【長谷川】

【長谷川】

 
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2002 年 9 月 28 日の日記再掲)
 
JR 両国駅改札口には、大相撲力士優勝額が展示されている。
定期的に掛け替えられるらしく、なんと懐かしの関脇長谷川に再会した。
本名長谷川勝敏、史上初めて本名で幕内優勝を飾った力士である。
昭和 19 年 7 月 20 日、北海道空知郡(出生地はロシア連邦サハリン州)出身。
炭坑夫であった父に相撲の指導を受け、幼い頃から頭角を現し、半ば騙されるようにして佐渡ヶ嶽部屋入門させられたが、昭和 35 年  3 月初土俵、昭和 40 年 1 月新入幕、昭和 44 年 1 月関脇に昇進している。
 
正攻法の四つ相撲で、相手に胸を出してしまうことが多く、20 場所以上関脇をつとめたけれど大関に昇進することはなかった。特に昭和 47 年 3 月東関脇で優勝した時は 8 勝、10 勝、12 勝と大関に推挙されても良い成績だったが、上位に 4 大関がいたため見送られている。
 
僕はこの渋い関脇が大好きで、桟敷から
「長谷川っ! 実力大関っ!」
の掛け声がかかるたびに、
「がんばれ、実力大関!」
とテレビの前から声援を送ったものだった。下位に取りこぼすくせに、上位力士に強いのも、僕の好みだった。
 
 
長谷川が金星を獲得した、対戦横綱は以下の通り。
栃ノ海 2、佐田の山 2、柏戸 2、北の富士 2、輪島。
昭和 51 年 1 月、場所 10 日目に史上初の幕内連続出場 1000 回を達成。
昭和 51 年 5 月に引退し、年寄秀ノ山を襲名。
 
横綱大関まで上り詰めた力士より、どこが頂点だったか定かでない力士の方が思い出深いのは何故だろう。
引退時の長谷川の言葉。
 
「自分では大関に成ったつもりでいる」
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )