◉自分に何のメリットもない人に対して

2019年8月31日
◉自分に何のメリットもない人に対して

 

 

名言アプリを開いたらこんな言葉が書かれていた。

“誰かへの怒りにこだわることは、その嫌いな相手が、あなたの頭に住み着く権利を無料で与えたのと同じだ。”(アン・ランダース)

アン・ランダース(Ann Landers 1918 − 2002)は、アメリカの女性コラムニスト。箴言家(しんげんか)として人気があったそうで、商売とはいえうまいことを言う。調べてみたらこんなのがあった。

“自分に何のメリットもない人に対して、どういう態度で接しているかを観察すれば、その人の人間性が見極められます。”(アン・ランダース)

蒲原 2019

   ***

「ノジマTリーグ2019-2020シーズン」が開幕し、テレビ中継があるので嬉しい。石川佳純と早田ひなの1ゲームのみで争われる最終の第5試合も、放送時間延長で観ることができた。

家庭内温泉ピンポンで使っている「ニッタク(Nittaku) 卓球 ボール 国際公認球 プラ 3スター プレミアム」を踏んで潰した。子どもの頃遊びで使ったセルロイドのピンポン玉は、潰れても熱湯につけると見事に復活したが、プラボールは折れ目に癖がついて元どおりになりにくい。卓球セットのおまけについてきたオレンジ色のボールが見やすく、重くて硬いニッタクにオレンジ色のがないかと探して見つけたので取り寄せた。昨日注文して今朝届いた。

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◉バトミントンラケットが、布団たたき棒、卓球ラケット、団扇大鼓へ

2019年8月30日
◉バトミントンラケットが、布団たたき棒、卓球ラケット、団扇大鼓へ

 
 

上野から乗り込んだ新蒲原に向かう電車内に、消費税に関する車内吊りポスターがあって、地味なポスターの隅に若い女性の写真がある。手にバトミントンラケットを持っているので、その競技で名の知られた選手なのだろう。暮らしに直結する税のポスターなので、干した布団を取り込むため叩き棒を持ってベランダに出てきた奥さんに見えてしまう。

上野 2019

このポスターを卓球ラケットを持った女性にかえると、団扇太鼓(うちわだいこ)を持った法華信徒に見えるかもしれない。そういえば最近団扇大鼓を叩いて街を歩く人たちを見かけない。懐かしく思い出しながら今さら気づいたのだけれど、「だんだんよくなる法華の太鼓」のだんだんは徐々にという意味「だんだん」に「ダンダン!」というあの太鼓を叩く音をかけたのだろう。ああそうか、やっとわかった。一枚の中吊りポスターをぼんやり見ているうちに、バトミントンラケットが、布団たたき棒、卓球ラケット、団扇大鼓へと変化した。「ぼんやり」はたいせつだ。

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◉ななめよこまえに考える

2019年8月29日
◉ななめよこまえに考える

 
 

揉め事の当事者同士から意見を聞いて、「ここはひとつ互いに折れることができませんか」などと思う。

折れることで世界が違って見えることに糸口を探すことを、子どもの頃「ななめよこまえに考える」と自分で名付け、困った事態を自分で打開するための、つたない座右の銘にしてきた。桂馬のように考えよ。ひとことで言えば「折れる」のであり、類義語をあげれば、「譲歩する」「妥協する」「折り合う」「歩み寄る」などであり、自分にとっては「離れつつ歩み寄る」と言い換えられそうに思う。

漱石を引けば

“智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。”

というような、それぞれ「智」と「情」に長けた個性の違う人と人の窮屈な諍(いさか)いで板挟みになると、互いに「折れることができませんか」と言いたくなる。折れるとは自分にとって、引っ越しもならぬ窮地を脱する最後の手段で、

“越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。”

と思いなすことしかなく、それを「ななめよこまえに考える」と呼んでいた。子どもの浅知恵、逃避に過ぎぬというそしりを甘んじて受けるとしても、事態を打開する方法はそれしかなかったのである。

“土をならすだけならさほど手間も入(い)るまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩した土の上に悠然と峙(そばだ)って、吾らのために道を譲る景色はない。”

となってしまったら「ななめよこまえ」に迂回してみるしかないではないか、と思ったのだ。

Paris 1994

物心ついた頃から両親の夫婦仲が悪く、互いの意見が合わず喧嘩して、父親が家を飛び出せば母子家庭となり、母親が家を飛び出せば父子家庭になるような暮らしを繰り返していた。久しぶりに両親が揃った晩、暗い夜道を歩きながら「おまえはお父さんとお母さん、どっちについてくる?」と聞くので、これは別れ話かなと幼心に思い、「りょうほう」と答えたら両親が揃って笑った。子どもにできるせめてもの鎹(かすがい)役も失敗して程なく母子家庭になった。

坊ちゃんと猫に続いて『草枕』も小学生時代に読みかけたが、子どもには何を言っているやら皆目分からずじまいだった。(4:29)

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◉寝相

2019年8月28日
◉寝相

 

寝相の良い人と悪い人がいる。子どもの頃、学校や家庭で他人と一緒に雑魚寝をさせられると、与えられた布団の範囲に収まったまま朝まで行儀よく寝られる人とそうでない人がいた。義母は寝相の良い人だった。大病をして家族の見守りが必要になり、寝室を時折のぞいて微動だにしない寝相を見るたびに、
「お母さん死んでるんじゃないか」
と心配になったが、妻は
「かあさん眠ってる時は東海林太郎だから」
と笑っていた。わが家は東海林太郎の喩えが通じる夫婦である。(2:10)

illustration : Masahiko ISHIHARA

この夏、義父母が暮らしていた住まいへの引越しを終え、38 年ぶりに布団からベッドの生活に戻った。妻は義母が寝ていたベッドで寝ているが東海林太郎ではない。東海林太郎ではないが落下せずに寝ている。いっぽう布団からはみ出して床の上で目が覚めたり、90 度は当たり前、180 度回転して寝ていることの多かった亭主が、義父のベッドから転げ落ちるのではないかと妻は心配している。今のところ落下しないでいるが、枕や掛布はちゃんと床に落下しているので、相変わらず暴れていることは確かだろう。(2:34)

   ***

本駒込 2019

昼休みに、近所の食品関連会社が毎月開いているガレージセールに行ってきた。雨が降っているので湿度は高いけれど涼しい。六義園脇の歩道で小さな秋を見つけてしまう季節になった。(15:21)

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◉強調の表記について

2019年8月27日
◉強調の表記について

 
 

◉強調の表記について

語句を強調したい気持ちを “ ”(ダブルクォーテーション)や〝 〟(ダブルミュート)で囲んであらわす書き方がある。「 」(カギカッコ)を用いることもあるけれど、カギカッコには本来の話し言葉を表す記号としてのほかにもいろいろ使い道があるので紛らわしい。

団塊世代で学生運動のお兄さんたちが “ ”(ダブルクォーテーション)を盛んに使って雑誌などに演説風文章を書いていた時期があり、いまでも立て看アジ文字風書体を書く人たちが、かつてよくやっていた。「いわゆる、 “いわば” というニュアンスで書いてるんだから、言葉を文字通りに受け取んじゃねぇよ!」ということを記号で囲んで強調していたわけだ。

ワープロやパソコンが普及したら引用符 “ ”(ダブルクォーテーション)を他人の文章を引くための引用符として使う人たちが増えて、最近は「言葉を文字通りに受け取んじゃねぇよ!」的な用法を見かけなくなった。とはいえ実は、あの “ ”(ダブルクォーテーション)は「俺たち世代はみんなこう考えてるんだぜ」的に衆を頼んだ引用だったのかもしれない。

そのかわり学術的な難しい本でよく見かけるようになったのが 〈 〉(ヤマカッコ)で、「言葉を文字通りに受け取んじゃねぇよ!」にかわって「この言葉は独自の解釈と定義に基づいて使用しています」であるということになっている。私ではなく 〈この私〉 から生まれ出ずるもろもろの事象について述べるのに適した実存の記号的表現なのだろう。〈 〉(ヤマカッコ)が頻出して、学際的に意見を同じくする衆を頼んだ引用に見えるとき、ちょっと嫌な気分になる。(9:04)

池袋 2019

   ***

昨日の日記にイタリア人「ジローラモ」について書いたら、友人が書いている日記に、イタリア人ジローラムのことを間違って「イタリア人のジェラローム」と書いた、それを友人は嫌味にならないようサラッと別件で書き込んでくれていて、「気配りのひとだなあ!」などと感謝した、と書かれていた。気配りではなく友人の間違いに気づかなかっただけだ。さらに気配りのひとでない証拠にねっちり書いておくと「ジローラム」ではなく「ジローラモ」である。

池袋 2019

カタカナ言葉はなかなか覚えられない。友人からもらったお花のギフト券があるので鉢植えの観葉植物を買おうと話している。室内に置けるあのヤシはどうだろうと話したら、室内にあのヤシを置くのは夢だったと妻が言う。池袋駅地下街を歩いていたら、お目当のヤシがあるので値段を確認し、なかなか覚えられないそのヤシの名を工夫して記憶してきた。妻に「あのヤシの名前を言えるか?」と聞いたら「〇〇〇ヤシ」といくつ言っても当たりが出ない。小泉進次郎との結婚を発表した滝川クリステルの「お も て な し」を思い浮かべて覚えればよいと教えてやった。ヤシの名前は「あ れ か や し」である。

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◉ジローラモとアマティ

2019年8月26日
◉ジローラモとアマティ

 
 

ジローラモというイタリア人がいて「ちょいワルオヤジ」などと呼ばれてテレビでときどき見かける。それ以上のことは知らない。ふと思い出したのでウィキペディアを引いてみたら、デビ夫人に「典型的ナポリ野郎」と言われたそうで、確かにそういうイメージで記憶されている。本人もそれを売り物にしたのだろう。ああいう軽さがイタリア南部で典型的なのかどうかは知らない。

なぜふと思い出したのかというと、昨日見た映画で、ヴァイオリンのストラディヴァリに関連してジローラモが出てきたからだ。日本在住のジローラモがテレビ番組で「ジローさん」と呼ばれていたのでジローラモはイタリアで次男を表すよくある名前なのではないかと冗談的に思っていた。日本のテレビでおなじみのジローさんはジローラモ・パンツェッタ(Girolamo Panzetta)で日本式に苗字で呼べばパンツェッタさんである。

本駒込 2019

イタリアにはアマティさんという 1550 年から 1740 年のあいだ北西部地方、クレモナで活躍したヴァイオリン製作者一族がいた。初代がアンドレア・アマティ(Andrea Amati)、息子が二人いて兄がアントニオ・アマティ(Antonio Amati)、弟がジローラモ・アマティ(Girolamo Amati)で、アントニオとジローラモの兄弟は共同でヴァイオリン工房を経営した。そのジローラモの息子がニコラ・アマティ(Nicola Amati)で、有名なヴァイオリン製作者アントニオ・ストラディヴァリ(Antonio Stradivari)はニコラ・アマティに学んだ。そのニコラ・アマティの息子もまたジローラモでジローラモ・ヒエロニムス・アマティ(Girolamo Hieronymus Amati)といい、初代アンドレア・アマティの曾孫になる。曾孫のジローラモもまた「次男坊のジローさん」だったかどうかははわからない。(4:58)

   ***

ストラディヴァリに関する映画を観せてくれた区立図書館司書が「8 月 28 日がバイオリンの日にあたるので…」と言うのでみんなで「へぇ〜」と合いの手を入れた。知らなかった。1880(明治13)年 8 月 28 日、東京深川の楽器職人松永定次郎が、国産バイオリン第一号を完成させたのだという。

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◉カマツカ

2019年8月25日
◉カマツカ

 
 

静かな日曜日の朝になった。朝食の準備をして妻を叩き起こし、飲み食いしながら NHK『さわやか自然百景』を見た。美しい山峡(やまかい)の渓流沿いに「ホクリク」の四文字を名に戴く植物が咲いているので、これは北陸の日本海にそそぐ川の上流だろうと思う。冷たく澄み渡った渓流の水中へナレーションとともにカメラが入ると、体側に横筋のある小魚たちが澄明(ちょうめい)な水の中で煌めいている。魚名を聞いたら知らないので
「これは『魚貝の図鑑』に載っていなかったなぁ」
とひとり言が出る。

『魚貝の図鑑』とは昭和の時代に小学館が出していた学習図鑑シリーズのひとつで、とくに好きだった『魚貝の図鑑』はおそらく百回以上繰り返し読んだ。今でもどのページにどんな図解がされていたかを空で思い描くことができる。ひとつ年下の妻も学習図鑑シリーズをそうして読んだ子どもで、いまでも『鳥類の図鑑』と『動物の図鑑』と『植物の図鑑』は中身を空で言い合って共有することができる。妻は『魚貝の図鑑』、僕は『昆虫の図鑑』をあまり得意としなかったので、その二冊に関しては記憶で共有できるページが少ない。

番組の映像にカマツカが登場して懐かしく、
「あ、カマツカだ、カマツカ!」
と声が出る。『魚貝の図鑑』にもちゃんと載っていた。砂地の川底に潜り込んで鳥などの天敵から身を隠すので各地に「スナホリ」「スナモグリ」に類する異名がある。コイ目コイ科カマツカ亜科の魚類で、体の形が鎌の柄に似ていることでその名がついたのだろう。

小学生時代、釣具店店頭で「がまかつ」という文字をよく目にし、見かけるたびに図鑑の「かまつか」のことが思い浮かんだ。今の子どもならスマホで検索して1955年に兵庫県西脇市で創業した「蒲克鈎本舗」のちの「株式会社がまかつ」という釣り具メーカーだとわかるのだけれど、昭和の子どもは「かまつか」と「がまかつ」は似ていて不思議だなぁと思い込んだまま大人になったので、いまでも「かまつか」で「がまかつ」が思い浮かんでしまう。もうどうにもならない。

番組最後に合原明子アナのナレーションが入り、なんと日本海側ではなく岡山県北部の山あいにある小さな渓谷「奥津渓」であることがわかった。妻が
「この子お腹が大きい」
と発見して程なく見かけなくなった合原アナが、「ごうはら」ではなく「ごうばる」だったこともついさっき知った。こちらは記憶の中で訂正した。(9:44)

   ***

午後から文京区立千石図書館で開かれた「第 95 回キネマ千石『ストラディバリ 〜クレモナの伝統〜』ドキュメンタリー映画上映とブックトークの会に行ってきた。映画も面白かったけれど、若い女性図書館司書が映画に関連して五冊の本をすすめるブックトークが良かった。妻はアンケートに、ブックトークがすごく良かったと書いておいたという。

映写会場隅でヴァイオリン演奏が BGM として貸し出し用 LP レコードを使って流されており、その簡便なレコードプレイヤーがなかなか良くて気に入ってしまった。ちゃんとしたオーディオ装置をもう一度あつらえる気はないので、その対極にあるレトロでチープなプレイヤーが欲しいと思っていた。演奏中の現物として興味深く観察したが、amazon で ¥7,980 で買える商品としてはとても良くできていると思った。なんと SP 盤も聴けるという。(17:12)

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◉「新高 + にっこり」

2019年8月24日
◉「新高 + にっこり」

 
 
フリークライマー楢﨑智亜(ならさき・ともあ )がニュース映像に登場するたびに、この人は元プロサッカーのゴールキーパー楢﨑正剛(ならざき・せいごう )の親戚に違いないと思い、検索してみた。同じことを思った人が大勢いるようで、結論から言えば縁つづきではないらしい。凛々しい眉の容貌が似ているというより、楢崎というたいして多くない姓の一致が、多くの人に「似てる!」と思わせたのだろう。妻は川島永嗣より楢﨑正剛の方がカッコいいと言い、川口能活の跡を継ぐ日本代表ゴールキーパーは彼だと応援していたのをもう覚えていないらしい。「ほらゴールキーパーの楢崎に似てるだろ?」と聞いても「え〜〜似てないよ〜」などと言っている。(10:07)
 
 
本駒込 2019
 
栃木県産の立派な梨をいただきものした。毎年届く季節の便りだけれど、今年は段ボール箱がふたつ同時に届き、驚いて送り主を見たら、ひとつは富山の友人からだった。富山には呉東・呉西を分ける呉羽山という梨の特産地があり、義父母が富山在住の頃はよく送ってくれたものだった。四つの品種が時期をずらして収穫され、呉羽梨は 8 月中旬から 9 月上旬が「幸水」、9 月上旬から 9 月下旬が「豊水」、9 月中旬から 10 月上旬が「あきづき」、そして 9 月下旬から 10 月中旬が「新高」だという。「幸水」、「豊水」、「あきづき」までは栃木の梨と同じだけれど、最後の「新高」だけが栃木では「にっこり」になる。「新高 + にっこり」で検索したら、にっこりは「新高」に「豊水」を交配して 1984(昭和59)年に栃木県農業試験場が選抜育成した赤梨の品種なのだという。
 
   ***
 
 
田端 2019
 
昼食を兼ねて下町商店街まで買い物に出たら、この夏のまとめが掲示されており、ああこういう夏だったなぁと思う。(13:21)
 
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◉日常的に飲むお茶は、安い棒茶が好き

2019年8月23日
◉日常的に飲むお茶は、安い棒茶が好き

 
 

親たちは「あの人、お天気屋だから…」などと他人について言っていた。お天気屋とは面白い言葉で、わが世代で話されるのをほとんど聞かないし、若者の口から聞いたこともない。

天気に関する感覚は多分に心理的なものだろう。朝のごみ捨てで人に会ったので「今日はようやく雨の一日のようですね」と言ったら「まったく、雨ばかり降っていて嫌になっちゃうね」と言う。カメラマンと編集者の友人夫婦は、やっとせいせい雨が降るので、鳥のフンまみれになっているベランダ掃除ができると喜んでおり、自分もまた「ちゃんとひと雨くればいいのに」と思って同感だったので意外に思う。

赤坂 2019

この夏は蒸し暑かったので毎日水出しの珈琲と緑茶を作り続けた。緑茶に関してはときどき水出し専用の煎茶パックを買っていたけれど、貰い物のお茶が冷蔵庫内に山積みだったので紙パックを買ってきて利用した。ペットボトル入りのお茶は日本茶だと認めないと郷里静岡の友人が言っていたけれど、確かに市販ではなく自分でつくる水出し緑茶は美味しくて来客にも大好評だった。

友人に限らず静岡県人は日本茶にうるさい。富山出身の妻は静岡県人がお茶ばかり飲んでいると驚いていた。そのお茶ばかり飲んでいる静岡県人は一軒ごとそれぞれに気に入りの生産者である茶園や販売者である茶舗があってそこからお茶を買っている。わが家にも茶園や茶舗を営む友人が多く、どこから買おうかと迷うけれど、やはり顔見知り・土地見知りの生産者に注文してしまう。なんだか作り手の人柄や土地柄の味がするからで、お茶の味もまた心理的なものなのだろう。

貰い物のお茶も底をついたので従姉が送ってくれた清水区西里の煎茶を水出しし、茶園主人の自信作だというその煎茶が美味しかったので追加で2パック注文した。美味しいお茶を送ってくれる清水の友人は、自宅で日常的に飲むお茶は、安い棒茶が好きなのだという。清水で暮らした頃のわが家も実は安い棒茶を飲んでいた。西里の茶園の商品一覧にも高級煎茶一覧の終わり近くに棒茶があり、棒茶にも高いのと安いのがある。

当座にがぶ飲みする日本茶として安い棒茶も買ってみた。あの人が作った棒茶はどんな味がするだろうと興味があった。届いたので煎茶と棒茶を各1リットル同時に水出ししてみた。水を注いでしばらくおいても棒茶の方はお茶の色が水に浸出しないので、やはり棒茶は水出しに向かないのかと思ったが、一晩置いてみたら棒茶の方が濃く出ていた。棒茶は出だすと短時間で抽出が終わるのかもしれない。味は苦味があって強いけれど酸味がなくて美味しい、これで十分と妻が言う。

 
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◉構内地図が面白い

2019年8月22日
◉構内地図が面白い

 

外出時に地下鉄を使うことが多い。地下鉄内にある構内地図が面白いので写真で採集している。

永田町 2019

構内地図は、引き剥がした敷石の下のアリの巣穴や、木材の樹皮を剥がした下にあるキクイムシの侵食地図に似ている。地下鉄内の構内地図は都市の表土を引き剥がして人間が侵食した巣穴が露わになったところのように見える。

永田町 2019

巣穴の内部にいるときは自分がいる現在地を起点にし、巣穴の曲がり具合を関係としてつなぎ合わせながら、進むべき通路を類推する地図に役立つけれど、地上に出て採集写真を見ると意義を失った生態標本に過ぎない。(5:56)

   ***

「宿題をすべてやり終える人を神と呼ぶ」(トーマス・エジソンの名言を意訳)

「それぞれがやり残す宿題がただの人間をつくる」(勝手につけちゃう蛇足)(6:13)

「おとなになっても夏は自然に宿題が出されている」(蛇足に蛇足を継ぎ足してみる)(今日は夏の宿題を片付けたい 6:17)

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◉思い出は気まぐれな人生美術館の図録である

2019年8月21日
◉思い出は気まぐれな人生美術館の図録である

寝る前に珍しく時事ネタについて思ったことを書いた。なぜか嫌な文化人の記事を読んで興奮したのだろう。他人の言動への神経反射的カウンターである。日付が変わって未明に目が覚め、朝食用に炊飯器をセットし忘れたので起きて米を研いだ。米研ぎを終えて再読したら、興奮した分だけ阿呆の成分が混じっていてよくない。瞬間的に投稿しづらいブログのシステムになっていてよかった。またひとつ「没日記」が増えた。

永田町 2019

洲之内徹の『気まぐれ美術館』を繰り返し読んでいた頃、まだ開館してそれほど経っていなかったいわき市立美術館企画展で、早世した画家たちを含む若描き作品が展示され、それが洲之内コレクションの一部と知って観に行った。松本竣介も初めて現物を見たのではないか。そのとき泊まった宿の名を友人の助けで思い出した。ちょっと良いまとまりの思い出だったので嬉しい。思い出は気まぐれな人生美術館の図録である。

洲之内徹を未明の枕元で読めないかと探してみたけれど、電子書籍化されたものは見つからなかった。もったいない。関川夏央が洲之内徹について書いていた気がしたけれど単著ではないので違うらしい。新潮社とんぼの本にアンソロジー形式で関川さんの文章があったけれどそれとは違うのではないか。

とんぼの本といえば読書会に来たライターの H さんが、元遊郭に泊まろうという内容で編まれた本を持ってきていた。とんぼの本にはいろいろある。出版社社長の M さんと地方公演旅行で元遊郭に泊まりたいのだという。人の好みは十人十色…で大瀧詠一風。

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◉意欲

2019年8月20日
◉意欲

 

 

色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(そく)の五境に対して起こす欲望をそれぞれ、色欲(しきよく)、声欲(しょうよく)・香欲(こうよく)・触欲(そくよく)という。六境になると法(ほう)が加わり、六根の「法」は「意」なので欲は意欲(いよく)だろうか。それでいいのだ、…であるかどうかは知らない。

考えてみると意欲というのは不思議な欲だ。「どうしても意欲が湧かない」とか「その意欲だけは買おう」などという。 法欲というのはあるのだろうかと検索すると善法欲というのがあり、人には究極の善に対する希求がある、というのだとしたら麗しい気がするけれど残念ながら中国語のページなので何を言っているかわからない。

知求心(ちきゅうしん)平たく言えば知識欲だろうか。従うべき法を持ちたいという信仰への欲!。そう考えると意欲というのはたしかに信仰くさい気もする。よくわかりません。

よくわかりませんで思い出した。ソクラテスは自分が「知らないということを知っている」ことは大切でそれを「無知の知」であると言ったらしい。知らないことを知って、それを知ろうと努力することをフィロソフィアという。ソフィアは知ることでフィロは愛し求めること。そうか意欲はフィロソフィアなのかもしれない。1日ひとつ『知らない』を探してしつこく考えるルールづくり、それが意欲なのだ。そう思うことにした。ルールールルルー、夜明けの意欲、由紀さおり風。(3:44)

   ***

本駒込 2019

一日ひとつ名言を表示するアプリを入れている。

夜明けに立ち上げたらにやけたおっさんの写真があり、「何だまだ昨日とおんなじの画面のままだ」と思い、「このウォーレン・パフェットというおっさんは何者だろう」と検索したらアメリカ合衆国の投資家、経営者、資産家で大金持ちらしい。わが親たちと同世代で、そう思って読んだらある意味では面白い。

「あなたは株式市場というカジノでたくさんの愚かな人達を相手にしているようなものです。カジノにいる人達はみんな酔っ払っていますよね。でもその場の雰囲気に流されることなく、ペプシを飲むんですよ。そうすれば万事オーケーですよ。」ウォーレン・パフェット(4:43)

   ***

別の名言アプリより

“Hate the sin and love the sinner.”     Mahatma Gandhi

というガンジーの言葉を改ざんして

“Hate the politics and love the politician.”

後者が無理であることを先に考えると前者も実践が難しい。

   ***

 赤坂 2019

いつ雨が降り出しても良さそうな空模様なので、午前中早めに赤坂まで新刊本のプレゼンテーションに行ってきた。むんむんと熱気のこもった高橋是清翁記念公園で蝉が鳴いていた。是清像のある築山は樹木の根の張り方が荒々しい。

 

永田町 2019

結局雨に降られずに帰ってきた。

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◉ONE DAY

2019年8月18日
◉ONE DAY

 
 

今年になっていろいろと生活に変化があった。いちばん大きな変化のきっかけは昨年末に義母が他界したことで、2002 年から続いていた親たちの介護が終わって新しい年を迎えた。それに連動してドミノ倒し的にいくつもの変化が起きた。

毎日老人ホーム面会に通っていた妻がどこにも出かけなくなってずっと家にいる。それによって生まれた自分たちの時間を利用し、ふたりで協力して親たちの住まい、自分たちの住まい、職住接近で用意した仕事場、それらをこつこつ片付けた。他人の手伝いが必要な部分が明らかになったところで業者を手配し、必要最低限のコンパクトな暮らしのかたちを整え終えた。半年かけてよくやった、今の気力・体力があるうちにやらなければできなかったかもしれない、お疲れ様でしたと話し合っている。2002 年から 2018 年までの人生がひとつのパッケージになって片付いた。

本駒込 2019

最近はなぜか見る夢が変化してきて、ひどく現実的でとても長い。感情的でなく淡々と撮影された記録映画のようで、それも家事や仕事のありふれた作業に黙々と取り組んでいる夢ばかりだ。作業を終えて「ああ疲れた」と思いながら目がさめる。今朝も昔ながらのやり方で本づくりの版下作業を終えたところで目が覚めた。夢の中で仕事をしていたので爆睡したのに寝ていた気がしない。人生とはそもそもそういうものなのかもしれない。(6:16)


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◉図書館の猫

2019年8月17日
◉図書館の猫

 
 

妻がバロック音楽の作曲家ジャン=マリー・ルクレール(Jean-Marie Leclair 1697 - 1764 )を聴きたいというので図書館に予約して Fabio Biondi: Europa Galante『Leclair: Violin Concertos, Op. 7』という CD を借り出して聴いてみた。目当ての曲がないというので詳しく聞いたら「私が聴きたいのは、あなたが昔、NHK のラジオ番組『古楽の楽しみ』で録音して聴かせてくれたあの曲」だという。なんだ、それを先に言えばいいのにと思う。

そういうことについて自分はひどくマメである。早朝のラジオ番組を朝寝坊の妻に聴かせたということは録音して聴かせるしか手段はないわけで、ということはルクレールが録音データになっているということだ。持つべきものはマメな亭主、パソコン内を探したら 2014 年に録音したラジオ番組から切り出して保存してあった。ちゃんと「ルクレール_バイオリン・ソナタ 変ロ長調 作品1 第11」とタイトルをつけコメント欄に演奏者の情報まで入れてある。

マメな自分に感心するけれどまったく記憶がない。5年も前に「『古楽の楽しみ』を録音して聴かせてくれた」ということを覚えている妻とひと組でないと役に立たない長所である。長所とはそういうものだ。

   ***

図書館に借りた CD を返しに行ったら、クーラーの効いた自動ドアの内側で猫が涼んでいる。子どもづれでやってくる若いお母さんたちが
「図書館の猫かしら?」
と笑っているので見慣れない猫なのだろう。近所の飼い猫ではあるらしく首輪をつけている。公共の施設なのだから地域の猫が涼んでいてもノープロブレムで、幼児たちが屈みこんで嬉しそうに撫でていた。夏の図書館はいいなあと思う。(17:28)

千石 2019

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◉酸辣湯麺

2019年8月16日
◉酸辣湯麺

 
 

午前 4 時に目が覚めたので起きて読書会の下準備。『ショーペンハウアー 意思と表象としての世界Ⅱ』担当の第 51 節を 7 割ほど読み終えた。面白かったけれど眠気が優ってきたのでひとまず終了。(5:44)

昨晩観た二・二六事件のドキュメンタリーで海軍がつけていた記録のタイムライン表記は
0544|16
横組なので時刻の下にアンダーラインを引いて日付。決められた書式なのだろうか。(5:49)

千石 2019

中村屋の『本格麻辣 花椒カリー』というのを買ってみたら、溶き卵と酢を加えて酸辣湯麺をつくれと箱裏メニューにあったので、今朝の朝食でやってみた。一人前の醤油ラーメンスープに一パックの『本格麻辣 花椒カリー』をのばして二人前のスープをつくり、酢と溶き卵をくわえて二人前の酸辣湯麺のできあがり。おいしい。ご飯でそのまま食べるよりこちらの方がおいしい。(8:47)

   ***

茅ヶ崎駅発車メロディの原曲をエンドレスで聴きながら一時間ほど朝のテーブルテニス。清水帰省に東海道本線を使うようになったせいか、朝のホームに立ったような旅愁がある。(11:16)

   ***

千石 2019

妻のリクエストで予約した Fabio Biondi: Europa Galante『Leclair: Violin Concertos, Op. 7』という CD が千石図書館に届いたので受け取りに行ってきた。(16:28)

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