函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

詩を書きたくなる時

2020年12月31日 12時57分21秒 | えいこう語る
▼1948年生まれの私だが、よくここまで生きてきたものだと、つくづく実感する今年だった。

▼12月28日は、生涯4度目の大手術!から4年を迎えることが出来たからだ。だが、戦後共にしてきた友人たちにも、多く先立たれた。

▼自分のカウントダウンも始まったいるのも、実感する2020年でもあった。昨日(30日)は、50cmもの大雪に見舞われた。

▼久しぶりに、中也の詩を読み返した。「汚れちった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」。「幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました」。

▼私が詩を書こうと思う時は、自分の心の裡を、文章では書き切れなくなった時だ。シンゾウからスガへ、私が住む日本という小宇宙船を操縦する船頭の航海術が、あまりにもヘタクソで、乗船する者が酸欠状態になってきたからだ。

▼そこから脱出を試みたくなったのが、詩を書くというミッションなのだ。

▼前回の北海道新聞社の日曜文藝欄の、詩の部門で特選になったのは、2010年だった。酸欠状態が極まったのは10年後なので、田舎生活は脳の環境には、良いということだろうか?。

▼いくらのんびりした環境でも、世界はコロナ戦争の真っただ中だ。近隣の町村にも負傷者が出始めてきた。

▼パンデミックは、人々を疑心暗鬼にさせる。もはや「欲しがりません勝つまでは」の国家総動員体制状態となった。

▼高齢者の私は、もはや最前線要員ではない。だが言葉で戦うことができる。というので詩を書くということで、老体鞭打って参戦することになりました。

▼題名だけは紹介しておきたい。題名には相当苦しんだが、このやさしさに落ち着いた。【戦い終えて】だ。

▼コロナ戦争が終結した世の中を、戦後民主主義にたっぷり浸かった私が、コロナの戦いの“戦後”を描く作品だからだ!?。

▼毎朝、毎晩書き直しては、詩の魂!と戦っている。何とかコロナ戦争に対抗する気概を、表したいからだ。

▼投稿してから、結果が出るまで、1ヶ月から2ヶ月がかかる。それまでの日曜の朝刊が楽しみでならない。

▼もし、今回の詩が特選になれば、5度目の金メダルになる。だが、今回の詩を、選者や新聞社が、選んでくれるか心配だ。「戦い終えて」という、当たり前の題名だが、当たり前でない内容だからだ。

▼行間には「メディア批判」も入っているからだ。だが、私としては現憲法第19条と21条の【思想および良心の自由】、【表現の自由】の援軍に期待しているからだ。

▼というわけで、2020年の総決算を詩に託すことにした。自信はある!!!。だが、こんな田舎オヤジの取るに足らない自信?を、簡単に踏む潰すのが【自民党改憲草案】だ。

▼2021年は「日本学術会議と野党と国民」の「三位一体部隊」が、スガ大本営の撤退に勝利することを、ひたすら願う。

▼私の「妄想ブログ」に、お付き合いいただいた皆様に感謝申し上げ、2021年がコロナ戦争の勝利宣言ができることを祈願し、お礼の言葉といたします。

    1年間ありがとうございました。

     初春や民主主義の生きる国
                三頭下

学術会議事変の真相!

2020年12月29日 13時36分39秒 | えいこう語る

▼この頃、特に心に引っかかるのが、日本学術会議問題だ。日本の学者たちの組織を、総理があからさまに批判するということについてだ。

▼学術会議は、戦前科学者たちが戦争に加担させられたことを反省し、政府が二度とこのような愚策を行わないよう、提言する組織だと認識している。

▼そうであれば立憲主義に立脚した「水戸黄門会議」のようなものだと思う。今まで、政府の政策に苦言を呈したものとして【核のゴミ処分条の地下埋設】それに【軍事目的に利用される研究の禁止】がある。

▼それらを、国策に反する行為だと政府が解釈すれば、いちいちうるさい学術会議の出鼻をくじくという考えも出てくる。

▼【憲法改正】を政治の最優先課題だと公言したシンゾウ政権。その政権を引き継ぐスガ政権ならば、納得もいく。

▼学術会議は、成立時から共産主義者が多く『赤い巨塔』と言われているそうだ。中国の「千人計画」=(科学研究や技術革新を奨励する国策)に、学術会議のメンバーが協力しているという、以前から政府筋の見解があるようだ。

▼任命を拒否された6名は「安保関連法」や「共謀罪」にも反対していたという。となれば、スガ政権での、あからさまな【レッド・パージ】ではないか!!!。

▼「自民党改憲草案」は、現憲法第13条の「公共の福祉に反しない限り、基本的人権は保障される」という内容を【“公益及び公の秩序”に反しない限り】と改正している。

▼となれば、すでにスガ政権は【憲法改正後】の政権運営を試みる政権、ということではないか。「シンゾウからスガへ」のバトンタッチは、そう単純ではなさそうだ。

▼【憲法改正マラソン・レ-ス】は、シンゾウの大健闘で勢いづき、スガがアンカーを任されたということではないか。

▼一見頼りなさそうなそうな、無名に近いランナーだが、北国生まれのしぶとさは定評がある。つまずいて転倒しても、後の短い距離は走り切れるからだ。

▼そんな「妄想解説」をしても、説得力がない。そこで昨夜も読んだ、藤原正彦著「国家の教養」の中にこんな文章があった。マラソンを三段跳び競技に変え、記述したい。

▼ホップ【20世紀の途方もなく大きな戦争に対し、教養層が無力だったのは、産業革命を経て一気に複雑化し進展の激しくなった世界に、古い教養、すなわち従来の哲学、古典を中心とした教養が、十分な効力を発揮できなかったこと。そして教養のない“未熟な国民”という大問題を忘却したまま、各国が民主主義に走ったため、どこも衆愚政治に陥ったことだ】。

▼ステップ【別な言い方をすると、古い教養が時代についていけなくなったこと、そしてもう一つは、民主主義とは教養層が力を発揮きできない体制であったこと】だ。

▼ジャンプ【国民が教養を失い、成熟した判断力を持たない場合、民主主義ほど危険な政治形態はない】と。

▼コロナ戦争下、スガ政権の作戦はことごとく失敗する。国民は「チアンイジ」の発令を要請し「コッカソウドウイン」体制で戦いに臨む。

▼今という時代は、藤原正彦が指摘する「いつか来た道」と、酷似しているように見える。私でさ薄々感じている【戦後民主主義の未成熟】が、シンゾウやスガの台頭を許しているのではないだろうか。

▼ポピュリズムで国民をコントロールできるのは、ジュンイチロウで実証済みだ。フィニッシュは教養層(学術会議)の兵糧攻め(補助金削減)と、組織改革だ。

▼学術会議への補助は年間「10億5千万円」。戦闘機一機は「140億円」だ。軍事費の増大はどこに向かうか、それの回答には、そんなに教養を要しない。

▼ただ、藤原の歴史観を、今の政権に当てはめ、国民に平和のありがたさを、自覚させる能力に欠いているのが、メディアではないか。

▼重箱の隅をつつき、国民の教養をうすめ、混濁させているのは、メディアだ。元旦の新聞各社の一面は【日本学術会議へのレッド・パ―ジ】という、目が覚める見出しを期待したい。

▼昨夜の夢は、私が新聞社の主筆になった夢だった。その隣の部屋に待機していたのは「秋田の悪い方のナマハゲ」だったような気がした。

▼「表現の自由」は【夢の中であっても】という文言を加えていただきたいものだ。

本を読むということ

2020年12月28日 11時08分33秒 | えいこう語る

▼私が総理の名をカタカナ表記するのは、総理として、ふさわしい人物と思えないからだ。あまりにも見え透いた嘘をつき過ぎる。総理の嘘は、国民を不安にさせるだけだからだ。

▼国内でも嘘をつくなら、海外ではさらに大風呂敷を広げる。誰もが呆れたのが「福島原発事故での汚染水は、完全にコントロールされている」と、世界中に嘘をついたからだ。

▼シンゾウとスガはが嘘をつくのは、道徳心が足りないのか、教養が十分ないのかと思ってしまう。

▼藤原正彦著「国家と教養」を読み返してみた。帯びには「教養なき国民が国を亡ぼす」「教養こそが大局観を磨く」「大衆文学も教養である」とあるが【教養なき総理が国を亡ぼす】とはなかった。

▼でも【教養なき国民は教養なき総理を選ぶ】と書いてあるのではないかと、昨夜の、床の中での読書に選んだ。

▼本の中にロシアの作家チェーホフは「書物の新しい頁を一項、一項読むごとに、私はより豊かに、より強く、より高くなっている」とあった。もはや睡魔に侵されてはならないと、俄然目が冴えてしまう。

▼「早く電気を消して、眠れないから」と、隣人から苦情が出ても、この本に「睡眠は教養の妨げ」と、チェーホフが言っていると答えたいので、このページに付箋を張って置いた。

▼だがこの本には、哲学者ニーチェの「本をめくるばかりしている学者は、ついにものを考える能力を全く喪失する」とも書いてある。

▼さすが藤原先生だ。「真の教養とは読解力にある」と、教えている。私の読んだ本には、花が咲いている。付箋が多いということだ。

▼花が咲き乱れる本ほど、教養を補ってくれるということだろう。でも、チェーホフとニーチェの言葉を忘れてはならない。

▼「国家と教養」も花が多い一冊だ。多過ぎるので花一輪を取り出し、その香しい匂いを嗅いでいただきたい。

▼【私は餃子と大福が大好物です。人間はこれらを食べなくても幸せな人生を全うできます。しかしこれらを口にせず死んでいく人を、心から気の毒と思います。私はショパンを聴いたり、童謡や歌謡曲を謳うのが大好きです。これらを聴かず、これらを歌わなくとも、幸せな人生を全うできます。でもそういった人々を気の毒に思います。本を読まない人に対しても同じ気持ちです。ローマ時代の学者であり政治家でもあったキケロは“本のない部屋は、魂のない肉体のようなものだ”と言いました】。

▼そこまで読んで、私は深い眠りに陥りました。こんな夜は、シンゾウやスガも夢に現れません。早朝、庭は一面の雪化粧です。

▼雪化粧って、素敵な言葉だとあらためて思う年の暮です。思わず♪蛍の光窓の雪♪を、口ずさんでしまいました。

    雪よコロナを埋めつくせ
              三頭下

昭和の名曲「心のこり」

2020年12月27日 14時28分33秒 | えいこう語る
▼戦後廃止された道徳教育が、近年義務教育で復活した。それは時の政権(シンゾウ)が、教育現場に押し込んだのだ。

▼一般的に道徳は、国家平安のために必要な要素として、無批判的に受け入れられている。「道徳なき社会」は、無秩序だと考えられるからだ。

▼しかし、世間の常識に反し【シンゾウの嘘】を、特捜が不起訴にした。それは道徳に詳しくなくても、道徳に反する行為だと誰もが考えている。

▼道徳心なき当時の総理が、義務教育に道徳の教科化を行ったのは、不道徳極まりない行為だ。そうであれば特捜はもちろんだが、文科省も道徳ある組織とは言えない。

▼つまらないことを言うようだが、公然と博打を重ねる検事総長候補や、イジメよる子供の自殺を、何ら解決できない校長がいる社会は、道徳が行き届いていないということだ。

▼人間なんて、所詮地球環境ばかりでなく、人間環境を悪化させる、悪魔に過ぎないのではないかと思うことがある。そう考えるのも「表現の自由」の範疇らしい。

▼そんな、曖昧な存在の人間が生きてゆく手段に【棚上げ論】?がある。自分のことを棚に上げるという「言論の自由」も、憲法で保障されているからだ。

▼表現の自由は憲法で保障されているとしても「シンゾウの嘘」は、絶対容認できない。なぜ「偽証罪」に問われないかを、道徳の時間で生徒に討論させてほしい。

▼「道徳の教科化」とは、そんなディベートがあって、実効性を増すのではないかと考えるからだ。ハーバード大の、マイケル・サンデル教授の授業スタイルを、取り入れてもらいたいものだ。

▼「天皇制は学校に残っている」と感じることがある。同じ教員なのに、校長が特別偉く感じるからだ。校長が「学校の天皇」であってはならないからだ。

▼なぜこんな「棚上げ論」をぶちまけるかと言えば、昨夜の夢にシンゾウが現れて、私が「やめて―」というのに、大音量でカラオケを歌い始めたからだ。

▼この結末は最後に書くが、シンゾウの18番の歌に、私の脳もシバレ、柔軟性を失ってしまったからだ。そこで少しは頭の解凍を試みてみる。

▼道徳とは【ある社会でその成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般的に承認されている規範の総体。法律の様な外面的強制力を伴うものではなく、個人の内面的原理。今日では自然や文化財や技術品など、事物に対する人間の在るべき態度も含まれる】広辞苑。

▼「道徳の教科化」とは、子供時分から国家が容認する道徳の基準を、強制的に教え込むということだ。義務教育とは、国家そのものを支える洗脳機関ではないか。

▼となれば「嘘つき総理」というレッテルが張られた、シンゾウの教育改革は、納得がいかない。主権在民の国で、総理が嘘をつくというのは、一番道徳心に欠ける行為だからだ。

▼さて「棚上げ論」を主張してばかりだと、自分の心も、ちょっぴり痛む。そこで「シンゾウのカラオケのことだ。

▼先日亡くなった作詞なかにし礼・作曲中村泰士の名コンビの曲。細川たかしの「心のこり」を何度も歌っていた。

▼♪私バカよね おバカさんよんね
  うしろ指 うしろ指 さされても♪
何度もかみしめながら歌っていた。歌慣れているのか結構上手だった。

▼ふと思い出したことがある。この曲名「心のこり」は、当初「私バカよね」だったという。シンゾウはそのことを知っているのだろうか。

▼ということで、今日のテーマが、シンゾウ不起訴による、国民の「心のこり」となった次第です。


     道徳を肴の酒はまずい
              三頭下

嘘の枢軸

2020年12月26日 09時15分11秒 | えいこう語る
▼最近つくづく感じるのは、嫌な国になってきたという印象だ。四季の移ろいが美し日本に生まれ、誰もが祖国に誇りを持っているが、政治の世界がその誇りに泥を塗るからだ。

▼そう言えば自民党改憲草案・前文にも「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」とあるし、第3条第2項には「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」と記している。

▼これは、国民が愛国精神や郷土愛が希薄になったので、憲法に記載し国民に法令遵守を課そうという魂胆なのだろう。

▼この考えは、立憲主義の立場をはき違えている。だがそれを承知で、立憲主義そのものを破壊しようというのが目的らしい。

▼国を愛するという精神は、内心の自由なので、それを最高法規である憲法に書き込むなどというのは、基本的人権の侵害だ。

▼と憤っても、改憲案では「現憲法97条=基本的人権は侵すことができない永久の権利」を、“全面削除”している。

▼憲法改正が行われたら、間違いなく国民は、戦前と同様の生活を強いられることになる予感がする!。

▼今年10月に99歳で天寿を全うした、北海道生まれの松本五郎さんの戦争時の体験だ。1941年(昭和16年)に、自画像を描いただけで、治安維持法違反容疑で逮捕された。

▼所謂「生活図画事件」だ。自画像はちょっぴり不安げな顔つきだ。太平洋戦争突入時の学生なら、ほとんどがそんな表情だったに違いない。

▼現在の我が国の総理でもあるまいし、なんら説明もせず拘留されてしまったという。こんな記事を読めば、私の顔も不安で一杯になる。

▼そんな顔にしたのはシンゾウだ。これは断定できる。それに加え、ガースー(スガ総理)が、私の顔の表情をさらに悪化させようとしている。

▼シンゾウのあまりにも見え透いた嘘も見抜けない特捜部は、特高警察の予防捜査を学ばなければならない。この事件を機に、特捜部は国民の番犬から国家の番犬となったようだ。

▼もし憲法が改正され、戦前のように絵も描けないなら、読書の方がさらに危険だ。と思っていたら、札幌弁護士会が道央圏の五つの図書館が、警察から利用者に関する紹介を受け、情報提供していたと発表した。

▼自分の書棚を見る。最近は考えが偏らないように、右派側の思想も理解しようとしている。万が一取り調べを受けたら、右派側の考えが左派側の考えより、国家の安定のためには重要だと言えるよう、準備をしておこうと考えているからだ?!。

▼私は踏み絵は踏もうと考えている。本物の踏み絵の主は「正しいと思う心があれば、踏んでもよい」と、了解しているからだ。

▼総理の嘘を正論に変化させ、むしろ国民の猜疑心を取り締まる準備が、特捜にはすでに出来上がっているのかもしれない。

▼絵(愛知トリエンナーレ問題も)と本が、検閲の対象とされる状態が迫っているという、今朝の嫌な感じがする我が国の近況だ。

▼さらに何度も思い出すが「道警のヤジ排除事件」は、道警が来るべき世を見据え、特高警察の予防捜査方法を会得しているのかもしれない。恐るべし、優秀な国家の番犬だ。

▼そんな国に向かうのが「美しい国へ」だというのは、笑止千万だ。むしろ「嫌な国へ」と加速しそうなこの頃だ。

▼26日の北海道新聞は、紙面の多くをシンゾウの嘘を羅列し【嘘がまかり通る国家】だという、全面広告に思える。

▼今日もテレビは終日シンゾウで埋め尽くし、国民にアホらしさを強調し、シンゾウの嘘を希釈させる作業に徹するのだろう。

▼そう言えば我が国ばかりではなく「米・中・ロ」等も【嘘の枢軸】ではないかと、ついでながら妄想してしまう。