函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

温泉での粋な場面

2018年11月30日 13時16分34秒 | えいこう語る

▼今年の冬は、エルニーニョ現象の影響で、世界的に暖冬だといわれている。冬は寒くない方が生活しやすいが、冬は冬らしく、まちを埋め尽くすような一面の銀世界があり、シバレがきつい寒い朝というのも、北海道人のアイデェンティテーに欠くべからざる要素のような気もする。

▼私の周囲には活火山があるので、一年中温泉のありがたさを実感している。だが温泉のありがたさはやはり冬場の方が身に染みて感じる。

▼「50円温泉(65歳以上)」と私たち夫婦が名付けている、温泉に昨日も出かけた。この温泉は谷間にあるので、山から吹き下ろす風の音が少し騒々しい。

▼ゴーゴーと風がうなる音も慣れてしまえば「風の又三郎温泉」もしくは「風の谷温泉」という名に変えようかなとも考えている。

▼「50円温泉」とお金を名称にするには色気がないような気もするが、夫婦そろって出かけても「100円」というのは、懐も心もあったまるので、この名称も捨てがたいと思っている。

▼温泉から出て、妻が上がるまで前回も来た時に見たが、廊下の壁に張っていた、老人クラブの川柳を眺めていた。

 望むのはカラオケ葬儀みんな来て
 できました老人クラブの青年部
 ゴミの日は弱き女に戻る妻・・・どれも秀作だ。

▼読んだ後、ロビーでテレビを観ていた。明治時代頃の場面だと思うが、出演者全員が着物姿だった。時代劇が好きな私は、途中から観たので内容は分からないが、テレビに魅入っていた。

▼そこに風呂から上がってきた、小柄だが、服装もこざっぱりしたおじさん、年頃は80半ばか?。髪も櫛を入れているようだ。私とテレビの前を素通りした。

▼そこにテレビから叫ぶ娘の京都弁!。「しんじろうはん」。おじさんはぴたりと止まった。そして慌てたようにテレビに振り向く。・・・??

▼私は一瞬、こんなことを想像した。おじさん若い頃、京都暮らしをしていた。そこで、いい仲になった女性がいた。だがおじさんはすでに妻を持つ身。雪が降る京都の女性の部屋。おじさんは女性に別れを告げ、外に出る。振り向かないと決めたおじさんの背中に「しんじろうはん」という声が聞こえた。傘をそっと手渡す女性。京都の淡い思い出を生涯引きずってきたおじさんは、テレビからの女性の呼びかけに、思わず振り向いてしまったのだ。おじさんの名前は「信次郎」いや「進次郎」はたまた「慎次郎」などいう、粋な名前だったのだ。

▼私の創作劇を、帰りの車の中で妻に話した。「高齢で耳が遠くなり、誰かに呼び止められたと思って、止まったんじゃないの。“しんじろうはん”なんて粋な名前の人なんて、この辺にいるわけがないでしょう・・・とそっけない。妻は粋という感性も、風呂で流してきたに違いない。外はちらほら雪が舞い落ちてきた。

▼私としては「50円風呂」の川柳にも感心したし、木戸銭50円分位の創作劇も目に前で観れたし、とてもいい気分だった。

▼そこで、私も川柳一句。
 しんじろうはんと呼ばれて振り向く京の雪 一齣
   ※今日の雪に京都の雪をかけてけてみました。


▼寒さも徐々に身に染みてくるけど、妙にあったかい気持ちになった北国の温泉での一こまでした。

国会が機能していない国にいて

2018年11月29日 17時42分01秒 | えいこう語る

▼なにがなんだかよく分からない法案が、国会で審議?されている。「入管難民法案」は、外国人労働者に対する人権擁護が確立されていないさなかでの、衆議院での強行採決だ。与党側としては、参議院に投げてしまえば、こっちのものだと考えているのだろう。

▼「消費増税攪乱作戦」は、国民の増税に対する批判をあいまいにし、来年の天皇退位と新天皇誕生で、その影響で浮かれた気分を盛り上げ、国民の視線が消費税から外れた時に参議院選挙を乗り切り、すっきり導入させる魂胆ではないか。

▼だが、そうと見せかけて、実は参議院選挙で与党側が負けるようなことがあったら、消費税は、国民の理解が浸透していないという理由で、再度延期とするとの芝居をうつ。

▼そうなると、再三延期することが約束違反だとし、野党は猛反対する。そこを逆手に取り「野党は国民が充分理解しない消費税を、延期するなという。こんな野党であれば、国民に信を問うために“国会を解散する”」などということになりはしないかと、たぶんありもしないことまで、余計に心配してしまうのが今の国会だ。

▼2019年は「国民の気分高揚作戦」の年になるだろう。
参議院選挙が終われば、五輪カウントダウンが始まり、五輪一色に我が国は沸き立つ。そのようにアベ政権は誘導し、メディアもそれに乗っかる。

▼1964年の東京五輪から、我が国が驚異の経済発展を遂げたことをメディアは繰り返し報道する。その報道は、今の繁栄をさらに維持するのは【国防】が大事だということを、暗に訴えてくる。繁栄と平和は、共に国家の責任だということを。

▼2020年東京五輪を契機に『新・国威発揚論』が湧き起こる。こんな危険な時代の空気を作り出すのが、第4次アベ内閣の実体ではないか。

▼北海道出身の漫才コンビに「欧米か?」とギャグを飛ばし、言った相手の頭を殴って笑いをとり、一世を風靡した漫才があった。

▼そのコンビ、今度は「日米か?」と言いながら、相手の頭をたたくのではなく、お互い『握手』をして仲間であることを確かめ合うというギャグに変え、大うけをしているという、笑いのある夢を昨夜見てしまった。

▼笑いのある夢など最近は見ることもなくなった。夢の多くはアベ総理が主役のストーリーばかりだからだ。暗い夢を見るというのは、世の中が戦争状態に入っているか、それともそんな時代に突入する前夜だからだという。(誰がいったか分からないが、もしかしたら、私の考えかも知れない?!・・・異常に記憶力が減退するこの頃だ)。

▼日本国憲法第41条=国会は、国権の【最高機関】であって、国の唯一の立法機関である。

▼自民党憲法改正(案)第41条=国会は国権の【最低機関】であって、国の唯一の立法機関である。

▼今の国会は、すでに憲法が改正された後の国会なのだろうか??。

▼昨夜は福祉関係の会議があり、6人のチームでの話し合いがあった。私以外は30から40代の、その道の専門職の人たちだった。

▼責任感にあふれ、自己批判もしながらの熱の入った討論だった。最後におじさんは「人権を基本とする福祉政策も、憲法が改正されると人権規定が大幅に制限される。これからは憲法改正も考えながらの福祉政策を行ってほしい」と、口走ってしまった。

▼帰りの車の中で「おじさんは、余計なことを言ってしまった」かと考えたりもした。でも「戦争しない国」から「戦争ができる国」になると「福祉国家」から「軍事国家」になるというのを、たぶん理解してくれるに違いないと思うことにした。おじさんは、天才バカボンのパパと同じ世代だからだ。・・・これでいいのだ!。

▼国会が機能していない国にいると、夢も発言も、何か不安な要素を帯びてくるように感じる。

五里霧中の国会

2018年11月28日 08時28分33秒 | えいこう語る

▼国会とは国民の生命・身体・財産の保全し、平和な国家の在り方を決定するところだと思っているが、国会内は一寸先も見えない霧が覆いかぶさっているようだ。

▼人手不足が理由らしいが、外国人労働者を拡大するための「入管難民法改正案」が、多数を占める与党の強行採決で衆議院を通過した。

▼難民を受け入れなかった日本だったが、世界の首脳会議で恥ずかしい思いをするので、労働不足を補い、安い賃金で働かせ、中小企業からの票を獲得しようと、姑息な手段を使ったのだろうかと邪推してしまう。

▼水産加工経営者の声を聞いたことがある。「中国人は国内経済が良くなったので、昔ほど働かなくなってきた。今後はインドネシアやカンボジアなどの労働力に期待したい」と。

▼先日も、都内で道路舗装会社を経営している社長が、カンボジアに労働者を雇いに行くと出かけたという話を、関係者から聞いた。

▼太平洋戦争のさなか、朝鮮半島から突然連行され、北海道の炭鉱で働かされた男性がいた。たこ部屋生活から逃亡し、山の中で何年も暮らして発見された。本国に帰ったが
、確か日本からの賠償金は支払われないまま、死亡したと記憶している。

▼新聞を見ただけでも、よく理解ができない入管難民法改正案だ。5年間の受け入れは「34万5150人」という人数も、嘘臭い数字に思える。詳しいことは後で「省令」で決めるというが、そんな国会運営がまかり通るというのを、国民が納得すると思っているのだろうか。

▼ロシアのプーチン大統領を思い出した。つい最近「北方領土問題について、いいアイディアをたった今思い付いた。まず無条件で平和条約を結ぼう」。

▼たぶんこの平和条約はロシアにとって都合の良い解釈をするということだ。日本が島を返してほしいと言えば、4島に住んでいるロシア人の平和が侵されるので、それは平和条約に違反する」と、プーチンなら主張するに違いないからだ。

▼入管法改正は、ざる法などというものではない。たぶん外国人労働者の人権は制限され、労働現場では徴用工のような扱いをされる可能性が大だなどと、とても意地悪な考えをしてしまう。

▼『意地が悪い人間は嫌いだ』というのが私の信条だが、そんな私を意地悪くさせるのは、アベ総理だ。だがアベ総理から見れば、そんな猜疑心だらけの国民は非国民だというに違いない。

▼強行採決を許す、大島理森衆議院議長の責任も問われるだろう。だが、議長としては、採決しないわけにはいかないだろうし、心の中は複雑だと思う。議長の気持ちを推察してみた。

▼ふと思い出したのがこの場面だ。昭和天皇がマッカ―サー元帥を訪問した時「何故貴方は戦争を許可されたのですか」という元帥の問いに対して、元帥の顔を見つめられた陛下はゆっくり「もし私が許さなかったら、きっと新しい天皇がたてられたでしょう。それは国民の意志でした。こと、ここに至って国民の望みにさからう天皇は、恐らくいないでありましょう」と言われたそうだ。

▼私がなぜ、大島議長をかばっているかに見えるようなことを引き合いに出したかと言えば、大島議長の出身は隣の青森県だからだ。青森の人は情があると思っているからだ。

▼時代劇を観て涙を流し、演歌を聴いて涙を流す、ただ素朴な私が、数の力で国会を簡単に通過させる現場を目の当たりにして、心で嘆いている大島議長の困惑した顔が浮かんでくるからだ。

▼大島議長も心の中では「アベのバカ野郎」と叫んでいるような気がするが、これは妄想の類だろうか。アベ総理は強行採決を繰り返しながら、国民が呆れて慣れっこになってしまうのを狙っているのかもしれない。

▼アベ総理は「憲法改正」さえ成し遂げれば「森友・加計問題」など、全てが免罪になると考えているからだ。私は新天皇に期待したい。というより、雅子皇后陛下に期待するのだ。

▼「あなた、憲法改正の御名御璽はぜったい押してはなりません。押したら、平和国家日本を冒瀆する行為です。そうなれば私は離婚いたします」。

▼昨日、貴乃花の離婚に動揺した私の、単純かつあまりにも大げさな夢を見てしまったのです。

寛容・自己責任・水戸黄門

2018年11月27日 19時33分37秒 | えいこう語る

▼あれほど騒いでいた安田純平さん解放事件、まるで神隠しにあったような静けさだ。自己責任論についてはどのような結論が出て、今後の戦場などの取材は行われるのだろうか。他に「森友・加計問題」、「障害者雇用問題」など、我が国には【神隠し】が蔓延しているようだ。

▼日本思想史研究の東工大中島岳志教授は『安田純平さん解放と自己責任論・寛容さ喪失 保守が空洞化』という記事を、27日の北海道新聞夕刊に掲載している。

▼その中で、作家・雨宮処凛は「近年の新自由主義の蔓延の中で、社会から寛容さが消え、ゼロトレランス(非寛容)が幅をきかせる中で『自己責任』という言葉は、もはやこの国の国是のようになっている」と分析する。

▼中島は「過度の競争社会の中、他者を助けることの『余裕』を失い『寛容』を喪失し、その結果『迷惑』に過敏になり『自己責任』というバッシングが横行してきたと指摘する。

▼理性の過信を諫め、人間の不完全性を静かに受け止める保守は、本来過ちや失敗に「寛容」な態度をとる。人間は普遍的に愚かで過失を犯し続ける。困難に陥っている同胞がいれば手を差しのべ、共にリスクを分かち合おうとする。

▼そんな保守の美風が失われ、不寛容な自己責任論が席巻する。現在進行しているのは、保守の拡大ではなく【保守の空洞化】であると中島は断定する。

▼他の本からの引用だが、三井物産戦略研究所の寺島実郎は「個人として『いい人』で満ちた国であるアメリカが、国家としての意思、社会総体としての方向性を見せる時、なぜか偏狭で思い詰めたような攻撃性を見せることがある。

▼このアメリカの特質を『抑圧的寛容』といい、自分が圧倒的に優位だと認識する時には相手に対して思いやりに満ちた態度を取ることができるが、一旦自分に敵対する存在になると、異常なほどの猜疑心や嫉妬心を募らせると言う。

▼イラク攻撃に踏み切り殺戮を続けながら、戦いが終結すると何事もなかったかのようにイラクへの人道支援を平然と言い切れる心理。これこそが【抑圧的寛容】だという。

▼寛容について、よく理解できない私は、日本の【非寛容】と米国の【抑圧的寛容】は、共にアベ総理とトランプ大統領に顕著に表れているような気がする。

▼私の大好きなテレビドラマに、最近再放送の「水戸黄門」がある。或る藩で、家康公からいただいた「茶碗」を、女中が誤って壊してしまった。そこにいた侍が切腹して詫びようとするが、その藩の家老が切腹を止める。

▼「人の命が茶碗より重いというものではない」と。そうはいっても藩がお取り潰しに合うかもしれない。それを聞いた黄門様は、藩主にそのことを告げ、立派な家老と家来を持ったのは、藩主が優れているからだといい、藩主も了解して一件落着となる。記憶力が最近減退する私だが、確かそんな内容だった。

▼今の我が国で黄門様の役は、自民党の二階幹事長ではないか。安田純平さんの解放について、記者会見を開く。「個人の命は国家にもまして重い。紛争のない地球を目指すため、命をかけての取材ご苦労であった。安田さんが無事帰還したことを、国民みんなで喜ぼうではないか」。満場拍手で包まれるに違いない。

▼こんな粋な対応であれば【保守の空洞化】などといわれないですむはずだ。元々国家の大事に懐が深いのは、お金持ちの保守勢力だったからだ。

▼水戸黄門のフアンの私は、本当は保守だったのかもしれない。時々時代劇を見て涙を流しているのを妻にとがめられるからだ。単純な性格も保守の特徴かもしれないが。

アベ総理は頭がいいらしい?!

2018年11月26日 09時30分53秒 | えいこう語る

▼アベ総理は成蹊大学法学部政治学科の出身だ。その母校に講演を依頼された立憲民主党の枝野幸男代表が「成蹊大学は私の頭の上がらない立派な卒業生を出している」と問題発言?をしたそうだ。

▼だが「私の妻が卒業生だから」と、粋なジョークを披露したという。学生は喜んだが学校関係者は一瞬冷や汗をかいたに違いない。

▼立派な卒業生の一人であるアベ総理の評価は、経済政策が「ドアホノミクス」と某女性経済学者から酷評されるほどなので、そんなに頭のいい総理ではないのではと思っている。私はその女性学者のフアンだからだ。

▼昨夜布団の中で、アベ総理の「美しい国へ」という本を開いてみた。この本は何度も読み返している。私は重要だと思われるところに赤エンピツで強調するが、この本は「?」という記号が多くつけられている。

▼「ナショナリズムとは何か」という章だ。シンゾウさんは1964年の東京五輪の時、小学4年生だったという。柔道無差別級の決勝戦、神永昭夫選手がオランダのヘーシンク選手に負けた。その時の感想をこう述べている。

▼「悔しかったが、日本独自のものだと思っていた柔道が、こんなに世界にひろがっているのだと知って、私は嬉しかった」と。小学4年生にしては立派過ぎるコメントを残している。

▼私は高校1年だったが、ただ悔しくて「ヘーシンクのバカ野郎」とテレビに向かって叫んだ記憶しかない。ということは、シンゾウさんは、子供の頃から賢い少年だったのだろう。

▼でも、シンゾウさんの家庭教師だった現衆議院議員平沢勝栄さんに、随分ゲンコツを張られていたとも聞いている
。賢かったら殴られないはずだが。

▼その五輪で、日本は史上最高の金メダル16個を獲得した。五輪は敗戦で傷ついたナショナリズムが回復に向かうきっかけになるはずだったが、それはスポーツだけに許されるものになっていった。愛国心という言葉に対するアレルギーと警戒心は、その後も日本人からなくなりはしなかった。

▼それから時代は大きく変わり、日本は先進国の仲間入りをはたした。スポーツは国と国との友好を深める重要な役割を果たしている。今若者たちはスポーツで愛国心を素直に表現している。スポーツには健全な愛国心を引き出す力があるのだ。とやけに愛国心を強調する。

▼次期五輪まで2年足らずとなった。日本選手の最近の活躍ぶりは、相当な数の金メダルの獲得を予想させている。アベ総理がもし開催時の総理だったら、どんな演出で開会式を行うだろうか。

▼上空ではブルーインパレスを先頭に、最新鋭のステレス型戦闘機の大編隊飛行が繰り広がれる。日本選手入場は、ミリタリールック調に身を包んだ、学徒出陣の明治神宮外苑競技場を彷彿させる行進だ。アベ総理は、オスプレイに乗って登場だ。ブラジル大会はマリオに扮していたが、なんと鉄腕アトムだ。そして妹のウランちゃんは、小池百合子東京都知事だ。

▼天皇陛下の挨拶の後、君が代の大合唱が起き「2020年東京オリンピック万歳!」の三唱だ。・・・この瞬間私の腰がぎくりと動いたような気がした。寝床から起きてブログを書いているが、腰に鈍痛を感じている。

▼そしてシンゾウさんはこうも述べる。「若者たちが自分たちが生まれ育った国を自然に愛するようになるには、教育の現場や地域で、先ずは郷土愛をはぐくむことが必要だ。国に対する帰属意識は、その延長線上で醸成されるのではないか」と。

▼2018年「道徳教育」が教科化され、文科省でも教育現場で「教育勅語」を語るのはやぶさかではないとの指針を示した。さらに戦後始まった「コミュニティ・スクール」も復活した。

▼コミュニティ・スクールとは、1930年代の大恐慌以降に、「社会改造」の一環として米国で誕生したという。ナショナリズムは教育の現場や地域ではぐくむと主張するシンゾウさんだ。次期五輪に向け、着々とスケジュールを練りに練っているに違いない。

▼大阪万博も招致が決定したようだ。そこにはカジノの誘致も含まれているらしい。楽しい祭りの後に「品格のない国」が待っているのかもしれない。

▼アベ総理は頭がいいらしい!というのは、やはり都市伝説なのだろうか。・・・信じるか信じないかは、あなた次第です。