函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

憲法改正と自己責任

2018年10月29日 15時08分07秒 | えいこう語る

▼シリアの過激集団に拘束されたフリー・ジャーナリスト
安田純平さんが解放された。惨殺されず生き返ってきたことを素直に喜びたい。だが、メディアは「自己責任論」でかまびすしい。

▼国民的討論は歓迎するが、アベ政権が行なうとする「憲法改正」を、そちらに集中させてしまうメディアの方が、報道の自己責任を問われなければならない。メディアが今、最も国民世論を喚起をさせなければならないのは【憲法改正】についてだからだ。

▼安田さん問題を、2012年に提案された「自民党の憲法改正草案」と比較して考えてみたい。

▼現憲法には、人権は「公共の福祉に反しない限り」保障されるとあるが、改正案では「公益及び公の秩序」と改正されることになっている。

▼「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり「国家の秩序」というべきものではないか。そうすると改正案では、憲法で保障されている基本的人権は、制限されるのではないだろうかと心配になる。

▼人権が侵害されているか許される範囲かを判断するのは「裁判所」だ。だが、その裁判所がこの頃変だ。3:11の福島原発事故は、原発は人類と共存できないということが実証された。

▼にもかかわらず「裁判所」(函館地裁)が「基本的人権」や「公共の福祉」を尊重すれば、大間原発建設反対の市民に寄り添う判決が出てもおかしくないはずだが、国益を優先し原発容認に近い判決を出した。

▼現憲法下でも、国民に寄り添わない判決を出す裁判所。これが改憲され「公益や公の秩序」ばかり重んじるようになったら、問答無用の国益に沿う裁判所になってしまうのではないか。


▼安田さんの自己責任論が問われている。この程度はもちろん表現の自由の範囲だ。だがこの公平な表現の自由も「公益や公の秩序」の論理が優先されると、安田さんの人権は相当軽視されるのではないか。

▼【憲法第97条】『この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことできない永久の権利として信託されたものである』。

▼だが、改正案では「97条」がすべて“削除”されているという。これにはアベ政権のどんな思惑が隠されているのだろうか。

▼「過去の幾多の試練」とは、過去の戦争による国民の犠牲である。その試練に堪えたので、基本的人権は侵すことできない永久の権利だと明記しているのだ。

▼アベ政権での憲法改正は「戦争ができる国」へとの改正だ。そうだとすれば、この条項の主旨は戦争を放棄したために与えられた基本的人権なので、改正憲法にとっては邪魔になる条項だから、全面削除したと私は邪推するのだ。

▼相変わらず話があらぬ方向へといってしまいそうなので
「安田さんの自己責任」について、私の考えを述べたい。現憲法下では安田さんの人権は保障されるが、改正憲法では、安田さんの人権は軽んじられるということだ。

▼たぶん、行方不明者ぐらいに扱われて、歯牙にもかけられないかもしれない。そうでなければ「戦争ができる国」には決してなれないからだ。

▼【憲法第9条】の改正とは、他国や自国民の人権や犠牲など、そんなちっぽけなことを考えては、国民の生命・身体・財産の保全などという国防は、成り立たないということだ。

▼「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めるために、日本国憲法を全面的に改正しなければならない」というのが、第4次アベ内閣の最大目的なのだから。

▼フリー・ジャーナリスト安田純平さんが、命の危険を冒して世界の人々に伝えたかったのは、戦争は基本的人権を根底から否定するという、ことだったのではないかと私は考えるのだが。

大間原発訴訟函館地裁の判決

2018年10月27日 19時51分17秒 | えいこう語る

▼函館の市民団体が、対岸に見える青森県大間原発の建設差止を、函館地裁に提訴していた裁判が、今年3月に結審した。「原子力規制委員会の基準に違反しないよう作られていて、建設中のものを違法と判断できない」というのが、裁判所の結論のようだ。

▼建設中の大間原発は、実験炉も無しで世界初のフルNOX燃料を使用する。この燃料は広島原爆のウラニウムと長崎原爆のプルトニウムをミックスし、全炉心でこの燃料を使用するという、無謀極まりない原発だ。・・・というものなので、私たち函館市民は枕を高くして眠れないことになる。

▼だが、アベ総理はこう断言する。「我が国の原子力基準は、世界最高基準だから安全だ」と。福島第一原発事故前までは「安全・安心なクリーンエネルギー」と、盛んにテレビで宣伝していた。

▼だが、事故後7年経っても、いまだに故郷に戻れない状態が続いている。世界最大級の【詐欺コマーシャル】ではないか。さらに大間原発を建設する電源開発という会社は、水力・火力発電は得意だが、原発建設は初めてだという。それに許可を与えようとする裁判長は、函館を死の街にするかもしれない「悪魔の手下」ではないかと思う。

▼この裁判長、実は女性なのだ。函館地裁は「魔女裁判所」と化したのだ。女性裁判長が判決を下すのだから、女性や子供の命を守るために、市民に寄り添った判決が期待できるかもと、少し甘い考えを持っていたが、本物の魔女を函館に送ってきたのだ。

▼判決の1年前に、裁判長の右側に座る裁判官が転勤してきたそうだ。その裁判官が判決文を書いたようだ。さらにすごいのは、判決を言い渡した魔女裁判長は、役目を終わると転勤してしまったという。その席に、右側裁判官が居座ったという。魔女裁判長は「法規→放棄→箒」に乗って、飛んで逃げたのだ。

▼10月23日。函館市町会連合会主催の「大間原発建設凍結市民集会」が開催された。函館地裁での原告側弁護士を講師に招き、立法府の手下になってしまった司法の裏側の実情を聞いた。

▼司会を担当したのは、町会連合会原発担当の私だ。集会の終了挨拶に、【原爆の図】の作家・丸木位里氏の言葉を引用し集会を閉じた。

▼『戦争の時、広島、長崎は原子爆弾で殺されました。平和になった時、原子爆弾は原子力発電所に化けて出ました
。エネルギーの平和利用の名のもとで、放射能がばらまかれているのです』。

集団的自衛権とは内戦への軍事介入

2018年10月26日 12時59分44秒 | えいこう語る

▼国連憲章【第51条】は、国連加盟国に対し軍事攻撃があった場合、安保理事会が必要な措置をとるまで、個別的自衛権や集団的自衛権は行使できるとされている。だが自衛権という概念は、国連憲章以前から存在していた。

▼日本国憲法第9条は「陸・海・空軍その他の戦力は保持しない」となっているが、自衛権は国連憲章でも認められている概念なので、それは我が国でも行使できるというのがアベ総理の憲法解釈のようだ。

▼そのために「憲法改正」では、9条を変えないで自衛隊を憲法に明記し、自衛権を行使できるようにするという考えのようだ。自衛隊は災害救助などで国民の信頼を得ているので、もはや憲法違反ではないというのが、自衛隊明記の国民への「まやかし説明」だ。

▼この際「自衛隊」を「国防軍」に改名しようということもアベ総理は考えているようだ。自衛隊の憲法明記というのは、日米安保条約下で米軍との集団的自衛権行使を憲法で容認させようという狙いだ。このぐらいが田舎親爺の私が邪推できる範囲だ。これ以降は、松竹伸幸著『集団的自衛権の深層』の力を借りたい。

▼まずは「交際法上」の自衛権発動の三要素だ。第1は【違法性の原則】であり「急迫不正の侵害」に対して発動されることである。第2は【必要性の原則】といわれるもので、他に手段が存在しないこと。例えば外交手段では解決できないことなどをいう。第3は【均衡性の原則】とされるもので、反撃の規模は受けている侵害に相当する程度にとどめることを指し、攻撃が終わっているのに、報復的な反撃はしないということでもある。

▼国連憲章が制定されたことにより、第1要件の「急迫不正の侵害」が【武力攻撃】の発生という、分かりやすい要件になったという。

▼【武力攻撃】とは何を意味するか、またどの時点で自衛権を発動できるかということが問題になる。国連憲章「第51条」の日本語訳は、武力攻撃が【発生した】時に自衛権が発動できるとされている。

▼だが英文では【発生する】とされているので『先制的な攻撃』も可能だという解釈もあるようだ。9:11同時多発テロを思い出してほしい。

▼米国はテロ集団だけを攻撃すればいいのに、テロを支援する国にも攻撃を仕掛けた。個別的自衛権と集団的自衛権も行使して。「自衛」という名の軍事行動は「侵略」を容易にする概念かもしれない。1974年の国連総会では【侵略の定義】を次のように決議している。

▼「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全もしくは政治的独立に対する、又は国連の検証と両立しないその他の方法による武力の行使」と定義された。

▼なんだか難しいが、山口組の幹部が日本軍が中国を攻めたのは「自衛の戦争」というものではなく、相手のシマに入ったのだから「侵略」だと断言した。この論法の方が説得力があると思うが。

▼総会で最大争点になったのが「先制攻撃」を侵略の決定的要素とみなすか、単なる一要素とするかということだが「先制攻撃こそ侵略なのだ」という見地を明確にしたという。

▼我が国の国際法学会は「集団的自衛権」を積極的に肯定できるという考えはほとんど存在していない。国際司法裁判所の判事を27年間務めた小田滋氏は、集団的自衛権を想定したこと自体【政治的後退】だと位置づけている。

▼私も以前、日本に留学していたアフリカ・マリ共和国のある部族の酋長の娘さんと話したことがある。米国が介入したため、なおさら部族間の対立が激化したと怒っていた。

▼集団的自衛権とは内戦への軍事介入という考えもある。集団的自衛権とは、世界の190数ヶ国のなかで「米・英・仏・ロ」の軍事大国が行使してきた権利だ。実際に発動された事例をみると、武力攻撃を受けたわけでもないのに米国やロシアなどが攻撃を仕掛けている。

▼その米国と一心同体だというアベ総理。そんな中での【憲法改正】など、到底容認するわけにはいかないと、田舎親爺はそう考えてしまう。

▼もう少し邪推を働かせてみよう。日本がトランプ大統領に愛想をつかし「自主外交」を行うと決意したと考えてみよう。

▼その決意があれば、国防の充実が必要だ。憲法改正し軍隊を持ち、最強の武器【原子爆弾】を保有しなければならない。

▼プルトニュウムは我が国には47トンも溜まっている。今の日本の技術力では、核爆弾搭載ロケットは、わけもなく製造できるという。これは、以前外務省にいた人の講演で聞いたものだ。

▼現在米国は、貿易赤字を解消するため、日本にも「高関税作戦」を仕掛けている。日本が「自主自立」で米国から離れそうな気配があるとすれば「経済攻撃」をかけてきたとみなすだろう。

▼そうなれば「先制攻撃」だ。アベ政権を倒せ?!ということにはなりはしないかと、私の邪推も修復不可能なほど複雑化してしまうのだ。

▼沖縄の米軍基地問題を見れば。アベ政権は県民を見殺しにしても米国との軍事同盟を強化しようとしている。そうなれば、集団的自衛権行使容認というのは、米国と共に世界中に軍事行動ができ、沖縄まで攻撃できるという国になったのではないか。

▼米国海兵隊は、出動にあたって連邦議会の決議を必要とする陸・海・空軍と異なり、大統領の承認だけで出動できる唯一の軍隊だからだ。沖縄に常駐しているのは海兵隊だからだ。

▼邪推が止まらないので、結論はこの本の著者である、松竹伸幸氏にお願いしよう。【要するに集団的自衛権の実態は「自衛」とは何の関係もない違法な武力行使に過ぎない】ということのようです。

▼集団的自衛権が濫用されやすいというのは、国際政治の世界では常識的なことだ。だが、アベ政権は日本国憲法を変えずに政府の判断で自衛権を行使する国になろうとしているのだから、恐ろしい国になってきたものだ。

▼「シン象」も「虎ンプ」からすねをかじられすぎて【狂権病】になってしまったのかもしれない。年内にもイスラエル、エジプト両軍の停戦監視活動「多国籍軍・監視団=MFO」に陸上自衛隊の派遣を検討していると新聞が報道している。

▼国民の心臓をますます悪化させる、アベシンゾウ長期内閣だ。

♪愛ちゃんは太郎の嫁になる

2018年10月24日 11時29分32秒 | えいこう語る

▼ちょっぴり古い話で恐縮だが、鈴木美恵子さんが歌う「♪愛ちゃんは太郎の嫁になる」という流行歌があった。昭和31年の歌だから、私は小学校2年生だった。

▼テレビがない時代だったので、ラジオから聴こえるさわやかな歌声に、小学生ながら魅了され今でも歌を覚えている。前年の小学校入学の時、NHKラジオの歌の公開録音会が、母校の小学校体育館で行われた。

▼その時、私と中学生のお姉さん二人が受章した。その時の受賞バッチは、箱に入って今も机の中にある。「子供音楽会」NHK函館放送局と刻印している。

▼私が歌ったのは「♪どんぐりころころ」だ。叔母が学校の先生をしていたので、海に向かって波の音に負けないように声を出しなさいと指導された。

▼その他に、叔母はロシア民謡「♪黒い瞳」を教えている。♪1黒い瞳の若者が 私の心を虜にした。5番の歌詞も覚えている。♪私の秘めごと父さまに 告げ口する人誰もいない。

▼5番の歌詞の内容は、小学1年生では理解していたのかしてないのか記憶に無い。ただロシア民謡のメロディーが、私が住んでいた当時の北国の漁村の雰囲気に、合っていたような気がしていたから、記憶に残っていたのかもしれない。

▼そういうわけで、子供の頃から音楽が好きな私だ。初めて劇場で歌手の公演を観たのは小学5年だ。「春日八郎」というから、渋さも兼ね備えた「渋ガキ」だったに違いない。

▼そろそろ本題に入りたい。テレビで卓球の愛ちゃんが引退表明をした。泣き虫で頑張り屋の愛ちゃん、今の若手を育成した実績に拍手を送りたい。そして、台湾の美男で優しそうな夫とは、仲良く暮らしてほしいと、私たち夫婦はテレビの愛ちゃんにエールを送る。

▼そこに、どこからかあの名曲が聴こえて来たのだ。「♪愛ちゃんは太郎の嫁になる」だ。昭和31年の作品だから、これも私が小学2年生の時だ。それにしても歌詞がスラスラ出てくる。

▼♪1さよならさよおなら今日限り 愛ちゃんは太郎の嫁になる 俺らの心を知りながら “でしゃばりお米に手を引かれ” 愛ちゃんは太郎の嫁になる。

▼この詞でふと気付いたのが“でしゃばりお米に手を引かれ”というフレーズだ。ずいぶん昔の話になるが、遠縁にあたるおばさんから聞いた話を思い出した。

▼おばさんは若い頃結婚を誓った男性がいたという。その男性の家は近所だったという。おばさんが他の町に働きに出た時、その男性も偶然その町で働いていたという。結婚話を両親に打ち明けたら、母親が猛反対したという。「男性の家は漁師で貧乏だから」という理由で。周囲の勧めもあり、商店の若旦那に嫁いだ。その時の結婚式の夜の情景【花嫁行列】が、私の心に短編映画のように残っているのだ。

▼昭和25年、田舎の道は舗装など無く、外灯すらなかった時代だ。陽も陰る時分、花嫁を迎える使者がおばさんの実家にやってきた。「お宅の娘さんをいただきにまいりました」。そんな口上が述べられたに違いない。周囲も暗くなり、提灯行列が続く。その地区のはずれに大き川が流れていた。もちろん木造の橋だ。それを渡りおばさんは数キロ離れた嫁ぎ先まで、使者の先導で歩いたという。私はその光景を、まるで実体験したように想像できるのだ。橋を渡る時のおばさんの心境と共に。

▼おばさんは数年前に亡くなった。葬儀の時そのことを思い出し、妻と語り合った。戦後間もない物資欠乏時代だ、母親の気持ちも理解しないでもない。さらに“でしゃばりお米”さんもいたのかもしれない。でしゃばりというが、親切で世話やきおばさんがいた時代だ。そんな地域のしがらみの中で暮らしていた時代、自分の意志を通せなかったおばさんとその恋人を想うと、なぜかやりきれない悲しさが、私たち夫婦にのしかかってくるのだ。

▼卓球の愛ちゃんは、台湾の太郎にお嫁に行った。愛する人とならどんな苦しい試合も、愛ちゃんなら打ち勝つに違いない。・・・あの笑顔で。

50年ぶりに青春の味復活

2018年10月23日 08時29分57秒 | えいこう語る

▼1948年(昭和23年)生まれの私が、20歳頃の話だ。場所はパルコという名前に代わる前の、池袋西武デパートの地下街にあった「立ち食いうどん」の思い出だ。

▼その頃の池袋は、小路のいたるところに戦後の匂いが漂っていた。大衆酒場は何時も満杯だった。お客のほとんどは、田舎から東京に出てきた「労働者たち」で溢れていた。

▼フウテンの寅さんが「労働者諸君!」というセリフがぴったりの、額に汗して一生懸命に働く、真面目な日本人が大勢いた、そんな時代だったように記憶している。

▼それから50年経ち70歳になった今、そんな日本人がいた東京を、とても懐かしく思い出す私がいる。函館市内の高校の親友、KとMも学校は違うが池袋周辺に住んでいた。

▼Kは、昨年永住先のベルギーで病死した。3人で函館市内で飲んで数か月後のことだった。そしてMは今年亡くなった。共に病死なので、寿命が尽きる少し前に旅立ったのではないかと思う。

▼KもMも、私が弔辞を読んだ。今年亡くなったMの時、
「君たちの命はもう少しあったはずだ。その残った分を私にプレゼントしてほしい」と、いやしくもお願いした。

▼そんな二人の死は、随分私にはこたえている。それに追い打ちをかけるよう、各地での自然災害が発生した。9月の北海道胆振東部地震での周囲の山々の崩壊は、日本沈没を予想するかのように思えたからだ。

▼さらに、第4次アベ内閣の長期政権の始動が、戦後と共に生きてきた私の心身に、大きなダメージを与えているようだ。憲法を改正し「戦争ができる国にする」というのは
、私たちが生きてきた時代を、根底から覆そうとしているからだ。

▼「戦後レジームの解体」。そんな「日本転覆計画」を、アベシンゾウ如きに委ねるわけにいかないと日々思うだけで、私の2018年は「暗い年」になってしまうのだ。

▼今日こそはアベシンゾウの顔を思い出したくないと思っていたが、PCに向かう私の頭のなかは【アベノウイルス
】に侵されてしまっているのだ。

▼場面を、池袋時代のデパート地下街の食堂に戻そう。あの頃の駅中の人の流れは、川が氾濫したような状態だった。人の流れに押し出されて、違う出口に出てしまうというのは何度もあった。

▼そこで「立食いのうどん屋」に寄るというのは、流れに流されずに「一時避難」するといった気分だった。決まって注文するのは「素うどん」だ。うどんの玉につゆをぶっかけるだけで、薬味はネギと七味唐辛子だけだ。そこにとろろ昆布が少し浮いていた。

▼一番安く「50円」だった。アルバイトでお金があっても、意地を張り「素うどん」しか食べなかった。もしかしてジュリーの「意地を張る」というのと、同じ感情なのかもしれない。ジュリーも同じ70歳だからだ。

▼学生の分際で「50円」が、妥当だと思っていたからだ。それになんといっても、うまかったのだ。今の発言に少し嘘が混ざっていたので訂正したい。実は、時々だが「キツネ」を頼んでいたのだ。あぶらげに染みた味も決して忘れられないからだ。

▼それに板橋の「たなべ」の「もつ煮込み」、この二品だけはどこに行っても、しのぐ味はいまだに出合ったことがない。自分で作ってもみた。舌が記憶しているはずなのだが、周囲の環境が変わっているせいか、その味には到底近づけなかった。

▼妻が先日「あごの焼きだし」を買ってきた。なんだか急に「素うどん」を作りたくなった。・・・見事に50年前の味が再現されたのだ。MやKにも食べさせたいと思った。

▼特にM夫婦は、池袋西武デパートのアルバイトで出会って結婚したからだ。彼もこの立ち食いに行ったと話していた。もしかして亡くなったMが、手伝ってその味を再現させてくれたのかもしれない。

▼Mは亡くなる前には食も細かったが、私の妻が作ったものは「こんな昔の味が一番好きだ」と、よく感謝していた。
私は「もつ煮込み」にも挑戦しようと思う。たぶん再現できそうな気がするからだ。

▼「もつ煮込み」はKと一緒に行った店だ。たぶんKが手伝ってくれるだろう。そう信じて挑戦したいと思う。秋の夜長「もつ煮込み」と、〆に「素うどん」。

▼そんな50年前の味を再現し、KとMが残していったのは後何年かを想像しながら、日本酒で二人と語りあかしててみたい。

▼今日は私の菩提寺のお寺参りだ。Kは私と同じ浄土宗だ。Mは浄土真宗だ。たぶん浄土で私のブログをみているだろう。そしてKとMは、私の寿命をもう少し伸ばそうと話そうとすのではないかと、ひそかに期待する私だ。