SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

日曜のこと

2009-01-16 | スナップ
1/10土曜日は卒業30周年同窓会とLIVE出演というビッグイベントがあったが、
その翌日とその次の日は二日連続で長男はサッカーの招待試合。
1/11は初めての1年生大会、1/12は2年生大会に参加した。




今までは1年2年の合同チームだったのが、1年生だけの試合。
頼れる兄貴が居ない。
試合になるのだろうか。



第一試合は双方、決め手を欠いて、0:0だった。
相手はかなりの強豪。
2年生並のプレイをする子が3名ほど居る。



第二試合、1点を先取した。
しかし後半、ちょっとしたアクシデントで子供達は固まる。
その隙のたった2分間で2点を入れられてしまった。
スポーツは集中力を欠いた時に、こういうことになることが、
よーく判ったに違いない。
結果、1:2で負けたが、いい経験だっただろう。



優勝の相手チーム。
ママさん達の記念撮影。



負けてもトロフィー有りというのがイイ。
まだ1年生で始まったばかりだからだ。



長男が持つ袋には「1年1位」と書いてある。
別件で表彰されたのだった。
去年、4月からの練習は24回有ったのだが、24回全部に参加した皆勤賞。
親は気づいてなかったのだが、バタバタ遊びに行ったり、旅行がからんだり
しながらも、分刻みで練習には送り込んだなあと思う。
ひょっとして、この賞は親にも半分くれてもいいかもしれない。(笑)




すべてが終わってストレッチ。

と、ここまでまだ気がついていないのだが、
夕べ、LIVEの撮影のためにカメラの感度をISO3200に設定していた。
それをそのままの設定で撮っていたのだ。
何と、全部ISO3200だ。
自分としても有り得ないのだが、バタバタ動いていると、
そういうこともあるもんだ。

当然だが、あとでチェックしてみると、シャッター速度は軒並み
8000分の1秒だった。




帰宅して昼食後、子供達を連れて隣町まで遊びに出る。
ママがいろいろ忙しいので、邪魔しないように外出だ。

子供はやっぱりフェラーリが好き。



大きなお寺に到着。
庭の池に下りて遊んでいる。
本当は駄目なんだろうけど、石の配置が、遊んでいいよと言わんばかりだ。




おみくじを引きたいと言う。
2人とも吉でよかった。




あれこれ、寺の中のあっちこっちでお願いごとを言いまくって、近くの公園で遊ぶ。
知らない3年生の子と3人で遊んでいる。
子供はすぐに仲良くなる。




公園から3年の子と一緒に、隣町の商店街まで行く。
長男は以前も2人で行った喫茶店に寄りたいと言う。
その3年生を誘ってみたが、「知らない人に買ってもらったりは禁止されてるから。」と、分かれた。


長男は分厚いトーストとココアを頼んだ。
最近食欲が旺盛だ。
次男はココアを一気に飲み干し、本を読んでいた。




次男が商店街のサトちゃんに乗ると言う。
ものすごく大きな音楽が流れて、道行く人がニヤニヤ笑っているので
恥ずかしい次男だ。




家に向う途中、さっきの3年生と、また会った。
一緒に帰った。
うちの近くの子供だった。
別れ際がかわいかった。
「また、いつか御会いしましょう。」だって。


それから、逆の隣町へ自転車で出かけた。
ママの誕生日が翌日の1/12で、保育園で仲良くしている家族の
ママも同じ誕生日だと最近気がついたので、合同で誕生会をした。
イタ飯屋さんだが、日曜の夜でも子供連れが多く、安心だ。



ロウソクを消したら、まず、チョコで書いた文字から攻める次男。
正統派である。




店を出ると満月がきれいだった。



SONY α900、AF100-300mm/F4.5-5.6 APOテレズーム、AF17-35mm/F2.8-4.0、AF50mm/F1.4





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LIVEの夜。 02

2009-01-15 | バンド・音楽
クリネーションの素晴らしい演奏が続く。
(自分たちの写真が無いのが、とても残念だが。)







我らがさくらさんは5オクターブの音域を持つ。




ライブ中はISO3200で撮る。
そうしなければ動きが激しく、止まってくれないからだ。
ISO3200でも何ら問題の無い画質だ。















クリネーションはツインリードギターだ。
今は、ツインリード、ツインドラムなんて派手なバンドは
あまり見なくなってしまった。

もうひとりのギタリストはZooさんだ。




ツインギターが炸裂する。
完璧だ。




ベースはHarryさん。
とにかくカッコイイ人だった。
(カッコイイ連発して、すいません。)




1970年代のロックバンドというのは、まったく色褪せるどころか、
やはり頂点だったと言わざるを得ない。



髪型からして惚れるのである。
私は仕事柄、短くしているが、むかしは長髪だった。




新橋ZZのオーナー、ダディ竹千代さんがステージに登場。
この方が居なかったら、カルメン・マキ&OZの歴史は無かったとも言える。
1stアルバムの頃のメンバーは18歳ぐらいだった。
ドラムの古田たかしに至っては中3で15歳だったらしい。
信じられないのだが、そんな時代があったのだ。
10代であのサウンド、あの完成された世界。

そういえば、レッド・ツェッペリンだって10代だった。

あの時代にもう一度タイムスリップして、生のステージを見たい衝動に
駆られた。




竜巻堂ギタリスト、くじら丸さんのマスコットも連れてきた。

終了後、バンドメンバーの宴は続く。
キーボードのぽぷらさんは用事で23時に帰り、私は翌朝はサッカーの試合の
世話があったので終電で帰った。

ダディ竹千代さん、さくらさん、竜巻堂、秋元昭子さんを乗せた車は
目黒・世田谷方面へ。
解散は翌朝5時だったそうな。


追伸:そういえば、カルメン・マキは東急大井町線は旗の台にある
香蘭女子に通っていたそうだ。
真面目なお嬢様が行くミッション系の学園。
沿線の評判はすこぶる良い女性校だ。
どうもカルメン・マキのイメージとは違うのだが。
(中退してしまったらしいが。)




SONY α900、タムロンA09



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LIVEの夜。 01

2009-01-14 | バンド・音楽
1/10は高校の同窓会が柏であったのだが、その日の夜は新橋でLIVEがあった。
柏を5時過ぎに出ることになってしまい、リハーサルに間に合いそうにない。
走って走って、新橋の駅から徒歩10分ほどにある「新橋ZZ」に向かった。
それでも店が判らない。
一瞬途方に暮れそうになるが、バンドの紅一点、ボーカルのさくらさんが
道に出てきてくれていて、助かった。
もうリハーサルは終わったという。
もう6時だ。お客の入店開始が6時。

地下の店に入ると、楽器を片付けているところだったが、
店のPAの方(実はすごいミュージシャン)が、ドラム入りで一曲やって良いよ。
とのお言葉で、ハアハアいいながら一曲、音合わせをさせていただいた。


この日は3バンドの出演。
1.秋元昭子
2.さくら&竜巻堂(トルネード)
3.CRENATION

私は2番目だ。




新橋ZZはすごいライブハウスだ。
なぜならオーナーが「ダディ竹千代と東京オトボケCat's」のダディ竹千代さん本人なのだ。
そして、ダディさんは実はカルメン・マキ&OZのほとんどの曲を作詞した人だ。
作詞家としては加治木剛さん名だが、ロックの好きな人なら知っている名前だ。
OZのプロデューサーというか、メンバーのような方なのである。
そのダディさんの目の前で、そのカルメン・マキ&OZを演奏するっていうのだから、大それた話である。
さくらさんの人柄のなせる業とも言えるだろう。

この写真のポスターはいわずと知れたZZ TOPをもじったもの。




始まる前のひと時。
お客さんがどんどん入ってきて、満員になってしまった。
バンドマンは座る場所も無くなってしまった。

この店は、日本の70年代、80年代のロックプレイヤーやシンガーの出演する店だ。
ハードでセンチメンタルな私が最も好きな時代のロックだ。
ここに出れるだけで幸せな話である。




秋元昭子さんと、そのバンドの写真はいいものがなかった。
お客さんが満杯で、撮ることができなかったのだ。
非常に残念だ。
なぜなら、アイドルかモデルのように美しく、セクシーなシンガーだからだ。
歌もすごくうまい人だ。
有名な曲を上手にアレンジして歌っていたが、オリジナルが一番よかった。
いい曲だったのだ。
CDを欲しいと思った。(買いそびれた。)


そして自分のバンドは、やはり写真がない。
当然だ。
ドラムを叩きながら、カメラを持ったらどうだ、という案もあったのだが。
さすがに。


そしてトリはCRENATIONだ。
これも70年代に私が大好きで惚れまくった「クリエーション」の
トリビュートバンドだ。
バンドのメンバーの年齢も、我々とほぼ同世代。
やたらにかっこよく、完璧なる演奏だった。
前まで無理に行き、写真をたくさん撮らせてもらった。




ドラムの方は、ジムカーナ全国チャンピオンでもある。
やはりドラムとレースは近いものがある。
コメントをくださる、hirobotさんもドラマーで現役のジムカーナ常勝チャンプ。
そういう私もジムカーナ経験者で、かつ、レース設営チームである。

骨太でかっこいいドラムプレイだった。
ほれぼれする。




写真の掲載はメンバーの検閲済みだ。(笑)



ギターのじんさんには、我々の一曲目にも参加していただいた。
うーん、唸るしかないカッコ良さだ。
これは若い人には出来ないプレイだ。



トウキョウサリーでは、逆に、さくらさんと、プリンセスイケンさんがコーラスで参加。
もうめちゃくちゃブラックな感じでかっこよかった。




和製ジャニス・ジョップリンの趣き。




ロックで、不良で、いかすのであった。

(続く)



SONY α900、タムロンA09
ISO=3200




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高校の同窓会

2009-01-12 | スナップ
柏にある高校の同窓会が行われた。
卒業30周年だ。
学年の同窓会だったので、360名中、200名ほどが集まった。
卒業後、初めての同窓会だった。

年月の割に、これだけの人数が集まったのは、
幹事の尽力、ネットの力(mixiの力)と、
やはり今だに柏や松戸、我孫子、流山、野田近辺に住んでいる人が
半分以上にものぼるからでもある。
私も、常磐線沿線には住んでいたかったのだが、諸般の事情で
まったく対角線の逆側の地区に住んでいるので、
柏駅に降り立ったのも恐らく20年ぶりとかになる。

しかし写真やスナップを趣味にし、いろんな町に出掛けては
写真を撮っているのに、こうして柏の写真を撮ったのは
恐らく初めてだ。
不思議なものだ。

ちなみに同窓会は5次会まであったそうで、少なくとも2次会には
行きたかったのだが、LIVEとバッティングしてしまったので、
1次会の途中で退席しなければならなかったのが残念だった。
ただ、短い時間で、極力いろんな旧友と話をした。




柏駅の玄関だ。
柏駅の1日の乗降客数は55万人にものぼり、千葉県下では千葉駅、船橋駅を離しダントツの一位である。(私鉄を含む数字)
むかしは松戸よりも田舎の駅であったが、近年の人口上昇はすごいものがある。
ちなみにJR東日本内では23位となり、中野、御茶ノ水、目黒、町田、津田沼より上位に位置し、五反田、船橋、蒲田、恵比寿に迫るのだが、
柏駅の場合は東武野田線の乗降客が多く、駅が狭いので、いつも混雑している。




商業施設も多く、いつも賑わっているのだが、駅から数キロ離れると
途端に田舎風景なのも特徴的で、なかなか面白い地区だ。
それは江戸川、利根川、手賀沼といった河川に囲まれた大農業地帯であったことが
影響しているのだ。




会場へは予定よりかなり早くに到着したので、
せっかくなので卒業した高校へ行ってみることにした。
常磐線はスピードが速いので、都心からも意外に近いのである。

写真はJRと東武野田線をまたぐ跨線橋だが、私が高校の頃は車も通れたのだが、
今は歩行者用になっていた。




国道6号線の手前の標識。
こういうものが古いのが面白い。
というか、この通りはいつも風が強いので、こうなってしまうんだろう。




高校の裏門。
ただし、9割以上の生徒は裏門から入る。
正門は柏駅の反対側にあり、そこから入る生徒は数えるほどだ。



正門に回ってみた。
あたりの風景は一変していた。
さぼって入った中華屋や、蕎麦屋も見当たらなかった。
そのかわり大規模マンションが建っていた。
30年も経てば変わるものだ。



県北ではもっとも古い高校だろうか。
県立では珍しく私服で自由な校風であった。




駅に戻る。
学校帰りに通った道だ。
いろいろ寄り道したものだが、店は特定できなかった。



よく行った駅前の喫茶店は健在だった。
喫茶店が健在というのは、今や珍しい。




駅を抜けて東口に回る。
ここはなぜだかカーネルサンダースが3体並ぶ。

近くにKFCはあるにはあるのだが。



この通りもよく寄り道した場所だ。
そういえば柏にはディスクユニオンが2~3店あったのだった。
LIVEハウスもあり、最近はストリートミュージシャンも多く、
かなりロックな町である。
裏通りの古着屋や洋服屋も近年は多くなり、
ウラカシと呼ばれて久しい。



さて同窓会の会場(ホテル)に入ると、顔がわからない!!!
男性は1/4ぐらいは判るのだが、女性はさらに難しい。
お互いに旧姓の名札を確認しながら、「やあやあ、おうおう!」と挨拶だ。

久しぶりに会っても、敬語なんて使わないでいられるのは素晴らしいことだ。
みんな次々に短く会話をしながら会場をぐるぐる回る。
短い時間で、よりたくさんの旧友と話をしたいからだ。


当時の先生も2名だが参加してくださった。
高齢の方も多くなってしまったのだが、
写真の先生は、姿は年齢相応に変化したものの、
声はそのままだったのが嬉しかった。
そう、みんなも顔や体つきや髪型は大いに変わっていたが、
声だけは当時と変わっていないのだった。


同窓生のサンプラザ中野クンや、パッパラー河合氏は
仕事がかぶってしまい参加できなかったのだが、
一度、大々的に同窓会をやってしまえば、連絡先網などもできて、
次回からは定期的に行われるようになるだろう。

やはり、中学や高校の友人は格別だと思った。



SONY α900、タムロンA09





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鎌倉へ 02 大仏の中へ

2009-01-11 | スナップ

約束どおり江ノ電に乗る。
江ノ島まで行く時間が無いので長谷へ。
親戚宅の忘年会に間にあわなくなるからだ。
乗ったのは最新500形。
江ノ電の運転席は真ん中にある。
珍しいのだ。




長谷駅は降りる人が多い。
大仏さんのいる高徳院までは歩いて10分弱だ。




途中に数件のお土産屋さんがある。
当然、長男は全部入る。
ママ、次男にお土産を買いたいというのだ。
ママには猫の木彫りの人形。(100円!)
次男には大仏グミ・湘南グミを買う。




鎌倉にはリスがたくさん居るが、さて、写真の中には
リスが何匹いるでしょう?



鎌倉駅と大仏を結ぶ路線バスは京急の運行だが、
なかなか凝ったデザインである。
乗りたいものだ。



長男と大仏に来たのは3回目だ。
なんだか来るのだ。
子供にとっては、怪獣の大きさなのだろうか。
いつも「ウルトラマンとだったら、どっちが強い?」とか
「神様と大仏だったら?」とか「奈良の大仏とどっちが強い?」とか
「閻魔大王となら?」とあくまで戦が好きだ。




大仏さんの内部に入る。
有料だ。
10円。
今時、10円を払うことってなかなか無い。
チロルチョコぐらいか!?



高徳院を出て親戚宅へ向う。
親戚宅へは大仏隋道を通るのだが、今は新しいトンネルを作っている最中。
歩行者は終日通行できないのだ。
その場合、大仏切通で山越えが必要なんである。
車なら旧大仏トンネルを通行できるのだが、人間は駄目なのだ。
一気に江戸時代に戻ったようだ。




この山越えは結構急なので、健康でなければ無理だ。
そして夜間は、あまりにも怖い。
そして危険である。



ロープなども設置されている。
長男はわざわざ難所を通る。










無事に親戚宅に着き、忘年会で大騒ぎして、帰りの横須賀線でグッタリした
長男だった。
ちなみに次男はずっとハイなままだった。


SONY α900、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)


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鎌倉へ 01 猫とトロッコの街

2009-01-09 | スナップ
新子安の強烈な印象で、思い出した。
年末は鎌倉に行ったのだが、そこでもトロッコを撮ったのだった。
線路の横に少年が立っている写真を撮った。

ただし、明るい昼間に、息子とだ。




家族4人と義理の母の5人で鎌倉に向った。
親戚宅で忘年会だ。

子供達はバアバが好きだ。
この日は次男がひっついていた。




私は電車に乗るときは滅多には座らない。
長男も座らない。
窓の外の景色が重要だからだ。

子供の頃、両親から電車では座らないように言われた。
「元気なんだし、子供料金なんだから、座っちゃだめ。立って景色を
見てなさい。」と言われたのを今でも覚えている。
そして、子供の私は運転席の後ろまで行って、運転手と後ろに飛び去る
レールを見ていた。
そのお陰で鉄道が好きになったと言って過言ではない。

同じ事を私は長男に言っている。
「半額だし、元気いっぱいなんだから座らないでいい。電車に乗って
景色を見ないのはもったいないよ。それに揺れても倒れない練習をしな。
サッカーやってるんだから。」



確かに長男は電車で座らない。
それに二本の足で立っている。

ただし、今の子だ。
「こらあ、ゲームをやんない。酔っ払うぞ。」




鎌倉に到着後、みんなでいつもの蕎麦屋で昼食。
ここは玩具屋ちょっぺーの前にあるので便利だ。

そこから二手に分かれた。
義母、ママ、次男は買出しのため、スーパーへ。
私と長男は鎌倉散歩。
長男は江ノ電に乗って江ノ島に行きたいと言う。
結局、鎌倉駅周辺を回って、江ノ電で長谷に行き、
大仏から、山越えで親戚宅へ向うことにした。


まずは裏通りへ。
鎌倉は裏街がいい。



昼食直後だというのに、長男はまずは小町通りの大福屋へ入る。
大福を食べながら歩き、次にぬれ煎餅屋で並ぶ。
焼きたてを食べながら小町通りを北上する。
最近はよく食べるようになった。
食べ始めると身長も伸びはじめた。




小町通りの真ん中で日向ぼっこする猫。
往来なんて、まったく気にしていない。
いや、むしろ、主だと主張している。




カメラなんて平気。
相手にもされない。




避けて通る人を含めて地面から撮ったりして、
きっとアホな人と思われている。




これが肝心のトロッコレールだ。
三河屋さんのもので現役である。
長男が付き合ってくれた。

こういう重量物を店先まで運ぶ業種には自家製トロッコがあったりする。
小樽の北一硝子にもあるし、川越や高崎線沿線にも存在するようだ。
むかしはたくさんあったようだ。
その頃に戻りたいとつくづく思うのである。


SONY α900、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)




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新子安の怪 03

2009-01-07 | 鉄道・バス
1/5の神奈川はひじょうに暖かかった。
1時間ほど経っても寒さを感じなかった。
この場所にずっと居てもいいぐらいだった。



軌道幅はおそらく762mmなのであろう。
メジャーを持っていれば測ったのだが。
横を走る京急は1435mmなので、約半分の狭さだ。
それでもなぜだか線路には存在感がある。
使われているレールは光を反射して輝くからだ。

そういえば、このレールは光っているし、錆びていない。
なぜだろうか。
ひょっとして、まだ使われているのだろうか?
不思議だ。



今日は雲まで妖しい。
月がちょろちょろと下界を覗くのだが、
私が写真を撮ろうとすると隠れてしまう。
ずーっと月が出るのを待っていたが、ここまでだった。



この場所は、京急とJR東海道線・京浜東北線に挟まれた中州なので、
騒々しいはずなのだが、なぜだか静寂が支配している。




ようやく離れる決心がつき、JR側へ渡った。
踏切がでこぼこしているので、車の下部があたった傷が残っている。
JRは1067mmなので、この踏み切りには3種類のゲージがあることになる。




線路の反対側は丘になっている。
名門進学校の浅野中学、高校の広大な敷地がある。
浅野学園は言わずと知れた浅野財閥の学校で、丸紅も太平洋セメントも浅野グループだ。京浜工業地帯を作った会社だ。
この丘からは、その工業地帯が一望に見える。

臨港バスも浅野グループの会社である。




新子安の歩道橋には驚いた。
複雑怪奇で、迷路のような歩道橋である。
そして長大だ。
京急とJRの駅間に立ってみることをお勧めする。
行き先に辿りつけないので。



さて、話は続く。
京急の新子安から普通電車に乗り、品川方面に向う。
進行方向の左側に目を凝らす。
さきほどのレールを電車から確認できるのかが気になっていたからだ。
普通電車とはいえ京急だ。
次の生麦駅までは相当の距離もあり、ほぼ直線だ。
ぐんぐん加速していく。
あっという間に90kmは超えただろうか、例の場所に差し掛かる。

私はその光景を見てドキッとした。
ヘロヘロの線路のある路地を自転車に乗った小学生ぐらいの
髪の短い子供がゆっくり走っている。
時間は22時をまわっている。
私が撮影をしていた1時間強の間に人っ子ひとり通らなかった場所。
あの小学生は、あの路地の主なのか。
そもそも本当に小学生が居たのか?
私の思い違いか、私にしか見えなかったのか・・・
もしよかったら、皆さんにも訪問してもらい確認して欲しいのだ。



(新子安の怪、おわり)


SONY α900、17-35mm/F2.8-4.0(D)


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新子安の怪 02

2009-01-06 | 鉄道・バス
川崎と横浜の狭間にある新子安界隈の奇談は続く。


レールが敷かれているのは、50mぐらいはあるだろうか。
果ては民家で途切れている。
逆側は工場に沿って伸び、道路で途切れている。
道路の向こう側にも延びていただろうが、新しいマンションが建っており、
その駐車場になっている。
以前はもっと長かったような雰囲気がぷんぷんする。




左手の工場は現在は使われていないようだ。
以前のJ ONODA氏の写真では、線路の上に屋根も付いていた。
今はむき出しで、かえって妖しい雰囲気にも感じられる。



相変らず京急が最高速で爆走していく。
電車から見える場所なのだが、あまりにも速度が速いので、
乗客でここを知る人は少ないだろう。
そもそもヘロヘロのレールを見つけて興奮する人はどれぐらい居るかは不明だが。




写真は手持ちで撮っている。
ISOは1600か3200だ。
すこしノイズ感はあるが、それがかえって妖しい雰囲気を出してくれる。
α900は私が撮るシチュエーションには有効な設定かもしれない。




途中から路盤は砂地になっている。
未舗装とナローゲージの組み合わせは、昭和30年代までの風景だ。
今は、模型の世界だけに生き続けている風景だ。
今や台湾や中国でもなかなかお目にかかれない。

この場所は生活道路である。
この中州の10軒ほどの住人の通路だ。


無性にこのレールの上を走っていたトロッコが見たくなった。
どこかに記録は無いものだろうか。



工場のトタンの色と、鈍いオレンジの空の色が妖しさを倍加させる。
ここは確かに昭和だ。
懐かしさを感じる。




手持ちでここまでシャープに撮れるα900は大したものだ。
暗くてもフォーカスは速い。
シャッター速度は1秒ぐらいでも手ぶれが少ないカメラだ。


しかし、こんな秘密めいた場所を教えてくれたJ ONODA氏に感謝だ。
秘密はなかなか教えてくれないものだ。



SONY α900、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)
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新子安の怪 01

2009-01-06 | 鉄道・バス
まずは「ミュージシャン J ONODA」氏に御礼を言わねばならない。
“素敵な場所を教えていただき、有難うございました。
こんな場所、この都会にあるなんて有り得ません。
我が目を疑いました。陳腐な言い方かもしれませんが、奇跡かもしれません。
なぜだか小学生の頃に戻ったような錯覚に陥りました。
こんな場所で遊んだと。”

ミュージシャン J ONODA氏はリンクも貼らせていただいたし、
コメントもいただく方だ。
そして私と同じくドラマーである。
以前、彼のブログですごい写真を見た。
ヘロヘロの軌道の写真だが、その横を京急が爆走しているのだ。
この組合せは有り得ない。
しかし、私はすぐにそのタイトルにあった生麦へ行った。
平日の遅い夜に2時間ほど歩き回ったが、その場所は判らずじまいだった。

その後、J ONODA氏はご丁寧に場所を示す地図のリンクを貼った
コメントをくれたのだ。



1/5、仕事始めの日。
仕事はいつもよりもさすがに早く終了した。
まだ21時だ。
今日は、女房と子供たちもスキーに行って不在だ。
私は京急の乗客となった。
快特と普通を乗り継ぎ、新子安で下車した。

この町は、魔界であった。



駅前にはほとんど店も何もない。
ただ、だだっ広いバスの転回所兼停留所があるのだ。
最初から不思議な空気感で胸騒ぎがした。




国道15号線がすぐ近くを走っている。
ほとんど人が歩いていない。
まだ休暇なのだろうか、それとも夜間は人が居ない場所なんだろうか?

遠くに工場の煙が見える。





10分ほど国道を歩くと、左折して踏み切りを渡る道がある。
左折して京急の踏切を渡ると、唐突に道の真ん中にナローゲージの
線路がある。
ここは、京急と東海道線に挟まれた中州のような場所だ。
両方の踏切が引っ切り無しに鳴り、京急は時速120キロで
駆け抜けてゆく。




ただ写真とは違い、実際はほとんど明かりがなく暗い場所だ。
三脚でもなければ撮影は不可能に近い。
経験上、まずは地面にカメラを置いて、10秒ぐらいの長時間露光で
撮りながら様子を伺う。
そうしているうちに目も暗い場所に慣れてくるのだ。




京浜急行の2100系快特が横を通ると、通過するときに辺りが十分明るくなることに
気が付いた。
120キロの豪速だが、12両編成の長い快特なら、その間に3枚は撮ることができる。
古い車両や新しくても3枚ドアの車両では暗い。
2100系は2枚ドアで連続窓であり、照明も明るいのである。

手持ちで何枚か撮った。

その間、誰にも会わなかった。
時々、黒い動物が横切るだけだ。
暗くてよくわからないのだが、恐らく猫であろう。
もしかすると、違う生物なのか??
狐かもしれないと、ふと思った。

(続く)


SONY α900、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)



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正月休み最終日

2009-01-05 | バンド・音楽
1/4は正月休みの最終日だ。
今日からママと子供達は長野の飯綱にスキー合宿で1/7まで戻らない。
私は1/5から仕事なので行けないのだ。
子供達とママは1/8が仕事始めだ。

早朝に私も同行して、送り込みをした。


長野新幹線でいざ出発!




さて私は戻ってから、お見舞いに向かった。
東神奈川の病院だ。
大学時代に一緒のバンドでお世話になったギタリストだ。
サラリーマンをやりながらも半ばプロのジャズ、ブルースのギタリストを
続けている人だ。
2ヶ月ほど前に急に倒れてリハビリ中である。
経過は良好のようだ。
あと1ヶ月もすれば退院かもしれないとのことでホッとした。
今日も私の1時間後に当時のベーシストもお見舞いに来る予定だった。

倒れたことを知ったのはmixiの書き込みだった。
頑張って、全快して、またギターを弾いてください。





病院を辞して町田に向かった。
バンドの練習だ。
1/10にはLIVEがあるのだ。
町田を根城にするバンドに参加させていただいたのだが、
その後、やはり私の大学時代のバンドのキーボードも参加させてもらい、
今日、久しぶりに会った。
今日は当時のギタリストと、キーボード奏者に会い、1時間ずれで
ベーシストにも会いそうな日だったのだ。




すごく上手い人たちで、面白く楽しい人達だ。
なんだかずっと一緒に居れそうな気がするのだ。




練習中にカメラで撮影する私を撮影するボーカルとキーボード。
何だか笑える。
ちなみに男性が持つカメラはα350にタムロンA09である。
女性ボーカルが持つカメラはルミックスだ。
なんだか気が合う。



その後、終電まで音楽談義に花が咲いたのは言うまでもない。
バンドで楽しいのは、練習後の飲み会もだったりする。


SONY α900、タムロンA09
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