函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

文科省を解剖しよう

2017年07月31日 09時45分21秒 | えいこう語る

▼母校の中学校に呼ばれ、後輩たちに語ったことがある。そこで勉強することの意義を語ったが「悪いことをしないための判断力を身につけること」ということを話した記憶がある。

▼哲学者カントの教育論に「人間を悪いことをさせないように良いことに仕向けるというのが教育だ」というのがあるので、私の教育感もまんざらでもないようだ。しかし、私の過去を振り返れば「嘘も方便」という生き方もたくさん選択をしてきた。

▼自分に都合よく考え行動しなければ、生きずらかったというのも本音だ。臨機応変というのも、教育のなせる業の一つかもしれないなどと、自分の甘さを自戒してみたのも、今朝の新聞記事からだ。

▼2015年、茨城県取手市の中学校の3年の女子が、「いじめられたくない」という日記に書き残し、自宅で首を吊った。当初、学校や教育委員会は、生徒や保護者に自殺と伝えない方針を決めたという。

▼さらに16年には、いじめが確認できなかったとし、いじめ防止対策推進法が規定する「重大事項」に該当しないと議決したうえで、第三者委員会の設置を設けたが、この時に自殺があったことは認めたという。

▼自分たちの立場が、不利にならないよう隠ぺいする体質が、教育現場にもはびこっているというのは、教育者にあるまじき行為だ。報告する学校側も上部の教育委員会に配慮してのことだろうが、上部機関にも、いやしくも教育現場で、自殺などあってはならないという面子が、組織ぐるみの忖度を働かせた結果だろう。

▼この現象は、「加計学園問題」の文科省の「記憶にございません発言」や、どう考えても不自然だと思われる文科省職員の体質に、その源を見るようだ。文科省の体質がそうなので、教育委員会や学校までが「記憶喪失お遊戯会」を、真顔で演じるのだ。

▼このさらに大本は、アベ総理の「森友学園問題」や「加計学園問題」の国会答弁で、はっきり確認することができる。総理の隠ぺいは、中学生でも見抜ける事実だからだ。総理が次々変わる国も不安だが、長期政権の総理は、もっと不安だ。

▼憲法とは、国柄や国民性を規定する基本だ。だが、アベ総理の憲法の解釈は間違っていると、我が国の多くの憲法学者が指摘している。アベ総理は教育の真の目的から逸脱している人物なのだ。悪いことを悪いと理解できない総理なのだ。

▼アベ総理は、憲法改正とともに教育基本法の改正も視野に入れている。教育を変えなければ憲法改正しても、それが実効性を発揮できないからだ。アベ総理が考える道徳教育は、カントの教育観とは相容れぬものに違いない。私でもそう思うのは、憲法学者が総理の憲法観が間違っているというからだ。

▼我が国の、国会の最近の体たらくは、日本の教育に問題があるのではないかという疑問がわいてきた、今朝のいじめの記事だ

出てこい、加計幸太郎

2017年07月29日 20時56分06秒 | えいこう語る

▼近くのガソリンスタンドの事務所に、指名手配の写真が貼ってある。「出てこい小池」という呼びかけは「卑怯者顔を出せ」という怒りの叫びを感じる。アベ総理の親友、加計学園の理事長加計幸太郎氏が、愛媛県今治市の所有地、時価総額36億7500万円を、獣医学部建設のため無償譲渡されたという。それは、アベ総理の声がかかったからの厚遇ではないかと疑われている。

▼加計問題より、ずっと小ぶりなのが森友学園問題だ。これも幼稚園建設で国有地を9億円も安く買っている。この幼稚園の籠池理事長夫妻と、アベ総理夫人は随分親しい間柄であり、幼稚園開園にわたり、総理夫人が籠池氏に直接、寄付金100万円を渡したという。籠池氏は国会に呼ばれて、アベ総理から頂いたと証言している。にもかかわらずアベ総理は「そんな事実はない。嘘をついているのは籠池氏だ」という。経緯を見れば、アベ総理と明恵夫人が嘘をついているような気がする。

▼どっちが嘘をついているのか判明しないが、籠池氏もアベ総理も国会で発言している。文科省の関係者も、自衛隊日報問題の稲田大臣も、ほとんど関係する人物も国会で発言している。なんで加計氏だけが、なんで国会に顔を出さないのか。出てくるとアベ総理は逮捕されるからだろうか。

▼ガソリンスタンドや床屋に、ポスターを張ってほしいものだ。「出てこい、加計幸太郎」、ついでに「出てこいアベ明恵」。

3人のジャンヌ・ダルク

2017年07月28日 08時14分02秒 | えいこう語る

▼男女平等社会の実現と言われているが、我が国は、まだまだ女性の評価が低いのを感じる。国民の生命を守る防衛大臣には、女性ではまずいのではないかというイメージを、稲田防衛大臣は証明した。というより、いざという時には命を懸ける自衛隊のトップに、網タイツをはいた女王様を君臨させるのは、総理の人選に問題がある。最も男らしさを鼓舞する職場に、ふさわしくない人事だというのは、就任当初から危惧されていたからだ。

▼アベ政権が弱体化を見せてきた戦局なのに、戦いに強い男性がいない民進党が、蓮舫氏というマスコット・キャラクターを党首にしたのは、ゲリラ戦ができない骨抜き野党を宣言したようなものだ。口撃は鋭いが、所詮空鉄砲で終わったしまった感が残る。稲田氏の後釜はすぐ決まるが、蓮舫党首の後釜は、ドングリの背比べのように見える。たぶん、弱体化したアベ政権を引きずり落とす布陣は期待できないだろう。

▼手負いのアベ政権だが、期待感は薄いが手堅い内閣改造を速やかに行い、野党が戦闘態勢を確立する前に、衆議院解散に持ち込むのだろう。次の戦いは、お互いに勢力を伸ばせないが、アベ政権の方に分がある。野党総崩れのまま、憲法改正になだれ込むという「改憲桶狭間の戦い」を、アベ総大将は仕掛けるに違いない。戦後政治の総決算を行い、その祝勝会がオリンピックということになるのではないか。

▼とりあえず、与野党二人のジャンヌ。ダルクは、火あぶりの刑に処せられた。残りは東京都知事「国民ファーストの旗」ひらめかせる小池氏だ。鎧兜に身を包み、馬にまたがり五輪の旗を掲げる勇猛果敢なポスターが、都内に張りまくっている光景が、私には見える。だがその顔は、ジャンヌ・ダルクと思いきや、なんと狸顔をした徳川家康公の妹のような顔だ。

▼そして、騎乗でこう叫んだ。『鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス。鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス』。・・・ここで私は、恐ろしさのあまり夢から覚めたのだ。

▼我が国に残る最後のジャン・ヌダルクは、信長と秀吉と家康の知略を兼ね備え、国会にたむろする無能な男たちを火あぶりにしようとする、女大将なのかもしれない・・・そう期待したいけど。

外国人親方とノンアルコールと天皇と・・・

2017年07月27日 16時15分10秒 | えいこう語る

▼外国人が大相撲の親方になるには、日本国籍を取得しなければならない。国籍を捨てさせられるというのは、人権問題ではないかと思っているが、角界のしきたりがそうならば仕方がないという消極的態度で、あまり問題視していなかった。だが大相撲の記録を次々更新している横綱白鵬が、引退後、日本国籍を取得しないまま、部屋を持ちたいとしたらどうなるだろうか。たぶん世論に押され白鵬を認めるに違いない。白鵬の角界での地位なら、古臭いしきたりなど廃止させてしまうだろう。もしかして、外国人初の理事長誕生にも、執念を燃やすのかもしれない。

▼30代の女性が会社でノンアルコールビールを飲んだら、上司に注意され休みも要求されたという。ノンアルコールビールは、炭酸飲料と同じで酒ではないので、飲んで運転しても罪になることはない。この事件についてアンケートを取ったら、会社でお昼に飲むのは常識的ではないというのが70%を上回った。だがビール会社では、いつでも飲んでもいいことになっているという。大学の学食で、ノンアルコールビールを飲んでも注意されないはずだ。炭酸飲料と同じものを飲んで、注意される筋合いはないと、主張するはずだからだ。

▼ここに登場させるのは失礼かと思うが、天皇陛下のことだ。戦前は神様だと思っていたが、戦後、人間だと宣言した。だが、急には信じられないので象徴と呼ぶようになったのだが、戸籍もなく参政権もない。果たして、国民という条件に当てはまるのだろうか、これも不思議だ。

▼日本人は慣習やしきたりに縛られるというより、率先、自粛してしまうことが多い。最近悪いように言われる「忖度」も、相手を「おもんばかる」ことは悪いことではなく、むしろよいことだが、視点が変わるとそれが悪い様に変化する。つまり日本人は周囲に感化されやすい民族だということだろう。

▼連鎖して、沖縄の米軍基地の問題だ。国民の生命を守るための国防と言われればそうかもと思う。だが、戦闘機がいまだに頭上を飛ぶのは戦争が終わっていないようでいやだという。自分の身になって考えれば、基地など反対だ。このように私たちの身近には、様々曖昧なことがあるが、それらを自分の問題として考えていくことが、日本人としての自覚が高まるのではないかと、私は思う。考えてもどうしようもないことは多くある。だが様々な問題を自分流に考えることで、自分らしさが確立できるのではないかと思う。

▼「我思うゆえに我あり」「人間は考える葦である」などという言葉も、いまだによく意味も分からないでいる。思ったり考えたりすることで、自我が形成されたり、人間とは何ぞやということが、少しはわかってくるのではないかと思っているが、私の場合、些細なことをただ大きく膨らませて考えているだけのような気がする。

▼最近アベ総理の批判ばかりしていると、なんだかアベ総理以上の小さな人間に思えてしまうからだ。

記憶喪失無閣

2017年07月26日 08時43分01秒 | えいこう語る

▼国会は、茶番劇を演じる場と化したようだ。出し物は「加計学園問題」と「自衛隊ニッポウ問題」という二本立てだが、この出演者たちに、莫大な出演料(税金)を支払っているとすれば、即刻この劇場は解体しなければならない。

▼1964年の東京オリンピック。敗戦後の我が国の疲弊した経済を、急激に加速させた国威発揚の意義もあった。そんな明るい世の中にヒットした映画が、植木等の「ニッポン無責任男シリーズ」だ。大ボラ話で、世の中をスイスイ渡るという、極めて単純な内容の映画だったが、高度経済成長期という、国民の上げ潮ムードを的確にとらえ、国民を明るい気分にした、映画界全盛期の作品だ。

▼2020年の東京オリンピック。世界一の借金国と高齢化を一気に払拭してしまおうという様なムードはあるが、それに便乗し、憲法を改正しようとするアベ総理の目論見が、世の中を暗くしている。次期オリンピックの国威発揚は「軍事国家への回帰」に見えるからだ。

▼今回の「ニッポン無責任国会シリーズ」は、楽しさなど全くない「記憶に無い」一点張りの嘘つき劇だ。「加計学園問題」では、大勢で一人を嘘つき呼ばわりするイジメ劇だ。それが文科省推薦だとは、笑うに笑えない。

▼やはり我が国は戦後70年を過ぎた、超高齢化国家なのだろうか。原爆を落とされた戦争があったという記憶も忘れているようだ。現在のアベ政権は「記憶喪失無閣」だ。こんな認知症を患った政治家たちに、国の将来を預けるわけにはいかない。

▼それにしても、国“民”が前に“進”めないという名の野党も、情けない限りだけど。