【携帯に明日はない】

【携帯に明日はない】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 11 月 28 日の日記再掲

母が使っていた携帯電話を解約しようとしたら
「ご本人ではないのですか?」
と聞くので
「母は死んだんです」
と言うと区役所に行って死亡証明書を貰って来い、しかもコピーではだめだという。

仕事を休んで平日に帰省して清水区役所に行ってみたけれど、
「死んだことは戸籍謄本に記載があるんだからそれで充分だろう」
という友人の言葉に力を得て、戸籍謄本を持って解約に行ったらやはり死亡証明書をもって来いというのだ。

他人がなりすまして携帯を作ったりしないために過剰に厳しいならわかるけれど、死んだ人間が死んだと戸籍謄本に書いてあるのにどうしてそれではだめだと言うのだろう。だいたい携帯を作るときには「戸籍謄本を持ってこい」などと言わずにホイホイ甘い審査で作らせる癖に、死者の解約にどうしてこんなに抵抗するのだろう。

黄昏時は寂しい。
撮影日: 2005.11.25 4:27:35 PM
Panasonic DMC-FX8

くどいけど黄昏時は寂しい。
撮影日: 2005.11.25 4:26:09 PM
SONY DSC-F88

母親に死なれ、しかもそれでとうとう両親を亡くしたとなれば、いい年したおじさんであっても孤児(みなしご)になったわけで、ただでさえ寂しい夕暮れ時にどうして嫌がらせのように「死亡」「死亡」と聞きたくもない言葉を連発するのだろう。

戸籍謄本には死亡したときちんと書いてあるではないか、役所の人間だってこれで解約できるはずだって言ってたぞ、と多少脚色して強く言ってやったら
「お待ち下さい」
と言って奥に入って行き、しばらくして戻ってきて
「はい、これで解約できるそうです」
などという。ロボットに期待するのも無理だろうけど、
「申し訳ありません」
くらい言ってもいいと思いませんか奥さん、旦那さんでもいいけど。

もうどうでもいいから早く帰りたいと思ったら
「この携帯はお持ち帰りになりますか?」
と聞くのでそちらで処分してくれと言ったら金属製の拷問もしくは処刑道具(うろ覚えのタイトル画参照)を持ってきて金属製の尖った金具の先端を携帯の電源ボタンにあて、お客様自身の手でレバーを押して(引いてだったかな)完全に起動しないようにしてくれという意味のことを言う。非常に嫌なもので、あまり例え話もしたくない。体験しない方がいいと思う。

どっと疲れて浜田町『かしの木亭』で飲んでいたら某地魚料理店の主人が来て、『かしの木亭』店主と三人で飲みに行こうという。多少頭に来つつ寂しかったこともあって江尻町『海蜻』を皮切りに数件ハシゴをしてべろんべろんに酔っぱらったのだけれど、某地魚料理店主人がポケットから取り出した携帯電話を見て大笑いしてしまった。

某地魚料理店主人が酔っぱらって床に落として寝たら愛犬が噛んで歯形だらけにした携帯。ああ爆笑。
撮影日: 2005.11.25 9:21:35 PM
Panasonic DMC-FX8

このDoCoMoの携帯はボニー&クライドみたいになったが痛快にもちゃんと使えているそうで、非常に貴重な逸品だと思う。

しつこいけど黄昏時は優しくして欲しい。
撮影日: 2005.11.25 4:14:44 PM
Panasonic DMC-FX8

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【魚が出てきた日】

【魚が出てきた日】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 11 月 18 日の日記再掲

「子供よりも親が大事」と太宰は『桜桃』の中で呟いていた。子供と親はともかくとして、分数においては分子より分母の方が大切なんじゃないかなと思う。

中学時代の社会科教師が静岡県清水市の巴川は「日本一だ」と言っていた。
どうして日本一なのかというと、川というのは源流から河口までの「長さ」と流れの「速さ」が反比例し、短い川になればなるほど流れは速いのだそうだ。巴川のようにこれだけ川幅があってこれだけ全長が短くこれだけ流れの遅い川は日本中でも珍しく、「そういう意味で」「日本一」だと言うのだ。

「日本一」などというのは分母に何を置くかで決まってくるのであり、分母にあれこれ条件を付けて膨らませれば分子は限りなく「 1 」に近づき、分母というのは「そういう意味で」というものの事であると気づけば、そういう意味で「日本一」を作るのは容易い。

   ***

清水という街は、「そういう意味」で日本一魚屋の多い町かも知れない。他地域で生まれ育った人を案内して清水の街を歩くと、何と魚屋の多い町かと驚かれる。清水暮らしが長い人々に聞き取りをしてすでに店をたたまれた魚屋まで勘定に入れると、今よりもっと膨大な数の魚屋が清水にはあった。

魚屋と並んで他地域の人が驚くのは飲食店の多さである。
我が母の店も含めてすでに店をたたまれた飲食店まで勘定に入れると、今よりもっと膨大な数の飲食店が清水にはあった。

清水ではちょっと気の効いた店に行けば、地魚料理と銘打っていなくても魚が出てくる。

みちせい

撮影日: 2005.11.12 7:45:31 PM

Panasonic 
DMC-FX8

清水島崎町。
美味しい地魚を食べさせる店として評判の店『みちせい』も清水駅の高架化で非常に便の良い場所になった。非常に便の悪かった時代にはなかなかの穴場で、
「いい店らしいけど、仕事を適当に切り上げて早めに行かないと役所の連中でいっぱいだよ」
と母は言っていた。真面目に日暮れまで仕事をしていたら満席になる店がいつも役所の人間で満席だったのも清水市の七不思議のひとつだった。「ゴジトット」などという愛称も懐かしい。

『みちせい』店内には「早朝仕入のためオーダーストップ九時半 閉店時間十時です ご協力お願いします」と貼り紙が貼られており、『みちせい』を出ると正面が江尻船溜まりで清水魚市場が眼と鼻の先にある。この界わいには海辺で海魚を食べられる食堂も何軒かあって清水でも魚が出やすい場所である。

   ***

清水巴町『新生丸』で飲んでいたらカウンターの上に銀貨のように美しい小魚を干したものが置かれており、ギンダベラの稚魚かと聞いたら沖合水深 50 メートルあたりでとれるオキヒイラギだという。

新生丸のオキヒイラギ

撮影日: 2005.11.11 5:09:36 PM

Panasonic
 DMC-FX8

脂が少なく骨が柔らかく、サクサクと噛むとうま味があってビールの友に最適だと言い、炙って貰ったら最高に美味しい。そもそもヒイラギの仲間は「猫跨ぎ」と呼ばれるほど骨だらけで食べにくいのだけれど、汁物に入れたり煮付けたりすると飛び切り美味しい出汁が出ることで知られている。これは素晴らしい。

店名の『新生丸』でわかるように若い漁師たちが獲って料理するので清水で最も地のつく魚が出やすい場所かもしれない。

   ***

『新生丸』とも縁の深い浜田町のラーメン屋『かしのき亭』には海水の水槽があって 2 匹のハリセンボンがせわしなく泳ぎ回っている。

名前はあるのかと聞いたら「安寿」と「厨子王」だそうで、ということは拉致してきた店主は山椒大夫ということになる。

かしのき亭の安寿と厨子王

撮影日: 2005.11.12 9:25:41 PM

Panasonic 
DMC-FX8

山椒大夫によると安寿と厨子王は非常に仲が悪い時期があり、一回り大きい安寿が厨子王をいじめて困ったという。今は仲がよいのかというとそんな風にも見えず、互いに互いの存在を無視しているように勝手に動き回っている。許し難いほどテリトリーが重複する狭い水槽内にいるために、互いの存在を意識しないように努力したら本当に安寿と厨子王には互いが見えなくなってしまっているのかも知れないな、と思う。人間同士にもそういうことがあるらしいから。

軋轢もなくただただせわしなく泳ぎ回っているだけだから針を立てて膨れることなどないだろうと聞いたら、時折何に怒ったのか知らないがひとりで膨れていることがあるという。見たい。

   ***

ギリシャ映画界の名匠マイケル・カコヤニスが製作・脚本・監督・衣裳デザインを担当したという映画『魚が出てきた日』(原題:The Day The Fish Came Out)が公開されたのは 1967 年であり、僕は清水のテレビでこの映画を見た。

核爆弾を積んだ戦闘機がエーゲ海に墜落し、パラシュートであらかじめ島と海中に投下した爆弾をめぐる争奪戦が起こる。その中で島は観光ブームと遺跡ブームというバブルで沸き返り、夜を徹して踊り狂う。その狂乱の中で、海に無数の魚が浮いてくるというブラックな映画なのだが、今なら魚(ギョッ)とするようなラストシーンもちっともギョッとしなかったのを覚えている。

その当時暮らしていた清水旭町の飲み屋の二階は深夜まで騒々しく、まわりの小さなビルの屋上はすべてビヤガーデンになってハワイアンが喧しくて窓が開けられないほどであり、その狂乱ぶりは『魚が出てきた日』の舞台カロス島そのものだったのである。

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【ジーンズショップ『OSADA』】

【ジーンズショップ『OSADA』】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 11 月 16 日の日記再掲

両親の看護・介護でのんびりとした買い物もままならない妻がジーンズらしいジーンズ(?)が買いたいので、清水に帰省したらさつき通り沿いのジーンズショップ『 OSADA 』に行きたいという。嬉しい。

「東京山手線内のチベット」と呼ばれる文京区に住んでいるので、隣接した北区にある大学時代から贔屓にしている小さなジーンズショップに行くのだけれど、妻は大きなジーンズショップのある清水に行くのが楽しみだという。

OSADA BEST JEANS SHOP SINCE 1969

撮影日: 2005.11.13 2:17:15 PM

SONY 
DSC-F88

女の買い物は時間がかかるのでさつき通りに面した店頭に置かれたベンチに腰掛けてひと休みする。このところ急に冷え込んで、さつき通りは商店主が掃いても掃いても枯れ葉が舞い落ちてくる。

マネキン人形の女性 4 人組が店頭でアルバイトをしているのを見つけたので、退屈しのぎに話を聞いてみる。

左から順に、「マリア」、「エバ」、「ルナ」、「ユミ」。

撮影日: 2005.11.13 2:18:55 PM

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 DSC-F88

「ハイ、マリア!ひさしぶりじゃないの。ローラースケートなんかはいちゃって…仕事がんばってるみたいだねー!」
「ええ、あれ?!…あー、こんちは。…まぁ年末にかけては稼ぎ時だからさ。今のうちに頑張んないとね」
「ハイ、エバ!相変わらずひょうきんしてる?」
「うん、一度痔を出しちゃうと、じゃなかった、地を出しちゃうとなおすのって難しいよね」
「ハイ、ルナ!君はいろいろ裏情報を教えてくれるらしいから聞くけどさ、商店って小さければ小さいほど肩を持ちたくなる僕が、どうしてジーンズショップは大きい方がいいって言われて納得しちゃうんだろう?」
「それはあなたが長いものには巻かれろ、深い穴には入れてみろ、という性格だからじゃないの?」
「あはは、相変わらず毒舌だね。ハイ!ユミ、君はもっとまともに答えてくれるだろ?」
「ハイ!久しぶりに会ったらあなたもオジサンになったわね。オジサンになってもジーンズショップには来るでしょう?」
「う、うん。洋服選びは嫌いだけどジーンズショップは疲れないからね」
「ほら、あの奥にいる夫婦のダンナってどうみても団塊世代でしょう?その向こうであれこれ手に取ってる女の子はまだ二十歳前だよね。ということはさ、ジーンズショップって孫とおじいちゃんほどの年齢差の人が一緒に商品選びしてもちっともおかしくない貴重な場所なのよ。そういう世代を超えた植民地的な陽気さを演出するなら軋轢を感じずスカッと息のつける程度の大きさがあった方がいいのよ。逆に世代を絞るなら狭くて濃くて息苦しい店の方が仲間意識に引き籠もれていいんだけどさ」
「なるほど、さすがユミ、明快な答えをありがとう。あ、女房が出てきたからまたね~」

OSADA の並びにある『静岡リフォームサービス』のシャッターに掲げられた手書きカード。リフォームの仕事をするひとって花好きなんだろうな、と思う。なんとなく可愛い。

撮影日: 2005.11.13 2:29:40 PM

SONY
 DSC-F88

妻は清水に来たので大奮発して最近の若い子のはいてる聞いたことのないメーカーのジーンズを買ったと言う。アドバイスしてくれた若い娘が非常にテキパキとして感じが良くて、
「私もはいてるですよ↑~↓」
と清水訛りで自分と同じメーカーのジーンズを薦めてくれたので清水の舞台から飛び降りたのだという。

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【カレースタンド印度】

【カレースタンド印度】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 11 月 15 日の日記再掲

清水駅前にほど近い江尻東にある『カレースタンド印度』のカレーが大好きだ。『カレースタンド印度』はニッチな店でありそれ以外の少数派にちゃんと味のターゲットが絞れている店である。初めて食べたときは「清水にこんなカレーを出す店があったのか」と驚き、「これなら東京に出しても恥ずかしくないし、東京にあったら毎日でも行きたい」と思ったのだった。

 

印度玄関。左手壁にカレー粉の缶が山積み。
撮影日: 2005.10.15 11:29:09 AM
SONY DSC-F88

印度店内。ゴロワーズをジッポのライターで吸いながら頭にバンダナ巻いてカレーを食べる常連。なかなかである。
撮影日: 2005.11.11 0:28:15 PM
Panasonic DMC-FX8

『カレースタンド印度』の看板娘(おかあさん)によると最近「清水に美味しいカレー屋がある」と聞いてわざわざ奈良から食べに来た人がいるそうで、そんな話しになったので
「このお店、むかしは清水銀座春田メガネ店ならびにあったんですよね」
と聞くと
「そうです、前の店をご存知ですか」
という。

年齢の近い友人たちはみな春田メガネ店ならびにあった頃の『カレースタンド印度』で、学割のカレーを食べさせてもらった経験があるという。
「お店を始めて何年ですか?」
「三十八・九年になります」
カレーも看板娘も茶色系になってきてもいいお年頃だけれどが、いまだ香気を失っていないのがエライと思う。

印度の辛口カレー。辛口といっても口が曲がるほどは辛くない。
撮影日: 2005.11.11 0:30:55 PM
Panasonic DMC-FX8

印度のカツカレー。カツの肉が薄めで“肉フライ(吉本隆明の好きな月島レバーフライではない)”という食感でカレーに良く合う。
撮影日: 2005.11.11 0:31:52 PM
Panasonic DMC-FX8

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【写真の逆襲 】

【写真の逆襲】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 11 月 5 日の日記再掲

高校時代に撮った写真をオジサンになってから見直して自分で驚くこともあるけれど、実はもっと驚くのはオンリー・イエスタデイ、つい昨日のことのように思い出すのにもう見ることのできない光景を自分が撮った写真の中に見つけたときであり、さらにもっともっと驚くのは撮ったことすら忘れていた時である。

   ***

静岡県清水入江 1 丁目。

言葉で表現しにくいので地図を添えるけれど、大正橋を渡り金田食堂前を通り、静鉄ストアのある 5 差路を高良さんの方へ進む細い道。その道が東海道と久能道の分岐点、犬も歩けば「いちろんさんのでっころぼう」にあたる手前右側に昔は郵便局(らしきもの?)があった。

幼い頃、記念切手の発売日には朝から並んで買ったりしたのだけれど郵便切手・ハガキ・印紙の販売以外に郵便局業務をしていたのかは残念ながら記憶にない。業務内容は記憶にない癖に妙に古びて威厳のある建物が印象的で、あんな変わった郵便局にはその後もお目にかかったことがない。

いつ頃廃業されたかは定かでないけれど、コンビニすらない入江地区で「あそこの郵便局がなくなって不自由になった」と母は嘆いていた。

そのユニークな建物もいつの間にか取り壊されてしまって見ることができなくなったのだけれど、未明に起きて古いデジカメ写真を整理していたらその写真が何枚も出てきて驚く。ちゃんと記録していた自分に拍手する(アホだ)。

撮影日: 2000.01.03 1:00:21 PM
SANYO Electric Co.,Ltd.
SX112

それにしてもなんとユニークな建物だったのだろう。デジカメのExif情報(エグジフ:画像についての情報や撮影日時などの付加情報)を見ると撮影日が 2000 年 1 月 3 日になっているので、この建物は 21 世紀まで存在していたことになる。

石積みの蔵としても役立ちそうなくらいに堅牢そうに見え(なんか蔵のように見えるなぁ)、しかも角を丹念にすべて丸めて柔らかさを表現しており、2階には手すりのついたテラスのようなものまである。このテラスから眺望のきいた時代の建物だろうか。建築的価値は別として、こうしてしみじみ眺めてみるとこれもまた清水の遺産であり、三保あたりに明治村のような『清水の暮らし村』でもあったら移築保存して貰いたいような面白い建物だったことを確認し「惜しいなぁ」と思う。

   ***

JR東海道本線清水駅が橋上駅となって久しいが、ホームから富士山が見えなくなった今、構内にあった地下通路を懐かしく思い出すことがある。

撮影日: 1999.01.03 9:05:35 PM
FUJIFILM
FinePix2700

清水駅ホームと改札口を行き来するには線路を跨ぐか潜るかするわけでその二者択一が楽しくて、
「どっちに行く?」
と聞くと親たちは決まって地下通路を潜り、子どもたちは地上の陸橋を渡っていた。
「どうして上を通らないの?」
と聞くと母は
「下の方が楽だから」
と答えていた。「(ほんとかなぁ)」と怪しく思っていたけれど、撮影してあった写真を見ると確かに地下通路の方が上り下りする階段の段数が少なかったのかも知れないな、とあらためて確認する。

   ***

インターネット上の掲示板で清水中央銀座の高田のアイスが話題になっており、ソフトクリームだけではなく「あんこアイス」と「フルーツアイス」が登場したと書き込みがあったので、「(おっ、新商品だ!)」と驚き、新装開店には出遅れたので新商品はいち早く食べようと、10 月 22 日の帰省時に雨の中を出掛けて行き「あんこアイス」を食べてきた(ちょっと寒かった)。

撮影日: 2002.04.28 1:22:20 PM
RICOH 
DC-3Z

古い高田の店舗写真が出てきたので「懐かしいなぁ」と眺めていたら、なんと昔から「あんアイス」と「フルーツアイス」は高田のメニューにあったのであり、新製品などではなかったのだ。気がつかなかったなぁ…。

写真というのはありがたいもので、自分の撮った写真に時には風化する記憶の修復を助けられ、時には謙虚で正しい物の見方を教えられ、時には「ば~~~か!」と馬鹿にされつつカウンターパンチをくらったりし、その動力はすべて自分で巻いたネジだったりするのだ。

ポヨヨ~~~ン。

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【『さつま芋むしパン』に学ぶ】

【『さつま芋むしパン』に学ぶ】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 11 月 2 日の日記再掲

静岡県のマークが現在のものに変更されたのは僕が中高生の頃だった気がする。当時は新マークを見て「しぞーかのマークも垢抜けたなぁ」と感心した記憶がある。

静清合併後の新しい静岡市のマークというのも発想としては同根なのだが何だか垢抜けなくて、どうせ垢抜けないなら旧静岡市や旧清水市のマークの方が、垢抜けなさが時代を突き抜けている分だけ今では新鮮に見えて好もしく思えたりする。

垢抜ける・垢抜けないという感覚はなかなか高度である。

日本列島を席巻する市町村合併の大騒ぎで自治体のマーク変更を仕事の好機と考えて公募に応じる人々を NHK が取材していた。

パーソナル・コンピュータという製図器を使って垢抜けた幾何形態を手軽に操っている人もいれば、図書館に行って地域の特色を丹念に調べてメモし、簡便なコンパスや定規や絵の具や筆を使って製図する人もいる。

コンピュータで仕事をしている者から見ると後者の仕事は懐かしくも新鮮であり、その方の制作した兵庫県篠山市のマークは「いいなぁ」と思う。

笹の葉が二枚組み合わされてアルファベットの「 S 」であり、丸い縁取りの上下にある三角形が「山」で「やまにかこまれたささやまし」なのである。僕にとってはそういう懐かしい真剣な垢抜けなさが気持ち良く感じられる作品になっている。

コンピュータの時代になってからというもの垢抜けたものが垢抜けすぎたがゆえに垢抜けなく見えるのは、どこか人間臭い真剣さに欠けて見えるからかも知れない。

   *** 

生まれ故郷静岡県清水の町を歩くとき、新しい静岡県のマークに感動した中高生だった自分が当時見たであろう風景を見かけることが少なくなってきた。

Data:SONY Cyber-shot DSC-F88

ああこの店のマークはまだ健在だ、と懐かしいものを軒先に見つけて嬉しくなる。このマークを見て店の姿と場所を即座に思い出せる清水っ子はどれくらいいるのだろう。

富士山のシルエットに打ち抜かれた山型食パン型の冠雪と横一文字の雲塊が意味するものは店名と業種がわかればああなるほどと笑顔がこぼれる謎解きであり、その垢抜けない発想が垢抜けていた時代もあったんだろうな、と思う。

このマークもまた時代を突き抜けて古びることで新たに垢抜けしている。垢というものは時の流れとともに何層にも剥がれ落ちるものである。

   ***

友人によれば東京都品川区の武蔵小山パルム商店街のアーケードは「イタリアで見た世界最古のアーケードに似ている」そうで、そう思って見返してみると確かに垢抜けしている。

それを参考にしたと言われる清水駅前銀座アーケードを歩いていたらワゴンに『さつま芋むしパン』が売られていて思わず笑顔になる。

Data:SONY Cyber-shot DSC-F88

「サツマイモ」と「蒸しバン」をキーワードにしてインターネット検索してみるとわかるがサツマイモ入りの蒸しパンというのはうんざりするほど当たり前に存在し、それらのほとんどはサイコロ状に刻んだサツマイモをパン生地でくるんで蒸し上げたものである。

それに対してわが郷土の『さつま芋むしパン』ときたら蒸しパンの表面にもろにサツマイモを「ちぇすと~っ!」(薩摩示現流の掛け声)と言わんばかりに一刀両断にしてベタッ!と貼り付けたものであり、ひと目見た瞬間に満面の笑みがこぼれつつ、ちょろっと涙もこぼれそうになるくらいに垢抜けていない。

だけどその垢抜けなさが愛おしくて「垢抜けてなくたっていい、その垢抜けなさが好きなんだよ~っ!」とアーケードの中心で愛を叫びたくなるのであり、それが惚れるということである。

垢抜けて人目をひくより垢抜けなさに惚れさせる方が人の生き方もデザインも高度である。

 

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【水管橋のある町とトルコライス】

【水管橋のある町とトルコライス】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 11 月 1 日の日記再掲

人が専用に渡る橋を歩道橋といい、自動車が渡る橋を道路橋、列車が渡る橋を鉄道橋という。

郷里静岡県清水を流れる巴川に水道管専用の橋がいくつか架かっており、幼い頃からそういう橋が気になって仕方がなかった。橋というのはそもそも人や自動車や列車が渡るための物であって、それが水道管を渡すためだけの目的で作られたように見えるのがまず奇異であり、水道管専用とはいえ無理すれば人も渡れそうな気がし、この橋を渡った人はいないのかしら、でも危険そうで怖いな、などと余計なことを考えるので尚更気になって仕方なかったのだと思う。

水道管を渡すために作られた橋を「水管橋」という。

清水の巴川にかかる水管橋は港橋脇にひとつ、巴川橋上流の坂政合板のところにひとつあるのが印象深く、柳橋脇にもあったような気がする。自転車を飛ばして確認に行けないのが隔靴掻痒だけれど、思い出せる水管橋は三カ所である。もっとあったかな……。

静岡県・清水港橋脇の水管橋。イカリとカモメの絵がいいなぁ。
DATA:SONY Cyber-shot DSC-F88

東京都・市ヶ谷橋脇の水管橋。九段方向に向かって登っている。端の脇を下って行くと釣り堀があって真っ昼間背広姿の若者が釣りをしていたりする。
DATA:Panasonic LUMIX DMC-FX8

東京にある水管橋で思い浮かぶのが新宿区と千代田区の間にあって外堀と総武・中央線軌道を跨ぐ市ヶ谷橋脇にある水管橋である。市谷田町と九段北をつなぐ水管橋は市谷田町から九段北に向かって登り勾配になっており、おそらく九段北側から市谷田町側に向かって水が流れているのだろうと思う。

一方清水の巴川にかかる水管橋はどれも勾配がないのでどちらに流れているかは判断しがたい。清水の水道水配水経路を知らないが、巴川を遡る方角から見て右岸より左岸へ流れているような気がするが確証はない。

   ***

このところ『トルコライス』という食べ物がひどく気になっている。

『気になっている』と言うと、親切な友人たちが東京や静岡で『トルコライス』を食べられる店を探してくれたがどの店も「もう作っていない」と言う。東京銀座にある出版社に出掛けたので編集者に「トルコライスって知ってますか?」と尋ねたら「知ってますよ、でも古いですよ」と言う。この場合の「古いですよ」は「伝統のある料理ですよ」という意味ではない。「(そうか、かつて『トルコライス』がブームになったことがあるけれど、それが去ったので「もう作っていない」店が多いのか)」と合点がいく。

なるほど。

「『トルコライス』がなんで『トルコライス』っていうか知ってますか?」と聞いたら「知らない」と言う。そういうのりのブームだったらしい。

順天堂医院へ抗がん剤投与を受けるために通っていた母に付き添った帰り道、『トルコライス』という聞き慣れない名前の料理があることを知ったのは昨年の秋だった。

調べてみたら大好きなワンディッシュものらしい。どんぶりや皿一枚で完結する簡便な料理が昔から大好きだ。子どもは大概そうだし、年寄りもだんだんそうなるらしい。

どんぶりや皿一枚で完結する簡便な料理の背景には手早く済ませる労働食としての必然性が込められていることが多く、そういうことに感動したり偏愛したりする人間はB級グルメというよりアンチグルメの志向が強いのかも知れない。

友人たちからいろいろ情報を貰う中で、トルコライスというのは、さっさと済ませる労働食を少しでも楽しく味わうために考え出された「東郷元帥の東郷」と「東西食文化の結節点トルコ」をひっかけた洒落で、港町長崎の名物になっていることも考え合わせると船内で考え出された海軍さんのまかない食だったのではないかと思えてきた。

千代田区九段南 4 - 2 - 2 、東郷公園(東郷平八郎旧宅跡)脇にある『富士食堂』(行ってみたら店名は『らーめんフジ』になっていた)で『トルコライス』が食べられるというので銀座での打ち合わせに 15 分ほど遅刻するのを覚悟して出掛けてみた。

市ヶ谷橋脇の巨大な水管橋を眺めながら靖国通りを九段方向に進み、麹町郵便局角を右折し、次の靖国通りと併走する道を右に折れると『富士食堂』がひっそりとあった。

食堂という庶民的=労働者的言葉にひかれて出掛けたので、インターネットでよく見かけるようなピラフ(またはドライカレー)とナポリタン・スパゲティとトンカツとハンバーグをひとつ盛りにしてドミグラスソースをかけるなどという様式化した『トルコライス』ではなく、東郷元帥お膝元に相応しい海軍さんのまかない食説を裏付けるような『トルコライス』を期待して待っていたら見事に質実剛健なやつがド~ンと出てきて思わず姿勢を正して敬礼する。嬉しいであります。

『トルコライス』のとなりにあるのは中華スープ。びったりの組み合わせだ、合わないはずがない。
DATA:SONY Cyber-shot DSC-F88

労働食らしくさっさと食べてさっさと自説に満足したのでトルコライスにこだわるのはこれで打ち止めにし、次は壁のメニュー『トルコライス』の下にある『メキシカン』『セタンライス』『イタリアンライス』『トリプルロール』など謎のライスメニューを食べてみたいな、と未来のことに思いを馳せる。労働食愛好者は「あのまったりとした味わいが…」などと意地汚くいつまでも反芻したりせず、食べること一つ取って見ても常に前向きなのである。

ちなみにこの日のサービスランチは『メキシカン』であり、横で食べている若者を見て一見「(ドライカレーみたいだな)」と思ったが『ドライカレー』は別メニューでちゃんと存在していた。

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