◉風と桶屋と改元と

2019年4月30日(火)
◉風と桶屋と改元と

改元の儀式が執り行われる節目に連なるここ数日間が妙に静かに感じる理由の一つは、いつもひっきりなしに入ってくるゴミメールが激減しているからだ。風が吹けば桶屋が儲かる式に、改元があるとゴミメールが減るという、関係性に基づく因果が生じるのだろうか。

SMC PENTAX-A MACRO 1:2.8 f=50 mm

ゴミ情報という常在するバイアス電流のようなものが減ると、妙に静けさが際立つのが不思議だ。このところ上階のベランダ席がカラスのお気に入りになっているようで、黒い影がバサバサっとこちらに向かって飛んで来てびっくりする。

(2019/04/30)

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◉平成最後の米櫃

2019年4月30日(火)
◉平成最後の米櫃

平成最後の日の朝食用に炊飯器をセットしたら米櫃が空になった。世の中は十連休なので「しまったなぁ」と思う。米屋だってしまったままかもしれない。

昔から前を通るたびにぼた餅や赤飯、そして正月用ののし餅やなまこ餅を買っていた堀江米店が本郷通り沿いにある。大正五年創業だという。

漱石の「三四郎」を読むと本郷通りの路面電車 19 系統の開通が遅れた理由がわかる。それでも 本郷三丁目交差点から次第に延伸されながら赤門、正門、追分町、蓬莱町、肴町、吉祥寺、駒込富士町、上富士前町を経て駒込橋までたどり着く。それが何年だったのかはわからない。関東大震災1923年(大正12年)直前の地図を見ると駒込橋までつながっているが、飛鳥山方面からやってきた電車の終着駅駒込駅前とは、まだ山手線をまたいで繋がっていない。

その年の地図で日本医大は医学校とあり、根津神社と日本医大の間をのぼって郁文館裏すなわち漱石の猫の家前の道と交差し、本郷通りに抜ける道はまだない。米屋がある場所は本郷通り追分町と蓬莱町電停の中間あたりになるが、現在地に移ったのは空襲で焼けた後で、元は赤門前裏手にあったという。

日本医大に入院した出版社社長を見舞った帰りにぼた餅を買いに寄ったら、扱い米に大好きなミルキークイーンがあるのが見えた。郷里清水で一人暮らししていた母が好きだった銘柄米で、よく船越まで買いに行かされた。亡き母が好んだ理由がしみじみわかる年齢になったので、最近はミルキークイーンを炊いている。山形県みずほ生産者グループ斉藤茂さん・大樹さんのミルキークイーンだそうで、5キロくださいと言ったら黙っていても分づき精米してくれた。おいしい。

未明に目が覚めて空になった米櫃を思い出したので、令和最初の営業日はいつになりますかと365日の紙飛行機メールしてみた。さっそく返事が来て連休期間中は今日30日と5月2日、6日が短縮営業日だという。あいにくの雨なので令和二日目に買いに行くことにした。

(2019/04/30)

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◉鎹

2019年4月29日(月)
◉鎹

「鎹」ってなんて読むんだっけと辞書を引いたら「かすがい」だった。「鎹」だけでは読めないのに「子は鎹」と書いてあれば読めるので、なるほど子は鎹だなと思う。

驚いたことに「㮸(くさび)」も「銯』も「鍄」もまた「かすがい」と読む。地名に「かすがい」が好んで用いられたことが、こうしていくつもある国字の発生理由だろうか。

(2019/04/29)

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◉メトロノーム

2019年4月29日(月)
◉メトロノーム

郷里清水の葬式で僧侶の読経が始まり、参列者が拍子木を打ち鳴らしながら唱和し、その音響効果が面白くて故人を悼みながら感動した。「その木はなんというのですか」と見知らぬ参列者に聞いたら「ああこれですか、拍子木です」と言うので拍子抜けしたことがある。一般的には音木(おんぎ)と言い、各宗派で割笏(かいしゃく)、戒尺(かいしゃく)、節折(せったく) 、激柝(げき)などとも呼ばれるらしい。そういう音響セレモニーのような葬儀には残念ながら一度しか遭遇したことがない。

 

SMC PENTAX-A MACRO 1:2.8 f=50 mm

40 年近く前に買ってやった Wittner(ウィットナー) のメトロノームが動かないというので調整しながら注油してやった。どうせまた何年も使わないのだろうと思い、だったらゼンマイを解放しておいたほうがいいので振り子が止まるまで振らせておいたら、しばらくのあいだ日蓮宗の葬儀のようなだった。拍子木の打ち方もメトロノームのようなものなので、用途ごとに中拍子(ちゅうびょうし)や本拍子(ほんびょうし)などバリエーションがあるらしい。

(2019/04/29)

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◉蕨灰釉

2019年4月29日(月)
◉蕨灰釉

骨董屋の話に出てきた蕨灰釉(わらびはいゆう)という言葉に興味があって調べてみたら、蕨を焼いた灰を用いた陶芸用の釉薬だ。蕨は日当たりのよい酸性土壌に生えるシダ植物だが、春に摘んで食べる山菜としての新芽ではなく、生い茂って枯れたものを秋に刈って焼くらしい。

ワラビ灰釉の見本がある福島釉薬のページ

東京オリンピックの後だから昭和四十年代はじめだろうと思うが、北区王子にあった木賃アパートの隣人が埼玉の蕨に家を買って引っ越した。ご主人は万年筆メーカーで工員をされていたが、がんばって自前の小さな工場兼用住宅を建てたのだった。訪ねてみたら、当時はまだ駅前からちょっと歩くと人家が途絶えて農地が広がる田舎町だった。

蕨の地名の由来は藁火(わらび)であると鑪(たたら)製鉄がらみの本で読んだ記憶がある。藁火と蕨の二説があるらしいけれど、陶芸も製鉄も焼成時の酸化還元に藁や蕨が関わるので、いずれであっても正解に近いように思う。

昨夜テレビ東京のモヤモヤさまぁ〜ず2を見ていたら笹塚の福寿という中華そば屋が出てきた。懐かしい旧家風の店構えでよい竃(かまど)のある厨房に見えた。一度行ってみたいので忘れないようメモしておく。駒込から蕨まで乗り継ぎがよければ 35 分ほどだが、一里塚に笹が生い茂っていたという笹塚も同じくらいの所要時間で行くことができる。

(2019/04/29)

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◉褌町

2019年4月28日(日)
◉褌町

富山の女性と結婚して初めて日本海を見た。富山と静岡は互いに表日本と裏日本の関係になっていてよく似ている。後方に高い山を背負い、前方に深い海を抱いて、白えびと桜海老のように獲れる海産物も似ている。

山が海辺まで迫ったあたりは交通の難所になり、ともに親知らず子知らずと呼ばれた場所があって伝わる昔話も似ている。そういう海辺に街道と鉄道が沿い、道の脇にへばりついて細長い集落がある。そういう集落を褌町(ふんどしまち)という。新潟から富山に抜ける旅の途中の井伏鱒二にこんな一節があった。

筒石を過ぎると丸山君は伸びあがって、 「あれが坂中屋です。戦争中、坪田譲治さんと小田嶽夫さんが、魚を食べに来た宿屋です。幾らでも食べさせました。あれです」と、往還ばたの「坂中屋」と看板を出している家を指差した。その家の裏手はすぐ海で、小島ひとつ見えない荒海が拡がっている。これは右手の窓から見ての風景で、左手には間近く迫って小高い山が続いている。去年、私は丸山君と金沢へ行ったときにもここを通ったが、往復ともに居眠りしていたのでこの風景が目新しく見えた。出て来る町が殆どみんな褌町で、トラックの埃を浴びている。川はみんな谷川の恰好したまま海にそそいでいる。初々しい川というよりも、曲がない川と云った方がいい。それでも、この辺の川には鮎がのぼるのだと丸山君が云った。(井伏鱒二『晩春の旅 山の宿 現代日本のエッセイ』講談社文芸文庫)

川の様子までよく似ている。連休中は友人夫婦を誘い、駿河湾に注ぐ鮎釣りで名高い川沿いを遡り、清水の最奥部で暮らす友人の山まで筍掘りに行ってくる。竹林の場所は標高 200 メートルくらいになる。

(2019/04/28)

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◉木の葉は緑

2019年4月26日(金)
◉木の葉は緑

桜の花が咲き終わるとさまざまな木々の芽吹きが加速する。そういう季節になると深夜の雨音が楽しい。雨粒が葉を叩く微かな音が聞こえてくるようになる。

COSINA 1:3.5 f=100 mm MC MACRO

中学時代に聴いたポールサイモンの歌にそんな歌詞があったような気がして調べてみた。

I hear the drizzle of the rain(僕は小雨の音を聴いている)
Like a memory it falls(思い出のようにそれは降りしきる)

という歌詞で
Am→Em→C→D7
G→Bm→G→C
のギターコードで歌われていた。

タイトルは「Leaves That Are Green(木の葉は緑)」だった気がして調べたらそんな歌詞はない。覚えていた drizzle of the rain で検索したら「Kathys Song」だった。いま思えばよく似ている。

(2019/04/26)

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◉とじ穴

2019年4月26日(金)
◉とじ穴

保育の月刊誌をつくる手伝いをぽつぽつやりながら数年が経った。担当編集者が気の合う異性の飲み仲間であるがゆえに引き受けた友だち仕事である。そういうよい友だち仕事は、たいして金にならない方が、わがままが効いて、楽しみながら長続きする。薄利、自由、愉快、持続、友情という、人生を楽しむための十分条件が揃っているからだろう。

A4 判 で毎号 100 ページに満たない冊子なので、二穴式バインダーに綴じて書棚に並べられるよう穴あけ加工がされている。ときおり「写真が穴にかかるのが気になります」と言われて「ごめん、また穴があるのを忘れてた」と笑いながら調整している。

冊子を綴じるふたつの穴は日本工業規格 JIS で定められ、穴の直径は 6 mm ± 0.5 mm と決まっている。ふたつ穴の位置は天地中央、背から 12 mm ± 1 mm、間隔 80 mm ± 0.5 mm で、数値は穴の中心から測る。それが JIS S 6041 規格である。穴がふたつの二穴以外にさまざまな多穴もあって、それは JIS Z 8303 に定められている。バインダーは穴の数で違っても、穴の大きさ自体はどれも共通で一定である。

 

SMC PENTAX-A MACRO 1:2.8 f=50 mm

10 連休中はほとんど外出せずに仕事場の片付けをすると決めている。三十年以上に及ぶ平成時代に溜め込んだ資料を捨てながら、古びたバインダー自体も捨てている。

燃えない金属部分は清掃作業員さんの手を煩わせないよう前もって外しているが、6 mm ± 0.5 mm の穴に貫通させて紙を綴じるための金具は、いつか役立ちそうなので捨てずにとってある。穴の大きさが共通なので、これはバインダーのいらない製本器具であり、買おうと思ったら東急ハンズあたりで買えるのかもしれない。

(2019/04/26)

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◉シャツの一週間

2019年4月25日(木)
◉シャツの一週間

白いシャツに七つの穴が等間隔に並んで一週間ができている。上から順にボタンを七つかけ終えるとまた一週間が終わる。

一緒に仕事をしている女性編集者から電話があったので、10 連休前にお疲れさまの飲み会をしようと誘い、金曜日はどうかと尋ねたら木曜日のほうがいいと言う。

平成最後の飲み会に選んだのが、意外な場所で見つけた裏通りの沖縄料理店なので、念のため電話予約しておいてほしいと妻に頼んだ。

OLYMPUS Zuiko 1:2.0 f=100 mm

水曜日の夕暮れ時に電話をかけた妻が
「明日、金曜日の六時から三名で予約したいんですけど…」
と言い、
「えっ!今日は木曜日ですよね!」
などと店側と話が噛み合わず、珍妙なやり取りをしているので笑った。

飲み会といえば金曜日という思い込みが、シャツのボタンをひとつ掛け違えさせたのだろう。

(2019/04/25)

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◉おうむ返し

2019年4月24日(水)
◉おうむ返し

このところベランダ手すりがカラスの立ち寄り場所になったらしく糞が落ちている。べちゃっとしたものがこびりついて汚いので、掃除しなくちゃなと思いつつ横目で見ていたら、とつぜん「カアーー!カアーー!」と大声で鳴きながらバサバサっととまって鉢合わせしたので、網戸に顔を近づけ大声で「カアーー!カアーー!」と怒鳴ってやったら、びっくりして後ろ向きに転落するように逃げて行った。妻がそれを見て笑っていた。

Jupiter-8 1:2.0 f=50 mm

人間以外の生き物に対してとっさに声で反応するとき、「こら!」とか「この野郎!」ではなく、とっさに「カアーー!カアーー!」とおうむ返しに相手の言語で発話してしまうのも不思議といえば不思議だ。

(2019/04/24)

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◉被写界深度

2019年4月24日(水)
◉被写界深度

カメラが勝手にピントを合わせてくれるようになる以前に写真と親しんでいた人たちは被写界深度を知っていた。被写界深度とは、近くから遠くまでの縦方向で、ピントが合っているように見える範囲のことをいう。 それは絞りの値、レンズの焦点距離、撮りたいものとの距離で決まる。

そんなややこしい理屈を知らないお母さんたちでさえ、晴れた日はこのマークに合わせておきさえすれば、近くからバックまでピントが合うなどと言って、カメラを「写ルンです」状態にして旅を楽しんでいた。家庭用カメラにはそういう「スナップマーク」のようなピント位置マークがついていた。

SMC PENTAX-A 1:12.8 f=28 mm の被写界深度 SEL30M35 E 30 f=30mm 1:3.5 Macro

最近、昔の古いレンズをデジタルカメラに取り付けて写真を撮り、焦点距離 35mm あたりが、どうやら自分の性に合っていると再確認している。35mm はちょっと広角寄りのレンズなので、f8 まで絞り込んで近くから無限遠までピントが合っている写真を写したいとき、許容錯乱円を 0.03mm と考え、ピントを 5.2m に合わせてやれば、無限遠にある風景から 2.6m あたりまでピントが合うことになる。

SMC PENTAX-M 1:2.8 f=35 mm の被写界深度 SEL30M35 E 30 f=30mm 1:3.5 Macro

古い手動ピント合わせのレンズにはそういう計算尺的目盛りが刻まれていた。ペンタックスのレンズは文字が赤く彩色されてエレガントな工夫がされており、絞りとピントの赤い文字をセンターに合わせればスナップモードになっている。友人たちと飲みに出るときはこの位置に合わせておき、ミラーレス一眼を「写ルンです」状態にして片手で写真を撮っている。昔のものはとても便利にできていた。

(2019/04/24)

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◉夕暮れの呼び声

2019年4月23日(火)
◉夕暮れの呼び声

夕暮れ時が近づいた裏通りから、母親を呼ぶ子どもの声が聞こえ、「はいよ〜」と返事をしたら妻が笑う。

なぜ返事が出たかというと、その呼び声が「おかぁさ〜ん」だったからで、「マ〜マ〜〜」ではない日本語の呼び声を久しぶりに聞いた。

 

SMC PENTAX-A MACRO 1:2.8 f=50 mm

どこか哀切さが感じられ、思わず「はいよ〜」と声が出た。たぶん言葉のはじまりとは、こういうものだったのだろう。

(2019/04/23)

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◉母の日

2019年4月23日(火)
◉母の日

郵便受けを覗いたら妻宛に A4 サイズのダイレクトメールが届いており、透明封筒なので「母の日に届いて嬉しい〇〇〇シューズ」と書かれているのが見えた。この春は妻にとって初めて迎える母親のいない「母の日」である。こんなものを見たらこみ上げるものがあって悲しいのではないかと思い、見せずに捨てようかと思いつつ考えた。

義母はそのメーカーがつくる介護用シューズのお世話になっていた。義母が健在なら
「母さんの靴、いい機会だから新しくしようかな」
などと言ったかもしれない。毎年届くのもかなわない気がし、配信停止の申し込みはできないのだろうかと開封したら製品カタログが入っていた。義母だけでなく義父もまた、履かせたり脱がせたりしやすい介護シューズのお世話になっていたのを思い出した。

早いもので、親の介護が始まった日から足掛け 18 年になる。自分たち夫婦が介護シューズのお世話になる日もまた、ひたひたと潮が満ちるように迫り来る。定期的にこういうものが届いていればいつか役に立つこともあるだろう。母の日とはそういう大きな意味でありがたい日かもしれない。

(2019/04/23)

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◉悠々と、ゆっくり、そして静かに

2019年4月22日(月)
◉悠々と、ゆっくり、そして静かに

開高健は「悠々として急げ。」と言った。アウグストゥス帝は「ゆっくりと急げ。」と言ったらしい。それを名言として引く人々の解釈はさまざまだ。

精神科医の森田正馬はドイツ語の諺として著書に「静かに急げ」を引いている。神経質者の心得として森田が言わんとするのは、関係で成り立っているこの世界、世界に本質があるとすれば「もの」にではなく「もの」と「もの」との「関係」にこそあるという意味だけれど、その多くの「関係」にせわしなくとらわれ過ぎず、過度に集中しすぎて狭く深くとらわれすぎず、適度な度合いのとらわれ方を持続できるように心がけよと言っているように思う。

 

OLYMPUS Zuiko 1:2.8 f=100 mm

大相撲に気になる力士がひとりいて注目している。なぜかといえば彼がその体格に似合わず、たいそう神経質に見えるからだ。そしてその言動に「静かに急ぐいつも通りの手順」で自分を律しようという努力が垣間見えるのが好もしい。解説の北の富士が「最近の相撲取りは難しいことを言うからぜんぜんわからんよ」と言うので笑った。

生活も稽古もいつも通りの「手順」で事を運び、いつも通りの「手順」で対戦相手を土俵の外へ運んでいるとき、彼はとても強く安定している。そういうときの彼は静かに急げている。

(2019/04/22)

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◉桜丘町再訪

2019年4月22日(月)
◉桜丘町再訪

渋谷区桜丘町にあるコンベンションセンター渋谷区総合文化センター 大和田まで佐治晴夫さんの講演を聞きに行ってきた。700席完売の大盛況だった。本も飛ぶように売れていた。

 

SEL16F28 E f=16mm 1:2.8

桜丘町には知り合いの工業デザイナーが事務所を構えていたので会社員時代は仕事で通った。1980年代後半のバブル経済時代になる。あの頃、12階にコスモプラネタリウム渋谷をのせた巨大ビルなどなかったわけで、ここには何があったのだろうと当時の地図を見たら大和田小学校だった。小学校統廃合で学校は1997(平成9)年に消えていた。2007年10月にコンベンションセンター建設が着工し「大和田」の名前だけが残ったわけだ。

バブル経済当時の桜丘町

熱心な追っかけファンのいる佐治先生の講演は評判通り面白く、「ほら無限論がらみの話が出てきた、ほら自他論がらみの話が出てきた、ほら亭主がなぜ三角形を作図して相似形増殖遊びを面白がっていたかが、フラクタルがらみの話を聞いてわかっただろう」と妻に話して得意げに嬉しい。

明治時代始め頃の桜丘町あたり

テレビでたびたび取り上げられる渋谷駅再開発の現場がちらっと見え、酷似した駅前都市の増殖も止まらない。

(2019/04/21)

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