【連続テレビ小説】

【連続テレビ小説】

毎日夜になるたびに眠くなるので、ベッドに入って横になるといつの間にか自分というテレビ受像機の電源がパチンと落ちて画面から映像が消え世界が暗転する。そうやって人生という連続テレビ小説の第 2526 回目放送が終わる。

この連続テレビ小説は生まれた日の翌朝が記念すべき第一回放送日としてカウントされている。そしてまた今日という日の朝になり、自分というテレビ受像機の電源がパチンと入って人生という連続テレビ小説の第 2527 回目放送が始まる。

こういう超私的なブロードキャスティングシステムが「私」であり、その中で毎日放送される連続テレビ小説内に主演の「【私】」がいる。一緒に暮らす妻もまた超私的なブロードキャスティングシステムの「私」であり、その中で毎日放送される連続テレビ小説内に夫という配役をもらった出演者としての「【私】」が妻の共演者としている。

2006/10/30 清水港入港中の日本丸

世界に人口の数だけブロードキャスティングシステム「私」はあり、人口の数だけ主役を演じる「【私】」がいて、人口の数だけある「連続テレビ小説」内へチョイ役で互いに出演しあって生きている。時には百年を超える長寿番組もある。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『七つの子 Nanatsu no Ko 』
作曲/本居長世

20 音オルガニートで『中国地方の子守歌 Cyuugoku chihou no Komoriuta』
岡山県民謡

20 音オルガニートで『チロルの子守歌 Heidschi Bumbeidschi 』
チロル地方民謡

を公開。

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2023年10月号(通巻12号)まで公開中

 

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【放駒】

【放駒】

日本相撲協会の年寄名跡のひとつである放駒(はなれごま)は元大関魁傑が十七代放駒親方を名乗ったことで初めて知った。

現役を引退した力士という寂しいイメージもあり、争いに敗れたことで群れから離れて暮らす動物のはぐれオスのことのように思い込んでいた。

相撲に関係ないところで放駒ということばが出てきたので辞書を引いたらちゃんと項目があり、

・乗り手もなく綱から放れて走る馬。
・結んだ綱からはなれて走る馬。
・つないである綱から放れて走りまわる馬。

などとある。名跡の由来は不詳だというけれど、初代はどんな気持ちで放駒を名乗ったのだろう。

高崎市に現存する常夜灯の台名に寄進者として 38 人の相撲関係者が刻銘されており、その中に放駒源七の名があり唯一の証跡である。

とウィキペディアにある。証跡を辿ると群馬県に行き着くというところがおもしろい。

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2023/10/29 文京区立千石図書館にて


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20 音オルガニートで『七つの子 Nanatsu no Ko 』
作曲/本居長世

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岡山県民謡

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【対話の彼方へ】

【対話の彼方へ】

20 年以上も前に出た本の中で、たいへんすぐれた物理学者とたいへんすぐれた哲学者が対話をしていて、物理学者は存在論的な方向から正しく、哲学者は認識論的な方向から正しく、人間存在の不思議さという点においてはすれ違って話が合わない。

2010年10月15日 清水区蜂ヶ谷の『べにふじ』

そういう対話全体を包み込むようにして、どうして世界がこういう理解を超えた不可解な形式になっているのだろうということがおもしろい。そしてこの対話をされた数年後に、ふたりとも若くして亡くなられていることが、なんとも言葉で表現できない。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『七つの子 Nanatsu no Ko 』
作曲/本居長世

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岡山県民謡

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【鏡と花】

【鏡と花】

「人と一緒に飲むとたいていの場合、自分が眼について、いやらしい」
そう若き日の開高健が書いている。自分が眼につく相手と飲むと
「翌朝になって自分がしゃべったことをドブをかきまわすように思いだす」
からたまらないのだという。

他者は自分を映す鏡である。自分の言ったことがどういう反応を引き起こしたかが他者という鏡にあらわれている。たまらないのは、自分の神経細胞が鏡を相手に飲んでいるかのように相手の神経細胞に反応し、結局自分自身に悪酔いするからかもしれない。そういう現象をミラーニューロンというらしい。

2003年10月3日 清水新富町の夕暮れ

その点で家庭での晩酌は気楽である。家庭が世間の内側を向いてあることによって自分を映す外側の鏡がない。家庭を顧みないことと、世間体を気にしないことは背中合わせになっている。
「『花を買ひ来て妻としたしむ』って誰のうただっけ」
と検索窓に質問したら、上の句に「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」があって石川啄木だった。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『七つの子 Nanatsu no Ko 』
作曲/本居長世

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【釣り堀亭主人】

【釣り堀亭主人】

町の片隅にちいさな商いの店を出し、日がないちにち本を読みながら店番しているとポツリポツリと客があり、かつかつではあっても食べていけるだけの実入りがある、そんな暮らしをしている人の姿もだんだん見かけなくなった。

田舎政治家のような人もそうで、いつも町の中を歩いて回って些細な相談事に乗り、不幸があったと聞けばすぐに飛んでいってお悔やみを述べ、ちいさなイベントにも忘れず律儀に顔出しして挨拶し、「困ったことがあったら〇〇をたのめ」などと町の人に言われていたりする。

呼ばれて飛んできた〇〇さんは、何はさておきまずその家の仏壇に線香を上げる。ちょこんと正座して手を合わせる後ろ姿を見ていると、いつも黒い靴下には穴が空いている。そういうドブ板政治家のような人がいて、休みなく釣竿を上げ下げするようにして何かしら実入となる手伝い仕事を生み出してはかつかつに食べていた。

2016/11/16 静岡県清水真砂町にて

そういう人が亡くなって故人を知る人たちが集まると思い出話になり「ところで〇〇さんは結局何をやって食べていた人なんですか」などととぼけた質問をされることがあり、聞く方も〇〇さんに何をしてもらったか覚えていないようなので、地域という池のほとりでひっそり店を開いていた、便利な釣り堀屋のおやじだったんですよ、と答えたりする。

***「かつかつ」は富山では「ぎりぎり」という意味の常用語。おもに関西圏で用いられる古い言葉で上代語らしい。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『こんにちは赤ちゃん Konnichiwa Akachan 』
作詞/永六輔 作曲/中村八大

20 音オルガニートで『可愛いベイビー Pretty Little Baby 』
作曲/B.ナウマン

20 音オルガニートで『ベビー・フェイス Baby Face 』
作曲/H.アクスト

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【ギョッ】

【ギョッ】

一冊読んで気に入ると、手に入る限りその人の本が読みたくなる癖が小学生の頃からある。著者が存命だと作風の変化に追いつけなくて断念してしまうことも多いけれど、鬼籍に入られて生涯が確定している何人かについてはほぼ達成している。

たくさんの著書がある女性と話していたら
「養老孟司の本なんて読まなないよねぇ」
と言うので、
「最近は養老孟司を手当たり次第に読んでます」
と答えたらギョッとした顔をされていた。何でギョッとされたのかは謎である。

2003年10月4日、静岡鉄道入江岡跨線橋から眺めた桜橋方向

養老孟司『無思想の発見』(ちくま選書)を付箋を貼り線引きしながら再読したら、第六章で先日友人にもらった柳澤桂子『生きて死ぬ智慧』が好著として引かれていたのに気づいた。

ありがたくもらって気づく般若心経


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作詞/永六輔 作曲/中村八大

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【掃除の愉しみ】

【掃除の愉しみ】

毎朝食事をつくり、食事を終えて下げ膳した後は掃除機がけを家事分担としての日課にしている。

掃除機によるゴミの吸い込み仕事は楽しい。とくに目に見えるゴミが目ざわりになっていたのが吸い込まれて消えてなくなると「ああ、室内のエントロピーが減少したな」という達成感がある。

掃除機内に溜まったゴミ捨ても楽しい。室内で散らばってエントロピーを高めていた細かいゴミやホコリが吸い込まれることで、エントロピーが移動して掃除機内のエントロピーが増大している。

エントロピーが増大しているはずなのだけれど、真空掃除機内ではゴミやホコリや髪の毛が種類別に分別されてとろろ昆布状に堆積して低エントロピーにまとまっている。掃除機のカバーをあけ低エントロピーにまとまった塊をポイッとゴミ捨てしている。

2003/11/01 湯島天神にて

エントロピーは場所を移動しながら減少し、増大し、また減少して……ということをくりかえしている。色即是空、空即是色、真空掃除機。色も空も、有も無も、高も低も、増も減も、そして生も死も、この世界では対立するように見えても互いに相補的になっている。

面白いなあと心のなかでブツブツ念仏のように考えて暗唱しながら毎朝掃除機をかけている。


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作詞/永六輔 作曲/中村八大

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【闇夜に感ける】

【闇夜に感ける】

人間の生き方を探求して『エセー』(随想録)を書いたモンテーニュ( 1533 - 1592)は、公務に鬱々としながら、どうしたら自分自身にだけかまけていられるかについて思い悩んだらしい。夜中に目が覚めると『エセー』を少しずつ読んでいる。

あることだけにかかわって、ほかのことを顧みる余裕がなくなることを「かまける」といい、漢字まじりで「感ける」と書く。モンテーニュが自分自身にだけかまけたいと願うのは、自分自身にかまけすぎる現代人からするとおもしろい。「感ける」は常用外漢字(表外漢字)の使い方である。

2006/11/03 清水港にて

区立図書館に予約した DVD 2 枚の準備ができたとメールが届いたので、観終えた 2  枚を返却しがてら受け取りに行ったら、月に一度の月曜休館日だった。休館日でも休まず自動送信メールは届くのだ(よく読んだら「10月の休館日は、23日です」と書いてあった)。

晩酌の友とし、虚像の愉しみにかまけて憂き世の凶事を忘れるための娯楽がなくなったので、午後の NHK BS で録画しておいた『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』という映画を観た。

ちょろっと登場したレストランオーナーが話す声を聞いた途端「あれ、この声聞いたことあるぞ、ダスティン・ホフマンだ」と妻が言う。この人は声の聞き分けに異能があり、最後のエンドロールに Dustin Hoffman と出てきて「ああ、やっぱり」と満足していた。


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【幟旗のある秋】

【幟旗のある秋】

10 月 17 日、静岡県清水の友人からメールが届いてちいさな写真が一枚添えられていた。

生家があった地区の氏神様である白髭神社に白い幟旗(のぼりばた)が立っており、こういう景色を見ると「ああ清水は秋だな」と思う。矢倉神社は 15 日の日曜日が祭礼だったらしい。

2023/10/17 友人撮影

奉獻は「ほうけん」と読み、獻は「鬳」+「犬」=「献」の旧字体で、白髭神社の幟旗は「奉る」+「献る」=「たてまつりたてまつる」の畳語(じょうご)的表現になっている。秋空へ縦に伸びた幟旗にふさわしい。

2004/10 静岡県静岡市清水区村松4 村松神社にて

暑さがやわらいですっかり秋らしくなり、久能街道を辿って自転車を走らせたら、村松神社に幟旗がはためいていた 2004 年秋を思い出した。

2004/10 静岡県静岡市清水区村松4 村松神社にて

自転車と 自転車を漕ぐ人と 秋の風と 抜けるような青空と 真白い幟旗と 勢いのある墨文字が、一体で括弧付きの「私」になった永遠の記憶である。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『こんにちは赤ちゃん Konnichiwa Akachan 』
作詞/永六輔 作曲/中村八大

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【慣用読みのもやもや】

【慣用読みのもやもや】

憧憬ということばが出てくるたびに辞書を引いてしまうのは、読めないからではなくて「どうけい」と「しょうけい」ふたつの読みがあるうち、どちらが慣用読みだったかが気になっても答えが思い出せないからだ。「しょうけい」が正式な読み方で「どうけい」が慣用読みだと手元の辞書には書いてある。

けれどつくりである童の音読みは「どう」で、よく似た字である撞は呉音の「どう」が正式な読みで「しゅ」が慣用読みだと書いてある。……ってことはなんだ、撞木鮫は「しゅもくざめ」が慣用読みで「どうもくざめ」が正式なのかと瞠目してしまう。どうもその辺がもやもやと一貫しなくて覚えられないのだ。

2023/10/21 蝶がいなくなった区立千石図書館にて


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『こんにちは赤ちゃん Konnichiwa Akachan 』
作詞/永六輔 作曲/中村八大

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【カネとゼニのある鉢】

【カネとゼニのある鉢】

むかし郷里清水の母親が「金のなる木だよ」と言って手土産に持ってきた鉢植えが今も枯れずにある。カネノナルキという呼称の由来が好きではないので、フチベニベンケイと呼んでいる別名カゲツの鉢植えは根元が苔むしている。

なかなか寂びていい感じなのだけれど、そこにこの夏は緑の煎餅布団を敷いたような苔が生えてきた。牧野富太郎の伝記を朝ドラで見せられていたせいか、薄気味のわるい苔類だなと思いつつ思わないようにし、まあいいかということにして放置しておいたら次第に生息範囲を広げている。

勢いに驚いたので調べたら、鉢の表面を覆い尽くすと水捌けが悪くなるので園芸家には歓迎されない苔らしい。しかも繁茂してしまうと除去しにくくなるというので、どうしたものかと解説を読んだら名前がゼニゴケだという。カネノナルキにゼニゴケでは取り合わせがあまりに露骨なので今朝そっくり除去した。

2023/10/19 旧東京音楽学校奏楽堂に向かう山手線内にて

「分析哲学的な人」が本棚にふたりいて一方はすでに故人になっている。著書を読みながら、このよく似たことを考え続けている男女を同じ鉢に植えたら、どんな生態を作っただろうと想像していた。

ふたりの名前を並べて検索したらなんと 1990 年代に短いけれど稠密な対談をして本に収められているので古書で取り寄せた。やはり魂と呼べるような領域の個性がぶつかりあって烈しく言葉の火花が散っていた。何度でも読み返したいおもしろい鉢植えを見つけた。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『こんにちは赤ちゃん Konnichiwa Akachan 』
作詞/永六輔 作曲/中村八大

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作曲/B.ナウマン

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【木曜のコンサート】

【木曜のコンサート】

2023 年 10 月 19 日、旧東京音楽学校奏楽堂まで芸大生による木曜コンサート「古楽」を聴きに行った。建物は日本最古の洋式音楽ホールで国の重要文化財建造物に指定されており、出演者は全員まだうら若い東京芸大の女学生である。

2023/10/19 奏楽堂

上野の山は日本各地からのニュースで見るように、ゴロゴロ音を立てて大型キャリーケースを引きずり、飲み食いしながら道端でゴロゴロする外国人観光客で溢れ返っており、なんとも喧しいゴールデンオクトーバーになっている。

2023/10/19 奏楽堂

午後2時から4時までのコンサートを聴き終え、冷えたビールで乾杯するため、妻と妻の友人をオーバーツーリズム禍の及んでいない、リーズナブルに飲食できる店まで案内するのに苦労した。

2023/10/19 上野恩賜公園


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『野ばらに寄す To A Wild Rose 』
ピアノ小品集『森のスケッチ』より第1曲
作曲/E.マクダウェル

20 音オルガニートで『ローレライ Loreley 』
作曲/F.ビルヒャー

20 音オルガニートで『サリー・ガーデン Down by the Salley Gardens 』
アイルランド民謡(詩/イェイツ編集)

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【犬と嘘】

【犬と嘘】

かつてわが家にいた小型犬は、眼の前に食べ物を置き、「お座り」と言って「お座り」をさせ、「待て」と言って「待て」をさせ、いつまでも「よし」を言わずに焦(じ)らすと、待ちきれずにヘナヘナと体勢が崩れて「伏せ」になってしまう。

「伏せ」をした体が勝手に動いて少しずつ食べ物にいざり寄っていくので、「待てだよ!」と言うと、食べ物から目をそらせて見ないようにし、自動的に動いてしまう体をなんとか自分で抑え込む努力をしていた。

2023/10/18 文京区立千石図書館にて

 

「動物は嘘をつかない、というか嘘をつくことができない」
と書かれた本を読みながら、いや動物は自分自身を欺く知恵を持っている、と思う。彼は顔を背けて食べ物を自分に見せないことで、自分の体の自動性を抑えていた。

2023/10/18 文京区立千石図書館にて

人間だって他者を欺くより、勝手に反応してしまう自分自身を欺くことこそが、実は高度な「本当の嘘」なのではないか、そんなことをふと思った。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『野ばらに寄す To A Wild Rose 』
ピアノ小品集『森のスケッチ』より第1曲
作曲/E.マクダウェル

20 音オルガニートで『ローレライ Loreley 』
作曲/F.ビルヒャー

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【笑わない笑うゴリラ】

【笑わない笑うゴリラ】

都内の区立図書館前にある小さな花壇はチョウたちの大衆食堂である。ささやかな植え込みの花もだいぶくたびれてきて、それでも萎れかけた花に夢中で群がるチョウたちを見ているとそう思う。

2023/10/17 文京区立千石図書館にて

「人間は考える葦である」とブレーズ・パスカルは言い、「人間は笑うゴリラである」と開高健は言ってから三歩ゆずって「とくに男は」と付け加え、政治家は自分がゴリラでないと思わせるために笑ってみせるのだと、高度成長期の東京新聞に書いていた。

2023/10/17 文京区立千石図書館にて

笑うゴリラであるところの政治家が笑わない世相はいちだんと暗い。だんだんそういう世界になっている。テレビ放送はそういう暗いイブニング・ニュースを見てしまえばもう用がないので、夜は夫婦ふたりだけのミニシアターにしている。

区立図書館から借り出した映画の DVD を毎日一本晩酌しながら鑑賞し、毎日一本返しに行って、ネット予約した一本を借りて帰ってくる。今日の連日上映で 23 本目になった。


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20 音オルガニートで

20 音オルガニートで『野ばらに寄す To A Wild Rose 』
ピアノ小品集『森のスケッチ』より第1曲
作曲/E.マクダウェル

20 音オルガニートで『ローレライ Loreley 』
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【日用品としての読書】

【日用品としての読書】

ネット上の記事だったと思うのだけれど、ちょっといいなと思って著書を買ったりして気にしている若い哲学系ライターが、フラナリー・オコーナーという 1964 年に 39 歳で亡くなった米国人女性作家のことを取り上げていた。

読んでみたいと思って『善人はなかなかいない』筑摩書房を取り寄せてみた。帯の惹句に「絶望に至る道とは、なんであれ経験を拒むことである。そして小説は、もちろん、経験する方法である」という著者の言葉が引かれている。

最初の短編一本を読んだら自分の神経には衝撃が大きすぎて、経験を拒んだかたちで放り出してしまった。本を閉じて、この本の訳者である横山貞子を調べたら、なんと鶴見俊輔の奥さんだったのでびっくりした。

読みかけの本を放り出して申し訳ないので翻訳ではなくご自身の著書から『日用品としての芸術――使う人の立場から』晶文社(1979)を選んで取り寄せ、読み始めたらとてもいい。装幀も大好きだった時代の平野甲賀で、あみだくじ的にめっけものをした。


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20 音オルガニートで『野ばらに寄す To A Wild Rose 』
ピアノ小品集『森のスケッチ』より第1曲
作曲/E.マクダウェル

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