【無何有】

【無何有】

無何有ということばが出てきて、読み方すら知らなかったので辞書を引いたら「むかう」と読み、何物もないこと、自然のままで何の作為もない状態をいうとある。

「唯昔の苦行者のように無何有の砂漠を家としている」
と芥川龍之介からの引用があり『侏儒の言葉』はなんどか読んだはずなのに、この言葉に引っかかった記憶がない。字面だけ読んで中身を読んでいなかったのだろう。

夕暮れのニュース番組を見ていると、若い女性が毛足の長い敷物の上を芋虫のようにゴロゴロ転がり、その映像に合わせて美容整形のクリニック名と電話番号が連呼されるスポット CM が繰り返し流れてくる。

大洋に顔を出した岩でできた島の上でゴロゴロしているアザラシやセイウチみたいで、意味もなくゴロゴロしている人間はあれに似てるなと思う。

無可有の広がりとして自身を含む世界をあつかう学問に地誌学がある。おもしろいので岩の上の鰭脚類(ひれあしるい)に仲間入りしてゴロゴロしながら読んでいる。

2008 年 11 月 29 日、六義園脇に停車した静鉄の観光バス


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『タミー Tammy』
映画『タミーと独身者』より

20 音オルガニートで『エデンの東 East of Eden』
映画『エデンの東』より

20 音オルガニートで『フォロー・ミー Follow Me !』
映画『フォロー・ミー』より

を公開。

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2023年11月号(通巻13号)まで公開中

 

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【渚にて】

【渚にて】

文化人類学者の岩田慶治(1922 - 2013)が、遊びは自然と文化の境界いわば渚の出来事だ、と書いていて「いいな」と思う。見方・感じ方が反転する場としての接線が渚である。

学校で「地と図」とならったものをこの文化人類学者は「地と柄」と説明している。布地を見るか、図柄を見るか、その反転を実生活的に想い浮かべて、わかりやすい人が多いかもしれない。

2007 年 11 月 28 日 港区

弓道の的(まと)に描かれた中心の円を星といい、黒塗りのものと反転して地色が抜かれているものがあって「図星」の語源になっている。

義母の老人ホーム面会帰りにひとり大宮氷川神社裏あたりをぶらぶら歩いていたら弓道場があって射手たちが粛々と順番を待って弓をひいていた。

塀の外から眺めていたら面白くてながいこと見入ってしまい、「この人たちは的を射ているように見えて、実は自分を射ているのだな」と思った。

読んでいた岩田慶治にオイゲン・ヘリゲル(1884 - 1955)の『日本の弓術』岩波文庫が引かれていて、同じようなことを書いているのがおもしろかった。

2007 年 11 月 28 日 港区


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映画『タミーと独身者』より

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【『季刊清水』2022 通巻55号発売】

【『季刊清水』2022 通巻55号発売】

戸田書店発行、雑誌『季刊清水』55号が戸田書店江尻台店店頭に並びました。

◉目次

巻頭詩 木立………佐野輝二

【特集1】
高部の山裾を歩く

はじめに………鍋倉伸子・石原雅彦
高部の中世東海道を歩く……… 渡辺浜男
高部の歴史を遺跡から考える………中鉢賢治
高部の庚申塔………小澤邦雄
大内には宝ものが多い………設楽 斉 
鳥坂の農家の暮らし 水上恭平さん………大島洋子
農業に魅せられて 近藤京子さん……… 松下光恵
真珠院と梅ケ谷………石原雅彦
神社へ仏像のお参り 光福寺の懸仏の話 ………大塚幹也 
大内の雨乞観音……… 松田香代子
天池眞佐雄と三つの歌……… 石原雅彦
昭和、梅ケ谷の思い出 山田晴美さん………豊田久留巳
戦時下の高部………鍋倉伸子

【特集2】
孤高の人 立花眞一………鈴木健夫

【特集3】
太平洋上で生まれた子に日米と名付ける話………江口敏郎

清水と私
おかっぱの少女思い出す橋………遠藤龍雄
まるちゃんを求めて 1991年春………小菅麻起子
切り絵………木村充宏
清水にもあった「鎌倉殿の13人」関連消印………菅 勝成
清水の路面電車……… 佐瀬慶子
スマホを捨てて 本屋に行こう!………柴田 彰

■編集後記

表紙画……北澤 浩「柏尾の梅畑」(油彩)
表紙デザイン……石原雅彦

店頭での購入は

戸田書店江尻台店

郵送でのお取り寄せは本ブログ左サイドバーのプロフィールにあるメールアドレスから
直接石原宛にメールでお問い合わせください。

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【どうよむ家康】

【どうよむ家康】

本を読みながら「すみません、ここに書かれた『浄穢不二』という四文字熟語が読めません」と降参して検索したら「じょうえふに」と読む仏教語だった。

「浄穢不二」は「きれい(清浄)」と「きたない(汚穢=おわい)」のふたつがほんらい表裏をなしてひとつのものであることを教えている。

なんだ、徳川の旗印にある「厭離穢土欣求浄土(えんりえどごんぐじょうど・おんりえどごんぐじょうど)」の浄と穢で「じょうえ」と読めばいいのだ。

「浄穢不二」は浄土も穢土もじつはひとつになって「ここ」なんだよ、と言っている。諸欲を捨てて浮かべば生きてここが浄土、諸欲に溺れて沈めば生きてここが穢土なのである。

2007 年 11 月 27 日 本駒込にて


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映画『タミーと独身者』より

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【本を辿る】

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【甲乙のつけかた】

【甲乙のつけかた】

大衆酒場で人気のある甲類焼酎が好きな友人[甲]がいて、別の友人[乙]が
「〇〇って合成酒だろう、俺は合成酒は飲まん」
と言うので、友人[甲]が
「合成酒じゃないよ」
と言っていた。

そこまでで終わった会話に割り込んでよけいなことを言うなら
「焼酎に合成酒なんてないよ」
であって、甲類と乙類があるだけである。

蒸留抽出された高純度エタノールを規定度数まで水で薄めたものが焼酎であり、そこに蒸留方法の違いにより、原材料の風味が残っていると乙類の焼酎になる。

味も香りも感じ方は人それぞれで言語ゲームの内にある。飲み手の知識次第で感じ方は「自在」であり、そういう意味で甲類は哲学的に上等である気もする。

大衆酒場を上等な酒飲みの溜り場と見るのが愉快なのは、自分という分限の内にある限り存在が「自在」であるからだ。

2007 年 11 月 25 日 秋葉原にて


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映画『タミーと独身者』より

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【意外な結末】

【意外な結末】

児童文学のシリーズ本に『5分後に意外な結末』というのがあって子どもたちに人気があるらしい。

死をもって人生の結末とするなら、それが「意外な結末」に思えるポイントが過去のどこかに必ずあり、人それぞれ『〇年後に意外な結末』が待っているのだろう。

年6場所の隔月開催に合わせ、老老介護になった先輩夫婦宅に三組の夫婦が集まって、大相撲中継を BS4K の大画面で観ながら飲み会をしている。

パーキンソン病の奥さんが手づかみで食べられるよう『豆狸(まめだ)』のいなり寿司を手土産にしようと思い、検索したら品川の駅ナカに店舗があろ。

品川駅で買い物をしたあと、友人宅がある溝の口駅まで行くためのルートを検索したら、となりの大井町駅から東急大井町線に乗れという。乗った記憶のない路線だけれど手っ取り早いのでそれに乗ったら、なんと大井町始発の溝の口終点で、端から端まで乗る長旅だった。

大井町駅
下神明駅
戸越公園駅
中延駅
荏原町駅
旗の台駅
北千束駅
大岡山駅
緑が丘駅
自由が丘駅
九品仏駅
尾山台駅
等々力駅
上野毛駅
二子玉川駅
二子新地駅
高津駅
溝の口駅

車内放送で「終点の溝の口駅には停車しませんのでご注意ください」と言っているように聞こえたのでびっくりしたら、終着駅手前の二子新地駅と高津駅にはとまらないらしい。
「そりゃそうだ、終着駅にとまらない電車という結末は恐ろしいね」
と言って妻と笑った。

2008 年 11 月 23 日 都内にて


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『わらべうた 通りゃんせ Touryanse』
作者不詳

20 音オルガニートで『童謡 どんぐり ころころ Donguri Korokoro』
作曲/梁田貞

20 音オルガニートで『わらべうた ずいずいずっころばし Zui Zui Zukkorobashi』
作者不詳

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【街のパンセ】

【街のパンセ】

自然の中にいるとき人は「私が」と言う必要がない、と哲学者が書いていた。なるほどなと思う。言われてみればそうなのかもしれない。自然と一体化する感覚が一人称主語を無用にする。山の思索者だった串田孫一に聞いたらどう言うだろう。

街の中で暮らしていても屋外を散歩しているときは「私が」の出る幕はそうそうない気がするのだけれど、自宅内にいるときは「私が」から考えを始めることが多い。自宅とは「私が」という考えの孵卵器のようなものなのかもしれない。

そういえば母親が他界して無住となった生家を解体し、更地にして売却を終えたとき、郷里清水駅前に降り立って深呼吸したら「私が」という空気が一段希薄になっていたような気がする。今でも定期的に帰省しているけれど、たしかに昔はもっと「私が」が濃密にあったように思う。

2006 年 11 月 25 日 庵原にて


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20 音オルガニートで『わらべうた 通りゃんせ Touryanse』
作者不詳

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作曲/梁田貞

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【エンジン(engine)】

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【清水弁の「どう」】

【清水弁の「どう」】

生まれ故郷静岡県清水でよく聞いて育った言葉に「どう」がある。

何かをしようとして苦労していると、横で見ていた他人が見かねて「どう」と言う。

清水弁で男なら
「どう、おれにやらしてみ」
と言い、女なら
「どう、あたしにかしてご」
と言う。(語尾の「ろ」と「らん」割愛型)

標準語なら、
「どれ、私にやらせてみなさい」
と言うところである。

たいがい横から手を出した者が上手くやってのけて誇らしげに笑うのだけれど、ときどき周りの者が次々に
「どう」
と手を出しても誰ひとり上手くできないこともある。

そういうときは最初に
「どう」
と言われた者が、みんなの顔を見回して、
「な〜」
と言う。

2009年11月21日 清水迎山町 吉田五十八設計だった忠霊塔


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作曲/梁田貞

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【のためカンタービレ】

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【春の準備】

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【最先端トーマス】

【最先端トーマス】

幼い頃からおもちゃの自動車を手に持って床の上を走らせているときの自分は自動車だった。自動車トーマスである。飛行機を持って飛び回るときは飛行機トーマスになっていたし、怪獣を手に持って積み木の街をぶち壊すときはもちろん怪獣トーマスになっていた。いつも手の先端部に持たれた物に[自分]が移行していた。子どもの楽しみは最先端にあった。

おとなになっても道具を手に持って作業をするとき、道具によってはその作用部分が[自分]になっている。精密な作業をするときのピンセットはもちろん、菜箸や、彫刻刀や、製図ペンや、耳かきや爪楊枝にいたるまで、神経を集中したときその先端には[自分]がいる。

言葉を厳密に用いれば、心身合一した自分から、道具を持って動かす自分と、道具自体になっている[自分]が分離しているのだ。

2017 年 11 月 5 日 駒込富士神社にて


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20 音オルガニートで『わらべうた 通りゃんせ Touryanse』
作者不詳

20 音オルガニートで『童謡 どんぐり ころころ Donguri Korokoro』
作曲/梁田貞

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作者不詳

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【草を分ける】

【草を分ける】

読んでいた本の中で、かわるところのない内容ではあるけれど、そのまま書き続けると長くなるので草分けしておく、と書かれていた箇所がおもしろく心に引っ掛かっている。気になるので、引き返してもう一度読んでみたら「章分けしておく」を「草分けしておく」と読み違えしていた。読み間違いとわかったものの、あらためて、「文章を草分けしておく」と心のなかで言ってみると妙におもしろい。

この場合、読み取っている「草分け」の意味は、辞書にある「草深い土地を切り開いて村や町の基礎をつくること」であり、そういう意味合いとして読めてしまったことによる、意味の空目とも言える。

整然と気持ちよく章立てされた文章というのは、家が立て込む前の草分けによる基礎づくりがしっかりなされた町並みのようなものなのだろう。

2007 年 11 月 17 日 駒込7丁目


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『小さな喫茶店 In einer kleinen Konditorei 』
作曲/F.レイモンド

20 音オルガニートで『愛の喜びは Plaisir d'Amour』
作曲/J.P.マルティーニ

20 音オルガニートで『恋はやさし野辺の花よ Hab' ich nur deine Liebe』
オペレッタ『ボッカチオ』より「あなたが愛して下さるならば 」
作曲/F.V.スッペ

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【ドラッグ漫才】

【ドラッグ漫才】

インフルエンザ A の判定が出て、一回限りの吸引薬投与を受け、熱冷ましの頓服を五回分もらい、39℃ の熱が出たところで二回目の服用をしたら平熱に戻った。治ってしまったような気がするけれど不安なので市販の風邪薬をダメ押しのおまじないとして飲んだ。

飲んだのは学生時代から気に入っている全薬工業の新ジキニン顆粒で、わが家の常備薬にしている。最後の一包がなくなったので、午前 9 時から開いているドラッグストアに買いに行った。

カゴに入れてレジに持っていったら、いつもの女性店員がパッケージ裏面の成分表を観ながら注意事項の説明を始める。そういう決まりになったのだろう。

後ろに並んで順番待ちしている人がいるし、こっちは半世紀も愛用している風邪薬なので
「いつも飲んでますから大丈夫ですよ」
と言ったら
「いつも飲んではいけません、症状が改善したら服用を中止してください」
と言うので笑った。後ろの客がクスッと笑うのが聞こえた。

2007 年 11 月 16 日の東大構内


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20 音オルガニートで『小さな喫茶店 In einer kleinen Konditorei 』
作曲/F.レイモンド

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作曲/J.P.マルティーニ

20 音オルガニートで『恋はやさし野辺の花よ Hab' ich nur deine Liebe』
オペレッタ『ボッカチオ』より「あなたが愛して下さるならば 」
作曲/F.V.スッペ

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