【congratulations】(再掲)

【congratulations】(再掲)

 
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 1999 年 11 月 23 日の日記再掲)
 
11 月 20 日(土)、清水市は 1999 年 J リーグ 2ndス テージ第 13 節「アビスパ福岡」戦で沸き立っていた。清水市興津の町に向かう「第一タクシー」の車内では勿論清水エスパルスの実況中継が流れている。興津駅前の魚屋さんも大音量で中継を流しながら黄昏時の商戦の真っ最中。地元の熱心な応援を受けて日本平では、清水エスパルスが 1 対 0 でアビスパ福岡を撃破。残り 2 試合の内 1 勝すれば悲願の初優勝というところに漕ぎ着けた。
 
そして、本日 11 月 23 日(火)横浜 F マリノスを接戦の末 2 対 1 で破り清水エスパルスは初優勝を達成した。2 年前、財政難から存続を危ぶまれるほどの危機から立ち直り、熱心な指導者と、薄い選手層をフェアプレイとチームワークで乗り切る選手の自覚と、地元の燃えるようなサポートに支えられ、遂に頂点に登りつめた清水エスパルスに心からの祝福を贈る。
 
せめてものお祝いに、遅ればせながらファンクラブ入会申込書に「優勝おめでとう!」のメッセージを添えて FAX を送った。清水エスパルスホームページでは既に優勝 Logo 入りで勝利を祝っていた。
 
こちらも清水エスパルスの Logo 入りでお祝いを掲載したいところだが、デザイナーが率先して Logo / キャラクタ等の著作権を擁護しなければならないので、11 月 21 日、
「エスパルスもがんばってますから」
と大奮発して Logo 入りサブレを 3 袋プレゼントしてくれた、清水銀座商店街・和菓子の老舗「中満」店頭の幟の写真を掲載しておく。
 
 
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【光の国、闇の国】(再掲)

【光の国、闇の国】(再掲)

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 1999 年 11 月 22 日の日記再掲)

 

光の国へ

生まれ故郷「静岡県清水市」で最後の映画館が閉館したとき、確実に「街の灯」がまた一つ消えたことが実感として心に沸き上がってくるのを感じた。

その街に最近新たに映画館がオープンしたという。是非一度この目で確かめてみたいと思い 11/20 から連休をとって出掛けてみた。

県道 150 号線を三保方面から湾岸沿いに清水市街地方向に進んだストックトン橋の手前右側に、それは突如出現した。僕の記憶では、そこはかつて地元企業「鈴与」のトラック操車場の有った場所で、廃線になった清水臨港線に沿って延々と工場や倉庫群の続く灰色の町並みだった場所だ。

現地に近づくと延々と連なる自家用車の列。乗っているのは若者や家族連ればかり。そして、出た。オレンジ色「清水エスパルスカラー」の巨大エンターテイメントビル「エスパルスドリームプラザ」。周辺には 610 台収容のパーキングが 3 棟。清水駅との間をピストン輸送する無料送迎バス。休日ということもあり、物凄い盛況ぶり。清水でこれほどの活気ある人の波を見たのは久しぶりだ。この建物周辺には各種イベント施設、ヨットハーバー、親水公園などが整備され小春日和の日差しを浴びて家族連れが海辺の遊びを楽しんでいた。

人並みに揉まれて館内を歩いた妻の感想:
「清水じゃないみたい」
映画館は 4 階にある「 MOVIX 清水」で、最近流行の観客の快適性を重視したミニシアターのようだ。

さすがに人当たりしてしまい、海の見えるテラスでグラスワインを注文し、おそらく1 日「万人」単位の人出を記録したであろうウォーターフロントの盛況ぶりと、駿河湾上にぽっかり頭を出して満足げな富士山に乾杯して帰って来た。

闇の国へ

清水市内でお薦めの店、地元で漁師をしている若者達の直営店「新生丸」から、一人の若者が独立し興津の町で「もとよし」という鮮魚料理の店を始めた。その若者は母のお気に入りでもあり、静岡リビング新聞社の大江みどりさんを伴って妻と4人で出掛けてみた。

興津は清水市の東のはずれにあり、かつては東海道の宿場町として栄え、西園寺公望など著名人が別邸(明治村に移築されて現存)を構えるなど、風光明媚な保養地としてその名を全国に轟かせた町だ。今は、新幹線開通、東名高速道路開通、国道 1 号線バイパス開通、港湾整備と水質汚濁による海水浴場閉鎖、そして平成不況の嵐に揉まれてすっかり往時の繁栄は影を潜めてしまい、静かな海岸沿いの町になっている。

バイパスの混雑を避けて旧 1 号線(旧東海道)をタクシーで向かったのだが、まばらになったとはいえ、古い街道沿いの家並みを守り続けている人たちがいることに感動し、もう一度徒歩でこの町並みを歩いてみたいと思った。作家の村松友視氏も加わって町並み保全の運動も始まっているとも聞いた。

昔の商家の風情をしっかり残して、今も手作りで頑張っている醤油やさん、腰を抜かしそうに美しい佇まいの鯛焼き屋さん、そして一度入ってみたい魅惑的なおでんの店。(川上哲也さん、いかが?)

静かな町の夜は深い闇を伴って足早にやってくる。めざす「もとよし」は、その町並みを更に通り過ぎた海岸沿いの静かな場所にあった。口あけで席に着いたものの、こんな人の気配のない場所で商売が成り立つのだろうかと店主の「たかやくん」の将来が危ぶまれたりしたのだが、来るわ来るわ、深い闇の中から次々に客が湧いてきて、あっという間に満員になり、臨時の補助椅子を持ち出さなければならないほどの大盛況だった。

とれたての地魚と地酒を飛び切り安く御馳走になり、タクシーを呼んで貰って興津の闇夜を後にした。

タクシーが清水駅前に着いたときの母の第一声:
「ああ、街に帰ってきた!」(全員爆笑)
小さな港町で、サッカーを目玉に新たな光を灯そうとする人々、古い町並みの闇の深さを大切に守り続ける人々を見てきた。そして最後は、大正橋の袂で今日も元気な「金田食堂」の灯火に引きつけられるように 4 匹の蛾は暖簾をくぐるのであった。

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