▼友人から「椿が咲き始めたから、取りに来たら」という電話が入った。庭の見える窓辺に、小さな壺に挿して飾ったら、背後の庭の緑に椿の赤が映えて、椿の庭になった。自粛ムードがいっぺんに解放された気分だ。
▼私は学生時代、伊豆の大島に8回ほど足を運んだ。竹芝から夜のフェリーに乗船すると、翌朝、早く着く。目的は太平洋を眺めながら、ずらりと並ぶ屋台で、紺絣の衣装を着た美人のお姉さんと話し、大型のアワビの刺身で、日本酒を飲むことだった。
▼美人のお姉さんの屋台にたどり着くまでが、大変だった。「ちょいといい男のお兄さん?、美人のところに行こうとしているだろうが、アワビはこっちの方がうまいよ」と、口八丁の年増の声を、耳を閉ざしてすり抜けなければ、ならなかったからだった。
▼アワビの値段だけ記憶している。特大クラスで500円だった。一度、船員に起こされ下船したことがある。そこは伊豆の下田港だった。
▼飲み過ぎて、竹芝行きと間違えたのだ。そんなほろにがい我が青春の回想シーンに浸りながら、一時だがコロナの自粛生活の解放感を味合った。名曲「あんこ椿」が流れる、我が家の室内風景だ。
▼テレビで、千葉県のチュッリップ畑で有名な観光地が、GWウイークの来場を防ぐため、花を首から全部切ってしまったシーンが映し出されていた。
▼一瞬、ナチスのユダヤ大量殺人「ジェノサイド」を思い出し、気分が滅入る。花が大好きなご婦人なら、その町には絶対行きたくないと思っているに違いない。
▼地球に始めて生物が出現したのが「草」だろう。その草が化けて、人類や動物たちの目を癒したのが「花」に違いない。草冠に化けると書くからだ。
▼「癒し」をプレゼントとすると言えば「花」を贈る人は多いと思う。東日本大震災後の「桜」に、どれほどの人が生きる希望を与えられたか、言葉に尽くせない。「花は咲く」という合唱も心に響いた。
▼コロナのパンデミックで、自粛ムードが広がる中。開業するパチンコ店に対し「パチンコやめろ」のヘイトスピーチとも思われる内容の、言動も見え始めた。
▼自粛ムードという「大衆の熱狂?」は、戦争時の「国家総動員体制」と似た空気にも感じられる。それに呼応したかのような「行き過ぎた民主主義」が、これからの自粛の長期化で、現れてきそうな気がしてならない。
▼それが【チューリップの総首切り】に、顔をちらつかせてはいないだろうか。「チューリップの声を聞いたのか」と私は心の中で叫んだ。
▼30数年以上も前の私の身近で起こった事件だ。私の店に、近所の女の子がよく遊びに来ていた。春の陽気のいい日だった。
▼店の庭に咲いているチューリップを見て、私に質問した。「おじさん、チョーリップは何できれいか知っている?」。哲学的とも思われる質問に、私はたじろいだ。
▼答えが出せない私に「雨のシャワーを浴びているから」と答えた。私の村は自然環境に溢れている。そこで生まれた子供は、すべて【詩人の心】を持っていると、PTAの会議でこの女の子のことを称えた記憶がある。
▼その女の子は家の前を走る、私が大好きな「ROUTE278」で、トラックにはねられ、雨のシャワーが設置されている天国へと旅立った。小学1年生の夏休みの出来事だった。
▼私の地域の町会も、例年この時期に行なっている「花いっぱい運動」を、感染防止で中止した。会議では私も含め、全会一致での判断だった。
▼だが、役所の担当課長が最後にこうつぶやいた。こんな状況だから「花を植える意義があるのではないか」と。
▼ほとんどの会議が『100対0』で、中止となる。この「自粛大洪水」の中で、何か大事なものまで流されてしまいそうな気がする。
▼担当課長がつぶやいた一言が、その流れにちょっぴり棹を刺したようだ。
▼私は学生時代、伊豆の大島に8回ほど足を運んだ。竹芝から夜のフェリーに乗船すると、翌朝、早く着く。目的は太平洋を眺めながら、ずらりと並ぶ屋台で、紺絣の衣装を着た美人のお姉さんと話し、大型のアワビの刺身で、日本酒を飲むことだった。
▼美人のお姉さんの屋台にたどり着くまでが、大変だった。「ちょいといい男のお兄さん?、美人のところに行こうとしているだろうが、アワビはこっちの方がうまいよ」と、口八丁の年増の声を、耳を閉ざしてすり抜けなければ、ならなかったからだった。
▼アワビの値段だけ記憶している。特大クラスで500円だった。一度、船員に起こされ下船したことがある。そこは伊豆の下田港だった。
▼飲み過ぎて、竹芝行きと間違えたのだ。そんなほろにがい我が青春の回想シーンに浸りながら、一時だがコロナの自粛生活の解放感を味合った。名曲「あんこ椿」が流れる、我が家の室内風景だ。
▼テレビで、千葉県のチュッリップ畑で有名な観光地が、GWウイークの来場を防ぐため、花を首から全部切ってしまったシーンが映し出されていた。
▼一瞬、ナチスのユダヤ大量殺人「ジェノサイド」を思い出し、気分が滅入る。花が大好きなご婦人なら、その町には絶対行きたくないと思っているに違いない。
▼地球に始めて生物が出現したのが「草」だろう。その草が化けて、人類や動物たちの目を癒したのが「花」に違いない。草冠に化けると書くからだ。
▼「癒し」をプレゼントとすると言えば「花」を贈る人は多いと思う。東日本大震災後の「桜」に、どれほどの人が生きる希望を与えられたか、言葉に尽くせない。「花は咲く」という合唱も心に響いた。
▼コロナのパンデミックで、自粛ムードが広がる中。開業するパチンコ店に対し「パチンコやめろ」のヘイトスピーチとも思われる内容の、言動も見え始めた。
▼自粛ムードという「大衆の熱狂?」は、戦争時の「国家総動員体制」と似た空気にも感じられる。それに呼応したかのような「行き過ぎた民主主義」が、これからの自粛の長期化で、現れてきそうな気がしてならない。
▼それが【チューリップの総首切り】に、顔をちらつかせてはいないだろうか。「チューリップの声を聞いたのか」と私は心の中で叫んだ。
▼30数年以上も前の私の身近で起こった事件だ。私の店に、近所の女の子がよく遊びに来ていた。春の陽気のいい日だった。
▼店の庭に咲いているチューリップを見て、私に質問した。「おじさん、チョーリップは何できれいか知っている?」。哲学的とも思われる質問に、私はたじろいだ。
▼答えが出せない私に「雨のシャワーを浴びているから」と答えた。私の村は自然環境に溢れている。そこで生まれた子供は、すべて【詩人の心】を持っていると、PTAの会議でこの女の子のことを称えた記憶がある。
▼その女の子は家の前を走る、私が大好きな「ROUTE278」で、トラックにはねられ、雨のシャワーが設置されている天国へと旅立った。小学1年生の夏休みの出来事だった。
▼私の地域の町会も、例年この時期に行なっている「花いっぱい運動」を、感染防止で中止した。会議では私も含め、全会一致での判断だった。
▼だが、役所の担当課長が最後にこうつぶやいた。こんな状況だから「花を植える意義があるのではないか」と。
▼ほとんどの会議が『100対0』で、中止となる。この「自粛大洪水」の中で、何か大事なものまで流されてしまいそうな気がする。
▼担当課長がつぶやいた一言が、その流れにちょっぴり棹を刺したようだ。