【桃の木は残った】

【桃の木は残った】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2001 年 8 月 25 日の日記再掲)

人間加齢とともにもの忘れの頻度も増すようで、年をとるに従ってものを忘れなくなる方がかえって辛いような気がするから、それはそれでありがたいことなのだろう。だが仕事の約束を忘れるのは心臓に悪い。
「もしもし、今日いただくことになっている新刊の装丁をお待ちしているのですが…」
「あっ!」
これは最近よくあるもの忘れ。
だけどもっとジワッとボデーブローのように効いてくる気味の悪いもの忘れもある。

最近ホームページをリフォームし、ついでに過去の日記も閲覧できるようにしてみた。「へたくそな文章だなぁ、全く論旨の一貫していない駄文だなぁ」と恥じながらも、「まぁ単なる凡人の日記なんだから」と次々に登録していたら、思わず息を呑むような一文に遭遇してしまった。

某月某日の昼休み、ちょっと思うところがあって、これは日記に書いておこうと思い立ち、書き始めたらスラスラと書ける書ける、最近はちょっと文章力もついたかなと悦に入っていたのだけれど、その一年ほど前に全く同じ日記を書いていたのだった。かつて下書きをしていたも同然なので筆が走るわけだ。しかも下書きがあったので前回の物よりちょっとだけ出来がよく、その分技巧的でクサイ気がしないでもない。あわてて片方を削除したのだけれど、二度同じ文章を書いたという自覚が全く無いのだ。これは恐ろしいもの忘れだと思う。

(写真はカメラマン K 氏宅にて 2001 年 8 月 26 日撮影)

短編やエッセイを連発している売れっ子作家先生というのはこのような物忘れをしないのだろうか?

「もしもし、文藝逡巡の沢井ですが、まことに申し上げにくいのですが、先生からいただいた今回の原稿『桃の木は残った』なんですが、昨年オール読捨にお書きになった『桃の木は見ていた』に似ているというか、そ、その、ほとんどその、そのまんまなのですが……い、いえ、ほんとですよぉ、ほんとぉに。こ、これからお持ちいたしますから……」
「う~~む」

なんてことは無いのだろうか?

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【遺跡のある場所】

【遺跡のある場所】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2001 年 8 月 25 日の日記再掲)

本郷台地を歩くと遺跡の発掘現場に遭遇することが多い。現在の JR 山手線と京浜東北線が併走する崖線までかつては海が迫っていたわけで漁労生活に適した暮らしやすい場所だったのだ。いままで発掘を目撃した場所を頭の中の地図に赤丸を打って概観してみると駅に至近な場所が多く、古代人も交通の便の良い場所を好んで住んだ…なんてことがあるわけじゃなし、駅周辺の商業地ほど建て替えが頻繁に行われているため遺跡が発見される機会が多いのだろう。

(写真は北区田端 5 丁目にて 2001 年 8 月 24 日撮影)

とはいえ、古代人の暮らしぶりと現代人のそれが奇妙に一致しているように感じられて面白いこともある。
JR 日暮里駅で下車して山手線内側へ歩くと車道は石段となって行き止まり。幅広の石段の下に続くのが NHK 朝の連続テレビ小説「ひまわり」(松嶋菜々子が出たやつ)で有名になった谷中銀座で、吉本隆明や池波志乃が買物していたりする「おかず横丁」と呼びたいような気安い商店街だ。そこへ続く石段が通称「夕焼け段々」なのだけれど、その段々脇の建物建て替え時にも遺跡が出てきて発掘現場を目撃したが、それも見事な貝塚だった。おかず横丁と貝塚、今も昔も庶民の大切な台所に相通じるわけで、その符合が妙に可笑しかったのを覚えている。

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【人類月に立つ】

【人類月に立つ】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2001 年 8 月 4 日の日記再掲)

仕事の打ち合わせ中にアポロ 11 号月面着陸の思い出話になった。

白黒テレビから映し出される宇宙飛行士の緩慢な一挙手一投足を固唾を呑んで見守ったのだが、その生中継が日本に放映された時間帯について編集者たちと意見がわかれた。もう 30 年以上昔のことなのだ。

アームストロング船長が左足から「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な躍進だ」と第一歩を印した瞬間が日本時間の何時だったかということなのだけれど、実はこの時刻を僕は鮮烈に記憶しているのだ。

屈辱のクリクリ坊主頭で、静岡県清水市立第二中学校の生徒だった僕は、職員室で悪友と正座をさせられながら、二十世紀最大のイベントのひとつを見ていたのだ。

それ故に、記念すべき第一歩を踏み出す瞬間を、シビレの切れた足で正座という情け無くもあり考えようによっては礼儀正しい姿勢で迎えたのは、間違いなく土曜日の昼ごろだったと身にしみて記憶していたのだ。「絶対に土曜日の昼ごろだ」と言い張る僕に、当時北海道在住だった女性編集者 K は「真夜中だった、全米中継が昼だっただろうから」と反駁するので、皆で首をかしげたりした。

写真は 2001 年 8 月、清水銀座をゆく次郎長道中

ちょっと気になったので調べてみると、アームストロング船長とオルドリン飛行士が乗り組んだ月着陸宇宙船アポロ 11 号が「静かの海」に着陸したのが 1969 年(昭和 44 年)7 月 20 日(日本時間 21 日午前 5 時 17 分 40 秒)。アームストロング船長が左足から月の大地を踏みしめたのが日本時間 21 日午前 11 時 56 分 20 秒、その 18 分後オルドリン飛行士も月面に立っている。では 1969 年(昭和 44 年)7 月 21 日が何曜日だったのか調べてみると、これが何と月曜日。土曜日ではないではないか。おかしいなぁとちょっと考えたら、氷の壁が崩れるように当時のことが思い出されて来た。

7 月 21 日は中学校の終業式で半ドン。夏休み入りした嬉しさのあまり僕は悪友の T と一緒に何かイタズラをやらかし、担任の原川先生に職員室正座を命じられたのだった。弁当を食いながら職員室のテレビに夢中で見入る教師たちの後ろで、早く正座の刑から放免して貰えないかとモゾモゾと体を揺すっていたのが僕だったのだ。

外では楠にたかった清水名物クマゼミが祝福の大合唱を繰り広げていた。

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