極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

夫婦滝で敢えなく撃沈する。

2010年11月06日 | 滋賀のパワースポット



安寧の 祈りを込めて 二万灯 竹の燭台 境内に充る





【葛川息障明王院】




早朝から坊村→明王谷→夫婦滝→木戸
峠→比良岳に向かうが、沢登りに入り
白山登山で痛めた左脚が再び悪化(『
白山のOLEDs』)。これ以上無理をし
ても下山出来ない。「吾不運なり」。
夫婦滝で登山を中止する。


白露の 玉まくくずの かつら川 くる秋にしも 我はかへらん


ご朱印のイメージ

ところで、登山口では地元警察や自治
体関連者が大勢集まり、登山届申請キ
ャンペーンを繰り広げていたが、配布
されている「山岳事故遭難マップ(H22
)」をみると熊の出没が3ヵ所記載さ
れていた。湖東でも醒ヶ井まで南下し
ているとの情報を得ているから、やは
り今年は異常なんだ、万一熊と遭遇す
ればとどうするんだっけと思いつつ入
山した。


ワサビ峠→武奈岳経由が良かったのか
と考えてみたが、これも疲労が進めば
同じことになる。年内に再チャレンジ
するとなるとサンケイバレン・コース
か、武奈岳単独コースが現実的だがこ
れも粟飯(あわいい)ね。そんな気が
する。

 

さて、パワースポットとしての葛川息
障明王院、明王院は天台行者の参籠修
行の場としても知られ、回峰行の創始
者である相応が開いた聖地葛川におけ
る参籠修行(葛川参籠)は、かつては
旧暦6月の蓮華会(れんげえ)と旧暦
10月の法華会(霜月会とも)の年2回、
各7日間にわたって行われていたとい
う。
中世から近世にかけて、葛川参籠
を行った者は参籠札という卒塔婆形の
木札の奉納がならわしで、元久元年(
1204年)銘のものを最古として 約500
枚の参籠札が残されている。それらの
参籠札の中には足利義満、日野富子も
含まれ、葛川参籠が広い階層によって
行われたことがわかるという。





 明王院は、いわば比叡山全体の奥
 の院なのだ。今その行者道は、坂
 本から琵琶湖の岸を堅田へ出、そ
 こから西へ入って、比良の山麓を、
 途中に出る。途中からは、花折峠
 の急坂を越え、安曇川ぞいに葛川
 へ至るので、葛川というのは支流
 ではなく、上流の渓谷を指すらし
 い。

      白州正子『かくれ里』

明王院(みょうおういん)は、大津市
葛川坊(かつらがわぼう)村町にある
天台宗の寺院で、山号が北嶺山(安曇
山)。本尊は千手観音。近畿三十六不
動尊二十七番。安曇川の深い山峡から、
比良山地の自然を後景としてパワーが
集中する場所と表現するのが一番ピッ
タリするのではないだろうか。また、
その源泉はといえば「絶対矛盾の自己
同一」を超えるものはないよなとも思
う。ちょっと最近、そんなことを思う
ことが多くなったが、無常感、わび・
さびなのだが、「日本では仏教の世界
においても主体的な苦の克服としての
『無常観』
は影が薄いように思われま
す」(海潮音)というから奥が深いが
そんなことを含めそうだ。ともあれ、
新鮮に静かに内省させてくれる空間だ。




後ちょっと気になることが1つあった。
異常気象の関係か山が荒れているとい
うものだ。これは所得再配分の関係も
あるので、本当のところはわからない
が、西近江、東近江に差があるのかど
うか、その原因はどうかということも
含め「滋賀の山系と水系」のライワー
クとしてこれから探っていこう。



【2010年キャンドルイベント 宗安寺】

彦根、佐和山の麓に仙琳寺。彦根古絵
図には佐和山天守から千貫池、蛇谷、
御殿跡となぞると、蔵跡があり、現在
仙琳寺の場所は愛岩(宕)山と記さ
れているという。彦根藩4代藩主井伊
直興(1656〜1717)の庶子本空(幼名
千代之介)を開基とする天台宗の古刹。
境内の恵明権現は、首から上の病にご
利益ありといわれ、豆腐一丁を供え

かけをする。

関ヶ原合戦後、三成の徳を慕う領民が、
命を賭けて密かに佐和山に入り、石田
三成一族や家臣の霊を弔うために祀っ
た「石田地蔵」が集められている場所。
『仙琳寺には、三成の時代に茶室が設
けられ、今も裏の竹藪の中に三成が水
を汲んだと伝わる井戸が三つ、枯れず
にあるという』(『三成伝説 現代に
残る石田三成の足跡』オンライン三成
会編・サンライズ出版)。

Candle-flame-and-reflection.jpg

2007年から毎年キャンドルナイトを行
う市民団体「ひこねキャンドルナイト
実行委員会」は、仙琳寺の竹林整備を
手がけ切り出した竹をキャンドルホル
ダーに使い、親父が眠る宗安寺境内(
夢京橋キャッスルロード)で結灯
M
USUBI
のキャンドルイベントが開催さ
れるというので、夕飯、車を飛ばし参
観する(実は脚が筋肉痛だが)。

なぜ「結灯 MUSUBI」なのかと彼女が
尋ねるがわからない。自治役員の定例
会から帰ってネットを検索していると
閃くものが。それを歌に書いたのだが
難解かもしれないので蛇足を。石田三
成の佐和山城址の竹の燭台を使うこと
で、今年で生誕を迎える450年の節目の
暗喩として、また、井伊直政の正室東
梅院の菩提寺の
宗安寺でキャンドルイ
ベントをまた、来年法然上人は八百年
大遠忌
に当たる記念行事として境内で
キャンドルイベントを開催することで
歴史的融和を取り持つことにより、地
域郷里の再生が願い込められている。
そして、僕たちも来年は結ばれて○△
周年になるよと詠ってみたのだが。

                
              

 

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