神戸新聞夕刊。滝川高校野球部で暴力。夏の兵庫大会出場辞退と。上級生が下級生に練習態度のことで平手打ち、鼓膜を破るケガ。
わたし、体罰嫌いです。もう十年にもなるでしょうか、用海公民館において何かの懇談会の司会をしました。
その時の出席者に少年野球の指導者がおられました。その人が体罰容認の発言をされましたので、わたし厳しく戒めました。すると「司会者横暴」の態度をとられました。自分は、ケガをするほどの体罰は加えていない、ちょっと頭を小突く程度、とのこと。そして、出席しておられた他のお母さんの中からも、それ(体罰)を支持する意見が出ました。わたしやはり、厳しく「体罰は絶対いけません」と戒めました。不満の声を漏らす人がありましたが、わたし突っぱねました。暴力と愛のムチとの境目はだれが判断するのでしょう?自分が神様になってはいけません。
司会者は会を進行させることに専念すべきだ、という意見もでました。しかしわたし「私が司会をする会で、公に発言されたことで、それ(体罰容認)が認められてしまうことは許せません。極端に言えば、公の会で違法行為が認められたことになってしまいます」と言って譲りませんでした。その辺の喫茶店でだべっているのとはわけが違うのですから。
会が終わった後、会の主催者に、「この話についてもう一回やりましょう。色んなことで子どもを指導している人を集めて、彼にも出席してもらって、子どもの指導についてやりましょう。その時、私は司会ではなく将棋の指導者として発言者席につきます」と申し入れました。しかし、その後、そのような会は持たれませんでした。
その後もあちこちで、体罰による死者さえ含む事件が起こり続けました。
「体罰」、これ、どこまでが愛のムチでどこからが暴力になるのでしょうか。「手加減してる」という人の手加減の程度を誰が計るのでしょうか?腹立ちまぎれに、つい強くなってしまうことは絶対ないでしょうか?わたし、絶対に体罰反対です。子どもを指導していて、腹立つことあります。しかし体罰はダメです。まして他人さんの子どもに手をかけるなんてこと絶対にできません。もし手をかけてしまったら、あとでどれほど後悔することになるでしょうか。それを愛のムチだなんてことで、他人さんの子どもさんを叩く人がいる、わたし信じられません。
これには賛否両論あるでしょうが、わたしは体罰嫌いです。大嫌いです。どす黒いものを感じます。
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明日29日(水)の「輪」のおすすめ定食は、
「カレイの煮つけ」の予定です。
よろしくお願いいたします。
さすがに幼稚園では体罰なんてご法度なので そんなことで話し合いなんてーことは 私たち親子には経験 ありませんが 将来 koh たちが行く学校で ありえないことではないので 暴力にあった時の 心構えはしとかな アカンな~ とは思っています。
とりあえず 先生とは密に話ができる関係を 常に作って このオカンは言いたいこと言いよる ぐらいの印象を与えてやろうと 思っています。
そうすることで 教師に手を出させない 防御策の一つになるやろう と・・・
今回のことは 子供同士のことやったんやろうけど それを容認してきた やっぱり 教師や周り 敷いてはOBたちの責任やろうと 思います。
ずーっと 上のモノの言うことを聞かんかい! いう態勢やったんでしょう。
そういう組織作りから 間違ってたんやろうね。 上の者を敬う という道徳心は 大切やけど 上級生やコーチがどこかで間違った時に 間違ってる! って誰も言えない状況やったことに 問題があると思う。
そんな状態やったんやったら 甲子園に出ても どうせてっぺんに登るチームには なってなかったやろうね。 日本が戦争に 負けたみたいに。
しかし、体罰肯定派は、それがいいことやと思ってるからね。しかも聞く耳を持たん。そういう人が多い。
まして大きな体の大人が小さな子どもの体に体罰などトンでもないです。
子どもの体は勿論ですが心に大きな傷を残します。
拭い去ることの出来ない大きな傷です。
大袈裟に言えば、その子どもの将来の人生を変えてしまうかも知れません
けっこう体罰支持者て、いるんですよね。↓こんな法律あるのにねえ。
「学校教育法より
第11条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」
この「徴戒」と言う言葉も嫌ですけどね。
お元気そうで何よりです。
仰るように、障害を持って生まれた子には何の罪もないわけで、関連付けることは良くないですが、その教師には大いに罪があると思います。けっこう、そんな教師、今もいるんですよね。本人はいいことだと思ってるから始末に悪いです。