【江尻東の音羽屋】

【江尻東の音羽屋】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 5 月 31 日の日記再掲)

荷物を詰め込んだ手製リュックサックを「よいしょっ!」と背負い、身体のふらつき具合を確かめた母は、
「よし、大丈夫、あと 2 回や 3 回は清水に帰れる」
と自らを励ますように一人で帰省した。5 月 25 日火曜日の朝である。動けるうちに少しずつでも帰って清水で暮らした 38 年の身辺整理をしたいのだという。

郷里の友人たちと会う楽しみも兼ねて、週末、母を迎えに清水に帰省した。内臓のガンの場合はとくに、食生活の管理こそが、治療の成否の鍵を握っているように思えるけれど、一人での帰省中は母が自らの生命を自己管理することになる。半年以上の東京生活で栄養管理のコツを体得し、食事時間のリズムも自身の体内時計にちゃんと組み込まれたようで、帰省中の食事の心配はまずない。

帰省しての昼時は清水の日本蕎麦屋の暖簾をくぐるのが楽しい。食欲のない母も、昼食が日本蕎麦だと喜んで食べるからである。

恥ずかしいことに中年に差し掛かるまで気がつかなかったのだけれど、清水の日本蕎麦がひどく面白いのである。清水で生まれ、清水で暮らし続けている友人には気付きにくいらしいが、清水の日本蕎麦屋のだしはとても鰹が効いているのであり、その辛口のだしつゆは東京などと一線を画しているように思え、僕にはそれがひどく美味しいと感じられるのだ。

清水江尻東、旧東海道沿いにある『音羽屋』という蕎麦屋が好きだ。季節によって創作蕎麦が登場するのが楽しいし、「清水の蕎麦」であるという地域性を考えて、清水ならではの蕎麦を創案して、誇らしげにメニューに加えられているのも嬉しい。

この店でもう一つ嬉しいのは、同町内にあって母が贔屓にしている小さな鮮魚料理を扱う居酒屋のご主人が、昼食をとるために来店しているのに出会うことが多いのである。

鳥打ち帽をかぶり、腰を屈めて店内に入り、隅の壁に押しつけられた小さな一人がけテーブルに座り、
「天ざるのツユをあったかくしたのをくんな」
などと注文し、黙々とかっこんで午後の仕込みに戻っていくのである。その群れない孤高の姿を見ていると祖父を思い出して背中に抱きつきたくなる。

町内会関係や顔見知りに声をかけられることも多いようで、食事中であっても立ち上がって相手の目を見て応対し、ガンになってからご無沙汰しがちの我が母が声をかけても、話を丹念に聞き、気遣いの言葉をかけて下さるのがありがたい。いい男だなぁ、商売人はこうでなくちゃいけないなぁ、この人もまたよき次郎長さんの末裔だなぁ、などと昔ながらの清水の町を見るようで、音羽屋での昼食には口福(こうふく)とともに眼福(がんぷく)がある。

久し振りに元気な母を伴い、夕食を兼ねて馴染みの居酒屋を訪ね、あらためて蕎麦屋で会うたびに声をかけて下さることのお礼を述べ、酒の肴に、
「別のお店で『天ざるのツユをあったかくして』が通じなくて困っている女性を見ましたが、音羽屋さんでは通じるんですね」
と聞いてみたら、
「あったかい天つゆが別につく店もあるけえが、蕎麦のつけ汁で天ぷらも食べるならちっとぬくとい(あたたかい)ほうが美味いもんで、おらんそうしてくれと頼んで通じるようにしてもらったですよ」
とのことだった。

この後、「いま次郎長」のご主人が、
「近ければ毎日でも通いたい蕎麦屋がふたぁつあるだけーが……」
というのを教えてくださり、早速翌日訪ねてみた。 
 
写真小1:愛犬イビを抱いて清水に向けて出発する母。イビは本駒込動物病院に預ける。
写真小2:創作蕎麦の一つ。
写真上:母がオーソドックスな蕎麦を注文するので、僕は変わり蕎麦を頼むことが多い。こちらは『和風冷麺』で、日本蕎麦を用いた冷やし中華なのだが、清水名物細葱(一瞬葉ニンニクかと思ったけれど葱だと思う)を火で炙ってのせてあるのがグッドアイデア。ひどく精が付く気がしてとても美味しい!

写真下:「ああ、美味しかった。ごちそうさま」と『音羽屋』の暖簾をくぐる母。

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