▼アベ総理の国会答弁は、常識を逸脱し過ぎている。まるで総理としての自覚がない。今国会を裁判所に例えるなら、アベ総理は「個人情報保護」を盾に、はぐらかし作戦に出て、明らかに自分の罪を逃れようとしている。
▼それに対し、裁判長である予算委員長も、いくら自民党所属だからと言って、野党の質問時間を少なくするような、内閣寄りの裁きをしている。不公平極まりないお白州だ。「保育園落ちた日本死ね!」という言葉が浮かんできた。「アベ政権死ね!」と、テレビに向かって叫びたい思いに駆られる。
▼政治評論家でアベ総理に近いといわれる田崎史郎は「その時代のリーダーには、その時代に生きている人が最もふさわしい。今、田中角栄が現れたからといって、政治がうまく機能するとは思えない。人間は理屈によって納得するが、感情によって動く。感情で動く人を動かすには、同じ時代の息吹に触れているということではないか。」という。
▼そうだろうか。今のアベ総理は理屈をこねても誰も納得死ねないし、アベ総理の感情に流される人間などいないと思う。アベ総理はリーダーとしては、失格者ではないか。相当、脳が疲れ切っているように見える。しかし、総理の支持率は一向に下がらないから不思議だ。
▼ところで昨夜の私の夢だが、中国政府が香港の若者の主張を取り締まることに対し、世界から批判の目が向けられている。そこで中国政府が、目をそらすために、自らの体内(武漢)に、コロナウイルスをばら巻いたのではないかという、私自身も感染したような夢をみてしまったのだ。
▼夢にしても恐ろしい夢だ。米国も中国もロシアも北朝鮮も、今、世界各国のトップは、自分の政権維持のために何をしでかすかわからない状態になってきている。つまり世界は「独裁化」の傾向に進んでいるように思える。
▼第二次世界大戦が終了し、70年を過ぎた現在、民主主義では政治が解決できない状況が起きていると、為政者たちは思い始めているのではないか。世界のトップにいると自負しているアベ総理の言動を見ていると、民主主義をのけ者にしようとする、危機さえ感じてくるからだ。
▼ウオーターゲート事件で失脚した、米国大統領リチャード・ニクソンは【指導者は、時と場所と背景の組み合わせの中から生まれる】という。
▼現在の日本で「対米中毒」にかかり、米国にすがりつく政治を行うのが我が国のリーダーだ。だが、総理をそんな病状にしてしまったのは、ほかならぬ国民だ。ということは、国民自らが【民主主義の破壊者】になっているのに、アベ総理一人の責任にしているような気もする。
▼【責任の転嫁】こそが、今の日本人に多くみられる傾向である。そんな日本だから、アベ総理は【個人情報保護】という「印籠」を、ただいたずらに振りかざし、説明責任を果たそうとしないのだ。
▼政治もそうなら大企業も右ならえだ。カルロス・ゴーンもそんな日本の体質にあきれ果て、国外逃亡にでたのではないか。実はゴーンが「大脱走」した時、私はなんだか「してやったり」と感じたのだ。
▼それは、私が20歳の時起こった『三億円事件』のことが、頭をかすめたからだ。その事件の夜、私は5、6人ほどしか入れない小さな飲み屋にいた。
▼サラリーマンらしき男性が席を埋めていたが、一様に「なんだか気持ちのいい事件だな。相当頭のいい奴がやったに違ない」と、話していたのを記憶している。私も同感したのを、いまだに覚えているからだ。
▼半世紀を隔てた『三億円事件』と『ゴーン大脱走』。犯罪事件なのだが、共通するものは【爽快感】のような気がする。「高度経済成長期」と「低度経済期」。正反対の状況下で、なす術もなく巻き込まれている、サイレント・マジョリティーの声なき声。それが「爽快感」というものだったような気がする。
▼昨年、札幌駅でのアベ総理の街頭演説で「アベ反対!」を叫んだ人たちが、道警により排除された。道警はいまだにその説明責任を果たしていない。道民の民主主義は、警察の土足で踏みにじられているような気がする。
▼アベ政権下で憲法が改正されたら「個人情報保護」ばかりではなく「内閣侮辱罪」でも作られ、野党の国会議員は軒並み逮捕などということになりかねないかもしれない。そんな気もする【どうなってんの日本!】の国会風景だ。
新宿御苑の八重桜 日本死ね
三等下