【三角点を見に行く・2】

【三角点を見に行く・2】

 

JR 駒込駅周辺には「点名:駒込」以外にもうひとつ三角点がある

駒込駅前の六義園染井門から染井霊園方面に向かう道は江戸時代植木職人が集まっていた。

現在の染井通りを北西に歩くと右に『私の庭みんなの庭』がある。その先左手に『本郷中学校・高等学校』があり、同じ本郷学園が運営する『もみじ幼稚園』が隣接してあり、染井通りに面したその敷地の隅が三角点の存在する位置ということになっている。

点名:本郷中学
基準点コード:TR45339458901
種別等級:四等三角点
緯度:N35度44分15.8151
経度:E139度44分27.6783
標高:24.73

見に行ったら染井通りに接した敷地内に、先日駒込駅脇で見た「点名:駒込」と同じ材質の三角点石柱が深く打ち込まれていた。

地図は明治時代終わり頃の染井通り

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【アリバイ】

【アリバイ】

 

日常生活で「アリバイ」という言葉を使う機会は少ない。もとの言葉はラテン語の alibi で「他の所に」を意味するらしい。

刑事ドラマでは容疑者が事件現場にいなかったとことの証明を「アリバイ」という。他人の行為を犯罪に見立てて「アリバイづくりをしてるだけ」などといって「責任逃れ」を糾弾したりもする。「アリバイ」にはそういう汚れた語感がこもっているためか、あえて「不在証明」と書いて「アリバイ」とルビをふっている本を読んでなるほどと思う。心理学はフロイトが示してみせた自我の不在証明にしがみついていると批判している。

犯罪者の「不在証明(アリバイ)」は、その人間が別の場所にいたことの「存在証明」をもってなされる。別な場所にいた証拠があるから、その場所には不在だったのだと。責任逃れの不在証明は、人間はそこにいたが責任を負うべき中身の人間が不在だった、つまり肝心なときに心が「他の所に」いたということだろう。

たとえて言えばブレーキを踏むべきときにアクセルを踏んでいた場合、故意なら犯罪、故意でなければ過失で責任を伴う。そうではなく「間違いなくブレーキを践んでいた」と責任自体の不在を言いつのるなら、争点は「自動車は正常だった」ことのアリバイ崩しになるだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【三角点を見に行く】

【三角点を見に行く】

明治維新直後の地図を見ると、山手線内回り電車が田端駅から駒込駅へと回り込むため切り通されることになる高台上、写真左側に三角点があって、標高 23.83 メートルと書かれている。

明治終わり頃の地図を見ると山手線は開通し、三角点は山手線の内側の写真右側に移動し、田端高台通り、現在の Maruetsu Petite 向いあたりに移動して標高 24.7 メートルと記されている。

その三角点も今はもうなく、駒込駅脇の山手線内側に存在している。標高 24.7 メートルの田端高台通りから線路沿いを下り、暗渠になった谷田川の窪み、アザレア通りからまた坂を上る。

点名:駒込
基準点コード:TR45339458902
種別等級:四等三角点
緯度:N35度44分11.4803
経度:E139度44分51.6456
標高:21.89

この三角点があることを示す石柱があるはずだと探してみたら線路沿いの道路脇に、ガス管埋設地点を示す「← G 」のシールが貼られており、その先に小さな石柱が埋め込まれている。

最初はガス管の埋設標示杭(くい)かと思ったけれど、てっぺんの正方形断面に「標示板」を埋め込んだ痕跡のような窪みがあり、その「頭部」の下にもうひと回り大きい正方形断面の「肩部」があり、その下に「胴部」が伸びて地中に埋め込まれている。小さいけれど明らかに三角点石柱の特徴的な形をしていて、触ってみると非常に硬い石を人が手作業で削り出したもののように思う。

地図は明治の終わり頃 矢印の下に三角点の地図記号と標高が記されている

ひょっとすると明治の時代の三角点から転々とここに移されてきた由緒正しい石柱ではないかと思うのだけれど真偽の程はわからない。三角点の場所は確かにここであることを標高 21.89 メートル地点に立って確かめたので満足して帰ってきた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【緑の霧吹き】

【緑の霧吹き】

 

100 円ショップで買う園芸用霧吹きがすぐダメになってしまい、近所の雑貨屋も 100 円ショップに駆逐されてしまったので、仕方なしにネット通販で注文した。スプレー部のパーツがネジ式組み立てでなく一体成形されているものが問題解決になりそうなので、そういうのを選んで注文した。

今朝届いたので早速水を入れて噴霧したら、きめ細やかな霧が柔らかく出て、植物たちも気持ちいいと言っている(ような気がする)。

宅配業者の送り状を見たら、発送元は八王子市元横山町になっていて、ネット検索してストリートビューを見たら、元食糧会社の倉庫群があった。その倉庫を発送元にしている販売業社名を調べたら、もう少し街中の八王子市横山町にあり、ストリートビューを見たら歩いたことのある国道 20 号沿いの商店街だった。

その場所に縁あって引き寄せてくださった著者も先日他界されてしまい、霧を吹きながらしんみりした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【スクラッチパッド - 4月28日 午前6:51】

【スクラッチパッド - 4月28日 午前6:51】

 

連絡先のデータをバックアップして移行するためにアプリをダウンロードした。アプリ名の頭にある JS ってなんだっけとしばらく引っかかっていたけれど、「ヨハン・セバスティアン」のことかと数時間経ってようやく思い当たった。

昨日は他界した映像作家の葬儀がご親族だけで執り行われた。友人がメールで「石原さんからのお誘いで一度一緒に飲んだこともありますよ」と言うのでびっくりした。記憶にない。そうしたらカメラマンの友人からも故人を悼むメールが来て、一緒に飲んだ思い出を語っていて、やはりびっくりした。忘れていたことが、ふたつのびっくりでひとつにつながった。みんなで飲んだのだ。

その故人となった友人がネット上に残した最後の日記のカテゴリーが「小心翼翼」で、彼女は「あれ」と「これ」のどちらに小心翼翼として暮らしていたのだろうと気になっている。

本居宣長は良心が「理智」ではなく「情」であることを見破っていて、それが「もののあはれ」だという。「もののあはれ」についてウィキペディアを読みながら、わかるけれどわかると言い難いものについて考えた。

Evernote ホーム画面のスクラッチパッド

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ソーキと想起】

【ソーキと想起】

 

「過去こそ時間の本来的あり方であり、想起する私こそ本来的な私なのである」と中島義道が書いている。本来の「時間について」から離れて身近なところで考えると、描いた絵こそ本来の絵であって、依頼があれば描こう、チャンスがあれば描ける、そう思い描いているものは絵ではないし、思っているだけでは画家といえない。卑近なたとえなのでひどく当たり前だ。もっと卑近にするなら画家をイラストレーターに変えてもいいし、はやりのアーチストでもいい。絵というのは描きながら、それを見ながら、視覚的に想起(思い出し)するものだ。いまだ描かれていないものは絵になっていない。

その気になったら描こう、自分には描けると思い込んでいるだけの人間は画家やイラストレーターやアーチストではない。そこを勘違いする愚かさが人間にはある。芸術作品はもちろん、すべてのものが実はそうであるのは、存在のおおもとである時間についての論考の敷衍(ふえん)だからだ。本当にそうだ。人はいまこの瞬間過去になっていくものを見つめ想起しながら前進している。

想起といえば沖縄料理ソーキそばのソーキってそもそも何だろうと辞書を引いたら豚の骨付きあばら肉だ。つれあいはあまりソーキのスープが好きではなく、そこは夫婦の付き合いで調子をうまく合わせているけれど、幼い頃、猟をした叔父が撃ってきたイノシシのソーキ鍋は大好きだったなぁ、と懐かしく思い出す。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【記憶と索引】

【記憶と索引】

 

「このところ物忘れがひどくなって、楽しかったことは忘れちゃうくせに、忘れたほうがいい嫌なことにかぎって忘れられなくて困ります」
と友人あてのメールに書こうとして
「まてよ…」
と思う。たぶん、そういう単純な仕組みじゃないだろう。

嫌なことにかぎって忘れないのと同様、忘れられない楽しかった思いもあるからで、人は記憶したから思い出すのではなく、思い出すから人に記憶があるのだ。すべての記憶はある。けれど思い出せない記憶と思い出せる記憶があるのは、思い出す作業をすることで思い出すための索引づくりをしているのだ。

「最近、朝起きて昨夜のことを覚えてないことが多いんだ」
と言ったら
「あなた、酔っ払ってすぐ寝ちゃうからでしょう」
と配偶者が笑う。多分正しい。寝付きがひどく良いので、記憶の索引づくりが終わらないうちに入眠しているのだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【スクラッチパッド - 4月26日 午前3:40】

【スクラッチパッド - スクラッチパッド - 4月26日 午前3:40】

 

自分にとって意味のある問題は自分の力量で考えられる縮尺程度に小さい。社会や政治や文化などという大きなものの批判などを考えると、神様風の物言いになって、生身の人間にとって意味のある射程を超えてしまう。自分の行動がともなう範囲で考える、歩きながら考える、射程内で考える。

全能の神様同士は勝負事をしない。勝負事の結果がわかってしまっているので勝負自体が意味をなさない。全能の神様同士は勝負事ができない。そもそも全能の神様がふたりいて争う設定がおかしい。

自分にとって大きすぎる問題を神様になったつもりで考えると、結論が出てもそれは無意味でしかないので虚しい。小さな問題を行動しながら考える足もとにこそ実用の意味があり、その対極に大きな無意味がある。大きな無意味は、ちっぽけな人間の行動とともには語れない。人は限られた時間という射程内を現実的で常識的にしか生きられない。
   ***
iOS の Evernote ホーム画面に「スクラッチパッド」という下書き機能がついたので、本を読みながらメモをとり、ノートに変換したら自動で【スクラッチパッド - スクラッチパッド - 4月26日 午前3:40】というタイトルがついた。昭和 34 年の小林秀雄で中谷宇吉郎との対話を読みながら、なるほどと思ったことのメモ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【手紙とメール】

【手紙とメール】

 

手紙は物質なので時の経過とともに古びていく。紙も、インクも、折あとも、見えない指の痕跡も、時の経過とともに朽ち果てようとする。

それに対してメールは電子情報に過ぎないのに、開くたびになまなましく、書き手の息づかいまで封じ込められたように古びない。

気になっていた友人のブログをのぞいたら他界され、息子さんが代筆で挨拶を書き込まれていた。もう手紙もメールも届くことはない。

メールボックスを開くと 2006 年以前のメールはパソコントラブルで失われているけれど、それ以降は、こんなにメールをもらっていたのかと意外に思うほどの本数が残されている。

古いものを開いたら、お父さんに続いてお母さんを亡くされ、無人となった実家に自分が戻ると決めたこと、そしてとぼとぼと親の遺品を片付けながら、片付けきれなかったものが自分の遺品とともに、この家ごと朽ち果てていくのかもしれないと書かれていた。
「ほんとうにそうなっちゃいました」
と笑い声が聞こえそうなほど電子メールは古びない。もう便りが届くことのないメールボックスがまたひとつ増えた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【 T 字路と X 字路と Y 字路】

【 T 字路と X 字路と Y 字路】

 

T 字路(てぃーじろ)ではなく丁字路(ていじろ)が正しい日本語だけれど、 字形との符合を重視すると、十字路ではなく X 字路と表現したい交叉点や、Y 字路と表現したい二股の分かれ道もある。

東京は関東大震災や、東京大空襲や、都市開発で、江戸の昔から残る生活道の痕跡は少ない。それでも現代の地図と古地図を仔細に見比べると、奇跡的にそれが残っていることがあり、そういう場所は地図上でも現地でも、不思議な具合の景観になっている。

正岡子規の墓がある大龍寺脇の八幡坂を田端西台通りに向かってのぼると奇妙な Y 字路があり、明治維新期の地図を見ると X 字路になっていて、当時の定式符合表によると「徒歩ニ非レハ通シ難キ小径」が交差していたことになっている。江戸時代から牛馬を曳いては通行できない細い道だったわけだ。

人が斜面を楽な角度で上り下りしようとしたら直行より斜行が楽なので、斜行した道が交差して十字路ではなく X 字路ができる。この X 字路は高度成長期頃まで地図に X 字路の状態で残っている。けれど、バブル経済期の地図では現在のような Y 字路になっており、土地の売買が行われて区画が変わったのだろう。この二股は歴史的古道のちいさな忘れ形見になっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ヤギとチワワ】

【ヤギとチワワ】

 

四月になって暖かくなったので各地から羊の毛刈りのニュースが届くようになった。哀しげな声をあげながら引き倒されて丸裸にされた羊を見て、アナウンサーが
「羊たちもさっぱりして初夏を迎えます」
などと言っているが、羊の気持ちはわからない。

何年か前のニュースで、リポーターが羊の毛刈りに体験参加した子どもたちにインタビューをしていて、
「羊の毛刈りをしてみてどうだった?」
と聞かれた子どもが
「ヤギだった」
と答えるので笑った。そうか、毛のない羊はヤギに等しいのだ。

むかし叔父が子どもにせがまれて犬を飼ったというので犬種を尋ねたら、つまらなそうにポメラニアンだという。叔父は猟をした祖父のように、もっと大きな犬が飼いたかったのだろう。

「子どもたちはなんにも世話をしないから俺が風呂まで入れてやっている」
と苦々しげにいうので
「ポメラニアンを風呂に入れてみてどうでした?」
と聞いたら
「チワワだった」
と言うので二人で笑った。

【写真は豊島区域の駒込】(2021年4月22日)

【地図は関東大震災直前で、まだ坂道がない撮影地点】

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ニュースペーパー・イン・スクール】

【ニュースペーパー・イン・スクール】

 

今朝の朝日新聞「しつもん!ドラえもん」の、「学校に新聞を」という合言葉で思い出したが、弁当持ちだった清水の中学時代に、教室でよく新聞を読んでくれる友だちがいた。

本郷通りの自然ハンガー。立ってるものは樹でも使え(2021年4月21日)

さっさと弁当を食べ終わると弁当箱を包んできた新聞を音読してくれて、政治面の読み上げはひどくおかしく、読めない字があると「惜しい、醤油が滲みていて読めない」と言うので大笑いした。「とーさんの新聞タイム」と呼んでいて、あれもいわば N I S だった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【帰巣者】

【帰巣者】

 

学生だった 1970 年代に聴いた和製ポップスには旅の歌が多く、どれも甘く感傷的で、旅を歌詞に折り込めば必ず売れると言われた時代だった。その頃の歌をときどき聴いて「なんて甘ったれてセンチメンタルなんだろう」と思うくせに、老人の年代になった今でも、懐かしい感傷が胸を満たして聴き入ってしまうのが不思議だ。

旅が甘ったるく感傷的なのは、待っていてくれる人がいて、いずれ戻る場所があるからだろう。いずれ帰りゆく旅だからこそ、甘えに身をまかせて流離(さすら)えるのだ。もし完全にひとりぼっちになったら、旅も変質するだろう。

そもそも人間にとって「帰巣」とはなんだろうと思い、検索したら『帰巣者の芸術―芭蕉からモンドリアンまで』という本を見つけた。安東次男が 1969年 に読売選書から出した本で、「帰巣者」という言葉と、芭蕉とモンドリアンの意外な取り合わせに惹かれて注文した。どこに共通点を見ていたのだろう。

そもそも「帰巣者」という慣用句があるのだろうかと検索したがほとんど見当たらない。数少ない使用例に島尾敏雄『帰巣者の憂鬱』みすず書房があって 1955 年に発行されている。読んでみようかと思ったら、この古書は高値がついていて手が出ない。

島尾敏雄は映画化された『死の棘』が有名で知っているが、原作を読んだことも映画を観たこともない。それでも人と作品のおおよそを知っているのは、学生時代に好きだった写真家島尾伸三が彼の息子だったからで、その生い立ちを読んだのでお母さんの島尾ミホと敏雄の経緯も表層的には知っている。

島尾敏雄の「帰巣」におおよその見当をつけて経歴を読んでみると、妻ミホを伴って上京した 1952 年から都立向丘高等学校定時制の非常勤講師をしていた。吉本隆明、奥野健男、清岡卓行らと雑誌『現代評論』を始めて作家活動をしていたのはこの時期だ。

都立向丘高校(2021年4月21日)

ミホとの夫婦生活における諸事情と、この時期と、『帰巣者の憂鬱』とが重なる。読んでみたいので全集の方にあたったら『島尾敏雄作品集 〈第3巻〉 』晶文社がバラ売りだと安いので注文した。発行年は 1962 年になっている。晶文社の本は先日亡くなられた平野甲賀の装幀が好きで、学生時代はいわゆる「ジャケ買い」をして集めていたが、この時代のはずいぶん素朴だ。晶文社設立は 1960 年なので、創業当時はこんな姿の本を出していたのだなと思う。

白山上商店街(2021年4月21日)

島尾敏雄が都立向丘高校勤めをしていた戦後の地図を見ると、戦前の地図では都電が走っている白山上商店街から本郷通り肴町と中山道白山上をつなぐ連絡軌道が消えていて、この頃はもう徒歩で通るだけの商店街になっていたのかと驚いた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【シキブトン漂流記】

【シキブトン漂流記】

 

子どもの頃はよく敷き布団の筏(いかだ)にのって大海原を漂流した。そういう状況を想像をするだけで冒険の旅に出ることができた。

寝相が悪くて身体が布団からはみ出していると「あぶない!海に落っこちる!」と思って引っ込め、掛け布団をはねのけていると「あぶない!だいじな布団が流される!」と思って引っ張りあげた。

つれあいに聞くと「やった!やった!」と笑うので、敷き布団を海に浮かべての冒険に男女の区別はないらしい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ことばこ】

【ことばこ】

 

ネット検索すると箱の仕切り用にさまざまなシャープ型「#」が売られている。人は仕切りたいのだ。引き出しの中も「#」を利用して仕切ると物の整理がしやすい。

難しい言葉で書かれた文章に目を通して、なんとか理解しなければいけないときは「#」の仕切りをいれていくつもの言箱(ことばこ)に入れてみる。そうしておいて言箱同士のつながりを自由にしてやると、内容が明らかになることが多い。明らかにしてみると、なんだこんなあたりまえのことが、わざとわかりにくく書いてあったのかと思う。

たとえば「原因と結果」と書いてまず先に原因を問うから科学万能主義的になるわけで、「#」をいれて並びを入れ替え、「結果と原因」にしてやれば結果が本位になり、人間の行為に重きをおいて「結果と理由」も対置できる。人為的に起きたことを科学的自然現象として置き換えない。問題は「原因」という法則性にあるのではなく、結果を承知で行為してしまう人間の「理由」にあるのだ。理由を問わないから倫理にならない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ