。そ
 れぞれの身に起こったたいていのことは包み隠さず、正直に語り合った。そして意見を交換し、
 感想を述べ合った。

  ただし私の側にはひとつだけ、彼女にあえて打ち明けなかったことがある。それは妻の目が私
 に、十二歳で死んだ妹の目をありありと思い出させ、それが彼女に心を惹かれた最大の理由だっ
 たということだ。もしその目がなかったら、私があれほど熱心に彼女を口説き落とすようなこと
 もなかったはずだ。でもそのことは言わない方がいいと私は感じていたし、実際最後まで一度も
 口にしなかった。それが私が彼女に対して持っていた、ただひとつの秘密だった。彼女が私に対
 してどんな秘密を抱えていたのか――たぶん抱えていたのだろうが――私にはわからない。 

  妻の名前は抽といった。料理に使うゆずだ。ベッドで抱き合っているとき、私は冗談でときど
 き彼女のことを「すだち」と呼んだ。耳元でこっそりそう囁くのだ。彼女はそのたびに笑い、で
 も半分本気で腹を立てた。

 「すだちじやなくて、ゆず。似ているけど違う」と。

  いったいいつからものごとが悪い方向に流れていってしまったのだろう? 車のハンドルを握
 り、ドライブインからドライブイン、ビジネス・ホテルからビジネス・ホテルヘと、移動のため
 の移動を続けながら、私はそのことについて思案し続けた。でもその潮目の変化のポイントを見
 定めることができなかった。我々はうまくやっていると私はずっと思い込んでいた。もちろん世
 間のすべての夫婦がそうであるように、いくつかの実際的な懸案は抱えていたし、それについて
 たまに口論をすることもあった。具体的には子供を作るか作らないかということが、我々にとっ
 ていちばん大きな懸案だったと思う。でもそれを最終的に決定しなくてはならない時期が到来す
 るまでには、まだしばらく時間の猶予はあった。そういう問題(言うなればまだしばらく棚上げ
 にしておける議題)を別にすれば、我々は基本的に健全な結婚生活を送っていたし、精神的にも
 肉体的にもうまくお互いを受け入れ合っていた。私は最後の最後までおおむねそう信じていた。

  どうしてそんなにも楽観的になれたのだろう? というか、どうしてそんなにも愚かしくなれ
 たのだろう? 私の視野にはきっと何か生まれつきの盲点のようなものがあるに違いない。私は
 いつだって何かを見逃しているみたいだ。そしてその何かは常にもっとも大事なことなのだ。


何かを見逃しているみたいだ――この箇所が妙にひっかかる。つまり、見逃していいるのではなく、
意識して見逃していることもあるのだ、それも数多くあるのだと、自分の体験からそう思った。これ
は本筋とは関わりのないのだろうが。それにしても、この時間帯になると脳疲労が酷い。さて、この
作品(全二巻)が読み終えるのはいつになるのだろうか。
             
                                      この項つづく

【常在戦場:迷惑な自滅/自爆 北朝鮮】

金正恩時代に入りミサイル発射/核実験の回数や規模が急増している。米国の軍事的プレゼンスの変
革(あるいは変遷)に入り、トランプ政権と中国の無知、無能、茶番ぶりがわたしたちを不安にさせ
る。単なる火遊びに終われば問題がないが、金正恩がもし核ボタンを押したとたん、体制崩壊すると
ともに、関係国への国家による最大級の大量テロ/環境破壊が起きる。冗談でない。



                                      

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似たもの同士の米大統領

2017年03月16日 | 時事書評

  

    

          51  大山鳴動  /  震為雷(しんいらい)  

 

                                    

        ※ 震は雷鳴、勁くことなどを表わす。この卦は、それが二つ重なって
          おり、天地の間に雷鳴
がとどろきわたっているのである。古代人に
          とって、雷鳴は天の怒りの声であり、強い畏怖の念をか
きたてるも
          のであった。しかしそれが案外実害を起こすことは少ないというこ
          ともまた、かれらは経験
の上からよく知っていたのである。耳目聳
          動(じもくじょうどう)、思わず戦慄するようなことに出遭ったと
          きは、この雷
鳴を思い浮かべることだ。沈着冷静に振舞えば、案外
          あっけなく通り過ぎるものである。この卦はま
た、前景気やかけ声
          ばかりで肝心の内容がともなわないことをも表わす。十分心しなけ
          ればならない。

 

 

       

【RE100倶楽部:変換効率30%超早期実現へ】

太陽光発電と蓄電池の革命的な技術の向上によりコストが急速に低下し、助成金がなくても十分に競争
できる時代となり急速に普及している。国際エネルギー機関(IEA)によると、2015年には世界各地で新
たに作られ
た太陽光発電所の発電容量は51ギガワットに達し、それまでに建設された分と合わせる
と227ギガワットに及ぶという。電力
コストも逓減し、発電所の計画、建設から運用廃止までの全
ストを生涯発電量で割った均等化発電原価(Levelized cost of electridty;LCOE)を過去10年間分で比較
する
と、石炭のLCOEは世界平均で、百ドル/MWhでほぼ一定であるのに対し、太陽光発電のそれは
6百ドル/MWhからは百ドル/MWh近くまで低下。世界経済フォーラムによると、助成金なしで
グリッド
パリティを達成した国が既に30か国以上あり、2020年までには世界の3分の2以上の国々
がそれに追随するだろうと
予想する。

しかし、一方、発電コスト削減ては、日本は遅れをとる。米国のエネルギー省によると、米国、欧州、
中国、インドと比較した場合、住宅用太陽光発電コストは米国に次いで2番目、ユーティリティでは
日本だけ突出して高い。自然エネルギー財団による分析によると、日本で価格が高い要因は、主に建
設工事費、これは施工期間の長さ→人件費の増大、押し上げる。また、使われるモジュールのコスト
も高めな傾向が依然として残っている(品質の安定とは背反するが)。世界全体と比較すれば割高な
日本の太陽光発電も、この20年でコストは5分の1ほどになり、2015年には新たに作られた太陽光発
電所の発電容量が10ギガワットを超える。さらにコストを劇的に逓減するには、変換効率を30%
以上にすることで、工期短縮(面積1/2以下)を実現する。勿論、当初のセル単価は高いが、量産
が始まれば、よりコンパクトに、急速に逓減することは間違いないだろう(基本特性第4則:デフレ
ーション)。


● 事例研究:4接合反転変成太陽電池の製造法とデバイス構造 

     Mar. 2, 2017

ここ数年、宇宙用途のためのⅢ-Ⅴ族化合物半導体多接合太陽電池の大量生産により、技術の進歩が、
宇宙での使用のみならず地上のソーラーパワー用途にも加速。Ⅲ-Ⅴ族化合物半導体多接合デバイス
は、シリコンに比べて製造が複雑になる傾向はあるものの、エネルギー変換効率が高く、一般的に放
射線耐性も高いとされる。典型的な商用のⅢ-Ⅴ族化合物半導体多接合ソーラーセルは、1sun、エア
マス0(AM0)の照度下で27%を超えるエネルギー変換効率をもつが、最も効率の高いシリコン技術で
も、同等の条件下で約18%の効率程度。シリコンソーラーセルに比べて高いⅢ-ⅤV族化合物半導体
ソーラーセルの変換効率は、異なるバンドギャップエネルギーを有する複数の光起電力領域を用いた
入射放射線のスペクトル分割と、各領域からの電流の蓄積とを達成する能力に部分的に基づいている。 


典型的なⅢ-Ⅴ族化合物半導体ソーラーセルは、半導体ウェハ上に垂直多接合構造で製造し、その後、
個々のソーラーセルまたは、ウェハが水平アレイの形に配置され、電気的直列回路の形で個々のソー
ラーセルが互いに接続。アレイの形状及び構造、並びにアレイが含むセルの数は、所望の出力電圧及
び電流によって部分的にめる。
 

例えば、M.W.Wanlass他著、「高性能Ⅲ-Ⅴ族光起電力エネルギー変換器のための格子不整合手法(
Lattice Mismatched Approaches for High Performance, Ⅲ−V Photovoltaic Energy Converters)」(2005年1月3日
〜7日 第31回IEEE光起電力専門家会議議事録 IEEE出版 2005年)に記載されるような、Ⅲ-ⅤV族化合
物半導体層に基づく反転変成ソーラーセル構造は、将来的な商用高効率ソーラーセルの発展の重要な
概念的出発点を提示しているが、セルの多くの異なる層の材料及び構造は、材料及び製造ステップの
適切な選択に数多くの実用的あ困難をともなう。このため、
宇宙用ソーラーセルの効率を高めること
にあるが、宇宙用ソーラーセルの効率は、(不活性Ge上の2重接合InGaP/GaAsの)23%から(3重接
InGaP/InGaAs/Geの)29.5%に向上している。この向上の実現は、材料品質の改善のみならず、宇
宙動作環境の特徴である荷電粒子放射に起因する電力劣化を低減するセル設計の改善による。


下記のソレアロ テクノロジーズ コーポレイション社の「特開2017-041634 多接合反転変成ソーラー
セル」はこれを応用した多接合ソーラーセルの製造方法とそのデバイス構成・構造の新規考案が提案
されている。

【要約】

上図の多接合ソーラーセルが、第1のバンドギャップを有する上部の第1のソーラーサブセルと、上
部の第1のソーラーサブセルに隣接し、第1のバンドギャップよりも低い第2のバンドギャップを有
する第2のソーラーサブセルと、第2のソーラーサブセルに隣接して量子井戸を含み、第2のバンド
ギャップよりも低い第3のバンドギャップを有する第3のソーラーサブセルと、第3のソーラーサブセ
ルに隣接し、第3のバンドギャップよりも高い第4のバンドギャップを有する傾斜中間層と、傾斜中
間層に隣接し、第3のバンドギャップよりも低い第5のバンドギャップを有し、第3のソーラーサブ
セルに対して格子不整合である下部の第4のソーラーサブセルとを含む構成・構造の編成層を含むⅢ
-Ⅴ族半導体化合物に基づく、高性能の多接合ソーラーセルを実現する製造工程及びデバイスの提案
である。

【特許請求範囲】

  1. 多接合ソーラーセルであって、第1のバンドギャップを有する上部の第1のソーラーサブセル
    と前記上部の第1
    のソーラーサブセルに隣接して格子整合し、前記第1のバンドギャップより
    も低い第2のバンドギャップを有する第2のソーラーサブセルと、前記第2のソーラーサブセ
    ルに隣接して格子整合し、前記第2のバンドギャップよりも低い第3のバンドギャップを有する
    第3のソーラーサブセルと、前記第3のソーラーサブセルに隣接し、該第3のバンドギャップ
    よりも高い第4のバンドギャップを有する傾斜中間層と、前記傾斜中間層に隣接し前記第3の
    バンドギャップよりも低い第5のバンドギャップを有し、前記第3のソーラーサブセルに対し
    て格子不整合である下部の第4のソーラーサブセルと、を備え、前記傾斜中間層は、一方では
    前記第3のソーラーサブセルと、他方では前記下部の第4のソーラーサブセルと格子整合するよ
    うに組成的に傾斜し、前記第3のソーラーサブセルの面内格子定数以上であって前記第4のソー
    ラーサブセルの面内格子定数以下の面内格子定数を有することという制約に従って、As、P、N、
    Sb
    系のⅢ-Ⅴ族化合物半導体のいずれかで構成され、前記第3のソーラーサブセル及び前記第
    4のソーラーサブセルのバンドギャップエネルギーを上回るバンドギャップエネルギーを有し、
    前記下部の第4のソーラーサブセルは、約1
    .05〜1.15eV のバンドギャップを有し、前記第3の
    ソーラーサブセルは、約1.40〜1.50eVのバンドギャップを有し、前記第2
    のソーラーサブセルは、
    1.65〜1.78 eVのバンドギャップを有し、前記上部の第1のソーラーサブセルは、約1.92〜2.2
    eV
    のバンドギャップを有する、ことを特徴とする多接合ソーラーセル。

※ 尚、詳細は上図ダブクリ参照(英文)。

● 事例研究:貯蔵型太陽光発電装置および貯蔵型太陽光発電システム

半導体太陽電池は、半導体のバンドギャップ以上のエネルギーを有する光を吸収して電気を生成する。
例えば結晶シリコンは1.12eV以上のエネルギーの光を吸収して結晶シリコン中に正孔と電子を生
成する。一定の光を照射すると、ホールと電子のエネルギー差は半導体のバンドギャップにより決ま
り、入射光の波長にかかわらずエネルギー差は1.12eVである。図2の
大きな表示で見る別ウィン
ドウ(タブ)
は、半導体における正孔 - 電子分極効率によって決定される。Vocは、半導体のバンド
ギャップ(eVで表される値)を超えないがバンドギャップに近い値である。

バンドギャップ以上のエネルギーを有する短波長の光を半導体に照射すると、入射光のエネルギーが
半導体中で部分的に消失し、
Voc はバンドギャップに近い小さい値である。したがって、最も効率よ
く発電が行われる光のエネルギーは、半導体太陽電池のバンドギャップよりも僅かに大きい値である。


すなわち、高効率化の観点から、半導体太陽電池には、バンドギャップに相当する波長よりも僅かに
短い波長の光を照射することが望ましい。
 バンドギャップの小さい太陽電池が短波長の光を吸収する
場合、発電効率は非常に低い。その理由は次の通りである。具体的には、光子エネルギーの大きい短
波長の光を太陽電池に照射しても、太陽電池のバンドギャップによってVocが決まり、増加することは
ない。さらに、光子エネルギーが大きいので、光子数が減少する。その結果、単位光照射強度に対して
I scが小さくなり、発電効率が低下する。

大きな起電力と大きな電力を得るために、バンドギャップが異なり、分光吸収感度が互いに異なる複
数の半導体が積層された多接合太陽電池が開発されている。例えば、図3に示すようなエピタキシャ
ル結晶形成技術を用いてAlInP、InGaAs、Gep-n接合を積層形成した多接合(積層)太陽電池が提案さ
れている。例えば、InGaP / InGaAs / Ge三重接合太陽電池のような多接合型太陽電池は、可視光から赤
外領域の広い範囲の光を吸収して発電する。

図4

また、図4に示すように、バンドギャップの異なるセルをあらかじめ単セル化しておき、透明な導電
性接着剤を用いて貼り合わせる方法。
また、薄板状基板の両面にそれぞれ異なる分光感度を有する太
陽電池セルを有する複数の太陽電池パネルが所定の間隔をおいて平行に配置され、一方の太陽電池パ
ネルを構成する第1の太陽電池の表面で反射した光が他方の太陽電池パネルの第2の太陽電池に入射す
るもの。
また、太陽電池自体の吸収特性を利用した多接合太陽光発電装置提案されている。

下図5に示すように、互いに異なる吸収波長範囲を有し、配線4によって電気的に直列接続された複数
の太陽電池1、2、3と、外部からの光を反射して各太陽電池に光を照射する反射ミラー6、7とを
吸収波長域に吸収されて発電する。
遮光板の前後にそれぞれ異なる波長感度を有する太陽電池が設け、
表面側の太陽電池が直射日光を受光する太陽電池付きブラインドであって、その遮光板の前後にそれ
ぞれ異なる波長感度を有する太陽電池が設けられ、表面側の太陽電池が直射日光を受光する太陽電池
付きブラインドであって、 背面側に太陽電池からの反射光を前面側から受光し、この夜間照明用太陽
電池付きブラインドで発電した電力を蓄電池に蓄えて利用することが提案されている。

以上のようなことをふまえ、①光の反射損失を小さく抑え、②太陽電池のエネルギーロスを小さく抑
え、③電力を発生させることができ、④効率的かつ効率的に電気を蓄える、蓄電式太陽光発電装置お
よび蓄電式太陽光発電システムを提供することが本件の目的とされる。



【要約】

蓄電式太陽光発電装置10は、分光吸収感度が互いに異なる少なくとも2種類の太陽電池11、12、13
含む太陽電池と、太陽電池に電気的に接続された蓄電装置21、22、23とを備えている。太陽電池は、n
番目(n は1以上の整数)の太陽電池が光を透過または反射させて自発的に光を分散させるように構
成されており、n +n 番目の太陽電池に吸収された光の一部以外の太陽電池が、より小さいバンドギ
ャップを有するn+
番目の太陽電池に落ちる。各太陽電池は、蓄電装置の1つに電気的に接続され、
2つ以上の太陽電池に電気的に接続された蓄電装置に蓄える。

 

 

図3 積層型多接合太陽電池の一例を示す概略図
図5 直列型多接合太陽光発電装置の一例を示す概略図
図6、蓄電式太陽光発電装置(第1実施形態の一例)の一例を示す概略図(ここでは図6は図番が表
   記されていないが、図5の右の図がそれである)
図17 実験例1及び比較実験例1の各セルの電流 - 電圧特性曲線を示す図
図18、実験例1及び比較例1の太陽光を模擬した光に対するa-Si(アモルファスシリコン)セル及び
   c-Si(結晶シリコン)セルの配置を示す模式図
図19、実験例2及び比較実験例2の各セルの電流 - 電圧特性曲線を示す図

【特許請求範囲】
 
  1. 互いに異なる分光吸収感度を有する2以上の太陽電池を含み、バンドギャップが減少する順に配
    列された複数の太陽電池を備えた蓄電式太陽光発電装置であって、太陽電池に吸収されない入
    射光の一部を透過または反射させて入射光を分散させ、入射光の一部を次の太陽電池に入射さ
    せる光路方向に対して下流側に配置されている。前記2つ以上の蓄電装置のそれぞれに直接ま
    たは間接的に電気的に接続された2つ以上の蓄電装置とを備え、前記2つ以上の蓄電装置のそ
    れぞれによって生成された電力は、太陽電池に電気的に接続された蓄電装置とを備える。
  2. 前記各太陽電池の発電電力は、前記各太陽電池ごとに個別に記憶されることを特徴とする請求
    項1に記載の蓄電式太陽光発電装置
  3. 前記2つ以上の太陽電池蓄電装置は、前記2つ以上の太陽電池のうちの少なくとも2つの太陽
    電池と電気的に接続された蓄電装置を総称して、前記蓄電装置を構成することを特徴とする請
    求項1に記載の蓄電式太陽光発電装置。
    少なくとも2つの太陽電池によって生成された電力を
    蓄える。
  4. 前記2つ以上の太陽電池のうちの少なくとも2つの太陽電池が電気配線によって電気的に直列
    に接続され、前記2つ以上の蓄電装置が蓄電装置を備えている、請求項1に記載の蓄電式太陽光
    発電装置。
    電気配線によって直列に接続された少なくとも2つの太陽電池によって生成された電
    力を集合的に蓄積する。
  5. 前記蓄電式太陽光発電装置は、前記2つ以上の太陽電池をそれぞれ含む2以上の太陽電池ユニッ
    トと、前記2つ以上の太陽電池ユニット内の太陽電池とを備えることを特徴とする請求項1に
    記載の蓄電式太陽光発電装置。
    同じ分光吸収感度を有するものが同じ蓄電装置に接続されてい
    る。
  6. 請求項1に記載の蓄電式太陽光発電装置と、前記蓄電式太陽光発電システムの外部からの光を
    集光し、前記蓄電式太陽光発電システムの光路方向に対して最も上流に配置された2つ以上の
    太陽電池の中から太陽電池に向けて照射する集光部
    入射光。

 

JESEA地震予測:2017.03.15号】

南関東レベル5

 

 
 
 

  

   2.みんな月に行ってしまうかもしれない

  新潟に着くと、右に折れて海岸沿いを北上し、山形から秋田県に入り、青森から北海道に渡っ
 た。高速道路はいっさい使わず、一般道をのんびりと速んだ。あらゆる意昧合いにおいて急ぎの
 旅ではない。夜になれば、安いビジネス・ホテルか簡易旅館を見つけてチェックインし、狭いベ
 ッドに横になって眠った。ありかたいことにたとえどんな場所だろうと、どんな寝床だろうと、
 私はだいたいすぐに眠りに入ることができた。
 
  二日目の朝、村上市の近くからエージェンシーの担当者に電話をかけ、これからしばらくのあ
 いだ肖僅圃描きの仕事はできなくなると思うと告げた。まだ制作途中の依頼が数件あったが、私
 としてはとても仕事ができるような状況ではなかった。
 「それはまずいですよ。いったん依頼を引き受けてしまったんだから」と彼は声を使くして言っ
 た。テントの上には無限の空かあった。空には無数の星が光っていた。他には何もない。
  それから三遊間ばかり、私はプジョーを運転して北海道の各地をあてもなくまわった。四月が
 やってきたが、その年の雪解けはもう少し先のことだった。しかしそれでも空の色が目に見えて
 変わり、植物のつぼがはころび始めた。小さな温泉地があればそこの旅館に泊まって、ゆっく
 風呂に入り、髪を洗って髭を剃り、比較的まともな食事をとった。それでも体重計に乗ると、

 京にいた頃に比べて体重は五キロばかり落ちていた。


  新聞も読まなかったし、テレビも見なかった。カーステレオのラジオも北海道に着いたあたり

 から調子が悪くなり、やがて何も聞こえなくなった。世間でどんなことが起こっているのか、ま
 ったく知らなかったし、とくに知りたいとも思わなかった。コ伎苫小牧でコイン・ランドリーに
 入り、汚れた衣服をまとめて洗濯した。洗濯が終わるのを待つ間、近所の床屋に入って伸びた髪
 を切ってもらった。髭も剃ってもらった。そのときに床屋のテレビでNHKのニュースを久しぷ
 りに目にした。というか、目を閉じていてもアナウンサーの声はいやでも耳に入ってきた。でも
 そこで伝えられた一連のニュースは始めから終わりまで、私とは何の縁も関わりも持だない、ど
 こかよその惑星の出来事みたいに思えた。あるいは誰かが適当にでっちあげた作り事のように思えた。


  私が唯一、自分になんらかの関わりを持つこととして受け入れたのは、北海道の山中で、一人
 でキノコ探りをしていた七十三歳の老人が熊に襲われて死んだというニュースだった。冬眠から
 目覚めた熊は、腹を減らせて気が立っているからとても危険なのだ、とアナウンサーは語った。
 私はときどきテントで眠って、気が向くと一人で森の中を散歩していたから、熊に襲われたのが
 私であっても不思議はなかった。襲われたのはたまたま私ではなく、たまたまその老人だったの
 だ。しかしそのニュースを聞いていても、熊に惨殺された老人に対する同情心はなぜか湧いてこ
 なかった。その老人が経験したであろう痛みや恐怖やショックを思いやることもできなかった。
 というか、老人よりはむしろ熊の方に共感を覚えたくらいだった。いや、共感というのではない
 な、と私は思った。それはむしろ共謀の意識に近いものかもしれない。

  おれはどうかしている、と私は鏡の中の自分自身を見つめながら思った。小さく声にも出して
 みた。頭がいくらかおかしくなってしまっているみたいだ。このまま誰にも近づかない方がいい。
 少なくともしばらくのあいだは、四月も後半にさしかかった頃、私は寒さにもいささか飽きてき
 た。だから北海道をあとにして 内地に渡った。そして青森から岩手、岩手から宮城へと太平洋
 の海岸沿いに道んだ。南に下るにつれて、季節は少しずつ本格的な春へと移っていった。そのあ
 いだ私はやはり妻のことを考え続けていた。妻と、おそらく今頃どこかのベッドの上で彼女を抱
 いているであろう無名の手のことを。そんなことを考えたくはなかったが、ほかに考えるべきこ
 とをひとつとして思いつけなかった。


                                     この項つづく 



「トランプはまるでニクソン」。こう、日本で人気のパックン(コラムニスト・タレント)はニュー
ズウィークス(2017.03.21号)で書いている。その1つが二人とも選挙中に人種対立をあおった点、
2つめは、ニクソンはベトナム戦争終結、トランプはISISを壊滅させる
「秘密のプラン」を持っ
ているということで、3つめは選挙中二人とも民主党本部への侵入事件(ニクソンは空き巣、トラン
プはロシアによるハッキング)に巻き込まれている点だ。そして、この先、トランプはどこまでニク
ソンと同じ道を走り続けるのかと問いかけ。ニグソンは「僕は悪者じゃない」(I AM NOT A CROOK
!)
と言って捜査に抵抗したが、辞職に追い込まれたが、どうもパックンは、そうなって欲しいとにお
わせる結んでいるが、わたし(たち)は両国民にとって最善の方向に展開することを祈る他なし。

 

 

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欧州ポピュリズム考

2017年03月15日 | 時事書評

  

    

           50  三本足  /  火風鼎(かふうてい)  

 

                                    

         ※ とは、かなえのこと。煮炊きする器で、三本の足でささえられて
          いる。神.憲に捧げる供物を煮る祭器であ
り、また国家権威の象徴
                    でもあった。権威を疑うことを鼎
の軽重を問うというのはここから
                    来た言葉である。三本の
足は、協力と安定を示す。三点は一平面を
                    決定し、三本足
が最も安定がよいのである。三人が力をあわせて、
          重いも
のをささえてゆく形、個人ではいわゆる三拍子そろった形で、
          なにごとにも順調な進展を示す卦である。男女関係では三角関係
          表わすが、それも円満まる(初爻)のである。あくまで協力関係
          失わぬことが肝要。

                              

 

 

   Mar. 14, 2017

【RE100倶楽部:印刷で作れる高性熱電変換材料】

● 世界最高レベルの出力因子600 μW/mK2

14日、産業技術総合研究所は、印刷法により形成できる高性能な p型の有機系熱電変換材料を開発、
発電性能を示す出力因子で世界最高レベルの600 μW/mK2を実現したことを公表。導電性高分子材料
やカーボンナノチューブ-高分子複合材料などの有機系材料は、①軽量で柔軟でいて、②非
レアメタ
ル材料で、③低コストで、③高い生産性が期待される印刷法により材料形成でき、従来の無機熱電変
換材料※6を用いた場合に比べ、利便性の高い熱電変換素子を低コストに製造できる。有機系熱電変
換素子の実用化で、身の回りに存在する低温の排熱を熱電変換し、これによって得られた電力を用い、
センサなどの低消費電力な電子機器を駆動できる。また一方で、現状の有機系熱電変換材料は、発電
性能が著しく低い問題点がある。

有機系材料として、これまで、カーボンナノチューブ-高分子複合材料を用いていた。カーボンナノ
チューブ-高分子複合材料は、高分子材料が溶解した有機溶媒中にカーボンナノチューブを分散させ
この分散液を基板上に塗布し、その後、有機溶媒を乾燥させることで形成できる。従って、有機溶媒
に可溶性を有する広範な高分子材料種を用いることができる。従来は、高い電気伝導性を付与するこ
とを目的として、導電性高分子を用い、作製したカーボンナノチューブ-導電性高分子複合材料が研
究の主流をなす。

一方で、同上の研究グループは、導電性高分子に比較して、汎用性や耐久性、価格などの面で優れた
絶縁体高分子を原料として用いた、カーボンナノチューブ-絶縁体高分子複合材料――の高性能化に
関する研究を進め、典型的な絶縁体高分子であるポリスチレンとカーボンナノチューブの混合で、ゼ
ーベック係数※11が向上すること発見。これは、ポリスチレンの添加により、カーボンナノチューブ
間コンタクトの距離が増加し、その部分のトンネル障壁厚み増加した結果、高エネルギーのキャ
リアが優先的に電気伝導に寄与い、ゼーベック係数増加する、エネルギーフィルタリング効果によ
るものと推測





さらに、カーボンナノチューブ-絶縁体高分子複合材料中のカーボンナノチューブの束の直径を細く
することで、ゼーベック係数は変化させずに電気伝導性を大幅に向上できることを発見(上図3)。
研究グループはこれらの効果を組み合わせることでパワーファクタを向上させることを目指し、低直
径のカーボンナノチューブ束をポリスチレンと混合させたカーボンナノチューブ-ポリスチレン複合
材料を作製した結果、約百℃において600 μW/mK2を超えるパワーファクタを観測することに成功
(上図4)。この値は、分散液を基板上に滴下し乾燥させる単純な印刷手法で作製したカーボンナノ
チューブ-導電性高分子複合材料のトップレベルの値に比較して概ね2倍以上の値を示す。このよう
に現在盛んに研究されているカーボンナノチューブ-導電性高分子複合材料に変えて、カーボンナノ
チューブ-絶縁体高分子複合材料を用いることでの大幅な性能向上を実現する。今後は、材料内部の
微細構造の制御で、有機系熱電変換材料の性能向上と有機系熱電変換素子の高効率化に取り組む。

※ ゼーベック係数:材料内に温度差を与えると、温度差に比例した電圧が発生する現象をゼーベッ
  ク効果という。温度差1℃あたりの電圧をゼーベック係数と言い、熱電変換材料の電圧発生能力を
  表す。単位はV/℃
※ 出力因子熱電変換材料の発電量を表す指標。ゼーベック係数の2乗に導電率を乗じた量で単位は
  (W/mK2)、単位長さあたり温度差1℃でどれだけの電力が得られるかの目安となる。

 Mar. 10, 2017

● こんな手もあるのだ!?


ところで、先日の通販ドライバーの話には続きがあった。彼の出生地はこの長浜市なのだが、この間
の降雪で、親戚から電話で除雪依頼で作業の苦労話を話し、家に寄りたかったが疲れてその余裕もな
くご免というので、わたしの方の除雪の苦労話も伝え、ところで、雪はエネルギーの固まりなのだ、
これを利用して除雪できるのだと話すと、それは良い、是非、聞かせて欲しいという反応。温度差を
利用する熱電変換素子シートあるいはポールで発電し融雪(融雪の仕方は特許事案る)する、あるい
は、発電し、ハザード表示灯などに利用するのだと伝えると、再度、教えてと熱を帯びた声で尋ねる
ので、わたし(たち)の領域に踏み込んできたね、これが実現すれば、青色発光ダイオードの発明者
の中村修二ノーベル賞級ものだよと返事する。つまり、今回の産業技術総合研究所の開発案件と完全
リンクするビックプロジェクトとなるものだ。遅れをとるな!きみ(たち)の出番だ。



【欧州ポピュリズムの歴史的考察】

 われわれの考えでは、社会的現実の中心において、瞬間という時間とゆっくり流れる時間との間
 に
ある、激しく、濃密で、無際限に繰り返される対立ほど重要なものはない。過去を扱うにせよ
 現在
を扱うにせよ、このような複数の社会的時間について明確に意識しておくことは、人間科学
 全体に
共通の方法論にとって、必要不可欠なことである

                           フェルナン・ブローデル「長期持続」
                                 山上浩嗣・浜名優美訳

フランスの歴史家フェルナン・プローデルは、世界史における『長期持続』論を広めたことで知られ
ている。既に没後30年以上たち、その理論は今日の激変する世界で重要性を増している。もし、ブ
ローデルが健在なら、欧州全土で左右両派のボビュリズムが台頭する現状に何をを思っただろうと、
ニューズウィーク社コラムニストのアフシン・モラビは問題提起する(「欧州ポピュリズムの歴史的
考察――反エリート主義の台頭は今後30~40年続くのか、一週の「さざ波」でおわるのか」(Eur-
opean Populism and The Lomg March of Histry、Newsweek 21, Mar 14, 2017
)


それによると、この現象にはおなじみの部分がいくつかあり、①欧州の右派ポピュリズムには、同性
愛者や少数派の権利、比較的寛容な移民政策といった左派の「聖域」に対する明確な反発がある。②
同様に、ヨーロッパの左派ポピュリストには資本主義と富、「伝統的」価値観といった右派の聖域に
対する懐疑が見受けられる。③だが、なじみのない部分もある。ドナルド・トランブ米大統領が選挙
戦中に行った激しいウォール街たたきは、共和党の政治家より民主党の大統領予備選に出馬した「社
会主義者」の
バーニー・サンダースにずっと近い、イタリアのポビュリスト政党「五つ星運動」の指
導者ベッベーグリッロは、
トランプの勝利を反既成秩序の大きな運動の一環として歓迎している。
 
現在の欧州での最近の世論調査では、イギリスでは国民の約3分の2が子供たちは今よりいい暮らし
を送れないと考えている。
フランス、イタリア、ドイツではさらに悲観的で、社会の進歩を示す基本
的尺度は、人々か将来に自信を
持てるかどうか、特に子供たちは今よりいい生活かできると信じられ
るかど
うかだとする。で、その原因はというと、①西欧で10年近く続く経済の低成長。特にフラン
ス、イタリア、スペインを
含む数カ国は深刻な経済不振にあえぐ。長期の低成長、長期失業を招き、
貯蓄は底を突
き、技術革新が阻害され、自信を喪失した人々に不満や不安が広がる。②情報革命、テ
クノロジー
を礼賛する人々は、ITかもたらすブラス面を強調。教育、情報、娯楽へのアクセス増大、
ビジネスの効率化、人命を救う医療の急速な進歩等々。が、多くの場合、情報へのアクセス増大は同
時に恨みや不満、「偽ニュース」へのアクセス増大も意味する。



ユーローの不確かな将来も低成長も問題であるが、西欧は世界中で5000万人前後の命を奪い、欧
州の都市と社会に想像を絶する破壊をもたらした第二次大戦を経験しているが、現在の西欧社会は、
第二次大戦後の環境で形成されその後の繁栄の時代に基礎を置く。西欧諸国は四半世紀にわたり戦後
の好景気を享受。経済ジャーナリストで歴史家のマーク・レビンソンの新著『驚異の時代』によると
この好景をレビンソンは、失業率の上昇と深刻な.不況によりリスクが高まり、実験と抗議行動がほ
とんど行われなくなった。生活水準が落ち込むことへの恐怖、子供たちの末末か今より悪くなること
への不安により、それまでよりずっと保守的な時代が訪れたと指摘する。もし、いまヨーロッパで起
きている現象が1970年代までさかのぽれるとすれば、今日起きる現象の影響は30年から40年後ま
で続くのかもしれないとモラビは危惧する。

もっとも、人々は選挙で投票するとき、長期的な視点で考えるわけではない。今年、オランダ、フラ
ンス、ドイツの選挙でポピュリストや反エスタブリッシユメント勢力が勝てば、メディアは政治の地
殻変動が起きたと書き立てるだろうが、それは産業革命以降の艮い歴史のひとコマにすぎないのかも
しれない。これまで500年以上にわたり、欧州の進歩と革新が世界を形づくり、欧州の植民地主義
と収奪が世界をゆがめてきた。西洋の没落と東洋の勃興が指摘されて久しいが、欧州が世界に大きな
影響を及ぽすことに変わりはないが、欧州社会が長い歴史を持っていることを忘れてはならない。判
断を誤らないためには、目先の現象に振り回されず、長い墜史のある国々にふさわしい長期的な視点
で見た方がいいだろうと結んでいる。これらの結論は断念ながら、すでにこのブログでその解決策は
掲載(例えば「コンピュータ仕掛けの英米流金融資本主義」表現)してきたことである。

 

  

   2.みんな月に行ってしまうかもしれない

 「ひとつだけ君に頼みがあるんだ」と私は切り出した。「その頼みさえ聞いてくれたら、あとは
 君の好きなようにしていい。離婚届にも黙って判を捺すよ」

 「どんな頼み?」
 「ぼくがここを出ていく。それも今日のうちに。君にはあとに残ってもらいたい」
 「今日のうち?」と彼女は驚いたように言った。
 「だって、早いほうがいいんだろう?」
  彼女はそれについて少し考えた。そして言った。「もしあなたがそう望むのなら」
 「それがぼくの望んでいることだし、それ以外にとくに望みはない」
  
  それは本当に私の正直な気持ちだった。こんな惨めな残骸のような場所に、三月の冷ややかな

  雨降りの中に一人で残されなくていいのなら、何をしてもかまわない。

 「車は持っていくけど、それはいいね?」
 

  あえて尋ねるまでもない。結婚する前に私が友だちからただ同然で譲り受けたマニュアル・シ
 フトの古い車で、走行距離は十万キロをとっくに越えている。そしてどうせ彼女は運転免許を持
 っていないのだ。

 「画材と衣服とか、必要なものはあとで取りにくる。かまわないかな?」

 「かまわないけど、あとでって、だいたいどれくらいあとになるの?」
 「さあ、わからない」と私は言った。そんな先のことまで考える意識の余裕は、私にはなかった。

 足元の地面さえもうろくに残ってはいないのだ。今ここに立っていることで、ほとんど精一杯な
 のだ。「ここにはそんなに長くいないかもしれないから」と彼女は言いにくそうに言った。

 「みんな月に行ってしまうかもしれない」と私は言った。

  彼女はよく聞き取れなかったようだった。「今、なんて言ったの?」

 「なんでもないよ。たいしたことじゃない」

  その夜の七時までに、私は身の回りのものをビニールの大きなジムバッグに詰め込み、赤いプ
 ジョー205ハッチバックの荷台に積み込んだ。とりあえずの着替えと、洗面用具と、何冊かの
 本と日記。山歩きをするときにいつも持って行く簡単なキャンプ用品。スケッチブックと副作用
 鉛筆のセット。それ以外に何を持っていけばいいのか、まったく思いつけなかった。まあいい、
 足りないものがあればどこかで買えばいいのだ。私かそのジムバッグをかついで部屋を出るとき、
 彼女はやはり台所のテーブルの前に座っていた。コーヒーカップがやはりテーブルの上に置かれ
 ていた。彼女はさっきと同じ目でカップの中をのぞき込んでいた。

 「ねえ、私にもひとつだけお願いがあるんだけど」と彼女は言った。「もしこのまま別れても、
 友だちのままでいてくれる?」

  彼女が何を言おうとしているのか、うまく理解できなかった。靴を履き終え、バッグを肩にか
 け、片手をドアのノブの上に置いたまま、私はしばらく彼女を見ていた。

 「友だちでいる?」

  彼女は言った。「もし可能であれば、ときどき会って話をできればと思うんだけど」
  私にはまだその意味がよく理解できなかった。友だちのままでいる? ときどき会って話をす
 る? 会って何の詰をするのだ? まるで謎かけをされているみたいだ。彼女はいったい何を私
 に伝えようとしているのだろう。私にとくに悪い感情は抱いていない、そういうことなのだろう
 か?

 「さあ、どうだろう」と私は言った。それ以上の言葉はみつからなかった。たぶんそこに立った
 まま一週間考えても、言葉はみつけられなかったはずだ。だからそのままドアを開け、外に出た。
  家を出るとき自分かどんな服装をしているのか、まったく考えもしなかった。もしパジャマの
 上にバスローブを羽織ってそのまま出てきたとしても、たぶん自分では気づかなかったに違いな
 い。あとになってドライブインの洗面所で、全身鏡の前に立って判明したことだが、私は仕事用
 のセーターに、派手なオレンジ色のダウン・ジャケット、ブルージーンズ、ワークブーツという
 格好だった。頭には古い毛糸の帽子をかよっていた。ところどころほつれた丸首のグリーンのセ
 ーターには、白い絵の具のしみがついていた。着ているものの中ではブルージーンズだけが新品
 で、その鮮やかな青さがいやに目立った。全休としてはかなり乱雑な格好だが、異様というほど
 ではなかった。後悔したのは、マフラーを忘れてきたことくらいだった。



  マンションの地下の駐車場から車を出したとき、三月の冷ややかな雨はまだ音もなく降り続い
 ていた。プジョーのワイパーは老人のかすれた咳のような音を立てていた。
  どこに行けばいいのか見当もつかなかったから、しばらくは都内の道路をあてもなく、思いつ
 くままに走った。西麻布の交差点から外苑西通りを青山に向かい、青山三丁目を右に折れて赤坂
 に向かい、あちこち曲がった末に四谷に出た。それから目についたガソリン・スタンドに入って、
 タンクを満タンにした。ついでにオイルと空気圧も点検してもらった。ウィンド・ウォッシャー
 液も入れてもらった。これから長い距離を運転することになるかもしれない。あるいは月まで行
 くことになるかもしれない。

  クレジット・力-ドで支払いをし、再び路上に出た。雨の日曜日の夜で、道路はすいていた。
 FMラジオをつけたが、つまらないおしゃべりが多すぎた。人々の声は甲高すぎた。CDプレー
 ヤーにはシェリル・クロウの最初のアルバムが入っていた。私はそれを三曲ほど聴いてから、ス
 イッチを切った。
  気がついたとき、目白通りを走っていた。どちらに向けて走っているのか、見定めるのに時間
 がかかった。そのうちに、早稲田から練馬方向に向けて走っていることがわかった。沈黙が耐え
 られなくなったので、またCDプレーヤーのスイッチを入れ、シェリル・クロウを何曲が聴いた゜
 そしてまたスイッチを切った。沈黙は静かすぎたし、音楽はうるさすぎた。でも沈黙の方が少し
 はましだった。私の耳に届くのは、ワイパーの劣化したゴムが立てるかすれた音と、タイヤが濡
 れた路面を進む、しやーっという途切れのない音だけだった。

  Sheryl Crow - Steve McQueen

  そんな沈黙の中で、私は妻が誰か他の男の腕に抱かれている光景を想像した。
  それくらい、もっと前にわかっていてもよかったはずだ、と私は思った。どうしてそれに思い
 当たらなかったのだろう? もう何ケ月も我々はセックスをしていなかった。私が誘っても、彼
 女はいろんな理由をつけてそれを断った。いや、そのしばらく前から、彼女は性行為に対してあ
 まり乗り気ではなかったと思う。でもまあ、そういう時期もあるのだろうと私は考えていた。
 日々の仕事が忙しくて疲れているのだろうし、体調もあるのだろう。でももちろん彼女は他の男
 と寝ていたのだ。いつ頃からそれが始まったのだろう? 私は記憶を辿ってみた。たぶん四ケ月
 か五ケ月前、それくらいだ。今から四ケ月か五ケ月前というと、十月か十T月になる。

  でも去年の十月か十一月に何かあったか、私にはまったく思い出せなかった。そんなことを言
 ったら、昨日何かあったかさえほとんど思い出せなかった。
  信号を見落とさないように、前の車のブレーキランプに近づきすぎないように注意しながら、
 去年の秋に起こったことについて考え続けた。頭の芯が無くなるくらい集中して考えていた。私
 の右手は交通の流れに合わせて無意識にギアを切り替えていた。左足はそれに合わせてクラッ
 チ・ペダルを踏んでいた。そのときほど自分かマニュアル・シフト車を運転していることをあり
 たく思ったことはない。妻の情事について考えを巡らせる以外に、手足を使ってこなさなくて
 はならないいくつかの物理的な作業が私には課せられているのだ。

  十月と十一月にいったい何かあっただろう

  秋の夕方。大きなベッドの上で、どこかの男の手が妻の衣服を説がせていく光景を想像した。
 彼女の白いキャミソールのストラップのことを私は思った。その下にあるピンク色の乳首のこと
 を思った。そんなことをいちいち想像したくはなかったが、コ伎動き出した想像の連鎖をどうし
 ても断ち切ることができなかった。私はため息をつき、目についたドライブインの駐車場に車を
 停めた。運転席の窓を開け、外の湿った空気を胸に大きく吸い込み、時間をかけて心臓の鼓動を
 整えた。それから車を降りた。ニット帽をかぷったまま、傘を差さずに細かい雨の中を横切り、
 店に入った。そして奥のブース席に腰を下ろした。

  店内はすいていた。ウェイトレスがやってきたので、私は熱いコーヒーと、ハムとチーズのサ
 ンドイッチを注文した。そしてコーヒーを飲みながら、目を閉じて気持ちを落ち着けた。妻と他
 の男が抱き合っている光景を、なんとか頭の中からよそに追いやるうと努めた。でもその光景は
 なかなか消えてくれなかった。

  洗面所に行って石鹸で丁寧に手を洗い、洗面台の前の鏡に映った自分の顔をあらためて眺めた。
 目はいつもより小さく、赤く血走って見えた。飢饉のために生命力を徐々に奪われていく森の動
 物みたいだ。やつれて怯えている。タオルのハンカチで手と顔を拭き、それから壁の全身鏡で自
 分の身なりを点検してみた。そこに映っているのは、絵の具のこびりついたみすぼらしいセータ
 ーを着た、三十六歳の疲弊した男だった。

  おれはこれからどこに行こうとしているのだろう、とその自分白身の像を見ながら、私は思っ           
 だ。というかその前に、おれはいったいどこに来てしまったのだろう? ここはいったいどこな
 んだ? いや、そのもっと前に、いったいおれは誰なんだ?

  鏡に映った自分を見ながら、私は自分自身の肖像画を描いてみることを考えた。もし仮に描く
 としたら、いったいどんな自分自身を描くことになるだろう? おれは自分自身に対して愛情み
 たいなものをひとかけらでも抱くことができるだろうか? そこに何かしらきらりと光るものを、
 たったひとつでもいいから見いだせるだろうか?

  結論を出せないまま私は席に戻った。コーヒーを飲み終えると、ウェイトレスがやってきて、
 おかおりを注いでくれた。私は彼女に頼んで紙袋をもらい、手をつけていないサンドイッチをそ
 こに入れた。もっとあとになれば腹も減るだろう。でも今は何も食べたくない。

  ドライブインを出て、道路をそのまままっすぐ速むと、やがて関越速の入り口の案内が見えて
 きた。このまま高速道路に乗って北に行こう、と私は思った。北に何かあるのかはわからない。
 でもなんとなく、南に向かうよりは北に向かった方がいいような気がした。冷たくて清潔な場所
 に私は行きたかった。そして何より大事なことは、北であれ南であれ、少しでも遠くこの街から
 離れることだ。

  グラブコンパートメント(glove compartment)を開けると、中に五、六枚のCDが入っていた。
 そのうちの一枚はイ・ムジチ合奏団の演奏するメンデルスゾーンの八重奏曲、その音楽を聴きな
 がらドライブをす るのが妻は好きだった。弦楽四重奏団がそっくり二つぶん入った奇妙な編成
 だが、美しいメロディーを持った曲だ。メンデルスゾーンはまだ十六識の時にその曲を作曲した。
 妻がそう教えてく
 れた。神童だ。
 あなたは十六識の時に何をしていた?
  十六識のとき、ぼくは同じクラスの女の子に夢中になっていたな、と私は当時のことを思い出
 して言った。
  彼女とつきあっていたの?
  いや、ほとんど口をきいたこともない。遠くからただ眺めていただけだ。話しかけるような勇
 気はなかったしね。そして家に帰って彼女のスケッチを描いていた。何枚も描いたよ。
 昔から同じようなことをしていたのね、と妻は笑って言った。
 ああ、ぼくは昔からだいたい同じようなことをしてきたんだ。



Felix Mendelssohn, Ottetto per archi Op.20

  ああ、ぼくは昔からだいたい同じようなことをしてきたんだ、と私はそのときの自分の言葉を
 頭の中で繰り速した。
  私はシェリル・クロウのCDをプレーヤーから取り出し、そのあとにMJQのアルバムを入れ
 た。『ピラミッド』。そしてミルト・ジャクソンの心地よいブルーズのソロを聴きながら、高速
 道路をまっすぐ北に向かった。ときどきサービスエリアで休憩をとり、長い小使をし、熱いブラ
 ック・コーヒーを何杯も飲んだが、それ以外はほとんど一晩中ハンドルを握っていた。ずっと走
 行車線を走り、遅いトラックを追い抜くときだけ追い越し車線に入った。不思議に眠くはなかっ
 た。
 もう一生眠りが訪れることはないのではないかと思えるくらい、眠くはなかった。そして夜の明
 ける前に、私は日本海に着いていた。

                                     この項つづく 

 
 

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サウジの魔法が消える時

2017年03月14日 | デジタル革命渦論

  

    

        49  革命の機熟 / 沢火革(たくかかく) 
 

                                        

 

 

        ※ 革とは、あらためること。革命、革新、変革の革であり、古いもの
          を変えて新しいものを創り山す過程である。卦の形から見れば、火
          (離)と水(兌)が消しあう形、また中女(離)と少女(兌)つま
          り上下が対抗激突する形でもある、「革」は、この矛盾相剋を解決
          郷決する形である。それには小細工を弄したり私欲で動いたりして
          はならない。多少の混乱は避けられないが、あくまで正道を守るべ
          きである。革新は単なる変化ではない。そこには積極的な価値が含
          まれているのだ。醜い手段によって目的を汚すことなく、「離」の
          示す明
知と勇気で、より高い段階に飛躍すべき時である。

 

  Mar. 12, 2017

● サウジの魔法が消える時

サウジアラビアのキル・サルマン・ビン・アブドゥル・アジズ・アル=サウドと大代表は日曜日に4
日間の日本訪問を開始、46年ぶりにサウジアラビアの国王が訪問となる。国内最大の原油供給国で
あるサウジアラビアは、原油価格の下落に伴い、経済への依存度が高まる中、石油依存度を下げるた
めの構造改革を進めている。このイニシアチブには、国営石油会社Saudi Aramcoの部分的民営化が計
画されているとのこと。経済協力プラン「日・サウジ・ビジョン2030」は、昨年10月に第1回閣僚級
会合がリヤドで開催。同ビジョンは、サウジのムハンマド副皇太子が同4月に打ち出した、石油依存
体質からの脱却雇用拡大を目指す同国の成長戦略「サウジ・ビジョン2030」を日本が支援し、日本
の成長戦略とのシナジーを目指す。今回、サウジのサルマン国王が国王として46年ぶりに来日した
のに合わせ、第2回会合が開かれ、ビジョン2030は13日に安倍晋三首相とサルマン国王が首脳会談で
合意発表。同プランでは、日本とサウジの41省庁・機関が参加し、エネルギー、医療、農業、イン
フラ、投資、文化など、9分野を協力の重点分野として設定、先行プロジェクトとして政府間で11件、
官民・民間同士で⑳件のプロジェクトの覚書に署名する予定。



ところで、サウジアラビアの経済成長の停滞の主要因は、石油依存にある。これが強みでありえたし、
戦後の、特に、欧米の石油資本支配からの脱した石油輸出国機構(OPEC:Organization of the Petroleum
Exporting Countries
)の勝利以降は現代中東史の主役であったが、デジタル革命を背景とした先進国の
脱石油依存・地球温暖化対策などのエネルギー政策により、皮肉にもその失速も急テンポとなってい
る(アラブの魔法が消えた時)の。今後を見据えた時、これまでの欧米列強国の介入が薄まり安定化
に繋がり、先進的な平和憲法と世界最高水準の科学技術力をもつ日本国との協働により、2030年に
は経済低迷を脱し安定を持続していけるのではと夢想する(大国による武(軍事)力・経済(財政)
力による干渉・介入がなければの話)。

 

  Mar. 13, 2017

Firsthand Account Of Self-Driving Nissan LEAF Trip In London

● 日産リーフ ロンドンで自動運転のデモンストレーション走行

ロンドンで人気ある自動運転型電気自動車リーフが、ロンド運東部の決められたコースで路上テスト
運転を行っている(上下の写真ダブクリ参照)。その報告によると、この完全自律型 "ProPILOT"シ
ステム搭載車には、4
つのレーザー、5つのレーダー、12台のカメラを体にシームレスに配置統合
され、20センチメートルの精度で障害物を検知する。正面の3つのディスプレイの1つは衛星ナビ
ゲーター、もう1つはフロントカメラの映像モニタで、残りは、歩行者・車両・障害物の位置情報モ
ニタが内部配置されている。メディア関係者を乗せたデモンストレーション走行中、自動車事故に遭
遇したものの、自動的に回避し、所定のコースを無事完走したが、昨年4月にテスラが半自律型自動
操縦車が試験走行したことから比べ進歩していることが認識されたものの、若干の改良点も残件し、
同社は20年までに完全自律型自動車の事業展開を果たすために、今後、完全自律型 "ProPILOT"シ
ステムをさらに8つのモデルに拡張する。

  Mar. 9, 2017

Why London is a self-driving nightmare for the Nissan Leaf
 

 

  Mar. 13, 2017

【RE100倶楽部:そんな手があったのか】

● 低温廃熱を工場間でオフライン輸送

百℃程度の低温廃熱は発生場所における用途が限定されること等から大部分が捨てられている。そこ
で、産業分野での大幅な省エネを実現に、これらの低温廃熱を、発生源とは時間・
空間的に異なる利
用先の熱源として活用する蓄熱システムの開発が進められいる。具体的
には、工場等で発生する廃熱
を蓄熱材に貯蔵し、熱の利用先までトレーラーやトラック等で運搬しようともの。

13日、産業技術総合研究所らの研究グループは、従来型の熱輸送システムでは、糖類等の融解熱を
利用する固液相変化材を蓄熱材として用いているが、①蓄熱密度が低いため重量や容積が大きくなる
こと、②高価であること、PCM(Phase Change Material――水(氷)、パラフィンなどの液相と固相の2相間
での凝固・融解に伴う潜熱を利用する蓄熱材。水やレンガなどの顕熱を利用する蓄熱材に比べ蓄熱が大きい
ことが特長――
の固液相変化時の潜熱を利用するため蓄放熱温度がPCMの相変化温度(融点)に限定
されること、輸送時には蓄熱槽からの放熱でPCMが一部相変化し潜熱ロスが発生すること等が課題と
なっていた。

そこで、産業技術総合研究者が、2008年に開発した80~120℃程度の低温廃熱の蓄熱が可能な高性能
無機系吸放湿材「ハスクレー」(産総研で開発された、Si(ケイ素)-Al(アルミニウム)を主成分
とする低結晶性粘土と非晶質アルミニウムケイ酸塩の複合体からなる高性能吸放湿材。非晶質アルミ
ニウムケイ酸塩の“ハス”(HAS:Hydroxyl Aluminum Silicate)と低結晶性の層状粘土鉱物の“クレイ”
Clay)との造語)をベースに、高蓄熱密度化と、低コスト化が実現可能な改良型ハスクレイの量産製造
技術の開発と、同蓄熱材を搭載した蓄熱システムの開発に取り組んできました((下表)
。この蓄熱シ
ステムは、ハスクレイへの水の吸着/脱着反応により放熱/蓄熱を行い、蓄熱槽を乾燥状態で維持す
れば潜熱ロスは発生せず、相変化で蓄熱・放熱を行う方式ではなく、PCMを用いた蓄熱システムと比
較し、熱利用温度域が限定されないのが等が特長。

従来のハスクレイ以上の蓄熱性能を有し、低コストで製造が可能な蓄熱材の量産製造技術の確立とと
もに、従来型の熱輸送システムに対して2倍以上の蓄熱密度(500kJ/L以上)を実現する可搬コンパ
クト型蓄熱システムの開発に成功する。コンパクト化の実現で、中型トラックでの搬送が可能となり
3月13日から23日までの予定で、熱輸送の実用化検証試験を開始する。実運用時の蓄放熱性能や
経済性評価、省エネルギー効果量等の評価を行い、低温廃熱に適応可能な蓄熱・熱利用技術を確立す
る。
 Oct. 8, 2008

エネルギーを運ぶってか、そんな手もあったのかと驚く。新奇な高性能で廉価な蓄熱材!?面白い。

Mar. 9, 2017

● 水素の輸送コストを低減する、高効率な分離膜

同様に、9日には、産総研らの研究グループは、有機ハイドライドから燃料電池自動車(FCV)用の
超高純度水素
を分離精製する大型の炭素膜モジュール開発の成功を公表。1時間当たり1m3(立平方
メートル)の
水素精製能力を持ち、一度の分離操作でFCV用の超高純度水素のISO規格純度を達成でき
る。有機ハイドライドを利用した水素ステーションの運用コスト低減への貢献が期待できるとしてい
る。新しいエネルギーとして注目されている水素。普及に向けた課題の1つが低コストな貯蔵・輸送
技術の確立だ。水素は常温では圧力をかけても液化せず、-253度という極低温が必要になる。そこで
化学反応を利用して水素を液化し、貯蔵・輸送しやすくする技術・手法の確立に期待が掛かっている。

その1つが「有機ハイドライド法」と呼ばれる芳香族化合物に水素を結合させて水素化物をつくりだ
す手法だ。例えばトルエンと水素を化学反応させると、メチルシクロヘキサンという液体になる。こ
れは常温・常圧でそのまま運べるため、通常のタンカーやローリーの利用が可能になり、大量貯蔵や
長距離輸送に向く。共同研究グループは、メチルシクロヘキサンをエネルギーキャリアとし、これを
利用できる水素ステーションの研究開発を進めてきた。
 開発した中空糸炭素膜

この研究では、新規分離技術として無機膜の一種である炭素膜を採用し、高性能炭素膜の開発。その
結果、一度の分離でFCV用水素規格を達成可能な非常に高い水素選択性(水素/メタン選択性は3,000
以上、水素/トルエン選択性は30万以上)を有する炭素膜の開発に成功する。 この高性能炭素膜は、
下図に示すように水素だけが選択的に透過できる均質な細孔である。また、有機ハイドライド型水素
ステーションでの運用条件として想定する90℃での水素/トルエン混合ガス供給時においても優れた
選択性を維持し、500時間以上にわたる安定した分離性能を確認。さらに、膜分離システム計算の結
果、従来精製技術に比べて大幅な省エネ化が実現できる見通。また、パラジウム膜等の既存の水素分
離用無機膜と比較すると、この炭素膜は中空糸型で支持膜が不要の自立膜であるため、膜コストが安
く、かつコンパクトな精製装置の実現が可能。続いて、この炭素膜の大型モジュール化を実施。



一般的に無機膜の大型モジュール化では、膜性能のばらつきや欠陥(ピンホール)の発生等により、
スケールが大きくなるほど分離性能が低下することが知ら、無機膜の実用化における大きな課題。こ
の研究では、炭素膜製造方法の改善、シール方法の開発、モジュール構造の最適化等に取り組んだ結
果、1m3/h規模の水素精製能力の大型炭素膜モジュールを開発することに成功。優れた水素分離性
能を有し、スケールアップしても欠陥を生じず、炭素膜本来の優れたガス分離性能が維持される。ま
た、水素/トルエン分離試験で、FCV用水素規格を満足する高純度水素を安定的に製造できることを
確認できたとのこと。この研究も革新的素材(マテリアルイノベーション)、面白い。

 

  

   1.もし表面が曇っているようであれば

  自ら望んでその上うなタイプの画家になったわけではないし、その上うなタイプの人間になっ
 たわけでもない。私はただ様々な事情に流されるままに、いつの間にか自分のための絵画を描く
 ことをやめてしまった。結婚して、生活の安定を考慮しなくてはならなかったことが、そのひと
 つのきっかけになったわけだが、そればかりではない。実際にはその前から既に私は「自分のた
 めの絵画」を描くことに、それほど強い意欲を抱けなくなってしまっていたのだと思う。私は結
 婚生活をその口実にしていただけかもしれない。私はもう若者とは言えない年節になっていたし
 何かが――胸の中に燃えていた炎のようなものが――私の中から失われつつあるようだった。そ
 の熱で身体を温める感触を私は次第に忘れつつあった。

  そんな自分自身に対して、どこかで私は見切りをつけるべきだったのだろう。何かしらの手を

 打つべきだったのだろう。しかし私はそれを先送りにし続けていた。そして私より先に見切りを
 つけたのは妻の方だった。私はそのとき三十六歳になっていた。


   2.みんな月に行ってしまうかもしれない

 「とても悪いと思うけど、あなたと一緒に暮らすことはこれ以上できそうにない」、妻は静かな
 声でそう切り出した。そしてそのまま長いあいだ押し黙っていた。
  それはまったく出し抜けの、予想もしなかった通告だった。急にそんなことを言われて、目に
 するべき言葉をみつけられないまま、私は話の続きを待った。それほど明るい続きがあるとも思
 えなかったが、次の言葉を待つ以外にそのときの私にできることはなかった。

  我々は台所のテーブルを挟んで座っていた。三月半ばの日曜日の午後だった。翌月の半ばに
 我々は六回目の結婚記念日を迎えることになっていた。その日は朝からずっと冷たい雨が降って
 いた。彼女のその通告を受けて私がまず鍛初にとった行為は、窓に顔を向けて、雨の降り具合を
 確認することだった。ひっそりとした穏やかな雨だ。風もほとんどない。それでもじわりと肌に
 凍みる寒さを遠んでくる雨だった。春はまだまだ遠くにあることをその寒さは敦えてくれた。雨
 降りの奥にはオレンジ色の東京タワーが霞んで見えた。空には一羽の鳥も飛んでいない。鳥たち
 はどこかの軒下でおとなしく雨宿りをしているのだろう。

 「理由は訊かないでくれる?」と彼女は言った。

  私は小さく首を横に振った。イエスでもノーでもない。何をどう言えばいいのか、考えがまる
 で思い浮かばなかったから、ただ反射的に首を振っただけだ。
  彼女は襟ぐりの広い、藤色の薄手のセーターを着ていた。白いキャミソールの柔らかいストラ
 ップが、浮き上がった鎖骨の隣にのぞいていた。それは特別な料理に用いる、特別な種類のパス
 タみたいに見えた。

 「ひとつ質問があるんだけど」、私はそのストラップを見るともなく見ながらようやくそう言っ

 た。私の声はこわばって、明らかに潤いと展望を欠いていた。

 「私に答えられることなら」


 「それは、ぼくに責任かおることなのかな?」


  彼女はそれについてひとしきり考えた。それから、長いあいだ水中に潜っていた人のように、

 水面に顔を出して大きくゆっくりと呼吸をした。

 「直接的にはないと思う」

 「直接的にはない?」
 「ないと思う」

  私は彼女の言葉の微妙な音調を測ってみた。卵を手のひらに載せて重さを確かめるみたいに。


 「つまり間接的にはある、ということ?」

  妻はその質問には答えなかった。

 「何日か前に、明け方近くにある夢を見たの」と彼女はそのかわりに言った。「現実と夢との境
 目がわからないくらい生々しい夢だった。そして目覚めたとき、こう思ったの。というか、はっ
 きり確信したの。もうあなたとは一緒に暮らしていけなくなってしまったんだと」

 「どんな夢?」

  彼女は首を振った。「悪いけど、その内容はここでは話せない」
 
 「夢というのは個人の持ち物だから?」
 「たぶん」
 「その夢にはぼくは出てきたの?」と私は尋ねた。
 「いいえ、あなたはその夢の中には出てこなかった。だからそういう意味でも、あなたには直接
 的な責任はないの」

  私は彼女の発言を念のために要約した。何を言えばいいのかわからないときに相手の発言を要
 約するのは、私の昔からの癖みたいになっている(それは言うまでもなく、しばしば相手を苛立
 たせる)。

 「つまり、君は何日か前にとても生々しい夢を見た。そして目が覚めたとき、ぼくとはもうこれ
 以上一緒に生活できないと確信した。でもその夢の内容をぼくに教えることはできない。夢は個
 人的なものごとだから。そういうこと?」
  彼女は肯いた。「ええ、そういうことなの」
 「でも、それでは何の説明にもなっていない」

  彼女は両手をテーブルの上に置き、目の前のコーヒーカップの内側を見下ろしていた。その中
 におみくじでも浮かんでいて、そこに書かれた文句を読み取っているみたいに。彼女の目つきか
 からすると、それはかなり象徴的で多義的な文章であるようだ。
  夢はいつも妻にとって大きな意味を持っていた。彼女はしばしば見た夢によって行動を決定し
 たり、判断を変更したりした。でもいくら夢を大事にするといっても、生々しい夢をひとつ見た
 だけで、六年間にわたる結婚生活の重みをまったくのゼロにできるものではない。

 「夢はもちろんひとつの引き金に過ぎないの」と彼女は私の心を読んだように言った。「その夢
 を見ることによって、いろんなことがあらためてはっきりしたというだけ」
 「引き金を引けば弾丸は出る」
 「どういうこと?」
 「銃にとって引き金は大事な要素であって、引き金に過ぎないというのは表現として適切じやな
 いような気がする」

  彼女は何も言わずに私の顔をじっと見ていた。私の言わんとすることがうまく理解できていな
 いようだった。私白身にも実際はうまく理解できていなかったが。
 「君はほかの誰かとつきあっているの?」と私は尋ねた。

  彼女は肯いた。

 「そしてその誰かと寝ている?」
 「ええ、すごく申し訳ないと思うんだけど」

  誰と、どれくらい前から、とたぶん質問するべきなのだろう。しかし私はそんなことはとくに
 知りたくなかった。そんなことは考えたくもなかった。だから私はもうコ茨窓の外に目をやって、
 雨が降り続く様子を眺めた。どうしてそのことに今まで気がつかなかったんだろう? 

  妻は言った。「でもそれはいろんなものごとのうちのひとつに過ぎないの」
  私は部屋の中を見渡した。長いあいだ見慣れた部屋のはずだったが、そこは私にとって既によ
 そよそしい異郷の風景に変貌していた。
  ひとつに過ぎない?
  ひとつに過ぎないというのは、いったいどういうことなのだろう?と私は真剣に考えた。彼女
 は私以外の、誰か他の男とセックスをしている。でもそれはいろんなものごとのうちのひとつに                                                            
  
 過ぎない。いったい他にどんなことかおるのだろう?

  妻は言った。「私が数日のうちによそに行くから、あなたは何もしなくていいのよ。私が責任
 をとらなくちやいけないことだから、もちろん私が出て行く」

 「ここを出たあとの行き場所はもう決まっているの?」

  彼女はそれには答えなかったけれど、行き場所の心づもりはあるようだった。おそらく前もっ
 ていろんなことを準備してから、この話を切り出したのだろう。そう考えると、私は暗闇の中で
 足を踏み外したような強い無力感に襲われた。私が知らないところでものごとは着実に進展して
 いたのだ。

  妻は言った。「なるべく早く離婚の手続きを進めるから、できたらそれに応じてほしいの。勝
 手なことを言うみたいだけど」
  私は雨降りを眺めるのをやめて、彼女の顔を見た。そしてあらためて思った。六年間同じ屋根
 の下で暮らしていても、私はこの女のことをほとんど何も理解していなかったんだと。人が毎晩
 のように空の月を見上げていても、月のことなんて何ひとつ理解していないのと同じように

こんなことあるよなぁ~。関係の濃淡はあれど、いや、関係の濃淡を決めるのは自分しかないのだか
ら、「関係の絶対性」と叫んでもみても、それはもう謎だ。
                                     この項つづく
 

   

 

 

 

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バイキングの船舶隧道計画

2017年03月13日 | 時事書評

  

    

         48  清水をたたえる井戸 / 水風井(すいふせい) 

 

 

                                          

         ※ 井とは井戸のこと。卦象は水(坎)の下に木(巽)があり、井戸に
          釣瓶を入れた形である。
井戸はそのたたずまいはひっそりとしてい
          るが、汲めども尽きぬ生命を持つ。人間生活に欠くことの
できない
          ものでありながら、ふだんはその有難味が忘れられている。あらゆ
          る人間に開放されており、
行きずりの旅人もその恩恵を受ける。井
          戸はまた時々さらわねばならぬ。新陳代謝が必要である。井
戸には
          釣瓶がなければならない。せっかくの清水も汲み上げられず、空し
          く腐ってしまう。井戸は移
動することもない。ジッと居場所を守っ
          ている。これらの性質を人事にあてはめて考えさせるのがこ
の卦で
          ある。

 Mar. 12, 2017

世界初!ノルウェイに船舶隧道計画

数年後、ユニークな体験ができる山の中の1.7キロメートルのトンネルを横断し、航行できるかも
しれない。
世初の船舶隧道(トンネル)が発達することはノルウェーの次の大きな観光資源となるだ
ろう。"
Stad Ship Tunnel"は、フィヨルド・ノルウェーで開催予定のメガ・プロジェクトの名称です。
ノルウェー沿岸局は、有名な建築デザインスタジオ"Snøhetta"により描かれたプロジェクトから新しい
理念提案図を公表。

この船舶隧道は、長さ1.7キロメートル、高さ49メートル(底から天井)、幅36メートル、建
設費は300億円。こ
の事業で、新たなフィヨルド観光スポットを創出する。また、ノルウェー沿岸
を航行する Hurtigruten
フッティルーテン)級型船(下写真ダブクリ)が、厳しい天候で有名な
"Stadhavet
" を安全航行できるように設計されており、また、経済的効果だけでなく、繊細な風景
に融和し
高い美的価値を付加する設計となっている。計画どおりに進めば、一日あたり70~120
隻の船舶が通過できる。隧道は"" Moldefjord"の
南アクセスから北アクセス"Selje" に渡り建設され、観
光客は隧道を通過する船舶を見ることができる

 Hurtigruten

このような船舶隧道建設案は、最初の計画は1870年代の早い時期に行われ、1世紀以上にわたって議
論されてきたが、"Stad"は老朽化した面倒な地域として知られてい。
歴史家はバイキングが"Stadhavet" 
の航海の危険回避に海岸沿いに牽引していたことを記録を残している。建設開始は2019年ごろの予定。
スケール大きな話なのだが、隧道掘削技術からみれば、運河開発事業に大きなインパクトを与える話
題である。これは面白い!
 

  
                                          Stad Ship Tunnel       

  Feb. 22, 2017   

Australian consortium launches world-first digital energy marketplace for rooftop solar

【RE100倶楽部:分散エネルギー取引所とは何か】

● 市場価格に応じて自主的に「売電」


石炭大国オーストラリアは、再生可能エネルギーへと急速に舵を切っている。太陽発電システム(太
陽光)の導入量が急増している。今後は発電した電力の融通について世界初の取り組みを始めるという。
太陽光と蓄電池を導入した家庭や企業が自由に参加する分散エネルギー取引所deX(Decentralised
Energy Exchange
)」が6月に開設がする。これは、固定価格買取制度(FIT)、自家消費、さらにそ
の次を実現する形となる(「FITの二歩先を行く、世界初の分散太陽光市場」スマートジャパン、
2017.03.10)。6月からパイロットプログラムを開始、主導するのは系統内で電力資源をどのように
利用するか、ソフトウェアによって最適化を進める企業GreenSync
同社によればdeXの開設によって、
再生可能エネルギーへのより効果的な投資が促されるため、インフラへの不必要な数十億ドルの投資
を避け
ることを可能にする。同社の発表資料の中で、オーストラリアの屋根の15%以上に太陽光発
電設備が載っている。これら全てが協働して系統を補うことができれば、再生可能エネルギーがより
一層普及する。エネルギーミックスを進める際、再生可能エネルギーの信頼性が高まり、不規則な発
電が問題にならなくなるという。

 Jul. 18, 2016

固定価格買取制度(FIT)や再生可能エネルギー利用割合基準(RPS)など、再生可能エネルギー導入
を促す政策は国ごとにさまざま。
例えばFITによって太陽光の導入量が十分増えたとしよう。現在の
日本のような状況だ。その後、計画的にFITの買取価格が下がっていき、最終的にはゼロになる。FIT
を導入した全ての国がこのような流れをたどる。
その後は発電した電力を家庭や企業が自家消費する
ことになる。買取期間中に導入コストを償却しているため、系統から電力を購入するよりも安く付く)。
しかし、
自家消費だけでは太陽光の能力を十分に生かしてはいない、さらにもう一歩前進できるので
はないかという発想が、deXを生み出す。

太陽光の発電能力は時刻や季節によって規則的に変化し、天候によって不規則に変わる。電力需要も
同じ。こ
のような状況に対応する手法は大きく2つある。全ての発電設備を中央で制御するというもの。
もう1つは全てを分散処理すること。
deXが狙うのは後者。市場で電力が余っているとき(電力の価
格が下がっているとき)は蓄電し、不足したとき(上がったとき)に放出する。これをdeXに参加す
る家庭や企業が、deXの提示する価格に従って個別に判断する。一方的に売電するFITとは全く異なる。
このような処理にソフトウェア技術を利用し、設定に応じて自動処理することもdeXの特徴だ。手動
で切り替える必要はない。各家庭や企業が能力に応じて発電し、必要に応じて電力を受け取る形にな
る。
 

● deXが必要なのはオーストラリアだけなのか

deXの取り組みは不必要なインフラへの投資を避ける結果につながるというのがGreenSyncの狙い。
在のオーストラリアでは、太陽光発電設備や蓄電池などのリソースが、エネルギー市場へ積極的に参
加することができない。電力の需給とはいわば無関係であり、系統の信頼性維持には役立っていない
分散型の再生可能エネルギーをdeXによって調整し、取引すること。これによってエネルギーミックス
を進め、再生可能エネルギーを高い割合で用いた場合の信頼性や安定性、電力コストの課題を解決で
きる可能性がある。
電力会社の指令に従って送電(売電)を停止する取り組みは短期的に必要だ。だ
が、deXのような取り組みを参考にして、その次を考える必要があるだろうとこの記事は結んでいるが、
当然といえば当然で誰が考えてもそうなるだろうが、最初に考え行動したこのグループに感謝の次第。

 

 

   1.もし表面が曇っているようであれば

  その次に関係を持ったもう一人の人妻は、幸福な家庭生活を送っていた。少なくともどことい
 って不足のない家庭生活を送っているように見えた。そのとき四十一歳で(だったと記憶してい
 る)、私より五歳ほど年上だった。小柄で顔立ちが整っていて、いつも趣味の良い服装をしてい
 た。一日おきにジムに通ってョガをしているせいで、腹の贅肉もまったくついていなかった。そ
 して赤いミニ・クーパーを運転していた。まだ買ったばかりの新車で、晴れた日には遠くからで
 もきらきらと光って見えた。娘が二人いて、どちらも湘南にあるお金のかかる私立校に通ってい
 た。彼女自身もその学校を卒業していた。夫はなにかの会社を経営していたが、どんな会社かま
 では聞かなかった(もちろんとくに知りたいとも思わなかった)。

  彼女がどうして私のあつかましい性的な誘いをあっさりことわらなかったのか、その理由はよ
 くわからない。あるいはその時期の私は、特殊な磁気のようなものを身に帯びていたのかもしれ
 ない。それが彼女の精神を(言うなれば)素朴な鉄片として引き寄せることになったのかもしれ
 ない。それとも精神とか磁気とかなんてまったく関係なく、彼女はたまたま純粋に肉体的な刺激
 をよそに求めており、そして私は「たまたま手近にいた男」というだけだったのかもしれない。
  いずれにせよそのときの私には、相手の求めているものを、それがたとえ何であれ、ごく当た
 り前のこととして迷いなく差し出すことができた。最初のうちは彼女も、私とのそのような関係
 をきわめて自然に享受しているように見えた。肉体的な領域について話るなら(それ以外に語る
 べき領域はあまりなかったとしても)、私と彼女との関係はきわめて円滑に運んでいた。我々は
 そのような行為を率直に、混じりけなくこなし、その混じりけのなさはほとんど抽象的なレベル
 にまで達していた。私は途中でそのことに思い当たって、いささか驚きの念に打たれたものだ。
 でもきっと途中で正気に戻ったのだろう。光の鈍い初冬の朝に彼女はうちに電話をかけてきて、
 まるで文書を読み上げるような声で言った。「もうこの先、私たちは会わないほうがいいと思う。
 会っていても先はないから」と。あるいはそういう意味のことを。

  たしかに彼女の言うとおりだった。我々には実際、先ところが根もとだってほとんどなかった。
 美大に通っていた時代、私はおおむね抽象圃を描いていた。ひとくちに抽象圃といっても範囲も
 し表面が曇っているようであればはずいぶん広いし、その形式や内容をどのように説明すればい
 いのか私にもよくわからないが、とにかく「具象的ではないイメージを、束縛なく自由に描いた
 絵画」だ。展覧会で何度か小さな賞をとったこともある。美術雑誌に掲載されたこともある。私
 の絵を評価し、励ましてくれる教師や仲間も少しはいた。将来を嘱望されるというほどではない
 にせよ、絵描きとしての才能はまずまずあったと思う。しかし私の描く油絵は、多くの場合大き
 なキャンバスを必要としたし、大量の絵の具を使用することを要求した。当然ながら制作費も嵩
 む。そしてあえて言うまでもないことだが、無名の画家の号数の大きな抽象画を購入し、自宅の
 壁に飾ってくれるような奇特な人が出現する可能性はとこまでもゼロに近い。

  もちろん好きな絵を描くだけでは生活していけなかったので、大学を卒業してからは生活の糧
 を得るために、注文を受けて肖像画を描くようになった。つまり会社の社長とか、学会の大物と
 か、議会の議員とか、地方の名士とか、そのような「社会の注」とでも呼ぶべき人々の要を(注
 の大さに多少の差こそあれ)、あくまで具象的に描くわけだ。そこではリアリスティックで重厚
 で、落ち着きのある作風が求められる。応接間や社長室の壁にかけておくための、どこまでも実
 用的な絵画なのだ。つまり私が両家として個人的に目指していたのとはまったく対極に位置する
 絵画を、仕事として描かなくてはならなかったわけだ。心ならずもと付け加えても、それは決し
 て芸術家的傲慢にはならないはずだ。

  肖像画の依頼を専門に引き受ける小さな会社が四谷にあり、美大時代の先生の個人的な紹介で、
 そこの専属契約画家のようなかたちになった。固定絵が支払われるわけではないが、ある程度数
 をこなせば若い独身の男が一人生き延びていけるくらいの収入にはなった。西武国分寺線沿線の
 淡いアパートの家賃を支払い、一目にできれば三度食事をとり、ときどき安いワインを買って、
 たまに女友だちと一緒に映画を観に行く程度のつつましい生活だった。時期を定めて集中して肖
 像画の仕事をこなし、ある程度の生活費を確保すると、そのあとしばらくは自分の描きたい緒を
 まとめて描くという暮らしを何年か続けた。もちろん当時の私にとって肖像画を描くのは、とり
 あえず食いつなぐための方便であり、その仕事をいつまでも続けていくつもりはなかった。

  ただ純粋に労働としてみれば、いわゆる肖像画を描くのはけっこう楽な仕事だった。大学時代
 しばらく引っ越し会社の仕事をしたことがある。コンビニエンス・ストアの店員をしたこともあ
 る。それらに比べれば肖像画を描くことの負担は、肉体的にも精神的にもずっと軽いものだった。
 いったん要領さえ呑み込んでしまえば、あとは同じひとつのプロセスを反復していくだけのこと
 だ。やがて一枚の肖像画を仕上げるのにそれほど長い時間はかからないようになった。オート・
 パイロットで飛行機を操縦しているのと変わりない。

  しかし一年ばかり淡々とその仕事を続けているうちに、私の描く肖像画が思いもよらず高い評
 価を受けているらしいことがわかってきた。顧客の満足度も申し分ないということだった。肖像
 画の出来に関して顧客からちょくちょく文句が出るようであれば、当然のことながら仕事はあま
 りまわってこなくなる。あるいははっきり専属契約を打ち切られてしまう。逆に評判がよければ
 仕事も増えるし、一点一点の報酬もいくらか上がる。肖像画の世界はそれなりにシリアスな職域
 なのだ。しかしまだ新人同然だというのに、私のところには次から次へと仕事がまわってきた。
 報酬もそこそこ上がった。担当者も私の作品の出来に感心してくれた。依頼主の中には「ここに
 は特別なタッチかおる」と評価してくれる人もいた。

  私の描く肖像画がなぜそのように高く評価されるのか、自分では思い当たる節がなかった。私
 としてはそれはどの熱意も込めず、与えられた仕事をただ次から次へとこなしていただけなのだ。
 正直なところ、自分かこれまでどんな人々を描いてきたのか、今となってはただの一人も顔が思
 い出せない。とはいえ私は仮にも画家を志したものであり、いったん絵筆をとってキャンバスに
 向かうからには、それがどんな種類の絵であれ、まったく価値のない絵を描くことはできない。

 そんなことをしたら自分白身の絵心を汚し、自らの志した職業を貶めることになる。誇りに思え
 るような作品にはならないにせよ、そんなものを描いたことを恥ずかしく思うような絵だけは描
 かないように心がけた。それを職業的倫理と呼ぶこともあるいは可能かもしれない。私としては
 ただ「そうしないわけにはいかなかった」というだけのことなのだが。

  もうひとつ、肖像画を描くにあたって、拡は最初から一貫して自分のやり方を貫いた。まずだ
 いいちに、私は実物の人間をモデルにして絵を描くということをしなかった。依頼を受けると、
 最初にクライアント(肖像画に描かれる人物だ)と面談することにしていた。一時間ばかり時間
 をとってもらい、二人きりで差し向かいで話をする。ただ話をするだけだ。デッサンみたいなこ
 ともしない。拡がいろんな質問をし、相手がそれに答える。いつどこでどんな家庭に生まれ、ど
 んな少年時代を送り、どんな学校に行って、どんな仕事に就き、どんな家庭を持ち、どのように
 して現在の地位にまでたどり着いたか、そういう話を聴く。日々の生活や趣味についても話をす
 る。だいたいの人は進んで自分について語ってくれる。それもかなり熱心に(たぶんほかの誰も
 そんな話を間きたがらないからだろう)。一時間の約束の面談が二時間になり、三時間になるこ
 ともあった。そのあと本人の写ったスナップ写真を五、六枚借りる。普段の生活の中で自然に撮
 影された、普通のスナップ写真だ。それから場合によっては(いつもではない)自分の小型カメ
 ラを使って、いくつかの角度から錫杖か顔の写真を撮らせてもらう。それだけでいい。

 「ポーズをとって、じっと座っている必要はないのですか?」と多くの人は心配そうに私に尋ね
 る。彼らは誰しも肖像画を描かれると決まった時点から、そういう目に遭わされることを覚悟し
 ていたのだ。両家が――まさか今ときベレー帽まではかぶっていないだろうがむずかしい顔つき
 で絵筆を手にキャンバスに向かい、その前でモデルがじっとかしこまっている。身動きしてはな
 らない。そういう映圃なんかでお馴染みの情景を想像していたわけだ。

 「あなたはそういうことをなさりたいのですか?」と私は逆に質問する。「絵のモデルになるの
 は、馴れない方にはかなりの重労働になります。長い時間ひとつの姿勢を保たなくてはならない
 から、退屈もしますし、けっこ立居だって凝ります。もしそれがお望みであるのなら、もちろん
 そうさせていただきますが」

  当たり前の話だが、九十九パーセントのクライアントはそんなことをしたいとは望んではいな
 い。彼らはほとんどみんな働き盛りの多忙な人たちだ。あるいは引退した高齢の人々だ。できる
 ことならそんな無意味な苦行は抜きにしたい。

 「こうしてお会いしてお話をうかがうだけでもう十分です」と拡は言って相手を安心させた。
 「生身のモデルになっていただいても、いただかなくても、作品の出来映えにはまったく変わり
 ありません。もしご不満があれば、責任を持って描き直させていただきます」

  それから二週間ほどで肖像画は仕上がる(絵の具が乾ききるまでに数ケ月はかかるが)。拡が
 もし表面が曇っているようであれば必要とするのは目の前の本人よりは、その鮮やかな記憶だっ
 た(本人の存在はむしろ圃作の邪魔になることさえあった)。立体的なたたずまいとしての記憶
 だ。それをそのまま両面に移行していくだけでよかった。どうやら私にはそのような視覚的記憶
 能力が生まれつきかなり豊かに具わっていたようだ。そしてその能力特殊技能と言ってしまって
 いいかもしれないが職業的肖像画家としての私にとってずいぶん有効な武器になった。

  そのような作業の中でひとつ大事なのは、私がクライアントに対して少しなりとも親愛の情
 持つということだった。だから私は一時間ほどの最初の面談の中で、自分か共感を抱けそうな要
 素を、クライアントの中にひとつでも多く見いだすように努めた。もちろん中にはとてもそんな
 ものを抱けそうにない人物もいる。これからずっと個人的につきあえと言われたら、尻込みした
 くなる相手だっている。しかし限定された場所で一時的な関わりを持つだけの「訪問客」として
 なら、クライアントの中に愛すべき資質をひとつかふたつ見いだすのは、さして困難なことでは
 ない。ずっと奥の方までのぞき込めば、どんな人間の中にも必ず何かしらきらりと光るものはあ
 る。それをうまく見つけて、もし表面が曇っているようであれば(曇っている場合の方が多いか
 もしれない)、布で磨いて曇りをとる。なぜならそういった気持ちは作品に自然に撒み出てくる
 からだ。



  そのようにして私はいつの間にか、肖像画を専門とする画家になっていた。その特殊な挟い世
 界ではいくらか名前を知られるようにもなった。私は結婚するのを機に、その四谷の会社との専
 属契約を打ち切って独立し、絵画ビジネスを専門とするエージェンシーを介し、より有利な条件
 で肖像画の依頼を引き受けるようになった。担当者は私より十歳ほど上で、有能で意欲的な人物
 だった。独立して、もっと大事に仕事をするようにと技が私に勧めてくれたのだ。以来、私は多
 くの人の肖像画を描き(多くは財界と政界の人々だった。その分野では著名人だということだが、
 私はほとんど誰の名前も知らなかった)、悪くない収入を得るようになった。しかしその分野に
 おける「大家」になったというわけではない。肖像画の世界はいわゆる「芸術絵画」の世界とは
 成り立ちがまるで違う。写真家の世界とも違う。ポートレイト専門の写真家が世間的な評価を受
 け、名前を知られることは少なからずあるが、肖像両家にはそんなことは起こらない。描いた作
 品が外の世界に出ていくこともきわめて希だ。美術雑誌に載ることもなければ、画廊に飾られる
 こともない。どこかの応接間の壁にかけられ、あとはただはこりをかよって忘れられていくだけ
 だ。その絵をたまたまじっくり眺める人がいたとしても(おそらくは暇を持て余して)、画家の
 名前を尋ねるようなことはまずあるまい。

  ときどき自分が、絵画界における高級娼婦のように思えることがあった。私は技術を駆使して、
 可能な限り良心的に、定められたプロセスを抜かりなくこなす。そして顧客を満足させることが
 できる。私にはそういう才能が具わっている。高度にプロフェッショナルではあるが、かといっ
 て機械的に手順をこなしているだけではない。それなりに気持ちは込めている。料金は決して安
 くはないが、顧客たちは文句ひとつ言わずそれを支払う。私か相手にするのはそもそも、支払い
 頼など気にもしない人々だから。そして私の手腕はロコミで人から人へと伝わる。おかけで顧客
 の来訪は絶えない。予約帳はいつも埋まっている。しかし私自身の側には欲望というものが見当
 たらない。ただのひとかけらも
        

                                 村上春樹 『騎士団長殺し』Ⅰ部 顕れるイデア編

今夜も丹念に書かれた文書を、さほど丹念に読むことなく流す。これからワクワクするような、あるいは、バァ
ァアーッとくる出会いを楽しみにして読み進めていこう。

 

   

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