函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

政治倫理審査会に総理登場

2024年02月29日 13時21分45秒 | えいこう語る
▼自民党議員の「脱税問題」を審査する「倫理審議会」に関係者が出席するかしないかで、もめていた。

▼一般的にこの問題は、国民の代表者である議員が起こした事件なのだから、国民に公開で審議会を開催するのが常識だ。

▼ところが公開か非公開は、審議会が決めるという法律があるようだ。こんな法律は「納税の義務」を課せられている国民からすれば、いわゆる「ざる法」だ。

▼国会議員だけ許される法律など、ありはしない。最高法規である憲法の「第99条」には、天皇であっても、そして国会議員でも憲法尊重擁護の義務を課せられているからだ。

▼そこにまさかの総理出席だ。自民党の重鎮ばかりが出席の対象になっていて、国民が望む委員会に出席しないのは、もはや自民党は国民の信頼を失うと判断したのか、総理の出席は前代未聞だという。

▼自らが議長を行うということなのか。それとも一般議員として傍聴側に座るというのか、何とも意味不明な総理だ。

▼政界には「禊」というのがある。問題を起こし一度失職し、出直し選挙で勝利すればそれを「禊」が済んだとなすという、勝手な考え方だ。

▼これは古事記の「禊」から、引用した政界でしか通用しない言葉だ。古事記の「禊」とはこうだ。

▼イザナキの神が母が死んだので「黄泉の国」へ行ったが、体が穢れたので川に飛び込む。そこで穢れを落としたが、そこからさまざまな神を生み出す。

▼政界の禊とは、一度選挙という「荒波の大河」の試練を経て、当選すると許されるという、きわめて自分勝手な「禊」だ。

▼神の「禊」とは、その行為から「三貴神」を生み出す。「天照大神」と「月読命」と「健速須佐之男命」だ。この神が国を立派に治める神だ。

▼「神界」と「政界」の意味は全く違う。適当にごちゃまぜしてしまい、本来の意味を「曖昧」にしてしまうのが「政界」の不正解?だ。

▼今まで政界の「禊」は何度も行われたが、再度復活して、世の中を照らす政治家になったのは、誰も知らない。

▼総理が倫理審査委員会に出席する、本当の目的は何なのか。終了後総理は意見を聞かれ、国民は知るだろう。

▼マスコミや傍聴議員の多くが「✖」を出した場合、総理も「✖」としなければ、常識的におかしいということになる。

▼そこで、皆さんと同様の考えんだと答えれば、少なくても次期総理のライバルを蹴落とすことになる。それも藤井名人並みのすごい一手だ。

▼だが、自民党派閥から総攻撃は免れない。だが布石として、すでに「派閥解消」の一手は打っている。

▼キシダ総理は四面楚歌に陥るが、もはや引き下がりはしない。後は「王手」しかない。自民党、満身創痍での「解散選挙」だ。

▼もともとキシダ総理は、打たれ強いというか、打たれても感じない珍しい政治家タイプだ。この国の現状に即した「曖昧な日本の政治家」なのだろう。

▼もはや周囲の誰にも気兼ねせず「解散」の王手を何時でも打つ覚悟を示すのが、倫理審査会への出席ということではないか。

▼今の自民党では選挙は勝てないという、自民党内での流れだが、キシダ総理は「だが今の状況でも、野党もそれほど勝てはしない」と、読んでいるかもしれない。

▼今までの自民党は解党し『新たな自民党を生み出す』という‟キャッチ・フレーズ”で、ただ批判だけするだけの野党に、国民は政権を任すのですかという、強いメッセージを国民に発しての『解散選挙』だ。

▼肝心の軍資金だ。野党は‟かすかす”だ。自民党には‟軍資金”がある。決戦の準備金が今回の問題の裏金ではないか。

▼先日あるご夫婦と、自民党の脱税問題について話し合った。こんな自民党だから選挙に入れたくないが、今の野党には入れようとも思わない。結局選挙に行ったら、自民党候補に入れるのではないかという内容だった。

▼そんな国民の声をキシダ総理は、人知れず耳を立てているに違いない。今までの自民党議員ではない、新たな国を背負う自民党議員の誕生こそ、真の政界の‟禊”ではないかと。

▼『今や議会制度は、結局のところ、諸党派と経済的利害関係者の支配のための性悪な外装になっている。その結果国家と社会との区別は希薄化し、国家は社会生活のあらゆる局面への介入と、あらゆる私益保護とを要求される「全体国家」へと脱落している。ここでいう「全体国家」とは、人民の生活の全体を支配する強力な国家ではなく「全体化」したがゆえに、社会の種々雑多な要求を、すべて考慮せざるを得ない、弱々しい国家という意味で用いられている』。ドイツの政治哲学者、カール・シュミットの指摘だ。長谷部恭男著「憲法とは何か」岩波新書から参照。

▼なんだか、最近【小国日本】と化しているような気がする。田舎生まれの団塊おやじの私は、この頃【日本村】になってきたのではないかと感じる。

▼私の村も、議会政治と行政組織の弱体化で、函館市に吸収合併された。函館市民になり20年が経とうとしているが、「函館村」ではないかというのが、合併後の総括だ。市民と議会が遠い存在だからだ。

▼【小国日本】。米国式の「憲法」が良くないといい「憲法改正」を、自民党議員が大声で叫ぶが、その議員が憲法を守り切れなくなったので、改正しようとしているようだ。

▼【リベラルな議会制はすでに過去の政治形態だという。組織政党が議会内での公開の審議を通じて、真の公益を目指して熟慮を重ね、見解の一致に至ることは期待できない】。

▼【議会制民主主義の主なプレイヤーである組織政党は、競合する多様な私益を系統的に代表して互いに対峙しつつ、密室での取引を通じて、その場限りの妥協を実現するにとどまる】。と、シュミットは断言する。

▼期待もしない方がよさそうな、総理出席の『政治倫理審査会』のようだ。

大谷翔平と白鵬と自民党

2024年02月28日 11時33分51秒 | えいこう語る

▼大谷選手の話題は、白銀の山に、桜が咲いたような気分にしてくれる。世界の少年・少女たちの、模範となる好青年だ。

▼それに比べ、我が国では前人未到といわれる、優勝45回の元横綱白鵬。横綱時代から品性が指摘されていたが、今回の弟子の暴力行為で、2階級降格だ。

▼そして我が国の政権与党の自民党だ。誰が見ても「脱税」を認めないというのは、国会議員とは呼べない。「国壊議員」だ。あきれてものも言えない。

▼というので、憲法学者長谷部恭男著「憲法とは何か」岩波新書を読み返してみた。長谷部は以前自民党からの推薦で、憲法改正について、国会で発言したことがある。

▼だが長谷部は「憲法改正反対」を述べ、自民党は非常に驚いたということがあった。なぜ自民党は長谷部を呼んだのであろうか。

▼多分長谷部の憲法解釈を、自民党が良く理解していなかったのではないかと思う。長谷部の「9条解釈と立憲主義」という文章だ。

▼『例えば、憲法9条の文言にかかわらず、自衛のための実力の保持を認めることは、立憲主義を揺るがす危険があるという議論があるが、これは手段に過ぎない憲法典の文言を、自己目的化する議論だ』。

▼こう言われても田舎おやじの頭では、よく理解できない。さらに長谷部はこう解説する。

▼『立憲主義の背後にある考え方からすれば、特定の生き方を「善き生き方」として人々に強制することは許されない。公と私の区分を無視し、特定の生き方を他の生き方に優越するものとして、押し付けることになるからである』。この辺は、繰り返して読み込まなければ、意味が分からない。

▼『自衛のための実力を保持することなく、国民の生命や財産を実効的に守ることが出来るかといえば、それは非現実的といわざるをえない。となると、それを憲法が命じているという解釈は、それでもそれが唯一の「善き生き方」であるからという理由で、国民の生命・財産の保護という社会全体の利益の実現の如何とはかかわりなく、特定の価値観を全国民に押し付けるものと考えざるを得ない』。ここも何度か読み返さなければ理解できない。

▼『9条の文言は、確かに自衛のための実力の保持を認めていないかに見えるが、同様に「一切の表現の自由」を保障する21条も、表現活動に対する制約は全く認めていないかに見える。それでもわいせつ表現や名誉棄損を禁止することが、許されいないとする非常識な議論は存在しない』。ここも何度か読み返さなければ、よく意味が理解できない。

▼さていよいよラストだ。『21条は特定の問題に対する答えを一義的に決める「準則(rule)」ではなく、答えを一定の方向に導こうとする「原理(principle)」にすぎないからである。9条が「原理」ではなく「準則」であるとする解釈は、立憲主義とは相容れない解釈である』と言う結論だ。

▼昨夜布団の中で、1ページ程の文章を何度も読み返しているうちに、呪文をかけられたように眠ってしまった。目が覚め、数回読み返し、ようやくぼんやりだが理解した。

▼田舎おやじのぼんくら頭では、なかなか理解しにくい。改憲派の議員でも、よく理解していないまま、現実に即さないとして、改正を推し進めるのだろう。

▼とは言いながら、私もわかったようでよくわかっていない。やはり憲法は難しいものだ。
憲法は「国家の基本秩序」といわれる。

▼「大日本帝国憲法」が「日本国憲法」に変更された時、日本人の血が入れ替わったような衝撃だったように思う。

▼それほど「憲法」とは、重要なものだ。それを脱税問題も理解できない、政権与党の自民党議員と、その総裁キシダはいとも簡単に【憲法改正】を口にする。

▼そんな自民党に「日本国憲法」を、簡単に改正させてはならない。税金泥棒に「憲法」まで盗ませるようなものだ。

▼白鵬にも【国技】を勝手に、変更させてはならない。白鵬も自民党も大谷選手のバットで、頭を殴ってもらわなければならない。

▼田舎おやじは、憲法解釈の難しさに頭が混乱し、つい暴言を吐いてしまった。こんな難しい「憲法改正問題」は、国民の勉強会が急務だ。

▼「戦争ができる国」とは、「大量虐殺」を憲法に明記する国ではないか。以前私は2日間靖国神社を参拝したことがある。

▼そこで戦没者たちが、異口同音に私にささやいた。【戦争は絶対してはならない】と。これこそ人間の『原理・原則』ではないか。

「千の風になって」の朗読

2024年02月26日 12時01分07秒 | えいこう語る

▼毎月一回、町会館で「とどっこ塾」という高齢者サロンを開催している。参加者の平均年齢は80歳に近い。

▼「とどっこ」とは、2004年に函館市に吸収合併された、私の故郷「椴法華村=とどほっけむら」から名付けたものだ。

▼子供の頃に戻って、少し学びの時間を楽しもうという試みだ。朗読は私だ。以前からやってみようと思っていたが、機会がなかった。

▼この塾は、私が企画しながら進めるので、独善的であるが「朗読コーナー」を設けた。回数を重ねれば、読む方も少しは上手になる。

▼朗読の最中は、きちんと聞いてくれる。終わった後の拍手がとてもうれしい。私も高齢者だが、他の高齢者の心に響くものを提供できることを、うれしく思っている。

▼少しでも人のためになれることが、故郷への恩返しだと、自分で納得している。明日がその開催日だ。

▼芥川賞作家で元電通マンの新井満さんが、文章を書き、それに絵を描いたのが佐竹美保さんだ。「千の風になって」という物語だ。

▼歌も随分ヒットした。この絵本を初めて手にし感動したので、私が絵を模写し、紙芝居形式で母校の中学校で朗読した。

▼朗読は地元のおばさんに頼もうと思ったが、朗読などもちろん経験はない。そこで知り合いの、隣町のおばさん二人に頼んだ。

▼私は後ろで音響を担当し、その場面に合う曲を流した。米原住民族の環境には‟姫神”というシンセサイザーを中心の、音楽がとてもぴったりだったからだ。

▼その様子が北海道新聞に掲載された。札幌から編集委員の方が取材にやってきて、新聞のコラム欄にその時のことが掲載された。

▼新井満さんはその後、函館の近くの大沼公園近くに永住し、2021年12月に‟千の風”になった。その後新井さんが訳した「イマジン」と「般若心経」を購入している。

▼この二冊も、わかりやすいので、そのうち朗読コーナーで使用しようと考えている。「般若心経」を暗記している、女性の高齢者はいる。ご主人を亡くした方だ。

▼だが意味を理解している人は、ほとんどいないはずだ。私たちも永く生きてきて、意味をよく知らないで使用しているものが多い。

▼「とどっこ塾」とは、そんなところに焦点を定め、ちょっぴり勉強しようと言う高齢者塾だ。ちょっぴり難しそうだが、楽しく行うというところが特徴だ。

▼今世界が戦争をし始め、多くの無辜なる人々が犠牲となっている。「理不尽」な世界になったものだ。

▼今朝は一面の銀世界だ。我が夫婦も雪かきには閉口する。でも真っ白な雪を、血で染めてはならないと願う。

▼♪冬はダイヤのように きらめく雪になる♪。千の風になっての主人公は、最愛の妻が子供を産んで、旅立つ。

▼残された若い夫は「ウパシ=雪」という。亡くなった妻の名は「レイラ=風」という。

▼明日の朗読は、ウクライナやパレスチナの戦場に思いを馳せ「戦争の無意味さ」を、知ってもらおうと思っている。

政界と角界の落とし前

2024年02月25日 13時01分37秒 | えいこう語る
▼大相撲フアンとなって65年ほど経つ。単に相撲好きというより、相撲界を通し、日本人や日本国家の在り方を探求できる存在として、65年も継続しているというといった方が適当だ。

▼『国体』とは天皇を中心とした国作りだ。それは「戦争」という結果を生んだので、一応は消滅したようだ。

▼大相撲は【国技】と言われる。国の‟技”とは、「国体」に似たような「国家の体制」を伝授する‟技”のようにものが、あるのではないかと感じるからだ。

▼今でも「天覧相撲」があり、天皇・皇后両陛下には貴賓席が用意される。千秋楽には全員が立ち上がり「君が代」が流れる。

▼私は「日の丸」と「君が代」が、学校現場で強制されるのは、拒否感を持つ。「日の丸
」と「君が代」は、戦争時には戦争礼賛の象徴となっていたからだ。

▼それは天皇を戦争の象徴として、軍部が使い勝手よく【天皇制】なるものを国民に強要し、教育現場で戦争遂行の思想教育をさせたからだ。

▼それに学校現場での、日の丸に頭を下げる行為も、戦前のしきたりを継続しているようで、民主主義教育には不適当で、反対だ。

▼というわけで「天皇制」なるものを、すべて排除すればいいかと言えば、そうとは言い切れない。

▼「天皇」は戦前と戦後に、連続して存在し、現憲法下でも「国民統合の象徴」であるとされていれば、「天皇制」なるものの復活も、いずれはあり得ると考える。

▼そう考えるので、国民が「天皇制」なるものを感じる場面が「大相撲」に、脈々と流れているような気がする。


▼そこに「日本人研究」の貴重な存在として「大相撲界」の意義がある。65年間もフアンだというのが、その理由だ。

▼永年「大相撲フアン」でいた理由が、「日本人研究」だということを、理路整然ではなく、先に述べてしまった。

▼自民党議員による‟脱税事件”の体たらくと始末の付け方と、宮城野親方(白鵬)の事件を比較しながら、大相撲フアンとしての解釈を試みたい。

▼自民党と角界はよく似ている。「国体」の維持と「国技」の維持だからだ。どちらも国家の安定を目指すという意味では、同じ精神構造だ。

▼日本政治を牽引してきた自民党。大きく絞れば統一教会との癒着だ。「政教分離違反」だ。そして政治資金の取り扱いは、完全に「脱税違反」だ。

▼この程度の体たらくは、政界では日常茶飯に違いない。‟裏工作”というのがある。どこかで取引を行い、穏便に収めるというのが、政界の常識だ。

▼政界の「裏工作」と似ているのは、角界の「八百長」だ。これも世の中を穏便に済ませる、日本人の伝統的‟技”だ。

▼どちらも良くない行為だが、良し悪しで判断すれば、長い人生、ギクシャクした世の中になる。そこで‟手打ち”という‟技”ができた。

▼さて白鵬問題について絞ろう。戦後、米国から輸入された民主主義で、日本人の根性が失われた。角界も日本人横綱が現れず、モンゴル勢が、角界をリードする。

▼白鵬の優勝回数は45回というのは、もはや角界は、モンゴル部屋に乗っ取られたといっても過言ではない。

▼すでに「天皇賜杯」は100回も、モンゴルのものになっている。戦場でモンゴルに「日の丸」を奪われた状態だ。

▼白鵬は現役時代にも、理事会の注意を聞かない。何場所も欠場して、出ると優勝する。出場しなくても給料は支給される。

▼角界では横綱は‟神”と言う地位だといわれる。今や相撲の神様はモンゴルにいる。白鵬は、現役時代から「理事長」の席を狙っていた。

▼引退しても、角界には伝統的な階級がある。その階級を飛び越えるためにも、子供たちの相撲の育成に励んでいる。これは角界の許可も得ない行為に違いない。越権行為だ。

▼白鵬は日本の伝統をぶっ壊し、モンゴル勢による日本大相撲協会の、大改革をねらっているのだ。日本相撲協会へのテロ行為だ。

▼今回の暴力問題で、白鵬には指導能力がないと、降格した。「除名勧告」にも等しい内容だ。多分白鵬は協会に反撃を試みるだろう。

▼その時は理事会が、「規律違反」で「除名」も辞さないに違いない。八角理事長が『国技』としての角界を、何が何でも死守するという、心構えに見える。

▼白鵬への人種差別だという見方もあるだろうが、永年の大相撲フアンとして、また日本相撲協会から学ぶ「日本人研究」の一人として、八角理事長の英断に期待したい。

▼白鵬は【国技】とは何かということも充分理解している。理解しているなら『非礼』という最も日本人が嫌う精神もよく理解しているはずだ。“神”の地位にいたからだ。

▼日本相撲協会には「モンゴルの神」はいらない。日本の神聖な神が、穢れなき土俵の神でなければならない。そのために「祓い」「禊」もあったはずだ。

▼そうでなければ、大相撲など観戦する意味がない。「天覧相撲」等も意味をなさない。千秋楽の「君が代」も「モンゴル国歌」になればいい。

▼只々、大相撲フアンとして「白鵬」の角界追放を願いたい。日本の伝統を守りたい一心からの、独善的一大相撲フアンからの主張だ。

▼政界に戻そう。自民部屋の‟解散”だ。さらに「キシダ親方」の、政界追放だ。

日本植民地化政策!

2024年02月23日 12時08分32秒 | えいこう語る

▼北海道ニセコ周辺を見てきた人たちに、まち並み状況を聞けば、総じて外国のようだという。外資が入り地元は、自治能力を奪われていやしないかと心配になる。

▼今日のテレビのワイドショーも、熊本県菊陽町に台湾の半導体工場の建設で、町中は‟バブル景気”の再来ではないかと、浮かれムードになっている。

▼中国が台湾を併合するかもしれないという状況下、九州に工場を避難させる計画なのだろうか。

▼そして我が北海道千歳市には、やはり半導体企業「ラピダス」の工場進出が、一気呵成に進出している。

▼どちらも地価の高騰で、バブル期状態となっている。最近千歳市の町会連合会を視察し、ラピダス関連の質問をした。

▼住民は情報を把握していないようで、大資本の進出に戸惑っているという感じだった。「未来予想図」は、描こうにも描けない状態のようだ。

▼千歳もニセコも菊陽町も、外部からの新たなまちづくりが始まっていて、景気は上昇しているが、民主主義社会にあって「住民自治」という基本が、忘れられているような気がしてならない。

▼ニセコは確か日本で初めて「自治基本条例=まちづくり条例」を作成した自治体だ。函館市にもあるが、「まちづくりの主役は市民」と謳われている。

▼だが私の地域は、函館市に合併されて20年が経つが、函館市のまちづくりの主役は「行政」だ。だからニセコも心配になる。

▼半導体そのものは、未来社会にとってはなくてはならないものなのだろうけど、自分たちが住む土地まで管理されてしまうのは『植民地化政策』の様な気がしてならない。

▼「一極集中」から「地方分権」に移行しようとし「均衡ある国土」を目指したが、なかなか地方の活性化にはつながらない。

▼あきらめた政府は、他国の協力を得て、産業振興を図ろうという、政策なのだろうか。しかし肝心の地方自治をどのように強化するのか、国民には説明されていない。

▼日本民族意識の復活を試みる、保守系の国会議員も、この傾向に何ら心配はないのだろうか。声が聞こえてこない。

▼日本人が外圧によって、日本人らしさを失ってしまうということを、危惧しないのだろうか。

▼半導体はきれいな水が大量に必要だという。そこに新たな環境汚染は心配ないのだろうか
。つまり日本に新たな「産業革命」が起き、その行く先はAIによる『人間革命』も起きそうな気配がする。

▼今の国会や教育現場現場の荒廃ぶりを見れば、「半導体」による日本社会の構造転換が、十全な体制になっているとは思えない。

▼新たな「曖昧な日本」へと突入する、前夜ではないかと思う。狭い土地、資源のない土地に「半導体」の集積国家を設立する。

▼そこには世界列強が、群がるに違いない。満州事変前後の、中国大陸のような感じもする。海外からの進出は、植民地化政策と同様な気がする。

▼そんな未来にあって、日本民族とは何か、という問い掛けが起きれば、自主憲法の設立という、国民自らの問いかけが生じてくる。

▼そこに自民党の『憲法改正』の旗が振られ、国民はこぞって参加するのではないかと、ふと危機感を覚える。

▼外圧を利用しての、国民の自覚に任せる『憲法改正』の、国家的プロジェクト(悪だくみ)ではないか。

▼国会や教育現場での混乱は、国家の危機でもある。その原因は、コロナから始まったパンデミックと、ウクライナへのロシアの侵攻。さらにイスラエル・パレスチナ戦争だ。

▼この地球的規模の危機に際し、我が同盟国米国が、動揺し始めている。その米国を擁護するために『半導体』という未来戦略で、米国を後方支援する、作戦が展開されているようにも感じるが、全くの杞憂だろうか。

▼【戦争放棄】の我が国が「国防費の増額」を公言する。米国が不足する国防費への、助成金ではないだろうか。

▼「満州事変」という、歴史的な事象に注目したい。「関東軍」の独走、そしてアベシンゾウ以来の自民党の動きを比較すれば【いつか来た道】に、迷い込む恐れはないだろうか。

▼ヨーロッパ大陸、中東での戦い。やがて台湾を中心に、【中・北・ロ三国同盟】。そして【日・米・韓三国同盟】。極東での軍事衝突も懸念される。

▼主戦場になるのは、実は日本ではないだろうか。先日NHK・TV【世紀の映像】で、米大統領トルーマンが、隣にいるソビエトのスターリンにこう囁いた。

▼「世界最強の爆弾が完成した」。スターリンは「日本に落とせ」と。これは‟悪魔のささやき”としか考えられない。

▼ウクライナに援助する日本。プーチンは日本をどう見ているか。ウクライナとは『辺境』という意味だ。次の辺境は『極東』ではないかと、シベリア寒気団に震える道民だ。

▼先日日本で働いている、20代のウクライナ女性の言葉が心に残った。久しぶりで帰国し、大学の同窓会を開いた。

▼そこで実感したのは、明日をも知れない、若者の心だ。「未来を語れない」という。若者に希望を持たせない「戦争」は、悪魔が支配する国だ。

▼「ラピダス」とはラテン語で「猛烈」という意味だそうだ。「モーレツ」という言葉を聞いたのは確か半世紀近く前だった。

▼日本人は「モーレツ」に働いて、何かを見失った。見失ったものを、未だに総括していない。今度の「モーレツ」は、どんな未来になるか。

▼未来を半導体にけん引され、引きずり回される、そんな「小国日本」の姿なのだろうか