◉カレンダー

2018年11月30日(金)
僕の寄り道――◉カレンダー

今年もイノベーター(innovator)の 2019年 壁掛カレンダー L サイズを自宅用にひとつ、卓上カレンダーを仕事場用にみっつ、スリムマンスリー手帳 のグリーンを妻と自分用に 2 冊注文した。

親たちが元気な頃はそれぞれの分も引き受けていたので調達が大変で、青山の村田合同ショールームに予約し、届いたと連絡があると受け取りに行き、
「はい、来年のカレンダーと手帳」
と言いながら手渡すと嬉しそうにしていた。親たちにとって未来のカレンダーと手帳は旅の日程表と旅券のようなものだったのだろう。

とうとう夫婦二人きりになり、その頃に比べたらかわいい買い物になったので昨年からアマゾンに注文して届けてもらっている。

(2018/11/30)

Song From "Moulin Rouge"


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◉六郎のある夕暮れ

2018年11月29日(木)
僕の寄り道――◉六郎のある夕暮れ

義母の担当医の経過報告が 17 時からあるというので妻は埼玉の病院へ出かけて行った。

夕食準備の担当を引き受けたので買い物に出て、駒込駅前から地下鉄南北線に乗り、赤羽岩淵駅で降りて赤羽の魚屋に行ってみた。いつもなら山手線外回り電車に乗り、田端で京浜東北線に乗り換えて赤羽まで行くのだけれど、思っていたより近くてびっくりした。

赤羽岩淵駅近くにあるビル壁面のモザイク壁画。青山表参道のやつが有名だけれど、絵としてはこちらの方が好きだ。懐かしい週刊新潮発売日前日のテレビコマーシャルを思い出して、やはり谷内六郎には夕暮れが似合うなあと思う買い物帰りである。

(2018/11/29)

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◉食うに困らないとしたら

2018年11月29日(木)
僕の寄り道――◉食うに困らないとしたら

近所の出版社で打ち合わせをし、退職した若い男性社員の噂話になり、
「〇〇君がどうしてるかご存知ですか?」
と社長が訊くので、
「〇〇君は大金持ちの息子で食うに困ってないという噂ですから心配してません」
と言ったら
「そうそう、嫌な仕事は嫌だとはっきり断って、自分のやりたいことをめざせるんだから心配しなくていいよね」
と安心したように笑う。

横で聞いていた若い女性編集者が
「ほんとうに食うに困ってないんですかね…」
と言うので社長が
「どうしてそう思うの?」
と聞いたら
「わたしがほんとうに食うに困らなかったら、何もめざしたりせず家でごろごろ寝てると思いますよ」
と言う。おもしろいので
「食うに困らない女性は家でごろごろ寝ててもちゃんと存在意義があるけど、食うに困らない男がゴロゴロ寝てたらなにもないから、起きてなにがしかをめざすんじゃないかな」
などと思いつくままを言ってみた。食うに困らなくてもゴロゴロしていたら男には居場所がない気がするのだ。〇〇君もそうなのではないかな

 (2018/11/29)

 

亡き王女のためのパヴァーヌ

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◉珈琲改元

2018年11月29日(木)
僕の寄り道――◉珈琲改元

わが家は電気製品が壊れない。なぜそう思うか。友人たちを自宅に訪ねるたびに電気製品が新しくなっており、新しいのに買い替えたのかと聞くと、古いのが壊れたのだと言う。

わが家は親たちが一斉に壊れた。忘れもしない2002年の夏だ。そういう目印があるので、それ以前からあった電気製品が特定できる。かなりのものを二十年以上使っている。

仕事をしながらコーヒーを淹れるブラウンの電動コーヒーメーカは二十年以上使っているが壊れない。清水の母に同じのを買ってやったのが壊れずにあったので、実家片付けの際東京に持ち帰ってスペアとして保管してあるが、元の方がいっこうに壊れる気配もない。

コーヒーを挽くフィリップスの電動珈琲ミルも壊れない。豆を入れっぱなしで起動したり、最も細かめに設定して負荷をかけても、モーターは健気に回り続けている。これはフィリップスも一生ものかなと思う。

 事務所の納戸を整理していたらむかし義父母のために買ったカリタの電動珈琲ミルが出てきた。長いこと使われていないそれも二十年以上前のものだ。こんな道具もあったなあと眺めていたら、引き具合の粗密とは別にカップ数単位の計量ダイアルがあり、あらかじめ設定しておけばワンプッシュで定量の豆が挽き上がる。

なんだ、こんな便利な機能がついていたのかと気づいたので、年末だが壊れていないフィリップスに退位してもらい、カリタ元年に改めた。

(2018/11/29)

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◉暇つぶし

2018年11月28日(水)
僕の寄り道――◉暇つぶし

毎晩 9 時に就寝しているので未明にいちど目がさめる。目がさめると眠くなるまで暇なので、枕元のスマホで本を読んだり書き物をしている。妻が見咎め、睡眠障害になって身体に悪いからやめろという。たしかに未明のブルーライトで体内リズムが変調をきたすという説もある。なるほどと思うふしもあるので忠告を聞いて習慣を改めてみた。

今朝もやはり未明に目が覚めたのでスマホに伸びた手を引っ込め、目を閉じて眠ろうと努力する。妻は
「眠くなくても目を閉じていればかならず眠れます」
と言い、それはどこか義母の口調に似ている。

目を閉じていても眠れないので、昼間読んだ廣松渉(ひろまつわたる)の本のことを思い出していたら、わかりにくかった文章が、寝巻きの紐が解けるようにズルズルゆるんでよくわかる。これは小学生の復習のようなもので、良い習慣かもしれないと思う。

そのうち復習にも飽きて眠ってしまったら、三十数年ぶりにパチンコ屋に行く夢を見た。玉を買って弾き出したら打つ玉が次々に天穴に入ってしまう。妻が横から、
「そんなことしてないで寝なさい、目を閉じていればかならず眠れます」
と言うので
「いいからその辺のバケツを持って来い、出玉が溢れそうなんだ」
と叫んでいた。

起きていても寝ていても、読書とパチンコの差こそあれ、暇なものは暇なのだという星新一風の夢を見た。

 

(2018/11/28)

梅田からナンバまで

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◉見沼田んぼの飛行機乗り

2018年11月27日(火)
僕の寄り道――◉見沼田んぼの飛行機乗り 

病室の窓から見える冬の田んぼでラジコン飛行機を飛ばす人を土日の訪問時に見た。

肉眼では米粒のようにしか見えないその人は、白い帽子かヘルメットをかぶった、かなりの年配男性に見える。遠目にもかすかに背中が丸く感じられるからだ。

月曜日の病院訪問から戻った妻が、きょうもあの人は飛行機を飛ばしていたと言う。そんなに年配には見えないというが、やはり毎日が日曜日になった年代の人で、ああしてウィークデーも冬空のパイロットをやっているわけだ。

「あんた方、なにに乗ってるのかね?」
「グラディエイターだ」
「ほう、八年前も使っていたが」
「ここじゃまだ同じやつが飛んでるんだ。スクラップ同然だよ」(Roald Dahl『飛行士たちの話』より)

未明に目が覚めて寝付かれないときに読んでいるロアルド・ダールは、第二次大戦中だがまだ北アフリカ戦線で複葉機に乗っている。

(2018/11/27)

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◉ホノルル・クッキー

2018年11月26日(月)
僕の寄り道――◉ホノルル・クッキー

世間の事情に疎いのでハワイ土産といえばマカダミアナッツ・チョコレートという固定観念がある。お隣りさんから「中学生の孫のハワイ土産のおすそ分け」をいただいた。包装紙を見たら Cookie の文字があるので、開けて見たら可愛いものが入っていた。

鉢植えのもみの木に見えたので
「可愛いクリスマスツリーのクッキー」
と妻に見せたら
「あら可愛い!」
と喜んでいたが、しみじみ眺めるとなんかへんで、パイナップル型クッキー下半分のチョコディップが植木鉢に見えたのだった。

ホノルル・クッキーというらしい。

(2018/11/26)

While My Guitar Gently Weeps

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◉田んぼと飛行機

2018年11月26日(月)
僕の寄り道――◉田んぼと飛行機

穏やかに晴れた土曜日、病室の窓からのどかな見沼田んぼを眺めていたら、カラスたちが白い鳥に驚いて逃げて行く。不思議な白い鳥は、上空を旋回しながら、きりもみ状態で降下したり垂直状態で静止したりする。あぜ道に立っている男性がラジコンで操縦していたのだった。

日曜日もまた明るい陽光あふれれる昼下がりになった。義母のベッド脇で PT がリハビリケアする様子を横目で見ながら、ぼんやり見沼田んぼを眺めていたら今日もラジコン飛行機の男性がやってきた。

ラジコン飛行機を飛ばす男性がいて、農道でモトクロスバイクの練習をする若者がいて、バスケボールを持った小学生たちが現れて消え、田中の道を近道する宅配ピザ屋が斜行し、向こうの産業道路を国際興業バスが行き交い、手前の線路を東武野田線の電車が横切る。そういう景色を眺めていると世界の時間はただ渾然とした関係の中にある。

(2018/11/26)

Crystal Silence

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◉「1125」

2018年11月26日(月)
僕の寄り道――◉「1125」

病院のエレベーター内に一瞬表示される「今日はなんの日」を楽しみにしている。11月25日はハイビジョンの日だそうで、走査線数 1125 本にちなんでいるという。なるほど。

明けてきょう 11 月 26 日は義母 90 歳の誕生日である。老人ホームで暮らしていた時は、紙吹雪まうなか車椅子で登場し、くす玉を割って祝ってもらい、ケアワーカーがネットで調べた同じ日生まれの有名人の名前が読み上げ、元気なお年寄りが「ほー」という声を上げたものだった。


今年は義母が生まれた 1928 年をウィキペディアで調べてみたら張作霖爆殺事件があった年であり、この年生まれとして蔵書約 18,000 冊を収蔵した文庫が静岡県立大学にある岡村昭彦の名が並んでいる。これは 1929 年の間違いだと思われる(2018年11月26日現在)。

(2018/11/26)

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◉やさき

2018年11月25日(日)
僕の寄り道――◉やさき

大阪万博の開催が決まったやさき、昨日朝の NHK テレビニュースを見ていたら「大阪財界が拠出しなくてはならない 400 円の扱いが…」と記者が言い間違え、さすが大阪は細かいと笑った。

NHK のネットニュース記事を読んでいたら猟師による人間への誤射で「猟銃のやさき」とあって、銃が狙いを定めた場所もやさきと呼ぶことを知った。

郷里静岡県清水の梶原山ふもとに矢崎(やさき)という地名がある。鎌倉時代の梶原景時一族討伐事件の際に放たれた矢の先が落ちたところから来ていると地元の人に聞いたことがある。

矢の先は矢先といい、矢じりともいう。前方に定めた狙いを射手(いて)の側から「やさき」といい、狙われて射られる側からも「やさき」といい、後者の受身的状態を別の言葉で「やおもてにたつ」という。

言葉による「時間に対する方向づけ」は考えれば考えるほど奥が深くて(「奥が深くて」も同様)面白い。そもそも言葉と方向の《あらわしあらわされる》関係全体が面白いのだろう。

(2018/11/25)

The Syncopated Clock

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◉電車と方角

2018年11月25日(日)
僕の寄り道――◉電車と方角

義母の病院面会を終え、最寄りの宇都宮線土呂駅ホームで帰りの上り電車を待っていたら、上野東京ラインの電車がやってきて行き先表示が沼津になっている。

 これはすごいことだと言ったら、どうすごいのだと妻が聞くので
「電車が沼津まで行ってくれるなら清水までは歩いてでも帰れる」
と答えたら笑っていた。

 義母の病室から見えた一面のコスモス畑は耕し返されている

下り電車が小田原どまりでは歩いて箱根越えする気にならないけれど、丹那トンネルを抜けて函南以西で降ろしてくれるなら、郷里清水など目と鼻の先に思えてしまう。足を左右交互、前へ前へと水平移動しているうちに着いてしまい、海岸沿いの国道を行けば迷うこともない。郷里が近くて想像するだけで楽しい。

 

ということは清水から歩いて沼津まで出れば、上野東京ライン宇都宮行き一本で、義母が入院し妻が毎日面会に通う土呂駅まで行けるわけだが、想像しても楽しくない。帰り道は遠いというが、方角に対する感じ方は複雑だ。

 

(2018/11/25)

夕陽に別れを告げて

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◉朝のことばと即効性

2018年11月24日(土)
僕の寄り道――◉朝のことばと即効性

目が覚めたら午前 5 時ちょっと前だったのでゴロゴロ丸山圭三郎を読んでいたら、フランス生まれのアメリカ人、ジュリアン・グリーンを読んでみたくなった。新潮文庫版の『幻を追う人』を探したら古本で 2,500 円もするので諦め、人文書院が出した全集の第9巻を注文した。バラ売りにしても安いなあと思ったら専修学校図書館の除籍本だという。蔵書印やラベルやカード袋がオマケらしい。楽しみだ。

片付けをしていたら速乾性クロロブレンゴム系接着剤の G17 が出てきたので、水漏れしていたジョウロのハス口のことを思い出した。何をしたいかではなく「ジョウロのハス口」がいきなり思い浮かんだのが面白い。

なんで思い出したんだろうと考えたら、ハス口の周りの樹脂が劣化してひび割れているのだった。ゴム系接着剤なら耐水性があるので、ひび割れに注入して乾かせばとりあえず水漏れ防止になる。そういう考えが言葉になる前に「G17 とハス口」がいきなり結びついたのが面白いなどと思うのは、朝っぱらから読んだ丸山圭三郎効果がすぐ出たのかもしれない。

   ***

今日は埼玉まで義母に会いに行く。

(2018/11/24)

I Need To Be In Love

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◉夕暮れの赤

2018年11月23日(金)
僕の寄り道――◉夕暮れの赤

秋の夕暮れ、西日の金色に照らされる木々の葉は紅葉ではなく塩害で茶色いものが多いけれど、早めに翳りゆく東側の傾斜面では桜の紅葉が今年も美しい。塩害もこの方角では少ない。

早い日暮れで気温も下がり始めた東公園は人影まばらで、見事に散り敷く赤の織物がひどく惜しく感じる。

(2018/11/23)

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◉WorldBeat Bach

2018年11月23日(金)
僕の寄り道――◉WorldBeat Bach

片づけものしていたら、親たちの介護が始まる前だから二十年近く前に買い込んだらしい CD が出てきて見覚えも、聴いた覚えも、買った覚えすらない。恐らくそれどころではない暮らしが始まったからだろうし、妻の持ち物かもしれない。病院訪問から帰ったら確かめてみる。(※私が買ったんじゃないそうである:追記)

オーディオ装置で構えて聴くような習慣もなくなったので iTunes に取り込んでおくことにし、ちょっと聴いてみたら素晴らしくいい。アメリカ合衆国のクラリネット奏者リチャード・ストルツマン(Richard Stoltzman)のアルバムで『WorldBeat Bach』という。バッハの曲をラテン・アメリカ音楽のリズムでアレンジしたもので、「アベ・マリア」「主よ、人の望みの喜びよ」「羊は静かに草をはみ」…どれもたまらん。片づけバンザイ。

(2018/11/23)

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◉《ボーッ》の活用法

2018年11月23日(金)
僕の寄り道――◉《ボーッ》の活用法

仕事や家事が手につかないときはボーッとしてしまう。《ボーッ》を突き詰めて無念無想になれるなら悪いことではないだろう。そのまま結跏趺坐(けっかふざ)できればさらにいい。

よくないのは《ボーッ》としながらロクでもないことを考えることで、そういう悪い《ボーッ》にとらわれそうなときは、身近な場所から片付けものを始めることにしている。片付けは心身の衛生に良い。

いずれやらなくてはならない片付けものが、将来心の負担になるのはわかりきっているので、《ボーッ》の埋め合わせとしての片付けものであっても、いつか自分の助けとなるので無駄にならない。

片付けものをしていると忘れていたことを道端から拾うように思い出す。2.5インチ高速インターフェイス仕様の古い外付けハードディスクが引き出しの隅にあり、いかんせん容量が 320 ギガバイトなので使い道がない。いつか処分しようと思っていた。

納戸を片付けていたらテレビ録画用に買った 1 テラバイトの 2.5 インチハードディスクが出てきた。テレビ録画用としては容量が中途半端なので放り出してあったものだ。もしあれの中身の 320 ギガバイトが SATA 仕様ならこの 1 テラバイトと交換して、デジカメデータの保存くらいには使えるのではないかと思いついた。片付けなければ思いつかないことだ。

リモコン分解修理で勘が戻っているので、ツボと思われる部分にヘラを差し込んで嵌合されたケースを開けてみたら、古いのにちゃんと SATA だった。さっそく 1 テラバイトと交換して組み立て直し、ボトルネックになっていた古い USB ハードディスクと交換したら快適になった。こういうのは、よい《ボーッ》の使い方である。

(2018/11/23)

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