【ひとり遊び】

【ひとり遊び】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2001 年 6 月 8 日の日記再掲。「犬好き猫好き」改題)

犬も猫も大好きなので、「犬か猫か」と二者択一を迫られたりすると困るのだけれど、そんな究極の選択を迫られると、適当に「犬」と答えてしまう。ひとつ屋根の下、家族同様の思い入れで暮らした経験が「犬」の方が長いので、あの日あの時あの場面が即座に思い浮かぶ「犬」に依怙贔屓してしまう面があるのだろう。だが猫との思い出を振り返ると依怙贔屓した自分に心苦しいところもあり、そもそも究極の選択などを気楽に問うのは良いことではない。

猫というのは良いものだなぁと思うのは、ひとり遊びしている姿を見かけたときである。JR 駒込駅ホーム外回り側で電車待ちしていたら、線路脇の草むらを身を低くして忍び足で歩く猫が目に入った。腹がぼってりしていたので妊娠中かなと思ったが、単に栄養が良かっただけかもしれない。線路際の側溝ではしばしばドブネズミなどを見かけるので狩猟中かと思ったら、なんと狙っていたのはモンシロチョウだった。

わが母の愛犬は名ばかりの「ミニチュア」ダックスフントだが、室内の蠅や蛾などを執拗に目で追い、届く距離まで来るとジャンプしてパクッと食べてしまう。母は嫌がるのだが犬にとっては大切なストレス解消、かけがえのない退屈しのぎになっているらしい。かくのごとく、犬というのは手よりも口が先に出るのだが、猫というのは口よりも先に手が出るわけで人間と似ているところが奇妙におかしいことがある。

その線路際の猫だが、手の届きそうな距離にモンシロチョウがやって来るとジャンプして両手を思い切り伸ばし、人間が蚊を打つようにパンッと捕らえようとするのだが、何度やっても上手く行かない。その空中にジャンプして海老反りになり両手をパンッと合わせた瞬間が何とも滑稽で間抜けで愛らしいのだ。失敗する度に面目なさそうに目をしばたかせ、懲りることなく何度も身を潜めるところからやり直す様が可愛い。ひとり遊びする生きものは見る人の心を和ませる。

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