▼昨夜(30日)NHK教育テレビ「半藤一利の遺言・歴史探偵団」を観た。午後11時というので、7時には布団に入り、目覚ましをセットして半藤さんの本を読んだ。
▼階下から「時間ですよ」という妻の声で目が覚め、古いポスターを切り取りテレビに向かった。ポスターの裏側は、ボールペンのすべりがよく、大きさがメモを取るには最適だからだ。
▼8月15日の玉音放送後、15歳だった半藤さんは「大人は変身する。日本人の節操のなさを感じた」と話していた。
▼文藝春秋に入社して、多くの作家から、さらには生き残り軍人たちから、直接話を聞いたといい、歴史実証主義の探偵団を自負していた。
▼昭和史のキーワードに、満州事変がある。そこから日本は敗戦に向かって突っ走った。現在はその頃の社会状況と、酷似していると言われる。
▼半藤さんはその時の状況は【軍部の独走だけではなく、政治も国民も誤っていた】と語っている。
▼半藤さんの言葉で一番心に残ったの【戦後日本の教育はふらふらしていた。国は教育で立つ。経済では立たない。教育が一番だ。政府に任していないで、国民がどんな国をつくるかを考えることだ】という言葉だ。
▼現憲法は占領下で作られた「米定憲法」ともいわれている。コロナ戦争は、戦後レジ―ムの解体を生み出しているような気がする。
▼コロナ戦争終結後は「憲法改正」が始まるだろう。それは新たな秩序が必要になるからだ。そこには、好むと好まざるに関わらず「憲法改正」が動き出すに違いない。
▼帝国憲法から日本国憲法、次こそ【ネオ(純)日本国憲法】の誕生が期待されるに違いない。準備はできているのだろうか、と半藤さんは心配する。その時、国民は憲法教育を正しく学んでいるのだろうかと。
▼亡くなる前日「日本人はそんなに悪くない。“ごめんね、ごめんね、ごめんね”・・・先に死にます」と、妻へ最後の挨拶をし、翌日静かに蒲団の中で、息を引き取っていたという。
▼その言葉は、戦後75年、自分が生きている時代に、物書きとして戦争の悲劇を十分伝えれなかったことへの後悔にも思えた。
▼それはまた、日本が満州事変当時の時代の空気が現れ始めているということへの危機感を、止めれなかったことへの、忸怩たる思いだったのかもしれない。
▼政治家ばかりではなく、国民自ら「日本国憲法」を作ることが必要だと、半藤さんは、日本国と日本国民に遺言を残したのではないかと、私は解釈した。
▼不沈空母「日本丸」に乗船し、浄土へと旅立つ「歴史探偵団・半藤一利団長」の夢を見た。【皇国の興廃コロナ戦争後にあり国民一層奮励努力せよ】そう発したのを、私は確かに聞いた
。
半藤さんのあとを歩こう
三等下