【形而の上下】

【形而の上下】

形而上者謂之道 形而下者謂之器
(形のないものを道といい、形あるものを器という 易経)

「飯を食わなければ生きていけない、自分は生きていくために飯が食いたい、飯をくれ」と言ったら「じゃあ茶碗を出せ」と言われるだろう。

熱いごはんを手のひらに盛ることはできない。熱い味噌汁を手のひらに受けることはできない。人はみなあらかじめ自分で自分の飯茶碗とお椀を用意しなくてはいけない。

2022/09/29 六義園
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飯茶碗を忘れたご飯の話、お碗を忘れた味噌汁の話になっていないかという自己チェックを怠ると、人は地を忘れ天を仰いで空を論ずる癖がある。

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【方災】

【方災】

日本人の暮らしに馴染んだ古来からの信仰によると、正月に歳神さまをお迎えするため、まず歳ごとにかわる方角の吉凶、そのわざわいである方災を解除(けんじょう)するという。

2022/09/21 静岡市駿河区 清見そば 本店
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

方角の吉凶を知るために、夜空の星座を見るような丸い早見盤があるらしい。その画像を見ていたら、こういうのこそスマートホンのアプリになっていてもおかしくないなと思い、「方災 アプリ」で検索したらたくさんの防災アプリがヒットした。

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【全阿弥と声聞士】

【全阿弥と声聞士】

「清水市史を読んでたら全阿弥と声聞士が出てきたので隆慶一郎の本を読み返したくなっちゃった」
「ああ、隆慶一郎おもしろかったわね」
と、国葬のニュースを見ながらの晩酌で妻と話した。戦国時代のいくさに同行した時宗僧のことも思い出したので話をした。以下メモ。

2022/09/21 清水区梅ヶ谷真珠院
DATA : LUMIX G5 G VARIO 14-42

 “
家康は全阿弥を奉行として天正十三年(一五八五)十二月、真珠院に「甲乙人等艦坊狼藉、禽獣殺生と門前棟別以下始終免許、山林竹木伐採事」を停止、田地を安堵した。全阿弥は、天正十四年(一五八六)八月、駿河の声聞士らの郷次・普請役を前例により免除した。 同じ月、妙慶寺に竹木見伐、棟別五四五文、同屋敷地及田地一反四斗五升、点役・押立の諸役の前々のごとく相違ないことを伝えた。 九月には浅間造営のための分国中勧進を許し、 在家一間に米一升を出すことにした。そうして、 駿府のあらたな町づくりに、雄大な装いをそえたのが天正十五年(一五八七)二月に完成した駿府城であった。(『清水市史 第一巻』)

……同朋衆(どうぼうしゅう)とは室町時代以降将軍の近くで雑務や芸能にあたった人々のこと。一遍の起した時衆教団に、芸能に優れた者が集まったものが起源とされる。阿弥衆、御坊主衆とも呼ばれた。
……徳川家では、1580年(天正8年)に谷新六郎正次(後に内田姓)が全阿弥と改名して同朋衆として徳川家康に仕えたのが始めとされる。
……声聞師(しょうもじ)は、中世(12世紀 - 16世紀)期に存在した日本の芸能者である。陰陽師の文化を源流とした読経、曲舞、卜占、猿楽等の呪術的芸能、予祝芸能を行った。「声聞師」は「しょうもんじ」「しょもじ」とも読み、また同様の読みで、唱門師、唱聞師、聖問師、唱文師、誦文師とも漢字標記した。(以上 wikipedia より)

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【三人の政宗】

【三人の政宗】

今川氏の歴史を確認していたら
「十二月、範政は入江荘別府郷内知行の半分を伊達政宗に返した」(『清水市史』)
という文章が出てきた。別府とは新開地のことで、入江荘別府とは入江のお百姓が三保湾沿いの浜堤を開墾してひらいた村だ。
「範政は永享二年(一四三〇)十月、伊達政宗を蔵人丞に推選、さきにあたえた入江庄三沢村委文柴田方を恩給地とし、情勢の緊迫に対応した。」(『清水市史』)
情勢の緊迫とは京都で足利氏周辺の動きが慌ただしくなっているということだ。

2022/09/13 清水区梅ヶ谷
DATA : PENTAX Optio RZ10

今川範政は今川氏第 4 代当主で 1364 年 に生まれて 1433 年に没している。独眼竜の政宗は 1567 年に生まれて 1636 年に没しているのでとうぜん上記の政宗とは別人である。ということは清水の伊達政宗は仙台の伊達政宗と同姓同名なのだけれど、はて日本史にはそもそも何人の伊達政宗が登場するのだろうと調べたら三人が列挙されていた。

伊達政宗 - 伊達家第 17 代当主。戦国大名、仙台藩初代藩主。
伊達政宗(大膳大夫)- 伊達家第 9 代当主。室町時代初期の人物。
伊達政宗(駿河伊達氏)- 今川範政の家臣。室町時代初期の人物。通称は藤三郎。(Wikipedia)

清水市史に登場するのは駿河伊達氏の政宗なのである。

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【山の神】

【山の神】

この夏に何度か足を運んだ清水の柏尾にも梅ヶ谷にも山の神があった。日本平の麓にもあったし、富士山麓の次郎長開墾あたりにもあった。日本中の山の神を数えたら、いったいどれくらいの数になるのだろう。山の神がちゃんと記載されている地図がわが家にあったはずなのだけれど、なんだったか思い出せない。少なくともスマホで見られるオンラインマップではないらしい。

梅ヶ谷の眞珠院脇を通って山峡(やまかい)に分け入る道沿いの急峻な斜面に石を積んだ登り口があり、生い茂った草木をかき分けて登れば祠があるのかもしれない。山の神だ。保蟹寺(ほうかいじ)、牛欄寺(ぎゅうらんじ)と歩いて眞珠院にたどり着き、足がつってたいへんなことになっているので上ってみるのは断念した。

2022/09/21
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梅ヶ谷の古道沿いに地域の人がつくった山間部の巨大立体地図(積層模型)が展示保存されている。数年ぶりにその前に立ったが、やはりおもしろくてしばし見入ってしまった。眞珠院裏山あたりが今川氏始祖にちなんで国光寺と呼ばれていることもよくわかる。見飽きないけれど足がつって立っているのが辛いので写真に撮ってきた。

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【ハット帽】

【ハット帽】

朝刊を読んでいたら逃走中の犯人はハット帽をかぶっていると書いてある。「ハット帽」という言葉を初めて聞いた。大正生まれのご老人が「ハット」と気取って言うのと、ごく一般的に「帽子」と言われるものが言葉として合体している。

あらためて辞書を引くと、頭にぴったりフィットするキャップ(cap)に対してツバのあるものがハット(hat)だとあるのだけれど、一概にそうとも言えないと曖昧なことが書いてある。

読み返してみるに、無駄なく簡潔にまとまった新聞記事なのだけれど、「ハット帽」を「ツバのある帽子」とわかりやすく書くと3文字多くなって1行はみ出してしまうので約(つづ)めたようにも思える。そういう理由で、凶器と見られる「先端部分が太くなった棒」を「バット棒」と書いたりもするのだろうか。

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【惻隠の情について】

【惻隠の情について】

なにかが「あらわれ」ているのはそれが「うごき」だからだ。「うごき」はうごいているかぎり、うごきの中にはじまり(原因)を問えない。たまごが先かにわとりが先かを論じる無限回転のようなものだ。

2022/09/13 梅ヶ谷ふれあいの里
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「惻隠(そくいん)の心は仁の端なり」(『大学』)という。かわいそうに思うことはいたわりという「うごき」の「あらわれ」であるということだ。

2022/09/13 梅ヶ谷ふれあいの里の水車
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かわいそうに感じていたわる情は人の中にもともと静的にあるのではなく「うごき」の動的な「あらわれ」であり、うごきがあらわれている状態ではもういたわることの理由は問えない。愛がいつも理屈抜きなのはそういうことだろう。理屈で愛はうごかない。

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【秋の長尾川】

【秋の長尾川】

郷里静岡の巴川左岸、山側から流れ出る小河川には天井川が多い。流れ込む砂礫が河床に堆積して川底が高くなり、氾濫を防ぐため土手を高くするということをくりかえし、川が周辺の平地より高くなったものを天井川という。

墓参りするため北街道線大内観音入口バス停で降りて観音沢川沿いを歩いたが、この川も幼い頃はたいへんな天井川で、土手を歩くと民家の屋根が眼下に見えた。となりを流れる塩田川も同様の天井川だった。

観音沢川
DATA : LUMIX G5 G VARIO 14-42

天井川の川底が砂礫で浸透性が高いと、水量の少ない渇水期は流れが伏流となって見えなくなり、そういう川を水無川という。幼い頃の塩田川も北街道にかかる橋から下流の部分は夏になるとよく干上がっていた。

塩田川
DATA : LUMIX G5 G VARIO 14-42

最近の塩田川は台風通過後とはいえ、いつ見ても水量が多い。それにひきかえ巴川上流地域の瀬名川で合流する長尾川(瀬無川)は今でも立派な天井川で、バスで通りかかるとたいがい水無川状態になり干上がった川底で子どもたちが遊んでいる。

長尾川
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

台風通過後の 21 日、静岡駅行きのバス車窓から見たら台風一過のこの日はさすがに水量が多く、こんなに川らしい瀬無川(長尾川)を初めて見た。

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【国府津の風】

【国府津の風】

赤い彼岸花が咲く時期になり、いくつか用事もあるので清水に墓参り帰省した。

[出発] 駒込
│ 06:04発(1番線)
│ JR山手線(外回り)
│ 06:26着(4番線)
[乗換] 新橋
│ 06:34発(1番線)
│ JR東海道本線
│ 普通 熱海行き
│ 08:19着
[乗換] 熱海
│ 08:23発
│ JR東海道本線
│ 普通 沼津行き
│ 08:41着
[乗換] 沼津
│ 08:44発
│ JR東海道本線
│ 普通 豊橋行き
│ 09:26着
[到着] 清水(静岡)

という乗り継ぎをすると、大内観音入口バス停まで清水駅前バスターミナルから出る北街道線静岡駅前行き 09:58 に間に合う。

DATA : PENTAX Optio RZ10

新橋駅で熱海行を待っていたら一本前の小田原行がやってきて空席が見えたので予定変更で乗車。結局小田原駅で後続の熱海行に乗り継ぐことになるのだけれど、小田原駅の暗いホームで立っているのもつまらないので国府津駅で下車した。

DATA : PENTAX Optio RZ10

ホームに立ったら風が冷たく半袖では寒いくらいなのでびっくりした。

DATA : PENTAX Optio RZ10

御殿場線が酒匂川に沿って南下する古い東海道線ルート分岐点の国府津駅は、山あいを抜ける風の通り道でもあるのだろう。

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【急がば回れ】

【急がば回れ】

もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋(琵琶湖に由来する「急がば回れ」の語源)

急がば回れという教えを、遠回りなようでも確実な道を行くほうが結局近道であると解してしまうとどつぼにはまる。

近道とは自分の苦手なことをズルして回避しようとする人間の性癖であり、そいうふうに脳ができている。この人はどうして最終的にそういう間違った発想になっちゃうんだろうという現象は、その人が自分で自分がはまりやすい場所に自分のどつぼ(こえだめ)を掘っているからである。

DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

「急がば回れ」で迂回しなくてはいけないのは、近道してうまいこと自分の弱点を隠し通して自分を良く見せたい、そういうやり方で楽をしたいというその性根(しょうね)なのだけれど、どうしていつもそこに短絡してしまうのかを教えるのは難しい。手っ取り早く教えてやりたいと思う気持ちもこちらのどつぼだからである。

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【あんたがたどこさ】

【あんたがたどこさ】

近所のドラッグストアで欲しい家庭雑貨を探したらどこでも売れ残りのピンク色しかなく、しかたがないので在庫のあるショップをネットで探してホワイトを注文した。発送完了通知が届かないのでおかしいなと思ったら、こんなメールが届いていた。

当社は九州にございまして、この度の台風14号の影響により配送業者の荷物受付がすべて停止となっております。
つきましては発送が予定よりも遅くなってしまう為ご連絡させていただきました。
荷受け再開しましたら迅速に配送ができるよう梱包は完了しておりますので、今しばらくお待ち頂きますようお願い致します。

DATA : SONY NEX-3 Olympus Lens 1:8 f= 9 mm

九州のどこだろうと調べたら熊本だった。

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【梅ヶ谷新道の長さを測る】

【梅ヶ谷新道の長さを測る】

昭和六十年に清水市が発行した『まちの思い出』に梅ヶ谷新道は約2キロメートルの直線道路だと書かれていた。

実際はどれくらいの距離なのだろうと Google マップ上で北街道と梅ヶ谷新道の交差点を右クリックして「距離を測定」を選び、真珠院手前にある田島酒店丁字路の交差点をクリックして測定したらぴったり2キロメートルだったので感心した。

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【赤羽往還】

【赤羽往還】

小学校に通った6年間は東京都北区民だった。
埼玉県に区境を接する北区の北端に赤羽という街がある。大宮区内でバスに乗っていたら女子高校生が赤羽に行こうと騒いでおり、
「わたし赤羽って埼玉県だと思ってた〜」
「わたしも〜」
と笑っていた。彼女たちにそう思わせるように、北区一番の繁華街赤羽は隣接する埼玉県に商圏の多くを依存している。かつては赤羽根村と呼ばれ、1871(明治4)年東京府北豊島郡に編入されるまで、赤羽はほんとうに浦和県(現埼玉県)に属していたのである。

2022/09/1 田端
DATA : SONY NEX-3 Olympus Lens 1:8 f= 9 mm

東京のチベット文京区のさらに北端の本駒込に住んでいると赤羽は身近な大都会のひとつである。
赤羽まで買い物に出るハレの日は山手線でひと駅まわって田端駅から京浜東北線に乗り換える。埼玉県に区境を接する北区はなんとその南端部を田端と中里という町名で山手線内に突っ込んでいるのである。

2022/09/17 田端
DATA : SONY NEX-3 Olympus Lens 1:8 f= 9 mm

赤羽で買物を終えると重い荷物をかかえて赤羽岩淵駅まで歩き地下鉄南北線に乗って駒込駅に帰ってくる。そうすると赤羽と駒込はなんて近いんだろうと思う。そして地下駅から階段をのぼって地上に出ると、やはりチベットは田舎でちょっとだけ涼しいなと思う。

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【ちそ】

【ちそ】

親戚中でなぜか叔父だけが紫蘇を「しそ」と呼ばずに「ちそ」と言う。子どもの頃から叔父が「ちそ」と言うたびに、なぜ叔父だけがそう言うのかとても気になっていた。

2022/09/16 港区赤坂
DATA : SONY NEX-3 Olympus Lens 1:8 f= 9 mm

成人して酒飲みになってからの自分は植物としては「しそ」、食物としては「おおば」と呼ぶけれど、大酒飲みの叔父は刺身に添えられた「おおば」のことを「ちそっぱ」と言う。

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【一国と一刻】

【一国と一刻】

「〇〇〇は一国者で困る」
「ほんと、どうして〇〇〇はあんなに一国なんだろうね」
などと祖母と母は癇癪もちの叔父についてためいきまじりに話していた。そう言われるような男はたいがい歩く中華思想みたいなひとなので一国者なのだろうと思っていた。

漱石は一国な自分らしき登場人物を一刻だと書いている。
「一刻な彼は遠慮なく彼女を眼下に見下す態度を公けにして憚らなかった」(『道草』)
歇私的里(ヒステリー)は、女性に特有な病気などではなく男女の間に生じる関係障害だと思う。関係障害ということは連星のようになっての円運動である。

一刻とは何かというとすぐ怒ることだと辞書にある。おこりんぼの癇癪持ちであることが男の歇私的里(ヒステリー)なのだ。そういう歇私的里(ヒステリー)同士、
「彼らはかくして円い輪の上をぐるぐる廻って歩いた」(『道草』)
一刻と一国、脳的思考と肉体的思考の排他的葛藤、歇私的里(ヒステリー)はそれによって家族内に生まれる果てしなく相互的な円運動なのである。

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