【されどシラス】

【されどシラス】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2002 年 12 月 20 日の日記再掲)

郷里静岡県清水市に帰省して食するもので一番の楽しみといえば『釜ゆでシラス』である。
炊き立てご飯に、たっぷりのせて食べる時の美味しさは言葉にしがたい。

清水市本郷町に美味しいシラスを商う店があると聞いたので出かけてみた。
店頭を覗くと商品は何も無い。だが、店内に並べられたイスにはお年寄りがびっしりと並んで腰掛けているし、イスにあぶれた人は店頭に立って並んでいるのだ。
「何を待っているんですか?」
と聞くと不思議な顔をされた。
考えてみれば愚問であり、
「シラス店で待つのはシラスに決まってるらあ」
なのだ。

漁に出た船が港に戻り、獲れたての生シラスが届くのを、釜ゆで用のお湯を沸かして待っているのだそうだ。自然を相手の漁だから、入港時間は一定しないし、不漁の日もあるだろうに、客はこうして粘り強くいつまでも待つのだ。

とびきり新鮮で美味しいものを食べられる豊かさもさることながら、こうしてぼんやり待っている、時の流れの豊かさ、そういう地域性と客に支えられてこんな商売ができている。

たかがシラス、されどシラス。

「品質」の良いものを手に入れたい者、貴重な「時間」を節約したい者は、他人より多く金を積んで決着をつけるという都会流のやり口が通用しない田舎町の流儀は、忘れかけた「確かな暮らし」を思い出させて都会人をいざなう。

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【正月魚(しょうがつよ)】

【正月魚(しょうがつよ)】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2002 年 12 月 18 日の日記再掲)

静岡県清水市在住、西伊豆田子(たご)出身の友人から『正月魚(しょうがつよ)』を贈っていただいた。
 
仕事でお世話になっている農山漁村文化協会刊『日本食生活全集 静岡の食事』で読んだことはあったのだけれど、まさか本物にお目にかかれるとは思っても見なかった。

江戸時代から伝わる伝統食で、手漕ぎ船八丁櫓を操り、駿河湾から伊豆諸島へと鰹を追った田子の漁師達が、冷蔵庫の無い時代でもあり、塩を塗して港に持ち帰ったのが起源だという。内臓を取り除き塩をまぶし、塩水につけた後、水洗いして一週間近く寒風にさらすのだそうだ。

田子では鰹節の生産が盛んであり、鰹節用に用いる物以外を各家庭に配り、これを「おかず分け」と呼んだという。かつては漁業者が各家庭で作ったが、現在では田子漁業協同組合、カネサ鰹節商店、祐祥丸漁業生産組合が生産し、伝統を守り続けている。
 
立派な『正月魚』が一本届くと聞き、なにしろ鯵より大きな魚を下ろしたことが無いので、調理師免許を持つほどの腕自慢、医学系編集者で友人の H 氏に「おかず分け」を条件に手伝ってもらおうと思ったのだけれど、
「そんな約束,してたっけ? でも,お裾分けはなんでも大歓迎!(^^)」
などと、とぼけられてしまったので意を決し、鈍ら包丁を片手に、興味津々で見守る義父と妻の目の前で「正月魚」解体ショーを開いてみた。

H 氏曰く、
「郷里の熊野地方では,たしか塩カツオとか言って,カツオを丸のまま塩漬けして,寒風にさらして乾かしたもの。カツオ漁が終わる頃に漁師が作っていて,乾燥して崩れた魚の顔つきがガイコツみたいで怖かった記憶がある」
との事だが、確かに形相がすさまじい。

贈り主から、三枚に下ろして 1 センチ厚くらいの切り身にし、冷凍保存すれば一年中食べられるとのアドバイスを受けていたのでその通りにやってみる。三枚に下ろす過程で「ハラモ」の部分は、清水の母が泣いて喜びそうなので別途取り分ける。中骨はかなり美味しい出汁が出そうだし、骨についた身こそ美味しいので、
「わざと贅沢に骨に身を残してるんだぞ」
と、聞かれてもいないのに家族に説明(苦しい言い訳)して、10 センチほどに切って別途保存。
 
さて頭はどうしたものかと思案していたら、先程まで気味悪がっていた家族が、後頭部や頬の部分に美味しい身があるからほじり出せと五月蝿いので、丹念に身をせせる。

小皿一杯ほど身がとれたので、さっと湯通しして「塩カツオ中落ち(実は残骸)の潮汁」にして、参加家族の「解体ショー」まかないにしてみた。

美味しい! 鰹の塩分のみ、おろしショウガを入れた以外、何も加えない澄まし汁なのだけれど、なんとも言えない良い風味。焼いた『正月魚』に熱湯を注ぎ、その湯も飲むと美味しいという贈り主の言なのだが、確かに美味で、塩と寒風により、鰹内のエキスが魚醤化しているのかもしれない。
 
ラップにくるんで冷凍し、『正月魚』の仕込み完了。
義母は順天堂医院のベッド、義父の介護をする妻は東京、僕は郷里で一人暮らしの母と二人きりの清水のお正月と、家族泣き別れの年末年始だけれど、わが家には嬉しい友からの「おかず分け」のお正月がやって来る。

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【三科豆腐店】

【三科豆腐店】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2002 年 12 月 16 日の日記再掲)

実家に近い清水市江尻町に美味しい豆腐屋があるという噂は以前から耳にしていた。
その『三科豆腐店』の看板は何度も目にしていたのだけれど、母親によると
「看板はあるんだけど、豆腐屋自体はない」
のだという。

夕暮れ間近、大正橋たもとから柳橋方向へ歩いていると、何度かお邪魔したことのある料理店のご主人が、大型のプラスチック容器に、清水独特の立方体に近い豆腐を沢山入れ、大事そうに抱えてやってくるのに遭遇した。そうだったそうだった。清水の豆腐は立方体だけど、東京の豆腐は直方体だと言ったら、清水の中学校で笑われたことがある。「豆腐は立方体に決まってるじゃん」と。

やはり柳橋近くに、料理店主が仕入れに行くような幻の豆腐屋があるに違いないと、『三科豆腐店』の看板がある路地に向かう。そして、アルマイトの両手鍋にいれた豆腐を大事そうに両手で捧げ持って、老婆がまさに路地から出てくる瞬間を目撃した。

看板のある電柱脇の路地を入ってみたけれど確かに豆腐屋らしき店はない。路地の突き当たりを右折すると、その先は袋小路になっている。母はここまで来て「豆腐屋自体は無い」と判断し、引き返したのだろう。

袋小路のどん詰まり、一般住宅のような家屋の引き戸を意を決してがらっと開けると、そこは見事な豆腐作りの作業場だった。金銀眩い玄室を探り当ててしまったようなインパクトにフラフラして、咄嗟にカメラのシャッタを押したけれど衝撃的にブレていた。

澄み切ったタイル張りの水槽に、立方体の豆腐が数丁沈んでいるので、
「お豆腐、一丁ください」
と声を掛けると、作業中のご夫婦が「…あるか…」「…四丁ある…」などと小声で囁き合い、
「はい、一丁ですね」
と、急に愛想良く、お豆腐をわけてくださった。

どうやら水槽内の豆腐たちは予約済みのものが多く、前もって予約しないと買えないことも多い店らしい。通りすがりに探り当てて買い物するような、一見(いちげん)の客がたどり着ける場所ではないから予約に頼るのは当然だろうし、こんな奥まって秘密めいた場所で商売が成り立つこと自体、驚異的なことだと思う。
 
帰宅後、早速薬味無しで醤油をたらして食べてみたが、やはりとても美味しいお豆腐だった。

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