函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

13体の絞首刑

2018年07月29日 11時48分57秒 | えいこう語る

▼未曽有の大雨の被害が西日本で発生した7月。上川陽子法務大臣は、オウム真理教13人の絞首刑を執行した。・・・まるで「人間テルテル坊主」のように。

▼芥川賞作家の辺見 庸は、北海道新聞夕刊に「むごい夏」という見出しで、この異常な国家による殺人に自らのやり切れない心境を吐露している。

▼さらに、歌手ビリー・ホリデーが歌う「奇妙な果実」を引用し、死刑制度の在り方にも疑問を呈している。

▼♪南部の木々に奇妙な果実がある 
  葉は血に濡れ赤い血が根に滴っている
  南部の風に揺れている黒い肉体
  ポプラの木々からぶら下がっている奇妙な果実
  雄大で美しい南部の牧歌的風景
  飛び出した眼歪んだ口
  木蓮の甘く爽やかな香り
  そこに突然漂う焼けた肉の臭い
  此処にもう一つカラスの餌食となる果実がある
  雨に打たれ風に弄ばれ
  太陽に焼かれ朽ちそして木からその果実は落ちる
  此処にもう一つ苦い奇妙な果実がある♪

▼ふと私は、地域の禅寺のおばさんたちが歌う「13仏」の御詠歌を思い出した。
♪南無13体の仏の前にておれもせば
 此処にいながら極楽の浄土参りの御請願・・・

▼【13仏】不動明王・釈迦牟尼仏・文殊菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・弥勒菩薩・薬師如来・観世音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀如来・阿閦如来・大日如来・虚空蔵菩薩。

▼【13体のオウム真理幹部の絞首刑・奇妙な果実・禅宗の13仏】。私にはビリー・ホリデーの歌声も御詠歌に聞こえてきた。

▼精神が破綻してたといわれるアサハラが、最期に『4』と言ったという。それを「4女に遺体を預けてくれ」と解釈し、4女も海に散骨することにしているようだ。アサハラは本当に言葉を発したのだろうか。

▼米国同時多発テロの首謀者とされるビンラディンを殺害した米軍は、彼の存在を完全に消去するため、海に散骨したという。近年、対米従属が激しすぎるアベ政権。まさか、散骨まで4女を通して指示させたのではないだろうか。

▼「死人に口なし」。我が国にはそんな言葉もあった。オウム真理教事件。これは我が国が抱える大きな病巣の一つでもある。

▼アサハラは語らず、13体は豪雨災害のおおぜいの死者たちの中に入り、2018年7月に浄土へと旅立った。

▼ビリー・ホリデーはクチナシの白い花が好きで、いつも髪に飾っていた。

▼辺見は最初に7人が処刑された後に、行きつけのカフェの窓越しに、クチナシの花が全て落ちていたのを見たという。それを「奇妙な果実」に連想し「むごい夏」とつぶやいた。

▼私と言えば、猛暑に脳みそまで沸騰させられ幻覚を起こし、「クチナシの花」に「死人に口なし」を重ね妄想に余念がなかった。

ノーベル文学賞作品から見えた北海道の未来

2018年07月25日 08時57分56秒 | えいこう語る

▼この頃、北海道があわただしくなってきた。最初に動き始めたのが、我が国での新幹線開通から、半世紀以上経ってやってきた「北海道新幹線」だ。

▼かつては「夢の新幹線」と呼ばれたが、年月の長さに夢は薄らいでしまったようだ。それでも、札幌まで延伸させれば、新幹線は北海道の活性化の起爆剤と、政財界は夢を語り続ける。人口は減少し,地方は消滅の危機に瀕してきている現状でだ。

▼さらに、北海道観光の起爆剤になるだろうと期待させているのは、道内7空港の一括民営化だ。民営化は航空運賃が安くなる可能性や民間発想での型破りな企画ができる期待感はある。だが、入札には地元の共同企業体ばかりではなく、海外資本の参加もあるようだ。

▼その一つに、フランスの空港公団会社も参入してくるそうだが、そこに我が国の観光業界では異色な経営方針を打ち出す「加森観光」も加わるという。世界中から北海道に格安航空運賃で観光客を誘致し、統合型リゾート施設(IR法)を積極的に展開する計画ではないかと思う。

▼ラスベガスやシンガポールではない、北海道の大自然のの中で、世界最高レベルのカジノを中心とする統合型リゾート施設の建設を目指しているのではないか。クラーク博士がこの大地に残した「ボーイズ・アンビシャス」の精神とは、果たしてそんな挑戦を言うのだろうか。

▼北海道は、オスプレイも自由に飛び交い、やがて米軍の基地化が進みそうな気がする。イージス・アショアもそのうち配備されるかもしれない。港湾も深くし、大型クルーズ船の入港で、観光客の誘致を図るというのも、米空母が寄港できるための計画かもしれない。

▼妄想に過ぎないかもしれないが、アベ総理の極端な対米従属姿勢を見ていると「借金王国日本」に、お金の儲け方(ラスベガスのノウハウ)を教えてやろうというという、米国大統領の悪魔の囁きが聞こえて来る。賭博法だけに「トランプ法」と名付けたいものだ。

▼北海道の未来を考えたが良い案など浮かんでこない。だが、ノーベル文学賞受賞作カズオ・イシグロ著「日の名残り」の中に、こんな文章があった。・・・イギリスの風景を表現した件だ。

▼「イギリスの風景がその最良の装いで立ち現れてくるとき、そこには外国の風景が ─ たとえ表面的にどれほどドラマチックであろうとも ─ 決してもちえない品格がある。そしてその品格が、見る者にひじょうに深い満足感を与えるのだ、と。この品格は、おそらく「偉大さ」という言葉で表現するのが最も適切でしょう。今朝あの丘に立ち、眼下にあの大地を見たとき、私ははっきり偉大さの中にいることを感じました。この国土はグレートブリテンと呼ばれております。では「偉大さ」とは、厳密に何を指すのでしょうか。それはどこに、何の中から見いだされるものなのでしょう。私は、表面的なドラマやアクションの無さが、わが国の美しさを一味も二味も違うものにしているのだと思います。問題は、美しさの持つ落ち着きであり、慎ましさでありますまいか。イギリスの国土は、自分の美しさと偉大さをよく知っていて、大声で叫ぶ必要を認めません。(多少抜粋させていただきました)。

▼私はこの文章に感銘を受け【グレート北海道】にするためには、道民一人一人の品格が必要ではないかと考えてみました。だが、品格の中身を定義することが決して容易でないことも知っています。

▼ただ、「偉大な大地」・「品格の大地」というのが、北海道の未来のあるべき姿ではないのかというのは、私もちょっぴりではあるが、そんなふうに感じています。

縄文と原発

2018年07月23日 09時41分48秒 | えいこう語る

▼私たちが住んでいる函館地区は、縄文の遺跡がたくさんある。その昔、津軽海峡を挟んで東北との交流が盛んで、優れた精神文化があったとされ【北海道・北東北の縄文遺跡群】として、ユネスコの世界遺産登録に向け活発な活動をしているようだ。文化遺産の所轄は文科省だ。

▼だが対抗馬がある。【奄美大島、徳之島、沖縄北部および西表島】の自然遺産だ。こちらの所管は環境省だという。ユネスコへの登録は1国1件としているため、来年2月にはどちらかが落ちることになる。

▼何度も落選の憂き目にあい、やっと推薦されそうだが、函館市民の関心度はどのくらいかと言うと、半世紀遅れでやってきた北海道新幹線と同じくらいの興味度だ?!。関係者が騒ぐほど「そんなに地域の活性化に重要ではない」と思っている人が多いようだ。

▼私は昨今の異常気象は、文明の急激な発展による自然破壊が原因だと考えている。そこで「自然との共生」がライフスタイルだった縄文時代には、人類が生き抜くヒントが多くあると思っている。中でも一番気に入っているのが、1万年にもわたり戦争がなかったということだ。

▼「積極的平和主義の答えは縄文にあり」と、アベ総理に知らせるためにも、縄文を推薦し世界の平和に貢献させたいと考えている。でも、アベ総理の「積極的平和主義」は私たちの解釈と違うようなので、1万年も戦争がなかったと知るや、登録が却下されるかもしれない。

▼この登録には【北海道・青森・岩手・秋田】が連合で推薦主体となっている。新潟の火焔土器や長野県の縄文土器も素晴らしいものがあるが、それらを含めないのはどんな理由があるのだろうか。縄文学に興味がある私にとっては、ちょっぴり不満が残る。

▼世界遺産登録に一歩近づいた縄文だが、私が最も喜んでいるのは「大間原発反対運動」に、大きなヒントが与えられたということだ。

▼つまり、この縄文遺産群の地域に、世界初のフルMOX燃料を使用する大間原発を建設をしているのだ。もし事故が起きた場合、世界遺産も壊滅するのだから「縄文の世界遺産登録には大間原発は必要なし」という、新たな原発反対運動にシフトするという考えだ。

▼原発など人類と共存できるものではない。それは福島第1原発事故が世界に範を示している。原発など無い方が、人類は縄文時代のような環境を保持し「自然と共生」しながら、美しい地球を保持していけるからだ。

▼人類にとって「原発」は「悪魔」と同意語なのだなのだと思ったところで、昨夜の夢は終了となった。

▼縄文文化の世界遺産登録と大間原発反対運動が同時に運動し始めた時、その存在が抹消されるのは、もちろん【大魔原発】に違いないからだ。

戦後レジームの総括を

2018年07月20日 07時07分45秒 | えいこう語る

▼「戦後レジームの解体」を叫んだのが,アベ総理だ。解体とは終了させて新たに構築するという、発展的解消だと思うが、アベ総理の頭の中はどうやら、戦後民主主義と呼ばれるものや、戦力なき平和主義を解体し、戦前レジームに回帰させようという魂胆らしい。

▼そう私が実感したのは、今年の4月に出版されたばかりの政治学者白井聡著「国体論」を読んでのことだ。「今の若い者が」という言葉が、70歳の私しにもある。40歳の学者が「国体論」を書いたことにひじょうに興味をそそられた。

▼日本という国は一体どんな国なのだろうと普段考えてきた私だが、この一冊は我が国を語る上での、私の貴重な教科書になった。こんな本に出合えて感動し感謝したというのが、今の心境だ。

▼国体というのは、天皇を中心とする国家体制のことだ。この制度が戦争に突入した大きな原因だ。だが、天皇の責任は免除され、国体は護持された。天皇制なるものを占領政策に利用したのが米国だ。それを「天皇制平和主義」と言う。

▼つまり戦後の国体は、天皇制の上に米国を戴く体制となる。九条を保持したまま、自衛隊を強化させたのは米国だ。この二重構造こそ、戦後レジーム解体後の、極めて重要なた役割を発揮することになるようだ。

▼毎年10月には米国から「年次改革要望書」が届けられ、我が国の方針に影響を与える。アベ政権は【憲法改正】という戦後レジームの解体に向け、極端な「対米従属政策」に走る。トランプとアベは「アメリカン&ジャパン・ファースト」という「双子(双務的)の新安保条約」を構想しているのだろう。

▼米国を頂点にいただく戦後国体の末期たる現在に現れたのは「積極的平和主義」という「米国軍事戦略との一体化」だ。それは自衛隊の米軍の安全な補助戦略化であり、日本全土のアメリカの【弾除け化】を目指すことだと白井は指摘する。

▼話はちょっとそれるが、1951年に成立した日米安保条約での米国の本音が、米大統領特使ジョン・フォスター・ダレスの言葉に見える。【我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させれる権利】それが「日米安保」なのだ。

▼国体と天皇についての、戦後の坂口安吾の言葉がある。「あの戦争において、膨大な人々を殺した天皇制が敗戦でも再建された。天皇制というものは日本史を貫く一つの制度であったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。戦争は軍部の専断横行だった。しかも軍人たるや、かくの如く天皇をないがしろにし、根底的に冒瀆しながら、盲目的に天皇を崇拝しているのだ」。

▼米国もそれを占領政策に利用したのだ。今上天皇の「生前退位」について、有識者会議で「天皇は祈っているだけでいい」と言った学者もいた。2012年の「自民党憲法改正草案」では「天皇は日本国の【元首】であり、日本国および日本国民の統合の象徴」と書きあらためられている。
元首とは、天皇に何の責任を課そうとしているのか。

▼今上天皇の「お言葉」を、昭和天皇の「玉音放送」に匹敵するというのは、ノンフィクション作家の保坂正康だ。天皇はアベ総理に批判的だといわれている。国民は「お言葉」に隠されている内容を自らが解読し、これからは「天皇と国民が身近になる」ことが、平和国家維持の重要課題だともいう。

▼書きたいことはたくさんあるが私の能力では支離滅裂になりそうだ。憲法改正前にこの本を読んでほしい。アベ総理の言う戦後レジームの解体後が見えるのではないかと思う。

▼アベ総理著の「美しい国へ」の最後にはこう書いてある。「日本の欠点を語ることに生きがいを求めるのではなく、日本の明日のために何をなすべきかを、語り合おうではないか」と。

▼白井の「国体論」の最後だ。「お言葉」が歴史の転換を画するものでありうるということは、その可能性を持つということ、言い換えれば潜在的にそうであるにすぎない。その潜在性、可能性を現実態に転化することができるものは、民衆の力だけである。民主主義とは、その力の発動に与えられた名前である。

▼米国や日本の為政者たちから天皇を取り戻すことに、日本の平和主義の未来があるのではないかと、間もなく即位される、新天皇皇后両陛下に期待する私だ。

▼年齢を追うごとに【曖昧な日本の私】というブラックホールに落ち込んでいくような気がする私であるが、この「国体論」でかろうじて奈落の底の手前で、穴の外にはい出る力がわいてきたようだ。

サッカーW杯も終了して

2018年07月17日 08時13分15秒 | えいこう語る

▼サッカーはルールもわからないので、ほとんど観ることは無い。しかし、今回のワールドカップの決勝戦に、見入ってしまった。大国フランス(人口約6500万人)VS小国クロアチア(450万人)だ。

▼大相撲の対決で言えば「小錦VS舞の海」というところか。
クロアチアは、旧ユーゴスラビアから独立し、まだ四半世紀しか経っていない。MVPに輝いたのは、身長172センチ・32歳の、チクロアチアの主将モドリッチだ。子供の頃、戦火の中でもひたすらボールを蹴っていたという。だれもが認めるMVPだ。

▼終了のホイッスルが鳴った時の、クロアチア選手の顔には『絶望』が現れていた。そこに、国を背負って戦うというサッカーの現実を目の当たりにする。サポーターたちも、国と国の戦いといった「戦闘ムード」さえ感じる。 

▼私は「ベルギーVS日本」の戦いもテレビ観戦した。高校時代の親友で、一昨年にベルギーに移住した友人、そして、先日、函館に住む友人を亡くしたからだ。二人が仲良くロシアで観戦しているのではないかと思い、私も同席したかったからだ。

▼この戦い、日本が2点先取したところで、私は、突然日本が負けるのではないかと感じた。「軍隊を持たぬ国は、防衛能力に欠けていて、W杯は何度参加しても生き残れないのではないか」という、ぼんやりとした予感を持ったからだ。

▼改憲論者たちが「国家のために命を捧げる国民でなければならない」というような主張が、頭をよぎった。日本が軍隊を保有したら、全員が主将モドリッチのような戦いぶりを見せ、やがてW杯で黄金のトロフィーを手中に納められるではないかという、ぼんやりとした希望?だ。

▼さらに、次期東京オリンピックが、あからさまな国威発揚を演出し、日本が再び「坂の上の雲」を目指すのではないかという、危険性も含めてだ。

▼W杯の間に、我が国は西日本の大豪雨で、死者が200名を超えた。その最中に、アベ総理と「坂の上の雲を目指す仲間たち」は、議員会館で宴会をしていた。

▼同席していた上川陽子法務大臣。翌朝、オウム真理教のアサハラとその幹部、計7名の大量死刑執行を前にしての、宴会だったというのは、身の毛もよだつ。災害の死者の中に、7名の処刑者も含めてしまおうという魂胆か。

▼さらに【森友・加計問題】も豪雨の中に流してしまい、22日で国会を閉会する。アベ政権とは、明治からの政治史の中で,どんな位置を占めるのだろうかと、考えさせられる。

▼W杯や五輪の側面には「集団意識の涵養=国威発揚」がある。そんな中で【9:11米国同時多発テロ】後の、米国の作家スーザン・ソンタグのこんな発言を思い出す。

▼「まず、共に悲しもう。だが、みんなで一緒に愚か者になる必要はない。テロ実行者を【愚か者】と批判するが、その言葉は彼らにではなく、報復のおそれのない距離・高度から殺戮を行ってきた者(我らの軍隊=米軍)の方がふさわしい。欺瞞や妄言は何も解決しない。現実を隠蔽する物言いは、成熟した民主国家の名を汚すものだ」。高橋源一郎著「僕らの民主主義なんだぜ」から引用。

▼こんな時、私は決まって思い出す言葉がある。【人間の魂は、かつて真理の国にいて、真理をはっきりみていたが、今や現象の国に生まれて、真理をはっきり見る目を失った】という、プラトンの言葉だ。