函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

さよなら吉田拓郎

2022年06月30日 06時55分11秒 | えいこう語る

▼シンガー・ソングライターの吉田拓郎(76歳)が、7月21日のテレビ出演を最後に、引退を決意するようだ。

▼拓郎は私より2歳上だ。彼の曲は鼻歌が似合った。♪「結婚しようよ」「旅の宿」「シンシア」「今日までそして明日から」。数えればきりがないが、よく口ずさんだ。

▼それぞれの曲に、私なりの青春のちょっぴり感傷的な思い出があるからだ。拓郎と同年で、デビュー時からフアンクラブに加入していたという私の友人がいた。

▼彼に誘われて拓郎のコンサートを、秋田県まで観に行ったことがある。そこで拓郎の真の魅力に触れた。その夜、ワインバーで飲んで拓郎の魅力について語りあったのは、今でも楽しい思い出だ。

▼友人は当時教育関係の高い地位にいたが、音を隠し撮りしてCDにしてくれた。私の指笛がやけに鳴り響いていた。

▼その友人も拓郎と同じ癌を患い、前年に満開に桜の下でビールを飲んだのだが、翌年の桜の満開の時期に、一足先に旅立ってしまった。

▼彼の家の居間は、太平洋が一望できる大きな窓がある。夕方、左の岬から拓郎の歌の中にもある“苫小牧発のフェリー”が現れる。

▼友人は拓郎の歌で♪「落陽」が一番好きだったのを、あらためて思い出した。

▼7月21日はその友人宅で、最後の拓郎のテレビ出演を観ようと思う。彼が大好きな冷たいビールで乾杯しながら。

▼「END」とは終わりという意味だと思っていたが、最近「目的」という意味もあるということを知った。拓郎がテレビから消えるが、それは何かの始まりなのだと理解したい。

▼「落陽」の歌詞の中に♪「この国ときたら賭けるものなどないさ」というフレーズがある。参議院選挙が盛り上がらない。拓郎節がやけに身にしみてくる。

バカボンのパパに見るウクライナ戦争

2022年06月26日 16時22分12秒 | えいこう語る

▼「賛成の反対」とはバカボンのパパの常套句だ。さらに「賛成の反対の賛成の反対」と続く。パパにとっては、賛成も反対もどちらも意義(主張)があるので、一概には決めつけることができないという考えのようだ。

▼こんな考えでは無責任でたらめだと決めつけられるか、公平感を追求する考え方だと思うのか、それは個人の視点の問題だ。

▼パパは「それでいいのだ」という判定を下す。この言葉の奥には争いを好まない「平和主義」が見える。私はそう考えて来たので、若い時分から「天才バカボン」が好きなのだ。

▼人それぞれが背負う環境により価値観も違う。「それでいいのだ」。という不文律が、大上段に“正義”を振りかざさなくとも、共同体(周囲)を円滑に運営することができるようだ。

▼ウクライナ戦争は、長期戦の泥沼状態に入ってしまった。仕掛けた方が悪だと思ったら、仕掛けられた方も大量殺人を繰り返す。戦争ほど人間を悪魔に変身させるものはないと、改めて実感する。

▼世界は「ロシアへ賛成」、「ウクライナへ賛成」と二分割に引き裂かれる。パパなら「賛成の反対なのだ」と答えるに違いない。

▼戦争放棄を謳う我が国でさえ、ウクライナに兵士を守る支援物資を送り、経済制裁を加える。それは、北方領土問題を抱える北海道の不安定につながる。

▼ウクライナの次は北海道かと、急激な危機感はないが、巷間囁かれるようになっている。参議院選挙の真っ最中だが、憲法改正派が3分の2以上の議席を占める勢いのようだ。

▼戦後77年目の今、戦争がなく平和であることの意義を忘れがちだ。その平和は間違いなく【憲法9条】が存在していたからだ。

▼ウクライナの次は北海道が危険に晒されると考えれば【憲法改正】もやむなしという状況になってきそうだ。

▼「戦争の危機さえ煽れば戦争は簡単に起きる」というのは、ナチスの幹部の表現だ。バカボンのパパなら「9条の戦争放棄」には「それでいいのだ」というに違いない。

▼道民も参議院選挙について、パパのように哲学的に?真剣であってほしいものだ。「誰を入れたらいいんだべが」という声が、私の周辺で聞こえてくる。

日本人は戦争を忘れたのか

2022年06月24日 06時27分22秒 | えいこう語る
▼我が国が戦争に負けてから77年が過ぎた。その終わり方も「核爆弾」を2発も投下され、地獄と化した状況に驚き、無条件降伏をした。

▼ロシアがというより、プーチンがウクライナに侵攻した。突然攻められたウクライナは、祖国防衛のために必死に抵抗している。

▼双方夥しい死傷者が出ている。プーチンは「核の使用」も視野に入れていると豪語する。国連の議場で、キシダ総理が広島・長崎の被爆写真を披露し、核兵器廃絶を訴えてほしい。

▼その我が国、先日行った核兵器禁止会議も、核の傘下の恩恵?を被っている米国に配慮して、欠席している。

▼議長としこの会議を仕切り、核のない世界を訴えるのが、我が国の総理の役割ではないかと思うのだが。

▼参議院選挙が告示された。テレビではウクライナ戦争を教訓に?祖国防衛を訴え「戦争ができる国」を訴える候補もいる。危険な世の中になってきたのは確かだ。

▼靖国神社を参拝する国会議員は、総じて「先の大戦で犠牲になった英霊に尊崇の念を抱き、国家防衛を強固にする」というようなことを口にする。

▼何度もブログで紹介したが、私が靖国神社を参拝した時、英霊たちは「二度と戦争をしてはならない」と私に囁きかけてきた。

▼私は戦後民主主義教育を受けて育った。民主主義とは戦争を起こさないことだと考えている。だが今の政治家は【憲法改正】に前のめりだ。

▼単純に考えれば、この現象が「民主主義の劣化」ではないかと思う。被爆地の死体焼却の穴の前に、死んだ子の遺体を背負い、唇をかみしめる男の子の写真がある。

▼この写真を「9条改正」に反対する政党が、今回の参議院選のポスターに起用してほしかった。街頭演説などいらない。このポスターを持ち街頭に立てばいい。

▼人口800人にも満たなくなった我が故郷の選挙掲示板のポスターが、ガソリンスタンドに貼ってある、逃亡中の犯罪者の顔のように思える、今回の参議院選挙だ。


    初夏の風昭和は遠くなりにけり
                三頭下

苫小牧市長選に見る住民自治

2022年06月21日 12時58分05秒 | えいこう語る

▼人の顔をとやかく言う筋合いではないが、苫小牧の岩倉市長は、水戸黄門に出演すれば、悪代官訳がよく似合いそうだ。

▼という私は、妻に言わせれば、殿様役だという。喜んではいられない。若い町娘を無理やり手籠めにしそうな雰囲気があるからだという。

▼年齢を重ねると性格が顔に現れるという。本人はいたってまじめな性格だと思っているが、「表現の自由」というが、見方は千差万別だ。

▼私も町会長をしている。以前苫小牧のある会長と話したことがある。「今の市長は立派な方で、町会としては絶対的に応援している」と言い放った。

▼その苫小牧町会連合会は、数年前に事務局が市役所内に置かれたという。役所との接点が身近になり、事務も役人が行ってくれるので、効率的になったというような話をしていた。私は「住民自治」が失われるのではないかと懸念した。

▼先日5選を目指す岩倉氏が新人と一騎打ちをした。結果、岩倉氏29523票、新人17412票を獲得して、岩倉市政への批判の多さが目立った。

▼争点は、岩倉氏はカジノを中心とするIR施設の誘致。新人はその反対を訴えたようだ。この結果は、単に悪代官が賭博を始めるということに、市民が単純に反応を示したからだろう。

▼私の脳裏には、苫小牧市長選という大タイトルに、岩倉代官が賭博場で大判・小判を振りまいている、ポスターが浮かんできた。

▼さらにその子分に、市町会連合会の幹部たちの顔がずらりと並ぶ、そんな構図のポスターだ
。市長5期目は長すぎる。権力が肥大し、方向性を過つのが長期政権の結末だ。

▼首長は3期までだ。それ以上は停滞の要因だ。5期やれば6期となる。という私も町会長職は20年を超えているので、自分の経験からはっきり断言できるからだ。

▼ということで、苫小牧市は賭博などに手を染めてはならない。市町会連合会も「住民自治」を自覚してほしい。そんなことを実感した苫小牧市長選の水戸黄門的分析だ。

知床遊覧船事故とウクライナ戦争

2022年06月17日 08時48分44秒 | えいこう語る

▼ウクライナに対し、米欧の兵器供与や資金援助が拡大している。ウクライナ侵攻はプーチンが始めたので、この戦いはロシア側に非があるのは間違いない。

▼だが戦いが激化すれば、兵士や一般国民が犠牲になる。単純な考えだが、プーチンが早く死亡すればという気持ちになる。

▼正義の戦いを主張するゼレンスキーも、初めは頼もしく思えたが、今やプーチンとどっこいどっこいの戦争遂行者に見えてくる。テレビの音声だけ聴いていても、ゼレンスキーのだみ声声は判断できる様になった。

▼言いたいのは、戦争を始めるとどちらも殺人者に見えてくるからだ。戦争が終われば、何らかの裁判が行われるだろう。東京裁判を思い出す。勝者側からの一方的な裁定では、そこに“正義”はない。

▼わが北海道知床の遊覧船事故は、海の村に生まれ、漁師の手伝いをしたこともある私としては、心に深く暗い影を落とした。海が大好きだという心が揺らいでいる。

▼この遊覧船の船主の言動は、海で生計を立てる者としてはあまりにも許しがたい。最近になってこの船主は、国の管理の杜撰さを指摘している。

▼いわゆる“懺悔の値打ちもない”人間だ。人間という言葉も使用したくないほどの破廉恥だ
。これは暴言!だが「大きな石を足に縛り付け、海に投げ込んでやりたい」。

▼プーチンと船主、この二人の共通項は「表現の自由」の解釈の逸脱だ。憲法の解釈では【表現とは内心を外部へ表そうとする意思と行為を伴った精神作用であり、その内容は真実であるを要しない。】堀内健志著「憲法】信山社。

▼解釈はそうであるが、T・P・Oでの使いようが間違っている。つまり相手に対する思いやりの精神に著しく欠けた、自分ファーストの人間なのだ。

▼となれば、やはり「シンゾウ」の顔が浮かんでくる。「桜を見る会」のお酒をサントリーから提供させていたということが最近判明した。

▼町会のイベントでも寄付をお願いすることはある。だがそれと内容は違う。政府が一企業にお酒の提供をお願いするのは、公正さに欠くいうより、みみっちくはないか。

▼そんなレベルだから、シンゾウは「核の共有」などと、元総理なら口が滑っても言えわれないことをいうことを平気でいう。

▼「核の共有」などという、米国の核を利用させてもらうというような解釈ではない。本音は【核保有】だ。プーチンと船主とシンゾウ。この三人の顔が浮かぶと、私も朝から食欲が減退する。

▼気分が悪くなってきたので、この辺で終了します。この三人の言動を思い出せば「民主主義の劣化」ということが、世界中で起きているということを実感する。