どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

シン・ゴジラ、着想の原点?

2017年12月31日 20時25分00秒 | TV
昨日放送されたBSプレミアム「イノさんのトランク~黒澤明と本多猪四郎 知られざる絆~」。

ちょうど5年前に放送された番組で、当時も視聴しました。

故・本多猪四郎の遺品のトランク。

封印されたかのように死後も開けることのなかった鞄を奥様・きみさんとご長男・隆司さん立ち会いのもと、中身を開け故人を偲ぶというもの。

戦前・戦時中、奥様や親友でもあった黒澤明との交流が如何に深いものであったか...そして戦後、苦労を重ねて監督となり「ゴジラ」へと結実していく...その凄まじい人生に感動というか、頭が上がらない思いでみましたが...。

番組の最後の方で紹介された驚きのエピソードに釘付けになってしまいました。

92年10月15日の朝に記述されたメモのようです。

「新ゴジラ」と...。

番組では「新」としていますが、書き文字をみようによっては「神」にも...?

「合体」「気体化」「対応」...。

そして「分化」と。

構想し、思いつくままメモにとっておいたという感じで、企画としてまとめる何段階も前の状態という感じですが...。

これ以上のことは記述にないようですし、誰にも明かしてはいなかったようです。

しかしこのタイトルと、合体とか分化というアイデアに「シン・ゴジラ」の原点をみたようなただならぬものを感じました。

同作資料本「ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ」には、これを思わせる初期企画段階で描かれたスケッチが掲載されています。

この細胞分裂していくかのような増殖するゴジラ...まさに「分化」です。

庵野さんが最初に「ゴジラを撮ってみないか?」と東宝のプロデューサーに声をかけられたのは13年1月ということですから、彼もこの番組をみてヒントにしたのは充分に考えられます。

このアイデア自体は東宝から早々に拒絶され没になったワケですが、タイトルだけは遺された...オリジナルと創作者を強くリスペクトする彼だけに、本多さんのこのメモは常に頭のどこかに置いて作品をつくったんだろうなぁと...。

5年前に放送された時はボンヤリと「本多さん、もう一度ゴジラを作ってみたかったんだなぁ...」と思う程度でしたが、「シン・ゴジラ」を経た後に見ると凄いことだし、庵野さんあらためて良い仕事したなぁと深く感じ入った次第です。




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