極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ダブルシートと薔薇と檸檬

2014年05月30日 | 日々草々

 

 




【今夜はシートを巡る2つの話】

三井化学株式会社が開発した有機EL用透明シール材「ストラクトボンド™XMF-T」が、曲面有機ELデ
ィスプレイに採用されと公表。それによると、既にLGエレクトロニクス社は、この曲面有機ELディ
スプレイ搭載のスマートフォン「G Flex」を、韓国、アメリカ、日本、欧州など世界市場で展開を
開始することによる。勿論、
有機ELディスプレイは、明るく高精細で色彩を豊かに表現できる上、
薄膜化、軽量化、さらには省電力の特性を持ち、今後更なる拡大が期待されるが、有機EL素子は、
湿気や酸素によって劣化しやすい性質のため、高い封止技術が必要とし、ディスプレイの大型化
やフレキシブル化に課題があった。
三井化学が開発した有機ELシール材「ストラクトボンド™XMF-T」
は、高い耐水性とバリア性、透明性を持ち、封止工程の加工性にも優れ、全く新しい有機EL封止材
料という。また、従来の封止構造(枠封止方式)を変えることができるため、割れにくく高い強度
のフレキシブルディスプレイの実現を可能にし、LGエレクトロニクス社のスマートフォン「G Flex」
が高い評価を得ている臨場感ある高精細ディスプレイや曲面デザインによるユーザビリティ、耐久
性に貢献できているという。つまり、緻密な加工には緻密な材料開発設計が欠かせないという実例
であり、グローバルな特異的事業開発の水平展開の1例でもある。

 

JP 2013-155336 A 2013.8.15

  



キャタラーは、活性炭を利用したシート状の脱臭材「ぺっ炭」を発売。独自の薬剤処理により、単
位面積当たりのにおい吸着性能は従来製品比約10倍に向上。3年後に年間売上高1億円を目指す
という。 同製品はウレタンスポンジのシートに微細な粉末の活性炭を固定した構造。活性炭には
事前に匂い吸着性能を向上する薬剤を付けた。同社の試験ではアンモニアの脱臭性能が従来の他社
製品と比べて10倍だったという。薬剤を変えることで溶剤やアルデヒドなど5種類に対応。シー
トの厚さは3~10ミリメートルを用意。裏面は粘着テープ付き。これは使い方の工夫で用途拡大
するだろう。



JP 2011-072603 A

尚、いずれも、ニースソースは日刊工業新聞(2014.05.30)。 

 

  

  


「急にこんなことを電話で申し上げるのは心苦しいのですが、渡会は先週の木曜日に亡くなり、今
週の
月曜日に身内だけで密葬がとりおこなわれました」。 突然の電話で僕は渡会の死を知ること
になり、スト-リーが急旋回する。渡会に何があったのか?はたまたここで話される第三の男とは
何者か?


  僕が六時五分前にそのカフェテリアに行ったとき、彼は既に席に着いており、近づいていく
 と素速く立ち上がった。電話での声の低さから、がっしりとした体格の男を想像していたのだ
 が、実物は背の高い痩せた男だった。渡会から間いていたとおり、顔立ちはなかなかハンサム
 だった。茶色のウールのスーツを着て、真っ白なボタンダウン・シャツに暗い芥子色のネクタ
 イをしめていた。隙のない着こなしだ。長めの髪もきれいに整えられている。前髪が気持ちよ
 さそうに額に落ちかかっている。年齢は三十代半ば、渡会からゲイだと間いていなければ、ご
 く普通の身だしなみの良い青年(彼はまだ青年の面影をしっかりと残していた)にしか見えな
 かった。髭も濃そうだった。彼はダブルのエスプレッソを飲んでいた。

  僕は後藤と簡単な挨拶を交わし、やはりダブル・エスプレッソを注文した。

 「ずいぶん急な亡くなり方だったのですね」と僕は尋ねた。
 青年は正面から強い光をあてられたように目を細めた。「ええ、そうです。とても急な亡く
 なり方でした。驚くほど。でもそれと回時にひどく時間のかかる、痛々しい亡くなり方でもあ
 りました」




  僕は黙って更なる説明を待った。しかし彼はまだしばらく――おそらく僕の飲み物が運ばれ
 てくるまで――医師の死について詳細を語りたくはないようだった。

 「僕は渡会先生を心から尊敬していました」と青年は話題を変えるように言った。「医師とし
 ても、人間としても、ほんとに素晴らしい方でした。いろんなことを親切に教えていただきま
 した。十年近くクリニックで働かせてもらっていますが、もしあの方に巡り合わなかったら、
 今ある僕はないと思います。裏表のないまっすぐな人でした。いつもにこやかで、威張ったり
 もせず、分け隔てなくまわりに気を配り、みんなに好かれていました。先生が誰かの悪口を言
 うのをただの一度も聞いたことかありません」

  そういえば僕も、彼が誰かのことを悪く言うのを耳にしたことはなかった。

 「渡会さんはあなたのことをよく話していましたよ」と僕は言った。「もしあなたがいなかっ
 たら、クリニックもうまく経営していけないし、私生活もひどいことになってしまうだろう
 と」
  僕がそう言うと、後藤は淋しげな淡い笑みを口もとに浮かべた。「いいえ、僕はそんな大し
 た人間じゃありません。裏方として、できる限り渡会先生の役に立ちたいと思っていただけで
 す。そのために僕なりに一生懸命努力しました。それが喜びでもありました」



  エスプレッソが運ばれてきて、ウェイトレスが行ってしまうと、彼はようやく医師の死につ
 いて語り始めた。

 「最初に気づいた変化は、先生が昼食をとらなくなったことでした。それまでは毎日お昼休み
 に、たとえ簡単なものであれ、必ず何かしらを□にしておられました。どれだけ仕事が忙しく
 ても、こと食事に関しては几帳面な方だったんです。ところがあるときから、お昼にまったく
 何も口にされないようになりました。『何か召し上がらないと』と勧めても、『気にしなくて
 いい、食欲がないだけだから』と言われました。それが十月の初めのことです。その変化は僕
 を不安にさせました。というのは先生は、日々の決まった習慣を変えることを好まない人だっ
 たからです。日常の規則性を何より重んじておられました。昼食をとらなくなっただけではあ
 りません。いつの間にかジム通いもやめてしまわれました。週に三日はジムに通って、熱心に
 水泳をしたり、スカッシュをしたり、筋肉トレーニングをしておられたのですが、そういうこ
 とにすっかり興味を失ってしまったみたいです。それから身だしなみにも気を遺われないよう
 になりました。清潔好きでお洒落な方だったのですが、何と言えばいいのか、身なりが次第に
 だらしなくなってきました。何日も同じ服を続けて着ていることもありました。そしていつも
 何かを深く考え込んでおられるようで、だんだん無口になり、やがてほとんど口をきかなくな
 り、放心状態に陥ることが多くなりました。私が話しかけても、まるで聞こえないようでした。
 またアフターアワーズに女性と交際することもなくなってしまいました」

 「あなたがスケジュール管理をしていたから、そういう変化はよくわかったのですね?」

 「おっしゃるとおりです。とくに女性と交際することは先生にとって、重要な日々のイヴェン
 トでした。いわば活力の源であったわけです。それが急にまったくのゼロになってしまうとい
 うのは、どう考えても尋常なことではありません。五十二歳というのはまだ老け込む年齢では
 ありません。渡会先生が女性に関してかなり積極的な人生を送っておられたことは、おそらく
 谷村さんもご存じですよね?」
 「そういうことをとくに包み隠さない人だったから。つまり、自慢するというのではなく、あ
 くまで率直であったという意味で」




  後藤青年は肯いた。「ええ、そういう面ではとても率直な方でした。僕もよくいろんな話を
 聞かされました。だからこそ僕は、先生のそのような突然の変化に少なからずショックを受け
 たのです。先生は僕にはもう何ひとつ打ち明けてくれません。どんなことがあったにせよ、そ
 れを自分一人だけの秘密として内側に抱え込んでいました。もちろん僕は尋ねてみました。何
 かまずいことがあったのですか、何か心配事でもあるのですかと。しかし先生は首を横に振る
 ばかりで、心の内を明かしてはくれません。ほとんど□さえきいてもらえません。ただ僕の目
 の前で日々痩せ衰えていくだけです。満足に食事をとっていないことは明らかです。しかし僕
 には、先生の私生活に勝手に足を踏み込むことはできません。先生は気さくな性格ではありま
 すが、ご自分の私的エリアには簡単に人を招き入れない方でした。僕も長く個人秘書のような
 ことをしてきましたが、それまで先生の住まいに入ったことはたった一度しかありません。何
 か大事な忘れ物を取りに行かされたときだけです。そこに自由に出入りできるのは、たぶん親
 しく交際している女性たちだけです。僕としては遠くからやきもき推測しているしかありませ
 して先生はベッドに入って、ただじっと静かに横になっていました」

  青年はしばらくその光景を思い出しているようだった。目を閉じ、そして小さく首を振った。

 「僕は一目見たとき、先生がもう亡くなっているのかと思いました。一瞬心臓が止まりそうに
 なりました。しかしそうではありません。先生は痩せこけた青白い顔をこちらに向け、目を開
 けて僕を見ていました。ときどき瞬きをしました。ひっそりとではありますが、一応呼吸もし
 ていました。ただ首まで布団をかぶって動かずにいるだけです。声をかけてみましたが、反応
 はありません。乾いた唇はまるで縫いつけられたみたいに、固く閉じられています。髭がずい
 ぶん伸びていました。僕はとりあえず窓を開け、部屋の空気を入れ換えました。何か緊急に措
 置をとらなくてはならないということもなさそうだし、見たところ本人が苦しんでいる様子も
 ないので、ひとまず部屋の中を片づけることにしました。それくらいひどい荒れようだったの
 です。散らかっている衣類を拾い集め、洗濯機で洗えるものは洗い、クリーニング屋に出すべ
 きものは袋に入れてまとめました。風呂に入れっぱなしになっていた淀んだ水を落とし、浴槽
 を洗いました。水垢が線になってこびりついているところを見ると、かなり長いあいだ水は入
 れっぱなしになっていたようでした。清潔好きの先生にしてはあり得ないことです。どうやら
 定期的なハウス・クリーニングも断っていたらしく、すべての家具に白い埃がたまっていまし
 た。ただ意外なことに、台所の流しには汚れ物がほとんど見当たりませんでした。とてもきれ
 いな状態です。つまり長いあいだ台所をろくに使っていなかったということです。ミネラル・
 ウォーターのボトルがいくつも転がっているだけで、何かを食べた形跡はありません。冷蔵庫
 を開けてみると、言いようのないひどい匂いがしました。冷蔵庫の中に入れっぱなしになって
 いた食品が悪くなっていました。豆腐や野菜や果物や牛乳やサンドイッチやハムや、そんなも
 のです。僕はそれらを大きなビニールのゴミ袋に詰め、マンションの地下にあるゴミ置き場に
 持っていきました」

  青年は空になったエスプレッソのカップを手にとって、角度を変えながらしばらく眺めてい
 た。それから目を上げて言った。

 「部屋を元通りに近い状態にするのに三時間以上かかったと思います。そのあいだずっと窓を
 開けっ放しにしていたので、不快な匂いもだいたいなくなりました。それでも先生はまだ口を
 ききません。僕が部屋の中を動き回るのをただ目で追っているだけです。痩せ細っているぶん、
 両目がいつもよりずっと大きく艶やかに見えました。でもその目にはどのような感情もうかが
 えません。その目は僕を見ていながら、実は何も見てはいないんです。どう言えばいいのでし
 ょう。それは動きのあるものに焦点を合わせるように設定された自動カメラのレンズみたいに、
 ただ何かの物体を追っているだけなのです。それが僕であるかどうか、僕がそこで何をしてい
 るのか、そんなことは先生にとってもうどうでもいいことなんです。それはとても哀しい目で
 した,僕はその目をこの先、一生忘れることができないでしょう
  それから僕は電気剃刀を使って、先生の髭を剃りました。濡れたタオルで顔も拭きました。
 まったく抵抗はしません。何をしてもただなされるままになっていただけです。そのあとで僕  
 はかかりつけの医者に電話をかけました。事情を説明すると医者はすぐにやってきました。そ
 して診察し、簡単な検査をしました。そのあいだも渡会先生はまったく目をききません。ただ
 その感情を込めていない虚ろな目で、じっと私たちの顔を見ているだけです。
  なんと言えばいいのでしょうか、こんな表現は不適当かもしれませんが、先生はもう生きて
 いる人のようには見えませんでした。本当は地中に埋められ、断食をしたままミイラになって
 いなくてはならないはずの人が、煩悩を振り払えず、ミイラになりきれずに地上に這い出して
 きた、そんな感じでした。ひどい言い方だと思います。でもそれがそのときに私がまさに感じ
 たことなのです。魂はもう失われてしまっている。それが戻ってくる見込みもない。なのに身
 体器官だけはあきらめきれずに独立して動いている。そういう感じでした」

  青年はそこで何度か首を振った。
 
 「申し訳ありません。僕は長い時間をかけすぎているみたいです。話を短くします。簡単に言
 ってしまえば、渡会先生は拒食症のようなものにかかっていたのです。ほとんど食べ物を口に
 せず、飲み水だけで生命を保っていました。いや、正確には拒食症というのではありません。
 ご存じのように拒食症にかかるのはだいたいすべて若い女性です。美容のため、痩せることが
 目的で食事をあまりとらないようになり、そのうちに体重を減らすことが自己目的化し、ほと
 んど何も食べないようになります。極端な話、体重がゼロになることが彼女たちの理想になり
 ます。ですから中年の男性が拒食症になることなんて、まずありません。しかし渡会先生の場
 合、現象的にはまさにそれだったのです。もちろん先生は美容のためにそんなことをしていた
 わけではありません。彼が食事をとらないようになったのは、僕は思うのですが、本当に文字
 通り、食べ物が喉を通らなくなったからです」

 「恋煩い?」と僕は言った。

 「たぶんそれに近いものです」と後藤青年は言った。「あるいはそこにはまた、自分がゼロに
 近づいていくことへの願望があったかもしれません。先生は自分を無にしてしまいたかったの
 かもしれません。そうでもなければ、飢餓の苦痛はとても普通の人に我慢できるものではあり
 ませんから。自分の肉体がゼロに接近していく喜びが、その苦痛に勝っていたのかもしれませ
 ん。拒食症に取りつかれた若い女性がおそらくは、体重を減らしながらそう感じるのと同じよ
 うに」

  僕は渡会がベッドに横たわり、一途な恋心を抱きながらミイラのように痩せ細っていく様子
 を想像してみた。しかし陽気で健康で美食家で身だしなみの良い彼の姿しか、僕には思い浮か
 べられなかった。

 「医者は栄養注射をし、看護婦を呼んで点滴の用意をしました。しかし栄養注射なんてたかが
 しれたものですし、点滴だって本人が外そうと思えばいくらでも外せます。僕も四六時中、枕
 元に付き添っているわけにはいきません。無理に何かを食べさせても吐いてしまうだけです。
 入院させようにも、本人がいやがるのを無理に連れて行くわけにもいきません。その時点で渡
 会先生は生き続ける意志を放棄し、自分を限りなくゼロに近づけようと決心していました。ま
 わりで何をしたところで、どれだけ栄養注射を打ったところで、その流れを食い止めることは
 できません。飢餓が彼の身体を貪っていく様を、ただ手をこまねいて眺めているしかありませ
 ん。それは心痛む日々でした。何かをしなくてはならないのですが、実際には何もできません,
 救いといえば、先生がほとんど苦痛を感じていないらしいということくらいです。少なくとも
 その日々、彼が苦痛の表情を浮かべたのを僕が目にしたことはありません。僕は毎日先生の住
 まいに行って、郵便物をチェックし、掃除をし、ベッドに寝ている先生の横に座ってあれこれ
 と話しかけました。業務上の報告をしたり、世間話をしたり。でも先生はやはり一言も口をき
 きません。反応らしきものもありません。意識があるのかどうかすらわかりません。ただじっ
 と黙って、表情を欠いた大きな目で僕の顔を見つめているだけです。その目は不思議なほど透
 き通っていました。向こう側まで見えてしまいそうなくらい」
 
 「女性とのあいだに何かがあったのでしょうか?」と僕は尋ねた。「夫と子供のいる女性とか
 なり深く交際していたという話をご本人から聞きましたが」
 「そうです。先生はしばらく前から、その女性と本気で真剣にかかわるようになっていました。
 常日頃の気軽な遊びの関係ではなくなっていたということです。そしてその女性との間に、何
 か深刻なことが起こったようでした。そしてそのせいで、先生は生きる意志をなくしてしまわ
 れたようです。僕はその女性の家に電話をかけてみました。でも女性は出ず、ご主人が電話に
 出ました。僕は『クリニックの予約のことで奥様とお話がしたいのですが』と言いました。彼
 女はもううちにはいないとご主人は言いました。どこに電話をすれば彼女と話せるだろうかと
 僕は尋ねてみました。そんなことは知らないとご主人は冷ややかに言って、そのまま電話を切
 ってしまいました」
  
  彼はまた少し黙り込んだ。それから言った。

 「長い話を短くしますと、僕はそのあと彼女の居所をなんとかつきとめました。彼女は夫と子 
 供を残して家を出て、他の男と暮らしていました」
  僕は一瞬、言葉を失った。最初のうち話の筋がうまく掴めなかった。それから言った。「つ
 まりご主人も、渡会さんも、どちらも彼女に袖にされた?」
 「簡単に言えばそういうことです」と青年は言いにくそうに言った。そして軽く顔をしかめた。
 「彼女には第三の男がいました。細かいいきさつはわかりませんが、どうやら年下の男のよう
 です。あくまで個人的な意見ですが、あまり褒められた種類の男ではないだろうという気配が
 あります。その男と駆け落ちするように、彼女は家を出ていったのです。渡会先生はいわば便
 利な、踏み石的な存在に過ぎなかったみたいですね。そして都合良く利用もされたようです。
 先生がその女性にけっこうなお金を注ぎ込んでおられた形跡があります。銀行預金やクレジッ
 トカードの決済を調べると、かなり不自然な、多額のお金の動きがあったことがわかりました。


 おそらく高価な贈り物とかにお金を使われたのではないでしょうか。あるいは借金を申し込ま
 れていたかもしれません。そのへんの使途については明確な証拠も残されていませんし、詳細
 は不明ですが、とにかくその短期間に引き出されたお金はまとまった額になります」

  僕は重いため息をついた。「それはずいぶん参っただろうな」

  青年は肯いた。「たとえばもし、その相手の女性が『やはり夫や子供とは離れることはでき
 ない。だからあなたとの関係はもうここできっぱり解消したい』ということで先生を切ったの
 であれば、まだ耐えられたと思うんです。彼女のことをこれまでになく本気で愛しておられた
 ようですから、もちろん深く落胆はしたでしょうが、自らを死に向かって追い詰めていくこと
 まではしなかったはずです。話の筋さえ通っていれば、どれだけ深い底まで落ちても、またい
 つか浮かび上がってこられたでしょう。しかしこの第三の男の出現は、そして自分が体よく利
 用されていたという事実は、先生には相当に厳しい打撃であったようです
 
  僕は黙って話を聞いていた。
 
 「亡くなったとき、先生の体重は三十キロ台半ばまで落ちていました」と青年は言った。

 

                    村上春樹 著『独立器官』(文藝春秋 2014年 3月号)

                                    この項つづく



 

 

ことしも庄堺公園の薔薇園に出かけることができた。母親にもなんとか喜んでもらえた(上右写真
はその1枚)。それから、庭のレモンの花の1つが結実しそうだと彼女が報告してくれた。収穫で
きることを祈る。そんなことを考えていたら、明日、母親を見舞いに行くことにした。今夜は、2
つのシートと2つの花の話を取り上げてみた。
 

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米国は世界の警察をやめるか。

2014年05月29日 | 時事書評

 

 

  

●米国は“世界の警察”ではない?

オバマ米大統領が、米東部ニューヨーク州ウェストポイントにある陸軍士官学校の卒業式で、外交
政策について演説し「中国の経済的な台頭と軍事的な拡張が近隣諸国に懸念を与えている」と非難。
南シナ海について、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)による紛争回避のための「行動規範」
策定の取り組みを支援すると表明するとともに、国際法にのっとった解決を促し、中国をけん制し
同大統領は昨年、シリアの化学兵器問題でアサド政権に対する限定的な軍事力行使をいったん決断
しながらぎりぎりで見送った。大統領は「米国は世界の警察官ではない」と述べて国民に理解を求
めたが、野党・共和党などからは米国の威信が揺らいだと非難を浴びた。また、こうした外交姿勢
がロシアによるウクライナ・クリミア半島の編入を許すことにつながったとの批判も出ている。大
統領の外交政策演説はこれらの批判に反論する形をとったという。

 

大統領はシリアに軍事介入しなかった判断について「正しい判断だったと信じている」としたうえ
で、「独裁者
に立ち向かうシリアの人々を助けるべきではないということではない」と強調し、反
体制派への支援を強化す
る考えを示した。また、シリア難民の受け入れや国境を越えて活動するテ
ロリストと戦うシリアの隣国への支
援も促進する考えを示したという(毎日新聞 2014.05.29)。
注目は、大統領が「米国は世界の警察官ではない」と述べたということでわたし(たち)は画期的
な発言であり、ロシアとの核軍縮実行とアフガニスタンからの撤退としてそれは現れてきているこ
とを歓迎する。問題はこれまでも国連安保理での紛糾劇が収まらなくなるのではという懐疑に対し、
少なくとも、ここ数年間は寧ろ逆の状態もありうるということである。いまオバマの支持率が低下
しているがゆえ、"
新冷戦構造"が紛争として現実化すれば、理想を棚上げし、いつものように?軍
事的介入することも想定される。逆に言えば、このまま、オバマの理想主義的な路線を歩んでもら
った方がわたし(たち)の、国連改革や世界平和への貢献(『国連改革は進んでいるか。』)の本
気度が試されることになるので、これはこれでウエルカムだが、"新冷戦構造"の方向に進めば、国
内外の“武闘信仰派”が生き存えることになるだろう。と、そんなことを考えてみた。

 

 




●バルカン半島120年で最悪規模の洪水禍
 
欧州南東部バルカン半島で今月中旬から、豪雨が続いた影響で洪水が発生し、独公共放送ARD
などによると、ボスニア・ヘルツェゴビナでは国民の4分の1にあたる95万人が避難している。
1990年代の旧ユーゴスラビア紛争時に埋設されたままの地雷が流されて各地に散乱しており、
地雷による「2次災害」への懸念は各地で高まっている。この豪雨は過去120年で最悪規模とさ
れ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、クロアチアの3カ国で少なくとも50人が死亡したと
報じられた。ボスニアには現在、推計で約12万個の地雷が埋設されたままになっているほか、
多数の不発弾が地中に埋まっまま放置されている。この一部が洪水で流されたとみられ、けが人は
出ていないが、北東部ブルチコ近郊では爆発する騒ぎが発生している。洪水で地雷などが散乱した
地域は最大320平方キロに及ぶとみられる。地雷原を示す標識もなく、住民が知らずに足を踏み
入れてしまう事態も懸念され、米国務省は25日、爆発物処理専門家の現地派遣を発表。米国務省
によると、地元当局の地雷撤去技術のレベルは高いものの、今回は対象範囲が広く、水中やぬかる
みでの除去など困難な作業が予想されるという。米国はこれまで、ボスニアとセルビアに約1億
1000万ドル(約112億円)の地雷・不発弾除去支援を実施している。 26~27日には
ドイツのシュタインマイヤー外相もボスニアを訪れ、被災者支援や地雷除去のため計700万ユー
ロ(約9億8000万円)の拠出を約束した。国際NGOなどの集計によると、地雷やクラスター
(集束)爆弾の不発弾による世界の死傷者は2012年で3600人を超えている。埋設済みの地
雷は1億個を超えるとの推計もあるとのことだ。

在日セルビア大使館には洪水発生直後から義援金や晴天を願うてるてる坊主などが贈られている。
大使館では義援金専用口座を開設したほか、持ち込みでの寄付も受け付けている。問い合わせは同
大使館(03・3447・3571)。
 

 

 

● ダウンロードは儲からず、ライブで利益を捻出

ミュージシャンのスガシカオツイッターで「CDを買って欲しい」と発言したことをきっかけに、ダ
ウンロードだけでは赤字になってしまうという音楽業界の体質が話題になっているという。それじ
ゃ、どういう実体になっているというのだろうか? CDを販売するには、プレス代やパッケージ代、
レコード店のマージンなど多額の費用がかかるが、販売価格の半分程度は製作側に残ることになる
という。この金額を、音源制作費、レコード会社の利益、プロモーション費用、アーティストの印
税、プロデューサーの印税などで分け合うことになる。アーティストの取り分は全体の2%程度(
作詞作曲をしていれば著作権料はこれに数%が加わる)が相場だという。制作費の定義が明確でな
い(レコード会社が音源の制作やプロモーションにかけられる金額のことを指す?)。この費用は
全体の2割程度。1200円のシングルCDが3万枚売れたと仮定すると、720万円程度の経費を確保で
きるが、レコード会社としては次の作品に費用の出資に前向きになれ、アーティストとしては非常
に望ましい状況になるという。

ところが、ダウンロードの価格は1曲250円程度です。2曲売れたと仮定しても、CDの半分以下の売
上にしかならず、この中で関係者が利益を分け合い、制作費が確保できず、次のリリースのメドが
立た
ないというケースが起きるというのだ。音楽業界ではダウンロードでは利益は出ず、ライブな
どのイベントで利益を捻出するというやり方が主流になる。大手のエイベックスも、CDやダウンロ
ードの販売よりも、ライブなどその他事業の売上げが上回る。一方、現在の業界は「打ち込み」と
呼ばれるコンピュータ音源を駆使した制作手法の普及で、音源制作費用も劇的に安くなっているた
め(デジタル革命基本特性 第2・4・5則)、1つのシングルが、20万円くらいの費用で出来て
しまうこともあり、これがダウンロード販売を後押ししている反面、スタジオで楽器を使い何度も
録音を繰り返す製作費用が高くなる背景があるという。ということで、ビジネスチャンスの拡大に
知恵も工夫もいるということを知ることとなる。

 

  

  

 
 「失礼ですが、谷村さんはそんな風に考えたことありませんか? もし自分からものを書く能
 力が取り去られたら、自分はいったいなにものになるのだろうと?」
  僕は彼に説明した。僕は出発点が「なにものでもない一介の人間」であり、丸裸同然で人生
 を開始した。ちょっとした巡り合わせでたまたまものを書き始め、幸運にもなんとかそれで生
 活できるようになった。だから自分が何の取り柄もなく特技もない、ただの一介の人間である
 ことを認識するために、わざわざアウシユヴィッツ強制収容所みたいな大がかりな仮定を持ち
 出す必要はないのだ、と。



  渡会はそれを聞いてしばし真剣に考え込んでいた。そういう考え方が存在すること自体が、
 彼にはどうやら初耳であるようだった。

 「なるほど。そういう方が人生として、あるいは楽なのかもしれませんね」

  なにものでもない人間が丸裸で人生をスタートするというのは、それほど楽なこととも言え
 ないのではないかと、僕は遠慮がちに指摘した。 

 「もちろんです」と渡会は言った。「もちろんおっしやるとおりです。何もないところから人 
 生を始めるのは、それは相当きついことでしょう。私はそういう面では人より恵まれていたと
 思います。でもある程度の年齢になり、自分なりのライフ・スタイルみたいなものも身につき、
 社会的地位もいちおうできて、そうなってから自分という人間の価値に深い疑念を抱くように
 なるのは、別の意味合いでこたえるものです自分がこれまでに送ってきた人生が、まったく
 意味を持たない、無駄なものであったように思えてきます。若いときならまだ変革の可能性が
 ありますし、希望を抱くこともできます。でもこの歳になると、過去の重みがずしりとのしか
 かってきます。簡単にやり直しがききません」
 「ナチの強制収容所についての本を読んだことがきっかけになって、そういうことを真剣に考
 え始められたわけですね」と僕は言った。

 「ええ、書かれている内容に、奇妙なくらい個人的なショックを受けたんです。それに加えて
 彼女との先行きが不鮮明なこともあり、私はしばらくのあいだ軽い中年影のような状態に陥っ
 ていました。自分とはいったいなにものなのだろう、ずっとそればかり考え込んでいました。
 でもどれだけ考えたところで、出口らしきものは見つかりません。同じところをぐるぐる回っ
 ているだけです。これまで愉しくやってきたいろんなことが、どうやっても面白くありません。
 運動をしたいとも思わないし、服を買う気も起きないし、ピアノの蓋を開けることさえ億劫で
 す。食事をとろうという気持ちにもなりません。じっとしていると、頭に浮かぶのは彼女のこ
 とばかりです。仕事でクライアントを相手にしているときでさえ、彼女のことを考えてしまい 
 ます。思わず彼女の名前を口にしてしまいそうになります」

 「その女性とはどれくらい頻繁に会うんですか?」

 「そのときによってまったく違います。ご主人のスケジュール次第なんです。それも私がつら
 く感じることのひとつです。彼が長い出張旅行に出ているときには続けて会います。そういう
 とき彼女は子供を実家に預けるか、ベビーシッターを雇ったりします。しかしご主人が日本に
 いると、何週間も会えなくなります。そういう時期はかなりこたえます。彼女にもうこのまま
 二度と会えないんじゃないかと思うと、陳腐な表現で申し訳ないのですが、身体がまっ二つに
 引き裂かれるようです」

  僕は黙って彼の話に耳を傾けていた。彼の言葉の選択は月並みではあったが、陳腐には聞こ
 えなかった。むしろ逆にリアルなものとして響いた。
  彼はゆっくり息を吸い込み、それを吐いた。「私にはだいたい常に複数のガールフレンドが
 いました。あきれられるかもしれませんが、多いときには四人か五人の女性がいました。誰か
 と会えない時期には別の女性と会っていました。そうしてけっこう気楽にやっていました。で
 も彼女に強く心を惹かれるようになってから、他の女性たちには不思議なくらい魅力を感じな
 くなったんです。他の女性と会っていても、彼女の面影がいつも頭のどこかにあります。それ
 をよそに追いやることができません。まさに重症です」

  重症、と僕は思った。渡会が電話をかけて救急車を呼んでいる光景が目に浮かんだ。「もし
 もし、救急車を至急お願いします。まさに重症なんです。呼吸が困難で、今にも胸がまっ二つ
 に張り裂けそうで……」
  彼は続けた。「ひとつの大きな問題は、彼女を知れば知るほど、ますます彼女のことを好き
 になっていくということです。一年半こうしてつきあっていますが、一年半前より今の方が、
 ずっと深く彼女にのめり込んでいます。今では彼女の心と私の心が何かでしっかり繋げられて
 しまっているような気がします。彼女の心が動けば、私の心もそれにつれて引っ張られます。
 ロープで繋がった二艘のボートのように。綱を切ろうと思っても、それを切れるだけの刃物が
 どこにもないのです。こういうのもこれまでに一度も昧わったことのない感情です。それが私
 を不安にさせます。このままどんどん気持ちが深まっていったら、自分はいったいどうなって
 しまうんだろうと」
 「なるほど」と僕は言った。しかし渡会はもっと実質のある返答を求めているようだった。
 
 「谷村さん、私はいったいどうすればいいんでしょうね?」

 
  僕は言った。どうすればいいのか、具体的な対策まではわかりかねるが、でも話を問いてい

 る限り、今あなたが心に感じていることは、どちらかといえばまともで筋の通ったことに僕に
 は思える。恋をするというのはそもそもそういうことなんです。自分で自分の心がコントロー
 ルできなくなり、理不尽な力に振り回されているみたいに感じる。つまりあなたは何も世間常
 識から外れた異様な体験をしているわけじゃない。ただ一人の女性に真剣に恋をしているだけ
 だ。愛している誰かを失いたくないと感じている。いつまでもその相手と会っていたい。もし
 会えなくなったら、そのまま世界が終わってしまうかもしれない。それは世間でしばしば見受
 けられる自然な感情です。不思議でもなく特異でもない、ごく一般的な人生のひとこまです




 
  渡会医師は腕組みをし、僕の言ったことについてまたひとしきり考えを巡らせていた。もう
 ひとつ話がうまく呑み込めないようだった。ひょっとしたら「ごく一般的な人生のひとこま」
 というものが、概念として彼には理解し辛かったのかもしれない。あるいは実際にそれは、
 「恋をする」という行為から少しばかり逸脱したことだったのかもしれない。
  ビールを飲み終え、帰り際になって、彼はこっそりと打ち明けるように言った。

 「谷村さん、私が今いちばん恐れているのは、そして私をいちばん混乱させるのは、自分の中
 にある怒りのようなものなんです」

 「怒り?」と僕は少しびっくりして言った。それは渡会という人物にはいかにも似合わない感
 情であるように思えたからだ。「それは何に対する怒りですか?」
  渡会は首を振った。「私にもわかりません。彼女に対する怒りでないことは確かです。でも
 彼女に会っていないとき、会えないでいるとき、そういう怒りの高まりを自分の内側に感じる
 ことがあります。それが何に対する怒りなのか、自分でもうまく把握できません。でもこれま
 でに一度も感じたことのないような激しい怒りです。部屋の中にあるものを、手当たり次第に
 窓から放り出したくなります。椅子やらテレビやら本やら皿やら額装された絵やら、何もかも
 を。それが下を歩いている人の頭にぶつかって、その人が死んだってかまうものかと思います。
 馬鹿げたことですが、そのときは本気でそう思うんです。今のところはもちろんそういう怒り
 をコントロールできます。本当にそんなことはしゃしません。でもいつかそれをコントロール
 できなくなる日がゃってくるかもしれない。そのせいで誰かを本当に傷つけてしまうかもしれ
 ません。私にはそれが怖いんです。それならむしろ、私は自分自身を傷つけることの方を選び
 ます」

   それについて僕がどんなことを言ったのか、よく覚えていない。たぶん差し障りのない慰め
 の言葉を口にしたのだと思う。彼の言うその「怒り」がいったい何を意味しているのか、何を
 示唆しているのか、そのときの僕にはよく理解できなかったから。もっときちんとしたことが
 言えればよかったのかもしれない。しかしたとえ僕がきちんとしたことを口にできていたとし
 ても、彼がその後辿った運命が変わることはおそらくなかっただろう。そんな気がする。
  我々は勘定を払い、店を出てそれぞれの家に戻った。彼はラケット・バッグを抱えてタクシ
 ーに乗り込み、車の中から僕に手を振った。それが僕が最後に見た渡会医師の姿になった。ま
 だ夏の暑さが残っている九月の終わり近くのことだ。





  その後、渡会はジムに姿を見せなくなった。僕は彼に今っために週末になるとジムに寄って
 みたのだが、彼はいなかった。まわりの人々も彼の消息を知らなかった。でもジムではそうい  
 うことはしばしばある。ずっと顔を見せていた人が、ある日からまったくやってこなくなる。
 ジムは職場ではない。来るも来ないも個人の自由だ。だから僕もさして気にしなかった。その
 ようにしてニケ月が過ぎた。
  十一月末の金曜日の午後、渡会の秘書から電話がかかってきた。彼の名前は後藤といった。
 低く滑らかな声で彼は話した。その声は僕にバリー・ホワイトの音楽を思い出させた。真夜中
 にFM番組でよくかかるような音楽を。

 「急にこんなことを電話で申し上げるのは心苦しいのですが、渡会は先週の木曜日に亡くなり、
 今週の月曜日に身内だけで密葬がとりおこなわれました」

 「亡くなられた?」と僕は呆然として言った。「たしかニケ月前、最後にお目にかかったとき
 はお元気そうでしたが、いったい何かあったのですか?」

  電話の向こうで後藤は少し沈黙した。それから口を開いた。「実を申しますと、渡会から生
 前、谷村さんにお渡ししてくれと言われて預かっているものもあります。厚かましいお願いで
 すが、どこかで短くお会いすることはできませんか? そのときに詳しいことをお話しできる
 と思います。私の方はいつでもどこにでも参上します」
  今日これからではどうかと僕は言った。それでかまわないと後藤は言った。僕は青山通りの
 一本裏の通りにあるカフェテリアを指定した。時刻は六時。そこでならゆっくりと邪魔されず
 に静かに話をすることができる。後藤はその店を知らなかったが、場所は簡単に調べられると
 思うと言った。
 

 

                    村上春樹 著『独立器官』(文藝春秋 2014年 3月号)

                                    この項つづく





昨夜、知人に電話入れその後の家族の安否を尋ねたが想定内の返事だった。ところで、スガシオの
つぶやきも想定内の話だし、バルカン半島での洪水も想定内だったが、機雷や不発弾の放置禍につ
いては想定外だった。それで、中国の蛮行は想定内だったのか?それは、いわずもがなであるが、
天国にいる小平は地上をのぞきながらどう思っているのだろうか?
これって、毎度、同じことを
書いているよね。^^;
 
 

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林檎のマルチタッチディスプレイ

2014年05月28日 | WE商品開発

 

 

        逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり

       物思ふと すぐる月日も しらぬまに 今年はけふに はてぬとかきく

            結び置きし 袂だに見ぬ 花すすき 枯るともかれじ 君し解かずは

              

           
                       権中納言敦忠 『拾遺集』『新古今集』


 



昨日の夕食に例の「豚肉の我が家風」(『アリスタとフェンネルシード』)がだされた。時間が
いと言うことで、電気製品の「オーブントースター」で煙がむんむんする中速攻調理したもの
だ。
感想?表面が堅いねぇ。でも、美味しかったよと、食べ終えた食器を台所に持って行き彼女に言っ
たが、水を加え蒸し焼きにできればよかったのにと、この一言が癇に障りったのか、時間がなかた
だけよとの
返事。それじゃ、薄切りにして、ノンオイル(ノンフライ)オーブンで調理すればよい
かもね。と、言ったのがいけなかったのか、時間がなかっただけなのよと、同じ言葉が返ってきた。
少なめの「レンジでチンする唐揚げ粉」(『泥鰌と神の粒子』)とローズマリー、セージ、ニンニ
クをみじん切り、フェンネルシードを潰し塩とコショウを混ぜミックスハーブ
と豚肉の薄切りをポ
リ袋に入れ揉みほぐし、廉価なノンフライオーブン(あるいは、高価なレンジオーブン)で焼けば
短時間で調理できるはず。ただし、カットはないのでロースト感は失われるから難しいね。

 

 

 

 


●林檎のマルチタッチディスプレイ

米国のアップル社のフレキシブルな移動体情報表示タッチパネルへの太陽電池統合技術に熱心に取
り組んでいる。2014年5月20日(火)、米国特許庁は、iPhoneなどの透明なマルチタッチスクリー
ンに太陽電池パネルを統合被覆する特許修正を付与した。まず、2月にアップル社から公表された
タッチセンシング構成にソーラー電池を組み込み統合し特許範囲を広げたものである。つまり、モ
バイルデバイスが太陽光発電を利用する未来に向かうための一歩で、この特許は、従来のタッチパ
ネル表示装置とソーラーパネルの配列を一体化する技術-可撓性のあるディスプレイモジュールと
太陽光発電装置が一つになり、ダウンサイジングでき、デバイスのさらなる小型化という要請にも
対応可能だが、タッチを感取する面が表示装置でもあるとはなっていなかった(ただ、タッチ面と
ソーラー面の同一を記述している)ので用途が限定されるというのが修正理由である。
今回の特許
では、ソーラーセルがタッチセンサの部位兼ディスプレイの部位から顔をのぞかせる構成となるた
め、太陽光を通すための技術が鍵となる。それ以外に、
発電効率が低いという問題と、ソーラーセ
ルを最表面に配置する設計の余地もありそうだ。いすれにしてもアップル社の新規技術の提案には
将来の薄膜デバイスに大きな変化をもたらす可能性があり注目だ。
 昨夜の『環境品質展開とは何か
の「発電・遮光・発光する農ポリ」の目指すところと一致する、速いこと開発実現してしまうことだと考えている
ことをさらに確認しておこう。 

 

  

 


イントロもいよいよ『独立器官』の佳境の幕開けにさしかかる。僕と渡会医師の間に何かが芽生え
ようとしている。

  僕と渡会医師とはうちの近くにあるジムで知り合った。彼はいつも週末の午前中にスカッシ 
 ュ・ラケットを抱えてそこにやってきて、そのうちに僕とも何ゲームか打ち合うようになった。
 彼は礼儀正しく、体力もあり、勝負へのこだわりもほどほどだったから、気楽にプレイを楽し
 むにはちょうど良い相手だった。僕の方が少し年上だったが、年代もほぽ同じだったし(これ
 はしばらく前に起こった話だ)、スカッシュの腕も同じ程度だった。二人で汗だくになってボ
 ールの追い駆けっこをし、近くのビアホールに行って一緒に生ビールを飲んだ。育ちが良く、
 高い専門教育を受け、生まれてから金銭的な苦労をほとんどしたことがない人間の多くがそう
 であるように、渡会医師は基本的には自分のことしか考えていなかった。にもかかわらず彼は、
 前にも述べたように、楽しく興味深く会話ができる相手だった。
 
  僕がものを書く仕事をしていることを知って、渡会は世間話ばかりではなく、少しずつ個人

 的な打ち明け話をするようになった。セラピストや宗教家と同じように、ものを書く人間も人
 の打ち明け話を聞く正当な権利を(あるいは責務を)有していると、彼は考えていたのかもし
 れない。彼ばかりではなく、僕はそれまでにも何度かいろんな人を相手に、同じような体験を
 してきた。といっても、僕はもともと人の話を聞くのが嫌いではないし、とりわけ渡会医師の
 打ち明け話に耳を傾けるのは興趣が尽きなかった。彼は基本的に正直で率直で、自分をそれな
 りに公平に見ることができた。そして自分の弱点を人前にさらけ出すことをさほど怖がらなか
 った。それは世間の多くの人々が持ち合わせていない資質だった。

  渡会は言った。「彼女より容貌の優れた女性や、彼女より見事な身体を持った女性や、彼女
 より趣味の良い女性や、彼女より頭の切れる女性とつきあったことは何度かあります。でもそ
 んな比較は何の意味も持ちません。なぜなら彼女は私にとって特別な存在だからです。総合的
 な存在とでも言えばいいのでしょうか。彼女の持っているすべての資質が、ひとつの中心に向
 けてぎゅっと繋がっているんです。そのひとつひとつを抜き出して、これは誰より劣っている
 とか、勝っているとか、計測したり分析したりすることはできません。そしてその中心にある
 ものが私を強く惹きつけるのです。強力な磁石のように。それは理屈を超えたものです」

 

 
  我々はフライドポテトとピックルスをつまみに「ブラック・アンド・タン」の大きなグラス
 を傾けていた。
 
 「『逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり』という歌があります
 ね」と渡会が言った。
 「権中納言敦忠」と僕は言った。どうしてそんなことを覚えていたのか、自分でもよくわから
 ないけれど。
 「『逢ひ見て』というのは、男女の肉体関係を伴う逢瀬のことなんだと、大学の講義で教わり
 ました。そのときはただ『ああ、そういうことなのか』と思っただけですが、こんな歳になっ
 てようやく、その歌の作者がどういう気持ちを抱いていたのか実感できるようになりました。
 
恋しく想う女性と会って身体を重ね、さよならを言って、その後に感じる深い喪失感。息苦し
 さ。考えてみれば、そういう気持ちって千年前からひとつも変わっていないんですね。そして
 そんな感情を自分のものとして知ることのなかったこれまでの私は、人間としてまだ一人前じ
 ゃなかったんだなと痛感しました。気づくのがいささか遅すぎたようですが」
  そういうのは遅すぎるも早すぎるもないと思う、と僕は言った。たとえいくらか遅かったと
 しても、最後まで気づかないでいるよりはずっといいのではないか。
 「でもこういう気持ちは、若いうちに経験しておけばよかったかもしれません」と渡会は言っ
 た。「そうすれば免疫抗体みたいなものも作られていたはずです」
 
 そんなに簡単に割り切れるものでもないだろうと僕は思った。免疫抗体なんてできないまま、

 たちの悪い潜在的病根を体内に抱え込むようになった人を僕は何人か知っている。でもそれに
 ついては何も言わなかった。話が長くなる。

 「彼女と交際するようになって一年半になります。彼女のご主人は仕事柄海外に出張旅行する
 ことが多く、そういうときに私たちは会って食事をして、それから私の部屋に来てベツドを共
 にします。彼女が私とこんな関係になったきっかけは、ご主人が浮気をしていたことがわかっ
 たからです。ご主人は彼女に謝って、相手の女とは別れるし、こんなことは二度としないと約
 束しました。でも彼女の気持ちはそれではおさまりません。彼女はいわば精神のバランスを取
 り戻すために、私と肉体的な関係を持つようになったのです。仕返しと言うと表現がきつくな
 
りますが、そういう心の調整作業が女性には必要なんです。よくあることです」

  そういうのがそんなによくあることなのかどうか、僕にはわからなかったが、とにかく黙っ
 て彼の話を間いていた。
 
 「私たちはずっと楽しく、気持ちよくやってきました。活気のある会話、二人だけの親密な秘

 密、時間をかけたデリケートなセックス。我々は美しい時間を共有できたと思っています。彼
 女はよく笑いました。彼女はとても楽しそうに笑うんです。でもそういう関係を続けてきて、
 次第に彼女のことを深く愛するようになり、後戻りができないようになってきて、それで最近
 よく考えるようになったんです。私とはいったいなにものなのだろうと」 
  最後の言葉を聞き逃した(あるいは聞き間違えた)ような気がしたので、もう一度繰り返し

 てくれるように僕は頼んだ。
  
 「私とはいったいなにものなのだろうって、ここのところよく考えるんです」と彼は繰り返し
 た。

 「むずかしい疑問だ」と僕は言った。

 「そうなんです。とてもむずかしい疑問です」と渡会は言った。そしてむずかしさを確認する

 ように何度か肯いた。僕の発言にこめられた軽い皮肉はどうやら通じなかったようだった。
 「私とはいったい何なのでしょう?」と彼は続けた。「私は美容整形外科の医師として、これ
 まで何の疑問も持たずに仕事に励んできました。医科大学の形成外科で研修を受け、最初は父
 
の仕事を助手として手伝い、父が目を悪くして引退してからは、私がクリニックの運営にあた
 ってきました。自分で言うのもなんですが、外科医として腕は良い方だと思います。この美容

 整形という世界は実に玉石混淆でして、広告ばかり派手で、内実ずいぶんいい加減なことをし
 ているところもあります。しかしうちは終始良心的にやってきましたし、顧客との大きなトラ
 ブルを起こしたことは一度もありません。私はそのことにプロフェッショナルとしての誇りを
 持っています。私生活にも不満はありません。友だちも多くいますし、身体も今のところ問題                           
 なく健康です。生活を私なりに楽しんでいます。しかし自分とはいったいなにものなのだろう、
 最近になってよくそう考えるんです。それもかなり真剣に考えます。私から美容整形外科医と
 しての能力やキャリアを取り去ってしまったら、今ある快適な生活環境が失われてしまったら、
 そして何の説明もつかない裸の一個の人間として世界にぽんと放り出されたら、この私はいっ
 たいなにものになるのだろうと」

  渡会はまっすぐ僕の顔を見ていた。何かしらの反応を求めるように。

 「なぜ急にそんなことを考えるようになったんですか?」と僕は尋ねた。

 「そう考えるようになったのは、ナチの強制収容所についての本を少し前に読んだせいもある
 と思います。そこに戦争中にアウシユヴィッツに送られた内科医の話が出てきました。ベルリ
 ンで開業医をしていたユダヤ系市民が、ある日家族と共に逮捕され、強制収容所に送られます。
 それまでの彼は家族に愛され、人々に尊敬され、患者には頼られ、濠洒な邸宅で満ち足りた暮
 らしをしてきました。犬を何匹か飼い、週末にはアマチュア
のチェリストとして、友人たちと
 シューベルトやメンデルスゾーンの室内楽を演奏しました。
 穏やかに豊かに人生を楽し
んでいたわけです。しかし一転して生き地獄のような場所に放り込
 まれます。そこでは彼はもう豊か
なベルリン市民ではなく、尊敬される医師でもなく、ほとん
 ど人間でさえありません。家族か
らも離され、野犬同然の扱いを受け、食べ物さえろくに与え
 られません。高名な医師であるこ
とを所長が知っていて、ある程度役に立つかもしれないとい
 う理由で、とりあえずガス殺こそ
免れましたが、明日のことはわかりません。看守の気分ひと
 つで、あっさり梶棒で殴り殺され
てしまうかもしれません。他の家族はおそらく既に殺されて
 しまっているでしょう」

 
  彼は少し間を置いた。

   

 
 「私はそこではっと思ったんです。この医師の辿った恐ろしい運命は、場所と時代さえ違えば、
 そのまま私の運命であったのかもしれないのだと。もし私が何かの理由で―どんな理由かは
 わかりませんが――今の生活からある日突然引きずり下ろされ、すべての特権を剥奪され、た
 だの番号だけの存在に成り下がってしまったら、私はいったいなにものになるのだろう? 私
 は本を閉じて考え込んでしまいました。美容整形外科医としての技術と信用を別にすれば、私
 は何の取り柄もない、何の特技も持たない、ただの五十二歳の男です。いちおう健康ではあり
 ますが、若いときより体力は落ちています。激しい肉体労働に長くは耐えきれないでしょう。
 私が得意なことと言えば、おいしいピノ・ノワールを選んだり、顔の利くレストランや飴屋や
 バーを何軒か知っていたり、女性にプレゼントする洒落た装身具を選べたり、ピアノが少し弾
 けたり(簡単な楽譜なら初見で弾けます)、せいぜいそれくらいです。でももしアウシユヴィ
 ッツに送られたら、そんなもの何の役にも立ちません」

  僕は同意した。ピノ・ノワールについての知識も、素人ピアノ演奏も、洒落た話術も、そう
 いう場所ではおそらく何の役にも立つまい。


                    村上春樹 著『独立器官』(文藝春秋 2014年 3月号)

                                    この項つづく



 

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環境品質展開とは何か

2014年05月27日 | 環境工学システム論

 

 



【欧州連合に突きつけられた失業と移民の2つの課題】

22~25日に実施された欧州各国で実施された欧州議会選挙は、ギリシャでは反緊縮派野党の急進左
派連合(SYRIZA)が最多票を集めた。アレクシス・ツィプラス党首は、緊縮財政策に対する
勝利を宣言。急進左派が国政選挙で勝利を収めるのは近代のギリシャで初めて。ただ、与党との票
差は同国の連立政権を揺さぶるのに必要とされる5%ポイントには届かなかったというから、いか
に混迷乱立状態にあるのかうかがい知ることができる。反ユーロや反移民を掲げるEU懐疑派が躍
進した。全体では中道右派が最大勢力を維持したものの、主要会派は軒並み議席を減らした。7月
までに決めるバローゾ欧州委員長の後任には中道右派を率いたルクセンブルクのユンケル前首相が
有力だが中道左派などEU統合推進派の連携が鍵となると見られている。極右政党でフランスで移
民の受け入れや欧州統合に反対する国民戦線(FN)が同国で首位に躍進。オランド大統領出身の
中道左派、社会党は3位に沈む。FNのルペン党首(上写真の高い笑い女性)は選挙後、EUと対
峙していく姿勢を鮮明にしている。また、英国では反EUを掲げる英国独立党(UKIP)がキャ
メロン首相の英保守党などを抑えて首位となった。デンマークでも移民受け入れに反対するデンマ
ーク国民党が首位となった。さらに、最大の人口、経済規模を持つドイツでは、メルケル首相のキ
リスト教民主同盟(CDU)が首位を守ったが、反ユーロを掲げる新党「ドイツのための選択肢(
AfD)」が7%の得票率を確保した。もっとも、レンツィ首相の民主党が、他党に大差をつけて
躍進し、レンツィ首相の経済・構造改革が有権者のお墨付きを得る結果となったイタリアは、メル
ケル首相に対し成長、雇用を重視すべきとの自身の主張をより展開しやくなる可能性があると報じ
られている。



失業問題と移民問題は、直接的には、英米流金融資本主義により引き起こされた欧州経済危機によ
るもので、その政策解答は、日本(実施中)とイタリア両政府により提案されている。また、"開か
れた国家連合"を政策理念に依拠するものであるが、リビア・チュニジア・エジプトなどのアラブの
の春
、中東の春をあ
る意味で、新しい形の"三角貿易"を想起させるかのように扇動し、歪め(近く
では、ウクライ
ナ)、次々と軍事圧政を補完していることを露わさせたが、武器輸出の禁止或いは
軍事的関与禁止と移民受
政策を熟慮し、同期させれば問題解決できるはずだとわたし(たち)は考
えている。失敗すれば、
それは、カオス(混沌)を引き寄せるだけだ(下図は古いデータだが勉強になりま
した。参考までに下図をクリック!)。

それにしても、南沙諸島沖の石油採掘よる”ベ中開戦前夜”、あるいはフィリピンと中国とが南シ
ナ海での軍
事衝突の新聞が舞い込んだり"チャイナ・リスク"のバラマキ状態様相を見せている。プ
ーチンのロシアもマッチョ外交を止めないし、これでは、ジワジワと神経衰弱に陥ってしまうので
は?と心配になる。そして、そのうちに、国内外の"心ない連中"に煽られてしまいかねないかと。
しかし、それも老婆心かもしれない。関係国の勤労国民のの連帯パワーは関係国の為政者の思惑を
超える行動に期待している。

 

【環境品質展開:ソーラーシェアリング】

「茶畑ソーラーで二兎を追え ソーラーシェアリングで農業と発電を両立」(2014.05.01 日経ビ
ジネス
)の記事が目を惹く。『ソーラーシェアリング』とは太陽光発電と農業耕作地あるいは放棄
地の利用価値を高め促進新規事業で、3つの実例が紹介されている。

●日本の農業が、従事者の高齢化と後継者不足で危機に瀕していることはよく知られている。中で
も、茶農家の状況は他の分野以上に深刻そうだ。菊川市のソーラーシェアリング周辺でも茶畑の耕
作放棄地を利用し-茶樹は他の多くの農産物よりも光飽和点が低い。つまり、日蔭に強い植物。玉
露や抹茶用の茶葉の栽培には、ある時期、遮光する必要があが、農家では、遮光用の棚を作ったり、
黒のシートで畑を覆ったりしていることを利用し、茶畑の上に太陽光パネルを設置し過剰な日射を
減らし、支柱を使ってシートの展開もし易くする。その上、売電収入も得られ、耕作放棄地の再生
と発電の二兎を追うプロジェクトへの期待は大きい。発電は2月から始まっており、茶摘みも間も
なく始まることになっている(上写真)。

●2つめは群馬県沼田市の農地。トウモロコシと茗荷(みょうが)を生産するが、トウモウロコシ
はの光飽和点が高く、ソーラーシェアリングをやろうとすればパネルの間隔を開け遮光率を低く抑
える必要があるが、その分だけ発電量は少なくなる。発電量の減少をできるだけ抑えるために、日
陰に強い作物に茗荷を選ぶことで目的を達成。発電は2013年末に始まり、農業の方は、地元の農家
の協力を得て、梅雨入り前に茗荷の植え付けを農電併業を開始する(下写真)。

  

●3つめは、ソーラーカルチャー(ソーラーシェアリングの開発、設計、コンサルティングなどを
行っている)。茨城県つくば市の地目山林の土地で、ソーラーシェアリングのモデル的な実用試験
施設を設置した。
土地面積は約2反(二千平方メートル)で、発電容量は57.9キロワットである。
支柱の高さは、3.5メートルで、パネル下での農作業に影響はない。これを、手作りで行い、10カ
月かけて完成したという。営業開始は、2013年10月15日。
ここでは、標準より小型のパネルを使用。
パネル間隔を大きくし遮光率(パネル面積÷設置面積)を25.5%と低く設定。また、パネルの上下
取り付け角度は0度(水平)から90度(垂直)までの可変式。現在、下の畑では様々な作物の栽培
を行い、この遮光率ならほとんどどんな作物にも対応できるという。

耕作放棄地だけで発電量の10%

ところで、ソーラーシェアリングの全国展開には、農業の生産性に影響が出るとの不安があるが、
その前にやることがある。それは、全国に40万haもあると言われる耕作放棄地の開放。
現在の太陽
光パネルの変換効率と標準的な設置方法によれば土地面積1.5ヘクタール当り1メガワット程度を
設置できる。全国の耕作放棄地40万ヘクタール全部使うと、発電能力は2.7億キロワット。年間発電
量は2700億キロワットアワー、総需要の27%となる。農地を農業以外の目的に使うには、農業関係
者の間で反発が強いが、TPP交渉も激しさを増し、農業においても関税の撤廃や大幅削減がさけら
れない情勢だ農業における収入源を補完するのは農業である必要はなく、ソーラーシェアリングを
行い、売電収入で所得を確保した上で、効率的な農業をやればよい。また、永久転用が可能な場合に
は、ソーラーシェアリングに限定せず太陽光発電を中心とした再エネ発電に参入するべきだと提案
している。

 

最近、AGC(旭硝子株式会社)から相次いで2つの新製品が公表された。その1つが上図の薄型
強化ガラスで、5月から従来型のソーラーパネルに比べて重量を約半分にした超軽量ソーラーパネ
ル「ライトジュールTM」の販売を開始するという。薄くて強い化学強化特殊ガラス“Leoflex○R ”
をカバーガラスとして使用することで、軽量化を実現。荷重制限のため従来型のソーラーパネルの
設置が難しい屋根の場合、設置するパネル数を減らす、もしくは設置するために補強工事を施す必
要があり、「ライトジュール」は、パネル自体が軽量のため、そうした箇所にも補強工事をすると
なくパネルを設置することができ、従来型と比べてコストをかけずにパネルの設置面積を拡大する
ことができるとのこと。これに先行して、フジプレアムの超軽量太陽電池モジュール「希」と同じ
構造原理。フジプレアムはこれを、阪神電鉄大石駅に導入している。


2つめは、フロート法で生産するガラスとして世界最薄となる0.05ミリ厚の超薄板ガラス“SPOOL○R”
を、幅1,150ミリ、 長さ100メートルのロール状に巻き取ることに成功したと公表(上写真)。

薄板ガラス“SPOOL”は、透明性、耐熱性、耐薬品性、ガスバリア性、電気絶縁性など ガラスの優
れた特長に加え、非常に薄く、軽量でフレキシブルであることを活かし、 フレキシブルディスプレ
イや有機EL照明、タッチパネルなど最先端のアプリケーションへの採用が期待されているとし、
“SPOOL”をロールに巻くことで、ロール・トゥ・ ロール方式の生産プロセスに対応することが可
能になり、また、生産 ラインを変更することなく超薄板ガラスの利用を実現する積層基板技術の
展開も進めているという。

●環境品質展開とはなにか

ところで、旭硝子のシリコン結晶(無機)薄膜を利用しよりソーラーパネルの軽量化或いは強靱化
を図るか、「発電・発光する農ポリフィルム」(『アリスタとフェンネルシード』)のような有機
系機能性薄膜で図るかということも有力な選択肢だが、前者とのハイブリッド化もまた有力な選択
肢でもあるだろう。手前味噌でいうのだが、農産物の生産の高度化あるいは高次化には、植物工場
を標榜した
 、「発電・発光・遮光する農ポリフィルム」の方が「ソーラーシュアリング」よりも有利に思えるの
だが、今夜は品質機能展開(Quality Function Deployment)、つまり、新製品開発の際,十分品
質の高い製品を製造するためには,設計段階から品質に配慮しておくべきと考えるのは自然なこと
だが、品質を高めるために,具体的に設計段階で何をすべきかは必ずしも自明ではない。品質機能
展開は表の行に目的とする品質(要求品質)を,列に直接管理可能な要素(品質要素)を記入した
二元表(品質要求展開表)を用い,互いの関係付けから重要性の高い品質要素は何か(=設計段階
で何をコントロールすべきか)を明らかにする手法で、これを環境推進(対策)に応用できないか
謂わば、『環境品質展開』として再設計できないかと、「ソーラーシュアリング」の提案記事に接
して、ふとそう思ったわけだ。

 

  

 

   渡会にとって、同時に二人か三人の「ガールフレンド」を持つのは当たり前のことだった。
 彼女たちはそれぞれに夫や恋人がいるので、そちらのスケジュールが優先されたし、当然のこ
 とながら彼の時間の取り分は少なくなる。だから何人かの恋人を同時にキープしておくのは、
 彼にとってはあくまで自然なことであり、とくに不誠実な行為には思えなかった。しかしもち
 ろんそんなことは相手の女性たちには黙っておく。できるだけ嘘はつかないようにするが、開
 示する必要のない情報は開示しないでおくというのが、彼の基本的な姿勢だった。

  渡会の経営するクリニックには、長年彼のために働いている優秀な男性秘書がいて、渡会の
 そういう込み入ったスケジュールを、熟練した空港の管制官のようにうまく調整してくれた。
 仕事上の段取りに加え、アフターアワーズの女性たちとの私的なスケジュールの調整も、いつ
 の間にか彼の職務に含まれるようになっていた。彼は渡会のカラフルな私生活の細部をすべて
 把握しており、余計なことはいっさい口にせず、その多忙ぶりにいちいちあきれた顔もせず、
 飽くまで事務的に職務をこなした。女性たちとの約束が重なったりしないように、うまく交通
 整理をしてくれた。渡会が現在つきあっている女性たち一人一人の月経周期まで――にわかに
 は信じがたいことだが――彼はおおよそ頭に入れていた。渡会が女性と旅行に行くときには、
 列車の切符を手配し、旅館やホテルの予約までとってくれた。もしその有能な秘書がいなかっ
 たら、まず間違いなく、渡会の華麗な私生活はこれほどまで華麗には運営されていなかったは
 ずだ。彼は感謝の意味を込めて、機会あるごとにそのハンサムな秘書(もちろんゲイだった)
 に贈り物をした。
 
  ガールフレンドたちと彼との関係が、その夫や恋人に露見して、重大な問題に発展したり、
 渡会が具合の悪い立場に立たされたりしたことは、幸いにしてまだ一度もなかった。彼はもと
 もとが慎重な性格だったし、女性にもできるだけ用心深くなるように忠告していた。急いで無
 理をしないこと、同じパターンを続けないこと、嘘をつかなくてはならないときはなるべく単
 純な嘘をつくこと、その三つが彼のアドバイスの要点だった(それはおおむねかもめに空の飛
 び方を教えるようなものだったが、いちおう念には念を入れて)。

  とはいえ、まったくトラブルと無縁であったわけではない。それだけの数の女性を相手に、
 長年にわたってかくも技巧的な関係を続けてきて、トラブルが皆無ということはいくらなんで
 もあり得ない。猿にだって技を掴み損ねる日はやってくる。中にはいささか注意力の不足した
 女性もいて、その疑り深い恋人が彼のオフィスに電話をかけてきて、医師の私生活について、
 またその倫理性について疑問を呈したこともあった(彼の有能な秘書が言葉巧みに処理した)。
 あるいは彼との関係に深くのめり込み過ぎて、判断能力にいささかの混乱をきたした人妻もい
 た。その夫はたまたまかなり高名な格闘技の選手だった。しかしそれもなんとか大事には至ら
 なかった。医師が肩の骨を析られるような不幸な事態はもたらされなかった。

 「それはただ運がよかったというだけじゃないんですか」と僕は言った。
 「たぶん」と彼は言って笑った。「たぶん私はついていたんでしょう,でもただそれだけじゃ
 ありません。私は頭の切れる人間だとはとても言えませんが、こういうことになると意外に機 
 転が利くんです」

 「機転が利く」と僕は言った。

 「なんと言えばいいのか、危うくなりそうなところで、はっと智恵が働くというか……」、渡
 会は口ごもった。その実例が急に思い浮かばないようだった。あるいはそれは、目にするのが
 はばかられるようなことだったのかもしれない。
  僕は言った。「機転といえば、フランソワ・トリュフォーの古い映画にこんなシーンがあり
 ました。女が男に言うんです。『世の中には礼儀正しい人間がいて、機転の利く人間がいる。
 もちろんどちらも良き資質だけど、多くの場合、礼儀正しさより機転の方が勝っている』って。
 その映画をごらんになったことはあります?」

 「いいえ、ないと思います」と渡会は言った。

 「彼女は具体例をあげて説明します。たとえばある男がドアを開けると、中では女性が着替え
 をしているところで、裸になっています。『失礼しました、マダム』と言ってすぐさまドアを
 閉めるのが礼儀正しい人間です。それに対して、『失礼しました、ムッシュー』と誤ってドア
 をすぐさま閉めるのが機転の利く人間です」
 「なるほど」と渡会は感心したように言った。「とても面白い定義だ。言わんとするところは
 よくわかります。私自身そんな状況に遭遇したことは何度かあります」
 「そしてそのたびに機転を利かせて、うまく切り抜けることができた?」
  渡会はむずかしい顔をした。「でも私はあまり自分を買いかぶりたくはありません。やはり
 基本的にッキに恵まれていたのでしょう。私は飽くまでッキに恵まれていた礼儀正しい男です,
 そう思っていた方が無難かもしれません」

  いずれにせよ、渡会氏のそういうツキに恵まれた生活はおおよそ三十年にわたって続いた。
 長い歳月だ。そしてある日、彼は思いもよらず深い恋に落ちてしまった。まるで賢いキッネが
 うっかり落とし穴に落ちるみたいに。  
  彼が恋に落ちた相手は十六歳年下で、結婚していた。二歳年上の夫は外資系IT企業に勤め
 ており、子供も一人いた。五歳の女の子だ。彼女と渡会がつきあうようになって一年半になる。

 「谷村さんは、誰かのことを好きになりすぎまいと決心して、そのための努力をしたことはあ
 りますか?」と渡会があるとき僕に尋ねた。たしか夏の初めの頃だったと思う。渡会と知り合
 って一年以上が経っていた。

  そんな経験はなかったと思うと僕は答えた。

 「私もそんな経験はありませんでした。でも今ではあります」と渡会は言った。
 「誰かを好きになりすぎないように努力している?」
 「そのとおりです。ちょうど今、そういう努力をしているところです」
 「どんな理由で?」
 「きわめて単純な理由です。好きになりすぎると気持ちが切なくなるからです。つらくてたま
 りません。その負担に心が耐えられそうにないので、できるだけ彼女を好きになるまいと努め
 ています」
  彼は真剣にそう言っているようだった。その表情には日頃のユーモアの気配はうかがえなか
 った。
 「具体的にはどんな風に努力するんでしょう?」と僕は尋ねた。「つまり、好きになりすぎな
 いように」
 「いろいろです。いろんなことを試してみます。でも基本的には、できるだけネガティブなこ
 とを考えるようにします。彼女の欠点を、というかあまり良くない点を思いつく限り抜き出し
 て、それをリストにします。そして頭の中でマントラを唱えるみたいにそれを何度も何度も反
 復し、こんな女を必要以上に好きにはなるまいと自分に言い聞かせます」
 「うまくいきました?」
 「いや、あまりうまくはいきません」と渡会は首を振って言った。「彼女のネガティブなとこ
 ろがそれほどたくさん思いつけないということがひとつあります。またそういうネガティブな
 部分にさえ自分が強く心を惹かれているという事実があります。もうひとつには、自分の心に
 とって何か必要以上であり何かそうではないのか、それすら見分けられなくなっているという
 ことがあります。そういう仕切りの線がよく見えないんです。そんなとりとめない、見境のな  
 い気持ちを抱くのは生まれて初めてのことです」

  これまでたくさんの女性とつきあってきて、そんな風に深く心が乱されたことは一度もなか
 ったのかと僕は尋ねた。

 「初めてです」と医師はあっさりと言った。それから古い記憶を奥の方から引っ張り出してき
 た。「そういえば高校生のとき、短いあいだですが、それに似た気持ちを昧わったことはあり
 ます。誰かのことを考えると胸がしくしく痛んで、他にほとんど何も考えられなくなるような
 ……。でもそれはあてもない片想いのようなものでした。でも今はそれとはまったく違います。
 私はもう立派な大人ですし、現実的に彼女と肉体関係を持っています。それなのに私はこうし
 て混乱をきたしています。彼女のことを考え続けていると、なんだか内臓の機能までおかしく
 なってしまいそうです。主に消化器系と呼吸器系ですが」
 
  渡会は消化器系と呼吸器系の具合を確かめるように、しばし沈黙を守った。

 「話をうかがっていると、あなたは彼女を好きになりすぎまいと努力しつつ、同時に彼女を失
 いたくないと一貫して望んでもいるみたいですね」と僕は言った。
 「ええ、そのとおりなんです。それはもちろん自己矛盾です。自己分裂です。私は正反対のこ
 とを同時に望んでいるんです。どれだけ努力してもうまくいきっこありません。でもどうしよ
 うもない。何にせよ彼女を失うわけにはいかないのです。もしそんなことになったら、私自身
 までどこかに失われてしまうことでしょう」
 「でも相手は結婚していて、子供も一人いる」
 「そのとおりです」
 「それで、彼女は渡会さんとの関係についてどう考えているのですか?」
  渡会は少し首を傾げ、言葉を選んでいた。「彼女が私との関係をどのように考えているか、
 それは推測するしかないし、推測は私の心を更に混乱させるだけです。ただ彼女は今の夫と離
 婚するつもりはないと明言しています。子供もいることだし、家庭を壊したくはないと」
 「でもあなたとの関係は続けている」
 「今のところ、私たちは機会を見つけて会っています。でも先のことはわかりません。彼女は
 夫に私との関係を知られることを恐れ、いつか私と会うことをやめてしまうかもしれません。
 あるいは実際に夫にそれを知られ、私たちは現実的に会えなくなってしまうかもしれない。そ
 れとも彼女はただ単純に、私との関係に飽きてしまうかもしれません。明日何か起こるか、ま
 るでわからないんです」
 「そしてそのことが渡会さんを何より怯えさせる」
 「ええ、そんないくつかの可能性について思いを巡らせていると、他のどんなことも考えられ
 なくなってしまいます。食べ物もろくに喉を通りません」までどこかに失われてしまうことで
 しょう」
 「でも相手は結婚していて、子供も一人いる」
 「そのとおりです」
 「それで、彼女は渡会さんとの関係についてどう考えているのですか?」
 
  渡会は少し首を傾げ、言葉を選んでいた。「彼女が私との関係をどのように考えているか、
 それは推測するしかないし、推測は私の心を更に混乱させるだけです。ただ彼女は今の夫と離
 婚するつもりはないと明言しています。子供もいることだし、家庭を壊したくはないと」

 「でもあなたとの関係は続けている」
 「今のところ、私たちは機会を見つけて会っています。でも先のことはわかりません。彼女は
 夫に私との関係を知られることを恐れ、いつか私と会うことをやめてしまうかもしれません。
 あるいは実際に夫にそれを知られ、私たちは現実的に会えなくなってしまうかもしれない。そ
 れとも彼女はただ単純に、私との関係に飽きてしまうかもしれません。明日何か起こるか、ま
 るでわからないんです」
 「そしてそのことが渡会さんを何より怯えさせる」
 「ええ、そんないくつかの可能性について思いを巡らせていると、他のどんなことも考えられ
 なくなってしまいます。食べ物もろくに喉を通りません」


                   村上春樹 著『独立器官』(文藝春秋 2014年 3月号)

                                   この項つづく


 

 

 

 

 

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加速するナノテク 2

2014年05月26日 | ネオコンバーテック

 

 

 

 

  


幼い頃は医者の世話になっていたが、なぜか、将来の職業の選択肢に「医者」とい
う言葉は一度もあがることはなかった。親戚らの、医師のステータスや高額年収の
話にもとんと興味が湧かなかった。手先は器用な方だが(過敏症とでもいえるぐら
い手指や聴覚・臭覚は鋭敏なため他の人とは違ったを経験をしている)、外科手術
の場面を想像しただけでも吐き気・嘔吐感をおぼえる始末。さて、――「紳士とは、
払った税金と寝た女性について多くを語らない人のことです」とあるとき彼は僕に
言った――今夜はこの句韻が響き残った。
 

  ガールフレンドたちとの別れはほぼ定期的にやってきた。他に恋人のいる独
 身女性の多くはある時期がくると、「とても残念だけれど、あなたとはもう会
 えないと思う。近く結婚することになったから」と彼に告げた。彼女たちは三
 十歳になる少し前と、四十歳になる少し前に結婚を決意することが多かった。
 年末が近づくとカレンダーがよく売れるのと同じように。渡会はそのような通
 告を常に平静に、そして適度な哀しみを込めた微笑を浮かべて受け入れた。残
 念ではあるけれど、それはまあ仕方のないことだ。結婚という制度は、彼自身
 にはまったく向いていないにせよ、やはりそれなりに神聖なものだ。尊重しな
 くてはならない。

  そういうときには、彼は値のはる結婚祝いを買ってやり、「結婚おめでとう。
 誰よりも幸せになってほしい。君は賢くてチャーミングな美しい女性だから、
 そうなるだけの権利がある」と祝福した。それはまた彼の正直な気持ちでもあ
 った。彼女たちは(おそらく)純粋な好意から、渡会に素敵な時間を、彼女た
 ちの人生の貴重な一部を与えてくれたのだ。それだけでも心から感謝しなくて
 はならない。彼にそれ以上の何を求めることができるだろう?
  しかしそのようにしてめでたく神聖な結婚を遂げた女性たちのおおよそ三分
 の一は、何年かあとに渡会のところに電話をかけてきた。そして明るい声で
 「ねえ、渡会さん、よかったらまたどこかに遊びにいかない?」と誘った。そ
 して彼らは再び心地よい、かつあまり神聖とは言いがたい関係を持つようにな
 った。気楽な独身者同士から、独身者と人妻という少し込み入った(それだけ
 にまた喜びの深い)関係に移行したわけだ。でも実際に二人がやることは―い
 くぶん技巧性が増しただけで―ほぼ同じだった。結婚をして会わなくなった女
 性たちの残りの三分の二は、もう連絡をしてこなかった。彼女たちはたぶん穏
 やかで満ち足りた結婚生活を送っているのだろう。優れた家庭婦人になり、子
 供も何人かつくったかもしれない。彼がかつて優しく愛撫した素敵な乳首から、
 今頃は赤ん坊に授乳しているかもしれない。渡会はそれはそれで嬉しく思った。

  渡会の友人たちのほとんどは結婚していた。子供たちもいた。渡会は何度か
 彼らの家を訪れたが、うらやましいと感じたことはただの一度もない。子供た
 ちは小さいうちはそれなりにまずまず可愛いのだが、中学生や高校生になると
 ほぼ例外なく大人たちを憎み、侮蔑するようになり、意趣返しのように困った
 問題を起こし、両親の神経と消化器を容赦なく痛めつけた。一方、親たちの頭
 にあるのは子供を名門校に入れることばかりで、学校の成績のことでいつも苛
 立っており、その責任のなすりつけあいで夫婦間の口論も絶えないようだった。
 子供たちは家ではろくすっぽ□もきかず、部屋に一人で龍もって級友だちと果
 てしなくチヤットするか、得体の知れないポルノ・ゲームに耽るかしていた。
 
 そんな子供たちを自分も持ちたいという気持ちには、渡会はどうしてもなれな
 かった。「なんのかんのいっても、子供はいいものだぞ」と友人たちは口を揃
 えて言ったが、そんな売り文句は到底信用できるものではない。彼らはたぶん
 自分たちが背負っている重荷を、渡会にも背負わせたいだけなのだ。世界中の
 人間が自分たちと同じようなひどい目にあう義務があると、勝手に思い込んで
 いるだけなのだ。
 
  僕自身はまだ若いうちに結婚し、以来切れ目なく結婚生活を維持してきたわ
 けだが、たまたま子供はいないので、彼のそのような見解は(いささかの図式
 的偏見と修辞的誇張は見受けられるにせよ)ある程度まで理解できる。ほとん
 どそのとおりかもしれないとさえ思う。もちろんそんな悲惨なケースばかりで
 はない。この広い世界には、子供と両親が終始良好な関係を保っている美しく
 幸福な家庭だって―だいたいサッカーのハットトリックくらいの頻度で―存在
 する。しかしこの僕にそういう少数の幸運な親の仲間入りができたかというと、
 そんな自信はまったくないし、渡会氏がそんな親になれるタイプだとも(とて
 も)思えない。誤解を恐れずひとことで表現してしまうなら、渡会は「人当た
 りの良い」人物だった。負けず嫌いなところとか、劣等感とか嫉妬心とか、過
 度の偏見やプライドとか、何かへの強いこだわりとか、鋭敏すぎる感受性とか、
 頑なな政治的見解とか、そういう人格のバランスの安定を損ないかねない要素
 は、少なくとも表面的にはまったく目につかなかった。まわりの人々は彼の裏
 のない気さくな性格と、育ちの良い礼儀正しさと、明るく前向きな姿勢を愛し
 た。そして、渡会のそのような美質は、とりわけ女性たち―人類のおおよそ半
 分を占める―に対してより集中的に、効果的に向けられた。女性に対する細や
 かな思いやりと気配りは、彼のような職業の人間にとって欠くことのできない
 技能ではあったが、渡会の場合のそれは、必要に迫られて後天的に身についた
 テクニックではなく、持って生まれたナチュラルな資質であるらしかった。美
 しい声や、長い指なんかと同じように。そんなわけで(もちろんそれに加えて
 技術が確かなこともあって)、彼の経営するクリニックは繁盛していた。雑誌
 などに広告を出さなくても、予約は常にいっぱいだった
 
  おそらく読者諸氏もご存じのように、その手の「人当たりの良い」人物は往
 々にして人間として深みを欠き、凡庸で退屈であることが多い。しかし渡会の
 場合はそうではなかった。僕はいつも、週末にビールを飲みながら彼と過ごす
 一時間を楽しんだ。渡会は話がうまかったし、話題も豊富だった。彼のユーモ
 アのセンスにはややこしい含みがなく、ストレートで実際的だった。美容整形
 についてのいろんな面白い裏話を聞かせてくれたし(もちろん守秘義務を侵さ
 ない程度に)、女性に間する数多くの興味深い情報を聞示してくれた。しかし
 そういう活か下世話に流れることは一度もなかった。彼は彼女たちのことを常
 に敬意と愛情を込めて語ったし、特定の個人に結びつく情報はいつも注意深く
 伏せられていた

 「紳士とは、払った税金と、寝た女性について多くを語らない人のことです」
 とあるとき彼は僕に言った。
 「それは誰の言葉ですか?」と僕は尋ねた。
 「私が自分でつくりました」と渡会は表情を変えずに言った。「もちろん税金
 の話は、ときどき税理士相手にしなくちゃなりませんが」

 
              村上春樹 著『独立器官』(文藝春秋 2014年 3月号)

                              この項つづく



 

 

 

  



【加速するナノテク:有機トランジスタ】

昨夜につづいて、『今夜もテクがてんこ盛り。』で紹介した「有機薄膜トランジス
タを室温印刷によって初めて形成 1℃の昇温も行わない室温プリンテッドエレク
トロニクスを確立」(2014.05.08、物質・材料研究機構、岡山大学、株式会社コロ
イダル・インクなどのグループが、大気下・室温での完全印刷プロセスによって、
有機薄膜トランジスタ(TFT)を形成するプロセスを確立。また、室温印刷プロセス
によってフレキシブル基板上に形成した有機TFTにおいて、平均移動度7.9 cm2 V-1 s-1
を達成)につづき、岡山大学の岡本秀毅准教授、江口律子助教、久保園芳博教授ら
の研究グループが、今度は、毎秒1ボルト当たり21平方センチメートルという動
作速度の電界効果移動度を実現した有機薄膜トランジスタ(TFT)を開発。フェ
ナセンと呼ばれる低分子材料を使って作製したもので、同材料による有機TFTの
移動度としては 21 cm2 V-1 s-1 と世界最高レベルを達成したことを公表。



開発した有機TFTは、フェナセン系分子のうち、5個のベンゼン環からなるピセンに、炭素
14個で構成されたアルキル鎖を2個つけた分子の効率的な合成法によって作製。化学的
に安定しており、半導体の基本特性であるバンドギャップが大きく、高分子材料による有
機TFTよりも均一に作れる。また高誘電性の絶縁膜である「チタン酸ジルコン酸鉛」を使う
ことで、7・9ボルトの電圧動作を実現。これまで高分子材料を使った場合、毎秒1ボルト当
たり 23.7 平方センチメートルの移動度が最高レベルとされている。しかし、低分
子材料による同TFTでは同17.2平方センチメートルが最高レベル。



岡山大学で新たに合成された材料を使って、世界最高レベルのデバイスが作製され
たことで
、有機エレクトロニクスを使ったフレキシブルディスプレイの駆動、電子
ニューズペーパーの実現、フレキシブルICタグの作製などの次世代エレクトロ二ク
スデバイスの実用化に、この系列の分子が大きく貢献できる。これまでのフェナセ
ン分子を使った有機薄膜トランジスタが、非常に高い電界効果移動度を示すことを
解明してきたが、6個のベンゼン環からなるフェナセン薄膜電界効果トランジスタ
が、7.4 cm2 V-1 s-1の高移動度を示すことを発見。今回のアルキル置換ピセンを使
った薄膜トランジスタが、それを上回る高移動度であった。実用化のために、フェ
ナセン系列の分子が極めて有用であるを立証したことになる。この物質は空気中で
も非常に安定し、高誘電性の絶縁膜である「チタン酸ジルコン酸鉛」を使って、し
きい電圧(絶対値)10 V以下が実現されているので、実用化に向けてのハードルが
低いものになる。



特開2010-143895 ピセン化合物の製造方法およびピセン化合物の結晶体

今回の発明は、岡山大学の久保園芳博・岡本秀毅・山路稔・郷田慎らの上図新規考
案の「ピセン化合物の製造方法」の先行知財が基礎となっている。 "ローマは一日
にして成らず" と言うことだろう。
 

朝から、目と頭が重く、アレルギー症状かとも思えたが作業を続けていたが、頭は
回転せず
名案・ひらめきも出ず、上右の挿絵のように頭の中は散らかったままで、
整理も整頓も一向にらちがあがらず、夕食後、たまらずベンザブロックLを服用す
る。ということで明日また出直すことに。
 

 

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加速するナノテク

2014年05月25日 | ネオコンバーテック

 

 


【ナノ粒子をマイクロミキサーで連続製造】

産業技術総合研究所とコニカミノルタ株式会社らのグループは、厚さ数ナノメート
ルの板状の有機半導体材料のナノ粒子を連続的に製造する方法を開発したことを公
表。
この技術はマイクロミキサーと呼ばれる細い混合流路を使って、有機半導体材
料の溶液と、有機半導体材料が溶けない液体を急速に混合し、ナノメートルサイズ
の粒子を析出させるものである。これにより、厚さ数ナノメートルの有機半導体材
料の板状ナノ粒子が連続的に得られるという。このような薄い板状の有機半導体材
料ナノ粒子からなる薄膜を積層することにより、柔軟で薄いディスプレーや照明、
有機太陽電池など有機薄膜デバイスの高性能化への貢献が期待されてい
るというが、
このテーマ領域に関する情報は見逃せないということでピック・アップする。





ところで、これらの有機薄膜デバイスを普及させるためには、低コストで大面積の
有機半導体薄膜を積層する技術が求められている。従来、このような薄膜は、有機
半導体材料を真空・高温で気化させて基材上に析出させる真空蒸着法や、溶媒に溶
解した有機半導体材料を基材に塗布する溶液塗布法により製造されているが、前者
は高真空や高温が必要なため高コストで大面積化が難しく、後者は重ね塗りの際に
下層が溶解してしまうため積層が難しいといった問題を抱えている。これに対し、
有機半導体材料をナノ粒子にし、それが分散した液を用いて成膜する手法が提案さ
れているが、数十ナノメートルよりもサイズの小さなナノ粒子を量産することは困
難であった。

 

それでは、どうして作るのだろうか?有機化合物をナノ粒子化する方法の一つに
沈法
ある。これは、有機化合物の溶液とその有機化合物が溶けない液体(貧溶媒)
を混合すると、混合した液体への有機化合物の溶解度が低下することを利用し、溶
けきれなくなった有機化合物を固体ナノ粒子として析出させる方法だ。今回開発し
た技術は、再沈法を利用したもので、マイクロミキサーとよばれる0.1~1ミリメー
トル程度の内径をもつ流路を用いて、有機半導体材料の溶液と貧溶媒を高速かつ均
一に混合させてナノ粒子を析出・製造する方法。これによりナノ粒子が連続的に製
造できるという。




【波長変換デバイス及びその製造方法】 

産業技術総合研究所とコニカミノルタ株式会社は共同でこの他に「微細周期構造を
有する炭化ケイ素モールド及びその製造方法」「太陽電池測定用基準セル保護装置
ならびにそれを用いる基準セル装置および光源システム」などの新規技術の提案を
行っているが、コニカミノルタの下記の「特開2014-034609 波長変換デバイス及び
その製造方法」に注目した。

現在、太陽電池は、光を起電力に変換する層に、単結晶シリコン、多結晶シリコン、
球状シリコン、アモルファスシリコン、CdTe、Cu(In,Ga)Se2を用いた
ものが主流だが、分光感度が可視光領域に限られているものが多く、太陽光のうち
紫外領域を効率よく電気エネルギーに変換できずにいる。また、結晶シリコン太陽
電池には、波長400nm以下の紫外線の吸収による温度上昇に伴って、光電変換
効率が低下するという欠点をもつ。その対策として(1)紫外光をカットせずに太
陽電池セルに達するようにする方法、(2)受光面側に、紫外光を可視光に波長変
換する波長変換層を設けることにより太陽電池の発電効率を向上させる方法、(3)
は(2)の波長変換物質に希土類イオンをドープしたペロブスカイト型酸化物で熱
的及び化学的安定性を有する蛍光体材料を用いる方法などが提案されている。 

現在、得られた板状ナノ粒子の分散液を用いた成膜試験を進めている。今後は、よ
り成膜に適したサイズの板状ナノ粒子や高濃度の分散液を得るためのナノ粒子化条
件の最適化に取り組み、有機薄膜デバイスとしての性能評価を行い、5年以内の実
用化に向けて開発を進める予定だという。

しかし、(1)は紫外領域での太陽電池セルの分光感度が低いために効果が少なく、
十分な透明性が得られない、十分な耐久性が得られないという問題が指摘されてい
る(下図クリック)。

 JP 2008-235610 A 2008.10.2


また、(2)では例えば、酸化亜鉛等の酸化物粒子を塗布することにより波長変換
層を形成することが知られ、化学的安定性に優れて長期間の耐久性が向上している
が(下図クリック)。

 
JP 2011-213744 A 2011.10.27

さらに、(3)の希土類イオンをドープしたペロブスカイト型酸化物の蛍光体材料、
例えば、Pry(CaxSr1-x)1-yTiO3、但し0.1≦x≦1.0、0.0005≦
y≦0.05の領域の組成の酸化物蛍光体エピタキシャル薄膜で赤色に発光する無機
EL素子材料は、紫外線領域の波長200nm以上、特に300nm以上400n
m以下の紫外線を波長600nm以上の光に波長変換して光起電力装置の効率を向
上させる波長変換デバイスは塗布前に結晶性粒子であっても塗布後の波長変換層中
の粒子が、すべてアモルファス化してしまうために蛍光を発光しないと指摘されて
いる(下図クリック)。




これに対し、耐久性のある酸化物材料を用いて、波長300nm以上400nm以
下の紫外線を波長600nm以上の光に波長変換可能な波長変換デバイスが技術が
提案されている(下図クリック)。それによると(1)亜臨界ないし超臨界状態の
水中で水熱反応により、Pr、Ca、Sr、Tiを含有するぺロブスカイト型酸化
物蛍光体のナノ粒子含む膜を基板上に塗布方法で作製することで、紫外線光を赤色
光に変換する波長変換層を形成する。(2)また、基板側から入射されて透過した
300nm~400nm以下の紫外線が、蛍光体のナノ粒子に照射され赤色蛍光を
発光する。(3)ナノ粒子を含む波長変換層は透過率が90%以上で、
ナノ粒子が
結晶性の粒子であることを特徴とする。



以上は、産業技術総合研究所の「特開2014-034609 波長変換デバイス及びその製造方
法」による波長変換デバイス技術例ではあるが、これ以外に「特開2014-82416 ナノ
結晶蛍光体とその発光装置」(『第6則 エクスパンション』の【量子スケールと電
子デバイス】参照)のように量子サイズ効果を利用した技術提案もあるので、双
の進展を注視していく必要があるが、量子スケールデバイスの技術開発は加速されて
いくだろ。

 

 

  



さて、今夜は『独立器官』でリスタート。しばらくはイントロを楽しもう。

 

  内的な屈折や屈託があまりに乏しいせいで、そのぶん驚くほど技巧的な人生を歩まずにはい
 られない種類の人々がいる。それほど多くではないが、ふとした折りに見かけることがある。
 渡会医師もそんな一人だった。

  そのような人々はまわりの屈曲した世界に、(言うなれば)まっすぐな自分を合わせて生き
 ていくために、多かれ少なかれそれぞれに調整作業を要求されるわけだが、だいたいにおいて、
 自分がどれくらい面倒な技巧を用いて日々を送っているか、本人はそのことに気がついていな
 い。自分はどこまでも自然体で、裏も細工もなく率直に生きていると頭から信じ切っている。
 そして彼らが何かの拍子に、どこかから差し込んできた特別な陽光に照らされ、自らの営みの
 人工性に、あるいは非自然性にはっと思い当たるとき、事態は時として悲痛な、また時として
 喜劇的な局面を迎えることになる。もちろん死ぬまでそんな陽光を目にすることもない。ある
 いは目にしてもとくに何も感じない、恵まれた(としか言いようのない)人々も数多く存在す 
 るわけだが。

  僕が渡会という人物について当初知り得たことを、ここでひととおり記述しておきたい。そ
 の大半は僕が彼自身の目から直接間いたことだが、彼の親しくしている-そして信頼するに
 足る-人々から集めた話も部分的に混じっている。あるいは僕が観察した彼の日頃の言動か
 ら、「きっとこういうことだろう」と個人的に推測したことも多少含まれている。ちょうど事
 実と事実との隙間を埋める柔らかなパテのようなかたちで。つまり僕が言いたいのは、まった
 く純粋な客観的事実だけでこのポートレイトが出来上がっているわけではないということだ。
 だから読者諸氏が、ここに述べられたことを裁判の証拠品みたいなかたちで、あるいは商取引
 のための裏付け資料として(それがどのような商取引なのか見当もつかないが)使用されるこ
 とは、筆者としてはお勤めしかねる。

  しかしそのままずるずると後ずさりしてもらって(背後に崖がないことを前もって確かめて
 いただきたい)、適度の距離をとってそのポートレイトを眺めていただければ、細部の微妙な
 真偽はそれほど重要な問題にはならないことが、おそらくおわかりになるはずだ。そしてそこ
 には渡会医師という一個のキャラクターが、立体的かつ鮮明に浮かび上がってくるだろう――
 と少なくとも筆者は期待する。彼は要するに、どう言えばいいのだろう、「誤解を呼び込むス
 ペース」をそれほど潤沢には持ち合わせない人物だった。

  彼がわかりやすい単純な人物だったと言おうとしているわけではない。彼は少なくともある
 部分においては、複雑で複合的な、容易には把握しがたい人物だった。その意識下にどんな暗
 闇を抱え、背中にどんな原罪を負っているか、そんなことは僕にはもちろんわかりっこない。
 とはいえ、その行動の様式が一貫しているという文脈においては、彼の全体像を描くのは比較
 的容易であると言い切ってしまっていいのではないか。一人の職業的文章家として、いささか
 借越かもしれないが、そういう印象を当時の僕は持った。

  渡会は五十二歳になるが、これまで結婚したことはない。同棲の経験すらない。麻布の瀟洒
 なマンションの六階にある二寝室のアパートメントで一人暮らしを続けている。筋金入りの独
 身主義者といってもいいだろう。炊事も洗濯もアイロンがけも掃除も、家事はおおむね不足な
 くこなせるし、月に二度はプロフェッショナルのハウス・クリーニングを依頼する。もともと
 清潔好きの性格だし、家事をするのは苦痛ではない。必要に応じておいしいカクテルもつくれ
 るし、肉じゃがからスズキの紙包み焼きまで、一通りの料理をつくることもできる(この手の
 料理人の大方がそうであるように、食材の購入に際して金に糸目をつけないから、基本的にお
 いしいものができあがる)。家の中に女性がいなくて不自由を感じたことも、一人でうちにい
 て退屈を持てあましたことも、独り寝を淋しいと思ったこともほとんどない。少なくともある
 時点まではなかった、ということだが。



  職業は美容整形外科医。六本木で「渡会美容クリニック」を経営している。同じ職業の父親 
 から引き継いだものだ。当然ながら女性たちと知り合う機会は何かと多い。決して美男とは言
 えないが、顔立ちはまずまず無難に整っているし(自らが整形手術を受けようと思ったことは
 一度もない)、クリニックの経営はきわめて順調で、高い年収を得ている。育ちも良く、物腰
 も上品で、教養もあり、話題も豊富だ。頭髪もまだしっかり残っているし(白髪は少し目立ち
 始めたが)、あちこちに多少の余分な肉はついてきたものの、熱心にジムに通って若い頃の体
 形をなんとか維持している。だから、こういう率直な物言いはあるいは世間の多くの人々から
 強い反感を買うことになるかもしれないが、これまで交際する女性に不自由したことはない。
 
  渡会はなぜか若いうちから、結婚して家庭を持つということをまったく望まなかった。結婚
 生活は自分には向かないと妙にはっきり確信していた。だから結婚を前提とした男性との交際
 を求めている女性は、どれほど魅力的な相手であれ、最初から退けるようにしていた。その結
 果、彼がガールフレンドとして選ぶ相手はおおむね人妻か、あるいは他に「本命」の恋人を持
 つ女性たちに限られることになった。そういう設定を維持している限り、相手が渡会と結婚し
 たいと切望するような事態はまずもたらされない。もっとわかりやすく言えば、渡会は彼女た
 ちにとって常に気楽な「ナンバー2の恋人」であり、便利な「雨天用ボーイフレンド」であり、
 あるいはまた手頃な「浮気の相手」たった。そして実を言えばそのような関係こそが、渡会が
 最も得意とし、最も心地良くなれる女性とのかかわり方だった。それ以外の、たとえばパート
 ナーとしての責任分担が何らかの形で求められるような男女関係は、常に渡会を落ち着きの悪
 い気持ちにさせた。

  彼女たちが自分だけではなく、他の男たちにも抱かれているという事実は、とくに彼の心を
 悩ませなかった。肉体なんて結局のところ、ただの肉体に過ぎないのだ。渡会は(主に医師と
 いう立場から)そう思っていたし、彼女たちもだいたい(主に女性という立場から)そう思っ
 ていた。自分と会っているときに、彼女たちが自分のことだけを考えてくれていれば、渡会と
 してはそれで十分たった。それ以外の時間に彼女たちが何を考え、何をしているかなんて、そ
 れはひとえに彼女たちの個人的問題であって、渡会がいちいち思いなすべき問題ではない。口
 出しするなどもってのほかだ。
 
  渡会にとっては女性たちと食事を共にし、ワインのグラスを傾け、会話を楽しむこと自体が
 ひとつの純粋な歓びだった。セックスはあくまでその延長線上にある「もうひとつのお楽し
 み」に過ぎず、それ自体が究極の目的ではない。彼が求めるのは何よりもまず、魅力的な女性
 たちとの親密な、知的な触れあいだった。そのあとのことはそのあとのことだ。そんなわけで
 女性たちは自然に渡会に心惹かれ、彼と共にする時間を心置きなく楽しみ、その結果彼を進ん
 で受け入れることになった。これはあくまで僕の個人的見解だが、世の中の多くの女性は(と
 りわけ魅力的な女性たちは)、セックスにがつがつしている男たちにいい加減食傷しているの
 だ。これまでおおよそ三十年近く、何人くらいの女性たちとそういう関係を持ったか、数えて
 おけばよかったかなと思うこともある。しかし渡会はもともと数量にはさして興味を持たない
 人間だ。彼が求めるのはあくまで質だった。また相手の容貌にはそれほどこだわりを持たなか
 った。職業的関心がかき立てられるほどの大きな欠点がなければ、あるいは見ているだけであ
 くびが出るほど退屈でなければ、それで十分だった。容貌なんてその気になれば、そしてしか
 るべき金さえ積めば、ほとんどどのようにも変更できる(彼は専門家として、その分野におけ
 る数多くの驚くべき実例を知っていた)。それより彼が高く評価するのは、頭の回転が速く、
 ユーモアの感覚に恵まれ、優れた知的センスを具えた女性たちだった。話題に乏しく、自分の
 意見というものを持ち合わせない女性たちは、容貌が優れていればいるほど、渡会の気持ちを
 挫けさせた。どんな手術をもってしても知的スキルを向上させることはできない。機転の利く
 スマートな女性たちを相手に、食事のあいだ会話を楽しみ、あるいはベッドの中で肌を触れ合
 わせながらとりとめなく楽しい話をする。そういう時間を渡会は人生の宝として慈しんだ。
 
  女性関係に関して深刻なトラブルを抱え込んだことは一度もない。どろどろした感情的な葛
 藤は、彼の好むところではなかった。何かの加減で、そのような不吉な黒雲が地平線近くに姿
 を見せ始めると、彼は手際よくスマートに、事をいささかも荒立てることなく、能う限り相手
 を傷つけないようなかたちで身を引いた。まるで影が、迫り来る夕闇に紛れ込むみたいに素早
 く自然に。彼はベテランの独身者として、そういう技術に精通していた。


                   村上春樹 著『独立器官』(文藝春秋 2014年 3月号)

                                   この項つづく


 

 

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アリスタとフェンネルシード

2014年05月24日 | 開発企画

 



 

   Arista di maiale al forno (Toscana)

 

 

           ヘンネルとローズマリーとオレガノと額寄せては朝食のあと



ハーブな五月は二十四日の朝食の後、彼女が朝日新聞(わたしは新聞は読まないネット派)を
もち、先日のヘンネルを使ったローストポークは雑菌などの汚染が心配されて出来ないという
話を蒸し返し、豚肉のトスカーナ風(「気がるにもてなし流 薫風イタリアン④」)という手
があるじゃないのと宿題のテストの解答を見つけたように話し寄る。なぁ~~んだ、きみも考
ていたのか?!   

 

   Arista alla toscana

【アリスタ トスカーナ風】 

●材料(4人分):1キロの豚ロース、オリーブオイル、ニンニク、セージ、ローズマリー、
フェンネルの種子 小さじ1杯、塩、コショウ

●作り方:ローズマリー、セージ、ニンニクをみじん切り、フェンネルシードを潰し塩とコシ
ョウを混ぜミックスハーブを準備。豚ロース肉をタコ紐で縛り、包丁で穴を開けミックスハー
ブをすりこみで味付け。強火で豚肉を焼き、水2カップを注ぎ、1時間170℃のオーブンで焼け
ば出来上がり。
玉ねぎのビネガーで風味付して頂くのも芳し(ワイン:ロッソ·ディ·モンタル
チーノ:赤・辛口を推奨)。

●ところで、「アリスタ」の名前の由来は、1439年にフィレンツェで行われた公会議(東
方キリスト教会と西方キリスト教会の会議)にあるという。
コジモ・ディ・メディチがフィレ
ンツェに招致した会議。
 サンタマリアノヴェッラ教会で行われた会議は、西側はローマ法王
エウゲニウス4世、東側はビザンチン帝国の皇帝ヨハネス8世パレオロゴスの会議を実現。イ
タリア人(西側)とビザンチン人=ギリシャ人(東側)の文化的な交流の場ともなる。晩餐会
の席で、振舞われたのがこの豚肉の料理。この料理を食べながら、ギリシャの司教が、当時の
ギリシャ語で"Aristos"(絶品だ)と呟いたとか。イタリア人たちは、この料理がギリシャ語で
Aristosと勘違いし、それ以来、アリスタと呼ぶようになったという逸話が残っているとか。

 


 

  

       

 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 


●里山資本主義異論

さて、今夜でスローリードは完了する。最終総括の-「里山資本主義」で不安・不満・不信に
訣別を
日本の本当の危機・少子化への解決策-で根本原因分析」(Root cause analysis)とい
うのをご存知だろうか? 何かが起きている原因は何かを考える。次に、その原因が起きてい
るそのまた原因は何かと考える。それを繰り返して、根っこの根っこにある本当の原因にたど
り着く、そういう思考法のことだ。そのやり方で、現代の不安・不満・不信は何から来るのか
さらにその原因となっている何かは、何か原囚で立ち現れたのか、と考えて行ってみて欲しい」
と問いかけ、「今日本人が享受している経済的な繁栄への執着こそが、日本人の不安の火元の
源泉だ」と主張し(「繁栄するほど「日本経済衰退」への不安が心の奥底に溜まる」)、

者が先に衰えた高齢者を介護するNPO、公共スペースに花壇を作る各人会、小学生の通学時
に道路横断などを助けるボランティアのお年寄り、幼稚園や放課後の小学校などで子どもに遊
びを教えるおじいさんなどの活動例を挙げ
、「お金を稼がずとも社会的な価値を生み出す高齢者
も、もっと評価されていい」と主張しているが、半分同意できても、もう半分の”国民的な欲望”の多様性
が例え、拝金主義的であっても賛同できない。もっとも、「おわりに」の章で、「里山資本主義は、マネー
資本主義の生む歪みを補うサブシステム」と自ら”補完主義"であることを認めている。それでは、最終
章「おわりに 里山資本主義の爽やかな風が吹き抜ける、2060年の日本」を見てみよう。


  2060年の明るい未来

 
  里山資本主義の普及によって、出生数の際限ない減少をどこかで食い止めることができ、
 当面の高齢者の増加にも顕著なコスト増なしで対応できたとすると、2060年の日本は
 80
歳以下の各世代の数が大きく違わない、安定度の高い社会に生まれ変わっている。総
 人口
は8千万人台にまで減っているかもしれないし、金銭換算できない価値の循環の拡大
 が
GDPを下げているかもしれないが、実際の社会にはさまざまな面で明るい光が差して
 いる
ことだろう。
  まず、財界的には逼迫が予想される食糧需給に関しても、2060年の日本では自給率
 
大幅に上昇しているに違いない。輸人分を輸出分で相殺して計算すれば百%ということ
 も十分にあり得る。そもそも日本は温暖な気候、豊富な降水量、肥沃な土壌に恵まれた農
 業
適地だが、戦後に人口がハ割増する中で、多くの農地を都市間発して建物の下に埋めて
 来た。

  しかし今後の人口減少によって、それらの農地を不要になった建物の下から復活させる
 こと
ができる。しかも家庭菜園の増加や田舎への移住者による耕作放棄地の利用促進で、
 市場に
は出回らず金銭換算もされないが、実際には有効に消費される農産物も増えていく
 だろう。

   燃料需給に間しても、建材としての国産木材(を使った集成材)の利用が進むことによ
 り、
副産物としての本質バイオマス燃料が安価で出回って、オーストリアのようにエネル
 ギー自
給率が大きく高まっていくことになる。太陽エネルギーや地熱などのその他の自然
 エネルギ
ーに関しても、人口が減れば減るほど一人当たり利用可能なカロリー量は増える
 わけで、メ
タンハイドレードなどの実用化がなくとも、社会の安定性は大きく高まってい
 くことだろう。

  それもこれも、降水量と土壌と地熱に恵まれた、火山国日本ならではの自然の恩恵だ。
 日
本は、造山運動の盛んな脊梁山脈火山国であるがゆえにが余り浸食されずに標高高く保
 た
れていて、そこに季節風がぶつかるために多服の雨や雪がもたらされる。火山国ゆえの
 ミネラル分
の多い土壌が、作物の恵みをもたらす。地震国であることの対価として、恩恵
 も多いの
である。
  2060年には大規模火災時の安全性も増している。何かあったときに土砂が崩れてく
 る
可能性がある場所、水に浸される可能性のある場所から、人口減少に伴って住居を撤退
 させ
て行けるからだ。戦後に人口がハ割も増えてきた中、多くの湿地や傾斜地を住宅地と
 して開
発してきたが、人口が大幅な縮小に向かう今後は、生まれ育った場所から移動した
 くない高
齢者の方々が順に亡くなって行くのに合わせ、戦後の造成他の中の天災に弱い部
 分をゆっく
りと湿地や山林に戻していくことが可能になる。
  巨大な堤防を建設する資金があれば、リスクのある新開発地から、昔から人が住んでい
 る
安全な場所へと、人間を移していくことに投じた方が有効な使い方だ、という認識も徐
 々に
広まっていくことだろう。加えて、人口が過度に集中している大都市圈から田舎への
 人の逆
流が半世紀も続けば、生活の場のすぐ横に水と緑と田畑のある人口はもっと多くな
 る。マネ
ー資本主義のシステムが一時停止しても、しばらくは持ちこたえることができる
 人の比率が
はるかに高くなっていることも期待できる。

   国債残高も目に見えて減らしていくことが可能になる

  政府の膨大な借金はどうなっているのだろうか。「国債の新規発行は借り替えに必要な
 分
に限る」というルールを確立し、何とか残高がこれ以上増えない状態まで持ち込むこと
 がで
きたとしたら。偵重に過度のインフレを回避し、退職高齢者がなけなしの貯金を失う
 ことな
く已くなっていくという状況を続けることができたら。その先2060年の状況は
 どうなる
だろうか。
   実は、国債償還のツケがすべて若い世代に回ることにはならない、と予想される。なぜ
 な
ら今65歳を越えつつある昭和20年代前半生まれ(1940年代後半生まれ)が1千
 万
人を超えるのに対し、今0~4歳は5百万人しかいないからだ。数の多い高齢世代が
 蓄
えたものが、長い時間をかけて相続などの形で数の少ない若い世代にゆきわたっていく
 プロ
セスを利用して、国債残高を目に見えて減らしていくことが可能になる。
  使い切れないほどの額を残す富裕層への相続税の強化もあろうし、少子化の結果、子孫
 の
いない日本人がどんどん増えていることを活かして、相続人のいない財産を国庫に入れ
 る仕
組みにするということもできるだろう。まずは機械的、数理的に、高齢者が持つ貯蓄
 のどの
程度を国債償還に回していくのか外伜を計算し、それに応じて具体的な制度設計を
 組み合わ
せてゆけばよい。
  そもそも人口減少社会は、一人一人の価値が相対的に高くなる社会だ。障害者も高齢者
 も、
できる限りの労働で社会参加し、金銭換算できる、あるいは金銭換算できない価値を
 生み出
して、金銭換算できる。あるいは金銭換算できない対価を受け取ることが普通にで
 きるよう
になる社会でもある。
  機械化・自動化が進み、生産力が維持される中での人口減少は、人間一人一人の生存と
 自己実現をより容易に、当たり前にしていく。増えすぎた人口をいったん減らした後に一
 定水準で
安定させていくことこそ、地球という限られた入れ物から出られない人類が、自
 然と共
生しつつ生き延びていくための、最も合理的で明るい道筋なのだ。

 
  未来は、もう、里山の麓から始まっている

  2060年まで半世紀ある。50年という月日は時代が大きく変わるのに十分な時問だ。
 黒船来航騒動直後の1855年に、1905年に日本がロシアに戦争で勝つことを誰が予
 想
しただろうか。泥沼の戦争に深入りしつつあった1940年に、誰が平和な経済大国と
 して
バブルを謳歌する1990年の日本を想像できただろうか。工業化の進展の中で海も
 川も大
気もどんどん汚染されていた1960年に、空気も澄み多摩川に鮎が遡上するよう
 になった2010
年の東京を誰が思い描いただろうか。
  今から半世紀が過ぎる頃には、社会全体が抱くヴィジョン自体が大きく変わるし、社会
 に
本当に必要なことも、それを担う主体も変わる。
  問題は、旧来型の企業や政治やマスコミや諸団体が、それを担ってきた中高年男性が、
 
しい時代に踏み出す勇気を持たないことだ。古いヴィジョンに縛られ、もはや必要性の
 乏しいことを惰性で続け、新しい担い手の活力を受け入れることもできないことだ。しか
 し年月はやがて、消えるべきものを消し去り、新しい時代をこの島国の上にも構築してい
 く。結局未来は、若者の手の中にある。先に消え行く世代は誰も、それを否定し去ること
 ができない。
  里山資本主義は、マネー資本主義の生む歪みを補うサブシステムとして、そして非常時
 にはマネー資本主義に代わって表に立つバックアップシステムとして、日本とそして世界
 の脆弱性を補完し、人類の生き残る道を示していく。
  爽やかな風の吹き抜ける未来は、もう、一度は忘れ去られた脱出の麓から始まっている。

                              藻谷浩介 著『里山資本主義』



ここで、「旧来型の企業や政治やマスコミや諸団体が、それを担ってきた中高年男性が、新
い時代に踏み出す勇気を持たないことだ。古いヴィジョンに縛られ、もはや必要性の
乏しいこ
とを惰性で続け、新しい担い手の活力を受け入れることもできない」が起きない前提での2060
年の予測(あるいは予想)は楽観的ではないかと思える点が2つほどある。1つは、人為的な
地球温暖化禍のスピードが大きい場合や自然現象(地震火山などの地殻変動の活発化)による
災害などの影響評価、2つめは、太陽光発電の普及、あるいは、国内木材の消費促進+バイオ
マス燃料発電
の普及が実現し、さらに、食糧の百%自給(貿易収支換算)を実現した最高ゴー
ル達成の見通しに対する懐疑、1989年に始まる日米構造協議のようなバッシング、つまり、
膨大な貿易黒字による関係国との摩擦増大(反作用)の政治的なリスクの不安が過ぎる。も
っともこれは老婆心で、『贈与経済』を先行実行できるので問題ないとも思えるが。倫理的論
調、国家会計負債部の左辺偏重(収入部の右辺の意図的な?軽視あるいはサボタージュ)、そ
して、経済成長論に関する科学技術の寄与率の意図的な?軽視あるいはサボタージュという側
面で不満が残るにしろ本著書の価値を損なうものでない。

                                     この項了 

【根菜類の安定生産技術】

ところで、エネルギー問題は2060年にはこの日本では解決されていると考えている。3年
前、元東京都知事は太陽光発電は役にに立たぬと発言していたが、当時の変換効率10数パー
セント、現在は25%超が技術的クリアされることが見えてきたから、全国の電力は賄える数
字で、設置面積も1/2以下にダウンサイジングされる。これには、前述した「サトヤマ・キャピ
タリズム」で触れていたが、充電装置とセット、あるいは、書かれていなかったが、発光ダイ
オードなどの切り替え省エネもセットにすればなお効果的だ。そこに、国内木材消費促進政策
によるバイオマス燃料、バイオマスボイラー、バイオマス発電が、さらには、
風力・地熱など
が加わるから2020年にはエネルギー問題の解決の全景見渡せるだろう。問題は食糧問題、
つまり、枯渇と安全保障だがこの双方には大規模気候変動問題が大きく影響するため、農産物
の工業化という産業の高度化が安定生産には不可欠だ。とりわけ、穀物や根菜類の植物工場で
の栽培技術の向上も欠かせない。もっとも、遺伝子組み換え技術の取り扱いは慎重にしなけれ
ばならず、当面は育種法で対応しなければならないだろう。そこで、考えたというわけだ。茎
の主幹が地上3メートル、地下に大量の根を張るアスパラガスの栽培に白羽の矢をたてた。こ
れは、常識的には尻込みする挑戦だ。だからこそ、逆転の発想でアスパラガスの安定量産に成
功すれば、ほとんどのの穀物の植物工場化が可能となる、そう考えた(下図クリック)。アス
パラガスの寿命は15年だからライフワークの1つしては最適だろうと。

 

次に考えたのが、大根、カブラの植物工場化。これもいろいろ特許が出願され新しい技術が提
案され
ているが、目を惹いたのは、下図の椿本チエーンの省スペースで大根を横に寝かせて育
成する栽培する方法。この他ノズル噴霧での水耕栽培方法や赤・青・黄色の三色の発光ダイオ
ード照射制御、或いは酸素供給による成長促進(これは、消毒機能を兼用できるオゾン水でも
可能だろう)など3年前の研究から比して随分実用化の技術が充実している。勿論、エネルギ
ーにはバイオマスも太陽光も中心になるだろう。たとえば、「発電・発光する農ポリフィルム
」をロール・ツウ・ロールで製造すれば良いというわけだ。表面を強化した多層薄膜はガラス
以上の強度を持たせることができ、さらに軽いものとなろう。





そんなことを考えてみたというわけだが、当に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というわけ
で、リニアー建
設するより、高速道路の無料化を実現した方が経済効率が高いはずだ。こんな
ことを書いていると『里山資本主義』の著者から怪訝な顔をされるかもしれないが、セメント
と鉄鋼の重量の大きさで競い合う旧来の産業構造より進歩はしているとだけは言えるだろう。
また、これらの事業プランには高齢者の生き甲斐や少子化対策にも寄与できるとおもうのだが
今夜はこの辺で切り上げることに。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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マイコミおおさかと里山資本主義

2014年05月23日 | 時事書評

 

 

 

大阪市は、民間の画像投稿サイト「FixMyStreet Japan」(フィックス・マイ・ストリート ジ
ャパン)を活用して、地図情報上に地域課題やその解決に向けた取り組み状況等を投稿する「マ
イコミおおさか」の実証実験(トライアル運用)を市内8区で実施すると公表した。この「マ
イコミおおさか」とは、さまざまな世代が居住する大都市においては、従来からの人と人の対面に
よるコミュニケーションに加え、ICT(情報技術)を活用し、あらゆる世代が参加しやすいコミュニケ
ーションも必要だと考え、
画像投稿サイトをコミュニケーションツールとして積極的に活用する
ことを期待し、「マイコミュニティ」「マイコミュニケーション」の2つの意味を込めて「マイ
コミおおさか」とネイミングしたという。この実証実験は、市民同士、市民と行政がつながり、
日々発生しているさまざまな地域課題等を市民協働で解決する仕組みづくり構築に向け課題等を
整理じ、大都市にふさわしいコミュニケーションシステムの構築をめざすという。

(1)実施期間:<予定>平成26年4月14日(月曜日)から平成26年7月31日(木曜日)まで
(2)実施対象区:都島区、西区、天王寺区、浪速区、西淀川区、東淀川区、阿倍野区、住吉区
(3)使用アプリケーション:民間の画像投稿サイト「FixMyStreet Japan」を使用し、市は利用
 者の立場
で利用。この使用アプリケーションに登録された方であればどなたでも投稿が可能。
(4)運用:(ア)  投稿時間:インターネットにより、24時間365日課題等を投稿することが可能。
 (イ) 市の対応時間。
原則として、平日9時00分から17時30分まで。(ウ)  投稿の対象となる
 情報
地域にお ける道路、ごみ、その他の課題等投稿された課題に対する対応状況  地域の中
 の「これは
いいね!」という情報(おすすめの花見スポットなど) 。

正直、これは面白いね~~ぇ。行政サービスの品質向上に繋がった後の成果に期待。これに注目だ!

AppStoreでダウンロード
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※iOS搭載端末(iPhone、iPad等)をご使用の方 

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※Android搭載端末をご使用の方

 

  

       

 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 


●里山資本主義異論

大阪市の実証実験「マイコミおおさか」の例は、つまり、「ITによるコミュニティー強化」は
「都会のスマートシティ」と「地方の里山資本主義」の「車の両輪」社会を実現きるだろうか?
その期待を負って、ここでは、スマートシティが目指す「コミュニティー復活」が語られている
が、こんな小さな島国が、世界2位の経済大国に成長できたのは誰のおかげであったか、思いを
致すべきだ。「金の卵」たちのおかげなのだ。との件はさすが木っ端恥ずかしいくもあるが、こ
こでは、わたし(たち)がよく用いる、"高度消費資本主義社会(=前社会主義社会)" 的側面
をリアルに、具体的に紹介される。


  スマートシティが目指す「コミュニティー復活」

  驚くなかれ、「スマートシティの精神」の里山資本主義との符合は、まだ終わらない。
  スマートシティのシステムを導入するマンションは、エネルギーの効率的なシステムと共
 に、住民のつながり、みまもりを復活させるシステムを併せ持つことを目指しているのだ。
 どういうことか。
  コンピューターのシステムが各家庭の消費電力を把握し、コントロールするということは
 住民がどう暮らしているかという情報を管理している、ということでもある。こうした個人
 情報が漏れ出さないようにすることにも大きな努力と技術革新がつぎこまれている。そうし
 た情報に加工を施した上で、使えるものは使っていこうというわけである。
  全部の部屋の電気が消えたら家族は寝たのだなとわかる。テレビもエアコンも切られ、セ
 キュリティーを外から確認できるスイッチが入れられたら、外出するのだなとわかる。ひと
 り暮らしのお年寄りが倒れていないかは、トイレの使用や、お茶を飲むために使うポットの
 使用をチェックしておけば把握できる(すでにそうしたことは、離れて暮らす家族のための
 サー
ビスとして始まっている)。ばらばらで、同じ建物に住んでいてもつながりが薄いマン
 ション。

  そのつながりを取り戻すためにこのシステムを活用できないか、都会の孤独を解消できな
 い
かというのだ。
  毎週の会議で、メンバーたちが一番目を輝かせて議論し、アイデアを出し合っていたもの
 のひとつが、この「ITによるコミュニティー強化」だった。会合後の飲み会は、さらにこ
 の話で盛り上がる。
  実際にスマートシティのシステムを導入しようとするマンションの住民との会合でも、関
 心が集まるのは、ここだ。ただ便利なだけではない技術、人をきめ細かにいたわる技術であ
 ることが、住民たちの共感を集めていく。
  ビジネスや技術の最先端を切り拓こうとする日本人の多くは、ただ儲けたいのではない。
  むしろ、儲け以上に「理想」が大事なのだ。自分の目指す「人として、地域として、国と
 しての生き方」を実現するためのビジネスや技術でありたいのだ。
  その思いは東日本大震災後、さらに高まっている。会議で熱い議論をしていたその最中に

 大震災の異様な揺れを経験したメンバーたち。震災後のニッポンに自分たちが開発してきた
 ことを役立てなければならない、といち早く声を上げ、被災地復興にスマートシティのノウ
 ハウをつぎこんでいくアイデアを出し、動き出している。
  海外でも、企業軍団を仕切る佐々木氏は、ロシア・サンクトペテルブルクでの巨額受注に
 向け、動きを加速させている。
  私が広島に転勤し、里山資本主義の「運動」を始めたあと、久しぶりに出張した東京で主
 要メンバーのひとりと夕食を共にした。彼は、席につくなり興奮気味に自分の構想を話し始
 めた。「昔、ご近所でしょうゆを貸し借りしたり、荷物を預かったり、安否を気遣ったりし
 たのと同じことが、マンションライフでも提案できないか、考えているんです」と。没交渉
 になりがちなマンションの人間関係をつなぎ直し、温かみを感じるコミュニティーにしたい。
 その理想を、彼は真正面からつきつめようとしていた。
  私も、中国山地の元気なおじさんたちと取り組んでいる挑戦について話した。互いの話は
 刺激し合い、クロスして膨らんでいった。
 「なんだ、完全にI緒じやないか!」と爆笑した。我々は固く握手を交わし、これからも情
 報を交換し、刺激しあおうと約束した。

  「都会のスマートシティ」と「地方の里山資本主義」が「車の両輪」になる

  これからの日本に必要なのは、この両方ではないだろうか。都会の活気と喧噪の中で、部
 会らしい21世紀型のしなやかな文明を開拓し、ビジネスにもつなげて、世界と戦おうとい
 う道。鳥がさえずる地方の穏やかな環境で、お年寄りや子どもにやさしいもうひとつの文明
 の形をつくりあげて、都会を下支えする後背地を保っていく道。
  思えば戦後の日本、あるいは産業革命以降の先進国は、地方を切り刻んで都会につぎ込み
 すぎた。こんな小さな島国が、世界2位の経済大国に成長できたのは誰のおかげであったか
 思いを致すべきだ。「金の卵」たちのおかげなのだ。多くの人材が、豊かで穏やかな農村か
 ら輩出されたことを忘れてはならない。良い意味での揺り返しを促し、本来のバランスを取
 り戻すべきだ。ただ昔に戻るのではなく、21世紀の最先端を体現した車の両輪で。
  人口減少の問題も、無縁社会の問題も。エネルギーや食が自給できない問題も、さらには
 次の国際競争を担う産業が生み出せない問題も。現代日本がかかえる様々な問題を、この車
 の両輪が解決していくのではないだろうか。
  21世紀の人類が掲げるもうひとつのキーワードは「多様性」だ。多様であることこそ豊
 かさなのだ。それは「もの」にもいえるし、「ひと」にもいえる。
  大量に安く良いものが手に入るのが当たり前の時代。その時代を経た先に、個性が価値に
 なる時代がやってくる。いうなれば、世界中の人が安くて温かいユニクロのシャツを首られ
 る時代に、田舎のおばあちゃんの手編みのセーーターがもてはやされる時代だ。
  人に当てはめれば、こういうことになる。みんながみんな世界と戦う戦士を目指さなくて
 もよい。そういう人も必要だし、日本を背負う精鋭は「優秀な勇者」でなければならない。
 しかし、その一方で地域のつながりに汗を流す人、人間と自然が力を合わせて作り上げた里
 山を守る人もいていいし、いなければならない。そうした環境の中でこそ、人は増えていく
 のであり、次の巨代の両者がまたそこから育っていくのである。
  そうして日本というシステム全体が、持続可能なものとなっていくのだ。
 
                               藻谷浩介 著『里山資本主義』

                                    この項つづく 

 

 

米運輸安全委員会(NTSB)が22日、航空大手ボーイングの787型旅客機(ドリームライナ
ー)のリチウムイオン電池の安全性を確実にするため、一段の検査を実施するよう米連邦航空局
(FAA)に要請。
NTSBはFAAに宛てた書簡の中で、より精密な検査法を開発し、ボーイ
ングに検査実施を義務付けるほか、787型機および他の機種の安全性確保のため、さらなる検
査が必要かどうかを確かめるよう求めたという。なお、
NTSBは、リチウムイオン電池や機体
が安全でないとは断言していない。また、
ボーイングは、改修したリチウムイオン電池の検査は
NTSBの提言に沿って行ったとし、安全性に自信を示した上で、認証基準の向上に向けた取り
組みを支援していくとした。
今回の書簡は、787型機のリチウムイオン電池に焦点を当ててい
るものの、エアバスのA380型機やボーイングの777型機、737型機のリチウムイオン電
池についても言及したと伝えている。

【安全な固体型リチウムイオン電池は夢でない!?】

東北大学大学院工学研究科の高村仁教授と宮崎怜雄奈博士らのグループは、全固体電池のための
新しいリチウムイオン伝導体KI-LiBH4を開発。リチウムイオン蓄電池はモバイル機器や、電気自
動車、非常用電源などに広く利用されているが、その動作電圧が約3.8Vと高いことから、可燃性
の有機溶媒が使用されており、火災や発火事故が起こりうる問題を抱えている。そこで、有機溶
媒に代わり不揮発性・不燃性の固体電解質を用いて、安全な全固体電池の開発がすすめられてき
た経緯があった。

この研究では従来から知られている酸化物系や硫化物系の固体電解質に比べ飛躍的に成形性が高
く、電極材料と良好な接触性を示す水素化物系固体電解質LiBH4 (水素化ホウ素リチウム) に着目。
これまでにLiBH4は115℃以上で安定な高温相においてLi+イオンが高速で移動でき、LiBH4は高容
量負極材料であるLi金属と良好な界面を形成し全固体電池の高出力密度化を実現できる電解質と
して注目されてきたが、
高いLi+イオン伝導を示すLiBH4高温相ではイオンの二次元的な伝導を示
唆、結晶のある方向ではイオン伝導性が低く電極反応に寄与できないため、
Li+イオン伝導の異方
性を示さない等方的な岩塩型構造のLiBH4に着目し新規材料開発を行っている。

●研究のポイント

(1)岩塩型構造のLiBH4は200℃以上、4万気圧以上の極限状態で存在。固体電解質の応用には
高温高圧下の岩塩型構造の常温常圧安定化が前提→常温安定の
KI(ヨウ化カリウム)中にLiBH4
をドープする逆転の発想により岩塩型構造のLiBH4の合成に成功。下図1に示す母格子であるKIの
格子定数がLiBH4の添加量の増加により収縮(=KIの構成イオンであるK+とI-がそれぞれイオン半
径の小さなLi+とBH4-で置換。LiBH4が岩塩型の結晶構造中に溶け込み、常温常圧下において岩塩
型LiBH4が合成されたことを示す)。
(2)合成された固溶体のイオン伝導度の温度依存性は、陽イオン空孔を導入することで伝導度
が飛躍的に向上する可能性があり(下図2)、第3の添加元素探索が必要かどうかが最適組成化
の課題となる。
(3)下図3のLi電極を用いて直流法と交流法で測定した抵抗値はほぼ等しい値となり、この結
果、KI- LiBH4の固溶体中では主にLi+イオンが電流を担っていることを表す。これはドープした
Li+イオン濃度が少ないにもかかわらず、電流はLi+イオンによって担われている。この結果から
Liを全く含まない材料中にLi含有化合物をドープし、Liを“寄生”させることで純Li+イオン伝導
体の合成が可能であることを示唆(この奇妙な伝導機構を“Parasitic Conduction Mechanism”(真
下図))と呼ぶという。つまりは、Parasitic Conduction Mechanism が発現すればLi量に無関係に純
Li+イオン伝導体を合成可能であり、固溶限による制限を受けないため材料選択の自由度が飛躍的
に向上できる技術を世界に先駆け手にすることがきるというわけだ。



絶好調のホンダNワゴン!

 

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復活 ジャパン・アズ・ナンバーワン

2014年05月22日 | デジタル革命渦論

 


 

 

【触手が伸びたあさイチ朝食】 

何だ、イタリアンでフレンチトーストがあるのかと驚いたのは火曜の「あさイチ」の感想。ラ・
ベットラ・ダ・オチアイは落合務オーナーシェフの"モッツァレラ イン カロッツァ:Mozzarella
en carrozza
"の応用レシピ(番組のなかではフランコ イタリアントーストと呼んでいたっけ?)。
卵、牛乳、塩と砂糖はい一切使わず、オリーブオイル、バターにアンチョビフィレ、黒こしょう
(粗びき)、ト
マトを使って、(1)食パンのみみを落とし、三角形に切る(2)ボウルに卵・
牛乳・塩を入れてよく溶きほぐして卵液をつくる(3)ボウルに食パンを入れ、パンを押しつけ
るようにしてしっかり卵液を吸わせる(4)フライパンにバターと食パンを入れ、きれいなキツ
ネ色がつくまで中火で2分ほど焼き、裏返して同じように焼き皿に盛る(5)フライパンに、包
丁で粗くたたいたアンチョビフィレを入れ、中火で15秒ほど炒め、仕上げ用のバターを溶かし、
火を止めて、黒こしょうとくりぬいたトマトの中心部分を入れてひと混ぜする(6)フレンチト
ーストにソースをかけて、完成。なるほど、アンチョビ・バターかと感心しその記憶が残ってい
たので、リカーショップに立ち寄った際、瓶詰めを衝動買いし買って帰ったのはいいが、それを
白い金麦の肴として食べてしまって、大失敗(番組では、半熟卵とトマトを崩しながら食べるサ
ラダとセット)。この他に、「新宿割烹」は中嶋貞治店主の「ハリハリ風にゅうめん」「キウ
の白あえ」、「中國名菜」は孫成順店主の「中国風きゅうりのクレープ」「豆苗(とうみょう)と
豆腐のスープ」も非常に気に入ってしまったので朝食メニューとして彼女にオーダーすることに。




【予想を超える次世代パワー半導体開発速度】 

 

三菱電機は2013年5月9日、次世代パワー半導体材料であるSiC(炭化ケイ素)によるショットキー
バリアダイオード(以下、SiC-SBD)を搭載したハイブリッドSiCパワー半導体モジュール3製品を
発売。家電用、産業機器用、鉄道車両用の3製品で、従来のシリコンによるパワー半導体モジュー
ルに比べ電力損失を最大30低減させた。家電向けの「ハイブリッドSiC DIPPFC/PSH20L91B6-A」
は、定格電圧600V/定格電流20Armsで、回路構成はインターリーブの製品。SiC-SBDの搭載により、
リカバリー電流を減らしEMIノイズを低減する。最大30kHzの高周波スイッチング動作を実現し、
リアクトルを小型化できる。PFC(力率改善)回路や駆動ICも内蔵している。同社従来品の「超小
型DIPIPM」と外形寸法の互換性を確保している。サンプル価格は6000円。産業機器向けの「ハイ
ブリッドSiC-IPM/PMH200CS1D060」は、定格電圧600V/定格電流200Aで、回路構成は「6in1」。シ
リコンデバイスを用いた従来品「IPM S1シリーズ/PM200CS1D060」と比べ、電力損失を約20%低減。
同従来品とは、ピン配列、外形寸法で互換性があり、搭載する保護機能なども同等となっている。
サンプル価格は3万円。鉄道車両向けの「ハイブリッドSiCモジュール/CMH1200DC-34S」は、「2
in1」構成で、定格電圧1700V/定格電流1200Aの製品。従来の鉄道車両向け製品「NシリーズIGBT/
CM1200DC-34N」に比べて、電力損失を約30%低減したという。サンプル価格は31万4000円。




また、今月20日トヨタはハイブリッド車(HV)向けの新素材を採用したパワー半導体を開発し
ことを公表。2020にも実用化し、将来的には従来品に比べ10%の燃費改善を目指す。HV車両
全体
の電力損失のうち約20%がパワー半導体で損失、燃費向上にはパワー半導体の高効率化が欠
かせな
い。従来品の素材はシリコンだったが、シリコンと炭素の化合物であるSiC(シリコン・
カーバ
イド)を使うことで燃費を改善。SiCパワー半導体はシリコン製に比べて電力損失が10分の
1で済む。このように、新エネルギーあるいは省エネルギー化望まれる中、電力損失を低減する
ため電力変換に用いられるパワー半導体のさらなる高効率化が進められているが、そんな中で、
SiC、GaNに対し「勝るとも劣らない」という第3の次世代パワーデバイス「酸化ガリウム(Ga2O3
」の開発が注目されている。



ところで、酸化ガリウムは、液晶用トランジスタなどで使用されるIGZO(インジウム、ガリウム、
亜鉛の酸化物)と同様の酸化物半導体の1つ。バンドギャップは、シリコンの1.1、SiC/GaNの3.3
~3.4に対し、4.7~4.9と極めて高い。パワー半導体材料として向いていることを示す指数である
バリガー性能指数が、シリコン=1に対し、SiC=340、GaN=870に対し 酸化ガリウムは3444と圧
倒的な値を持つ。パワー半導体材料として、理想的ともいえる酸化ガリウムは、古くから知られ
ていたものの、なぜかデバイス化に向けた開発が進まななかった。その中で、NICT未来ICT研究所
の東
脇正高らのグループが、4年ほど前から開発に着手。タムラ製作所と光波により、シリコン
ウエハー基
板製造方法と同じ融液成長法で4インチウエハーの酸化ガリウム基板製造に成功した
他、同基板を用いてMOSFETの製造に成功している(上図クリック)。これは、SiC、GaNが 10~20
年の時間で達成してきたことをわずか数年で実現している。事業アプローチとしては
、SiCもター
ゲットに入れ、産業機器や通信機器の電源などに展開。さらに、酸化ガリウムが熱に強いという
特性から、油田の掘削機など地下資源探索用途のある 500℃ というような超高温環境で動作する
デバイスも実現可能(
超高温動作デバイスは世の中に存在しない分野、シリコンやSiCなどからの
置き換え用途よりも参入が容易)。



上図は関連新規考案。酸化ガリウム系基板と、その上に積層された窒化ガリウム(GaN)系
料のエピタキシャル層で構成した発光素子の開発が進められているが、Ga23は導電性を有す
るため、電流密度が低く、素子寿命が長いLED(Light Emitting Diode)を構成できるととも
に、可視領域から紫外領域の光を透過するため、Ⅲ-V族系化合物半導体の発光領域の全波長領
域での利用が可能であるという利点。発光素子の作製に用いられる酸化ガリウム系基板は、典型
的には、酸化ガリウム系のバルク単結晶を育成する工程と、表面が所定の面方位形成するバルク
単結晶の加工工程を経て製造。基板の表面は、エピタキシャル成長層の下地を形成するため、所
望の発光特性を有する発光素子を製造するには、基板表面を所定の面方位に高精度に加工する必
要がある。しかし酸化ガリウム系基板はへき開性が強く、典型的には、(100)面と(001)面に
へき開面を有する。特に(100)面の方がへき開性が強い。したがって酸化ガリウム単結晶を基板
化する際、表面の加工中に割れや欠けが発生してしまい、所望の面方位の基板表面を有する酸化
ガリウム
系基板を安定に製造することができない。

したがって、基板表面の結晶方位が(a0c)面(a,cは0以外の整数)である酸化ガリウム
系基板の製造方法、酸化ガリウム系の単結晶基板を作製することを含み、単結晶基板の表面に対
し[c0-a]方向の第1のが任意の角度となるように表面研削する。表面に対して(010)方向
の第2のオフ角が任意の角度となるように、表面が再研削する。また、他の形態に係る酸化ガリ
ウム
基板の製造方法には、基板表面の結晶方位が(ab0)面(a,bは0以外の整数)である
酸化ガリウム系基板の製法で、酸化ガリウム系の単結晶基板を作製する。単結晶基板の表面に対
し[b-a0]方向の第1のオフ角が任意の角度となるように、表面が研削し表面に対して(001)
方向の第2のオフ角が任意の角度となるように表面が再研削することで、所望の面方位の基板表
面を有する酸化ガリウム系基板を安定に製造することができるというもの。

                                      この項了


  

       

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 


●里山資本主義異論

今夜は、いよいよ、の第5章「マッチョな20世紀」から[しなやかな21世紀」への核心―持
続可能な社会、再生可能エネルギー(新エネルギー)時代に入った。屋上屋を重ねないが、" 事
実は小説
より奇なり" である。無知と言う他ない。それでは今夜もスローリード。


   里山資本主義が競争力をより強化する

  
  使う電力として重視するのは、身近に設置できる太陽光パネルや風力発電機で作った小口

 の電気だ。そういうとまた、「そんなもので日本のエネルギーが代替できるのか」と、反論
 を受けそうだ。
  確かに、里山の革命家たちは、その反論に正面から異を唱えなかった。「日本全体のこと
 はともかく、田舎で使うエネルギーの大きさを考えれば」と、ある種の逃げをうった。しか
 し、スマートシティの猛者たちは、反論が寄って立つ前提に異を唱える。「そんなことを言
 
ってると日本は遅れをとってしまう。できるわけがないと言ってると世界で負けてしまう。
 それができるようオールジャパンの英知を結集させる時なのだ」
  何を根拠にそんなことをいうのか。
  日本企業は、一般の常識では想像もつかないレベルの省エネ技術を獲得しつつあるのだと、
 清水建設の技術者は胸を張る。「我が社の新本社ビルは、従来のビルが消費するエネルギー
 の50%を、減らすことに成功した
  だが、反論はまだまだ出てくる。でも、その反論を押し戻す答えはすでにある。

 「電力消費のピークに、キャパシティー(許容量)を超えたらどうするのか」
 「そうなった時、各家庭の冷蔵庫や洗濯機やエアコンの電気使用状況を調べ、今すぐにはい
 らないものから、手を突っ込んで(実際にはコンピューター制御によって)スイッチを切っ
 て
いくシステムを間発し、改良を重ねている。これこそが今、アメリカのGEやドイツのシ
 ー
メンスといった世界企業と日本勢がしのぎを削るスマートグリッドという技術なのだ」
 「太陽光とか風力だと、自然の変化で電気が安定しないから、使えないと電力会社などが言
 うのを聞いたことがあるが」
 「発電量の変動に対応し安定させる技術こそ、今日本が世界の先頭を走っている得意の技術
 だ。そこを強みに、我々は世界の受注競争を勝ち抜いていこうとしているのだ。日本の電力
 制御技術は世界一といってよい。震災のあと、計画停電で世の中の大混乱を引き起こしたの
 は、日本に技術がないからではなく、電力会社がいざというときの技術の使い方を学んでい
 なかったからだ」
  巷間言われている、「再生可能エネルギーなんてうさんくさい」という「ある種の正論」
 が、いかに日本経済の次代の競争力強化にとってマイナスか、わかってくるだろう。日本経
 済や財界のためなどといっているが、とんでもない。
   お隣の韓国では、済州島という大きな島全体を実験場にして、ライバルに勝とうと国中が
 一丸となって頑張っている。そうした動きに、塩を送ってどうするのだろうか。

 
  日本企業の強みはもともと「しなやかさ」と「きめ細かさ」

  最後にもうひとつ、重要な反論に答えておきたい。
 「でも結局、日本中が使う大きなエネルギーは、原発や火力発電所で大量に作った方が効率
 的なのではないか。いくら電気を使っても大丈夫というのでないと、工場でいいものは作れ
 ない。化石燃料は枯渇するなどと脅かされてきたが、シェールガスとかシェールオイルが安
 く掘れるようになって、まだまだ大丈夫だというのだし」
 「確かに発電にまつわる産業は日本にとって重要で、中でも発電用タービンの技術では、財
 界と戦っていかなければならない。しかしそのことと、日本がエネルギー浪費社会にあぐら
 をかいていていいという話は、全く別だ。我々が今まで何を強みに世界と戦ってきたか。そ
 れは、省エネだ。そしてそれを成し遂げたのは勤勉な日本人のしなやかさ、きめ細かさなの
 だ。日本人の強みをこれからもっと特化し、のばしていかなければ、世界には勝てない」
  毎週毎週スマートシティ企業連合の会議で、各社選りすぐりの知恵者たちが研ぎ澄まして
 いたことは、これに尽きるのだ。
  日本は、アメリカが牽引した20世紀にあっても、実は「アメリカ型のマッチョな資本主
 義」とは一線を画す姿勢で戦いに打ち勝ってきた
  自動車を見れば、それは一目瞭然だ。トヨタのお膝もとにある世界の自動車を集めた博物
 館に行くと、GMやフオードの往年の名車もずらりと並んでいるが、改めて驚くのはその
 「馬鹿でかさ」だ。1960年代あたりのハリウッド映画で銀幕のスターが乗り回していた、
 羽のついたようなデザインの豪華なスポーツカー。ガソリンをガブガブ飲み込み、排気ガス
 と二酸化炭素をバンバン出しながら走っていた。これこそが、アメリカが世界に先駆けて達
 成し、世界中があこがれ、その後を追った「マッチョな資本主義の豊かさの象徴」たる自動
 車なのだ。そのようなアメ車でハイウェーをぶっとばしてショッピングモールに繰り出し、
 見渡す限り商品が積まれたスーパーで買い物をし、バケツみたいに大きなアイスクリームを
 かかえて食べながら帰る「マッチョな豊かさ」。
  それに比べ、日本車のなんとこぢんまりしたことか。日本は、ただ小さいだけでなく、使
 用するガソリンを極限まで抑え、有害物質を極限まで出さない車を開発していくことで、王
 者の足元を脅かしていく。

  

  アメリカが目指したものと一線を画したのは、完成品としての「製品」だけではない。
 「作り方」でも、しなやかさ、繊絹さを発揮し、世界をリードしてきた。
  エズラ・F・ヴオーゲル博士の『ジャパンアズナンバーワン』(1979年)がアメリカ
 人に危機感を抱かせ、日本人を勇気づけた1980年代、この日本式の生産システムを本
 家のアメリカが学ぶ時代が訪れる。私は90年代に入ってすぐ、いち早くアメリカに生産拠
 点を置き「日本式の伝道師」となったホンダで取材をさせてもらったことがある。ホンダの
 系列に入ったアメリカの部品工場に熟練の技術者が入り込み、きめ細かな車作りを文字通り
 手取り足取り教えていた。作業を○点数秒短縮できる工具や部品の配置を、アメリカ人の工
 員を巻き込んで工夫していた。アメリカ人たちは、根気良くカイゼンを続けるその姿勢に感
 嘆していた。
  技術者のきめ細かな姿勢は、そのまま製品に映されていく。たいそうな発明でなく、ちょ
 っとしたさじかげんで飛躍的に性能をアップさせていくその技は、多くの「メイドインジャ
 パン」に共通するお家芸だ。
  スマートシティは、まさにそうした「ニッポンものづくりの遺伝子」を受け継いだ人たち
 が、自分たちの強みを極限まで発揮しようとする場である。作り出した電力の数十%を無駄
 に捨ててしまうしかない現状のシステムは、21世紀の人間のすべきことではないと考え、
 必要な分だけを作り、作ったら全部使い切ろうとする。
  ビルは外光をできるだけ取り込み、使わないライトはその都度コンピューターが感知して
 消し、クーラーのききすぎた部屋のエアコンは切る。夏の昼間、どうしても電気が足りない
 ときは、「その洗濯、夜中にしてもらえませんか。その分電気料金を安くしますから」と持
 ちかける(洗濯機にそういう選択の機能をつける実験が進められている)。
  余ったら蓄電する。高性能のリチウムイオン電池なら、そんなにスペースもとらない。
 「もったいない」は安心のもとでもある。水道が断水しても困らない貯めおきの水があるよ
 うなものだ。家の駐車場にある電気自動車が積むリチウムイオン電池も、貯めおきのバケツ
 がわりになる。多くの家庭の車が一日のうちに使われているのは、通勤と買い物と子どもの
 塾の送り迎えの時くらいで、あとは駐車場にとめられている。昼間、屋根につけた太陽電池
 がせっせと発電し、その電気を電気自動車に貯めておけば、家庭の夜の電気くらいは十分ま
 かなえるようになるはずだ。清水建設のいう、今の半分のエネルギーで済む建物の技術をさ
 らに洗練させ、街中に広げていけば。
  これなら、東口本の多くの人が体験した、あの計画停電の悪夢は見なくてすむ。さらに、
 地球にやさしい暮らしをしていることは、とても気分が良い。誇らしい気持ちになる。
  それこそ、脱出資本主義を実践する人たちが感じている、誇らしい気持ちと同じものだ。


                            藻谷浩介 著『里山資本主義』

                                   この項つづく 

 

 

 

 「答えはイエス」と栗谷えりかは言った。「私は彼と何度かセックスした」
 「好奇心と探求心と可能性」と僕は言った。
 彼女はほんの少しだけ微笑んだ。「そう、好奇心と探求心と可能性」
 「そのようにして僕らは年輪を作っていく」
 「あなたがそう言うのなら」と彼女は言った。
 「それで、君がその人と初めてそういう関係を待ったのはひょっとして、僕と渋谷でデートし
 た少しあとのことじゃないかな?」
  彼女は頭の中の記録のページを繰った。「そうね。あの一週間くらいあとのことだと思う。
 その前後のことはわりによく覚えている。それは私にとって初めてのそういう体験だったから」

 「そして木樽は勘の良い男だよ」、僕は彼女の目を見ながらそう言った。

  彼女は目を伏せ、ネックレスの真珠をしばらくのあいだ指でひとつひとつ順番にいじってい
 た。それがまだそこにちゃんとついていることを確かめるみたいに。それから何かに思い当た
 ったように、小さくため息をついた。「そうね。たしかにあなたのごうとおりだわ。アキくん
 はかなり鋭い直観力を待っていた」
 「でも結局、その相手とはうまくいかなかった」
  彼女は肯いた。そして言った。「私は残念ながら頭がそれほど良くないの。だから回り道み
 たいなものが必要だったの。今でもまだ延々と回り道をし続けているのかもしれないけど」
  僕らはみんな終わりなく回り道をしているんだよ。そう言いたかったが、黙っていた。決め
 の台詞を口にしすぎることも、僕の抱えている問題のひとつだ。
 「木樽は結婚してるのかな?」
 「私の知る限り、まだ独身よ」と栗谷えりかは言った。「少なくとも結婚したという知らせは
 受け取っていない。あるいは私たちは二人とも、うまく結婚できないようにできてしまってい
 るのかもしれない」
 「それともただ、それぞれに遠回りしているだけかもしれない」
 「そうかもしれない」
 「君たちがどこかで再会して、また一緒になるという可能性はないのかな?」

  彼女は笑ってうつむき、小さく首を振った。その動作が何を意味するのか、僕にはよくわか
 らなかった。そんな可能性はない、ということかもしれない。そんなことは考えてもしかたな
 い、ということかもしれない。

 「今でもまだ氷でできた月の夢を見る?」と僕は尋ねてみた。

  彼女は何かに弾かれたようにさっと顔を上げ、僕を見た。やがて微笑みが彼女の顔に広がっ
 ていった。とても穏やかに、必要なだけの時間をかけて。そしてそれは心からの自然な微笑み
 だった。

 「その夢のこと、まだ覚えていたのね?」
 「なぜかよく覚えている」
 「他人の夢のことなのに?」
 「夢というのは必要に応じて貸し借りできるものなんだよ、きっと」と僕は言った。僕はたし
 かに決めの台詞を口にしすぎるかもしれない。
 「素敵な考え方ね」と栗谷えりかは言った。微笑みはまだ顔に残っていた。
  誰かが背後から彼女に声をかけた。そろそろ仕事に戻る時間のようだった。
 「もうそういう夢を見ることはない」と彼女は最後に言った。「でもその夢のことは今でもあ
 りありと覚えているわ。そこにあった情景、そのときの気持ち、そういうのは簡単に忘れられ
 ない。たぶんいつまでも」

  そして栗谷えりかは僕の肩越しに、しばらくどこか遠くを眺めた。まるで氷でできた月を夜
 空に探すみたいに。それからさっと振り向いて、足速にどこかに行ってしまった。たぶん化粧
 室にアイメイクを直しにいったのだろう。
  たとえば車を運転していて、カーラジオからビートルズの『イエスタデイー』が流れてきた
 りすると、木樽が風呂場で歌っていたあのへんてこな歌詞が、ふと頭に浮かんでくる。そして
 栗谷えりかと一度きりの奇妙なデートをしたことを。栗谷えりかがイタリア料理店のキャンド
 ルをはさんで僕に打ち明け話をしたことを。そんなとき、それらの出来事は、文字通り昨日起
 こったばかりのことのように感じられる。音楽にはそのように記憶をありありと、時には胸が
 痛くなってしまうほど克明に喚起する効用がある。

  自分が二十歳だった頃を振り返ってみると、思い出せるのは、僕がどこまでもひとりぼっち

 で孤独だったということだけだ。僕には身体や心を温めてくれる恋人もいなかったし、心を割
 って話せる友だちもいなかった。日々何をすればいいのかもわからず、思い描ける将来の
ビジ
 ョンもなかった。だいたいにおいて自分の内に深く閉じこもっていた。一週間ほとんど誰とも

 しゃべらないこともあった。そういう生活が一年ばかり続いた。長い一年間だった。その時期
 が厳しい冬となって、僕という人間の内側に貴重な年輪を残してくれたのかどうか、そこまで 
 
は自分でもよくわからないけれど。
  その当時、僕もやはり毎晩、丸い船窓から氷の月を見ていたような気がする。厚さ二十セン
 チの、硬く凍りついた透明な月を。でも僕の隣には誰もいなかった。その月の美しさや冷やや
 かさを、誰かと共有することもできないまま、僕は一人きりでそれを見ていた。

  昨日は/あしたのおとといで
  おとといのあしたや

  デンバーで(あるいは他のどこかの遠くの街で)木樽が幸福に暮らしていることを僕は願う。
 幸福とまでは言えなくても、少なくとも今日という日を不足なく、健やかに送っていることを
 願う。明日僕らがどんな夢を見るのか、そんなことは誰にもわからないのだから,


                村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号

                                      この項了



 

 

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やわらかなポータルブレイン時代

2014年05月21日 | 時事書評

 

 

 

  

      

 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 


●里山資本主義異論

第2次産業の大量生産・大量消費時代が終焉し、ポスト・フォーディズム時代が登場したように、
大量資本運用・利潤追求時代が終焉し、ポスト・グローバルキャピタリズム時代が登場している。
地に足を付けた経済運営が求められている。それがサトヤマキャピタリズムという。そして、そ
手段の1つとして「地域通貨」が見直されている。さらに、次世代産業の最先端と里山資本主
の志向は「驚くほど一致」していることを発見する。その通りなのだ。時代は"デジタル革命
渦論(でじたるかくめいかぶん)
"にあり、多様な新しい経済システム誕生の源泉があり、その
現にやわらかなポータルなブレインを必要としている。裏返せば、それなくして充分な"収穫"
は得られなかったはずだ-そのことを確認し昨夜につづきスローリードする。

 

 

  「手間返し」こそ里山の極意

 
  手間返しとは、地域の人々が互いにお世話をしあい、お返しをする無限のつながりをさす
 和田さんがお世話になったお礼に、メッセージを刻んだカボチャを送っていたのを覚えてい
 るだろうか。ああいったことを、みんなが手をかえ品をかえ、延々と続けるのである。
  和田さんは、手間返しについてこう語る。「これが楽しいんですね。なにかしてもらった
 ら、今度はどうやって返してやろうかと。それを考え、悩むのがまた楽しいんですね。どう
 やって驚かせてやろうか、わくわくするんです」
  西山さん夫婦は、この「手間返しの精神」のありがたさが身にしみている。実は恵利香さ
 んは数年前、乳がんを患い手術をした。術後も体調は思わしくなく、ふさぎこんでいた。そ
 んな夫婦を励まし、救ってくれたのが、手間返し好きのお節介な地域の人たちだった。西山
 さんに草をひいてもらったとか、鮎の塊製をもらったとか、あるいは別にしてもらってない
 けど、とか言ってかまってくれる。その心遺いがうれしくて、集まりがあると無理してでも
 顔を出し、お手伝いをする。みんなと腹から笑ってすっきりする上に、しばらくすると、ま
 た何かが返ってくる。そんなことを繰り返しているうちに、気持ちも体調そのものも回復し
 たのだ。
  恵利香さんが、毎日通う場所がある。それは家の裏庭。「煎じて飲めばよくなるそうよ」
 と友人がくれたカワラヨモギという野草が茂っている。このヨモギを見るたび、煎じて飲む
 たび、心が熱くなる。




 「まだ元気になれるぞ、負けるなよというメッセージというか、応援団がいっぱいいて、そ
 れがお薬の代わりになって元気になった気がする。温かい気持ちで、負けるもんかという気
 持ちになった。ありかたかった」
  秋、隣の集落の祭りの日、西山さん夫婦はちょっとした包みをもって、出かけていった。
 知り合いの家で、祭りのごちそうを一緒にいただくのだ。
  祭りはそもそも、ほとんど原価ゼロ円。子どもたちの衣装は代々受け継ぎ、化粧は地域の
 お母さんたちが受け持つ。家ごとに工夫をこらすごちそうも、ほとんどは自分たちで作った
 り、もらったりしたものだ。メインディッシュは、この時季山で採れる、香りの良いきのこ
 「香茸」をちらした昔ながらのこうだけ寿司。 
  知り合いの家にあがりこんだ西山さん。座敷に向かう前に勝干場に顔を出し、持ってきた
 包みを解く。中には、この開山で掘ってきたあの立派な自然薯。「すごいわねえ」と奥さん 
 たちの歓声が上がる。
  座敷の真ん中の席に、家の長老である90歳のおばあさんがつくと、宴が始まる。気の置
 けない人たちとの楽しい時間。しこたま飲んだところで、家主に外へ連れ出される。長い竿
 を持った家主が向かうのは、大きな柿の木。欲しいだけ持って帰りなさいというわけだ。
 持ってきた包みより大きな荷物をかかえ、楽しそうに祭りの行列を見物する西山さん夫婦。
 手間返しの極意の一端を見せてもらった。
  恵利香さんは、最近がんが再発した。手間返しの温かいパワーで回復されることを心より
 祈りたい。
  西山さんの言葉に、改めて耳を澄まそう。「東京かなんかだと、政府が悪いとか、何か絶
 対助けてもらわなければ困るとかいうけれど、僕らはそうではない。僕らが田舎の手間返し
 と呼ぶものは、お金じゃなくて人間の力。僕ができることをして、隣でしてあげて、僕がで
 きないことを隣がしてくれる。僕が作れない時間を作ってくれる。僕が作れん時間を作って
 もらったら、僕は手間で、またそれを返す」
  日本にまだこの素晴らしい習慣が残っているうちに再評価し、21世紀を切り拓く新たな
 知恵として磨いていかなければならない。

 


  21世紀の里山の知恵を福祉先進国が学んでいる

  西山さんという達人の実践も原動力にしながら、和田さんたちが議論を重ね、知恵を出し
 合って作り出す「21世紀の里山システム」。それは、東京などの都会を通り越して、直接
 海外の人たちに伝播し始めている。
  ある日、熊原さんの高齢者施設にヨーロッパの福祉先進国、フィンランドから来客があっ
 た。福祉関連の研究に携わる女性の大学教授、二人だ。近くで聞かれたシンポジウムに参加
 したのだが、耳寄りな情報を得て、直接話を聞きにきたという。熊原さんは、大歓迎。早速、
 入君さんたち地域のお年寄りが週に一度デイサービスで集まる集会室などを案内し、施設の
 カフェテリアで話し込んだ。
  まるごとケアの考え方や、お年寄りの野菜の活用による富の循環システムなどを、熊原さ
 んが説明する。フィンランドの教授が身を乗り出してくる。
 「私たちには、このような循環システムがありません」「これは素晴らしいアイデアであり、
 社会的革新です。衰退する地域や農村が生き残るチャンスを示しています。あなたの素晴ら
 しい考えを持ち帰ることにします。我が国に輸出してくださいますね」
  福祉の財界では二歩も三歩も先をいっていると思っていた国の専門家がべたぼめするのに、
  私たちも、熊原さん自身もあっけにとられた。
  でもそこは、熊原さん。意見交換の最後をこう締めくくった。
 「このやり方が、世界を救うかもしれないと思っています」
  ここで注意しておかなければならないのは、この二人の教授が、東京の広告代理店の紹介
 もなく、大新聞の記事を見たわけでもなく、熊原さんの優れたシステムにアクセスしてきた
 ことだ。今、世界中が草の根のネットワークを駆使して、地方で小さな花を咲かせた21世
 紀の知恵をとりこもうと躍起になっている。世界は、経済成長を競う「表のグローバル競争」
 と並行して、一見静かだが激しい「草の根のグローバル競争」を加速させている。そのこと
 を、我々日本人はもっと自覚しなければならない。
  誰が21世紀の新たな生き方を先に獲得し、豊かになるか。
  日本有数の過疎地、中国山地は、世界に21世紀の課題解決策を提示するトップランナー
 になる潜在力を持ち合わせている。そのことを、我々自身が自覚し、活かしきる態勢を整え
 なければならない。

  第5章 「マッチョな20世紀」から「しなやかな21世紀」
                                      ー課題先進国を救う里山モデル
                                   
                                       (NHK広島取材班・井上恭介)

   報道ディレクターとして見た日本の20年

 
  藻谷浩介さんとタッグを組み、片田舎と馬鹿にされてきた地方から発信される21世紀の
 最先端を里山資本主義と名付け、その意義を世に問い続けて一年あまり。水と油のような両
 極端の反応に、驚いている。
 「水」のように受け入れてくれるのは、無名の人の素敵な生き方、今の生活を少しでも前進
 させる知恵に素直に反応し、取り入れる気質を持つ人々だ。こういう人は田舎にUターン、
 Iターンしても、単に地元企業で「職」を探すのでなく、お金うんぬんではない際かさを見
 つけ出す嗅覚にすぐれている。
  そうした志向の人は加速度的に増えており、都会から地方への流れができている。
  鳥取県では、行政も把握しない形で地域に入り込み(もともとは、県のIターン募集のホ 
 ームページが情報源だったりするそうだが)、地域社会に密かに溶け込んでいる若者も多い。
 「どうしてきたのか」と尋ねると「働きたくないから」と答える天邪鬼。性格も見た目も「
  なで」で、無気力そうに見えるが、試しに人手が足りない地域の祭りを仕切らせたりする
 と、
意外なほど粘り強く、最後まで責任を果たす。だから地域のおじさんたちの間でも、子
 どもたちの間でも大人気。やれ田んぼの草刈りをすると言っては助っ人に呼ばれ、一年中食
 べたい分だけ米をやると言われ、やれ土産物屋で手作りのストラップを作るといっては誘わ
 れ、夜中まで楽しく作業し、夕飯で余った食材をごっそりもらって帰って行く。
  そんな若者を見て、ある程度から上の世代が思い出すのは、昔、祭りや地域の行事になる
 と、決まって人々の輪の中心に陣取り、大活躍していた次男坊、三男坊の「気のいいおにい
 ちやん」たちだ。しかし戦後、そうした若者が高度経済成長を担う「金の卵」ともてはやさ
 れる中、「気のいいおにいちやん」は次第に田舎から姿を消した。少し前までは、彼らが都
 会で夢破れたと帰ってきて、厳格な跡取りの長男に迎えられて養われる、といったこともあ
 った。しかしその後、迎えていた長男までも都会に就職する時代となり、ふるさとの「迎え 
 入れて養う力」は急激に落ち、そういう人もめっきりいなくなった。私たち報道ディレクタ
 ーがこの20年あまり取材してきたのは、そうした事態の進行の「裏表」を映す、様々な現
 象だったといえる。
  今でも強烈な思い出が残る取材がある。バブル崩壊後の1990年代、都心の電車の中で
 行き倒れて死亡したホームレスの男性が半日も座席に放置されていた、といういまわしい出
 来事が起きた。なぜ彼は電車の中で死ぬしかなかったのか? 同じような人がいるのか?
 遺品の中にあった池袋駅発行の切符と喫茶店のマッチを手がかりに、池袋駅周辺のホームレ
 スを約一ケ月取材した。
  景気の良いときはいくらでもあった建設現場の仕事が激減。「どや」に泊まるお金もなく
 なり、電車が動いている間は駅の地下通路で、終電が終わり駅のシャッターがしまると、駅
 周辺の飲食街の軒下で暮らしていた。体が思う上うに動かない人も多く、比較的元気な数人
 が、工事現場の日雇いの仕事でもらってきたお金でパンやカップ酒を買い、分けあっていた。
  その上うな中でも、数回はふるさとに帰ったことがあると話してくれたホームレスもいた。
 でも実家の敷居はまたがず、戻ってきたという。家にはもう帰れないとつぶやいていた、み
 つぐと名乗る男性。その時は「どの面下げて……」という意味だと受け取ったが、ふるさと
 の事情が大きく変わったことも、関係していたのかもしれない。
 「故郷に帰るに帰れないホームレス」が都会の駅や公園、あるいは24時間営業のファスト
 フード店に増える一方で、ふるさとは空き家だらけになるという奇怪な事態。都会での脱落
 者はどんどん増え、日本は「無縁社会」なる言葉が流行語となる時代へ突入していった。

 「都会の団地」と「里山」は相似形をしている

  企業で比較的クリエイティブな仕事をしてきたリタイア組。その中でも、元気でがんばれ
 る75歳までの15年の間に思い切って何かに打ち込みたいと考える人の多くが、里山資本
 主義を「水」のように受け入れてくれる。
  庄原の和田芳治さんは、こうした人たちを「高齢者」をもじって「光齢者」と呼ぶ。地方
 にとって頼りになる「光り輝く人材」という意味だ。「だいたい世の中というものは、たく
 さんあって余っているものを使うとうまくいくんです」と、和田さんらしい辛辣な表現で解
 説してくれる。
  確かに今、こうしたリタイア組の中に、「第二の人生は田舎で悠々自適」という選択をす
 る人が相次いでいる。畑仕事は素人だが、知らないことでもIから学び自分のものにする訓
 練は、働いていた企業などで繰り返してきた。知らない人とつきあう訓練も十分積んでいる,
  さらに和田さんたちが重視するのは、将来はともかく現在はまだ、リタイア組は多少のリ
 スクを取れる「年金というセーフティーネット」を持ち合わせているということだ。「年金
 プラスアルフア」の「アルフア」だけ手に入れられれば、生活はぐっと咬かになる。現金の
 形で手に入れなければならないわけでもない。若い匪代に比べ、ハードルがぐっと低いのだ。
 リタイアしたら田舎へという潮流を今のうちに作っておけば、地方活性化の人材は安定的に
 供給できていく。和田さんたちは、働きかけを急いでいる。
  田舎の農村に第二の人生をかける人に、必要以上に「自然好き」「田舎好き」のレッテル
 を貼る向きもあるが、やめるべきだと和田さんたちは指摘する。匪界一の物質的な豊かさを
 手に入れた成熟社会の経験者が、「薪のようにおいしく炊ける炊飯ジャー」に飽きたらずエ
 コストーブに挑戦したり、「高級スーパーの有機無農薬野菜」に飽きたらず自分で作り始め
 たりするのは、そんなに不思議なことではない。
  もうひとつ、彼らが渇望感を抱いているのがコミュニティーだ。今、都会のあちこちで開
 かれる祭りに飛び入り参加するのを趣味にする人が多いのは、そのひとつの表れであろう。
 若いうちは、誰にも干渉されない都会のドライな人間関係にあこがれても、年齢を重ねて落
 ち着いてくると、過疎化しているとはいえ、昔ながらの人間関係が残る田舎は良いところに
 見えてくる。
  高齢者ばかりになった都会の団地で、こLくなっていても誰も気づかず」という嘔態に危
 機感を抱き、コミュニティーの再生に汗を流すリタイア組と、地方に入り込んでがたがたに
 なりつつある田舎のコミュニティーを立て直そうと意気込む人たちは、実はほとんど同じ志
 向を持つ人たちなのだ。           

  「里山資本主義への違和感」こそ「つくられた世論」

  では、里山資本主義を毛嫌いし、成果を認めない、あるいは評価に値しないと門前払いす 
 る「油」のような人たちは、どのような人たちか。
  かつての経済成長を取り戻すこと、あるいは競争の激しい新興国の成長市場での戦いに勝
 つことを日本再生の最優先課題に掲げる人たちだ。インドやアフリカに乗り込んでいく中国
 や韓国のバイタリティーあふれる若者に比べ、海外に行くのは嫌、温泉でのんびりしたいと
 か言っている日本の若者はなんだ、というのが、こうした論調が真っ先にあげる「嘆かわし
 い事態」だ。田舎がいいなどと言っている若者をほめる里山資本主義は、けしからんとなる。
  自動車やエレクトロニクスに代わる日本の稼ぎ頭を見出し、海外勢と渡りあって勝だなけ
 れば日本のあすはない、という論調。では、当の最先端を担う人たちは、本当に里山資本主
 義の精神を毛嫌いしているのだろうか。
  私自身の一年あまりにわたる取材経験と見聞から、それこそ「作られた世論」ではないか
 と考えている。

  次世代産業の最先端と里山資本主義の志向は「驚くほど一致」している

  私は、東日本大震災をはさんでおよそ一年間、20以上の企業が一緒に「スマートシテ
 ィ」のシステムをつくっていくプロジェクトの内部取材を許され、入り込んだ(広島に転勤
 してくる直前のことである)。週一回の会合のほとんどに参加し、いわばプロジェクトの一
 員
 として議論にも積極的に加わった。
  参加企業は、まさに日本経済のあすを担う企業ばかり。主だったメンバーは、発電から家
 電、列車の運行システムから製鉄所の設計まで手がける総合電機メーカー、日立製作所。省
 エネビル開発で世界の先頭に立つゼネコン、清水建設。経営不振に苦しんでいるとはいえ、
 太陽光パネルの技術は世界トップクラスを誇る家電メーカー、シャープ。世界的IT企業ヒ
 ューレット・パッカード(HP)の日本法人。リチウムイオン電池やスマートグリッドなど
 の企業を世界中で発掘し情報を駆使してビジネスチャンスにしている総合商社、伊藤忠商事。
 中国はじめ新興国の不動産ビジネスヘの展開を加速させる三井不動産。そうそうたる会社の
 切れ者、くせ者たちが顔をそろえる。そんな猛者たちの会議を、世界各地、あるいは政界に
 も様々なネットワークを張り巡らせるコンサルティング会社の社長、佐々木経世氏が仕切っ
 ていく。 
  毎週3時間以上の時間を割き、会議にメンバーを送り込んでくることからも、この分野で
 世界のトップを走れるかどうかが、企業の「社運」を握っていることがわかる。数年後には
 数十兆から百兆円規模に膨らむと期待される世界市場で、どう主導権を握っていくか。
 会議で配られる資料には、どのページにも「極秘」の文字。個々の技術はもちろん秘密のも
 のばかりだが、会議では中国・天津で進む巨額契約についての情報や、アメリカ・シリコン
 バレーでつかんだアメリカ当局の思惑に関する情報なども飛び交う。
  前置きが長くなった。伝えたいのは、その議論の内容、つまり彼らが何を面白いと感じ、
 何をしていけば日本は世界の中で勝っていけると考えているか、ということだ。
  先に結論をひとことで言えば、彼らが目指していたことは「企業版・里山資本主義」であ
 り、「最先端技術版・里山資本主義」だった。
 「スマートシティ」とは何か、まずそこから説明しなければならない。巨大発電所の生み出
 す膨大な量の電気を一方的に分配するという20世紀型のエネルギーシステムを転換し、町
 の中、あるいはすぐ近くで作り出す小口の電力を地域の中で効率的に消費し、自立する21
 世 紀型の新システムを確立していく。それがスマートシティだ。
  中東UAEで建設が進む「マスダールシティ」などがその代表格。広大な未来都市を表現
 する豪華なCG映像から受ける印象は大規模でマッチョだが、大事なのは中身の繊細さであ
 り、どこまでしなやかに様々な状況に対応できるかを、提案者である企業連合は競うことに
 なる。

                             藻谷浩介 著『里山資本主義』

                                  この項つづく 

 

  


 

  彼女が栗谷えりかであることは一目でわかった。僕はそれまで二度しか彼女に会っていなか
 ったし、最後に会ってから既に十六年が経過していた。それでも見違えようはなかった。昔と
 おなじように表情が生き生きとして、美しかった。黒いレース地のワンピースに、黒いハイヒ
 ール、細い首に二重の真珠のネックレスをかけていた。彼女も僕のことをすぐに思い出してく
 れた。場所は赤坂のホテルで開かれたワインこアイスティング・パーティーの会場だった。ブ
 ラックタイの催しということで、僕もいちおうダークスーツを着て、ネクタイを締めていた。
 僕がどうしてそんな場所にいたのかについては、説明すると話がけっこう長くなる。彼女はそ
 のパーティーを主催した広告代理店の担当者だった。いかにも有能そうに立ち働いていた。
 「ねえ、谷村くん、どうしてあのあと連絡をくれなかったの? あなたともっとゆっくりお話
 ししたいと思っていたのに」
 「君は僕にはいささか美しすぎたから」と僕は言った。
  彼女は笑った。「そういうのは社交辞令としても耳に心地よいけど」
 「社交辞令なんて生まれてこのかた、目にしたこともないよ」と僕は言った。
  彼女の微笑みはより深くなった。でも僕の言ったことは嘘でもなく、社交辞令でもなかった。
 彼女は僕が真剣に興味を抱くには美しすぎた。昔も、そして今も。それに加えて、彼女の微笑
 みは本物であるにはいささか素敵すぎた。
 「少ししてからあなたのアルバイト先に電話をしてみたんだけど、もうここにはいないって言
 われた」と彼女は言った。

  木樽がいなくなったあと、仕事がひどく詰まらなく思えてきて、僕も二週間後にその店を辞
 めた。
  栗谷えりかと僕は、それぞれが辿った十六年間の人生を手短に要約し合った。僕は大学を出
 て小さな出版社に就職したが、三年後にそこを辞め、あとはずっと一人でものを書く仕事をし
  ている。二十七歳のときに結婚した。子供は今のところいない。彼女はまだ独身だった。仕事
  が忙しくて、さんざんこきつかわれて、とても結婚するような暇がなくてね、と彼女は冗談め
 かして言った。たぶんあれから数多くの恋を経験してきたのだろうと僕は推測した。彼女の漂
 わせている雰囲気にはそう思わせるところがあった。木樽の話を最初に持ち出したのは彼女の
 方だった。

 「アキくんは今デンバーで鮨職人をしているの」と栗谷えりかは言った。
 「デンバー?」
 「コロラド州デンバー。少なくともニケ月前に届いた葉書にはそう書いてあった」
 「どうしてデンバーなんだ?」
 「知らないわ」と栗谷えりかは言った。「その前に来た葉書はシアトルからで、そこでも鮨職
 人をしていた。それが一年くらい前のことよ。ときどき思い出したみたいに葉書を寄越すの。
 いつも馬鹿みたいな絵葉書で、文章はほんの少ししか書いていない。差出人の住所を書いてな
 いことさえある」

 「鮨職人」と僕は言った。「結局、木樽は大学にはいかなかったの?」
  彼女は肯いた。「夏の終わり頃だったかな、大学受験するのはもうやめると突然言い出した
 の。こんなこといつまで続けていても時間の無駄だって。そして大阪にある調理学校に入った
 の。関西料理を本格的に研究してみたいし、甲子園球場にも通えるからって。『そんなに大事
 なことを一人で勝手に決めて、大阪に行っちやって、私のことはどうするつもりなの?』って
 訊いたわよ、もちろん」
 「彼はなんて言った?」





  彼女は黙っていた。ただ唇を固くまっすぐ結んでいた。何かを言いたそうではあったけれど、
 それを口にしたらそのまま涙がこぽれてしまいそうな様子だった。何があろうとその繊細なア
 イメイクを損なうわけにはいかない。僕はすぐに話題を変えた。
 「君とこの前会ったときは、渋谷のイタリア料理店で安物のキャンティを飲んだよね。そして
 今日はナパ・ワインのテイスティングだ。考えてみれば不思議な巡り合わせだな」
 「よく覚えている」と彼女は言った。そしてなんとか態勢を回復した。「あのときは二人でウ
 ディー・アレンの映画を見た。なんていうタイトルだっけ?」
  僕はタイトルを教えた。
 「あれはなかなか面白い映画だったな」
  僕もそれに同意した。ウディー・アレンの最高傑作の一つだ。
 「それで、あのとき君がつきあっていた同好会の先輩とはうまくいったの?」と僕は尋ねてみ
 た。
  彼女は首を振った。「残念ながらあまりうまくはいかなかった。なんていうのかな、今ひと
 つ気持ちが通じ合わなかったの。半年ほどつきあって別れた」
 「ひとつ質問していい?」と僕は言った。「かなり個人的なことになるんだけど」
 「いいわよ。私に答えられることなら」
 「こんなことを訊いて、気を悪くしないでくれるといいんだけど」
 「がんばってみる」
 「君はその人とは寝ていたんだろう?」
 
  栗谷えりかはびっくりしたように僕の顔を見た。両方の頬が少し赤くなった。


 
 「ねえ、谷村くん、どうしてそんなことをここで言い出すの?」
 「どうしてかな?」と僕は言った。「以前からそのことがちょっと気になってたんだ。でも、  
 変なことを言い出して悪かった。すまない」
  栗谷えりかは小さく首を振った。「いいのよ。なにも気を悪くしているわけじゃない。ただ
 あまりに唐突にそんなことを言われたんで、少し驚いただけ。ずいぶん昔のことだもの」
  僕はあたりをゆっくりと見回した。フォーマルな服に身を包んだ人々が、あちこちでテイス
 ティングのグラスを傾けていた。高級ワインの栓が次々に抜かれていた。若い女性ピアニスト
 が『ライク・サムワン・イン・ラブ』を弾いていた。
 

               村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号

                                   この項つづく



 

  柔らかいポータブルライト

 

 

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今夜もスローリード

2014年05月20日 | 時事書評

 

 

 




国連改革は進んでいるか。』の村上春樹が尖閣騒動の煽りで中国の書店から自分の作品が消えた
ことの朝日新聞への寄稿に関するコメントが投稿された。詳しい経緯は知らないが、村上春樹が朝
日新聞に寄稿先に選んだのは他の保守系商業新聞の国民国家主義論調を嫌ってのことだと思われる。
また、尖閣を巡る日中両国政府の外交力の稚拙さに抗議し営業損益被害として訴えたかったのだと
思われる。また、中国政府が政経一致し圧力をかけ、ノーベル賞受賞を妨害したとしたなら、中国
政府の後進性を世界の人達に知らしめたことになる。そして、ノーベル賞の政治的圧力からの中立
性が損
なわれたことになる。その上で、ノーベル賞を逃したことは世界のファンにとっては大変残
念なことであった
-そんなことを感じた。それは、それ、今夜も『イエスタデイ』を、スローペー
スで読み進めていこう。

 
  翌日、アルバイト先で木樽と会ったとき、彼は僕にそのデートのことを尋ねた。

 「キスとかしたか?」
 「するわけないだろう」と僕は言った。
 「したかて怒らへんぞ」と彼は言った。
 「とにかくそんなことしてないよ」
 「手も握らへんかったんか?」
 「手も握ってない」
 「そしたら何しててん?」
 「映画を見て、散歩して、食事をして、話をした」と僕は言った。
 「それだけか?」
 「普通の場合、最初のデートではあまり積極的なことはしない」
 「そうか」と木樽は言った。「おれは普通のデートとかあんまりしたことないからな。ようわ
 からんのや」
 「でも彼女と一緒にいて楽しかったよ。あんな子が僕の恋人だったら、どんな事情があれ、そ
 ばから離さないけどな」
 
  木樽はそれについて少し考えていた。何かを言おうとしたが、思い直してそれを呑み込んだ。
 それから言った。「それで何を食ぺたんや」
  僕はピザとキャンティ・ワインの話をした。





 「ピザとキャンティ・ワイン?」と木俸は驚いたように言った。「ピザが好きやなんて、ちっ  
 とも知らんかった。おれらは蕎麦屋かそのへんの定食屋しか行ったことないもんな。ワインな
 んか飲むんか。あいつが酒を飲むことすら知らんかった」
  木樽自信はまったくアルコールを□にしない。
 「おまえの知らない面がきっといろいろとあるんだよ」と僕は言った。
  僕は木樽に訊かれるままに、デートの詳細を話した。ウディー・アレンの映画のこと(筋ま
 で細かく話させられた)、食事のこと(勘定はいくらだったか、割り勘にしたのか?)、彼女
 が
着ていた服のこと(白いコットンのワンピース、髪はアップにしていた)、どんな下着をつ
 け
ていたか(わかるわけない)、交わした会話の内容。彼女が年上の男と試験的につきあって
 い
ることはもちろん黙っていた。氷でできた月の出てくる夢のことも話さなかった。



 
 「次のデートの約束はしたんか?」
 「いや、してない」と僕は言った。
 「なんでや? あいつのことが気に入ったんやろ?」
 「ああ、すごく素敵だと思う。でもこんなことをいつまでも続けてられない。だって彼女はお
 まえの恋人じやないか。していいって言われたって、キスなんてできるわけないだろう」
  木樽はそれについてしばらく思いを巡らせていた。そして言った。「あのな、中学校の終わ
 り頃から、おれはセラピストのとこに定期的に通てたんや。親とか教師とかに、行け言われて
 な。学校でその手の問題をちょくちょく起こしてたわけや。つまり普通やないということで。
 けど、セラピーに通って、それで何かがましになったかというと、そういう感じはぜんぜんな
 い。セラピストなんて、名前だけは偉そうやけど、ええ加減なやつらやで。わかったような顔
 して、人の話をうんうん言うて聞いてるだけでええんやったら、そんなもんおれにかてできる
 わ」
 「今でもセラピーに通ってる?」
 「ああ。今は月に二回くらい通てる。まったく金をどぶに捨ててるようなもんやけどな。えり
 かはセラピーのことはおまえに言わんかったか?」
  
  僕は首を振った。

 「自分の考え方のどこが普通やないのか、正直言うておれにはようわからんのや。おれの見方
 からしたら、おれはあくまで普通のことを普通にやってるだけやねん。そやけどみんなは、お
 れのやってることの大方が普通やないと言いよる」
 「たしかにあまり普通とは言えないところもあると思う」と僕は言った。
 「たとえばどんなとこが?」
 「たとえばおまえの関西弁は、東京人が後天的に学習したにしては、異様なくらい完璧すぎる」
  木樽はそれについては僕の言い分を認めた。「そやな。そういうのはちょっと普通やないか
 もしれん」
 「それは一般人を気味悪がらせるかもしれない」
 「あるいは」
 「普通の神経を持ち合わせた人間は、なかなかそこまではやらない」
 「たしかにそうかもしれん」
 「でも僕の見るところ、僕の知る限り、たとえあんまり普通とは言えなくても、おまえはそう
 することで、とくに誰にも具体的に迷惑をかけてない」
 「今のところはな」
 「それでいいじゃないか」と僕は言った。僕はたぶんそのとき(誰に対してかは知らないけれ
 ど)少しばかり腹を立てていたのかもしれない。語気がいくらか荒くなっていることが自分で
 もわかった。「それのいったいどこがいけないんだ? 今のところ誰にも迷惑をかけてないな
 ら、それでいいじゃないか。だいたい、今のところ以上の何か僕らにわかるって言うんだよ?
 関西弁をしゃべりたいのなら、好きなだけしゃべればいい。死ぬほどしゃべればいい。受験勉
 強をしたくないのなら、しなきやいい。栗谷えりかのパンツの中に手を入れたくないのなら、
 手を入れなきゃいいんだ。おまえの人生なんだ。なんだって好きにすればいい。誰に気兼ねす
 ることもないだろう」
  木樽は感心したように口を薄く開け、僕の顔をまじまじと見た。「なあ、谷村、おまえはほ
 んまにええやつやな。ときどきちょっと普通過ぎることがあるけど」
 「しょうがない」と僕は言った。「人格を変えることはできない」
 「そのとおり。人格を変えることはできへん。おれが言いたいのもまさにそういうことや」
 「でも栗谷えりかはとてもいい子だよ」と僕は言った。「おまえのことを真剣に考えている。
 何はともあれ、あの子は離さない方がいいよ。あんな素敵な子は二度と見つからないから」
 「知ってる。それはよう知ってるんやけどなあ」と木樽は言った。「知ってるだけではどうし
 ょうもないで」
 「自分で突っ込みを入れるな」と僕は言った。

               村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号

                                   この項つづく


 



  

      

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 


●里山資本主義異論

先回につづき、「第4章 "無縁社会"の克服」を読む。ここでは、地方のハンデをオセロゲーム
の絶妙の一手
のように黒から白へひっ
くり返していく実践例を具体的の記録されている。では、そ
の方法とは?

  「役立つ」「張り合い」が生き甲斐になる

  この「気づき」は、施設にとってだけでなく、地域にとっても実に大きな意味のある気づ
 きだった。それが、アイディアがとんとん拍子で進んだその後の過程から見えてくる。
  熊原さんは、施設の職員に早速アンケートをとらせた。「みなさんの作った野菜を施設の
 食材として使わせてもらえますか?」すると、デイサービスに通ってくるお年寄りをはじめ、
 百軒ものお宅からまたたくまに、是非提供させて欲しいと返嘔が来たのだ。
  そのうちの一軒、入君ハルコさんのお宅を訪ねた。入君さんは夫の弘司さんと二人縁らし。
 
八〇代の夫婦は、施設のパジャマのような姿だと、いかにも「お世話の必要なお年寄り」だ
 が、自宅を訪ねるとたくましさにあふれている。菜園は意外なほど広く、どう考えてもふた
 りでは食べきれない大量の野菜が植えられている。でも、それくらい育てないと畑の地力
 落ちてしまうのだと、教えてくれた
  以前はそれほど腐らせることはなかったのだ、と入君さんはいう。近所づきあいが盛んで、
 家で作ったものであれこれ料理し、始終交換していたからだ。
 「お団子を作ったから食べんさいと持って行ったり、混ぜご飯を炊いたけえ食べんさいやっ
 てもらったり、親しくしてね」
  だが、そうしたつきあいをしてきた家の多くが空き家になった。同じ世代が次々亡くなり、
 家を継ぐ人もなく、集落はさびしくなった。人君さんたちは同時に、大事なものをなくした。
 「張り良い」である。そんな時、熊原さんたちから問い合わせを受けた。二つ返事でOKし
 た。役に立てるのがうれしい、といって。
  試験的に施設で野菜を集めることになって、人君さんのお宅にも連絡が入った。夫婦は前
 日から、納屋にたまねぎやじゃがいもをどっさり用意して、待ち構えた。その顔はいきいき
 と暉いている。

 「うれしいですよね,ありがとうと言ってもらおうなんて思ってなかったのに、それくらい
 のことで助かるんじやね」

  地域で豊かさを回す仕組み、地域通貨をつくる

  熊原さんは、アイディアマンの和田さんたちと相談して、さらに地域が活気づき、豊かさ
 を実感できる仕組み作りに動いた。野菜の対価として、地域の中で使える「通貨」をつくろ
 うというのだ。
  施設の調理場に運び込まれる野菜は県外産ばかり、と書いた。それは、その分のお金が地
 域の外に流出していることを意味する。それを払わずに地域の中で買うと、お金が地域にと
 どまる。さらに対価を地域の中でしか使えない仕組みにすると、「豊かさ」が地域を巡回す
 ることになる。エネルギーなどで繰り返し説いてきた里山資本主義の極意を、ここでも活か
 そうというわけだ。
  熊原さんは、法人の施設が支払ってきた年間1億2千円の食材費のうち、一割分をお年寄
 りの野菜などでまかなう目標をたてた。提供してくれたお年寄りには、対価として地域通貨
 を配る。お年寄りは、それを高齢者施設でのデイサービスや、社会福祉法人が経営するレス
 トランなどで使えるようにした。地域の仲間が画用紙に向かい、にこにこ顔のデザインの発
 案者の熊原さんも興奮を隠せない。「今まで外に出ていたものが地域のお年寄りに入ったと
 したら、そりゃ色々なことが動き出すことになりますからね。地域興しができていくひとつ
 のカードになるんじゃないかな」
  初夏、職員が施設の障害者を伴い、ワゴン車でお年寄りのお宅をまわり始めた。玄関を開
 け、用件を伝えると、仏頂面で現れたお年寄りが、みんな笑顔になる。畑に入って、一緒に
 ダイコンを抜く。
  ワゴン車は人君さんのお宅にもやってきた。縁側で入君さんが待ち構える。夫の弘司さん
 も畑から急いで戻ってくる。
  菜園ではチングンサイが食べ頃になっている。職員が生を口にする。「おいしい!」と声
 をあげる。笑顔の夫婦が声をかける。「段ボールいっぱい、収穫しましょう!」
  上機嫌の入君さんは、職員をさらに納屋に案内する。前の日に収穫したホウレンソウも、
 もっていってくださいというわけだ。
  この日人君さんが提供したのは、チンゲンサイ18キロ、ホウレンソウ10キロ。施設3
 百人の一日分か確保できたことになる。
  そして、お礼に地域通貨をいくら差し上げるか、査定が始まる。職員が、「きょうはとて
 も新鮮なものをいただいたので、広島の中央卸売市場の価格で買い取らせていただきます」
 と切り出すと、人君さんはあきれ顔。「そんなのだめよ。ただで持って行ってもらってもえ
 えんじやから。おじいさんは、いつも木の根っこに持って行って腐らせてるんじやから」。
 押し問答の末、市場価格の半額の値段に落ち着いた。にこにこデザインの地域通貨が渡され
 地域通貨をはじめて手にした入君さん。はじめてのお使いでお駄賃をもらった子どものよ

 に、地域通貨を手に弘司さんのもとに歩み寄る(動きがスローな入君さんなので「歩み寄っ

 た」が、子どもなら「駆け寄った」に違いない)。
 「おじいさん、これでレストランに行ってご飯を食べたりしてくださいって!」
  弘司さんが職員に向き直り、笑顔をはじけさせる。「ありがとうございます!」
  弾んだ声が、空き家だらけの集落に響き渡った。人君さんがしばらく忘れていた「張り合
 い」を取り戻した瞬間だった。

  地方でこそ作れる母子が暮らせる環境

 
  熊原さんの挑戦は、まだまだ続く。
  レストランで地域通貨が使えると書いた。このレストランも、お年寄りの野菜活用と並行
 する形で作られることになったのだが、いったいどんなものなのか。なぜ社会福祉法人が経
 営しているのか。実はそこに熊原さんが目指す、「ハンデがマイナスではなく玉手箱となる
 社会」の進化形が見事に表現されているのだ。
  レストランは、ただのレストランではない。敷地の隣に保育園が併設されているのだ。こ
 ちらも熊原さんの法人が運営している。
  朝、いつものように見られる保育園の登園風景。ところが、子どもを送り届けた母親の一
 人は、そこから隣の建物にダッシュする。彼女は、レストランの調理場で働いているのだ。
  中国地方の山あいでは、たとえ意欲はあっても、子育て中の母親が、ちょうどいい仕事を
 見つけるのは容易なことではない。そもそも就職先が少なく、パートタイムも限られる。遠
 かったり、時間があわなかったり、周りの目も気になったり。熊原さんは、そんな母親に理
 想的な働く環境を作りたかった。
  働くチャンスを得たひとり、榎本寛子さんはこう語る。「主婦になって5年以上たってい
 たので、社会に出て仕事モードで働くことに抵抗があって、自信がなくて。ここだったら、
 子どもの顔も見える場所ですし、こういう場所じゃなかったら、躊躇していたかもしれませ
 ん。私にとってすごく魅力的でした」
  もちろんレストランでの雇用はたった二、三人に過ぎない、しかし、世の中へのメッセー
 ジがある、お母さんと子どもが生き生き暮らせる環境が、地方でこそ作れるのだというメッ
 セージ。その発信が大事なのだ。
  田舎には、子どもが育つ上で、都会の真ん中では望めないうらやましい環境が用意できる。
 春、園児たちは毎日のように先生と一緒に近所の田んぼや川のあぜみちに出かける。ふきの
 とうやつくしをつんで大喜び。元気な声で、収穫を先生に報告している。その様子を目にす
 ると、多くの親が、こんなところで子どもを育てられたらと思う。
  しかし、田舎にはハンデがある。働く場所が少ないというハンデだ。ほとんどの場合、そ
 のハンデにぶちあたった時点で、田舎は声をあげることをあきらめてしまう。
  しかし、都会にも大きなハンデがあるのだ。働きたくても子どもを預ける保育所がないと
 いうハンデ。待機児童の問題は、長年解決できない日本の社会問題だ。ようやく今、保育所
 の拡充が叫ばれ、お金をかけて整備が進められようとしている。しかし今、部会では、就職
 難や、子どもをもうけて養うことさえ難しいほどの低収入の問題が浮上している。日本の将
 来を託す子どもを、どこでどのように育てるのか。社会としてどう親を支援していくのか。
 時代を見据えた議論と対応が、今こそ求められている。その状況に、熊原さんは一石を投じ
 ているのだ。

   お年寄りもお母さんも子どもも輝く装置
 
  職場の隣に保育園をつくることで克服される、地方の母親のハンデ。熊原さんはこの装置

 で、それ以外にもいくつものハンデを、オセロゲームの絶妙の一手のように黒から白へひっ
 くり返していく。
  その一つが、田舎のお年寄りが結構苦労している、楽しくランチをする場所がないという
 ハンデだ。
  このレストランは、もともと経営がうまくいかず、廃業した店を買い取って改装された。
 お客はそんなに見込めない。だが、近所のお年寄りは、たまにこの店でランチをし、普段は
 なかなか会わない少し遠くに住む友達と過ごす時間を楽しみにしていた。熊原さんは、その
 ような話をまわりから聞いて、レストランの復活を思いついたのだ。
  改装オープンした店に友達をひき連れ、おしゃれをしてやってきたお年寄りがいた。近所
 に住む一二三春江さんだ。
  夫を亡くした後、一二三さんは大きな家にひとり暮らし。このごろは、畑仕事に出たつい
 でに、あちこち当てもなく散歩する。道で誰かに出会わないか、立ち話でもできないか、そ
 のための散歩だという。そうして話すことがなければ、一目ほとんど誰とも話さない。さび
 しくてしょうがないのだ。
  だから、改装オープンしたレストランでする友達とのランチ、その楽しいことといったら
 ない。明るい外光に包まれたテーブルには、何度も大きな笑い声が響く。
  友達を引き連れてやってきた一二三さんは、なんだか誇らしげだ。財布の中には、地域通
 。ランチに使われる野菜の一部は、てご二さんの菜園から提供されたものなのだ。カボチ
 ャのグラタンが運ばれてくる。て一三さんの畑からいただいたカボチャだと説明される。み
 んながおいしい、おしゃれな料理だとほめる。そして会計の時、二ごニさんの地域通貨が大
 活躍する。一二三さんが笑って話す。「また、がんばって畑仕慨をしなきや。張り合いが出
 ました」
  楽しみは、これだけでは終わらない。希望すれば、隣の保育園で子どもだちと遊ぶことが
 できるのだ。お年寄りたちに「ランチ弱者」を克服してもらった次の瞬間、今度は「孫世代
 と触れ合えない弱者」であることまで克服させてしまう装置を、熊原さんは用意していたの
 だ。
  一二三さんたちは、子
どもの輪の中に入ると、またたく間に幼い心をつかんでいく。昔は
 よく歌った童謡や子どもの目を引く身振り手振り。昔の遊びを手取り足取り教えながら、リ
 ードしていく。考えてみれば、みんな何人もの子どもを育ててきた大ベテラン。単にお年寄
 りが楽しいばかりでなく、子どもにとっても保育園にとっても、大助かりな仕組みなのだ。
  しばらく遊ぶと、お昼寝の時間になった。「じやあ、きょうはこれでおしまい」と先生が
 子どもたちに告げる。子どもたちが泣き出す。「もっと、遊びたい! 次はいつくるの?」
 一二三さんは質問責めにあう。なんと愛らしく、胸熱くなる質問責めだろう。お年寄りにも、
 子どもにも、保育園の先生にも、さらにいえばお母さんにも、幸せが満ち広がっていく。
  その場に居合わせたお母さんのひとりが、この装置がなぜ素晴らしいのか、言い当てた。
 「孤立した私と子どもが、保育園に行って先生に頂けて帰るという、ただ単にそれだけの関
 係ではなくて、周りの人に生かされている、それがすごく温かい。私もすごく安心しますし、
 子どもも色々な人との関わりを通して、学ぶものがたくさんあるんじやないでしょうか」

  無縁社会の解決策、「お役立ち」のクロス

  この方法には、従来の社会問題についてまわっていた「孤立」がない
  これまで我々が発達させてきた社会は、様々な立場の個人を分断し、問題ごとに解決策を
 講じ、お金をかけて解消していくという道筋をたどってきた。老人も、子どもも、働きたい
 のに子どもが預けられない主婦も、みんな弱者として扱われる、でも、単体では弱者に見え
 る人も、実は他の人の役に立つし、その「お役立ち」は互いにクロスする。クロスすればす
 るほど助かる人が増え、それまで「してもらう負い目」ばかり感じてきた人が「張り合い」
 に目覚め、元気になっていく。気がついてみれば、孤立していたみんながつながっている。
  そこには、無縁社会の孤独の中、たったひとりの親の死を隠してまで、その年金にしがみ
 つくといった寒々とした悲憤はない。孤立をなくすために何か対策を講じたのではなく、地
 域にいる、ハンデのある人たちをどうにか活かすことを考え続け、課題を克服した結果、孤
 立もなくなっていたのだ。しかも、かかるお金は課題ごとに講じる「対策費」より格段に少
 なくてすむ。これこそ、私たちが目指すべきアプローチではないか。
  さらにいえば、このレストランでは、すぐ近くで取れたばかりの新鮮で安心な無農薬野菜
 を、当然のように使っている。安心と安全を求めて高級素材のスーパーで大枚をはたく都会
 人が聞いたら歯ぎしりしそうな素材を、いとも簡単に、しかも安価で手に入れている。今時
 は、大手の居酒屋チェーンやハンバーガーショップも「顔の見える生産者」の紹介をしよう
 と、店舗に産地や生産者の名前を書いたり写真を貼ったり、手の込んだ仕組みをつくってい
 るが、このレストランでは、生産者本人がやってきて、生産者も客も店員もなく、みんなで
 おしゃべりをして、ゲラゲラ笑っている。本当につながっている。
  この仕組みでは、施設の障害者も活躍している。これまで多くの障害者は、授産施設(社
 会就労センタ士と呼ばれる特別な場所で働くしかなく、外の人と接する機会が限られてき
 た。しかし、熊原さんが作り出したこの装置では、障害者のみなさんが重要なバイプレーヤ
 ーだ。お年寄りの家を回り、野菜を集めるチームに入っては、行く先々でお年寄りから「あ
 りがとう」と声をかけられる。大きなダイコンを抜いては、「力持ちだね」とほめられる。
 レストランの給仕がかりも何人かが交代でこなす。お客さんと何気ない会話を交わし、しば
 しば笑いの中心にいる。
  熊原さんは隣の保育園で、彼らが給仕の仕方を子どもたちに教える機会もつくっている。
 子どもたちは素直に感心し、「教えてくれてありがとう」と言う。同時に子どもたちは、世
 の中に体の不自由な人がいることを知り、そうした人ががんばっている姿を記憶に刻み込む。
  無縁社会から我々日本人が脱出するヒントがここにある。

  里山暮らしの達人

  驚くべきアイディア。予想を超える怒濤の展開。なぜ熊原さんは、こんな素敵な仕組みを
 編み出すことができたのか。そこには、和田さんたちと20年も議論を繰り返し、自分たち
 の何か素晴らしくて、何か悪いのかを見つめてきた歴史がある。
  私たちが和田さんたちの取材に行き、和田さんのアジトに里山の革命家たちを集めて収録
 するたび、黙々と火をおこし、おいしい鍋やピザや煙製をつくってふるまう人がいる。和田
 さんの仲間からも一目置かれる「里山暮らしの達人」西山昭憲さんだ。「エコストーブ」も
 西山さんが改良を重ね、今の形を完成させた。私たちは、多くのアイデアのルーツともいえ
 る達人の暮らしを見せてもらうことにした。
  西山さんは、夜は9時か10時に寝るが、朝は3時に起きて活動を始める。畑の世話、草
 刈り、朝ご飯の支度。毎日が楽しくて楽しくて、のんびり寝ていられないという。
  そんな西山さんだが、実は一度都会に出て就職していた。しかし、往復の通勤に時間を費
 やすばかりの生活は自分に合わないと考え、ふるさとに戻ってきた。今は、昼間は通信会社
 の技術者として働き、仕事が終わると里山暮らしという生活を送っている。
 「時間になったら帰って、時間になったら寝て、次の日また時間になったら出て行くという
 繰り返ししかない、町の人は。田舎の人は、草を刈ろうとかなにをしようとか、することが
 いっぱいある。それがいいんです」
           
  ある日は仕事帰り、投網を持ってちょっと近所の川にでかけた。下流にダムができたため、
 漁獲量が減ってしまった小さな川。地元の漁協が設定する入漁料は、一年で八千円。そんな
 川でも、一家の夕食には十分なごちそうを提供してくれる。
  橋の下には、妻の恵利香さん。「あそこに魚が集まってるよ」と笑顔で指をさす。西山さ
 んが網をうつ。きれいな放物線。小さな鮎が何匹もかかった。ダムの上流に閉じ込められた
 ため、大きくならない鮎。「でもこれが、焼いても、塊裂にしてもおいしいんですわ」と西
 山さんがうれしそうに語る。
  帰り道、妻の恵利香さんは山に立ち寄る。木々の下にはしいたけのほだ木。大きくなった
 しいだけを、いくつかつんで帰る。
 「買うよりも、できたのを採って食べる楽しみがある。きょうは何個かな。わくわくする楽
 しみ」
  夕方、西山さんは縁側にどっかり座り、炭火で鮎を焼く。のんびり、じっくり。こうする
 と、鮎はびっくりするほどおいしくなる。そして、炭の赤い火を見ながら焼く時間自体が、
 至福の時だ。
  夕食は、どこの料亭かというごちそうだ。先ほどの鮎は串ごと、西山さん手作りの木の食
 器に盛られている。隣には友だちが山で仕留めた鹿のたたき。そしてしいたけなどの野菜の
 皿。
  孫のさやのちやんが、「買ったものはどれだろう」と言いだし、みんなで数える。「しょ
 うゆでしょ、ビールでしょ。ああ、わさびのチューブは買ったものだ」。さやのちやんが無
 邪気にいう。「たまには、ごちそうが食べたい」。ごちそうとは何かと尋ねると「ラーメン
 とかスパゲッティとか」と答える。みんな、爆笑だ。
  別の日、西山さんは仕事帰り、どこかによって帰ってきた。おみやげがあると間いて、恵
 利香さんとさやのちやんが出てくる。バンからおろした新聞紙の包みを解くと、大きな自然
 薯。ふたりが歓声を上げる。
  隣に、ちょっと変わった形に曲がった木の枝がある。「それは何?」「お母さんの肩たた
 き」。恵利香さんの頬が、またゆるむ。「うれしいおみやげじやね」
  その日の夕方、西山さんは小刀を持って縁側に座り、拾ってきた木を一心に削って、肩た
 たきを完成させていた。
  西山さんの毎日には、里山暮らしの極意がつまっている。お金をかけず、手間をかける
 できたものだけでなく、できる過程を楽しむ。穏やかに流れる時間。家族の笑顔。そして、
 21世紀の尺度で測り直すと、驚くほど高い生活の質
  そんな西山さんが、「これこそ、里山暮らしの一番の楽しみであり知恵である」と繰り返
 しいうものがある。「手間返し」という。

               
                            藻谷浩介 著『里山資本主義』

                                  この項つづく 

 

  

ひょんなことから、マツダのスカイアクティブGエンジン、i-stop アイドリングの白のデミオ
に乗り換えている。なるほどと思わせる走りを楽しんでいるというわけだ。日本車の技術開発の
速度は揺るぎないということだろう。

 

コメント
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マルチエキシトンな夜

2014年05月19日 | デジタル革命渦論

 

 

富士フイルムは京都大学の金光義彦教授と共同で、量子ドット太陽電池に用いる光電変換膜(量子
ドット薄膜)を開発し、電気伝導度を従来比約10倍に高めることに成功。量子ドット薄膜の作製
時に、銀塩写真技術で使っていた物質であるチオシアン酸カリウムを溶液中で安定的に分散させる
ための配位子として初めて採用。高い光電変換効率を持つ量子ドット太陽電池の実現につながる。
共同チームはチオシアン酸カリウムを配位子として使い、直径約3ナノメートルの硫化鉛の量子ド
ットを溶液中で合成。このコロイド状の量子ドットを塗布して量子ドット薄膜を作製した。チオシ
アン酸カリウムを使うことで、隣り合う量子ドットの間隔を一般的な配位子を使う場合に比べ、約
4分の1の0.5ナノメートル程度まで狭めることができた(量子ドット間の距離の精密制御に成
功)したことで今回の発明に繋がった。

近年、量子ドットは、光を照射すると別の色の光を発したり、電気を発生する特性を持っており、
この特性をさらに活かすために、量子ドットの集合体を薄膜状に形成して光デバイスに応用する研
究が盛んに進められている。量子ドットに関する技術は、今後、ディスプレイ用発光材料、太陽電
池、光検出器など、さまざまな用途への展開が期待されるため、近年急速に関心が高まっている。
中でも、第三世代太陽電池と呼ばれる高効率太陽電池の研究が盛んである。その中でもコロイド量
子ドットを用いた太陽電池は、例えば、マルチエキシトン生成効果により量子効率を高められる事
が報告されており、注目を集めているが、コロイド量子ドットを用いた太陽電池(量子ドット太陽
電池とも称される)では、変換効率が最大でも7%程度であり、変換効率の向上が求められていた。
このような量子ドット太陽電池では、量子ドットの集合体からなる半導体膜が光電変換層を担って
いることから、量子ドットの集合体からなる半導体膜自体の研究も盛んに行われている。例えば、
炭化水素
基数が6以上の比較的長い配位子を用いた半導体ナノ粒子が開示されている。量子ドット
の集合体からな
る半導体膜の特性を改善する手法としては、コロイド量子ドット(例えば2nm~
10nm程度)に結合してい
る配位子分子をより短い配位子分子に置換する事で、電気伝導性が向
上することが報告されている。例え
ば、PbSe(セレン鉛)の量子ドットの周囲のオレイン酸(
分子鎖長2nm~3nm程度)をエタンジチオール(
分子鎖長1nm以下)に置換する事によって
量子ドット同士が近接化し、電気伝導性が向上することが報告
されているが、下記(1)文献に記
載される半導体膜は、配位子が大きく、半導体量子ドット同士の近接化が
不十分であるため、光電
変換特性に優れない。また、ブチルアミン、または、下記(2)文献で用いられているエ
タンジチ
オールを配位子として用いた場合でも、例えば、(1)文献によれば、最大でも数百nA程度の

電流値しか得ることができていない。また、配位子としてエタンジチオールを用いると、半導体膜
の膜剥
がれが生じ易い。この発明は、高い光電流値が得られ、かつ、膜剥がれが抑制される半導体
膜およびその製造方法の提供を課題とし、この課題を解決することを目的とする。また、高い光電

流値が得られ、かつ膜剥がれが抑制される太陽電池、発光ダイオード、薄膜トランジスタ、及び電
子デバ
イスを提供し課題解決することを目的としていた。

(1)Charge transport in mixed CdSe and CdTe colloidal nanocrystal films,  2012.10
(2)Structural, Optical, and Electrical Properties of Self-Assembled Films of PbSe Nanocrystals Treated with
     1,2-Ethanedithiol, ACS Nano, 2008, 2 (2), pp 271–280
,

 
JP 2014-93328 A 2014.5.19

現在、量子ドットの重要な性質として、1つの光子から複数の電子(および正孔)が生成されるマ
ルチエキシトン生成(MEG)効果が知られているが。このMEG効果を活用して発生させた光電流
効率的に抽出できれば、高い変換効率の太陽電池や発光素子など、次世代光電変換デバイスの開発
につながるが、MEG効果によって生成された複数の電子は、「オージェ再結合」という現象により、
わずか数十~数百ピコ秒(1兆分の1)程度の時間スケールで1つの電子(および正孔)に戻って
しまう。そのため、現在の量子ドット薄膜においてMEG効果を効率的に活用するためには、「オー
ジェ再結合」の抑制が課題であった。また、MEG効果によって発生した光電流を効率良く取り出す
ためには、量子ドット薄膜におけるドット間の電気伝導度を向上させることも課題であった。
今回、
富士フイルムと京都大学は、MEG効果を光電流として効率よく抽出するため、銀塩写真分野で培った
ナノ粒子表面修飾技術(*ナノ粒子表面に特定の分子を結合させたり、元々結合していた分子を別
の分子に置換する技術)を応用し、一般的な量子ドット薄膜(*配位子がオレイン酸である市販量
子ドット分散液により作製した、量子ドットの集合体からなる薄膜(*配位子がオレイン酸である
市販量子ドット分散液により作製した、量子ドットの集合体からなる薄膜)の配位子(*量子ドッ
ト表面に結合し、量子ドット表面を保護する分子。一般的な量子ドットの配位子には、オレイン酸
などの長鎖脂肪酸が用いられる事が多く、これにより溶液中での分散性が高まる。しかし、薄膜化
した際には、量子ドット同士の近接化を阻害し、光電流の抽出を困難にしていた)を、ドット間の
相互作用を高めるチオシアン系分子に置換した量子ドット薄膜を形成。チオシアン系分子で量子ド
ット間の距離を精密に制御することで、ドット間の電気伝導度を、一般的な量子ドット薄膜と比べ
て7桁程度向上させることに成功。すでにMEG効果が報告されている(* O.E.Semonin, et al., Sci
ence
2011年, Vol.334, 1530
頁)、配位子にジチオール系分子を採用した量子ドット薄膜と比較
しても、電
気伝導度が1桁程度向上しています。また、チオシアン系分子を配位子として採用した
量子ドット
薄膜では、従来に比べ「オージェ再結合」が抑制されていることを確認しました。今回
の量子ドッ
ト間の距離を精密に制御する技術により、効率的に光エネルギーを電気エネルギーへ変
換できるこ
とを世界に先駆けて実証したという。ハードルは高いが、夢を実現するには、山を踏むしかない?!
今日は、マルチエキシトンな夜という訳でこの記事を取り上げた。

 
ホンダは軽自動車「N―ONE(エヌワン)」を一部改良して発売した。追突などの事故被害を軽
減する運転支援システムやサイドカーテンエアバッグの「あんしんパッケージ」をGタイプより上
位のタイプに標準装備したほか、エンジンの大幅刷新でJCO8モード燃費を1リットル当たり28.4
キロメートルに向上した。シャープのプラズマクラスター技術搭載のフルオート・エアコンを全て
に標準装備した。消費税込みの価格はGタイプの前輪駆動(FF)車が118万5,000円。価格は同タ
イプで従来より約2000円上がっており、装備でお買い得感を出したという。世界を走り抜け、日本
のガラパゴス・カー!

 

 

 


   その週の土曜日に栗谷えりかと渋谷で待ち合わせをして、ニューヨークを舞台にしたウディ
 ー・アレンの映画を見た。彼女に会って話したときに、たぶんウディー・アレンみたいなもの
 が好みじゃないかという気がしたからだ。そして僕が思うに、木樽はそんな映画に彼女を誘っ
 たりはまずしないだろう。幸いなことに映画の出来は良くて、映画館を出るとき二人とも楽し
 い気持ちになっていた。




  夕暮れの街をしばらく散歩してから、桜丘の小さなイタリアンの店に入ってピザを注文し、
 キャンティ・ワインを飲んだ。カジュアルで、値段もそれほど高くない店だ。照明は落とされ、
 テーブルにはキャンドルが灯されていた(当時のイタリア料理店では大抵キャンドルが灯され
 ていた。テーブルクロスはギンガムチェックだった)。そこで僕らはいろんな話をした。大学
 二年生が最初のデートで(たぶんデートと呼んでいいのだろう)交わすような会話だ。さっき
 見た映画のこと、お互いの大学生活のこと、趣味のこと。予想していた以上に話ははずみ、彼
 女は何度も声をあげて笑った。自分で言うのもなんだけど、僕には女の子を自然に笑わせる才
 能があるみたいだ。



 
 「アキくんにちょっと聞いたんだけど、谷村くんは高校時代の恋人と少し前に別れたんだっ
 て?」と彼女は僕に尋ねた。
 「うん」と僕は言った。「三年近くつきあったんだけど、うまくいかなかった。残念ながら」
 「彼女との問がうまくいかなくなった原因はセックスのことだって、アキくんは言ってたけど。
 つまり、なんていうのかしら……あなたが求めることを彼女が与えてくれなかったとか」
 「それもある。でも、それだけじゃないんだ。もし僕が心から彼女のことが好きだったら、そ
 れはそれで我慢できたと思う。本当に好きだという確信があればね。でもそうじゃなかった」
  
  栗谷えりかは肯いた。
 
 「もし最後までいっていたとしても、結果は同じだっただろうな」と僕は言った。「東京に出
 てきて、距離を置いてみて、だんだんそれが見えてきたんだ。うまくいかなくなったのは残念
 だったけど、まあ仕方ないことだと思う」
 「そういうのってきつい?」と彼女は尋ねた。「そういうのって?」
 「これまでは二人だったのに、急に一人だけになること」
 「ときには」と僕は正直に言った。
 「でも、若いときにはそういう淋しく厳しい時期を経験するのも、ある程度必要なんじゃない
 かしら? つまり人が成長する過程として」
 「君はそう思う?」
 「樹木がたくましく大きくなるには、厳しい冬をくぐり抜けることが必要なみたいに。いつも
 温かく穏やかな気候だと、年輪だってできないでしょう」
  僕は自分の中にある年輪を想像してみた。それは三日前のバームクーヘンの残りのようにし
 か見えなかった。僕がそう言うと彼女は笑った。
 「たしかにそういう時期も人間には必要なのかもしれない」と僕は言った。「それがいつか終
 わるとわかっていれば、もっといいんだけどね」
  彼女は微笑んだ。「大丈夫よ。あなたならきっとそのうちに良い人が見つかるから」
 「だといいんだけどね」と僕は言った。だといいのだけど。
 
  栗谷えりかはしばらく何かを一人で考えていた。そのあいだ僕は運ばれてきたピザを一人で
 食べていた。
 
 「ねえ、谷村くんにちょっと相談があるんだけど。聞いてくれる?」
 「もちろん」と僕は言った。そして、やれやれ、困ったことになりそうだなと思った。誰かに 
 すぐ大事な相談をもちかけられてしまうことも、僕の抱える恒常的問題のひとつだった。そし
 て栗谷えりかが持ちだそうとしているのが、僕にとってあまり心愉しくない種類の「相談」で
 あることも、かなりの確率で見当がついた。
 「私は今けっこう迷っているの」と彼女は言った。
 
  彼女の目は捜し物をしている猫のように、ゆっくり左右に移動した。
 
 「谷村くんも見ていてわかると思うんだけど、アキくんは浪人生活が二年目に入っているとい
 うのに、受験勉強なんて実際にはほとんどやってないわけ。予備校にもろくすっぽ行ってない。
 だからたぶん来年も合格できないだろうと思うの。もちろん学校のレベルを落とせばどこかに
 は入れるでしょうけど、あの人の頭にはなぜか早稲田しかないわけ。早稲田に入るしかないっ
 て思い込んでいる。そういうのってほんとに意味ないと思うんだけど、私が何を言っても、親
 や先生が何を言っても、ぜんぜん耳を貸さない。なら早稲田に入れるように身を入れて勉強を
 すればいいのに、それもしない」
 「どうしてそんなに勉強しないんだろう」
 「あの人はね、入学試験なんて運さえ良ければ受かるものと真剣に信じているのよ」と栗谷え
 りかは言った。「受験勉強なんかするだけ時間の無駄、人生の消耗だって。どうしてそういう
 変な考え方ができるのか、私には信じられないけど」

  それもひとつの見識かもしれないと僕は思ったが、もちろん目には出さなかった。
  栗谷えりかはため息をひとつついてから言った。「彼、小学校の頃はすごく勉強ができたの
 よ。成績もクラスでトップクラスだった。でも中学校に入ってからは、坂を滑り落ちるみたい
 にずるずると成績が落ちていった。ちょっと天才肌みたいなところがあって、もともと頭はい
 いはずなんだけど、性格がどうも地道な勉学に向かないみたい。学校というシステムにうまく
 馴染めなくて、一人でへんてこなことばかりしている。私とは逆ね。私はもともとの頭の出来
 はそんなに良くないけど、こつこつ真面目に勉強する」

  僕はとくに熱心に勉強はしなかったが、大学には問題なくすんなりと入れた。ただ運が良か
 ったのかもしれない。

 「アキくんのことはとても好きだし、彼には人間的に優れたところがいっぱいある。でもとき
 どき、あの極端な考え方についていくのがむずかしくなるの。関西弁にしたってそうよ。東京
 生まれ東京育ちの人が、どうしてわざわざ苦労して関西弁を話さなくちゃならないわけ? 意
 味がわからない。最初はただの面白い冗談だと思ってたんだけど、そうじゃないの。あれ、本
 気でやってるのよ」
 「おそらくこれまでの自分とは違う、別の人格になりたかったんじゃないかな」と僕は言った。
 つまり僕とは逆のことをやっているわけだ。
 「だから関西弁しかしゃべらなくなるわけ?」「たしかにかなり極端な発想だとは思うけど」
  栗谷えりかはピザを手にとり、大きめの記念切手くらいの一片を誓り取った。それを思慮深
 く咀喘し、そのあとで言った。
 「ねえ、谷村くん、他にこういうことを訊ける人がまわりにいないからあなたに訊くんだけど
 かまわないかな?」
 「かまわないよ」と僕は言った。他に答えようもない。
 「一般論としてだけど、ずっと親しくつきあっていれば、男の子って女の子の体を求めるもの
 でしょう?」
 「一般論としてたぶんそうなると思う」
 「キスをしたら、そのもっと先に行きたがるものよね?」
 「普通はまあそうだけど」
 「あなたの場合もそうだった」
 「もちろん」と僕は言った。
 「でもアキくんはそうじゃない。ずっと二人きりでいても、彼はそれ以上のことを求めないの」
 
  どう答えるべきか、言葉を選ぶのに少し時間がかかった。それから僕は言った。「そういう
 のはあくまで個人的なことだし、人によって求め方はけっこう違ってくるんじゃないかな。木
 樽はもちろん君が好きだけど、君のことをあまりに身近な自然な存在として感じてきたから、
 そういう一般的な方向にすんなりと進めないのかもしれない」

 「本気でそう思う?」

  僕は首を振った。「僕には断定的なことは言えない。そういう経験はないからね。ただそう
 いうこともあるかもしれないと言ってるだけだよ」
 「彼が私に対して性的な欲望を感じていないんじゃないかと思うこともある」
 「性的欲望はきっと感じていると思うよ。ただそれを認めるのが、単純に恥ずかしいんじゃな
 いかな」
 「私たちもう二十歳なのよ。恥ずかしいとか言ってる年齢でもないでしょう」
 「時間の進み方は人によって少しずつずれているかもしれない」と僕は言った。
  栗谷えりかはそれについて考えた。彼女は何かについて考えるとき、何によらず正面から真
 剣に考えるようだった。
 「木樽はたぶん、何かを真剣に求めているんだよ」と僕は続けた。「普通の人とは違う彼自身
 のやり方で、彼自身の時間の中で、とても純粋にまっすぐに。でも自分が何を求めているのか、
 自分でもまだよく掴めていないんだ。だからいろんなものごとを、まわりに合わせてうまく前
 に運んでいくことができない。何を探しているのか自分でもよくわからない場合には、探し物
 はとてもむずかしい作業になるから」
  栗谷えりかは顔を上げ、しばらく何も言わず、僕の目をまっすぐ見ていた。その黒い瞳がキ
 ヤンドルの炎を、小さな点として鮮やかに美しく反射していた。僕は目を逸らさないわけには
 いかなかった。
 「もちろん彼のことは、僕なんかより君の方がずっとよく知っているはずだけど」と僕は弁解
 するように言った。
  彼女はもう一度ため息をついた。そして言った。
 「ねえ、実を言うと私には、アキくんとは別につきあっている男の人がいるの。同じテニスの
 同好会の一年先輩なんだけど」





  今度は僕が黙り込む番だった。
 
 「私はアキくんのことが心から好きだし、彼に対するような深く自然な気持ちを、他の誰に対
 してもおそらく持つことができないと思う。彼と離れていると、胸の決まった部分がしくしく
 と疼くの。虫歯みたいに。本当よ。私の心の中には彼のためにとってある部分があるの。でも
 それと同時に、なんていうのかな、私の中にはもっと違う何かを見つけてみたい、もっと多く
 のものごとと触れあってみたいという、強い思いもあるわけ。好奇心というか、探求心という
 か、可能性というか。それもまたとても自然なもので、抑えようとしてもうまく抑えきれない
 ものなの」
 植木鉢の中に収まりきらない強い植物のように、と僕は思った。
 
  迷っているというのは、そういうことなの」と栗谷えりかは言った。
 「だったらそういう気持ちを、木樽に正直に打ち明けた方がいいよ」と僕は注意深く言葉を選
 んで言った。「他の人と交際していることを秘密にして、それがもし何かの加減でわかったり
 したら、木樽も傷つくだろうし、それはやはりまずいんじやないかな」
 「でも彼にそれがうまく受け入れられるかしら? つまり私が他の人と交際しているというこ
 とが」
 「君の気持ちは、彼にも理解できるような気がするけど」と僕は言った。
 「そう思う?」
 「そう思うけど」と僕は言った。
  彼女のそのような感情の揺れを、あるいは迷いを、木樽はおそらく理解するだろう。彼自身
 やはり同じことを感じているわけだから。そういう意味では彼らは間違いなく共感的なカップ
 ルだった。しかし彼女の具体的にやっていること(やるかもしれないこと)を、木樽が平静に
 受け止められるかどうか、僕には今ひとつ自信が持てなかった。僕が見るところ、木樽はそこ
 まで強い人間ではない。しかし彼女が秘密を持つことに、嘘をつくことに、彼はもっと耐えら
 れないはずだ。
 
  栗谷えりかは、エアコンの風にちらちらと揺れるキャンドルの炎を無言で眺めていた。それ
 から言った。



 
 「私は同じ夢をよく見るの。私とアキくんは船に乗っている。長い航海をする大きな船。私た
 ちは二人だけで小さな船室にいて、それは夜遅くで、丸い窓の外には満月が見えるの。でもそ
 の月は透明なきれいな氷でできてる。そして下の半分は海に沈んでいる。『あれは月に見える
 けど、実は氷でできていて、厚さはたぶん二十センチくらいのものなんだ』とアキくんは私に
 教えてくれる。『だから朝になって太陽が出てきたら、溶けてしまう。こうして見られるうち
 によく見ておくといいよ』って。その夢を何度も繰り返し見た。とても美しい夢なの。いつも
 同じ月。厚さはいつも二十センチ。下半分は海に沈んでいる。私はアキくんにもたれかかって
 いて、月は美しく光っていて、私たちは二人きりで、波の音が優しい。でも目が覚めると、い
 つもとても悲しい気持ちになる。もうどこにも氷の月は見えない」
  
  栗谷えりかはしばらく黙っていた。それから言った。
 
 「私とアキくんと二人だけでそういう航海を続けていられたら、どんなに素敵だろうと思う。
 私たちは毎晩二人で寄り添って、丸い窓から氷でできた月を見るの。月は朝になったら溶けて
 しまうけれど、夜にはまたそこに姿を見せる。でもそうじゃないかもしれない。ある夜、月は
 もう出てこないかもしれない。そのことを思うとひどく怖い。明日自分がどんな夢を見るのか、
 それを考えると、身体が音を立てて縮んでいくくらい怖い」

 

               村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号



 

 

 

 


 

 

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国連改革は進んでいるか。

2014年05月18日 | 政策論

 

 

  

【積極的平和主義とは? 軍縮・不拡散外交の現状】

このところ、集団自衛権を巡る政府与党の動きが活発だ。この議論は自分では決着がついているので屋上
屋を重ねないが憲法解釈論ではなく法規の拡張論と心得ている。問題は、安倍政権の”積極的平和主義”
の中身。したがって、「軍縮及び兵器の拡散防止」を巡る”国連改革”の工程表(=実行計画)の
進捗にある。そこで、外務省やNPOの資料をネット検索し現状確認してみた。まず、平和と紛争、
特に軍備管理と軍縮問題の研究を行うスウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)がの
「SIPRI年鑑2013」みてみよう(「SIPRI年鑑2013】核保有国は、核兵器の近代化を続行 米露で
は減少
」2013.06.05)。



 

報告によると、核保有国は核兵器を近代化し続けており、4400個の戦略核弾頭を所有しているとい
う。また、約二千個の核弾頭が、数分内に発射できる臨戦態勢にあることが分かった。これは、前
年レベルである。
世界の核保有国は、核拡散防止条約(NPT)で核兵器保有が認められている米国、ロ
シア、英国、フランス、中国の5カ国と、インド、パキスタン、イスラエルの計8カ国である。そし
て、核兵器運搬可能な航空機や潜水艦、新ミサイルシステムの近代化がされ続けている。
SIPRIのシ
ャノン・カイル上級研究員は「核兵器保有国が、本当に核兵器を放棄する可能性はほとんどなく、
核兵器を国際的な地位や権
力の象徴としている。」と述べている。さらに、SIPRIの推定によると、核
弾頭の総数は、実戦用核弾頭、活動状態あるいは非活動状態で格納されている弾頭、後日解体予定
の手付かずの弾頭も含め、前年同時期比1735個少ない1万7265個に減少した
が、核を削減している
のは米露両国だけで、英国とフランスの弾頭数は昨年と変わらず、それぞれ225個と300個だった。
中国の核弾頭数は前年同時期比で10個増の250個。インドとパキスタン、イスラエルの核情報の入
手は困難で、SIPRIは、それぞれ核弾頭数を90~110個、100~120個、80個と推定しているとのこと。
 

資料の数字や図表を見る限り、問題と課題が一目瞭然で、振興アジア諸国、特に中国の軍拡が顕著であり
特に、中国、ロシア(非アジアオセアニア諸国では、米国・英国・フランス)は常任理事国であり拒否権をもつ
が、分けても問題なのは、”チャイナリスク"であり、非常任理事諸国では”北朝鮮リスク”であることが了解で
きる。さらに、核兵器以外の化学・生物兵器・通常兵器の輸出に対する削減工程表(実行計画)に対する働
きかけが鈍いあるいは分かりづらい、というのが率直な感想である。

 

  

 

●コラーゲンで骨をつくる?! 

大阪大学大学院工学研究科の中野貴由教授と松垣あいら特任助教らの研究グループは、アトリーと
共同で、コラーゲンの配列を制御できる配向性材料を開発。骨を形成する骨芽細胞やコラーゲン、
アパタイトが優先的な方向性を示せる組織の形成に成功しており、さまざまな骨に似た構造を実現
できるため、再生医療への応用につながりそうだと報じられている。
研究グループは、骨を形成す
る骨芽細胞の方向を制御することで、場所によって大きく異なる骨組織の方向性も操れると想定。
ランダムに並んだものと、コラーゲンの配列に強弱をつけた計3種類のコラーゲン配向化材料を開
発。カルシウムやリンを含む培地で、開発したシート状の「コラーゲン基板」に骨芽細胞を約4週
間培養し、本物の骨に類似した骨組織の方向性制御を試みた。その結果、骨芽細胞はコラーゲン基
板の配向性を感受して配列化した。細胞の並び方はコラーゲンの配列をコントロールすることで制
御できるという。方向がそろった骨芽細胞が作り出すコラーゲンとアパタイトは、細胞に沿って束
状になった。これは生体内での力学環境に対応した骨微細構造を再現できることを意味しているた
め、骨の方向性の自由自在なコントロールが可能になる。中野教授は、健全骨に近い骨類似組織を
骨再生初期から実現可能になるとか。

●無配向のコラーゲンはこれまで細胞培養の基板材料として長く利用されてきた。一方、人の体内
において配向性を有したコラーゲンが多数見られ、骨もその部位に応じてコラーゲン/アパタイト
が配向化しているが、骨の成長、並びに強度等の機能においてコラーゲン/アパタイトの配向性の
役割は大きいと考えられている。配向性を有したコラーゲン基板を製造する方法として、コラーゲ
ン繊維が形成される過程において強力な磁場を印加することが一般的に知られている。また、コラ
ーゲンゲルをスピンコートする方法が知られている。さらに、コラーゲンを石灰化して骨等に類似
した生体硬組織を作製する方法として、骨芽細胞の播種が一般的に知られている。前述の骨芽細胞
の播種以外にも、骨や歯の主成分として知られているハイドロキシアパタイトの合成法として、高
分子材料等の基板を、カルシウム溶液とリン酸溶液とに交互に浸漬させる方法が提案されている。
また、アパタイトの配向性を制御する方法として、同時滴下法によるコラーゲン/アパタイト複合
体の生成が提案されている。

しかしながら、上記特許文献1及び2のように、これまでコラーゲン単体の配向化技術は存在した
が、配向性が制御されたコラーゲン/アパタイト配向性材料を製造することはできなかった。また、
は、配向性が制御されたものではなっかった。さらに、従来から知られる自己組織化反応によるも
のと考えられるが、この方法により配向化材料を作製しようとする試みはミクロオーダーにおいて
もマクロオーダーにおいても存在しない。このように、コラーゲンの配向化技術はこれまで存在し
たが、石灰化コラーゲンをミリメーターオーダー以上のマクロサイズで製造する技術はなく、その
結果、骨が部位に応じて配向化しているような類似のコラーゲン/アパタイト配向性を持つ実用化
能な材料も存在しなかったという。

この新規考案によると、ミリメーターオーダー以上のマクロサイズのコラーゲン/アパタイトの配
向化と配向性の制御が可能であるという有利な効果を奏する。また本発明においては、生体硬組織
が部位に応じてコラーゲン/アパタイトの配向性を持つことから、より正常な生体硬組織の各部位
の配向性に等しくなるように配向性が制御された生体適合性材料を提供することができる。例えば、
骨組織においてその配向性は、特定方向の強度に重要な役割を果たすと考えられている。大腿骨は
骨長軸に沿ったコラーゲン/アパタイトc軸の配向性を持つが、マクロサイズの骨欠損が生じた場合
には、元の配向性を回復することには長時間を必要とし、骨組織が元来持つ配向性を取り戻すこと
は極めて困難である。ところが、本発明で得られる、配向性が制御されたミリメーターオーダー以
上のマクロサイズの配向性材料を、元の骨の配向性に応じて埋入することにより、早期の骨再生と
本来の配向性の付与が可能となることが期待される。

また、高齢化社会が進むにつれて、骨粗鬆症や変形性関節症といった骨疾患が急増し、骨の再生医
療に対する期待は高いが、骨組織の強度機能、溶解と再生を繰返す骨代謝回転には、従来の医療現
場で測定されてきた骨密度の変化だけでは説明ができず、骨機能を決定する骨質パラメーターとし
てアパタイトの配向性が注目されている。この技術によると、コラーゲン/アパタイト配向性材料
の製造方法とその配向性材料は、将来の骨質医療に向けた基礎医学の研究開発のために、配向性が
制御されたコラーゲン/アパタイト配向性材料を提供すると共に、骨再生に向けた実用性ある生体
適合性材料を提供し得るという有利である。

  WO2012039112 A1

このコラーゲン/アパタイト配向性材料の製造方法は、配向性を有するコラーゲンを準備し、骨芽
細胞又は間葉系幹細胞を播種することで、コラーゲンの配向性の方位と略一致した配向性を有する
アパタイトを、前記コラーゲンの表面と内部に生成・固定させることを特徴とし、コラーゲン/ア
パタイト配向性材料の製造方法の好ましい実施態様で、骨芽細胞が、骨芽細胞様細胞や生体より採
取した骨芽細胞である。また、別の態様によるコラーゲン/アパタイト配向性材料の製造方法は、
配向性を有するコラーゲンを準備し、カルシウムイオンを含み、実質的にリン酸イオンを含まない
溶液と、リン酸イオンを含み、実質的にカルシウムイオンを含まない水溶液とに、コラーゲンを交
互に浸漬することで、コラーゲンの表面あるいは内部に生成・固定させることができる。この製造
方法では、(1)カルシウムイオンを含み、実質的にリン酸イオンを含まない溶液が、塩化カルシ
ウム水溶液、酢酸カルシウム水溶液、塩化カルシウムのトリス緩衝溶液、酢酸カルシウムのトリス
緩衝溶液、またはこれらの混合溶液、(2)また、リン酸イオンを含み、実質的にカルシウムイオ
ンを含まない水溶液が、リン酸水素ナトリウム水溶液、リン酸二水素ナトリウムアンモニウム水溶
液、リン酸水素ナトリウムのトリス緩衝溶液、リン酸二水素ナトリウムアンモニウムのトリス緩衝
溶液、あるいはこれらの混合溶液、(3)コラーゲンの配向性の方位と略一致した配向性を有する
アパタイト、(4)配向性が、一軸配向、らせん配向、二軸配向、二次元配向、三軸配向また三次
元配向、(5)また、材料の大きさがミリメーターオーダー以上のマクロサイズ、(6)配向性を
有するコラーゲンが、金属、セラミックス、高分子材料、または生体材料の基板にコートされてい
る、(7)コラーゲンの表面あるいは内部にアパタイトが沈着し石灰化が生じる、などのを特徴を
有している。

 

●住宅用太陽光発電システムの電圧上昇対策?

NPO法人「太陽光発電所ネットワーク(PV-Net)」が「太陽光発電の普及・促進の影で」を公開。

太陽光発電システムの売電を妨げるパワコンの「電圧上昇抑制」を中心に、産業用・住宅用における具体
的事例(1)メガソーラーによる高圧幹線の電圧上昇: 設置地域の電力需要に見合わないメガソー
ラーが設置されたため、幹線の電圧が上昇し、他の事業者が系統連携できない。(2)住宅用設備
の増加による電圧上昇:同一変圧器に2軒目の住宅用設備が接続されたことで、以前から設置され
ていた住宅用設備で、電圧上昇抑制が発生するようになるという問題がある。つまり、余剰電力等
を逆潮流によって電力会社の系統側へ流すには、電力会社からの供給電圧より電圧を高くする必要
があり、電力会社が配線する変圧器から引込線取付点、設置者側が配線する引込線取付点から配電
盤、配電盤からパワコンまでの配線材にはそれぞれ抵抗成分があり、電流を多く流そうとするほど
電圧上昇する(上図参考)。 

・パワコンの出力電圧(V)=配線材の電圧上昇分(V)+電力会社からの供給電圧(V)
・パワコンの出力電圧(V)=配線材の抵抗分(Ω)×電流(A)+電力会社からの供給電圧(V)

家庭用の低圧については電気事業法によって101±6Vと「規定の電圧」が定められ、この値を逸脱し
ないこととなっているが、これにより電圧が高くなりすぎて家電が壊れることから、電圧の低下に
よる誤動作を防ぐようにしている。電力会社は屋内配線と通って末端にある電気機器までの電圧降
下を考慮して高めの電圧で配電。パワコンの整定値も同様に家屋内の電圧が高くなりすぎないよう
にする設定(制限)であり、メーカー出荷時の設定は107Vが一般的。ところが、本来は引込線取付点
だが、条件が整えば引込柱としてもよいと「電力品質確保に係る系統連系技術要件ガイドライン」
に記述されており、電力会社からの供給電圧が101Vでパワコンの出力電圧が103Vであれば問題ない
が、供給電圧が107Vぎりぎりの場合は、パワコンは規定値に収まるように出力を制限し107Vよりも
高い電圧を発生を抑制する。このため、電力会社からの供給電圧よりもパワコンが同電圧ないしは
低電圧となり電気の移動が起きないので「電気が売れない!」という事態が生じる。

・パワコンの出力電圧(V)=配線材の抵抗分(Ω)×電流(A)+電力会社からの供給電圧(V)

 ただし、系統連系した太陽光発電システムの場合はパワコンの整定値という上限条件が付く。

パワコンの出力電圧(V)=配線材の抵抗分(Ω)×電流(A)+電力会社からの供給電圧(V)≦整定値(V)
とすると、天気の良い昼12時頃、発電による電流(A)を一定と仮定すると電圧上昇分の電圧(V)も一
定となるので、その時に工場等が昼休憩になり設備が停止することで高圧幹線の需要(電流)が減り
電圧が上昇(電流が減る分、電圧降下が減少)、それに伴って変圧器から供給される低圧の電圧も上
昇。この場合、パワコンの出力電圧はそれに伴って上昇することになり、場合によっては整定値ま
で到達して電圧上昇抑制となる。同様に太陽光発電システムで発電することは需要を減らすことに
繋がり、幹線の電圧上昇に少なからず影響する。同じ3.0kWの発電量(≒100V30Aの電流)であっても
抑制が掛かる時と掛らない時、1.7kwと少な目の発電量(≒100V17Aの電流)であっても抑制が掛る時
があるのは太陽光発電システム単体の問題ではなく、変圧器からパワコンまでの配線材の抵抗分で
発生する電圧上昇と需要の変動に伴う電力会社からの供給電圧の上昇が大きく絡むためであると解
説されている。




 

 

 

 
  僕と水槽と彼のガールフレンド(フルネームは栗谷えりか)が会ったのは日曜日の午後、場

 所は田園調布駅の近くの喫茶店だった。彼女は水槽と変わらない身長で、よく日焼けして、き
 れいにアイロンのかかった白い半袖のブラウスに、紺のミニスカートをはいていた。育ちの良
 い山の手出身の女子大生の見本みたいだ。写真で見たとおりの素敵な女性だったが、実物を前
 にすると、顔立ちの良さよりはむしろ、全身に溢れている率直な生命力のようなものに注意を
 引かれる。どことなく線の細い印象のある木樽とは対照的だった。

  木樽が僕を彼女に、彼女を僕に紹介した。

 「アキくんに、お友だちができてよかった」と栗谷えりかは言った。木樽の名前は明義といっ
 た。彼をアキくんと呼ぶのは世界中で彼女一人だけだった。
 「おおけさなやつやな、友だちくらいなんぽでもいるぞ」と水槽は言った。
 「嘘よ」と栗谷えりかはあっさりと言った。
 「ごらんのとおりの人だから、なかなか友だちが作れないの。東京育ちのくせに関西弁しか話
 さないし、□を開けばいやがらせみたいに、阪神タイガースと詰め将棋の話しかしないし、そ
 んなはずれた人が普通の人とうまくやっていけっこないでしょう」
 「そんなこと言うたら、こいつかてけっこうけったいなやつやぞ」と木樽は僕を指さして言っ
 た。「芦屋の出身のくせに東京弁しかしゃべらんしな」
 「それってわりに普通じゃないかしら」と彼女は言った。「少なくとも逆よりは」
 「おいおい、それは文化差別や」と木樽は言った。「文化ゆうのは等価なもんやないか。東京
 弁の方が関西弁より偉いなんてことがあるかい」
 「あのね、それは等価かもしれないけど、明治維新以来、東京の言葉がいちおう日本語表現の
 基準になっているの」と栗谷えりかは言った。「その証拠に、たとえばサリンジャーの『フラ
 ニ-とズーイ』の関西語訳なんて出てないでしょう?」
 「出てたらおれは買うで」と木樽は言った。






  僕も買うだろうと思ったが、黙っていた。余計な口出しは控えた方がいい。

 「とにかく世間一般の常識として、そういうことになってるの」と彼女は言った。「アキくん
 の脳昧噌には偏屈なバイアスがかかっているだけなの」
 「偏屈なバイアスていったいどういうことや? おれには文化差別の方がよっぽど有害なバイ
 アスやとしか思えんけどな」と木樽は言った。

  栗谷えりかは賢明にもその論点を回避し、話題を変更することを選んだ。

 「私の入ってるテニスの同好会にも芦屋から来てる女の子がいるわ」、彼女は僕に向かって言
 った。「サクライ・エイコって子だけど、知ってる?」
 「知ってる一と僕は言った。楼井瑛子。妙なかたちの鼻をした、ひょろりと背の高い女の子で、
 親が大きなゴルフ場を経営している。気取っていて、性格もあまり良くない。胸もほとんどな
 い。ただし昔からテニスだけはうまくて、よく大会に出ていた。できることなら二度と会いた
 くない相手だった。」
 「こいつな、けっこうええやつやねんけど、今のところ彼女がおらへんねん」と木樽が栗谷え
 りかに向かって言った。僕のことだ。「ルックスはほどほどゆうとこやけど、躾けもできてる
 し、おれと違って考え方はかなりまともや。いろんなことをよう知ってるし、むずかしそうな
 本も読んでる。見たところ清潔そうやし、悪い病気なんかも持ってへんと思う。前途有為な好
 青年やと思うんやけどな」
 「いいわよ」と栗谷えりかは言った。「うちのクラブにもけっこう可愛い新入生が何人かいる
 から、紹介してあげてもいい」
 「いや、ちゃうねん。そうゆうんやなくて」と木樽は言った。「おまえ、こいつと個人的につ
 きおうてやってくれへんかな? おれも浪人生の身やし、おまえの相手も思うようにできへん,
  そのかわりゆうたらなんやけど、こいつやったらおまえのええ交際相手になれると思うし、
 おれとしてもまあ安心してられるんや」
 「安心してられるってどういうことよ?」と栗谷えりかは言った。
 「つまりやな、おれはおまえら二人のことを知ってるし、見ず知らずの男とおまえがつきおう
 たりしてるよりは、おれとしてもその方が安心やないか」
  栗谷えりかは目を細め、遠近法を間違えた風景團でも見るみたいに、木樽の顔をじっと見て
 いた。そしてゆっくり口を開いた。「だから私がこの谷村くんとおつきあいすればいいってい
 うことなの? 彼がけっこういい人だから、私たちが男女として交際するように、アキくんは
 真剣に勧めているわけなの?」
 「そんな悪い考えでもないやろ。それとも他にもう誰かつきおうてる男でもいるのんか?」
 「いないわよ、そんな人は」と栗谷えりかは静かな声で言った。
 「そしたらこいつとつきおうてやったらええやないか。文化交流みたいな感じで」

 「文化交流」と栗谷えりかは言った。そして僕の顔を見た。

  何を言っても良い効果は生みそうになかったので、僕は沈黙を守っていた。コーヒー・スプ
 ーンを手にとって、その柄の模様を興味深そうに眺めていた。エジプトの古墳の出土品を精査
 する博物館の学芸員みたいに。
 「文化交流ってどういうことなの?」と彼女は木樽に尋ねた。
 「つまりやな、ここらでちょっと異なった視点みたいなものを取り入れていくのも、おれらに
 
とって悪いことやないんやないかと……」と木樽は言った。
 「それがあなたの考える文化交流なの?」
 「そやから、おれの言わんとするのは――」
 「いいわよ」と栗谷えりかはきっぱりと言った。目の前に鉛筆があったら、手にとって二つに
 析っていたかもしれない。「アキくんがそう言うのなら、その文化交流をしましょう」
  彼女は紅茶を一ロ飲み、カップをソーサーの上に戻し、それから僕の方を向いた。そして微
 笑んだ。「じゃあ谷村くん。アキくんもこうして勧めてくれていることだし、今度二人でデー
 トをしましょう。楽しそうじゃない。いつがいいかしら?」
  うまく言葉が出てこなかった。大事なときに適切な言葉が出てこないというのも、僕の抱え
 ている問題のひとつたった。住む場所が変わっても、話す言語が変わっても、こういう根本的
 な問題はなかなか解決しない。




  栗谷えりかはバッグから赤い革の手帳を取り出し、ページを開いて予定を調べた。「今週の
 土曜日は空いてる?」
 「土曜日は何も予定はないけど」と僕は言った。
 「じゃあ今度の土曜日で決まりね。で、二人でどこに行きましょう?」
 「こいつ、映画が好きやねん」と木樽が栗谷えりかに言った。「将来は映画のシナリオを書く
 のが夢なんや。シナリオ研究会ゆうとこに入ってるねん」「じゃあ映画でも見に行きましょう。
 どんな映画がいいかしら? えーと、それは谷村くんが考えておいて。私は恐怖映画だけはだ
 めだけど、それ以外であればどんなものでもつきあうから」
 「こいつな、ものすごい恐がりやねん」と木惨が僕に言った。「子供の頃、二人で後楽園のお
 化け屋散に行ったときなんかな、手を繋いでたんやけど――」
 「映画のあとでゆっくりお食事でもしましょう」と栗谷えりかはその話を追って、僕に言った。
 そしてメモ用紙に電話番号を書いて渡してくれた。「これが私のうちの電話番号。待ち合わせ
 の場所とか時間とか、決めたら電話してくれる?」

  僕はそのとき電話を所有していなかったので(理解していただきたいのだが、これは携帯電
 話なんてものがまだ影もかたちもなかった時代の話だ)、アルバイト先の電話番号を彼女に教
 えた。それから腕時計に目をやった。

 「悪いけど、お先に失礼するよ」と供はできるだけ明るい声を出して言った。「明日までに仕
 上げなくちゃならないレポートが残っているから」
 「そんなもん、ええやないか」と木樽は言った。「せっかく三人でこうして一緒に会えたんや
 から、ゆっくり話をしていったらどうや。この近くにけっこううまい蕎麦屋もあるし……」
  柴谷えりかはとくに意見を□にしなかった。僕は自分のコーヒー代をテーブルに置いて席を
 立った、けっこう大事なレポートだから、悪いけど、と僕は言った。本当はどうでもいいよう
 なものだったのだが。

 「明日かあさってには電話するよ」と僕は栗谷えりかに言った。

 「待ってるわ」と彼女は言って、すごく感じの良い微笑みを顔に浮かべた。僕の印象からすれ
 ばそれは、本物であるにはいささか感じの良すぎる微笑だった。
  二人をあとに残して喫茶店を出て、駅に向かって歩きながら、「僕はいったいこんなところ
 で何をやっているんだろう?」と自らに向けて問いかけた。何かがいったん決定されてしまっ
 てから、どうしてこうなってしまったのかと考え込んでしまうところも、僕の抱える問題のひ
 とつだ。

                村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号



 

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こんな夜はモーツァルト

2014年05月17日 | WE商品開発

 

  


●無線タグが光るネールアートに変身?

タカラトミーアートが光るネールアート『ルミデコネイル』を発売したという。LED(有機エレ
クトロルミネッセンス素子)を内蔵した薄型のネイルシールという無線タグである。厚さ約 0.5ミ
リメートルと一般的なネイルシールとほぼ変わらない薄さで、爪に貼って使う。勿論、一番の特徴
は“光る”こと。国際基準の近距離無線通信「NFC(=Near field communication )」電波をキャ
ッチすると、シールの中のLEDがキラッと光りる。「NFC」電波に反応する回路を薄いネイル
シール状にする世界初の特殊技術を採用しており、国際特許も出願しているという。また電池不要
なので「NFC」電波をキャッチする限りずっと光り続けます。と、いうキャッチフレーズだが、
ネールアート商品だから耐久性はクリアされというわけだから上手いこと考えたものだ。

原理はブログ『限界加齢運転に挑戦』に掲載したことがある無線タグ。「NFC」は身近な場所に
広く使われています。交通系ICカードを使う自動改札機や電子マネーのICカードを使う店頭や
飲料の自動販売機のリーダー機、社員証のIDカードのリーダー機に採用している。また、スマート
フォンに搭載されているいわゆる“おサイフケータイ”と言われるFelica機能も「NFC」
を利用して実績済みだ。
『ルミデコネイル』は、これら身近な「NFC」電波にすべて反応できる
という。電車の自動改札機にタ
ッチするとき、オフィスに入館・退出するとき、スマートフォンの
操作をしているときも、
様々なシーンで、自分の指先がキラッと光るという。以前、といっても、
十数年は経っているが、有機エレクトロルミネッセンス事業のd&Rを開始したとき、格安の"光る
イアリング"事業の世界展開をスケッチしたことがあったがそれと同じ(このときはソーラー素子
との組み合わせだったが)、無線タグ方式ならNFCをキャッチすれば"ネオコンバーテック技術"
で埋め込まれた回路が発光させてくれるというわけだ。

●従来、データ伝送には有線による通信、無線を用いた通信、赤外線を用いた通信等の様々な方式
通信技術があり、このような通信技術を利用した玩具も多々存在する。例えば、有線による通信、
無線通信、赤外線通信をそれぞれ利用したリモコン玩具等が存在する。また、RFIDRadio Frequen-
cy IDentification
:無線タグ)を埋め込んだ玩具を、電磁界や電波などを用いた近距離の無線通信によ
って無線タグに書き込まれている情報を読み出す機能(無線タグリーダと呼ぶ。)を有する玩具に
近接させ、玩具に埋め込まれた無線タグの情報を読み出して、こ読み出した情報に対応する動作を
させる玩具が提案・実現されている。

さらに、無線タグと、電磁界や電波などを用いた近距離の無線通信によって無線タグの情報を読み
出す、或いは、情報を書き込む機能(無線タグリーダライタ)を併せ持つ携帯端末を複数備えてネ
ットワークを構成して、或る携帯端末の無線タグリーダライタが、他の携帯端末の無線タグに情報
を書き込み、無線タグに書き込まれた情報を読み出してさらに他の携帯端末の無線タグに順次書き
込んで行くことにより情報を伝送させるネットワークシステム(データ伝送装置)が提案・実現さ
れている。

処理能力の低い制御手段を用いて、相互に情報交換を行なうことが可能なデータ伝送装置及びこれ
を用いた玩具を提供する。近接した2つの装置間でデータ伝送を行なうデータ伝送装置であって、
装置は、無線タグと、無線タグに情報を書き込み、若しくは、無線タグから情報を読み出す無線タ
グリーダライタ部と、データの送信指示及び受信指示を入力する入力部と、装置全体を制御する制
御部とを備え、送信側の制御部は、送信指示があった場合、無線タグリーダライタ部を制御して送
信対象データを自己の無線タグに書き込み、受信側の制御部は、受信指示があった場合、無線タグ
リーダライタ部を制御して自己の無線タグ以外の近接する無線タグの送信対象データを読み出す。



●半導体工場が植物工場に変身? 

東芝が、グループの広範囲な技術を融合してヘルスケア事業として、食、水、空気などの生活環境
を整備する健康増進分野へも注力し、ほぼ無菌状態を実現する閉鎖型の植物工場で、長期保存でき
る無農薬の野菜生産を事業化する公表。具体的には、神奈川県横須賀市の当社所有建屋を活用し、
レタス、ベビーリーフ、ホウレンソウ、ミズナなどを栽培する植物工場に転用し、今年度上期中に
は出荷を開始し、年間3億円の売り上げを見込んでいるという。『植物工場とは何か』では批判的
な、小塩海の『誰が植物工場を必要としているのか』(『世界』2014.04号)を紹介したが、"光
るネールアート"で記載したようにこの事業構想も既に十数年前にスケッチしたことがある。つまり、
老朽化した半導体工場をまるごと植物工場に転換するというものだが、消費者(顧客)開拓という
領域をどうするかが最大課題(何のために、何をつくり、誰に届けるのか)だ。その意味では、太
陽光発電システムが生かせる中東・アフリカ・インドなどの高温・乾燥地域の市場は食糧安全保障
事業として魅力的だが、ここでも、高生産性と高付加価値商品の併せ持つ農産物市場定着の成功如
何次第となる。



●地球のミルク事業を担う”カッパ”?!

再生可能エネルギーの1つである水力発電の最新話題。大人2人で持ち運べる重さで、災害時に用
水などの水流に沈めるだけでプロペラが回り発電できるポータブル小水力発電機「カッパ」の1号
機の「進水式」が只見町は只見用水であったことが報じられた。
モーターなどの開発製造をしてい
る茨城製作所が、東日本大震災後に立ち上げた自然エネルギープロジェクトの第1弾として開発。
「自然からエネルギーを借りる」という発想で「軽水力 Cappa(カッパ)」を昨年、完成させ、同
年のグッドデザイン賞中小企業庁長官賞を受賞。ダムのような大規模工事で自然を破壊する必要が
なく、新技術で流水のエネルギーを引き出す点などが評価された。川や用水路等の流れの運動エネ
ルギーを、効果的に集水増速させ大幅な出力向上を可能とし、ダムや導水管等の工事が不要で設置
が容易な、低コストかつ環境に優しい流体機械および流体プラント。相対流れのある流体中に配さ
れ、吸入口に対し排出口の幅方向を大きくした形状のディフューザケーシングと、このディフュー
ザケーシング内側に配した動力発生装置とを具備する流体機械(カッパは平均流速が毎秒1.75メー
トル、水路幅1.9メートル、水深60センチメートルのモデル水路で約160ワットの出力る。携帯電話
約30台分の充電が可能。装置の寸法は幅832ミリ×奥行き770
ミリ×高さ665ミリメートル、重量は
約57キログラム)。流れがあるところなら、携帯電話30台分の充電とはいえ、年間5百万キロワッ
トアワの電力が発電(要蓄電装置)可能だ!これを筏のように配置すれば、世界展開が可能な事業
となるだろう。

 

●日本文化の褐色色素メラノイジン事業が花咲く!?

日本の伝統食品である味噌の色素が注目されている。これは緑茶ポリフェノールのグリーン色素に
次ぐ世界的展開可能な事業を予感させるものだ。さて、関連する最近注目情報が公表された。大き
な糖化たんぱく質「メラノイジン」が花粉症などのアレルギー症状を抑える仕組みが、近畿大学と
バイオバンクの共同研究で明らかにされた。アレルギー反応が持続していく上で必須となるたんぱ
く質「Rac」の活性を阻む働きがあるという。メラノイジンを多く含むサプリメントや食品を摂
取すれば、アレルギー症状が和らぐ可能性があるというもの。アレルギー症状は、(1)原因物質
のア
レルゲンによる刺激で抗体ができる、(2)抗体がのどや鼻の粘膜にある肥満細胞と結合する
ことでアレルゲンに対する免疫反応を記憶し(3)アレルゲンが再び侵入すると抗体が反応し、こ
れと結合した肥満細胞がヒスタミンなどの化学物質を含む顆粒状の物質を放出―という経路で起き
るが、
顆粒の放出にはカルシウムが不可欠とされ、、アレルギー反応が起きた際には肥満細胞の外か
らカルシウムを補充する仕組みが働く。カルシウムの搬入口となる「カルシウムチャネル」の開閉
を制御する活性酸素種の生成に必要なたんぱくの一つが Racで、その活性をメラノイジンが抑える
という



ところが、メラノイジンという化合物の構造はアモルファス(非晶質)でよくわかっていないが、
メラノイジンは、このようにアミノ化合物と糖との反応によってできる物質で、胃がんを誘発する
といわれるニトロソアミンの生成を抑制することや活性酸素を除去する抗酸化作用、コレステロー
ル低下作用、血圧降下作用及び血糖値抑制効果など有用な効果を有することが知られており、日本
の伝統的食品である味噌も褐色を呈しているのは、このメラノイジンによるもので、発酵すること
によってはじめて生成される。伊那食品工業株式会社の新規考案「特開2007-325518 大豆発酵物及
びその製造方法」によると、味噌の発酵を進めて長熟すると、メラノイジンは、増加するものの味
噌特有の発酵臭が強く風味劣化を起こし、酸味もきつくなり好ましくなく、保存食として13から
15%程度の食塩が本来含有されており、メラノイジンが持つ血圧降下作用と相反するため、豆や
その加工品を水とともに加熱し、食塩5%以下の条件で真菌によって発酵処理をした後、糖を加え
た状態で加熱処理を行うことで、味噌としての強い発酵臭や酸味が弱く、塩分が少ないが、メラ
イジンが多く含まれた大豆発酵物
が得ることを発見し、発酵臭や酸味が弱く、塩分が少ないが、メ
ラノイジンが多く含まれた大豆発酵物の製造方法を提案している。つまり、味噌料理レシピの世界
化することで過剰な医療費の抑制を実行しようという夢あるビジョンが描けるのではないか。




植物発酵エキス(植物発酵エキス OM -X)のⅠ型アレルギー抑制作用)のⅠ型アレルギー抑制作
 用 )、日本薬学会第1341年会 (熊本) 2014.03.28

花粉症や気管支ぜんそくの新たな治療法に!~野菜や果実の発酵エキスがアレルギー抑制に役立
 つことを発見!、2014.03.25

Removal of Melanoidin from Wastewater of Sugar Factories by Continuous Foam Fractionation Column,
   2003.10.22
 

 

 

  木樽の歌う奇妙な歌詞の『イエスタデイ』を僕が初めて耳にしたのは、田園調布にある彼の
 自宅(それは彼が自分で言うほどうらぶれた地域でもなかったし、うらぶれた家でもなかった。
 ごく普通の地域にある、ごく普通の家だ。古いけれど、僕の芦屋の家よりは大きい。とくに立
 派ではないというだけのことだ。ちなみに置いてある車は、ひとつ前のモデルの紺色のゴルフ
 だった)の風呂場だった。彼は家に帰ると何はさておきまず風呂に入った。そしてI度人った
 らなかなか出てこなかった。だから僕はよく脱衣場に小さな丸椅子を持ち込んで、そこに座っ
 て戸の隙間から彼と話をした。そこに逃げ込まないことには、彼の母親の長話(ほとんどが身
 「それがなあ」と木樽は言った。そして半ばため息のような、半ば唸り声のようなものを喉の
 奥からしぼり出した。「話し出すと長い話になるねんけど、おれの中には分裂みたいなものが
 あるんや」



  木像には小学校のときからつきあっている女の子がいた。幼馴染みのガールフレンドという
 ところだ。同じ学年だが、彼女の方は現役で上智大学に入学していた。仏文科でテニス同好会
 に入っている。写真を見せてもらったが、思わず口笛を吹きたくなるくらいきれいな女の子だ
 った。スタイルもよく、表情が生き生きしている。しかし今はあまり顔を合わせていない。二
 人で話し合って、木像が大学に合格するまで、勉強の邪魔にならないように男女としての交際
 は控えた方がいいだろうということになったのだ。それを提案したのは木像の方だった。彼女
 は「まあ、あなたがそう言うのなら」ということで同意した。電話ではよく話をするが、実際
 に会うのはせいぜい週に一度で、それもデートというよりは、むしろ「面会」に近いものだっ
 た。二人は一緒にお茶を飲んで、それぞれの近況を語り合う。手は握り合う。軽いキスはする。
 でもそれ以上には進まないようにする。かなり古風だ。

  木像自身もとくにハンサムというほどではないにせよ、顔立ちはいちおう上品に整っていた。
 背は高くないが細身で、髪型も服の好みもあっさりとして洒落ている。黙ってさえいれば、育
 ちの良い、感受性の細やかな都会の青年に見える。彼女と並べれば、お似合いのカップルとい
 うところだ。あえて欠点をあげるとすれば、顔の造作が全体的に華奢なせいで、「この男は個  
 性や主張にやや乏しいかもしれない」という印象を人に与えそうなところくらいだ。ところが
 いったん□を開くとそういう第一印象は、元気の良いラブラドール・リトリーバーに踏みつけ
 られた砂の城のように、あっけなく崩壊してしまう。その関西弁の達者なしゃべりと、よく通
 る甲高い声に、人々はあっけにとられた。なにしろ外見とのミスマッチが甚だしかった。その
 落差に僕も最初のうちはずいぶん戸惑ったものだ。



 
 「なあ、彼女がおらんと毎日が淋しいないか?」と木樽はある日僕に言った。
  淋しくなくはない、と僕は言った。
 「なあ、谷村、そしたらおれの彼女とつきおうてみる気はないか?」
  木樽が何を言おうとしているのかうまく理解できなかった。「つきあうってどういうことだ
 よ?」
 「ええ子やぞ。美人やし、性格も素直やし、頭もけっこうええし。それはおれが保証する。つ
 きおうて損はない」と彼は言った。
 「損をするとはべつに思ってないけど」と僕は話の筋がよく見えないまま言った。「しかしい
 ったいなんで、僕がおまえのガールフレンドとつきあわなくちゃならないんだよ。理屈がよく
 わからない」
 「おまえはなかなかええやつやからや」と木樽は言った。「そうやなかったら、こんなことわ
 ざわざ言い出すかい」
  何の説明にもなっていない。僕がいいやつであることと(もし本当にそうだとしてだが)、
  木樽の彼女と僕とがつきあうことの間に、いったいどのような因果関係があるのだろう。
 「えりか(というのが彼女の名前だ)とおれとは同じ地元の小学校から、同じ中学校と高校に
 進んだんや」と木樽は言った。「要するに、これまでの人生のほとんどを一緒に過ごしてきた
 みたいなもんや。自然に男女のカップルみたいになって、おれらの仲はまわりのみんなに公認
 されていた。友だちにも親にも教師にもな。こんな風に二人ぴったし隙間なく、仲良くくっつ
 いていたわけや」

 
  木樽は自分の左右の手のひらをぴったりと合わせた。

 
 「それで、そのまま二人仲良く大学にすんなり進学できたら、人生何の破綻もなし、万事めで
 たしめでたしやったんやけど、おれは大学受験にみごと失敗して、ごらんのとおりや。どこで
 どうなってしもたのかは知らんけど、いろんなことがちょっとずつうまくいかんようになって
 きた。もちろんそういうのは誰のせいでもなく、みんなおれ自身のせいやねんけどな」
  僕は黙って話を聞いていた。
 「それでおれは、言うなれば自己を二つに切り裂かれたわけや」と木樽は言った。そして合わ
 せていた手のひらを離した。

  自己を二つに切り裂かれた? 「どんな風に?」と僕は尋ねた。

  木樽はしばらく自分の両手の掌をじっと眺めていた。それから言った。「つまりやな、一方
 のおれはやきもき心配してるわけや。おれがしょうもない予備校に通って、しょうもない受験
 勉強してるあいだ、えりかは大学生活を満喫している。ぽこぽことテニスをやったり、なんや
 かやしてな。新しい友だちもできて、たぶん他の男とデートしたりもしてるんやないか。そう
 いうことを考え出すと、自分だけがあとに取り残されていくみたいで、頭がもやもやする。そ
 の気持ちはわかるやろ?」

 「わかると思う」と僕は言った。

 「けどな、もう一方のおれはそれで逆に、ちょっとほっとしてもいるわけや。つまりこのまま
 おれらが何の問題もなく破綻もなく、仲良しのカップルとしてするするとお気楽に人生を進め
 ていったら、この先いったいどうなってしまうんやろうと。それよりいっぺんこのへんで別々
 の道を歩んでみて、それでやっぱりお互いが必要やとわかったら、その時点でまた一緒になっ
 たらええやないか。そういう選択肢もありなんやないかと思たりもするわけや。それはわかる
 か?」
 「わかるような気もするし、よくわからないような気もする」と僕は言った。
 「つまりやな、大学を出て、どっかの会社に就職して、そのままえりかと結婚して、みんなに
 祝福されてお似合いの夫婦になって、子供が二人ほどできて、お馴染みの大田区立田園調布小
 学校に入れて、日曜日にはみんなで多摩川べりに行って遊んで、オブラディ・オブラダ……も
 ちろんそういう人生もぜんぜん悪うないと思うよ。しかし人生とはそんなつるっとした、ひっ
 かかりのない、心地よいものであってええのんか、みたいな不安もおれの中になくはない」
 「自然で円滑で心地よいことが、ここでは問題にされている。そういうこと?」

 「まあ、そういうことや」

  自然で円滑で心地よいことのどこが問題になるのか、僕にはもうひとつよくわからなかった
 が、話が長くなりそうなので、その問題は追及しないことにした。
 「でもそれはそれとして、どうしてこの僕とおまえの彼女がつきあわなくちゃならないん
 だ?」と僕は尋ねた。
 「どうせ他の男とつきあうんやったら、相手がおまえの方がええやないか。おまえのことやっ
 たら、おれもよう知ってるしな。それにおまえから彼女の近況を聞くこともできる」
  それは筋の通った話とはとても思えなかったが、本俸の恋人に会ってみること自体には興味
 があった。写真で見る彼女は人目を惹く美人だったし、そんな女の子がどうして水槽みたいな
 風変わりな男と好んでつきあうのか知りたかったということもある。僕は昔から人見知りする
 くせに、好奇心だけはけっこう旺盛なのだ。

 「それで彼女とはどのへんまでいってるんだ?」と僕は尋ねてみた。
 「セックスのことか?」と本俸は言った。
 「そうだよ。最後までいったの?」

  木樽は首を振った。「それが、あかんねん。子供の頃からよう知ってるからな、服を脱がせ 
 たり、身体を撫でたり触ったり、あらためてそういうことをするのが、なんか決まり悪いんや。
  他の女の子が相手やったら、そんなことないと思うんやけど、パンツの中に手を入れるとか、
 彼女を相手にそういうことを想像すること自体が、よろしくないことに思えてくる。それはわ
 かるやろ?」

  僕にはよくわからなかった。

  木樽は言った。「もちろんキスはしてるし、手も握ってる。服の上から胸を触ることもある。
 けど、そういうのもなんか冗談半分、遊び半分みたいな具合やねん。いちおう盛り上がっても、
 そこから先に進んでいこうかとか、そういう気配がないのんや」
 「気配も何も、そういう流れって、ある程度こっちからがんばって作っていくものじゃないの
 か?」と僕は言った。人はそれを性欲と呼ぶ。
 「いや、それが違うねん。おれらの場合はなかなかそういう風にはいかへんねん。うまいこと
 言えんけどな」と木樽は言った。「たとえばマスターベーションするときに、誰か具体的な女
 の子のことを思い浮かべたりするやろ?」
  それはまあ、と僕は言った。
 「でもな、おれはえりかを思い浮かべることがどうしてもできへんねん。そんなことしたらあ
 かんという気がするんや。そやからそういうときは他の女の子のことを考える。そんなに好き
 でもない子
のことをな。それについてどう思う?」
  僕は少し考えてみたが、結論みたいなものは出てこなかった。他人のマスターベーションの
 ことまではなかなかわからない。自分のことだってもうひとつわかりづらい部分はある。
 「いずれにせよ、一回ためしに三人で会うてみよやないか」と木樽は言った。「それからゆっ
 くり考えてみたらええやろ」

               村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号



 

●こんな夜はモーツァルト



Mozart - Sonata for Two Pianos in D major, K. 448

二回目の歯の治療で疲れたのかよく分からないが、夜の作業は早めに切り上げることに。 

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人災は身近なところから

2014年05月16日 | 新弥生時代

 

 



●移動体通信機器の電磁波対策は万全?!

やはり、と思える気になるニュースが入ってきた。携帯電話で1日30分以上の通話を5年間
続けると、脳腫瘍が発生する危険性が2~3倍に増えるとの調査結果をフランスの研究者が
13日まとめたという(AFP通信など仏メディア)。 仏南西部ボルドーの公共衛生研究所
(ISPED)が2004年から06年にかけて、脳腫瘍の一種であるグリオーマや髄膜腫を患った約
450人を調査した。他の健常者約900人と比較したところ、携帯電話の利用が少ない人ほど脳
腫瘍の発生が少ない傾向が認められたということだ。調査に当たった同研究所のバルディ博
士は地元メディアに「脳腫瘍の発生率の上昇は、携帯電話を最も頻繁に利用する人だけに観
察された」と強調。電話を耳から離して通話できるハンズフリー機器の使用を勧めていると
いう。ということはハンズフリーテレフォンの商品開発に商機あるということになるだろか
?!いやいや、寧ろここは「人災は身近な所から」と自重し警戒すべきところだろう。

 JP2006-197088A



 

●クルミの殻はバイオマスプラスチックスの有力な原料?!

現在、プラスチックは全世界で年間約2.3億トン(国内では約1,300万トン)生産されおり、
そのほとんどは石油由来の原料を高温・高圧条件下で反応させて作っているため、プラスチ
ック生産過程で発生するCO2量や製造に要する消費エネルギーの多さが課題となっているが、
再生可能であり、CO2を固定化できる植物資源を原料に使用したバイオプラスチックの開発
と利用が進められている。従来は穀物や芋類、サトウキビなどからのデンプンを原料とする
バイオプラスチックが主体だったのが、将来の食糧問題への懸念から、現在では植物の茎や
木材の主成分であるセルロースなどの非食用の植物資源を原料とするバイオプラスチックが
注目されてきた。8日に、日本電気株式会社らの研究グループが「
非食用原料のセルロース
系バイオプラスチックの製造エネルギーを1/10に削減する」プロセス開発に成功したと公表。

  

それによると、日本電気(NEC)が独自に開発した「セルロース系・高機能バイオプラス
チック」は、木材や藁などの主成分のセルロースに、農業副産物のカシューナッツ殻に由来
する油状成分のカルダノールを化学結合することで合成され、熱可塑性・耐熱性・耐水性な
どに優れ、植物成分率が高い(約70%)が特徴。電子機器などの耐久製品への実用化に向
けて実用化させるという。使用したカルダノールは、東北化工株式会社との共同で、反応し
やすい構造に化学的に変性物を利用。

JP2012-219112A

この新規考案の特徴はは、「2段階不均一系合成プロセス」は、従来のように原料のセルロ
ースを有機溶媒に溶解(均一系)させず、ゲル状に有機溶媒で膨らませた状態(不均一系)
にした上で、変性カルダノール(長鎖成分)と酢酸(短鎖成分)を2段階で結合して樹脂を
合成。このため、溶液からの沈殿分離などによって生成樹脂を容易に回収でき、ほぼ常圧・
中温(100℃以下)での反応条件を達成し、従来の均一系プロセス条件の生成樹脂を分離
するための溶媒が不要で、合成に必要な溶媒量の大幅な削減(従来プロセスの約90%減)
を実現できるため、従来に比べ、約1/10の製造エネルギー(CO2排出量)で、高機能な
セルロース系バイオプラスチックの製造が可能になることから、将来量産を行う際には、製
造コストの大幅な削減が期待できるという。

 



ところで、原料はカシュー・ナットというから、例の『里山資本主義』のデーマで取り扱っ
たクルミ(『芝桜に胡桃と蒜添え』)の殻も原料として使用できる(絶対に!と言う確信)
るだろうから、「オールバイオマスシステム」に組み入れることができるはずだと、思い至
るが、まてよ?氏神でもある白山神社の「胡桃味噌」を掲載していたことを思い出す。バイ
オマス燃料、バイオマス発電、バイオマス木工(漆器)、バイオマス食・医療品(これはお
かしいかな?)にバイオマスプラスチックが加われば、オール・バイオマスではなく、オー
ル・ウォールナット・システムと呼べる夢の経済圏が実現するかもいれない。
   
 

●今夜は、デルン・ベタンセスのナックル・カーブを教えよう?!

 

Dellin Betances strikes out six straight Mets in relief. May 15, 2014, 9:43 PM EDT

 

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