◉智香寺の石灯籠

2018年8月31日
僕の寄り道――◉智香寺の石灯籠

家康の生母於大の方(おだいのかた)の亡骸を江戸まで運んで荼毘にふした場所に 1645(正保元)年開山という智香寺。

境内に立派な石灯籠があり、「武州増上寺」「文昭院殿 尊前」とある。

建立年は正徳二(1712)年十月十四日とはっきり読め、それは江戸幕府第六代将軍徳川家宣の命日なので、かつて増上寺境内北側にあって空襲で焼失したという国宝文昭院霊廟(ぶんしょういんれいびょう)に献納された石灯籠だろう。献納者は「従五位下前田丹後守」とあるので上野七日市藩の第六代藩主、のちに駿河加番をつとめた前田利理(まえだとしただ・1699―1756)だと思われる。

空 襲 が 焼 き 残 し て や 石 灯 籠

(2018/08/31)


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◉清河八郎と白猫

2018年8月31日
僕の寄り道――◉清河八郎と白猫

午前中ちょっと小石川伝通院まで散歩した。伝通院墓地で墓参りするのは初めてで、家康生母の於大の方(おだいのかた)と秀忠の娘千姫の墓に手を合わせ、そのあと清川八郎の墓を探してお参りした。

幕末の動乱を生きた人の中で清河八郎が好きなのは、1855(安政2)年3月から9月にかけ、母親を連れて日本大旅行をした記録『西遊草』を残しているからで、ときどき取り出しては読んでいる。書いたものを読ませてもらうと一方的な友だち気分になるものだ。

墓にはちゃんと献花があり、真ん中に清河八郎、左に愛妻阿連(おれん)、右に本名斎藤姓の墓がある。手を合わせてふと横を見たら猛暑で行き倒れたかのように白猫が寝転んでいてびっくりした。

白 猫 を 虎 尾 と 見 紛 う 残 暑 か な

(2018/08/31)


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◉関東十八檀林

2018年8月31日
僕の寄り道――◉関東十八檀林

小石川の伝通院(でんづういん)は浄土宗関東十八檀林(だんりん)のひとつだという。正式名称は無量山傳通院寿経寺(むりょうざんでんづういんじゅきょうじ)といい、この寺も山岡鉄舟と大変縁が深い。

家康の生母於大の方(おだいのかた)の法名「傳通院殿」から院号を「傳通院」とした。京都伏見城から運ばれた遺骸は大塚の智香寺で火葬されたというけれど、各種縁起に御尊母傳通院殿御葬禮場の御遺跡、傳通院殿御荼毘地に建てられたとあるので、智香寺はあとからできたのだろう。どこだろうと地図を調べたらなんと四年間通った大学の敷地に隣接していた。知らなかった。

浄土宗僧侶を養成する檀林があった十八の寺を調べてみると、増上寺(東京都港区)、伝通院(東京都文京区)、霊巌寺(東京都江東区)、霊山寺(東京都墨田区)、幡随院(東京都小金井市)、蓮馨寺(埼玉県川越市)、勝願寺(埼玉県鴻巣市)、大善寺(東京都八王子市)、浄国寺(埼玉県さいたま市岩槻区)、光明寺(神奈川県鎌倉市)、弘経寺(茨城県結城市)、東漸寺(千葉県松戸市)、大巌寺(千葉県千葉市)、弘経寺(茨城県常総市)、大光院(群馬県太田市)、善導寺(群馬県館林市)、常福寺(茨城県那珂市)、大念寺(茨城県稲敷市)で十八になる。

この中で訪ねたことがあるのは芝増上寺と地元の小石川伝通院なのだけれど、もうひとつ鎌倉材木座の光明寺が懐かしい。この寺の裏手にかつて北区の施設があって区内の小学生は臨海学校で合宿し、わが学年は四年と五年の夏をそこで過ごした。

寺の脇の苔むした石塔を見ながら裏山に上ると古びた木造施設があり、かつて刀工がここで刀を打ち、刃傷沙汰もあったので天井に血の跡があるなどと教師に脅かされた。

たしかにいわく因縁がありそうな場所ではあったが、『光明寺裏遺跡 鎌倉市材木座所在北区立鎌倉学園用地内の中世遺跡発掘調査報告書』(1980)を北区教育委員会が出しているので、教師の怪しい話も半分くらい本当だったのかもしれない。

檀 林 で 怪 談 を 聴 く 夏 休 み

(2018/08/31)


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◉公立小中学校のエアコン

2018年8月30日
僕の寄り道――◉公立小中学校のエアコン

小学校の教室にエアコンが設置されていなくて、まだ扇風機だけの学校もあるというニュースで、「えーっ!」という声が聞こえてきそうに感じたので、「いまはエアコンがあるのか。僕らの時代には扇風機すらなくて、下敷きでパタパタあおいでたよね」などと妻と話す。

文部科学省が全国の公立小・中学校対象に行った平成 29 年度調査資料を読むと、空調(冷房)機器設置率は 41.7% だという。われわれが小・中学生だった頃に比べると年平均気温は 1 度くらい上昇しているので、夏が暑くなったとも言えるけれど、家庭へのエアコン普及で児童生徒が我慢弱くなったということもあるだろう。

エアコンがなくて「えーっ!」と驚いたことはないけれど、東京の小学校を卒業して清水の中学校に入学したら小・中学校に暖房用ストーブがないので驚いた。東京では当番の児童生徒が運んできたコークスをバンバン焚いてだるまストーブが真っ赤になるほど暖房していたので「えーっ!」と驚いたのだ。

清水の児童生徒が我慢強かったのか、東京の子が我慢弱かったのかはわからない。いまでも清水の小・中学校に暖房機器はないのだろうか。帰省したら聞いてみよう。

見 上 げ れ ば 我 慢 の わ か れ め 秋 の 空

(2018/08/30)


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◉同時通訳者の日本語

2018年8月30日
僕の寄り道――◉同時通訳者の日本語

衛星放送のニュース番組で女性同時通訳者が話す日本語を聞くのが好きだ。聞いていて気持ちがいい。なぜ気持ちがいいのだろうといつも思う。

そして、いま読んでいる脳科学の本の文体が同時通訳者のそれに似ているので、またそう思う。英語で書かれた原著の文体というより、日本語版翻訳者の癖が同時通訳者のそれに似ているのかもしれない。同時通訳を聞くような文体が好きだ。ネットの無料翻訳記事でも、同時通訳者がすごいスピードで翻訳したような文章が好きだ。独特の実味がある。

ちょっと同時通訳に興味が湧いたので、その辺の理由が少しでもわかりそうな本を電子書籍で見つくろい、袖川裕美『同時通訳はやめられない』平凡社新書 822 を買ってみた。決して英語が上手になりたいというわけではなくて、彼らの日本語について自分なりに考えてみたくなったから。

日 英 を 行 き つ 戻 り つ し て 夜 長

(2018/08/30)


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◉気持ちのよい楕円

2018年8月29日
僕の寄り道――◉気持ちのよい楕円

製図機で作図していた頃はコンパスと定規を使って五角形を描いていた。五角形が描ければ一つおきに頂点をつないで五芒星を描くことができた。

コンピュータで仕事をするようになったら多角形でも星でも自由で簡単に描くことができるので、手作業の作図方法は忘れてしまった。

詩人で数学者だったデンマーク人のピート・ハイン(1905―1956)が提唱した気持ちのよいかたちの楕円をスーパー楕円という。むかし食品メーカーのコピーライターをしていた友人が
「厳密に言えばインチキなんだけど覚えておくといい」
と言ってコンパスでスーパー楕円を作図する方法を教えてくれた。

「これはデンマークの詩を書く数学者が提唱したスーパー楕円っていうんです。気持ちいい形でしょう」
と言うと大概の人が気持ちいいと言うのでときどき仕事に使う。

描き方を忘れてしまったので、むかし自分で手描きしたものをパソコンでトレースして使っているけれど、ふと思い出してコンピュータで論理的に半自動作図してみた。数式で表せるので CAD を使えばもっと楽に描けるのだろう。

星 空 に ス ー パ ー 楕 円 の 月 を 描く

(2018/08/29)


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◉底の穴

2018年8月29日
僕の寄り道――◉底の穴

スーパーのレジ袋を直角二等辺三角形に小さく折り畳む癖が止まらない。娘に「馬鹿っ丁寧!」と笑われていた義母が馬鹿丁寧に折りたたんだ直角二等辺三角形のレジ袋を見て真似ているうちに、レジ袋は直角二等辺三角形に小さく折りたたまないと我慢できなくなった。

スーパーのレジ袋の底にはときおり穴が空いている。何か目的があってそうしているのかと思ったら製造過程で発生する不良品らしい。そういう穴の空いた不良品のレジ袋をゴミ捨てに使うと液漏れしたりするので、直角二等辺三角形の製造過程でチェックして穴の空いた袋は捨てている。

直角二等辺三角形の製造過程でレジ袋の底をチェックしていると安売り店のレジ袋ほど穴あきが多く素材も薄い。厚めのしっかりした素材のレジ袋は穴あきが圧倒的に少なく、袋に店名が印刷されていることが多い。

袋に印刷で名入れしている店では、会計時にレジ袋不要と申し出ると値引きしてくれたり、レジ袋をつけるかと聞かれて「はい」と答えると袋代をとられたり、レジ袋が無料でも「レジ袋おつけしてよろしいですか」などと毎回聞かれたりする。

店の販売コストを上げないよう薄手で印刷のないレジ袋を発注すると、製造過程で底に穴の空いた不良品発生率が高くなるらしい。そういう薄くて無地で底に穴の空いたレジ袋を使う店ほどギュウギュウに商品を詰め込むので、ひどい時は持ち手が伸びて切れたりする。

ギュウギュウに商品を詰め込む店のレジ係は若いバイトが多く、「袋を一つにまとめちゃってもいいですか」などととんでもないことを言い、ちょっと気の利いた子だと「袋を二重にしましょうか」などと黙ってそうしてほしいことをわざわざ聞いてくる。アルバイト募集の張り紙を見ると時給が驚くほど低い。

底 抜 け の 穴 か ら 抜 け る 金 の 秋

(2018/08/29)


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◉頓呼法(とんこほう)

2018年8月28日
僕の寄り道――◉頓呼法(とんこほう)

人が問いかけに対してする「応答」という行為についてグダグダ考えていたら頓呼法(とんこほう)という言葉を知った。な、なんとロミオとジュリエットの「…ロミオ、ロミオ ! なぜあなたはロミオなの ? 」の頭につく「オー」は「Oh」ではなく「O」で、頓呼法とはそこに存在しない人物もしくは抽象的属性や概念に語りかける、詩や戯曲における修辞技法なのだそうだ。頭に「O」を置き「O Romeo, 」と原文で書いて日本語では「オ ロミオ、」なのである。

そういえばアイルランド系でオサリバンなどの苗字は頭に「O’」(O +アポストロフィ)がつき、そこにいない概念的なご先祖を指して、オ+サリバンがサリバンの子孫であることを意味すると聞いたことがある。その場合の「O’」にはアポストロフィ「’」がつくのだけれど、頓呼法のことも Apostrophe という。

頓 呼 法 ど う し て あ な た は ロ ミ オ な の

(2018/08/28)


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◉北王子線と須賀線ともう一本の盲腸的分岐

2018年8月27日
僕の寄り道――◉北王子線と須賀線ともう一本の盲腸的分岐

「広大な十条製紙敷地には貨物の引込み線があって北王子線といった。王子四丁目、金星湯あたりで須賀線と分岐し、須賀線は日産化学や旭電化など川沿いの工場へ物資を貨物輸送していた。」
と前の日記に書いたが、金星湯あたりでの分岐はふた股ではなく三つ股で、左にほんのちょっと別れて行く盲腸的な分岐があった。

王子四丁目の金星湯

古い地図を見るとその盲腸的分岐がちゃんと描かれている。煙突マークが銭湯の金星湯であり、その左手で引き込み線は三つ股に分かれている。

小学生当時の航空写真を見ると、赤い矢印が六年間暮らしている木造アパートの比留間荘、緑の矢印が十条製紙に引き込まれた北王子線、青い矢印が荒川方面へ向かう須賀線、そして黄色い矢印が虫垂のような第三の引き込み線になる。虫垂線の両脇に不思議な形状の屋根が並んでいるのは木材倉庫群の高屋根であり、ここに貨物列車で運ばれて来た製材済み木材が蓄えられていた。

あまりひと気のない倉庫内は積み上げられた木材の隙間が迷路のようになっており、潜り込んでは秘密基地ごっこをして遊んだ。屋根裏には蝙蝠がたくさん住んでいて、夕暮れ時になると薄暗い空を乱舞していた。

須賀線線路跡。右に折れると北王子線、その手前に木材倉庫の虫垂分岐

蝙 蝠 が 目 覚 め る 倉 庫 で 木 は 眠 る

(2018/08/27)


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◉北王子線と須賀線

2018年8月27日
僕の寄り道――◉北王子線と須賀線

東十条商店街からほぼ南に向かう道があって桜田通りという名前がついている。その入り口あたりに深町パンという丸十ベーカリー系列の店を見つけた。北区は丸十の店が多い。

桜田通り東側はかつて十条製紙の工場であり、荒川に通じる甚兵衛堀を挟んで加工製紙と接していた。十条製紙と加工製紙の四角い敷地がずれて接することによる切り欠きの小さな四角が深町パンのある家並みになる。

広大な十条製紙敷地には貨物の引込み線があって北王子線といった。王子四丁目、金星湯あたりで須賀線と分岐し、須賀線は日産化学や旭電化など川沿いの工場へ物資を貨物輸送していた。

分岐地点に三角形の空き地があり、そこを遊び場にして六年間暮らした。最盛期は1日5往復も貨物輸送があり、貨物列車通過後は熱くなった線路に耳をあてて遠ざかる鉄輪の音を聴いたりした。

須賀線を往復する貨物列車の編成はずいぶん長く、四丁目先の明治通りで都電と平面交差していた関係で停止信号待ち状態になり、最後尾が三丁目と四丁目の境にあった踏切にかかって道路が不通になった。それが昨日の日記の『麺屋 坂本01』がある道になる。須賀線が 1971 年、北王子線は 2014 年、それぞれ廃線になっている。

蜻 蛉 飛 ぶ 鉄 路 の 先 の 川 辺 ま で

(2018/08/26)


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◉思い出通りの邂逅

2018年8月26日
僕の寄り道――◉思い出通りの邂逅

ネットで調べ物をしていたらとても美しいラーメンの画像が目に入り、地図を見たら小学生時代の六年間を過ごしたアパートがあった場所に近いので驚き、あんな場所で商売になるのだろうかと驚いたまま、驚いたこと自体すっかり忘れていた。

東京メトロ南北線王子神谷駅近くまで買い物に出た帰り、懐かしい王子の町を歩いたら「お好み焼きゆめや」という看板があって驚いた。今から五十年以上前、その店はもんじゃ焼き屋だった。王子界隈の駄菓子屋では座敷でもんじゃを焼かせる店が多く、それはいま下町で人気のもんじゃ焼きとは全然違うものだった。

子どもの小遣いが一日十円玉ひとつだった時代、もんじゃは 7 円くらいで、金属のお椀に小麦粉を溶いて白濁した水が入っているだけだった。それに天かすひとつまみ入れると 8 円、さらに紅生姜ひとつまみ入れると 9 円と値段が上がり、お金のある高校生のお姉さんたちは、キャベツの千切りや、小麦粉を追加してもらってちゃんとしたお好み焼き風にしていた。子どもはもんじゃ屋だと思っていたけれど、実は当時からお好み焼き屋だったのかもしれない。

あのもんじゃ屋がそのまま半世紀以上もお好み焼き屋として続いていたのだろうかと眺めていたら、店内をのぞいて満員なのか猛暑のなか店の前で順番待ちしている人たちがいる。そんなに人気のお好み焼き屋なのかとそばに行ったら、小さな別の看板に『麺屋 坂本01』と書かれていた。なんとミシュランガイドに載って星付きの例のラーメン屋なのだった。

この通りは小学生時代、商店も多くて自動車の通行量も多く、いまの姿から想像できないほど賑やかだった。焼夷弾が落ちた思い出を話す年寄りも多かったので、空襲で焼かれたはずなのだけれど、震災後に建てられた銅板葺き壁の商家が多かったせいか、焼け残った古い建物も多く、この建物も建築年は戦前まで遡るかもしれない。

懐 か し い 建 物 の あ る 猛 残 暑

(2018/08/26)


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◉風と雨

2018年8月26日
僕の寄り道――◉風と雨

柳田國男『海上の道』に「風が内陸へ入って行く路筋」という言葉がある。海辺の町にはそういう風の道がある。

パソコンや携帯電話の気象アプリで全国の降雨情報が地図で見られるようになった。郷里静岡県清水に記録的短時間大雨情報が出ているときは、港町の上空に海側から次々に雨雲が供給されている様子がわかる。

 激しい雨の降る清水江尻台町エスジーポートにて(2018/08/23)

「アユは後世のアイノカゼも同様に、海岸に向かってまともに吹いてくる風、すなわち数々の渡海の船を安らかに港入りさせ、またはくさぐさの珍らかなる物を、渚に向かって吹き寄せる風のことであった」(柳田國男『海上の道』)

雨 の 道 台 風 銀 座 と あ い の か ぜ

(2018/08/23)


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◉消防団

2018年8月26日
僕の寄り道――◉消防団

埼玉の老人ホーム訪問帰り。路線バス車内にさいたま市消防団の団員募集ポスターが掲示されており、消防団には女性隊員もいるのかと認識を新たにした。

郷里静岡県清水の港町で過ごした中高生時代、母親の営んでいた飲み屋にはよく会合帰りの消防団員たちが制服姿でやってきた。当時は午前零時以降に酒を提供することが禁止されており、決まりが守られているかを確認するため飲食街を警察官が巡回していた。母親の店では午前零時を過ぎるとグラスを片付けて湯呑みに酒を移し、警官が来たらお茶を飲んでいると言おうということになっていた。

警察官が巡回に来たので消防団員の若者が湯呑みを持って立ち上がり
「自分たちは第〇分団の者で、いま会合帰りにお茶をいただいております」
と言うと警察官が
「はっ、ご苦労様です!」
と笑って次の店へとまわっていったのだから、なんとも大らかでいい時代だった。

いま暮らしている町で消防団活動に参加するなら本郷消防団第 6 分団ということになる。

大 ら か に 湯 呑 み で 飲 み 干 す 麦 酒 か な

(2018/08/25)

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◉かんすい

2018年8月24日
僕の寄り道――◉かんすい

かんすいという言葉は小学生のころ覚えた。当時生協活動に興味があったらしい叔母が、かんすいつなぎではなく卵つなぎだという co-op の即席麺を箱買いしてよく手土産にくれたからだ。製麺におけるつなぎの役割はなんとなくわかったけれど、かんすいを鹹水と書くことはもちろん、かんすいが何であるかも知らずに数十年が過ぎた。

このところ民俗学の本を読んでいて製塩法の話で、海水を煮詰めて濃度を高めたものを鹹水と呼んでいる。塩水すなわち鹹水だけれど、とくにミネラル成分濃度の高まったものを製麺に用いるかんすいと言うらしい。

かんすいといっても炭酸ナトリウム、炭酸カリウム、リン酸水素第二ナトリウム、ピロリン酸ナトリウム、メタリン酸ナトリウムなど含まれる成分に差があり、その配合割合によって打ち上がる麺に差が出る。炭酸ナトリウム主体の自家製手打ちめんはいわゆる中華麺らしいモワッとしたスダジイのような匂いが強い。むかし郷里清水ではそういうモワッとした中華麺くさいラーメンが多かった。今でも中華麺くさいラーメンが好きで懐かしく思い出す。

懐 か し い 匂 い と と も に 夏 終 わ る

(2018/08/25)


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◉鶺鴒

2018年8月24日
僕の寄り道――◉鶺鴒

長塚節『炭焼の娘』に射干と書いて「ひあふぎ」とルビがふってあり、辞書を引くと「ひかん」と読まれてアヤメの仲間のヒオウギを指している。炭焼の爺さんが「酷暑の頃になると赤い花が咲く草」とだけしか知らないことが可笑しいと言う。夏の季語であり枕詞「ぬばたまの」のぬばたまはヒオウギの黒い実を指している。

爺さんの小屋には鶺鴒(せきれい)が巣をふたつかけており、「かける」ことを「くう」と言っている。衣類などの虫が「くう」と同根だろう。ひとつが「くった」ので、安心だと思って他のつがいがもうひとつ「くった」のだ、ふたつも「くう」のは珍しいと言う。

梢で声のよい鳥が鳴いていてあれは大瑠璃(おおるり)だと言う。大瑠璃は夏、鶺鴒は秋の季語とされている。

今日は週末恒例の老人ホーム面会訪問日。かつて見沼田んぼだった老人ホーム脇の終着バス停には。温泉旅館の出迎えのように鶺鴒がやってきていて、尾羽をぺこぺこ上下させて道案内するように数歩先を歩く。

鶺 鴒 が お 迎えに 出 る バ ス 終 点

(2018/08/25)


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