【ふるさとは遠きにありて…】(再掲)

【ふるさとは遠きにありて…】(再掲)

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2000 年 4 月 16 日の日記再掲)
 

清水より帰京。清水市内、有東坂方面で買い物をして、次郎長通り『魚初』に回り、『しみずみなとお魚センター』で可愛い従妹の顔を見て昼ごろ清水インターから東名に乗ると 2 時過ぎには都心に着いてしまう。東名の片側 3 車線化が進んだ恩恵である。ああ、本当に清水が近くなったなぁと思うが、心から有り難いと言えるかというと、そうでもない。

しみずみなとお魚センター(2000)

子どもの頃や、お金が無くて暇が有った学生時代、鈍行列車に乗って東京・清水を往復した頃が無性に懐かしい。夕暮れの清水駅前で買った「やすい軒」の駅弁を食べながら遠ざかるふるさとを思って感傷に浸ったあの頃。貧しかった時代が、今ではとても豊かな時代に思えるのだ。

稚児橋架け替え工事中(2000)

箱根の温泉街の経営者の方々は大変らしい。かつて東京から一泊旅行というと箱根や熱海がまず候補に挙がったものだが、中途半端に近くなってしまって宿泊客が激減してしまっているらしいのだ。友人が、どのようにしたら再び地域を活性化できるかのアイデア披瀝の講演なんぞに行っているらしい。どんなイベント、施設を作ったら良いかと。

リバーサイドイン玉川(2000)

だが、よくよく考えると何処かヘンなのだ。戦前の都市文化人の記録を見ると、朝東京を出立し、程良い頃合いに箱根の山の湯の宿に到着し、数日間雨の日も晴れの日も抱えて行ったたくさんの書物を読んで過ごし、温泉に入り、質素ながら品目の多い理想的な日本食をいただき(昨今の旅館の食卓で火を焚いたりする馬鹿な接待合戦にはうんざりする)、のんびりと身体の英気を養ったりした、当時の旅の何と豊かな事か。珍妙な「見所」にかかずらわされる事も無く、程良い距離に有ったが故に、大切な時間とじっくり付き合うことができたのだ。たかが1週間程度の旅程で数ヶ国を回りくたくたになって帰って来る格安パック旅行の何と貧しい事か。

新幹線なんか停まらなくたって、鈍行列車で程良い時間に着くことができる土地に、安くてとびきり新鮮な海の幸が有り、穏やかでゆったりした時間の流れる人情味溢れる町があることの方が、より豊かなように我が郷土を思うと感じられてならないのだ。それらをぶち壊す様なイベントや箱物建設なら金と資源をドブに捨てるようなものだと思う。

昔、旅先で日が暮れてしまい、飛び込みで一夜の宿を乞うた会津喜多方の宿のマッチにはこう書かれていた。

  寂しさの懐に入る心地して 夕暮れに着く山の湯の宿

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