【広い場所へ】

【広い場所へ】

ある種の気づきによって人は自由で広い場所に出られるものです、と読んでいる本にあって「いいな」と思う。「広い場所に出られる」という表現が望んでいるものに合致し、こころがちょっと広い場所に出たのである。

自分の最大の弱点は閉所恐怖である。閉所が怖いと言っても狭い空間が怖いのではなく、「狭い場所から出られないかもしれない」と思ってしまう自分の心の働きが、子どもの頃から怖かったのだ。

「怖い物が怖いんじゃなくて、自分に怖いと思わせようとしている他人の顔が怖い」
と言う妻の恐怖論に似ている。僕のがちょっと違うのは、自分に怖いと思わせようとしているその人が、他人ではなく実は自分自身であることが怖いのである。閉所は外ではなくこころの中にある。

今年もとうとう大晦日になった。日が暮れて、ふたたび夜の底が明るくなれば、また新しい年のはじめという、いちばん広い場所に出る。

2023 年 12 月 30 日 本駒込


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『もろびと こぞりて Joy to the World! the Lord is come』
作曲/L.メーソン(ヘンデル『メサイア』に基づく)

20 音オルガニートで『エサイの根より Es ist ein Ros'entsprungen』
ドイツ・ライン地方に伝わるクリスマスキャロル

20 音オルガニートで『三隻の船 I Saw Three Ships』
イングランドに伝わるクリスマスキャロル

を公開。

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2023年11月号(通巻13号)まで公開中

 

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【鳥と実】

【鳥と実】

冬空を高速で横切っていく小鳥たちがいて、緑がかった色をしているけれどメジロとは違う。かならずケヤキの枝にとまるので双眼鏡で覗いていたら、わずかに残った葉っぱについた実を食べている。

スズメくらいの大きさで、緑がかって見えた体は黄褐色、くちばしが大きく、風切りに黄色い羽が見える。

特徴はわかったのでパソコンで画像検索したらカワラヒワ(河原鶸 Chloris sinica)でスズメ目アトリ科に分類される留鳥だった。英名は Oriental Greenfinch で「東洋の緑色したアトリ」である。

ケヤキの枝から枝へ高速で移動するので写真を撮るのは容易でない。ケヤキの実が好物らしい。

2023 年 12 月 30 日 本駒込

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実といえばこのところ気に入って読んでいる佐左木俊郎に『秋の顆』という作品があり、彼は植物の実を顆と書いて「み」「つぶら」と異なったルビをふって読ませている。

貞子の靴先は、夜露のためしっとりと濡れていた。そしてその上に、細かな褐色の秋草の顆(み)がいっぱいについていた。初秋の高原地帯の草原の中を歩くと、屹度くっついて来る顆(つぶら)である。(佐左木俊郎『秋の顆』)

東京にある「私(佐左木)」の家に居候している十代の男女、「私」の従弟と「妻」の姪(貞子)のふたりについての話である。ふたりは咄嗟に言葉が出ない「沈黙家」とおしゃべりな「能弁家」、「消極派」と「積極派」といった具合に対照的な男女である。そのふたりがしばしば夜遅くになって帰宅するようになる。ある晩、間をおいて別々に帰ってきた二人の靴に同じ草の実がついている。だが「沈黙家」という一族の性格を持つ「私」もまた言葉が出ない。

私は、一緒に歩いていたのなら、一緒に帰って来ればいいのにというようなことを身体の中のどこかで呟き、この二人の上に何かしら微笑を感じながら書斎に戻ったのだった。(佐左木俊郎『秋の顆』)

作者の佐左木は宮城県出身である。わが父もまた同じ宮城県出身者だった。

父を頼って仙台から上京してきた姪(従姉)とアパートの部屋でふたりきり留守番をしたことがある。まだ保育園にあがる前の新宿区大久保である。仕事を終えて帰ってきた母に抱きついた僕は、
「あのおねえさん何も話さないから怖い」
と言って泣いたらしい。満州から引き上げる際に父親を失い、内地で再婚した母親(伯母)の連れ子となった従姉もまた、ひとりさびしい「沈黙家」だったのである。


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作曲/L.メーソン(ヘンデル『メサイア』に基づく)

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【絶縁不良】

【絶縁不良】

「遍(あまね)く〜である」という表現は「広く」とか「隅々まで」とかではなく「漏れなく」のように世界の果ての限界を曖昧にして使うと、とても便利な言葉だと思う。

わが家では、夢中で家庭内ピンポンをしているときは世界が遍(あまね)くピンポンだし、音楽を聞いているときは世界が遍(あまね)く音楽に満たされているし、映画を観ているときは世界が遍(あまね)く映画の世界そのものになっている。たいがいの人はみんなそうで、「遍(あまね)く〜である」という世界には「私が・している」「私が・聴いている」「私が・見ている」などという余分な「私が」が存在する余地がない。

2023 年 12 月 28 日 千駄木

人が本当に何かに集中して夢中になっている体験には「私の『私』」という自己言及がない。ただ遍(あまね)く「ピンポン」「音楽」「映画」なのである。「私」とは遍(あまね)く万物が溶け合った世界で自意識と自意識がショートして散らす火花のようなものかもしれない。

2023 年 12 月 28 日 千駄木


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20 音オルガニートで『もろびと こぞりて Joy to the World! the Lord is come』
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【夜の底にて】

【夜の底にて】

「夜の底には安らぎがあると思った。」(岩田慶治『カミの人類学』)

調査に入った少数民族の村で、あてがわれた寝場所で死の不安におびえながら、「夜」について考えたこの学者は詩人のようでもあった。詩人のようである自分の分身に救われていたのだと思う。よい詩人は死人のようであり、人は死人のような分身とつねに一体となって生きるべきなのだ。そういうことを「メメントモリ」という。

岩田慶治を読みながら考え事をし、青空文庫への道草で、早逝した農民作家佐左木俊郎(1900 - 1933)の『再度生老人』(にとせろうじん)を読んだ。

「私達は五六人で、本の頁にはさむ公孫樹の葉を拾っていたのだが、みんな不思議そうな、訝(いぶ)かる眼で、どこからか風に吹きとばされて来たように、突然私達の側(そば)へ寄って来たこの上品な容貌の老人を見た。」(佐佐木俊郎『再度生老人』)

岩田慶治を読みながら「喜捨(きしゃ)」という行為について考えていたので、ちょうど寄り道した『再度生老人』はとてもおもしろかった。

主人公「私」と両親は、近所の寺に転がり込んだ自称「画家」の乞食老人、雅号「再度生老人(にとせろうじん)」に着物や食べ物を施して手厚く遇する。老人は「私」がねだった天神様の絵を描き残して立ち去る。ある日ふと戻ってきた老人は「私」が大切にして毎朝拝んでいた天神様の絵を手に取り、髭の部分をちょっと手直しし、これでいい、もういつ死んでもいいと言う。「私」はそんな老人に心の底から感心する。

 その後、父は、その天神様の絵を表具屋にやって、表装してくれた。そして、その絵は今でも私の郷里の家に残っている。私は、帰郷のたびごとに、再度生老人を懐しく思い出すのであるが、その菅公の像というのは、今になって見ると、中学生の図画と選ぶところがないほど、ひどく下手なものである。私は、いつもこの絵を見るたびにあの哀れな老人の上に微笑を洩らさずにはいられない。(佐左木俊郎『再度生老人』)

喜捨とは本当に食べられるものを相手に施し、その見返りに画餅をいただくことにより、自分が救われることなのである。

この世の食物をもらうためではなくて、あの世の食物を与えるために、その手段、方便としてこの世の食物を受けるべきだ。実際の食物をもらって、 虚空の食物をお返しせよ。余りものをいただくかわりに画餅、つまり、画にかいた餅を食べていただけ。そう維摩はいっているのではなかろうか。(岩田慶治『カミの人類学』より維摩経にある托鉢の教えについて)

2023 年 12 月 27 日 六義園


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【一瞬の呼び声】

【一瞬の呼び声】

「はっと『世界』に気づく」という不思議な体験を一度だけしたことがある。

小学生のころはよく釣り好きのおじさんに連れられ、広大な武蔵野を流れる入間川水系の支流まで釣りに出かけた。夕暮れ近くになるとエサ釣りから毛鉤釣りの仕掛けに取り替えてもらい、川面に跳ねるヤマベやハヤをねらった。

川の浅瀬を遡って竿を振っていたらいつの間にか一人ぼっちになっていることに気づき、木々の隙間から見上げたら空はすっかり暗く、ブルーブラックのインク色になっている。渓流の夕暮れは急速にやって来る。

急に流れの音が全音響となって世界を埋め尽くし、冷たい水がふくらはぎや指を回り込んで流れ、小魚に足をつつかれているようなくすぐったさが気持ちいい。川底を無数の小石が下流へと転がっていく音が無限に続き、河はそうやって眠らない。自分はそこに立っている一本の細い葦になる。

「わかった」と思った。世界の内と外がくるりと裏返ったような気がした。自分はこの世界の小さな一部でありながら、この世界の全体として一体なのだなと思った。

このまま流れに足を取られてさらわれても、気持ちよく目を閉じたままどこまでも流されて行けそうな気がした。きっと何かに呼ばれていたのだろう。子どもならではの体験かもしれなくて、それは宗教者による覚りの語りに似ている。

2023 年 12 月 26 日 西池袋


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【しめしめしめよ】

【しめしめしめよ】

 「空(くう)とは万物をあらしめている絶対無の開放空間のことである」
と西田幾多郎ふうに言うときの「あらしめる」という言葉が妙におかしい。この場合はどうしても『あらしめる」と言わなくてはいけないと思う。

他人に何かをさせようとする助動詞「しむ」を口語形で活用すると「しめ・しめ・しめる・しめる・しめれ」となり、「しめれ」は「しめろ」「しめよ」とも言う。

郷里清水のおじいちゃんが、寒いから開けたふすまはすぐに閉めろと行儀の悪い孫を叱るとき、「閉めれ!」もしくは「閉めよ!」と怒鳴っていたのを思い出すのも、また妙におかしい冬の朝である。


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【写真の気持ち】

【写真の気持ち】

スマートフォンのイデアを低く見たいとき「スマホ」などとへんな略語で言い、もっと物神性を剥ぎ取りたいときは「ケイタイ」などと投げやりに言う。カメラを忘れて外出したときの写真がそんな「ケイタイ」の中に残っている。

カメラを忘れたので、しかたなしに「ケイタイ」で写真を撮ったのであり、「ケイタイ」でもいいから撮っておきたいと思ったのであり、そういうときの写真には「撮りたい」と思ったときの気持ちが写っている。

なんでこんな写真を撮りたかったのだろうと、他人事のように自分を振り返れる不思議な写真が「ケイタイ」の中に残っている。写真は 2023 年 9 月、静岡県清水にて。


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【前生と後生】

【前生と後生】

「後生(ごしょう)」という言葉が本にあって、「後生だからお願い!」と使うときの後生が、どういう意味だかいまいちわからないので脱線して考えた。

「『死んでも命がありますように!』レベルの一世一代のお願いです!」という意味のように思う。

仏語には後生の反対に前生(ぜんしょう)があって、前生 (ぜんしょう)→今生(こんじょう)→後生 (ごしょう)  と並べると、推移するにつれて生に対する我欲という生臭さが増しているように思う。

2023 年 12 月 21 日、後楽園のダイヤモンド観覧車

「後生だからお願い!」には「他人にいいことをすれば、あんたにもよい後生があるかもしれないぜ」と誘う煩悩の臭いがするのだ。


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【飲み屋の記憶】

【飲み屋の記憶】

おそらく、すくなくとも、たぶん、二十年以上も前に行ったきりで、とんとご無沙汰している居酒屋が池袋にある。いや、あったのだ。

最後に行った晩はご主人が皿を落として割って大騒ぎになり、「親父、このところひどくボケがすすんじゃったから、この店ももうおしまいかな……」と友人が言っていた。

なぜかふいに思い出したのでネット上の地図をひらき、恐る恐る店名で検索したら、昔ながらの姿とメニューでちゃんと営業中だった。当然親父はいないはずだけれど店はまだある。

おそらく、すくなくとも、たぶん、四十年以上も前に行ったきりで、もう跡形もなく消えてしまった大衆居酒屋が新宿三丁目にあった。客にぞんざいな口をきいて笑わせる名物店員がいて常連に大人気だった。

彼の顔も、話し声も、今でもちゃんと覚えていて脳内で動画再生できるのだけれど、どうしても店名が思い出せない。その店の格安な名物おつまみ、揚げた春雨に塩を振ったやつで飲む酎ハイが大好きだった。店はなくても記憶の中に人は生きている。


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【哲学的ワクチン接種】

【哲学的ワクチン接種】

新型コロナウイルスのワクチン 7 回目接種を申し込んだら、接種日前日にインフルエンザ感染していることがわかってキャンセルした。

回復後に再度申し込んだら、接種会場は近所の地区センターではなく、文京区役所の入ったシビックセンターになるという。

接種日になったので指定時刻に行ってみたら、会場はなんと 25 階の展望ラウンジだった。接種を受け、経過観察を終え、地上約 105m の展望台をくるりと 330 度まわったら、自宅からも見える富士山や秩父山塊だけでなく、遠く霞む筑波山も見えた。

問診票に記載された「自分」についての質問に筆記で回答し、係員や医師から「自分」確認をされて口頭で答え、接種後の経過観察でタイマーを持たされて「自分」の体調を観察し、ピピッと音がして「お疲れさまでした」と言われながら「自分」の接種証明書をもらった。

その「自分」が展望台とはいえ、地上から遊離し、宙に浮いて「自分」が暮らす街を見下ろしている。そしてエレベーターで降下し、地上に足がついてその他大勢の括弧がつかない自分のひとりに戻った。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『ジングル・ベル Jingle Bells』
作詞作曲/J.R.ピアポンド

20 音オルガニートで『赤鼻のトナカイ Rudolph the Red-Nosed Reindeer』
作詞作曲/J.マークス

20 音オルガニートで『サンタが街にやってくる Santa Claus Is Coming to Town』
作曲/F.クーツ

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【各務原】

【各務原】

各務原という漢字三文字の地名があることは知っていたけれど読み方を知らず、存在生活でも認識生活でも縁がないので、各務原という地名が本に出てきても声に変換せずに読み飛ばしていた。

老人が書かれた中山道歩き旅の紀行文が岐阜県南部、中山道鵜沼(うぬま)宿に差し掛かって各務原が出てきた。よい機会なので辞書を引き「かかみがはら」という読み方を復唱して覚えた。

銅鏡などの鏡をつくる技能集団「鏡作部(かがみつくりべ)」がいたというのが語源らしい。

尾久を「おぐ」と読んだり「おく」と読ませたり、「二子」を「ふたご」と読んだり「ふたこ」と読ませたり、地名の「にごる」「にごらない」のごたごたが、ここでも「かがみ」と「かかみ」として存在するらしい。

若者が二子多摩川を「にこたま」と呼び飛ばすように、各務原の若者が「みっぱら」と呼ぶとウィキペディアにあって笑った。

2023年12月20日 豊島区駒込『桜キッチンカフェ』


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『ジングル・ベル Jingle Bells』
作詞作曲/J.R.ピアポンド

20 音オルガニートで『赤鼻のトナカイ Rudolph the Red-Nosed Reindeer』
作詞作曲/J.マークス

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【しらがのはごたえ】

【しらがのはごたえ】

このところ机に向かって何かをしながら小さな電動シェーバーをいじってばかりいる。たいしたヒゲも生えていないのに、指で触ると剃り残しがあってそれがひどく気になるからだ。

このところ床屋に行きたくなる間隔が狭まった気がする。ヒゲ同様、たいした量の髪の毛も残っていないのに、触ると頭髪のボリュームが増した気がし、また生え出したかと嬉しくなって鏡を見るとたださみしいままだ。

ヒゲも毛髪も、その存在感だけが増しているのは、残り少なくなった毛がしらがになったからである。

しらがは強情で、一途で、クセがあって、ふてぶてしくて、ぼったっていて、要するにグレていて養育者の言うことを聞かない。そんな毛に育てた覚えはなくてもそうなっている。

電動シェーバーを何度当てても剃り残るし、朝のしらが頭のクセっ毛は放置された竹林のように茫々と突っ立っていて、要するに人生の終端近くに追い詰められ凶暴化したしらが族の反乱である。

今朝は、まな板の上に根深ネギをのせ、コツコツ刻んでしらがネギをつくっている夢を見て目が覚めた。

ネギを細く切り刻む手間を掛けるのは、細く切りさいなまれ、水にさらされても、そっくり返ってその存在を主張するしらがネギの歯ごたえが、食べる人の胸を打って美味いからである。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『ジングル・ベル Jingle Bells』
作詞作曲/J.R.ピアポンド

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【自損自己】

【自損自己】

言葉で考えて自分で自分について何事か述べるとおかしなことになる。主語と述語の中にいる二人の「私」が相容れない。人称の失敗である。

言葉ではなく物理的に自分の身体を自分で害する事はできてしまい、カイジンは自害を「ハラキリ」などと呼んでいる。デカルトは言葉で人称の失敗をした。言葉はとくにネガティブなハラキリを受け付けない。

言葉でもポジティブなことだと都合よく自分で自分を表現できてしまう。自愛、自慰、自賛、自給、自足などなど自由自在で、意図的な自業自得もそうだ。言葉と身体、自分の都合で分裂したふたつの自分の存在の仕方が違うのである。

最近夢を見ている自分が大声で寝言を言ったり、身体を動かして暴れて妻に迷惑をかけている。睡眠の質が変わったのか、夜中に起こされて叱られることが増えた。

2023 年 12 月 14 日 豊島区巣鴨の格闘技専門店『闘道館』

昨夜は路上で置き引きにあい、「てめぇーこの野郎!」と身体を捻って取り押さえようとして、ベッドからリング外へ勢いよく転落した。

ガゴーンという音がして、そばにある家具の角に頭を烈しく打ちつけ、「火が出た目」がぱっちり覚めた。手で痛む額を押さえながら洗面所に行って鏡を見たら右眉の上に、円墳のように丸いたんこぶができていた。自損自己である。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『ジングル・ベル Jingle Bells』
作詞作曲/J.R.ピアポンド

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【力士の娘】

【力士の娘】

小学校の同級生に元相撲取りの娘がいた。親たちの話によれば、お父さんは十両にあがって関取になることなく廃業して焼き鳥屋を開いたのだという。病気がちだったらしい。

校区からずいぶん離れた場所に店があり、少女が毎日通うには心細いほどの距離を歩いて通学して来ていたが、無理をして越境通学していた事情は知らない。

不二家フランスキャラメルの箱に描かれた絵のような女の子だったが、卒業式を迎える前に転校していった。お父さんが亡くなられたからで、クラスで香典を集めた記憶がある。

2007 年 12 月 18 日 新宿

目が覚めてスマホに届いたニュースを見たら、元関脇寺尾の錣山親方が亡くなられていた。なんとまだ 60 歳だった。

幼い頃から相撲好きだったが、年下の名力士が次々に亡くなるので驚いている。訃報を読みながら、線路沿いの道を帰って行った同級生の後ろ姿を思い出した。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『ジングル・ベル Jingle Bells』
作詞作曲/J.R.ピアポンド

20 音オルガニートで『赤鼻のトナカイ Rudolph the Red-Nosed Reindeer』
作詞作曲/J.マークス

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【新春の植物】

【新春の植物】

雑誌の新春1月号に使う写真が 12 枚届いており。ネーム原稿は

・スイセン
・マリーゴールド
・アジサイ
・アザミ
・クローバー
・タチツボスミレ
・アセビ
・マルバウツギ
・イタドリ(スカンポ)
・エノキ
・コブシの実
・ヒガンバナ

になっている。

どういう意図でこれらの植物がひとまとめになっているのだろうと写真チェックをしながら考え、わからないので降参して原稿を読んだら、植物名「由来」のまとめだった。知らないことが多くて「へぇ〜」と感心しながら読んだ。

「へぇ〜」は新春にふさわしいかもしれない。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『ジングル・ベル Jingle Bells』
作詞作曲/J.R.ピアポンド

20 音オルガニートで『赤鼻のトナカイ Rudolph the Red-Nosed Reindeer』
作詞作曲/J.マークス

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