函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

積極的平和主義が頭を持ち上げた

2020年07月31日 20時06分54秒 | えいこう語る
▼以前相当話題になった、積極的平和主義なる言葉が最近聞かれない。しかしコロナ渦中において、ようやくその実態が頭を持ち上げたようだ。

▼「イージス・アショア」=地上配備型弾道ミサイル防衛システムが、住民の反対もあったが、システムに不備があるというので、配備が中止になった。

▼その代わりに、別な武器の購入を米国から押し付けられるだろうと思っていたら、なんと「敵地攻撃能力」があるものにしようと、総理自らが発言した。

▼コロナの感染が世界中に拡大する中、各国には「戦時体制」と同様の「緊急事態宣言」や「ロック・ダウン」などの有事の体制を取っている。

▼我が国でも「緊急事態宣言」について、野党やメディアまでが前のめりになった。それにつられ、国民までもが容認の気分になったようだ。だが、緊急事態条項は、世界では軍隊とセットだということを忘れてはならない。

▼そんな空気を、アベ政権は憲法改正の絶好のチャンスとみているようだ。そして、こんな状態を早くから見越していたのが、政治社会思想学者の白井聡だ。それは、白井の著書「日本劣化論」ちくま書房にみられる。

▼自国の安全を確保するには、積極的な方法とは、敵を名指しして威嚇したり攻撃を加えることによって敵を無力化し、自国の安全を確保しようというものだ。

▼それを『積極的安全保障政策』と呼ぶ。戦後の我が国の平和主義は、消極的なものにすぎなかったとされる。それは戦争に関わらないようにするという考えだったからだ。

▼積極的平和主義では自衛隊の「専守防衛」の原則が、無効化されている。これからの日本人は世界市民としての自覚を持ち、その責任を果たさなければならないという理論に、惑わされそうだ。

▼シンゾウの「敵地攻撃型能力」という発言は、まさに「9条」を無視し、無効化する「99条」の憲法尊重擁護の義務違反だ。こんな総理は、国民が引き下ろさなければならない。

▼さらに白井は、北海道新聞7月30日の朝刊で『戦後はすでに死んでいる』という。それはあの反省の忘却、愚劣・卑劣・不正への退行だという。戦後民主主義なるものの虚偽性に対する無自覚も「戦後」の一面であったが、今こうした「緩さ」が存在する余地はなくなったのだという。

▼私はこの8月で72歳を迎える。私の72年は戦後民主主義の中にどっぷり浸かって生きてきた。今、戦時体制下ともいわれるこのコロナ禍にあって、戦後民主主義に自己批判が問われているのは、なんとなく感じている。

▼私たち戦後生まれは、民主主義とは学校教育の中で教えられた。戦前は明治憲法と教育勅語がセットだった。戦後、新憲法と教育基本法がセットになった。

▼戦後右派は、平和憲法と並んで教育基本法を打倒目標にしてきた。第一次アベ政権は、教育基本法の改正に手を付けた。つまり歴史の修正を実現する番だと。

▼世界は米中の冷戦が始まろうとしている。そんな中で、私たちはどうすればいいのだろうか。『われわれは「戦後」を本当の意味で始め、獲得する好機に立ち会っている』と白井はいう。

▼コロナ禍に乗じて、民主主義を危機に陥れるか、民主主義の真の内容を追求することが出来るか。戦後民主主義教育を受けた私たちの責任が問われているのではないだろうか。

▼コロナなどに惑わされてはならない。「主権は国民に在り」ということを、血肉にする時代がやってきたのではないかと思っている。

▼「本質に迫る」。そんなことが求められているのが、令和時代の初期段階ではないだろうかと思うこの頃だ。

アベ土下座像について

2020年07月31日 20時06分54秒 | えいこう語る

▼我が国の総理大臣が、韓国から侮辱されたとされる「土下座像」。私の反応は今のシンゾウなら、そんな表現方法もありきだという感じしかない。

▼私の愛国心?が足りないのかと言われれば、そうでもないと答える。私は日本国民の一人として、シンゾウは総理には適さない人物だと考えているからだ。それが国を愛する国民の正当な考えだと思うからだ。

▼周囲の人にこの像についての見解を求めても「似ているね」というくらいの反応しかない。もしこの像が昭和天皇なら、国民やメディアはどんな反応を示すだろうか。

▼などと考えていたら、昨夜こんな夢を見た。上野公園の西郷どんの銅像が、西郷がトランプで、犬がシンゾウだったのだ。

▼台座には【日米安保条約】と書かれていたような気がしたが、そうでなく【対米従属】と書いていたような気もする?

▼なぜそんな夢を見たかと、昨日一日を振り返ってみたら、函館市町会連合会と函館市長との懇談会に出席していたからだ。

▼コロナ渦中なので、町会は私も含めて7名だけの参加だ。我が函館市長は、対岸に建設中の大間原発反対で、国と電力会社を提訴している。

▼町会連合会でも、大間原発反対運動が毎年活動方針のトップになっている。シンゾウとは違う頼りになる市長だ。

▼市長の雰囲気が西郷どんに似ていると普段から思っていたので、ついそんな夢を見てしまったようだ。

▼戦前、日本国内の労働力不足を補うため、中国や韓国から強制的に労働力の確保を計画したのが【ウサギ狩り作戦】だ。いわゆる「徴用工問題」だ。

▼その計画を立案したのが、シンゾウの祖父岸信介だ。韓国では岸と孫のシンゾウは【悪魔家の人々】と呼んでいるのかもしれない。

▼この像を設置したのは、韓国自生植物園の園長だという。もしかして、この植物園にはバラの花?だけ咲いているのだろうか。

▼銅像の名称は【永遠の贖罪】だという。戦争の記憶を忘れ去ろうとしている、日本国民にとっては、なんとも“トゲ”のあるユーモア溢れる【表現の自由展】だと、私は解している。

▼もし、シンゾウの土下座像を撤去することになった時、小型ミサイルで木っ端みじんにするような気がする。

▼その理由は、シンゾウが「憲法9条」を、土足で踏みにじり【敵地攻撃能力】などという、悪魔に近い考えを持ち出してきたからだ。

▼ここまで書いて、PCから顔を上げ目の前の我が家の「自生植物園」?を眺めたら、雨上がりの紫陽花が「心を静めなさい」と囁いていた。

熊から知らされた国会の劣化

2020年07月29日 07時04分06秒 | えいこう語る

▼北海道のある村で、熊が出没しその対策について、行政と議会と住民の姿勢が問われている番組を観た。テレビ局の視点は「民主主義とは何んなのか」と言う観点から番組が構成されていた。

▼ある村会議員は、テレビの取材に「この問題に民主主義は関係ない」と、取材を拒否する態度を見せ、熊以上に吠えていた。

▼そんな議員でも選挙になれば、地域社会特有の「しがらみ」をバックに、当選し続けるようだ。なんとも悲しい戦後75年の村社会の現状だ。

▼今は市町村合併で、函館市となった私の村も、終盤には議会がトップに居座り、その下に行政がいて忖度を続け、底辺に住民がいるという、国民主権が逆立ちをしたような、地方自治だった。

▼過疎や高齢化で、身動きのできない状態を「痴呆爺体」と揶揄はしていたが、民主主義が成熟していないコミュニテーは、自らが植民地化(吸収合併)を選択してしまった。

▼民主主義の崩壊を実体験した私は、最近の我が国は、民主主義は村社会と同等のレベルに落ちているのではないかと感じている。

▼まず、国民への「説明責任」を果たさない。閣議決定で勝手に決める。党首討論をしないということであれば、もはや民主国家ではないからだ。

▼戦争に負け、日本帝国主義解体の最強手段として「民主主義」が戦勝国である米国から強制導入された。

▼戦後生まれの国民は、戦前的なものの価値の多くを否定することによって、個人の自由を獲得してきたような気がする。その結果が「対米従属」のようだ。

▼その代表的人物が、我が国の現在の総理だ。その総理自身が、反省しているのかしていないのかよく理解できないのが、彼のスローガンである「戦後レジームの解体」だ。


▼米国色の強い日本国憲法を改正しようとする動きまで見せている。しかし、本人は【対米中毒患者】なのにだ。

▼この矛盾の中に生きていて「民主主義とは何なのか」と、戦後75年も経っているに、頭を悩ませる田舎オヤジの私だ。

▼前述した熊の村会議員から言わせれば「民主主義なんか考える奴は、熊に食わせてやる」と言われそうだ。

▼極右の哲学者の長谷川三千子は「民主主義とは何んなのか」という、そのものずばりの著書を文藝春秋から出版している。

▼民主主義が市民権を得てきたのはフランス革命からだ。だが、市民は革命を遂行するために暴徒化し、ジェノサイド(大量虐殺)が行われ「恐怖政治」がデモクラシ―と結びついたという。

▼そのデモクラシーを【いかがわしい言葉】だと看破する。私の頭はますます混乱して来る。『民主主義がいかがわしい』というなら、戦争を引き起こした、我が国の戦前の「国家主義」は、果たして「輝かしいもの」だったのだろうか。

▼民主主義を覆そうとするのが、昨今の歴史修正主義のようだ。「ゾウさんもいい。キリンさんもいい」という選択ではない。

▼「国家主義」と「民主主義」どちらがいいかと問われれば、迷うことなく「民主主義」に手を上げる。簡単に言えば「表現の自由」が憲法で保障されているからだ。

▼今の世界は、また「国家主義」の傾向が強くなってきたようだ。それは政治を行う上で「民主主義がいかがわしいもの」だという事なのだろうか。それとも民主主義そのものの「劣化」なのだろうか。

▼戦後生まれの私たちがあこがれた「米国民主主義」も、トランプの出現において「いかがわしい」ものになってきたようだ。

▼日本も同様シンゾウの出現で、戦後民主主義は「いかがわしいもの」にされそうな感じがある。コロナ禍の「巣ごもり」の中で、ここはひとつ戦後民主主義なるものの【自己批判】をする時期ではないかと、この頃実感する。

▼【真の日本民主主義】の確立に向けて思考するのが、「新型コロナ」が日本国民に問いかけているのものではないだろうか、などと、田舎オヤジ頭の中は「民主主義とは何なのか」という妄想が迷走しまくる。

▼昨日のテレビで、またその村に熊が出没していた。熊は村議会ばかりではなく、国会にも【本質を語れ】と、訴えに来たような気もするが。

武器買うなら医療に回して

2020年07月23日 18時03分13秒 | えいこう語る

▼今朝も雨がしとしと降っている。パソコンの机の前の、窓の外に張り巡らしていた蜘蛛の巣が完成したようだ。

▼生まれたての雨の赤ちゃんが、無数に糸にまとわりついているので、その重みで楕円形をしている。まるで「蜘蛛の糸」の芸術作品を、鑑賞している気分にもなる。

▼私の地域の前浜の定置網は巨大だ。昭和30年代、私が小学校の頃この網には、鰤・鮭・烏賊・鰯など、網が破れるのではないかと心配するぐらい獲れた。

▼子供ながら「一網打尽」という言葉を理解した。それから僅か半世紀、神隠しにあったかのように、魚はどこかに行ってしまった。

▼昨年は丸々に太った鯖が大漁したが、今年はやって来ないのではないかという不安が、常に付きまとう。太平洋沿岸を北上する魚が、福島県で沖に出てしまうか、Uターンしてしまうかとも考えたりもする。

▼すでに私の「一網打尽」という意味の理解は、海から陸に変わった。巨大な蜘蛛の巣が、その意味を実感させてくれるからだ。

▼雨降りの蜘蛛の糸に魅了され、ついテーマからそれてしまった。北海道新聞の朝刊を開き、私の心の網に一番先に引っかかったのは【武器買うお金を医療に回して】という記事だ。

▼私は福祉に関する会議に出席するたびに、心から離れないのはそのことだからだ。「戦闘機など1機買うのを止めたら、この問題は解決する」などということは、何度も発言したことがある。

▼ただ、この発言は単発に終わる。その会議の場でそれ以上突っ込むことは、委員として失格の烙印を押されそうだからだ。

▼大事な視点だと思うが、会議が停滞?するので、つい冗談めかしく小さな発言になってしまう。「本質論を避けて行なう会議などをしているから、前進がないのだ」などと、心の中でぶつぶつつぶやいている。

▼福祉関係者が出している便りに、コメントを掲載してほしいと頼まれ「福祉費と軍事費」について触れたら、読者からこんな内容は記載すべきではない、というような苦情が出たという
。「そんたく」は、日本の隅々まで浸透しているようだ。

▼また脱線したが、この問題を取り上げたのは、ノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」の『ICAN』だ。

▼20年度の防衛省の武器購入等に係る費用は「1,1兆円」だという。護衛艦の空母化への改修費・F35B戦闘機6機購入・地上配備型迎撃システム(これは購入中止)だ。

▼【武器を買い、米国の核兵器の抑止力で国を守るという怪しい話。本当に人を守るため、何にお金を使うべきかを考えなければならない】と主張する。

▼書いていて腹が立ってきた。今すぐスパイーダーマンを首相官邸に派遣し、シンゾウを蜘蛛の糸でぐるぐる巻にし、福島沖に投下してほしい。

▼原発の汚染水が、コントロールされているかを確かめさせるためにだ。という単純な怒りで、今日のブログを終了したい。

▼パソコンから顔を上げたら、目の前の蜘蛛の糸の水滴が、さらに美しさを増していた。

最近の熊出没情報

2020年07月23日 18時03分13秒 | えいこう語る

▼私の家のすぐそばにそびえる、活火山・恵山(618M)。私も子供の頃から何度も登っている。大人になってからは、山頂まで約1時間なので、散歩気分で一人で登っていた。

▼以前は、頂上付近に温泉が流れていた。小さなのスコップで穴を掘り湯をため、青空を眺めながらの入浴は、大自然が身も心も洗ってくれた。

▼山頂付近はすり鉢型をしている。その海側にさらに小山が重なっている。それが頂上なのだが、急斜面なので今まで3回ほどしか登っていない。

▼その頂上に、私の背丈より小さな神社がある。そこで登頂記念写真に写った高校1年の男子が、2ヶ月ほど前に下山途中に行方不明になった。

▼連日ヘリも飛んでの大捜索が行われたが、今だ不明のままだ。この山では10数年前にも中年の男性が、仲間からはずれたまま見つかっていない。

▼考えられるのは熊との遭遇だ。だが、熊が引きずった形跡もないので、熊説は除外されている。憶測は果てしない。この山からは、津軽海峡を挟み下北半島の恐山が見える。

▼噴火での形状が似ていることから、共に霊山として名が通っている。恐山には「イタコ=霊媒師」がいて霊を下ろしてくれる。恵山と恐山は「姉妹山」の契りを結んでいる。

▼山は、男体山が多いと思うのだが「兄弟山」というのは聞いたことはない。ただ推測できるのは「山の神」と言えば、奥様のことを言う。それは、噴火したら?大変なことになるという意味から、名付けられたものだろう。

▼さて本題の熊情報だ。私の家から1キロ以内の恵山の麓で、家の前に熊が歩いているのを主婦が見た。その家は、私の家からも見える場所だ。

▼その近くの川で近所の主婦が、昨年熊に食われたと思われる鹿の死骸を発見し、逃げ帰ったという話も本人から聞いている。

▼私も今年の春に、その川の近くに山菜取りに出かけ、鹿の死骸を発見し、あわてて戻って来ている。

▼さらに最新情報は、林業を営む男性から聞いたものだ。やはりこの川のそばの、自分の所有する山の木の生育状況を確認するために出かけたところ、突然近くで熊が吠えたという。生きた心地がしなかったと話していた。

▼また、隣町の女性から聞いた話だ。熊が鹿を追いかけていたのを見た人がいたそうだ。この町は縄文遺跡群のユネスコ登録を申請中だ。まるで縄文にタイムスリップしたような情報だ。

▼さらに今日(25日)の新聞報道だ。私の地域から車で1時間ほどの、ここも縄文の環状列石で有名な町だ。

▼熊が線路上にいて特急列車と接触した。接触後も熊が線路上にいたので、ハンターが仕留めたという。多分骨折し動けなかったのだろう。これって、恐ろしいというより、悲しい熊情報だ。

▼私は、北海道に生まれ、今まで熊に遭遇していないのを、非常に残念に思っている。死ぬまでに出会いを期待しているが、どうやらそれも可能になってきたようだ。

▼車で山道を移動中に遭遇したいと思っていたが、どうやら自宅の庭に現れそうな、感じがしてきた。庭には熊の好物のドングリの大木もあるからだ。

▼その木の上に、子熊が登っているのを見たいものだ。子熊でいい。3年ほど前私の地域で、檻に捕獲された熊のユーチューブを観たことがある。

▼300キロ近くの大熊だったが、あんなのは来てもらいたくない。人が極端に減った過疎の地域は「熊との遭遇」も、そろそろではないかと、ちょっぴり緊張している。

▼でも、熊が人里に降りて来ているのは、近年の森林伐採の影響も少なくないと思う。今月末に、函館市長と町会連合会幹部の懇談会がある。

▼そこで、上空からドローン撮影をしてもらい、市民に環境を考えてもらうよう、提言してみたいと思う。大洪水は、九州だけの問題ではないからだ。

▼山が荒廃する過疎地域は、自然から仕返しを受けそうな気がする。自然との共生や争がないことが縄文文化の優位性だ。

▼だが、そんなことを注視しない地域に、世界遺産などは時期尚早と、私は考えているからだ