極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

インフレーションを説明する

2013年03月31日 | 時事書評

 

 


【メガソーラの汚れ】

 ちょっと気になっていることがある。ソフトバンクエナジー社の発電量をウオッチングしているが
冬から春にかけて日照が長くなってきているのに思ったほど伸びてこないのだ。原因はいろいろ考
えられるだろうか、黄砂などによる表面汚れではないのではと考え、先日、香川大学発ベンチャー
企業の株式会社未来機械で話題となった「ソーラーパネル清掃ロボット」を、朝からネット調査し
た。もっとも、昨日の今日だから足腰に痛みが走り、精神的にも集中力を切らした中での作業だ。
子の発明は、ソーラーパネルの上を自動走行しながら、水を使わず清掃できる、世界で類を見ない
ソーラーパネル清掃ロボットで、保有の特許「窓ふき装置」(WO2004/028324)をベースにした
ものだ。据え置き型「セルスイーパー」という自動清掃装置(人工知能という点でロボットではな
い)が先行市販されている。中東・北アフリカのある地域では、2週間で発電出力が10%近く低
下したデータが報告されているが
、乾燥地域は水資源に乏しいことに加え、これらの地域は、低緯
度のためソーラーパネルの角度が水平に近く、水等で洗浄した場合も、パネル表面に水がたまりや
すくなる。そのため、水を使わない清掃ロボットが有効となり、手作業での清掃ではコストや作業
性の点から課題があり合理的な清掃手段が求められいたものだ。大人が一人で持ち運ぶことが可能
であり、作業者がパネルの上に置いてスタートスイッチを押すと、敷き詰められた一面の太陽光パ
ネルの上を自動で走行し、隅々まで清掃。ロボットには特殊な回転ブラシを内蔵しており、水を使
わず砂塵を除去。ロボットは内蔵バッテリにより連続で最大2時間使用。清掃が終わると、その場
で停止して清掃作業が終了できる。

  WO2004/028324 窓拭き装置

 

【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

【ケインズ経済学の現在化】


 【国債とインフレーションについての事実】


【国債残高は大きすぎるか】

 新しく建国されたアメリカ合衆国は、独立戦争中に発生した債務を政府が引き受けたため、早
 くも1790年に すでに約7、500万ドルの負債を負っていた。連邦政府の負債がゼロになった1830
  年代のある短い期間を除けば、米国政府はつねに、なにがしかの負債残高を持っていた。第1
 次世界大戦中に、国債は、1916年の 12億ドルから1919年の254億ドルヘと大幅に増加した。

 債は、狂騒の1920年代の10年間に減少しか、1929年には、債務総額は169億ドル GDPの約16
  %にまで減少していた。このような債務の減少
は、1919年から1929年までの間、連邦政府が税
 収より85億ドルも少ない支出に止めた結果であった。言い換えれば、1920年代のほとんどの年
 を通
して、連邦政府の貯蓄はかなりの金額に達した。しかし経済は成長し繁栄し続けた。この
 経験が示していることは、もし民間部門が産業の生産できる時代であった。
わたくしは大不況
 時代に子供としての時を過ごし、第2次世界大戦中のローティーンエイジャーとして、これら
 の巨額の政府赤字によって苦しめられたとは全く感じていない。当時成人であったわれわれよ
 り上の世代は、子供たちに豊富と繁栄という遺産を残してくれた。わたくしは自分や自分の仲
 間がいい働き口を容易に見つけ出すのを可能にし、自らの生活水準を高めるすばらしい機会を
 提供してくれた経済を受け継いだ。もしこれが子供や孫たちに負担をかけたことになるという
 のなら、現世代が自分の子孫のためにそのような「負担」を作り出してもよいのではないかと、
 わたくしは考えている。

 この話から得られる教訓は、われわれは、政府が、われわれの産業の生産物に対する市場の需
 要を増加させ、それによって利益を上げうるような企業家システムを維持することのできる唯
 一の支出者であるとき、巨額の政府赤字を出すことについて懸念するには及ばないということ
 である。政府が、国
債の大きさを抑えようとして支出を少なくすることは、市場の需要を不活
 発なままにし、それによってわが国の企業のみならず労働者をも貧しくすることを意味するで
 あろう。
ケインズの考えは、支出者が市場需要の健全な増加をもたらしそれによって社会に利
 潤と雇用を生み出すとき、資本主義が最もよく機能するというこ
とであった。明らかにこのこ
 とは、政府支出が1933年から1936年の間および1938年から1945年の間に増加したとき、論証さ
 れたのである。ルーズヴェルトが1937会計年度に支出を削減したとき、結果として起こった急
 激な景気後退は、景気回復のあの段階においては、政府以外のどのような支出者も、市場の需
 要創出者の役割を引き継ごうとはしなかったし引き継ぐこともできなかったことを示している。
 もしルーズヴェルトが1938年に国債総額を増加させないために政府支出を抑制し続けていたな
 らば、貧弱な実績の経済を国内に押し広めていたことであろう。戦争が勃発し国債の大きさな
 どに考えが及ぼなくなったとき、政府支出が経済を速やかに利益の上がる完全雇用の状態に押
 し上げたのである。この歴史的記録は、資本主義経済の運行に関するケインズの考えの正しさ
 を証明している。

                    ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                 『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』

 

 【紙幣の印刷が「大インフレーション」を生み出すのだろうか】

 




米国でも、政府が経済を深刻な景気後退から救い出すために、相当な額の追加支出に乗り出する場
合、その支出の全額ないし一部が連邦準備制度への債券の売却によってまかなわれ、財政赤字を招
かざるを得ない。このとき、財政赤字が「紙幣を印刷すること」によってまかなわれるが、
この貨
幣供給の増加が、大インフレーションを引き起こす懸念がもたれる。例えば、2009年1月29日付の
『ウオールストリート・ジャーナル』に掲載された「連邦準備制度は米国債券の購入計画に向かっ
てゆっくりと進んでいる」と題する記事の中で、報道記者のJ.ヒルセンラス(J.Hilsenrath)とL.ラ
パポート(L.Rappaport)が、連邦準備制度の国債購入計画に対し、「それは 政府の赤字が急増し
つつあるときには、物議をかもす行動であり、紙幣を印刷することによって財政赤字をまかなうこ
とは、インフレ的行動であるとみなす人もいるかもしれない。」と懸念を示したとポール・デヴィ
ッドソンは述べている。本当にそうなのか?ここはキッチリと彼の説明を見てみよう。なぜなら、
日本でもよく似た「素人でも思いつくような話」が流布されているからだ。


 ここにはもちろん、フリードマンのようなノーベル賞を受賞した経済学者によってさえ広めら
 れ
た、政府が支出するための紙幣を「印刷する」につれて貨幣供給が増加するとき、急激なイ
 ンフ
レは避けられないという。素人でも思いつくような話が潜んでいる。この紙幣を印刷する
 過程は
実際にどのような影響を及ぽすのであろうか。もし政府が税収として集めた金額以上に
 支出した
いと思うならば、債券を売却しなければならない。かりに政府が経済の民間部門でこ
 れらの債券を購入してくれる貯蓄者を見出すことができないときは、連邦準備制度に販売する
 ことができる。連邦準備制度がこれらの政府の債務証券を購入した場合、連邦準備制度の財務
 省預金勘定に預金を積む手続きを取ることになる。そこで財務省は、連邦準備制度への自らの
 預金勘定の残高増加を引き当てに小切手を切ることができる。正規の銀行勘定宛に振り出され
 た小切手は契約ヒの債務を決済することができるので 財務省の預金勘定の増加は政府により新
 たに印刷された紙幣に
相当する。しかしもしこの貨幣の政府支出が企業による生産と雇用を促
 すために費やされるなら
ば、なぜそれがインフレを引き起こすことになるのだろうか

  紙幣の印刷によってまかなわれた赤字支出とインフレとの間を直接的に結びつけるこの考え方は、
 主流をなす古典派の効率的市場モデルの基礎となっている第2の基本的な公理、すなわち、
  立貨幣の公理(the neutral moneyaxiom)から成立する論理的推論である。この中立貨幣の公理
  が主張
するところは、経済への貨幣供給のどのような増加も、経済において生産される財の量
  にも雇用の水準にもなんらの影響も与えないであろうということである。言い換えれば、中立
 貨幣の公理は、貨幣供給量のどのような増加も生産される財やサービスの量(GDP)ないし
 
雇用量に全く何の影響も与えないということを、証明される必要のない普遍的真理として
 張しているので
ある。

 もし中立貨幣の想定が経済モデルに組み込まれるならば、政府が産業の生産物に支出するため
 の
紙幣を「印刷する」場合,インフレは避けられないということになる。もし政府がこれらの
 「印刷された」追加的ドル紙幣をすべて支出するならば、その結果は、財やサービスに対する
 市場需要の増加となるに違いない。しかしながら、もし中立貨幣の公理が受け入れられるなら
 ば、政府の印刷された紙幣によって作り出された市場の需要増は、企業家たちが生産し市場で
 販売する財・サービスの総量に影響を与えることができない。中立貨幣の想定は、この市場需
 要の増加が企業家に生産を拡大しより多くの労働者を雇うよう促すことはできないことを意味
 する。この市場需要の増加はただ市場価格を高め、したがってインフレを引き起こすことがで
 きるだけである。

 それゆえ古典派の経済学者たちは、「多すぎる貨幣が少なすぎる財を追いかけている」のだか
 ら、紙幣を印刷することによってまかなわれた赤字支出はインフレを引き起こすとたんに想定
 している
にすぎないのである。これら古典派の経済学者たちは、紙幣の印刷はインフレを引き
 起こすことを証明
していないし、証明する必要がないと信じているのである。中立貨幣の公理
 は、効率的市場理論の基本的な構成要素であるから、古典派の経済学者たちはたんに貨幣供給

 の増加率が生産の増加率より高くなればインフレが起こると、主張しているにすぎない。
 
 中立貨幣の想定を盲目的に受け入れてしまうと、論理的に一貫した分析を心掛けている者は、
 も
しかなりの程度の失業や遊休生産能力が存在するならば、政府の追加的な赤字支出が利潤獲
 得の
機会を生み出し、したがって企業に生産や雇用を拡大すよう促すことができるし実際にそ
 うな
るであろうということを認識できなくなるであろう。失業や遊休生産能力がある場合、追
 加的な
政府支出をまかなうために「印刷された」貨幣供給の増加が、インフレを引き起こすこ
 とにはな
らないのである。

 事態がもっと厳しくなると、基本的な中立貨幣の想定と共に主流派の経済理論を受け入れてい
 る人でさえ、この理論は現実に当てはまらないと考えるようになるのかもしれない。先にあげ
 た『ウオールストリート・ジャーナル』の記事は、続けて次のように言っている。「経済不振
 の気運が急に世界中で高まったので,連邦準備制度の幹部たちは当面、インフレを懸念事項と
 はみなしていない。」しかし今ではないにしても、経済が回復しこの同じ貨幣数量の下でより
 多くの販売に供される財やサービスが生産されているときに、果たして紙幣を印刷して財政支
 出したことに起因するインフレは起こるのだろうか。同じ量の貨幣がはるかにより多くの財を
 追いかけているのではないのだろうか。

 中立貨幣の想定は事実というよりもむしろ信念なのだとその唱道者たちが認めていることは、
 驚きといえるかもしれない。マサチューセツツエ科大学教授で国際通貨基金主任エコノミスト
 のオリヴァー・ブランシャール(oliver Blanchard )は、有名な経済研究機関によって経済の将
 来を予測するために用いられている経済モデルに言及して、次のように言っている。われわれ
 が調べたモデルはすべて、貨幣の中立性を確固たる前提に置いている。これは、経験的根拠に
 基づくというよりもむしろ、理論的考察に基づく信念の問題である。しかしながらケインズは
 われわれが経験している世界での資本主義システムの動きを説明するためには、エルゴード性
 の公理のみならず古典派の中立貨幣の公理をも放棄しなければならないと主張した。ケインズ
 は、革命的な分析を編み出そうとなおも努力中であった1933年に、次のように書いている。

  
  わたくしが切望する理論は、・・・貨幣がそれ自らの役割を演じ動機や意思決定に影響を及ぼ
  しまた端的にいって、貨幣が状況の枢要な要因のひとつとなっていて、はじめの状態と終
  わりの状態との間での貨幣の動きに関する知識なくしては、長期あるいは短期のいずれに
  おいても事態の推移は予測され得ないような経済を、取り扱うであろう。そしてわれわれ
  が貨幣経済について語るとき意味しなければならないのは、このような経済である。・・・
  好況と不況は、・・・貨幣が中立的でない・・・ 経済に特有のものなのである。


 ケインズは、自らの分析枠組みから中立貨幣の公理を取り払うに当たって、財が財と交換され
 るような物々交換取引がわれわれの経済システムの本 質である。ということを否定していた。
 貨幣は、現代の資本主義経済の運行において重要な役割を演じるとされた。かれの分析におい
 ては、貨幣供給の増加によってまかなわれた追加的財政支出はおそらく、企業家たちが販売の
 ためのより多くの生産物を生産し追加的な利潤を稼ぐのを促すはずであった。中立貨幣の公理
 が存在しない場合、かなりの量の失業と遊休化した生産能力が存在するときはいつでも、貨幣
 供給の増加を通じてまかなわれた追加的な財政支出がインフレ的とならないことは十分可能で
 ある。

                     ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                  『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』

 

【インフレーショを説明する】


 インフレは、ある国の住民が購入するほとんどの財やサービスの貨幣価格にかなりの上昇が見
 
られるときはいつでも、発生しているといえる。もし中立貨幣の公理が、ブランシャールも進んで認めて
 いるように、たんに事実の裏付けのない信念に過ぎないものとして拒否されるとすれば、われ
 われは、政府が紙幣を印刷し経済回復計画のために支出するときはいつでもインフレ的である
 に違いないと断定する。いわば無条件反射のような態度を示すべきではないのである。それで
 はなにがインフレーションの原因なのであろうか。ケインズは、1930年に出版された『貨幣論』
 と題する2巻からたんなる書物の中で、2種類の異なる型のインフレーション、すなわち商品
 インフレーシ
ョンと所得インフレーションを定義している。各型のインフレーションはいずれ
 も物価水準の上昇と結びついてはいるが、その原因は異なっている。

【商品インフレーション】 

  商品インフレーションは本質的に,農産物,原油および鉱物のような規格化された耐久性のある商品
  の市場価格上昇と結び付けて考えられている。一般的に、これらの商品はよく組織化された公
 開の市場で取引され、その市場価格は新聞やその他のマスコミ機関で報じられている。これら
 の市場は、特定の時点の商品引渡し-今日ないし将来の特定の時点での商品の引渡しと関連付
 けられる価格を持っている。
多くの商品の将来の引渡しのための市場は、わずかに数カ月一般
 的には、10ヵ月ないしそれ以下の期間-先の時点に限られている。ほとんどの商品は生産にか
 なりの長期間を要するから、どのような近い将来の時点での市場への商品供給量も、すでに存
 在する在庫量に加えて、生産過程にあるか近い将来の引渡し時点までに完成される予定の半製
 品の量によって概ね固定されている。もしこれらの公開市場において近い将来に引き渡される
 べき商品の需要に突然の増加が生じ、その引渡し時点までに現在の供給量をさらに増やすこと
 がほとんどないし全く不可能であることが予想されるならば、こうした市場需要の増加はこれ
 ら商品の将来の市場価格を高騰させるだけであろう。同様に、市場の需要になんらの変化もな
 いにもかかわらず、供給可能量に突然の変化が生じるならば、市場価格は変化するであろう。
 例えば、突然の降霜がほとんど収穫真近かであった地中の作物を台無しにしてしまったとしよ
 う。需要に変化がないとすれば、その作物の商品価格は上昇し、商品インフレーションを引き
 起こすことが予想されるはずである。

 よく知られているように、商品投機家は、商品の市場価格を高騰させるためかなりの量の在庫
 を買占め、これらの在庫を市場に出さないでおく(供給可能量を減らす)行動をとる。もしこ
 れらの投機家が成功するとすれば、かれらは後にその在庫を売って利益を上げることができる
 であろう。そのようにして成功した投機家は、「市場を独占的に支配し」、商品インフレーシ
 ョンの一因となったといわれる。
商品価格インフレーションは、需要や近い将来に引き渡され
 るべき供給可能量に突然で予期しない変化があったときはいつでも起こるから、この種のイン
 フレは、利己心によって動かされておらずむしろ社会をインフレの苦難から守りたいと望んで
 いるある制度によって、容易に避けることができる。商品価格インフレーションを防ぐには、
 政府は、需要あるいは供給の変化が重大な価格変動を誘発するのを妨げるための緩衝在庫とし
 て、ある程度その商品の在庫を保持する必要がある。緩衝在庫は、以前予期できなかった需要
 
や供給の変化が現実に起こったときに、それを相殺することによって無秩序な価格崩壊から市
 場を守るために、市場に運び入れたり運び出したりできる。なんらかの商品のたな卸し在庫に
 他ならない。

 例えば,米国は,1970年代の石油価格ショック以来、メキシコ湾沿岸の地下岩塩ドームに原油
 を貯蔵する戦略的石油備蓄を展開している。これらの石油備蓄は、もし政治的に不安定な中東
 からの供給が突然減少するならば、国内石油の市場価格を安定させるため、緊急に市場へ放出
 されるf定になっている。そのような石油備蓄を戦略的に用いることは、例えば中東で政治危
 機が勃発した場合、石油の価格が、備蓄のない状態のときほどには上昇しないであろうことを
 意味する。
言い換えれば、石油価格の高騰は,緩衝在庫が商品のどのような不足をも直ちに埋
 め合わるのに利用できる状態にあるかぎり、避けることができるであろう.したがって、米国
 政府の高官は,1991年のイラクに対する短期の湾岸戦争(砂漠の嵐)の間、原油の市場価格に
 (現実の、あるいは、予想される)影響を及ぼす混乱の起こらないように戦略的石油備蓄から
 の原油を市場に放出した。エネルギー省は、このように緩衝在庫を用いたことにより、ガソリ
 ンの小売価格が1ガロン当たり約30セント上昇するのを防ぐことが
できたと推計している。

 商品価格の高騰に対する公共政策による解決法として緩衝在庫を用いることは、7頭の太った
 雌牛の後ろに7頭のやせた雌牛がつづくという、聖書に登場するヨセフとファラオの夢の話
 同じくらい古いものである。当時の経済予測者であったヨセフは、ファラオの夢を、生産(供
 給)が平年水準以上で農産物価格(や農民の所得)が平年水準以下となるような7年間の豊作
 の後、農民の受取る農産物価格が法外に高くなるものの年間の生産がみんなに行きわたるほど
 十分な食料を提供できないような7年間の凶作が続くことを予告しているものと解釈した。ヨ
 セフのより進んだインフレ抑制政策の提言は、政府が豊作の年に穀物の緩衝在庫を蓄えておき、
 凶作の年にその穀物を利潤抜きの原価で市場に放出するということであった。これは、14年間
 の収穫期にわたって安定した価格を維持し、凶作の年のインフレを避け、豊作の年の農民の所
 得を保護することとなった。聖書によれば、この進んだ緩衝在庫政策は、褒めたたえるべき経
 済的成功であったとされている。

 2008年の夏に突然現れた。石油やいくつかの農産物の価格高騰は、中国やインドがあまりにも
 急速に成長しているため、これらの商品に対するかれらの需要増が他の国々からの通常の需要
 に上乗せされて、市場価格を天文学的な水準にまで早急に押し上げるであろうとの(誤った)
 期待に基づいていた。専門家の中には、2009年の年初には原油は1バレル当たり200ドルにな
 ると予想する者もいた。もしこれらの期待が合理的であるのならば,投機家は市場で石油を1
 バレル当たり,例えば100ドルで購入し、それから急に態度を変えて短期間のうちにそれを転
 売してしまうことによって100%の利潤を上げることができるであろう。

 したがって、投機家のみならず航空会社のような石油製品の大口ユーザーも市場で原油の先物
 を購入した。航空会社は、2008年末には1バレル当たり200ドルにもなろうかと予想されている
 ときに、より安い燃料を確保するために、石油の先物を購入したのである。もちろん,2008年
 末に原油の価格が1バレル当たり40ドル以下に下落したとき、航空会社は、原油価格が2008年
 から先に急上昇するのは避けられないとの投機的な考えに基づいた石油の買い付けで、莫大な
 損失をこうむった。
わたくしは,商品インフレーションが頂点に達しつつある頃,『チャレン
 ジ』誌の2008年7月/8月号に論文を発表し、原油の先物価格に関する極端で非現実的な投機が
 原油価格のみならず農産物にも商品インフレーションを引き起こしつつあることを明らかにし
 た。わたくしの主張は,ケインズの商品インフレーションの考えと石油産業の経営についての
 知識に基づいていた。わたくしは、石油産業の知識をある有力な石油会社の経済調査部門の次
 長をしていたときや、その後13社の主要石油会社を巻き込んだ反トラスト訴訟での専門家とし
 ての証人であったときに得ていた。わたくしは、ある簡単な政策がこの投機をすぐに止めさせ、
 原油価格の大幅な下落という結果をもたらすことを承知していた。

 わたくしは、連邦政府に聖書にあるヨセフの例に従うよう提案した。価格が1バレル当たり140

 ドルに近づきつつあったとき、わたくしは、もし政府が戦略的石油備蓄として蓄えてきた石油
 の10%弱を市場で売却するならば、原油価格は100ドル以下に下がるであろうと書いた。その結
 果、消費者にとっての石油製品の価格が下がるばかりでなく、政府にとって利益が得られるで
 あろう。というのも、政府は、戦略的石油備蓄で蓄えられた石油を現在の市場価格よりはるか
 に安い価格で購入していたからである。政府はこの緩衝在庫計画を採用しなかったが、景気後
 退に強い影響力を持つ2008年の金融危機が、この商品投機を収束させた。もしオバマ政権中に
 中東で政治問題が勃発すれば、起こるかもしれないどのような石油価格インフレをも止めるた
 めに、大統領には緩衝在庫のたとえに従って行動してもらいたいと、わたくしは思っている。

 
                    ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                  『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』

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負けを発条にする方法

2013年03月30日 | 滋賀のパワースポット

 

 

 

 

朝から腕時計・地図の準備を怠るこれが裏目となる。もうすぐで尾根に出るという手前の雪渓で対岸
の道標の目印を見つけられず雪渓をさまようわけにもいかず(視力が悪いので双眼鏡は必需品だと気
づくが時既に間に合わず。雪渓に登山者の足跡があればなんとかなったのだがそれも発見できず見つ
けたのは雪上に残る鹿の足跡と糞だけだ。違うルートを探すも道標も目印も手がかりなし。おまけに
道に迷い、パニクル。やむを得ず登頂を諦める。ところが、しばらくどこを歩いているのか検討がつ
かず、渓谷の音を頼り下山する滑落の危険を背負い緊張の連続で喉が渇き、途中のコンビニで買って
おいた「お~ぃ お茶」の二本は空になり、おまけに雪渓で靴はずぶ濡れ。これはトレッキングでは
ないぞ!?と思いながら這々の体でガリバー青少年旅行村に到着。そこで一計を講じた。これに懲り
て、これをバネにしようと、徳川家康の「しかみ像」を思いだし、カメラに収めることに(写真の靴
のずぶ濡れ状態はこれで見るとよくわからない)。それにしても青少年ガリバー旅行村は立派なもの
だ。

 

  

 

 

 

【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

【ケインズ経済学の現在化】

 

 

【1ペニーの貯蓄は1ペニーの所得にならない】

 

 もちろん、貯蓄者が働きロを無くしてしまう可能性は、もし同時に他の購入者たちが、以前より
 多く支出し企業からの財やサービスの購入を増やすため借金さえする決心をするならば、打ち消
 されうるであろう。
これらの他の購入者とはだれであり、なぜかれらは支出を増やすために借金
 
さえしようとするのだろうか。経済学者は通常、企業によって生産される財やサーヴィスの買い
 手として,以下の4者を挙げるのが普通である。すなわち、(1)家計  (2)現在の生産能力を上回
 る将来の売上げが期待できるため追加的な機械設備に投資をする企業 (3)連邦政府のみならず州
 政府および地方自治体を含む政府部門、および(4) わが国からの輸出品の購入を望む外国人、で
  あ
る。わたくしは、外国貿易の問題を取り扱う第7章において輸出品販売の影響について論じる
  予定であるので、この段階では、最初の3つの範晴の購入者に注意を集中することにしよう。

 家計の購入は通常所得と密接に結びついている。しかし家計の所得が増加するならば,家計は財
 やサービスの購入を増やしがちであり、その所得が減少するならばより少なく支出しがちである。
 もし経済が景気後退ないし不況の状態にあるならば、それは、民間企業の生産物の購入者が、理
 由はなんであれ,より少なく購入しており,またより少ない労働者が雇用されているためである。
 したがって、景気後退とはつねにすべての家計の所得総額の減少と結びついている。というのも、
 景気後退局面においては、一方で働き手が解雇されより金額の低い失業保険で生活していかなけ
 
ればならない家計があるかと思えば、他方で自らの所得の一部を企業の利潤から得ているものの、企業
 が売上げ収入滅をこうむるにつれて企業からの受取り金額が減少してしまった家計もあるといっ
 た具合であるからである。


 企業による投資支出についてはどうであろうか、古典派理論は、もし市場が効率的であるならば、
 家計がより多く貯蓄するときはいつでも、企業が同時にこれらの貯蓄を借り入れ、機械設備に投
 資することによって、より多く支出するであろうと主張する。しかし人びとがより多く貯蓄し企
 業からより少なく購入しようとしているときに、企業が、市場の需要のこのような減少にもかか
 わらず、増産可能な追加的な生産能力を備えるために直ちにより多くの投資を行なうとは、いっ
 たいだれが信じるであろうか。

 もし市場の需要が減少しつつあり、企業も景気後退の影響を感じつつあるのならば、販売と受注
 のこの減少によって遊休化している生産能力をすでに抱えていることになり、経営者は新しい機
 械設備を購入しそうにない。たとえ利子率が大きく引き下げられ機械設備を生産する企業から新
 たに資本財を購入するための資金の借入負担が軽くなったとしても、経営者たちはそのための資
 金を借り入れそうにない。企業は、市場の需要が十分に増加し販売が現存する生産能力を上回る
 と自ら信じるようになって初めて機械設備に再投資を始めるであろう。それゆえ、景気後退期に
 おいて、企業がその投資への支出を増加させるとは考えられない。


 その結果、政府が、販売や利潤の落ち込みを相殺するための、唯一可能性のある大目支出者とい
 うことになる。不幸なことに、ほとんどの州政府や地方自治体の支出は税収基盤と密接に関連し
 ており、景気後退期において、地方の政府は早速、現行の支出予算に比べて予想される税収が不
 足するという事態を経験することになる。多くの州や自治体において,税収蔵は,公共サービス
 の提供を直ちに削減し公務従事者を解雇することを意味し、そのことは失業者数を増やし産業の
 生産物に対する市場の需要をいっそう減少させることになる。

 最近の景気後退において、州政府および地方自治体が行なおうとしている支出削減は,公立の単
 科大学や総合大学、地域短期大学および公立学校に対するものである。その結果、高度の技能を
 もち教育もある労働者の失業が増えたばかりでなく、すべての段階での公的教育の質が低下し、
 それによってわれわれの子供から、質の高い教育を受ける機会を奪うに至っている。地方の政府
 はまた、その地域での生活を快適なものにするようなインフラヘの投資を削減したり停止したり
 することであろう。

 そのため、景気後退期においては、たとえ税収が企業や家計の所得減のために減少しつつあると
 しても、民間企業の生産物への支出を維持できるばかりでなく実際に増加させることもできるの
 は、連邦政府のみである。もちろん、連邦政府は、税収が減少している中で購入を増やすために、
 借入れによって、すなわち、年間の赤字額を増やし、2008年末にすでに10兆ドルに達している国
 債を増発することによって、これらの購入のための資金を調達しなければならない。

 景気後退や不況に対するケインズ・ソリューションは,意味のある大掛かりな政府支出を不可欠
 とする経済回復のための支出計画を展開することである。しかもこれらの巨額の支出がけっして
 役に立たないわけではない。もしこの支出が国内企業の生産物の購入に向けられるならば、その
 結果は、米国の企業のために大きな利潤獲得の機会を作り出し、そのことは続いて、民間部門に
 おける雇用量の大幅な増加を生み出しアメリカ人の家計に繁栄を取り戻すことになるであろう。

                     ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                  『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』

【政府はなにを購入すべきか】

 大量の失業と遊休設備能力が存在するとき、政府支出の増加は、市場の需要を増やし、企業に生
 産を拡大し
より多くの労働者を雇うことによって利潤を獲得できる機会を与えるであろう。政府
 が民間企業からなにを購入
するかによって、特定の産業が生産と雇用を増加させるインセンティ
 ブを特つことになるであろう。
それでは、政府はどのようなものを購入すべきであろうか。国民
 の生産性と生活を改善するような政府の購入がきわめて望ましいことは、明らかである。そこで
 オバマ大統領は、全国の各地域社会でそれぞれ役に立っているインフラを復旧し改善するよう企
 業と契約を結ぶ経済復興計画を示唆している。オバマ計画はまた、太陽電池パネル、風車、エネ
 ルギー効率の高いハイブリッド自動車などの代替エネルギー源を民間企業が開発するのを奨励す
 るために、資金を支出することを含んでいるようである。

 しかし政治家の多くは、そのようなプロジェクトにかなりの金額を支出することに反対している。
 一般市民層にとって有益とみられるものに多額の支出をすることに反対しているまさに同じ人び
 とがしばしば、あらゆる種類の軍用装備品を産業から購入するために同じ程度の金額を支出する
 ことには躊躇しないようである。軍用装備品に支出するこの政策は、しばしば軍事的ケインズ主
 義と呼ばれている.それこそ、今日まで保守派の政治家たちに受け入れられてきたケインズの支
 出政策の主な形態であった。にもかかわらず、自由市場のイデオロギーを唱道する人たちは、強
 力な財政支出による景気回復策に反対しがちである。通常かれらは、どのような大規模な財政支
 出による景気回復策に対しても、次のような3つの基本的な反対論を提起している。

 1.もしわれわれが国債を増発するならば、国家を破産させることになるであろう。この主張の
  提唱者は通常、政府を家計になぞらえる。われわれはすべて、自らの所得に比べてあまりにも
  多額の借金を増やす家計が最終的には破産に直面することを理解している。家計がいつまでも
  赤字支出を続けることができない以上、なぜわれわれの政府は赤字支出を続けることができる
  であろうか。

 2.もしわれわれが国債を増発するならば、われわれは、自分の子供や孫にその債務の返済義務
  を負わ
せることになり、かれらはわれわれの浪費のために苦しむことになるであろう。

 3.政府支出は,政府が「紙幣を印刷すること」によってまかなわれるであろう。貨幣供給総量
  のこのような増加は、直ちにではないにしても、予想 できる(確実な?)将来のある時点で、
  大インフレーションを引き起こすであろう。

このように述べ、ポール・デヴィッドソンは次の章で、これら3つの主張が誤りであることを明らか
にしたいという。そして、2009年の深刻な景気後退期にある米国経済や同じような苦境に陥っている
グローバル経済にとって、問題は、米国経済に利潤や雇用や繁栄を復活させるために赤字支出による
景気回復策を取る余裕が、われわれにあるかどうかではない。本当の問題は,米国経済に繁栄を採り
戻すのに
十分なほどの赤字支出をしないでおく余裕がわれわれにあるのか、ということである。もし
われわれが積極的な財政支出による景気回復策を遂行しないならば、われわれの子供や孫たちが、た
とえ国債総額がより少ない政府を引き継ぐことになるとしても、自分たちの生涯の大部分の期間にわ
たって安定した働き口とまずまずの所得の得られる見通しのほとんどない。陰彩な経済的将来に直面
することであろう。
われわれ現世代には、将来の世代のために、利潤獲得の機会が容易に得られ、働
いて人並みの生活水準を達成したいと思うすべての人にそうする機会の与えられるような、繁栄し続
ける資本主義システムを積極的に築き上げていく義務があるとし論説する。

                      ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                   『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』

 

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リチウムイオン電池のケインズ

2013年03月29日 | ネオコンバーテック



 

【世界一の高性能リチウムイオン電池】

日立マクセル株式会社が、世界に先駆けて電池断面のリアルタイム観察技術を電池開発に導入し、充放電
最中のリチウムイオンの"見える化"技術を確立。この技術により、高エネルギー密度の材料を用いて、信
頼性や寿命を確保することができるようになり、単位エネルギー密度あたりの重量40%減、単位体積当た
りのエネルギー密度1.6 倍、寿命10年以上相当の高信頼・長寿命かつ軽量なリチウムイオン電池を開発し
たとのニュースが入ってきた。さっそくその中身をチェックする。

 

上図のグラフをみれば一目瞭然だ。エネルギー密度が2倍を切るもののトップランナーだし、10年以上の
耐久性が保障され、コンパクト(ダウンサイジング)も実現した。なかでも注目したのが、独自開発可視
化技術だ。というのもリチウムイオン電池の負極では、一か所にリチウムイオンが集中すると、デンドラ
イト発生(下図参考)の危険度が増す。リチウムイオンと負極の反応の偏りを直接観察することで、危険
度を一目で判断できるスピーディな開発を可能にした。リチウムイオンの流れが停滞すれば「抵抗」とな
り電池容量の低下を招く。正極も含めた電池全体のリチウムイオンの流れを可視化することで、問題とな
る流れの停滞箇所を特定でき、三次元シミュレーションを駆使して改善点を絞り込むことで、集中的な対
策と無駄のない電池設計(試作レス)で、電池全体のリチウムイオンの流れをスムーズに改善に貢献でき
たという。

尚、可視化は、SPring-8の産業用専用ビームライン(BL16B2)を活用し、X線吸収スペクトルのイメージン
グ技術により、正極断面におけるリチウムイオンとリチウム・ニッケル・マンガン・コバルト酸化物の反
応をほぼリアルタイムに近い形で可視化し、反応分布を確認したとのことだ。

http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2013/130326
http://www.spring8.or.jp/wkg/BL16B2/instrument/lang/INS-0000000454/instrument_summary_view
http://cars9.uchicago.edu/~ravel/talks/pimst.pdf

 

【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

 

【ケインズ経済学の現在化】

  

 

【資本主義経済と貨幣の役割に関するケインズの考え】

 
ケインズを知らないわたしは今日も、ただ、ただ、率直に傾聴するだけだ。なお、引用分の下線、背景色
はこれ
までも、これからもわたしが恣意的に加筆したものである。
 

 ケインズがエルゴード性の公理を拒否した一方で主張したことは、重大な意思決定がなされなけれ
 ばならないとき、意思決定者は,たんに将来の成り行きがすでに存在する市場データから算出され
 る数量化されたリスクに還元されうるとは,想定できないということであった。かなりの長さの期
 間にわたり巨額になる可能性のある現金流出や所得流入を伴う意思決定に当たり、人びとは将来の
 成り行きがどうなるのかを自らが知らないことを「知っている」。かれらはこれらの意思決定にあ
 たり将来の成り行きを見誤ることは非常に損失が大きく、今日決断するのを留保することが考えら
 れる最も賢明な意思決定であるのかもしれないと考えている。

  現代の資本主義は、人びとに不確実な経済的命運を多少なりともコントロールできる能力を与える
 ような仕組みを作り出そうとしてきた。資本主義経済においては、財・サービスの生産、販売およ
 び購入を行なうに当たり、貨幣や法的に拘束力のある貨幣表示の契約を用いることにより、個々人
 は、キャッシュインフローとキャッシュアウトフローを、したがって自らの将来の貨幣金融状態を、
 ある程度コントロールすることが可能になる。例えば、家計は家賃や持家に関わる住宅ローンの元
 利金の支払いに同意する契約や電力、ガスおよび電話の公益企業に対し、それらが一定期間提供し
 てくれるサービスの対価を支払う契約を結ぶが、これらの契約は、家計が今日あるいは来る数カ月
 間またはおそらく今後数年間の生計費の主要部分について、ある程度の支出管理を行なうことを可
 能にする。これらはまた、貨幣表示の契約のもう一方の当事者(企業)に対し、その生産費用をま
 かない利潤を生み出すのに十分な現在および将来のキャッシュインフローについて法的な保証を与
 えることになる。

 人びとも企業も、契約上の合意事項を履行することが自らの最大の利益になると考えているため、
 進んで契約を結ぶのである。もし何らかの予期できない事態の発生により、契約当事者のどちらか
 がその契約上の義務を果たすことができないか、果たす気のない状態に陥った場合、政府の司法部
 門は、契約を守らせようとし、履行しようとしない当事者には、その契約上の義務を果たすか、さ
 もなければ、不履行によって発生した損害や損失を他方の当事者に弁償するのに十分な金銭を支払
 うよう要求するであろう。したがって、ケインズの伝記作家であるロバート・スキデルスキー(上
 写真)卿が述べているように、ケインズにとって「不法とは不確実性の問題であり、公正とは契約
 による予測可能性の問題である」。言い換えれば、契約関係を結ぶことによって、人びとは、不確
 実な世界においてさえ、自分の契約上のキャッシュインフローとキャッシュアウトフローに関して
 ある程度の予測可能性を確保することができるのである。

 貨幣とは、それによってすべての法的な債権債務関係を清算できると政府が決めたものである。貨
 幣のこの定義は、合衆国の紙幣である連邦準備銀行券に印刷されている法貨の定義、すなわち「こ
 の紙幣は、私的公的を問わない一切の負債にとっての法貨である」という定義よりもはるかに広い
 概念である。これらの紙幣は連邦準備銀行制度の負債に過ぎないからである。(中略)政府はどの
 ような契約上の債務をも弁済するために法定通貨の引渡しのみならず、銀行の当座預金勘定から振
 り出される小切手の使用も認めている。ということを指摘するにとどめておこう。要するに、読者
 は人びとが自分への請求額(契約上の債務)のほとんどを、自分の銀行勘定から振り出される小切
 手によって、ないしはインターネットによるエレクトロニック・バンキングが盛んな当節において
 は、特定の請求者に支払うのに十分な金額を自分の銀行口座から引き出すため取引銀行宛に電子手
 形を振り出すことによって、支払っていることを承知しているであろう。もしある個人がすべての
 契約上の債務を期日どおりに返済できるならば、流動性を持っているといわれる。もし破産を免れ
 たいと思うならば、流動性のある状態を維持することは、企業や家計にとって最重要事である。現
 代の世界において破産は、経済的な意味で絞首台に向かう行為に等しい。流動性を維持することに
 より、個人も企業も破産という絞首刑を免れることができるのである。

                     ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                   『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』


そこで、ポール・デヴィッドソンはすべて、自分自身が流動性を維持する必要のあることを承知していて、
流動性
維持の必要性は通常、支払期日が到来したときにすべての契約上の債務を返済できるようにいつも
小切手帳の残
高をプラスに維持できているか確認し、もしある月において、多額の小切手を切ったため口
座残高に対し超過振り出しそうになったとき(1)次の月の所得が自分の銀行預金口座に預け入れられる
まで小切手を切るのを停止、(2)口座残高を超えて小切手を超過振り出ししたとき、銀行が銀行預金残
高を補充することを約諾する銀行との融資契約を取り決め、その見返りに、将来の自分の契約上の現金所
得から銀行に対し利子を支払い借入元本を返済を約束、(3)自分のポートフォリオから流動的な金融資
産を売却し、売却代金を自分の銀行預金口座の補充に用いることの3つの方法のいずれかによって解決す
る。そこで彼は次のように問いかける。「なぜ個人は、預金残高をゼロとしないでプラスの状態を維持し
たいと思うのだろうか」と。それに対するケインズの返答は「将来の成り行きは不確実であるから、予想
せず、また予想できなかった、ある将来時点での支払い義務や、その将来時点で入手予定のキャッシュイ
ンフローだけでは果たすことができなくなった支払い義務に、いつ突然に直面するのかが分からないとい
うことである。さもなければ、期待されたキャッシュインフローが、予期しない理由から一例えば、金融
市場価値の下落による年金所得の減少や、失職や、一家の稼ぎ手の死亡のために、突然なくなってしまう
ことになるのかもしれないということである。そこで、予見できない出来事から自らを守るために、プラ
スの銀行預金残高を維持するため、流動性保有の予備的動機を持つ。将来の成り行きの不確実であること

が知られている資本主義経済では、起こるかもしれないどのような出来事のショックをも和らげうるよう
流動性の状態を高めておくことは、理にかなった人間の行動である」と。 そして次のようにつづける。


 もし個々人が将来の成り行きが昨日の時点よりさらに不確実になったと突然信じるようになるとすれ
 ば、
将来についてのかれらの不安は高まるであろう。そこでかれらは、不確実な将来に起こるどのよ
 うな不都合な出来事にもよりよく対処できるように、今日財やサービスヘのキャッシュアウトフロー
 を削減して自らの流動性状態を高めようとするであろう。現金支出を削減するもっともわかりきった
 方法は、生産された財やサーヴィスにより少ない所得を費やすこと一すなわち、現在の所得からより
 多くの貯
蓄をすることである。しかしながら、もし多くの人が突然に将来の成り行きがより不確実に
 なったと考えるならば、産業の生産物に対するすべての支出削減の累積的影響は、企業の生産物への
 重大な需要減退という結果になるであろう。おそらく企業は、このような市場需要の減退に直面して、
 労働者の雇用を減らすであろう。

 これとは対照的に、もし仮にも現実世界の市場が真に効率的であるのならば、家計も企業も、契約に
 盛り込まれた今後の一切のキャッシュインフローとキャッシュアウトフローについての約束を含めて、
 将来の成り行きについての信頼できる知識をもっていることになるであろう。したがって、私利を図
 る意思決定者は、自分が果たすことができないような将来の支払い義務を伴う契約をけっして結ぶこ
 とはないであろう。だれも契約上の債務の履行を怠るようなことはしないのである。その結果、思い
 がけず発生した返済の問題をキャッシュフロー上のゆとりでうまく処理するためのクッションとして
 追加的な流動性を蓄える必要はないであろう。しかし、現実の世界においては、家計や企業、地方政
 府でさえ、契約上の債務不履行を起こしているのである。

 実際に、サブプライム住宅ローンに基づく危機は、住宅ローンについてかなり高い率の債務不履行が
 生じたため、引き起こされたのである。(中略)
効率的市場理論は、仮定によって、人びとが自らの
 契約上の債務の不履行を起こす可能性を排除しているから、この古典派理論がサブプライム住宅ロ-
 ン問題と2007年に始まったグローバルな金融危機との間の関係を論理的に説明することができない
 は、明らかである。また効率的市場理論は、問題の解決を自由市場に委ねておけば長期的には経済が
 常態に戻るのを可能にするであろうと勧告する以外に、グローバルな金融危機を解決するための何ら
 の指針も提供できるはずがないのである。(中略)そこではおそらく百万人以上の人びとが自分の持
 家から追い出されることになり、また自分の持家に留まった人びとも6兆ドルもの資産価値を失うだ
 ろうとされている。だれがこのような自由市場による解決が社会的に望ましいとか、あるいは効率的
 であるなどと、真面目に考えることができるであろうか。しかしながら、ケインズの分析においては、
 契約についての民事法と流動性を維持することの重要性は、国内の見地からのみならず、多数の国が
 異なる通貨や契約についての異なる民事法さえ用いているグローバル経済という文脈においても、資
 本主義経済の動きを理解する上で決定的な役割を演じる。

 
ケインズの考えによれば、貨幣表示の契約が神聖にして犯すべからざるものであることは、われわれ
 
が資本主義と呼んでいる企業家システムの要諦である。貨幣は、契約についての民事法の下での契約
 上の債務をつねに決済することのできるものであるから、貨幣はすべての資産の中で最も流動的なも
 のである。それにもかかわらず、流動的な資産がほかにも存在する。それらの流動性は、貨幣よりは
 いくらか
るが、それは、一方の契約当事者にそれらの資産を契約上の債務の決済手段として「差し
 出す」一手渡すことができないからである。にもかかわらず、これらの他の資産が、よく組織化され
 秩序ある金融市場で容易に転売できる(換金できる)かぎり、流動性を持っているといえる。人びと
 は、そのような金融市場で資産を素早く売却することにより、自らの契約上の債務を決済するために
 その代金を用いることができるのである。

 例えば、ニューヨーク証券取引所で取引される株式は貨幣ではない、にもかかわらず、これらの有価
 証券は流
動性を持っている。なぜなら、取引所は、市場株価がつねに秩序ある仕方で変化することを
 人びとに保証する一方で、人びとが自分の希望するだけの量の株式をいつでも売り買いできるのを確
 実にするよう企図された規則と制度を整えているからである。わたくしは、「秩序ある仕方」という
 言葉によって、次に行なわれる株式取引の価格が直前に行なわれた取引時の価格からさほど大きくか
 け離れないことを意味している。したがって、ある個人が株式仲買人に電話をして株式を株「時価
 で」売りたいといったとき、その売り手は、受け取れる売却価格が直前に公表された市場取引価格か
 ら数ペニー以上も異なることはないのを承知しているのである。

                        -中略-

 流動的な有価証券の保有者に、かれらの保有する証券の市場価格がつねに秩序ある仕方で変動するこ
 とを保証するためには、「マーケットメーカー(値付け業者)」と呼ばれる個人ないし企業が市場に
 存在しなければならない。このマーケットメーカーの存在が大衆に次のようなことを保証することに
 なる。すなわち、ある金融資産の多くの保有者が突然速やかな出口戦略を取りその証券を売却したい
 と思うようになったものの、その流動資産を買いたいと思う人がほとんどいないか全くいないときは
 いつでも、マーケットメーカ-には市場に介入して十分な量だけその資産を買い上げる義務があり、
 それによってその資産の次の市場取引価格が直前の取引価格から「秩序ある」仕方で連続的に変動す
 ることを保証されることになるのである。要するに、マーケットメーカーは、流動資産の保有者に、
 直前の取引価格とさほど変わらない価格でいつでも速やかな出口戦略を取ることができることを保証
 していることになる。これらのマーケットメーカーは、ニューヨーク証券取引所では「スペシャリス
 ト」と呼ばれている。

                         ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                    『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』



【1ペニーの貯蓄は1ペニーの所得にならない】

ここまで、現実の追認識(あるいは「自己意識の社会化」)をやっているんだと思い、読み進めてきたが
斜め読みやめ、ある意図を予感しつつもう少し根を詰め読み進めてみよう。


 貨幣を使用している資本主義システムにおいては、ひとびとは将来が不確実であることを承知してお
 り、家計や企業は流動性のある状態を維持したいと思っている。そこで、ひとびとは通常、かなりの
 流動性のある状態を手に入れるために、自分の
毎週、毎月ないし毎年のキャツシュインフロー(貨幣
 所得)のすべてを、産業の生産物に費やそうとはしない。われわれは、この貨幣所得のうちの支出さ
 れない部分を「貯蓄」と呼ぶ.これらの貯蓄-すなわち、契約上の債務の支払い能力一を将来に持ち
 越すために、貯蓄者はたんす預金をしたり、貯蓄銀行預金口座の残高をプラスに維持したり、株式や
 社債のようなよく組織化され秩序ある市場で売買されることから高い流動性をもっていると貯蓄者の
 信じるその他の金融資産を購入し保有するなどの、流動性を保つさまざまな手段、すなわち「タイム
 マシン」を用いる。
                      -中略-

 資本主義経済において何が雇用を生み出すのであろうか、政府は、ある程度の働き口を創り出し公務

 従事者-警察官、消防署員、軍人、公立の学校や大学の教員、裁判官などを雇うが、働き口の大部分
 は民間部門で労働者を雇う企業によって生み出される。企業が多数の労働者を一時解雇しているとき、

 景気後退や不況が起こり、企業が十分な利潤を上げつつあり働く意欲を持ちその能力もあるほとんど
 すべ
ての人を雇用しているとき、繁栄がもたらされる。企業が労働者を雇用するか解雇するかを決め
 る要因は何であろうか。売上げ増加の期待は、利益の上がる価格で販売できる生産物を追加的に生産
 するために企業がより多くの労働者を雇用することに積極的なインセンティブを与える。しかしなが
 ら、もし企業が、利潤獲得の機会の低下を意味する売上げ減を予想する(ないし経験する)ならば、
 採用を予定しているか現に雇用している労働者の数を減らすであろう。要するに、将来予想される売
 上げや受注の変化が、民間部門の雇用主の雇用姿勢に大きな影響を与えるということである。

                      -中略-


 今日の所得から貯蓄をする行為は、全所得が支出され貯蓄されないときに比べて、産業の生産物の購
 入がより少ないことを意味する。貯蓄された1ペニーは、財やサービス販売している企業の所得にな
 り得ないのである。貯蓄は、販売を行なう企業にとって利潤獲得の機会のより少ないことを表わして
 おり、したがって企業は貯蓄ゼロの場合よりもより少ない労働者を雇用するであろう。そこで、もし
 財やサービ
スのすべての購入者が全体として、より少なく支出し代わりに自らの貯蓄を増加させる決
 心をするならば、企業にとってより儲けの少ない市場の需要と向き合うことになり、企業はより少な
 い働き口の提供を中し出ることになるであろう。


                       ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                    『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』


                                       この項つづく

 


天気が良ければ、明日は奥比良、4月は桜見がてら比良南北縦断トレッキング予定(1回/週)。
参加希望者があればウエルカムだ(日程調整が入るので同調できるかはジグザギング)。

 

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森の魚工場のケインズ

2013年03月28日 | EMF安全保障

 

 

 炭素繊維時代の自転車?!

 

 

【森の魚工場時代へ】

一次産業の高次化、言い換えれば、工業化はもはや避けられない。それは地球環境からの反作用
として、または慢性的な資源枯渇・食糧不足という側面からやって来る。前者に対しては「レジ
リエンス
」(強靱性)強化という国内法整備の急務を迫る。あるいは、急速な少子高齢化や農林
水産物の国際競争に対する「レジリエンス」という二側面からやってくる。そして、それを実現
する条件、特に技術的側面からもかなり整備されてきている。具体的にいうと、デジタル革命に
象徴され科学技術工学の飛躍的な進歩により、各産業における土地不動産の空間的な価値は急速
に逓減し、その逆に土地不動産に付加された情報価値(=付加価値)のみが意味をなす時代にな
り、かっての
不動産バブルの例や直近のニュースでは南鳥島の超高濃度レアアースの分布発見に
象徴される時代となっている。端的に言えば、一定の面積に収穫する自動車は年間当たりの投入
リソース量に比例するが稲作であれば年間1回、多くて2回の収穫しかなく、それも自然災害や
天候不順のリスクが普遍的に存在するというわけだ。農産物で言えば、農協が「レジリエンス」
を高めるための農地を買収・賃貸集約する民営会社を設立し加速的に進め、植物工場あるいは穀
物工場、果実工場の初期投資例えば長期減価償却期間下での低金利・無金利融資支援などの法整
備を行なえば早期に実現が可能だ。林業も『その後のへーリオス 』の‘オールバイオマスシステ
ム’の延長線上で考えればよいだろう。そこで、今夜は水産業の森のなかの魚工場について考え
てみた。

好適環境水とは、魚類の代謝に最低限必要な物質を含んだ水。魚の浸透圧調整に深く関わるナト
リウムやカリウムを含む一部の電解質を特定(ナトリウム・カルシウム・カリウムの三種類)。
わずかな濃度の電解質を真水に加えるだけで魚類の代謝に最低限必要な物質を含む水「好適環境
水」を岡山理科大学山本俊政准教授らは開発。その動機とは、彼らの研究室が海から35キロも離
れていて、ディズニー映画「ファインディング・ニモ」で一躍脚光を浴びたカクレクマノミの大
量繁殖に2005年、日本で初めて成功した際、汚れた海水を浄化・再生などは常に悩みの種で、あ
る学生が「海産のプランクトンを純淡水で育てたい」と大まじめな顔で相談に来たのがはじまり。
できないことを証明する体験をしてもらおうとゴーサインを出すが、その一週間後、彼が笑顔で
「できました」と報告に来る。その後の実験で再現できなかった。原因は海水タンクの洗い方が
不完全で、ごく微量の海水が残っていたためと判明。この時に「プランクトンは超低濃度の水で
も、ある一定のミネラルが支配していれば生きられるのでは」と気づき、「海水不足で苦労して
いる専門学校での魚類の飼育にも応用できるかもしれない」とひらめいたという。天然海水は60
種以上の成分を含み、人工海水にも20種以上の成分が必要とされるが、他社との差別化を図るた
め成分を増やすのではなく、必要成分は強化し、不必要成分は徹底して減らし、濃度や組成間の
モル比をダイナミックに変え実験を続ける。海水魚を飼育する上で必須とされる主要成分さえも
削った「究極の好適環境水」へと進化を遂げる。従来の海水の養殖より、好適環境水で飼育した
魚の方が代謝が良く、短期間で成長する。さらに、海での養殖には魚病や寄生虫に対応した抗生
物質やワクチンが欠かせないが、好適環境水ではこうしたリスクが皆無で抗菌剤や薬の類は一切
使わない養殖を実現しエサが100%管理できる。好適環境水は人工海水に比べて60分の1の低コス
トで済む
という効果がある。



2012年12月8日には、岡山理科大生命動物教育センタ(岡山市北区)で好適環境水で養殖されたク
ロマグロの解体作業が報道関係者らに公開。試食会も行われ、専門業者は「養殖独特の臭みもな
く、脂が乗り、赤身の発色もいい」と太鼓判を押す。試行を重ね、これまでトラフグ、ヒラメ、
シマアジが出荷された。解体されたクロマグロは一昨年8月、愛媛県沖で捕獲された1匹。 当初
30センチ程度だったが、同センターの140トンの大型水槽(直径8メートル、深さ3メート
ル)で養殖され、 体長87センチ、重さ13.5キロまで育った。総合水産物元卸「岡山県水」
の長船宗員社長は 「岡山では赤身の魚を好む消費者が多い。十分、商品価値がある」と話す。
山本准教授は「内陸部での養殖産業の創出というイノベーションにつながる研究。今後、マグロ
の行動を24時間体制で観察し、夢の魚工場を完成させたい」と手応えを感じていると話している。


前もってデータを掴んでおけば、食餌による好適環境水の汚染状態をコントロールできるので、
高価な測定装置は不要となる。汚染物の除去は独自に個別開発するしかなく課題となる。将来は
ヒラメは青森、トラフグは秋田、シマアジは島根、滋賀県は?イワシがいいね。アンチョビ、ド
コサヘキサンとエイコサペンタエンの抽出、肥料、大形魚の食餌とレパートリーが広い。何より
もイワシの刺身は安くて上手い。それにしてもイワシの物流専用の空港はイワシだけでなく欲し
いね。

 

 

【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

 

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

 

【ケインズ経済学の現在化】

 

 

【将来を「知る」ために過去のデータに頼ること-資本主義システム】


今回は、ポール・デヴィッドソンのケインズの考え方と古典派理論の相違について考察していく。 


 今日の古典派の効率的市場モデルはすべて、将来の成り行きは知られているというこの想定
 を、何らかの形で基礎においている。古典派理論の主張するところによれば、将来の結果の
 価値を知るという問題を解決済みと想定しているので、唯一重要な経済問題は、今日の経済
 的意思決定が、将来生じたときに最も高い評価が得られるような結果を生み出せる資源配分
 を確実にもたらすようにすることとなる。もしわれわれが、私利をはかる意思決定者は将来
 の成り行きについて確実に「知っている」という想定を受け入れるならば、自由で競争的な
 市場でなされるかれらの意思決定は、可能な限り最善の、資源配分をもたらすことになるで
 あろう。経済学者たちは、効率的市場の働きに関する理論モデルを作り出すことに多くの歳
 月を費やしてきた。それぞれのモデルは、今日の経済的意思決定者が将来の結果をどのよう
 にして知ることになるのかを記述するための少しばかり異なったメカニズムを持っていると
 いえるかもしれない。例えば、アロー=デブリューの一般均衡モデル(ケネス・アロー(Ke-
   nneth Arrow)とジェラール・デブリュー(Gerard Debreu)は、ともにノーベル賞受賞者で
 ある)は、ワルラスの一般均衡モデルといわれた19世紀の効率的市場モデルを精緻化したも
 のである。これらの一般均衡分析モデルは,経済諮問委員会や連邦準備制度のような最も権
 威のある機関で用いられている、現代の複雑・精緻で数学とコンピューターを駆使した経済
 モデルの基礎となっている。

 この一般均衡分析が想定していることは、将来の各時点で引き渡される予定のすべての財お
 よびサーヴィスを売買することを市場参加者に可能にするような市場が、今日存在するとい
 うことである。したがって、検討の対象となっている期首に、すべての市場参加者は、今日
 の引き渡しのみならず期末に至るまでの将来の各時点での引き渡し予定のすべての財・サー
 ビースおよび金融資産の売買取引についての意思決定をすることができると想定されている。
 この複雑な数学的モデルは、極端に概念化を椎し進めた結果、次のようなことを意味するよ
 うになっている。すなわち、今日のすべての意思決定者は、自分がどういう財やサーヴィス
 を、今日、明日、そして自分の生涯の残りの期間のあらゆる時点で、市場において需要ある
 いは供給しようとしているかを知っているばかりでなく、自分の孫やひ孫やすべての将来の
 後継者が将来への数十年や数世紀にわたってなにを売買したいと考えているのかを、「知っ
 ている」ということである。したがって、かれらはまた、これらの将来の世代のために、将
 来のすべての時点での販売あるいは購入の契約を今日締結することであろう。


                  ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』


ごく平凡な勤労庶民感覚にとってこのような前提は“希望的観測”であることは百も承知で、ポ
ール・デヴィッドソンは、この古典派理論モデルが高度に数学化され抽象化されているため、古
典派の理論家たちは、その基礎をなしている信じがたいような公理、すなわち今日の意思決定者
が世の終末までの将来の成り行きについて知っているという公理を忘れさせることに成功してい
ると表現し、今日の主流派の古典派経済学者の多くは、世の終末までのあらゆる将来の時点向け
のすべての考えられる財やサービスのための1組の完全な市場が存在するという、アロー=デブ
リューの想定
は、不可能であることを承知している。にもかかわらず、かれらは、現実の世界に

おいて、将来のすべての時点に対応する1組の完全な市場など存在するはずがないと認めつつも、
依然として自由市場の効率性を信じているのであるとし、自分たちの効率的市場の結論を守るた
めに、これらの経済学者たちは代わりに、今日の市場参加者は、今日なされた意思決定が将来に
もたらすと考えられるすべての結果に関して「合理的期待」をもっていると想定し、ともかくも
今日の意思決定者は、すべての考えられる将来の結果を支配する確率に関する統計的に信頼でき
る情報を所有しているということを前提としていると指摘し、統計学における外延の危うさ
摘する。


 もし市場が効率的でわずらわしい恒久的な政府の規制や介入によって抑制されていないなら
 ば、政府の施策によって引き起こされたどのような外的ショックに対するこれら効率的市場
 の参加者の反応も、ちょうど重力の法則が小石が当たるという外的ショックの後振り子の振
 動を元の状態に復元させるように、経済をあらかじめ決定された効率的経路に復帰させるで
 あろう。言い換えれば、政府の施策が経済システムにショックを与えるときはいつでも、自
 由市場への合理的参加者による行動が、(メロン財務長官の格調高い言葉遣いを用いれば)
 「この体制から不健全なものを」一掃することによって、ある期間(長期間)の経過後、シ
 ステムをあらかじめ決定された効率的経路に引き戻すであろう。 したがって、例えば、政
 府が、すべての労働者に少なくとも最低限の賃金を保証する法律を制定し、たとえ失業労働
 者が飢え死にするくらいなら最低限より低い賃金ででも働きたいと思ったとしても法定最低
 賃金以下での雇用を認めないとき、民間部門における失業を創り出していることになるとは
 しばしば主張されるところである。同様に、もし政府が労働組合の結成を保護し奨励する法
 律を承認するならば、その効果は、賃金をあまりにも高い水準にまで押し上げるので、最終
 的に利潤機会が失われ労働者の失業が確実に増えるであろうといわれる。したがって、古典
 派理論によれば、政府ではなく市場こそが、どのような賃金水準が労働者の受け取るべき最
 低額であるかを決めるべきであるとされる。その結果、論理の一貫性を尊ぶのならば、政府
 は企業の最高幹部の報酬に制約を加えるべきではなく、経営者の価値の決定を市場に任せる
 べきであると主張する必要があるであろう。

                  ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』


信仰という言葉は、これら現代の有能な評論家たちによって、今日の[金融危機]破局をもたら
した、多次元のピラミッド・ゲームの核心に位置する数学にふさわしい言葉であると信じられて
いる。盲目的信仰は、数学的モデルにおける質の堕落やリスク概念の濫用と相挨って、貪欲と無


責任がその破壊的なやり方を存分に発揮するのを可能にした。第3番目の毒物混合体を形作って
いる。・・・数学は最初、技術にコンピューターの使用を可能にした。それから、制御が利かない
ほどの投機を正当化するもっともらしい定理を提供し、最後に、価値とリスクと質に関するモデ
ルによって、架空の産物を数量的に明確化するやり方を考案した。それによって、数学は、著名
な投資家のウオーレン・バフェット(Warren Buffet)が「大量破壊兵器」と呼ぶ、比類なく毒性
のあるものとなった。とのオックスフォードの数学者であるジェローム・ラヴィッツ(Jerome
Ravitz
が、『オックスフォード・マガジン』誌2008年春季号に掲載した「金融危機にかかわっ
た数学に対する信仰と理性」と題する論文を引用し「想定の現実昧に関する古典派理論家とケイ
ンズのちがい」を次のように指摘する。


 もしケインズが今日生きていたら、この効率的市場理論を、大量破壊兵器の一例と呼んだか
 も知れない。これほど害悪をまき散らかしたにもかかわらず、経済学者ルーカスは、古典派
 経済学の根底にある公理が「不自然で、抽象的、かつ明らかに非現実的」であることを、むし
 ろ誇りに思っている。またルーカスは、サムエルソンと同じく、そのような非現実的な想定
 こそが、経済学を研究する際の唯一の科学的方法であると力説している。ルーカスは、「経
 済学的思考における進歩とは、現実世界についての観察結果を言葉によってよりよく表現す
 ることではなく、抽象的でアナログ方式のより良いモデルを得ることを意味する」と主張し
 ている。この主張の背後にある根本的理由は、これらの非現実的想定が問題をより扱い易く
 するということである。そのため、分析者は、コンピューターの助けを借りて将来を予測す
 ることができるとされるのである。その予測が悲惨なほどに誤っていることがあるかもしれ
 ないが、そんなことは気にかける必要がない、というわけである。

 何千もの変数と各変数当たりそれぞれ1本の方程式を含む、コンピューターを駆使した古典
 派の効率的市場理論の数学的改良版は、われわれの経済システムについてのハードな科学と
 しての叙述として公表されており、そこでは経済システムで取引されるすべての品目の価格
 と生産量をある時点で一斉に決定することができるとされている。多くの経済学者にとって
 は、こわれた数学的な破片の下に埋もれている基本的公理を確認することすら不可能な作業
 となっている。さらに、コンピューターはすべての数学的計算を処理することができるとい
 う事実が、その結果にあたかも科学的真理であるかのごとき雰囲気をかもし出している。コ
 ンピューターから打ち出された結果にどうして誤っている可能性があるだろうかというわけ
 である。

                     -中略-

 過去30年の間ウオール街の陰謀を支配してきた。これら「経済的宇宙の精通者たち」によっ
 て設計されたすべてのモデルが現に失敗したという事実は、少なくとも古典派理論を、その
 数量化と数学化の装いにもかかわらず、われわれの経済世界に適用できることに関して疑問
 を生み出しているものと思われる。グリーンスパンでさえ、なお自分の見解を完全に変えて
 しまっているわけではないが、考えを改めつつあるように見える。

 ケインズの考えは、意思決定を主観的な信念に基づかせる。バーンスタインのいう後者のグ
 ループの人びとを支持している。とくにケインズは、経済的将来の不確実性が過去の統計パ
 ターンに注目することによっては解決され得ないと主張した。ケインズは、支出と貯蓄に関
 する今日の経済的意思決定が、将来起こりうる事象についての人びとの主観的な信念の度合
 いに左右されると信じたのである。次の章でわたくしは、古典派の効率的市場理論という思
 考様式に取って代わりうるものを提供する。ケインズの考えについて論じるつもりである。
 わたくしの狙いは、ケインズの考えの方が現代の資本主義経済により当てはまるものである
 ことを、読者に納得してもらうことである。そうなれば、現代の経済問題に封するケインズ・
 ソリューションーわれわれの子供やすべての将来の世代のために真に文明化された経済社会
 を作り出そうという、政府と民間企業との間の連携の合意を必要とするひとつの解決策-を
 展開することが可能となるであろう。

                  ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』

 


【1ペニーの支出は1ペニーの所得になる-資本主義経済と貨幣の役割に関するケインズの考え】

ケインズは、『一般理論』において、「古典派の経済学者たちは、非ユークリッド的な世界にあ
って、一見したところ平行な直線が 経験上しばしば交わることを発見して、現に起こっている
不幸な矛盾を解決する唯一の救済策として、まっすぐになっていないことの責任は線にあると非
難するユークリッド幾何学者に似ている。しかし、本当は、平行の公理を放棄して、非ユークリ
ッド幾何学を構築するよりほかに救済策はないのである。これと同じようなことが今日経済学に
おいて要求されている」と述べ、ケインズは、こうした比喩を用いて、将来の成り行きが知られ
ている古典派の分析においては、自由な市場が完全雇用(上記引用文の「平行な直線」に対応す
る)を生み出すから効率的であるとされているという事実をさりげなく説いていたのである。し
かし現実の世界においては、かなりの永続的な失業(「不幸な矛盾」に対応する)が発生してい
る。したがって、まっすぐになっていないことの責任は線(「賃金」を意味する)にあると非難
する古典派の経済学者たちは、労働者の失業問題の責任は、より低い賃金を受け入れないかれら
自身にあると非難しているのに等しいのであると説明し、ケインズは、なぜこれらの失業という
「矛盾」が現実の世界において発生するのかを説明できる非ユークリッド経済学を創り出すため
に、いくつかの古典派の公理が現実世界の理解にとって適切であることを否定し、公理を放棄し
なければならなかったのであり、これこそが、将来の成り行きが知られており過去の統計的投影
として算出できると想定する古典派のエルゴード性の公理を拒否したケインズの主張のひとつで
あったとポール・デヴィッドソンは解説する。


                                                      この項つづく


北陸新幹線が米原に接続とか。あとは日本海経済圏構想が実現すること。これには朝鮮半島の政
治体制のチェ
ンジが最大の課題。もうひとつ、多賀-伊勢高速道路(トンネル)建設による日本
海と太平洋をむすぶ構想の早期実現。これで決まり。
それにしても、時間が経つのがはやいね~ぇ。

 

コメント
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ジャズバイオリンを聴くケインズ

2013年03月27日 | 時事書評

 

 

ビバップ (bebop) は1940年代初期に成立したとされていてジャズ形式の一様。モダン・ジャズの起源は
この音楽にある。最初に決まったテーマ部分を演奏した後、コード進行に沿っで、やがて自在に変調させ
ていく自由な即興(アドリブ)を順番に行う。基本的には、コード構成音や音階に忠実にアドリブ演奏し
ながらも、テーマのメロディーの原型をとどめないくらいデフォルメされた演奏となっていく。具体的に
は、さまざまな代理和音でリハーモナイズしたり、頻繁な内部転調を行うか、あるいはテンションノート
を用いられる。このため調整が希薄になり調性そのものを自己目的した演奏もみられたという。ジャズバ
イオリンの世界ではステファン・クラッペリー、レイ・ナンスなどスウィンギー(揺動)でグリッサンド
(滑奏)を特徴とした演奏が多いなか、寺井尚子はビバップをベースに即興演奏する日本のトップに立つ
神奈川は藤沢市出身のジャズバイオリニスト。

 

 

【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン


【ケインズ経済学の現在化】

前回と同様、新自由主義批判とケインズ主義の系譜をたどり未来志向の展望について、ポール・デ
ヴィッドソン著、小山庄三・渡辺良夫訳 『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』
を基に考察を進める。




【政策に影響を与える思想の力】

さて、本日は第1章の「政策に影響を与える思想の力」に戻り、第4章の「1ペニーの支出は1ペニーの
所得になる-資本主義経済と貨幣の役割に関するケインズの考え」を大急ぎで考察する。ところで、読み
進めていくうちに、まったくといって違和感のないことにある種の偶然の恐ろしさなのか、鳥肌が立つぐ

らいの感動を覚えた。「これはわたしの考えていたこととまるっきり同じではないか」と。いいかえれば
日本の大学での研究はおろか、米国での大学留学の経験がないにもかかわらず(もっともケインズ思想の
本質的なことは教えられていなかったのだが)、そういうことが自分の身に起こるとはという驚嘆だ。し
かし、少しフォーカシングを遠ざけると、特許出願や研究開発での新しいひらめきのたぐいでは、しばし
ば経験することで先達が既に考えていたとか、同時代性においても同じことを考えている人間はこの広い
世界でも最低三人はいるものだし、こんな高度情報化社会にあっては、独自の考えという気づきは、実は
すでに外界から得た情報の焼き直しの錯覚であることも充分に考えられると、思いとどめることとした。


 政治家やテレビの解説者たちがひっきりなしに国民に警告していることは、米国でのささいなサブプ
 ライム住宅ローンの債務不履行が原因で2007年に始まった現在の経済危機が、1930年代の大不況以来
 の最も重大な経済的破局をもたらしたということである.しかしながら、あまり指摘されていないこ
 とであるが、この現在のグローバルな経済・金融危機に関して注目すべきことは、その原因が自由な
 (規制のない)金融市場の慟きにあるということである。ところがここ30年以上もの間、主流派の経
 済学者、政府内の政策立案者および中央銀行家とその経済顧問たちが主張してきたのは (1)政府に
 よる市場規制も大掛かりな政府支出政策もともに現代の経済問題を引き起こすもととなっており(2)
 大きな政府をやめ市場から政府の規制やコントロールを撤廃することが現代の経済問題の解決策にな
 るのだということであった。

 2008年の秋には、この21世紀型の自由化された金融市場は、自らの引き起こした悲劇的な大惨事を修

 復できないことが明らかとなった。2008年10月には、米国財務長官でありかつてある大手投資銀行の
 トップを務めたヘンリー・ポールソン(Henry Paulson)は、民間金融機関を救済するために前例のな
 い 7,000億ドルもの資金供与を議会に要請したが、これら金融機関は最近まで、自由化された金融市
  場での活動によって莫大な利益をあげていた。そしてこれら金融サービス機関の首脳部は、わずか10
 年前ですらおとぎ話の中の王様の所得に相当すると思われる程の金額を、給料やボーナスとして受け
 取っていたのである。 

 その年の秋を通じて状況が日々悪化していくにつれて、この金融機関救済策では経済の繁栄を取り戻
 すのに十分ではないことが明らかになった。世界中の各国政府は、自国の経済が回復するのを助ける
 ため、ないしは失業の増加を抑え不振の企業業績がいっそう悪化するのを防ぐため、巨額の財政措置
 が必要であることに気付き始めた。そのような経済回復のための財政支出は、20世紀の英国の経済学
 者、ジョン・メイナード・ケインズの名前に因んで、しばしばケインズ的経済刺激策と呼ばれている。
 2008年10月23日付『タイム』誌に掲載された「ケインズの復権」と題する〔ジャスティン・フォック
 ス(Justin Fox)氏の〕論文の中で、自由市場こそが現代のどのような経済問題に対する解決策をも
 提供できるとの信念の基礎となった合理的期待理論を展開したノーベル賞受賞者ロバート・ルーカス
 (Robert Lucas)の「わたくしは,すべての人が隠れケインジアンであると思う」という言葉が引用
 されている。

 
                                 ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                    『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』


これで、米国の主要なマスコミの論調は、一旦はケインズをこぞって殺しておいて、今度はあっけなく『
ケインズの復権』させた。まことに「事実は小説より奇なり」である。そればかりではない、1987年から
2006年まで連邦準備制度理事会(FED)の議長であったアラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)ほど、
金融市場からどのような形の政府規制をも撤廃すべきだと主張した重要人物は他にいなかったのだから。
グリーンスパンがFEDにいた時代は、国民も政治家もかれが過ちを犯すなどとは思ってもみなかった。グ
リーンスパンは、何年にもわたり理解し難いあいまいな言葉で議会の委員会での証言を行ない、規制のな
い洗練された金融システムから必ず繁栄が生まれると説明してきたとポール・デヴィッドソンはそう評し
ている。実は
この経済成長と繁栄の多くが、1990年代の「情報通信技術バブル」と「住宅バブル」による
ものだが、それまで、グリーンスパンの政策を絶賛していた多くの「専門家」は、これら「バプル」の原
因が、グリーンスパンの在職中の連邦準備制度によって採られた金融緩和と低金利政策にあるとし今回の
問題発生の責めをグリーンスパンに負わせ、かくして 強い経済と小さな政府についてのこのような楽観
論にもかかわらず、数十年にわたる。グリーンスパンの擁護した市場の規制緩和と(軍事支出を除く)よ
り小さな政府の支出計画の結果として、米国のみならず世界の経済が大不況以来最大の経済危機に陥った
ことは今や明らかである。いわんや英米流金融資本主義、新自由主義×新古典派ミクロ経済学の尻馬に乗
っていた日本の学者、政治家、評論家やマスコミの為体ぶりの喩えようのアホさ加減をみるにつけ(後に
中谷巌の「竹中くん僕は間違っていた」発言に象徴される)、まことに「事実は小説より奇なり」。

  

グリーンスパンは、2008年10月23日に行なわれた下院の銀行監督および政府規制改革委員会で自己の過失
を認めるという驚くべき証言の中で、自分は自由な金融市場の自己矯正能力を過大に評価していたこと、
および規制緩和が経済に対しこのように破壊的な力を及ぼすことを全く見逃していたことを認めた。グリ
ーンスパンは、金融危機を論じたあらかじめ用意された証言の中で、「しかしながら,今回の危機は,わ
たくしの想像をはるかに超えた広範囲な影響を及ぼすものであることが明らかになっている。…貸出機関
の私利追求が株主の持分を保護するであろうと期待していたわれわれ(とくにわたくし自身)は、あまり
のことにショックを受け信じられぬ思いでいる。・・・最近数十年の間に、コンピューターと通信技術のすば
らしい発展によって支えられた数学者と金融専門家の最も優れた考え方を融合して、膨大な危機管理と価
格設定のシステムが開発されるに至っている。[経済学での]ノーベル賞が、[金融]派生商品市場の発

展の多くを支える[自由市場での]価格設定モデルの発見に対して、授与されている。この斬新な危機管
理の枠組みが、過去数十年にわたって支配的であったが,今やこの全知的体系が崩壊しにしまっ]ている。
・・・世界がどのように動くかを規定する重大な機能構造であるとわたくしが考えるモデルの中に、ある欠
陥を見出したのである。それが、まさにわたくしがショックを受けた理由である。・・・わたくしは、それが
なぜ起きたのかを依然として完全には理解していないが、それがなぜ起こったのかを理解できた程度に応
じて、わたくしの従来の考えを改めることとしたい」とまで述べている。


 【21世紀最初のグローバル経済危機を引き起こした思想と政策】

 
第2章で、ポール・デヴィッドソンは、ケインズは古典派経済学者としての教育を受けており、第1次世
界大戦前はケンブリッジにおいてまさしく古典派の経済分析を教えていたが、戦後の経済事象がかれをし
て古典派理論の考え方を疑問視させるにいたったのである。大英帝国は、米国とは異なり、失業率が9.7%
と推定された1927年を除けば、1920年代を通して2桁の失業率を伴った大幅な景気後退に苦しんでいた。
これらの事実は、ケインズをして、労働者がより低い賃金を受け入れないことが失業の原因であると主張
する古典派理論とその哲学を考え直させることとなった。ケインズは、15年の歳月をかけて、古典派の一
連の考えに取って代わるひとつの考えを展開し、それをかれの1936年の書物である『雇用・利子および貨
幣の一般理論』の中で説明したことを紹介している。
ケインズはこの書物の中で、貨幣を使用する市場志
向の資本主義的経済システムの主なる経済的欠陥とどのような政策が資本主義システムの利点を維持しな
がらこれらの欠陥を防ぐことができるのかについて詳細に述べていると。ケインズはこの貨幣的経済分析
こそ、自由市場がすべての経済問題を解決するという主流派の古典派経済学の哲学、すなわちほとんど2
世紀にわたり英国や米国における経済学者の思考を支配してきた哲学に代わり得るものであると信じたの
だと。そして、
ケインズは、1935年の元日にジョージ・バーナード・ショウ(GeorgeBemard Shaw)に宛
てた手紙の中で次のように述べたと。


 わたくしの新しい心境を理解していただくためには・・・わたくしがいま、世界の人々の経済問題に対
 する考え方を、おそらくいますぐにではありませんが、今後10年間のうちに、大きく変革すると信じ
 ている経済理論書を書いているということを、あなたに知っていただかなければなりません。わたく
 しの新しい理論が政治や感情と十分に混ぜ合わされたとき、その最終結果が行動と事態にどのような
 影響を及ぼすか、いまわたしは予見することができません。しかし、大きな変化が起こり、とくにマ
 ルクス主義のリカード的基礎は打ちこわされるでしょう。わたくしはあなたが、あるいはまた他の人
 たちが、このことをいまの段階において信じてくださるとは思っておりません。しかし、わたくし自
 身としては、わたくしのいっていることをたんに希望しているのではありません、わたくし自身の心
 のなかではまったく確信しているのです。

そして 13ヵ月後の1936年2月に、ケインズの書物『雇用・利子および貨幣の一般理論』は出版され、ケイ
ンズのいくつかの革新的な政策についての考え方は、大不況と第2次世界大戦の期間をつうじて政府の財
政支出の意思決定に確かに影響を及ぼすこととなると。そして後に、ケインズは、失業が好況期よりも不
況期においてより大きく顕著に増加すること、したがって失業の原因となっているのは労働者の反抗では
ないことを承知していた。ケインズは、「労働者は好況よりも不況においていっそう強硬であるというこ
とはない-そのようなことはけっしてない。また彼らの物的生産力が不況においてより低いということも
ない。これらの経験的事実は、古典派の分析の妥当性を疑うに足る明白な根拠である」と指摘しているが、
その古典派の分析においては、ケインズとは異なり、失業率の上昇に直面した労働者は働きたいと思うす
べての者が職を得れられるような賃金を設定する自由市場の働きに断固として反抗するであろうと主張す
るが、これは、失業の基本的原因が、完全雇用を確かなものとする自由市場の働きを妨げるような賃金・
価格の固定性にあるのではなく、「貯蓄者が自分の貯蓄を蓄えておくために用いる資産として、より流動
性の高い金融資産を需要しているためだ」と主張。失業の問題は、金融市場の慟きと貯蓄者の貯蓄動機の
と中に探し求められるべきだとしている。しかし、1970年代に入ると、ケインズの主張を誤用した見方は、
その輝きを失い始め、
ケインズの誤用版の衰退は、経済学に関する公の議論にある空白状態を創り出し、
フリードマンは古典派経済学の考えを積極的に、もしわれわれが大きな政府の規模を縮小し、ルーズヴェ

ルト政権時代に制定され自由な市場の働きを制限してきた規則や規制を取り払ってしまうならば、大きな
政府が障害となってなし得なかったやり方で経済に繁栄をもたらすことができる」と主張したため、銀行
制度および金融市場の規制緩和は加速し、自由市場論へ回帰し、グラスースティーガル法が、1999年にク
リントン大統領の支持を得て議会は、グラスースティーガル法を無効にする。ひとたびグラスースティー
ガル法が骨抜きにされるや、本来の貸付業務とその貸付債権の引受業務との間の法律上の障壁はなくなっ
てしまった。

 
 住宅ローンの最初の組成者たちは、融資を受ける資格の十分ある借り手を見つけることができないと

 き、所得を稼ぎたいあまり、住宅ローン債権を転売し組成手数料を取得し続けるために、信用度の低
 い(サブプライムの)借り手を積極的に探し出そうとするようになった。また、住宅ローン組成者た
 ちが、借り手に住宅ローンを受ける資格があると見せかけるため、借り手についての情報(ないし誤
 った情報)を提供する際に、詐欺的行為をはたらく場合も少なくなかった。そうこうしている裡に、
 住宅ローンの借り手、特にサブプライムの借り手や偽りの情報を使って融資を受けていた借り手たち
 は、その元利金返済義務を怠り始めた。もちろん、これら債務不履行に陥った住宅ローンの借り手の
 ほとんどは、おそらく旧来の住宅ローン貸付銀行の設定した3つの特性という条件を満たしてこのよ
 うにして(サブプライム)住宅ローンが組成され、それらが引受業者である投資銀行に売却されたが、
 
投資銀行はそれらを他の住宅ローンと混ぜ合わせひとまとめにして、債務担保証券CDOと呼ばれ
 る金融資産とか、投資運用会社SIV扱う特殊な金融資産とか、その他収益源が最初に実行され
 た住宅ローンであることには変わりはないものの、少数の専門家にしか分からないような複雑な金融
 資産とかを、生み出した。そしてこれらの金融派生商品を信用度に応じて切り分けた各部分は、警戒
 心の薄
い年金基金、地方・州の税収ファンド,個人投資家および国内・海外の他の銀行に売却された。
 投資家は、こ
れら派生商品が、キヤツシュフローを生み出すはずのどのような住宅ローンによって組
 成されているのか
を知らなかった。それどころか、投資家は、これらの複雑な金融証券が民間の格付
 機関から得ていた
高い格付に惑わされて、それらが安全な投資であると信じたのである。

 歴史を学べば、今日の住宅バブル問題を解決する糸口を得ることができるかもしれない。というのも
 ルーズヴェルト政権が1930年代の住宅関係債務不履行の危機をどう取り扱ったのかは、2007年に始ま
 った米国住宅バブルの災難に対処するための前例を指し示してくれているからである。1933年に、米
 国議会は住宅所有者リファイナンス法(Home Owners RefinancingAct)を可決し、同法に基づき住宅所
 有者資金貸付公社(Home Owners'Loan Corporation、 HOLC)が創設された.HOLCの主たる役割は、住
 宅差し押さえの実行を防ぐため住宅借入金の低利借り換え融資を行ない、住宅ローン貸付債権を保有
 している銀行を緊急に救済することであった。
HOLCは、すばらしい成功例であった。その業務計画
 は、しばしばもともとのローンの返済期限を延長し月々の返済額を住宅所有者が支払えるような額に

 大幅に滅らすような、低利融資を百万件実行することであった。どのように合理的に返済条件を改定
 しても、住宅所有者に住宅ローンを維持できる経済的余裕がない場合には、HOLCがその資産の所有
 権
を取得し、それを以前の住宅所有者に1ヵ月単位で賃貸することとしその賃料を前所有者が支払い
 うるような
水準に設定したのである。このようにして、HOLCは、住宅を空室のままに置くことを避
 けることができ、劣化
や考えられる破壊にさらさずに済むと安心していられたのである。HOLCが、
 その住宅を、移り住みたいとい
う家計に売却できたとき、前賃借人は引越ししなければならなかった。
 HOLCは、1933年から1951年までの業務執行期間中に、すべての借金を返済したばかりでなく、若干

 の利益をも生み出すことができたのである。

 政府が企ててもよいと思われるもうひとつの方策は、返済が滞っている住宅ローンやその他のいわゆ
 る有毒資産を、民間のバランスシートから簿外に落とし、それによって格付機関に誤り導かれて住宅
 ローン市場で売買を行なってきた投資家にとっての破産の脅威を取り除くような、ある政府機関を設
 立することである。そうすることは、すべての金融市場で金融的苦境を引き起こす恐れのある更に深
 刻な投げ売りを阻止することになるであろう。
歴史は再び、そのような方策が経済危機を防ぐという
 証拠を提供してくれている。例えば、1989年に米国政府によって設立された整理信託公社は、1980年
 代の貯蓄貸付組合(S&L)の経営危機を受けて、同組合のバランスシートから、利払い不履行の住宅
 ローンを取り除き、金融面での損失がいっそう広がるのを阻止したのである。

 
 不幸なことに、住宅バブルの混乱が2007年にはじめて明らかになったとき、議会はそれの解決を手助
 けするのに必要な政府機関を創設するという速やかな行動を取らなかった。ワシントンの当初の反応
 は、「解決を市場に委ねる」というものであったが、このやり方は、クルーグマンによって、解決に
 数年を要するとされていたものである。しかも「市場に委ねる」という解決策は、(例えば,住宅差
 し押さえが盛んに行なわれている地区の住宅所有者や、建設および関連産業の労働者や企業など)多
 くの罪のない経済的被害者に副次的な損害を与えてきたし、今後も与え続けるであろう。

 
                      ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                    『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』

 

このように縷々歴史的な分析を述べ、最近の経済危機は、適切にも大不況以来の最も深刻な経済問題であ
ると評されているので、不況時代の歴史を学ぶことから得られる教訓は、それらがどのように現在の状況
に当てはまるのかという観点から、判断されるべきであろう。政府は、営利企業の生産物に対する市場の
需要を増加させ、それによって企業により多くの雇用機会を創出するよう促す利潤獲得の機会を生み出すこ
とによって、現下の不況からのできるだけ早い回復を確かなものとする上で重要な役割を担っている。こ
の役割の
ために政府にとって必要なことがただ、回復を始動させるための若干の呼び水ないしジャンプス
タートだけである、
という考えは拒否されなければならない。財政赤字や総国家債務の大きさにさほど心
配することなく、力強く永続的な回復を確実にするような財政支出政策をとることが、最も肝要である

ひとたび力強い回復が定着したのち、
行政府は、市場における行動を真の文明社会を生み出すような行動
のみに限定するため規則・規制の面でどの
ような改革が必要であるのかを、決断しなければならないと、
デヴィッドソンは「大不況の歴史の教訓」としてこのようにむすぶ。

                                        この項つづく 

日曜のトレッキングの筋肉痛が増長している。これで懲りたか?いやいや、そんなものではないのだ。滋
賀県は恵
まれている。南北に手頃で格好のトレッキング空間が広がる。二時間もクルマを走らせばほとん
どの登山口に着いてしまう。トランクを開けリックとカメラとステックを背負い込み、入・下山には最寄
りの神社に参拝すればこころはリフレッシュだ。そんなふうなことを考えながらわたしの知らないケイン
ズを自由自在に研究する。そう、それはさながら「ジャズバイオリンを聴くケインズ」のように?!
 

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臨戦下のケインズ

2013年03月26日 | 省エネ実践記

 

 

 

【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

 

【ケインズ経済学の現在化】

前回と同様、新自由主義批判とケインズ主義の系譜をたどり未来志向の展望について、ポール・デ
ヴィッドソン著、小山庄三・渡辺良夫訳 『ケインズ・ソリューション-グロー
バル経済繁栄の途』
を基に考察を進める。

 【なぜケインズの考えがアメリカの大学で教えられることがなかったのか】

これを考察に当たりまずは率直に、わたしケインズの経済学に対する考え方を書くべきだと思う。
ポール・デヴィッドソンが指摘したとおり-1970年代における古典派理論の明らかな復活と神格化
は、実際はす
でに死滅していた理論の蘇生というわけではなかった。経済学界の主流派のリーダー
や有力な学者たちは、ケインズの分析を理解していなかった。ケインズがその革命的な貨幣理論を
発表したのとほとんど同時に、それは2つの理由から流産させられてし
まった。第1に、主流派の
経済学の教授たちは、失業についてのケインズの説明が、
失業問題を流動性に対する欲求と金融市
場の働きという文脈の中に置く分析というよ
りはむしろ賃金・物価の硬直性を必要としていると信
じたことである。第2に、第2
次世界大戦直後の数年間米国内にはびこっていた反共主義の風潮(
マッカーシズム)
が、ケインズの真のメッセージのどのような形での教育をも妨げたことである-
なのだが、「失業問題を流動性に対する欲求と金融市場の働きという文脈の中に置く分析というよ
りはむしろ賃金・物価の硬直性を必要としていると信じたことである」との前者の理解は「貨幣経
済を前提とする限り」あるいは「信用恐慌の連鎖を防ぐ」にはインフレーションは不可避であると
いう「反インフレ闘争」を組織化していたころのわたし(たち)の見識とほとんど変わらず、その
後、日本で流布されることとなる「ケインズは死んだ」とデマを信じることはなかたし、レーガン
の採った経済政策が「軍事ケインズ主義」だとは『タブーと経路依存性』で引用した中野剛志らと
同様の見識に立っていた経緯もある。経済学の素人でも「自己意識の社会化」をきっちりと行えば
ば吉本隆明の遺言通り、真実は貫けるものだと心得ることとなった。この箇所では寧ろ、新古典派
(あるいは新自由主義)の根底に通ずる「反共主義というタブー」の根っこの問題については考え
てもみなかったことが指摘され、改めて「武力入植文化」の根の深さに思い至り、謙虚に偏見・無
知のバイアスを恐れることになる。

 

  ケインズと同じ世代の経済理論家たちのみならず、この拙論で明らかにしているように、ノー
 ベル賞受賞者のミルトン・フリードマンやポール・サムエルソンのような第2次世界大戦後の
 ケインズより若い経済学者たちも、かれらの頭の中が反対の古典派理論の見解で満たされてい
 たため、ケインズがすべての聴き于に投げかけていた考えを理解することができなかったので
 ある。
ケインズの伝記作家であるスキデルスキー卿は、「第2次世界大戦後の主流派の経済学
 者たちは,ケインズの理論を、賃金が『粘着的』[すなわち、ゆっくりとしか変化しないか、
 あるいは硬直的であるような状況に当てはまる。古典派理論の『特殊ケース』とみなした。そ
 のためかれの理論は、政策への妥当性を保持することは認められたものの、その理論的辛辣さ
 を奪われてしまった」と述べている。
もしケインズがたんに失業が物価と賃金の硬直性の結果
 であると主張しているだけであったならば、かれは貨幣を使用する資本主義経済の主たる経済
 問題、すなわち永続的な完全雇用の状態を作り出すことができないという問題についての、革
 命的な理論的分析を提供していなかったことになる。19世紀の経済学者たちはすでに,自由に
 変動する賃金・物価の存在しないこと(現代の主流派の経済学者が供給面の不完全性と呼んで
 いるもの)が失業の唯一の原因であると論じていたからである。
ケインズは、『一般理論』の
 第19章において、自らの失業の理論が賃金あるいは物価の硬直性の仮定に依存していないと、
 わざわざ述べている.かれの主張は、自らの理論が失業の原因を金融市場の働きや公衆の流動
 資産保有欲に関係付けている点で、古典派理論とは異なった分析を提供しているということで
 あった。しかしながら、第2次世界大戦後、大学で経済学を学ぶ学生たちは、ケインズ革命が
 非自発的失業の存在を説明するために粘着的な賃金ないし物価の仮定を必要とすると教えられ
 たのである。教授たちが『一般理論』を古典であると信じていたことは明らかである。という
 のも、かれらはその本をケインズの分析の代表作として言及しはするものの,どうやらその第
 19章を読み解いてはいないらしいからである。

 終戦直後の時期に、教授たちの中には、失業均衡の追加的原因として、利子率の粘着性ないし
 固定性の存在を付け加えることによって、賃金・物価の硬直性の議論に挺入れをしようとする
 者もいた。この固定された利子率の議論は、「流動性のわな」と呼ばれた。この流動性のわな
 は、ある低いプラスの利子串のもとで貨幣保有需要が無限大になると想定され、だれも自己の
 ポートフォリオにどのような債務証券をも付け加えたいとは思わないような状況で起こるとい
 われている。したがって、流動性のわな論者によれば、利子率がこれ以上低下できず、金融政
 策は、経済を拡大して完全雇用という結果を達成するのに必要な投資支出の増加をこれ以上誘
 発することができないということになる。しかしながら、第2次世界大戦後の計量経済学的研
 究は、歴史的データの中に、流動性のわなの存在を示すなんらの証拠も見出すことができない
 でいる。しかしながら、もし主流派の経済学者たちが『一般理論』を読み解いていたならば、
 かれらは、202 ページに、貨幣需要がなんらかのプラスの利子率のもとで無限大になるはずは
  ないとケインズによって明記されていることを知っていたはずである。さらに、ケインズは歴
 史的データを吟味して、207 ページで、流動性選好関数が「実質的に水平」になった歴史的事
 例を知らないと述べるに至っている。要するに、ケインズは、理論的および実証的双方の見地
 から、すでに流動性のわなの存在を否定していたのである。この流動性のわな という考え方
 は、ケインジアンを自称している人たちによってしばしば公の議論の中で披露されているが、
 ケインズの議論とはなんの関係もないものである。これらの実例から、ほとんどの戦後の経済
 学者たちがケインズの本を全く読んでいなかったか全く理解していなかったかのどちらかであ
 ることは、明らかなはずである。事実、ほとんどの権威ある大学において、経済学部の学生は、
 『一般理論』があいまいで混乱した書物であり、したがって読んだり理解したりする必要がな
 いと教えられてきているのである。例えば、ニュー・ケインジアンの経済学者を自任し、ジョ
 ージ・W.ブッシュ大統領の経済諮問委員会の前委員長であったマンキュー・ハーバード大学教
 授は,「『一般理論』はあいまいな本である。……それは時代遅れの本である。……われわれ
 は、経済がどのように動くのかを理解するに当たり、ケインズがいた立場よりもはるかに有利
 な立場にある。……マクロ経済学者の中で、[ケインズのように]古典派経済学を批判的にみ
 る者はほとんどいない。……古典派経済学は長期においては正しい、そのうえ今日の経済学者
 は長期均衡により興味を持っている.……古典派経済学は広く受容されて[いる]。著名な教
 授がその上うな発言をすれば、経済学を学ぶ学生たちがケインズの「あいまいな」メッセージ
 を読んだり理解し上うとしたりしないことは明らかである。それよりもむしろ、これらの学生
 たちは、「ケインジアン」の議論がつまるところ、世界で目撃される失業の根本的な原因は主
 として供給面の不完全性、とりわけ、「福祉」国家が最低賃金を法制化したり、労働組合の結
 成を奨励したり、「過大な」失業給付を支給したりした、過去半世紀の労働市場における貨幣
 賃金の硬直性に上るとの古典派理論の考えに要約されると教えられたのである

 その結果、政府の政策立案者の顧問となっている著名な経済学部の卒業生たちが、今日のグロ
 ーバル経済において先進諸国を苦しめている永続的に高い水準の失業と戦おうとするならば、
 労働市場は「自由化」されなければならないと提案しているのは、驚くには及ばないであろう。
 労働市場は完全に規制撤廃されなければならず、失業が労働者にとって大きな災難となること
 を妨げている社会的安金網は、完全に取り除くとは言わないまでも、縮小されなければならな
 いとされることになる。もし労働市場の「自由化」が理論的な極限状態にまで押し進められる
 ならば、安全な職場であることの最低限必要な条件や年少者労働の禁止に関する政府の規則な
 どは存在しないことになるであろう。したがって、中国の労働市場は他の国々が見習うべき理
 想ということになる。西欧諸国がその上うな理想的な労働市場を持つためには、その労働市場
 の状態が低開発諸国のそれに匹敵する上うになるまで、社会的安金網を取り除く必要があるで
 あろう。を逸したのかを説明するために、第2次世界犬戦後の教科書をつうじてケインズ主義
 を普及させようとしたサムエルソンのケースにまず焦点を当てることとしたい。

 
                            ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                 『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』

 


※エルゴード理論:定常不規則過程を取り扱う場合、その動作の時間平均が集合平均に等しいとき
         の性質

当時、ケインズが死んだ理由は、失業率が上昇したにもかかわらず、インフレ率も高まり、マスメ
ディアは、こぞって米国がスタグフレーション-経済の停滞と失業の増加-に苦しんでいると報じ、
サムエルソンらのインフレ解決策-サムエルソンとかれの新古典派総合ケインズ主義者の同僚で(
ノーベル賞受賞者でも)あるロバート・ソロー(Robert Solow)は、失業率が低下したとき、貨幣
賃金率やインフレ率が上昇したという歴史的な統計上の関係を一般に普及させるのに特に重要な役
割を果たしたという歴史的データから「3%の失業率は年率約4.5%の物価上昇を伴っているとみな
して、物価の安定には約5.5%の失業率を伴うように見受けられるとし、米国にとって経験的なトレ
ードオフの関係のあるとした-はうまくいかず
、新古典派総合ケインズ主義者の分析は、経済学者
の間で評判を落とすと同時に、古典派の理論家であるフリードマンは、かれが「自然失業率」と呼
ぶ議論を考え出し、失業率の変化とインフレ率の変化との間にはなんらの長期的な関係もないこと
を論証するために実証分析-より高い失業率を受け入れても、より低いインフレ率を生み出すこと
にはならない-を用いれ主張し、事態の解決には自由な市場に任せ、競争がインフレの勢いを止め
ると主張-新古典派のケインズ主義者たちは、物価が1970年代を通じて上昇し続けたにもかかわら
ず-0PECがそのメンバーによる生産を制限による石油価格の高騰が各国に消費者パニック(→地下
化石燃料本位制)が原因にもかかわらす、この自由市場論に対してなんらの対案も用意できずにい
たことによるものだった。そして、ポール・デヴィッドソンは次のようにむすぶ。


 
サムエルソンは、経済学の教科書にある「ケインジアン」という言葉が、当時のマッカーシー
 による反共産主義運動によって完全に抹殺されるのを、防いだといえる。しかしながら、この
 ように防ぐことができたことの代償は、主流派経済理論にとってのケインズ理論の意義を、そ
 の『一般理論』の本質的分析から切り離してしまったことであった。ケインズの革命は、貨幣
 を使用する。市場志向の資本主義経済においては、貨幣賃金や物価の固定性および流動性のわ
 なを含む、供給面の市場の不完全性が、大量の長期的失業の存在するための必要条件ではない
 ことを論証した。さらにケインズは、われわれの経済システムにおいては、伸縮的な賃金や物
 価が、長期においても完全雇用を保証するための十分条件ではないことも明らかにしたのであ
 る。(中略)今日、主流派の経済学は、それが、旧い新古典派的ケインジアン、ニュー・ケイ
 ンジアン、旧い古典派ないし新しい古典派の理論、アロー=デブリュー=ワルラス流の経済学、
 ポスト・ワルラス派の理論、行動経済学など、どのような名称で知られていようと、~ケインズ
 が経済学を現実世界の雇用、国際貿易および国際金融の問題に適応したものにしようと試みた
 際に放棄した古典派の公理に、なおも依拠している。その結果、これらの問題がなお、21世紀
 のグローバル化された経済の現実の大部分を苦しめている。

                             ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
                 『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』

 

                           この項つづく




  Skyfall 007 Theme

 



北朝鮮の挑発がつづく。予断は許されないが。戦争の端緒を切ればすぐさま国連決議できる状態に
しておかなければと考えてみたが、これは杞憂(skyfall)だろうか?!

 

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二百名山登破準備

2013年03月25日 | 滋賀のパワースポット

 

 

     鶯の春一番の 歌い染め 子の鳴くを聴き 親鳥も唱う




昨年は歌を忘れたカナリアのように山へ登ることはなかった。運動不足ろ体力維
持に再開しようと、登山再開準備(ウォ-ミングアップ)。日曜の朝はやく準備
し、武奈ヶ岳に向かう(『夫婦滝で敢えなく撃沈する。』)。途中、朽木村本陣
道の駅に立ち寄り、彼女と約束の焼き鯖寿司を買うものの朝市の生椎茸と蕗の薹
を合わせ買う。天気は上々、雲ひとつなし。

 

 

 



   白露の 玉まくくずの かつら川 くる秋にしも 我はかへらん

 


今回も高島市の安曇山は葛川坊村の駐車場にクルマを止めた。一昨年は、坊村→
明王谷→夫婦滝→木戸峠→比良岳のコースだったが、今回は坊村・葛川息障明王
院→御殿山→(ワサビ峠→武奈ヶ岳)に変更。ルートは3つありガリバー旅行村
と湖西線比良駅、そして葛川坊村。登山開始は正午ジャスト。時間の関係で折り
返し時間を14:30に設定し、下山予定を16:30とした。

 

 ムック


登りは、考えていたより葛折りの急峻な上り坂が続き相当きつい。途中スタート
時間が遅かったかげんも有り、わたしが最終の登山者だ(そう思っているだけだ
が)。そんな中、犬を連れて下山するひとりの中年の男のひとと出会い、余りの
可愛いさに思わずデジカメさせて頂く。名前は“ムック”(1歳半)。その後も

何組かの下山者とすれ違うその度ごとに出発時、山頂までの時間、途中の状態を
聞く。何れにしろ開始時間が4時間程度遅れたため武奈ヶ岳への登頂はおろかワ
サビ(山葵)峠、御殿山への登頂も無理と判断。実際、御殿山付近でタイムアッ
プで下山。結局、疲労限界など考えると、仮にもう一時間延長し、15:30として
18:30に下山となりこれは相当危険。咄嗟の判断に間違いなし(いいかえれば、
失敗体験は数えきれずあるが、欲をかかなかった分、運を味方にすることができ
たのだと一顧だする)。

 山葵

 御殿山付近

 南比良(釈迦岳)

 奥比良(武奈ヶ岳)

奥比良  武奈ヶ岳 1,214メートル
     釣瓶岳  1,098メートル
     蛇谷ヶ峰    901メートル

北比良  釈迦岳  1,060メートル
     堂満岳  1.057メートル

南比良  蓬莱山  1,174メートル
     打見山  1,108メートル
     白滝山  1,022メートル


 

 





     神棚に無事を祈願し夕暮れて礼の二拍手山に染みいる 

 

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ケインズをデジタル蘇生

2013年03月23日 | 時事書評

 

 

  

 

 

【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

【複雑系と計量経済学】

計量経済学史と現在-計量経済学史

数量経済史(クリオメトリックス)は、歴史学の一つである経済史の分野と、計量経済学との
学際分野。ダグラス・ノースらによって形成され、また経済史で取り扱う事象に、ミクロ経済
学、マクロ経済学のモデルを適用させ、文献などの資料から経済統計を算出し、計量経済学の
手法で、分析対象の経済活動に対して推定を試みる学問と定義される。また、英語では"cliom-
etrics"であり、計量経済史とも訳され。「数量経済史」を標榜した初めての書物は、1975年の
新保博・速水融・西川俊作『数量経済史入門』とされている。
さらに、狭義の計量経済史では、
パネルデータの線形回帰分析モデル、時系列データの一変量時系列モデルなどの計量経済学の
モデルを利用する一方で、数量経済史と表現した場合には、必ずしも計量経済学のモデルを利
用するのではなく、経済統計の資料作成も含まれる。


※ なお、経済学史とは、経済学を3部門(理論、政策、歴史)に大別した場合の歴史部門に
当たる。通時的に経済現象(経済活動およびその主体など)を考察する学問で、経済現象の解
明に重点を置く形で歴史分析を行うものである。大学では主に経済学科、史学科等で研究され
ている。一般には、フリードリッヒ・リストを先駆とするドイツ歴史学派がその起源とみなさ

れている。本格的な日本経済史研究の嚆矢となったのは、1930年代における講座派と労農派によ
る日本資本主義論争とみなされている。これはマルクス経済学に従って、当時の日本がどの歴
史的段
階にあるかについて争われたものである。

経験論と計量経済学

ところで、ウィリアム・ペティ卿が 17 世紀イギリスにおいて経済データを記録して(作り出
して)以来、経験的/実証的な研究はずっと重要な役割を果たしてきた。その理由は二つある。
経済学者に よれば (1) データを慎重に検討することで、経済学的な洞察が得られる (帰納的
アプローチ
)(2) 既存の経済理論が、その主張と経験的データとを比べることで、立証/反証
できる (理論的アプローチ)、というが、経済学者全員がこの2つの理由に賛同していないし
ともいわれている。
帰納的アプローチには長い歴史があり、ジェヴォンスはデータからビジネ
スサイクルが黒点周期に影響されているという証拠を集めようとした。ジュグラー (1862) は
財務や金融データの表から信用に基づいたサイクルがあると考えた。また H.L. ムーア  は帰
納的アプローチを使って気象や星に伴うサイクルがあると論じた。 けれど理論研究も行われ
た。データを需要曲線にあてはめようとする試みは、17世紀のダヴェナント や ジェンキンに

まで遡る。これはワルラスの需要方程式にデータをあてはめようとした、あの H.L.ムーアの得
意技だった。コロンビア大学でのムーアの学生たち、例えば ヘンリー・シュルツや P.H.ダグ
ラスが、これを 1930 年代まで続けている。イギリスの A.C.ピグー とドイツのヤコブ・マル
シャックも同じような研究をしている。その後まもなく、もう一つの展開がコロンビアで起こ
った。ウェスリー・C・ミッチェルのもとで、ビジネスサイクル分析の帰納的アプローチが復興
する。帰納的アプローチ
は ドイツ歴史学派とアメリカ 制度学派両方によって支持されてきた。
これについて系統的な研究を行ったは、W.C. ミッチェルと彼の National Bureau of Economic
Research
(NBER) だけだったという。主なテーマは、ビジネスサイクルをどう計るかということ
だったが、ミッチェルの NBER には、例えばアーサー F. バーンズ、ジョン・モリス Maurice
クラーク・, サイモン・クズネッツ、フレデリック C. ミルズ、Rutledge Vining、ソロモン・
ファブリカント, レオナード P. Ayres や他の アメリカ 制度 学派のような著名な経験的経済
学への貢献者がいた。ビジネスサイクルの計測と分析も、当時はあちこちで人気があった。ハー
バードのパーソンズ や ブロック 、モスクワの コンドラチェフ 、ベルリンの Wagemann、ルン
ドのアケルマン、ウィーンの モルゲンシュテルン、キール研究所などでもこのテーマの研究が
行わた。



ビジネスサイクルの経験的記録や分析はあらゆる種類の経験的データ集計分析にまで波及す
―特に国民所得計算集計(産出、投資など)が大きいが、NBER のサイモン・クズネッツ、

ギリスのコリン・クラーク の重要な業績となった。R.G.D.アレンやアーサー・ Bowleyが
膨大
な家計データ集計に取りかかったのもイギリスだった。 もちろん経験的なデータが出
てくる
のに並行して、ビジネスサイクルの理論分析も出てきた。例えばJ.A.シュムペーター
D.H.ロ
バートソン、 A.C. ピグー、G.ハーベルラーなどによるものだ。でも彼らは二番目の
「理論
研究」を完全に採用したとは言えない。そう認められるほどきちんとした統計推論手
法を使わ
れていない。NBER の研究は ジョージ・Yule, Eugene Slutsky、Ragnar Frisch そ
して一番有
名どころとしてチャリング・C・クープマンスたちに厳しく批判された。これに
よって理論的
アプローチが復活し、これがいま一般に言われる計量経済学となった。この理
論的アプローチ
が初めてビジネスサイクルに適用されたのは、ケインズ『一般理論』が登場
した後、ヤン・テ
ィンバーゲンによる研究だった。ケインズは比較的入手しやすい色んな数字(消費、所得、投

資など)の単純な関数関係を提案してティンバーゲンを刺激した。ティンバーゲンは線形回帰
分析など統計方法を用いて、ケインズが提案した相関のパラーメータを推計した。ケインズ自
身はティンバーゲンの方法をあまり喜ばなかった。「黒魔術」に毛が生えたようなものだと考
えたからだ。ケインズによるティンバーゲン批判は、フリッシュ、ホーヴェルモー、アレン、
マルシャック、ランゲたちによる一連のティンバーゲン計量経済学に対する批判的再価の波に
おける、最初の一斉射撃にすぎなかったという。

システムアプローチの問題点

経済学が数学や数理工と結合してきたことの時代背景を大まかに俯瞰してきたが、ここからこ
ういった数学の形式論理と理工といつた機能論理のもつ有用性という光の部分だけではなく、
形式あるいは機能といった論理の、あるいは塩尻由典の『システム・アプローチに欠けるもの
-経済学における反省-』の問題提起といった陰の側面を俯瞰しその克服方法を探る。

システム理論ないしシステム・アプローチは、すでに長い歴史をもち、1945年に生物学者のベ
ルタランフィが「一般システム理論」の構想を最初に発表。その直後には、システム理論の重
要な構成要素となるサイバネティクス(ウィーナー、1948)や情報理論(シャノンとウィーヴ
ァー)も発表されている。その後、ベルタランフィを中心に、経済学者のボールディング、数
理生物学者のラポポートが、1954年「一般システム研究会」を設立。その機関誌「General Sy-
stems」は、1956年から刊行されている。このころまでには、システム理論・システム工学など
の概念が確立すしたと見てよいであろう。その後も、丸山孫郎のセカンド・サイバネティックス
やチェックランドのソフト・システム理論、自己組織化研究、散逸構造理論、力学系、ゲームの

理論、複雑系といった話題を取り込みながらシステム理論は発展してくる。

ところで、塩沢由典は「経済学の分野でみると、システム理論ないしシステム・アプローチが、
経済現象の解明に際立った貢献をしたという印象は乏しい」と指摘する。そういえば、「シス
ム」という言葉は、多様な文脈の中で使われるようになるが、わたしが職業上、それを強く
意識
したのは「現代制御理論」の1980年代半ばで、例えば、自動車四輪駆動制御のフィールフ
ォアや
温度管理でのファジー制御などだがシステム・アプローチとして「システム」概念が普及するが

経済学側面では、山口重克編『市場システムの理論/市場と非市場』などあるものの中
身は乏し
いが、そのなかでも1990年代の日本人経済学者の中で影響を及ぼしたのが青木昌彦だ。青木は

システム」という語をその著書のいつくかに用いている。青木は、比較経済体制論から出発し

期の代表作は、制御理論と同様の発想から理論が組み立て、サイバネティクスに代表
される制御
理論がシステム理論の中核とすれば、初期の青木はシステム理論を武器に新領域開拓に
挑んだと
評価され、市場の情報節約構造や組織の情報伝達構造へ強い関心を寄せる。日本
の企業システム
の経済分析に焦点を移してからの青木の理論展開の中心はゲームの理論でであ
ったとされる。そ
の反対に、わたしにはゲーム理論は感覚的に会わず、中身の乏しいちっぽけなものとしてしか映
らなかった。

また、システム理論に自覚的に取り組んで成功した経済学の書物に塩尻は、鷲田豊明をあげる。
それによると鷲田は「相対的に自立的した全体性をもつ構造化された社会」のことを「社会シス
テム」と定義し、単なる「社会」と「社会システム」とを峻別する特異的な考えがあり、この定
義は、縄文時代にまで逆上り、考古学文献を渉猟した力作「環境と社会経済システム」(鷲田
1996、第5章)に生き、環境を論ずには、社会・経済の設計にまで踏み込む必然性を背景とした。
このようにシステム理論を明示的議論で経済学に貢献した例は少ないという。
このような事態は、
経済学の隣接分野である経営学ないし組織論と比べるとより明確となる。システム理論が経済理
論にもたらしたものと経営学ないし組織論における貢献とを比べると、そこに大きな差異がある。

その差異のひとつは、目的の違いがあり、経営学または組織論では、諸個人の関係が作りだすさ
まざまな構造が出発点となり、1960年代までのシステム理論は、はっきりと構造指向的であり、
価格や生産数量の議論にはあまり役に立たない。工学方面でもっとも成功したように、システム
理論に
は、変化するシステムに関する考察を含んでいたが、社会科学の分野に応用されたとき、
システム理論
はそのような側面をうまく生かすことができなかった。経済学がシステム理論をう
まく生かすことができず
にいたのは、構造指向的な性格が大きく影響していたためであるとする。

複雑系とケインズ主義との相互浸潤

さて、市場経済の進歩・発展を駆動するものが競争にあることは、ほとんどすべての経済学者
が一致して認めるているが、市場経済における競争がいかなる場所でいかなる具合になされる
かについて、新古典派と複雑系経済学とでは、大きく見解が隔たっている。その原因は、新古
典派経済学が「価格理論」とほぼ同じ範疇に存在しているため、競争に関する理論的な説明が、
偏狭な価格競争として説明される。完全競争、純粋競争といった概念が価格を軸としているた
め、これが競争の実態を大きくゆがめていると指摘されているという。塩沢由典(『複雑系経
済学の現在』)によれば、新古典派理論の競争概念をゆがめているのは、需給均衡という考え
にあり、より正確には価格を独立変数とする需要と供給とが定義され、それらが一致する価
格体系に市場が帰着するという一般均衡理論の枠組みが成立した古典派や新古典派の初期にそ
の根拠があるという。経済の調整変数として、ひとびとの目に見えていたもの(=信用)は価
格のみであったとし、数量的な調整は、部分的にできたとしても、その全体的な変動を推定す
ることの困難性があった。そこで目に見える調整過程として、価格による調整に焦点が絞られ
上に、さらに、需給均衡の枠組みが「企業は市場で自社製品を売りたいだけ売っている」(行
動に関する最大化原理と状況の選択原理としての均衡概念)という前提により現実から遊離す
る。この反省に立ち、「複雑な状況の中での行動」を主題とし、均衡分析に代わる過程分析と
いう枠組みで経済学のすべてを、複雑系経済学は再構成し、均衡の枠組みには理論として組み
込めないの状況(収穫逓増、定型行動、追随的調整、経路依存など)を包括する。


さらに、
複雑系経済学は、基本的には時間の流れの中で諸変数の変化を追跡する分析であり
新古典派のように「売りたいだけ売っている」という前提は不要として退け、反対に、近代的
企業の生産の増大を制約している主要な要因は、市場における需要の制約にあると考え、ケイ
ンズ経済学の根底
に置かれるべき考えだったとする
。つまり、ケインズの一般理論は、限界理論の2
公準を軸としているが、有効需要の原理とうまく整合せず、第2公準を否定することから始ま
り、ケイン
ズ経済学をミクロ的に基礎付ける試みが長くなされてきたが、企業が直面している
状況をただしく定義できなかった。生産量と利潤を増大させようとする企業の主要な制約が製
品の売れ行きにあり、需給均衡という枠組みは、その定式においてこの状況を排除する。した
がって、マクロ経済学のミクロ的基礎付けには、基礎的なミクロ経済学の枠組みを変える必要
であり(また、新古典派理論に基づきマクロ経済学を再構成しようとしても、理論の構造とし
て不可能)、ケインズ経済学は、しばしば、価格が固定的であるとの前提にたって説明され、
価格調整がつねに瞬時になされる世界では有効需要の原理は意義をもたない
。製品価格を下げ
ようと、原価をまかなえる範囲では、その値下げ幅は大きなものでなく、原価を割らない範囲
でどんな価格を付けようと、企業はほとんどつねに需要の制約に直面し、企業レベルで捉えら

れた有効需要の原理である。

生産容量の変更をのぞけば、価格調節の間隔は一般に数量調節の間隔より長い。そのため、価
格が
固定的であるかの印象を一部に与えているが、価格が変動する世界においても、有効需要
の原理はつねに生きている。有効需要の原理は、マクロ経済においてのみ出現するものである
かの説明もあるが、それは新古典派ミクロ経済学を前提としているからである。需給均衡の枠
組みを離れてみれば、マクロの有効需要の原理は、個別企業が直面している状況の統合された
表現でしかないとする。これに対し、ケインズ経済学、とりわけポスト・ケインジアンはどの

ような立ち位置にあるのだろうか。例えば、サミュエルソンなどがリードした新古典派総合も
加わるであ
ろうし、実際かれらは自分たちをケインジアンと思っている。では何が真のポスト・
ケインジアンと「バス
タード(まがいもの)」を区別する点なのか?

(1)経済の全体的な枠組みを完全雇用を前提に対し、ケインズとポスト・ケインジアンは、
  非自発的失業は資本制経済ではふつうに起こりうるとし、経済の活動水準を決める要因は、
  将来が不確実な下での企業の投資決意、投機筋の「強気」や「弱気」、企業の財務構成、
  中央銀行の金融政策など、きわめて多面的で有機的と考える。

(2)つぎに教科書的な貨幣供給の外生性と流動性選好理論を中心とする貨幣需要の組合せに
  代わるものとして、金融動機を介在させた景気と貨幣供給の内生性の関係が議論され、企
  業の投資と財務構造の変化をヘッジ、スペキュレイティヴ、ポンチの三段階で説明し、景
  気との関連を検討するケインズ的ミンスキー理論もある。

(3)ケインズ自身はレッセ・フェールが失業を解決できない原因を主に貨幣的側面に見たが、
  分配や産業間の技術関係など、もっと実物的観点から社会的・構造的問題に取り組んだス
  ラッフィアン、オリカーディアン-スラッフィアンの多部門生産理論の特徴は線型の生産
  構造にある。

『一般理論』出版から70年以上経た今日、正統派からは無視された感すらあったケインズは、
今回の金融恐慌で図らずも完全復活しているとされるが、複雑系経済学(あるいは進化経済学)

と相互浸潤(なんともレーニンばりの表現だが、多分に現代的なデジタル物理学の反映をもっ
て)の状態下にあるかのようだが、経済システム特性として複雑系の前提を箇条書きするとな
れば、以下の三つのシステムの時間変化・連結・構成個体の生存に関する条件が組み込まれつ
つあるとでも表現できよう。

(1)時間特性 経済の状況は、ゆらぎのある定常過程としてある(ゆらぎ)。
(2)連結特性 経済の諸変数は、緩く連結されている(ゆるみ)。
(3)個体特性 経済の個体(主体)は、生存のゆとりを持っている(ゆとり)。

※ここで最後尾の節のみをわたしの包括的な考察のまとめとして掲載する。


 

【ケインズ経済学の現在化】

以上、複雑系と新経済学である計量経済学の関係と新経済学とケインズ主義について大急ぎで
俯瞰してきた。ここでは新自由主義批判とケインズ主義の系譜をたどり未来志向の展望につい
て、ポール・デヴィッドソン著、小山庄三・渡辺良夫訳 『ケインズ・ソリューション-グロー
バル経済繁栄の途』を基に考察を進める。

 

【なぜケインズの考えがアメリカの大学で教えられることがなかったのか】

ポール・デヴィッドソンはこの著書『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』
の補論として「なぜケインズの考えがアメリカの大学で教えられることがなかったのか」を付
け加えている。このみだし見た瞬間ここからはじめようと。ケインズの思想がゆがめられた理
由は二つだという。ひとつは反共主義というタブーであり、もうひつとは無知という極めてシ
ンプルな理由からだ。それではそれを見てみよう。

  かつてある賢人は「古典」を、「すべての人が引用するものの誰も読み解いていない  
  本」と定義したことがある。そこからすると、ケインズの1936年の著書『雇用・利子
  および貨幣の一般理論』は,経済学の教科書ライターや教授にとって、間違いなく古
  典である。第2次世界大戦後の数十年間、経済学者たちは、経済理論や経済政策にお
  けるケインズ革命について語った。しかしながら、自らをケインズ革命の熱烈な支持
  者と名乗ったこれらの経済学者が論じたことは、貨幣を使用する市場志向の資本主義
  経済の運行についてのケインズの分析とはなんの関係もないものであった。この拙論
  で明らかにするように、現代の最も権威ある大学の経済学の教授やベストセラーとな
  った「ケインジアン」の教科書の著者たちのだれひとりも、ケインズの分析的枠組み
  を理解していなかったのである。このケインズとなんの関係もない分析を「ケインジ
  アン」として押し通す、見え透いたごまかしは、1970年代まで続いた。そしてこのと
  き、石油輸出国機構(OPEC)の生産した石油の価格急騰に誘発されたインフレの問題
  が明らかにしたのは、ケインズの商品インフレーションや所得インフレーションにつ
  いてなんらの知識も持っていなかった当時の著名なケインジアンたちが、そのインフ
  レと戦うための適切な政策を提供することができなかったということである。自由市
  場の唱道者たちは、これらのケインジアンが格好の攻撃目標であることに気付き、か
  れらのケインジアンの政策論議と認められていたものを論破してしまった。学界にお
  いて、自由市場論者の勝利はあまりにも完璧であったので、学生たちは、古典派の効
  率的市場理論家たちが、資本主義経済の欠陥やこれらの欠陥を克服するうえで政府が
  積極的な役割を演じる必要がある旨のケインズの批判を、永久に葬り去ったと信じる
  よう教育された。
1970年代における古典派理論の明らかな復活と神格化は、実際はす
  でに死滅していた理論の蘇生というわけではなかった。経済学界の主流派のリーダー
  や有力な学者たちは、ケインズの分析を理解していなかった。ケインズがその革命的
  な貨幣理論を発表したのとほとんど同時に、それは2つの理由から流産させられてし
  まった。第1に、主流派の経済学の教授たちは、失業についてのケインズの説明が、
  失業問題を流動性に対する欲求と金融市場の働きという文脈の中に置く分析というよ
  りはむしろ賃金・物価の硬直性を必要としていると信じたことである。第2に、第2
  次世界大戦直後の数年間米国内にはびこっていた反共主義の風潮(マッカーシズム)
  が、ケインズの真のメッセージのどのような形での教育をも妨げたことである。

                         ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
              『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』

 

ケインズの著書が経済学の古典である理由

  ケインズの分析が、主流派の経済学者たちの現実世界を説明するための理論を打ち立
  てる方法を変革することに最終的には失敗したとしても、かれは驚かなかったであろ
  う。ケンブリッジの経済学者である。オースティン・ロビンソン(Austin Robinson)
  は、1971年4月22日の英国学士院での自らの院長就任講演の中で、ケインズの『一般
   理論』の未発表の初期の草稿を引用して、ケインズは次のように書いていると述べて
  いる。「『経済学においては、あなたは、自分の反対者を間違っていると決めつける
  ことはできません。あなたはただ、かれにその誤りを悟らせることができるだけです。
  そしてたとえあなたが正しくても、……もしかれの頭がすでに反対の意見で満たされ
  ていて、あなたがかれに投げかけているあなたの考えを理解することができない状態
  にあ
るのならば、……あなたはかれにその誤りを悟らせることさえできません』」。
  ケインズと同じ
世代の経済理論家たちのみならず、この拙論で明らかにしているよう
  に、ノーベル賞
受賞者のミルトン・フリードマンやポール・サムエルソンのような第
  2次世界大戦後
のケインズより若い経済学者たちも、かれらの頭の中が反対の古典派
  理論の見解で満たさ
れていたため、ケインズがすべての聴き手に投げかけていた考え
  を理解することができなか
ったのである。
 

                ポール・デヴィッドソン著 小山庄三・渡辺良夫訳
              『ケインズ・ソリューション-グローバル経済繁栄の途』

 

                                 この項つづく

 

【INTERMISSION】 

  

 

 

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複雑系と計量経済学

2013年03月22日 | 時事書評

 

 

 

女が珍しいもらいものをもってきたのが「きんかん大福」(しろ平老舗製)。二つも食べられないなぁ
と思っていたが二つも口に運んでしまった。そういえばそうだ、これは山椒の辛みだと気づくのに暫くか
かったが、口の中で僅かに尾を引くように新鮮な印象として残る。甘さ控えた白あんと、金柑の程よい苦
味・酸味が絡み不思議なおいしさだ。もち米は地元でとれた最高級の羽二重(はぶたえ)、金柑はあえて
皮の歯ざわりを残すため少し固めの宮崎県産金柑を使用し、柔らかくなりすぎないように工夫してある。
金柑を始め材
料には人工添加物を使っていないと紹介されている。忘れられない甘みの一品。

 

 

  

【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

【複雑系と経路依存】

【新しい分析用具-数学的方法を超えて】 

複雑系科学が明らかにしたひとつは、学問の守備範囲と内容の深さに関してトレードオフがあるという。
これは、学問研究に知的能力に限界があり、より広い状況を説明する理論は、特別なもとで成立する特殊
な構造を説明できないできない。「一般均衡理論」は、非現実的な仮定導入により、この点で事実関係を
誤魔化しているにすぎない。経済は時間的な経過の中で成立した自己組織系であり、任意与件かのら一挙
に再構築できるものではない。J.シュンペーターはこのような再構築を「ab ovo(初源)構成」と呼ん
だが、生物生態系であれ、人間の経済であれ、先立つ生態系・経済を無視して現在はありえないのである。
L.アルチュセールは、現実は「つねにすでに所与」の構造として存在すると注意をうながしているが、
ミクロ・マクロ・ループの存在と自己組織化に留意するとき、経済はつねにすでに構造化された経済とし
て存在していると考えなければならず、過程分析は白紙の出発点を持ちえない。

それでは、経済過程がもつさまざまな特質を組み込み、経済学の諸問題に有益な示唆を与えるような分析
方法を探してみよう。とくに、定型行動のレパートリーをもち、ミクロ・マクロ・ループの存在に矛盾し
ない分析の枠組み、分析用具はが「エージェント・ベースのモデル分析」がそれであると塩沢由典はいう。
それではどのような根拠に基づくのか?経済学は、これまで主としてふたつの研究方法を用いてきた。ひ
とつは文学的方法であり、もうひとつは数学的方法だ。(1)まず文学的方法は、経済の諸事実を観察し
蓄積するために用いられ、経済史や実証的な調査報告などは、現在でも多くは文学的な方法によっている。
古典経済学の時代の理論研究は、主として文学的方法によってなされ、数値例の検討も基本的には文学的
方法の一部と考えることができる
。(2)つぎに、経済を数学的方法により研究する動きは、19世紀はじ
めで、19世紀の最後の四半世紀になると均衡概念や限界効用の概念が導入され、20世紀には数理経済学は
厳密な数学となる。しかし、それは経済に対する総合的判断を欠いた。1970年代前半には、数学化された
経済学の現状に反省の声が上がり、ベトナム戦争終了後、アメリカの大学が保守化するとともに、主流の
経済学は、各種のアノマリーを内包しながら、理論的な不整合には目をつぶり、合理的期待形成、実物景
気循環論(real business cycle theory)、内生的成長理論など根拠の薄い論文
が書けるというだけで研
究されるようになる。

複雑系は、複雑な状況における人間をテーマにするとともに、科学研究そのものに対する複雑さの影響に
も関心をもつ。数学そのものに理論的限界はないものの、数学的思考や数学的分析は人間の能力の限界に
規定されている。そのため、一定の定式化と分析はどんどん緻密になるが、解析に適さない主題は無視さ
れるということが起きる。マーシャルやケインズは、この点に気付き、かれらは極端な形式化に走ること
はなかったという。経済学が均衡と最大化・最適化を主題としてきたが、それは経済過程それ自体の特性
を反映するというよりも、こういう枠組みでなければ数学的分析に上らないという事情によることが大き
い。この枠組みがさまざまなアノマリーを内包することが意識されながら、保守的な態度が繰り返された
のは、最適化と均衡という枠組みを放棄すると理論経済学になにも残らないという恐怖があったからにち
がいないと塩沢は推測する。数学化は19世紀の末には前進的研究プログラムだったが、現在ではまったく
別の意義をもつものとなる。このような実情をブレークするには新しい分析用具を導入し、分析可能領域
を拡大する以外にないのだが、そのような可能性をもつものとしてエージェント・ベースのモデル分析が
位置する。もちろん、複雑系としての経済への接近方法は、エージェント・ベースのモデル分析とは限ら
ない。Anderson, Arrow and Pines(1988)やArthur, Durlauf and Lane(1997a)、Schweitzer(2002)、Ross-
er and Rosser(2004)、さらには雑誌ECONOMICS & COMPLEXITYなどの諸論文で採用されている方法も、過程
分析の枠の中で複雑さの観点を忘れないかぎり、それぞれ有用な分析方法となりうるという。

【第三の科学研究法】 

経済学が直面している事態は、もっとひろく科学一般が直面している状況と類似し、科学の方法で一番古
いのは理論である。論理による推論は、人間の思考の中では古い階層に属する。これに対し近世では、科
学の方法とし実験が登場する。これが錬金術などと深い関係をもつことはよく知られているが、実験はは
じめのころは、オカルティズムと近いところにあったとされる。これが科学の方法として確立するために
数世紀の時間を要した。近代にいたり、理論もまた革新された。物理理論の発展は、解析幾何学と微分積
分学という新しい数学の開発と密接に絡み合ってた。

ガリレイ以来の近代科学は、理論と実験の2つの方法の上に立つことはよく知られている。とくに現代物
理学では、理論家たちが大胆な仮説を提出し、実験との対比によってそれらをひとつに絞り込むという形
で理論が進んできた。しかし、現在、理論と実験の二つに加えて、新しい科学研究法が浮上してきている。
それが、数値実験ないしコンピュータ実験法だ。この方面で特に進んだのが化学であり、化学では理論的
推測と実物による実験に加えて計算化学による検証があって初めて完全な論文と認められるとまでいわれ
る。コンピュータの記憶領域の拡大と高速化が従来はできなかった多くの計算を可能にした。これらは、
数値実験として、現実には実験できないような状況・設定においてなにが起こるか研究するために、現在
では欠かせない方法となっている。「現実には実験できない」状況・設定はたくさんある。数十年を超え
る長い時間がかかるもの、費用がかかりすぎるもの、調べるべき組み合わせが多数ありすぎるもの、実験
では捉え切れない短期的な変化などだ。

従来、社会科学には実験がないといわれてきた。失敗に終わった計画経済のような人類の運命をかけた実

験がなかったわけではない。実験経済学がカバーできる範囲はそう広くなく、経済で通常の意味での実験
を大きな規模で行うことは難しいとされる。それでも、コンピュータ・シミュレーションが可能な場合が
ある。コンピュータ・モデルは、必要なメカニズムが抜け落ちてても、それ自体としては検証するすべを
もたない。シミュレーションが現実の実験や理論の代わりになることはありえないが、これまで実験や理
論による分析の及ばなかった状況・設定を研究する大きな可能性をもっていて、とくに経済学では主体の
異質性・変数の多さ・変化の複雑さなど、数学的分析に乗りにくく、避けて通らねばならなかった過程や
機構が多い。経済学は数学という分析方法の桎梏を脱ぎすてて、新しい方法・分析用具を開発すべきとき
だと強調する。

従来のコンピュータ・シミュレーションには、経済機構の模擬というにはあまりにも迂遠でしかも単純な
ものが多かった。手続き的なコンピュータ言語では、大規模なシステムを専門家以外の人間が組むことは
困難であり、JAVA
ようなオブジェクト志向の言語が開発され、広範に使われるようになり状況は変わり
つつある。コンピュータ・シミュレーションという第3の科学研究方法を、いまや経済学として開発研究
するときが到来したというのだ。その有望なものとして、現時点では、エージェント・ベースのシミュレ
ーションでありモデル分析である。この点でサンタフェ研究所もほぼ同様の見通しをもっていると解説す
る。

【エージェント・ベースのモデル分析】

エージェント・ベースのモデル分析を実際に展開するのは、大規模なプログラム作成が必要となるなど、
経済学をまなぶものには容易ではないが、U-Mart研究会から近く発刊予定の2冊は、経済的な解説からシ
ステム設計までを詳しく解説したものであり、付録のCDを利用することで、人間を含む実験も可能であ
ると紹介する。エージェント・ベースのモデル分析には、他の方法では実現できない多くの長所がある。
それらの中でも重要な特質として以下の利点が挙げられる。

(1)プログラム行動:エージェントの行動は、プログラムで書かれている。モデル分析では、多数のエ
  ージェントの相互作用を問題にするから、個々のエージェントの行動様式として、計算負荷のかかる
  最大化計算などは通常は組み込まれない。比較的簡単なプログラムで書かれた定型的な行動が採用さ
  れている。意識しなくても、おのずと合理性の限界が考慮される。

(2)
異質なエージェント:異なる特性もつエージェントの相互作用を数学的方法によって分析すること
  は容易では
ない。方程式は多次元のものとなり、均衡などの特異点を除いて解析はほとんど不可能で
  ある。コンピュータを
もちいる分析では、多様なエージェントを組みこむこと、それらの相互作用を
  追跡することは難しいことではない。

(3)過程分析:コンピュータを用いて時間経過を追うことは簡単である。プログラムを組む上では、諸
  変数の決定関係は明瞭であり、循環的な因果関係は排除される。分岐やそれに基づく構造化も、時間
  ステップを追う分析では、特別な困難なく実行できる。
(4)行動の進化:ホランドの遺伝的アルゴリズムは、突然変異と交差の二つの操作により、クラシファ
  イヤーを進化させている。行動の基本形は、クラシファイヤーと同型であり、行動の進化をモデル内
  に取り込むことは可能である。こういう枠組みの中でなければ、行動と状況とのミクロ・マクロ・ル
  ープを観察することはできない。

5)ストーリー分析:与件に適切な変化をもたせることにより、時系列にストーリーを持たせることが
  可能である。

(6)多層的調整:変数の変化するリズムを適切に与えることにより、諸変数の多層的な調整を組込む
  ことができる。

(7)制度の比較研究:複数の代替的制度があるとき、同じ条件下でそれぞれの制度がどのような結果を
  もたらすか比較できる

エージェント・ベースのモデル分析は、従来の数学的定式にくらべれば、はるかに自由度があり、行動や
相互作用についても現実的な設定が可能であり、エージェント・ベースのモデル分析は、モデル構築より
も、結果の解釈において困難に遭遇する。それは従来の研究方法にはない種類のものであり、与件として
与えられる自由度は高く、そこから得られる時系列は変化に富んでいる。辛抱強く実験を続けていけば、
いつでも期待するシナリオに近い時系列が得られるといったことにも期待できるという。


このような問題点があるものの、エージェント・ベースのモデル分析は、従来用いられてきた分析枠組み
に比べれば、経済現象を分析・研究するのにはるかに適した研究方法である。コンピュータ実験の結果を
解析する方法が確立されるまでには、まだ長い模索が必要とされよう。しかし、方法に関する理解は、抽
象的な議論により解決できるものではない。具体的な実験プロジェクトを計画・運営する中で成功や失敗
を重ねることと並行して考えていく以外にないであろう。実験が科学の方法として確立されるまで長い時
間が必要であったとおなじく、エージェント・ベースのモデル分析も、それが科学の方法として確立する
にはなお長い時間が必要と考えなければならないと、最後に釘をさし解説する。


【複雑系と計量経済学】

 【計量経済学史と現在】

計量経済学(Econometrics)とは、経済学の理論に基づいて経済モデルを作成し、統計学の方法によって
その経済モデルの妥当性に関する実証分析を行う学問であり、近代経済学の発展に大いに貢献してきたと
いわ
れる。現代ではマクロ経済分析にとどまらず、ミクロ経済学の分野である財政学や労働経済学などに
おいても必
要不可欠な分析手法となっている。特に最近ではマイクロデータの整備が進んできたこともあ
って、とりわけパネ
ルデータや離散選択等を利用するミクロ計量経済学が盛んである。また、時系列分析
は、金融工学という学問体系にまで発達を遂げた。ただ単に経済モデルの検定にとどまらず、工学分野へ
の応用によって更に計量経済学
を活かすことのできる可能性が広まっている。

1970年以降は、時系列分析・ミクロ計量経済学が流行である。時系列分析で、2003年のノーベル経済学賞
は、単位根、共和分という概念を提唱したロバート・エングルとクライヴ・グレンジャーが受賞した。ミ
クロ計量経済学で、2000年のノーベル経済学賞は、離散選択・Treatment effectの推定方法を提唱したダ
ニエル・マクファデンとジェームズ・ヘックマンが受賞している。
実際の実証分析では、小標本理論より
も漸近理論が重視されており、推定量の一致性を確保することが大前提になっている。かつては、一致性
の次には小標本特性や効率性を追求していたが、近年ではそれよりも仮説検定に関する一致性を重視する
傾向に変化してきているが、今
後とも、データが増えることで、漸近理論を適用することの正当性が高まるので
はという憶測がこのような流れに拍車をかけているとみられている。

計量経済学史は広くいえば経済学史の領域に入る。しかし、思想史とは異なり、データの収集、コンピュ
ータを使った計量分析という実践的活動、そして統計学の発展が、計量経済学の展開と結びつき、「理論
なき計測」という批判を受け流し、理論とは関係なく研究が進展してきた背景がある。そして経済鼓動の
理解に「事実の収集」の大切さを強調する向きが計量経済学者からなされているが、実際、計量経済学研
究そのものがプラグマティクスであり、どのようなタイプ
?のプラグマティズムかを説明することが必要とさ
れるといわれているが、二次元グラフやその形成を見ながら識別問題が考察され、データを見ながら新しい分析が
開発されてきたが、例えば、クロスセクション分析の研究からパネルデータ分析が登場してきている。

例えば、インフレと失業のトレードオフ―失業を減らそうとするとインフレが昂進する傾向がある―を示
すフィリップス・カーブの歴史が注目されてきたが、これ自体は経験的研究だとしても、計量経済学的分
析といえないように、イギリスの経済学者フィリップスが1958年の論文で注目したのが、貨幣賃金率の上
昇と失業の関係であり、アメリカにおいて、サミュエルソンとソローが1960年の共同論文で、インフレと
失業のトレードオフに着目した経緯があり、そこで、「インフレ問題が注目されるようになったアメリカ
で、フィリッ
プスの理論が政治化された」と集約し、学部生向け教科書に載るような政策分析が登場し、
学部レベルを超えた高度な計量経済学分析が進展し始めていたことも注目される。この頃、真空管で動く
最後のモデルと思われるコンピュータ「IBM650」を駆使した計量経済学研究に携わっていた研究者た
ちが、国籍を越え存在していたが、日本でフィリップス・カーブが登場したのは、インフレが政治問題化
した1970年代であった。最近では比較制度分析の視点から経済史を見ることも行われている。ただしこう
した見
方については、史実の使い方に問題があるといった批判も出されている。類似の立場でありながら、
より歴史的分
析を深めようとする立場に、アブナー・グライフらによって提起された「歴史制度分析」が
ある。

【日本での計量経済学】

日本の計量経済学の特徴は、政府・公的部門によるマクロ計量モデルの構築が非常に熱心に行われ、政策
形成のニーズに対応する形で経済データが収集されてきた。遡ること、1930年9月に東京で開催された国
際統計協会の大会がその先鞭とでもいえるが、ヨーロッパで活躍していた統計学者だけではなく、中国の
統計学者や各国の統計官がこの時来日した。日本の長期経済統計も利用可能であり、その伝統の古くは豊
臣秀吉の太閤検地まで遡り、また、江戸時代の堂島米穀取引所では先物、先渡しが世界で初めて行われ、
現代的計量分析が可能なほどよく組織されていた歴史的背景が関係していた

台湾の計量経済学者・劉大中(Ta-Chung Liu、1914-1975)は1944年のブレトン・ウッズ会議に中国代表
として参加、台湾でマクロ計量モデルを作成するなどして、政府の政策形成に貢献したほか、識別問題に
ついての研究論文を書き、計量経済学を集中講義するために、北京、廈門を訪問する学者が相次いだとい
われている。社会科学分野、歴史分野においても、経験科学としての特徴を前面に出し、政治体制の相違
も国有財産の多寡で示すなどして、数量化できるものは数量化して比較分析することの有用性が認識され
だす。計量経済学や統計学には、現代ファイナンス理論が絡む部分があり、その歴史的研究はこれからも
積極的に継続されていくとみられる。

                                   
                                       この項つづく

 

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その後のへーリオス

2013年03月21日 | デジタル革命渦論

 

 

 コキノダイナス(赤鬼)


さて、久しぶりにコキノダイナスの家は客人で賑わっている。客分としてヘーリオスとプロンシャス
アルマイティが揃った。
男四人そろえば酒盛りは否応なしにも盛り上がる。

「アフリカや中近東は、いまだ紛争が絶えないし、そこでは、いまだに三角貿易が展開するという愚
かな構図が残っているかのようだが、メガソーラの導入に加速がついてきた。ことしはトータルで1
ギガワット、5年後は4ギガワットになると予測されているが、紛争次第だが、急速に普及させるに
はインフラ整備の同時進行という条件がつく。ところで、世界のメガソーラ需要が31ギガワットと
予測されているから3%に相当するが」と話し終え、プロンシャスが酒ではなく、ベルベル・ウィス
キーを一口飲む。

「お前さんは、イスラム教徒なのか、日本酒は飲めないというのか」
と赤鬼は笑いながら茶碗の金亀を徐(おもむろ)に飲み干す。
「特に理由はないが?!」
とミントティの入っていた空のカップを差し出すと赤鬼も徐に無言で酒をそこに注いだ。
「有り難う、もうそのくらいで良いよ」というまで、男同士の友情を熱く注いだ。
「そういえば、今月の19日に、三菱商事とイノベーションネットワークとイタリアのサンベンチャー
ズは同じくイタリアのソーラホールディングスを買収したが日本のこの二社が初めて投資したことに
なる。ソーラホールディングはピエモンテ州のサルデーニャ、プーリア地区のサンベンチャーズが保
守管理する19プラントを保有し2万世帯の電力をまかなっているが、欧州の経済危機でイタリア政府
の支援が出来ずにいる事情がその背景にあるんだ。もっとも、イタリアは日照が豊富でドイツの32ギ
ガワットに次ぐ16ギガワットの欧州は二番手の国、買収後もさらに百から百五十メガワット増産しイ
タリア最大手の国をめざすという。それだけやりがいもあるが責任もあるということになるでしょう
ね」と日に焼け真っ黒な顔に映える真っ白な歯を時折のぞかせそう話す。

プロンシャスのアバター

「それでも太陽電池は生産過剰じやないのか、サンテックパワーの子会社が無錫サンテックが破産し
たというじゃないか」と赤鬼がたずねる。
「それは、経験が浅いからそういうことになるんじゃないか。ベーシックな電力供給事業はトランザ
クションやメンテサービス、それからなによりもアフタケアが大切でここは、資源とか環境とか、一
見すると経営と関係ないように思えるがここにも重要な研究開発の課題あり、エネルギー市場全体を
含め慎重な舵取りが必要となる。そうじゃないのか?舳離雄!」とアルマイティが眠そうな顔を上げ
話に割り込む。

いきなり、返事をうながされ戸惑った様子の舳離雄は静かに話しはじめた。

「この市場で何がしたいのか?ということが問われているのではないでしょうか。そのことに気づき
はじめたのではないでしょうか。もちろんのこと、送電分離などの基本的な法整備がなくては成り立
たないのではないでしょうか。」
「ということは、お客さんとその向こうにある国や共同体の事情や、世界的な社会環境変動をみてお
かなければいかん!?安ければそれで良いんだというわけでなく、むしろ積極的に将来に向けてのビ
ジョンを問いかけていかなければならないというんだね。」
「そうです。過渡期で過剰生産というのはどうみても可笑しいな話ではないでしょうか。たとえば、
耐用年数は投資回収に大きく関わりますが、パワーコンディショナがそのなかでも早く痛んでしまう
ということがありますが、顧客の方はそういう情報は既に入っていてそれをもとに電卓を叩くわけで
すが、ソーラパネルが仮に20年補償できるとしても、パワーコンディショナだけが10年しか補償でき
ないとするとそのリスクを売り手側が被るのか、買い手が被るのかで表面上の見積金額だけでは判断
できません。パワーデバイスの性能や技術、それに価格といった点で日進月歩、秒進分歩が当たり前
のような世界ですから、そういう知識や企業技術の品質を盛り込めるかどうかが、公正を前提とした
市場での競争力に関係してくるのではないでしょうか。」
「つまり粗悪な住宅を販売すると一生その顧客に恨まれるというわけやね?」と赤鬼がスモールトー
クならぬラウドトークを入れる。
「けれど、過剰生産や適正価格をめぐっては各国の事情が絡み国同士の軋轢を引き起こしかねないね。
現に米国は、中国、台湾、マレーシアだけでなくインドまでダンピング疑惑をかけ米国企業に仕事を
よこせと要求しているが、インドは自国の再生可能エネルギー社会の構築には国としても就労機会を
つくり技術向上をはからなければならないと反発し貿易関連投資措置協定のローカルコンテント要求
は正当だと突っぱねているのをみていると大変面白いね。」とアルコールで少し紅潮しているかのよ
うに見えるプロンシャスが笑いを浮かべ疑問をぶつける。

Domestic Content Requirement;DCR

 ーリオス(舳離雄)のアバター

「でもそれは二国間で話し合って詰めていくしかないんだ。米国企業がインドの勤労者を大切にし、
技術向上に繋がるような市場行動をとっていれば問題がないんだが、自国の二酸化炭素排出量は規制
せず、儲けるだけもうけて還元をしないという考えならそれには一定の説得力が備わっているんじ
ないか。」と アルマイティは自分の思っていることを喋る。

「日米経済構造協議のように、自動車の販売競争で負けて、国内法を変更し雇用を確保させつつ、見
返りにビル・ゲイツを売り込み、見かねたトヨタは坂村健のBトロンを自動車専用モバイル機器に採
用したり、この間はオバマ大統領がシェール・ガスや石炭などの輸出した利益で再生可能エネルギー
技術開発支援に回すと提示するなど矛盾に満ちている。つまりは自由貿易は国内都合のためにあると
いうわけで非常に分かりやすい。
それでも、ギリシャでは中国系企業のスカイソーラーホールディン
グスはギリシャ国内の2つプラ
ント70メガワットを所有しておりフィールド・イン・タフリを20年間
利用し、1キロワットアワー当
たり0.29~0.44ユーロの売電料金を手にすることになるということだ
し、ドイツの ウイネコウ社は中
国のドイツとの相殺関税の見返りとして台湾で、太陽光発電供給社の
ウィンウィンプレシジョンテクノロジーの子会社として太陽電池製造設備を拡張するし、川崎市は中
国のグレースシーラー社製の1.5メガソーラーを建設運転しているし、南アフリカではオランダのイデ
マテック社がドイツ企業が導入したメガソーラ33メガワット用に太陽追尾システムを導入するなど国
際的な各国の企業活動が活発になっているといったことが背景にある。」とプロンシャスは補足する
ように話していると、赤鬼が「太陽計画の方はどんな見通しなのだ?」と舳離雄にしゃべりかける。




「日本のメガソーラの変換効率は20%を超えるところまできています。次世代型のメガソーラはポス
トメガソーラと敢えてそう言っているですが、サブミクロン以下の加工サイズで構成された薄膜で、
フレキシブルでいて30%という高い変換効率レベルの光電変換素子時代に軒並み入っています。です
から先ほど言いましたように、導入した既存メガソーラプラントとへの置き換えを視野に入れたアフ
ターケアあるいはリサイクル・リユース・リデュースをパッケージに入れたビジネスモデルをコアに
して、先ずは国内でアンテナショップ展開し、次いで海外展開するといった長いタームで考えないと
だめだと思っています。技術の話に戻すと、ポストメガソーラ時代は無機・有機・化合物の、あるい
はその複合型の量子ドットレベルに予定より早く突入しています。もっとも、地球温暖化や大規模気
候変動が予想を超えて進んでいるのかもしれません。誰にもそのことを明確に言い切ることはできな
いのですが流れとしてそうだろうということもあり、高効率・高性能でローコスト型太陽電池の技術
開発の進行はとめられないでしょう。例えば2012年12月5日にシャープの研究グループが世界最高の
非集光時セル変換効率が37.7%の化合物3接合型太陽電池が開発試作が発表され話題となりしたが、
無機系有機系、化合物系とすべての面で日本が先行しています。ですから、世界貢献のためにプロン
シャスさんに頑張ってもらわなければならないと思っていますが」と話しを続ける。

 アルマイティのアバター 

「 そのことを強く意識しているわけでもないのでしょうが、スイスのEMPA社が化合物系で、米国
のSolar3D社がトレンチ型シリコン系で、アルタデバイス社はシリコンと化合物の2結合形の
高変換効率の太陽電池を相次いで発表しています。面白いことにSolar3D社は3次元ではなく
6次元の太陽電池だといっていますが詳しい資料を見てないのでとくわかりませんが、間違いなく量
ドットレベルまでダウンサイジングしてポストメガソーラ時代に日本が先導し突入していくと考え
てい
ます。」

 

「それはまた、“デジタル革命”の本質的な自己展開ということで、きみのいう“オールソーラシス
テム”構想につながるんやね?!」とアルマイティが関西弁でス
モールトークする。
「そうです、シームレス・ダウンサイジング・ボーダレス・デフレーション・イレイジング・エクス
パンションは福音書として世界の隅々すべてに渡って浸潤していくのではないでしょうか。いま、二
つの大きな政策モデルを考えています。その1つがドイツや北欧で試行されている50キロメートル圏
内を1つの経済単位とした“バイオマス構想”がありますがそれを技術的側面から補強した“オール
バイオマスシステム”というもので、森林木材や木質廃棄物を資源としてバイオマス由来燃料・資源
に変換し、それを発電・動力燃料、生分解プラスチックや食料品に変換し百パーセント再利用すると
いうもので、たとえばそれは大がかりな物流から緻密な物流に産業変換させるものです。ここでも技
術的な弱点はわたしが考える範囲ではないように思っています。もう1つの“オールソーラシステム”
は、太陽光熱変換利用技術を再生可能エネルギーのコアにすえるもので、直接燃料としては水素とし
て取り出します。これは“オールバイオマスシステム”でのグルコース・キシロール・エタノール・
メタノール・バイオディーゼル燃料、あるいは海洋植物性プランクトンなどからのバイオディーゼル
燃料に相当します。ソーラでの技術的弱点としては、水素の液化とその貯蔵輸送という点ですが、こ
れはわたしの経験不足ということと、オール日本、あるいはオール隣国で解決できるものでしょう。
いずれにしても、これらの構想は第2段階前にあります。ですから皆さんの協力がとても重要になっ
ています。」と一通り話し終えると、大きく溜息をついた。

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抗癌最終観戦記Ⅱ

2013年03月19日 | 医療健康術

 


 

 

緑茶に含まれるカテキンの一種と男性機能不全(ED)治療薬を併用投与することで、正常な細胞を
傷つけずにがん細胞のみを殺し、高い抗がん作用を発揮することを、九州大大
学院農学研究院の立
花宏文教授の研究チームが突き止めたニュースをこのブログで掲載したばかりなのに(『抗癌最終
観戦記Ⅰ
』)、九大生体防御医学研究所の中山敬一教授らの研究チームは、抗がん剤が効きにくい
がん幹細胞を標的にした治療法を開発、マウスで効果を実証したニュースが届く。それによると、
増殖が速いがん細胞は、常に細胞分裂を行い、抗がん剤や放射線治療はこの分裂中の細胞を標的に
している。一方、がん幹細胞は増殖が遅く、ほとんどが増殖しない「静止期」にとどまり抗がん剤
などは効きにくく、再発のもとになっていたが、細胞を静止期にとどまらせる遺伝子「Fbxw7」に
着目。血液のがんである白血病を発症させたマウスの同遺伝子が働かないように操作したところ、
静止期にとどまるがん幹細胞が急減。このマウスに抗がん剤を投与すると、無治療のマウスや、抗
がん剤のみを投与したマウスに比べ、生存率が大幅に向上。同様の仕組みは、白血病以外のがんで
も予測されているほか、同種の遺伝子はヒトでも確認されているという。中山教授は「増えない細
胞がなぜ静止期にあるかを突き止め、静止期から追い出して、たたくことができた」と話しており、
今後数年をかけて、Fbxw7を一時的に働かなくする薬の実用化のめどを付けるという。

それにしても癌細胞を根絶する抗体医薬品アプローチとはどんなものなのか?ここで再びお復習い
してみた(『進化を続ける抗体医薬』、角田浩行・服部有宏@「バイオサイエンスとインダストリ
ー vol.71 N0,2(2013)」)。ゲノム創薬や、標的分子
に特異的に作用する分子標的医薬の創製
(→分子標的治療)が盛んに行われ、分子標的医薬の中で抗体医薬品は、標的分子に対する高い特
異性と少ない副作用という特長から、21世紀に入り最も注目されている医薬品だ。
抗体の代表的な
分子であるIgGは、H鎖(VH、CH1CH2、CH3からなる)とL鎖(VL、CLからなる)の2
種のポリペプチドが
それぞれ2本ずつ、計4本がジスルフィド結合により結合した糖
タンパク質(上図参照)。可変領域
(VHおよびVL)のアミノ酸配列の多様性により多様な標的分子に対し
て高い特異性と親和性が生み出
され、抗体は元来が生体内分子のため副
作用が少なく、高い安全性が期待されているものだ。


また、体内で安定かつ血中半減期が長いために効果が長期間持続
する。さらに、抗体は多様な作用
メカニズムの薬効特徴をもち、(1)
受容体に結合し生体の反応を遮断する中和作用を有し(2)
標的分子を追尾能力を持つ-専門的に「抗体のFc領域はNK細胞やマクロファージ上のFcレセプタ
ーに結合することにより、これらの細胞
を活性化させ、抗体依存性細胞傷害活性(ADCC)を誘導する。
エフェクター細胞ではなく、血液中の補体成
分を活性化させ補体依存性細胞傷害活性(CDC)を誘導す
」ということになる。なので、ここでは出来る限り分かりやすいように?翻意したい。

1975年にKohlerとMilsteinが細胞融合技術を応用したモノクローナル抗体作製法を報告して以来、
ノクローナル抗体は医学・生物学の研究材料、臨床診断薬として貢献をする。1980年代後半には
遺伝子工学的手法を利用して、マウス抗体の可変領域や抗
原との結合に直接関わる抗原結合部位
(CDR)を残し、他の部分をヒト抗体に置換したキメラ抗体やヒト化抗体を作製する技術が確立。
1990年代以降には、ファージ提示法を用いたヒト抗体ライブラリー技術、ヒト抗体遺伝子座をマウ
ス染色体に移入したヒト抗体産生トランスジェニックマウスを利用し
た抗体作製技術が確立され、
免疫原性の問題が
回避できるようになり、抗体の医薬品への応用が急速に加速する。

過去10年間で抗体医薬品の承認数は急速に伸び、2012年末までに日欧米で承認された抗体医薬品は、
マウス/ラット抗体5種、キメラ抗体6種類、ヒト化抗体16種類、ヒト抗体9種類を含む合計36品
目に達
している。マウス抗体では80%の高頻度で免疫原性が確認されていたが、キメラ抗体では改
善がみられ、
ヒト化抗体、ヒト抗体では15%以下まで低減されており両者はほとんど差異のないこ
とが報告されている。


図 抗体医療品の作用メカニズム

抗体医薬品が有する作用機序を上図にまとめると、最も多い作用機序は 上図右のリガンド(=免
疫原性)と受容体の結合や受容体からのシグナル伝達を阻害する作用。がん治療用抗体の中で、こ
の作用機序を有するものがBevacizumab、Cetuximab、Panitumumab、Trastuzumabであり、免疫炎症
領域ではすべての抗体医薬品がこの作用機序で効果を示す。Bevacizumabは、血管新生に関与する
血管内皮細胞増殖因子(VEGF)に結合してその作用を阻害する抗体で、がん組織への血管形成を妨げ
ることにより、栄養供給を断ってがん細胞を傷害する。Bevacizumabは多くの種類のがんに対して
有効であると考えられており、米国では結腸・直腸がんや非小細胞肺がん、HER2陰性の乳がんへの
適応が承認されている。また、現在も多種類のがん種に対して化学療法剤との併用による臨床試験
が行われている。


CetuximabPanjtumumabは上皮性増殖因子(EGF)の受容体を標的とする抗体であり、EGFによる増殖
シグナルを遮断してがん細胞の増殖を抑制する抗体であり、治癒切除不能な進行・再発の結腸・直
腸がんに
対して承認されている。Trastuzumabは標的分子であるEGF受容体ファミリーの1つである
HER2を過剰発現する転移性乳がんの治療薬である。HER2に結合することにより増殖シグナルを遮断
するという作用のほかに、ADCC
によりがん細胞を殺傷することが主な作用機序とされている。ADC
CやCDCは、がん治療用抗体に広く
利用可能な作用機序である。これらの作用を有する抗体で、2010
年の医薬品売上でも上位に入るのが抗
CD20抗体のRituximabである。Rituximab はOKT3に次ぎ1997年
に承認され、非ホジキンリンパ腫に対
して著効を示したことから、リンパ腫の治療体系を変えた画
期的な薬剤の1つである。それ以降、CD20を
標的とした抗体医薬が各社で開発されている。承認ま
たは臨床開発中の抗CD20抗体は19種類にも及ん
でいる。

  

図 フコース非修飾抗体が高ADCC活性を発揮するメカニズム

ADCC を主な作用機序とするRituximabOfatumumabに加え、放射性同位元素イットリウム90で標識
された抗CD20抗体であるいibritumomabtiuxetanやヨード131で標識された抗CD20抗体であるiodine-
131tositumomabが承認され、いわゆるミサイル療法としての抗体医薬品も実用化されてきた。
ibritumomab tiuxetan はRituximabに抵抗性の症例に対しても有効性が示されている。ミサイル療
法による抗体医薬品に関しては、細胞傷害活性を待つ低分子化合物を抗体に結合させたAntibody
Drug Conjugate (ADC)という分子形の開発が注目を浴びている。最初に承認されたADCは2000年に
上市されたGemutuzumab ozogamicinであり、Calicheamicinを結合した抗CD33抗体である。その後
の10年間は様々なADCが開発されたが、副作用が原因で承認には至っていない。これらADCの研究開
発から明らかになった課題は、標的抗原の発現量やがん細胞特異性および抗体結合後の細胞内移行
性、抗体と化合物を結合させるリンカーの設計で、申請中のTrastuzumab emtansine(T-DM1)は、
Trastuzumabにmaytansinoid cytotoxinを結合しがん細胞内に取り込まれた後にDM1を放出し
がん細胞を傷害するように設計されており、Trastuzumabで効果が弱かった患者群にも効果を示すこ
とが確認されている。また、2011年に承認されたBrentuximab Wdotin は、抗CD30抗体にMonomethy
l
auristatin E(MMAE)を結合した新しいタイプのADCであり、この技術を保有するベンチャーのSeattle
Genetics社が関発した初めての抗体医薬品である。2011年にがん治療用抗体の1つが細胞傷害性T
リンパ球抗原(CTLA-4)に対する抗体lpilimumabである。通常、がん治療用抗体の標的と成り得る抗
原は、がん細胞特異的に発現する表面分子やがん細胞の増殖に関与する可溶性分子から選定された。
一方で、lpilimumabは免疫機能を抑制するCTLA-4の機能を阻害し、細胞傷害性T細胞の働きを高め
がん細胞を殺傷する新しいタイプのがん治療用抗体である。進行したメラノーマは治療選択肢が限
られている深刻な疾患であったが、lpilimumabは新しい作用機序により転移性メラノーマ患者の生
存期間の延長を示した最初の医薬品として注目されているという。


その他の疾患領域の抗体医薬品の中で、RSウイルス(呼吸器多核体ウイルス)のFタンパク質に対す
る抗体Palivizumabは比較的古く1998年に承認された医薬品である。RSウイルスは乳幼児に重症の
肺炎気管支炎を起こすウイルスで、通常は感染しても数週間で回復するが、先天的に呼吸器に疾患
を持つ乳幼児が感染すると重症化しやすい。そのため、感染抑制のため予防的に投与される。2012
年に炭疸菌の毒素に対する抗体RaxibacumabがFDAに承認された。バイオテロ対策という特殊な
事情から、臨床試験を実施せずに非臨床試験のみで承認された抗体医薬として話題になった。

現在、臨床試験が実施されている抗体医薬品の数が、2012年末時点で約400種類が報告されている
が、
多くの開発品が同一抗原に集中しており、抗原ごとに開発品目を整理すると約150種類の抗体
医薬品
は20種類の抗原に集中している。このように熾烈な開発競争が行われている状況下で価値の
高い抗
体医薬品を創出して医療の発展に貢献するためには、有用な抗体創製技術を継続的に開発す
る必要
があり、抗体の改良技術は可変領域の改良と定常領域の改良に分類することができる。可変
領域は
主に抗原に対する結合特性に関与しているが、薬物動態や物理化学的性質にも影響を与える
ことか
ら、可変領域を改変し性質を向上させることができる。定常領域は主にエフェクター機能
薬物動態に関与し、様々なFc受容体に対する結合特性を制御す
ることで、これらの性質を改良する
ことが可能である。なお、抗体医薬の改良ポイントは、①薬効増強・
副作用低減、②利便性の向上
③コスト低減の3つに大別できる

さらに、①薬効増強・副作用低減として、(1)抗原体の結合親和性の制御(2)バイスペシフィ
ック抗体(3)エフェクター機能誘導活性の制御などからのアプローチが、また、②利便性の向上
のために、
抗体医薬の低用量化や投与頻度の低減は、静脈内投与を皮下投与に切り替えることがで
き、また通院回
数を減らすことにつながるため利便性の向上に寄与し、抗体医薬の投与量や投与頻
度は、抗原と抗体の体
内動態により決定される。③コスト低減として  

コスト低減の観点では、バイオ後続品(バイオシミラーとも呼ばれる)があり、
先行バイオ医薬品の
特許が満了し、異なる製造販売業者により開発される同等のバイオ医薬品と定
義されるがバイオ後
続品は、低分子医薬品の後発品(ジェネリック医薬品とも呼ばれる)と異なり、科学的
に「同一」では
ないことから、異なる開発プロセスや要件が必要とされ、新薬開発と同様のフル
パッケージの申請
データにより承認申請を行い、先行バイオ医薬品との比較から得られたデータに基づき、
先行バイ
オ医薬品と同等/同質の品質、安全性、有効性を有する医薬品として開発できるが、
フルパッケー
の申請データが必要であることや、製造に関しての投資が高額となり低分子医薬品の場合のように
はに行かない

 
        
この領域における技術革新は日進月歩で、一般的なIgG分子に関する改良技術は成熟しつつある。た
だ、
技術がますます成熟し普遍化すると、技術による差別化ができず、近い将来に開発される抗体
医薬品は、フォロワーの余地を残さない完成度の高いものがいきなり市場に投入されると考えられ
るが、完成度の高いもの、抗体分子の特性を熟知し、常に最先端の技術とノウハウを確保し、独自の
技術を磨く必要がある。抗体分子の複雑さや生体機能の複雑さから一朝一タに獲得できるものでは
ない。成功の最大の鍵は、良い標的抗原の選択と、それに対する抗体にどのような機能を付与する
か、それらの組み合わせる独自アイデアが前提になる。標的抗原と病態との関連を深く知る医学・
薬学の、抗体分子の限界と可能性を熟知した抗体創薬の研究者の密接な連携の重要性が指定されて
いる。

慌ただしく、新しい情報に食らいつく習性は個性といえばそうなんだろうが、専門用語が続出する
医療・薬学用語は、経験からすると役立つ確率が低いが、その後役に立ったことがあった(微量成
分自動測定器や廃液の生物処理装置などの開発)。そんなことを考えながら、“進化は自然な生き
る証”なんだと自嘲気味に腑に落すと同時に「オールバイオマスシステム構想」(エネルギー環境)
が浮かんできた。これは早くまとめなくちゃと...。


   

 

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直接形グルコース燃料電池

2013年03月18日 | 新弥生時代

 





 

【環境問題を解決する甘いお話】

先日のブログで(『インドにクリスマスローズ』)で紹介した、北海道大学と昭和電工のバイオマ
スを高効率で分解する新しい触媒を開発したニュースを特許研究でまとめたものの、直接形グルコ
ース燃料電池の考察を忘れていたことを思いだし研究開発の現状を確認してみた。バイオ燃料電池
でいえばソニーが玩具レベルでデモアナウンスができるところまできている(「特開2012-178335
燃料電池、燃料電池の製造方法、電子機器、ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド固定化電極、
ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド固定化担体、酵素反応利用装置、タンパク質固定化電極お
よびタンパク質固定化担体」下図上をクリック)。
当時、京都大学の池田篤治教授の「バイオ電池
」の技術セミナを受講しバイオ電池の技術開発の現状を知る。当時珍しい、血糖値測定用バイオセ
ンサの商品化を手がけていた(もっとも、光の吸収などをとらえる非接触測定方式が有利だが、コ
スト高と精度が問題)。10数年前から比べ相当の進展しているようだが、「基礎研究が大切だよ」
との言葉が印象的に残っている。わたし?リアリストのもうひとりのわたしは事業開発には選ばな
かったが。
 

ところで、直接形グルコース燃料電池の原理は、水素やアルコールのような燃料を酸化させ、その反応から
得られるエネルギーを熱としてではなく電気として取り出す。燃料として、メタノールではなくグ
ルコースを用
いて、白金を電極をつかい(燃料極)、他方、空気中の酸素を取り入れる側の電極(空気極)
として活性炭などカーボン電極用いる。アルカリ溶液にこれらを浸けると、次のような反応が起こる。

負極(白  金):  グルコース R-CHO + 2OH → グルコン酸 R-COOH + H2O + 2e
正極(活性炭) :  1/2 O + HO + 2e → 2OH

電極間はテフロン繊維などの隔膜を使用し、グルコースなどの分子は通しにくいが、プロトンH
(つまり水素の原子核)は通り抜け移動し発電するというわけだ。

 

Single Compartment Micro Direct Glucose Fuel Cell

 

 

つまり、北海道大学、産業技術総合研究所らの研究成果を踏まえ、バイオマスをチップと活性炭を
混合粉砕→高温弱酸性水で撹拌混合→生成グルコース水を電解液に分離精製→直接形グルコース燃
料電
池に供給→発電変換(※排出副生成物:グルコノラクトンの再資源化工程へ)。またキシロー
ルはエタノール、生分解プラスチック、キシリトールに再資源化工程へ)。これで一次産業の高度
化・高級化と持続可能な生活空間の深耕・波及への道が切り開かれるというわけだが、グルコース
の水溶解度は、91 g/100 ml (25 °C)と相当大きいが、やはり発電プロセス中に析出しこれが障害
になるのでこの問題を解決しておかなければならない。

※ここでの新規考案は、バイオマス由来のグルコースを燃料電池の原料液として使い、副生成物の
 再資源化を含んだ包括的なバイオエネルギーシステムが1つ。燃料電池の電極構造と分解触媒の
 カーボンの特定(効率・起電力・耐久性・コスト)が2つ。さらに、グルコースだけでなく、直
 接形グルコース・キシロール複合燃料電池か直接キシロール燃料電池の4つが想定できる(それ
 以外に付随する新規考案は含まず)。
 


特開2010-113825 グルコース燃料電池およびポータブル装置 





さて、今夜はこのぐらいで切り上げよう。おっと、世の中は広いもので、コンタクトレンズ形太陽光発電やバイ
オ発電を考え、そのエネルギーを利用しようと考えるひとたちもいる。エクスキポライズではなく、インサート
ということを。


 

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春祭りに清酒を科学する

2013年03月17日 | 省エネ実践記

 

 



いつものようにクルマを走らせていると、妙なところで渋滞している。いつもは渋滞しない時間帯でなの
だが、いぶ
かしがっていたが理由がわかった。春祭りで御輿のお渡りだ。季節はもう春。これから五月に
かけ各集落や町内で
春祭り続く。そういえば、土器(かわらけ)に清酒を注ぎ当たりめを御輿休めの間頂く。
これはすごく美味い。飲み過
ぎて足を取られ道を外れそうになることもしばしだ。それほどシンプルな組み
合わせで美味いのだ。ところで、清酒
の旨味とは?あたりめとの相性はが良いのはなぜか?そんなことを考
えていると、『清酒のおいしさと酔いに影響
を与える成分』(伊豆英恵、バイオサイエンスとインダストリ
ー vol.71 No.2(2013))が目にとまった。
清酒醸造では米を原料として麹菌と酵母によって多種多様な物
質が産生され、これらが清酒を特徴付ける香味を形成し、
清酒成分とおいしさ、清酒成分と酔いとの関係で
あきらかになったことが紹介されていた。



ここですこし長くなるが引用する。食品のおいしさは口に含んだ時の味覚と嗅覚と触覚等で判断される口の
中で感じるおいしさが重要な一方、
体調や良べたあとの体の状態が密接に結び付いた生理的おいしさも大切
だという。例えば、必須アミノ酸欠乏食を
摂取させたラットにアミノ酸完全食と欠乏食を提示すると、完全
食を選択する。このような生理的欲求に
基づく本能的嗜好は、動物とヒトにある程度、共通で重要な要素で
ある。動物は本能的で生理的嗜好によ
り忠実なため、ラットやマウスで清酒の生理的嗜好の検討を試みる。
エタノールが酒類飲用で酔いの一番の要因だが、エタノール以外の酒類成分が酔いへ影響を与えている。同
じ清酒でも、成分的特徴が異なる純米酒、吟醸酒、普通酒、にごり酒等で
飲用後の酪酎状態が異なり、ウイ
スキーやビールの香気成分は抑制性神経受容体GABAA受容体応答を活性化し、緊張を解きほぐしてリラックス
(抗不安)をも
たらすと考えられている。また、ウイスキーの熟成過程で増加する成分は、エタノール代謝
抑制と酪酎の増
強帽こ関わる。酔いの良い一面として抗不安作用があると

     
1.清酒のおいしさと清酒成分  

(1)動物を用いた清酒の生理的嗜好の検討

ラットやマウスに2種類の清酒(純米酒)を回時に提示し、摂取量でどちらの対象物を好むかを二瓶選択実験
で調べたっなお、飲酒時の摂食状況は嗜好性や代謝に影響を与えるため、まずは空腹下で検討。
二瓶選択実
験の結果、銘柄により摂取量が異なり、純米酒間の嗜好差が観察され、好まれた清酒とそう
でない清酒にど
のような違いがあり、動物は何を基準に清酒を選択したかを分析する。アルコール摂取は体
に大きな生理的
変化を与えるが、アルコール摂取時、NAD+を補酵素としてアルコール脱水素酵素(ADH)とアル
デヒド脱水素
酵素が肝臓でエタノールを酢酸に代謝し、NADHが過剰になる。NADH過剰によってTCA回
路が阻害されるととも
に、糖新生の原料であるピルビン酸を乳酸に還元してNADHを消費することで糖新生が
阻害されて血糖値が低
下し、このほか、脂肪酸酸化が抑制されて遊離脂肪酸が増加。また、アルコール
代謝で生じた酢酸が原料と
なりケトン体が合成される。これらの代謝に関わる指標は生体の代謝が同化あ
るいは異化状態のどちらに傾
いているかを示す。アルコール摂取によるこれらの血糖値低下、遊離脂肪酸や
ケトン体上昇はいわば飢餓状
態の特徴であり、動物にとって必ずしも好ましくない生理状態であることを表
す。清酒の嗜好差と各清酒摂
取後の体の生理的変化の関係は、それぞれの清酒をマウスの胃内に
定量投与してケトン体や遊離脂肪酸濃度、
グルカゴン インシュリン(G/I)比といった糖や脂肪酸代謝に
関わる指標について調べたっその結果、清
酒摂取後のこれらの指標の上昇が小さい清酒を動物が好んで飲ん
だことがわかった(上図左)。このことは、
体の生理的側面が清酒の嗜好へ関与することを示唆し、動物は好ま
しくない生理状態に傾きにくく、生体恒
常性を保ちやすい清酒を「生理的においしい清酒」として選択的に
摂取したと推測する。



そこで、生理的嗜好に影響を与える清酒成分を見いだすため、二瓶選択実験で使用した5点の純米酒を用い
てグル
コース、アミノ酸、有機酸、香気成分等の成分量を測定し、生理的嗜好性との相関を調べた。この結
果、アミノ酸18種に正相関が見られ、特に必須アミノ酸6種(イソロイシン、ロイシン、フェニルアラニン
リジン、ヒスチジン、バリン)で強い正相関があり、全体的にアミノ酸の多い清酒で生理的嗜好性が高い傾
があり、ダルコースにも強い正相関が見られ、調べた香気成分4種のうち、酢酸イソアミルと酢酸エチル
が負相関を示し、香気成
分の多い清酒で生理的嗜好性が低いことがわかる。さらに、二瓶選択実験で使用し
た3点の純米酒を用
い、キャピラリー電気泳動時間飛行型質量分析によるメタボローム解析を行って、嗜好
性の異なる純米酒間
で合量に違いがある成分を検討した。この結果、合計171ピーク(カチオン103、アニオ
ン68)に候補化合
物が付与された 各純米酒中のアミノ酸類の含有量を各ピークの相対面積値で比較すると
グルタミン、シト
ルリン、β-Alaが低嗜好性清酒に多く含まれていた。ほかに払各純米酒中の有機酸および
脂肪酸含有量を比較するとオクタン酸、ピルビン酸、ヘキサン酸、クエン酸
などが低嗜好性清酒に多く含ま
れ、全体的に低嗜好性清酒に有機酸や脂肪酸が多く含まれる傾向にあるという。

生理的嗜好性への関与が推測された前述成分を清酒に添加し、マウスニ瓶選択実験で嗜好変化を調べた結果、
グルコース、リジン、ヒスチジンの嗜好性上昇、
オクタン酸、グルタミン、ピルビン酸、酢酸イソアミルの
嗜好性低下への関与が明らかになった。今回は空
版下での実験であり、低血糖状態によってグルコース要求
量、必須アミノ酸であるリジン、ヒスチジン要求
量が特に高まったと予想された。しかし、必須アミノ酸の
うち、なぜリジン、ヒスチジンかは不明である。
引き続き、リジン、ヒスチジンについて、これらの単独添
加による嗜好性向上効果の普遍性を確認するため、
他の清酒で添加試験を行ったが、影響がない清酒がある
ことがわかった。影響がなかった清酒は、嗜好性低
下に関与するグルタミン、ピルビン酸、酢酸イソアミル
を多く含む特徴
があり、そのためにリジン、ヒ
スチジンの効果がなかったのではないかと予想された。この
ように嗜好性を上昇させる成分と低下させる成分の
含量のバランスも重要と考えられ、嗜好変化を単一成分
ですべて説明することは非常に難しいという。
今回、清酒と生理的嗜好というこれまでに未検討の課題を扱
ったので、始めに用いた生理指標は飲酒後10分
の糖や脂肪酸代謝に関わるいくつかに限定。今後、清酒飲用
の生理的嗜好に関係が強い生理指標を選抜し、
飲酒後の時間経過との関連を調べれば、改めて強力な成分候
補が選定できるという。

(2)ヒトにおける清酒の生理的嗜好性

れでは、ヒトの清酒選択において生理的嗜好性はどれだけの意味があるのだろうか。前述の実験で用いた純
米酒を用い、ヒトの清酒に対する嗜好を、□の中
で感じるおいしさは咽下を伴わないきき酒試験、生理的お
いしさは実際に清酒を摂取する1時間の飲酒試験
で評価した。被験者は、清酒の官能評価経験を有し、飲酒
歴が長い清酒経験者群と清酒の飲消耗験が浅い清
酒初心者群とした,この結果、経験者と初心者では清酒の
嗜好傾向が明らかに違い、清酒に対する「経験値」
は清酒の好に影響する要因の1つと示唆された試験で清酒
経験者群は、きき酒および飲酒試験でほ
ぼ同じ清酒を選択した。経験者群は清酒の味に対する感覚や認識お
よび評価体系が確立されて嗜好が固定さ
れているためと推察され、経験者の飲酒試験は必ずしも生理的嗜好
を反映した結果でないと考えられた。一方、初心者群ではきき酒および飲酒試験で選択した清酒が異な
り、
さらに飲酒試験の前半と後半時間帯で選択される清酒が変化していた,すなわち、初心者では□の中で
感じ
るおいしさで評価された清酒が必ずしも飲酒時に選択されるわけではないと示され、初心者では固定
された
嗜好や清酒に関する知識や情報がなく、自分の基準で好ましいもの、飲酒時のコンディションで欲する
ものを
そのまま選択した結果だとする。
ヒトは大脳皮質前頭連今野が発達しており、学習や経験、記憶といった様
々な情報を含めておいしさを判
断する。そのため、生理的嗜好は非常に重要であるが、ヒトの嗜好性に占め
る部分が必ずしも大きくない。し
かしながら、興味深いことに初心者群の飲酒実験後半(飲酒開始後30~60
分)で、動物と類似した清酒
の嗜好が観察された。経験者群でこの傾向がないため、限定的だがヒトと動物
間で生理的
嗜好の側面から見た清酒の嗜好が類似したことは非常に興味深い。

2.清酒の酔いと清酒成分

(1)普通酒の抗不安作用

非常に興味深い非常に興味深いマウスで高架式十字迷路試験を行い、エタノールと普通酒飲用による抗不安
作用を比較した。高架式十字
迷路試験は、げっ歯類が高い位置にある開放された場所を嫌う習性を利用し、
不安水準を測定し、抗不安
薬等のスクリーニングに用いられ、酔いの評価系としても一般的であるっ高架式
十字迷路は側壁に囲まれた
クローズアームと側壁がなく開放されたオープンアームからなり、抗不安作用が
増すとマウスのオープン
アームヘの進入回数と滞在時間が増加する。エタノール(15%)を経「1投与(エ
タノール換算1.2 g/kg体重)
しか場合、水を投与した対照群より、オープンアーム進入回数と滞在時間が有
意に増加し、エタノール摂
取による抗不安作用が想定された。また、普通酒(アルコール度15帽を同条件で
経口投与するとオープン
アーム進入回数と滞在時間がエタノール群に比べ、有意でないがより増加し、普通
酒のオープンアーム滞在
延長作用がエタノールよりも強い傾向にあり、このことは普通酒に含まれるエタノ
ール以外の成
分が抗不安作用上昇に寄与。エタノールがGABAA受容体の応答を強め、抗不安作用をもつている
が、
清酒分画物を用いた実験から、エタノールやGABA以外の清酒成分がGABAA受容体の応答を強めることを明
らかし、以上から、清酒が抗不
安作用促進成分を含むのとされる。

(2)吟醸酒の抗不安作用

吟醸酒は吟醸香と呼ばれる果実様の芳香を持つ。吟醸香の主成分はリンゴ様のカプロン酸エチル(吟醸酒7.1
mg/l、普通酒0.4 mg/l 程度)とバナナ様の酢酸イソアミル(吟醸酒1.9 mg/l、普通酒1.5 mg/l程
度)で
ある。高架式十字迷路試験で吟醸酒は普通酒よりも抗不安作用が有意に強いことがわかった(上図2
)。吟
醸酒に含まれる程度のカプロン酸エチル(10 mg/lと酢酸イソアミル(2 mg/lを普通酒に添加して
試験した
結果、カプロン酸エチルおよび酢酸イソアミルのいずれもがオープンアーム進入回数を増加させた
(上図右)。
この2成分によるGABAA受容体応答完進が報告されており、吟醸香成分がGABAA受容体を介し、抗不安作用を
もたらしたと推測する。



抗不安作用を吟醸酒飲用時、吟醸香による抗不安作用が確認されたが、その効果はどのようにして発揮された
のだろうか。
森林浴やアロマテラピーのリラックス効果について、芳香物質のGABAA受容体を通した作用モデル
が悦楽さ
れているハヘ芳香物質を嗅ぐと嗅覚系を刺激するだけでなく、位腔から直接的に脳、肺、皮膚、胃や
小腸か
ら血液に取り込まれる 芳香物質の多くは脂溶性物質で血液一脳関門を容易に通過して脳に運ばれ、GA
BAA
受容体応答を完進して安らぎをもたらす可能性がある。今回の経「1投与試験では、吟醸酒に含まれる香気
分は胃や小腸から血液に取り込まれて作用した可能性がある。実際の飲酒時には□から摂取した効果に加え、
嗅覚系の剌激による効果も期待される。

(3)吟醸香成分のエタノール代謝への影響

フーゼル油は酒類に独特の香りを与える一方、毒性が高く、ADH活性に影響を与え、悪酔いの一因とされる。
これまでにプロパノール、ブタノール、イソア
ミルアルコールなどがエタノールとADHの反応を拮抗阻害する
ことを示し、フーゼル油は広義には
メタノールやエステル類等を含む酒類中の揮発性物質の総称とされ、カプ
ロン酸エチルおよび酢酸イソアミルも広義ではフーゼル泊ととらえられる。カプロン酸エチル(10~1000mg/l
と酢酸イソアミル(2~200 mg/l のADH活性への影響を調べたが、両方とも影響がなく、清酒に含まれる範囲で
これらがADH活性を阻害することはないとする。清酒のおいしさを考える上で清酒経験や生理的嗜好を考慮する
必要があることが示された。近年、お酒を飲まない層の増加が言われているが、こういった初心者と経験者の
違いへの配慮も一手であり、清酒成分に抗不安作用があり、特に吟醸香成分が抗不安作用を促進する。吟醸酒
に含まれる濃度で行っており、実際の飲酒で十分な効果が期待され、実験で示すまでもなく、その効果を経験
したひとは多いのではないかと指摘する。


3.清酒とスルメの相性

 

 

同じく、清酒とあたりめの相性の良さについては、独立行政法人酒類総合研究所の藤田晃子の実験によって問題提起さ
れている。それによると、一般的な酒のおつまみである“するめ”を噛みながら清酒または白ワインを口に含むと、生臭み
や苦味・えぐ味等の不快香味は、清酒よりも白ワインにおいて強く感じられる(上図)。 魚介類の生臭さの原因のひとつ
に、ドコサヘキサエン酸(DHA)などの多価不飽和脂肪酸か劣化して生じるカルボニル化合物かあるといわれている。
“するめ”にはこの多価不飽和脂肪酸か豊富に含まれ、白ワインとの組み合わせで多価不飽和脂肪酸か酸化するなど
してカルボニル化合物が生じ、生臭みや苦味か生じたのではないかとして検証実験を行った。ここでは不快香
味を評価する指標に、生臭みはアルデヒド類の濃度を、苦味は味覚センサーの苦味強度を用いている。 先ほど
の仮説がワインに含まれる亜硫酸によって起こりうることがわかったという。現在、その機構の詳細を亜硫酸か
少ないワインや無添加のワイン、多価不飽和脂肪酸が少ないタラやエビ、カニなど、この現象に気を忖けて組

合わせると、ワインとシーフードのマリアージュ(結婚)か一層楽しめ、お酒の「料理との相性」に対する消費
者の関心は高いとする。この事例では、多種多様なお酒と食品における相性の一例だが、酒と食品の相性などの
食文化にも寄与したいとのことだ。

今夜は清酒成分について考察してみた。成分的には極微量だが、この成分が清酒の甘さに深みやこくを与える
には欠かせない。半導体でいうドーパントに対応するのだが、150種の成分というから有機化学や生態学の世界
は複雑系だ。その複雑系は脳科学とも深く関わっており、味センサーも半導体の概念に含まれるだろう。かくし
て過剰はだめだが、微量領域は飛躍を生み出すようだ

※組織にも、つまりピーター・ドラッガーばりの社会環境学的にこのことが当てはまる。異質なドーパント、
 強烈な個性を持った個人を許容内包することで組織が活性化し目的を達成できるのではないかと。
  

 

 

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インドにクリスマスローズ

2013年03月16日 | 地球温暖化

 

 


昨夜も遅く作業をしていたので、今朝は出来るだけ休んでおこうと思いつつも、いざ起きてみると
朝食が欲しくなり、ご飯と味噌汁、スクラブルエッグ、いちごを食べ、メールのチェックからホーム
ページの書き換え、北海道大学と昭和電工のバイオマスを高効率で分解する新しい触媒を開発したと
いうニュースの確認作業と量子ドット型光電変換素子の製造方法の調査作業を開始する。

さて、サトウキビの搾りかす(=バガス)とアルカリ処理した活性炭を混合粉砕(ミキシング・ミリ
ング)し→弱酸性の水中で活性炭でパガスを分解→糖に変換するのだが、白金やルテニウムなど貴金
属・希少元素などを使わず、ありふれた活性炭を使ってグルコースを効率よく生成できるということ
で俄然、実用化への道が広がると期待されるから-調べておく必要がどうしても、無理を押してでも
情報を確認する必要があった。



バガスの主成分は,グルコースが多数繋かっててきたセルロースという物質と.キシロースが同様に
つなかったキシランという物質。活性炭でパガスを分解することにより.セルロースのうち80%グル
コースとして.キシランのうち90%以上をキシロースとして取り出すことに成功。また,活性炭の表
面に存在するカルボキシル基やフェノール基がお互いに助け合ってパガスを分解していることか分か
った。この触媒は耐久性も備えているという。グルコースはバイオエタノールなどの燃料やポリ乳酸
などの生分解性プラステックの原料として有用で、キシロースはそれらの用途に加え,虫歯予防効果
のあるキシリトールに容易に変換できる。活性炭という身近にある安価な材料を使ってバイオマスか
らこれらの化合物を効率的に合成できるだろう。さらに、活性炭が触媒の機能解明が進んだことで、
新しい触媒反応への応用展開か可能となる。感想としては(1)カーボンナノチューブなどの炭素系
触媒機能や新しい電解・分極素材の研究開発に弾みがつき(2)グルコースは燃料電池の原料となり
再生可能なエネルギーの
大化けする(→オールソーラシステム事業へ組み込む)(3)そして、生分
解性プラステックの原料
になる。

※燃料電池事業は、一酸化炭素による触媒毒対策という課題が残件しているが、これも研究を手がけ
 たこともあり、時間の問題のような感触を持っている。



また、量子ドットの方は、量産のプロセスと量産装置の設計の調査段階に入っているのだが、今日
処は新たな新規考案1件の内容確認にとどまる。そうこうしていると彼女が水ガ浜に出かけないとい
うので、増設中のベルタワー(鐘楼)を確認したいから行こうと返事し、マスクを着用しでかけたが
黄砂や花粉の影響で風はないが霞んでいる。それでも白梅が満開で(紅梅はそれほどみかけなかった
)気分はなごむ。到着し、早速ひもを引きベルを鳴らしてみた。どう表現したらいいのかわからない
が、軽やかで良い響きがしたが、強風で傘型の屋根が吹き飛ばされないように傘のうち側に三点をワ
イヤを土台の部分の大きな石で吊し固定した柔構造仕上げとなっている。これは多分専門家の構造設
計が入っていると勝手に思っている(オーナーが単独で設計したとは思えないという意味)。クリス
マスローズが見事に先咲き綻んでいるのでデジカメすることに。このとき花はすべて直射を避けるよ
うに下向きだ。なので、ファインダーを覗くことなく撮影(文頭の掲載写真参考、バックには鐘楼の
屋根傘部分が映っている)。例により特製のドライカレーとオレンジジュースを注文する。

 



  

帰宅してから、すぐさま残件作業にはいる。ネットでは、気象庁が15日、21世紀末(2076年~95年)
の日本の年平均気温が、20世紀末より約3℃上昇するとの
予測を発表。地球温暖化の原因とされる空
気中の二酸化炭素濃度が、21世紀末に現在の1.8倍になると
する国連機関の予測を基に同庁が計算。
最高気温が35℃以上となる猛暑日は、北日本で年間2日ほど、
東日本と西日本では10日ほど増え、沖
縄・奄美地方でおよそ15日増える。各地で雨の降らない日が5
~10日間増え、年間の降雪量は全国的
に減る傾向で、特に東日本の日本海側では平均150センチ減少す
るというニュースが掲載。平均温度が
上昇することは了解できそうだが、その影響は想像の域を超えるかも知れない。いや、偏西風の蛇行
が大きくなる影響や海洋からの炭酸ガス放出などいまのうちにデジタル予測しておかなければ、甚大
な被害を被ることになる。そう思っている。
 

ところで、世界のメガソーラマップでインドが一番、太陽光発電が向いていることを遅巻きながらも
知る。そのことの関連でいえば、経済成長が一番大きくなる。そして、まもなく人口は世界一の国に
なるほど人口が密集した上に、年間約300日が快晴というインドの理論的な太陽光発電予想量は年間
5千ペタワットアワー/年(ペタは千兆)とされる。これは毎日の平均太陽入射エネルギーが、イ
ンド
の総エネルギー消費量よりもはるかに多い。年間約1500年から2000年の日照時間(場所によって
)で4
~7kWh/m2。例えば、PVモジュールの効率を10%と低く見積もったものでも、2015年の国内の
電力需要よりも千倍も大きい数値だというから驚く。そして、21世紀はインドの時代かも知れない
という思いが頭を過ぎった。それにしても、ものすごいエネルギー量だ。中近東に大量の石油が存在
するはずだと妙に納得したが、インド大陸は大陸移動で遅れてユーラシアと接合したわけだから石油
は0.42%と(約56億2500万バレル)と少ない。



と、なんだかんだと言いつつも、ここまで休むことがなかったのだから不思議なものだ。昨夜は、両
目にに☆が飛ぶ中打ち込んでいたが、今夜はこの辺で切り上げよう。

 

 

 

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タブーと経路依存性

2013年03月15日 | 時事書評

 

   これって、面白いけれど、いらないなぁ~~?!

 

  

 

【新たな飛躍に向けて-新自由主義からデジタル・ケイジアンへの道】

1.タブーと経路依存性
2.複雑系と経路依存性
3.複雑系と計量経済学
4.ケインズ経済学の現在化
5.新自由主義からデジタル・ケイジアン

【経路依存性】

技術進歩と経済学のアプローチ

ここでは、二つめの経路依存性についてだけ記載する。
それは、前述のの言葉のもつ歴史的経済的な意味合いについてだが、連想する言葉として浮かぶのは、
忌避、停滞、迷信、呪縛、疎外、保守、保身、逃避、閉鎖などであり、という言葉を身近な仕事、労働、
生活という側面から見つけ出すと、安定、定型、固定、制度、循環、無謬、平穏、無事、伝統、文化、
歴史、帰還、制御、堅牢などだ。経済学的用語としては、すでに記載した通りに、歴史的な経路により
現在が制約を受け、将来もその影響を受けることで、ホンダやソニーがイノべーティブな価値を追求す
る、あるいはトヨタがコスト効率を重視する、という大企業の社風イメージなども経路依存性に含まれ
る。このように組織文化はそう簡単には変わらず、組織の中に、長い歳月をかけて行動や思考を規定す
る有形無形の仕掛けが相互補完的に機能していることを意味する。多くの組織が手掛ける新規事業や新
規ビジョン・制度の制定などの新しい試みも影響を受ける。例えば、戦後の米国占領軍であるGHQが、
それまでの日本の政治経済のシステムを廃棄・見直し、財閥の解体、持株会社の禁止、農地解放など遂
行したものの、法的なシステムを変えても、広い意味での制度にはそれまでの経路依存性が温存する(
憲法大幅改訂したが、刑法・民法などの諸法律の部分に戦前・戦中ののまま残された)。それは国家官
僚システム(中央集権と翼賛型の行政)や文化として温存・継続を果たす。ヤミ残業、カラ出張、職務
特殊手当の乱発としての所謂、"役人天国"が自己増殖し、社会・経済の停滞とタブーの温床となってき
たことは周知の通りであり、何らかのパラダイムシフトを必要とする状況下にあるだが、経路依存性は
必ずしも否定的な側面から評価されるものではなく、肯定的側面の両面をもつものでもあり、開発学(
国際開発論)での経済史や社会史、地域史などの観点から歴史的アプローチ(歴史的経路依存性)から
学ぶことも重要な戦略とされる。

こういった中で、例えば、"失われた20年(Lost Score)"というわれる状況-格差拡大に歯止めが効か
ず多くの勤労国民が生活苦や精神的な息苦しさを感じている現状を変革していくための行動要綱として、
前述した「自分のたずさわっている領域で感じていることをできるだけ広げようとすること、それも実

感から離れないで広げていくことです」との吉本の言葉を咀嚼し、ミクロな場(職域・家庭・地域)で、
マクロな場(社会的な直接行動)での社会的アプローチで実践することが、かけ声だけに終わらせない
アプローチだということを、勿論、社会的アプローチだけでなく、歴史的、経済学的、科学技術的アプ
ローチも含め、ここで再確認しておこう。


【エコノミック・レジリエンスの事例研究】

藤井聡久米功一松永明中野剛志らの『経済の強靭性(Economic Resilience)に関する研究の展
望』で。世界的な経済危機や未曾有の大震災によって、様々な分野で脆弱性が露呈する中で、外的ショ
ックを回避、被害を最小化し、迅速に回復できる社会経済基盤の構築が強く望まれている。この危機時
の耐性と急回復する力を「レジリエンス(Resilience)」に関する研究を広く概観した上で、経済分野
におけるレジリエンス研究の今後の方向性を示すことを目的として、心理学、防災工学、経済学(開発
経済、地域経済、マクロ経済、産業連関分析)におけるレジリエンスの定義や尺度、いくつかの実証分
析を取り上げ、経済・産業政策への応用、産業界の取り組みを紹介した後、2008 年秋の経済危機後のマ
クロ経済のレジリエンスに関する試論を、最後に、レジリエンス研究の意義を、他分野のレジリエンス
概念を経済分野に取り入れた場合のレジリエンス研究の可能性を提示しており、計量経済学-複雑系経
済学-進化経済学の領域においても-自分のたずさわっている領域で感じていることをできるだけ広げ
ようとすること-の実践がなされている。つまり、Bristow (2010)が、競争力(competitiveness)とレ
ジリエンスの関係について、文化的政治経済アプローチ(cultural political economy)で論じている
ことを紹介し、レジリエンスの概念は、地域開発で極めて重要であるが、競争力を重視する立場から消
極的に評価されてきた。レジリエンスとは、社会的に包摂され、環境の許容範囲で活動し、グローバル
な経済にも対応しうる地域の能力のことである。Clark, Huang and Walsh (2009)は、イノベーション
と地域レジリエンスの関係を分析した結果、大企業による支配は高いイノベーション率をもたらすとし
ても、地域レジリエンスを損ねるおそれがあり、小さな企業のイノベーションを支援することはエコロ
ジカルな面でよりレジリエントであると論じていること、レジリエンスは、持続可能性、地域化(loca-
lization)、多様化に由来する概念であること、地域政策において大事なことは、場所(Place)であり
良くも悪くも経路依存性を持っているが(Bristow (2010))、ゆえにレジリエンスのために競争は大事
であるが、場所なき競争(globally mobile)はレジリエンスを脅かす。Hudson (2010)は、近年の新自
由主義的な地域開発はレジリエンスを侵食して、脆弱な地域を創出してしまったと論じていると、注目
値する指摘を行っている。 また、一人当たりGDP を「脆弱性」及び「レジリエンス」に回帰させ、
下の数式が成立し、図7の関係を確かめていることにも注目した。

 

※ 2008年の経済危機の分析におけるレジリエンスの応用

【レジリエンス要因】

経済開放度:(1)輸出入対GDP 比、(2)輸出額変化(97→07)
戦略物資の輸入依存度:(3)燃料純輸出対GDP 比、(4)食料純輸出対GDP 比、(5)エネルギー自給率
工業製品の輸出依存度:(6)製品純輸出対GDP 比
マクロ経済の安定性:(7)物価上昇率(97→07)、(8)GDP デフレーター、(9)政府支出対GDP 比、
社会発展性:(10)人間開発指数:HDI、(11)対人信頼度TRUST、(12)市民の規範の度合CIVIC、
(13)公的固定資本形成対GDP 比、(14)金融深化、(15)実質GDP の変化率(97→07)

 

 

あくまでも、経済学の研究領域からの外延の成果として高く評価しえても結果がすべてという、実社会
の側面からの評価との整合性が前提になる(被験者の実感との合致などのフィードバックの不可欠性)。

※ サブプライム問題、リーマンショックを内省する時、用いられたデジタル金融工学が吉本隆明の言
  う「権力へ転化する過程」に対する見識の有無がその好例となるだろう。

   

【複雑系と経路依存性】

複雑系経済学の歴史

市場経済の進歩・発展を駆動するものが競争にあることは、ほとんどすべての経済学者が一致して認め
るが、市
場経済における競争がいかなる場所でいかなる具合になされるかについて、新古典派と複雑系
経済学とでは、
大きな見解の隔たりがある。その原因は、新古典派経済学が「価格理論」とほぼ同じ範
疇に存在しているため、
競争に関する理論的な説明は、ほぼ価格競争として説明される。完全競争、純
粋競争といった概念が価格を軸としていため、これが競争の実態を大きくゆがめていると指摘されてい
るという。塩沢由典(『複雑系経済学の現在』)によれば、新古典派理論の競争概念をゆがめているの
は、需給均衡という考え方にあり、より正確には、価格を独立変数とする需要と供給とが定義され、そ
れらが一致する価格体系に市場が帰着するという一般均衡理論の枠組みが成立した古典派や新古典派の
初期にその根拠があるという。経済の調整変数として、ひとびとの目に見えていたもの(=信用)は価
格のみであったとし、数量的な調整は、部分的にできたとしても、その全体的な変動を推定することの
困難性があった。そこで目に見える調整過程として、価格による調整に焦点が絞られ上に、さらに、需
給均衡の枠組みが「企業は市場で自社製品を売りたいだけ売っている」(行動に関する最大化原理と状
況の選択原理としての均衡概念)という前提により現実から遊離する。この反省に立ち、「複雑な状況
の中での行動」を主題とし、均衡分析に代わる過程分析という枠組みで経済学のすべてを、複雑系経済
学は再構成し、均衡の枠組みには理論として組み込めないの状況(収穫逓増、定型行動、追随的調整、
経路依存など)を包括する。

 さらに、複雑系経済学は、基本的には時間の流れの中で諸変数の変化を追跡する分析であり、新古典派のよ
うに「売りたいだけ売っている」という前提は不要として退け、反対に近代的企業の生産の増大を制約している
主要な要因は、市場における需要の制約
にあると考え、ケインズ経
済学の根底に置かれるべき考えだったとす
る。つまり、
ケインズの一般理論は、限界理論の2公準を軸としているが、有効需要の原理とうまく整合
せず、第2公準を否定することから始まり、ケインズ経済学をミクロ的に基礎付ける試みが長くなされ
てきたが、企業が直面している状況をただしく定義できなかった。生産量と利潤を増大させようとする
企業の主要な制約が製品の売れ行きにあり、需給均衡という枠組みは、その定式においてこの状況を排
除する。したがって、マクロ経済学のミクロ的基礎付けには、基礎的なミクロ経済学の枠組みを変える
必要であり(また、新古典派理論に基づきマクロ経済学を再構成しようとしても、理論の構造として不
可能)、
ケインズ経済学は、しばしば、価格が固定的であるとの前提にたって説明され、価格調整がつ
ねに瞬
時になされる世界では有効需要の原理は意義をもたない製品価格を下げようと、原価をまかな
える範囲では、その値下げ幅は大きなものでなく、原価を割らない範囲でどんな価格を付けようと、企
業はほとんどつねに需要の制約に直面し、企業レベルで捉えられた有効需要の原理である。
生産容量の
変更をのぞけば、価格調節の間隔は一般に数量調節の間隔より長い。そのため、価格が固定的であるか
の印象を一部に与えているが、価格が変動する世界においても、有効需要の原理はつねに生きている。
有効需要の原理は、マクロ経済においてのみ出現するものであるかの説明もあるが、それは新古典派ミ
クロ経済学を前提としているからである。需給均衡の枠組みを離れてみれば、マクロの有効需要の原理
は、個別企業が直面している状況の統合された表現
でしかないとする

これに対し、ケインズ経済学、とりわけポスト・ケインジアンはどのような立ち位置にあるのだろうか。
例えば、サミュエルソンなどがリードした新古典派総合も加わるであろうし、実際かれ
らは自分たちを
ケインジアンと思っている。では何が真のポスト・ケインジアンと「バスタード
(まがいもの)」を区
別する点なのか?

まず、(1)経済の全体的な枠組みを完全雇用を前提に対し、ケインズとポスト・ケインジアンは、非
自発的失業は資本制経済ではふつうに起こりうるとし、経済の活動水準を決める要因は
将来が不確実な
下での企業の投資決意、投機筋の「強気」や「弱気」、企業の財務構成、中央銀
行の金融政策など、き
わめて多面的で有機的と考える。つぎに(2)教科書的な貨幣供給の外生
性と流動性選好理論を中心と
する貨幣需要の組合せに代わるものとして、金融動機を介在させた
景気と貨幣供給の内生性の関係が議
論され、企業の投資と財務構造の変化をヘッジ、スペキュレ
イティヴ、ポンチの三段階で説明し、景気
との関連を検討するケインズ的ミンスキー理論もある。
(3)ケインズ自身はレッセ・フェールが失業
を解決できない原因を主に貨幣的側面に見たが
分配や産業間の技術関係など、もっと実物的観点から社
会的・構造的問題に取り組んだスラッフ
ィアン、オリカーディアン-スラッフィアンの多部門生産理論
の特徴は線型の生産構造にある。
『一般理論』出版から70年以上経た今日、正統派からは無視された感
すらあったケインズは、
今回の金融恐慌で図らずも完全復活しているとされるが、複雑系経済学(ある
いは進化経済学)
と相互浸潤(なんともレーニンばりの表現だが、多分に現代的なデジタル物理学の反
映をもつて)
な状態下にあるかのようだが、経済システム特性として複雑系の前提を箇条書きすれば、
以下の
三つのシステムの時間変化・連結・構成個体の生存に関する条件が組み込まれつつあるとでも表
現できようか。

(1)時間特性 経済の状況は、ゆらぎのある定常過程としてある(ゆらぎ)。
(2)連結特性 経済の諸変数は、緩く連結されている(ゆるみ)。
(3)個体特性 経済の個体(主体)は、生存のゆとりを持っている(ゆとり)。

以上のようなことを踏まえ、経済過程がもつさまざまな特質を組み込み、経済学の諸問題に有益な示唆
を与えるような分析方法が求められているが、定型行動のレパートリーを
もち、ミクロ・マクロ・ルー
プの存在に矛盾しない分析ツールとしてエージェント・ベースのモ
デル分析が該当すると塩沢由典は紹
介しその理由を次のように挙げる。

                                       この項つづく

 




【隆明忌に寄せて】

明日で吉本隆明の一周忌を迎える。帰郷や東京出張には本屋に立ち寄り、吉本の本を買い求めたころを
懐かしく思い出している。いろんな思いは尽きないが、その偉業は伊藤仁斎と並び称される傑出した思
想家だろうと。今夜も経済学の作業をしながら引用の多さ、緻密さも大切だが、抽象能力は引用文献の
多寡を超えた処にあると、思想界のワールドシリーズに出場しては連覇して帰ってくるような巨人だと
思っている彼のファンのひとりだ。

                                           合掌
  

 

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