函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

もの言えぬものの声を聞け

2020年04月30日 16時29分52秒 | えいこう語る
▼友人から「椿が咲き始めたから、取りに来たら」という電話が入った。庭の見える窓辺に、小さな壺に挿して飾ったら、背後の庭の緑に椿の赤が映えて、椿の庭になった。自粛ムードがいっぺんに解放された気分だ。

▼私は学生時代、伊豆の大島に8回ほど足を運んだ。竹芝から夜のフェリーに乗船すると、翌朝、早く着く。目的は太平洋を眺めながら、ずらりと並ぶ屋台で、紺絣の衣装を着た美人のお姉さんと話し、大型のアワビの刺身で、日本酒を飲むことだった。

▼美人のお姉さんの屋台にたどり着くまでが、大変だった。「ちょいといい男のお兄さん?、美人のところに行こうとしているだろうが、アワビはこっちの方がうまいよ」と、口八丁の年増の声を、耳を閉ざしてすり抜けなければ、ならなかったからだった。

▼アワビの値段だけ記憶している。特大クラスで500円だった。一度、船員に起こされ下船したことがある。そこは伊豆の下田港だった。

▼飲み過ぎて、竹芝行きと間違えたのだ。そんなほろにがい我が青春の回想シーンに浸りながら、一時だがコロナの自粛生活の解放感を味合った。名曲「あんこ椿」が流れる、我が家の室内風景だ。

▼テレビで、千葉県のチュッリップ畑で有名な観光地が、GWウイークの来場を防ぐため、花を首から全部切ってしまったシーンが映し出されていた。

▼一瞬、ナチスのユダヤ大量殺人「ジェノサイド」を思い出し、気分が滅入る。花が大好きなご婦人なら、その町には絶対行きたくないと思っているに違いない。

▼地球に始めて生物が出現したのが「草」だろう。その草が化けて、人類や動物たちの目を癒したのが「花」に違いない。草冠に化けると書くからだ。

▼「癒し」をプレゼントとすると言えば「花」を贈る人は多いと思う。東日本大震災後の「桜」に、どれほどの人が生きる希望を与えられたか、言葉に尽くせない。「花は咲く」という合唱も心に響いた。

▼コロナのパンデミックで、自粛ムードが広がる中。開業するパチンコ店に対し「パチンコやめろ」のヘイトスピーチとも思われる内容の、言動も見え始めた。

▼自粛ムードという「大衆の熱狂?」は、戦争時の「国家総動員体制」と似た空気にも感じられる。それに呼応したかのような「行き過ぎた民主主義」が、これからの自粛の長期化で、現れてきそうな気がしてならない。

▼それが【チューリップの総首切り】に、顔をちらつかせてはいないだろうか。「チューリップの声を聞いたのか」と私は心の中で叫んだ。

▼30数年以上も前の私の身近で起こった事件だ。私の店に、近所の女の子がよく遊びに来ていた。春の陽気のいい日だった。

▼店の庭に咲いているチューリップを見て、私に質問した。「おじさん、チョーリップは何できれいか知っている?」。哲学的とも思われる質問に、私はたじろいだ。

▼答えが出せない私に「雨のシャワーを浴びているから」と答えた。私の村は自然環境に溢れている。そこで生まれた子供は、すべて【詩人の心】を持っていると、PTAの会議でこの女の子のことを称えた記憶がある。

▼その女の子は家の前を走る、私が大好きな「ROUTE278」で、トラックにはねられ、雨のシャワーが設置されている天国へと旅立った。小学1年生の夏休みの出来事だった。

▼私の地域の町会も、例年この時期に行なっている「花いっぱい運動」を、感染防止で中止した。会議では私も含め、全会一致での判断だった。

▼だが、役所の担当課長が最後にこうつぶやいた。こんな状況だから「花を植える意義があるのではないか」と。

▼ほとんどの会議が『100対0』で、中止となる。この「自粛大洪水」の中で、何か大事なものまで流されてしまいそうな気がする。

▼担当課長がつぶやいた一言が、その流れにちょっぴり棹を刺したようだ。

「コロナ戦争」で改憲が早まってきた

2020年04月29日 12時44分08秒 | えいこう語る
▼戦後初めて「非常事態宣言」が出された、新型コロナによるパンデミックは、各国に死者を出し、町中に人の姿は見えない。病院は感染者で溢れかえり、野戦病院の様相を呈している。

▼病院関係者はコロナとの戦いに疲れ切っている。そんな情勢なので、私は【コロナ戦争】と呼ぶ。さらに現状は、コロナの勢力が強く、我が国の防衛体制は戦局不利という現状に追い込まれている。

▼「地球同盟軍」を編成し、見えざる敵と戦わなければならない状況だが、それぞれの国の利権が錯綜し、敵を絶滅する新型爆弾(新薬)の開発も、足並みがそろわないようだ。

▼我が国の新型爆弾「アビガン(富士フイルム富山化学)」も既に使用し、効果は出ているようだが、内臓への副作用があるため、完全使用を躊躇しているらしい。だが、米国の会社が発売している「レムデシビル」を日本は使用するようだ。

▼またトランプに言われて新薬を購入するのではないかと疑えば「対米中毒」も甚だしいということになる。さらに厚生省は「アビガン」を、世界38ヶ国に無料配布をするという。

▼他の国で人体実験を行ってから、日本で使用させるという魂胆なのか。関東軍731部隊のような戦略ではないかという疑いが頭をよぎる。やはり「コロナ戦争」の真っ只中のように感じる。

▼こんな状況下で懸念されるのが、アベ総理の最大目的である【憲法改正】だ。26日(日曜)の北海道新聞に、編集委員の辻岡英信がこんな文章を掲載している。

▼NHKが96年、憲法公布50年にちなみ『憲法はまだか』というドラマを制作した。脚本はジェームス三木で同名の小説も出版され、憲法制定をめぐる日本政府とGHQとの攻防を描いている。

▼小説のなかで、GHQ案の策定に加わった22歳のベアテ・シロタは、こう語っている。【この憲法は、世界の憲法の最良の部分を集めたんですよ。もし作者がいるとすれば、それは歴史や国境を越えた世界の良心ではないかしら】。

▼「コロナ戦争」の勃発で「国民の熱狂」は「緊急事態宣言」の発出を許した。その国民の応援を背に、従わないものには名前の公表と、罰金を科すという超法規な発言を許すところまでに来た。

▼ここは一つ立ち止まらなければならない、民主主義の危機ではないか。【民主主義はいかがわしいもの】と主張する哲学者長谷川三千子は【民衆の熱狂】こそが、フランス革命や第一次世界大戦を引き起こしたという説に同調する。

▼フランス革命での民衆の蜂起は、ヴァンデ地方の住民のジェノサイド(大量虐殺)を引き起こした。第一次大戦も一地方で起きた事件が、周辺の国の国民の熱狂が、ボランティア(自主的兵役)を引き起こし、大戦へと突入した。

▼ヒットラーは民衆の支持により「全権委任」を獲得しユダヤ人「ジェノサイド」に走った。これらは、デモクラシーの産物だという。だがヒットラーは、民衆を煽る能力に長けていたという。

▼「革命」と「戦争」名称は異なっても、その心理力学ともいうべきものの形において、これらはどちらも驚くほど似通っている。普通の一人一人の生活においては「知」と「情」と「意」がほとんどバランスを持って生きているはずの人間たちが「大衆」となった瞬間に、そのバランスを完全に失って「情」のみ、あるいは「意」のみに突き動かされて走り出す。その意味においては、それは確かにアレクシス・ド・トクヴィル(フランス二月革命の日々やアメリカのデモクラシーの作者)が言うとおり【精神の病理】と呼ぶほかない現象である。と言うのが長谷川が主張する【民主主義はいかがわしいもの】ということなのだろう。

▼北海道民の「憲法改正」の世論調査(29日)が出た。改憲すべきが「49%」で、必要ないの「46%」を上回った。「コロナ戦争」で、道民は、強い権力を望み、それが自らの人権の制限につながることに気付かないのではないかと、ちょっぴり不安にかられる。

▼「自民党改憲草案」は、憲法に弱い私でも、読み返せば人権を抑圧する中国のような体制になる危険性が、多く潜んでいると感じる。やはり、感染の恐怖は、それに対抗する民衆の熱狂を生みやすい。

▼経済大国日本は、第3波、第4波に、自粛を維持することができるだろうか。パチンコ店に並ぶ国民を見て、この先に大きな心配が待っているような気がする。

▼もう一度長谷川に登場していただく。【おそらく、理性的な目を持った宇宙人が現在の地球人たちの在り方を見たならば、世界全体が民主主義という言葉をいかがわしいとも胡散臭いとも思わなくなってしまったということ自体、現在のいかがわしさである、というに違いない。しかし地球人たち自身には、鏡の無い世界で自分の顔が見えないように、それが少しも見えないのである】。

▼今日もしまりのない長い文章になってしまったが、最後に浮かぶのがプラトン先生の言葉だ。【人間の魂はかつて真実の国にいて心理をはっきりみていたが、今や現象の国に生まれて心理をはっきりする目を失った】。

▼極右の哲学者長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」は、平成13年文藝春秋の発行だ。憲法改正論者だが、民主主義に対する指摘は参考になる鋭さだ。
▼戦後初めて「非常事態宣言」が出された、新型コロナによるパンデミックは、各国に死者を出し、町中に人の姿は見えない。病院は感染者で溢れかえり、野戦病院の様相を呈している。

▼病院関係者はコロナとの戦いに疲れ切っている。そんな情勢なので、私は【コロナ戦争】と呼ぶ。さらに現状は、コロナの勢力が強く、我が国の防衛体制は戦局不利という現状に追い込まれている。

▼「地球同盟軍」を編成し、見えざる敵と戦わなければならない状況だが、それぞれの国の利権が錯綜し、敵を絶滅する新型爆弾(新薬)の開発も、足並みがそろわないようだ。

▼我が国の新型爆弾「アビガン(富士フイルム富山化学)」も既に使用し、効果は出ているようだが、内臓への副作用があるため、完全使用を躊躇しているらしい。だが、米国の会社が発売している「レムデシビル」を日本は使用するようだ。

▼またトランプに言われて新薬を購入するのではないかと疑えば「対米中毒」も甚だしいということになる。さらに厚生省は「アビガン」を、世界38ヶ国に無料配布をするという。

▼他の国で人体実験を行ってから、日本で使用させるという魂胆なのか。関東軍731部隊のような戦略ではないかという疑いが頭をよぎる。やはり「コロナ戦争」の真っ只中のように感じる。

▼こんな状況下で懸念されるのが、アベ総理の最大目的である【憲法改正】だ。26日(日曜)の北海道新聞に、編集委員の辻岡英信がこんな文章を掲載している。

▼NHKが96年、憲法公布50年にちなみ『憲法はまだか』というドラマを制作した。脚本はジェームス三木で同名の小説も出版され、憲法制定をめぐる日本政府とGHQとの攻防を描いている。

▼小説のなかで、GHQ案の策定に加わった22歳のベアテ・シロタは、こう語っている。【この憲法は、世界の憲法の最良の部分を集めたんですよ。もし作者がいるとすれば、それは歴史や国境を越えた世界の良心ではないかしら】。

▼「コロナ戦争」の勃発で「国民の熱狂」は「緊急事態宣言」の発出を許した。その国民の応援を背に、従わないものには名前の公表と、罰金を科すという超法規な発言を許すところまでに来た。

▼ここは一つ立ち止まらなければならない、民主主義の危機ではないか。【民主主義はいかがわしいもの】と主張する哲学者長谷川三千子は【民衆の熱狂】こそが、フランス革命や第一次世界大戦を引き起こしたという説に同調する。

▼フランス革命での民衆の蜂起は、ヴァンデ地方の住民のジェノサイド(大量虐殺)を引き起こした。第一次大戦も一地方で起きた事件が、周辺の国の国民の熱狂が、ボランティア(自主的兵役)を引き起こし、大戦へと突入した。

▼ヒットラーは民衆の支持により「全権委任」を獲得しユダヤ人「ジェノサイド」に走った。これらは、デモクラシーの産物だという。だがヒットラーは、民衆を煽る能力に長けていたという。

▼「革命」と「戦争」名称は異なっても、その心理力学ともいうべきものの形において、これらはどちらも驚くほど似通っている。普通の一人一人の生活においては「知」と「情」と「意」がほとんどバランスを持って生きているはずの人間たちが「大衆」となった瞬間に、そのバランスを完全に失って「情」のみ、あるいは「意」のみに突き動かされて走り出す。その意味においては、それは確かにアレクシス・ド・トクヴィル(フランス二月革命の日々やアメリカのデモクラシーの作者)が言うとおり【精神の病理】と呼ぶほかない現象である。と言うのが長谷川が主張する【民主主義はいかがわしいもの】ということなのだろう。

▼北海道民の「憲法改正」の世論調査(29日)が出た。改憲すべきが「49%」で、必要ないの「46%」を上回った。「コロナ戦争」で、道民は、強い権力を望み、それが自らの人権の制限につながることに気付かないのではないかと、ちょっぴり不安にかられる。

▼「自民党改憲草案」は、憲法に弱い私でも、読み返せば人権を抑圧する中国のような体制になる危険性が、多く潜んでいると感じる。やはり、感染の恐怖は、それに対抗する民衆の熱狂を生みやすい。

▼経済大国日本は、第3波、第4波に、自粛を維持することができるだろうか。パチンコ店に並ぶ国民を見て、この先に大きな心配が待っているような気がする。

▼もう一度長谷川に登場していただく。【おそらく、理性的な目を持った宇宙人が現在の地球人たちの在り方を見たならば、世界全体が民主主義という言葉をいかがわしいとも胡散臭いとも思わなくなってしまったということ自体、現在のいかがわしさである、というに違いない。しかし地球人たち自身には、鏡の無い世界で自分の顔が見えないように、それが少しも見えないのである】。

▼今日もしまりのない長い文章になってしまったが、最後に浮かぶのがプラトン先生の言葉だ。【人間の魂はかつて真実の国にいて心理をはっきりみていたが、今や現象の国に生まれて心理をはっきりする目を失った】。

▼極右の哲学者長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」は、平成13年文藝春秋の発行だ。憲法改正論者だが、民主主義に対する指摘は参考になる鋭さだ。

百合子と晋三

2020年04月28日 17時47分13秒 | えいこう語る

▼日中戦争は我が国が中国に侵略して始まった戦争だ。その仕返しではないと思ったのが、コロナウイルスだ。前触れは昨年秋ぐらいにはあったようだ。中国武漢からの「新型コロナウイルスの侵略」には、あまりに我が国は無防備だったような気がする。

▼島国である日本は地政学的にみて、侵略しやすい国なので、戦争ができる国ではないといわれている。コロナは船でやってきたのだ。そこで我が国の国防体制は、まるでなっていないのではないかとの、国民の叱咤激励が湧き起こる。

▼大衆の声に呼応して「国家非常事態宣言」が発せられた、というのが「コロナ戦争?」または「武漢コロナ事変?」と呼ばれる、今回の「コロナ戦争」の始まりだ。戦況は依然拡大傾向にある。

▼第二次世界大戦が終了した日本は、軍国主義から民主主義に大転換した。「コロナ戦争」が終了した時、どんな世界が待っているだろうか。私たちは戦争の歴史から学ぶものは多いような気がする。

▼そんな意味で、政府の政策の遅れを後押しし、国民が望んだ今回の「非常事態宣言」は【憲法改正】に前向きな政権に対し、今後どのような影響をもたらすか、注視しなければならない。

▼今日(28日)の北海道新聞「論壇」で、東工大教授の中島岳志は、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンの言葉を紹介する。【権力は集団的パニック状態を生み出すことで、より強い権力行使を待望する心理状態を醸成していると指摘する。これに権力が呼応することで例外状態が常態化し、権力発動に歯止めがきかなくなると、注意を喚起する】と。

▼中島は【強い権力の行使を求める政権批判は、一転して強権的な政権の推進力となって起動する。例外状態が常態化し、言論の自由や集会・結社の自由が制約されることになる。熱狂が起きているときほど、注意が必要】と締めくくる。

▼私は今回の「コロナ戦争」で、私たちが戦後学んできた民主主義の、様々な盲点が表出しているような気がしてならない。私も参加する30人程が集まる会議で、もう一回行われる会議を、コロナ問題で中止することを提案し了解を得た。

▼最終回はトップ人事をめぐる討論の場で、とても重要な会議だ。本来ならば、中止に対し私が反対する立場のものだ。コロナの感染を理由に、大事な討論(表現の自由)の権利を、自らが放棄したということになる。

▼「自粛」ということが、今の社会では「国民の美徳」のように感じる。それは全体主義的な美徳のようにも思える。自粛の中に、民主主義を崩壊させる要素が潜んでいるような気がするからだ。

▼敗戦後の日本人は、民主主義が正義の規範であるを盲目的に信じ切っていたのかもしれない。そこで視点を変え、極左の論客と言われる哲学者・長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」から、民主主義を考えてみたい。

▼【われわれは「民主主義」について何を知っているのか、とふり返ってみると、実はわれわれはそれについてほとんど何も知っていないのに等しいのである。われわれが知っているのは、たんに民主主義を掲げてみせるいくつかのスローガンに過ぎない。では、それらのスロ―ガンはどのようなイデオロギーを背負っているのか、ということになると、誰もが驚くほど僅かのことしか知らないのである】。

▼さらに長谷川は【この知的怠慢というものは、大袈裟に言えば、20世紀を生きてきた人間全体が、未来に向けても過去に向けても、恥じるべきものと言える】と手厳しい。

▼そう言われれば、国民は「日本国憲法」をよく理解しているだろうか。全文読んでいる人など周囲で聞いたことがない。多分民主主義が何たることかを知らないからだ。

▼戦後の日本人は、民主主義とは「米国流」の考えというぐらいの認識だったのかもしれない。時々に「所得倍増」や「もはや戦後ではない」などというスローガンに引きずられてきた大衆の一人にすぎなかったのではないか。

▼大衆迎合主義が、民主主義という名の「全体主義」だったのかもしれない。近年最大のスローガンは「自民党をぶっ壊す」というものに、国民は酔いしれた感がある。それが今の「格差社会」だ。

▼「アベノミクス」「三本の矢」「説明責任はすべて総理である私にある」など、言葉の強調により、実の無い社会を演出してきた。「自粛制限」「不要不急」などというのも、総理本人への信頼感の無さが、国民の心に強く響いてこなかった。

▼だが百合子知事は、それらをはるかにしのぐ言葉で大衆の心を掴む。【Stay Home】のスローガンだ。我が国の民主主義と同様【米国流】のこの小気味よい言葉は、東京が日本の中心だということを、あらためて国民に印象付けた。

▼今流に言えば「ダサイ晋三」「おしゃれな百合子」といった違いを見せる。だが小泉・安倍・小池は、意外と行きつくところが似ているような気がする。

▼「コロナ戦争」の終了後、世界のパラダイムは大きく変わることが予想される。抑圧された経済と人心は、何か得体のしれぬものを生み出すかもしれない。米国の凋落か中国の台頭か、世界が大きく変化するのは間違いないようだ。

▼一旦「民主主義」が崩壊すれば、また暗黒時代が始まる。そんな時代に戻りたくないなら、今の「コロナ戦争」の最中に、民主主義とは何かを学びたいものだ。

▼振り返れば、今までに民主主義の良い部分しか学んでこなかったような気がするが、極右と呼ばれる長谷川三千子の民主主義批判は、ひじょうに的を得ているようで、妙に気持ちがしゃきっとしてきた。

▼今日(28日)の北海道新聞夕刊にも【コロナ終焉後の反動懸念】というタイトルが目を引いた。

道警による民主主義の弾圧

2020年04月27日 17時43分24秒 | えいこう語る

▼昨年7月の札幌市。参議員選挙の応援演説に来ていたアベ総理に「アベ反対」の声を上げた人や、無言で反対のプラカードを持ってたっていた人たち9名が、その場所から道警に排除された。

▼演説会場は「アベ賛成」のプラカードを持った、支持派で埋め尽くされていた。その中での勇気ある「反対」発言だ。会場の雰囲気からみて「賛成99・反対1」というような状態に見えた。

▼道警の言い分はこうだ。「賛成者が多い中で反対者は危険にさらされるので、反対者の保護のため、移動を命じた」というものだ。一人が十数人の制服と私服の警官たちに、遠くまで移動させられている。

▼戦前なら間違いなく、警官による拉致だ。排除された人物は、翌朝、豊平川に浮かんでいるというような光景だ。「ここは中国ではない日本なのだ」とテレビに向かって叫んだ人も多いに違いない。

▼HBCテレビで、昨日(26日)に放映された【ヤジと民主主義】だ。再放送だけど確認のため再度視聴した。「国民主権」を踏みにじる「国家主権」の現場が、ありありと報道されている。

▼道警は、アベ政権の「番犬」でしかないことを証明した、映像である。仕事に真面目な「警察犬」なら、排除する警察官に噛みついていたかもしれない、そんな異様な現場だ。

▼連れ去られる人は「私は法を犯したのか」と問いただしても、道警は「法を犯していません」という。ではなぜ、排除するのか。映像は国家権力を背景に、市民を守ろうとしない【中国警察】のような道警の体質をえぐる。

▼「モリカケ問題」「桜を見る会」での、アベ総理の言動は、誰がみても常識外だ。常識外というのは「順法精神」を大きく逸脱している。だが、司法まで仲間に引き入れたアベ政権は、民主主義の原点である「三権分立」をも、崩壊させているように見える。

▼自民党が憲法に書き込みたい【緊急事態】は、コロナ問題で国民や野党、さらにメディアも支持した。コロナ問題を「国難」ととらえたからだ。歴史の中で最大の国難とは何か?。もちろん【戦争】だ。

▼北朝鮮のミサイルが、間違って日本本土に落ちたと仮定する。これこそ【緊急事態】だ。数年前、函館の近くの上空をミサイルが飛んだことがある。もし函館に向かってくれば、今度は迎撃ミサイルを飛ばすに違いない。

▼そうなれば、函館港に米空母がやって来る。大型クルーズ船入港のため、現在湾内を深く掘っている。国が率先して予算を付けてくれているようだ。公表されている深さ以上(米空母は水深9メートルで接岸できる)に掘ったとしても、市民の目には見えない。

▼1997年、日米安保の行動指針を決めた「新ガイドライン」では、有事の際米軍が使用できる港に、函館港が記載されている。というより、有事の際は【全土基地方】式として、米軍がありとあらゆる施設を、自由に使用できることになっているのだ。

▼函館市を見回してほしい。船舶の新造や修繕ができる「函館ドック」それに戦病者を収容できる大病院、陸自と海自、さらに函館空港もある。

▼まさに【軍港函館】なのだ。それに道警函館本部もある。犯人をつかめない函館警察と市民に呼ばれているが【治安維持】には最大の活躍をするに違いない。

▼函館市は景観は日本一だが、幸福度が低いといわれる理由は、そんなところに潜んでいるのではないかと思う。私も函館市に住んでいるが「幸福度が低い」ということに対する市民の討論は、まったくないといっていい。

▼札幌市においてもそうだが、今回の道警の問題について、市民があらゆるところで、民主主義について対話集会をしているというのは聞いたことがない。苫小牧市が誘致に動いているIR法とは【賭博法】なのに、道民皆で討論することもない。

▼2004年函館市と合併した我が村だが、村民から市民となり、「市民とは何か」という問いを自分にしてきた。函館市には「自治基本条例」なるものもあるが、市民はその存在すら知らぬ者も多い。

▼市民とは【憲法】を良く学び、理解する人という意味ではないか。さらに言えば、市民とはアベ政権下での【憲法改正】は許さないと、立ち上がる人ではないかと思う。

▼そうであれば、アベ批判をした人は真の札幌市民で、アベ賛成をした多くの人々は、どこからか動員されてきた、本物の札幌市民ではないかもしれない。そんなことを考えさせられた【ヤジと民主主義】の報道だった。


  ※裕次郎が愛した「恋の町札幌」を「排除の町札幌」に
   変更する。   北海道警察「改正・新治安維持法」

パリは遠しセーヌ川は近し

2020年04月26日 12時08分37秒 | えいこう語る
▼私の地域の両隣りの町にコロナ感染者が出た。一組は、東京から親族が戻ってきての感染らしい。新聞の発表は函館市からの感染者というだけだ。これを情報と言えるのだろうか。

▼だが私の知っているいくつかの情報では、感染者名も町名も同じなので、正しい情報に違いない。すでにコロナは、私の周辺まで侵略してきているのだ。

▼的確な情報を知っている者と、感染者が函館市民という漠然とした情報では、侵入地域を知っている方が、自己防衛態勢ができる。「情報公開」の是非を、もう少し問いただしてほしいものだ。

▼私が利用する温泉でのできごとだ。妻が脱衣所に入ったら、風呂から出てきたおばさんが「わし、このごろ何を食べても、味がしない」と言ったという。

▼周囲にいた数人のおばさんたちは「それってコロナだべさ」と話していたので、妻はあわててその場を逃げるように浴室に入ったという。

▼私はその情報を、温泉の経営者に伝えていいものか迷った。数日して、その温泉は「コロナウイルス感染防止のため、2週間ほど休業します」となった。現在その町では感染者は出ていないが、狭い地域なので温泉での会話が広まって、閉鎖にしたに違いない。

▼もちろんメディアは、その温泉が自粛したことは、報道されていない。メディアが取り上げると、函館市内の温泉が、閉鎖されることになるかもしれないからだ。「命を守る」ということの、情報公開は、ひじょうに微妙なものがあるということを実感している。

▼私の周囲でも「温泉の熱でコロナは死ぬべ」という、漁師町特有の「強がり」が、コロナの感染拡大につながらないか、心配だ。だが、自粛制限にも限度があるようだ。

▼日本人は真面目な国民と思っているが、パチンコには県外まで出向いている。「ストレスが溜まって我慢が出来ない」というのは、中毒症状なのだろう。IR法など、日本人には不要な法律だ。

▼だが、国民には自粛を促すが、過密になるパチンコ店への規制をかけない政府は、信用が置けない。自民党とパチンコ店の関係は、そのうち明るみになるに違いない。「パチンコ店と警察」の関係のようなものだろうが。

▼さらに、私の友人が、自分の友達が函館に戻ってくるので、空港まで迎えに来てほしいと頼まれたそうだ。友人は飛行機と言えば、東京からではないかと思い、コロナ感染が頭に浮かんだので、用事があるので迎えに行くことはできないと答えたという。

▼差別意識を持ったことと、不親切が心から離れないと話していた。このままコロナが蔓延すれば、日本の様々な組織や、人間関係に亀裂を生じかねない、そんな気がする。

▼世界各国で、自粛に耐えきれず暴動が勃発し始めている。我が国だって、パチンコ店に行列をつくる国柄だ。『パチンコ店襲撃事件』から端を発し、それを国家権力で制圧し、憲法に【緊急事態】を明記し、セットである【自衛隊を軍隊】へという【憲法改正】に向かうシナリオを、すでに用意しているのが、アベ政権かもしれない。これは、今夜の夢で、内容を確認してみたいと思う。

▼昨夜から、春雨が降り続いている。木の芽も草花も、慈雨で生き生きしてくるだろう。そして、村中が新緑に囲まれ、生きていることの素晴らしさを、今年も実感させてくれるだろう。

▼そしてこの慈雨が、コロナウイルスを大地に叩き落とし、やがて川から太平洋に流れウイルスが希釈され、終息して欲しいと願う。と思った瞬間「汚染水は完全にコントロールされている」という、あのしたり顔が浮かんできたので、その思いを引っ込めた。

▼さらに、散歩に出かけ家の近くの、若緑の鮮やかな蕗の薹が咲き乱れる小川が「セーヌ川」に思えてきた!?。セーヌ川でもコロナの菌が発見されたという報道を思い出したからだ。春の風情もコロナで台無しになっている。


      パリは遠しセーヌ川は近し
                 三等下

※コロナが函館市も再発してきましたので、5月6日まで休業します。ご迷惑をおかけします。