函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

どうなってんの日本!

2020年01月30日 20時42分05秒 | えいこう語る

▼アベ総理の国会答弁は、常識を逸脱し過ぎている。まるで総理としての自覚がない。今国会を裁判所に例えるなら、アベ総理は「個人情報保護」を盾に、はぐらかし作戦に出て、明らかに自分の罪を逃れようとしている。

▼それに対し、裁判長である予算委員長も、いくら自民党所属だからと言って、野党の質問時間を少なくするような、内閣寄りの裁きをしている。不公平極まりないお白州だ。「保育園落ちた日本死ね!」という言葉が浮かんできた。「アベ政権死ね!」と、テレビに向かって叫びたい思いに駆られる。

▼政治評論家でアベ総理に近いといわれる田崎史郎は「その時代のリーダーには、その時代に生きている人が最もふさわしい。今、田中角栄が現れたからといって、政治がうまく機能するとは思えない。人間は理屈によって納得するが、感情によって動く。感情で動く人を動かすには、同じ時代の息吹に触れているということではないか。」という。

▼そうだろうか。今のアベ総理は理屈をこねても誰も納得死ねないし、アベ総理の感情に流される人間などいないと思う。アベ総理はリーダーとしては、失格者ではないか。相当、脳が疲れ切っているように見える。しかし、総理の支持率は一向に下がらないから不思議だ。

▼ところで昨夜の私の夢だが、中国政府が香港の若者の主張を取り締まることに対し、世界から批判の目が向けられている。そこで中国政府が、目をそらすために、自らの体内(武漢)に、コロナウイルスをばら巻いたのではないかという、私自身も感染したような夢をみてしまったのだ。

▼夢にしても恐ろしい夢だ。米国も中国もロシアも北朝鮮も、今、世界各国のトップは、自分の政権維持のために何をしでかすかわからない状態になってきている。つまり世界は「独裁化」の傾向に進んでいるように思える。

▼第二次世界大戦が終了し、70年を過ぎた現在、民主主義では政治が解決できない状況が起きていると、為政者たちは思い始めているのではないか。世界のトップにいると自負しているアベ総理の言動を見ていると、民主主義をのけ者にしようとする、危機さえ感じてくるからだ。

▼ウオーターゲート事件で失脚した、米国大統領リチャード・ニクソンは【指導者は、時と場所と背景の組み合わせの中から生まれる】という。

▼現在の日本で「対米中毒」にかかり、米国にすがりつく政治を行うのが我が国のリーダーだ。だが、総理をそんな病状にしてしまったのは、ほかならぬ国民だ。ということは、国民自らが【民主主義の破壊者】になっているのに、アベ総理一人の責任にしているような気もする。

▼【責任の転嫁】こそが、今の日本人に多くみられる傾向である。そんな日本だから、アベ総理は【個人情報保護】という「印籠」を、ただいたずらに振りかざし、説明責任を果たそうとしないのだ。

▼政治もそうなら大企業も右ならえだ。カルロス・ゴーンもそんな日本の体質にあきれ果て、国外逃亡にでたのではないか。実はゴーンが「大脱走」した時、私はなんだか「してやったり」と感じたのだ。

▼それは、私が20歳の時起こった『三億円事件』のことが、頭をかすめたからだ。その事件の夜、私は5、6人ほどしか入れない小さな飲み屋にいた。

▼サラリーマンらしき男性が席を埋めていたが、一様に「なんだか気持ちのいい事件だな。相当頭のいい奴がやったに違ない」と、話していたのを記憶している。私も同感したのを、いまだに覚えているからだ。

▼半世紀を隔てた『三億円事件』と『ゴーン大脱走』。犯罪事件なのだが、共通するものは【爽快感】のような気がする。「高度経済成長期」と「低度経済期」。正反対の状況下で、なす術もなく巻き込まれている、サイレント・マジョリティーの声なき声。それが「爽快感」というものだったような気がする。

▼昨年、札幌駅でのアベ総理の街頭演説で「アベ反対!」を叫んだ人たちが、道警により排除された。道警はいまだにその説明責任を果たしていない。道民の民主主義は、警察の土足で踏みにじられているような気がする。

▼アベ政権下で憲法が改正されたら「個人情報保護」ばかりではなく「内閣侮辱罪」でも作られ、野党の国会議員は軒並み逮捕などということになりかねないかもしれない。そんな気もする【どうなってんの日本!】の国会風景だ。

        
        新宿御苑の八重桜 日本死ね
                    三等下

アメリカ保育園のシンゾウ君

2020年01月29日 17時59分58秒 | えいこう語る

▼占領下の日本で「日本人の精神年齢は12歳」と言ったのはマッカサー元帥だ。それから70数年後「アメリカ幼稚園」園長ドナルド・トランプの最年少組に入園しているのが、アベシンゾウ君だ。

▼28日の衆議院予算委員会をラジオで聴いて、そんな印象を持った。嘘つきで有名な、トランプ園長の下で飼育されては、シンゾウ君も園長の影響は大きい。

▼「桜を見る会」の答弁は、トランプ園長も驚くほどの、でたらめぶりだ。「自分の後援会を招待してのホテルの宴会料金が『一人五千円』は、安すぎておかしい」という野党議員の質問に対し「あなた(質問した野党議員)が行った、鮨屋・久兵衛は高級なので、お金の価値が分からないのではないか」と、逆切れる。答弁のはぐらかしだ。

▼こんな幼稚なレベルの総理が、我が国のトップに居座る、なんて、情けなくって呆れかえって、涙がこぼれそうになる。さらに「久兵衛は値段が高い鮨屋だ」と、数回発言する。完全に営業妨害ではないか。

▼さらに総理が座っている時の声が聴こえた。「また同じことを質問する」と。他の質問に対する答弁も、説明ではない、ただのはぐらかしだ。「説明はきちんとする」というのは「嘘の説明をする」ということだ。

▼この総理が、教育についてこんな発言をする。【教育の目的は志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ。そして教育の再考は国家の柱である。私たちの国の、とりわけ義務教育に、大胆な構造改革が必要だ】と。

▼開いた口が塞がらない。そんな総理の大胆な義務教育の構造改革が【道徳の教科化】なのだろう。背筋が寒くなるというより、背筋がかゆくて、湿疹が出て仕方がないという感じだ。

▼こんな幼稚園年少組が【憲法改正】などというのは、すでに総理の頭が「コロナウイルス」に感染しているのかもしれない。感染で死亡者が出る以上に、9条が改正されれば、自衛隊に多くの戦死者が出る可能性がある。つくづく困った総理だ。

▼【敷島の大和心を人問わば朝日に匂ふ山桜花】。満開の桜は美しい。散りぎわの潔さもまた大和心だ。我が国の小学生や中学生には聞かせたくない、アベ総理の国会答弁だ。

▼週刊誌の記事なので、正確かどうかは分からないが、シンゾウ君のお母様が「家庭教師を平沢勝栄(当時東大生で現在自民党衆議院議員)に頼んだが、随分頭を叩かれたので、シンゾウは頭が悪くなったみたい」と話していたという。

▼そういえば、平沢議員、相当のベテランなのに、一度も大臣にはなれない。もしかして、シンゾウ君、昔の恨みを晴らしているのかもしれない。

 ※大和心の無い「晋三桜を見る会」に出席して、一句。
    
    散らぬなみんなで散らせ晋三桜
                 三等下 

幕下17枚目の徳勝龍と横綱白鵬

2020年01月27日 10時52分06秒 | えいこう語る

▼幕内最下位、33歳の徳勝龍がまさかの優勝だ。それも角界最強の馬力を持つ大関貴景勝を、正攻法の相撲で寄り切った。テレビで観戦しながら、土俵上で涙を流す徳勝龍に大きな拍手を送り、もらい涙をしてしまった。

▼優勝インタビューでは「優勝は意識していないかった・・・いや、それは嘘でした」と、素直に心情を吐露し、会場の称賛を浴びた。初土俵から一日も欠場しなかったというのも驚きだ。

▼片や、優勝回数43回を誇る、史上最強と言われる34歳の横綱白鵬だ。開幕早々2連敗すると、誰もが予想する休場だ。張り手や勝ち上げなど、横綱の品格を問われても、一向に改めることはない。

▼高額な賞金を、これ見よがしに振りかざすのも、顰蹙を買う。時には、相撲協会無視の態度も見受けられる。日本に帰化し、親方の席は用意されたようだが、本人は外国生まれで、初の理事長の椅子を狙うのが最終目的なのかもしれない。

▼今回の徳勝龍の優勝は、そんな白鵬に対する純粋な相撲フアンの鬱憤をも、一緒に投げ飛ばした爽快さがある。こんな真面目で正々堂々とした相撲を見るのは、半世紀以上にも渡る大相撲フアンの私でも、国技と呼ばれるにふさわしい一番を観戦できたことに感謝したい。

▼白鵬は、神業に近い相撲取りだ。相撲のすべての業を極めつくしているからだ。そんな大横綱だから言いたい。大相撲の歴史に燦然と輝くとすれば【引退】を勧めたい。大横綱としての名誉を保つには、誰もがなしえない末代まで語り継がれる【引き際のよさ】を見せてほしいからだ。

▼来場所初日の横綱の土俵入り。「本日横綱白鵬が引退を表明いたしました。最後の土俵入りとなります」と、アナウンスが流れる。会場にどよめきが走る。白鵬の入場で割れんばかりの拍手が湧き起こる。

▼そんな土俵入りが、大横綱白鵬にふさわしい【最高の引き際】ではないかと、昨日の徳勝龍の優勝に重ねて、思い浮かべていた。

▼ついでに思ったことだが、白鵬の引退と同年の引退劇を、政界の横綱アベシンゾウにも期待したいものだ。
      
       潔くあれ角界と政界
               三等下

アベ政権下の「オキナワ」と「アイヌ」

2020年01月26日 17時13分28秒 | えいこう語る

▼いかにも差別的な名称の、北海道旧土人保護法。1899年(明治32年)に制定され、約100年間効力を発した。保護法とはいえ、帝国主義的同化政策の推進だと評価されている。

▼1・アイヌの土地没収
 2・収入源である漁業・狩猟の禁止
 3・アイヌ固有の習慣風習の禁止
 4・日本語使用の義務
 5・日本国氏名への改名による戸籍への編入

▼これらが保護法の特徴だ。まるで植民地化政策だ。道民から改正運動が起きなかったのも「無意識下の差別」があったという証左に違いない。

▼今年4月にオープンするウポポイ「民族共生象徴空間」の建設と、IR「統合型リゾート」の誘致で、アイヌ民族の存在がクローズアップされ、ようやく学ぼうと思った道民の私自身も「無意識下の差別」をしていた一人だ。

▼2019年に「アイヌ新法」が施行されたが、その成立時に行なったパブリックコメントには、6305件が寄せられた。その中の98%が、アイヌ民族の存在を否定する差別的内容だったので、公表の対象外としたという。(道新令和2年1月18日掲載)。

▼いまだに旧土人法さえも認めない、人種がいるようだ。もしかしたら、これらの人種が、縄文後期に日本にやってきて、先住民族を蹴散らし、自分たちが正統な日本人だと自負している渡来民族の末裔かもしれない。

▼そうであれば、それらの末裔が明治時代に北海道にやってきて、先住民族を圧迫し、中には「アイヌ民族など存在しない」と発言する、和人と称する種族なのだろう。

▼などと、いつもの妄想の世界に、早くも入ってしまう。そんな人種差別の種族の正体を明らかにするためにも、98%の純粋な差別意見を公開してもらいたいものだ。

▼そのアイヌ新法だが、先住民族と記しているが、先住民族の権利保障の記載がないとして、アイヌ民族が国に訴えている。この国の政府が、はたしてアイヌ民族の人権にどんな理解を示しているのだろうか。

▼故中曽根総理(大勲位菊花章頸飾=天皇と同じ)や元総理で現副総理麻生太郎は、我が国は「単一民族」だと主張する。これではアイヌ新法も「仏作って魂入れず」ではないか。

▼沖縄は米軍基地が集積し、いまだ占領地状態だ。それに対する政府への不満は大きい。そんな沖縄を、政府はことさら無視し、沖縄の人権など軽視する有様だ。

▼そんな政府だ。アイヌ新法などを作っても、アイヌ民族の人権など容易に認めるはずがない。沖縄も北海道も共に「土人が住む土地」という認識しかないに違いない。

▼1月22日からは、北海道で沖縄の米軍海兵隊が、道民の反対を無視し、陸自と戦後最大規模の共同訓練を行っている。現在に至っても、沖縄と北海道は「土人」が住む島との認識しかないようだ。

▼政府が建てた「ウポポイ」が、果たしてアイヌ民族自立の砦となるか、それとも、日本政府の「北海道大構造計画」の新たな砦になるか、道民一人一人がアイヌ民族を理解する中で、見定めていくことが必要になってくるようだ。

▼アイヌ民族で言語学者の知里真志保は【アイヌ及びアイヌの文化の内容が、今まで考えられていたよりはるかに複雑であり、豊富であり・・・そこから北海道の先史時代の人と生活を明らかにする鍵を、いくらでも摑み出してくることができるのだという印象を、皆さんに持っていただくことが出来ましたなら、私の目的は達せられるのであります】と述べている。

▼アイヌ民族は文字を持たなかったゆえに、差別の対象とされた。しかし、天皇を主軸とする神道にも、体系的な教義も深遠な哲学もそれどころか、文字で書かれた経典さえないという。

▼明治の日本で暮らしたラフカディオ・ハーンは、神道をこう解説する。【学者たちがなかなか神道を解きあかせないのも、畢竟、彼らが神道の源泉を書物ばかりに求めているからである。・・・本居宣長や平田篤胤の注釈に頼りきったためだ。しかし、現実の神道は書物の中に生きているのではない。儀式や戒律の中でもない。あくまで国民の心の裡に息づいているのである。そして、その国民の信仰心の最も純粋な発露、決して滅びず、決して古びることのない表象が、神道だ】という。

▼さらにカーンは、文字で書かれた教義が「無い」ことこそが、神道の強靭さの要諦でもあり、怒涛のような西洋思想の来襲にも、日本が東洋で唯一対抗し得た由縁であると看破している。

▼そうであれば文字が無かったアイヌ民族にも、計り知れぬ魅力が隠されているのではないか。アイヌ文化を学ぶことで、北海道の未来が見えてくるのかもしれない。

▼『オキナワ』と『アイヌ』は、同じ民族ではないかと私は「仮想」している。だから、アベ政権と緊密な鈴木北海道知事がとても気になる。アベ政権が北海道に対する政策が、私の考えているものと一致するのではないかと危惧するからだ。

▼「アイヌモシリ=人間の静かな大地」を、IRや沖縄の米軍の騒音で、破壊させてはならない。

自衛隊は何を考えているのか

2020年01月25日 15時16分02秒 | えいこう語る

▼紛争状態の中東沖に派遣される自衛隊の任務は、日本国籍を有する船舶が攻撃された場合の海上警護だ。となれば、攻撃を受けた場合、武器の使用を認めるというのだから、戦闘状態になるということだ。

▼我が国の中東からの原油依存は88,2%にも及ぶという。米国とイランの戦争で、原油が入らなくなれば、我が国の生存問題に関わる。それを阻止するために戦闘行為も辞さないというのは、太平洋戦争に突入した我が国の状況に酷似する。

▼だが自衛隊は憲法9条の下、戦闘状態に入るのは、違憲扱いだとすればいいのだが、日米安全保障条約で双務的対応を迫られ、米国が目の前で戦えば、戦争に参加せざるを得なくなる。

▼憲法は我が国の最高法規だから、日米安保条約が憲法より上というのは理解できない。だがコイズミ総理もアベ総理も、米国との紛争状態の地域に自衛隊を派遣する。

▼総理が憲法違反をしようとする確信犯だから、早晩我が国は戦争に巻き込まれる可能性は大きい。とにかく「憲法改正」が、最大の政治課題だというから、長年戦争をしない国だった我が国では、ひじょうに困った政治家だ。

▼米国は武力によって、政治・経済のバランスを保つ国である。まして大統領自ら「自国ファースト」を叫ぶ国だ。こんな国との軍事同盟は、戦争に巻き込まれのを、合意したということだ。

▼国民の信頼が大きい自衛隊が、憲法で認められないのは「可愛そうだ論」を吹聴し、自衛隊を憲法に明記し軍隊として、政権の基盤を強固にするつもりだ。つまり、国民主権を弱体化し、軍事国家を目指す自民党のクーデター計画の一環なのだ。

▼今の自衛隊は、法治国家でありながら、憲法第21条の「表現の自由」も認められていない存在だ。つまり、自分たちの存在を世間に向かい、自由に発言することができないのだ。憲法第21条を適用されないのは、自衛隊のほかに天皇もいる。

▼「天皇と自衛隊」は、まぎらわしい存在なのだ。そこで自民党改正草案は、天皇を元首とし、自衛隊を国防軍にしようとする。「曖昧」な存在が、極端に「鮮明化」した時、何をもたらしたかは、過去の歴史に答えがある。

▼戦後長らく続いた「自衛隊違憲論」に決着をつけるのが、自衛隊の「中東派遣」だ。アベ政権としては海自に『戦争放棄の放棄』をさせることも、その任務の中に入れているのだろう。

▼天皇と自衛隊を考えれば「妄想」しかないが、自衛隊の存在を、的確に表した文章に出会ったので、紹介しておきたい。

▼昭和45年11月25日、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地での割腹事件の時の、呉智英(くれともふさ=日本国籍)という評論家の文章だ。

▼【致命的なのは、当の自衛隊員が三島の話に全く耳を傾けなかったことである。・・・三島はしきりに、清聴を呼びかけた。むろん何の意味もなかった。なぜならば、隊員にはこれを清聴しなければならない「法的義務」はなかったからである。三島はそれでも武士かと叱責した。隊員たちからはヤジと嘲笑が返ってきた。それでも武士かといったって、武士であろうはずがない。自衛隊員は武士ではなく、自衛隊法に基づく『国家公務員』なのである】。

▼この後三島は総監室で切腹、解釈され首が胴体から離れて転がったという。三島が言う武士だという自衛隊。呉が言う「国家公務員」としての自衛隊。今の自衛隊は、どんな存在として自分を見ているのだろうか。

▼もし私が自衛隊員なら、憲法第9条がある限り「国家公務員」としての存在での使命感を持つだろう。だが、憲法改正で国防軍と明記されれば、三島の言う「武士道精神」に、シフトして行かざるを得ないような気がする。

▼戦時中の学徒出陣。当時の学生の中で流行った言葉が「シックザール」というドイツ語だ。運命という意味だが【従わざるを得なきもの】と、解釈したという。

▼海自の中東派遣の根拠を、防衛省設置法の「調査・研究」の中での出兵だという。そうであれば「国家公務員」としての責務でいいはずだ。だが、きな臭さが漂う海域であれば、なんとも中途半端な存在での任務ではないか。

▼中東派遣は、同盟国トランプ大統領の要請によるものに違いない。「シンゾウ、そろそろ武士道を発揮する時だぞ」という、そんな声も漏れ聞こえてくるようだ。

▼三島は最期にこう叫んだ!。「自衛隊は武士でないのか!そうでなければアメリカの軍隊になってしまう」と。

▼中東派遣に参加させられる自衛隊員の身になって、ちょっぴり妄想を働かせてみた。出港する護衛艦に「海ゆかば」の曲が静かに流れ、隊員の背中に「シックザール」という重き言葉が、背負わされているようにも感じる。

▼願わくば【中東事変】などという名称がつかないように。