【「まんがいちのとき」の不思議】

【「まんがいちのとき」の不思議】

静岡出張で大事な写真を撮る用事があるのでミラーレスの一眼レフに 50 ミリ標準レンズをつけたのを持ち、まんがいち故障でもしたらたいへんなので、ふだん散歩に持ち歩いているちいさな SONY のデジタルカメラをポケットに入れてでかけた。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-TX7

途中でのスナップショットにその小さなデジタルカメラを使っていたら突然こわれた。カメラ内部にあるレンズの一部を動かして焦点距離を変え、ピントを合わせ、撮影時の手ブレを打ち消す働きをするマイクロモーターが、カメラの電源をオンにするとブーーーーンという音を立てて暴走して止まらない。したがって液晶モニタに映る映像も激しく振動したままで、バッテリーはあっという間に消耗する。面白い故障だ。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-TX7

ありがたいことにミラーレスのほうは無事に働いてくれたので用は足りた。まんがいちに備えたときにかぎってまんがいちの事態ががおこるのは、まんがいちのことがそろそろおこりそうだという予期が人間に働いているのかもしれない。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-TX7

写真は島田行き到着を待つ沼津駅ホームにて。この駅には昭和の面影がまだ残っている。これらの写真を撮っていたときカメラはまだ壊れていなかったわけだ。

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カレー南蛮百連発:番外編 興津駅前のかつ平

カレー南蛮百連発:番外編 興津駅前のかつ平
 

カレーに蕎麦やうどんを合わせたカレー南蛮と、とんかつライスにカレーを合わせたカツカレーライスは、その変則さが似通っている。そんなわけでカレー南蛮も好きだけれどカツカレーライスも好きだ。

興津駅前の旧東海道沿いに『かつ平』というとんかつ店があって、そこの「カツカレーライス」が好きだ。JR 興津駅を通過するたびに「ああ、かつ平のカツカレーライスが食べたい」と思うのだけれど、時間的にタイミングが合わなくて、前回食べたのはもう十年近く前になる。

興津駅通過時刻が昼食どきになり、コロナ禍に負けず元気に商売されているだろうかと気になるので、途中下車して寄ってみた。常連さんらしき人々が食事中で、テレビの自民党総裁選投票中継を観ていた。

カツカレーライスを頼んだら相変わらず自分好みの味で安心した。みな黙食を守っているので、心の中で「ああうまーい!」と宮川大輔風に言ってみた。

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【根府川にて】

【根府川にて】

9 月 29 日午前 11 時 23 分、東海道本線熱海行きが根府川(ねぶかわ)を通過中。

見事に青かったのでスマートフォンで撮影し、「海がきれい」とひとこと添え、妻あてにメールした。

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【痩蛙】

【痩蛙】

朝から小雨が降っており終日そんな調子の一日だった。午後から赤坂の出版社で打ち合わせがあるので外出した。
 
母の看病中だったので 2004 年のことだったと思うのだけれど、同じように赤坂の出版社に向かう途中、この道を歩いていたら道ばたに車が止まり、車を待たせたままダークスーツの男性がこちらに向かって歩道を走ってきて郵便局に飛び込んでいった。はて、最近良く見かける顔だけど誰だったかなと記憶を検索してみたら内閣官房長官の細田氏だった。当時、官房長官で後に総理大臣になった福田氏が自らの年金未払い問題で辞任した後を引き継いで副長官から昇格したのだった。

その後、母に付き添った病院待合室のテレビで良く顔を見かけたので、最近またテレビで顔を見かけるたびに当時のことを思い出して懐かしい。
 
人は誰もが他人を容姿の好悪で判断してはいけないと言われて育ち、中でも政治家は情緒的に選んではいけないのだろうが、会って話す機会でもなければ容姿の好悪などに寄りかかった判断がどうしても生じてしまう。
 
痩せぎすでちょっと頼りない感じのする細田氏は意外と容姿の好悪で得をするタイプかもしれなくて、母に付き添った静岡の市立病院でも検査待ちの待合室でテレビを見ていると、何かの委員会で野党に応戦している細田氏に
「おっ、痩せてるのに意外にやるじゃん。いいぞいいぞ、もっと言ってやれ!」
などとお年寄りたちが、痩蛙(やせがえる)に「負けるな」と声援を送る一茶になっていて微笑ましくも興味深かった。
 
今日もまた同じ道で、ちょっとはにかみ笑いを浮かべた顔でこちらに向かって走ってくる細田氏を思い出したので帰宅後調べてみたら 1944 年生まれだった。その年頃の友人はみな定年を迎え第一線を退いて仕事で会う機会もなくなったけれど、政治家というのはまだこれからなので元気なものだと改めて思う。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 9 月 30 日、13 年前の今日の日記より。)

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【夜明けの読書メモ─「ことばの抗口」】

【夜明けの読書メモ─「ことばの抗口」】

山鳥重(やまどりあつし)は高次脳機能障がい者となった人の本を何冊か読んだ中で、書き手が「この先生なら」と相談相手に選んでいることに惹かれて新書の著作を二冊買ってある。新たな興味であらためて読み返し始めた。

外部は内部を永久に見ることができない。切り開いて光をあてれば、そこはすでに外部であり、内部ではない。(山鳥重『ヒトはなぜことばを使えるか』講談社現代新書より)


DATA : SONY Cyber-shot DSC-TX7

ことばというものを掘り下げて考えるとき、人の数だけ抗口があるのがおもしろい。ことばという工具を使って掘るのだから、同じ説明でも人それぞれ掘り方が違い、同じようで同じ穴にならない。同じことを違う人の掘り方で読むと「わかった!」に達する坑道が見つかることがある。

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【自然教育園の虫たち】

【自然教育園の虫たち】

9 月 28 日日曜日は国立科学博物館附属自然教育園内を散策した。
 
室町時代の豪族館跡が、江戸時代になると松平讃岐守下屋敷となり、その後陸海軍火薬庫、そして白金御料地を経て、天然記念物及び史跡に指定され、山手線内に武蔵野の原風景を奇跡的にとどめて現在に至っている。
 
午後 1 時、入り口近くを歩いていたら、道端の草むらで跳ねるものがあり、かがんでみたら懐かしいオンブバッタが何組もいた。

子どものころは親が子をおぶった子育て中のバッタだと思っていたのだけれど、やがて生きものには子孫を残すための奇っ怪な儀式があることを知り、その後はちょっとエッチな交尾中のバッタだと思い込んでいたのだけれど、厳密に言えば交尾中ではなくてオスがメスの背中にしがみついて交尾の日がくるまで独占しようとしている姿なのだという。そう言われてみれは交尾状態のバッタが何組も同時に跳ねているとしたら異様だ。

自然教育園内では食の安全が守られているせいか道端で盛大に葉を食べられている草花が多く、この植物はさぞや美味しいのだろうと呆れるほど穴だらけの葉っぱがある。子どもの頃はこういう虫をブンブンと呼び、こういう綺麗なやつをカナブンやクソブン、地味で茶色いやつをカシブンと呼んでいた。祖父に連れられて野菜についているクソブン退治を手伝わされたものだった。虫を叩き落とすだけではダメで「ちゃんと踏み潰せ」と言われ、あの靴底の嫌な感覚は忘れられない。

まちなかでも時折道路際でアザミが自生しているのを見つけ、写真を撮って拡大してみるとびっしりアブラムシがついているのにびっくりすることがある。自然教育園内にもたくさんアザミが咲いていたけれど、都市の道路端のようなアブラムシのたかり方はしておらず、生物のバランスがとれているのでああいう異様な繁殖や寄生が起こらないのではないかと思う。アザミの茎に不思議な虫がついているが何だかわからない。

水飲み場に面白いクモがいたので写真を撮っていたら、ご一緒した動物学者の今泉忠明先生がザトウムシだと教えてくださった。理科系の先生たちに混じっての散策のありがたいところだ。8 本の足のうちの 2 本が長くて前方を杖で探るようにして歩くので「ザトウグモ」や「メクラグモ」などの俗称で呼ばれるらしいが視力のある一対の目があるので俗称は正しくないらしい。

木々が密集した場所では虫の気配が濃くてこの公園内のクモはきっと食に恵まれてる。側面からみると巣と垂直方向にかかる力にも備えて糸を張りめぐらせているのがわかる。園内にスズメバチがやってきているので注意するようにとの貼り紙があったけれど、妻はスズメバチがクモの巣に引っかからず突き破って突き抜けるチカラとチカラの戦いを見たという。

秋なので羽根を擦りあわせて鳴く虫たちも多い。お腹の後ろがよく見える場所にとまっていたので観察することができたのだけれど一対の尖ったものは武器だろうか。腹部がこんな構造になっているとわかったらちょっと戦闘的で勇ましく見える。

こちらはとても小さい。実際にはこの画像の半分くらいしかない秋の虫。

園内には膨大なドングリが間断なくバラバラ音を立てて枝から落ちてきており、鳥たちの大切なエサになるから持ち帰らないようにと貼り紙があった。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 9 月 29 日、13 年前の今日の日記より。)

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【背のばしベンチと月】

【背のばしベンチと月】

早朝のゴミ出しをしたついでに近所の公園まで散歩し、ひと気のない公園で背のばしベンチに腰掛ける。


DATA : LUMIX GX7 G 25mm F1.7

アーチ状にそりかえった背もたれにあてがった背中をうーーんと伸ばしたら、涼しい朝の空に白い月があった。


DATA : LUMIX GX7 G 25mm F1.7

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【二葉亭までの散歩】

【二葉亭までの散歩】

1908(明治41)年、朝日新聞特派員としてロシア赴任する二葉亭四迷の送別会が上野精養軒で開かれたことをふと思い出し、それは関川夏央さんの『二葉亭四迷の明治四十一年』を読んで知ったことなのだけれど、それ以外のことに全く記憶がなく、ということは本を読みながら別の考え事をしてしまう悪い癖が出て上の空で読んだのかもしれない。発売されてすぐ上製本で買った記憶があるので探して再読してみようと思う。
 
土曜日なので仕事の電話もなく、家人は大学病院に父親の精密検査結果を聞きに出掛けてしまい、一日パソコンの前に座っているのも健康のためにならないので午後から散歩に出た。
 
かつて文京区千駄木に十年以上暮らしたことがある。
団子坂を登り、藪下通りとの交差点、森鴎外旧居観潮楼の所を右折して本郷保健所の方に向かうと左手に千駄木小学校がある。水泳金メダリストの北島康介は千駄木小学校に通い、千駄木小学校卒業後は隣接した文林中学に通った。

 
▲染井通りのイタリア料理店。ワインボトルの底を切り取って電球を入れている。

千駄木小学校と文林中学前の細い道をまっすぐ行くと動坂上にぶつかり、さらにまっすぐ行くと右手に富士神社を見て日光御成道にぶつかる。日光御成道に右折すると左に六義園があり、日光御成道を進んで六義園染井門角から斜め左にそれていく道があり、通りの名を染井通りという。その道は江戸時代この地にあった藤堂家下屋敷脇を通る古道であり、藤堂家の広大な屋敷跡の一部は本郷高校になっていて、文林中学卒業後の北島康介はここに通った。

本郷高校の先の左手に巨大な屋内プールがあってそこが北島康介が所属する東京スイミングセンターになっており、その奥が染井霊園になっていて二葉亭四迷の墓がある。

 
▲本郷高校前

面白いことに北島選手の人生の軌跡はこの本郷台地の縁を通る道沿いにあり、これらの道をひっくるめて「北島通り」とでも名付けたら面白そうな気がするけれど、突き当たりが霊園なので本人に嫌がられるかもしれない。
 
たしか染井通りから霊園内に入って二本目の交叉する細道を左に向かうと右手に二葉亭の墓があった気がするので案内板を見たら、案内板の前に標柱が立てられて「南そめいよしの通り」と書かれており、その細道にも通りの名があることに初めて気づいた。

▲染井霊園の案内板

友人がブログに「日本の住居表示制度の最大の欠点は、住民を管理するという観点からしか制度が考えられていない」ことだと書かれていたが、霊園の区画表示も全く同じで、染井霊園内も「一種」「二種」「イ」「ロ」「ハ」「○号」「側」という難解な組み合わせで番地が決められており、しかも並び方の法則性が見えないので所番地を便りに目的地を探す不毛な街歩きと同じことになってしまう。

▲霊園内の区画表示

園内にはさまざまな木も生えているので「菩提樹通り」とか「白皮松通り」とかの名前をつけたらどんなに墓参りが楽になるかと思うけれど、そこまでは徹底されていなくて「南そめいよしの通り」と「西そめいよしの通り」しか案内板にはない。
 
「南そめいよしの通り」をちょっと行くと二葉亭四迷の墓を示す標柱があるけれど、これがなかったら探すのは大変だったかもしれない。

ずいぶん大きくて立派な墓石なのだけれど土台や手前の献花台の素朴な石材と妙に不釣り合いなので、裏面を見たら立てられた年は大正十一年になっていた。

1908(明治 41 )年にロシアへ渡った二葉亭は翌 1909(明治 42 )年に帰国途中の船内で亡くなって無言の帰国をしている。1922(大正 11 )年ということは 13 年後なので、十三回忌法要ののちに立派なものに立て替えられ、土台と献花台は最初のものを残したのではないかと想像したりする。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2007 年 9 月 28 日、14 年前の今日の日記より。)

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【この素晴らしき〈世界〉】

【この素晴らしき 〈世界〉 】

歩いていると、ときどきルイ・アームストロングが 1967 年に歌った『この素晴らしき世界』(What a Wonderful World)が鼻歌で出て、それはひどくのんびり歩く歩調に合ったときなのだろう。

人類など影もかたちもなかった頃から 〈世界〉 はあり、人類が滅びてしまっても 〈世界〉 はなくならない。端的に 〈ある〉 この 〈世界〉 はなくなることができない。

〈ない〉 も端的にないのであって 〈ある〉 の反対ではない。端的に 〈ない〉 は、ここにこうしてある 〈世界〉 とは関係がない。この素晴らしき 〈世界〉 に含まれる人間は死んでも 〈ある〉 から 〈ない〉 になることができない。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-TX7

〈世界〉 というのは素晴らしい発明だ。神様にノーベル賞を。午後になって坂下まで買い物に出かける道すがら、ちょっと鼻歌で考えた。

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【百人町の祭り囃子】

【百人町の祭り囃子】

新宿区百人町。日本語より外国語の方が多く耳に飛び込んでくる商店街に、秋の祭り囃子が響く。

百人町 1 丁目、JR 新大久保駅から総武線大久保駅に通じる商店街左手に皆中(かいちゅう)稲荷神社がある。
 
大久保は幼い日々を過ごした町なので、両親に手を引かれてこの神社に参った記憶があるのだけれど、保育園に通う前のことなので、想い出はムービーフィルムよりスチールフォトに近く、それも今ではかなりぼやけている。カーバイドのランプをともした夜店が立ち並ぶ、縁日の夜だったと思う。

貧しい暮らしの中で、まだ 20 代の若さだった両親は、どんな気持ちでこの参道を歩き、何をお祈りしたのか知りたい気もする。
 
境内でこの神社の解説板を読むと、江戸時代に鉄砲百人組が置かれた百人町という地名の由来もわかり、「皆中」が「みなあたる」という意味だとわかって笑ってしまった。
 
境内には奉納された美しい千羽鶴とともにたくさんの絵馬があり、試験合格を祈願したものもあって微笑ましい。試験といえば学力増進に霊験があらたかだという湯島や亀戸の天神さまを思い出すけれど、試験を目前にして学力もないことに気付いたら、破れかぶれの回答が的中するよう、「みなあたる」と評判の神社に神頼みする方が賢明かもしれない。

「宝くじ、けんしょうがあたりますように。信ちゃんが買う馬券があたりますように」
 
一番手前にあった絵馬にはそう書かれていた。若い頃から母は宝くじが大好きであり、父はスポーツやギャンブルが好きで名前は信(まこと)だった。
 
そうか、若い日の両親の願い事はこんな他愛のない夢だったのかもしれないな、と思うと妙に晴れ晴れとした気分になった。せっかく「みなあたる」神社に詣でたのだから僕も何かお願いを、と考えたけれど、母が投薬を受けている抗がん剤が見事にあたりますように、などと祈るのも変なので、一生に一度ぐらい高額な当選金に母の買う宝くじが当たりますように、と祈っておいた。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 9 月 27 日、18 年前の今日の日記より。)

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【オラでオレ】

【オラでオレ】

幼い子どもたちが「オ」にアクセントを置いてオ↑レと言うのが気になると郷里の友人に話したら、
「たしかにうちの子も『オ↑ラ』のように『オ↑レ』って言います。テレビアニメの影響じゃないですかね」
と言う。あれから二十年以上の歳月が経って友人の息子たちも成人した。彼らが今でも自分のことを「オ↑レ」と言うかどうかは知らない。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-TX7

日曜日の六義園正門前を幼い男の子たちが「オ↑レ」と言いながら駆け抜けていく声が聞こえる。少なくとも幼児のあいだに「オ↑ラ」と言うように「オ↑レ」と言う現象は定着したのだろう。

若いお母さんたちがネットの掲示板でそれを話題にしており
「昔っからいました。30 代半ばですが、私が子供のころもいましたよ」
と言っている。そう、ちょうどそのころ、ぼくたちはそのことが気になり始めたのです。

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【本郷通りの東京力車】

【本郷通りの東京力車】

浅草で見かける「東京力車」が本郷通り上富士交差点で信号待ちしているので、こんなところも走るのかとおどろいた。

DATA : SONY Cyber-shot DSC-TX7

本郷通りを人力車で行くのは、乗ってる方は気持ちいいと思うけれど、左右に折れると坂だらけなので心配になる。その先が急坂でも車屋は「行け」と言われたら行くのだろうか。

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【駅前は黄昏の国】

【駅前は黄昏の国】

九月に入るとぐんぐん昼間の時間が短くなり、残暑がきびしいので夏のつもりで待ち合わせすると、午後 5 時頃にはあっという間に暗くなって心細い。

JR 清水駅前にて。
DATA : NIKON COOLPIX S10

異常な残暑です!などと騒いでも真夏の暑さにはもうほど遠く、朝夕はひんやりとした風が吹いて肌寒さを感じ、ふっとかき消すように蝉の声が聞こえなくなる。そういう九月が一年でいちばんさみしい。

清水駅前の街灯にあかりが灯った。
DATA : NIKON COOLPIX S10

去年の九月、一昨年の九月、三年前、四年前の九月…と遡って振り返っても、ここ数年九月にはくっきりとした印影をともなった思い出があり、思い出の中の人々は皆それぞれ立ち止まったままこちらを見送っている。

あと 2 分で駅前は午後 5 時。
DATA : NIKON COOLPIX S10

そういう見送る人の視線を背中に感じながら未来に向かって歩くとき、九月の駅前はなぜか黄昏の国の入り口にいるような気がする。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 9 月 26 日、13 年前の今日の日記より。)

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【遠くから覗く運動会】

【遠くから覗く運動会】

一家揃ってミャンマーで暮らしていた友人一家がクーデターの中から命からがら一時帰国し、コロナ禍の追い討ちもあって戻れなくなり、現地の小学校に入学予定だった息子さんは日本で保育園に通い、この春近所の区立小学校に入学した。

そして今日が運動会になる。けれどコロナ感染を防ぐため家族の参観は許されず、がっかりしているので、わが家のベランダからかろうじて校庭が見えると言ったらちょっとだけでも覗きたいという。

9 時 50 分から短距離走があるというのでベランダに出て、望遠鏡を用意し、カメラを構えて待ち構えていたらゴールに駆け込んでくる少年をとらえることができた。

メールに添付してムービーを送ったら、福島のおじいちゃんおばあちゃんも喜んでおられたという。

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【マグロが出てきた日】

【マグロが出てきた日】

港区赤坂。一ツ木通りを渡り赤坂見附方向に歩いていたら、道端に人だかりができ若い女性の嬌声が響き、
「わ~っ、おおきぃ~っ、お魚じゃないみたい~」
などと言うのが聞こえるので行ってみたら、明らかに「お魚」だけれど確かに「お魚じゃない」と言いたくなるほどの巨大マグロが唐突に置かれていた。

マグロの水揚げ量日本一の港町に生まれ育ったけれど、こんなに大きなマグロは初めて見た。「太っ腹祭り」と称して大間(おおま)マグロを目玉にした集客イベントをするらしいのだけれど、こと食べ物に関してどうにも信用ならない世の中になってきたせいか、本物の大間マグロであることを誇示するように正午から店頭で解体ショーをするらしい。そしてたった今、大間マグロが赤坂見附の裏通りに到着したのだった。

この大間マグロは一本いくらして、25・26・27日の三日間行われる「太っ腹祭り」でどう採算をとるんだろう、そうか、飲み屋をやっている友人はつまみじゃなく酒で儲かると言っていたから、大間マグロはトータルな採算の中で人寄せ効果を発揮すればいいのかな、「太っ腹祭り」期間中はキリン一番搾り生ビールが一杯無料と書いてあるのも商売上手で、飲み始めてしまえばこちらのもの「ウヒヒ……」などと考えてしまう。

想像力に拍車がかかり、青森県のはずれにある大間沖で捕獲されたこのマグロが競り落とされてここ赤坂見附に到着するまで何日かかったのだろうかと考える。たとえば冷蔵輸送車を使って 3 日後に到着したとして 72 時間前まではこのマグロは元気に海中を泳いでいたことになる。
 
「本日、港区赤坂の寿司店店頭に置かれた大間マグロが 72 時間タイムスリップして、切り落とされた尻尾が再び生え、黒いドングリまなこに生気がよみがえり、跳ねて暴れて一帯は一時大騒ぎとなりました。大間マグロは駐車中の車や店舗を次々に破壊して暴れ回りましたが幸いけが人はなく、駆けつけた警察官や通りすがりの人々の協力によって取り押さえられ、無事に板前たちによって解体されました……」などという他愛ないドタバタ劇を想像をしてみた。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 9 月 25 日、13 年前の今日の日記より。)

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