極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

米国は世界の警察をやめるか。

2014年05月29日 | 時事書評

 

 

  

●米国は“世界の警察”ではない?

オバマ米大統領が、米東部ニューヨーク州ウェストポイントにある陸軍士官学校の卒業式で、外交
政策について演説し「中国の経済的な台頭と軍事的な拡張が近隣諸国に懸念を与えている」と非難。
南シナ海について、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)による紛争回避のための「行動規範」
策定の取り組みを支援すると表明するとともに、国際法にのっとった解決を促し、中国をけん制し
同大統領は昨年、シリアの化学兵器問題でアサド政権に対する限定的な軍事力行使をいったん決断
しながらぎりぎりで見送った。大統領は「米国は世界の警察官ではない」と述べて国民に理解を求
めたが、野党・共和党などからは米国の威信が揺らいだと非難を浴びた。また、こうした外交姿勢
がロシアによるウクライナ・クリミア半島の編入を許すことにつながったとの批判も出ている。大
統領の外交政策演説はこれらの批判に反論する形をとったという。

 

大統領はシリアに軍事介入しなかった判断について「正しい判断だったと信じている」としたうえ
で、「独裁者
に立ち向かうシリアの人々を助けるべきではないということではない」と強調し、反
体制派への支援を強化す
る考えを示した。また、シリア難民の受け入れや国境を越えて活動するテ
ロリストと戦うシリアの隣国への支
援も促進する考えを示したという(毎日新聞 2014.05.29)。
注目は、大統領が「米国は世界の警察官ではない」と述べたということでわたし(たち)は画期的
な発言であり、ロシアとの核軍縮実行とアフガニスタンからの撤退としてそれは現れてきているこ
とを歓迎する。問題はこれまでも国連安保理での紛糾劇が収まらなくなるのではという懐疑に対し、
少なくとも、ここ数年間は寧ろ逆の状態もありうるということである。いまオバマの支持率が低下
しているがゆえ、"
新冷戦構造"が紛争として現実化すれば、理想を棚上げし、いつものように?軍
事的介入することも想定される。逆に言えば、このまま、オバマの理想主義的な路線を歩んでもら
った方がわたし(たち)の、国連改革や世界平和への貢献(『国連改革は進んでいるか。』)の本
気度が試されることになるので、これはこれでウエルカムだが、"新冷戦構造"の方向に進めば、国
内外の“武闘信仰派”が生き存えることになるだろう。と、そんなことを考えてみた。

 

 




●バルカン半島120年で最悪規模の洪水禍
 
欧州南東部バルカン半島で今月中旬から、豪雨が続いた影響で洪水が発生し、独公共放送ARD
などによると、ボスニア・ヘルツェゴビナでは国民の4分の1にあたる95万人が避難している。
1990年代の旧ユーゴスラビア紛争時に埋設されたままの地雷が流されて各地に散乱しており、
地雷による「2次災害」への懸念は各地で高まっている。この豪雨は過去120年で最悪規模とさ
れ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、クロアチアの3カ国で少なくとも50人が死亡したと
報じられた。ボスニアには現在、推計で約12万個の地雷が埋設されたままになっているほか、
多数の不発弾が地中に埋まっまま放置されている。この一部が洪水で流されたとみられ、けが人は
出ていないが、北東部ブルチコ近郊では爆発する騒ぎが発生している。洪水で地雷などが散乱した
地域は最大320平方キロに及ぶとみられる。地雷原を示す標識もなく、住民が知らずに足を踏み
入れてしまう事態も懸念され、米国務省は25日、爆発物処理専門家の現地派遣を発表。米国務省
によると、地元当局の地雷撤去技術のレベルは高いものの、今回は対象範囲が広く、水中やぬかる
みでの除去など困難な作業が予想されるという。米国はこれまで、ボスニアとセルビアに約1億
1000万ドル(約112億円)の地雷・不発弾除去支援を実施している。 26~27日には
ドイツのシュタインマイヤー外相もボスニアを訪れ、被災者支援や地雷除去のため計700万ユー
ロ(約9億8000万円)の拠出を約束した。国際NGOなどの集計によると、地雷やクラスター
(集束)爆弾の不発弾による世界の死傷者は2012年で3600人を超えている。埋設済みの地
雷は1億個を超えるとの推計もあるとのことだ。

在日セルビア大使館には洪水発生直後から義援金や晴天を願うてるてる坊主などが贈られている。
大使館では義援金専用口座を開設したほか、持ち込みでの寄付も受け付けている。問い合わせは同
大使館(03・3447・3571)。
 

 

 

● ダウンロードは儲からず、ライブで利益を捻出

ミュージシャンのスガシカオツイッターで「CDを買って欲しい」と発言したことをきっかけに、ダ
ウンロードだけでは赤字になってしまうという音楽業界の体質が話題になっているという。それじ
ゃ、どういう実体になっているというのだろうか? CDを販売するには、プレス代やパッケージ代、
レコード店のマージンなど多額の費用がかかるが、販売価格の半分程度は製作側に残ることになる
という。この金額を、音源制作費、レコード会社の利益、プロモーション費用、アーティストの印
税、プロデューサーの印税などで分け合うことになる。アーティストの取り分は全体の2%程度(
作詞作曲をしていれば著作権料はこれに数%が加わる)が相場だという。制作費の定義が明確でな
い(レコード会社が音源の制作やプロモーションにかけられる金額のことを指す?)。この費用は
全体の2割程度。1200円のシングルCDが3万枚売れたと仮定すると、720万円程度の経費を確保で
きるが、レコード会社としては次の作品に費用の出資に前向きになれ、アーティストとしては非常
に望ましい状況になるという。

ところが、ダウンロードの価格は1曲250円程度です。2曲売れたと仮定しても、CDの半分以下の売
上にしかならず、この中で関係者が利益を分け合い、制作費が確保できず、次のリリースのメドが
立た
ないというケースが起きるというのだ。音楽業界ではダウンロードでは利益は出ず、ライブな
どのイベントで利益を捻出するというやり方が主流になる。大手のエイベックスも、CDやダウンロ
ードの販売よりも、ライブなどその他事業の売上げが上回る。一方、現在の業界は「打ち込み」と
呼ばれるコンピュータ音源を駆使した制作手法の普及で、音源制作費用も劇的に安くなっているた
め(デジタル革命基本特性 第2・4・5則)、1つのシングルが、20万円くらいの費用で出来て
しまうこともあり、これがダウンロード販売を後押ししている反面、スタジオで楽器を使い何度も
録音を繰り返す製作費用が高くなる背景があるという。ということで、ビジネスチャンスの拡大に
知恵も工夫もいるということを知ることとなる。

 

  

  

 
 「失礼ですが、谷村さんはそんな風に考えたことありませんか? もし自分からものを書く能
 力が取り去られたら、自分はいったいなにものになるのだろうと?」
  僕は彼に説明した。僕は出発点が「なにものでもない一介の人間」であり、丸裸同然で人生
 を開始した。ちょっとした巡り合わせでたまたまものを書き始め、幸運にもなんとかそれで生
 活できるようになった。だから自分が何の取り柄もなく特技もない、ただの一介の人間である
 ことを認識するために、わざわざアウシユヴィッツ強制収容所みたいな大がかりな仮定を持ち
 出す必要はないのだ、と。



  渡会はそれを聞いてしばし真剣に考え込んでいた。そういう考え方が存在すること自体が、
 彼にはどうやら初耳であるようだった。

 「なるほど。そういう方が人生として、あるいは楽なのかもしれませんね」

  なにものでもない人間が丸裸で人生をスタートするというのは、それほど楽なこととも言え
 ないのではないかと、僕は遠慮がちに指摘した。 

 「もちろんです」と渡会は言った。「もちろんおっしやるとおりです。何もないところから人 
 生を始めるのは、それは相当きついことでしょう。私はそういう面では人より恵まれていたと
 思います。でもある程度の年齢になり、自分なりのライフ・スタイルみたいなものも身につき、
 社会的地位もいちおうできて、そうなってから自分という人間の価値に深い疑念を抱くように
 なるのは、別の意味合いでこたえるものです自分がこれまでに送ってきた人生が、まったく
 意味を持たない、無駄なものであったように思えてきます。若いときならまだ変革の可能性が
 ありますし、希望を抱くこともできます。でもこの歳になると、過去の重みがずしりとのしか
 かってきます。簡単にやり直しがききません」
 「ナチの強制収容所についての本を読んだことがきっかけになって、そういうことを真剣に考
 え始められたわけですね」と僕は言った。

 「ええ、書かれている内容に、奇妙なくらい個人的なショックを受けたんです。それに加えて
 彼女との先行きが不鮮明なこともあり、私はしばらくのあいだ軽い中年影のような状態に陥っ
 ていました。自分とはいったいなにものなのだろう、ずっとそればかり考え込んでいました。
 でもどれだけ考えたところで、出口らしきものは見つかりません。同じところをぐるぐる回っ
 ているだけです。これまで愉しくやってきたいろんなことが、どうやっても面白くありません。
 運動をしたいとも思わないし、服を買う気も起きないし、ピアノの蓋を開けることさえ億劫で
 す。食事をとろうという気持ちにもなりません。じっとしていると、頭に浮かぶのは彼女のこ
 とばかりです。仕事でクライアントを相手にしているときでさえ、彼女のことを考えてしまい 
 ます。思わず彼女の名前を口にしてしまいそうになります」

 「その女性とはどれくらい頻繁に会うんですか?」

 「そのときによってまったく違います。ご主人のスケジュール次第なんです。それも私がつら
 く感じることのひとつです。彼が長い出張旅行に出ているときには続けて会います。そういう
 とき彼女は子供を実家に預けるか、ベビーシッターを雇ったりします。しかしご主人が日本に
 いると、何週間も会えなくなります。そういう時期はかなりこたえます。彼女にもうこのまま
 二度と会えないんじゃないかと思うと、陳腐な表現で申し訳ないのですが、身体がまっ二つに
 引き裂かれるようです」

  僕は黙って彼の話に耳を傾けていた。彼の言葉の選択は月並みではあったが、陳腐には聞こ
 えなかった。むしろ逆にリアルなものとして響いた。
  彼はゆっくり息を吸い込み、それを吐いた。「私にはだいたい常に複数のガールフレンドが
 いました。あきれられるかもしれませんが、多いときには四人か五人の女性がいました。誰か
 と会えない時期には別の女性と会っていました。そうしてけっこう気楽にやっていました。で
 も彼女に強く心を惹かれるようになってから、他の女性たちには不思議なくらい魅力を感じな
 くなったんです。他の女性と会っていても、彼女の面影がいつも頭のどこかにあります。それ
 をよそに追いやることができません。まさに重症です」

  重症、と僕は思った。渡会が電話をかけて救急車を呼んでいる光景が目に浮かんだ。「もし
 もし、救急車を至急お願いします。まさに重症なんです。呼吸が困難で、今にも胸がまっ二つ
 に張り裂けそうで……」
  彼は続けた。「ひとつの大きな問題は、彼女を知れば知るほど、ますます彼女のことを好き
 になっていくということです。一年半こうしてつきあっていますが、一年半前より今の方が、
 ずっと深く彼女にのめり込んでいます。今では彼女の心と私の心が何かでしっかり繋げられて
 しまっているような気がします。彼女の心が動けば、私の心もそれにつれて引っ張られます。
 ロープで繋がった二艘のボートのように。綱を切ろうと思っても、それを切れるだけの刃物が
 どこにもないのです。こういうのもこれまでに一度も昧わったことのない感情です。それが私
 を不安にさせます。このままどんどん気持ちが深まっていったら、自分はいったいどうなって
 しまうんだろうと」
 「なるほど」と僕は言った。しかし渡会はもっと実質のある返答を求めているようだった。
 
 「谷村さん、私はいったいどうすればいいんでしょうね?」

 
  僕は言った。どうすればいいのか、具体的な対策まではわかりかねるが、でも話を問いてい

 る限り、今あなたが心に感じていることは、どちらかといえばまともで筋の通ったことに僕に
 は思える。恋をするというのはそもそもそういうことなんです。自分で自分の心がコントロー
 ルできなくなり、理不尽な力に振り回されているみたいに感じる。つまりあなたは何も世間常
 識から外れた異様な体験をしているわけじゃない。ただ一人の女性に真剣に恋をしているだけ
 だ。愛している誰かを失いたくないと感じている。いつまでもその相手と会っていたい。もし
 会えなくなったら、そのまま世界が終わってしまうかもしれない。それは世間でしばしば見受
 けられる自然な感情です。不思議でもなく特異でもない、ごく一般的な人生のひとこまです




 
  渡会医師は腕組みをし、僕の言ったことについてまたひとしきり考えを巡らせていた。もう
 ひとつ話がうまく呑み込めないようだった。ひょっとしたら「ごく一般的な人生のひとこま」
 というものが、概念として彼には理解し辛かったのかもしれない。あるいは実際にそれは、
 「恋をする」という行為から少しばかり逸脱したことだったのかもしれない。
  ビールを飲み終え、帰り際になって、彼はこっそりと打ち明けるように言った。

 「谷村さん、私が今いちばん恐れているのは、そして私をいちばん混乱させるのは、自分の中
 にある怒りのようなものなんです」

 「怒り?」と僕は少しびっくりして言った。それは渡会という人物にはいかにも似合わない感
 情であるように思えたからだ。「それは何に対する怒りですか?」
  渡会は首を振った。「私にもわかりません。彼女に対する怒りでないことは確かです。でも
 彼女に会っていないとき、会えないでいるとき、そういう怒りの高まりを自分の内側に感じる
 ことがあります。それが何に対する怒りなのか、自分でもうまく把握できません。でもこれま
 でに一度も感じたことのないような激しい怒りです。部屋の中にあるものを、手当たり次第に
 窓から放り出したくなります。椅子やらテレビやら本やら皿やら額装された絵やら、何もかも
 を。それが下を歩いている人の頭にぶつかって、その人が死んだってかまうものかと思います。
 馬鹿げたことですが、そのときは本気でそう思うんです。今のところはもちろんそういう怒り
 をコントロールできます。本当にそんなことはしゃしません。でもいつかそれをコントロール
 できなくなる日がゃってくるかもしれない。そのせいで誰かを本当に傷つけてしまうかもしれ
 ません。私にはそれが怖いんです。それならむしろ、私は自分自身を傷つけることの方を選び
 ます」

   それについて僕がどんなことを言ったのか、よく覚えていない。たぶん差し障りのない慰め
 の言葉を口にしたのだと思う。彼の言うその「怒り」がいったい何を意味しているのか、何を
 示唆しているのか、そのときの僕にはよく理解できなかったから。もっときちんとしたことが
 言えればよかったのかもしれない。しかしたとえ僕がきちんとしたことを口にできていたとし
 ても、彼がその後辿った運命が変わることはおそらくなかっただろう。そんな気がする。
  我々は勘定を払い、店を出てそれぞれの家に戻った。彼はラケット・バッグを抱えてタクシ
 ーに乗り込み、車の中から僕に手を振った。それが僕が最後に見た渡会医師の姿になった。ま
 だ夏の暑さが残っている九月の終わり近くのことだ。





  その後、渡会はジムに姿を見せなくなった。僕は彼に今っために週末になるとジムに寄って
 みたのだが、彼はいなかった。まわりの人々も彼の消息を知らなかった。でもジムではそうい  
 うことはしばしばある。ずっと顔を見せていた人が、ある日からまったくやってこなくなる。
 ジムは職場ではない。来るも来ないも個人の自由だ。だから僕もさして気にしなかった。その
 ようにしてニケ月が過ぎた。
  十一月末の金曜日の午後、渡会の秘書から電話がかかってきた。彼の名前は後藤といった。
 低く滑らかな声で彼は話した。その声は僕にバリー・ホワイトの音楽を思い出させた。真夜中
 にFM番組でよくかかるような音楽を。

 「急にこんなことを電話で申し上げるのは心苦しいのですが、渡会は先週の木曜日に亡くなり、
 今週の月曜日に身内だけで密葬がとりおこなわれました」

 「亡くなられた?」と僕は呆然として言った。「たしかニケ月前、最後にお目にかかったとき
 はお元気そうでしたが、いったい何かあったのですか?」

  電話の向こうで後藤は少し沈黙した。それから口を開いた。「実を申しますと、渡会から生
 前、谷村さんにお渡ししてくれと言われて預かっているものもあります。厚かましいお願いで
 すが、どこかで短くお会いすることはできませんか? そのときに詳しいことをお話しできる
 と思います。私の方はいつでもどこにでも参上します」
  今日これからではどうかと僕は言った。それでかまわないと後藤は言った。僕は青山通りの
 一本裏の通りにあるカフェテリアを指定した。時刻は六時。そこでならゆっくりと邪魔されず
 に静かに話をすることができる。後藤はその店を知らなかったが、場所は簡単に調べられると
 思うと言った。
 

 

                    村上春樹 著『独立器官』(文藝春秋 2014年 3月号)

                                    この項つづく





昨夜、知人に電話入れその後の家族の安否を尋ねたが想定内の返事だった。ところで、スガシオの
つぶやきも想定内の話だし、バルカン半島での洪水も想定内だったが、機雷や不発弾の放置禍につ
いては想定外だった。それで、中国の蛮行は想定内だったのか?それは、いわずもがなであるが、
天国にいる小平は地上をのぞきながらどう思っているのだろうか?
これって、毎度、同じことを
書いているよね。^^;
 
 

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