【しょんばいシャケが教えるもの】(再掲)

【しょんばいシャケが教えるもの】(再掲)

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2000 年 12 月24 日の日記再掲)

「シャケはしょっぱくなきゃダメヨ」
友人のカメラマン K 氏の持論である。塩辛いシャケ“超激辛”などという真空パックの塩ジャケをくれたりするのだが工業精製塩の塊のように苦辛いだけ、焼くと塩を噴いて全体真っ白、口が曲がりそうで血圧は上昇し泌尿器科のお世話になること必至の逸品なのだ。

郷里、静岡県清水市の次郎長通りというオールドタウンに『魚初』という小さな魚屋がある。100 年以上も続く老舗なのだが実質店を切り回すのは僕より 10 歳も年下の青年である。インターネットを通じてひょんなことで知り合い、『清水蔵談義』にもご一緒して親しくお付き合いさせていただいているのだが、友人 K 氏と訪問した際、店頭に“昔ながらのしょんばい(しょっぱい)シャケ”というのを見つけた。 K 氏は何枚か切り身を買い込んで帰京したのだが、それがとてつもなく旨いのだと言う。

清水蔵談義記念写真(2000)

その後、帰郷の度に土産にするのだが、試しに食べてみると懐かしくて旨い。そうだ、昔のシャケはこうだったよなぁという味なのだ。塩辛いけれど身に馴染んだ塩分が決してシャケの風味を損ねていない。

酒のつまみに焼いてみるのだが、妻にはいまいち不評。そうだ、日本海側の塩ジャケというのは確かに薄塩だった。太平洋側で育った僕は、子供時代、大人の飲み会のご相伴にあずかって上品な鮭茶漬けなどをいただくと、こんな薄味なのはシャケじゃないと心のなかで思ったものだった。

前日食べ残したシャケを妻がおにぎりにして仕事場の昼食に持ってきた。旨い! コンビニのシャケのおにぎりなどを食べるから忘れていたのだが、ちゃんとした塩ジャケを、ちゃんと焼いて、ちゃんとほぐして、ちゃんと握りしめた「シャケのおにぎり」というのはこういう味だったのだ。外側にうっすらと噴いた塩はご飯粒と馴染み、うっすらシャケの色に染まって何とも言えない。妻もシャケのおにぎりがこんなに美味しかったのかと感激しきり。

そうだったなぁ。中学校の弁当で、でっかい弁当箱いっぱいに飯を盛り、その上に塩ジャケの焼いた奴をどーんと乗せ、フタでぎゅーっと圧縮したものを持ってくる友人が、「このシャケに触ってた部分の飯がまーたうめーだよ」などと自慢してたっけ。

そうだった、そうだった、子どもの頃はご飯をたくさんおかわりすると誉められたっけ。「あーら、まさひこちゃんはご飯三膳もおかわりしてエライねー」なんて言われたものだった。だから、ちびっとの塩ジャケを工面してご飯をたくさん食べたものだった。それが、東京オリンピックの後ぐらいから、「ご飯ばかりでなくおかずを食べなさい」などとご飯の大食が怒られるようになったのだった。味噌汁や漬物や塩辛いシャケなどはもってのほか、食文化の後進性の証拠で恥ずかしいなどと馬鹿なことを言う輩が跋扈したのもこの頃だ。

僕が子どもの頃、近所の三河屋にはまだ冷蔵庫が無かった。塩ジャケなどは木枠にガラスをはめた箱に入れられて冷やさずに売られていたものだ。一枚、経木にくるんでもらって買って帰り、焼いて母親と半分ずつでご飯を食べた。韓国に旅行したりすると、朝食に小さな器に入れられた各種キムチがズラーッと並び、そいつでご飯をばくばく食べると何とも懐かしい。 塩ジャケ、梅干し、古漬け、たくあん、金山寺味噌、ゆかり、カツオの塩辛なんていう常備菜は、さあさご飯をたーんと食べなよと言っているみたいだった。

米というのはとてつもなく栄養バランスが良いのだけれど、含まれる栄養素が微量なので大量に食べなくてはいけないのだ。カレーだってご飯を馬鹿食いするのに好都合にできているのだ。

ご飯ばかりじゃなくておかずをたくさん食べなさいと言っといて、そのおかずが栄養偏向食品だったり、添加物てんこ盛りだったり、工場製異物混入食品だったり、愛のかけらもない無機質な味だったり、「食の失敗」のざまを、一個の「シャケのおにぎり」が笑っているのだ。

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