函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

積極的平和主義と消極的平和主義

2019年01月31日 11時36分01秒 | えいこう語る

▼通常国会が開催された。憲法改正論議だけをとらえると、
アベ総理は勇ましい。9条改正案で自衛隊明記が必要な根拠として「国民のために命を賭して任務を遂行する隊員の正当性を認めなければならない。今なお自衛隊に対するいわれなき批判や反対運動がある。これらに終止符を打つために、自衛隊の存在を憲法上明確に位置付けることが必要」だ、と。

▼自衛隊は国家防衛のためには、死んでもいい存在だと明言している。国民は自衛隊に対し感謝の念は抱くが、いわれなき批判などしている人などいないはずだ。アベ総理は国会での答弁前夜、大音量で「軍艦マーチ」と「海ゆかば」を聴いているのではないだろうか。

▼積極的平和主義と叫べば、消極的な人は平和主義者でないと負い目を感じる。総理得意の「アベコベすり替え論」だ。政治学者で思想史家の白井聡は、著書「日本劣化論」で、アベ総理の積極的平和主義をこう分析している。

▼それは安全保障政策の方向性を示している。自国の安全を確保するにあたって、積極的な方法と消極的な方法がある。消極的な方法とはできるだけ戦争にかかわらないようにする。あるいはそのかかわりをミニマムにするというものだ。反対に積極的な方法というのは、敵を名指しして威嚇したり、攻撃を加えることによって敵を無力化し、自国の安全を確保するというものだ。

▼今まで、できるだけ戦争に関与しないようにするのが我が国の方針だったのを、今度は積極的に戦争して敵をたたくことによって、自国の安全を確保するというというのが、積極的平和主義のもっとも簡潔な定義づけだと、白井は指摘する。

▼戦争は敵味方で多くの犠牲者が出る。そうであればより「消極的平和主義」で、9条を守る方がベストなのではないか。積極的平和主義と集団的自衛権行使が合体されれば、自衛隊の「専守防衛」は消滅し、自衛隊や家族に多大な迷惑を被らせるということにはならないか。

▼そんなアベ総理が施政方針演説で明治天皇の御製【敷島の大和心の雄々しさはことある時ぞ現れにけり】を引用したことに、志位書記長が噛みついた。

▼志位さん、少し心を鎮めてこう言ってほしかった。【この歌はプーチン大統領との首脳会談で話してほしかった。そして施政方針演説では、同じ明治天皇の御製【世の中の人の司となる人の身のおこなひよ正しからなむ】を引用してほしかった。そうであれば、与野党みんな立ち上がり、拍手の嵐はやまなかったに違いないと。

▼北方領土問題はどうやら「消極的」に交渉してきたようだ。アベ総理の掲げる積極的平和主義というのは、米国の威を借りる消極的な態度を言うのでは、大和心も女々しくはないだろうか。

左翼勢力が自滅する道知事選

2019年01月30日 20時06分44秒 | えいこう語る

▼将棋界のホープ・藤井君の攻めよろしく、夕張市長鈴木直道が、次期道知事選に王手をかけた。30日の北海道新聞朝刊一面のタイトルに、眠気も一気に吹き飛んでしまった。

▼【鈴木氏、先手打ち表明】だ。首相官邸側が押しているとみられる鈴木氏だが、自民党道連内部からは、経験が浅いとし国土交通省道局長の和泉氏を押す声が噴き出ている。

▼内部争いなどしている状況ではないと判断した鈴木は、すかさず先手必勝に出た。自ら無所属出馬を表明し、そこで自民・公明の支援を仰いだ。これは、鈴木の法政大学の先輩、菅官房長官の采配によるものだろう。

▼鈴木は、農水大臣で自民道連の会長でもある吉川や副代表の長谷川が推薦するが、吉川の指導力は弱い。下からの突き上げで、候補を絞れないで迷走しているのを見かねた官邸は「先手打ち」に出たのだ。

▼吉川貴盛が農水相を射止めたのは、TPP の発足で北海道農水業界がダメージを受ける。そこで業界からの攻撃を受け止める緩衝役として、政治手腕がないが人柄だけがいい吉川を、サンドバック代わりとして大臣に指名しただけだ。

▼その手腕の無さは、官邸が押す鈴木を一本化できないことをみても明らかだ。道知事選は選挙区が広大なので、10年程前でも、選挙資金は2億円以上はかかると、関係者が話していた。

▼財政破綻をした夕張市長の鈴木だ。そんな資金が調達できるはずがない。それも無所属での出馬となれば、官邸サイドがバックにいることが証明される。

▼今ではだんまりを見せているが「アベ・菅ライン」と北海道を結ぶ強力な送電線は、新党大地の「ムネオスズキ」だ。たぶん鈴木直道の選対本部長は、吉川に見えるが、ムネオが影の本部長だろう。ムネオも7月の「衆参同時選挙?」に、最後の出馬をかけてくる。

▼それに忘れてはならない存在がいる。ムネオの長女「タカコ」だ。若干33歳にして、防衛大臣政務官という要職についている。

▼タカコは自民党から民主党に、さらに自民党にと「八艘飛び」を平気でやってのけた。まさに「クローン・スズキ親子」と言われる、戦う政治家の一人だ。

▼この親熊は、自分が成し遂げられなかった政治の理想を子熊に託すに違いない。そこでムネオは、死ぬまで政治に影響力を示すのだ。それが「戦う政治家ムネオ」だからだ。

▼候補すら出せない野党は、鈴木がアベ総理派であれば、対抗する和泉に相乗りするなどという、戦いを放棄した無能発言も出ている。

▼今まで敵対視していたはるみ知事が、和泉を後継者と発言したのに、和泉「相乗り」では、もはや野党の右傾化そのものだ。今回の北海道知事選、立憲民主は解体を証明したのだ。

▼そうであれば、鈴木直道は「新党大地」の党首として、アベ政権を後ろにいただいて、縦横無尽の活躍をすればいい。道民の理解は得れるだろう。

▼ここからは私の妄想だが「新党・大地」という名称を私は嫌いではない。むしろ北海道らしい名称だ。自民党は嫌いだが、野党勢力が自滅したのであれば「新党・大地」の方が聞こえが良い。

▼鈴木直道が知事になり、3期目を目途に国政に躍り出る。
そうなれば、タカコを知事戦に出してくるというのが、ムネオオヤジの筋書きではないだろうか。

▼妄想はこのぐらいにしておき、今回の知事選では野党の右傾化というより、左翼陣営が自滅したという歴史を作ったのだ。その原因はオオサカセイジと、それに歯止めをかけれなかった野党体制の無力さだ。二度の知事選辞退で、北海道の左翼勢力を極端に壊滅させてしまったのだ。

▼右翼団体一水会創設者の鈴木邦男は言う。【愛国心とは、この国に生まれただけで手に入るものだ。それだけで誇れるのは危ない。それに対し左翼は、何一つ有効な手立てを打てなかった。愛国心という厄介なものの前でたじろぎ、それに見透かされて支持を失った】と指摘する。

▼北海道生まれでない鈴木直道が、北海道を守るという。北海道生まれのオオサカは、北海道を捨てる。郷土愛は鈴木が守るのだ。これが、ただしい保守の在り方ではないか。

▼こう考えれば、北海道の未来は保守化し、保守勢力の大地になるだろう。だが、アベ総理は「真の保守」ではないといわれる。対米従属に傾斜し過ぎるからだ。

▼左と右の境が希薄になり、どんどん曖昧化していく。こんな時代が極右の現れる社会状況の様な気がする。

▼2020年東京五輪。愛国心が最高に高揚される世紀のイベントだ。この年をアベ政権で乗り切るのは、ひじょうに危険な気がする。

▼北海道知事選がこんなレベルの低い状態で行われるというのがひじょうに嘆かわしい。民主主義の危機を知事選で実感する、団塊世代のたわいのない独り言だ。

函館市はイオンの傘下になるのか?

2019年01月28日 17時01分52秒 | えいこう語る

▼函館駅前の顔ともいわれたボーニ森屋百貨店が、1月末に82年の歴史に幕を下ろす。戦前戦後の函館の歴史のシンボル的存在だった。ちょっぴり大げさに言えば、函館市から皇居が無くなり、天皇制が廃止された状態のような感じではないだろうか。

▼つまり函館市の「市体=国体」が、護持されない状態になるのではないかというのが、私が心配する、この百貨店廃止後の函館市の将来像だ。

▼百貨店の現在の持ち主は、イオンだ。随分前だが「イオン函館上陸作戦」が始まった。その時は地元商店街が団結し阻止した。その後、市内にあったダイエーを手に入れたイオンは、ダイエーの傘下に入っていた「ボーニ森屋」を手に入れた。

▼いつの間にか、市の心臓部の「駅前城=ボーニ森屋」を手中に収めたという感じだ。ここで、函館市は「イオン進駐軍」に、駅前周辺のまちづくりのイニシアチブを握られた感じがするというのが、私の妄想に近い実感だ。

▼だが、市民の中には、死に体に近い中心部を、イオンなら生き返らせてくれるだろうという、ある種の期待を持っているようだ。

▼周辺商店街側や市民団体も「駅前城」の活用方法について、イオンと行政との三者で話し合っているようだ。いわゆる「住民参加型のまちづくり」だ。まちづくりの主体はあくまでも住民なので、それには賛意を示したい。

▼わが国は、戦後米国の占領下におかれ、安保条約で国防も米国に任せて来た。「日米構造協議」というのがあり、米国の言うことを聞かなければならなかった。

▼1992年「大店法撤廃要求」が米国よりあった。その後、大店舗が地方に出店すると、日本中の商店街は「シャター通り」と化す。これは米国のデスカウント店「ウオルマート」の経営と同様の、地方経済の衰退だ。

▼ウオルマートは「西友」を子会社にして、18年から「楽天」と提携した。イオンの経営戦略など知る由もないが、佐賀県下でのイオンの動きをみれば、なんとなく理解ができるような気がする。

▼現在、佐賀県上峰町のイオン閉店に係る推移を検索すれば、まちづくりのイニシアチブは、イオンに握られているという感じがする。

▼そこで思い出すのが1993年に、宮沢首相とクリントン大統領が交わした【年次改革要望書】だ。この正式名は【日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書】だ。

▼イニシアティブとは主導権は米国にあるというものだ。これを毎年米国は日本に突きつけてきて、日本はこれに従って政策を実行することになる。つまりこの要望者は【日本改造計画】で、いまだに我が国は日本の植民地と言っても過言ではない。

▼というのが、読書や検索の中で私が理解した、我が国の大店舗に係る流れだ。だが、私がこの耳と目で実際確かめたイオンの動きがある。

▼それは、私が所属する函館市町会連合会が、研修視察で訪れた秋田県能代市町会連合会との交流会での出来事だ。この市にも、イオンの郊外型大型店舗の進出に対し、地元商工関係者が反対し、市を二分する争いがあるという。

▼このことについて尋ねてみた。そこで説明に立ったのが町会の幹部の方だ。議会は賛成の方向を示したが、自分が反対運動の先頭に立って戦い、今は休止状態だという。

▼その町会連合会の事務局が、市のある部局が担当していたのだ。そこでその担当が発言した内容に驚いた。「すでに基礎工事が始まっています」という。

▼能代市でイオンは、インターチェンジ付近に開発面積6万6000平方メートルの、郊外型ショッピングセンターの計画をしている。開店すると市内の大型店舗の売り場面積占有率は「80%を超える」恐れがあるという。

▼このような状態になると、外部の流通資本を中心に、大型店に地域商業の運命を握られ、まちづくりの自治能力を喪失しかねないという。

▼函館は市民と行政とイオンが共同で「駅前城」の開発を行っているようだが、イオン側は「人口減が進んでいるので、商圏規模に合った施設にするしかない」と主張する。

▼行政側は「歴史的遺産である現在の建物を活用し、官民協働で運営しながら駅前周辺地域の活力を高めていくべきだ」と主張する。所有者はイオンなので、イニシアティブはイオンにあるとみていい。

▼世界中には、大型店舗に対する規制問題がある。「地方社会の資源」を自己管理し、誰か得体のしれないものの介入を許さないというのは「自治の思想」に関係している。上からの号令にさして逆らうことなく、粛々と【平成の市町村合併】に向かい、地域社会に対する市民の帰属意識が、希薄になることに無頓着な日本のような社会の場合、とりわけその「自治思想」から得られる教訓は大きい。
      矢作 弘著「大型店とまちづくり」参照。

▼「行政・市民・イオン」三位一体となる、函館の新しいまちづくりが、どのような美しいハーモニーを奏でるか、指揮者の采配を注視したい。

なおみ優勝!潮目が変わる時

2019年01月27日 12時17分58秒 | えいこう語る

▼大相撲初場所とテニスの全豪オープン。崖っぷちに立たされている選手たちの心理面が伝わり、見る者の心身を疲れさせる。

▼観客席の人間は、最終的には「勝ち負け」で評価してしまうのだが「あきらめる」ことが、生きの延びることと了解している私などは「あきらめない」ことの精神の強さに、感動を覚えてしまう。

▼大相撲は「貴ノ岩暴力事件」に発した「貴乃花引退騒動」で揺れに揺れたが、ネズミ一匹も残らなかったような結果になってしまった。国技という伝統が、ちょっぴり揺らぎはしたが、体面を保ったようだ。

▼そんな内紛劇などなかったかのように、下位の力士の奮闘が目立つ。白鵬を破った、22歳関脇貴景勝と34歳関脇玉鷲だ。

▼表情や体の動きから察し、緊張が前面に出ないなんて考えられないのが貴景勝だ。全ての力と精神力を発揮する土俵は、すでに横綱の「心技体」を兼ね備えているようだ。

▼モンゴル出身で、初場所以来無休を誇る玉鷲。この力士も表情には出さない。だが昨日の1150回目の、そして優勝が目前の取り組みでは、手を付く前「あれ、いつもはどうしたっけ?」と思ったという。

▼そのことを聞いて、私は親戚のある男性の言葉を思い出した。だれが見ても美人で最愛の奥さんがなくなられ、一人暮らしだった。

▼80歳近くなった時、坂道を運転していてブレーキをかけようと思った時「どうしたらいいのか全く分からなくなってしまった」という。そこで免許証を返納した。

▼田舎での一人暮らし、自動車がなければ不便極まる。間もなく認知症が進行し、あっという間に世を去ってしまった。

▼玉鷲との関連性は全くないが、経験豊富な玉鷲でも、ここ一番の大勝負は、すべてがぶっ飛んでしまうという。白鵬の3連敗後の休場は「自分の相撲を忘れてしまった」ということかもしれない。

▼それにしても全豪オープンの21歳の大坂なおみ選手には驚いた。若さゆえに感情が顔に表れたのはつい最近までだ。今回は苦境に陥っても、表情はすぐ平静を取り戻せた。

▼それにしてもウインブルドン2度制覇のクビトバ選手の、精神力にも驚いた。崖っぷちから何度も這い上がる精神力には、恐怖感さえ覚える。

▼プロボクサー具志堅用高は、ダウンした選手にさらにパンチを浴びせる。そのことについて聞かれた具志堅は「二度と立ち上がれないようにしたかった。立ち上がれば今度は自分が倒されると思った」とそう述べた。世界チャンピオンの精神力は、平常心など越えたところにあるのだろう。

▼何度も立ち上がる大阪選手。何度も立ち上がるクビトバ選手。その死闘を制し、世界1位の座を射止めた。世界1位や賞金3億2千万など、彼女らの意識にはなかっただろう。ただ誰頼るものもない狭いコート上で「孤独な戦い」を自分自身で制したのだ。

▼秋にはおじいちゃんがいる北海道の根室を訪れたいと話している。なおみさんにお願いしたい。「お魚が大漁するように」と北海道にエールを送っていただきたい。もう一つ「北海道が日本のNO1になってほしい」と、ただそれだけです。

▼今日は自分の思い付くまま書いてしまったが、我々団塊世代のおじさんたちは、昨夜ユーチューブでヘドバ&ダビデの「ナオミの夢」を聴いた人は少なくなかっただろう。

▼なおみ選手おめでとう。そしてなおみ選手をさらに強くしてくれた、クビトバ選手に感謝。

▼テーマの「潮目が変わる時」は、皆さんのご想像に任せます。

道知事選候補選定にみる民主主義

2019年01月26日 15時18分23秒 | えいこう語る

▼どうもしっくりこないのが、道知事選候補の選び方だ。民主主義は主権者が国民(道民)なのに、知事候補を与党と野党の政党の思惑だけで決めようとしているからだ。

▼道民は蚊帳の外という状態だ。自民党の候補の政策は、道民は大体理解ができる。4期もの長い間、自民系の知事の下で道政が行われていたからだ。自民の候補だと、現職が残した仕事を踏襲するからだ。

▼野党はと言えば、何をするのかが道民には伝わってこない。さらに知事選まで2ヶ月程なのに、いまだ候補を絞れない。敗因は「候補選びができなかった」というのは、言い訳にはならない。戦う選隊を組む力がないからだ。

▼今朝(26日)の新聞は、立憲民主が石川知裕元衆議員(45歳)の擁立に向かうという。勝てる候補に逃げられ,泡沫候補の名を連ねた円盤を回し、矢を放ったら当たったのが石川だという状態だ。

▼誰かを出なければ、政党としての存在がなくなるので、名指ししたという感じだ。石川本人も勝てないと思っているだろう。党の顔を立てて、次の選挙(衆参同時?)に、いいポジションを約束しての立候補になるだろう。どうみても【野党敗北宣言】だ。

▼2018年10月22日の北海道新聞夕刊に【沖縄知事選で見えた矛盾】というテーマで、法政大学田中優子総長の論説がある。

▼玉城候補の圧勝は、故翁長知事の遺志を継いで、党派を超えて沖縄の存在感を示し、誇りをもって明確に主張する人々の鳴動を集約したからだという。勝つには「辺野古問題」を直視するしかなかったともいう。

▼さらに「野党か与党か」「右か左か」を問うものではなく「日本の米国への姿勢はこのままでよいのか」を問い続けた翁長の意志を、玉城が継承したからだという。

▼沖縄には非情と思われる言動をするのが、菅官房長官だ
。だが、72年の「法政大学沖縄文化研究所」設立時に、翁長と菅は共に、法大法学部の学生だったという。

▼ここで思い出したのは、2018年7月北海道新聞夕刊の、映画監督で作家の森達也の「オウム死刑執行」についての論説だ。

▼ナチス最後の戦犯と言われたアイヒマンは、ホロコーストについて問われ「指示されたから」としか答えなかった。
その時傍聴席にいたユダヤの哲学者ハンナ・アーレントは、そのやり取りから【凡庸な悪】を発想したという。

▼「人は悪人だから悪事をなすのではない。集団の一部になるだけで、途方もない悪事をなす場合があるのだ」とし、
オウムの異常性ではなく、普遍性を見つめるべきだという。
そこには集団に馴染みやすく、個を捨てがちな日本人だからこそ、そこに歴史的な教訓が絶対にあると主張する。

▼北海道知事選に戻してみよう。党派だけでの候補者選び。「野党か与党か」「右か左ではない」それが道知事選にも求められているのではないか。

▼かつて北海道のキャッチコピーは「試される大地・北海道」だったが、16年から、なぜか「その先の道へ・北海道」にすり替わった。

▼試されるとは、道民自身に民主主義の意義を問いかけてはいなかったか。「その先の道へ」は、現実を直視しないでその先だけに集中させる、自己批判を怠る発想ではないか。

▼今回の知事選も、野党か与党かのいつもと変わらぬ集団的選挙だ。この選挙の形態から、抜け出さなければならないような気がする。うまく表現できないが、沖縄の知事選にみる、個人が未来を選べる選挙を期待したいものだ。

▼もし自民が勝利したならば、北海道はこの先さらに自民党政治に支配されることになる。そうなると沖縄県民と同様な思いをさせられるだろう。

▼「地方の時代」と言われて久しいが、日本列島を身体に例えれば、北海道は頭部で本州は胴体。九州と四国は手足だ。シンゾウだけ強くても、頭や他の部分も強くなくては「国体」は健全ではないような気がするが。

▼今回のように「野党完敗」が予測される知事選。民主主義の後退のようで、主権者の道民としては、実に嘆かわしいのだ。